向 理来(むかい りく、1989年〈平成元年〉12月21日 … 向 理来(むかい りく、1989年〈平成元年〉12月21日 - )は、日本のAV男優。2017年SILK LABOからデビュー(当時の芸名は夏目哉大)。2010年から2011年にかけて、ボーイズ着エロモデルとしても活動していた。キャッチコピーは、「まもなくイキます、向理来」 2010年4月、松城かなた(まつき かなた)名義でボーイズ着エロデビュー。DVD3作品リリース。 2011年4月、向井璃空(むかい りく)名義でボーイズ着エロ再デビュー。DVD4作品リリース。 2017年4月、夏目哉大(なつめ かなた)名義でSILK LABOからAVデビュー。所属事務所はリングスエンターテインメント。 2019年1月末日を以ってかねてより揉めていたリングスエンターテインメントを退所(本人の弁では出所)し、フリーAV男優となる。
甲藤 啓介(かっとう けいすけ、1983年11月12日 - … 甲藤 啓介(かっとう けいすけ、1983年11月12日 - )は、高知県香美市出身の元プロ野球選手(投手)。
吉川 昌宏(よしかわ まさひろ、1978年6月29日 - )… 吉川 昌宏(よしかわ まさひろ、1978年6月29日 - )は、元プロ野球選手(投手)。高知県出身。
藤川 賢一(ふじかわ けんいち、1969年12月15日 - … 藤川 賢一(ふじかわ けんいち、1969年12月15日 - )は、日本のシンガーソングライター・トランペッター・ミュージシャン・作詞家・作曲家。バンド「FOOMOON」のリーダー・ボーカリスト。ソロプロジェクト「Fujikawa Atomic Orchestra」のメインキャスト。 高知県香美市出身。武蔵野音楽大学を首席で卒業。トランペット専攻。新日本フィルハーモニー交響楽団、新星日本交響楽団(現東京フィルハーモニー交響楽団)等、プロオーケストラでトランペット、さらにはソリストとしても出演。 1994年2月に金曜ドラマ「いつも心に太陽を」の主題歌「大切な君の胸へ…」にてデビュー。甘い声にハイトーンボイス、間奏ではトランペットを吹くスタイルで注目を浴びる。
鹿取 義隆(かとり よしたか、1957年3月10日 - )は… 鹿取 義隆(かとり よしたか、1957年3月10日 - )は、高知県香美市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。
宗石 大(むねいし だい、1951年1月1日 - )は、日本… 宗石 大(むねいし だい、1951年1月1日 - )は、日本の騎手(高知競馬場)、調教師(高知競馬場)。高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)出身。 1951年1月1日、高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)出身。生家は農家で、農耕馬や競走馬を飼っていた。エンタツ・アチャコや藤山寛美に憧れて漫才師を志したが伝手がなかったため断念し、大工を目指して職業訓練校に通った。しかし経済的な事情から職業訓練校に通えなくなり、体が小さいことを活かして金を稼ごうと騎手になることを決意。「一発試験」と呼ばれる試験に合格し、騎手免許を取得した。騎手としては1万回以上騎乗し、1000を超える勝利を挙げた。このことについて宗石は、「下手くそに1万回も乗せてくれたのは義理と人情みたいなものだったから、私も義理と人情が大事の人間になっちゃった」と述べている。
川添 哲夫(かわぞえ てつお、1950年〈昭和25年〉1月1… 川添 哲夫(かわぞえ てつお、1950年〈昭和25年〉1月15日 - 1988年〈昭和63年〉3月24日)は、日本の剣道家。段位は教士七段。 上段の遣い手で、全日本剣道選手権大会優勝2回・準優勝1回・第三位3回、全国教職員剣道大会個人優勝5回、世界剣道選手権大会団体優勝1回などの戦績を残した。 高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)生まれ。父は剣道範士八段・高知県剣道連盟副会長の川添恵美(かわぞえ めぐみ)。 高知中学校・高等学校で剣道に励み、高校2年・3年にはインターハイに出場。3年から上段の構えを執る。 国士舘大学体育学部4年時の1971年、第19回全日本剣道選手権大会で初出場初優勝した。大学生で全日本選手権を制覇したのは川添が史上初であり、これは2014年の第62回全日本選手権で竹ノ内佑也(筑波大学)が川添と同じく初出場初優勝を果たすまで43年間現れなかった。
はら たいら(本名:原 平〈読み同じ〉、1943年〈昭和18… はら たいら(本名:原 平〈読み同じ〉、1943年〈昭和18年〉3月8日 - 2006年〈平成18年〉11月10日)は、日本の漫画家、随筆家、タレントである。血液型はB型。高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)出身で、晩年は東京都文京区小石川に居住した。 1943年3月8日(月曜日)、父の太郎と母の小夜子の長男として高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)に生まれる。姉の美和は元バスガイドで、父はたいらが生まれる前に結核で亡くなった。たいらには餓鬼大将の逸話があり、のちに『最後のガキ大将』で書籍となり『ガキ大将がやってきた』でドラマ化された。 中学生の頃から漫画雑誌への投稿を開始して高知市内の漫画研修会である高知漫画クラブに参加し、当時からナンセンス漫画の才能を発揮した。
福留 功男(ふくとめ のりお、1942年(昭和17年)1月2… 福留 功男(ふくとめ のりお、1942年(昭和17年)1月28日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ニュースキャスター、エグゼクティブ・プロデューサー。元日本テレビ エグゼクティブアナウンサー。 高知県香美郡香北町(現:香美市)生まれ。大阪市育ち。愛称は「トメさん」。「トメじじい」と自称したこともある。 大阪市立五条小学校、大阪市立天王寺中学校卒業。中学生時代の部活は最初は演劇部だったが、後に自分で放送部を作って転部。また、同じ頃アイスホッケーにも力を入れていた。 追手門学院高等学校卒業後、医師を目指して大阪大学医学部など何度も医大受験をするも失敗し、2浪の末入った明治大学文学部演劇学科を卒業。
倉橋 由美子(くらはし ゆみこ、1935年(昭和10年)10… 倉橋 由美子(くらはし ゆみこ、1935年(昭和10年)10月10日 - 2005年(平成17年)6月10日)は、日本の小説家。本名・熊谷(くまがい)由美子、旧姓・倉橋。明治大学在学中に『パルタイ』を発表して脚光を浴び、その後も『聖少女』『スミヤキストQの冒険』『アマノン国往還記』などを発表。カフカやカミュの影響を受け、日本の女流作家としては稀な抽象的、寓話的作風を示して注目された。 高知県香美郡土佐山田町(現香美市)に歯科医の長女として生まれる。私立土佐高等学校を経て、精神科医を志し公立医学部を受験するが失敗。母が浪人に反対したため京都女子大学国文学学科に籍を置き、医学部を再度受験するが失敗。
依光 隆(よりみつ たかし、1926年(大正15年)5月1日… 依光 隆(よりみつ たかし、1926年(大正15年)5月1日 - 2012年(平成24年)12月18日)は、挿絵画家・イラストレーター。高知県生まれ。父親の死去に伴い、隆の兄が働いていた満州に呼ばれ、1940年(昭和15年)から1944年(昭和19年)12月まで中国の大連で過ごす。帰国後、高村光太郎に師事。共同通信社社会部画信室を経てフリーになる。SFから児童書まで幅広い分野の挿絵で活躍。ハヤカワ文庫SFの「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズは、第1巻から第367巻を38年間にわたり担当した。 「白旗の少女」の挿絵と装幀で1990年度児童福祉文化賞を受賞。日本出版美術家連盟理事、創作集団プロミネンス(旧・少年文芸作家クラブ)会長を務めていた。
倉橋 良介(くらはし りょうすけ、1919年11月19日 -… 倉橋 良介(くらはし りょうすけ、1919年11月19日 - 1995年5月1日)は、日本の映画監督である。日東テレビ映画常務取締役、プロダクション鷹取締役を歴任。別名に風魔 三郎(ふうま さぶろう)。 1919年(大正8年)高知県香美郡土佐山田町(現香美市)に生まれる。京都府立京都農林学校卒業後、京都市役所の吏員として5年間働く。 その後松竹京都撮影所に入社、『破れ太鼓』(1949年)の木下恵介、『薔薇合戦』(1950年)成瀬巳喜男の助監督を務めた記録がある。1954年(昭和29年)1月27日に公開された、岩井半四郎主演の『とのさま街道』で監督に昇進している。以降、1960年(昭和35年)までの6年間に16作を監督している。
鏡川 四郎(かがみかわ しろう、1911年7月1日 - 没年… 鏡川 四郎(かがみかわ しろう、1911年7月1日 - 没年不明)は、高知県香美郡野市町(現香美市)出身で、二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は西山 四郎。最高位は十両12枚目。 同郷の元前頭の土州山役太郎の二子山部屋に入門。1928年10月に初土俵を踏む。1941年1月十両に昇進。十両は3場所つとめたが、いずれも大負けして勝ち越すことができなかった。1945年11月で廃業した。
土州灘 浪五郎(としゅうなだ なみごろう、1909年10月3… 土州灘 浪五郎(としゅうなだ なみごろう、1909年10月31日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。二子山部屋→二所ノ関部屋所属。本名は石川 久治(いしかわ ひさじ)。高知県香美郡香我美町(現香美市)出身。最高位は西十両14枚目。得意技は左四つ、下手投げ。 同郷の前頭・土州山役太郎の二子山部屋に入門。1928年1月場所に初土俵を踏む。1936年5月場所に十両に昇進。この場所は1勝10敗と大きく負け越し、1場所で幕下に落ちた。幕下から三段目に落ち、1942年5月場所で廃業した。
大岸 頼好(おおぎし よりよし、1902年〈明治35年〉2月… 大岸 頼好(おおぎし よりよし、1902年〈明治35年〉2月18日 - 1952年〈昭和27年〉1月29日)は、日本の陸軍軍人、右翼活動家。 高知県香美郡片地村(土佐山田町を経て現香美市)出身。大岸蓑吉、岩尾の息子として生まれた。陸軍士官学校卒(35期)。1930年西田税の指導する秘密結社「天剣党」に参加、皇道派青年将校運動のリーダーとなり、1931年9月「皇政維新法案大綱」という国家改造計画を起草した。1936年の2.26事件に関係して待命となり、左翼から転向の中村義明とともに右翼団体「あけぼの社」を設立。同年12月大尉で予備役。1940年9月近衛新体制に即応、革新青年団結のため結成された皇道翼賛青年連盟委員となった。
明石 猛繁(あかし たけしげ、1891年(明治24年)10月… 明石 猛繁(あかし たけしげ、1891年(明治24年)10月12日 - 1941年(昭和16年)7月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍主計少将。 高知県香美郡美良布村(現在の香美市)で、明石秀太郎、秀の長男として生まれた。1910年(明治43年)県立第一中学校卒を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍経理学校(8期)を卒業した。三等主計に任官し歩兵第43連隊付となり、1920年(大正9年)歩兵第44連隊付となりシベリア出兵に従軍。 1928年(昭和3年)陸軍経理学校高等科を卒業。以後、近衛師団経理部員、陸軍被服本廠員兼陸軍経理学校教育部教官、関東軍司令部付などを務める。1938年(昭和13年)主計大佐に昇進。
松永 寿雄(まつなが ひさお/としお、1888年1月15日 … 松永 寿雄(まつなが ひさお/としお、1888年1月15日 - 1955年12月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 1888年(明治21年)、香美郡山田村(現在の香美市)に生まれた。海南中学校を経て、1909年(明治42年)11月、海軍兵学校(37期)を卒業し、1910年(明治43年)12月、海軍少尉任官。1921年(大正10年)11月、海軍大学校(甲種19期)を卒業。 1921年12月、海軍少佐に昇進し横須賀海軍航空隊附兼臨時航空術講習部部員に就任。1922年(大正11年)11月、霞ヶ浦海軍航空隊教官となり、横須賀鎮守府参謀、軍令部出仕兼海軍省出仕、軍務局局員(一課)などを歴任。
林 亘(はやし わたる、1886年〈明治19年〉- 1950… 林 亘(はやし わたる、1886年〈明治19年〉- 1950年〈昭和25年〉)は、日本のクラリネット奏者、陸軍軍楽隊長。 高知県香美郡猪野々村(現・香美市)に生まれた。高等小学校3年の時、軍楽隊の試験に合格し、第四師団に配属された。英国に留学したのちに同師団の軍楽隊長に就任。 軍楽隊廃止後は大阪市音楽団の音楽長兼隊長として指揮をした。1950年(昭和25年)没。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
三吉 務(みよし つとむ、1878年(明治11年)7月1日 … 三吉 務(みよし つとむ、1878年(明治11年)7月1日 - 1975年(昭和50年)7月31日)は、日本の牧師、富士見町教会の第4代目主任牧師である。 1878年高知県長岡郡新改村に生まれる。1899年大阪南教会で鈴木寿一から洗礼を受ける。1902年に明治学院神学部に入学したが、中退する。 1904年4月に日本基督教会の教師試補試験に合格し伝道師に准允される。その後、福井、高槻、大連の教会主任を務めた。1908年渡米してイリノイ州オマハ神学校とプリンストン神学校で学ぶ。 1913年2月に大連教会主任となる。1927年南廉平の後を次いで、富士見町教会牧師に就任する。1948年に辞任し、名誉牧師になる。
松尾 富功禄(まつお ほくろく、1863年11月16日(文久… 松尾 富功禄(まつお ほくろく、1863年11月16日(文久3年10月6日) - 1930年(昭和5年)3月10日)は、日本の政治家。高知市長。 土佐国香美郡山田野地村(のち山田町→土佐山田町、現在の香美市)に生まれる。寺子屋で学び、下等小学校を卒業。漢学塾で学ぶ。香美郡役所に入り、筆生となる。山田駅逓局四等郵便局取扱役、三等郵便局長、香美郡会議員、同議長となる。1893年(明治26年)山田野地村に就任し、1921年(大正10年)まで務めた。この間、山田野地村は1896年(明治29年)山田町となり、同町長となった。ほか、高知県会議員となり、のちに議長となった。 1921年高知市長に就任。在任中に高知市が都市計画法の適用を受け、都市計画地方委員会が結成された。
島内 武重(嶋内、しまのうち たけしげ、安政4年9月(185… 島内 武重(嶋内、しまのうち たけしげ、安政4年9月(1857年) - 1893年(明治26年)1月22日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。 郷士・島内茂久治(のち武金)の長男として土佐国香美郡物部村上岡(現・香美市物部町上岡)に生まれる。慶応2年(1866年)から1875年(明治8年)に掛けて、吉本寿玄、下司重成、田宮悦之らより和漢洋の学問を学ぶ。 1876年(明治9年)より各地の戸長、学区取締を務め、1883年(明治16年)野市村に夜学・協力心会を開設し、自由民権運動に参加する。1886年(明治19年)の物部川堤防事件に際しては、香美郡連合村会議員に当選し活動した。ほか、1888年(明治21年)上岡の夜学・青翠会会長、黒住教高知大教会農商部設立の会心社頭取、農益商会頭取などを歴任し、布教と殖産に努めた。