藤野 恵音(ふじの けいお、2003年8月23日 - )は、… 藤野 恵音(ふじの けいお、2003年8月23日 - )は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 北九州市立徳力小学校2年の時に軟式野球の徳力パワーズで投手と遊撃手として野球を始める。北九州市立守恒中学校ではシニアリーグの小倉リトルシニアに所属し、2年の時に台北市で行われた国際青少年野球選手権にリトルシニア九州連盟代表として出場している。 強豪私学からの誘いもあったが、地元の進学校である福岡県立戸畑高等学校に進む。入学直後の1年春から二塁手としてベンチ入りし、1年秋からは「1番・遊撃手」のレギュラーを務め核弾頭としてチームを牽引。3年春の県大会はベスト4進出。
小森 航大郎(こもり こうたろう、2003年4月30日 - … 小森 航大郎(こもり こうたろう、2003年4月30日 - )は、福岡県北九州市出身、山口県山口市育ちのプロ野球選手(内野手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 福岡県北九州市で生まれ、4歳頃から山口県山口市で育った。山口市立良城小学校時代は、山口市内の吉敷少年野球団に所属。山口市立鴻南中学校時代は、山口ミラクルクラブに所属。主将を務めるも、主将としてのプレッシャーから拒食状態となり、体重が40kg台しかなかった。 中学卒業後は、山口県立宇部工業高等学校に進学。1年夏から遊撃手のレギュラーとなり、主将として臨んだ3年夏の山口県大会では3回戦敗退となったものの、3試合で11打数10安打、1本塁打、3三塁打と活躍した。
武藤 敦貴(むとう あつき、2001年6月15日 - )は、… 武藤 敦貴(むとう あつき、2001年6月15日 - )は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 小学校4年生の時に野球を始め、地元の少年野球チーム・東筑ファイターズでプレーし、チームメイトには武内夏暉がいた。中学時代は若松ダイナマイトクラブでプレーした。 都城東高等学校では2年生まで投手を務めたが、3年生時には外野手(中堅手)も兼任した。 2019年10月17日に行われたプロ野球ドラフト会議において、東北楽天ゴールデンイーグルスから4位指名を受け、11月5日に契約金3000万円、年俸560万円で仮契約した。背番号は71。 2020年はイースタン・リーグ3試合に出場し、5打数2安打の成績だった。
大下 誠一郎(おおした せいいちろう、1997年11月3日 … 大下 誠一郎(おおした せいいちろう、1997年11月3日 - )は、福岡県北九州市若松区出身の元プロ野球選手(内野手、捕手)、野球指導者。右投右打。 友人に誘われて小学1年時からソフトボールを始め、4年時から硬式野球に転向。小学6年時まで所属していた「八幡中央ボーイズ」で全国大会に出場し、自身も九州選抜チームの一員として全国選抜大会での優勝を経験した。 北九州市立若松中学校への進学後は、投手兼内野手としてボーイズリーグの「小倉バディーボーイズ」でプレー。在籍中にストレートで最速140km/hを計測したほか、公式戦で8本の本塁打を放った。さらに、3年時(2012年)の世界少年野球大会で、ボーイズリーグの日本代表に選出。
岡村 奈々(おかむら なな、1994年12月30日 - )は… 岡村 奈々(おかむら なな、1994年12月30日 - )は、福岡県北九州市出身の女子ソフトボール選手(投手)。元日立サンディーバ所属。 小学校から地元のソフトボールチーム志徳ブルーサンダースに加入。北九州市立早鞆中学校時代の2009年8月にチェコのプラハで開催されたISFユースワールドカップでチームのエースを務め、予選リーグのドミニカ共和国戦で完全試合を達成。 中学卒業後の2010年に小倉商業高等学校に進学。同年、史上最年少で日本代表入りを果たした。高校卒業後は日本体育大学に進学。 2017年、日立サンディーバに入団。17試合に登板し、4勝2敗・防御率2.88の成績を残した。日本リーグの新人賞を受賞。
小野 泰己(おの たいき、1994年5月30日 - )は、阪… 小野 泰己(おの たいき、1994年5月30日 - )は、阪神タイガースに所属する福岡県北九州市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。
今永 昇太(いまなが しょうた、1993年9月1日 - )は… 今永 昇太(いまなが しょうた、1993年9月1日 - )は、福岡県北九州市八幡西区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLBのシカゴ・カブス所属。 2016年から2023年まではNPBの横浜DeNAベイスターズに所属し、実働8年間で165試合に登板、64勝50敗、7完封、1021奪三振、防御率3.18の成績を記録し、最終年の2023年にはセントラル・リーグ最多奪三振のタイトルを獲得した。2024年からMLBに挑戦、2025年現在はカブスでプレーしている。日本代表では2017年のアジア プロ野球チャンピオンシップ優勝、2019年のプレミア12優勝、2023年のWBC優勝に貢献した。 愛称は「投げる哲学者」「マイク・イマナガ2世(Mike Imanaga II)」。
三好 匠(みよし たくみ、1993年6月7日 - )は、福岡… 三好 匠(みよし たくみ、1993年6月7日 - )は、福岡県北九州市戸畑区出身のプロ野球選手(内野手)。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
松浦 耕大(まつうら こうだい、1993年4月6日 - )は… 松浦 耕大(まつうら こうだい、1993年4月6日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 福岡県立八幡南高等学校では県大会3回戦が最高で甲子園出場経験はなかった。 高校卒業後は広島県のMSH医療専門学校に進学し、1年目の2013年に全日本クラブ野球選手権大会に出場した。 2014年10月23日に行われたプロ野球ドラフト会議にて、広島東洋カープから育成選手ドラフト1巡目指名を受けた。同年11月7日に支度金300万円、年俸300万円(推定)で仮契約を結んだ。 2015年は、二軍で5試合に出場。2016年は、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツへ派遣された。
小関 翔太(こせき しょうた、1991年9月6日 - )は、… 小関 翔太(こせき しょうた、1991年9月6日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(捕手)。
河野 元貴(かわの げんき、1991年6月14日 - )は、… 河野 元貴(かわの げんき、1991年6月14日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(捕手)。
竹下 真吾(たけした しんご、1990年10月20日 - )… 竹下 真吾(たけした しんご、1990年10月20日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 九州共立大学時代は主将も務めたが同期に川満寛弥、1年下に大瀬良大地がいて同期・福地元春とともに登板機会は限られて4年秋の1勝に終わる。社会人野球のヤマハでは1年目の第84回都市対抗野球準々決勝で初先発すると5回無失点に抑えるが敗退。翌年はHonda鈴鹿の補強選手として出場した。2014年10月23日、ドラフト会議で安樂智大の抽選を外した東京ヤクルトスワローズから1位指名を受け、11月19日に契約金1億円+出来高払い、年俸1500万円で仮契約を結んだ。背番号は22。 2015年は、二軍で19試合に登板。
安部 友裕(あべ ともひろ、1989年6月24日 - )は、… 安部 友裕(あべ ともひろ、1989年6月24日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(内野手)。福岡県北九州市出身。
木谷 良平(きや りょうへい、1989年4月7日 - )は、… 木谷 良平(きや りょうへい、1989年4月7日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身のプロ野球選手(投手)。
柴田 講平(しばた こうへい、1986年7月17日 - )は… 柴田 講平(しばた こうへい、1986年7月17日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属する福岡県北九州市出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。
今浪 隆博(いまなみ たかひろ、1984年7月6日 - )は… 今浪 隆博(いまなみ たかひろ、1984年7月6日 - )は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。現在は東京ヤクルトスワローズに所属。
溝口 大樹(みぞぐち だいき、1984年4月4日 - )は、… 溝口 大樹(みぞぐち だいき、1984年4月4日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(投手)。
楠城 祐介(くすき ゆうすけ、1984年1月27日 - )は… 楠城 祐介(くすき ゆうすけ、1984年1月27日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(外野手)。
山本 翔(やまもと しょう、1984年1月13日 - )は、… 山本 翔(やまもと しょう、1984年1月13日 - )は、福岡県北九州市八幡西区出身の元プロ野球選手(捕手)。2013年、2014年は広島経済大学硬式野球部の監督を務めた。
中村 真崇(なかむら まさたか、1983年11月7日 - )… 中村 真崇(なかむら まさたか、1983年11月7日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(外野手)。
横松 寿一(よこまつ としかず、1983年2月2日 - )は… 横松 寿一(よこまつ としかず、1983年2月2日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(投手・右投右打)。 戸畑高校では3年時に春の選抜大会に出場したが、1回戦で四日市工業に敗れた。 2000年のドラフト会議で広島東洋カープから1位指名を受け入団。背番号はこの年まで紀藤真琴が着けていた「11」。 2年目の2002年6月16日に対中日戦で一軍初登板を果たし、1回を投げたが2失点で降板した。この年はウエスタンで好成績を残し、ベースボール・マガジン社選定のビッグホープ賞を受賞した。 2003年春のキャンプで守備練習中に右肘を痛め、計2度の手術を経てリハビリに励んだが実戦復帰は果たせず、2004年オフに戦力外通告を受けた。
山下 浩宜(やました ひろのぶ、1982年7月3日 - )は… 山下 浩宜(やました ひろのぶ、1982年7月3日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。
中田 賢一(なかた けんいち、1982年5月11日 - )は… 中田 賢一(なかた けんいち、1982年5月11日 - )は、福岡県北九州市八幡西区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロ野球コーチ。現在は福岡ソフトバンクホークス一軍投手コーチ。 妻はフリーアナウンサーの角野友紀。 1982年5月11日、福岡県北九州市八幡西区で生まれる。 1991年、北九州市立永犬丸小学校3年時に父親がコーチ・監督を務める「永犬丸レッドライオンズ」でソフトボールを始め、1995年、北九州市立沖田中学校時代に「上津役ロビンス」へ入団し本格的に野球を始めた。 1998年4月、福岡県立八幡高等学校へ進学。始業前の授業や夏休みの補習など進学校特有の授業構成の中、勉強との両立に苦しみながら練習を積んだ。
井生 崇光(いおう たかみつ、1981年3月12日 - )は… 井生 崇光(いおう たかみつ、1981年3月12日 - )は、元プロ野球選手(外野手、内野手)。
日高 剛(ひだか たけし、1977年8月15日 - )は、福… 日高 剛(ひだか たけし、1977年8月15日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身の元プロ野球選手(捕手)。
福山 龍太郎(ふくやま りゅうたろう、1976年4月21日 … 福山 龍太郎(ふくやま りゅうたろう、1976年4月21日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(投手)。
真木 将樹(まき まさき、1976年2月13日 - )は、福… 真木 将樹(まき まさき、1976年2月13日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
豊原 哲也(とよはら てつや、1974年6月3日 - )は、… 豊原 哲也(とよはら てつや、1974年6月3日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(外野手)。 小倉東高時代は、甲子園出場は無いものの、高校通算打率.416、38本塁打の逸材だった。 高3時は投手ながら、1992年のドラフト7位で阪神タイガースに外野手として入団。 一軍出場は無く、二軍でも3試合に出場しただけで、僅か2年で自由契約となり現役引退。 現在は、小倉リトルシニアのコーチを務めている。
柴原 洋(しばはら ひろし、1974年5月23日 - )は、… 柴原 洋(しばはら ひろし、1974年5月23日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、野球解説者、野球評論家。九州共立大学特別客員講師。北九州市スポーツ大使。芸能事務所パインズと業務提携。 北九州高校時代は「4番・エース」として、3年春の九州大会でベスト8の成績を残した。その後、九州共立大学に進学と同時に野手転向。福岡六大学で首位打者を4回、本塁打王を3回、打点王を4回、MVPを2回、ベストナイン6回をそれぞれ獲得。リーグ戦通算成績は85試合出場、330打数137安打。打率.415、21本塁打、96打点。4年春の大学選手権では決勝で井口忠仁(ダイエー同期入団)が主将の青学大と対戦し、準優勝。
敷田 直人(しきた なおと、1971年10月25日 - )は… 敷田 直人(しきた なおと、1971年10月25日 - )は、福岡県出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は1996年-2003年は46。2004年-2010年までは2、2011年から3。 福岡県立八幡工業高等学校を卒業後、新日鐵君津に入社。新日鐵時代は下柳剛、松中信彦らとチームメイトであった。野球部で捕手として3年間プレーしたが、目立った結果は残すことなく1992年限りで退部、同時に新日鐵も退社した。 その後1994年に歯医者の待合室で見たスポーツ新聞でセ・リーグ審判員公募の記事を見かけた。その記事が心に残ったためにそのままコンビニエンスストアに寄り、同新聞を購入しセレクションに応募、合格を果た
千代丸 亮彦(ちよまる あきひこ、1970年12月25日 -… 千代丸 亮彦(ちよまる あきひこ、1970年12月25日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)。1996年から1997年までの登録名は千代丸 祥士(ちよまる しょうし)。 常磐高では1年秋に九州大会初戦で先発したが途中降板して敗退、3年春は北部県大会で優勝して九州大会へ進むが初戦で延長10回を完投したがサヨナラ負け。5月の高校NHK杯でノーヒットノーランを達成。夏の県大会は準々決勝で9回裏に二死満塁で登板すると初球で暴投によるサヨナラ負けを喫した。 1988年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから6位指名を受け入団。同期のドラフト5位には江藤智がいる。 1年目の1989年春季キャンプでは打力を見込まれ打者に転向し、プロ3年目の1991年に一軍初出場を果たし、1993年には二軍で13本塁打を記録し、ウエスタン・リーグ本塁打王を獲得する。
藤崎 靖彦(ふじさき やすひこ、1968年7月11日 - )… 藤崎 靖彦(ふじさき やすひこ、1968年7月11日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(外野手)。 豊国学園高では2年春に県北部大会決勝で延長10回完投勝利、3年夏は準決勝で西村秀嗣が先発の柳川高に勝利したが、決勝で石貫宏臣と青柳進のバッテリーを擁する西日本短大付高に敗退。高校卒業後は社会人野球の新日本製鐵八幡に入団。1990年の第61回都市対抗野球大会では、1回戦・2回戦とも7番ライトで先発出場。2回戦の対大阪ガス戦では、当時ホームランの出にくい球場とされていた東京ドームの左翼上段に特大ホームランを放ち、これがプロ入りのきっかけになったとされている。この大会では7打数3安打の記録を残した。
高 信二(こう しんじ、1967年4月16日 - )は、福岡… 高 信二(こう しんじ、1967年4月16日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)、現広島東洋カープ一軍ヘッドコーチ。
松永 浩美(まつなが ひろみ、1960年9月27日 - )は… 松永 浩美(まつなが ひろみ、1960年9月27日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)。「史上最高のスイッチヒッター」と称される。
清家 政和(せいけ まさかず、1959年10月7日 - )は… 清家 政和(せいけ まさかず、1959年10月7日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。
山本 和範(やまもと かずのり、1957年10月18日 - … 山本 和範(やまもと かずのり、1957年10月18日 - )は、福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)出身の元プロ野球選手(外野手)。1994年シーズン後半戦から1995年シーズンまでの登録名はカズ山本。
外園 正(ほかぞの まさし、1957年7月14日 - )は、… 外園 正(ほかぞの まさし、1957年7月14日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手。巨人と横浜大洋に所属した投手。左投げ右打ち。178cm、62kg。
門田 富昭(かどた ふみあき、1956年2月6日 - )は、… 門田 富昭(かどた ふみあき、1956年2月6日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 小倉商高では、1973年にエースとして春の選抜に出場。1回戦で桜美林高を降すが、2回戦でこの大会に優勝した横浜高の永川英植と投げ合い、延長13回サヨナラ負けを喫する。 卒業後は西南学院大学に進学。九州六大学リーグでは優勝に届かず、2位3回にとどまる。しかし速球投手として知られ、4年春には久留米大学戦で10回を投げて完全試合を記録するなど活躍、リーグ戦通算最多の39勝を記録して「西の江川」と呼ばれた。 1977年のドラフト1位で横浜大洋ホエールズに、西南学院大学出身として初のプロ野球選手として入団した。
楠城 徹(くすき とおる、1950年12月22日 - )は、… 楠城 徹(くすき とおる、1950年12月22日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手)。
桑野 議(くわの はかる、1949年5月5日 - )は、福岡… 桑野 議(くわの はかる、1949年5月5日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)・コーチ。 中学時代は大阪市鶴見区の大阪市立緑中学校野球部に所属し、早くからプロ野球選手に憧れていて、南海ファンであった。九州工業高校では投手として、同期の奥宮種男とバッテリーを組む。1966年秋季九州大会県予選では、北部準決勝に進むが小倉工に惜敗。翌1967年夏の甲子園県予選決勝に進出し、再び小倉工と対戦。エース横山晴久と投げ合うが、0-3で完封負けし甲子園出場を逸する。 1967年のドラフト5位で阪神タイガースに入団。同期には後に同じ代打の切り札で活躍する川藤幸三がいた。阪神では打者としての素質を高く評価(3年間の通算打率.380)しており、プロ入り後は強肩俊足を活かして外野手に転向。
奥宮 種男(おくみや たねお、1949年4月8日 - )は、… 奥宮 種男(おくみや たねお、1949年4月8日 - )は、福岡県小倉市(現・北九州市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 九州工では同期の桑野議とバッテリーを組み、3年次の1967年に夏の甲子園県予選で決勝に進出。小倉工の横山晴久に0-3の完封負けを喫し、甲子園出場を逸する。 同年のドラフト3位でサンケイアトムズに入団し、1年目の1968年は4月7日の中日戦(中日)で初出場を果たすと、田中勉から初安打の二塁打を放つ。2年目の1969年は4月26日の大洋戦(長崎大橋)で島田源太郎から初本塁打を放ち、自身唯一の打率3割となる.308を記録。3年目の1970年にはジュニアオールスターに出場し、1971年からは大矢明彦の控え捕手として一軍に定着。
流 敏晴(ながれ としはる、1948年7月7日 - 2016… 流 敏晴(ながれ としはる、1948年7月7日 - 2016年9月15日)は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手(投手)、プロ野球スカウト、長崎国際大学硬式野球部監督。福岡県立小倉商業高等学校卒業。 小倉商業高校では、2年生の時に1965年秋季九州大会県予選で県北部決勝まで進むが小倉高に敗退。翌1966年春季九州大会県予選では2回戦で八幡高を相手に7回コールドながら完全試合を達成して注目される。同年夏の甲子園県予選では準々決勝で柳川商に惜敗、甲子園には出場できなかった。 1966年第1次ドラフト会議で阪急ブレーブスから2位指名を受け入団。足立光宏、山田久志に続くアンダースロー。飄々とした風貌から投げられるシュート、カーブを武器に6年目にプロ入り初勝利を挙げる。
安田 猛(やすだ たけし、1947年4月25日 - )は、福… 安田 猛(やすだ たけし、1947年4月25日 - )は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手(投手)。
城戸 則文(きど のりふみ、1939年3月5日 - )は、福… 城戸 則文(きど のりふみ、1939年3月5日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 画家でタレントの城戸真亜子は姪に当たる。 常磐高校から1957年に西鉄ライオンズへ入団。大型内野手として期待され、1958年にはウエスタン・リーグの本塁打王と打点王を獲得。入団して2年間はあまり一軍の試合に出られなかったが、3年目の1959年には中西太の故障もあって開幕から三塁手として起用される。同年の近鉄戦で黒田勉に死球を受け、深刻なダメージを受けた影響で、後に極端に死球の少ない選手として知られる。打撃フォームも極端なクローズドスタンスから身体を開きつつ打つ独特なもので、死球を避ける工夫でもあった。
森下 整鎮(もりした のぶやす、1933年9月4日 - 20… 森下 整鎮(もりした のぶやす、1933年9月4日 - 2018年10月26日)は、福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 1952年から1958年及び1986年の登録名は森下 正夫(もりした まさお)。本名は森下 正弘(もりした まさひろ)。 八幡高校時代は高校屈指の強打者として注目され、2年次の1950年に遊撃手として春の選抜へチーム初出場。1回戦で萩北高のエース椙本勝を打ち崩し初勝利を飾る。続く準々決勝では、この大会に優勝した韮山高の東泉東二投手から5点を奪うが、9回裏逆転サヨナラ負けを喫する。この試合では9回まで5-2と勝っていたが、遊撃を守っていた森下が9回裏満塁のピンチでバックホームを大悪投し、サヨナラ負けを喫した。
松永 怜一(まつなが れいいち、1931年11月3日 - 2… 松永 怜一(まつなが れいいち、1931年11月3日 - 2022年5月12日)は、福岡県北九州市出身のアマチュア野球指導者。 学生・社会人野球界で監督を歴任。野球が公開競技であったロサンゼルスオリンピックでは野球日本代表を監督として金メダルに導いた。 八幡市立(現在の北九州市立)槻田小学校時代、家の近くの八幡製鉄のホームグラウンド大谷球場(現在の北九州市立大谷球場)で八幡製鉄と門司鉄道管理局の春・秋の定期戦「製門戦」に夢中になる。 福岡県立八幡中学校(1948年の学制改革により福岡県立八幡高等学校となる)では三塁手、三番打者として活躍。同じ北九州の福岡県立小倉中学校(のち福岡県立小倉高等学校)がエース福嶋一雄(2013年野球殿堂入り)を擁し、1947年から夏の甲子園で連続優勝、打倒小倉高が目標となる。
福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、… 福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、日本の野球選手(投手)。1940年代から1950年代にかけてアマチュア野球でプレーした。
江藤 晴康(えとう はるやす、1922年5月9日 - 201… 江藤 晴康(えとう はるやす、1922年5月9日 - 2016年2月21日)は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手である。現役時代のポジションは、投手。1949年から1954年は、「江藤 正(えとう ただし)」の名前でプレーした。 八幡中(現:八幡高)・法政大学でエース投手として活躍。在学中に学徒出陣で召集され、台湾で終戦を迎える。大学卒業後は社会人野球の門司鉄道局・大洋漁業でプレー。1949年に南海ホークスに入団した。 プロ入りに際し、大阪タイガースと南海ホークスとの二重契約が発覚。これには、以下のような事情がある。以前に武末悉昌の獲得を巡って両球団が争い、武末が南海に入ったことを「奪われた」と考えた大阪の若林忠志監督が南海の山本一人監督に抗議したところ、山本が「武末は南海、江藤は大阪ということにしよう」と口にした。