中西 繁(なかにし しげる、1946年(昭和21年) - )… 中西 繁(なかにし しげる、1946年(昭和21年) - )は、洋画家。東京都生まれ。 大学卒業後は建築家になり、数々の設計を手掛ける一方、1990年現代洋画精鋭選抜展で金賞受賞後、「一枚の絵銀座美術館」で開いた個展「哀愁のパリ」で画壇にデビュー。日本の詩情を描いた「古都の旅」、マンハッタンの街角を描く「ニューヨーク・ニューヨーク」、「巴里の空の下で」「北欧・冬の旅」「逸楽と憂愁のプラハ」「光の廻廊」「懐かしのリスボア」「イベリア半島の旅」「エーゲ海の旅」「地中海の旅」「哀愁の巴里」など、ヨーロッパ各地を旅しながら毎年個展で発表。 2000年5月に建築設計の職を辞し、画家一本になる。 2004年9月から2年間パリ留学し、フランス国立美術学校(エコール・デ・ボザール)で学んだ。
もっと読む
中村 静夫(なかむら しずお、1946年 - )は、日本の都… 中村 静夫(なかむら しずお、1946年 - )は、日本の都市計画家。都市・地域総合研究所所長。インターコミュニティ研究所所長。元大妻女子大学家政学部ライフデザイン学科教授を4年間勤めた。専門は居住文化論、住居学概論、住環境学。埼玉県生まれ。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
もっと読む
小林 豊(こばやし ゆたか、1946年 - )は、日本の日本… 小林 豊(こばやし ゆたか、1946年 - )は、日本の日本画家、絵本作家。 1946年、東京に生まれる。立教大学社会学部卒業後、イギリス留学中に画家を目指す。1979年、日本美術展覧会に初出品で入選。1983年には「上野の森美術館」特別優秀賞を受賞した。1970年代初めから80年代初めにかけて中東やアジア諸国をたびたび訪れ、その折の体験が作品に大きな影響を及ぼしているとされている。世界を旅した経験を子どもたちに届けたいとの思いが強く反映されている彼の絵本は、日本のみならず世界的にも高い評価を受けている[要出典]。 内戦の続くアフガニスタンの現実を知ってもらいたいとの思いから、ノンフィクション作品『なぜ戦争はおわらないのか―ぼくがアフガニスタンでみたこと―』を執筆。
もっと読む
武本 比登志(たけもと ひとし、1946年 - )は、日本の… 武本 比登志(たけもと ひとし、1946年 - )は、日本の画家(油彩画家)。大阪府大阪市出身。ポルトガルの風景を、独特の赤を多用し、独自の画風を確立。 来歴1946年、愛媛県新居浜市出身の画家・武本憲太郎(1911-2012)の次男として、大阪市東住吉区に生まれる。父が主宰する土曜日児童画教室で幼少の頃より絵に親しむ。 育和幼稚園、桑津小学校、東住吉中学校を経て浪速高等学校に入学。美術部に入部し、本格的に油彩を描き始める。このときの同期には、上久保良文(イラストレーター)が、先輩に吉田定一(児童文学、詩人、画家)、1年後輩には、はるき悦巳(漫画家・じゃりン子チエ)などがいる。また、顧問の藤井満の下、今も50年目を迎えるOB展、NACK展(茶臼山画廊)、NACKシニア展(マサゴ画廊)、スケッチ会など盛んに活動が行われている。
もっと読む
松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 … 松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 - 2017年11月23日)は、日本の画家、美術評論家、歌人。歌人の王紅花は妻。 北海道北見市に生まれた。本名読み・おさふみ。北海道札幌西高等学校時代の教諭に菱川善夫がいた。東京藝術大学美術学部卒業。その後、同大学院に学んだ。 美術史家としては、今村紫紅など近代の日本画家を研究した。1983年、青梅市立美術館の開設準備に携わり、副館長などを経て2009年の退職まで務めた。並行して、実作や評論を行った。 短歌を大野誠夫に学び、歌誌「作風」を編集。1984年、大野の死により「作風」を退会。その後は無所属だった。また、句集や詩集の著作もある。
もっと読む
サトル・サトウ(佐藤 達〈さとう さとる〉、1945年11月… サトル・サトウ(佐藤 達〈さとう さとる〉、1945年11月14日 - )は、フランスを拠点に活動する画家、造形作家。宮城県登米市出身。宮城県佐沼高等学校卒。フランス・パリ在住。 1969年、パリでデビュー。1979年、「鉛直主義」を世界に向けて宣言し国際的抽象画家となったサトルは、幾何学構成的絵画から立体作品、環境造形作家として、パリを拠点に多くの制作、発表を各国で行っている。 これまで、個展70回、グループ展380回、環境造型作品制作設置は40点を数え、30か国で発表している。
もっと読む
中島 千波 (なかじま ちなみ、1945年(昭和20年)10… 中島 千波 (なかじま ちなみ、1945年(昭和20年)10月21日 - ) は、日本画家。東京芸術大学名誉教授。 第二次世界大戦戦時下から長野県上高井郡小布施村(現・小布施町)に疎開していた画家の中島清之の三男として生まれる。 1971年(昭和46年)に東京芸術大学大学院を修了。大学在学中の1969年(昭和44年)の第54回院展に「窓」を初出品、初入選。以降、数々の賞を受賞した。シリーズ作として「衆生」「形態」 などを生み出している。 1987年(昭和62年)からNHK教育「きょうの料理」のテキストの表紙絵を3年間担当。 1990年(平成2年)三溪園臨春閣第六室襖絵「不二と桃花図」「松林図」完成。
もっと読む
玉村 豊男(たまむら とよお、1945年〈昭和20年〉10月… 玉村 豊男(たまむら とよお、1945年〈昭和20年〉10月8日 - )は、日本のエッセイスト、画家。父は日本画家の玉村方久斗。 東京都杉並区生まれ。東京都立西高等学校、東京大学文学部仏文学科卒業。在学中にパリ大学言語学研究所に2年留学。通訳、翻訳業を経て、1977年、32歳のときにかつての留学体験を基にした「パリ 旅の雑学ノート」(ダイヤモンド社)の出版を皮切りに文筆業に転身。なお、「パリ留学はワインを飲む習慣を身に付けたり、後の人生に大きな影響を与える転機となったが、当時そんなことは思いもよらなかった」と語っている。 1983年より8年間、軽井沢町で生活。41歳で大病を患ったこともきっかけとなり妻とともに1991年より長野県東御市在住。
もっと読む
森岡 順子(もりおか じゅんこ、旧姓:長束 順子、1945年… 森岡 順子(もりおか じゅんこ、旧姓:長束 順子、1945年8月9日 - )は、日本画家。滋賀県出身。京都府京都市育ち。京都産業大学言語学科スペイン語学部卒業。 18歳の頃に日本画家・堂本印象に師事。27歳のときに建築家の森岡邦彦と結婚し、現在の姓を名乗る。 1966年に第15回関西展日本画において『花』が2席受賞して以降、第16回関西展日本画で『春園』、第17回関西展日本画で『ラン』、第19回関西展日本画 で『花』、第20回関西展日本画で『寺の思い出』がそれぞれ入選した(関西展は現在、全関西美術展と名称を変更)。また1972年には第7回日春展日本画において『胡蝶蘭』が入選した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
佐々木 賢光(ささき けんこう、1945年7月14日 - 2… 佐々木 賢光(ささき けんこう、1945年7月14日 - 2010年4月30日)は、岩手県都南村(現・盛岡市)生まれの画家。血液型はO型。 武蔵野美術大学出身。岩手県を中心に活動し、風景画、南部曲り家、岩手山、その他数々の作品を残した。 右手にパーキンソン病を患い、入院生活の末、64歳で死去した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
もっと読む
中村 久仁子(なかむら くにこ、1945年2月27日 - 2… 中村 久仁子(なかむら くにこ、1945年2月27日 - 2015年6月21日 )は、日本の画家。サークルラバー社長。第一美術協会会員。社員に知的障害者や学校退学者など、社会からドロップアウトした若者を積極的に受け入れ、会社を業界シェア1位に押し上げた。50歳でリタイヤし、画廊、喫茶ギャラリーヴィンチを経営し、絵画仲間の会欅の会主宰。慢性白血病により死去。 遊画 中村久仁子画文集/求龍堂、2007 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
もっと読む
舟崎 克彦(ふなざき よしひこ、1945年2月2日 - 20… 舟崎 克彦(ふなざき よしひこ、1945年2月2日 - 2015年10月15日)は、日本の作家、詩人、作詞家、挿絵画家、劇画原作者。森 窓一郎名義での作品もあり、著書は300冊以上にのぼる。影響を受けた文学者として、谷崎潤一郎、金子光晴、西東三鬼の3人を挙げている。柔道三段。2015年3月まで白百合女子大学教授として文章表現と創作の授業を講じる。 1945年2月、キリスト教系の病院なら米軍の爆撃を免れるはずとの母の考えにより、東京都中央区明石町の聖路加国際病院にて誕生。父の舟崎悌次郎は和歌山県生まれ、京都帝国大学経済学部卒、元画家志望だった建築家で、当時は会社社長。克彦は末男として東京都豊島区千早町に育つ。
もっと読む
花田 和治(はなだ かずはる、1945年1月16日 - 20… 花田 和治(はなだ かずはる、1945年1月16日 - 2017年4月26日)は、日本の抽象画家。北海道生まれ。北海道札幌東高等学校、東京芸術大学油画科卒業、同大学院修了。明快な色彩とシンプルな構図を特徴とした作品で知られる。 北海道留萌郡小平町の鰯番屋、花田家の出身。娘婿にノルディックスキー選手の荻原健司。 東京芸術大学では小磯良平に師事。大学院修了後の26歳から抽象画を手がけて東京で活動。1977年以降は郷里の北海道を拠点に作品を制作・発表。数多くの個展を開催しているほか、北海道の美術・イメージ『北方』(1983年)、『道』(1984年)、『動』(1988年)への選抜出品をはじめ、『美術北海道100年展』『10人空間展』など、多くの企画展に出品。
もっと読む
原田 康子(はらだ やすこ、1945年 - )は、日本の画… 原田 康子(はらだ やすこ、1945年 - )は、日本の画家。福岡県出身。千葉県美術会理事を務める。 1945年福岡県行橋市生まれ。1964年福岡県立京都高等学校卒業。福岡女子大学文学部国文学科卒業。光風会会員。千葉県美術会理事。
もっと読む
佐藤 泰生(さとう たいせい、1945年 - )は、日本の洋… 佐藤 泰生(さとう たいせい、1945年 - )は、日本の洋画家、新制作協会会員。和光大学芸術科名誉教授。神奈川県逗子市在住。 1945年に日本統治時代の大連で生まれる。1967年東京藝術大学油絵科(小磯教室)卒業。大橋賞を受賞する。1969年大学院修了。大学では猪熊弦一郎・脇田和らとともに新制作協会(発足時:新制作派協会)を結成した小磯良平教授に師事する。1973 - 1978年の間、フランス政府給費留学生として渡仏滞在する。1980年新制作協会会員となる。2001 - 2002年渡仏パリ滞在。1992年和光大学芸術科教授に就任(2015年3月退職)。 2012年 『共鳴/主張する個性~現代洋画家10人~』展参加。
もっと読む
岸田 比呂志(きしだ ひろし、1945年 - )は、日本の都… 岸田 比呂志(きしだ ひろし、1945年 - )は、日本の都市計画家で、元横浜市職員。一級建築士、技術士(建設部門)の資格を持つ。 千葉県に生まれる。父は建築家・東京大学教授の岸田日出刀。 1967年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業後、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程に進み、単位取得退学する。 1969年に横浜市に入る。以後、都市計画局南部開発担当部長、横浜市都市計画局都市デザイン室長、横浜市都市計画局理事(都市計画部長兼務)の要職を歴任したその後、株式会社横浜みなとみらい21代表取締役専務となる。 著書に『横浜=都市計画の実践的手法』(共著、鹿島出版会)、『横浜みなとみらい21にみるプロジェクトマネジメント』(ローソンエンタテインメント)、『安全と再生の都市づくり』(共著、学芸出版社)、『都市づくり戦略とプロジェクト・マネジメント横浜みなとみらい21の挑戦』(学芸出版社、2009年)など。
もっと読む
国吉直行(くによし なおゆき、1945年 - )は、日本の都… 国吉直行(くによし なおゆき、1945年 - )は、日本の都市計画家。横浜市職員を経て、横浜市立大学特別契約教授をつとめた。 横浜市企画調整局に入庁し以来40年余りにわたってインハウスのアーバンデザイナーとして横浜市の都市デザイン行政を担当した。辣腕を振るい、計画局都市デザイン室長を経て、横浜市都市整備局部長上席調査役・エグザクティブアーバンデザイナーを歴任。中国・天津出身。 1969年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同年に早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程進学。日本建築学会の事業委員としても活動し、当時街づくり提案設計競技の企画実施において、横浜市街地の造船所に関するアイデアコンペの開催を提案、その調整に際して、都市デザイン室の前身である当時の横浜市企画調整室企画調整部長の田村明に出会う。
もっと読む
名倉弘雄(なぐらひろお、1945年 - )は、洋画から日本画… 名倉弘雄(なぐらひろお、1945年 - )は、洋画から日本画に転向した日本画家。浄土宗西山深草派の不退院第27世の住職(方丈)でもある。能を主題にした作品を描いている。 浄土宗西山深草派の寺院である不退院の長男として生まれる。油絵画家であった伯父の影響もあって、早くから絵に興味をもつ。寺の跡継ぎを余儀なくされていたため、東京へ進学はできず、地元にある国立愛知教育大学美術科に進学する。この学校は師範学校の流れをくむ学校であったため、全教科の習熟を必然とした。その学習が後の彼にとって、創作にプラスになったことを述べている。 卒業後は、公立校の美術教師を勤めながら、制作を続ける。ヨーロッパ遊学を経て20年ほど洋画家として地元を中心に、作品を発表する。
もっと読む
磯野 宏夫(いその ひろお、1945年 - 2013年5月2… 磯野 宏夫(いその ひろお、1945年 - 2013年5月28日 )は、日本の画家、イラストレーター。愛知県出身。愛知教育大学教育学部美術科卒業。デザイン会社勤務を経て1970年に独立。 1970年代半ばに熱帯雨林に興味を持ち、以来「生命(いのち)の森」をテーマに森を描き続けた。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
もっと読む
いもと ようこ(本名:井本 蓉子、1944年10月20日 -… いもと ようこ(本名:井本 蓉子、1944年10月20日 - )は、日本の絵本作家、挿絵画家。兵庫県三木市志染町出身。 三木市立志染小学校、三木市立志染中学校卒業。1967年、金沢美術工芸大学油絵科卒業。小学校教員を経て絵本の世界に入る。その後、「風の子絵画教室」を開塾。東京で貼り絵の個展を開く。 ちぎった和紙の貼り絵に着色する技法によって、やわらかで暖かな表情の人物や動物、植物などを描く。創作童話の作家として活躍するほか、日本の昔話や世界の名作などの絵本の挿絵なども手がける。出版された絵本は400冊以上。 1985年度『ねこの絵本』(講談社)、1986年度『そばのはなさいたひ』(佼成出版社)でボローニャ国際児童図書展エルバ賞を2年連続受賞。
もっと読む
黒田 アキ(くろだ あき、本名: 黒田 明比古(くろだ あき… 黒田 アキ(くろだ あき、本名: 黒田 明比古(くろだ あきひこ)、1944年10月4日 – )はフランス・パリ在住の日本人画家、芸術家。男性。 京都府京都市出身。1970年にパリに渡り、以降ヨーロッパを中心に活動している。 彼の作品には、ギリシャ神話にまつわる迷宮・ラビリントスの半人半牛のミノタウロスが象徴的に描かれており、アリアドネの糸が空間を走る。またカリアチードのシルエットでも有名である。キャンパスがパサージュとしての存在を放つ、極めて独創的な作品制作を続けている。 1992年から現在まで「COSMOGARDEN」(コスモガーデン)と呼ばれる、流動的、「異種混合的」なトータルアート・スペクタクルの活動を続けている。
もっと読む
平本 一雄(ひらもと かずお、1944年9月29日- )は、… 平本 一雄(ひらもと かずお、1944年9月29日- )は、日本の都市計画家・都市工学者。東京都市大学名誉教授。総務省地域づくり懇談会元委員。日本都市計画学会元評議員。日本観光計画学会元理事。日本建築学会建築物の社会的責任小委員会2006委員。元三菱総合研究所取締役。 岐阜県大垣市出身。1968年大阪工業大学工学部建築学科卒業。1970年京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。1986年「都市総合計画の策定支援手法に関する研究」で工学博士(京都大学)。三菱総合研究所で都市経営部長、取締役・人間環境研究本部長を歴任。2000年東京大学先端科学技術研究センター都市環境システム分野客員研究員、2003年東京工科大学メディア学部教授などを経て、武蔵工業大学(現:東京都市大学)に着任し、2009年東京都市大学都市生活学部教授・学部長などを歴任。
もっと読む
堂野 夢酔(どうの むすい、1944年(昭和19年)8月18… 堂野 夢酔(どうの むすい、1944年(昭和19年)8月18日 - )は、日本の水墨画家。本名・堂野修吾。血液型B型。 出生地は父の赴任先であった兵庫県有馬郡三田村(現・三田市)であるが、終戦とともに一家は本籍地の兵庫県揖保郡越部村(現・たつの市)に帰郷したため、夢酔本人は「三田の記憶はなく母や姉から三田時代は話で知るのみです。」としている。新宮町立越部小学校・新宮町立新宮中学校・兵庫県立龍野高等学校を経て大阪工業大学機械科卒業。 1966年(昭和41年)の姫路大博覧会で見た硬貨計算機に興味を覚えその製造元であった国栄機械(現・グローリー株式会社)に入社。第二検査係、三井造船玉野出向を経て企画・開発部門で主に銀行向けOEM製品の開発等に従事、1978年(昭和53年)より東京事務所所属となり東京と姫路を往復する勤務を続ける。
もっと読む
神谷 泰彰(かみたに ひろあき、1944年7月24日 - 2… 神谷 泰彰(かみたに ひろあき、1944年7月24日 - 2012年8月)は、日本の画家。 父・剛(播磨造船所検査技師)、母・マサ子の長男として兵庫県相生市上町(現・大谷町)に生まれた。長年にわたり、エネルギー関連のエンジニアで国内外の発電設備の建設に於ける見積もり、計画、実施に携わっていた。海外では韓国電力、合和電力(中国・沙角発電所)、シンガポール発電所等がある。2012年8月初め、自宅にて死去。68歳没。 シンガポール滞在中にNanyang Academy of Fine Arts(シンガポール南洋ファインアートアカデミー)卒・中国画を陳世集に師事。帰国後モナコ、オーストラリア、カナダ、ドイツ、オランダ、ロシア、スペイン、フランス、オーストリア、中国、イタリア等海外に出展。
もっと読む
ビン・カシワ/ビンカシワ(英語表記:Bin Kashiwa、… ビン・カシワ/ビンカシワ(英語表記:Bin Kashiwa、本名:柏崎 敏一、1944年5月15日 - 2023年9月6日)は、日本の画家。ホテルマンから、アンリ・ルソーの世界に心魅かれ、突如画家への道を歩み始め、パリ、モンマルトルの丘で観光客相手に描きつづけた。古き佳き時代の“パリの通り”、イマジネーションの世界“パラダイス”人間の愛を基本に“ファミリー”のシリーズと、その描くメルヘンの世界は、多くの人たちの心をとらえて離さない。 1944年、樺太で父留吉、母ヨシの間に生まれ、両親の故郷秋田に引き揚げた後、釧路へ移った。旧旭小、共栄中、釧路商業高で学んだが、子供の頃は特別絵に力を入れてはいなかったという。
もっと読む
田村 能里子(たむら のりこ、1944年3月15日 - )は… 田村 能里子(たむら のりこ、1944年3月15日 - )は、愛知県出身の洋画家、壁画家。
もっと読む
小嶋 悠司(こじま ゆうじ、1944年〈昭和19年〉3月12… 小嶋 悠司(こじま ゆうじ、1944年〈昭和19年〉3月12日 - 2016年6月7日)は京都府出身の日本画家。元京都市立芸術大学名誉教授。 石工であった祖父の影響を受け、幼少期から彫刻に関心を持っていた。また、実家から近距離にあった東寺(主に境内)を遊び場としており、そこで平安時代の密教美術を嗜んでいた。 中学・高校在学中にパブロ・ピカソや須田国太郎を知ったという。 京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)に入学し、秋野不矩や石本正に学んだ。1969年に専攻科を修了した。在学中に「花鳥画は保守的」と判断し、人物画を描くことを決意した。また、同時期の1967年9月に第32回新制作協会展で新作家賞を受章している。
もっと読む
小灘 一紀(こなだ いっき、1944年3月7日 - )は、日… 小灘 一紀(こなだ いっき、1944年3月7日 - )は、日本の洋画家。日本藝術院賞受賞者。 鳥取県境港市に生まれる。鳥取県立米子東高等学校時代に金畑実に師事し、卒業後に芝田米三に師事した。1963年に金沢美術工芸大学へ入学し、のちに同大学彫刻科を卒業した。 日展作家として活動し、29歳で日展に初入選した。その後、古事記・記紀神話を主題とする作品を描き続けている。 2017年、改組新第4回日展で「伊須気余理比売命」により内閣総理大臣賞を受賞した。2023年、令和4年度(第79回)日本藝術院賞を、「伊邪那岐命の悲しみ」により受賞した。2026年、鳥取県文化功労賞知事表彰を受けた。
もっと読む
中原 洲一(なかはら しゅういち、1944年2月28日 - … 中原 洲一(なかはら しゅういち、1944年2月28日 - 2004年3月)は、東京都出身の画家。 画家中原淳一と女優葦原邦子の長男として東京東伏見に生まれ、1947年から江古田に育つ。立教中学校(現・立教池袋中学校)に入学後まもなく上級生たちから「お前の父親の悪口を復唱しろ」と迫られるいじめを受け、1年で玉川学園中学部に転校。玉川学園高等部を経て桑沢デザイン研究所卒業。デザイン事務所勤務を経て、1969年、イスラエルに渡りキブツで肉体労働しつつヘブライ語を修得。1972年、日本に帰国。日本イスラエル親善協会理事や同事務局長を歴任。1976年から無所属の画家として活動。移住先のイスラエルで死去。
もっと読む
小杉小二郎(こすぎ こじろう、1944年2月27日 - )は… 小杉小二郎(こすぎ こじろう、1944年2月27日 - )は、日本の洋画家。令和6年度(第81回)日本芸術院賞受賞者。 東京都滝野川区に生まれる。1967年に日本大学芸術学部工業デザイン科を卒業し、1968年に中川一政に師事した。1970年に渡仏し、グランド・ショミエール研究所で学んだのち、サロン・ドートンヌ、サロン・デ・ボザールなどに出品した。1976年にはパリからサン=レミにアトリエを移し、日本とフランスを拠点に活動している。静物や風景を中心に、対象を単純化しつつ微妙な色調で表現する作風で知られる。 1973年にサロン・デ・ナシオナル・ボザールのフラマン賞を受賞し、フランス国家文化省による作品買上げを受けた。
もっと読む
矢玉 四郎(やだま しろう、1944年2月3日 - 2024… 矢玉 四郎(やだま しろう、1944年2月3日 - 2024年7月14日)は、日本の児童文学作家、画家、漫画家、作詞家。日本児童出版美術家連盟(童美連)・日本文藝家協会会員。 大分県別府市に生まれる。千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、商業デザイナーとしてサラリーマン生活の後、漫画家として独立する。週刊少年マガジンなどにナンセンス漫画を発表する。 しかしその後は児童文学に転向し、その第一歩として『おしいれの中のみこたん』を出版。1980年(昭和55年)には『はれときどきぶた』(岩崎書店刊)を発表。たちまち大ヒットとなった上、テレビアニメ化されたり各国語に翻訳されたりとさまざまな反響を呼び、現代を代表する児童文学の代表作ともなった。
もっと読む
大野 勝彦(おおの かつひこ、1944年2月3日 - )は、… 大野 勝彦(おおの かつひこ、1944年2月3日 - )は、日本の詩人・画家。熊本県菊池郡菊陽町出身。 1989年、不慮の事故により両手を切断、それより詩人・画家となる。 普段の大野は、朝から絵画をスタートするときに両腕に義手をつけ、義手で絵画を行う。 絵画の内容は、地蔵、阿蘇山の自然、動植物など。 大野が主宰する「やまびこ塾」でははがきに絵を書く「はがき絵」の教室を行っている。 ※大野勝彦美術館は平成28年熊本地震で壊滅的な被害を受けるも、翌29年4月14日に復興し再オープンしている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
もっと読む
能島 和明(のうじま かずあき、1944年1月30日 - )… 能島 和明(のうじま かずあき、1944年1月30日 - )は、日本の画家。東京都出身。 東京都浅草に5人兄弟の長男として生まれる。戦争のため母の実家のあった宮城県栗原郡築館町(現栗原市)に疎開し、そのまま移住した。父である能島康明は日展で活躍した日本画家であり、幼少の頃から日本画に触れる機会は多かった。少年時代から絵の才能を見出されており、当時の学校の先生から嫉妬を受け、筆を折るように言われたという話もある。 宮城県築館高等学校を卒業すると、東京に戻り多摩美術大学で日本画を学ぶ、奥田元宋に師事。大学在学中に日展に初入選、なおこれは最年少での入選記録となる。以降、日展特選を2回、日展会員賞、日展文部科学大臣賞、宮城県教育文化功労者、日本芸術院賞などを受賞した。
もっと読む
佐藤 哲(さとう てつ、1944年(昭和19年)1月27日 … 佐藤 哲(さとう てつ、1944年(昭和19年)1月27日 - )は、大分県大分市出身の日本の洋画家。本名佐藤哲也。 1944年(昭和19年)1月27日、大分県大分市に生まれる。 1966年(昭和41年)、大分大学学芸学部美術科卒業。翌1967年(昭和42年)、江藤哲に師事。 1975年(昭和50年)日展初入選、同年東光展会友賞。1982年(昭和57年)「紫陽花の頃」が第14回日展特選を受賞、東光展会員賞。1991年(平成3年)ジャパンフェスティバル・イン・ベルリン展金賞。 2009年(平成21年)「ひととき」が第41回日展文部科学大臣賞受賞。2013年(平成25年)、「夏の終りに」が日本芸術院賞受賞。
もっと読む
小林 敬生(こばやし けいせい、本名読み:たかお、1944年… 小林 敬生(こばやし けいせい、本名読み:たかお、1944年1月26日 - )は、日本の版画家。 極薄で半透明の雁皮紙(和紙)に、木口木版で作成した精密な複数の版木を組み合わせた、空間表現が特徴。「鏡貼り」の手法等を駆使することにより、書籍の挿絵や絵本の印刷に用いられていた「木口木版」の作品の大型化を実現した。 と続き、一貫して、多様な生命と文明の調和への壮大なストーリーを描き出している。
もっと読む
岡村 倫行(おかむら りんこう、1944年(昭和19年) -… 岡村 倫行(おかむら りんこう、1944年(昭和19年) - )は日本画家。京都府京都市出身。
もっと読む
永井 吐無(ながいとむ、1944年 -2024 )は、洋画家… 永井 吐無(ながいとむ、1944年 -2024 )は、洋画家、無所属。 愛媛県新居浜市生まれ。香川県立高松工芸学校図案科卒。 1970年、東京日本橋「此花画廊」にて初個展。 以後欧州各地に取材制作活動を重ねながら、主に発表の場を個展に求め、各地にて開催している。 1984年、フランスのサロンドートンヌ展、1988年、安井賞展等に発表し、高い評価を得るが、永井の真の姿は彼自身の個展の中にある。 それは永井もよく理解していて、1970年の初個展以来、積極的に作品を発表している。 その個展の数は2021年現在で既に82回を記録し、日本で最も権威ある日本橋三越ギャラリーでも定期的に開催している。 永井の作風の根幹は緻密な構成力と魂のこもった線にあるだろう。
もっと読む
井上 忠佳(いのうえ ただよし、1944年- )は、日本のラ… 井上 忠佳(いのうえ ただよし、1944年- )は、日本のランドスケープアーキテクト・都市計画家。愛知県名古屋市生まれ。技術士、登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。建設省でインハウスランドスケープアーキテクトとして行政・研究に従事した後、CLA(ランドスケープコンサルタンツ協会)専務理事、株式会社創建取締役副社長を歴任。 蓑茂寿太郎らと1971年に「Design With Nature」を刊行したイアン・マクハーグらの取り組みを扱った同人誌を発行し、ランドスケープアーキテクチュアの一つであるエコロジカル・プランニングの理念を紹介した人物。 このほか、花と緑と健康のまちづくりフォーラム理事。
もっと読む
泉 耿介(いずみ こうすけ、1944年 - )は、日本の都市… 泉 耿介(いずみ こうすけ、1944年 - )は、日本の都市計画家。早稲田大学理工学総合研究センター客員研究員。埼玉大学、東京電機大学非常勤講師歴任。賃貸都市論を唱える。 特定非営利活動法人 日本都市計画家協会理事。社団法人日本都市計画学会評議員、社団法人都市計画コンサルタント協会企画委員。一級建築士、再開発プランナー。福岡県生まれ。
もっと読む
吉永 邦治(よしなが くにはる、1944年 - )は、日本の… 吉永 邦治(よしなが くにはる、1944年 - )は、日本の画家、建築家。元大阪大谷大学教授。飛天の研究者。 鹿児島県川内市生まれ。桑沢デザイン研究所で学び、ドイツに遊学。西洋美術や建築などをロッテ・ロッシェリに学び、その後、高野山大学に入学し、山本智教に東洋美術や仏教美術などを学ぶ。高野山大学文学部仏教科卒業。絵画は山口長男に師事し、東洋各地の風土や人物を描き続ける。 一方、「気まぐれ美術館」(新潮社)の著者である洲之内徹と出会い、彼の主催する現代画廊にてインド・シルクロード・中国・日本各地を描いた作品の個展を開き、その度に多大なる影響を受けた。過去には国画会などに出品したが、現在は国内外各地での個展に重点をおいて発表し続けている。
もっと読む
渡辺 千尋(わたなべ ちひろ、1944年 - 2009年8月… 渡辺 千尋(わたなべ ちひろ、1944年 - 2009年8月18日)は、日本の版画家、装丁家、著作家。東京都出身。 1944年東京都生まれ。高校卒業まで長崎市で育つ。1963年桑沢デザイン研究所に入学。その後グラフィックデザインや装丁に携わる。1978年にエングレービングと呼ばれる手法での銅版画制作を始め、1979年に日本版画協会展に初めて出品し日本版画協会奨励賞を受賞。以後、個展を通じて作品を発表し続けた。1989年には「象の風景」シリーズがプラハ国立美術館に収蔵された。同世代の版画家・門坂流とは交流があり、2人展や公開対談を行っている。 また、版画家としてだけはでなく文筆家としても活動した。
もっと読む
藪野 健(やぶの けん、1943年9月1日 - )は、日本の… 藪野 健(やぶの けん、1943年9月1日 - )は、日本の洋画家、日本藝術院会員、二紀会副理事長。早稲田大学栄誉フェロー、名誉教授、維持員。広島大学名誉博士。府中市美術館館長。
もっと読む
望月 照彦(もちづき てるひこ、1943年8月15日 - 2… 望月 照彦(もちづき てるひこ、1943年8月15日 - 2023年6月26日)は、日本の都市計画家、多摩大学名誉教授・大学院客員教授。
もっと読む
ささめや ゆき(1943年〈昭和18年〉8月2日 - )は、… ささめや ゆき(1943年〈昭和18年〉8月2日 - )は、日本の版画家、イラストレーター、絵本作家。 東京都大田区蓮沼町に生まれ、逗子で育つ。画家になる前は、出版社の文芸部に所属しており、日本文学全集などの編集を手がけていた。 24歳のときに画家になることを決意する。1968年、御茶の水美術学院に入学する。1969年と1970年に二科展に入選する。1970年にパリ、1971年にニューヨークで絵画を学ぶ。1972年、フランスのシェルブール美術学校で学ぶ。 1973年に帰国してからは、「細谷正之」名義で版画や油彩画の作品を発表する。1985年、「ルーが来た日」でベルギー・ドメルホフ国際版画コンクールの銀賞を受賞する。
もっと読む
松本 哲男(まつもと てつお、1943年(昭和18年)7月2… 松本 哲男(まつもと てつお、1943年(昭和18年)7月29日 - 2012年(平成24年)11月15日)は日本画家、教育者。栃木県佐野市生まれ。日本美術院理事。 宇都宮大学教育学部美術科卒業。高等学校美術教諭を経て、今野忠一に師事。宇都宮文星短期大学特任教授を経て、1999年(平成11年)から2002年(平成14年)まで文星芸術大学教授。後、特任教授。1993年(平成5年)4月から東北芸術工科大学芸術学部美術科助教授、1996年(平成8年)4月から同教授。2006年(平成18年)4月から2011年(平成23年)3月まで同学長。同年4月から名誉学長となっていた。 2012年(平成24年)11月15日に呼吸不全のため死去。
もっと読む
中島 潔(なかしま きよし、1943年4月26日 - )は、… 中島 潔(なかしま きよし、1943年4月26日 - )は、日本画家、絵本作家、イラストレーター。郷愁を誘う童画や、儚げな女性画を得意とする。「風の画家」として知られる。 1943年(昭和18年)、旧満洲国奉天市(現在の中国瀋陽市)において父・峰雄、母・ウメ子の間に生まれる。両親は理髪店を営んでいた。1歳の時、母の地元の佐賀県東松浦郡厳木村(現在の佐賀県唐津市厳木町)へ引き揚げる。 1961年、佐賀県立唐津西高等学校卒業。母の死後2か月で再婚をした父への反発から家を出て、伊豆下田で温泉掘りの仕事をする。独学で絵を学び、その後印刷所、広告会社などで働く。 1971年、パリへ行き、半年間絵の勉強をする。
もっと読む
高橋 義治(たかはし よしはる、主にドイツ語圏で活動したので… 高橋 義治(たかはし よしはる、主にドイツ語圏で活動したので、ヨシ・タカハシ(Yoshi Takahashi)として知られる、1943年3月15日 - 1998年4月17日)は日本生まれの画家、版画家である。1966年から主にドイツで活動し、1974年からオーストリアで活動した。 東京で生まれた。1960年に東京芸術大学油画科に入学し、1965年に卒業した。1966年にドイツに留学し、ミュンヘン美術院で学んだ。1969年に美術院を卒業した後、オーストリアの高等美術研究員(Graphische Lehr- und Versuchsanstalt)のスーチェク(Slavi Soucek)に版画を学んだ。
もっと読む
池口 史子(いけぐち ちかこ、1943年2月24日 - )は… 池口 史子(いけぐち ちかこ、1943年2月24日 - )は、日本の洋画家。立軌会同人、日本芸術院会員。 南満洲鉄道に勤める堤禎章の娘として、大日本帝国の租借地であった関東州の大連市にて生まれ、東京都で育った。東京芸術大学に進学し、美術学部の油画科にて学び、山口薫の指導を受けた。1966年、東京芸術大学を卒業する。そのまま東京芸術大学の大学院に進学し、美術研究科にて学んだ。1968年、東京芸術大学の大学院を修了した。 東京芸術大学を卒業してから、個展やグループ展で作品を発表する。1975年、通産官僚であり小説家でもある堺屋太一と結婚した。1992年より立軌会に同人として加わる。2004年、『ワイン色のセーター』にて損保ジャパン東郷青児美術館大賞を受賞した。
もっと読む
丸山 勝三(まるやま かつみ、1943年2月 - 2020年… 丸山 勝三(まるやま かつみ、1943年2月 - 2020年12月)は、島根県安来市出身の洋画家。武蔵野美術大学卒業。
もっと読む
絹谷 幸二(きぬたに こうじ、1943年〈昭和18年〉1月2… 絹谷 幸二(きぬたに こうじ、1943年〈昭和18年〉1月24日 - 2025年〈令和7年〉8月1日)は、日本の洋画家。位階は従三位、勲等は文化勲章。独立美術協会会員、大阪芸術大学教授、東京芸術大学名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。 東京芸術大学美術学部教授、一般社団法人日本美術家連盟理事などを歴任した。 長男は彫刻家の絹谷幸太、次女は画家の絹谷香菜子。 奈良県奈良市元林院町に生まれる。奈良県立奈良高等学校、東京芸術大学美術学部油絵専攻卒(1966年小磯良平教室)。卒業制作で大橋賞受賞。 小学校一年生の頃から油絵を習い始めた。芸大卒業後の1971年にイタリアへ留学、目から鱗が落ちるほどの感銘を受け、ヴェネツィアでアフレスコ古典画の技法を研究した(「アフレスコ」(affresco) はイタリア語で「フレスコ」のこと)。
もっと読む