白川 浩司(しらかわ ひろし、1943年 -2024年 )は… 白川 浩司(しらかわ ひろし、1943年 -2024年 )は、日本の編集者。 長野県出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1965年東京大学文学部卒業(指導教授は林健太郎)、文藝春秋新社(現・文藝春秋)入社。『週刊文春』、『月刊 文藝春秋』編集部、出版部等を経て、1988年から91年まで『諸君!』編集長。1991年から94年まで『文藝春秋』編集長。1998年出版企画局長として「文春新書」の創刊に携わる。1999年同社取締役。2003年常務取締役。2006年常任監査役を経て、2007年に退社。
北川 明(きたがわ あきら、1943年〈昭和18年〉 - )… 北川 明(きたがわ あきら、1943年〈昭和18年〉 - )は、日本の編集者、実業家。第三書館代表(社長)。 京都大学工学部卒業。東京都新宿区西早稲田に出版社、第三書館を設立。 1975年(昭和50年)、日本赤軍兵站委員会のメンバーだった島田恭一とスウェーデンの警察当局によって逮捕され、日本に強制送還されている。同年9月、2人は羽田空港で逮捕された。理由は旅券法違反で、2人はドイツ連邦共和国(当時、西ドイツ)の日本人商社員誘拐・身代金奪取作戦に参加する予定だったとされる。
松本 哉(まつもと はじめ、1943年- )は、日本の作家、… 松本 哉(まつもと はじめ、1943年- )は、日本の作家、編集者。 神戸生まれ。神戸大学理学部卒業。河出書房、東京図書で科学書の編集に携わった後、フリーとなり、作家・風景画家として活躍。
桑名 淳二(くわな じゅんじ、1943年- )は、編集者、出… 桑名 淳二(くわな じゅんじ、1943年- )は、編集者、出版評論家。 埼玉県生まれ。1968年横浜国立大学教育学部卒業、学習研究社に入社。1984年『3年の科学』編集長、1987年『4年の学習』編集長。1990年営業部門に移り、情報宣伝室長。1996年販売企画室長、1999年サポートセンターでデータベース担当。2002年退社。 日本出版学会会員、アメリカ出版研究会会員。
山野 勝(やまの まさる、1943年 - )は、日本の編集者… 山野 勝(やまの まさる、1943年 - )は、日本の編集者、坂道研究家。講談社顧問、日本坂道学会会長。広島県呉市出身。 広島県呉市で生まれ、2歳から山口県柳井市で、小学校1年から東京都で育つ。早稲田大学政治経済学部新聞学科を卒業後、報知新聞社に入社し、その後講談社に入社する。「週刊ヤングマガジン」編集長、常務取締役、講談社コミッククリエイト代表取締役社長を歴任後、フリーへ転身。「週刊ヤングマガジン」編集長時代には『AKIRA』、『ビー・バップ・ハイスクール』などを世に出した。 歩けば東京が分かるだろうと、45歳頃から坂の魅力に目覚め、2年半かけ、名前のある約640の坂を「踏襲」。2000年に居酒屋で偶然会ったタモリと2人で坂道愛好家の会、日本坂道学会を設立した。
太田 昌国(おおた まさくに 1943年(昭和18年) - … 太田 昌国(おおた まさくに 1943年(昭和18年) - )は、日本の思想評論家、映画評論家、編集者、翻訳家。 東アジア反日武装戦線のメンバーの支援活動を行っている。 釧路市生まれ。1968年、東京外国語大学ロシア語科卒。 出版社からの就職が一旦内定したが取り消された。翻訳や校正、肉体労働のアルバイトをしながら、国立国会図書館などで研究活動をしていた。どちらかというと、ソ連を先頭とする世界共産主義運動に対する幻想は持たず、アナキズムの方向性を抱いていたと回顧している。 1960年代には、レボルト社からアジア、アフリカ、ラテンアメリカについての情報を扱った『世界革命運動情報』の編集、刊行に関わってきた。
安達 史人(あだち ふみと、1943年 - 2024年9月3… 安達 史人(あだち ふみと、1943年 - 2024年9月30日)は福井県出身のブックデザイナー、編集者、著述家。 「木の聲舎」代表。武蔵野美術大学機関誌「武蔵野美術」の元編集主幹兼アートディレクター。元武蔵野美術大学講師。 「あらちふみと」「森 魚名」名義での著書・寄稿も存在する。 東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。
井出 彰(いで あきら、1943年 - 2022年5月8日)… 井出 彰(いで あきら、1943年 - 2022年5月8日)は、神奈川県出身の編集者、出版社経営者、エッセイスト、小説家。株式会社図書新聞代表。 神奈川県箱根町生まれ。早稲田大学卒業。 26歳の時に、日本読書新聞に入社。のち編集長も務める。 1973年に退社して、自身の出版社「三交社」を起こすが、10年後に倒産。図書新聞に編集長として入社し、1988年より代表も兼務。のち編集長からは退いた。 そのかたわら、エッセイや小説も発表。2004年には、小説「精進ヶ池へ」で第3回小島信夫文学賞奨励賞を受賞。 2022年5月8日午前6時30分、白血病のため自宅で死去。78歳没。
中野 幹隆(なかの みきたか、1943年 - 2007年1月… 中野 幹隆(なかの みきたか、1943年 - 2007年1月14日)は、日本の書籍・雑誌の編集者である。1970年代に『現代思想』、『エピステーメー』両誌の創刊編集長を歴任、1980年代に「週刊本」を手がけた。哲学書房、セーマ出版創立者・社主。 1943年(昭和18年)、長野県東筑摩郡宗賀村(現塩尻市)に生まれる。 1967年(昭和43年)、日本出版協会に入社、20代半ばで『日本読書新聞』編集長を務め、1970年(昭和45年)前後に竹内書店に移籍、季刊誌『パイデイア』の編集を手がける。1972年(昭和47年)に同社を退社し、青土社に移籍、三浦雅士らとともに1973年(昭和48年)、『現代思想』を創刊、編集長に就任する。
花田 紀凱(はなだ かずよし、1942年〈昭和17年〉9月1… 花田 紀凱(はなだ かずよし、1942年〈昭和17年〉9月13日 - )は、日本の雑誌編集者。『月刊Hanada』編集長、責任編集者。元『週刊文春』元『月刊WiLL』編集長。 東京府生まれ。東京都立千歳高等学校(現東京都立芦花高等学校)、東京外国語大学外国語学部英米語学科(現・言語文化学部言語文化学科英語専攻)卒業。 1966年に文藝春秋入社。『オール讀物』編集部に配属され、池波正太郎、五味康祐、瀬戸内晴美、藤原審爾などを担当。1968年11月に『週刊文春』編集部へ異動。以降基本的に『週刊文春』編集部と『文藝春秋』編集部を行き来し、『Emma』編集部にも創刊準備期間を含めて1年半ほど在籍。 1988年、『週刊文春』編集長に就任後は、タカ派の論調を展開。
矢野 直明(やの なおあき、1942年7月29日 - )は日… 矢野 直明(やの なおあき、1942年7月29日 - )は日本のジャーナリスト、編集者。「サイバーリテラシー」を提唱。サイバーリテラシー研究所 代表。 1942年、東京都渋谷区で生まれ、まもなく戦災のため三重県松阪市へ。高校まで松阪で育つ。東京大学文学部社会学科卒。1966年に朝日新聞社入社。盛岡支局を振り出しに佐世保支局、福岡総局、西部本社社会部、同整理部を経て、1979年に出版局『アサヒグラフ』編集部員。1988年、『ASAHIパソコン』を創刊して初代編集長に。『月刊Asahi』編集長のあと、1995年から出版局デジタル出版部長兼『DOORS』編集長。 2002年に朝日新聞社を退職すると同時にサイバーリテラシー研究所を開設。
奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015… 奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015年8月16日)は、日本の詩人、ジャズ評論家、著述家、漫画原作者、編集者、作詞家、トランペット奏者。 東京都品川区大井出身。東京都立城南高等学校卒業。雑誌記者、タウン誌編集長、青山学院大学文学部講師を歴任。 さまざまな種類の活動を通して、日本のサブカルチャー界に、広い人脈を築いた。タモリの「密室芸」の命名者である。 また、様々な別名を用いて執筆活動を行った。自身のペンネーム「異魔人」。また高橋肇との共同ペンネーム「影山勲」。弟の奥成繁(久保田呉春)との共同ペンネーム「山口泰」。妻はイラストレーターのながたはるみ。 2015年8月16日、腎盂癌のため死去した。
椎根 和(しいね やまと、1942年2月9日 - )は、福島… 椎根 和(しいね やまと、1942年2月9日 - )は、福島県生まれの雑誌編集者、ライター。 早稲田大学卒業。『婦人生活』編集者から、平凡出版に途中入社し、『平凡パンチ』『anan』に携わる。退社後、講談社開発室を経て『日刊ゲンダイ』創刊スタッフ。再び退社し、1977年『POPEYE』定期刊行時に編集デスクとして参画、後にエディター・イン・チーフ。『Olive』創刊時に社員となり実質の編集長、以後『Hanako』『Comic アレ!』『relax』の創刊編集長を歴任。取締役就任後、1997年マガジンハウス退社。妻はドラマ「ムー一族」に「竹さん」役で出演していた滝谷(旧姓)典子。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう、1942年〈昭和17… 嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう、1942年〈昭和17年〉1月10日 - 2025年11月14日)は、日本の編集者、作家、エッセイスト。本名は祐乗坊 英昭(ゆうじょうぼう ひであき)。 父は、朝日新聞社社員から、多摩美術大学の教授に転じたデザイナーの祐乗坊宣明。弟の祐乗坊進は造園コンサルタントで多摩美術大学講師。 静岡県浜松市に生まれ、1950年から東京都北多摩郡国立町(現:国立市)に育つ。国立学園小学校卒業。小学校時代の同級生に、後の外務省・軍縮大使の登誠一郎、朝日新聞社の宮本貢がいた。 桐朋中学校・高等学校を経て、1965年國學院大學文学部国文科卒業。専攻は中世文学。また、笠井叡は高校の2年後輩で、大学時代に笠井から土方巽を紹介され、金粉ショーのアルバイトをやったこともある。
角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8… 角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の編集者、実業家、映画監督、俳人、宗教家。角川源義の長男で、株式会社角川春樹事務所代表取締役社長、宗教法人明日香宮宮司、俳句結社「河」主宰を務める。角川書店の二代目社長を務め、今日のKADOKAWA、角川映画の礎を築く。1993年に麻薬及び向精神薬取締法違反などの容疑で逮捕され、角川グループ各社の役職を辞任した。釈放後、新たに出版社の角川春樹事務所を設立した。モットーは『生涯不良。何か文句あるか』 富山県中新川郡水橋町に誕生し、東京都杉並区に育つ。父は角川書店創業者の角川源義、母は富美子(旧姓鈴木)。杉並区立杉並第五小学校、杉並区立天沼中学校を経て國學院大學久我山高等学校に入学。
白井 勝也(しらい かつや、1942年 - )は、日本の漫画… 白井 勝也(しらい かつや、1942年 - )は、日本の漫画編集者。東京都出身。株式会社ヒーローズ代表取締役社長。公益財団法人一ツ橋綜合財団理事。
石井 慎二(いしい しんじ、1941年6月22日 - 201… 石井 慎二(いしい しんじ、1941年6月22日 - 2010年2月12日)は、日本の雑誌編集者、洋泉社代表取締役社長。 東京都出身。旧姓・鈴木慎二として東京都立九段高等学校に学び、新聞部にあたる出版委員会で活動、さらに早稲田大学でも新聞会で活動する。 JICC出版局(後の宝島社)の編集者となり、1974年の『宝島』出版権の買収の際には、蓮見清一の腹心として晶文社に赴き、電撃買収をとりまとめた。JICC出版局では、1976年に『別冊宝島』を創刊。「読むムック」として発想されたこのシリーズは、新たなジャンルを開拓した取り組みとして評価された。 1987年に季刊雑誌『田舎暮らしの本』を創刊し、編集長を務めていたころには、茨城県で有機農業による米作にも取り組んでいた。
中西 昭雄(なかにし てるお、1941年5月29日 - )は… 中西 昭雄(なかにし てるお、1941年5月29日 - )は、編集者。東京生まれ、京都大学文学部卒業。朝日新聞で『アサヒグラフ』や『週刊朝日』に携わったのち、1983年に月刊誌「ペンギン・クエスチョン」(現代企画室)を創刊。「日本寄せ場学会」や「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の設立に参加する。
三上 治(みかみ おさむ、1941年4月9日 - )は、日本… 三上 治(みかみ おさむ、1941年4月9日 - )は、日本の編集者・文筆家・評論家、元政治運動家。 本名・味岡修。三重県出身。 三重県四日市市生まれ。三重県立四日市高等学校卒業。1960年、中央大学法学部政治学科に入学し、安保闘争に参加。1962年、再建された社会主義学生同盟の全国委員長になる。1966年、中央大学中退、第二次ブントに加わり、全共闘運動やベトナム反戦闘争にも加わる。1969年、ブント内部の党派闘争で統一派として赤軍派と対立する。 1969年4月28日の沖縄闘争で指名手配され、9月に逮捕。1970年、いったん保釈されるが、保釈取り消しで東京拘置所に入所。この間、神津陽と共に共産主義者同盟叛旗派をつくり、同派のリーダーとなる。
島地 勝彦(しまじ かつひこ、1941年4月7日 - )は、… 島地 勝彦(しまじ かつひこ、1941年4月7日 - )は、日本の雑誌編集者・エッセイスト・バーマン。 東京都世田谷区奥沢に生まれ、4歳から岩手県一関市で育つ。岩手県立一関第一高等学校、青山学院大学卒業。 大学卒業後集英社に入社。以後長きにわたり『週刊プレイボーイ』編集者を務め、1982年に同誌の編集長に就任。「「週刊プレイボーイ」を100万部雑誌に育て上げた人物」(日経ビジネス「乗り移り人生相談」参照)として有名になった。その後『月刊プレイボーイ』『Bart』などの編集長を歴任した後、同社取締役を経て、1998年に子会社の集英社インターナショナルの社長に就任した。 2008年11月に集英社インターナショナルを退社しエッセイストに転向。
武居 俊樹(たけい としき、1941年 - )は、日本の編集… 武居 俊樹(たけい としき、1941年 - )は、日本の編集者。赤塚マンガのキャラクター「武居記者」として知られる。 1941年(昭和16年)、長野県岡谷市に生まれる。実家は諏訪で800年の歴史を持つ神社。長野県諏訪清陵高等学校を経て早稲田大学第一文学部を卒業、大学時代の親友に後の俳優の小林勝也、後の漫画原作者であるやまさき十三がいた。 1966年(昭和41年)、小学館に入社、第二編集部の『少年サンデー』に配属され、赤塚不二夫、古谷三敏、石井いさみ、あだち充などの担当編集者として数々のヒット作を手がける。 1975年からは少女漫画部門へ異動となり、『週刊少女コミック』副編集長に就任。新人編集者の都築伸一郎と共に、人気作家となる前のあだち充を粘り強く起用し続けた。
浅川 征一郎(あさかわ せいいちろう、1941年 – )は、… 浅川 征一郎(あさかわ せいいちろう、1941年 – )は、太平書屋社長、編集者。斎田作楽の筆名でも、解題翻刻を手がける。 福岡県生まれ。熊本県立熊本高等学校を経て、1963年明治大学商学部卒業。在学中より有光書房のアルバイトをしていた縁から同書房の社員として残り、高橋鉄・林美一らの知遇を得る。1977年、有光書房社主坂本篤の死去をきっかけに太平書屋を創立した。 近世江戸の軟派文学・狂歌狂詩・川柳などの稀書に光を当て、正確に解題・翻刻・校註した出版刊行の成果は高く評価されている。第1回岩瀬弥助記念書物文化賞を受賞。
石井 竜生(いしい たつお、1940年9月22日 - )は、… 石井 竜生(いしい たつお、1940年9月22日 - )は、日本の作家、編集者。本名・石井龍雄。 妻は作家の井原まなみ。 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学法学部法律学科卒業[要出典]、早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。 1967年9月、戸麻竜悟のペンネームでNHKテレビドラマ脚本に「うだでなや」で入選[要出典]。同作品が日本放送作家協会新人賞受賞[要出典]。菊島隆三の内弟子となり、3年間、脚本を執筆[要出典]。妻との合作で推理小説を書き、1976年「アルハンブラの想い出」で第15回オール讀物推理小説新人賞を受賞。同じく夫婦合作の1985年『見返り美人を消せ』で第5回横溝正史賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は… 斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は、日本の児童文学作家、編集者。 1940年に新潟県新潟市に生まれる。小学校から高校卒業までを長岡市で過ごす。新潟大学教育学部附属長岡小学校、新潟県立長岡高等学校を卒業後、立教大学法学部法学科に進学。60年安保闘争に参加。同大卒業後、大手電機メーカーに勤務した。 その後、福音館書店編集部に勤務。長年にわたり児童書籍の編集に携わる。同社編集担当取締役となった。 1970年の処女作『グリックの冒険』で、翌年に日本児童文学者協会新人賞を受賞。 1972年の『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』で、国際児童年特別アンデルセン賞優良作品に選出。 1983年には、『ガンバとカワウソの冒険』で野間児童文芸賞を受賞した。
村松 友視(むらまつ ともみ、1940年4月10日 - )は… 村松 友視(むらまつ ともみ、1940年4月10日 - )は、日本の、元編集者、作家、エッセイスト(本来の表記は村松友視。「視」の字は「示」の右に「見」)。
浅野 純次(あさの じゅんじ、1940年 - )は、日本の編… 浅野 純次(あさの じゅんじ、1940年 - )は、日本の編集者、実業家。東洋経済新報社代表取締役社長や、日本雑誌協会理事長を務めた。 東京都世田谷区生まれ。小田原市、浦和市育ち。1958年埼玉県立浦和高等学校卒業。1962年横浜国立大学経済学部卒業、東洋経済新報社入社。同期に矢吹晋がいる。会社四季報編集長、週刊東洋経済編集長を経て、1989年取締役に昇格。常務取締役を経て、1995年社長、石橋湛山記念財団評議員。2001年会長。2002年日本雑誌協会理事長。2004年経済倶楽部理事長。2007年富丘経済研究会会長。2011年東京日本橋ロータリークラブ会長。2013年出版企業年金基金理事長。2016年高橋松之助記念顕彰財団理事長。
守部 喜雅(もりべ よしまさ、1940年 - )は、日本の作… 守部 喜雅(もりべ よしまさ、1940年 - )は、日本の作家・ジャーナリスト・編集者。 1940年、上海市に生まれた。慶應義塾大学を卒業し、いのちのことば社に入社する。1977年より1997年までクリスチャン新聞の編集部長を行う。1999年より2004年まで百万人の福音の編集長を務める。現在は、クリスチャン新聞の編集顧問を務める。 ジャーナリストとして中国大陸のキリスト教の状況を取材し続けた。また、日本キリスト教史の著作を発表している。2018年に出版された『西郷隆盛と聖書』について文書盗用疑惑が指摘され、出版元であるいのちのことば社は訂正再版をし、『西郷隆盛と聖書』引用表記ミスに関してにてその旨をお知らせした。
権藤 晋(ごんどう すすむ、本名:高野 慎三、1940年 -… 権藤 晋(ごんどう すすむ、本名:高野 慎三、1940年 - )は、日本の編集者、出版社経営者、随筆家、漫画評論家、映画評論家、文具店経営者。本名でも、著作活動を行っている。特につげ義春にこだわり、つげ作品の多くを世に出すべく奔走したことでも知られる。出版社 北冬書房を主催。貸本漫画史研究会会員。つげの『ねじ式』の原稿の「××クラゲ」を「メメクラゲ」と誤植し、のちにつげが「その方がいいね」といったことから、「メメクラゲ」のまま出版が続けられ流行語となるなど誤植の歴史に名を残したことでも知られる。 元々は白土三平のファンで、その後、水木しげるのファンとなりさらにつげ義春のファンとなった。1961年頃に白土の『忍者武芸帖』を読み、その後貸本漫画で全作品を読んでいく。
川上 徹(かわかみ とおる、1940年 - 2015年1月2… 川上 徹(かわかみ とおる、1940年 - 2015年1月2日)は、日本の編集者、社会運動家。全日本学生自治会総連合中央執行委員長を経て、日本民主青年同盟中央常任委員を務めたが、新日和見主義事件により解任。のち同時代社を創業、代表取締役。 1940年、東京・亀戸生まれ。1944年、長野県東筑摩郡に疎開し、1949年に上京するまで暮らした。1960年、東京大学教養学部入学とともに日本共産党に入党。1964年、全日本学生自治会総連合再建大会で中央執行委員長。1966年に退任、東京大学教育学部教育行政学科卒業。同年より日本民主青年同盟(民青)本部に勤務、中央常任委員。 1972年5月、分派活動により査問を受け(新日和見主義事件)、同年秋、党員権停止1年の処分が決まり民青本部を退職。
加地 永都子(かじ えつこ、1940年 - 2009年4月1… 加地 永都子(かじ えつこ、1940年 - 2009年4月13日)は、日本の翻訳家、編集者。 東京都生まれ。東京女子大学文理学部卒業。卒業後は日本YWCAに7年間勤務。アジア太平洋資料センター理事、季刊『世界から』編集者のほか、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC)運営委員、ピープルズ・プラン研究所運営委員を務めた。
長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 201… 長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 2015年5月3日)は、日本の詩人、児童文学作家、文芸評論家、翻訳家、随筆家、編集者。 大学在学中から詩を書き始め、第1詩集『われら新鮮な旅人』(1965年)で注目された。その後、『深呼吸の必要』(1984年)、『世界は一冊の本』(1994年)などで読者層を広げた。 1939年、福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校卒業。 1958年3月に福島より上京。1959年4月、早稲田大学第一文学部独文専修に入学。 早稲田大在学中の1960年秋、関根久男と詩誌「鳥」を創刊。雑誌「現代詩」「詩と批評」「第七次早稲田文学」の編集に加わる。1963年3月、早稲田大学卒業。
植田 康夫(うえだ やすお、1939年8月26日 - 201… 植田 康夫(うえだ やすお、1939年8月26日 - 2018年4月8日)は、日本の編集者、ジャーナリスト、上智大学名誉教授。 出生地は広島県呉市宮原、出身地は島根県邑智郡邑智町。日本出版学会会長、日本マスコミ学会理事などを歴任。 1962年上智大学文学部新聞学科卒業、『週刊読書人』編集部に勤務。1982年「週刊読書人」編集長。1985年、読書人取締役。1980年より、母校である上智大学新聞学科で、非常勤講師をつとめる。 1967年、大宅壮一を塾長に、草柳大蔵や大森実らが行った「大宅壮一・東京マスコミ塾」開講一期生としてジャーナリズムを学ぶ。後年に大宅壮一文庫副理事長もつとめた。 1989年、読書人を退社、上智大学文学部新聞学科助教授。
齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 20… 齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 2023年3月28日)は、日本の俳人、編集者、文芸評論家。 朝鮮京城府(現・韓国ソウル市)生まれ。1946年、山形県の飛島に移住。高校時代より句作を開始。1955年、秋沢猛、秋元不死男に師事し、秋元不死男主宰の「氷海」に投句。1959年氷海賞受賞。「孤島の寺山修司」と称されたが、翌年より20年以上の間句作を中断した。 山形大学文理学部国文科を中退後、1963年に深夜叢書社を設立。1973年、堀井春一郎らと『季刊俳句』創刊。1983年、寺山修司らと「雷帝」創刊のために句作を再開。さらに50歳の頃から文筆活動に入る。2010年、『ひばり伝 蒼穹流謫』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
高畠 久 (たかばたけ ひさし、1939年7月16日 - )… 高畠 久 (たかばたけ ひさし、1939年7月16日 - )は 日本の編集者、脚本家、映画プロデューサー。 樺太出身。洛星中学校・高等学校、早稲田大学文学部演劇科卒業。1962年東宝に入社。「権藤利英」のペンネームで松竹映画『夜の片鱗』の脚本を執筆。1967年東宝退社。1975年、企画制作プロを設立し、映画・テレビドラマ・テレビ番組・コンサートなどの企画・脚本・プロデュースに当たる。2012年に演劇プロデュースグループ「スタジオQ」を設立。
安原 顯(やすはら けん、1939年4月29日 - 2003… 安原 顯(やすはら けん、1939年4月29日 - 2003年1月20日)は日本の編集者、評論家。本名の読みは「あきら」。名前を簡略体で「安原顕」と表記することもある。 自称「天才ヤスケン」「スーパーエディター」。主に『海』『マリ・クレール』の編集者として活躍した。チリチリパーマの髪に、サングラスと髭という独特の容貌をもつ。 妻・筑土まゆみの父は、僧侶、宗教民俗学者の筑土鈴寛(つくどれいかん)。娘の安原眞琴は日本文学研究者で、2013年にドキュメンタリー映画「最後の吉原芸者四代目みな子姐さん - 吉原最後の証言記録」を制作した。 東京市目黒区緑が丘に生まれ育つ。父親はサラリーマンだったが、切手やレコードのコレクションも行っている「趣味人」だった。
高島平吾(たかしま へいご、1939年4月5日- 2024年… 高島平吾(たかしま へいご、1939年4月5日- 2024年1月6日)は、日本の編集者・翻訳家。 兵庫県出身。本名・福住治夫。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒。美術出版社勤務。1971~73年『美術手帖』編集長。のち『あいだ』編集長。
酒井 道夫(さかい みちお、1939年 - )は、編集者。武… 酒井 道夫(さかい みちお、1939年 - )は、編集者。武蔵野美術大学名誉教授。専攻は、デザイン論、印刷文化論、編集計画など。日本生活学会員、日本出版学会員。 東京都世田谷区出身。父親は学者でもあった酒井勝郎。5才から15才までの間は疎開を含めて、島根県八束郡本庄村および松江市、静岡県磐田市、東京都中野区で育った。 1959年、東京都立豊多摩高等学校卒業。1965年、早稲田大学第二文学部美術専修卒業。 1960年から雑誌編集に携わる(『ニューインテリア』『近代建築』『ディテール』など)。 学園紛争の末期の1970年秋に高見堅志郎と橋本梁司から招聘され、『建築文化』(彰国社)の編集者を辞めて武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン科の専任講師に就任。
柏原 成光(かしわばら しげみつ、1939年 - )は、日本… 柏原 成光(かしわばら しげみつ、1939年 - )は、日本の編集者。日本語教員。元筑摩書房社長。 東京府生まれ。東京大学文学部東洋史学科卒。1964年に筑摩書房編集部入社。季刊誌『人間として』、『文芸展望』などの編集を担当。1997年、同社代表取締役に就任する。 1999年に筑摩書房を退社し、風濤社の相談役に就任。共立女子大学などの非常勤講師、2004年全てを退職し、2011年まで7年間、中国の延辺大学・西南科技大学・蘇州大学で日本語教員を務めた。
坂口 義弘(さかぐち よしひろ、1938年11月24日 - … 坂口 義弘(さかぐち よしひろ、1938年11月24日 - )は、日本の編集者、フリーライター、ルポルタージュ作家。 北海道函館市出身。1965年東洋大学卒。『週刊ポスト』『週刊現代』記者などののちフリー。『歴史と現代』(1980-1982、歴史と現代社)『新雑誌X』(1983-1991)編集長、元早稲田マスコミ塾専任講師。日本ペンクラブ会員。
湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日… 湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日本の編集者、評論家、エッセイスト、元京都造形芸術大学教授。
寺本 泰輔(てらもと たいすけ、1938年5月4日~)は日本… 寺本 泰輔(てらもと たいすけ、1938年5月4日~)は日本の新聞編集者。広島県出身。 立命館大学文学部出身。広島県に本社を置く中国新聞社に1962年に入社。文化部次長を経て、1981年から編集委員(部長)を務めた。 1987年当時は広島市安佐南区安古市町相田に居住していた。
津野 海太郎(つの かいたろう、1938年4月6日 - )は… 津野 海太郎(つの かいたろう、1938年4月6日 - )は、日本の演出家・編集者・評論家。元晶文社取締役、和光大学名誉教授。NPO法人共同保存図書館・多摩、顧問。 福岡県生まれで、川崎に育つ。本姓・鈴木。東京都新宿区立落合中学校から東京都立戸山高等学校を経て早稲田大学第一文学部国文科卒。 大学時代は「演劇研究会」に所属していた。在学中の1961年に、中学時代からの仲間の草間暉雄の劇団「独立劇場」に参加する。だが、草間は設立後に持病を悪化させて25歳で亡くなる。 大学卒業後の1962年に、アルバイト生活を経て、『新日本文学』編集部員に補欠で採用される編集者となる。その直前、新日本文学会を支配していた共産党との関係が崩れメディアも大きく報じた時代だった。
小玉 武(こだま たけし、1938年 - )は、日本の編集者… 小玉 武(こだま たけし、1938年 - )は、日本の編集者、文筆家。 東京生まれ。神戸、横浜で育つ。神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校を経て、1962年に早稲田大学教育学部を卒業後、サントリーに入社する。宣伝部に配属され、広告制作、『洋酒天国』の編集に携った後、広報部長、文化事業部長など。1979年には『サントリークォータリー』を創刊し、編集長を務めた。のち取締役出版局長としてTBSブリタニカに出向する。2000年早大参与に就任。教育学部などで講座を担当する。戸板女子短期大学講師も2009年まで務めた。石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞前事務局長、公益財団法人練馬区文化振興協会理事、日本アルバン・ベルク協会常任理事、森澄雄主宰俳句結社『杉』同人。
宮原 照夫(みやはら てるお、1938年 - 2018年)は… 宮原 照夫(みやはら てるお、1938年 - 2018年)は、日本の雑誌編集者。長野県伊那市出身。 講談社発行の漫画雑誌、『週刊少年マガジン』第4代編集長、ならびに『週刊ヤングマガジン』、『月刊少年マガジン』初代編集長。 高校卒業後の1956年に講談社に入社、『少年倶楽部』配属となる。1959年、『週刊少年マガジン』編集部に創刊スタッフとして異動、ちばてつやの担当編集者として「ちかいの魔球」、「紫電改のタカ」、「ハリスの旋風」の連載に携わる。その後、梶原一騎の担当編集者として「巨人の星」、「あしたのジョー」の連載を立ち上げ、1971年に『週刊少年マガジン』第4代編集長となる。1974年に『月刊少年マガジン』、1980年には『週刊ヤングマガジン』を創刊、初代編集長となる。
山本 順也(やまもと じゅんや、1938年 - 2015年7… 山本 順也(やまもと じゅんや、1938年 - 2015年7月17日)は、日本の漫画編集者。日本大学藝術学部映画学科卒業。 1963年、小学館に入社。絵本編集部に所属し、手塚治虫の『ジャングル大帝』復刻版を担当。1968年、『週刊少年サンデー』の副編集長から移動し、少女漫画誌『少女コミック』の創刊メンバーとなる。1970年、『別冊少女コミック』の創刊に副編集長として携わる。当時まだ無名に近かった萩尾望都、大島弓子、竹宮惠子らを登用。その後、倉多江美、樹村みのり、伊東愛子らも起用し、少女漫画界に新しい波を起こした。男性漫画家に対しても、山本の兄の知人の息子にあたる山田ゴロを見出している。1980年には『プチフラワー』の創刊に携わり、その後、編集長を務めた(初代編集長は渡辺静夫)。
冨士田 元彦(ふじた もとひこ、1937年6月26日 - 2… 冨士田 元彦(ふじた もとひこ、1937年6月26日 - 2009年12月18日)は、日本の評論家、編集者、実業家。京城府(現・ソウル特別市)生まれ、山形県出身。 山形県立山形東高等学校を経て、早稲田大学文学部史学科卒業。角川書店の「短歌」編集長として60年代の前衛短歌運動の一端を担う。1972年、個人誌「雁-映像+定型詩」を創刊。14号まで編集・発行を続ける。小紋潤と設立した書肆「雁書館」代表。短歌及び日本映画の評論を精力的に行った。著書に「冨士田元彦短歌論集」など。2009年、敗血症のため逝去。
西村 繁男(にしむら しげお、1937年5月31日 - 20… 西村 繁男(にしむら しげお、1937年5月31日 - 2015年5月)は、日本の雑誌編集者。東京都出身。『週刊少年ジャンプ』の第3代編集長、『フレッシュジャンプ』『スーパージャンプ』の初代編集長。
阿部 達二(あべ たつじ、1937年5月7日)は、日本の編集… 阿部 達二(あべ たつじ、1937年5月7日)は、日本の編集者・著作家。本名は達児。 青森県青森市生まれ。1961年、早稲田大学政治経済学部を卒業。同年、文藝春秋に入社し、編集者として勤務。『文學界』編集長、文春文庫編集長、出版局長、編集局長を歴任した。 1999年、文藝春秋を退職。以後、「阿部達二」名義で著述家として活動。江戸川柳や古典芸能に関する造詣が深く、古典文芸に関する作品を多く執筆している。 編集者時代の主な担当作家に藤沢周平がいる。藤沢とはデビュー以来30年以上の交友を持った。後年藤沢やその作品に関する講演を行い、また著作を発表している。
久保 覚(くぼ さとる、1937年2月 - 1998年9月9… 久保 覚(くぼ さとる、1937年2月 - 1998年9月9日)は、編集者、文化活動家、朝鮮芸能文化史研究家。本名・鄭 京黙(チョン・キョンムク)。
内藤 三津子(ないとう みつこ、1937年 - )は日本の編… 内藤 三津子(ないとう みつこ、1937年 - )は日本の編集者。薔薇十字社元社長。 上海市東洋街生まれ。姉は遠藤麟一朗の妻。6人兄弟で女手ひとつで育つ。兄や姉らも、昭和20年代の雑誌『世代』(旧制一高学生による文芸誌で、いいだもも、中村稔、吉行淳之介らを輩出したことで知られる)や中山書店の編集者。 1960年、青山学院大学文学部英米文学科卒業。北原白秋の甥が経営する玄光社の『コマーシャルフォト』誌編集部で堀内誠一と出会う。薄給を理由に1年で同社を辞め、姉の紹介で中山書店に入社。『生物学大系』編集部を経て、8ヶ月で同社を退社。七曜社でのアルバイトを経て、1962年、重森弘淹や本多光夫(諸井薫)の紹介で新書館に入社。