雨宮 雅子(あめみや まさこ、1929年3月28日 - 20… 雨宮 雅子(あめみや まさこ、1929年3月28日 - 2014年10月25日)は、日本の歌人。日本文藝家協会、現代歌人協会会員。 東京市麹町区永田町生まれ。番町小学校、東京家政学院高等女学校を経て、昭和女子大学に入学。大学在学中、川上小夜子に師事。1949年、川上にともなわれ、「女人短歌」の創刊に参加。1950年、「林間」の創刊に参加するが、1961年ころから作歌を中断。 1970年、作歌を再開し、「林間」に復帰。1972年、夫である竹田善四郎とともに「鴟尾」を創刊し、22号まで発行する。同年、香川進に師事し、短歌結社「地中海」に参加した。現在は短歌結社誌「雅歌」の発行人をつとめている。 キリスト教の洗礼を受け、50年に亘って日本基督教団に所属したクリスチャンであったことが、短歌創作に大きく反映されてきた。
綾部 仁喜(あやべ じんき、1929年3月26日 - 201… 綾部 仁喜(あやべ じんき、1929年3月26日 - 2015年1月10日)は、東京出身の俳人。 八王子生まれ。國學院大學文学部卒業。1953年「鶴」に入会、石田波郷、石塚友二に師事。1974年、小林康治創刊の「泉」に入会。1977年より「泉」編集を担当、1980年から「泉」編集長。1990年、石田勝彦より「泉」主宰を継承。1994年『撲簡』により第34回俳人協会賞、2008年『山王林だより』により第23回俳人協会評論賞、2009年『沈黙』により第9回俳句四季大賞受賞。2014年「泉」主宰を藤本美和子に譲り同顧問となる。「かたくりの花の韋駄天走りかな」(『樸簡』所収)など、韻文性が強く余情の深い句風が特徴。
青柳 志解樹(あおやぎ しげき、1929年1月24日 - 2… 青柳 志解樹(あおやぎ しげき、1929年1月24日 - 2021年2月14日)は、日本の俳人・実業家。本名・青柳茂樹。長野県出身。 長野県南佐久郡穂積村(現・佐久穂町)に生まれる。旧制東京農業大学専門部修了。1957年東急グループの「五島ローズガーデン」に入社し、バラ栽培に従事する。1963年に独立し、造園業の「東京緑地」を設立するが、1983年に廃業し、文筆に専念する。 1953年、林邦彦を知り、加藤楸邨の「寒雷」に投句。また同郷の相馬遷子の影響を受ける。1957年「鹿火屋」に入会、原コウ子に師事。1979年「山暦」を創刊・主宰。1992年、句集『松は松』で第32回俳人協会賞、2014年『里山』で第3回与謝蕪村賞を受賞。
松村 禎三(まつむら ていぞう、1929年 <昭和4年> 1… 松村 禎三(まつむら ていぞう、1929年 <昭和4年> 1月15日 - 2007年 <平成19年> 8月6日)は、日本の作曲家、俳人。東京芸術大学名誉教授。 京都市(下京区仏光寺通室町西入ル)で生まれる。両親は京都の町人の出身であり、父は代々呉服屋の家系であった。父は尺八を、母は箏を嗜んでいた。禎三は、幼い頃から音楽に興味を示し、小学生で簡単な作曲は始めていた。京都時代は1945年から1949年まで高橋恒治にピアノを、1947年から1949年まで和声を長廣敏雄に師事。10歳の頃には父をがんで失い、1949年には母を結核で失う。1945年に旧制第三高等学校理科に入学。寮生活を通じて、音楽だけでなく様々な出会いと経験を積む。
蒔田 さくら子(まきた さくらこ、1929年1月11日 - … 蒔田 さくら子(まきた さくらこ、1929年1月11日 - 2021年8月8日)は、日本の歌人。本名・浜高家さくら子。東京都豊島区目白生まれ。 東京府立第三高等女学校(現在の東京都立駒場高等学校)卒業。 1946年(昭和21年) 「をだまき」に入社。高瀬一誌らと中河幹子(小説家・中河与一の妻)に師事。その後、「短歌人」に入会し小宮良太郎に師事した。 1953年(昭和28年)、「短歌人」が編集委員制度移行の際、編集委員に就任。以後55年間に渡って編集に携わる。 1982年(昭和57年)歌集『紺紙金泥』で第9回日本歌人クラブ賞。 1994年(平成6年)、歌集『鱗翅目』で第15回ミューズ女流文学賞。 1983年(昭和58年)より1987年(昭和62年)まで現代歌人協会理事。
加藤 郁乎(かとう いくや、1929年1月3日 - 2012… 加藤 郁乎(かとう いくや、1929年1月3日 - 2012年5月16日)は、日本の詩人、俳人、俳諧評論家。 東京府に生まれる。父は早稲田大学教授であり、長谷川零余子に師事した俳人加藤紫舟(本名・中庸)。 1951年、早稲田大学文学部演劇科卒業。卒業後は日本テレビに勤務し、また商事会社を経営。 俳句は父に教えを受けつつ、日野草城、西東三鬼、高柳重信の影響を受け、父の主宰誌『黎明』に新芸術俳句を発表。1950年に父が没してのちは『黎明』の主宰を継いだ。のちに詩を吉田一穂、西脇順三郎に師事した。昭和30年代には『俳句評論』『ユニコーン』などの前衛俳句誌にも参加した。初期の代表作に「冬の波冬の波止場に来て返す」「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」「天文や大食(タージ)の天の鷹を馴らし」などがあり、西欧詩に学んだ詩的実験を定型俳句で展開し、俳壇の内外で評判を得た。
橋本 喜典(はしもと よしのり、1928年11月11日 - … 橋本 喜典(はしもと よしのり、1928年11月11日 - 2019年4月8日)は、日本の歌人。 東京府生まれ。早稲田大学第一文学部国文学専修卒業後、早稲田中学校・高等学校教諭。大学在学中は早稲田大学短歌会に参加し、後輩の篠弘や来嶋靖生らとともに活動した。1948年、窪田章一郎に師事、『まひる野』に入会。師没後の2001年より2014年まで運営、編集委員長を務めた。1995年、歌集『無冠』で第22回日本歌人クラブ賞受賞。2004年、歌集 『一己』で第4回短歌四季大賞受賞。2009年、歌集『悲母像』で第24回詩歌文学館賞と短歌新聞社賞を受賞。2015年、「わが歌」で第51回短歌研究賞受賞。2017年、歌集『行きて帰る』で第28回斎藤茂吉短歌文学賞、第51回迢空賞を受賞。
神吉 拓郎(かんき たくろう、1928年(昭和3年)9月11… 神吉 拓郎(かんき たくろう、1928年(昭和3年)9月11日 - 1994年(平成6年)6月28日)は、日本の小説家、俳人、随筆家。
島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19… 島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19日 - 平成16年(2004年)9月12日)は、日本の歌人。洋画家で文化功労者の島田章三は実弟。 神奈川県横須賀市大津出身。父英之は浦賀船渠の客船インテリアデザイナー。母敏子は斎藤茂吉に師事した「アララギ」の歌人。四男一女の次男。 旧制横須賀中学校(34期)を卒業。国語教師は小田切秀雄であった。旧制静岡高等学校在学中の1943年に、北原白秋主宰の「多磨」に入会。小川国夫は高校の同級生である。1944年、兄・陽一(横中30期、海兵73期、海軍中尉、敷波乗組)を戦災で亡くす。江田島の海軍兵学校(77期)在学中には広島原爆を目撃した。 1948年の「コスモス」創刊に参加し、宮柊二に師事する。
今井 千鶴子(いまい ちづこ、1928年6月16日 - 20… 今井 千鶴子(いまい ちづこ、1928年6月16日 - 2025年7月4日)は、俳人。 元波止浜町長の今井五郎と俳人の今井つる女の長女として東京に生まれる。両親からの影響で早くから句作し、東京女子大学国語科を卒業後、星野立子主宰の「玉藻」社に勤務。高濱虚子の口述筆記を行うなどした。1989年、深見けん二らとともに「珊」創刊。2008年、句集 『過ぎゆく』により第8回俳句四季大賞受賞。他の句集に『吾子』『梅丘』『花の日々』など。「ホトトギス」「玉藻」同人。日本伝統俳句協会理事。愛媛俳壇、南日本新聞俳壇選者。娘の今井肖子も俳人。 2025年7月4日、肺炎により東京都内で死去。97歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
坊城 中子(ぼうじょう なかこ、1928年(昭和3年)5月1… 坊城 中子(ぼうじょう なかこ、1928年(昭和3年)5月12日 - 2021年(令和3年)8月16日)は、俳人。 神奈川県横浜市生まれ。俳人高浜虚子の孫で、俳人高浜年尾の長女。俳人稲畑汀子の姉。聖路加看護専門学校(現:聖路加看護大学)卒業。1950年、坊城としあつ(本名俊厚)と結婚。1955年より聖路加国際病院に勤務、総婦長を務める。1969年立正佼成会病院、1972年昭和大学烏山病院付属看護学校教務主任、1976年登戸病院看護部長、同年きぬ医師会病院看護学校副校長、2003年内藤病院総婦長。 幼少時より俳句に親しみ、1948年『ホトトギス』に投句、のち同人。夫としあつとともに同誌で活躍した。
前川 明人(まえかわ あきと、1928年3月28日 - 20… 前川 明人(まえかわ あきと、1928年3月28日 - 2025年2月10日)は、長崎原爆を体験した被爆者、歌人。長崎県長崎市出身・在住。2025年2月死去。享年96。 短歌会「未来」「幻桃」に所属。「幻桃」では顧問を務める。長崎県文芸協会常任委員。長崎歌人会相談役。長崎原爆忌文芸大会選者。歌集『褐色山脈』は長崎県文学奨励賞、『空間』は第18回長崎県文学賞を受賞した。 1928年、長崎市に生まれる。山里国民学校を卒業後長崎逓信講習所(長崎市麹屋町)に入学。1944年4月、長崎本博多郵便局に勤務。1945年6月、通信書記補に任官。空襲警報が鳴ると夜中でも鉄かぶとを頭にかぶり、足にはゲートルを巻いて、大浦・日の出町の自宅から同局まで走った。
石川 恭子(いしかわ きょうこ、1928年3月22日 - 2… 石川 恭子(いしかわ きょうこ、1928年3月22日 - 2020年4月14日)は、日本の歌人、医師。 東京府生まれ。小学校時代から作歌を始める。東京女子医学専門学校卒業。内科医として働くかたわら短歌を詠み、短歌結社『立春』、加藤克巳の『個性』をへて、歌誌『素馨(そけい)』主宰。1994年、歌集『木犀の秋』で第21回日本歌人クラブ賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
藤本 安騎生(ふじもと あきお、1928年3月4日 - 20… 藤本 安騎生(ふじもと あきお、1928年3月4日 - 2014年3月25日)は、日本の俳人。本名は井戸茂(いど しげる)。 兵庫県川西市生。関西大学法律学科卒。1979年、「運河」入会、右城暮石に師事。1982年、「運河」同人。2001年、「晨」同人。2003年、『深吉野』により第43回俳人協会賞。奈良を拠点に活動した。句集に『耳石』『夢の淵』『深吉野』『高見山』。2014年3月25日、心筋梗塞で死去。86歳。
角川 照子(かどかわ てるこ、1928年2月14日 - 20… 角川 照子(かどかわ てるこ、1928年2月14日 - 2004年8月9日)は、東京府渋谷町(現東京都渋谷区)出身の俳人。1949年、角川源義と結婚する(源義は再婚)。のち一男一女をもうけるが、いずれも成人前に亡くなっている。 1949年7月26日に、長男(源義から見ると三男)・道夫を殺害し逮捕される。 1979年、源義創刊の「河」主宰に就任。1987年、『花行脚』により第11回現代俳句女流賞を受賞した。代表句に「さいはての句碑に掛け置く春ショール」(『幻戯微笑』所収)などがあり、格調と叙情を兼ね備えた句風である。 2004年8月9日、荻窪の自宅にて死去した。75歳。墓所は小平霊園。「河」主宰は源義と先妻の息子である角川春樹が継いだ。
柿本 多映(かきもと たえ、1928年2月10日 - )は、… 柿本 多映(かきもと たえ、1928年2月10日 - )は、日本の俳人。本名は妙子。 滋賀県大津市に生まれる。実家は天台宗総本山の園城寺(三井寺)。1947年、京都女子専門学校(現・京都女子大学)卒業。当初は短歌に携わるが、1951年の結婚を機に作歌から遠ざかる。1976年、西武百貨店大津俳句教室にて句作を開始。1977年、赤尾兜子の「渦」入会。1981年に兜子が没してのちは橋閒石、桂信子に師事。「草苑」「白燕」「犀」同人を経て、現在は無所属。渦賞、滋賀県出版文化賞、現代俳句協会賞(1988年)、草苑賞、桂信子賞(2013年)、詩歌文学館賞(2014年)、現代俳句大賞(2017年)、蛇笏賞(2020年)、第65回毎日芸術賞などを受賞。
碓田 のぼる(うすだ のぼる、1928年2月5日 - )は、… 碓田 のぼる(うすだ のぼる、1928年2月5日 - )は、歌人、教育運動家。長野県生まれ。本名・登(教育関係の著作には本名を用いる)。 17歳で国鉄長野工場の見習工となり、夜間中学を経て東京物理学校(現・東京理科大学)を卒業。高校教諭を経て、全国私教連委員長、全教副議長などを歴任。渡辺順三に師事。新日本歌人協会全国幹事、日本民主主義文学会員、国際啄木学会会員。歌集『花どき』で多喜二・百合子賞受賞。左翼的な立場から短歌、石川啄木についての文芸評論を行う。 日本共産党の党員でもあり、1992年・1995年の参院選に比例区から出馬した。
馬場 あき子(ばば あきこ、1928年(昭和3年)1月28日… 馬場 あき子(ばば あきこ、1928年(昭和3年)1月28日 - )は、日本の歌人、評論家、能作家、教育者。勲等は旭日中綬章。歌誌かりん主宰(短歌結社:歌林の会)、日本芸術院会員、文化功労者。本名は岩田 暁子(いわた あきこ)。かつての本名は馬場 暁子(ばば あきこ)。 小学生時代に韻文の面白さに目覚め、『古今集』や『平家物語』の韻律に強く心を揺さぶられた。1948年に日本女子専門学校(現昭和女子大学)国文科卒業後、中学、高校で教鞭をとった。 窪田章一郎に師事し、その主宰誌「まひる野」に入会。1977年、歌作と著述に専念するために教職を辞した。翌年には歌誌「かりん」を創刊。歴史の裏側に追いやられてきた、紡ぎ、包丁を持つことに象徴される「女手」の意味を掘り返し、そこに思想の根元と創作の動機を見据えようとした。
今村 俊三(いまむら しゅんぞう、1928年1月25日 - … 今村 俊三(いまむら しゅんぞう、1928年1月25日 - 1990年12月24日)は日本の俳人。 大分県大分市生まれ。教職にあった父親の転勤にともない、中津市、若松市(現北九州市)、直方市などで幼少期・少年期を過ごし、終戦を福岡市で迎える。旧制福岡県立福岡中学校在学中に、右上葉浸潤、左肺上部空洞、左腎臓結核を併発、その後死去まで、結核と闘うことになる。 1946年、同中学校卒業。桂樟蹊子および石田波郷に師事。「霜林」「鶴」を経て、1979年、「桃滴舎」を創刊、主宰。1980年から1983年まで、西日本新聞のコラム「風車」を担当。句集10冊のほかに、「風車」のコラムをまとめた『桃滴コラム』、「桃滴舎」に連載したエッセイなどをまとめた『桃滴記』『桃滴日録』などの著書がある。
阿部 完市(あべ かんいち、1928年1月25日 - 200… 阿部 完市(あべ かんいち、1928年1月25日 - 2009年2月19日)は、俳人、精神科医。 東京生まれ。金沢医科大学付属医学専門部(現金沢大学医学部)卒。1950年より勤務先の病院の俳句グループで作句をはじめる。1951年、日野草城の「青玄」入会、1952年西村白雲郷の「未完」入会、1953年高柳重信の「俳句評論」入会。1962年、金子兜太の「海程」4号より入会、同人。1965年第2回海程賞、1970年第17回現代俳句協会賞。1974年より「海程」編集長。現代俳句協会、国際俳句交流協会、日本ペンクラブ会員。現代俳句協会では1997年から2008年まで副会長を務めた。句集に『無帽』『絵本の空』『純白諸事』『軽のやまめ』など、評論に『俳句幻形』『俳句心景』など。
岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 -… 岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 - 2020年(令和2年)7月10日)は、日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。2016年文化功労者選出。従四位叙位、旭日中綬章追贈。 17歳から歌作を始め、「アララギ」に参加。慶大医学部卒業後、内科医のかたわら、歌人として活躍する。浪漫的歌風の生活詠から次第にナショナリズムに傾き、先鋭的な思想性を短歌に導入し、前衛短歌運動の先頭に立った。一時は文学活動を停止したが、歌集『鵞卵亭』(1975年)を刊行して復帰。作風は柔和に転じた。著作に『海への手紙』(1962年)、『茂吉の歌私記』(1973年)などの評論、『岡井隆の短歌塾 入門編』(2012年)など入門書も多い。
堀内 雄之(ほりうち ゆうし、1928年〈昭和3年〉 - 1… 堀内 雄之(ほりうち ゆうし、1928年〈昭和3年〉 - 1992年〈平成4年〉)は日本の俳人。妻は俳人の堀内律子。愛媛県松山市出身。 愛媛県松山市にて生まれる。愛媛県立松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)卒業。 愛媛県庁の職員として勤務。1953年には、俳人の堀内律子と結婚。 1984年(昭和59年)、松山市を本拠地とする俳句の結社・俳誌 初花を創設。初代主宰に就任。 1992年(平成4年)、死去。 「子規堂の 小窓開けあり 葉鶏頭」の句碑が愛媛県松山市に建立されている。 妻は俳人の堀内律子。律子は2002年に、俳誌 初花の4代目主宰へ就任した。俳人の大本あきらの娘は、律子の生家へ嫁いでいる。
三浦 富美子(みうら ふみこ、1928年 - )は、日本の英… 三浦 富美子(みうら ふみこ、1928年 - )は、日本の英文学者、歌人、翻訳家。慶應義塾大学名誉教授。 日本女子大学卒業。メリーランド大学を経て、サンフランシスコ州立大学で英文学の修士号を取得。慶應義塾大学教授を務め、1994年定年となり名誉教授。ベティ・フリーダンの『The Feminine Mystique』を翻訳した(邦題『新しい女性の創造』)。 夫は英文学者の三浦新市。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
尾崎 左永子(おざき さえこ、1927年11月5日 - )は… 尾崎 左永子(おざき さえこ、1927年11月5日 - )は、日本の歌人、随筆家、放送作家。歌誌「星座」主筆、エッセイスト・クラブ常務理事。本名は尾崎磋瑛子(読みは同じ)。夫は慶應義塾大学経済学部名誉教授の尾崎巌。神奈川県鎌倉市在住。 東京府豊島区巣鴨に、宮内省に勤務する父・酒巻芳男(旧姓・飯島)、母・壽(旧姓・秋月)の四女として生まれる。母方の祖父は明治天皇の侍医であった。 東京女学館中等科を1学年飛び級し、東京女子大学国語科入学。大学では松村緑、西尾実の指導を受けた。また関鑑子に声楽を学んだ。戦後は大学の演劇部に所属し、木下順二、山本安英、薄田研二らの指導を受けた。大学在学中に歌誌「歩道」に入会し、佐藤佐太郎に師事。
福田 甲子雄(ふくだ きねお、1927年8月25日 - 20… 福田 甲子雄(ふくだ きねお、1927年8月25日 - 2005年4月25日)は、日本の俳人。 山梨県中巨摩郡飯野村(現・南アルプス市飯野)に生まれる。1947年より、飯田蛇笏選「春夏秋冬」に投句をはじめ、「雲母」に入会、蛇笏に師事。1960年より飯田龍太選に投句し龍太に師事、1963年より終刊まで「雲母」編集同人。1969年、第5回山盧賞を受賞、2002年、第25回野口賞を受賞。 1971年6月、第一句集『藁火』を出版。その後、数々の句集や評論集などを出版。1992年、「雲母」終刊。その後は、盟友・廣瀬直人の主宰誌「白露」の同人として活躍。作品は、重厚な風土性と格調の高さが特徴であると評される。
中山純子(なかやま じゅんこ、1927年7月15日 - 20… 中山純子(なかやま じゅんこ、1927年7月15日 - 2014年7月28日)は、石川県出身の俳人。本姓木村。金沢市生。旧制金沢第一高等女学校(現金沢二水高等学校)卒。生家の経王寺の法燈を継ぐ。1948年、「風」入会、沢木欣一、細見綾子に師事。代表句「念佛のさまよひおつる雪解川」など。具象を超えその奥にあるものを追求。1975年、『沙羅』により第15回俳人協会賞受賞。1989年、泉鏡花市民文学賞受賞。「風」系の「万象」名誉主宰も務めた。句集に『茜』『沙羅』『瓔珞』『華鬘』『晩晴』がある。急性汎発性腹膜炎により死去。87歳。
秋元 大吉郎(あきもと だいきちろう、1927年(昭和2年)… 秋元 大吉郎(あきもと だいきちろう、1927年(昭和2年)4月16日 - 2023年(令和5年)12月19日)は、日本の政治家、俳人。元千葉県流山市長。 千葉県東葛飾郡流山町(現流山市)出身。旧制東葛飾中学校卒業。流山市議会議員1期、千葉県議会議員2期を経て、1983年(昭和58年)流山市長に当選し、2期務めた。2005年、旭日小綬章受章。 俳人としても知られ、1949年(昭和24年)蕾俳句会結成、高梨花人師より手解きを受く。日本ペンクラブ会員。 2023年12月19日、老衰のため死去。96歳没。
堀井 春一郎(ほりい しゅんいちろう、1927年2月19日 … 堀井 春一郎(ほりい しゅんいちろう、1927年2月19日 - 1976年5月15日)は、東京都出身の俳人。 麻布区(現港区)生まれ。1951年、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。尾鷲高等学校で教員となり、杉野女子短期大学、戸板女子短期大学で教えた。 1936年、宗久月丈と長谷川かな女に師事する。1945年「水明」に投句。1950年、山口誓子の「天狼」に入会。1955年「氷海」に入会。1956年、天狼賞受賞。1957年「天狼」同人。秋元不死男の「氷海」、「琅玕」にも参加。1973年、総合誌『季刊俳句』を創刊するも4号で終刊。 「天狼」に傾倒してから、それ以前の句はすべて捨てたという。天狼調ながら、境涯的な情感のこもった句を作った。
川崎 展宏(かわさき てんこう、本名ではのぶひろ、1927年… 川崎 展宏(かわさき てんこう、本名ではのぶひろ、1927年1月16日 - 2009年11月29日)は、日本の俳人・国文学者。広島県出身。 呉市生まれ。父は海軍士官。1953年、東京大学文学部国文学科卒業。1958年、同大学院満期退学。米沢女子大学、共立女子大学を経て、明治大学法学部教授。 東京府立第八中学校(現・東京都立小山台高等学校)で加藤楸邨に教わり、のちに俳句を楸邨に師事、「寒雷」に参加する。1970年、森澄雄の「杉」創刊に参加、編集を務める。1980年、超結社の同人誌「貂」を創刊、2003年まで代表を務め、2004年より名誉代表となる。1991年、句集『夏』で読売文学賞受賞。1998年、句集『秋』で詩歌文学館賞、評論『俳句初心』で俳人協会評論賞受賞。
森 静朗(もり しずろう、1927年1月11日 - 2007… 森 静朗(もり しずろう、1927年1月11日 - 2007年11月26日)は、日本の経済学者、俳人、詩人。 北海道岩内郡岩内町出身。俳号・句城子。日本大学卒、1959年同大学院金融論専攻博士課程満期退学、75年「庶民金融思想史」で経済学博士。日本大学商学部助教授、教授。1997年定年、名誉教授。俳人として、1943年原石鼎、原コウ子に入門、鹿火屋に所属。そのほか、叙事詩も書いた。
米田 利昭(よねだ としあき、1927年1月6日 - 200… 米田 利昭(よねだ としあき、1927年1月6日 - 2000年4月13日)は、昭和・平成期の歌人、日本文学研究者。 東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区西ヶ原)生まれ。1948年東京大学文学部国文学科卒業。東京大学時代は、東大アララギ会を中心としたグループ「芽」の中心人物で、岡井隆などと交友を持った。後に未来短歌会に参加。東大大学院を経て、東京都立北園高等学校教諭、宇都宮大学助教授、教授、名誉教授を歴任。1992年定年、駒沢女子大学教授を務めた。闊達な語り口で「リショー氏」と呼ばれた。 斎藤茂吉、土屋文明など主にアララギ系の詩歌を論じた。1968年に発表した『戦争と歌人 渡辺直己の生涯と芸術』では、日中戦争で戦死したアララギ歌人・渡辺直己の戦争詠が、ニュース映画や『西部戦線異状なし』等の戦争映画に影響されたフィクションであったことを実証し、アララギのリアリズムを問い直す問題提起を行った。
飴山 實(あめやま みのる、1926年(昭和元年)12月29… 飴山 實(あめやま みのる、1926年(昭和元年)12月29日 - 2000年(平成12年)3月16日)は、日本の俳人、化学者。山口大学名誉教授(農芸化学)。 石川県小松市生まれ。第四高等学校を経て、1950年、京都大学農学部農芸化学科卒。化学者としては酢酸菌の研究を専門とし、大阪府立大学助手、静岡大学助教授を経て、1969年、山口大学農学部教授。1988年、「酢酸菌の生化学的研究」にて日本農芸化学会功績賞、中国文化賞を受賞。1990年、山口大学を定年退職、関西大学工学部教授を務めた。2000年3月16日、腎不全により死去。 句作は高校在学中、『芭蕉七部集』を読み、寮の宿直だった大河寥々の指導を受けて始めた。
穴井 太(あない ふとし、1926年12月28日 - 199… 穴井 太(あない ふとし、1926年12月28日 - 1997年12月29日)は、日本の俳人。 大分県玖珠郡(現・九重町)に生まれる。幼時に福岡県戸畑に転居。中央大学専門部経済科卒業後、肺浸潤のため帰省、療養ののち中学校教師の職に就く。1954年、横山白虹の「自鳴鐘」入会。1956年、北九州市で益田清らと「未来派」を創刊。1963年金子兜太の「海程」同人。1965年「天籟通信」をハガキ版で発行(のち俳誌形態となる)。1968年第4回海程賞受賞。1974年第20回現代俳句協会賞受賞。石牟礼道子を俳句に導き『天』(1986)を刊行したことでも知られる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
澁谷 道(しぶや みち、1926年11月1日 - 2022年… 澁谷 道(しぶや みち、1926年11月1日 - 2022年12月29日)は、日本の医師、俳人。京都府京都市下京区麩屋町に生まれる。大阪市在住。 大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)に在学中、八木三日女らとともに学生俳句会に参加し、精神科の教授であった平畑静塔の指導を受ける。1948年に同校卒業、のちに小児科内科澁谷医院を開設。この年に創刊された山口誓子の「天狼」に投句をはじめる。1949年、西東三鬼の雷光句会に参加。1952年「夜盗派」に同人参加。1959年「縄」創刊同人。1967年、橋閒石より連句の指導を受ける。1977年、金子兜太の「海程」同人。1978年、「白燕連句会」に入会し連句の実作を行う。
川島 喜代詩(かわしま きよし、1926年10月29日‐20… 川島 喜代詩(かわしま きよし、1926年10月29日‐2007年4月24日)は昭和から平成期の日本の歌人である。出版業に携わりながら佐藤佐太郎門下で活躍した。後「歩道」を離れ「運河」を結成、同人として活躍した。 第一歌集『波動』を上梓した42歳の川島喜代詩はその後記のなかで、「なぜ歌をつくるのか」と自らに問い「歌は生のあかし・・・。歌をつくる営みは世界の深奥とかかわる、この5句31音の詩型が世界への飛翔を可能にしてくれる・・・。歌が生をささえる」と述べている。 20代はじめから佐藤佐太郎の短歌に親しみ、「歩道」に入門した川島喜代詩は、正師の「純粋短歌」の写実に徹し、都会的な景物から次第に自然、世界の事物を見る目を深め、天性のしなやかな語調で自らの生の憂いをうたう短歌を詠んだ。
宇佐美 魚目(うさみ ぎょもく、1926年9月14日 - 2… 宇佐美 魚目(うさみ ぎょもく、1926年9月14日 - 2018年10月19日)は、愛知県出身の俳人、書家。本名は和男。名古屋市生まれ、愛知県第一中学校卒。19歳のとき父・野生の勧めで俳句をはじめ、翌年より「ホトトギス」に投句、高濱虚子、橋本鶏二に師事。また「牡丹」「桐の葉」でも学ぶ。1954年、愛知県愛知郡鳴海町(現、名古屋市緑区鳴海町)にて書道塾を開く。書は武市秀峰に師事。蜻蛉会、舟上会主宰(幹事長:宮川一水)。「桐の花」「鷹」「雪」を経て、1957年に鶏二の「年輪」創刊に参加、編集を担当。また野見山朱鳥に兄事。1958年、第1回年輪賞、第1回四誌連合会賞受賞。1963年、波多野爽波の「青」同人参加。
長谷川秋子(はせがわあきこ、1926年(大正15年)8月28… 長谷川秋子(はせがわあきこ、1926年(大正15年)8月28日 - 1973年(昭和48年)2月2日)は、日本の俳人。 東京生まれ。父は俳人の沢本知水。立教高等女学院に学ぶ。昭和21年、長谷川零余子、かな女の嗣子、フルート奏者の長谷川博と結婚。子は小説家の三田完。 昭和44年、長谷川かな女の逝去にともなって、「水明」を継承主宰。昭和45年、離婚。昭和48年、喘息の発作により46歳で急逝。 句集に『菊凪ぎ』(昭和42年)『鳩吹き』(46年)がある。『長谷川秋子全句集』(牧羊社 昭和51年)がある。「時に奔放な叙法を用いながら、情感や、憤りや、あこがれ、を伴って自己を強烈に焼きつけてゆく秋子俳句は、悲しみを突きぬけてゆく持前の強い野性味のなかから生れていった」(星野紗一)と評される。
杉原 一司(すぎはら かずし、1926年(大正15年)8月2… 杉原 一司(すぎはら かずし、1926年(大正15年)8月27日 - 1950年(昭和25年)5月21日)は、日本の歌人。塚本邦雄の盟友としてその作風に影響を与えた。 鳥取県八頭郡丹比村大字南(現:八頭町)出身。鳥取県立商業学校(現:鳥取県立鳥取商業高等学校)在籍時、岸本光治、中林則男らと短歌を作り始める。一学年上には新野幸次郎(元神戸大学学長、『花軸』同人)がいた。 1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)に安部国民学校(現:八頭町立安部小学校)に勤務。この頃、石塚敏夫(安部国民学校の同僚)の紹介で前川佐美雄を知り、手紙のやり取りが始まる。 1945年(昭和20年)2月12日に安藤令子と結婚。
三好 潤子(みよし じゅんこ、1926年8月15日 - 19… 三好 潤子(みよし じゅんこ、1926年8月15日 - 1985年2月20日)は、日本の俳人。本名、三好みどり。 大阪府大阪市に生まれる。 1939年に大阪市三先尋常小学校を、1947年に大阪女学院(ウヰルミナ女学院)を卒業する。小学校在学中の1935年には急性虫垂炎や右腎結核を、女学院在学中には中耳結核や急性肝炎を患い、生涯病に悩まされる。 また1938年1月8日には自宅が大阪市港区夕凪橋の自宅を延焼により失い、1941年に再建。その自宅を旅館「夕凪橋」として母が経営することとなったが、1947年に5人組の強盗に押し入られる。自身は2階におり難を逃れたため、機転を利かせて逮捕に協力。このことから、母とともに警察から表彰されたが、その時の築港警察署の司法主任が後に師事することとなる榎本冬一郎であった。
富小路 禎子(とみのこうじ よしこ、1926年8月1日 - … 富小路 禎子(とみのこうじ よしこ、1926年8月1日 - 2002年1月2日)は、昭和・平成期の歌人。敗戦で没落した旧華族に生きる青春の歌などで知られる。 東京府東京市淀橋区(現・東京都新宿区)上落合出身。女子学習院高等科卒。生まれた富小路家は歌道の家の流れを汲む子爵家で、父富小路隆直(1885年生)は元貴族院議員。しかし太平洋戦争中に母のふさよ(1890年生)を病気で亡くし、終戦後は父の失職などにより没落し、旅館の女中などを経て日東化学工業(現・三菱レイヨン)に勤務、定年まで勤めた。植松寿樹に師事し、1946年歌誌『沃野』創刊に参加、のち編集委員、発行人となる。「女人短歌」にも参加した。 1992年「泥眼」で第28回短歌研究賞。
山田 みづえ(やまだ みづえ、1926年7月12日 - 20… 山田 みづえ(やまだ みづえ、1926年7月12日 - 2013年5月18日)は、日本の俳人。 宮城県仙台市生まれ。国語学者・山田孝雄の次女。兄に山田忠雄、山田英雄、山田俊雄がいる。宇治山田高等女学校(現・三重県立宇治山田高等学校)卒業。1957年、石田波郷に師事する。俳誌『鶴』を経て、1979年に『木語』を創刊、主宰する。同誌は2004年に終刊した。門下に石田郷子、本郷をさむなどがいる。1968年、「梶の花」50句で第14回角川俳句賞、1976年、句集『木語』にて第15回俳人協会賞受賞。他の句集に『忘』『木語』『手甲』『草譜』『昧爽』『中今』などがある。2013年5月18日、老衰のため死去した。
逸見 久美(いつみ くみ、1926年7月12日 - 2025… 逸見 久美(いつみ くみ、1926年7月12日 - 2025年11月3日)は、日本の歌人・日本近代文学研究者。特に与謝野鉄幹・晶子の研究では第一人者である。 翁久允の三女として兵庫県芦屋に生まれる。1947年青山学院女子専門部国文科卒、1950年早稲田大学文学部国文科卒、1953年同大学院修士課程修了、1973年実践女子大学大学院国文科博士課程終了、1977年「評傳與謝野鐵幹晶子」で文学博士の学位を取得する。女子聖学院短期大学教授、徳島文理大学教授、聖徳大学教授。 1948年に金沢の百貨店「大和」の出版部勁草書房設立の際の中心人物だった逸見俊吾(富山県出身、1923-2002)の妻。俊吾はのち青林書院を設立するが1961年倒産、青林書院新社(1984年青森書院に改称)となり、1964年社長に復帰、のち会長。
茂野 六花(しげの ろっか、1926年(大正15年)7月1日… 茂野 六花(しげの ろっか、1926年(大正15年)7月1日 - 1985年(昭和60年)11月24日)は、日本の俳人、医師、法医学者。医学博士。第9代新潟大学学長、新潟大学医学部第12代学部長。本名は茂野 錄良(しげの ろくろう)。 新潟県新潟市出身。1943年(昭和18年)11月に新潟中学校を繰り上げ卒業、1945年(昭和20年)10月に海軍兵学校を卒業、1950年(昭和25年)3月に新潟医科大学を卒業。 1951年(昭和26年)7月に新潟大学新潟医科大学法医学教室助手に就任、同年9月から同教室教授で俳人の高野素十から俳句の指導を受け、「六花」の俳号を授かった。 1953年(昭和28年)4月に新潟大学医学部法医学教室助手に就任、1954年(昭和29年)8月に新潟大学医学部法医学教室(担任:山内峻呉教授)講師に就任。
山本 かね子(やまもと かねこ、1926年6月13日 - 2… 山本 かね子(やまもと かねこ、1926年6月13日 - 2020年1月29日)は、昭和期から平成期の歌人。歌誌『沃野』編集・発行人を務めた。 新潟県妙高市赤倉生まれ。1937年から千葉県市川市に移り、国府台女子学院卒。戦後の1946年、「若草青年会」「青い鳥子供会」を作り、金子洋文を会長に発足した「児童文化普及会」に参加、主事として演劇活動などに従事する。1949年に日東化学工業に入社し、余暇に演劇活動を続け、総合芸術研究所で学ぶ。1951年、職場で「日東短歌会」に参加。歌誌『沃野』に入会し、植松寿樹に師事する。1959年、超結社の「新歌人会」に入会。 1963年、沃野賞受賞。1964年歌集『ものどらま』で新歌人会賞受賞。
伊藤 白潮(いとう はくちょう、1926年3月29日 - 2… 伊藤 白潮(いとう はくちょう、1926年3月29日 - 2008年8月12日)は、俳人。 千葉県横芝町(現・横芝光町)生まれ。本名・和雄。千葉大学教育学部卒。1948年田中午次郎に師事。50年『鴫』同人。75年『鴫』を復刊し、主宰となる。俳人協会評議員、市川市俳句協会会長。
林 徹(はやし てつ、1926年3月4日 - 2008年3月… 林 徹(はやし てつ、1926年3月4日 - 2008年3月20日)は、石川県出身の俳人、医師。本名哲夫。 山東省青島に生まれ、石川県金沢市にて育つ。金沢医科大学附属医学専門部を卒業ののち耳鼻科医。金沢、浜松、広島の病院で勤めた。 医局員時代の1950年、「風」に入会し沢木欣一に師事。1985年、「雉」を創刊、主宰。2000年、『飛花』により第40回俳人協会賞を受賞。代表句に「炎天や生き物に眼が二つづつ」「ちかぢかと馬の顔ある暮の秋」などがあり、即物具象を信条とした。句集に『架橋』『直路』『群青』『飛花』がある。 2008年3月20日、大腸癌により死去。82歳。
春日 真木子(かすが まきこ、1926年2月26日 - )は… 春日 真木子(かすが まきこ、1926年2月26日 - )は、日本の歌人。歌誌『水甕』代表。尾上柴舟系の歌誌の親睦団体「柴舟会」会長。父は岩谷莫哀門下の歌人・松田常憲。娘の春日いづみも歌人。宗教はキリスト教。 鹿児島県鹿児島市薬師町生まれ。本姓・松田。1歳から12歳まで愛知県名古屋市で育つ。三輪田高等女学校(のちの三輪田学園中学校・高等学校)から千代田女子専門学校(のちの武蔵野大学)に入学するも、1年修了後に太平洋戦争による空襲激化のために中退。三井鉱山の人事部に勤務する。1945年6月、疎開のため退社。 1946年10月に20歳で結婚。1949年に長女いづみが生まれるも、1954年に夫と死別。
藤岡 武雄(ふじおか たけお、1926年2月14日 - )は… 藤岡 武雄(ふじおか たけお、1926年2月14日 - )は、歌人、日本近代文学研究者、日本大学名誉教授。歌誌『あるご』主宰。斎藤茂吉研究の権威として知られる。日本歌人クラブ第4代会長。 山口県大津郡日置村(現長門市)生まれ。山口師範学校を経て、日本大学文学部国文科卒。同大学院修士課程修了。日大文理学部助教授、教授を歴任。1990年『評伝斎藤茂吉』で日大文学博士。1996年定年退任、名誉教授。1991年に三島市立山田中学校の校歌を作詞。2003年「書簡にみる斎藤茂吉」で第14回斎藤茂吉短歌文学賞、第1回日本歌人クラブ評論賞受賞。2017年『斎藤茂吉―生きた足あと』を中心とした永年の功績に対して第8回日本歌人クラブ大賞受賞。
小島 恒久(こじま つねひさ、1926年〈大正15年〉1月2… 小島 恒久(こじま つねひさ、1926年〈大正15年〉1月20日 - 2019年〈平成31年〉3月2日 )は、日本の経済学者、社会運動家、歌人。九州大学名誉教授、元社会主義協会代表・顧問、元労働者運動資料室理事長。正四位。 1926年佐賀県生まれ。1945年長崎経済専門学校在学中に原爆に被爆。1950年九州大学経済学部卒業、続いて大学院特別研究生となり向坂逸郎に師事。1955年より九州大学教養部に勤務、経済学を講じる。講師、助教授、教授を務め、1989年に定年で退官。続いて熊本学園大学教授となり、1996年まで勤務し再度の定年で退職。 九州大学在職中、三井三池炭鉱・四山鉱の労働者教育に関わるなど、研究、社会活動の両面で向坂逸郎の志を積極的に継承する。
藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 20… 藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 2005年4月15日)は、日本の俳人。水原秋桜子に師事。俳誌「鷹」を創刊・主宰。本名・良久。神奈川県出身。 父源太郎、母ミネの長男として、神奈川県小田原町(現 小田原市)に生まれる。1942年、中学在学中に「馬酔木」に入会し、水原秋桜子に師事。石田波郷に兄事。1945年、工学院工専(現工学院大学)を中退、東部第八七部隊を経て鉄道省に勤務。1947年、「馬酔木」4月号で巻頭。1948年、馬酔木賞を受賞、翌年より「馬酔木」同人。1951年、「馬酔木」第1回新樹賞受賞。1955年、第4回新樹賞受賞。同年「馬酔木」編集次長就任。1957年、「馬酔木」編集長就任、第4回馬酔木賞受賞。