内村 直也(うちむら なおや、1970年4月3日 - )は、… 内村 直也(うちむら なおや、1970年4月3日 - )は、日本の柔道家。現役時代は65kg級の選手。身長168cm。現在は大阪産業大学のスポーツ健康学部スポーツ健康学科の准教授。 愛知県出身。津島柔道会で柔道を始めた。佐屋中学から中京高校へ進むと、1年の時には早くもインターハイ軽量級で2位になる活躍を見せるが、2年と3年の時には上位へ進めなかった。団体戦の国際高校柔道選手権大会では優勝を飾った。筑波大学へ進学すると、1年の時には新人体重別60kg級で優勝した。世界ジュニアでは準決勝でソ連のニコライ・オジョギンに判定で敗れて3位だった。2年になると、正力杯で2位になった。新人体重別では3位に終わり2連覇はならなかった。
賀持 道明(かもち みちあき、1970年1月16日‐)は、埼… 賀持 道明(かもち みちあき、1970年1月16日‐)は、埼玉県出身の柔道選手。現役時代は95kg級の選手。身長184cm。得意技は背負投。 小学生の時は相撲をやっていて全国大会に出場したこともある。柔道は中学の時に始めるが、大宮工高時代まではこれと言った実績を残せなかったが、日本大学進学後に頭角を現してきて、嘉納杯で2位になったり、世界学生や正力国際で優勝するなど実績を上げ、大学4年の時には世界選手権代表に選ばれるが5位に終わる。翌年は体重別で敗れてバルセロナオリンピックには出場できず。その後も上位で活躍するが再び代表に選出されることはなかった。 1997年にはロシア国際において日本選手として公式試合で初めてカラー柔道着を着用した(その試合は勝利するが結果は5位に終わる)。
鈴木 香(すずき かおり、1969年11月22日 - )は、… 鈴木 香(すずき かおり、1969年11月22日 - )は、東京都江東区出身の日本の柔道家。現役時代は72kg超級の選手。身長165cm。体重95kg。得意技は寝技。妹の美佐子も72kg超級の強化選手だった。 江東区で生まれたが、幼稚園の時に千葉の松戸へ移った。松戸馬橋高校に入学した時点でかなり太っていたこともあって痩せるために柔道を始めてみたが、監督である菊川慶一の指導の下で1年もしないうちに全国高校選手権60kg超級で優勝するまでになった。2年の時には強化選手選考会72kg超級で優勝すると、福岡国際でも3位となった。3年の時には金鷲旗の女子個人戦で優勝を飾った。1988年に筑波大学に進学すると、正力杯で2連覇を達成した。
関口 佐智子(せきぐち さちこ、1969年11月17日 - … 関口 佐智子(せきぐち さちこ、1969年11月17日 - )は、東京都出身の日本の柔道家。66kg級の選手。身長167cm。娘は78㎏級の池田紅。 江戸川女子高校2年の時に、都道府県対抗全日本女子柔道大会に東京都代表で天野安喜子や田辺陽子などとともに出場して優勝を飾った。高校選手権の61kg級では5位にとどまった。3年の時には都道府県対抗全日本女子柔道大会で2連覇を飾った。強化選手選考会の66kg級では決勝まで進むが、小佐野中学3年の阿部由記子に敗れた。 国際武道大学2年の時には強化選手選考会の66kg級決勝で釜石南高校2年の阿部由記子に敗れて2位だった。3年の時には強化選手選考会の決勝で筑波大学2年の大石愛子に敗れた。
下出 善紀(しもで よしのり、1969年10月27日 - )… 下出 善紀(しもで よしのり、1969年10月27日 - )は、日本の柔道家(6段)。石川県河北郡内灘町出身。
吉田 秀彦(よしだ ひでひこ、1969年9月3日 - )は、… 吉田 秀彦(よしだ ひでひこ、1969年9月3日 - )は、日本の男性柔道家、総合格闘家。愛知県大府市出身。1992年バルセロナオリンピック柔道男子78kg級金メダリスト。柔道七段。現在は吉田道場師範、パーク24柔道部総監督。 共長小学校-大府西中学校-講道学舎入門-世田谷区立弦巻中学校(中学3年時に転校) -世田谷学園高校-明治大学。その間、戦歴は1984年全中(-65kg級)準優勝、1987年インターハイ(軽重量級)優勝、1987、1988年全日本ジュニア(-78kg級)優勝、1988、1990年世界学生選手権(-78kg級)優勝など。 1991年から1997年まで新日鉄に所属。1992年バルセロナオリンピックに出場して初戦から決勝まですべて一本勝ちを収め、金メダルを獲得した。
矢崎 利加(やざき りか、1969年6月7日 - )は、長野… 矢崎 利加(やざき りか、1969年6月7日 - )は、長野県茅野市出身の日本の柔道家。現役時代は72kg級の選手。 柔道は小学校3年の時に父と兄の影響で始めた。中学の時はバレーボールにも取り組んでいた。東海大第三高校へ入学すると、団体競技は向いていないと判断して柔道に専念することになった。3年の時には 強化選手選考会の決勝で国際武道大学2年の佐藤昭子を破って優勝を飾った。 1988年には国際武道大学へ進学すると、1年の時には強化選手選考会の決勝で大学の2年先輩となる佐藤に敗れて2位だった。正力杯には61kg超級に出場して3位となると、体重別でも3位だった。2年の時には体重別で3位、正力杯61kg超級では決勝で筑波大学2年の鈴木香に敗れて2位、無差別で争われる全日本学生選手権では3位となった。
土川 美和子(つちかわ みわこ、1969年6月5日 -)は愛… 土川 美和子(つちかわ みわこ、1969年6月5日 -)は愛知県出身の日本の柔道家。身長155cm。現役時代は56kg級の選手。 桜丘高校1年の時に全国高校選手権60kg級の準決勝で京都商業高校2年の小林貴子に判定で敗れて3位だった。2年の時には全国高校選手権の56kg級で優勝を飾った。また、この年から3年連続で体重別で3位に入った。1988年に筑波大学に入学すると、2年の時には正力杯の決勝で大学の1年後輩である立野千代里に敗れて2位だった。強化選手選考会では決勝で柳川高校2年の松永真理子を破って、シニアの全国大会初優勝を飾った。4年の時には体重別の決勝で立野に敗れた。強化選手選考会でも決勝でミキハウスの薮下めぐみに敗れて2位だった。
山部 伸敏(やまべ のぶとし、1969年4月4日 - )は、… 山部 伸敏(やまべ のぶとし、1969年4月4日 - )は、熊本県出身の、日本の柔道選手である。階級は65kg級。身長167cm。 柔道は小学校1年の時に始めた。一の宮中学3年の時に全国中学校柔道大会55kg級で3位になった。 鎮西高校から鹿屋体育大学へ進むと、1年の時には正力杯66kg級で3位に入った。2年の時には正力杯で3位だったが、正力国際では決勝まで進むもソ連のグラム・モデバーゼに敗れて2位だった。3年の時には正力国際の決勝で筑波大学3年の大幡悦雄に判定で敗れるも、団体戦では優勝した。4年の時には正力国際の個人戦で3位だったが、団体戦では再び優勝を飾った。 1992年に鹿屋体育大学の大学院へ進むと、体重別では3年連続3位になった。
浦野 弥生(うらの やよい、1969年3月30日 - )は、… 浦野 弥生(うらの やよい、1969年3月30日 - )は、日本の柔道家、女子レスリング選手。中延学園高校、日本体育大学卒業。神奈川県川崎市出身。1990年から1996年まで女子レスリング世界選手権において、重量級3階級(75・70・65 kg級)で金メダル6個、銀メダル1個を獲得した。世界女子レスリングの90年代の第一人者。吉田沙保里らに破られるまでは世界選手権金メダル数でギネス記録に載っていたこともある。 中延学園高等学校(のちの朋優学院高等学校)在学時は陸上競技で活躍し(1年下の後輩に元女子マラソン日本記録保持者である朝比奈三代子がいる)、日本体育大学入学より柔道部に入り、本格的に格闘技の道に入ることとなる。
遠藤 為成(えんどう ためなり、1969年 - )は日本の歯… 遠藤 為成(えんどう ためなり、1969年 - )は日本の歯科医師、柔道家。えんどうインプラント矯正歯科クリニック院長。美容外科えんどうデンタルサロン院長。朝日大学非常勤講師。遠藤塾道場代表。妻は副院長である。子二人。
山本 旗六(やまもと きろく、1968年12月6日 - )は… 山本 旗六(やまもと きろく、1968年12月6日 - )は、広島県安芸郡出身の、日本の柔道選手である。階級は86kg級。身長177cm。 小学校2年の時に兄とともに野坂道場で柔道を始めた。 近代福山高校へ進むと、2年の時には同級生の三谷浩一郎や葉山充などとともに活躍して、高校選手権の団体戦で3位となった。3年の時には金鷲旗の決勝で世田谷学園高校と対戦すると両チームとも引き分けが続いて延長戦まで縺れ込むが、相手エースの石田輝也に山本が判定負けを喫して優勝はならなかった。続くインターハイ団体戦でも決勝で世田谷学園高校と対戦して山本をはじめ他の部員は引き分けるも、三谷が石田に合技で敗れたため1-0で2位に終わった。
三谷 浩一郎(みたに こういちろう、1968年11月18日 … 三谷 浩一郎(みたに こういちろう、1968年11月18日 - )は日本の柔道家(五段)。広島県出身。NEXCO東日本柔道部監督。2006年に近畿大学の監督に就任 広島県福山市の瀬戸内海に面した小さな町で、鉄工所を経営する家に生まれる。小学校1年次から町内の柔道場に通い始めるが、父が町内で野球のスタープレイヤーだった事もあり、幼少時代は柔道と野球の二足の草鞋を履いていた。11歳の時に父が他界してからも柔道より野球の方が熱心で、鞆中学校時代は補欠ながらも3年間野球部に籍を置いていた。 高校受験で近大福山を受けた際、面接で「柔道の黒帯を持っている」とハッタリをかまし合格。これにより超強豪柔道部での3年間が義務付けられ、その後の三谷の柔道人生が大きく変わる事となる。
杉野 健次郎(すぎの けんじろう、1968年11月2日 - … 杉野 健次郎(すぎの けんじろう、1968年11月2日 - )は、福岡県出身の日本の柔道選手である。階級は71kg級。身長172cm。 大牟田高校3年の時にインターハイ中量級で優勝を飾った。国士舘大学へ進学すると、3年の時には正力杯71kg級決勝で筑波大学4年の酒井英幸に敗れた。正力国際では3位だった。4年の時には正力国際の決勝で国際武道大学3年の高越永吉を横四方固で破って優勝した。1991年には国士舘大学の研究生となった。引退後は大牟田高校の柔道部監督に就任した。 (出典、JudoInside.com)。
中橋 政彦(なかはし まさひこ、1968年10月23日 - … 中橋 政彦(なかはし まさひこ、1968年10月23日 - )は香川県坂出市出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級の選手。身長183cm。妹は選抜体重別61kg級で優勝経験のある中橋治美。 高松商高3年の時にインターハイ軽重量級で2位になった。1987年に筑波大学へ進学すると、4年の時に正力杯86kg級で3位になった。1991年には国体要員として香川県スポーツ振興財団の所属となると、1992年には講道館杯と選抜体重別でそれぞれ3位となった。嘉納杯では決勝まで進みバルセロナオリンピック銅メダリストであるカナダのニコラス・ギルと対戦すると、大内刈で効果を先取するが、その後内股を小外掛で切り返されるもそれがポイントにはならず、辛うじて優勝を果たした。
坂上 洋子(さかうえ ようこ、1968年8月29日 - )は… 坂上 洋子(さかうえ ようこ、1968年8月29日 - )は、長崎県出身の元柔道選手。身長163cm、体重95kg。得意技は大外刈。現姓・石角。日本マスターズ柔道協会会員。 長崎市立西北小学校1年の時に柔道を始めた。その後、長崎市立岩屋中学校、長崎県立長崎西高等学校を経て筑波大学卒業。 1992年バルセロナオリンピック女子柔道72kg超級で、準決勝で抑え込まれて完敗するも、3位決定戦ではポーランドのベアタ・マクシモフを逆に抑え込み一本で破り銅メダルを獲得した。 引退後は阪神・淡路大震災に被災したことをきっかけに、アマチュア無線の免許を取得。パネルディスカッションにパネラーとして出演し、災害時にアマチュア無線をどう生かすか、またその際の問題点などについて、被災の実体験を元に語っている。
乙黒 靖雄(おとぐろ やすお、1968年7月22日 - )は… 乙黒 靖雄(おとぐろ やすお、1968年7月22日 - )は、東京都出身の日本の柔道選手(柔道家)。現役時代は60kg級の選手。身長168cm。 池内道場で柔道を始めた。三鷹市立第一中学校から東京農業大学第一高等学校へ進むが、この当時大きな実績を上げることはなかった。日本体育大学に進むと、1年の時に全日本学生柔道体重別選手権大会(正力杯)60kg級で3位になった。2年の時には全日本ジュニア柔道体重別選手権大会(新人体重別)で優勝を飾った。4年の時には講道館杯全日本柔道体重別選手権大会、全日本選抜柔道体重別選手権大会、正力杯で3位になった。正力松太郎杯国際学生柔道大会の決勝では韓国の金鐘萬と対戦すると、肘を負傷したため医師の診断を受けた。
大幡 悦雄(おおはた えつお、1968年6月16日 - )は… 大幡 悦雄(おおはた えつお、1968年6月16日 - )は、日本の柔道選手である。茨城県出身。階級は65kg級。身長165cm。 筑波大学2年の時に新人体重別65kg級で3位になった。4年の時には講道館杯で3位になると、正力国際では決勝で鹿屋体育大学3年の山部伸敏を判定で破って優勝した。1991年には水海道第一高校の教員になると、体重別で3位となった。引退後は茨城県柔道連盟の役員となった。 (出典、JudoInside.com)。
石田 輝也(いしだ てるや、1968年5月25日 - )は愛… 石田 輝也(いしだ てるや、1968年5月25日 - )は愛知県大府市出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級の選手。身長178cm。現在は大成高校の柔道部監督を務めている。 柔道は小学校1年の時に体が大きかったことから父親にすすめられて、オリンピック金メダリストとなる吉田秀彦や谷本歩実を生み出したことでも知られる大石道場で始めた。師範の大石康によれば、週2日の練習以外にも大石の下を訪ねて練習するような、誰よりも積極的な姿勢を見せる選手だったという。 2年の時に全国中学校柔道大会で敗れたことを契機に、もっと強くなりたいという思いから講道学舎に入塾することになった。弦巻中学3年の時には全国中学校柔道大会の個人戦78kg級で優勝すると、団体戦では2位になった。
堀越 英範(ほりこし ひでのり、1968年5月17日 -)は… 堀越 英範(ほりこし ひでのり、1968年5月17日 -)は奈良県出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級の選手。身長173cm。現在は稲生高校の教諭を勤めている。
甲斐 康浩(かい やすひろ、1968年4月30日 -)は福岡… 甲斐 康浩(かい やすひろ、1968年4月30日 -)は福岡県大牟田市出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長173cm。
岡泉 茂(おかいずみ しげる、1968年4月2日 - )は、… 岡泉 茂(おかいずみ しげる、1968年4月2日 - )は、埼玉県出身の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長180cm。得意技は背負投。 小学校2年の時に柔道を始めた。前橋商業高等学校、東海大学と進むも、新人体重別で3位に2度入った(1986,88年)以外にこれといった活躍をする事はなかったが、新日本製鐵に入社して社会人になって、それまでの86キロ級から95キロ級に階級を変更してから実力を発揮し始めた。1993年から講道館杯で2連覇するなど実績を積み上げていった。1994年には広島アジア大会代表になり、その決勝では背負い投げからの抑え込みで一本勝ちして見事な逆転勝ちの優勝を飾った。翌年千葉で開催された世界選手権にも代表となり、前回のチャンピオンであるハンガリーのアンタル・コバチを破る健闘を見せるものの、ポーランドのパウエル・ナツラには敗れるが、何とか3位は確保した。
小林 貴子(こばやし たかこ、1968年4月2日 -)は、京… 小林 貴子(こばやし たかこ、1968年4月2日 -)は、京都府出身の日本の柔道家。現役時代は61kg級の選手。身長159cm。得意技は内股。 京都市立柏野小学校6年の時に早くも全日本の体重別に出場を果たす。初戦で開始早々の巴投げで敗れたものの、話題となった。元々は韓国籍であり、第二回福岡国際には韓国代表として出場していた。その後京都商業高校から筑波大学に進み、大学2年の時には無差別の全日本選手権で、第一人者の田辺陽子と接戦を演じる活躍を見せて61kgの選手ながら2位となった。翌年にはライバルである北田典子を破り、世界選手権代表になり3位となった。その後ミキハウスに入社して1992年バルセロナオリンピック代表にもなるが、初戦で敗れて引退した。
佐藤 昭子(さとう あきこ、1968年4月1日 - )は、岡… 佐藤 昭子(さとう あきこ、1968年4月1日 - )は、岡山県岡山市出身の日本の柔道家。現役時代は72kg級の選手。身長165cm。 就実高校2年の時に将来婦人警官になりたいと思って柔道を始めた。高校の部活動はまるでお遊びのようなものだったので、町道場の正々館や岡山武道館でも稽古を積んだ。すると3年の時には強化選手選考会72kg級で早くも3位となった。 1986年になると国際武道大学へ進学した。そこでは自分より30kgも軽い上級生に軽々と抑え込まれるなど柔道の恐ろしさを見せ付けられることになった。高校時代の稽古が如何にお遊びの域を出ていなかったことかを思い知らされて、最初は泣きくれていたという。
小川 直也(おがわ なおや、1968年3月31日 - )は、… 小川 直也(おがわ なおや、1968年3月31日 - )は、日本の男性柔道家、元総合格闘家、元プロレスラー、体育学者、YouTuber。東京都杉並区出身。学位は体育学修士(筑波大学大学院・2013年)。 全日本柔道選手権では7度の優勝(山下泰裕に次ぐ歴代2位)、世界柔道選手権では100超級と無差別級の2階級制覇(1989年)を含む4度の優勝、バルセロナオリンピックでは銀メダルを獲得。現役時代はJRA職員として活躍。長男は柔道家で2018年世界柔道選手権代表の小川雄勢。 私立八王子高等学校の面接試験の際には、体格のよさを後に恩師となる面接官の小野実に見込まれて、入学したら柔道をやってみないかと問われた際に、本当はラグビーに興味を持っていたが、印象を良くするために柔道をやってみたいと答え、無事合格を果たした。
黒川 琴美(くろかわ ことみ、1967年11月27日 - )… 黒川 琴美(くろかわ ことみ、1967年11月27日 - )は栃木県出身の日本の女子柔道家。現役時代は72kg級の選手。 中学生の時に強化選手選考会の66kg超級で決勝まで進むが、茂原農業高校の鈴木洋子に敗れて2位だった。1983年に宇都宮工業高校へ進むと、環太平洋柔道選手権大会72kg級では3位となった。1984年には体重別選手権の72kg級決勝で沼津高校2年の佐々木光を破って優勝を飾り、世界選手権の代表に選出された。ウィーンで行われた世界選手権では2回戦でアメリカのベリンダ・ビンクリーに敗れた。1985年3月に東京の講道館で開催されたアジア選手権では優勝を飾った。5月に行われた強化選手選考会では3位だったが、10月の強化選手選考会では決勝で日本大学1年の田辺陽子を破って優勝を飾った。
古賀 稔彦(こが としひこ、1967年〈昭和42年〉11月2… 古賀 稔彦(こが としひこ、1967年〈昭和42年〉11月21日 - 2021年〈令和3年〉3月24日)は、日本の柔道家(講道館九段)、医学者。学位は博士(医学)(弘前大学・2012年)。 古賀塾・元塾長。元環太平洋大学・教授。元日本健康医療専門学校・校長。1988年ソウルオリンピック男子71kg級代表。1992年バルセロナオリンピックでは同階級で金メダルを獲得。1996年アトランタオリンピック男子78kg級でも銀メダルを獲得した。 佐賀県三養基郡北茂安町(現・みやき町)出身。 血液型はA型。身長169cm。兄も柔道家の古賀元博。古賀颯人は長男、古賀玄暉は二男。古賀ひよりは長女。 世田谷区立弦巻中学校、世田谷学園高等学校、日本体育大学卒業。
竹村 典久(たけむら のりひさ、1967年10月28日 - … 竹村 典久(たけむら のりひさ、1967年10月28日 - )は、広島県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg級。身長170cm。弟は同じ95kg級で活躍していた竹村欣也。 近代福山高校から近畿大学に進むと、1年の時に新人体重別の95kg級で3位になった。2年の時には決勝まで進むも日大2年の秋山勝彦に敗れて2位だった。また、この年から3年連続で高校時代からの同級生である山崎茂樹などとともに活躍して優勝大会で3位になった。4年の時には正力杯決勝で秋山に敗れた。正力国際では決勝で西ドイツの選手に背負投で一本勝ちして優勝を飾った。1990年には広島県警の所属となると、講道館杯で3位、体重別では決勝で東海大学4年の甲斐康浩に敗れるも2位となった。
佐々木 光(ささき ひかり、1967年10月4日 - )は、… 佐々木 光(ささき ひかり、1967年10月4日 - )は、静岡県沼津市出身の女子柔道選手。一時期に「山田」姓でも活動。柔道六段。
宮崎 未樹子(みやざき みきこ、1967年8月10日 - )… 宮崎 未樹子(みやざき みきこ、1967年8月10日 - )は、青森県出身の柔道家、女子レスリング選手である。1996年女子レスリング世界選手権61 kg級金メダリスト。八戸西高を経て、日本体育大学卒業。 高校生時代から柔道で活躍。第23回三船十段杯争奪柔道大会女子の部優勝(1985年)、第1回全日本女子柔道選手権(1986年、後の皇后盃全日本女子柔道選手権大会)に出場するが持田典子に敗れる。 日体大に進むと柔道部の1年先輩に持田典子がおり、浦野弥生(レスリング・京樽クラブ)は後輩に当たる。日体大を卒業すると、持田を追って住友海上火災保険に入社した。1991年には全日本選抜柔道体重別選手権大会66 kg級3位の成績を残し、バルセロナオリンピックを目指していた。
山崎 茂樹(やまさき しげき、1967年7月27日 - )は… 山崎 茂樹(やまさき しげき、1967年7月27日 - )は、広島県福山市出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg級。身長183cm。 近大福山高校3年の時に新人体重別の86kg級で決勝まで進むが、世田谷学園高校2年の石田輝也に敗れて2位だった。 1986年に近畿大学へ進学すると、2年の時から3年連続で高校時代からの同級生である竹村典久などとともに活躍して優勝大会で3位となった。また、2年の時には正力国際の個人戦95kg級で3位、団体戦では2位となった。3年の時には正力国際の個人戦で再び3位だったものの、団体戦では優勝を飾った。4年の時には体重別の決勝で世界チャンピオンである新日鉄の須貝等に敗れるも2位になった。
房前 善行(ふさまえ よしゆき、1967年6月13日 -)は… 房前 善行(ふさまえ よしゆき、1967年6月13日 -)は福岡県出身の日本の柔道家。身長173cm。現役時代は86kg級の選手。 花畑中学3年の時に全国中学校柔道大会団体戦の準決勝で古賀稔彦率いる弦巻中学に敗れて3位だった。福岡大学附属大濠高校2年の時に金鷲旗で3位になった。全国高校選手権では決勝で古賀稔彦率いる世田谷学園高校に敗れて2位だった。3年の時には金鷲旗で3位だった。福岡大学1年の時に新人体重別86kg級で2位になった。2年の時には3位だった。3年の時には体重別で3位となった。1990年に九州電力の所属になると、講道館杯では決勝でマルナカの岡田弘隆に敗れるも2位になった。嘉納杯では決勝でフランスのジャン=ルイ・ジェモンに開始早々の裏投で敗れた。
中谷 弘(なかたに ひろし、1967年6月5日 -2021年… 中谷 弘(なかたに ひろし、1967年6月5日 -2021年 )は、兵庫県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長183cm。体重118kg。 荒井中学3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦決勝で弦巻中学と対戦すると、代表戦で相手エースの小兵である古賀稔彦に内股で一本勝ちしてチームを優勝に導いた。天理高校へ進むと、1年の時に全国高校選手権の団体戦で優勝した。2年の時にはインターハイ団体戦で優勝を飾った。3年の時にはインターハイ団体戦で3位にとどまったが、個人戦重量級では決勝トーナメントに入ってから八王子高校3年の小川直也を破ると、決勝でも日大三島高校3年の秋山勝彦に勝利して優勝を飾った。
酒井 英幸(さかい ひでゆき、1967年5月30日 -)は福… 酒井 英幸(さかい ひでゆき、1967年5月30日 -)は福岡県出身の日本の柔道家。現役時代は71kg級の選手。身長170cm。得意技は「酒井返し」を始めとした寝技。現在は自衛隊体育学校柔道班の監督を務めている。 6歳の時に沖縄へ移ると、近くの道場に無理やり連れて行かれて柔道を始めた。嘉手納中学から沖縄尚学高校へ進むと、2年と3年のインターハイ中量級では、世田谷学園高校の古賀稔彦に敗れて5位だった。筑波大学へ進学すると、1年の時には新人体重別71kg級で優勝した。2年の時には新人体重別を連覇した。3年の時には正力国際の決勝で日体大3年の古賀に効果で敗れた。4年の時には環太平洋柔道選手権大会で国際大会初優勝を飾った。
佐藤 博信(さとう ひろのぶ、1967年4月25日 - )は… 佐藤 博信(さとう ひろのぶ、1967年4月25日 - )は、宮城県柴田郡村田町出身の日本の柔道家、体育学者。関西学院大学人間福祉学部准教授。 長男はプロ野球の阪神タイガースに所属する佐藤輝明。 仙台育英学園高等学校柔道部から、日本体育大学に進学。日体大では「平成の三四郎」古賀稔彦と同期入学。日本体育大学2年の時に全日本学生柔道優勝大会の準決勝 天理大学戦で当時、小川直也(明治大)と並び学生重量級のホープであった中谷弘を終始攻め、背負投で破る大金星を挙げる。チームは敗れたが3位進出の原動力となる。その後、無差別で争われる全日本学生選手権では86kg級の選手ながら3位となった。4年の時には日体大柔道部の副キャプテンとなる(キャプテンは古賀稔彦)。
関根 英之(せきね ひでゆき、1967年4月19日 - 20… 関根 英之(せきね ひでゆき、1967年4月19日 - 2024年3月19日【訃報公表日】)は、茨城県の猿島郡・三和町(現・古河市)出身の日本の柔道家。現役時代は95kg超級の選手。身長190cm。体重125kg。 それまで野球に取り組んでいたが、三和町立三和中学校2年の時に体格の良さを見込まれて柔道を始めることになった。 栃木県の作新学院高校3年の時にはインターハイ重量級で3位となった。 東海大学に進むと、1年の時には全日本学生(無差別)で決勝まで勝ち進むが、明治大学の小川直也との史上初となる1年生対決に1-2の判定で敗れた。2年の時には学生優勝大会の優勝に貢献すると、新人体重別では優勝を飾った。
徳田 真三(とくだ しんぞう、1967年4月5日 - )は、… 徳田 真三(とくだ しんぞう、1967年4月5日 - )は、京都府出身の、日本の柔道選手である。階級は86kg級。身長171cm。 京都商業高校2年の時にインターハイ軽重量級決勝で大垣日大高校3年の岡田弘隆に敗れて2位だった。1986年に天理大学へ進学すると、1年の時には新人体重別86kg級で優勝を飾った。2年の時には正力国際でも優勝した。3年の時には優勝大会で優勝した。4年の時には優勝大会と正力杯で3位だった。1990年には桂中学の教員になると、講道館杯と体重別で3位となった。1991年にはダイコロに所属が変わると、1993年の講道館杯では3位だった。一方で、京都教育大学の大学院修士課程を修了後に龍谷大学短期大学部の講師に就任した。
金野 潤(こんの じゅん、1967年3月20日 - )は、日… 金野 潤(こんの じゅん、1967年3月20日 - )は、日本の柔道家。選手として全日本選手権やアジア大会での優勝経験を持ち、日本大学柔道部監督および文理学部准教授を務める。 東京都文京区に生まれ幼少時に埼玉県浦和市(のちのさいたま市)へ転居し、同県川口市で成長。市立芝中学校へ入学した当初の入部第1希望は水泳部だったが、すでに水泳部が定員で空きが無かったため、第2希望の柔道部に回されたのが柔道を始めるきっかけとなった。しかし中学時代の金野は芽が出ず、周囲の部員がスムーズに昇級・昇段する中、金野は昇級審査に2回、昇段審査に3回落ちたほか、先輩部員からも柔道部特有のかわいがり(いわゆるシゴキ)を受けている。
金野 潤(こんの じゅん、1967年3月20日 - )は、日… 金野 潤(こんの じゅん、1967年3月20日 - )は、日本の柔道家(講道館5段)
岡田 弘隆(おかだ ひろたか、1967年2月22日 - )は… 岡田 弘隆(おかだ ひろたか、1967年2月22日 - )は、日本の柔道家、体育学者。筑波大学体育専門学群准教授。講道館八段を取得。得意技は小内刈・大内刈・大外刈。身長170cm。岐阜県揖斐郡大野町出身。 町立大野小5年次より柔道を始めた。町立大野中学校から大垣日大高校へと進学。高校時代には既に周囲の期待を集め、2年次には全日本の合宿にも参加している。高校3年次の1984年、インターハイ個人戦の軽重量級で優勝。 筑波大学に進学するが、前述の通り既に全日本合宿を経験していた岡田は、目標は世界だけと定めており、本人曰く「学生大会には全くと言っていいほど興味が無かった」との事。その言葉が示すように、入学してすぐの講道館杯で準優勝すると、翌86年には体重無差別の全日本選手権で2試合勝ち進むなど健闘を見せたほか、10月の嘉納治五郎杯で優勝し、シニア初タイトル。
大熊 政彦(おおくま まさひこ、1966年12月26日 - … 大熊 政彦(おおくま まさひこ、1966年12月26日 - )は、岐阜県北方町出身の柔道家。
森 成寿(もり なりとし、1966年8月23日 - )は、和… 森 成寿(もり なりとし、1966年8月23日 - )は、和歌山県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長182cm。体重135kg。 和歌山北高校2年の時に高校選手権の準々決勝で世田谷学園高校と対戦すると、チームメイトで191cm、130kgの岡野誠が71kg級の小兵選手である古賀稔彦に投げられてチームは5位に終わった。3年の時には金鷲旗の準々決勝で世田谷学園高校と再び対戦すると、大将戦で森が古賀に一本負けを喫して5位にとどまった。インターハイの団体戦では3位に入った。1985年に近畿大学へ進学すると、3年の時から2年連続して1年後輩の竹村典久や山崎茂樹などとともに活躍して優勝大会で3位となった。
岡泉 淳(おかいずみ じゅん、1966年8月21日 - )は… 岡泉 淳(おかいずみ じゅん、1966年8月21日 - )は埼玉県出身神川町在住の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長180cm。体重118kg。 柔道は小学校1年の時に後に1995年の世界選手権95kg級で3位となる弟の岡泉茂とともに始めた。児玉高校3年の時にインターハイの重量級で決勝まで進むが、東海大相模高校3年の多田隈和博に敗れて僅差判定で2位だった。1985年には筑波大学に進むと、2年の時には新人体重別の決勝で日本大学2年の金野潤に抑え込みで一本勝ちをして優勝する。。1989年には新日鉄広畑の所属となると、講道館杯では旭化成延岡の樋川純を破って優勝を飾った。1991年には講道館杯で2年ぶり2度目の優勝を果たした。
北田 典子(きただ のりこ、1966年8月10日 - )は、… 北田 典子(きただ のりこ、1966年8月10日 - )は、東京都中央区出身の日本の柔道家。世田谷学園高校を経て、日本体育大学体育学部武道学科卒業。現役時代は61kg級の選手。旧姓は持田。兄は監督として母校の世田谷高学園高校を何度も全国優勝に導いた持田治也であり、また、従兄には世界選手権で2位になったことのある持田達人がいる。身長162cm。得意技は内股、小内刈。
今川 義則(いまがわ よしのり、1966年7月12日 - )… 今川 義則(いまがわ よしのり、1966年7月12日 - )は、岐阜県出身の日本の柔道家。身長165cm。現役時代は60kg級の選手。 大垣日大高校時代は、後に78kg級と86kg級で世界チャンピオンとなる岡田弘隆及び65kg級で世界2位になる大熊政彦と同期だった。3年の時にはインターハイ軽量級で優勝を飾った。大阪商業大学へ進学すると、1年の時には正力杯60kg級の決勝で東海大学4年の小野幸司に敗れて2位だった。正力国際では決勝で亜細亜大学4年の熊本修治に有効で敗れた。4年の時には正力杯で3位になると、正力国際では決勝で日体大1年の村上喜則を破って優勝した。1989年には綜合警備保障の所属となった。
高波 善行(たかなみ よしゆき、1966年6月27日 -)は… 高波 善行(たかなみ よしゆき、1966年6月27日 -)は富山県出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級の選手。身長176cm。得意技は内股。 現在は母校・小杉高校柔道部の監督を務めている。
渡辺 涼子(わたなべ りょうこ、1966年4月18日 -)は… 渡辺 涼子(わたなべ りょうこ、1966年4月18日 -)は日本の柔道家。金沢学院大学人間健康学部教授。現役時代は66kg級の選手。身長169cm。得意技は大外刈。 岡山県出身。小学校4年の時に柔道を始める。中学高校の時には学校に柔道部がなかったので陸上部に所属して、柔道は児島武道館で稽古した。岡山県立児島高等学校から筑波大学に進学後、大学2年の時には61kg級で世界3位となった。その後階級を66kgに上げて、1991年の世界選手権では3位となった。翌年の体重別では決勝で佐々木光に1-2の微妙な判定で敗れるも、オリンピック代表に選ばれるが初戦で敗れた。1993年の世界選手権でも初戦で敗れて引退した。
德安秀政(とくやす ひでまさ 1966年4月15日 - ) … 德安秀政(とくやす ひでまさ 1966年4月15日 - ) は、福岡県福岡市出身の、日本の柔道家。階級は71kg級。組み手は、右組。得意技は、大外刈り 払腰。 小学2年生の時に、谷亮子や中村三兄弟を輩出した東福岡柔道教室で柔道を始める。 柔道を始めたきっかけは、家の周りの習い事が限られており剣道、柔道、習字といった選択肢しかなく母の勧めもあり柔道を習い始める。 中学3年生まで東福岡柔道教室で柔道を習い、高校は県内屈指の強豪校である福岡大学附属大濠高校に進学する。高校時代は、寮生活を行いながら柔道の稽古に励み九州大会優勝や金鷲旗3位などの実績を残す。 大学進学の際も、いくつかの選択肢があったが将来的に体育の教員になりたいという気持ちがあったため日本体育大学に進学する。
越野 忠則(こしの ただのり、 1966年4月3日 - )は… 越野 忠則(こしの ただのり、 1966年4月3日 - )は、日本の柔道家(講道館6段)。北海道白糠郡白糠町出身。 1991年の世界選手権で優勝し、1992年のバルセロナオリンピックでは銅メダルを獲得。現在は国際武道大学の准教授を務める。身長159cm。 1966年、釧路支庁(当時)に属する白糠町で、代々漁業を営む家の長男として生まれる。生まれつき大人しく内向的な性格の越野を見かねた両親の勧めで、小学校3年の時に町のスポーツ少年団で柔道を始めた。 心身を鍛えるために始めた柔道がいつの間にか生活の中心となり、町立白糠中学時代には道内でも知られる存在に。中学卒業後は漁師の道を歩むことを決められていた越野だが、柔道を続けたい気持ちを抑えきれず、両親と「中学校の全道大会で優勝したら高校進学、負けたら家業を継ぐ」という約束を取り付け、優勝を成し遂げた。
野口 仁士(のぐち ひとし、1966年2月25日 - )は京… 野口 仁士(のぐち ひとし、1966年2月25日 - )は京都府出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。身長165cm。 京都商業高校2年の時にインターハイの軽量級で3位になった。しかし、3年の時には府予選で敗れて出場できなかった。京都産業大学へ進むと、1年の時に新人体重別60kg級で天理大学1年の斎藤光重に敗れるが2位になった。2年の時にも斉藤に敗れて2位にとどまった。3年の時には世界ジュニアで優勝を飾った。正力国際では決勝で東海大学2年の越野忠則に敗れて2位だった。4年の時には正力杯決勝で越野を破って優勝した。正力国際では決勝で越野に敗れて2年連続2位に終わった。フランス国際では3位だった。