ヤマザキ ミノリ(本名:山崎 稔、1954年3月29日 - … ヤマザキ ミノリ(本名:山崎 稔、1954年3月29日 - )は、日本の造形作家、空間デザイナー。女子美術大学名誉教授。 群馬県桐生市生まれ。群馬県立桐生高等学校、東京芸術大学工芸科鋳金専攻卒業(安宅賞受賞)。東京芸術大学構成デザイン大学院修了。 東京工芸大学芸術学部デザイン学科助教授(1995年~1998年)、女子美術大学芸術学部デザイン科助教授(1998年~2001年)、女子美術大学芸術学部メディアアート学科助教授(2001年~2003年)、2003年に同教授に昇格、2010年4月から2019年3月まで女子美術大学芸術学部アート・デザイン表現学科ヒーリング表現領域教授。 空間設計、ライトアートを中心に美術活動を展開。
青山 充(あおやま みつる、1954年2月16日 - )は、… 青山 充(あおやま みつる、1954年2月16日 - )は、フリーの男性アニメーター、キャラクターデザイナー。新潟県上越市出身。 1話や1作品の原画を1人で担当する「一人原画」が多いことで知られている。 小さい頃は病弱で『鉄腕アトム』や『8マン』などを漫画の絵を模写していた。漫画は読んでいたもの熱心なマニアではなく、漫画家志望でもなかった。工業高校卒業後は上京し、東洋美術学校でグラフィックデザインを学んだ。学校へ行かなくなりアルバイトをしていた頃に絵を描く仕事をしたいと思い立ち、友人から下請け作画スタジオのスタジオルックを紹介されて業界に入りし、東洋美術学校は中退した。『ポールのミラクル大作戦』の動画を引き受け、1年近く経って24歳頃に原画の担当となった。
堀井 雄二(ほりい ゆうじ、1954年1月6日 - )は、日… 堀井 雄二(ほりい ゆうじ、1954年1月6日 - )は、日本のゲームデザイナー・作家・アーマープロジェクト代表取締役。兵庫県洲本市出身。『ドラゴンクエストシリーズ』の生みの親である。愛称は「ゆうてい(ゆう帝)」。 実家は淡路島の洲本市街地で堀井ガラス店というガラス屋を営んでいた。幼少時は弁護士志望だったが、中学時代に漫画家志望に転換。 兵庫県立洲本高等学校時代は漫研に所属していたが、水泳部、ブラスバンド部(サックス担当)、さらに生物部、茶道部を掛け持ちしていた。この頃は、本気で漫画家になるつもりだったという。夜更かしが多くなり、遅刻の常習犯になった。自宅から学校まで自転車で5分くらいの距離だったにもかかわらず、高校2年の成績表を見ると出席日数210日のうち、197日遅刻しているほどだった。
仲西 昭徳(なかにし あきのり、1954年 - )は、日本の… 仲西 昭徳(なかにし あきのり、1954年 - )は、日本の自動車デザイナー。現職は、三菱自動車工業の執行役員、及び北米本部長。 山口県山口市出身。山口県立山口高等学校、金沢美術工芸大学卒業。1977年、三菱自動車工業入社。1987 - 88年のカリフォルニア駐在等を経て同社欧州法人のデザインスタジオであるミツビシ・デザイン・ヨーロッパ(MDE、ドイツ・ヘッセン州Trebur)においてゼネラル・マネジャーを務める。2004年6月、三菱自動車工業デザインセンター長に就任、2006年6月からは同社執行役員を兼務する。2009年2月にデザイン部門から離れ、以後アジア・アセアン本部長、ミツビシ・モーターズ・ヨーロッパ社(Mitsubishi Motors Europe BV)の取締役社長を歴任。
田中 雅美(たなか まさみ、男性、1954年 - )は、日本… 田中 雅美(たなか まさみ、男性、1954年 - )は、日本の建築家、住環境デザイナー。 東京都生まれ。1979年、日本大学大学院理工学研究科修士課程修了。1979年から1981年まで、土岐新建築総合計画事務所勤務。1981年から1986年まで、フィンランドのカルロ・レッパネン建築事務所勤務。1989年、建築設計事務所シサピハ建築事務所を設立。1998年、田中雅美建築設計事務所に改称。1993年から 日本大学理工学部、前橋工科大学、東京工芸大学非常勤講師。一般社団法人日本フィンランド協会監事。 訳書に「白い机 アルヴァ・アアルト-若い時」(1988年)「白い机 アルヴァ・アアルト―モダン・タイムス」(1992年)「白い机- アルヴァ・アアルト円熟期」(1998年、いずれも鹿島出版会より、日本翻訳出版文化賞受賞) おもな作品に、富士聖地環境型大規模トイレ、アドレー渋谷本町アネックス、太田市立休泊小学校改修、上祖師谷の家など。
榎本 一夫(えのもと かずお、1953年12月18日 - )… 榎本 一夫(えのもと かずお、1953年12月18日 - )は、日本のデザイナー、有限会社バナナグローブスタジオ元代表取締役。 愛称は「えのん」「えのっぴ」「えのサン」など。 『ドラゴンクエスト』のロゴデザインで知られている。また、集英社の少年向け漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』の読者投稿コーナー「ジャンプ放送局」の一員であり、同コーナーに携わっていたさくまあきらが制作したコンピュータゲーム『桃太郎伝説』およびその派生作品である桃太郎電鉄シリーズでは、同コーナーの作画を担当していた土居孝幸が榎本をモデルとしてデザインしたキャラクター・貧乏神(ボンビー)が登場する。 埼玉県さいたま市出身。浦和市立高等学校、駒澤大学法学部卒業。
坂本 廣樹(さかもと ひろき、男性、1953年6月25日 -… 坂本 廣樹(さかもと ひろき、男性、1953年6月25日 - )は日本のグラフィックデザイナー。栃木県宇都宮市出身。 1953年6月25日宇都宮市生/さくら幼稚園・宇都宮小・一条中・壬生高・東海大学芸術学科卒15歳の時に作新学院デザイン課の創設者が教育委員会から初めて県芸術展のデザイン部門を創設し小学5年生まれて初めて賞状銀賞を獲得し、そのディプロマのデザイン性に感動しデザイナーを目指した。 プロのデザイナーとして29歳で独立graphicmanを設立、当初からコンピューターを駆使したデザイン活動が候を制して成功し、35~45歳まで国内や世界のエキジビションに挑戦した。しかしその後は一切出品せず地元のデザイン活動とデザインジャンルの壁越えに挑戦した。
北沢 猛(きたざわ たける、1953年6月24日 - 200… 北沢 猛(きたざわ たける、1953年6月24日 - 2009年12月22日)は、日本の都市計画家、アーバンデザイナー。東京大学大学院新領域創成科学研究科および東京大学大学院工学系研究科教授。工学博士。 横浜市都市デザイン室長などを経て、東京大学教授。都市デザインと空間計画に関する実践と実証研究を進める。横浜市、京都府、千葉県など、自治体の参与や専門委員なども務めた。
卯月 盛夫(うづき もりお、1953年5月6日 - )は、日… 卯月 盛夫(うづき もりお、1953年5月6日 - )は、日本の建築家、都市デザイナー、建築学者(都市計画・まちづくり・パブリックデザイン・プロジェクトマネジメント・景観設計)、一級建築士。学位は博士(工学)(早稲田大学・1999年)。早稲田大学社会科学総合学術院教授。 ハノーファー市役所都市計画局、シュトゥットガルト市役所都市計画局、都市デザインアトリエでの勤務を経て、世田谷区役所都市デザイン室主任研究員、財団法人世田谷区都市整備公社世田谷まちづくりセンター所長、早稲田大学芸術学校教授、早稲田大学社会科学部教授、早稲田大学参加のデザイン研究所所長などを歴任した。 東京都出身の建築家、都市デザイナーであり、都市計画、まちづくり、パブリックデザイン、プロジェクトマネジメント、景観設計などを専攻する建築学者である。
枡野 俊明(ますの しゅんみょう、1953年2月28日 - … 枡野 俊明(ますの しゅんみょう、1953年2月28日 - )は、日本の僧侶、庭園デザイナー(作庭家)。曹洞宗徳雄山建功寺住職、曹洞宗参禅道場主管。日本造園設計代表、多摩美術大学名誉教授、Beijing DeTao Masters Academy(北京徳稲教育機構)大師。神奈川県横浜市生まれ。 大使館、美術館、特殊施設等 ホテル、リゾート関連 指名コンペティション(コンペ)等
山形 季央(やまがた としお、1953年2月25日 - )は… 山形 季央(やまがた としお、1953年2月25日 - )は日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー。 元資生堂宣伝制作室長・部長。元多摩美術大学グラフィックデザイン学科教授(〜2020)、大阪芸術大学グラフィックデザイン学科客員教授。 1953年、大阪府大阪市生まれ。 1976年、大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒業。同年、株式会社資生堂にグラフィックデザイナーとして入社。 1982年、宣伝部初代アートディレクターとしてパリに駐在。セルジュ・ルタンスと資生堂のグローバル・イメージ・キャンペーンを共創。( - 1986年) 1987年、アートディレクターとして、イプサや資生堂ホワイテスの立ち上げ、資生堂の国内外ブランドの広告やコミュニケーションデザインを担当。
清水 正己(しみず まさみ、1953年1月17日 - )は日… 清水 正己(しみず まさみ、1953年1月17日 - )は日本のクリエイティブディレクター・アートディレクター・グラフィックデザイナー。長野県佐久市出身。広告・雑誌・書籍・ロゴ制作などの第一人者。清水正己デザイン事務所代表。 1975年、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン科卒業。 1979年、流行通信社に入社し、デザインチームを率いる。 1985年に『STUDIO VOICE(スタジオ・ボイス)』でエディトリアルデザインADC賞を受賞。 1986年に独立し清水正己デザイン事務所を設立。広告・エディトリアルデザイン・ポスター・ロゴ制作などで数々の賞を受賞。その後もクリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナーとして、数多くの作品を生み出す。
國本 桂史(くにもと かつし、1953年 - )は、インダス… 國本 桂史(くにもと かつし、1953年 - )は、インダストリアルデザイナー。元名古屋市立大学教授。 金沢市生まれ。石川県立金沢桜丘高等学校、金沢美術工芸大学美術工芸学部産業美術学科工業デザイン専攻卒業。三菱自動車工業株式会社開発本部入社後、パジェロ、デリカ、ミニカのデザイン開発に従事。その他、シグマ、ラムダ、コルディア、デボネア、スタリオンも担当した。また、東京モーターショー・ショーカーの計画及びデザイン担当、三菱ふそう大型バスのデザインコンサルタント(エアロクィーン)、近未来のクルマ社会と自動車の研究をアドバンス・デザインスタジオ担当、三菱ニューデリカのインテリアデザインを担当した。 1986年、株式会社デルコ(日本デザイン開発研究所)を設立し、代表取締役就任。
後藤 禎祐(ごとう ていゆう、1953年 - )は、日本のプ… 後藤 禎祐(ごとう ていゆう、1953年 - )は、日本のプロダクトデザイナー。 2009年に株式会社テイユウゴトウ(Teiyu Goto, Inc.)を設立、代表取締役社長を務める。京都市出身。 1977年に金沢美術工芸大学産業美術学科(工業デザイン専攻)を卒業後、そのままソニー株式会社に入社。これまでに工業製品などのデザインをいくつも手がけており、内閣総理大臣賞やグッドデザイン賞などの受賞歴がある。 1994年〜2006年にかけては、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が発売した家庭用ゲーム機「PlayStation」シリーズ(初代PS〜PS3までの据置型機)の本体および周辺機器(コントローラなど)のデザインを手がけている。
柘植 喜治(つげ きはる、1953年 - )は、日本の都市と… 柘植 喜治(つげ きはる、1953年 - )は、日本の都市と環境のデザイナー。海外での経験もあり環境デザイン、都市デザインや都市環境のプロデュースをする。現在、千葉大学名誉教授、多摩美術大学非常勤講師。 多摩美術大学建築・環境デザイン学科のホームページより引用。 多摩美は生意気だ。多摩美は元気だ。そこが良い。と、かつてここに書いた。ところが最近少し変わってきた。生意気というより優等生で大人しい普通の日本人学生だ。今世界のデザイン界は、情報通信やエネルギー分野等との吸収合併により再編が進む。著名な建築事務所やデザイン企業もこうした波に飲まれデザインや開発の業務が拡大している。そこで注目されるのがプロデューサーの空間としてまとめる技術だ。
須藤 玲子(すどう れいこ、1953年 - )は、日本のテキ… 須藤 玲子(すどう れいこ、1953年 - )は、日本のテキスタイルデザイナー。 茨城県立土浦第二高等学校卒業、武蔵野美術大学短期大学部専攻科修了。武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科テキスタイル研究室助手を経て、株式会社 布の設立に参加。現在は同社取締役デザインディレクター。英国UCA芸術大学より名誉修士号授与。2019年より東京造形大学造形学部デザイン学科テキスタイルデザイン専攻領域名誉教授。2008年より良品計画のファブリック企画開発、鶴岡織物工業協同組合、株式会社アズのデザインアドバイスを手がける。2016年無印良品アドバイザリーボードに就任。 日本の伝統的な染織技術から現代の先端技術までを駆使し、新しいテキスタイルづくりをおこなう。
高橋 幸宏(たかはし ゆきひろ、1952年〈昭和27年〉6月… 高橋 幸宏(たかはし ゆきひろ、1952年〈昭和27年〉6月6日 - 2023年〈令和5年〉1月11日)は日本のシンガーソングライター、ドラマー、音楽プロデューサー、ファッション・デザイナー、文筆家。 ソロ・デビューした1978年から1980年代前半までは「高橋ユキヒロ」の名義を使用していた。 立教中学校(現・立教池袋中学校)・立教高等学校(現・立教新座高等学校)卒業(高校の3年後輩に佐野元春がいる)。武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン科中退。 高校在学中からスタジオ・ミュージシャンとして活動。「サディスティック・ミカ・バンド」や「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO) のメンバーとしての活動が有名。
サイトウ マコト(1952年6月1日 - )は、日本の美術家… サイトウ マコト(1952年6月1日 - )は、日本の美術家、元グラフィックデザイナー。福岡県北九州市出身。福岡県立小倉工業高等学校化学科卒業。日本文化デザイン会議会員(2002年まで)、東京アートディレクターズクラブ会員(2008年まで)、日本グラフィックデザイナー協会副会長(2002年まで)、グッドデザイン賞選考委員(2013年まで)を務めた傍ら、1988年より毎日デザイン賞推薦委員(2014年まで)および毎日芸術賞推薦委員(現在も継続中)、ならびに1994年より2017年まで国際グラフィック連盟(AGI)会員。 2008年金沢21世紀美術館においての個展「サイトウ・マコト展:SCENE[0]」を機に、美術家として制作活動を続けている。
秋山 孝(あきやま たかし、1952年5月18日 - 202… 秋山 孝(あきやま たかし、1952年5月18日 - 2022年1月18日)は日本のイラストレーター・グラフィックデザイナー・イラストレーション学研究家。新潟県立長岡商業高等学校、多摩美術大学を卒業し東京藝術大学大学院を修了。多摩美術大学教授。秋山孝ポスター美術館長岡館長を務めた。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
矢萩 喜從郎(やはぎ きじゅうろう、1952年2月25日 -… 矢萩 喜從郎(やはぎ きじゅうろう、1952年2月25日 - )は、日本の芸術家、デザイナー、建築家、写真家。 東京学芸大学卒業、桑沢デザイン研究所卒業、早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。グラフィック、エディトリアル、サインをはじめとするデザイン領域から、写真、アート、彫刻、建築、椅子・家具、照明、評論、出版等を手がける。慶應義塾大学理工学部非常勤講師(2003年-2019年)、早稲田大学非常勤講師(2015年-2021年)を務めた。 WHY NOT?(東京都現代美術館パーマネントコレクション) この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
彦坂 裕(ひこさか ゆたか、1952年 - )は、日本の建築… 彦坂 裕(ひこさか ゆたか、1952年 - )は、日本の建築家、環境デザイナー。 (株)スペースインキュベータ代表。環境デザインや空間設計のほか、都市等 にかかわる仕事を展開。デザインに加えプロデュースやコンセプトワークと研究開発にまで関わる多層的な活動を展開している。 東京教育大学附属高校、東京大学工学部卒業。1978年、東京大学大学院工学系研究科修士課程を修了し、スペースインキュベータを創設。これまでに、つくば博、大阪花博などに関与、また愛知万博の長久手日本館、瀬戸日本館を始め8つの博覧会で政府出展事業のクリエイティブ統括ディレクターを務める。愛知万博では日本館を設計。上海国際博覧会では博覧会計画委員で、上海万博日本館を手がける。
山地正倫周(やまじりんしゅう、1951年12月17日 - )… 山地正倫周(やまじりんしゅう、1951年12月17日 - )は、日本のファッションデザイナー。香川県高松市出身。多摩美術大学グラフィック科卒業。 RYNSHU(リンシュウ)の名でプレタポルテ(高級既製服)ブランドを展開している。 MAJI STYLED BY RYNSHU、MA-JI MASATOMO、MAJI MAJI、MAJI君等のライセンスブランドのクリエイティブを展開している。 1985年、有限会社MA-JI CREATION設立。 1986年、MAJI MASATOMO、MASATOMO 1992年、株式会社MASATOMO設立。 2010年、RYNSHU 2017年、株式会社RYNSHU設立。
中野 裕通(なかの ひろみち、1951年11月10日 - )… 中野 裕通(なかの ひろみち、1951年11月10日 - )は、日本のファッションデザイナー。ファッションブランド「ヒロミチナカノ」の創始者。日本各地の高等学校の制服も数多くデザインし、1994年には学生服メーカーのトンボと提携している。その他ライセンス契約する企業も多い(リーガルコーポレーション、タキヒヨー、ヤギ・コーポレーションなど)。宮城県岩沼市出身。神奈川県中郡大磯町在住。アート、映画にも造詣が深く、過去には『an・an』や『TV Taro』などで映画作品紹介をしていた。
立花 ハジメ(たちばな はじめ、1951年10月28日 - … 立花 ハジメ(たちばな はじめ、1951年10月28日 - )は東京都出身のミュージシャン及びグラフィックデザイナー、映像作家。
福市得雄(ふくいちとくお、1951年10月15日 - )は、… 福市得雄(ふくいちとくお、1951年10月15日 - )は、日本のカーデザイナー。2011年4月にトヨタ自動車デザイン本部長に就任し、2018年にサイモン・ハンフリーズに譲るまで同職を務めた。ピンク色で話題となった14代目クラウンを手掛けたことで知られる。2018年現在、トヨタ自動車チーフブランディングオフィサー (CBO) およびエグゼクティブアドバイザー、多摩美術大学美術学部生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻客員教授。 「デザインには訳があり、スタイルには意味がある」をモットーに、トヨタおよびレクサスのデザインチーム(アメリカやヨーロッパにもスタジオがあり、17か国から集まったデザイナー)を統括し、レクサスを日本発のラグジュアリーブランドにすべくデザイン改革に力を注いできた。
志垣 太郎(しがき たろう、1951年9月22日 - 202… 志垣 太郎(しがき たろう、1951年9月22日 - 2022年3月5日)は、日本の俳優、声優、タレント、司会者、デザイナー。本名は河村 稔(かわむら みのる)。 山崎洋子事務所を経てフリーランスとなり、その後オスカープロモーションに所属していた。 東京都大田区出身。日本大学藝術学部卒業。身長:170cm、体重:59kg。身長165cm(1972年3月)、体重:55kg。妻は元女優の白坂紀子。長男は元俳優、元タレントの匠。 大川橋蔵に憧れ、幼少時から将来は役者を志す。中学高校時代は剣道部に所属。初段を獲得し、東京大会で優勝するほどの腕前だった。大森三中卒業後、15歳で劇団こまどりに所属。玉川学園高等部在学中の1969年に芸術座の舞台『巨人の星』で主役デビュー。
かとう ひろし(本名および旧名:加藤 広司、1951年5月1… かとう ひろし(本名および旧名:加藤 広司、1951年5月10日 - )は、日本の漫画家、グラフィックデザイナー。千葉県出身。千葉大学卒業。 代表作は、『月刊コロコロコミック』(小学館)で連載されていた『仮面ライダーSD 疾風伝説』『はるかなる甲子園 駆けろ!大空』『サイファー』『チョコボのふしぎものがたり』など。後にWeb漫画や『コミックボンボン』(講談社)などでも執筆している。また、2004年より漫画の専門学校の講師としても活動している。 1971年、漫画雑誌『COM』に投稿した『女の中の男一匹』でデビュー。この作品は4ページ分を1ページに縮小して掲載するという試みを用いている。『COM』への投稿は続いたものの、雑誌の廃刊でいったん漫画家活動を休止。
井上 勝雄(いのうえ かつお、1951年(昭和26年) - … 井上 勝雄(いのうえ かつお、1951年(昭和26年) - )は、日本の工学者、プロダクトデザイナー。広島国際大学教授。ラフ集合によるデザイン評価、感性視点のインタフェースデザイン研究や、ユニバーサルデザイン研究などを行う。 1951年(昭和26年)東京都生まれ。千葉大学大学院にて、あいまい問題に興味をもち統計学を学ぶ。1978年(昭和53年)、三菱電機デザイン研究所に入社。ファジィ理論によるデザイン評価の研究を中心に行い、2002年(平成14年)、広島国際大学・教授に着任。 三菱電機では、オーディオ・ビデオ製品デザイン、空間デザイン設計研究と施設の空間コンセプト企画と提案、プリンター等の製品デザイン担当後、携帯電話の製品戦略と製品デザイン企画・開発を担当。
岡本 一宣(おかもと いっせん、1951年 - )は日本のア… 岡本 一宣(おかもと いっせん、1951年 - )は日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー、出版プロデューサーである。エディトリアル・デザインを中心として、一般誌、PR誌、写真集から書籍などのアートディレクション及びデザインを行っている。長崎県長崎市出身。 企業のCI、VIそれに伴うコンセプト作り、企業のロゴマーク開発、会社案内などビジュアル制作や広告制作なども手掛けている。「美は存在の力」を念頭に、現在進行形型のデザインファクトリーにて活動。進化するさまざまな文化を伝達する道具としての「日本グラフィック・デザイン技術」を日々開発、完成を目指している。
和田 裕(わだ ひろむ 1951年 - )は、日本の工業デザ… 和田 裕(わだ ひろむ 1951年 - )は、日本の工業デザイナー、長岡造形大学名誉教授、第4代学長である。 岐阜県生まれ。東海大学教養学部芸術学科卒業。いすゞ自動車で20年余インダストリアルデザイナーとして勤務した後、1994年に長岡造形大学造形学部助教授就任、1998年に教授就任。2012年4月1日付けで学長就任、2020年まで学長を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中村 史郎(なかむら しろう、1950年10月17日 - )… 中村 史郎(なかむら しろう、1950年10月17日 - )は、日本のカーデザイナー、工業デザイナー。 大阪府出身。武蔵野美術大学工業デザイン専攻卒業。 ジェミニ(3代目)、ビークロス(ただし1993年発表のコンセプトカーのみ。)、ウィザード/ミュー(2代目)のチーフデザイナーとして参画。 いすゞ自動車時代より、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインでの派遣留学、ゼネラルモーターズアドバンスデザインスタジオやいすゞヨーロッパエンジニアリング時代の経験や人脈を評価され、海外のヘッドハンティング会社を通じて日産自動車に移籍した。なお、この日産自動車への移籍に当たっては、1999年10月に行われたが、実際にヘッドハンティングの会社から打診があったのは同年6月末と本人が語っている。
小西 良幸(こにし よしゆき、1950年10月9日 - )は… 小西 良幸(こにし よしゆき、1950年10月9日 - )は、日本の男性ファッションデザイナー。ドン小西名義でタレント活動も行う。本名は小西正紀 (こにし まさのり)。。 三重県津市出身。元サムデイ所属。 父方の親族に医者が多く、母は呉服屋を営む。 三重大学教育学部附属小学校、三重大学教育学部附属中学校、佼成学園高校を卒業。芝浦工業大学を不合格となり、明星大学理工学部へ入学するも中退。在学時にはロンドンへ短期留学する。文化服装学院卒業後、アパレルメーカー「GRASS」(本社は広尾、店舗は原宿)に就職。同僚に舘ひろしや永田友純がいた。 1981年に独立し、小西良幸デザインオフィスを設立。自身のファッションブランド「FICCE(FICCE UOMO、FICCE RAZZA)」を立ち上げる(FICCEという単語に意味はない)。
朝月 真次郎(あさつき しんじろう、1950年(昭和25年)… 朝月 真次郎(あさつき しんじろう、1950年(昭和25年)7月18日 - )は、日本のファッションデザイナーであり、東京ファッションデザイナー協議会の正会員である。1980年にアパレルメーカーJUNで、レディースブランドジェイ&アール(J&R)のマーチャンダイザーに就任する。その後、1987年、そのメンズラインである、LUNA MATTINOのデザイナーに就任。デザイナーズブランドとして大きな成功を収める。1998年に独立、株式会社アサツキ・デザイン・オフィスを設立し、ブランドMOOD et MOON MODE et MOONを立ち上げ、外苑前に路面店をオープン。演劇・コンテンポラリーダンス・音楽・CM等で衣装の作成や提供を行った。
面出 薫(めんで かおる、1950年6月12日 - )は、日… 面出 薫(めんで かおる、1950年6月12日 - )は、日本の建築照明デザイナー。東京都生まれ。男性。 1950年、東京に生まれる。東京藝術大学美術学部デザイン科卒業後、同大学院美術研究科修士課程を修了。ヤマギワを経て、1990年に株式会社ライティング プランナーズ アソシエーツを設立、代表取締役。住宅照明から建築照明、都市・環境照明の分野まで幅広い照明デザインのプロデューサー、プランナーとして活躍するかたわら、東京藝術大学非常勤講師、そして武蔵野美術大学客員教授としても教鞭を振る。市民参加の照明文化研究会・照明探偵団を組織し団長として精力的に活動を展開中。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
鈴木 一誌(すずき ひとし、1950年〈昭和25年〉4月8日… 鈴木 一誌(すずき ひとし、1950年〈昭和25年〉4月8日 - 2023年〈令和5年〉8月19日)は、日本のグラフィックデザイナー、映画批評家である。 東京造形大学中退。杉浦康平事務所に12年間在籍したのち、1985年に独立。1981年、第1回ダゲレオ出版評論賞を受賞する。1998年、第29回講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞する。1995年から1999年にかけて、『知恵蔵』のフォーマットをめぐる裁判が朝日新聞社とのあいだで行われ、2001年、その記録をまとめた『知恵蔵裁判全記録』が刊行される。2001年より戸田ツトムとともに雑誌『d/SIGN』の責任編集にたずさわる。2011年、土本典昭との編著『全貌フレデリック・ワイズマン アメリカ合衆国を記録する』が刊行される。
近藤 喜文(こんどう よしふみ、1950年3月31日 - 1… 近藤 喜文(こんどう よしふみ、1950年3月31日 - 1998年1月21日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家・監督。スタジオジブリ所属。新潟県五泉市出身。妻はアニメーション色彩設計者の近藤浩子(旧名:山浦浩子)。1子あり。 高畑勲、宮崎駿両監督作品を1970年代から晩年までアニメーターとして支え続けた。 1995年の映画『耳をすませば』で初めて劇場用長編アニメーションの監督を務め、次代の日本のアニメーション、またスタジオジブリを担う作家として、演出面でも将来を嘱望されていたが、47歳で急死した。 メリハリのあるアクションから細やかな生活芝居まで手がける高い技術と、仕事に妥協を許さない姿勢、人々を見つめる温かな眼差しは、今なお後進のアニメーターに影響を与え続けている。
きよ彦(きよひこ、本名・大堀 清日古(おおほり きよひこ)、… きよ彦(きよひこ、本名・大堀 清日古(おおほり きよひこ)、1950年3月25日 - 2019年10月28日)は、日本の着物デザイナー、タレント、料理人、料理研究家。 福島県耶麻郡西会津町出身。福島県立西会津高等学校卒業。血液型はO型。趣味は宝塚観劇。 旅館の板前をしていた父と、農家出身の母の間に生まれる。 小学5年の時に両親が離婚。 母と妹と3人で暮らし、高校卒業後に上京。 サラリーマン、六本木のバーのオーナーを経て、1988年に京都の呉服問屋の勧めで着物のデザインを始める。花をモチーフにした斬新なデザインで知られる。 1990年代初頭からコメンテーター・タレントとしてテレビ番組に出演するようになる。
浅井 洋子(あざい ようこ、1950年2月24日 - )は、… 浅井 洋子(あざい ようこ、1950年2月24日 - )は、ファッションデザイナー、学校経営者。 北海道出身。北星学園女子高等学校卒業。昭和女子短期大学中退後、1971年専門学校北海道ドレスメーカー学院夜間本科卒業。1975年杉野学園ドレスメーカー学院デザイナー科卒業。1975年専門学校北海道ドレスメーカー学院専任講師。同院長代理。同プロフェッション科長。1980年浅井淑子 (教育者)の逝去に伴い、専門学校北海道ドレスメーカー学院2代学院長に就任。2008年学校法人北海道浅井学園理事長。2019年専門学校北海道ドレスメーカー学院名誉院長・学校法人浅井学園理事長。2021年札幌ファッションデザイン専門学校DOREME名誉校長。
副田 高行(そえだ たかゆき、1950年2月24日 - )は… 副田 高行(そえだ たかゆき、1950年2月24日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、アートディレクターである。 1950年、福岡県生まれ、東京都育ち。1968年、東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。スタンダード通信社、サン・アド、仲畑広告制作所を経て副田デザイン制作所設立。 東京アートディレクターズクラブ会員、日本グラフィックデザイナー協会会員。 朝日広告賞、東京ADC賞、TCC特別賞、毎日広告デザイン賞、読売広告大賞、フジサンケイグループ広告大賞新聞制作者賞、日経広告賞、日経広告賞商品広告賞など受賞多数。
堀越 哲美(ほりこし てつみ、TETSUMI HORIKOS… 堀越 哲美(ほりこし てつみ、TETSUMI HORIKOSHI、1950年1月9日 - )は、日本の環境デザイナー。名古屋工業大学名誉教授。名古屋工業大学副学長を経て、愛知産業大学学長。 専門は、建築環境、都市環境、デザイン。生気象学会長、愛知県建築審査会会長、名古屋市都市計画審議会会長、矢作建設工業取締役等も歴任した。 1950年東京都生まれ。1973年北海道大学工学部衛生工学科卒業。1978年東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻博士課程修了。同年日本国有鉄道に入社し、設計活動に携わる。1981年豊橋技術科学大学工学部助手。1985年大阪市立大学生活科学部講師。1988年名古屋工業大学工学部助教授。
湖川 友謙(こがわ とものり、1950年1月3日 - )は、… 湖川 友謙(こがわ とものり、1950年1月3日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家。旧名は湖川 滋(こがわ しげる)。そのほか、園田美世、花畑まう、小国一和、亥間我子、重塚我子、江塚我子、駅間我子、TOIIIO、枯葉紅葉、音間聞、下井草伊井乃弼、小馳那乃國広道など、多数の別名義を用いている。NEOX顧問。北海道紋別郡遠軽町出身。出生時の名は滋であったが、姓名判断の結果を受け、手続きを経て正式に友謙に改名している。 1970年代の『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ、『銀河鉄道999』といった松本零士作品の作画監督を経て、1980年代に、『伝説巨神イデオン』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』といった日本サンライズ制作の富野由悠季監督のテレビアニメのキャラクターデザインを手掛けた。
浅野 正敏(あさの まさとし、1950年 - )は、日本の建… 浅野 正敏(あさの まさとし、1950年 - )は、日本の建築家・インテリアデザイナー。埼玉県飯能市出身。浅野設計室主宰。2006年から駿河台大学経済学部非常勤講師。
船橋 芳信(ふなばし よしのぶ、1950年 - )は、日本の… 船橋 芳信(ふなばし よしのぶ、1950年 - )は、日本のファッションデザイナー・パタンナー。イタリア・ミラノ在住。ファッションブランド「スタジオ イプシロン」を設立した。 1950年、洋服の仕立職人の長男として長崎県長崎市に生まれる。長崎県立長崎東高等学校を経て、早稲田大学第二文学部に進学。浅利誠の誘いを受けて劇団に入り、幼少期から触れていたミシンの技術を生かして舞台衣装を制作する中で、服作りに興味を持つようになったという。大学卒業後、型紙(パターン)の技術を習得したいと伊東茂平衣服研究所へ通い修了、パターンを作るメーカーに就職した。 1980年にイタリアへ渡り、ボローニャのメーカーと契約してコレクションに参加するようになった。
梅原 真(うめばら まこと、1950年 - )は、日本のグラ… 梅原 真(うめばら まこと、1950年 - )は、日本のグラフィックデザイナー。梅原デザイン事務所代表。「土地のチカラを引き出すデザイン」で2016年度 毎日デザイン賞・特別賞。武蔵野美術大学客員教授。 高知県高知市出身。大阪経済大学卒業後、RKCプロダクション美術部に入社。日本テレビで研修後、スタジオの大道具担当になる。25歳の時、スペインへ渡り休職。1979年、退職後にアメリカ大陸を横断し、サンフランシスコ滞在を経て帰国の後、梅原デザイン事務所を設立。高知を拠点に「一次産業×デザイン=風景」をモットーにデザイン活動を展開。 1988年、「土佐一本釣り・藁焼きたたき」のデザインでカツオの一本釣り漁法を支え、8年間で年商20億円の産業を作り出す。
入江 経一(いりえ けいいち、1950年 - )は、日本の建… 入江 経一(いりえ けいいち、1950年 - )は、日本の建築家、工業製品デザイナー・キュレーター・デザインディレクター。デザイン教育者。デザイン教育者としての専門はインタラクションデザイン理論やインタラクションデザインプログラム。建築とアート、デジタルネットワーク環境などの境界域で活動を築いてきた人物。多摩美術大学美術学部、情報科学芸術大学院大学教授を歴任し、現神戸芸術工科大学大学院/芸術工学部映像表現学科教授。東京出身。 1974(昭和49)年、東京芸術大学美術学部建築科卒業、1976年同大学大学院修士課程修了。大学院時代に建築評論も行っていた評論家の多木浩二と出会ってMOMAでの都市展(1975年)に向けて1年半のリサーチと制作にかかわり、都市フィールドワークとその理論化を図る。
沖 健次(おき けんじ、1950年 - )は、日本のインテリ… 沖 健次(おき けんじ、1950年 - )は、日本のインテリアデザイナー。ジ・エアーデザインスタジオ代表。東京造形大学教授。 熊本県出身。東京造形大学卒業後、クラマタデザイン事務所を経てジ・エアー・デザインスタジオ設立。主に家具・インテリアデザインを中心に活動。
近藤 康夫(こんどう やすお、1950年 - )は東京都出身… 近藤 康夫(こんどう やすお、1950年 - )は東京都出身のインテリアデザイナー。近藤康夫デザイン事務所代表。東京造形大学造形学部デザイン学科室内建築専攻特任教授。東京造形大学卒業後、三輪正弘環境造形研究所、クラマタデザイン事務所を経て近藤康夫デザイン事務所を設立。 1950年、東京生まれ。1973年、東京造形大学造形学部デザイン学科室内建築専攻卒業。同年、三輪正弘 環境造形研究所に入所。(- 1976年まで)1977年 - 1981年、クラマタデザイン事務所勤務。1981年、近藤康夫デザイン事務所設立。2005年よりシャープのデザイン顧問。2006年 - 2011年、九州大学大学院芸術工学研究院教授。
荒 知幾(あら ともいく、1950年 - )は日本の建築家・… 荒 知幾(あら ともいく、1950年 - )は日本の建築家・インテリアデザイナー。東京都出身。日本大学芸術学部美術学科卒業。 1986年にホテルニューハコダテ再構築がイタリアのOttagono誌に掲載。国際的な評価を得る。 1988年に住宅建築のVILLA IN A SMALL MOUNTAIN 、1992年にレストランCAPRICCIOのインテリアデザインを手掛ける。 2008年には建築家クリスチアーノ・トラルド・ディ・フランシア、添田浩との共同設計による大規模共同住宅が”都市の自然”をテーマとして千歳烏山に完成。 コンセプターとしてはTEATRO SUPERSTUDIO(2008年)、X-SCAPESデザイン展(2009年)などの国際的なイベントを成功させている。
高橋 秀夫(たかはし ひでお、1950年 - )は兵庫県尼崎… 高橋 秀夫(たかはし ひでお、1950年 - )は兵庫県尼崎市生まれのグラフィックデザイナー、イラストレーター、ウェブデザイナー。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
伊藤 重夫(いとう しげお、1950年 - )は、日本の 漫… 伊藤 重夫(いとう しげお、1950年 - )は、日本の 漫画家、絵本作家、デザイナー。兵庫県神戸市出身。 兵庫県立兵庫工業高等学校デザイン科を出て、セツ・モード・セミナー中退。1971年に勝川克志、宮岡漣二、三宅政吉らと跋折羅社を設立(1977年退会)。神戸にてデザイン・スタジオ『ロケット・スタジオ』主宰。『跋折羅』(跋折羅社)、『夜行』(北冬書房)等に作品を発表した。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。