森 南海子(もり なみこ、1934年7月9日 - )は、日… 森 南海子(もり なみこ、1934年7月9日 - )は、日本の服飾デザイナー、エッセイスト。日本に「リフォーム」という言葉を根付かせたとされ、また布の蒐集家としても知られる。 大阪府大阪市出身。大阪府立北野高等学校卒。本名は松村南海子。戦後まもなく、南海子が小学6年生のとき父が死去し、母と二人で生活する。母・しまは甘粕の出身で甘粕正彦と甘粕重太郎とは従兄弟の関係であり、甘粕石介は母の弟で、南海子の叔父にあたる。 1958年に、大阪の阪神百貨店の洋服売り場で当時「お直し」や「修繕」と言われていた洋服のリフォームの店を出した。「手縫い塾」を主宰し、ホテル阪神の地下にも店を持った。 また、確実な収入源として、1959年にリフォームの店と同じ阪神百貨店の地下に食堂「天ぷら森」を開いた。
松田光弘(まつだ みつひろ 1934年4月2日 - 2008… 松田光弘(まつだ みつひろ 1934年4月2日 - 2008年5月17日)は、日本のファッションデザイナー。 1934年4月2日、東京八王子の呉服店に生まれる。桐朋中学校・高等学校を経て早稲田大学教育学部を卒業後、文化服装学院、セツ・モードセミナーで学び、三愛へ入社する。退職後の1967年3月、ファッションブランド「ニコル」を立ち上げ、数寄屋橋阪急に店舗をオープンする。その後、1971年には服飾会社である株式会社ニコルを設立して代表取締役となる。ファッションの創作においては、コントラストの強い色調や複数テーマによるデザイン傾向もみられた。肝細胞癌のため、2008年5月17日に東京で逝去。
土肥 博至(どひ ひろし、1934年 - )は、日本の建築家… 土肥 博至(どひ ひろし、1934年 - )は、日本の建築家、都市計画家、アーバンデザイナー、芸術工学者。工学博士。元神戸芸術工科大学学長。専門は環境デザイン、建築デザイン。筑波大学名誉教授。東京都出身。 1934年に東京都で生まれる。東京大学工学部建築学科を経て、同大学院数物系研究科へ進学する。その後、日本住宅公団に就職し、若林時郎,小林篤夫,東京大学高山研の土田旭,大村虔一らと高蔵寺ニュータウン計画、若林、南條道昌らと、筑波研究学園都市の計画、設計、建設を担当した。1971年に東京教育大学助教授となり、筑波大学のキャンパスデザインを行った。1976年に筑波大学芸術学部(後に芸術系)の教授となり都市計画・建築計画、園芸学・造園学、農業土木学・農村計画学などの研究を行う。
岡本 滋夫(おかもと しげお、1934年 - )は、日本のグ… 岡本 滋夫(おかもと しげお、1934年 - )は、日本のグラフィックデザイナー。1934年名古屋生まれ。愛知学芸大学(現愛知教育大学)卒業。2006年3月まで名古屋造形芸術大学教授、現在同名誉教授。愛知県立芸術大学大学院非常勤講師、日本デザイナー芸術学院顧問。(社)日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)会員、中部デザイン団体協議会(CCDO)名誉会長、中部クリエーターズクラブ(CCC)名誉会長。広告電通賞審査委員、中日新聞広告賞審査委員。 全国カレンダー展通商産業省生活産業局長賞、ディスプレー産業賞2003優秀賞、ほか国内外のポスター展等において多数の受賞を重ねている。
小松 敏明(こまつ としあき、1934年 - 2021年3月… 小松 敏明(こまつ としあき、1934年 - 2021年3月29日)は、日本のデザイナー。東京芸術大学名誉教授。長野県出身。 1953年(昭和28年)、長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1959年(昭和34年)、東京芸術大学美術学部デザイン科、同大学院修了。 東京芸術大学美術学部助教授、教授を務めた後、2002年(平成14年)定年退官。東京芸術大学名誉教授。 小松のデザインは、通信機器や登山・スキー用具などのデザインにはじまり、 教育・研究の場においては、"はたらきと美の統合"をテーマとして、工業デザインを軸に幅広いフィールドで展開されてきた。 東京芸術大学大学美術館で開催された退官記念展では、1980年代以降のデザインに関わった製品及び試作的作品を中心に、 その一端を"生活のどうぐ"、"生産のどうぐ"に大別し、「どうぐデザイン展」と題して展示紹介された。
岡田 嘉夫(おかだ よしお、1934年 - 2021年1月3… 岡田 嘉夫(おかだ よしお、1934年 - 2021年1月31日)は、日本の画家、グラフィックデザイナー。 源氏物語などの古典作品を題材とした小説の挿画や、田辺聖子をはじめとする作家との共著により、現代的な絵草紙を数多く手がける。鮮やかな色彩、大胆な構図、官能的な描線を駆使することで独自の世界を構築し、現代の浮世絵師とも称されている。[誰によって?]近年[いつ?]においては、作家・橋本治とともに、歌舞伎を題材にした作品に取り組み、「歌舞伎絵」の創作に力を注ぐ一方、自ら古典落語のアレンジ及びプロデュースも手がける。ほか、一点物の派手なシャツ「エエマイシャツ」のデザインも手掛ける。 姉は新興キネマの女優・松浦妙子、又姪(まためい)は元宝塚歌劇団雪組の未涼亜希。
遠藤 享(えんどう すすむ、1933年12月22日 - 20… 遠藤 享(えんどう すすむ、1933年12月22日 - 2024年2月10日)は、日本のグラフィックデザイナー。山梨県甲府市生まれ。東京ADC会員、JAGDA会員。 1959年武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)デザイン科中退。1962年桑沢デザイン研究所グラフィックデザイン研究科卒。 その作品はドイツ、ユーゴスラビア、ブルガリア、フィンランド等の世界各国で賞を受けており、大英博物館、サンパウロ美術館を初め、多数の美術館にコレクションされている。 2024年2月10日、脳膿瘍のため死去。90歳没。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
水野 卓史(みずの たくし、1933年11月21日 - )は… 水野 卓史(みずの たくし、1933年11月21日 - )は日本のグラフィックデザイナー、アートディレクター。元・資生堂宣伝文化部顧問。水野デザイン事務所主宰。大阪府大阪市西区靭町出身。多摩美術大学卒業。子に川柳家の水野タケシ。 日本画家の父を持つ家庭に生まれる。のちに大阪府立寝屋川高等学校に進学後、美術部に入部し、デッサンを学んだことから、本格的なデザインへの道を志すと共に、そのまま多摩美術大学に進学。1955年、多摩美術大学図案科を卒業後、資生堂に入社。大阪支社宣伝文化部別室に配属される。 元々は大阪支社の別室チーフになるべき存在であったが、その当時、宣伝部に所属していた主任デザイナーが交通事故で物故したことから、急遽1959年に東京へ異動。
仲條 正義(なかじょう まさよし、1933年5月4日 - 2… 仲條 正義(なかじょう まさよし、1933年5月4日 - 2021年10月26日)は、日本のグラフィックデザイナー、女子美術大学客員教授。 東京都生まれ。千葉県立匝瑳高等学校、東京芸術大学美術学部図案科卒業。大学時代の同級生に福田繁雄、江島任がおり、芸大三羽烏と呼ばれた。1956年に資生堂宣伝部に入社。 1959年、資生堂を退社し河野鷹思を中心に八幡製鐵(現・新日本製鐵)との共同出資で設立されたデスカに福田繁雄、江島任、森下俊彦、日下弘らとともに参加。 翌年にフリーランス。1961年に仲條デザイン事務所を設立。以降、グラフィックデザインを領域に資生堂、松屋銀座、東京都現代美術館など中心に様々なクライアントで活躍する。
豊口 協(とよぐち きょう、1933年4月29日 - )は、… 豊口 協(とよぐち きょう、1933年4月29日 - )は、日本の、工業デザイナーである。現在、長岡造形大学名誉教授、東京造形大学名誉教授。元東京造形大学学長、元長岡造形大学学長。専門分野はインダストリアルデザイン。
河上 恭一郎(かわかみ きょういちろう、1933年 - )は… 河上 恭一郎(かわかみ きょういちろう、1933年 - )は、日本のガラス工芸家、デザイナー。伝統的な江戸切子や現代ガラス工芸の分野で国際的に活動し、日本の伝統美と現代デザインを融合させた作品で高く評価されている。毎日産業デザイン賞や日本クラフト賞など受賞多数。 千葉県出身。東京藝術大学美術学部工芸科で図案(デザイン)を学び、1957年に卒業。卒業後は保谷硝子(現・HOYA)に入社し、クリスタルガラスのデザインや商品開発に従事した。 1970年代に独立し、以降はフリーランスのガラスデザイナー、工芸家として活動を開始。日本の伝統的なカットガラス(切子)の技法を再解釈し、現代のライフスタイルに調和する器やオブジェを多数発表。
吉田 佳広(よしだ よしひろ、1933年 - 2016年3月… 吉田 佳広(よしだ よしひろ、1933年 - 2016年3月15日)は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会会員。長崎県出身。 1933年ソウル生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、中央大学法学部卒業後、高橋正人デザイン研究所を修了した。日本アートデザインへの勤務を経て、1966年に吉田佳広デザイン研究室を設立した。ヴィジュアルデザイン研究所、岡山大学教育学部、東京造形大学で講師を務めたほか、実用技能検定協会理事、日本フォントコンテンツ文化協会理事、レタリング技能検定中央試験委員長などを歴任した。 東京アートディレクターズクラブ(ADC)賞、全日本シーエム放送連盟(ACC)賞、ニューヨークタイプディレクターズクラブ展(N.Y.TDC展)入賞、電通賞、日本タイポグラフィ年鑑ベストワーク賞などデザインに係わる賞のほか、文部科学省から社会教育功労者賞を受けた。
道吉 剛(みちよし ごう、1933年 - 2019年9月10… 道吉 剛(みちよし ごう、1933年 - 2019年9月10日)は、日本のデザイナー、装丁家。 岡山県津山市出身。桑沢デザイン研究所リビングデザイン研究科卒業。 1964年東京オリンピックではデザイン室のコーディネーターを務め(当時は季刊『グラフィック・デザイン』の編集部に在籍)、自らも一部でデザインに関わった。 1970年の日本万国博覧会(大阪万博)では協会副参事デザイン担当となった。 株式会社道吉デザイン研究室を設立。かつて大熊肇も勤務していた。
向井 周太郎(むかい しゅうたろう、1932年10月25日 … 向井 周太郎(むかい しゅうたろう、1932年10月25日 - 2024年10月24日)は、東京都出身のデザイナー・デザイン教育者、具体詩の詩人。武蔵野美術大学名誉教授。基礎デザイン学創設者(初代会長)、専門分野はデザイン学、基礎デザイン学、インダストリアルデザイン。
望月 好夫(もちづき よしお、1932年10月14日 - 2… 望月 好夫(もちづき よしお、1932年10月14日 - 2019年3月10日)は、日本の産業工芸分野のインダストリアルデザイナー、技術者。工芸品を普段の生活で使えるものとしてデザインし、青森県の産業として定着させた。 静岡市に生まれる。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1956年、東京芸術大学美術学部工芸科漆芸専攻卒業。同年、青森県工業試験場漆工課勤務。1986年、青森県木工指導所所長。1988年、青森県工業試験場場長。1993年、同試験場停年退官。1994年、弘前工芸協会理事長。青森県技術アドバイザー、社団法人日本クラフトデザイン協会会員。 2019年3月10日、慢性閉塞性肺疾患のため死去。
黒木 靖夫(くろき やすお、1932年10月2日 - 200… 黒木 靖夫(くろき やすお、1932年10月2日 - 2007年7月12日 )は、日本の工業デザイナー。 ソニー株式会社宣伝部長・意匠部長・クリエイティブ本部長・取締役、ソニー企業代表取締役社長を歴任した。 1993年にソニーを退職後、株式会社黒木靖夫事務所を設立し独立。富山インダストリアルデザインセンター(現富山県総合デザインセンター)所長を務める。 東北芸術工科大学客員教授、成安造形大学客員教授、立命館大学客員教授。 宮崎県西都市に生まれる。宮崎県立妻高等学校(第5回生)、千葉大学工学部工業意匠学科卒業。 学科推薦でそごうへ入社し広告を担当。3年後に新聞でソニーの求人広告を見つけ中途入社する。
杉浦 康平(すぎうら こうへい、1932年9月8日 - )は… 杉浦 康平(すぎうら こうへい、1932年9月8日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、アジアの図像学研究者、神戸芸術工科大学名誉教授、同大学アジアンデザイン研究所(RIAD)所長。 意識領域のイメージ化で多元的なデザイン宇宙を切り開き、レコードジャケット、ポスター、ブックデザイン、雑誌デザイン、展覧会カタログデザイン、ダイアグラム、切手などの第一線で先端的かつ独創的な活躍を展開。また、「マンダラ 出現と消滅」展や「アジアの宇宙観」展、「花宇宙・生命樹──アジアの染め・織り・飾り」展など、アジアの伝統文化を展覧会企画構成および斬新なカタログデザインで紹介するとともに、マンダラ、宇宙観を中核とする自らの図像研究の成果を『かたち誕生』ほかの幾多の著作をとおして精力的に追究している。
日下 弘(くさか ひろし、1932年6月1日 - 1989年… 日下 弘(くさか ひろし、1932年6月1日 - 1989年2月13日)は、日本のデザイナー、装丁家。 東京生まれ。東京芸術大学美術学部卒業。1956年、同研究科修了。 1950年代、デザイン事務所「デスカ・DESKA (DESigners Kono Associates)」(河野鷹思と、河野の妻の静子が創設)に参加。仲條正義、福田繁雄、江嶋任、森下俊彦らがメンバーだった。 60年代~70年代、創元推理文庫のブックデザインを多数担当した。また、角川文庫のJ・D・サリンジャー作品、アルベルト・モラヴィア作品のデザインも担当。 1961年東京芸術大学講師、1964年女子美術大学講師、1966年日本エディタースクール講師、1969年愛知県立芸術大学講師を経て、後に東京学芸大学教育学部教授を務めた。
福田 繁雄(ふくだ しげお、1932年2月4日 - 2009… 福田 繁雄(ふくだ しげお、1932年2月4日 - 2009年1月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。 日本グラフィックデザイナー協会三代目会長。単純化された形態とトリックアートを融合させたシニカルなデザインが特徴。「日本のエッシャー」とも称される。 画家の福田美蘭は娘。童画家の林義雄は義父(妻・靖子の父)。 東京都台東区浅草出身。母の郷里二戸市に疎開し、岩手県立福岡高等学校を経て東京芸術大学図案科卒業(1956年)。大学在学中に日本童画会展アンデルセン生誕150年記念賞などを受賞。 卒業後、味の素デザイン室を経て、1958年フリーとなる。1966年、日本宣伝美術会会員。1967年、日本万国博覧会の公式ポスターに入選して脚光を浴びる。
杉浦 範茂(すぎうら はんも、男性、1931年9月17日 -… 杉浦 範茂(すぎうら はんも、男性、1931年9月17日 - )は、日本のイラストレーター、デザイナー。児童文学の挿絵を多数担当する。 愛知県生まれ。1958年に東京芸術大学美術学部図案科卒業。製薬会社やデザイン事務所の職歴を経由した後、現在は画業のみに専念。日本児童出版美術家連盟、東京イラストレーターズ・ソサエティなどに所属。 芸術選奨新人賞(1985年)、紫綬褒章受章。 現在、東京都世田谷区在住。
三好 重恭(みよし しげやす、1931年8月9日 - 202… 三好 重恭(みよし しげやす、1931年8月9日 - 2022年7月8日)は、日本の実業家、工業デザイナー。アルマン株式会社創業者。禁煙グッズ「禁煙パイポ」の開発者であり、1980年代半ばにユニークなテレビCM戦略で社会現象を巻き起こしたヒットメーカーとして知られる。 1984年の設立当初、社長以下わずか4名の体制で「禁煙パイポ」を発売。静岡県でのテスト販売を経て、首都圏、名古屋、大阪へと市場を拡大した。発売当初は月商580万円ほどであったが、テレビCMのヒットにより1年足らずで月商3億円(年商換算30億円規模)を超える爆発的な成長を記録した。 三好は禁煙パイポを単なる健康器具ではなく、口寂しさを紛らわせる「おしゃぶり」のような「心理的商品」と定義した。
大塚 康生(おおつか やすお、1931年7月11日 - 20… 大塚 康生(おおつか やすお、1931年7月11日 - 2021年3月15日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。島根県生まれ、山口県育ち。演出を担当する際には、鈴木一というペンネームを用いることがある。晩年は日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員、テレコム・アニメーションフィルム顧問であった。 1931年、島根県に生まれる。小学2年生のときに山口県山口市に転居した。戦前から終戦直後にかけての少年時代に機関車や米軍の軍用車両などのスケッチに熱中し、やがて絵で生計を立てたいと思うようになる。 旧制中学を卒業後、1951年に山口県庁に就職するも、翌年には漫画家を目指して上京を決意。
清原 悦志(きよはら えつし、1931年 - 1988年)は… 清原 悦志(きよはら えつし、1931年 - 1988年)は東京都出身のグラフィックデザイナー、ブックデザイナー。 東京都出身。1955年、東京教育大学(現筑波大学)教育学部芸術学科構成学専攻卒業(高橋正人に師事)。1956年3月、東京教育大学教育学部芸術学科構成学専攻科修了卒業。清原悦志デザイン室主宰、株式会社正方形主宰。日本の近代詩のリーダーの一人である北園克衛の主宰するグループVOUに参加し、純粋形象としての写真や立体造形を残している。 北園克衛、高橋正人、勝井三雄、杉浦康平、板東孝明、白井敬尚、清原惟 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
中村 哲夫(なかむら てつお、1931年 - 没年不明)は、… 中村 哲夫(なかむら てつお、1931年 - 没年不明)は、デザイナー、著述家。長野県出身。同志社大学卒業。雑誌編集者ののち、グラフィック・デザイナー。城下町・宿場町など全国の古い町並みを訪ね著作をなす。日本建築学会会員。
芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - 2018… 芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - 2018年10月20日)は、日本のファッションデザイナー。株式会社ジュンアシダ創業者。 上皇后美智子の皇太子妃時代における専任デザイナーを務めたことで知られている。アトランタオリンピック日本選手団の公式ユニフォームや、全日空など有名企業の制服も多数手かげた。師匠はイラストレーターの中原淳一。 1930年、日本統治時代の朝鮮全羅北道全州において、京都府出身の両親のもとに生まれる。本名は淳(あつし)。8人兄弟の末っ子で、当時、父親は京都府丹後地方の実家から日本統治下の朝鮮に渡り病院を開業していた。1941年、父親の急逝を受け家族で日本に引き揚げる。
芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - )は、日… 芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - )は、日本のファッションデザイナー。株式会社ジュンアシダ代表取締役会長。
小野 かおる(おの かおる、1930年8月19日 - 202… 小野 かおる(おの かおる、1930年8月19日 - 2020年10月13日)は、日本の絵本作家・画家、スペースデザイナー。東京造形大学名誉教授。 本名は成子(=しげこ)。父は詩人でロシア文学者の中山省三郎。娘は絵本作家おのりえん(小野里宴)。 東京芸術大学美術学部油絵科卒業。2007年、長年にわたる昔話絵本の創作活動に対して第30回巖谷小波文芸賞受賞。厚生大臣賞、サンケイJR賞、吉村証子賞のほか、『オンロックがやってくる』(福音館書店)で第43回産経児童出版文化賞受賞。
上田 篤(うえだ あつし、1930年〈昭和5年〉8月12日 … 上田 篤(うえだ あつし、1930年〈昭和5年〉8月12日 - )は、日本の建築学者・建築家・都市環境空間デザイナー。専門は、都市計画・比較文明論。学位は、工学博士(京都大学・1971年)。 滋賀県彦根市出身(出生地は大阪府。里帰り出産後の生育地は、引き揚げまで満洲の奉天市、北支の濰縣(中国語版)、青島市。)。京都大学助教授・大阪大学教授・京都精華大学教授を経て、京都精華大学名誉教授。上田篤都市建築研究所主宰。 専門は主に建築工学であり、主な作品に「橋の博物館」「大阪万国博覧会お祭り広場」「旭川市平和通買物公園」などがある。 しかしながら、建築分野で評価を受ける反面、近年は古典分野の執筆活動を展開している。
杉田 豊(すぎた ゆたか、1930年7月13日 - 2017… 杉田 豊(すぎた ゆたか、1930年7月13日 - 2017年5月19日)は、グラフィック・デザイナー、絵本作家。筑波大学名誉教授(平成6年度付与)。
妹尾 河童(せのお かっぱ、本名同じ、旧名:妹尾 肇(せのお… 妹尾 河童(せのお かっぱ、本名同じ、旧名:妹尾 肇(せのお はじめ)、1930年(昭和5年)6月23日 - )は、兵庫県神戸市生まれのグラフィックデザイナー・舞台美術家・エッセイスト・小説家。 自著『河童が覗いた』シリーズでの緻密な手書きイラストレーションでも知られている。妻はエッセイストの風間茂子。 神戸で洋服屋の長男として生まれる。 小学生の時、芥川龍之介の『三つの宝』を裕福な友人から借りたくて、その友人が冗談で出した「空中2回転が出来たら貸す」という条件を鵜呑みにして失敗、肩から落下し骨折した経験がある。本自体は友人が父親に内緒で貸し出した。近所に可愛がってくれる青年が数人いたが彼は出征、非合法活動による逮捕、召集拒否からの自殺によって居なくなる。
大野 松雄(おおの まつお、1930年6月17日 - 202… 大野 松雄(おおの まつお、1930年6月17日 - 2022年12月19日)は、日本の音響デザイナー、音響効果技師、現代音楽家。テレビアニメ『鉄腕アトム』に関わったことで知られている。 1930年、東京府神田区に生まれる。東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)を経て、旧制富山高等学校を中退。 文学座、NHK東京放送効果団に勤めたのち、独立した。 1963年から1966年にかけて放映された『鉄腕アトム』において、テープ変調を使用してアトムの足音やビームの音などを作り出し、これが日本SFアニメの効果音の定型となった。1975年には、それらの効果音を集めたアルバム『鉄腕アトム 音の世界』が発売されている。
桂 由美(かつら ゆみ、1930年〈昭和5年〉4月24日 -… 桂 由美(かつら ゆみ、1930年〈昭和5年〉4月24日 - 2024年〈令和6年〉4月26日)は、ウエディングドレスデザイナー、実業家。本名:結城 由美(旧姓:満生)。株式会社ユミカツラインターナショナル社長、株式会社桂由美ウエディングシステム社長、一般社団法人全日本ブライダル協会会長、全米ブライダルコンサルタント協会名誉会員、アジアブライダル協会連合会会長、NPO法人地域活性化支援センター理事、アジア・クチュール協会創立メンバー。ウエディングドレスなどブライダルデザインの第一人者、ブライダル業界の重鎮として知られる。 1930年4月24日、東京府南葛飾郡小岩町(現在の東京都江戸川区小岩)生まれ。
泉 眞也(泉 真也、いずみ しんや、1930年3月30日 -… 泉 眞也(泉 真也、いずみ しんや、1930年3月30日 - 2022年1月2日)は、日本の環境デザイナー、プロデューサー。 東京都出身。1955年、東京芸術大学美術学部工芸科を卒業し、キヤノンカメラに入社(技術部配属)。1962年に同社を退社し、フリーランスとなる。同年、世界の都市・高速道路の視察団に参加。帰国後、高速道路標識の文字フォントのデザイン策定統括を担当した。博覧会関連では、1970年大阪万博、1975年沖縄海洋博、1985年つくば科学万博への関与を皮切りに、1990年花の万博、2005年愛・地球博では総合プロデューサーを務めた。後進指導では、金沢美術工芸大学特別客員教授、多摩美術大学美術学部2部デザイン学科客員教授を歴任した。
田中 一光(たなか いっこう、1930年1月13日 - 20… 田中 一光(たなか いっこう、1930年1月13日 - 2002年1月10日)は、日本のグラフィックデザイナー。奈良県奈良市出身。本名は同じ表記で、読みは「たなか かずあき」。 昭和期を代表するグラフィックデザイナーの一人として活躍した。グラフィックデザイン、広告の他、デザイナーとして日本のデザイン界、デザイナーたちに大きな影響を与えた。特にセゾングループのクリエイティブディレクターとして、セゾン文化の裏方を担った。 自身の作風は琳派に大きな影響を受けており、間接的ながら琳派の作風を現代(1970年代以降2020年現在に至るまで)に広め紹介することとなった。
竹久 みち(たけひさ みち、1930年(昭和5年)1月 - … 竹久 みち(たけひさ みち、1930年(昭和5年)1月 - 2009年(平成21年)7月24日)は、昭和時代の服飾デザイナー、実業家。本名は小島 美知子(こじま みちこ)。東京出身。 三越社長を務めた岡田茂の愛人でもあり、同社の経営にも介入するなどして「三越の女帝」の異名でも呼ばれたが、1982年の「三越事件」で岡田とともに逮捕され、有罪判決を受けて服役した。「竹久」の名は、岡田が竹久夢二が好きなところから、名付けた言われる。 父親は生命保険会社のサラリーマンで、のちに街の金融業を設立、成功した。1950年に竹久は旧制共立女子専門学校生活科(現・共立女子大学)を卒業。在学中は演劇部に所属し、早稲田大学の演劇サークルとも交流、その縁で早大理工学部の学生だったN・Aと23歳のとき結婚する。
入江 義夫(いりえ よしお、1930年〈昭和5年〉 - 20… 入江 義夫(いりえ よしお、1930年〈昭和5年〉 - 2013年)は日本の特撮映画専門の美術デザイナー、造形家。東京都出身。 都立の工芸学校を卒業後、日本大学芸術学部映画科に入学。 1952年(昭和27年)、日大を卒業後、アルバイトとして新東宝の撮影所に美術助手として参加。 1953年(昭和28年)、新東宝の映画『戦艦大和』、『潜水艦ろ号 未だ浮上せず』で特撮美術を担当。 同年夏、砧の東宝撮影所と特殊美術スタッフとして契約。渡辺明美術監督の下、『太平洋の鷲』に美術助手として参加。空母赤城のミニチュアの図面引き及び、その制作を行った。 1954年(昭和29年)、日本初の特撮怪獣映画『ゴジラ』のあと、東宝では「特殊美術課」を撮影所内に設置。
河原 淳(かわはら じゅん 1929年11月28日- 200… 河原 淳(かわはら じゅん 1929年11月28日- 2006年1月3日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、フリーライター。 筆名に、三田 海彦(ミタ ウミヒコ)、御岳 森彦(ミタケ モリヒコ)、河原 遊酔(かわはら・ゆうすい)。日本ペンクラブ、本の会、痛風友の会、各会員。現代デザイン研究所(旧 河原ゼミナール)を主催。 愛知県刈谷市出身。名古屋工業大学機械科中退。慶応義塾大学国文科中退。文化学院デザイン科卒。1950年代、雑誌「装苑」などでファッションイラストを手がけた。イラストレーター、文筆家として活躍し、傍らNHK文化センターや現代デザイン研究所で後輩プロを育成。 1961年に出版された「イラストレーション・技法とアイディア」に続き、30冊以上の本を出版した。
朝倉 直巳(あさくら なおみ、1929年(昭和4年)9月22… 朝倉 直巳(あさくら なおみ、1929年(昭和4年)9月22日 - 2003年(平成15年)2月14日)は、日本のグラフィックデザイナー、美術教育者。 日本、中国、台湾で大学教授を務めた。 静岡県立静岡中学校を経て、東京教育大学教育学部芸術学科構成専攻を卒業後、グラフィックデザイナーとなる。1960年(昭和35年)、福島大学教育学部に採用されて以降、40年以上に亘り大学教員として歩む。京都学芸大学を経て筑波大学教授、1990年(平成2年)、文教大学教授、2001年(平成13年)、台湾・崑山科技大学視覚伝達設計系客座教授。デザイン学、構成学の発展に寄与した。広州美術学院名誉教授(中国)、山東工芸美術学院大学名誉教授(中国)、天津美術学院大学客座教授(中国)。
榮久庵 憲司(えくあん けんじ、1929年9月11日 - 2… 榮久庵 憲司(えくあん けんじ、1929年9月11日 - 2015年2月8日)は、日本の工業デザイナー。GKデザイングループ創設者。静岡文化芸術大学名誉教授。 GKインダストリアルデザイン研究所所長、世界デザイン機構会長、第4代桑沢デザイン研究所所長、静岡文化芸術大学デザイン学部学部長などを歴任。 東京府生まれ。ハワイ、広島県育ち。両親は広島の出身で僧侶だった。榮久庵祥二元日本大学芸術学部教授は弟。父の跡を継ぐため1945年、江田島の海軍兵学校から原爆が投下された8月の終わりに広島市へ入る。実家の戒善寺は爆心地から500メートルのところにあった。焼け野原に焼けただれた寝台の枠や鉄かぶと、自転車、路面電車が壊れてひっくり返っていた。
成田 亨(なりた とおる、1929年9月3日 - 2002年… 成田 亨(なりた とおる、1929年9月3日 - 2002年2月26日)は、日本のデザイナー、彫刻家。青森県出身。 神戸市生まれで、翌年より両親の故郷青森県に移り父方の出身地である青森市にて育つ。俳優の成田浬は息子、漫画家の成田美名子は従兄弟の娘。 生後8ヶ月の時、青森市の自宅で囲炉裏の炭をつかんで左手に火傷を負い、数度の手術でも治らなかった。1936年4月、青森市立古川尋常小学校(現:青森市立古川小学校)に入学。8歳の時に兵庫県武庫郡大庄村(現:尼崎市)へ移り、大庄村立大庄尋常小学校(現:尼崎市立大庄小学校)に転校。4年生時の学校分離により大庄村立大庄尋常第二小学校(旧:尼崎市立西小学校)に通い、14歳までの6年間を尼崎市で過ごす。
粟辻 博(あわつじ ひろし、1929年〈昭和4年〉7月20日… 粟辻 博(あわつじ ひろし、1929年〈昭和4年〉7月20日 - 1995年〈平成7年〉5月5日)は、日本のテキスタイルデザイナーである。京都府京都市出身。 京都市立美術専門学校(現在の京都市立芸術大学)卒業後、鐘淵紡績(後のカネボウ、現在のクラシエホールディングス)に勤務する傍ら、テキスタイルや油絵の制作を手掛ける。1955年(昭和30年)に上京した後に、フリーランスとしての活動を開始した。 その後は粟辻の作品が二科展や読売アンデパンダン展等に出品されたり、個展を開いたことにより数多くの賞を受賞する。1966年(昭和41年)にはフジエテキスタイルのデザイン主任に就任し、1988年(昭和63年)には多摩美術大学の教授となった。
永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20… 永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20日 - 2026年〈令和8年〉2月23日)は、日本のグラフィックデザイナー。大阪府大阪市出身。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)二代目会長。息子はHAKUHODO DESIGN(博報堂デザイン)代表取締役社長の永井一史。 日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会特別顧問、日本デザインコミッティ名誉会員。
君島 一郎(きみじま いちろう、1929年2月27日 - 1… 君島 一郎(きみじま いちろう、1929年2月27日 - 1996年7月14日)は日本の服飾デザイナー。埼玉県本庄市出身。 長野工業高等専門学校建築学科卒業。1956年、ファッション界に転向。1962年、妻の君島由希子と青山(南青山)にブティック第一号店をオープン。1964年、ホテルニュージャパンで初のコレクション開催。1976年、パリのプレタポルテコレクションに初参加。1979年、フランスにパリキミジマを開店。中国政府の招きにより上海でファッションショー開催。1991年、フランスのファッション雑誌『ロフィシェル』(L'Officiel)掲載。1993年1月8日、皇太子妃に内定した小和田雅子が皇室会議に提出するための写真を帝国ホテル内「佐藤写真」で撮影した際、着用したスーツは君島のオーダーメードであることが、君島本人から明かされた。
粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 - 2009… 粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 - 2009年4月28日)は、日本のグラフィックデザイナー。 東京都目黒区出身。法政大学専門部中退。絵画・デザイン技法は独学である。背景やフォルムを緻密な線や混沌とした色彩で構成し、一見ファインアートであるかのように見える作風が特徴。油彩作品も多数制作している。建築家の原広司とは1960年代に出会い、原は粟津潔邸の建築デザインを施した。 1955年の日本宣伝美術会展(日宣美)で日宣美賞受賞。1960年に建築家の有志を募り『メタボリズム』を結成する。その後、武蔵野美術大学商業デザイン学科(現・視覚伝達デザイン学科)助教授に就任、デザイン教育に携わる。
近藤 公夫(こんどう きみお、1929年2月5日 - 201… 近藤 公夫(こんどう きみお、1929年2月5日 - 2016年9月25日)は、日本の造園家・造園研究者・環境デザイナー。奈良女子大学名誉教授。農学博士。 特別史跡五稜郭跡保存整備委員会委員長、神奈備の郷・川づくり整備検討委員会委員、奈良県古都風致審議会会長、神戸市公園緑地審議会会長を務める。 「都市公園緑地の徒歩誘致圏に関する研究」で、昭和47年度日本造園学会賞論文調査部門受賞。1990年第12回日本公園緑地協会北村賞受賞。2001年、日本造園学会上原敬二賞受賞。 代表作品に、須磨離宮公園整形式庭園部分基本計画(1957年)、白川公園 (名古屋市)計画懸賞公募一等当選案(1958年)、香里団地計画における緑地の計画など。
梵天 太郎(初代 梵天)(ぼんてん たろう、1929年1月5… 梵天 太郎(初代 梵天)(ぼんてん たろう、1929年1月5日 - 2008年6月30日)は、日本の刺青師、画家、劇画家、デザイナー、漫画家。 凡天 太郎と表記する場合もある。少女漫画を描く時は石井 きよみ(いしい きよみ、まれに清美とも表記)のペンネームを使用。刺青師としては彫清(ほりきよ)を名乗った時期もある。本名は田中 清美(たなか きよみ)。 「刺青=極道者」というマイナスイメージを払拭し、絵で肌を飾るという「最も原始的なファッション」としての刺青を世に認知させるために尽力した。刺青のファッション性を向上させるために、刺青を「肌絵」「スキン・イラストレーション」と呼び、刑罰としての「入れ墨」と、装飾としての「刺青・文身」の歴史的区別を説いた。
野崎 喩(のざき さとる 1929年 - 2009年)は、日… 野崎 喩(のざき さとる 1929年 - 2009年)は、日本の工業デザイナー。佐賀県唐津市出身。 旧制唐津中学(現・佐賀県立唐津東中学校・高等学校)から東京芸術大学に進学、卒業後、トヨタ自動車に入社。入社後、社内の若手デザイナーとともにアメリカ合衆国のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに留学する。帰国後、工業デザイナーとしてトヨタの自動車デザインを手がけた。その後、社内での配置転換をきっかけに、船、家、鉄道など、さまざまな分野で工業デザイナーとしての功績を残したといわれている。 代表作は、トヨタ・2000GT。この他にも、トヨタ・コロナ、トヨタ・カリーナのデザインを手がける。 佐賀県唐津市中通りにある畔水記念館は、義姉が生家でもある自宅の一部を改装し、喩が子どもの頃に描いた絵のほか、机やベッド、オルガンなどを展示している。
松本 哲夫 (まつもと てつお、1929年 - 2023年2… 松本 哲夫 (まつもと てつお、1929年 - 2023年2月1日)は、日本の建築家、インテリアデザイナー、工業デザイナー。元、剣持デザイン研究所代表取締役。千葉大学都市・建築系同窓会では後進を育成するための「松本塾」を開催するなどしていた。鉄道車両のデザイン組織TDO(Transportation Design Organization)メンバーの一員であった。 デザイナーとしての仕事は建築や家具、輸送用機器まで多岐に渡る。剣持勇デザイン研究所時代には剣持勇とともにヤクルトの容器や農民車コマツを手掛け、鉄道車両では「快適公共空間としての鉄道車両」をモットーにJR東日本651系電車(1988年)、JR東日本251系電車(1990年)、新幹線300系電車量産車(1992年)、新幹線400系電車(1992年)を担当した。
植田 いつ子(うえだ いつこ、1928年10月20日 - 2… 植田 いつ子(うえだ いつこ、1928年10月20日 - 2014年6月3日)は、日本のファッションデザイナー。熊本県玉名市出身。 玉名市河崎の商家で、6人兄弟の5番目に生まれる。父親が自転車店を営むため玉名駅前に転居。 玉名町弥富小学校、高瀬高等女学校を経て、当時唯一学徒動員がなかった熊本県女子師範学校に進学、卒業後に上京。 桑沢デザイン研究所で桑沢洋子に師事。同時に文化学院デザイン科に通うかたわら絵画研究所で学ぶ。桑沢にデザイナーになることを勧められ、1952年に銀座の高級店「銀座ビジョン」「銀座レインボー」に勤務、チーフデザイナーのジョージ岡に学ぶ。 久我アキラのアシスタントを経て1956年独立「植田いつ子アトリエ」を開設。
緒方 規矩子(おがた きくこ、1928年(昭和3年)10月4… 緒方 規矩子(おがた きくこ、1928年(昭和3年)10月4日 - 2025年(令和7年)2月7日)は、日本の舞台衣裳デザイナー。 東京府日本橋生まれ。京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)図案科に学ぶ。在学中から演劇に傾倒し、クラスメートの田中一光や橋本潔等と「アトリエ座」という劇団を作り、美大卒業と同時に新たな劇団「喜劇座」を起こす。 鐘紡勤務をへて、舞台衣裳デザイナーとしては1952年(昭和27年)関西歌劇団の『椿姫』でデビュー。以後、妹尾河童に招かれ上京。1955年(昭和30年)栗山昌良演出の『道化師』と『カヴァレリア・ルスティカーナ』の衣裳デザインで東京デビュー。1957年(昭和32年)外山雄三、岩城宏之、林光、妹尾河童、栗山昌良、佐々木忠次と“スタッフ・クラブ”を結成。