岡村 嘉隆(おかむら よしたか〔別名義:岡村 喜隆、岡村 嘉… 岡村 嘉隆(おかむら よしたか〔別名義:岡村 喜隆、岡村 嘉孝〕、1935年 - )は、日本の俳優、演出家。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
職業が演出家:1,133人
岡村 嘉隆(おかむら よしたか〔別名義:岡村 喜隆、岡村 嘉… 岡村 嘉隆(おかむら よしたか〔別名義:岡村 喜隆、岡村 嘉孝〕、1935年 - )は、日本の俳優、演出家。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
平良 進(たいら すすむ、1934年12月18日 - 202… 平良 進(たいら すすむ、1934年12月18日 - 2024年1月27日)は、沖縄県出身の俳優、演出家。ACO沖縄所属。劇団「綾船」主宰。妻は女優の平良とみ。
小山 幹夫(こやま みきお、1934年12月7日 - )は日… 小山 幹夫(こやま みきお、1934年12月7日 - )は日本の映画監督、テレビディレクター、舞台演出家、脚本家、日本映画監督協会会員。日本大学芸術学部映画科卒業、神奈川県茅ヶ崎市出身。福島県西白河郡矢吹町在住。 神奈川県茅ヶ崎市生まれ。神奈川県立湘南高等学校、日本大学芸術学部映画科を卒業。 1957年(昭和32年)東映東京撮影所の助監督として入社。関川秀雄、佐伯清、深作欣二らに師事。 1965年(昭和40年)東映東京撮影所・監督に昇進。初監督作品は藤田まこと主演映画『喜劇・一発かましたれ!』、キャッチコピー「昼はサラリーマン、夜はギャングのボス!腰抜け社員で笑わせて、恐いギャングでまた笑わせる、爆笑必至の底抜けコメディー!!」。
安井 武(やすい たけし、1934年11月27日 - 201… 安井 武(やすい たけし、1934年11月27日 - 2011年7月1日)は、日本の演出家。 モーシェ・フェルデンクライスの身体技法を紹介した。チェーホフ、別役実、サム・シェパード作品などを演出した。 妻は「テアトロ」編集長の中川美登利。 京都府生まれ。京都大学文学部仏文科卒。劇団俳優座文芸演出部。
おおすみ 正秋(おおすみ まさあき、1934年11月26日 … おおすみ 正秋(おおすみ まさあき、1934年11月26日 - )は、日本の演出家、映画監督である。旧表記・本名は大隅 正秋(読みは同じ)。 兵庫県出身。東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻修士課程修了。東京工科大学片柳研究所クリエイティブアドバイザー。 1934年(昭和9年)、兵庫県芦屋市に生まれる。 兄とともに人形劇団「神戸人形芸術劇場」を主宰。人形劇の「ひとみ座」出身者の藤岡豊らが結成した東京ムービーに参加してからはアニメの演出を手がけるようになり、その初期に活躍した。 その後、日本テレビ動画の『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』(1972年)、創映社の『ラ・セーヌの星』(1975年)や『ろぼっ子ビートン』(1976年 - 1977年)、NHK『子鹿物語』(1983年)、劇場用アニメ映画『走れメロス』(1992年)なども手がけた。
丸山 博一(まるやま ひろかず、1934年11月20日 - … 丸山 博一(まるやま ひろかず、1934年11月20日 - 2023年9月29日)は、日本の俳優、演出家。東宝専属で劇団「東宝現代劇75人の会」メンバー。舞台演劇を中心に活動していた。秋田県出身。身長167センチメートル、血液型O型。 1934年(昭和9年)、秋田県秋田市土崎港新柳町生まれ。1953年(昭和28年)秋田県立秋田高等学校を卒業。大学受験に失敗した浪人中にルネ・クレマン監督のフランス映画『禁じられた遊び』に強く感銘を受けて映画監督に憧れるようになる。志望先を変更して1954年(昭和29年)、早稲田大学第一文学部文学科演劇専攻を受験、合格して同年、入学する。大学の入学式当日に早大演劇研究会に入会した。
山内 鉄也(やまのうち てつや、1934年7月20日 - 2… 山内 鉄也(やまのうち てつや、1934年7月20日 - 2010年4月2日)は、映画監督、テレビ演出家、脚本家。広島県広島市生まれ。テレビ時代劇『水戸黄門』『大岡越前』のメイン監督。 叔父は時代小説作家の白井喬二。少年時代はずっと映画が大好きで、中学生の時から映画界に入りたいと思っていた。広島市立舟入高等学校から中央大学経済学部に進み1957年に卒業し、東映に入社。時代劇が好きだったことから京都行きを希望し、京都撮影所の助監督となり、内田吐夢監督作品『大菩薩峠』(1957年)を皮切りに、伊藤大輔、松田定次、マキノ雅弘、加藤泰、工藤栄一監督らの時代劇に就く。またマキノの東映版・次郎長三国志シリーズ4作品の共同脚本も手がけた。
米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月… 米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月10日 - 2014年〈平成26年〉8月26日)は、日本の俳優・演出家・絵本作家・絵師。 福岡県福岡市(現在の同市中央区)出身。福岡市立警固中学校、福岡県立福岡中央高等学校卒業。高校ではバスケットボール部で主将を務めバスケットボールで西南学院大学への推薦を受けるも、当時はバスケットボールで生きる道はなく、役者として生きる道を選択する。戸籍上は正扶三(まさふみ)であったが、小学生の頃から「斉加年」と名乗り続け、改名し戸籍上も「斉加年」(1983年)となる。 推薦を断り一浪し、西南学院大学文学部英文科入学。演劇部で演劇に没頭する。1954年には、中退し単身東京へ。
鈴木 敬介(すずき けいすけ、1934年(昭和9年)6月28… 鈴木 敬介(すずき けいすけ、1934年(昭和9年)6月28日 - 2011年(平成23年)8月22日)は、日本のオペラ演出家。 東京出身。慶應義塾大学在学中から演出や振付、舞台監督の経験を積んだという。オペラとの関わりの記録の初出は1961年(昭和36年)藤原歌劇団靑年グループ第15回公演、ラモー室内楽団・青年グループ提携公演イイノホールでのロルフ・リーバーマン作曲『女房学校』舞台監督である。1962年にも、東京労音2・3月例会 文京公会堂・東京文化会館大ホールでのマスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』レオンカバッロ『道化師』舞台監督を務めている。1963年(昭和38年)に日生劇場に入社。
ジェームス三木(ジェームス みき、本名:山下 清泉(やました… ジェームス三木(ジェームス みき、本名:山下 清泉(やました きよもと)、1934年〈昭和9年〉6月10日 - 2025年〈令和7年〉6月14日)は、日本の脚本家、作家、演出家、元歌手。 1934年、満洲国奉天省奉天市(現・中国遼寧省瀋陽市)生まれ。小学生の時に大阪府茨木市に引き揚げる。 中学2年の時、父が心臓病で急死。父の死後、医師である叔父の勧めで医学部を受験する予定だったが、大阪府立市岡高校に入学後は演劇や恋愛に熱中していた。 高校2年の時、演劇部で自ら主演・演出した芝居が大阪府高校演劇コンクールで1位入賞。これを期に俳優志望となり、俳優座養成所の入所試験を受けたところ、12倍の競争率を突破して合格。
西谷 尚雄(にしたに ひさお、1934年2月 - )は、日本… 西谷 尚雄(にしたに ひさお、1934年2月 - )は、日本の音楽プロデューサー・演出家、作詞家。京都府出身。ペンネームは多木比佐夫。 京都府立大学卒業後、梅田コマスタジアム、東京録音スタジオ制作部に勤務して、舞台とラジオ放送、映画製作関連の実務をオーディオ・エンジニアーとして担当。 電通入社。CMプランナー、クリエイティブ・ディレクターとして30年間で1000本のテレビCM企画制作に関与多くの作品がACC,カンヌ、CLIO等、内外のCMコンクールで多数受賞。特に1970年チャールズ・ブロンソンを起用した、「マンダム」のデビューキャンペーンは外国人タレント起用の画期的な成功例として評価され、日本のCM史100傑に選出された。
世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年… 世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年11月18日)は、日本のソングライター(作詞家・作曲家)、俳優、コメディアン、演出家、音楽プロデューサー。本名は市橋健司(いちはし・けんじ)。東京都豊島区出身。芸名は、フランス語の「C'est si Bon.」(セシボン・「とってもいい」の意)から来ている。事実上の内縁関係にあった女優の浅香光代と35年間生活を共にしていた。浅草喜劇人協会会長。 18歳の時からアルバイトでバンドに加わって進駐軍のキャンプを回り、1957年に「原信夫とシャープス&フラッツ」にベーシストとして参加。渡邊プロに所属しバンドマンとしての活動他に同時期にコメディアンとして朝日放送の「てなもんや三度笠」などのテレビ番組、ハナ肇とクレージーキャッツ主演の映画、東宝・松竹の喜劇映画、NHKの音楽番組等に出演する。
折田 至(おりた いたる、1934年1月3日 - 2006年… 折田 至(おりた いたる、1934年1月3日 - 2006年9月27日)は、映画監督、演出家、テレビプロデューサー、UFO研究家、発明家。アイデア開発研究所代表、発明協会会員。鹿児島県鹿児島市出身。千葉大学工学部工業化学科(写真映画専攻)卒業。 1958年に東映に入社し、助監督として配属された東映京都撮影所を経て、1965年より東映東京制作所に所属する。『丸出だめ夫』・『悪魔くん』・仮面ライダーシリーズなど、特撮テレビドラマの監督として活躍した後、1978年には東映テレビ事業部プロデューサーに昇進し、スーパー戦隊シリーズの『バトルフィーバーJ』からはプロデューサーとして東映キャラクター路線を支える。
片野 満(かたの みつる、1934年 - )は、日本の映画脚… 片野 満(かたの みつる、1934年 - )は、日本の映画脚本家・演出家・監督・プロデューサー。 東京都出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、日本大学芸術学部卒業。岩波映画製作所にて科学映画、教育放送番組の脚本・演出・監督・プロデューサーを歴任し、内閣総理大臣賞ほか多数の受賞作品に携わった。安井電子出版取締役制作本部長を務めた。
大関 弘政(おおぜき ひろまさ、1934年 - )は、日本の… 大関 弘政(おおぜき ひろまさ、1934年 - )は、日本の劇作家・舞台演出家。元宝塚歌劇団座付作・演出家。 横浜市出身。学習院大学卒業後、宝塚歌劇団に入団。1963年、「山彦乙女」でデビュー。 1994年、星組公演「若き日の唄は忘れじ」作・演出をもって退団。その後、宝塚音楽学校で演劇講師に就任し、2011年退職。2015年まで宝塚大学にて特任教授。劇団わらび座では「春秋山伏記」、「鬼ンこおばこ」を手掛けた。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
田中 秀夫(たなか ひでお、1933年11月24日 - 20… 田中 秀夫(たなか ひでお、1933年11月24日 - 2011年7月9日)は、映画・テレビドラマ作品の元監督・演出家。 愛知大学法経学部卒業。岐阜県出身。 1956年に愛知大学法経学部を卒業した後、1958年に東宝映画撮影所で助監督となり、監督の山本嘉次郎に師事。数々の映画作品に助監督として携わった後、山本の紹介で、山本の義弟が初代所長を務めた東映テレビ・プロダクションに移籍。テレビドラマの助監督として務め、1965年に『特別機動捜査隊』にて監督デビューした。以降、主に東映のテレビ作品に参加し、刑事ドラマ・アクションドラマなどを多く手掛けた。『どっこい大作』以降は子供向け番組も多い。 自他共に認める監督生活の代表作として挙げられる『スケバン刑事』シリーズではメイン監督を務め上げ、2本の長編映画も成功に導いている。
平 幹二朗(ひら みきじろう、1933年〈昭和8年〉11月2… 平 幹二朗(ひら みきじろう、1933年〈昭和8年〉11月21日 - 2016年〈平成28年〉10月22日)は、日本の俳優・演出家。ケイファクトリー所属。長男は俳優の平岳大。 主に舞台演劇役者の主演として活躍し、国内外で高い評価を受けている日本を代表する名優の一人である。その他にも、大河ドラマなどのテレビドラマや映画などでも活躍した。 平幹二朗は1933年11月21日、広島県広島市中区小網町(こあみちょう)に生まれた。生後9か月の時に父・文雄が病死。家の造りは京都の町家のように間口は狭いが奥行きのある二階家で、1階が十畳、八畳が二間、中庭、それが土間に面して奥に続いて、2階は八畳二間と物干しだった。
堂本 正樹(どうもと まさき 1933年11月1日 - )は… 堂本 正樹(どうもと まさき 1933年11月1日 - )は、日本の劇作家、演出家、演劇評論家。演出家として三島作品を多数手がける。また、新作能の作者として、数多くの作品を手がけている。
田才 益夫(たさい ますお、1933年10月7日- )は、日… 田才 益夫(たさい ますお、1933年10月7日- )は、日本の演出家、チェコ文学の翻訳家。舞台監督協会、日本演出者協会、各会員。 福岡県出身。1959年九州大学文学部哲学科卒業。劇団俳優座、1986年プラハ国立劇場での文化庁芸術家在外派遣研修員などを経て、フリーの舞台監督、演出家として活躍。この間、1977年からチェコ語を学び始める。 2006年の『チャペック戯曲全集』で日本翻訳出版文化賞受賞。カレル・チャペックの作品を多数翻訳。 妻の田才秀季子は、尾崎秀実・尾崎秀樹の妹。田才は、尾崎秀樹主宰の雑誌『ゾルゲ事件研究』(監修者:石堂清倫、今井清一、尾崎秀樹、編集者:高橋千劔破、田才、田辺貞夫)にも共同編集者として参加している。
笈田 ヨシ(おいだ ヨシ、Yoshi Oïda、1933年7… 笈田 ヨシ(おいだ ヨシ、Yoshi Oïda、1933年7月26日 - )は、日本の俳優・演出家。旧芸名は笈田 勝弘。兵庫県神戸市出身。パリ在住。内外の舞台で活躍。 甲南中学校・高等学校、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。慶應義塾大学在学中、文学座に入団。劇団四季を経て、1968年にロンドンでピーター・ブルック演出の実験劇『テンペスト』に出演。 1970年にブルックが設立した国際演劇研究センター(CIRT)に参加。以後パリを拠点に、主に各国の劇場で活躍。著書に『俳優漂流』『見えない俳優』(五柳書院)がある。他に数カ国語の翻訳がある。 1990年代に笈田 ヨシ、あるいはヨシ 笈田に改名。 1992年にフランス芸術文化勲章シュバリエ受勲。
安西 徹雄(あんざい てつお、1933年4月20日 - 20… 安西 徹雄(あんざい てつお、1933年4月20日 - 2008年5月29日)は、日本の英文学者、演出家。上智大学名誉教授。専門はイギリス文学、特にウィリアム・シェイクスピア。日本のシェイクスピア研究の第一人者である。大学での研究教育の他、自身の著書多数あり、演劇集団「円」では演出家・翻訳家として活動した。 1933年、愛媛県松山市生まれ。愛媛県立松山東高等学校時代の友人に伊丹十三がいる。1958年愛媛大学文理学部を卒業。上智大学大学院文学研究科に進み、1965年に博士課程を中退して、上智大学の講師となる。1970年より助教授、1978年より教授。2003年に定年退任し、同校名誉教授となった。 1975年、芥川比呂志らと演劇集団 円の創立に参加、訳・演出によるシェイクスピア作品を多数上演し、近年ようやく安西訳によるシェイクスピア作品の刊行が始まった。
渡邊 守章(わたなべ もりあき、1933年3月20日 - )… 渡邊 守章(わたなべ もりあき、1933年3月20日 - )は、日本の演出家、フランス文学研究者。東京大学名誉教授、放送大学名誉教授。
浅利 慶太(あさり けいた、1933年〈昭和8年〉3月16日… 浅利 慶太(あさり けいた、1933年〈昭和8年〉3月16日 - 2018年〈平成30年〉7月13日)は、日本の演出家、実業家である。東京都出身。永田町小学校(現麹町小学校)、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学文学部仏文学専攻中退。特選塾員。慶應義塾評議員。 劇団四季創設者の一人で、劇団の運営・管理に当たる「四季株式会社」の代表取締役社長・会長・芸術総監督をつとめた。劇団四季、四季株式会社を、商業主義ミュージカル劇団としても企業としても成長させた。 1933年、演劇プロデューサー浅利鶴雄の息子として東京に生まれる。8歳の時に太平洋戦争開戦、11歳の時に空襲が始まって長野県軽井沢の別荘に疎開し、そこで1945年の終戦を迎えた。
真船 禎(まふね ただし、1933年2月27日 - )は、日… 真船 禎(まふね ただし、1933年2月27日 - )は、日本の映画監督、演出家。「真船企画」代表、日本映画監督協会会員。東京都出身。妻はラジオ東京放送劇団に所属していた堀内敬子。 劇作家真船豊の息子として、東京都に生まれる。小児結核を患ったことで、小学校2年生から神奈川県茅ヶ崎市の児童養護施設「白十字会林間学校」に入寮し、施設内の小学校に通った。終戦・小学校卒業後は自由学園に入学。高校1年生まで同様の寮生活をして通学し、残りの高校生活を関東学院で過ごした。この間の生活環境はキリスト教関係者に囲まれていたが、当時は信者になっていなかった。 早稲田大学文学部演劇科を卒業後TBSに入社、「おかあさん」で演出デビュー。
天野 利彦(あまの としひこ、1933年2月3日 - 201… 天野 利彦(あまの としひこ、1933年2月3日 - 2019年4月18日)は、日本の演出家。 愛知県出身。日本大学藝術学部を卒業後、東映東京撮影所に入社。『特別機動捜査隊』などの東映テレビプロ作品に助監督として参加し、1967年12月20日放送の第321話『八人の女』で監督デビューを果たし、番組終了まで86本以上を演出。続く『特捜最前線』ではメイン監督として132本演出した。 『特捜』終了後は約1年ブランクを置いたあとに『ベイシティ刑事』(2本担当)で同枠に復帰、後続の『はぐれ刑事純情派』(87本担当)、『さすらい刑事旅情編』(50本担当)、『風の刑事・東京発!』(8本担当)といった刑事ドラマシリーズに長期に携わった。
米内 義人(よない よしと、1933年1月5日 - 2017… 米内 義人(よない よしと、1933年1月5日 - 2017年6月13日)は日本の教育・文化映画の脚本・演出家、シナリオライター、監督。代表作に「振動の世界」、「日本住血吸虫」や「水車から電気へ」などがある。父は日本画家の米内穂豊。兄は米内貞弘。 米内義人は、1933年(昭和8年)1月5日、東京市本郷区に生まれる。東京学芸大学学芸部史学科中退。日本大学芸術学部映画学科卒業。1958年(昭和33年)に監督として第一作の「美和ダム建設記録」を発表、同年から東映株式会社専属契約監督。1963年(昭和38年)から株式会社桜映画社で脚本・演出家として活躍。1967年(昭和42年)、東京文映株式会社に入社、取締役に就任、1979年(昭和54年)同社退社。
今井 重幸(いまい しげゆき、1933年1月4日 - 201… 今井 重幸(いまい しげゆき、1933年1月4日 - 2014年1月4日 )は、日本の現代音楽作曲家、舞台演出家、構成作家。別名にまんじ 敏幸(まんじ としゆき)、島 敏幸(しま としゆき)。 純音楽や歌曲の作曲活動だけでなく、映像音楽、劇音楽、舞踊音楽などにも多くの作品を残す一方、まんじ敏幸の別名で舞台・演劇の構成作家や演出を手がけ、劇団を創設した。さらに島敏幸のペンネームで歌曲の作詞をするなど、ジャンルを超えた幅広い芸術活動を精力的に展開してきた。その間、ヨネヤマ・ママコ、三条万里子、土方巽、小松原庸子らを指導し、世に送り出した。また、土方巽や“舞踏(BUTOH)”の命名者としても知られる。
小林 俊一(こばやし しゅんいち、1933年1月2日 - 2… 小林 俊一(こばやし しゅんいち、1933年1月2日 - 2012年11月15日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。フジテレビジョンなどで活躍した。 山梨県出身。山梨県立甲府第一高等学校を経て日本大学芸術学部卒業。フジテレビジョンに1期生として入社。 1967年に渥美清とともに、コメディドラマ『おもろい夫婦』を成功させた。 渥美清を山田洋次に紹介し、連続ドラマの脚本執筆を依頼した、いわばドラマ・映画『男はつらいよ』の「生みの親」である。 1968年のテレビドラマ『男はつらいよ』で演出を手掛けた。同年8月27日、作詞家の星野哲郎に、渥美清が歌う主題歌『男はつらいよ』の作詞を依頼した。1969年公開の映画『続・男はつらいよ』では、山田洋次、宮崎晃と共同で脚本を書いた。
植田 紳爾(うえだ しんじ、本名:山村 紳爾〈やまむら しん… 植田 紳爾(うえだ しんじ、本名:山村 紳爾〈やまむら しんじ〉、1933年1月1日 - )は、日本の劇作家、演出家である。宝塚歌劇団専属。1996年から2004年まで同歌劇団理事長を務めた。現在は同歌劇団特別顧問、社団法人日本演劇協会会長。大阪府生まれ。 幼くして父が病死、母とも生き別れ、神戸のおじ夫婦に引き取られた。戦時中は福井に疎開した。「戦争中、空襲で神戸の実家を失い、疎開先の福井でも空襲にあいました。」と日本赤十字社のインタビューで答えている。 その後、演劇青年として学生時代をすごし、滝川高等学校を経て早稲田大学第一文学部演劇科を卒業した。1957年2月に演出助手として宝塚歌劇団に就職する。
高井 良純(たかい よしずみ、1932年12月23日 - 2… 高井 良純(たかい よしずみ、1932年12月23日 - 2020年8月31日)は、日本のミュージカル作曲家、編曲家、演出家。大阪音楽大学卒業。元宝塚歌劇団作曲家(1992年まで在籍)。 関西のミュージカル劇団、日本ミュージカル研究会・劇団JMA 創立者・主宰、但馬ミュージカル研究会 創立者・芸術監督、市民ミュージカル劇団『希望』創立者代表・芸術監督を務める。宝塚歌劇団時代の主な作品に、虞美人、華麗なる千拍子、ワン・ボーイ、ガールス・オー!ガールス、ほか。劇団のモットーは、芸術+エンターテイメント=JMAミュージカル。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。
仲代 達矢(なかだい たつや、英︰Tatsuya Nakad… 仲代 達矢(なかだい たつや、英︰Tatsuya Nakadai、本名︰仲代 元久(なかだい もとひさ、Motohisa Nakadai)、1932年〈昭和7年〉12月13日 - 2025年〈令和7年〉11月8日)は、日本の俳優、演出家、歌手、ナレーター、声優。位階は従三位、文化勲章受章者。劇団俳優座出身。無名塾主宰。仕事所属。東京都目黒区出身。愛称︰モヤ。 劇団俳優座出身で演劇・映画・テレビドラマで活動を続け、映画全盛期から斜陽時代以降までの映画界を支えてきた代表的俳優である。 東京府東京市目黒区(現:東京都目黒区)生まれ。4兄弟の長男。父親は茨城県稲敷郡長竿村(現:河内町長竿)の豪農の長男で、茨城県立江戸崎農学校を卒業しており、千葉交通(現:京成バス)のバス運転手をしていた。
長浜 忠夫(ながはま ただお、1932年〈昭和7年〉9月26… 長浜 忠夫(ながはま ただお、1932年〈昭和7年〉9月26日 - 1980年〈昭和55年〉11月4日)は、日本のアニメ監督、舞台演出家。鹿児島県鹿児島市出身。あおいあきらのペンネームで作詞も手がけた。 中学生時代から演劇部で活動。鹿児島放送劇団に所属し、演出を担当する。日本大学芸術学部演劇学科に進学。舞台芸術学院、キリン座、青年俳優クラブ、劇団民藝(宇野重吉に師事)で演劇を学びながら、演劇雑誌『テアトロ』編集部でアルバイトをする。 1960年代前半、人形劇団ひとみ座の演出部に所属していた頃、テレビの人形劇(NHK『ひょっこりひょうたん島』、TBSテレビ『伊賀の影丸』)の演出を担当。その後、ひとみ座の同期で『伊賀の影丸』の製作者でもあった藤岡豊が設立したアニメ制作会社東京ムービーのアニメ制作を担当していたAプロダクションへ入社する。
飯島 敏宏(いいじま としひろ、1932年9月3日 - 20… 飯島 敏宏(いいじま としひろ、1932年9月3日 - 2021年10月17日)は、日本の演出家、テレビプロデューサー、脚本家。 東京市本郷区(現:東京都文京区)出身。TBS、株式会社ドリマックス・テレビジョン(旧:株式会社木下恵介プロダクション、株式会社木下プロダクション)を経て、フリーであった。 東京都立小石川高等学校を卒業後、一浪したのち劇作家・加藤道夫への関心から1952年に慶應義塾大学文学部に入学。当時加藤は同大学文学部国文学科で教鞭をとっていたが翌年自殺。国文学科に進む意義を失って英文学科を選択した。在学中は放送研究会に所属し放送劇の脚本を執筆。放送劇コンクールで受賞者常連となる。大伴昌司や藤川桂介と知り合ったのもこのころ。
山際 永三(やまぎわ えいぞう、1932年7月22日 - )… 山際 永三(やまぎわ えいぞう、1932年7月22日 - )は、日本の映画監督、演出家、評論家。石井輝男プロダクション代表、日本映画監督協会常務理事。兵庫県神戸市出身。
帯盛 迪彦(おびもり みちひこ、1932年5月3日 - 20… 帯盛 迪彦(おびもり みちひこ、1932年5月3日 - 2013年1月18日)は日本の映画監督、演出家。帶盛 迪彦、帯盛迪彦という表記も見られる。 1956年に慶應義塾大学文学部を卒業。 民芸映画社を経て、1957年に大映東京撮影所(現・角川大映撮影所)に入社。衣笠貞之助監督などに師事し、1968年に監督昇進。 1971年の大映倒産後は、(当初は大映テレビの作品を中心として)テレビドラマの演出で活躍した。2013年に敗血症で死去。親交があった大島渚が1月15日に死去してから体調を崩し、僅か3日後の急死であった。
長谷部 安春(はせべ やすはる、男性、1932年(昭和7年)… 長谷部 安春(はせべ やすはる、男性、1932年(昭和7年)4月4日 - 2009年(平成21年)6月14日)は、日本の映画監督、演出家。東京府東京市出身。東京都立新宿高等学校、早稲田大学文学部仏文科卒業。作家のハセベバクシンオー、女優の長谷部香苗は実子。
大島 渚(おおしま なぎさ、1932年(昭和7年)3月31日… 大島 渚(おおしま なぎさ、1932年(昭和7年)3月31日 - 2013年(平成25年)1月15日)は、日本の映画監督、脚本家、演出家、著述家。フィクションだけでなくドキュメンタリーも制作した。 妹の大島瑛子は女優・プロデューサーで大島プロダクションの代表を務めた。美術監督の戸田重昌は瑛子の夫で義弟に当たる。妻は女優の小山明子、長男の大島武は東京工芸大学芸術学部教授、次男の大島新はドキュメンタリー作品監督。 1932年(昭和7年)3月31日、岡山県児島郡(当時)で生まれた。父方は長崎県対馬の出で、先祖は対馬藩士。母親は広島県呉市出身。父親は農林省の水産学者。仕事の関係で瀬戸内海を転々とし、カニやエビの研究をしていた。
手銭 弘喜(てぜに ひろよし、1932年3月22日 - 19… 手銭 弘喜(てぜに ひろよし、1932年3月22日 - 1993年6月24日)は、日本のテレビ演出家、映画監督。島根県簸川郡出身。 実家は、松江藩に300年仕えた十代あまりも続いている手錢家。長男であったが、実家は手銭記念館として保存されており、弟が後を継いでいる。 映画監督としては日活で基礎を身に着けた。早撮りの腕前が評価され、「暴れん坊将軍」や「太陽にほえろ!」をはじめテレビドラマ作品を中心に活躍したが、劇場映画を撮るチャンスになかなか恵まれず、晩年の「ファンキー・モンキー・ティーチャー」(1991年)が唯一の劇場映画作品となった。 孫は共同テレビジョン所属でドラマプロデューサーの手銭陸。
井村 淳(いむら じゅん、1932年3月21日 - 2013… 井村 淳(いむら じゅん、1932年3月21日 - 2013年11月21日)は、日本の人形劇俳優、演出家である。東京都新宿区出身。血液型はO型。 『できるかな』(NHK教育、1970年 - 1990年)にて、操演するキャラクター「ゴン太くん」を務め上げた。
川和 孝(かわわ たかし、1932年2月5日 - 2021年… 川和 孝(かわわ たかし、1932年2月5日 - 2021年1月14日)は、日本の演劇演出家。 東京生まれ。旧制東京都立八王子工業学校(現:東京都立八王子工業高等学校)から東京学芸大学を経て、フルブライト留学生試験に合格し、イェール大学大学院演劇学修士課程修了。劇団俳優座、青年座に在籍したのち、フリーで新劇、オペラなど各種イベントの企画・構成・演出を手掛ける。筒井康隆戯曲の演出などで知られる。作劇舎を主宰した。晩年は日本の近・現代の一幕芝居を100本上演する企画、シアターX名作劇場をライフワークとしていた。 2021年1月14日 、新型コロナウィルス感染のため死去。88歳没。
大山 勝美(おおやま かつみ、1932年2月5日 - 201… 大山 勝美(おおやま かつみ、1932年2月5日 - 2014年10月5日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。TBS制作局理事、カズモ代表取締役。本名︰大山 勝美(おおやま かつよし)。 1957年、TBSに入社。演出家・プロデューサーとしてテレビドラマ畑一筋に歩み『知らない同志』『熱い秋』『想い出づくり。』『くれない族の反乱』を手がけ“ドラマのTBS”の全盛期を支えた。1992年、TBSを定年退職後はテレビ制作会社カズモを設立し、代表取締役も務める一方で、『蔵』『天国までの百マイル』『長崎ぶらぶら節』等多くのドラマを送り出した。妻は女優の渡辺美佐子。 鹿児島県姶良郡福山町(霧島市)出身。
柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 20… 柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 2019年7月19日)は、日本の劇作家・舞台演出家。宝塚歌劇団専属として活躍した。兄は映画監督の松尾昭典。 大阪府大阪市出身。芝居好きの母に連れられて幼い頃から舞台に親しむ。11歳のときに父が病死、13歳のとき、父の墓参りに訪れた豊橋市で終戦を迎える。戦時中は手に職をつけるために、大阪府立今宮工業学校(現・大阪府立今宮工科高等学校)へ進学。 1950年、大阪府立高津高等学校を卒業後、関西学院大学文学部美学科に入学。大学卒業後に兄の松尾を頼り上京、劇作を志して東京で脚本を書き溜めていたが、26歳のときに宝塚のテレビドラマの脚本募集を知って応募したところ入選、1958年4月、演出助手として阪急電鉄(宝塚歌劇団)に就職する。
福田 善之(ふくだ よしゆき、1931年〈昭和6年〉10月2… 福田 善之(ふくだ よしゆき、1931年〈昭和6年〉10月21日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、俳優。本名、鴻巣 泰三。
砂田 実(すなだ みのる、1931年10月17日 - )は、… 砂田 実(すなだ みのる、1931年10月17日 - )は、日本のテレビプロデューサー、演出家、音楽プロデューサー。ラジオ東京→東京放送(TBS。後のTBSホールディングス・TBSテレビ・TBSラジオ)、渡辺プロダクションを経てフリーランス。東京都出身。 戦争中は疎開先の石川県で勤労動員され、帰京後、東京都立第二十一中学校(現・東京都立武蔵丘高等学校)で青島幸男やすぎやまこういちと同期になる。同校入学後1年を経て、臨時募集で慶應義塾中等部に転入し慶應義塾高等学校に進学。同高校の同級生に浅利慶太がいた。 1955年に慶應義塾大学文学部仏文学科を卒業し、ラジオ東京へ入社。1956年、前年開局のテレビ局内テレビ製作部に配属。
山田 昭男(やまだ あきお、1931年(昭和6年)10月7日… 山田 昭男(やまだ あきお、1931年(昭和6年)10月7日 - 2014年(平成26年)7月30日)は、日本の実業家、演出家。未来工業の創業者。 1931年(昭和6年)、中国上海に生まれる。1948年(昭和23年)、旧制大垣中学校(現在の岐阜県立大垣北高等学校)を卒業。岐阜県を拠点に演劇活動を行い、劇団「未来座」を設立。1965年(昭和40年)、劇団の仲間とともに建設用電設資材メーカーである未来工業を設立し、同社社長となる。1991年(平成3年)には同社を名古屋証券取引所市場第二部へ上場させる。2000年(平成12年)に同社相談役。 若き日の演劇活動の経験から、休日を増やし生産性を向上させる仕組みづくりなど、企業活動でもユニークな方針を打ち出してきたことで知られる。
奈河 彰輔(なかわ しょうすけ、1931年10月6日 - 2… 奈河 彰輔(なかわ しょうすけ、1931年10月6日 - 2014年10月13日)は、歌舞伎の脚本家、演出家、製作スタッフ、プロデューサー(奥役) 。 大阪府生まれ。本名・中川芳三。大阪大学卒。1957年松竹に入社し、関西歌舞伎の企画などを担当。1964年から復活狂言の台本を手がけ、3代目市川猿之助と組んで「伊達の十役」「小笠原騒動」などを制作。京都南座支配人ののち、1988年松竹取締役。編著に『昭和の南座』(中川芳三、松竹 1991-1992年)がある。 2014年10月13日午後10時20分、肺炎のため大阪市の病院で死去。83歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
木村 光一(きむら こういち、1931年10月3日 - )は… 木村 光一(きむら こういち、1931年10月3日 - )は、日本の演出家。千葉県出身。 都立両国高等学校卒業、東京大学文学部中退。 文学座に文芸・演出部員として入り、1963年に演出家としてデビュー。1981年に文学座を退座した後は、2007年まで演劇制作体「地人会」を主宰し演劇分野で幅広い活動を行っていた。 桐朋学園芸術短期大学特任教授も務める。
山田 洋次(やまだ ようじ、1931年〈昭和6年〉9月13日… 山田 洋次(やまだ ようじ、1931年〈昭和6年〉9月13日 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家。 大阪府豊中市出身。東京大学法学部卒業。川島雄三、野村芳太郎の助監督を経て1961年に『二階の他人』でデビュー。『男はつらいよ』シリーズなど人情劇を発表し、現役でキネマ旬報ベストテンに最多入賞した監督。紫綬褒章(1996年)、文化功労者(2004年)、日本芸術院会員(2008年)。文化勲章(2012年)受章。財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長。関西大学大学院文学研究科および立命館大学映像学部の客員教授、文化学院の特別講師。日本映画監督協会会員。 妻は「平塚らいてうの記録映画を上映する会」副会長を務めた山田よし恵(1932年5月23日 - 2008年11月8日)。
鍛冶 昇(かじ のぼる、1931年8月16日 - 2021年… 鍛冶 昇(かじ のぼる、1931年8月16日 - 2021年10月21日)は、日本のテレビ演出家、映画監督、プロデューサー。三重県桑名市生まれ。日本映画監督協会会員。日本映画テレビプロデューサー協会会員。 1945年、慶応義塾大学仏文科卒業。日活撮影所助監督部入社後、主に滝沢英輔、市川崑、斎藤武市の助監督をつとめる。1965年、テレビ映画「山のかなたに」で監督デビュー。1969年に日活を退社後フリーを経て国際放映のプロデューサーとして活動。 1988年〜1994年、日活芸術学院にて映像創作科の専任講師として、映画演出、映画企画製作などの科目を担当。 2021年10月21日死去、90歳。 (特記以外は製作日活)
宮崎 恭子(みやざき やすこ、1931年5月15日 - 19… 宮崎 恭子(みやざき やすこ、1931年5月15日 - 1996年6月27日)は、日本の演出家、女優、脚本家。無名塾創設者。本名:仲代 恭子(旧姓:宮崎)。脚本家としての筆名(別名)として隆 巴(りゅう ともえ)を持つ。夫は俳優の仲代達矢、妹は元フジテレビのアナウンサーでニュースキャスターの宮崎総子。 両親とも広島県呉市の出身。母方の祖父は第九代呉市長・勝田登一。裁判官だった父親の赴任先・長崎県長崎市で生まれ、父親の転任により、4歳まで長崎で、その後小学校2年生まで福岡市で、3年生のとき大分市で、4年生から小学校卒業まで再び福岡市で育った。1944年、父親が裁判所を辞めて弁護士に転身したため、一家で東京都へ移る。