金 東準(キム・ドンジュン、朝鮮語: 김동준、1905年6月… 金 東準(キム・ドンジュン、朝鮮語: 김동준、1905年6月10日 - 1969年以前)は、満洲国の公務員、大韓民国の実業家、政治家。制憲韓国国会議員。 忠清南道瑞山郡出身。泰安公立普通学校(現・泰安初等学校(朝鮮語版))、普成高等普通学校(現・普成高等学校(朝鮮語版))、法政大学法文学部卒。日本弁理士試験・満州高等文官試験合格。満洲国間島省各県の官吏、大韓民報社社長などを務めた。1948年の初代総選挙で当選したが、1950年の第2代総選挙で落選した後は農業に従事した。1968年の『国会20年』によると、この本の出版時点ではすでに死去したとされる。
川上 和吉(かわかみ わきち 、1905年(明治38年)2月… 川上 和吉(かわかみ わきち 、1905年(明治38年)2月11日 - 1973年(昭和48年)12月19日)は、日本の内務・厚生官僚、国会職員。官選和歌山県知事。 大阪市東区備後町出身。大阪高等学校を卒業。1927年12月、高等試験行政科試験に合格。1928年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、千葉県属となる。 以後、北海道庁庶務課長、内務事務官、島根県経済部長、広島県経済部長、内務省土木局道路課長、厚生省医療局次長などを歴任。 1946年6月、和歌山県知事に就任。1947年2月、同県知事選挙に出馬のため知事を辞任。第一次選挙で一位となるが法定得票数に達せず、決選投票で小野真次と戦い落選した。
朴 済煥(パク・チェファン、朝鮮語: 박제환/朴濟煥、190… 朴 済煥(パク・チェファン、朝鮮語: 박제환/朴濟煥、1905年2月10日または2月11日 - 1995年3月23日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の公務員、政治家。第2・5代韓国国会議員、第17代農林部長官を歴任した。 本貫は竹山朴氏(朝鮮語版)。号は芝峰/芝峯。カトリック教徒。実業家の朴範植は息子、第12・14代国会議員の朴珪植(朝鮮語版)は甥。 京畿道富川市駅谷洞出身。1917年に水下公立普通学校に2学年編入したが、1919年の三・一運動の時にデモを主導したという理由で退学させられ、同年徽文高等普通学校に編入。1923年、徽文高4年修了し、同志社大学予科に入学した。日本留学中に新幹会京都支部長を務め、1929年同志社大学法学部経済学科を卒業した。
岩倉 具正(いわくら ともまさ、1905年(明治38年)1月… 岩倉 具正(いわくら ともまさ、1905年(明治38年)1月24日 - 1964年(昭和39年)7月31日)は、昭和期の宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。 東京府出身。子爵・岩倉具明の長男として生まれる。父の隠居に伴い、1938年(昭和13年)2月1日、子爵を襲爵した。 学習院を経て、1933年(昭和8年)東京帝国大学文学部支那哲学科を卒業。宮内省勤務、国際電気通信会社員を務めた。 1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選したが、翌月14日に辞職した。
小林 正基(こばやし まさもと、1905年〈明治38年〉1月… 小林 正基(こばやし まさもと、1905年〈明治38年〉1月20日 - 1978年〈昭和53年〉10月27日)は、昭和時代の警察官・弁護士。 1905年1月、北海道空知郡中富良野村で小林権三郎の子として生まれる。1929年に高等試験行政科に合格。神奈川県巡査を拝命。1931年、明治大学法学部を卒業し、神奈川県警部補、神奈川県警部を経て1933年、高等試験司法科に合格。秦野警察署長、藤沢警察署長、神奈川県警察部保安課長、石川県警察部警務課長兼警防課長、福岡県警察部警務課長、海軍司政官、ボルネオ民政部に勤務。内務事務官、兵庫県警察部刑事課長、兵庫県警察部警務課長、青森県警察部長を歴任。1948年3月に横浜市警察局長に就任し、これをもって退官。
金 鳳祚(キム・ボンジョ、朝鮮語: 김봉조、1905年1月1… 金 鳳祚(キム・ボンジョ、朝鮮語: 김봉조、1905年1月19日または1907年 - 1983年5月5日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育者、公務員、政治家。制憲・第2代韓国国会議員。 本貫は義城金氏(朝鮮語版)、朝鮮時代の文臣の金漢卿の子孫である。字は致勲、号は松崗。 慶尚北道青松郡出身。和睦公立普通学校(現・和睦初等学校(朝鮮語版))、大邱啓聖中学校(朝鮮語版)、平壌崇実専門学校(現・崇実大学校)農科、中央大学法学科卒。 啓聖中学校教員を経て、光復後は金泉中学校(朝鮮語版)校長、金泉女子中学校(朝鮮語版)校長、慶北女子中学校(現・慶尚中学校(朝鮮語版)に統合)校長、釜山東新中学校(朝鮮語版)校長、嶺南商業高等学校(現・釜山情報高等学校(朝鮮語版))校長、慶尚北道学務課長を歴任した。
小川 太郎(おがわ たろう、1904年(明治37年)12月 … 小川 太郎(おがわ たろう、1904年(明治37年)12月 - 1986年(昭和61年))は、日本の刑務官、行刑学者。 茨城県竜ケ崎生まれ。旧制静岡高等学校卒、1929年東京帝国大学経済学部卒、1931年京都府警部補、1932年司法省看守長、1936年府中刑務所典獄補、1938年滋賀刑務所長、1940年司法事務官、1942年司法書記官、1948年法務庁成人矯正保護局長、1949年関東地方成人矯正保護委員会委員長、1954年関東医療少年院長、1958年法務総合研究所第二部長、1958年アジア極東犯罪防止研修所次長、1965年「保護観察を基点とした保安処分」で東大法学博士。19966年亜細亜大学法学部教授、1970-75年法学部長、1975年学校法人亜細亜学園理事、1982年亜細亜大を定年退任。
天埜 良吉(あまの りょうきち、1904年(明治37年)7月… 天埜 良吉(あまの りょうきち、1904年(明治37年)7月8日 - 1972年(昭和47年)1月11日)は、日本の土木技術者、内務技官、運輸技官、政治家。運輸省港湾局長、参議院議員。 愛知県出身。1929年(昭和4年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業した。内務省土木局に入り、横浜土木出張所勤務、青森港修築事務所長、仙台土木出張所工務部長などを務めた。1943年(昭和18年)運輸通信省の新設に伴い同省に移った。 1945年(昭和20年)運輸省設置により同省に移り、港湾局計画課長、第三港湾建設局長を歴任し、1955年(昭和30年)に港湾局長に就任し、全国の港湾整備を担い、1958年(昭和33年)に退官した。
石川 光陽(いしかわ こうよう、本名:石川 武雄。1904年… 石川 光陽(いしかわ こうよう、本名:石川 武雄。1904年(明治37年)7月5日 - 1989年(平成元年)12月26日)は、日本の警察官・写真家。福井県福井市出身。 警視総監直々の命令を受けて東京大空襲の惨状などを撮影したことで知られる。 1904年(明治37年)7月5日、福井県で石川竹次郎、とく夫妻の息子として生まれる。幼少期は、国鉄職員であった父親の仕事の関係上、福井、沼津、松本と転居している。 1919年(大正8年)、松本駅長を最後に退職した父親が写真館を開きたいといったため、東京薬学校(現・東京薬科大学)を中退し東京九段下の蜂谷写真館において修行を積む。2年間の修行後、松本で父親とともに写真館を開く。
鈴木 隆夫(すずき たかお、1904年2月27日 - 198… 鈴木 隆夫(すずき たかお、1904年2月27日 - 1980年12月16日)は、日本の官僚、国会職員。法学博士。第二次世界大戦後、55年体制の成立期において衆議院事務総長を務めた。その退職後は、第2代国立国会図書館長となり、また、味の素株式会社の経営に携わった。 宮城県伊具郡角田町(角田市の前身)の医師の家に生まれる。宮城県立白石中学校、旧制弘前高等学校を経て、東北帝国大学法文学部卒業。在学中、高等文官試験司法科(1929年)・行政科(1930年:首席と伝えられる)に合格した。1931年、内務省に入省して警視庁に配属されたが、同年、守衛副長として衆議院事務局に転じ、守衛(後の衛視)の教育に当たる。
増本 甲吉(ますもと こうきち、1904年(明治37年)1月… 増本 甲吉(ますもと こうきち、1904年(明治37年)1月1日 - 1991年(平成3年)3月14日)は、日本の拓務・内務官僚、国会職員。最後の官選岐阜県知事。 現在の大阪府羽曳野市出身。増本有吉の五男として生まれる。第三高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、日本電力株式会社に入社。1929年、拓務省に入省し、拓殖局属となる。 以後、台湾総督府事務官、拓務書記官、樺太庁内務部長、石川県内務部長などを歴任。 1947年3月、前任の桃井直美が知事選に出馬のため辞任したことに伴い岐阜県知事に就任。県議会議員選挙、知事選挙などを執行して同年4月に知事を退任。
東海林 稔(しょうじ みのる、1903年〈明治36年〉11月… 東海林 稔(しょうじ みのる、1903年〈明治36年〉11月7日 - 1967年〈昭和42年〉10月1日)は、日本の地方公務員(群馬県庁職員)、政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。 新潟県岩船郡瀬波町(現・村上市)出身。旧制新潟県立村上中学校(現・新潟県立村上高等学校)を経て、1927年(昭和2年)に北海道帝国大学農学部農業経済学科を卒業。 農林省に入り、台湾総督府技師・陸軍ジャワ司政官となり、ジャカルタ州経済部長となる。この時妻子を台湾に残した。戦後の1946年(昭和21年)に帰国。翌1947年(昭和22年)に群馬県庁に入り農地部長・経済部長などを歴任した後、1956年(昭和31年)に退職。
山田 忍(やまだ しのぶ、1903年(明治36年)10月23… 山田 忍(やまだ しのぶ、1903年(明治36年)10月23日 - 1996年(平成8年)5月18日)は、日本の農学者・地方公務員。学位は、農学博士(北海道大学)・理学博士(北海道大学)。帯広畜産大学名誉教授。また、専修大学北海道短期大学学長を務め、専修大学北海道短期大学の基盤創出に尽力した。山形県出身。 1927年(昭和2年)、北海道帝国大学農学部農芸化学科を卒業し、北海道庁に入庁。農産部農芸化学科長、北海道農事試験場根室支場長を経て、同中標津拓殖実習場長となる。1947年北海道庁を退官する。帯広農業専門学校教授・農学科長・附属農場長。1949年、学位論文「火山性地土性調査法と北海道に於ける火山性土壤」で北海道大学より農学博士の学位を取得、帯広畜産大学畜産学部教授に就任。
佐藤 通吉(さとう つうきち、1903年〈明治36年〉8月1… 佐藤 通吉(さとう つうきち、1903年〈明治36年〉8月10日 - 1995年〈平成7年〉6月3日)は、昭和期の弁護士、警察官、政治家。衆議院議員。 鹿児島県囎唹郡東志布志村(現志布志市)で生まれる。1939年(昭和14年)中央大学専門部法律科を卒業した。 小学校訓導を経て、台湾総督府巡査に転じ、高雄州巡査部長、同警部補を歴任。のち高等試験司法科に合格し弁護士となり、郷里で開業した。鹿児島弁護士会長、日本弁護士連合会理事などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で鹿児島県全県区から日本進歩党公認で立候補して落選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で鹿児島県第3区から民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
雨森 常夫(あめもり / あまもり つねお、1903年〈明治… 雨森 常夫(あめもり / あまもり つねお、1903年〈明治36年〉6月22日 - 1970年〈昭和45年〉12月12日)は、昭和期の農林技官、政治家。参議院議員。 福井県で雨森元成の三男として生まれる。1926年(大正15年)東京帝国大学農学部農業土木科を卒業した。 1926年、農林省嘱託となる。その後、農林技師、京都府農林技師、静岡県農林技師、高知県耕地課長、栃木県耕地課長、農地開発営団企画部調査課長、同東京事務所長、経済安定本部建設局次長、農林省農地局建設部長、京都農地事務局長などを歴任した。 1953年(昭和28年)4月、第3回参議院議員通常選挙に全国区から自由党公認で立候補して当選、その後、自由民主党に所属し参議院議員に1期在任した。
大橋 秀雄(おおはし ひでお、1903年3月15日 - 20… 大橋 秀雄(おおはし ひでお、1903年3月15日 - 2002年6月1日)は、日本の警察官、著述家。元警視庁警視正。 警視庁特高部外事課に所属していた警部補当時、副主任としていわゆるゾルゲ事件を担当し、事件の全貌を明らかにした。その功により、1943年(昭和18年)に内務大臣功労記章を受章した。 神奈川県横浜市出身。横浜商業学校を経て、日本大学専門部法律学科第二本科を卒業した。1924年(大正13年)、陸軍近衛野砲兵連隊に入営し、1928年(昭和3年)陸軍砲兵少尉に任官した。同年警視庁巡査となる。 1932年(昭和7年)に巡査部長、1935年(昭和10年)に警部補に昇進する。1936年(昭和11年)、特別高等警察部外事課欧米係となる。
伊藤 清(いとう きよし、1903年(明治36年)1月28日… 伊藤 清(いとう きよし、1903年(明治36年)1月28日 - 1980年(昭和55年)2月16日)は、日本の内務官僚、国会職員。官選島根県知事。位階は従三位。 東京府出身。伊藤徳次郎の三男として生まれる。第一高等学校を卒業。1925年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し兵庫県属となる。 以後、和歌山県課長、大阪府課長、京都府課長、東京府課長、厚生省児童課長、和歌山県総務部長などを経て、兵庫県部長・内政部長となる。 1945年9月、島根県知事に就任。戦後の復興に尽力。1946年1月、東京都次長に転じた。後に公職追放となる。 その後、特別調達庁契約局長、参議院事務局内閣委員会調査室長、東京家庭裁判所参与を務めた。
近藤 英明(こんどう ひであき、1902年8月19日 - 1… 近藤 英明(こんどう ひであき、1902年8月19日 - 1991年10月27日)は、日本の内務官僚、国会職員。参議院草創期の1949年から1953年までの間、参議院事務総長を務めた。 島根県松江市出身。1927年に東京帝国大学法学部政治科を卒業し、内務省に入省。1931年12月に貴族院書記官に任ぜられ、以後、貴族院事務局で委員課長、議事課長、庶務課長を務めた。 この間、1935年の天皇機関説事件の際には、菊池武夫男爵による政府に対する緊急質問の通告を聞いた美濃部達吉から一身上の弁明のための発言通告を受け、近藤は恩師でもある美濃部に対し、一身上の弁明をせずに黙殺する方が賢明であり、菊池男爵のような右翼議員はいかによく説明しても納得するわけはなく、菊池が屈服したとしても背後の右翼勢力を刺激するだけである旨を伝えたが、美濃部は「お前の言うところは十分わかる。
川井 章知(かわい あきとも、1902年(明治35年)8月1… 川井 章知(かわい あきとも、1902年(明治35年)8月16日 - 1987年(昭和62年)11月2日)は、日本の内務官僚、国会職員。最後の官選静岡県知事。位階は正四位。 神奈川県出身。川井立の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し、茨城県属となる。 1935年、山口県書記官・経済部長に就任。以後、千葉県労務部長、内務省計画局庶務課長、同省監査官、京都府内政部長、中国地方行政事務局次長などを歴任。 1947年3月、前任の小林武治が知事選に出馬のため辞任したことに伴い静岡県知事に就任。
和爾 俊二郎(わに しゅんじろう、1902年(明治35年)8… 和爾 俊二郎(わに しゅんじろう、1902年(明治35年)8月12日 - 1968年(昭和43年)7月12日)は、昭和期の地方公務員、政治家。衆議院議員、大阪市助役。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 愛媛県周桑郡小松町(現西条市小松町)で生まれる。1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部を卒業した。 大阪市役所に入り、大阪市書記、同理事、教育部長、民生局長などを歴任。この間に入隊して陸軍工兵曹長となった。1951年(昭和26年)大阪市助役に就任し3期在任した。第2室戸台風被害の救助活動に尽力し、大阪市会から感謝決議を受けた。 1963年(昭和38年)4月の大阪市長選挙に自由民主党推薦で出馬したが落選。
豊田 幸太郎(とよた こうたろう、1902年(明治35年)4… 豊田 幸太郎(とよた こうたろう、1902年(明治35年)4月21日 - 1979年(昭和54年)6月29日)は、昭和期の地方公務員、政治家。徳島市長。 徳島県三好郡三野町芝生(現在の三好市)に生まれ、京都帝国大学法学部を卒業。 1947年、徳島市助役、1951年、徳島県出納長に就任。1959年から1967年まで徳島市長を2期務めた。市長在任中は徳島刑務所の移転や徳島市立高等学校の創設などを手掛けた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
金子 九郎(かねこ くろう、1902年-1982年)は、日本… 金子 九郎(かねこ くろう、1902年-1982年)は、日本の造園学者、地方公務員。日本児童遊園協会常務理事等を歴任。児童指導理論家。
八木 一郎(やぎ いちろう、1901年7月23日 - 199… 八木 一郎(やぎ いちろう、1901年7月23日 - 1990年2月25日)は、日本の農林技官、政治家。参議院議員(4期)、衆議院議員(5期)。 愛知県渥美郡高師村藤並(現豊橋市藤並町)に八木用作の長男として生まれる 1923年(大正12年)3月東京高等蚕糸学校卒業。農林技官として東京府、愛知県、農林省、興亜院、大東亜省に勤め、1946年(昭和21年)退官。 1947年の第23回衆議院議員総選挙愛知5区に民主党から出馬し、初当選、5期務める。内閣委員長、1957年の第1次岸内閣農林政務次官を歴任。1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選。 1963年の参議院に鞍替え出馬して、杉浦武雄死去に伴う第6回参議院議員通常選挙愛知県選挙区補欠選挙で初当選。
野田 清武(のだ きよたけ、1901年2月15日 - 196… 野田 清武(のだ きよたけ、1901年2月15日 - 1963年5月13日)は、日本の農林官僚、満州国官吏。徳島県知事。 佐賀県出身。野田清種の二男として生まれる。第一高等学校を経て、1924年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、農商務省に入り食糧局属となる。1925年4月、農商務省が農林省と商工省に分割され、農林属となる。以後、営林局山林事務官、同局事務官、農林事務官、産業組合事務官、農林書記官などを歴任。 その後、満州国に転じ、国務院実業部理事官に就任。以後、農務司農政科長兼墾務科長、地籍整理局事務官、実業部理事官、総務庁参事官などを歴任。
阿川 幸寿(阿川 幸壽、あがわ ゆきひさ、1901年〈明治3… 阿川 幸寿(阿川 幸壽、あがわ ゆきひさ、1901年〈明治34年〉1月5日 - 1968年〈昭和43年〉8月26日)は、満州国官吏、日本の実業家。阿川機工、構造物コンサルタント各社長。 長崎県・田中良蔵の甥。大阪府立天王寺中学校を経て1924年、第七高等学校造士館を卒業。1927年、京都帝国大学経済学部を卒業。 満鉄に入社する。安東、奉天各地方事務所に勤務。瓦房店、四平街各地方事務所庶務係長、大石橋地方事務所長を経て満州国に転じ、審計局審計官第一處勤務。後に四平街市長となる。1940年、安東市長に就任する。 1950年に阿川機工を設立、社長に就任。1962年に構造物コンサルタントを設立、社長を兼務。
古森 善五郎(こもり ぜんごろう、1901年 - 1959年… 古森 善五郎(こもり ぜんごろう、1901年 - 1959年)は、日本の外科学者、ドイツ陸軍の軍人(軍医)。
井原 栄松(榮松、いはら さかえまつ、1901年(明治34年… 井原 栄松(榮松、いはら さかえまつ、1901年(明治34年) - 1990年(平成2年) 12月4日)は、日本の政治家・地方公務員。北海道小樽市出身。札幌商業学校卒業。北海道の町村長を歴任した。位階は正六位。
日野西 資忠(ひのにし すけただ、1900年(明治33年)1… 日野西 資忠(ひのにし すけただ、1900年(明治33年)12月9日 - 1970年(昭和45年)11月7日)は、大正から昭和期の宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。 侍従・日野西資博の長男として生まれ、父の死去に伴い、1942年(昭和17年)11月、家督を継承し、1943年(昭和18年)1月15日、子爵を襲爵した。 学習院を経て、1933年(昭和8年)、明治大学専門部法科を卒業した。 1926年(大正15年)殿掌に就任。その後、大礼使典儀官、寿工業書記などを務めた。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
三浦 辰雄(みうら たつお、1900年〈明治33年〉11月1… 三浦 辰雄(みうら たつお、1900年〈明治33年〉11月12日 - 1989年〈平成元年〉3月17日)は、昭和期の農林技官及び官僚、政治家。参議院議員(1期)、林野庁長官。 福島県出身。1925年(大正14年)東京帝国大学農学部林学科を卒業した。 農商省に入省し、営林局技師、農林技師を務めた。1947年(昭和22年)12月、林野局長官に就任し、1949年(昭和24年)6月、林野局が林野庁に改称され引き続き長官に在任し、1950年(昭和25年)3月に退任した。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。この間、緑風会建設部会長、同風水害対策特別委員長などを務めた。
清水 重美(しみず しげみ、1900年(明治33年)8月20… 清水 重美(しみず しげみ、1900年(明治33年)8月20日 - 1999年〈平成11年〉1月6日)は、昭和期の地方公務員、政治家。長野県飯田市長。男性。位階は従六位。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)で、清水宗一、あき の長男として生まれた。1916年(大正5年)3月、長野県組合立竜東農学校卒業。1919年(大正8年)公立実業学校教師となる。1939年(昭和14年)長野県技師に転じ、県立農業講習副所長を務め、1952年(昭和27年)長野県経済部農業改良課長、1954年(昭和29年)南佐久地方事務所長を歴任。1955年(昭和30年)飯田市助役に就任し、13年間在任した。 松井卓治市長の後継者として1968年(昭和43年)10月、飯田市長選挙に当選し、1972年(昭和47年)10月まで1期務めた。
岡井 正男(おかい まさお、1900年1月18日 - 没年不… 岡井 正男(おかい まさお、1900年1月18日 - 没年不明 )は農林技官。技官初の水産庁長官を務めた。退官後、極洋捕鯨副社長などに就任。 愛媛県出身。1922年、北海道帝国大学附属水産専門部(現北海道大学水産学部)卒業。水産庁次長を経て、1956年技官として初めて水産庁長官に昇格。1957年退任。1958年極洋捕鯨取締役。1959年極洋捕鯨専務取締役。1964年極洋捕鯨取締役副社長。日本鮭鱒資源保護協会会長なども務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鄭 在浣(チョン・ジェワン、朝鮮語: 정재완、1900年1月… 鄭 在浣(チョン・ジェワン、朝鮮語: 정재완、1900年1月2日 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、教育者、地方公務員、実業家、政治家。麗水郡郡守、第2・3・4・5代韓国国会議員を歴任した。 本貫は晋州鄭氏(朝鮮語版)。号は三光。儒教の信者。 全羅南道麗水郡出身。ソウル中央高等普通学校を経て、東京物理学校、東洋大学文科ドイツ哲学科卒。若い頃は朝鮮独立運動に参加し、秘密結社などに加担した。ソウル中央高等普通学校在学中に三・一運動に参加した後に満洲に亡命したが、欠席裁判で懲役1年を言い渡された。1929年に故郷の麗水に戻り、地主会を設立した。1930年に鉄道敷設のために鉄道沿辺敷地を強制購入しようとした日本当局の朝鮮総督府に対抗して農民会を組織して活動した。
菊池 明(きくち あきら、1899年(明治32年)11月8日… 菊池 明(きくち あきら、1899年(明治32年)11月8日 - 1973年(昭和48年)8月29日)は、昭和時代の土木工学者、内務官僚、建設技監。 香川県に生まれる。1925年(大正14年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、内務省土木局に入り、下関土木出張所、興亜院勤務を経て、1945年(昭和20年)国土局道路課長となる。戦後は、近畿土木出張所、建設院地政局長、建設省道路局長を経て、1952年(昭和27年)建設技監に進む。1956年(昭和31年)退官し、日本道路公団理事となり1960年(昭和35年)まで務めた。ほか、地崎組副社長、地崎道路会長、橋梁コンサルタント社長、日本道路協会会長、道路緑化協会会長、第13回国際道路会議議長、土木学会会長などを歴任した。
稲垣 長賢(いながき ながかた、1899年(明治32年)7月… 稲垣 長賢(いながき ながかた、1899年(明治32年)7月18日 - 1982年(昭和57年)3月12日)は、大正から昭和期の農林技官、政治家、華族。貴族院子爵議員。 旧志摩鳥羽藩主家当主・稲垣長昌の長男として生まれる。父の死去に伴い、1940年(昭和15年)12月28日、子爵を襲爵した。 1924年(大正13年)東京農業大学本科を卒業。同年、農林省畜産試験場助手に就任。以後、山形県農林技手、農林省嘱託、帝国畜産会理事などを務めた。 1943年(昭和18年)1月9日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選。研究会に所属し調査部第五部理事を務め、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。 その他、養鶏組合中央会技師に就任し、以後、同会の奨励部長、出版部長、検査部長、事業部長、同会理事などを務めた。
金 長烈(キム・ジャンヨル、朝鮮語: 김장열、1899年5月… 金 長烈(キム・ジャンヨル、朝鮮語: 김장열、1899年5月24日 - 1974年4月3日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、ジャーナリスト、大韓民国の警察公務員、政治家。制憲韓国国会議員。 全羅南道莞島郡出身。普成中学校中退(4学年在学中に三・一運動への関与により退学)。日本大学専門部政治学科卒。朝鮮独立運動により投獄されたほか、農業に従事し、莞島郡で蘆花学校、金日学校、瑞星学校を設立し、教育者としても活動した。他は莞島漁業組合理事、東亜日報・朝鮮日報支局長、朝鮮建国準備委員会莞島郡委員長、全羅南道警察庁総務課長、羅州警察署長、第8管区警察庁公報官、制憲国会外務・国防委員、反民特委特別裁判官を務めた。
岡安 彦三郎(おかやす ひこさぶろう、1899年4月20日 … 岡安 彦三郎(おかやす ひこさぶろう、1899年4月20日 - 1982年9月14日)は、日本の地方公務員。東京都副知事を務めた。 岡安六郎の五男として埼玉県に生まれる。父・六郎が生命保険会社の福岡支店長を務めていたため福岡市で育つ。1917年福岡県立中学修猷館、第五高等学校を経て、1925年京都帝国大学法学部法律学科を卒業。 東京市役所に入り、財務局地理課庶務掛長、同地理課長、経済局庶務課長、市長室企画部予算課長、1943年7月に東京市と東京府が廃止され東京都となると、その都長官官房用度課長、1946年5月日本橋区長、財務課長、財務部長、財務局長を歴任した後、1949年12月、東京都副知事に就任。
朴 定根(パク・チョングン、朝鮮語: 박정근、1899年 -… 朴 定根(パク・チョングン、朝鮮語: 박정근、1899年 - 1980年1月26日)は、大韓民国の政治家、公務員、実業家。第2・3代韓国国会議員、第9代全羅北道知事。 在フランス韓国人歴史学者の朴炳善(朝鮮語版)は娘。 東京帝国大学(現・東京大学)農学部卒。1950年の第2代総選挙では全羅北道全州市の選挙区から国会議員に初当選し、1952年の釜山政治波動の時は逮捕された11名の議員の1人である。そのほか、1959年5月13日から1960年5月11日までに第9代全羅北道知事を務め、金剛電球社長、全州府邑長、国会農林分科委員長、自由党全州市党委員長などを歴任した。 1980年1月26日にソウル市龍山区の公務員アパートにある自宅で死去。
三田 一也(みた かずや、1898年10月13日(明治31年… 三田 一也(みた かずや、1898年10月13日(明治31年)- 1998年6月3日(平成10年))は日本の元船員、元海軍軍人(予備将校)、元海上保安官。最終階級は、海軍では海軍中佐。海上保安庁では警備救難監(海上保安官の最高位)、海上保安庁次長。日本海事検定協会会長、日本海洋会副会長を歴任。又、戦後、海上自衛隊復活を討議した「Y委員会」の主要メンバー。一貫して再軍備には反対の立場を取った。埼玉県羽生市出身。埼玉県立不動岡中学校(後の埼玉県立不動岡高等学校卒業)。 1922年(大正11年)に東京高等商船学校航海科74期生(後の東京商船大学、現東京海洋大学)を首席で卒業し、御前講義した卒業論文は、東京海洋大学の越中島会館の中に保存されている。
荻野 一(おぎの はじめ、1898年5月28日 - 1981… 荻野 一(おぎの はじめ、1898年5月28日 - 1981年11月9日)は、昭和期の実業家、警察官。 1924年、関西大学専門部卒業。警察に入り、警察官として勤務し、後に特高警察を経て、太平洋戦争末期に兵庫県警察部の労務係長を辞した。身長180cm、体重95kgの巨体。日本製鉄出入りの運輸会社富島組に入社し常務となる。終戦直後、GHQから、広島県呉市沖の瀬戸内海に堆積していた旧日本陸海軍の砲弾処理作業を請け負い巨額の富を得る。爆弾を2メートル程度の浅瀬に捨て、処理料を得て、再び掘り出して火薬を抜き去り、抜け殻をスクラップとして売り払い二重にもうけた。これを元手に解散寸前の山陽製鋼(現・山陽特殊製鋼)を1000万円で買収、1948年社長に就任した。
崔 瑗浩(チェ・ウォノ、朝鮮語: 최원호、1898年4月16… 崔 瑗浩(チェ・ウォノ、朝鮮語: 최원호、1898年4月16日 - 1980年2月27日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の公務員、政治家。第2・5代韓国国会議員。 漢字表記は崔援浩とも。 慶尚南道金海郡(現・釜山広域市江西区菉山洞)出身。私立普成中学校、中央大学理科専門部、中央大学商科卒。日本統治時代には金海青年会会長、女子夜学会・労働夜学会設立者、衡平社員、洛東江工事促進期成会代表、金海郡洛東江河口地域海水防止会委員を歴任した。解放後は朝鮮開拓株式会社社長、韓国民主党慶南道党部副委員長、国民会金海郡支部副委員長、大韓民族青年団金海郡団部委員長、大同青年団慶南道団部後援会会長、金海農場長、金海産業組合理事、慶南帆船組合長、民主国民党慶尚南道党委員長、民主党慶尚南道党最高委員、慶尚北道商工局長を務めた。
薄田 七郎(うすだ しちろう、1898年〈明治31年〉1月1… 薄田 七郎(うすだ しちろう、1898年〈明治31年〉1月12日 - 1983年〈昭和58年〉10月22日)は、日本の病理学者、厚生技官、医師。医学博士。台北帝国大学医学部病理学教室病理学第一講座第2代教授。 新潟県中蒲原郡木戸村大字鴉俣(現 新潟市東区山木戸)の医師・薄田敬勝の長男として出生。 1915年(大正4年)3月に新潟中学校を卒業、1919年(大正8年)7月に第二高等学校を卒業、1923年(大正12年)4月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 東京帝国大学医学部病理学教室に入室、1925年(大正14年)1月に泉橋慈善病院内科医員に就任、1926年(大正15年)4月に同病院病理解剖科医員に就任、1932年(昭和7年)11月に東京帝国大学から医学博士の学位を取得。
田村 久三(たむら きゅうぞう、1897年10月1日 - 1… 田村 久三(たむら きゅうぞう、1897年10月1日 - 1972年3月23日)は、日本の海軍軍人、海上保安官、警備官。機雷専門。最終階級は海軍大佐、警備監(後の海将)。 栃木県出身。田村徳吉の三男として生まれる。(旧制)栃木県立栃木中学校卒業を経て、1918年に海軍兵学校(46期)を卒業。海軍大佐として終戦を迎える。戦後は、第二復員省、海上保安庁と警備隊(海上自衛隊の前身)で掃海作業の責任者として活動した。 日本海軍は、田村久三元海軍大佐を最高指導者として機雷関係のスタッフを揃え、米海軍司令部との折衝を続けながら、占領軍指揮による掃海作業の準備へ入った。まず掃海艇の整備を行うと共に、当時解散しつつあった海軍軍人の中から人員の補充確保に努め、全国各地に所在する掃海関係船艇合計360隻、人員約1,900名をもって新たに掃海部隊を編成し、1945年(昭和20年)9月から10月にかけて占領政策のために一時中断されていた掃海作業を再開。
石丸 敬次(いしまる けいじ、1896年〈明治29年〉10月… 石丸 敬次(いしまる けいじ、1896年〈明治29年〉10月30日 - 1980年〈昭和55年〉3月27日)は、日本の内務官僚、国会職員。官選第34代富山県知事。 福岡県出身。1916年3月、小倉師範学校本科第一部を卒業し、福岡県遠賀郡内平小学校訓導、小倉師範学校訓導、東京市小石川高等小学校訓導を歴任。1925年3月、日本大学法文学部政治学科英語部を卒業。愛媛県吉田町立吉田中学校教諭となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1926年、内務省に入省し長崎県属となる。 以後、長崎県学務部社会課長、沖縄県課長、長野県農商課長、大阪府地方課長、同議事課長、文部省普通学務局庶務課長、同国民教育局中等教育課長、岐阜県経済部長、宮崎県警察部長、同内政部長、内閣参事官などを経て、東北地方行政事務局長となる。
瀧清 麻吉(たきすみ あさきち / たきずみ あさよし、18… 瀧清 麻吉(たきすみ あさきち / たきずみ あさよし、1895年(明治28年)12月1日 - 1950年(昭和25年)2月7日)は、大正から昭和期の警察官、政治家。衆議院議員、奈良県奈良市長。旧姓・上窪(かみくぼ)。 奈良県山辺郡針ヶ別所村大字馬場(都祁村を経て現奈良市)で、上窪甚三郎の三男として生まれ、同郡福住村(現天理市福住町)の瀧清こふしの養子となる。1915年(大正4年)小倉農業補修学校を修了した。 1916年(大正5年)奈良県巡査となる。以後、1920年(大正9年)巡査部長・高田警察署勤務、1922年(大正11年)奈良県警部補、1924年(大正13年)奈良県警部、1926年(大正15年)郡山警察署竜田分署長、1927年(昭和2年)御所警察署長、桜井警察署長、1928年(昭和3年)高田警察署長、1929年(昭和4年)郡山警察署長、1932年(昭和7年)奈良県警察部高等警察課長、1936年(昭和11年)地方警視・奈良警察署長などを歴任。
小林 和一(こばやし わいち、1895年(明治28年)11月… 小林 和一(こばやし わいち、1895年(明治28年)11月25日 - 1968年(昭和43年)6月1日)は、日本の政治家、地方公務員。第5代福山市長。 広島県福山町(現・福山市地吹町)に生まれる。1915年(大正4年)、広島県立福山誠之館中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。深安郡書記、大阪北区職員を勤めたあと、関西法律学校(現・関西大学)に入り、同校を卒業した。 1919年(大正8年)7月、福山市は大水害に見舞われる。帰郷を決意し、福山市役所に奉職。庶務課長、税務課長、収入役などを歴任した。 1939年(昭和14年)1月、助役に選任される。小林壽夫市長の懐刀と言われた。1944年(昭和19年)9月26日、三菱鉱業取締役会長などを務めた三谷一二が第6代市長に就任。
加藤 宗厚(かとう しゅうこう、1895年7月18日 - 1… 加藤 宗厚(かとう しゅうこう、1895年7月18日 - 1981年9月22日)は、日本の図書館司書、図書館学者。国立図書館館長、駒澤大学教授を歴任。日本十進分類法の著名な研究者。 終戦後の「図書館法」草案と『学校図書館の手引』作成にも尽力。「図書館奉仕」を理念の根底に据えることで日本の公共図書館サービスの向上に貢献。 愛知県稲沢市生まれ。1908年に得度。曹洞宗第四中学林(多々良高校の前進)、1922年に曹洞宗大学(現駒澤大学)卒業。1925年文部省図書館講習所修了。同年、帝国図書館勤務。1930年、帝国図書館司書。1940年、富山県立図書館長。1944年、東京都立深川図書館長。1947年、文部省嘱託。
鄭 重燮(チョン・ジュンソプ、朝鮮語: 정중섭、1895年3… 鄭 重燮(チョン・ジュンソプ、朝鮮語: 정중섭、1895年3月6日または1898年3月6日 - 1978年2月27日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、教育者、警察官、政治家。第3・4代韓国国会議員。 咸鏡南道利原郡出身。京城高等工業専門学校(朝鮮語版)応用化学科卒、在学中は独立運動に関与して数回拘束された。東洋大学東洋倫理哲学科卒または3年修了。間島で東興中学校を設立し、教員・校長を務め、左翼団体である平友同盟にも参加したが、5・20間島暴動により避難し帰国した。その後は高城警察署刑事部長、北青工業学校教員・校長、北青産業学校・北青中学校教員、木浦工業学校(朝鮮語版)校長、光州西公立中学校(現・光州第一高等学校(朝鮮語版))校長、木浦商業学校(現・全南大学校)校長、全南大学校商科大学学長、全羅南道学務課長・教育局長、全南教育会創立初代会長、民主党中央委員、株式会社ラジオ木浦発起人・初代代表理事、初代木浦MBC社長、新民党中央委員会議長、共和党常任委員を務めた。
尹 致旺(ユン・チワン、朝鮮語: 윤치왕、1895年2月17… 尹 致旺(ユン・チワン、朝鮮語: 윤치왕、1895年2月17日 - 1982年12月21日)は、韓国の産婦人科医師、軍医である。朝鮮戦争時、彼は軍医官として在職し軍医官を教育、育成した。尹雄烈の庶子であり政治家である尹致昊の異母弟。字は「聖雲」、号は「南圃」。日本名は「伊東致旺」。 1895年、漢城府生まれ。京都帝国大学で学び、1930年8月5日、京都帝国大学大学院で医学博士号を取得(産婦人科分野)。また、グラスゴー大学大学院 医学修士(産婦人科分野)。 1949年8月18日、陸軍本部医務監となる(~1953年9月5日)。。 1953年5月16日、少将に任ぜられる。1956年11月より、第2軍管区司令官。
大久保 教尚(おおくぼ のりたか、1894年(明治27年)6… 大久保 教尚(おおくぼ のりたか、1894年(明治27年)6月3日 - 1959年(昭和34年)11月26日)は、大正から昭和期の宮内官、教育者、政治家、華族。貴族院子爵議員。 子爵・大久保教正の長男として生まれる。父の死去に伴い、1900年(明治33年)9月24日、子爵を襲爵した。 1921年(大正10年)東京帝国大学経済学部、1923年(大正12年)同大法学部をそれぞれ卒業し、さらに同大大学院で社会法学を研究した。 1925年(大正14年)宮内省に入省し宮内属に任官。宗秩寮勤務、式部官などを務めて1933年(昭和8年)に退官した。その後、東京商工学校講師、東京農業大学講師、日本西班牙協会理事、東京日本洪牙利協会理事などを務めた。
松本 秀治(まつもと ひではる、1894年3月17日 - 1… 松本 秀治(まつもと ひではる、1894年3月17日 - 1983年5月1日)は、大日本帝国陸軍の軍人・軍医。最終階級は陸軍軍醫少将。 東京帝国大学医学部(のちの東京大学医学部)卒業。陸軍士官学校、陸軍軍医学校教官などを経て、第23軍軍医部長となる。形成外科医の他、疫病の研究や口腔外科医として戦地にて活躍した。 父は長州藩の武士・医者・官軍である松本 三省(まつもと さんせい)(別名、源 道秀)。親戚に日本画家の松林桂月がいる。 明治27年(1894年)3月17日、山口県に生まれる。東京帝国大学医学部卒業後、陸軍軍医学校に入校。軍医として文部省歯科病院で修業し、三内多喜治主幹のもと陸軍軍医学校教官となる。