長田 紀生(おさだ のりお、1942年1月10日 - )は、… 長田 紀生(おさだ のりお、1942年1月10日 - )は、日本の脚本家、映画監督である。別名として、青山 剛(あおやま ごう)がある。日本シナリオ作家協会会員。脚本を提供した連続テレビ映画『キャプテンウルトラ』では主題歌の作詞も手がけ、脚本家としての初期の代表作『修羅雪姫』では挿入歌の作詞・作曲も手がけた。 1942年(昭和17年)1月10日、中華民国北京市に生まれる。父は南満州鉄道(満鉄)勤務であったため同地で育ったが、1945年(昭和20年)8月15日に第二次世界大戦が終結、1946年(昭和21年)には内地に引揚げた。 早稲田大学第一文学部演劇科に進学。演劇科の同級に大原清秀、やまさき十三、松本幸四郎、小林勝也、呉徳洙、北村皆雄、シュミット村木眞寿美ら。
高階 航(たかしな こう、1942年 - 2018年)は、日… 高階 航(たかしな こう、1942年 - 2018年)は、日本の作家、脚本家。秋田県出身。高階 秋成(あきなり)は彼の別名である。本名は高階 茂嘉(しげよし)。 秋田県立角館高等学校卒業後に上京。1970年代から、映画やドラマ、アニメの脚本で活躍。代表作は『太陽にほえろ!』『ルパン三世』。 ルパン三世第二シリーズでは、最も登板数が多い脚本家である。第三シリーズでも数多く執筆している。その頃から、渡哲也、松田優作、宮崎駿らと親交があった。1989年に仙北市田沢湖町に帰郷し、作家として活動。秋田魁新報で「高階航のアラスカぼたっこ釣り騒動記」「振りかえれば」などを連載した。 2018年10月10日、高階の自宅で身元不明の遺体が発見された。
伊東 恒久(いとう つねひさ、1941年11月18日 - 2… 伊東 恒久(いとう つねひさ、1941年11月18日 - 2021年8月5日)は、日本の脚本家。高知県出身。法政大学卒業。名前は音読みで「こうきゅう」としていた時期もある。 主にアニメ作品を手がける脚本家。修業時代は川内康範にも師事した。その縁で川内が原作を務めたアニメや特撮作品にも参加している。1980年代には、複数の作品に同時に手がけるなどの活躍をしていた。その内容も、ギャグ路線のものからシリアスなものまで、ジャンルの幅が広く数も多い。また男性向け劇画の原作も手がけた他、2000年代以降は小説も執筆していた。 2021年8月5日、死去。79歳没。アニメ業界関係者やライターには訃報が伝わってはいたが[要出典]、2022年5月24日付で日本脚本家連盟により死去した事実が公表された。
小池 要之助(こいけ ようのすけ、1941年(昭和16年)1… 小池 要之助(こいけ ようのすけ、1941年(昭和16年)11月13日 - 2010年(平成22年)9月22日)は、日本の映画監督、脚本家。ミュージックシネマズジャパン顧問。山口県下関市出身。 山口県立豊浦高等学校から、上京して舞台芸術学院に進学、1962年(昭和37年)同校本科卒業。29歳で助監督となり、34歳の時にテレビドラマ『それ行け!カッチン』で監督デビューしている。以降、長年にわたってさまざまな映画やテレビドラマの監督、助監督を務めている。 『探偵物語』では、第19話および最終話である27話で監督を務めた。第19話の予告編のナレーションは、主演の松田優作が同郷出身ということで、本編の内容には一言も触れず小池の紹介に徹していた。
富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11… 富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11月5日 - )は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画原作者、作詞家、小説家。日本芸術院会員。本人は演出家・原案提供者としている。日本初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメに草創期から携わる。祖父は東京府南葛飾郡大島町(現・東京都江東区の一部)町長を務めた富野喜平次。 代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、または『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。 キャリアを通じて複数のペンネームを用いている。 本名は富野 喜幸()で両親の喜平と幸子の一文字ずつをとって付けられた。
長坂 秀佳(ながさか しゅうけい(本名:ひでか)、1941年… 長坂 秀佳(ながさか しゅうけい(本名:ひでか)、1941年(昭和16年)11月3日 -)は、脚本家、小説家、放送作家。別名義として出雲 五郎(いずも ごろう)がある。 愛知県豊川市出身。子供のころから本好きだったが、実家は裕福でなく本がなかなか買えなかったため、もっぱら貸本屋に入り浸り、店の主人から「ウチにはお前の読む本は残ってないよ」と言われたほどであった。 愛知県立豊橋工業高等学校機械科在学中に観た『野獣死すべし』に衝撃を受け、映画業界を志す。高校卒業後、上京しプラスチック工場で働いた後に東宝撮影所に入社する。美術助手を5年間務めた後、テレビ部企画課へ異動した。これらの経緯は脚本家となる彼の作風に大きく影響することになる。
仲倉 重郎(なかくら しげお、1941年8月21日 - )は… 仲倉 重郎(なかくら しげお、1941年8月21日 - )は、日本の映画監督、脚本家、作詞家。
神山 征二郎(こうやま せいじろう、1941年〈昭和16年〉… 神山 征二郎(こうやま せいじろう、1941年〈昭和16年〉7月16日 - )は、日本の映画監督、脚本家。岐阜県岐阜市中西郷出身。2022年5月より東京都内から長野県上田市に移住(2024年9月時点)。 農家に生まれる。岐阜県立岐阜北高等学校に在学中は画家を志していた。日本大学芸術学部映画学科に在学中は演劇に傾倒していたが、1964年(昭和39年)、4年生の時に重症の右湿性肋膜炎を患い大学を中退し帰郷する。病気の回復後に再び上京し、映画芸術誌編集部のアルバイトを経て、1965年(昭和40年)、新藤兼人監督が主宰する近代映画協会に参加する。なお、大学時代の同窓生にアニメーション監督の富野由悠季がいる。
江連 卓(えづれ たかし、1941年6月2日 - 2024年… 江連 卓(えづれ たかし、1941年6月2日 - 2024年1月22日)は、日本の脚本家。別名義に龍達彦、海野朗、遠野海彦、水沢又三郎などがある。栃木県出身。 早稲田大学文学部演劇科卒業。在学中はシナリオ研究会に所属しており、先輩に阿部征司がいた。 当初は映画監督を志望していたが、当時は映画部門の採用があまりなかった。1964年、大学卒業後に東宝に入社するが、演出部での採用ではなかったため3日ほどで退社し、助監督として契約した。並行して東宝の演劇部に所属し舞台の脚本・演出を手がける。 30歳の時に実験劇場を立ち上げ、芸術座で自作の戯曲を上演するが、内容が難解だとする東宝側との対立や俳優とのトラブルなどにより実験劇場は解散。
市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月… 市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月17日 - 2011年(平成23年)12月10日)は、日本の脚本家、劇作家、小説家、コメンテーター。日本放送作家協会の会長を務めた。長崎県諫早市出身。 妻は『マキちゃん日記』で知り合った女優の柴田美保子。妹は放送作家の市川愉味子(井上愉味子)。実質的なデビュー作は円谷プロ製作『快獣ブースカ』。代表作は『傷だらけの天使』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンA』『コメットさん』『露玉の首飾り』『TAJOMARU』など多数。 実家の呉服屋を継がずに旧海軍大村航空隊の教官となった父・市川一郎(同志社専門学校高等商業部出身)と、寛政5年(1793年)創業の老舗の諫早名物おこし屋の娘であった母との間に1941年(昭和16年)誕生。
真崎 守(まさき もり、本名:森 柾(もり まさき)、194… 真崎 守(まさき もり、本名:森 柾(もり まさき)、1941年3月10日 - )は、日本の漫画家、アニメーション映画の演出家、脚本家、監督。 神奈川県横浜市生まれ。5歳で岐阜県高山市に移る。ディズニー、フライシャーといった短編アニメや杉浦茂、手塚治虫などの漫画作品、貸本劇画などに没頭する少年時代を過ごす。 1959年に岐阜県立斐太高等学校卒業。様々な職業に就いた後に、1960年に劇画短編誌『街』(セントラル文庫)に『雨の白い平行線』『暗い静かな夜』が掲載されて貸本漫画家デビュー。だが、漫画家を続ける意思を持てず1963年に虫プロダクションに入社、『佐武と市捕物控』などのTVアニメーションの演出に携わる。
栗山 富夫(くりやま とみお、1941年〈昭和16年〉2月2… 栗山 富夫(くりやま とみお、1941年〈昭和16年〉2月20日 - 2025年〈令和7年〉6月18日)は、日本の映画監督・脚本家。 茨城県鹿島郡旭村(現・鉾田市)または東京都生まれ。茨城県立鉾田第一高等学校、国際基督教大学社会科学科卒業後の1965年、松竹に入社する。助監督を経て、『いとしのラハイナ』で監督に昇進する。1985年、『祝辞』で芸術選奨新人賞を受賞する。『釣りバカ日誌』の作者により映画化第一作の監督に指名。その後も監督を担当し、計11作を手がけ、国民的映画に育て上げた。 2025年6月18日、悪性リンパ腫のため死去。84歳没。
山本 洋子(やまもと ようこ、1941年 - )は、日本の脚… 山本 洋子(やまもと ようこ、1941年 - )は、日本の脚本家。 主に、記録映画の監督・劇映画・アニメ映画などの作品を手がける脚本家。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
杉井 ギサブロー(すぎい ギサブロー、本名:杉井 儀三郎(す… 杉井 ギサブロー(すぎい ギサブロー、本名:杉井 儀三郎(すぎい ぎさぶろう)、1940年8月20日 - )は、日本の男性アニメ監督、脚本家。日本映画監督協会会員。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。代表作に『タッチ』、『銀河鉄道の夜』、『ストリートファイターII MOVIE』、『あらしのよるに』など。タツノコプロ出身のアニメーターの杉井興治は実弟。 静岡県沼津市出身。沼津市に小学校5年生の途中まで在住。1945年7月の沼津大空襲にも遭遇している。小学校時代は漫画を愛する「マンガ少年」であった。沼津時代の末期に見たディズニーの『バンビ』に強い印象を受け、アニメーションを「一生の仕事にしよう」と決意する。
永原 秀一(、1940年〈昭和15年〉8月7日 - 2001… 永原 秀一(、1940年〈昭和15年〉8月7日 - 2001年〈平成13年〉11月14日)は東京都出身の脚本家。株式会社ラグス元代表取締役。日本大学芸術学部卒。 大学卒業後、東宝文芸部研究生、シナリオ作家協会職員を経て、1967年に日活映画『拳銃は俺のパスポート』でデビュー。以降、『野獣を消せ』(1969年)『斬り込み』(1970年)『女番長野良猫ロック』(1970年)などのハードボイルド・アクション作品を矢継ぎ早に手掛け、日活ニューアクション路線の屋台骨を脚本面から支えた。一方で日活作品のみならず、初のオリジナル脚本作品である『狙撃』(1968年)をはじめ、『弾痕』(1969年)『ヘアピン・サーカス』(1972年)『反逆の報酬』(1973年)などの東宝作品においてもその手腕を発揮し、“東宝ニューアクション”という新路線の開拓にも功績を残している。
清水 曙美(しみず あけみ、1940年7月23日 - 201… 清水 曙美(しみず あけみ、1940年7月23日 - 2012年2月21日)は、日本の脚本家。北海道旭川市出身。北海道学芸大学(現・北海道教育大学)卒業。 脚本家の西条道彦に師事。 1981年、東芝日曜劇場の単発ドラマ「妻と妻」(第1281回)で脚本家デビュー。以来、同時間枠をはじめ、各放送局の連続ドラマ、東海テレビ製作の昼ドラを数多く執筆した。また、石井ふく子プロデュースの舞台脚本も手掛けた。 ワープロは一切使用せず、原稿は全て手書き。締切を落としたことは一度もなかった。 山崎豊子宅に「女系家族」の著作権許諾に伺った際、ビール(使用許可)を出された。 清水は夭折の詩人金子みすゞのドラマを2本執筆している。
朝間 義隆(あさま よしたか、1940年6月29日 - )は… 朝間 義隆(あさま よしたか、1940年6月29日 - )は、日本の脚本家、映画監督。宮城県仙台市出身、神奈川県鎌倉市在住。山田洋次監督との共作で知られる。 1965年、上智大学文学部英文学科を卒業。 松竹大船撮影所演出助手室に入社。山田洋次に師事し、『男はつらいよ』シリーズや『遙かなる山の呼び声』、『同胞』など山田監督作品の脚本を共同で手がける。『幸福の黄色いハンカチ』では第1回日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第51回キネマ旬報賞脚本賞受賞。 1979年、街で働く若者たちが第九交響曲を一緒に歌うまでのドラマを描いた『俺たちの交響楽』により監督デビュー。1980年に松竹を退社し、以後契約監督。1996年、フリーに。
城山 昇(しろやま のぼる、1940年6月5日 - )は、日… 城山 昇(しろやま のぼる、1940年6月5日 - )は、日本の脚本家。栃木県宇都宮市出身。早稲田大学演劇科卒。日本放送作家協会会員。 テレビアニメ『サザエさん』など、主にアニメの脚本家として活動している。 三人兄弟の長男として、東京都に生まれる。実家は商家で、栃木県宇都宮市で育つ。 少年時代から学芸会の劇で脚本・演出・主演を全て務めるなど活躍。大学生の頃から脚本の仕事に惹かれ、アメリカ製アニメの脚本の翻訳のアルバイトをしていた。 早稲田大学演劇科卒業後、日本テレビジョン株式会社(TCJ)に入社し、テレビアニメの企画書制作に従事。退社後に、フリーの脚本家へ転身した。 2014年、東京アニメアワード2014にて功労賞を受賞。
髙山 由紀子(、1940年4月4日 - 2023年6月2日)… 髙山 由紀子(、1940年4月4日 - 2023年6月2日)は、日本の脚本家、映画監督。シナリオ・センター講師。 東京都出身。日本画家の髙山辰雄の長女。 子供の頃から映画好きの父に連れられて頻繁に映画館へ足を運んでおり、また自宅の近くに東宝撮影所があったこともあって、本人曰く「映画ばかり観て育った」。 慶應義塾大学文学部卒業後、30歳近くなった頃にシナリオ学校に通い始め、主婦をしながらシナリオセンターで映画脚本を学ぶ。 1975年、本多猪四郎によるシナリオ学校生を対象にした新作ゴジラ映画脚本の競作選考で自作が採用され、『メカゴジラの逆襲』で脚本家デビュー。ゴジラシリーズで初の女性メインスタッフとなった。
志村 正浩(しむら せいこう、1940年3月4日 - 200… 志村 正浩(しむら せいこう、1940年3月4日 - 2009年4月26日)は、日本の脚本家・映画監督。岩手県花巻市出身。 ※年のみは製作会社が東映 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
野上 正義(のがみ まさよし、1940年3月2日 - 201… 野上 正義(のがみ まさよし、1940年3月2日 - 2010年12月22日)は、日本の俳優、映画監督、脚本家。北海道白糠郡白糠村(現:白糠町)出身。愛称は「ガミさん」。息子はAV男優のトニー大木。 身長170cm。体重62kg。 北海道立釧路湖陵高校(現:北海道釧路湖陵高等学校)卒業。 NBK(日本文化協会)研究生を経て、劇団世代結成に参加。その後は青年プロ、東映、清野事務所に所属。 久保新二などの関係者からは「ガミさん」の愛称で親しまれていた。 一時期、読みを「のがみ せいぎ」としていた。 2010年12月22日、心不全のため死去。70歳没。
中村 敦夫(なかむら あつお、1940年〈昭和15年〉2月1… 中村 敦夫(なかむら あつお、1940年〈昭和15年〉2月18日 - )は、日本の俳優、作家、脚本家、ニュースキャスター、政治家。 本名は中村 敦雄(読み同じ)。旧姓は遠藤()。身長179cm。株式会社中村企画(1976年 - 2014年)を経て、クロスポイント所属。 勲等は旭日中綬章。参議院議員(1期)、さきがけ代表、みどりの会議代表、同志社大学大学院総合政策科学研究科講師、日本ペンクラブ環境委員長などを歴任した。 東京府東京市豊島区(現在の東京都豊島区)千早に遠藤家の長男として生まれる。父親は新聞記者。幼少期の1945年に東京大空襲をはじめとする連合国軍による空襲があり、福島県平市(現在のいわき市平地区)に疎開。
池田 太郎(いけだ たろう、1940年 - )は、日本の脚本… 池田 太郎(いけだ たろう、1940年 - )は、日本の脚本家。日本シナリオ作家協会員。
山野 浩一(やまの こういち、1939年11月27日 - 2… 山野 浩一(やまの こういち、1939年11月27日 - 2017年7月20日)は、日本の競馬評論家、小説家、脚本家、漫画原作者、鉄道趣味者。 大阪府大阪市港区出身。 大阪市立昭和中学校、大阪府立住吉高等学校を経て、1年浪人して1959年に関西学院大学法学部に入学。大学は阪神競馬場のすぐ近くにあったため、競馬好きの学生が多く、山野も競馬好きになる。また、「映画研究部」に入部し、1960年に、2年生で脚本・監督作『デルタ』を制作。『デルタ』はテレビ放映もされ、その際のゲストだった寺山修司と知り合う。なお、寺山がのちに競馬に熱中するようになったのは、山野の影響だという。また学生映画の全国組織での会合で、日大在学中の足立正生と出会う。
重森 孝子(しげもり たかこ、1939年〈昭和14年〉9月1… 重森 孝子(しげもり たかこ、1939年〈昭和14年〉9月14日 - )は、脚本家(映画、TV)。兵庫県西宮市生まれ。 兵庫県立鳴尾高等学校~同志社大学文学部(1962年)卒。在学中は「第三劇場」に所属。卒業後、劇団仲間と結婚し上京、離婚後シナリオ研究所に学ぶ。在学中に浦山桐郎と知り合い、1970年に浦山との間の娘を出産。
南部 英夫(なんぶ ひでお、1939年9月7日~ )は、日本… 南部 英夫(なんぶ ひでお、1939年9月7日~ )は、日本の映画監督、脚本家。福井県武生市(現:越前市)出身。 福井県立武生高等学校、早稲田大学法学部卒業後、スライド制作会社勤務を経て、1965年に松竹大船撮影所に入社する。入社当時は、かつての最盛期には年間11億を超えた映画人口が、テレビの普及や娯楽の多様化に押されて、3億台にまで落ち込んだ映画のドン底時代だった。入社直後に給料遅配となり、自宅待機などの合理化で撮影所のスタッフは激減した。 学生時代に観た映画「にっぽん・ぱらだいす」(松竹作品)に感銘を受けていたことで、当該作品の監督である前田陽一に師事する。以降、前田作品に加えて、先輩助監督で監督に昇進した田向正健・山根成之監督などの共同脚本に参加する。
高畠 久 (たかばたけ ひさし、1939年7月16日 - )… 高畠 久 (たかばたけ ひさし、1939年7月16日 - )は 日本の編集者、脚本家、映画プロデューサー。 樺太出身。洛星中学校・高等学校、早稲田大学文学部演劇科卒業。1962年東宝に入社。「権藤利英」のペンネームで松竹映画『夜の片鱗』の脚本を執筆。1967年東宝退社。1975年、企画制作プロを設立し、映画・テレビドラマ・テレビ番組・コンサートなどの企画・脚本・プロデュースに当たる。2012年に演劇プロデュースグループ「スタジオQ」を設立。
山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2… 山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2010年9月12日)は、日本の脚本家、劇作家、演出家。東京都江東区出身。東京都立両国高等学校卒業、東京大学教育学部教育心理学科卒業。劇団黒テント所属。妻は女優の稲葉良子。 5人兄弟の長男。父親は自営業だが、太平洋戦争終戦を境に事業がうまくいかなくなって仕事・住居ともに転々としていた。大学では演劇研究会に所属。大学在学中より芝居の執筆を開始。大学卒業後は時事通信社に入社し、運動部記者としてアマチュアスポーツを3年間担当。1967年に「六月劇場」の結成参加のため時事通信社を退職。その後六月劇場を経て、1968年に黒テントの前身である「演劇センター68」に参加。
田中 陽造(たなか ようぞう、1939年5月17日 - )は… 田中 陽造(たなか ようぞう、1939年5月17日 - )は、日本の脚本家。別名義は具流 八郎。パパドゥ所属。若松プロダクション出身。早稲田大学第一文学部卒業。 東京市日本橋生まれ。日劇ミュージックホール演出部に入った後、ラジオの台本を手がけるようになった。早稲田大学在学中に大和屋竺、河内紀と出逢い、稲門シナリオ研究会に属する。日活入社後、鈴木清順監督を中心とした脚本チーム「具流八郎」に参加。 日活ロマンポルノの全盛期を支えた立役者でもある。 脚本家の荒井晴彦、中園ミホとは師弟関係。 2005年に新設された東京藝術大学大学院映像研究科にて、助教授をつとめた。藝大時代の教え子に脚本家の大石三知子、田中幸子、和田清人がいる。
足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13… 足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13日 - )は、日本の映画監督・脚本家・俳優。パレスチナ解放人民戦線・日本赤軍の元メンバー。 福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)出身。日本大学芸術学部映画学科中退。若松プロダクション参加、若松孝二の盟友とされる。 1939年5月13日、福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)に生まれた。八幡市立中央中学校と福岡県立八幡高等学校を卒業。1959年、日本大学芸術学部映画学科に入学。新映画研究会を立ち上げた。同時期に、VAN映画科学研究所を設立。 1961年の監督映画『椀』が学生映画祭大賞を受賞し、1963年の自主製作映画『鎖陰』でも脚光を浴びた。
荒木 芳久(あらき よしひさ、1939年4月8日 - )は、… 荒木 芳久(あらき よしひさ、1939年4月8日 - )は、日本の男性脚本家。主にテレビアニメを手がけた。 東京府出身。東京都立大森高等学校放送同好会および日本大学芸術学部で脚本などの作劇を学び、卒業後は東映の脚本家に師事しテレビドラマを手掛ける傍ら、系列の東映動画の作品 ひみつのアッコちゃんの制作現場に呼ばれる。その後もフリーとして各社で仕事を重ね、日本サンライズにおいては『無敵超人ザンボット3』、『無敵鋼人ダイターン3』、『機動戦士ガンダム』、『戦闘メカ ザブングル』を始めとする富野由悠季監督作品や『無敵ロボ トライダーG7』や『最強ロボ ダイオージャ』等の作品を手がけた。
広瀬 襄(ひろせ じょう、1938年12月20日 - 202… 広瀬 襄(ひろせ じょう、1938年12月20日 - 2025年7月12日)は、日本の映画監督・脚本家である。愛知県大府市生まれ。 愛知県立刈谷高等学校を経て、1961年、早稲田大学第一文学部国文学科卒業。早稲田大学時代はテレビ芸術研究会に参加。4年のとき、松竹ヌーヴェルヴァーグ『日本の夜と霧』『ろくでなし』を見て衝撃を受け、映画界入りを決意。卒業後、松竹大船撮影所助監督室に入社。吉田喜重の助監督を希望し、『秋津温泉』などの作品につく。吉田が64年に退社後は多くの監督の作品の助監督を務めた。 そして12年間の助監督生活を経て、1973年、天地真理主演の青春映画『愛ってなんだろ』で監督デビュー。その間にもテレビドラマの演出も手がけた。
中野 圭一郎(なかの けいいちろう、1938年9月28日 -… 中野 圭一郎(なかの けいいちろう、1938年9月28日 - 2025年11月12日)は、日本の脚本家、作家。旧筆名・中野顕彰。本名・横田勝弘。 東京生まれ。早稲田高等学校卒。子供の頃から浪曲や講談が身近にある環境で育つ。高校生時代からシナリオ同人誌に参加して活動。浪人生時代から日活へ自作のシナリオを持ち込み、1959年に日活専属の脚本家となる。筆名・中野顕彰(あきら)として、日活映画のシナリオを執筆。『スパルタ教育』(原作・石原慎太郎、主演・石原裕次郎)』。テレビでは『大江戸捜査網シリーズ』と『あばれ八州御用旅シリーズ』、アニメ『未来少年コナン』などがある。のち中野圭一郎と改名し、小説を書いた。
金城 哲夫(きんじょう てつお、1938年〈昭和13年〉7月… 金城 哲夫(きんじょう てつお、1938年〈昭和13年〉7月5日 - 1976年〈昭和51年〉2月26日)は、日本の脚本家。沖縄県島尻郡南風原町出身。第一期ウルトラシリーズを企画し、文芸部長としてシリーズの基礎を作り上げた一人である。 1938年に東京で生まれたが、中学までを沖縄で過ごした。中学卒業後の1955年、小原国芳の玉川学園の教育方針を信頼した母親の勧めで上京して玉川学園高等部へ入学、玉川大学文学部教育学科へ進学し卒業。高校時代は金星の研究をするSFクラブ「日金友好協会」を結成したり、友人たちと結成した「沖縄慰問隊」当時の玉川学園の高等部に於ける修学旅行として、パスポートが必要なアメリカ統治時代の沖縄を訪問するなど、リーダーシップを少年時代から発揮していた。
石川 孝人(いしかわ たかと、1938年5月22日 - )は… 石川 孝人(いしかわ たかと、1938年5月22日 - )は日本の脚本家。福岡県出身。 1963年に日本大学芸術学部を卒業し、シナリオ作家協会のシナリオ研究所研修科の第1期生となる。
平井 和正(ひらい かずまさ、1938年〈昭和13年〉5月1… 平井 和正(ひらい かずまさ、1938年〈昭和13年〉5月13日 - 2015年〈平成27年〉1月17日)は、日本の小説家・漫画原作者・脚本家。神奈川県横須賀市生まれ。娘は漫画家の平井摩利。 1938年、横須賀市に3人姉弟の長男として生まれる。祖母は仙台藩家老中野家の娘だという。手塚治虫の影響を受け、中学2年生で大学ノートに処女小説『消えたX』(長編SF)を執筆、級友に回覧され人気を博し、小説家を志す。神奈川県立横須賀工業高等学校を経て1958年に中央大学法学部に入学。 1959年、ハードボイルド小説「夜の干潮」が中央大学ペンクラブ会誌『白門文学』に掲載され、作品が初めて活字になる。中央大学ペンクラブ時代の友人に本間俊太郎がいる。
村山 庄三(むらやま しょうぞう、1938年4月19日 - … 村山 庄三(むらやま しょうぞう、1938年4月19日 - 2024年5月31日)は、日本の脚本家。 東京出身。早稲田大学卒業。 1970年代のテレビドラマ、テレビアニメの脚本を担当。 TBSドラマや大映ドラマ、東映特撮「仮面ライダーシリーズ」を多数手掛けた。 2024年5月31日、死去。86歳没。
塙 五郎(はなわ ごろう、1938年2月10日 - )は、脚… 塙 五郎(はなわ ごろう、1938年2月10日 - )は、脚本家。本名は館野 彰。東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。 早稲田大学文学部演劇学科卒業後、東映に入社。東京撮影所に所属し、多くの映画、テレビドラマの助監督・監督を経て脚本家に転身する。 『キャプテンウルトラ』の頃から、佐藤肇とのコンビで脚本も執筆しており、『夜明けの刑事』からは、佐藤が命名したペンネーム(塙五郎)も併用し始める。 『特捜最前線』では、長坂秀佳らとともに番組の主力ライターとして活躍。佐藤と共に本名の館野彰名義で第13話「愛・弾丸・哀」を執筆したのをきっかけに、以後は塙五郎のペンネームに専念して、最下層の人々の悲劇を軸に置いたハードかつアバンギャルドな人情ものの作品を数多く輩出した。
山崎 晴哉(やまざき はるや、1938年2月2日 - 200… 山崎 晴哉(やまざき はるや、1938年2月2日 - 2002年2月)は、日本の男性脚本家、小説家。早稲田大学第一文学部露文科卒業。日本脚本家連盟会員。 1970年代から1990年代にかけて主にアニメの脚本で活躍した。 学生時代に手塚治虫の虫プロダクションでアルバイトをしたのをきっかけに、大学院を修了後に契約社員として入社。文芸部に籍を置いて制作管理の仕事をしていたが、後に退社して1966年のテレビアニメ『ハリスの旋風』からフリーの脚本家として活動する。 テレビアニメでは『巨人の星』『キン肉マン』など、スポーツを下絵にした作品のメイン脚本家として活躍し、代表作にもなった。他には劇場アニメの『ルパン三世 カリオストロの城』のほか、特撮作品も複数執筆する。
曽根 中生(そね ちゅうせい、1937年〈昭和12年〉10月… 曽根 中生(そね ちゅうせい、1937年〈昭和12年〉10月1日 - 2014年〈平成26年〉8月26日)は、日本の映画監督、脚本家。本名:曽根 義忠(よしただ)。 群馬県北群馬郡子持村(現在の渋川市)出身。群馬県立渋川高等学校を経て、東北大学文学部を卒業した1962年に日活に入社。蔵原惟繕、牛原陽一らに師事する。 若松孝二監督の問題作『壁の中の秘事』(1965年)の脚本を担当して注目を集める。 また脚本家集団具流八郎の中心的メンバーとして、鈴木清順監督の日活最後の作品『殺しの烙印』(1967年)の脚本を手がける。 その後、監督デビューと時を同じくして日活がロマンポルノ路線に転じたため、多くのロマンポルノ作品を監督することとなった。
滝沢 真里(たきざわ まり、本名同じ、1937年8月24日 … 滝沢 真里(たきざわ まり、本名同じ、1937年8月24日 - )は、日本の脚本家。別名:滝沢 真理。東京都北区出身。1970年代に東映の特撮ヒーロー番組を多く手掛けた。 1937年、東京都北区に生まれる。戦時中は8歳の時に新潟県へ疎開し、戦後は18歳まで福島県で暮らした。18歳で就職するが、22歳で結婚し退職した。 ミステリが好きで、桂千穂や紀田順一郎・大伴昌司らも所属していたミステリ愛好会SRの会にも参加していた。29歳の時に離婚し、職を得るため八住利雄の主催するシナリオ研究所研修科へ入り、講師を務めていた新井一の紹介により『東京バイパス指令』で脚本家としてデビューした。 東宝のテレビドラマや、東宝からの繋がりで円谷プロダクションの『恐怖劇場アンバランス』などを担当した後、『アンバランス』で知り合った市川森一の紹介で『仮面ライダー』へ参加し、以後東映の特撮ヒーロー番組を中心に活動した。
鎌田 敏夫(かまた としお、1937年8月1日 - )は、日… 鎌田 敏夫(かまた としお、1937年8月1日 - )は、日本の脚本家・小説家。日本脚本家連盟理事長。日本統治時代の朝鮮の京城府生まれで、徳島県育ち。徳島県立城東高等学校、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。 大学卒業後、シナリオ作家協会の主催するシナリオ研究所(現在のシナリオ講座)で学び、井手俊郎に弟子入りする。1967年、『でっかい青春』にて脚本家デビュー。以降、『飛び出せ!青春』『俺たちの旅』など一連の“青春ドラマシリーズ”をメインライターとして支えた。『俺たちの旅』の中で、中谷隆夫(オメダ、演:田中健)とその妹の真弓(演:岡田奈々)が母子家庭育ちという設定は、鎌田自身が母子家庭育ち(両親が別居)であったことが反映しているということで、「両親がいる家庭に馴染みが無いので、普通の家族が描けなかったのではと思う」と語っている。
大和屋 竺(やまとや あつし、1937年6月19日 - 19… 大和屋 竺(やまとや あつし、1937年6月19日 - 1993年1月16日)は、日本の脚本家、映画監督、俳優。アニメーション脚本家、中央競馬馬主の大和屋暁は息子。 1937年6月19日、北海道三笠市幌内町に生まれる。父は炭鉱労働者、母は没落旧家の出身だった。 1953年、父の停年退職に伴い、一家で上京。葛飾区青砥に住む。 1958年、2年間の浪人生活を経て早稲田大学第一文学部に入学(専攻は日本史)。在学中は田中陽造らと「稲門シナリオ研究会」に所属し、田中の脚本で16ミリ映画『一・〇五二』を監督した。 1962年、早稲田大学卒業。日活株式会社助監督部(第8期)に入社。同期に岡田裕、曽根義忠(中生)、山口清一郎らがいた。
吉田 喜昭(よしだ よしあき、1937年〈昭和12年〉4月5… 吉田 喜昭(よしだ よしあき、1937年〈昭和12年〉4月5日 - 2001年〈平成13年〉1月24日)は、日本の脚本家、絵本作家である。日本脚本家連盟信託者。生前は日本放送作家協会会員、東洋大学講師であった。『ムーミン』『昆虫物語 みなしごハッチ』等のテレビアニメーションの脚本家として知られ、『天才バカボン』『ど根性ガエル』『ジャングル黒べえ』『元祖天才バカボン』『ろぼっ子ビートン』ではメイン作家であった。 日本映画データベース等で混同されている、同時代に活動した脚本家の吉田義昭(1932年 - 1989年)は同音異字の別人、テレビドラマデータベース等で混同されている作詞家・作曲家の古田喜昭(1949年 - )は一字違いの別人。
実相寺 昭雄(じっそうじ あきお、1937年3月29日 - … 実相寺 昭雄(じっそうじ あきお、1937年3月29日 - 2006年11月29日)は、日本の映画監督、演出家、脚本家、小説家。元東京藝術大学演奏芸術センター教授。妻は女優の原知佐子。 現在までのところ、デビュー作(長編映画第1作)『無常』でFIAPF(国際映画製作者連盟)公認の国際映画祭(ロカルノ国際映画祭)の最高賞を獲得した、唯一の日本人監督である。海外では非常に多く見られる、映画監督から継続的なオペラ演出を手掛けた人物としても日本で唯一であった。[要検証 – ノート] 1937年(昭和12年)3月29日、東京府東京市四谷区(現・東京都新宿区四谷)に生まれ、中国青島で育つ。曽祖父は臼杵藩士であった。
三宅直子(みやけ なおこ、1937年3月24日 - )は、東… 三宅直子(みやけ なおこ、1937年3月24日 - )は、東京都港区出身の脚本家。実践女子学園高等学校卒。 主婦ライターとして知られる。主婦業の傍らに独学でシナリオを学び、NHK懸賞テレビドラマ『芽吹く頃』で佳作入選を果たす。その後、シナリオ作家協会研修科修了後に石森史郎に師事。1970年に『いたずら天使チッポちゃん』 でデビューを飾る。代表作に『ケンちゃんシリーズ』、『あばれはっちゃく』、『樫の木モック』、『キャプテン翼』、『ナッキーはつむじ風』、『さわやか3組』など。現在は日本シナリオ作家協会の会員で、同協会のシナリオの通信講座の講師を務めている。 平成以降はアニメ脚本の仕事が減ったため、地方の舞台脚本の公募に投稿を重ね、北海道ローカルのテレビドラマや児童劇などを手がけた。
松平 繁子(まつだいら しげこ、1937年2月26日 - )… 松平 繁子(まつだいら しげこ、1937年2月26日 - )は、日本の脚本家。 新潟県北魚沼郡湯之谷村(現・魚沼市)出身。実家は江戸時代から続く庄屋。 明治大学文学部仏文科卒業。同人誌をやりながら、人に勧められてシナリオ研究所に18期生として学ぶ。脚本家デビューは1972年の『浮世絵 女ねずみ小僧』といわれる。 過去には、佐藤悠、佐藤繁子、佐藤シゲ子のペンネームでも活動していた。 本人は、自分のことを自我が強いというよりも不器用で順応性が無いとし、そういったこともあって「ケンカ屋お繁」ともよく言われたと話していたことがある。剣道3段(1985年の時点)。 太字は、単独脚本と思われる作品。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
伊藤 俊也(いとう しゅんや、1937年(昭和12年)2月1… 伊藤 俊也(いとう しゅんや、1937年(昭和12年)2月17日 - )は、日本の映画監督・脚本家。 いとう としやと紹介される場合があるが、いとう しゅんやが正しい。 福井県福井市出身。乾徳高等学校を経て、東京大学文学部卒業。 1960年、東映撮影所に入り助監督・脚本家として活動。助監督時代の映画に『河内遊侠伝』(1967年)がある。 1970年、千葉真一主演の『やくざ刑事シリーズ』の第二作『やくざ刑事 マリファナ密売組織』を野田幸男と共同監督。 1972年、梶芽衣子主演『女囚701号 さそり』を単独で監督、本人はこれをデビュー作としている。鮮烈な様式美で『女囚さそりシリーズ』としてシリーズ化されたが、先鋭的な演出がどんどんエスカレートしたこともあり第3作で降板。
上原 正三(うえはら しょうぞう、1937年2月6日 - 2… 上原 正三(うえはら しょうぞう、1937年2月6日 - 2020年1月2日)は、日本の脚本家。沖縄県那覇市出身。 警察官である父を持つ5人兄弟の第3子。太平洋戦争の激化により、1944年9月に一時台湾へ避難する。1か月後に那覇へ戻る予定だったが、那覇が空襲(十・十空襲)で壊滅したうえ、乗っていた那覇行きの船は約2週間の漂流を経て鹿児島へたどり着き、そこから熊本県に移って疎開生活を送る。終戦後の1946年に沖縄へ帰郷し、小学生時代は石川市(現・うるま市)、玉城村(現・南城市)で過ごす。 琉球政府立那覇高等学校での高校生時代は映画に夢中で、『シェーン』などの作品に感動し、これが本格的な映画との出会いになった。
山口 和彦 (やまぐち かずひこ、1937年2月5日 - )… 山口 和彦 (やまぐち かずひこ、1937年2月5日 - ) は、日本の映画監督・脚本家・テレビドラマの監督。長崎県長崎市出身。 長崎県立長崎西高等学校を経て、早稲田大学進学。卒業後、東映へ入社。東映東京撮影所に配属され、千葉真一主演映画の助監督やテレビドラマの助監督で経験を重ねる。1970年の『ずべ公番長シリーズ』で監督・脚本を始める。シリーズ物としては任侠映画で梶芽衣子の『銀蝶シリーズ』、アクション映画では志穂美悦子の『女必殺拳シリーズ』や千葉真一の『けんか空手シリーズ』などのカラテ映画を手掛け、東映ポルノも数本撮っている。東映製作のテレビドラマでは『アイフル大作戦』を皮切りに、1984年の『スクール☆ウォーズ』以降は大映テレビでも監督をしている。