稲村 順三(いなむら じゅんぞう、1900年9月30日 - … 稲村 順三(いなむら じゅんぞう、1900年9月30日 - 1955年2月21日)は、日本の農民運動家・政治家。衆議院議員(5期)。本名は「稲村 順蔵」、ペンネームは「村上 進」。 新潟県三条市出身。稲村道三郎の二男として生まれた。北海道帝国大学予科から東京帝国大学へ入学するが、兄・稲村隆一の影響を受け農民運動に関わるようになり大学を中退。1926年に労働農民党に入党し、雑誌「マルクス主義」の編集者。無産大衆党書記や社会大衆党書記を務め、1927年『労農』同人。1928年に日本大衆党に参加するが翌1929年5月21日に除名処分を受ける。1932年には秋田、新潟の農民運動に参加するも、1937年人民戦線事件で検挙され、釈放の後に帝国農業会嘱託や中央農会副参事として勤務する。
矢後 嘉蔵(戸籍名は嘉藏、やご かぞう、1900年(明治33… 矢後 嘉蔵(戸籍名は嘉藏、やご かぞう、1900年(明治33年)9月25日 - 1984年(昭和59年)3月24日)は、大正から昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。富山市会議員。富山県の農民運動、無産運動の草分け。 富山県婦負郡倉垣村荒屋(和合町を経て現富山市四方荒屋)で、海産物商・矢後六蔵、とき の12姉弟妹の第四子、長男として生まれる。1913年(大正2年)3月、倉垣尋常小学校(現富山市立倉垣小学校)を卒業。北海道寿都郡寿都町で父が経営する海産物商兼船問屋で働く。 1919年(大正8年)9月に上京し東京主計学校夜間部で学んだ。1923年(大正12年)ニシンの不漁、肥料販売不振のため東京に移ったが、同年、単身で北海道に戻る。
山室 民子(やまむろ たみこ、1900年(明治33年)9月1… 山室 民子(やまむろ たみこ、1900年(明治33年)9月18日 - 1981年(昭和56年)11月14日)は、日本の社会事業家。文部省の最初の女性視学官を務めた。日本救世軍大佐補。 東京府出身。山室軍平、山室機恵子の長女として生まれる。東京市の女子学院で学び、東京女子大学に入学するが、病気のため南湖院に入院し2年間休学する。 東京女子大学卒業後にアメリカのカリフォルニア大学に留学する。1937年(昭和12年)9月にロンドンの救世軍士官学校に入学する。1938年(昭和13年)に万国士官学校、万国本営編集部に勤める。1939年(昭和14年)に帰国する。 1945年(昭和20年)11月、山室、羽仁説子、加藤シヅエ、宮本百合子、佐多稲子、山本杉、赤松常子、松岡洋子の8人が呼びかけ人となり、婦人団体結成に向けた運動を開始。
田中 松月(たなか しょうげつ、1900年9月15日 - 1… 田中 松月(たなか しょうげつ、1900年9月15日 - 1993年5月12日)は、日本の政治家、僧侶、部落解放運動家。日本社会党所属の衆議院議員(当選3回)。本名は久光(後述の叙位・叙勲での官報告示は「田中松月」で告示されている)。 福岡県嘉穂郡大隈村(現・嘉麻市)の被差別部落の出身。1925年、旧制平安中学校(現・龍谷大学付属平安中学校・高等学校)卒業。浄土真宗の僧侶となる。そのかたわら部落解放運動に身を投じ、1922年の全国水平社創立大会には福岡県からの唯一の参加者として出席。1935年には全国水平社中央委員に就任。1939年には福岡県会議員に当選、1946年まで務めたのち、1946年の第22回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選(日本社会党)。
加藤 閲男(かとう えつお、1900年 <明治33年> 9月… 加藤 閲男(かとう えつお、1900年 <明治33年> 9月5日 - 1975年 <昭和50年> 12月5日)は、昭和時代の労働運動家。国鉄労働組合(国労)初代執行委員長。位階は正五位。 熊本県熊本市生まれ。石川県金沢市出身(本籍)。釜山中学校卒業。1920年から国鉄に勤務。敗戦直後は両国駅助役をしていたが、当局の推挙で組合活動に参加。国鉄千葉従組委員長を経て、1946年国鉄東京地方労組委員長に就任。同年7月に運輸省が国鉄7万5000人の整理を発表に対し、9月に国鉄総連合はスト決行の方針で大会を開催し、大阪など5地連はスト延期を主張して退場したが、東京など4地連はストの指令を発した。スト決行前に当局が7万5000人の整理を全面的に撤回したため、争議に勝利した国鉄総連合はスト中止を決定。
田原 春次(たはら はるじ、1900年(明治33年)7月28… 田原 春次(たはら はるじ、1900年(明治33年)7月28日 - 1973年(昭和48年)7月14日)は、日本の政治家、部落解放運動家。衆議院議員(7期)。 福岡県京都郡行橋町(現行橋市)の被差別部落の出身。田原寅次郎の長男。豊津中学校(現・育徳館高校)卒業後、早稲田大学に入学し学生団体 黎民創生会の一員として活動した。1922年、早稲田大学専門部法律学科を卒業。翌年渡米しミズーリ州立大学に留学。1924年、福岡日日新聞社に入り同社海外特派員として北米中米南米に滞在。 1928年、帰朝。同年4月東京朝日新聞社に転じ1930年8月まで在社。その後、全国大衆党に入党。機関誌主任になる。農民運動にも参加した。
上田 茂樹(うえだ しげき、1900年7月27日 - 193… 上田 茂樹(うえだ しげき、1900年7月27日 - 1932年4月?)は、日本の社会運動家。日本共産党結成に参加、中央委員を務めたが、地下活動中検挙され、その後の消息は不明。大分県中津市出身。北海道生まれ。 中津藩出身で自由民権運動の闘士だった上田長次郎(のちに戴憲と改名)の八男として北海道で生まれた。官吏となった父の転任によって朝鮮に渡ったが、まもなく大分県中津町(現:中津市)の親戚に預けられ、大分県立中津中学校(現:大分県立中津南高等学校)に進む。 父の事業失敗のため中学を2年で中退し、1917年に上京。昼は横浜のローヤル火災保険会社に働き、夜は正則英語学校で勉強する生活であった。このころから社会主義文献を読み始め、日本社会主義同盟に加盟し、山川均、堺利彦らのML研究会に参加。
伊藤 顕道(伊藤 顯道、いとう あきみち / けんどう、19… 伊藤 顕道(伊藤 顯道、いとう あきみち / けんどう、1900年〈明治33年〉6月20日 - 1982年〈昭和57年〉4月26日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員。柔道八段。 群馬県前橋市向町(現住吉町)で、食品製造業・伊藤勝次郎、かめの三男として生まれる。1915年(大正4年)前橋久留万高等小学校を卒業、同年関口孝五郎の弘道館に入門し柔道を習う。1920年(大正9年)群馬師範学校本科一部を卒業し、久留万高等小学校訓導に就任。その後、東京高等師範学校に入学し、1924年(大正13年)同校本科を卒業した。 1924年、神奈川県立湘南中学校(現神奈川県立湘南高等学校)教諭に就任し、横浜高等商業学校嘱託を務めた。
横田 忠夫(よこた ただお、1900年(明治33年)5月15… 横田 忠夫(よこた ただお、1900年(明治33年)5月15日 - 1940年(昭和15年)10月3日)は、日本の社会運動家。 山形市出身。少年期に母の実家の盛岡市に移る。岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)に入るが、ストライキを指導したとして退学処分となる。のち、石川金次郎の「牧民会」に入るが、退会する。その後「下層民社」を設立する。1927年(昭和2年)、労働農民党の岩手県支部の結成に参画する。弾圧により同党が解散させられると、岩手無産党を組織し、書記長となり、県内各地の争議を指導した。1933年(昭和8年)、盛岡市議に当選する。1940年(昭和15年)、検挙され、盛岡市内の警察で剃刀で首を切って自殺した。
谷川 貞夫(たにがわ さだお、1900年4月20日 - 19… 谷川 貞夫(たにがわ さだお、1900年4月20日 - 1989年12月22日)は、日本の社会事業家。 神戸市生まれ。1930年東京帝国大学文学部哲学科中退。1962年まで愛隣団セツルメント指導員、1925-48年愛隣中学校校長、1937-61年吾嬬幼稚園園長、1933-47年愛隣小学校校長、1946-79年日本社会事業大学教授。1956-61年西南学院大学教授兼任、1967-78年常磐学園短期大学教授兼任。愛隣館セツルメント総主事、社会事業研究所長。1952-1973年社会福祉法人愛の友協会(千葉県長生郡)初代理事長として、障がい者福祉に尽力。
島 マス(しま マス、1900年3月13日 - 1988年7… 島 マス(しま マス、1900年3月13日 - 1988年7月9日)は、沖縄県の教育者、社会福祉活動家。第二次世界大戦後、米統治下の沖縄で、おもに児童・青少年に関わる様々な社会福祉事業に関わり、「戦後沖縄の "福祉の母"」と称された。 1900年、当時の美里間切伊波村(現在のうるま市)に、貧しい小作農であった伊波家の末子として生まれる。1919年、沖縄県女子師範学校を卒業して、山田尋常高等小学校訓導となり、以降、長く小学校教員を務めた。1921年、同じく小学校教員であった島有剛と結婚して島姓となり、翌1922年以降、5男2女をもうける。1945年、沖縄戦の中でふたりの子を失う。 1948年、小学校教員を依願退職して、越来村(現在の沖縄市)へ移り、越来村婦人会を結成して戦災母子世帯の救済や青少年の健全育成をめざす活動に取り組む。
中井 正一(なかい まさかず、1900年(明治33年)2月1… 中井 正一(なかい まさかず、1900年(明治33年)2月14日 - 1952年(昭和27年)5月18日)は、日本の美学者・評論家・社会運動家。国立国会図書館副館長をつとめた。相愛女子専門学校(現:相愛女子短期大学・相愛大学)講師。 1900年2月14日 大阪市の緒方病院で帝王切開にて誕生。日本最初期の帝王切開で、執刀医の緒方正清は緒方洪庵の孫娘の婿。正清から一字もらって正一と命名された。本籍は広島県賀茂郡竹原町(現:竹原市)で、尾道市に育った。 広島高師附属中学に入学し、1918年に卒業。第三高等学校文科甲類に進み、1922年に卒業した。 1922年、京都帝国大学文学部哲学科に入学。大学では、深田康算、九鬼周造らに師事した。
鄭 在浣(チョン・ジェワン、朝鮮語: 정재완、1900年1月… 鄭 在浣(チョン・ジェワン、朝鮮語: 정재완、1900年1月2日 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、教育者、地方公務員、実業家、政治家。麗水郡郡守、第2・3・4・5代韓国国会議員を歴任した。 本貫は晋州鄭氏(朝鮮語版)。号は三光。儒教の信者。 全羅南道麗水郡出身。ソウル中央高等普通学校を経て、東京物理学校、東洋大学文科ドイツ哲学科卒。若い頃は朝鮮独立運動に参加し、秘密結社などに加担した。ソウル中央高等普通学校在学中に三・一運動に参加した後に満洲に亡命したが、欠席裁判で懲役1年を言い渡された。1929年に故郷の麗水に戻り、地主会を設立した。1930年に鉄道敷設のために鉄道沿辺敷地を強制購入しようとした日本当局の朝鮮総督府に対抗して農民会を組織して活動した。
河田 賢治(かわだ けんじ、1900年1月1日 - 1995… 河田 賢治(かわだ けんじ、1900年1月1日 - 1995年12月17日)は日本の労働運動家、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)、元参議院議員(同、通算2期)。日本共産党名誉幹部会委員。日本共産党設立時のメンバーでもある。「河賢」の愛称で親しまれた。 京都府与謝郡岩滝村(岩滝町を経て現在は与謝野町)出身。小学校卒業後の1912年には舞鶴海軍工廠に勤務、1917年には上京して富士電機や日本鉄工で働きながら、東京工科学校(現・日本工業大学)に通学。日本鉄工時代は友愛会東京鉄工組合支部に入り、労働運動に取り組むが、1921年に解雇される。 1922年からは日本労働総同盟(総同盟)関東同盟主事に就き、総同盟内の左派を纏め上げる存在となる。
アンドウ ゼンパチ(本名 安藤潔、1900年(明治33年) … アンドウ ゼンパチ(本名 安藤潔、1900年(明治33年) - 1983年(昭和58年))は、広島県出身の著述家、啓蒙活動家。ブラジル日系社会の文化的発展に貢献。
趙 憲泳(チョ・ホニョン、朝鮮語: 조헌영、1900年または… 趙 憲泳(チョ・ホニョン、朝鮮語: 조헌영、1900年または1901年1月8日 - 1988年5月23日)は、日本統治時代の朝鮮、大韓民国および朝鮮民主主義人民共和国の韓医学者、韓医師、政治家、独立運動家。制憲・第2代韓国国会議員、元在北平和統一促進協議会書記長。 本貫は漢陽趙氏(朝鮮語版)。字は応文、号は海山。趙光祖の子孫で、元義兵隊長の趙承基は祖父、教育者の趙寅錫は父。元国立図書館長の趙銀泳は兄、元大邱市長・慶尚北道知事の趙俊泳は弟、時調詩人の趙愛泳は妹。詩人の趙芝薫(趙東卓)と趙東振(朝鮮語版)は息子、外交官・外交部長官の趙兌烈は孫。 慶尚北道英陽郡日月面出身。祖父と父から四書三経や漢文を学んだ後、大邱公立高等普通学校卒。
水野 良平(みずの りょうへい、 1899年10月9日 - … 水野 良平(みずの りょうへい、 1899年10月9日 - 1978年8月22日)は、日本の天文技官、プラネタリウム解説者、伝道者、教育者。 東京天文台報時課長などを経て天文博物館五島プラネタリウム学芸課長(初代)に就任し、天文の普及に尽力した。筆名に「光川ひさし」がある。日本天文学会終身会員。ほがらかで温厚な人柄で知られた。 1899年10月19日、神奈川県横須賀市に生まれる。父は海軍の軍人であった。のちに東京に移住し、主に麻布飯倉片町で育った。 1912年3月、麻布小学校を卒業(12歳)。1917年3月18日、麻布メソジスト教会(鳥居坂教会)で倉長巍牧師から受洗(17歳)。幼少のころから日曜学校に通っていた。
林田 哲雄(はやしだ てつお、1899年(明治32年)10月… 林田 哲雄(はやしだ てつお、1899年(明治32年)10月6日 ‐ 1958年(昭和33年)2月14日) は、大正から昭和期の農民運動家・政治家。衆議院議員。 愛媛県周桑郡小松村新屋敷(小松町新屋敷を経て現西条市小松町新屋敷)で、明勝寺住職・林田孝純の二男として生まれた。幼くして父が死去し母に養育された。小松小学校、西条中学校(現愛媛県立西条高等学校)を経て大谷大学に進学。1922年(大正11年)全国水平社創立大会に参加し、大学を中退して帰郷し水平運動を起こした。 1922年設立の日本農民組合に1923年(大正12年)に加わり農民運動を推進し、1925年(大正14年)別子銅山大争議を支援した。
曺 奉岩(チョ・ボンアム、そう ほうがん、朝鮮語: 조봉암、… 曺 奉岩(チョ・ボンアム、そう ほうがん、朝鮮語: 조봉암、1899年9月25日または1898年9月 - 1959年7月31日)は、朝鮮の独立運動家、のちに韓国の政治家。本貫は昌寧曺氏(朝鮮語版)、号は竹山(チュクサン、죽산)。社会民主主義者で、第一共和国時代における革新政党である進歩党の委員長を務めた。 妻は活動家の金祚伊。姓の「チョ」は真ん中の部分が曲の「曹」ではなく由の「曺」。 京畿道江華郡(現在の仁川広域市)出身。農業補習学校を卒業し江華郡庁の職員として働くが、三・一独立運動に参加して投獄される。釈放後の1921年に日本へ留学し、正則英語学校を経て中央大学で一年間政治学を学び、朴烈らと共に在日朝鮮人による社会主義団体「黒濤会」を結成した。
青野 武一(靑野武一、あおの ぶいち、1899年(明治32年… 青野 武一(靑野武一、あおの ぶいち、1899年(明治32年)9月7日 - 1959年(昭和34年)12月9日)は、大正・昭和期の労働運動家、政治家。位階は正五位。 衆議院議員(4期)。配偶者は青野 喜代子。長男は青野 宏、次男は青野 徹、孫は青野 義弘、青野 光俊[要出典]。 愛媛県新居郡、のちの西条市で生まれる。高等小学校を卒業後、八幡製鐵所に入り職工として勤務。日本労友会に加わり、1920年(大正9年)同製鐵所の大争議に参加した。日本労友会が解散した後、1925年(大正14年)九州民権党が結成され執行委員に就任。その後、日本大衆党、労農大衆党、社会大衆党、日本無産党などの八幡支部書記長を務めた。
川内 唯彦(かわうち ただひこ、1899年9月1日 - 19… 川内 唯彦(かわうち ただひこ、1899年9月1日 - 1988年4月13日)は、日本の社会運動家。 福岡県出身。東京外国語学校(現東京外国語大学)卒。1922年日本共産党に参加、モスクワのコミンテルン第4回大会に出席した。プロレタリア科学研究所、唯物論研究会などに在籍し、マルクス主義文献の翻訳などを行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
加藤 鐐造(かとう りょうぞう、1899年(明治32年)8月… 加藤 鐐造(かとう りょうぞう、1899年(明治32年)8月15日 - 1971年(昭和46年)7月5日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員(5期)。 岐阜県土岐郡妻木村(現土岐市妻木町)で生まれる。1919年、名古屋中学校を卒業。 日本労農党に加わり、1930年、全国労農大衆党岐阜県連書記長となる。その他、妻木村会議員、同町会議員、岐阜県会議員、同参事会員を歴任。1937年4月、第20回衆議院議員総選挙に岐阜県第三区から社会大衆党所属で出馬し当選した。 戦後、日本社会党に加わる。1946年4月、第22回総選挙で岐阜県選挙区から出馬して当選。以後、第24回、第26回、第28回総選挙で岐阜県第2区から当選し、衆議院議員を通算五期務めた。
冨吉 榮二(とみよし えいじ、1899年7月6日 - 195… 冨吉 榮二(とみよし えいじ、1899年7月6日 - 1954年9月26日)は、日本の政治家、農民運動家。衆議院議員(6期)、逓信大臣(芦田内閣)、日本社会党代議士会長、右派社会党顧問などを歴任した。位階は従三位。 鹿児島県姶良郡清水村郡田(現・霧島市国分郡田)にて、農家の次男として生まれる。生家の跡には「冨吉榮二生誕の地」と記された看板が掲げられている。 郡山尋常小学校、清水高等尋常小学校高等科を経て地元の私立精華学校を卒業した後に上京。遺族によると高等小学校の頃にリューマチに襲われ、その後も身長が伸びずいつも節々を痛がっていたらしい。また、成績が良く本人は旧制鹿児島県立加治木中学校への進学を希望していたが、経済的理由で父親に反対されため地元の学校で学んだ。
石川 準十郎(いしかわ じゅんじゅうろう、1899年(明治3… 石川 準十郎(いしかわ じゅんじゅうろう、1899年(明治32年)6月1日 - 1980年(昭和55年)2月22日)は、日本の思想家、活動家。戦前・戦後にかけ、一貫して国家社会主義者として活動した[要出典]。 岩手県盛岡近郊に生まれた石川は、日清戦争の戦災者の関係者として成長し、兄・石川金次郎の援助の下、早稲田大学政経学部に入学。在学中に高畠素之の知遇を得、以後、高畠門下として国家社会主義運動に没頭した。高畠の死後も国家社会主義理論を発展させ、1931年に赤松克麿、津久井龍雄らとともに日本社会主義研究所を創設、『日本社会主義』『国家社会主義』を刊行。次いで日本主義に傾倒した赤松らと袂を分かち、1934年(昭和9年)3月10日、大日本国家社会党を設立、総理(党首)となる。
金 長烈(キム・ジャンヨル、朝鮮語: 김장열、1899年5月… 金 長烈(キム・ジャンヨル、朝鮮語: 김장열、1899年5月24日 - 1974年4月3日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、ジャーナリスト、大韓民国の警察公務員、政治家。制憲韓国国会議員。 全羅南道莞島郡出身。普成中学校中退(4学年在学中に三・一運動への関与により退学)。日本大学専門部政治学科卒。朝鮮独立運動により投獄されたほか、農業に従事し、莞島郡で蘆花学校、金日学校、瑞星学校を設立し、教育者としても活動した。他は莞島漁業組合理事、東亜日報・朝鮮日報支局長、朝鮮建国準備委員会莞島郡委員長、全羅南道警察庁総務課長、羅州警察署長、第8管区警察庁公報官、制憲国会外務・国防委員、反民特委特別裁判官を務めた。
金 天海(キム・チョンへ、きん てんかい、김 천해、1899… 金 天海(キム・チョンへ、きん てんかい、김 천해、1899年5月10日 - 没年不明)は、在日朝鮮人の左翼活動家。在日本朝鮮人連盟最高顧問。日本共産党中央委員。「天海」は僧名で、本名は金 鶴儀(キム・ハクウィ、きん かくぎ、김 학의)。大韓帝国(現在の大韓民国)慶尚南道蔚山郡出身。日本大学中退。 1899年5月10日、大韓帝国慶尚南道蔚山郡で流通・貿易関係を営んでいた家に生まれた。現在は蔚山特別市内の方魚津(방어진)(行政区画としては方魚里)である。一人っ子だった金天海は梁山の通度寺に預けられ、仏道の修行を行なった。 日本統治下の1916年、京城の仏教学校・京城中央学林に入学。京城中央学林卒業後、慶尚南道蔚山郡に帰り、夜間学校の教師をした。
平野 成子(ひらの しげこ、1899年(明治32年)5月5日… 平野 成子(ひらの しげこ、1899年(明治32年)5月5日 - 1988年(昭和63年)12月15日)は、日本の社会運動家、政治家。参議院議員(1期)。本名・シゲ。 栃木県生まれた。私立女子美術学校(現・女子美術大学)を修了。その後、農村社会運動に従事した。 戦後、日本社会党に入党し、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙に山梨県選挙区から日本社会党公認で出馬して当選し(任期3年)、参議院議員を一期務めた。改選を迎えた1950年の参院選には出馬せず、1953年の参院選に右派社会党公認で全国区から立候補したが当選には遠く及ばなかった。 夫平野力三とは農民運動を通じて知り合い、おしどり議員として知られた。
川俣 清音(川俣 淸音、かわまた せいおん、1899年(明治… 川俣 清音(川俣 淸音、かわまた せいおん、1899年(明治32年)4月15日 - 1972年(昭和47年)12月7日)は、大正、昭和期の社会運動家、農民運動家、政治家。衆議院議員(8期) 1899年4月15日、北海道余市郡余市町に生まれる。1923年(大正12年)早稲田大学を卒業する。大学在学中から農民運動に参加し、1924年(大正13年)秋田県で日本農民組合(日農)支部を組織する。日農では中央委員を務め、小坂銅山争議では、加藤勘十、浅沼稲次郎、三輪寿壮らとともに現地に赴き争議を指導する。 1930年(昭和5年)地方無産党から衆議院選挙に立候補するものの落選。1936年(昭和11年)社会大衆党から衆議院議員に初当選する。
黒田 寿男(くろだ ひさお、1899年4月14日 - 198… 黒田 寿男(くろだ ひさお、1899年4月14日 - 1986年10月21日)は、日本の農民運動家、政治家、弁護士。1948年結成の労働者農民党の初代主席。元衆議院議員。 岡山県津高郡金川村(のち御津郡金川村→金川町→御津町、現・岡山市北区)出身。第六高等学校を経て東京帝国大学法学部に入学。在学中に新人会で活動し、学生連合会を結成、委員長となる。法曹資格を得て後は自由法曹団で労働運動・農民運動を支援。労農党、労農派に参加した。1929年(昭和4年)には東京無産党を結成して書記長に就任、翌年に全国大衆党に合流した。 1936年(昭和11年)に行われた第19回衆議院議員総選挙に岡山県第1区から全国農民組合の支援を受けて出馬。
吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)… 吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)4月9日 - 1981年(昭和56年)5月23日)は、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリスト。昭和を代表する進歩的知識人。『君たちはどう生きるか』の著者として、また雑誌『世界』初代編集長としても知られている。岩波少年文庫の創設にも尽力した。明治大学教授、岩波書店常務取締役、日本ジャーナリスト会議初代議長、沖縄資料センター世話人などの要職を歴任した。
江角 ヤス(えすみ ヤス、1899年〈明治32年〉2月15日… 江角 ヤス(えすみ ヤス、1899年〈明治32年〉2月15日 - 1980年〈昭和55年〉11月30日)は、日本の教育者、修道女、社会事業家。 島根県簸川郡久木村(現在の出雲市)で、誕生した。父・文之助と母・ユウの3女で、9人きょうだいの6番目の子供だった。家の宗教は浄土真宗であった。 1905年(明治38年)、久木村尋常高等小学校に入学し、1911年(明治44年)に卒業する。同年4月には、簸川群直江村外5ヶ村の組合立直江高等小学校に入学し、1914年(大正3年)に卒業する。同年4月、島根県女子師範学校(二部)に入学し、1916年(大正5年)に卒業する。同年4月、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)理科に入学する。
赤尾 敏(あかお びん、1899年〈明治32年〉1月15日 … 赤尾 敏(あかお びん、1899年〈明治32年〉1月15日 - 1990年〈平成2年〉2月6日)は、日本の政治家、右翼活動家、衆議院議員、大日本愛国党初代総裁。 当初は社会主義者であったが、1926年(大正15年)に「天皇制社会主義」を理想として民族主義者へ転向。1942年(昭和17年)には翼賛会非推薦で衆議院議員に当選し、親英米反共の反体制右翼として対英米戦争に反対した。1945年(昭和20年)の敗戦後、政治活動と講演活動を行い、1951年(昭和26年)親米反共を訴える大日本愛国党を創党した。特に銀座数寄屋橋などでの辻説法による気迫に溢れる街頭演説で有名であった。 赤尾敏は1899年(明治32年)1月15日、愛知県名古屋市の金物商の息子として生まれた。
山高 しげり(やまたか しげり、別名:金子しげり、金子茂、1… 山高 しげり(やまたか しげり、別名:金子しげり、金子茂、1899年1月5日 - 1977年11月13日)は、日本の政治家、婦人運動家、フェミニスト。婦人参政権獲得期成同盟会(婦選獲得同盟)の創設に加わり、全国地域婦人団体連絡協議会の初代理事長となったほか、参議院議員を2期務めた。 1899年1月5日に三重県津市で、三重県師範学校校長であった父・幾之丞と母・とみの間に次女として生まれた。幼い頃の戸籍名はひらがなではなく、漢字の「茂」であった。子どもの頃は教師であった両親の仕事の都合でさまざまな場所に住んでいた。父が亡くなって以降は母子家庭で育っており、これが後年に母子保護活動に尽力するようになった大きな理由のひとつである。
橋浦 はる子(はしうら はるこ、1899年〈明治32年〉1月… 橋浦 はる子(はしうら はるこ、1899年〈明治32年〉1月4日 - 1975年〈昭和50年〉2月25日)は、日本の社会運動家。日本で初めて女性が参加した1921年(大正10年)のメーデーにおいて、女性による社会主義団体「赤瀾会」の1人として参加したことで警察に拘束され、「日本で初めてデモ活動に参加した女性」として話題になった。 鳥取県岩美郡岩美町で、10人の兄弟姉妹の末子として誕生した。父は新進的な考えの持ち主、長兄は大学で学んだ社会主義思想を家に持ち込み、はる子はこの家庭環境で大きな影響を受けて育った。 18歳のとき、勉学を望んで、兄を頼って上京し、精華女学校(後の東海大学付属市原望洋高等学校)や渡辺女学校(後の東京家政大学)専門部に学んだ。
高谷 覚蔵(たかや かくぞう、1899年1月1日‐1971年… 高谷 覚蔵(たかや かくぞう、1899年1月1日‐1971年3月20日)は、社会運動家、政治評論家。日本きってのソ連通として知られた。パルタイナーメ(共産党員名)は寺田。 滋賀県大津市生まれ。大阪高等工業学校の醸造科を卒業後、家業の酒屋を継がず、1922年アメリカへ渡り、アメリカ共産党に入党。1923年10月、片山潜の手引きでソ連に入り、東方勤労者共産大学を卒業後、1929年にソ連共産党員に転籍、コミンテルン極東部員、KGBの極東主要メンバーとして活動。その後、極東でオムスを取り仕切っていたゲンリフ・リュシコフの片腕となる。1935年2月帰国。同年5月検挙され転向し、その後陸軍参謀本部第5課(対ソ情報)嘱託として勤務した。
小澤 開作(おざわ かいさく、1898年12月25日 - 1… 小澤 開作(おざわ かいさく、1898年12月25日 - 1970年11月21日)は、日本の歯科医師、民族主義者。 山梨県西八代郡高田村出身。東京歯科医専(現・東京歯科大学)卒。宣撫工作に従事するため満洲・長春へ赴任。夫人の小澤さくらによれば、「昼間まじめに診察していたのは、1931年(昭和6年)の満洲事変の前まで」だった。また、長春にいた頃、奉天の鉄道の責任者になり、初めて視察に行った際に、駅のプラットホームで何者かに狙撃されたが無事だった。1928年(昭和3年)に満州青年聯盟を、1932年(昭和7年)には満洲国協和会を結成し民衆の教化を行った。 満洲事変の立役者であった関東軍の板垣征四郎と石原完爾とは同志であり、第三子には両者の名を取って征爾と名付けた。
藤田 たき(ふじた たき、1898年12月23日 - 199… 藤田 たき(ふじた たき、1898年12月23日 - 1993年1月4日)は、大正-平成期の婦人運動家・教育者。津田塾大学学長、労働省婦人少年局長、新日本婦人同盟会長を務めた。 判事・藤田菊江の二女として、赴任先である愛知県名古屋市橦木町(後の東区)で誕生。母・かめきがクリスチャンだった関係で幼児洗礼を受けている。父は仕事柄転勤が多く、一家はたきが尋常小学校2年生の時に那覇に、5年生の時に富山に、卒業後は旅順にと引っ越しを繰り返した。1913年(大正2年)に父は退官。大阪で弁護士事務所を開くが、頑固な性格が災いし経営は上手くいかなかった。 たきは1914年(大正3年)金蘭会高等女学校の3年に編入。
野溝 勝(のみぞ まさる、1898年(明治31年)11月15… 野溝 勝(のみぞ まさる、1898年(明治31年)11月15日 - 1978年(昭和53年)8月22日)は、日本の政治家、農民運動家。衆議院議員、参議院議員、左派社会党書記長、芦田内閣の地方財政委員会委員長。正三位勲一等瑞宝章。 長野県上伊那郡赤穂村(現在の駒ヶ根市)に馬車屋の子として生まれる。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、1917年(大正6年)青森農業学校畜産獣医科を卒業する。同年法政大学に入学するが、すぐに中退し、獣医師となり、長野県警察部で防疫官、衛生助手として勤務する。しかし思想的に問題があるとみなされて、長野県下伊那郡富草警察署(現・阿南警察署)に配置換えとなる。しかし、ここでも署長と衝突し、1922年(大正11年)に退職した。
平野 力三(ひらの りきぞう、1898年11月5日 - 19… 平野 力三(ひらの りきぞう、1898年11月5日 - 1981年12月17日)は、日本の農民運動家、政治家。位階は従三位。 国家社会主義者。のち反資本・反ファッショ・反共農民運動の指導者となる。数々の政党結成に関わり「政界の策士」と呼ばれ、戦後も衆議院議員として活動し、片山内閣の農林大臣を務めた。 兄に平野増吉、夫人の平野成子は日本社会党参議院議員。二女の平野義子は「呼び屋」と呼ばれた神彰の後妻となった。三女の平野照子は、民社党で活動した。自由民主党衆議院議員から岐阜県知事を務めた平野三郎は甥にあたる。 1898年(明治31年)11月5日岐阜県郡上郡大和村(現郡上市)に生まれる。1920年(大正9年)拓殖大学中国語科を経て、1923年(大正12年)早稲田大学政経科を卒業する。
岩内 とみゑ(いわうち とみえ、1898年(明治31年)10… 岩内 とみゑ(いわうち とみえ、1898年(明治31年)10月15日 - 1986年(昭和61年)3月26日)は、日本の社会運動家である。旧姓は和田。夫は同じく社会活動家の岩内善作。 山梨県東山梨郡加納岩村(現在の山梨市)に生まれ、幼年期に小学校を中退し製糸工場の女工として活動する。1917年(大正6年)に単身上京し、亀戸にあったセルロイド工場の女工として活動した。同工場に勤務中にキリスト教に受洗し、1921年(大正10年)には日暮里で同教の社会事業団体であった愛隣団の診療所の看護婦として活動を始める。 1927年(昭和2年)には日本労働党傘下の全国婦人同盟の結成に携わり、その幹事も務めた。また後に社会大衆婦人同盟の幹事も務め、中間派の無産婦人運動の指導に尽力した。
外村吉之介(とのむら きちのすけ、1898年(明治31年)9… 外村吉之介(とのむら きちのすけ、1898年(明治31年)9月27日 - 1993年(平成5年)4月15日)は、民藝運動家、染織家。滋賀県出身。甥に歌人の塚本邦雄(1920年 - 2005年)がいる。 1898年(明治31年)9月27日、滋賀県神崎郡五個荘町川並(現東近江市五個荘川並町)生まれ、1925年(大正14年)に関西学院神学部を卒業した後、1932年(昭和7年)手織物の創作活動を開始した。国画会会員、日本民芸協会常任理事などを歴任し、1993年(平成5年)4月15日死去した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
成重 光真(光眞、なりしげ みつま、1898年(明治31年)… 成重 光真(光眞、なりしげ みつま、1898年(明治31年)9月23日 - 1980年(昭和55年)10月4日)は、大正から昭和期の鉄道技術者、労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員、小倉市会議長。 大分県西国東郡、のちの真玉村(真玉町を経て現豊後高田市)で、代々庄屋を務めた成重家に生まれる。実家が破産し一家で小倉市に移った。1918年(大正7年)小倉工業学校(現福岡県立小倉工業高等学校)機械科を卒業した。 大連に渡り、大連機械、山東鉄道(膠済線)で勤務し、同鉄道従業員組合長を務め、1923年(大正12年)山東鉄道が中国に還付され帰国した。鉄道省門司鉄道局技手に任官し小倉工場に配属された。現業委員会小倉支部長に3期在任。
伊東 ハンニ(いとう はんに、1898年(明治31年)8月2… 伊東 ハンニ(いとう はんに、1898年(明治31年)8月25日 -1969年(昭和44年)8月3日)は、日本の作家、相場師、社会運動家。伊東阪二とも書く。本名松尾 正直(まつお まさなお)。昭和初期に相場で巨富を得、兜町の風雲児として注目され「昭和の天一坊」とも呼ばれた。 『国民新聞』、雑誌『日本国民』のオーナー。川端康成、与謝野晶子等のプロデューサー。東洋のマタハリと呼ばれた川島芳子と親交あり。熱烈な愛国者であり、太平洋戦争を回避しようと日本国中を遊説した。 三重県鈴鹿郡加太村(現亀山市)に米穀商・松尾伝吉の三男に生まれる。父は米穀商の傍ら株の仲買人を手がけていたが、日露戦争後の相場の乱高下で損害を被り名古屋へ転居。
大泉 兼蔵(おおいずみ けんぞう、1898年8月8日 - 没… 大泉 兼蔵(おおいずみ けんぞう、1898年8月8日 - 没年不明)は、日本の社会運動家。 新潟県西蒲原郡燕町(現燕市)仙木の貧農の長男に生まれた。小学校卒業後農業に従事。小作農の貧しさから1920年春、仙木に農民組合を組織、1921年日本農民組合(日農)関東同盟に加盟、同組合仙木支部員、新潟県連合会執行委員として農民運動で活動。1925年全日本無産青年同盟と労働農民党に加入。1927年12月、オルグとして新潟に来ていた河合悦三の勧めで日本共産党に入党、中越地区細胞に所属。1928年、三・一五事件で検挙されたが党員であることが発覚せず約1か月で釈放された。のち上京し、1929年2月頃からしばらく自由労働者集団の中に入っていた。
和田 巌 (わだ いわお、1898年〈明治31年〉7月9日 … 和田 巌 (わだ いわお、1898年〈明治31年〉7月9日 - 1923年〈大正12年〉2月14日)は日本の社会運動家、農民運動家。早稲田大学の学生運動団体であった民人同盟会および建設者同盟の中心人物。 青森県上北郡三本木村(現在の十和田市)出身。父・足也が畜産技師として岐阜県庁に赴任した関係で、旧制岐阜中学校(現在の岐阜県立岐阜高等学校)に進み、柔道部にて平野力三や三宅正一と知り合う。旧制中学時代の和田は、トゥルゲーネフやトルストイを好んで読んでいたという。その後、早稲田大学に進学する。 1919年(大正8年)2月、早稲田大学の学生を中心とした社会運動団体・民人同盟会の創立に参加する。しかし、まもなく中心メンバーの高津正道と和田の間で路線対立が生じる。
高島 巌(たかしま いわお、1898年4月4日 - 1976… 高島 巌(たかしま いわお、1898年4月4日 - 1976年5月8日)は、日本の社会事業家。兵庫県出身。 牧師の子として生まれる。東京聖書学院、東京学院高等学部(現・関東学院大学)を卒業後、1924年(大正13年)中央社会事業協会に入社。主事、参事になる。1937年(昭和12年)の母子保護法制定にも助力した。1939年(昭和14年)、児童擁護協会常務理事に就任。 獅子文六の小説「太陽先生」のモデルともなった。 またボランティア精神の基本を説いた人物でもあり、次の言葉が知られる。 しあわせなものが、ふしあわせなものにではない もてるものも、もたないものも、しあわせなものも、ふしあわせなものも、 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
岩田 義道(いわた よしみち、1898年(明治31年)4月1… 岩田 義道(いわた よしみち、1898年(明治31年)4月1日 - 1932年(昭和7年)11月3日)は、日本の労働運動家、社会運動家、政治活動家。戦前期の非合法政党時代の日本共産党幹部であった。愛知県葉栗郡北方村(現・一宮市)出身。 松山高等学校を卒業。京都帝国大学経済学部に入学し、河上肇に師事する。だが在学中に京都学連事件に連座して逮捕され、禁錮10か月の判決を受けたため中退した。産業労働調査所で活動し、1927年(昭和2年)には日本共産党(第二次共産党)に入党する。「非常時共産党」時代には党中央委員に選出され、宣伝煽動部(アジプロ)、農民部で部長を務めたほか、活版印刷による『赤旗』の発行を指導した。
稲村 隆一(稻村隆一、いなむら りゅういち、1898年3月7… 稲村 隆一(稻村隆一、いなむら りゅういち、1898年3月7日 - 1990年11月20日)は、日本の農民運動家、政治家、衆議院議員(4期)。政治家の稲村順三は弟、稲村稔夫は甥。 北海道虻田郡喜茂別町出身。 1918年北海中学校(旧制)、1923年早稲田大学政治経済学部卒業。 早稲田大学在学中から建設者同盟に参加、その後農民運動に入った。その間日本共産党に入党し、1926年に労働農民党に入党。 1928年の三・一五事件で検挙された後、社会大衆党に移った。 1937年に新潟県日本農民連盟を結成し、皇国農民連盟と連携を図った。 1940年に東方会、石原莞爾の東亜連盟運動にも参加。戦後、日本社会党に入ったが、公職追放を受けた。
吉田 璋也(よしだ しょうや、1898年1月17日 - 19… 吉田 璋也(よしだ しょうや、1898年1月17日 - 1972年9月13日)は、日本の民藝運動家。医師。鳥取県鳥取市出身。 医学生時代より交流のあった柳宗悦の民藝運動に共感して活動。柳宗悦が見出した民藝の美を日常の生活の中に取り入れるため、1931年(昭和6年)新たな民藝品を作り出す活動を開始した。工種は陶芸・木工・家具・竹工・漆工・染織・金工・石工・和紙・建築等に及び、このような運動は全国各地でも起こりのちに新作民藝運動と呼ばれることになる。吉田は「民藝のプロデューサー」を自認し、「たくみ工芸店」(鳥取・東京)を開き民藝の普及に大きな足跡を残した。新作民藝のプロデューサーとして、企画・デザイン・生産・流通に関わり、また自らも多くのデザインを残しており、衣食住に渡る幅広いデザイナーとしての業績も大きい。
松沢 兼人(松澤、まつざわ けんじん / かねんど / かね… 松沢 兼人(松澤、まつざわ けんじん / かねんど / かねと、1898年(明治31年)1月10日 - 1984年(昭和59年)5月23日)は、日本の社会運動家、教育者、政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(3期)。 新潟県北蒲原郡水原町(現阿賀野市)で、裁判官の息子として生まれる。父の転勤に伴い各地の小学校へ転校した。1915年、長野県立上田中学校を卒業し、第七高等学校造士館に入学。同年12月、メソヂスト鹿児島教会(現:日本基督教団鹿児島加治屋町教会)で洗礼を受けた。1918年、東京帝国大学法科大学政治学科に入学し、新人会の結成に加わった。1921年、同大法学部を卒業した。 卒業後、大阪市社会部に勤務し、その後、大阪労働学校主事兼講師に就任。