安 駿相(アン・ジュンサン、朝鮮語: 안준상、1898年1月… 安 駿相(アン・ジュンサン、朝鮮語: 안준상、1898年1月9日 - 1994年12月27日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育者、実業家、政治家、独立運動家。制憲韓国国会議員。 初代文教部長官の安浩相は従弟。 慶尚南道宜寧郡富林面立山里の耽津安氏(朝鮮語版)の世居地である立山村出身。東萊高等普通学校、正則英語学校(現・正則学園高等学校)卒。早稲田大学政経科2年修了。三・一運動のときは宜寧郡内の万歳運動を主導し、その後も族叔の安熙済の独立闘争活動を手伝った。また、立山学院長、古今社経営者、宜寧協同組合創立・経営者、馬山ゴム工業社経営者、薬草栽培園経営者を歴任した。光復後は慶尚南道ハングル文化普及会長、釜山東亜大学(現・東亜大学校)理事、独立促成国民会釜山支部副会長、朝鮮民族青年団慶尚南道団部理事、釜山一五倶楽部幹事、宜寧郡選出の国会議員、制憲同志会会長などを務めた。
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今牧 嘉雄(いままき よしお、1897年(明治30年)12月… 今牧 嘉雄(いままき よしお、1897年(明治30年)12月15日 - 1980年(昭和55年)5月17日)は、大正から昭和期の内科医、右翼活動家、政治家。衆議院議員、医学博士。 富山県射水郡新湊町(高岡市、新湊町、新湊市を経て現射水市)で生まれる。1920年(大正9年)長崎医学専門学校(のち長崎医科大学、現長崎大学)を卒業し、その後、京都帝国大学医学部で研究した。 別府市の朝見病院長を経て、1930年(昭和5年)東京市京橋区で開業した。大川周明の雑誌『満蒙』に執筆し、大川の治療を行ったことなどから神武会に加盟した。1936年(昭和11年)大日本青年党に加わり、その後、大日本赤誠会に改称。また、日本医師会理事、日本医療団評議員、富士工業社長などを務めた。
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沢田 ひさ(さわだ ひさ、1897年(明治30年)11月25… 沢田 ひさ(さわだ ひさ、1897年(明治30年)11月25日 - 1979年(昭和54年)11月9日)は、大正時代から昭和時代の女性政治家、女性解放運動家。日本社会党所属の衆議院議員(1期)。 1897年(明治30年)生まれ。滋賀県甲賀郡土山村(現甲賀市)出身で、結婚して三重県桑名市に移り、戦前から婦人参政権獲得運動に挺身して、中部地区婦人選挙権獲得同盟会員となる。 1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙で当選し、49歳で日本社会党の新人議員として日本最初の女性代議士(三重県の婦人代議士第1号)となり、衆議院議員1期を務めた。1953年(昭和28年)4月24日の第3回参議院議員通常選挙で三重県選挙区から55歳で右派社会党の新人として立候補して 150501票 (得票率28.4%)で落選した。
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水谷 長三郎(みずたに ちょうざぶろう、1897年(明治30… 水谷 長三郎(みずたに ちょうざぶろう、1897年(明治30年)11月4日 - 1960年(昭和35年)12月17日)は大正、昭和期の日本の政治家、弁護士、労働運動家。位階は正三位。 片山内閣、芦田内閣の商工大臣を務めた。愛称「水長」(みずちょう)。 1897年(明治30年)11月4日京都府紀伊郡伏見町京橋(現在の京都市伏見区)に生まれる。1921年(大正10年)京都帝国大学法学部を卒業する。京都帝大ではマルクス経済学者の河上肇に師事、高山義三とともに河上を顧問とする労学会を結成した。京都帝大在学中に友愛会に参加し、河上の紹介で大原社会問題研究所の嘱託となる。京都帝大卒業後、弁護士を開業した。 1926年(大正15年)普通選挙法が通過し、25歳以上の成人男子に普通選挙が認められると、1928年(昭和3年)第16回衆議院議員総選挙に無産政党の一つ労働農民党から立候補し山本宣治とともに当選、日本初の社会主義政党の代議士となる。
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赤松 常子(あかまつ つねこ、1897年8月11日 - 19… 赤松 常子(あかまつ つねこ、1897年8月11日 - 1965年7月21日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員(3期)。日本社会党初代婦人部長。 山口県都濃郡徳山村(現・周南市)生まれ。祖父は徳応寺住職の赤松連城。兄に宗教学者の赤松智城、衆議院議員の赤松克麿がいる。 徳山高等女学校(現山口県立徳山高等学校)を経て、1913年、京都女子専門学校入学。在学中は、賀川豊彦の社会事業に協力。その後、2年で大学を中退。1923年、上京し労働運動に取り組む。同年9月に発生した関東大震災における賀川豊彦の罹災者救済活動に協力。 1925年日本労働総同盟婦人部にはいる。この間、野田醤油労働争議に参加。1940年、日本労働総同盟は自主解散し、大日本産業報国会に組み入れられた。
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河辺 満甕(かわべ みつかめ、1897年7月29日 - 19… 河辺 満甕(かわべ みつかめ、1897年7月29日 - 1970年5月9日)は日本の牧師、伝道者、教育者。 1897年(明治30年)兵庫県生まれ。河辺貞吉の長男として淡路島・福良に生まれる。関西学院文学部卒業した後、1920年(大正9年)にアメリカ合衆国に留学しグリーンビル・カレッジに留学し、その後ドルー神学校で学んだ後、イギリスに渡りエディンバラ大学、オックスフォード大学で学ぶ。その後、エルサレムのアメリカ東洋研究所員になり、W・F・オルブライトの指導を受ける。1925年(大正14年)帰国。林順と結婚し、関西学院文学部教授に就任する。のち予科長、高校校長、宗教総主事をつとめる一方、自由メソヂスト教会教職として牧会にも従事する。
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是川 銀蔵(これかわ ぎんぞう、 1897年(明治30年)7… 是川 銀蔵(これかわ ぎんぞう、 1897年(明治30年)7月28日 - 1992年(平成4年)9月12日)は、日本の事業家、投資家、相場師、慈善家。最後の相場師と呼ばれた。 現在の兵庫県赤穂市福浦で貧しい漁師の七人兄弟の末っ子、小山銀蔵として生まれる。小山の家は赤穂では有名な旧家であったが、明治維新で没落した。一家は3歳の時に神戸へ転居し、尋常小学校を卒業した後、14歳で貿易商の好本商会の丁稚となる。1914年に好本商会が倒産すると、ロンドンを目指し出国するが、中継地の中国の大連に着いたときに第一次世界大戦が勃発した。日本軍が山東半島の龍口に上陸したため、軍との商売を目指して龍口へ移った。軍が青島へ向かうと徒歩で追いかけた。
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菊池 重作(きくち じゅうさく、1897年(明治30年)7月… 菊池 重作(きくち じゅうさく、1897年(明治30年)7月14日 - 1980年(昭和55年)12月9日)は、日本の社会運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 群馬県佐波郡茂呂村(現伊勢崎市)で生まれる。織物製造業、養蚕販売業を営む。 1923年、群馬共産党事件を契機に社会運動に加わり、日本労農党に加入し小作争議の指導を行う。全国農民組合茨城県連合会書記長、同会長、日本農民組合茨城県連合会執行委員長、社会大衆党茨城県連合会書記長などを務め、1936年、水海道町会議員となるが、1938年、人民戦線事件で検挙され、懲役3年・執行猶予5年の判決を受けた。 戦後、日本社会党に入党し、1947年4月の総選挙に茨城県第三区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務める。
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金子 益太郎(かねこ ますたろう、1897年(明治30年)7… 金子 益太郎(かねこ ますたろう、1897年(明治30年)7月7日 - 1983年(昭和58年)10月6日)は、大正から昭和期の農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員(2期)、栃木県栃木市長。幼名は亀吉で、35歳の時に益太郎と改名した。 栃木県下都賀郡栃木町入舟町(現栃木市入舟町)で、染物屋・金子忠吉(ただよし)の二男として生まれる。1912年(明治45年)3月、栃木町立第一尋常高等小学校高等科を卒業した。 その後上京し、働きながら独学し、山室軍平の導きでキリスト教に入信。雑司ヶ谷で小間物屋を開業したが、労働農民運動に加わった。1926年(大正15年)日本労農党に入党。 1929年(昭和4年)に帰郷して栃木県下の労農運動を大屋政夫、石山寅吉らと指導した。
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古田 誠一郎(ふるた せいいちろう、1897年6月27日 -… 古田 誠一郎(ふるた せいいちろう、1897年6月27日 - 1992年12月3日)は日本の社会事業家、教育者、ラジオ・テレビタレント、政治家。日本におけるボーイスカウト草創期の指導者の一人。初代の公選高槻市長、ボーイスカウト日本連盟理事、日本キャンピング連盟常任理事を歴任した。 1897年(明治30年)6月27日、和歌山市に古田吉兵衛の長男として出生。1914年(大正3年)、和歌山商業学校を卒業。 1919年(大正8年)、和歌山の聖救世主教会で受洗し日本聖公会に入信。同年神戸に移住する。 1921年(大正10年)12月1日、神戸聖ミカエル教会でボーイスカウト神戸第1隊(ウォーカー隊)を指導していたフレデリック・ウォーカー宣教師、竹内宗六神父の援助を受け、平井哲夫と共に神戸ボーイスカウト山手隊を結成。
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金 七星(キム・チルソン、朝鮮語: 김칠성、1897年6月2… 金 七星(キム・チルソン、朝鮮語: 김칠성、1897年6月22日または6月24日 - 1984年5月21日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の実業家、政治家。第2代韓国国会議員。本貫は清道金氏(朝鮮語版)。 慶尚南道釜山(現・釜山広域市)出身。日本大学経済学部卒。1950年の第2代総選挙に釜山市丙選挙区から無所属で立候補して当選し、国会議員を1期務めた。そのほか、経済研究所長、ハンソン株式会社経営者、米軍政期の慶尚南道顧問などを務め、大韓独立促成全国労働総同盟にも関係があった。1950年9月19日正午ごろ、ソウルにいた際に北朝鮮に拉致された。1956年7月から在北平和統一促進協議会の常務委員を務め、その後の詳細は不明だが、87歳で死去したとされる。
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小岩井 浄(こいわい きよし、1897年〈明治30年〉6月9… 小岩井 浄(こいわい きよし、1897年〈明治30年〉6月9日 ‐ 1959年〈昭和34年〉2月19日)は、日本の社会運動家、教育者、弁護士、政治家。愛知大学第3代学長。 長野県東筑摩郡島立村(現在の松本市)に小岩井宗十の長男として生まれる。父・宗十は松本での分県移庁運動で検挙(のちに無罪)された経験のある社会運動家で、1902年に妻子を残して単身渡米し、カリフォルニアで農園経営者として成功したとも、消息を絶ったとも伝えられる。 1911年、旧制長野県立松本中学校(現在の長野県松本深志高等学校)に入学。1915年、同校を本荘太一郎校長との衝突を理由に中退。その後旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)に入学する[要出典]。
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近藤 孝太郎(こんどう こうたろう、1897年3月24日 -… 近藤 孝太郎(こんどう こうたろう、1897年3月24日 - 1949年11月6日)は、日本の社会運動家、著述家、芸術家。大正期から昭和20年代前半にかけて、郷里岡崎市の社会主義運動および文化活動を牽引した。 愛知県額田郡常磐村大字米河内(現・岡崎市米河内町)の代々続く清酒醸造を業とする家に近藤伍三郎の長男として生まれ、祖母に育てられる。1914年(大正3年)、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。芸術家になることを夢み、東京美術学校進学を希望するが父の反対にあい、やむなく東京高等商業学校(現・一橋大学)に進む。在学中から若山牧水に師事し「創作社」同人となった。この頃、府立一中の蔵原惟人、浅野晃らと同人誌『りらの花』(後『リラ』)発行。
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朱 基瑢(チュ・ギヨン、朝鮮語: 주기용、1897年3月12… 朱 基瑢(チュ・ギヨン、朝鮮語: 주기용、1897年3月12日 - 1966年5月8日)は、日本統治時代の朝鮮および韓国の独立運動家、教育者、政治家。制憲国会議員。氏名の漢字表記は朱基容、朱基溶、朱基鎔などもある。 本貫は新安朱氏。牧師の朱基徹は従弟、独立運動家・教育者の李昇薫は岳父。 慶尚南道昌原郡(現・昌原市鎮海区)出身。1916年に平安北道定州郡の五山中学校を卒業した後に故郷に戻り、熊東面にあった啓光学校で教鞭を取った。学校に在職中に三・一運動が起こると、熊川・熊東の万歳デモを主導したため馬山の刑務所に投獄された。出獄後は創立者で岳父の李昇薫の助けを借りて日本内地に渡り、正則英語学校を経て東京高等師範学校数学科を卒業した。
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田中 利勝(たなか としかつ、1897年(明治30年)3月1… 田中 利勝(たなか としかつ、1897年(明治30年)3月12日 - 1961年(昭和36年)11月2日)は、日本の社会運動家、政治家。参議院議員(1期)、衆議院議員(1期)。 栃木県上都賀郡足尾町(現日光市)で、田中秀助、サヨ夫妻の二男として生まれた。1911年、足尾尋常小学校卒業と同時に足尾銅山の坑夫となる。 1918年米騒動を契機に社会運動に関心を持ち、1919年、足尾銅山に結成された大日本鉱山労働同盟会に加わり役員に就任。同年11月、坑夫の待遇改善運動のため入獄し、1920年、東京控訴院で執行猶予の有罪判決を受けて足尾銅山を解雇された。同年9月、福島県安積郡郡山町に移り、郡山電気(後の東部電力)に入社。
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平野 義太郎(ひらの よしたろう、1897年3月5日 - 1… 平野 義太郎(ひらの よしたろう、1897年3月5日 - 1980年2月8日)は、日本のマルクス主義法学者、中国研究者、平和運動家。
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浅原 健三(あさはら けんぞう、1897年〈明治30年〉2月… 浅原 健三(あさはら けんぞう、1897年〈明治30年〉2月28日 - 1967年〈昭和42年〉7月19日)は、大正・昭和時代の日本の労働運動家、政治家。 福岡県嘉穂郡穂波村(穂波町を経て現飯塚市)の小さな炭鉱主の家に生まれる。父の経営失敗により、炭鉱倒産後は渡り鉱夫となりクズ石炭・クズ鉄拾いなどをして生活を送った。 1919年、川瀬徳太郎らと日本労友会を設立し、翌1920年、八幡製鉄所の大労働争議を指導。争議自体は成功に終わったが、浅原自身は治安警察法違反で逮捕された。出獄後上京し、新聞の印刷工をしながら日本大学専門部法科の夜学に通い学んだ。無政府主義者の大杉栄としばしば会ってその弟子和田久太郎の影響も受けた。
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大塚 有章(おおつか ゆうしょう、1897年1月22日 - … 大塚 有章(おおつか ゆうしょう、1897年1月22日 - 1979年9月8日)は、日本の社会運動家。教育家。戦前、日本共産党に入党して日本最初の銀行強盗事件である赤色ギャング事件の実行犯となるも出獄後は満洲国に渡り、満洲映画協会で巡映課長となる。戦後、日中友好運動に尽力し、日中友好協会(正統)の会長などを務める。また毛沢東思想学院を設立する。兄に大塚武松、姉に河上秀(河上肇の妻)、妹に末川八重(末川博の妻)がおり、姪の河上芳子をハウスキーパーとしていた。 元岩国藩士・衆議院議員の大塚慊三郎の子として生まれる。1920年早稲田大学卒業、同年南満洲鉄道に入社するも、1922年病気で退職。療養を経て、藤本ビルブローカー銀行に入社。
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石川 金次郎(いしかわ きんじろう、1897年〈明治30年〉… 石川 金次郎(いしかわ きんじろう、1897年〈明治30年〉1月14日 - 1953年〈昭和28年〉3月24日)は、日本の政治家、社会運動家、弁護士。衆議院議員(4期、日本社会党)。 国家社会主義の活動家だった石川準十郎は実弟。子息の石川克次郎は、弁護士で民主社会党結成に参加した。 岩手県岩手郡玉山村大字日戸(現在の盛岡市近郊)に比較的裕福な家庭に生まれる。1907年(明治40年)日戸小学校を卒業(四年制)。後、義務教育年限延長により王仁小学校に通学。1909年(明治42年)王仁小学校尋常科を卒業、盛岡市立高等小学校に進学。1911年(明治44年)岩手県立工業学校(現・岩手県立盛岡工業高等学校)機械科に進学、1914年(大正3年)同校を卒業。
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若木 勝蔵(勝藏、わかき かつぞう、1897年〈明治30年〉… 若木 勝蔵(勝藏、わかき かつぞう、1897年〈明治30年〉1月10日 - 1969年〈昭和44年〉11月9日)は、大正・昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 北海道岩内郡、のちの岩内町で生まれる。1916年(大正5年)札幌師範学校本科一部を卒業した。 虻田第一小学校、札幌北九条小学校、札幌師範学校訓導、小樽市潮見台小学校長、札幌市中央創成小学校長、同市西創成小学校長を歴任。この間、教材の改良などを行い、児童の自発的な活動を重視した教育を実践した。 1945年(昭和20年)12月、札幌市教職員組合委員長に就任。1946年(昭和21年)北海道教員組合(現北海道教職員組合)初代委員長となる。
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乙部 泉三郎(おとべ せんざぶろう、1897年 - 1977… 乙部 泉三郎(おとべ せんざぶろう、1897年 - 1977年)は、東京府出身の図書館員。第2代県立長野図書館長(1932年-1949年)。 旧制京華中学を経て、東京帝国大学文学部教育学科卒業。1922年(大正11年)に南満州鉄道奉天図書館司書となり、1923年(大正12年)に南満州鉄道撫順図書館長となった。1929年(昭和4年)に県立長野図書館が開館すると司書となり、1932年(昭和7年)に第2代館長となった。農山村地域への青年団の設置を奨励し、簡易図書館の建設を推進した。太平洋戦争の戦況が悪化すると、帝国図書館の蔵書の疎開先として県立長野図書館を提供した。1949年(昭和24年)に館長を退任し、叶澤清介に後を任せた。
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文 時煥(ムン・シファン、朝鮮語: 문시환、1897年または… 文 時煥(ムン・シファン、朝鮮語: 문시환、1897年または1899年 - 1973年11月11日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、ジャーナリスト、官僚、政治家。東萊郡郡守、制憲韓国国会議員、慶尚南道知事。本貫は南平文氏(朝鮮語版)。 釜山蓮山洞(現・釜山広域市蓮堤区蓮山洞)または福泉洞出身。私立東萊東明学校、東京正則英語学校、モスクワ東方共産大学卒。満洲の安東で中国人貿易商会の書記を務めながら、秘密政治結社の花郎徒に参加した後、1920年に朝鮮共産党に入党した。1922年10月、ベルフネウジンスクで開催された高麗共産党連合大会に出席し、党中央委員会第3書記部(国内)委員となった。
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具 中会(ク・ジュンフェ、朝鮮語: 구중회/具中會、1897… 具 中会(ク・ジュンフェ、朝鮮語: 구중회/具中會、1897年または1898年4月21日 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮の教育者、独立運動家、大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国の政治家。号は蓮波(ヨンパ、연파)。天道教徒。 同じく独立運動家の具南会は弟。 慶尚南道昌寧郡霊山面出身。霊山公立普通学校(現・霊山初等学校)、普成中学校卒。己未独立運動での投獄を経て、しばらく周時経の下で韓国語文を学んだ後、早稲田大学高等師範学校英文科(現・早稲田大学教育学部)に留学し1926年に卒業した。大卒後は密陽郡北面私立精進学校設立校長、馬山中学校校長、木浦女子高等学校校長を歴任し、天道教の宣教活動にも従事した。
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大西 十寸男(おおにし としお、俊夫とも、1896年(明治2… 大西 十寸男(おおにし としお、俊夫とも、1896年(明治29年)8月18日 - 1947年(昭和22年)7月29日)は、日本の政治家、農民運動家。参議院議員(無所属懇談会、1期)。 三重県飯南郡花岡村(現:松阪市)生まれ。早稲田大学で建設者同盟に加わり、卒業後の1922年(大正11年)に日本農民組合関東同盟を組織。翌年には日農総本部書記となり、1927年(昭和2年)に日本共産党に入党。三・一五事件、四・一六事件で検挙された後に共産党から離党し、全国農民組合総本部書記を歴任。一方で労農派の立場から農民運動や左翼運動を指導し、人民戦線事件で検挙された。 戦後、日本農民組合の再建に関わり、1947年(昭和22年)2月には同会書記長になる。
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吉田 菊太郎(よしだ きくたろう、1896年7月20日 - … 吉田 菊太郎(よしだ きくたろう、1896年7月20日 - 1965年1月8日)は、昭和時代のアイヌ民族運動家。北海道幕別村のアイヌの首長・トイペウク(庄吉)の子。 十勝国中川郡幕別村字白人(チロット)村に、父トイペウク(庄吉)・母アシマツ(マツ)の長男として生まれる。白人小学校・幕別高等小学校を卒業し、父を継ぎ農業を営む。若い頃はその父への「ある反感から」「他の人が驚き怪しみもしたほど」酒におぼれ、すさんだ生活をしたが、1927年(昭和2年)2月8日に泥酔して自分の家を焼いてしまったことをきっかけに禁酒を誓い、2月15日には厚内方面に出稼ぎに出る。 断酒に成功し8月には故郷に帰る。その頃に創立された十勝アイヌ旭明社(社長・喜多章明)に参加し、翌年には精神修養と生活改善を目的とする白人古潭矯風会を創設し会長に就任する。
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高良 とみ(こうら とみ、1896年7月1日 - 1993年… 高良 とみ(こうら とみ、1896年7月1日 - 1993年1月17日)は、日本の婦人運動家、平和運動家、政治家。参議院議員(2期)。筆名は高良 富子。国会議員として戦後初めてソ連を訪れ、シベリア抑留者復員の突破口を開いた。 富山県高岡市生まれ。旧姓は和田。父は土佐藩士の子で、アメリカ帰りの土木技師、内務省官僚。母は養蚕家田島弥平の孫娘で、婦人運動家。県立第一神戸高等女学校(現兵庫県立神戸高等学校)、日本女子大学英文科卒業。コロンビア大学、ジョンズ・ホプキンズ大学で心理学を専攻、日本女性として初めて博士号を取得した(定義によるが、高良はその一人)。学位論文の題は "An experimental study of hunger in its relation to activity"。
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館 俊三(だて しゅんぞう、1896年〈明治29年〉6月15… 館 俊三(だて しゅんぞう、1896年〈明治29年〉6月15日 - 1964年〈昭和39年〉4月6日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員。 石川県鹿島郡七尾町(現七尾市)で生まれる。1916年(大正5年)石川県立七尾中学校(現石川県立七尾高等学校)を卒業し、小学校准訓導心得となる。 1920年(大正9年)鉄道省に入省し函館駅改札掛に就任。鉄道局書記、鉄道官補、函館駅助役を歴任。1946年(昭和21年)函館駅従業員労働組合の結成発起人となり、また同年5月に結成された国鉄北海道労働組合の委員長に就任。同年4月、第22回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。1947年(昭和22年)4月、第23回総選挙で北海道第3区から日本社会党所属で出馬して初当選。
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東 忠続(あずま ただつぐ、1896年(明治29年)6月9日… 東 忠続(あずま ただつぐ、1896年(明治29年)6月9日 - 1950年(昭和25年)3月24日)は、大正から昭和前期の日本の労働運動家。 奈良県吉野郡十津川村に生まれる。同志社大学に入学し、在学中から友愛会の普選運動に参加し、労働運動に関する青年組織の団長をつとめる。東が団長をつとめた青年組織は「ボルガ団」といい、20歳前後の若者30余名で組織された友愛会京都支部の育成組織であった。1920年(大正9年)同志社大学を卒業すると、翌年の1921年(大正10年)関西労働同盟会の書記となり、藤永田造船所の争議を指導した廉で検挙される。出獄すると、翌年の1922年(大正11年)尼崎合同労働組合組合長となる。
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金 成淑(キム・ソンスク、朝鮮語: 김성숙、1896年6月4… 金 成淑(キム・ソンスク、朝鮮語: 김성숙、1896年6月4日または6月5日 - 1979年12月18日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、教育者、大韓民国の政治家。第5代韓国国会議員、韓国社会党党首を歴任した。 本貫は慶州金氏、号は悔乙(フェウル、悔乙/회을)、別名は金成璹(読み・ハングル同)。郷土史学者の金泰能は甥。 全羅南道済州島大静面(現・済州特別自治道西帰浦市大静邑)加波里(すなわち加波島)出身。漢学修学を経て、京城第1高等普通学校(現・京畿高等学校)4年在学中の1919年に三・一運動に参加し、出版法・保安法違反の疑いで裁判を受け、投獄されたことがある。出獄後の1920年に帰郷し、摹瑟浦で大静普通学校の附設学校を設置したのを経て、1921年に郷里の加波島で民族主義教育を行う辛酉義塾を開設し、5年間教師として在任した。
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井谷 正吉(いたに まさきち / まさよし、1896年(明治… 井谷 正吉(いたに まさきち / まさよし、1896年(明治29年)4月29日 - 1976年(昭和51年)2月10日)は、大正から昭和期の農民運動家、農業技術者、政治家。衆議院議員(4期)。 愛媛県北宇和郡日吉村下鍵山(現鬼北町下鍵山)で、井谷正命の長男として生まれる。1914年(大正3年)郡立宇和農蚕学校(現愛媛県立宇和高等学校)を卒業した。 兵役後の1918年(大正7年)に家出して大阪、奈良、三重などを巡り、帰郷して北宇和郡役所土木科に勤務した。1919年(大正8年)から1922年(大正11年)まで三重県度会郡七保村(現大紀町)の農業補習学校教師を務めた。この間、地元青年と土民協会を設け農村問題の研究を行う。
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西 雅雄(にし まさお、1896年(明治29年)4月24日 … 西 雅雄(にし まさお、1896年(明治29年)4月24日 - 1944年(昭和19年)4月16日)は、政治活動家。特に、経済の宇野学派を構成する宇野弘蔵や大学教授の高木益郎から高く評価され、西の活動により共産党員となったものも多い。 岡山県勝田郡梶並村(現:美作市)出身。旧制岡山県立高梁中学(現:高梁高等学校)へ進学、同級生に東京帝国大学教授となる宇野弘蔵や関西大学法学部教授になる高木益郎、第一高等学校の特待生となった松田享爾がいた。特に、後に東京帝国大学の教授になり、経済学の宇野学派をつくった宇野は、自身の著書「忘れえぬ級友」で西について言及している。 西は、後に堺利彦を委員長とする第一次共産党に参加し、その後もボルシェヴィズムに理論と実践の両面で心身共に投じてゆくが、早熟の文学少年だった西の手ほどきで、宇野は文学と社会・政治論に目を惹かれていった。
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松沢 一(松澤、まつざわ はじめ、1896年(明治29年)2… 松沢 一(松澤、まつざわ はじめ、1896年(明治29年)2月16日 - 1961年(昭和36年)9月4日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。 山梨県東山梨郡春日居村桑戸(春日居町を経て現笛吹市)で生まれる。農業を営む。早くから農民運動に加わった。 1930年(昭和5年)日本農民組合山梨県連合会結成時に青年部理事に就任。以後、会長の平野力三と行動を共にした。しかし社会情勢の変化に伴い、日本国家社会党、さらに皇道会に所属した。 また、春日居村会議員に就任し、さらに1939年(昭和14年)10月、山梨県会議員に選出され、同参事会員、小作戦時特別調停委員、金銭債務戦時特別調停委員、人事戦時特別調停委員、県農地委員、山梨地方森林会議員などを務めた。
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崔 昌益(チェ・チャンイク、1896年 - 1957年 / … 崔 昌益(チェ・チャンイク、1896年 - 1957年 / 1960年)は、日本統治時代における朝鮮の独立運動家・社会主義者。中国で金元鳳と共に抗日運動を行った。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の建国にも参加したが、のちに金日成によって粛清された。妻の許貞淑(許憲の娘)も北朝鮮の政治家。別名は崔昌錫、崔昌淳、崔東宇、李建宇。 咸鏡北道穏城郡の出身で、日本の早稲田大学政治経済学部を卒業した。京城(現:ソウル特別市)で結成された共産主義者の組織・ソウル青年会(いわゆる「ソウル派」。朝鮮共産党参照)に参加してその幹部として活動。1925年モスクワ国際共産党大会に、ソウル青年会代表として参加した。 1928年、第三次朝鮮共産党事件で逮捕される。
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宋継白(송계백、1896年 - 1922年)は韓国の独立運動… 宋継白(송계백、1896年 - 1922年)は韓国の独立運動家。 平安南道平原郡出身。普成中学校を1915年に卒業して、日本に留学して早稲田大学で修学した。学生時代の1919年に三・一運動の口火になった東京での二・八独立宣言に11人代表の一人として参加した。 同年1月に開催されたパリ講和会議で国際情勢の変動が予見された中、1918年末から日本留学生の間では独立運動実行に対する雰囲気が高まった。彼らは宋継白を含めて崔八鎔と金度演など11人の実行委員を先任して独立宣言計画を推進した。 1919年1月初にこれら留学生の代表として国内に密派されて重要な役目を果たした。目的は李光洙が作成した独立宣言書を印刷可能な活字と運動資金を求めるのであった。
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奥 むめお(おく むめお、1895年10月24日 - 199… 奥 むめお(おく むめお、1895年10月24日 - 1997年7月7日)は、日本の婦人運動家、政治家。参議院議員を計3期務め、1961年(昭和36年)に勲二等宝冠章を受章し、没後に正四位を追賜された。1989年(平成元年)に福井市名誉市民の称号を贈られた。本名は奥 梅尾(読み同じ)。 福井県福井市の鍛冶屋、父・和田甚三郎、母・はまの長女として出生した。年少時から婦人労働問題に強い関心を示し、福井高等女学校(現在の福井県立藤島高等学校)を経て、1916年(大正5年)日本女子大学校卒業後、労働組合期成会の機関紙『労働世界』の記者になり、身分を偽り富士瓦斯紡績に一女工として潜入取材したレポートが反響を呼んだ。
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八木 あき(やぎ - 、1895年9月6日-1983年4月3… 八木 あき(やぎ - 、1895年9月6日-1983年4月30日)は日本の社会運動家。「八木秋子」のペンネームで活動した。
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水橋 藤作(みずはし とうさく、1895年(明治28年)7月… 水橋 藤作(みずはし とうさく、1895年(明治28年)7月30日 - 1958年(昭和33年)8月11日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。 富山県上新川郡滑川町(中新川郡滑川町を経て現滑川市)出身。1921年(大正10年)郵便集配人として勤務。その後、逓信事務官に任官。 戦後、労働運動に加わり、全逓信従業員組合(のちの日本郵政公社労働組合)に加盟し、全逓中央執行委員、全日本産業別労働組合会議(産別会議)中央執行委員などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党公認で出馬して当選し、労働者農民党に転じ参議院議員に1期在任した。その間、芦田内閣労働政務次官などを務めた。
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鈴木 東民(すずき とうみん、1895年〈明治28年〉6月2… 鈴木 東民(すずき とうみん、1895年〈明治28年〉6月25日 - 1979年〈昭和54年〉12月14日)は、日本のジャーナリスト、労働運動家、政治家。岩手県出身。第2次世界大戦前にベルリン特派員であった時はナチスを批判して国外退去させられ、帰国後は戦争を批判して軍部から執筆禁止処分を受け、敗戦後は読売新聞労働組合の委員長として読売争議を闘ったがGHQの命令により解雇された。釜石市長となってからは釜石製鉄所の公害を規制して闘った。 1895年6月25日、釜石市唐丹町川目で生まれる。旧制遠野中学校を経て、1920年に第二高等学校を卒業後、東京帝国大学経済学部に進み、卒業する。1920年初冬、東大赤門前にあった文信社という謄写版印刷屋で、宗教上の対立で実家から家出同然に上京していた宮沢賢治と知り合う 。
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井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月… 井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月28日 - 昭和42年(1967年)6月30日)は、日本の政治運動家、革命家、ジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)。 沖縄県那覇市出身。1912年(大正元年)鹿児島一中を卒業、1916年(大正5年)慶應義塾大学部予科に入学し、卒業。1918年(大正7年)同大学部理財科に進む(後に中退)。在学中に、「日本社会主義同盟」、山川均らが主宰していた水曜会で活躍。1921年(大正10年)12月より翌年11月まで一年志願兵として鹿児島歩兵連隊に入隊。24年春から秋頃まで大阪の『関西日報』の記者となる。 1923年(大正12年)に日本共産党に入党。
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西光 万吉(さいこう まんきち、1895年(明治28年)4月… 西光 万吉(さいこう まんきち、1895年(明治28年)4月17日 - 1970年(昭和45年)3月20日)は、戦前日本の部落解放・社会運動家、政治運動家、著述家。本名は清原一隆。 全国水平社設立の中心人物で差別され苦しんでいた、水平社旗の意匠の考案者および水平社宣言の起草者として知られる。従弟の亀本源十郎も水平社で活動していた。 奈良県御所市の被差別部落の寺院、浄土真宗本願寺派西光寺に生まれる。多感な青年期に受けた数々の差別に悩み、学校を転々とし離郷して画家志望となるなど出自をめぐる悩みを経験。その頃に起きた米騒動に触発され、同郷の盟友である阪本清一郎(後の水平社共同設立者)、駒井喜作らと共に青年運動、社会改造運動に没入していった。
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斎木 重一(齋木、さいき しげいち、1895年〈明治28年〉… 斎木 重一(齋木、さいき しげいち、1895年〈明治28年〉3月23日 - 1977年〈昭和52年〉5月11日)は、日本の社会運動家、政治家。衆議院議員。旧姓は稲葉。 福井県坂井郡伊井村(現・あわら市)で生まれる。大関高等小学校卒業。卒業後は、一時東京に滞在する。 越前木材工の職工長を務める。1918年(大正7年)、福井製材職工同盟会を組織し、1925年(大正14年)、福井県労働同志会に改組し、農民運動にも加わった。1929年(昭和4年)に福井市会議員選挙に立候補したが、この時は3票差で落選した。1932年(昭和7年)、社会大衆党福井県連会長に就任した。1933年(昭和8年)に福井市会議員に当選した。
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金 俊淵(キム・ジュニョン、朝鮮語: 김준연、1895年3月… 金 俊淵(キム・ジュニョン、朝鮮語: 김준연、1895年3月14日 - 1971年12月31日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、ジャーナリスト、政治家。第4代法務部長官、第8代無任所長官、制憲・第3・4・5・6代韓国国会議員を歴任した。韓国建国後はさまざまな野党の幹部を務めた。 本貫は金海金氏。号は朗山。画家の金子玉は長女、女医の金子香(朝鮮語版)は次女。元全南大学校医科大学長の曺圭瓚(朝鮮語版)は長女の夫、法曹の金洪燮(朝鮮語版)は三女の夫。 全羅南道霊岩郡出身。9人きょうだいの長男である。霊岩普通学校卒、京城公立高等普通学校卒、岡山第六高等学校卒、1920年または1921年東京帝国大学(現・東京大学)法学部独法科卒。
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鄭 重燮(チョン・ジュンソプ、朝鮮語: 정중섭、1895年3… 鄭 重燮(チョン・ジュンソプ、朝鮮語: 정중섭、1895年3月6日または1898年3月6日 - 1978年2月27日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、教育者、警察官、政治家。第3・4代韓国国会議員。 咸鏡南道利原郡出身。京城高等工業専門学校(朝鮮語版)応用化学科卒、在学中は独立運動に関与して数回拘束された。東洋大学東洋倫理哲学科卒または3年修了。間島で東興中学校を設立し、教員・校長を務め、左翼団体である平友同盟にも参加したが、5・20間島暴動により避難し帰国した。その後は高城警察署刑事部長、北青工業学校教員・校長、北青産業学校・北青中学校教員、木浦工業学校(朝鮮語版)校長、光州西公立中学校(現・光州第一高等学校(朝鮮語版))校長、木浦商業学校(現・全南大学校)校長、全南大学校商科大学学長、全羅南道学務課長・教育局長、全南教育会創立初代会長、民主党中央委員、株式会社ラジオ木浦発起人・初代代表理事、初代木浦MBC社長、新民党中央委員会議長、共和党常任委員を務めた。
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羅 容均(ナ・ヨンギュン、朝鮮語: 나용균、1895年2月2… 羅 容均(ナ・ヨンギュン、朝鮮語: 나용균、1895年2月25日または1895年11月25日または1896年1月8日 - 1984年7月6日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家。制憲・第4・5・6代韓国国会議員、第6代保健社会部長官、第6代国会副議長を歴任した。 本貫は羅州羅氏。号は白峰。金大中の側近で外交官・元駐日大使の羅鍾一は四男、順天郷大学校名誉教授の羅鍾億(朝鮮語版)は六男。2人以外に次男と三男も政治学者である。 全羅北道井邑またはソウル鍾路区出身。早稲田大学政治科卒(または政経学部中退)。早大在学中に白寛洙・金度演ら朝鮮人留学生と共に二・八独立宣言の発表を主導し、三・一運動に関わり逮捕・投獄された後、渡中し大韓民国臨時政府議政院議員に選ばれ、臨時議院法制委員・政務調査特別委員・政治分科委員、上海海内外国民大会準備委員を務めた。
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近藤 憲二(こんどう けんじ、1895年2月22日 - 19… 近藤 憲二(こんどう けんじ、1895年2月22日 - 1969年8月6日)は、大正・昭和期の無政府主義者。 1895年2月22日、兵庫県氷上郡前山村に生まれる。兵庫県立柏原中学を卒業後、上京して早大政経科に入学。在学中の1914年、大杉栄の論文集『生の闘争』に感動し、大久保に大杉を訪ね同志に加わる。バクーニン主義をとる。1916年、荒畑寒村と『労組』を、続いて『青服』(囚人服の意)を発行する。1919年、大杉の『労働運動』同人となる。1920年、「日本社会主義同盟」準備会発起人となる。1921年、第2回メーデーで警察隊と激突、市ヶ谷刑務所に下獄。1923年、大杉の計画する全国アナキスト同盟結成を手伝い関西・九州をオルグにまわる。
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加藤 吉太夫(かとう きちだゆう、1895年(明治28年)2… 加藤 吉太夫(かとう きちだゆう、1895年(明治28年)2月2日 - 1988年(昭和63年)3月11日)は、日本の農業経営者、農民運動家、政治家。衆議院議員(1期)、福井県今立郡中河村長。1930年(昭和5年)吉太夫と改名。位階は従五位。 福井県今立郡中河村下河端(現鯖江市)で、加藤家の二男として生まれる。1911年(明治44年)福井県立武生中学校(現福井県立武生高等学校)を卒業した。 農業を営み、下河端青年団長、中河村会議員、福井県農民連盟副委員長、中河村長、中河村徳尾合同耕地整理組合長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で福井県全県区から福井県農民連盟副委員長として出馬し当選し、衆議院議員に1期在任した。
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伊藤 野枝(いとう のえ、1895年(明治28年)1月21日… 伊藤 野枝(いとう のえ、1895年(明治28年)1月21日 - 1923年(大正12年)9月16日)は、日本の婦人解放運動家、無政府主義者、作家、翻訳家、編集者。戸籍名は伊藤ノヱ。 かつて平塚らいてうが編集長を務めていた雑誌「青鞜」で活躍するも編集作業を放棄して休刊させ、不倫を堂々と行い、結婚制度を否定する論文を発表して戸籍上の夫である辻潤を捨てて大杉栄の妻、愛人と四角関係を演じた。その暮らしから世評に「わがまま」「奔放」と批判された反面、現代的自我の精神を50年以上も先取りして人工妊娠中絶(堕胎)、売買春(廃娼)、貞操など現在においても問題として取り上げられている課題を題材とし、多くの評論や小説、翻訳を発表した。
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松本 淳三(まつもと じゅんぞう、1895年(明治28年)1… 松本 淳三(まつもと じゅんぞう、1895年(明治28年)1月1日 - 1950年(昭和25年)10月9日)は、日本のプロレタリア詩人、無政府主義者、政治家。衆議院議員。本名・淳造。 島根県美濃郡高城村神田(現益田市)で、山口唯美、松本カノ夫妻の長男として生まれ、祖父養軒に養育された。1914年、島根県立浜田中学校を卒業し、慶應義塾大学部理財科に進んだが1916年に中退し、その後、西日本各地や東京などを放浪した。 1918年、久原鉱業佐賀関製錬所に作業員として就職。1920年、堺利彦の推薦で雑誌『中外』の記者となり、日本社会主義同盟に加盟。1921年、自由人連盟の演説会で右翼に刺された。同年9月、再刊された『種蒔く人』の同人となる。
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大島 義晴(おおしま よしはる、1894年〈明治27年〉12… 大島 義晴(おおしま よしはる、1894年〈明治27年〉12月25日 - 1953年(昭和28年)4月21日)は、大正から昭和前期の労働運動家、農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 群馬県新田郡尾島町(現・太田市)で生まれる。 18歳頃から棒頭(人足頭)として足尾線工事、利根川改修工事に従事。徴兵検査後に上京し三河島造船尻ケ崎鉄工所で働き、労働運動に加わり日本友愛会向島支部長に就任した。1919年(大正8年)ワシントンで開催の第1回国際労働会議に労働代表顧問として出席。マーガレット・サンガーに賛同して産児調節運動に取り組むが、出版法違反で投獄された。 満洲に移り、その後、盧溝橋近くで大島鉱業所を経営した。
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伊瀬 幸太郎(伊瀨幸太郎、いせ こうたろう、1894年〈明治… 伊瀬 幸太郎(伊瀨幸太郎、いせ こうたろう、1894年〈明治27年〉12月11日 - 1991年〈平成3年〉1月23日)は、大正から昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員(3期)。 奈良県葛下郡、のちの北葛城郡當麻町(現葛城市)出身。農業を営む。磐城村会議員に選出された。 農民運動に加わり、日本農民組合奈良県連会長、同中央委員、労働農民党奈良県支部連合会書記長、日本労農党奈良県連会長などを務めた。戦後、奈良県労働委員、同農地委員、奈良県指導農業協同組合連合会長、全国農民組合中央常任委員、奈良県農業会議々長などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で奈良県全県区から日本社会党公認で立候補して落選。
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