椎名 隆(しいな たかし、1900年(明治33年)9月12日… 椎名 隆(しいな たかし、1900年(明治33年)9月12日 - 1983年(昭和58年)1月17日)は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 千葉県海上郡西銚子町(現銚子市)で、椎名八十二郎の長男として生まれる。千葉県立銚子商業学校(現千葉県立銚子商業高等学校)を経て、1920年(大正9年)早稲田大学専門部法律科を卒業した。 1923年(大正12年)弁護士を開業した。銚子市会議員に選出され4期在任。1940年(昭和15年)1月、千葉県会議員に当選し7年間在任し、参事会員(3期)、同補充員(2期)も務めた。その他、銚子市消防団長、銚子市西漁業協同組合長に在任した。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で千葉県第2区から民主党公認で出馬して次点で落選。
小玉 治行(こだま はるゆき、1900年(明治33年)9月1… 小玉 治行(こだま はるゆき、1900年(明治33年)9月12日 - 1972年(昭和47年)5月8日)は、大正末から昭和期の裁判官、弁護士、政治家。衆議院議員。 大分県大野郡犬飼村石井(犬飼町石井を経て現豊後大野市)で小玉土五郎の二男として生まれる。小学校卒業後、家業を手伝い講義録で独学し、1921年(大正10年)専検に合格。1922年(大正11年)中央大学法学科に入学して特待生となり、1924年(大正13年)首席で卒業して特別賞を受けた。 1924年、高等試験司法科試験に合格。裁判所書記兼司法属を経て、1925年(大正14年)司法官試補に任官し、1926年(大正15年)長崎地方裁判所判事に発令された。
細田 綱吉(ほそだ つなきち / つなよし、1900年(明治… 細田 綱吉(ほそだ つなきち / つなよし、1900年(明治33年)7月20日 - 1959年(昭和34年)4月5日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 長野県西筑摩郡大桑村(現木曽郡大桑村)出身。1925年(大正14年)日本大学専門部法律科を卒業した。 1927年(昭和2年)弁護士を開業。農民運動、労働運動にかかわった。1927年、日本労農党中央執行委員に就任し、その後、全国大衆党、全国労農大衆党、社会大衆党の各執行委員を務めた。1930年(昭和5年)日本大衆党埼玉県支部連合会の委員長に選出され、同時に党名が全国大衆党に変更され初代県連委員長となる。また、全日本農民組合(全日農)茨城県連委員長、全国農民組合(全農)茨城県連委員長も務めた。
北川 定務(きたがわ さだむ、1900年(明治33年)3月3… 北川 定務(きたがわ さだむ、1900年(明治33年)3月31日 - 1963年(昭和38年)2月22日)は、昭和期の弁護士、検察官、政治家。衆議院議員。 佐賀県小城郡芦刈村(芦刈町を経て現小城市)で生れる。1926年(大正15年)3月、日本大学法文学部法律学科(英法)を卒業した。1927年(昭和2年)12月、高等試験司法科試験に合格し、1928年(昭和3年)4月、司法官試補に任官。 1929年(昭和4年)11月、予備検事となる。1930年(昭和5年)11月、台北地方法院検察官に任じられ、以後、高雄支部検察官、台北地方法院検察官を歴任し、1945年(昭和20年)台湾高等法院検察官に就任し終戦を迎えた。
趙 柱泳(チョ・ジュヨン、朝鮮語: 조주영、1900年3月1… 趙 柱泳(チョ・ジュヨン、朝鮮語: 조주영、1900年3月11日 - 1976年11月25日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の弁護士、警察官僚、政治家。第4代逓信部長官、第2代韓国国会議員。キリスト教徒。 慶尚南道南海郡出身。明治大学法学部卒。日本弁護士試験合格。朝鮮興業銀行監査役を経て、光復後は警務部総務局局長、警務部監察長、弁護士会委員を務め、1950年の第2代総選挙で南海郡選挙区から無所属で国会議員に当選した。同年の朝鮮戦争で北朝鮮に拉致されたという説もあるが、その後は国会法司委員、鄭国殷(朝鮮語版)事件調査委員、交通部顧問、逓信部長官を歴任した。1954年の第3代総選挙と1958年の第4代総選挙にも出馬したが、いずれも落選した。
齋藤 朔郎(さいとう きたろう、1900年〈明治33年〉1月… 齋藤 朔郎(さいとう きたろう、1900年〈明治33年〉1月31日 - 1964年〈昭和39年〉8月9日)は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所判事。大阪府出身。 1923年(大正12年)12月東京帝国大学法学部在学中に高等文官試験行政科・司法科の双方に合格し、翌1924年(大正13年)に東京帝国大学を卒業。 戦前、大阪地方裁判所民事部に勤務した後に、司法省民事局に出向して会社更生法の基礎を作成。1941年(昭和16年)8月に司法大臣官房人事課長となり、1945年(昭和20年)5月に満州国にて最高法院次長、司法部次長を務めた。敗戦によりシベリア抑留となる。 帰国後は一旦は弁護士になるが、1949年(昭和24年)4月に再び裁判官となり、東京高裁刑事部に勤務した。
兼島 信栄(かねしま しんえい、1900年 - 没年不明)は… 兼島 信栄(かねしま しんえい、1900年 - 没年不明)は、日本の政治家、空手家、弁護士、画家。沖縄県那覇市首里寒川町出身。 東京都北区に疎開し、警察官として勤務した。 日本大学法学部を卒業して弁護士となる。 1947年9月10日、美里村で琉球社会党を結成し、10月20日には兼島信栄の第一次沖縄社会党に合併。沖縄社会党は沖縄民主同盟や沖縄人民党とともに知事・議会議員の公選を訴え、アメリカ合衆国による沖縄統治の下での琉球独立を模索した。 山城善光によれば、1949年5月1日以後、社会党・民主同盟・人民党の3党からなる「民族戦線演舌会」が開催されると、那覇市を皮切りに、糸満、石川、名護、本部、今帰仁、大宜味で盛況を収めたという。
金 鍾烈(キム・ジョンヨル、朝鮮語: 김종열、1900年また… 金 鍾烈(キム・ジョンヨル、朝鮮語: 김종열、1900年または1901年2月28日 - 1985年5月29日)は、大韓民国の裁判官、政治家、弁護士。第2代韓国国会議員。 キム・ジョンニョル(김종렬)とも表記される。キリスト教徒。 忠南大田(現・大田広域市)出身。京城帝国大学(現・ソウル大学校)法文学部法科卒。清州地方法院判事、大田地方法院判事、第2代国会民議院法制司法委員会委員、大韓労総法律顧問、法務部秘書官を務めた。 1985年5月29日、ソウル市江南区の自宅で老衰により死去。享年84。 1950年の第2代国会第8回第51次本会議において、日程が急であるため、緊急議案を議事日程への掲載ができなかったことや印刷物を配布できなかったことについて、壇上で謝罪し弁解した。
江口 繁(えぐち しげる、1899年12月6日 - 1971… 江口 繁(えぐち しげる、1899年12月6日 - 1971年9月19日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。 佐賀県出身。1920年中央大学法律科卒。弁護士と弁理士の業務に従事する。福岡精華女学校(現・精華女子高等学校)を経営し、福岡市議、同参事会員、福岡県議、福岡県弁護士会長、帝国弁護士会理事、大日本弁護士会常任理事、皇教塾、大憲塾塾頭、九州椎茸輸出協同組合理事長を務める。 1937年の第20回衆議院議員総選挙では福岡1区(当時)から立憲民政党公認で立候補して落選。1942年の第21回衆議院議員総選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後は日本進歩党に入ったが、推薦議員のため公職追放となった。
阿部 邦一(あべ くにいち、1899年12月5日 - 198… 阿部 邦一(あべ くにいち、1899年12月5日 - 1988年3月14日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。徳島県知事を務めた。 1899(明治32)年に麻植郡鴨島町牛島に生まれる。旧制徳島中学校を卒業後、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学法学部卒業。 在学中に高等文官試験行政科に合格し、卒業後内務省に入省。戦前においては、石川県河北郡長、大阪府警察部調停課長、兵庫県都市計画課長・学務部学務課長、鹿児島県経済部長、内務省土木局道路課長、愛知県内務部長、三重県書記官・総務部長などをつとめ、戦後は 1951年、公選第二代目の徳島県知事に就任する(在任期間1951年 - 1955年)。高度経済成長期の産業構造を見通した県政運営を行った。
池谷 信一(いけがや のぶいち、1899年(明治32年)11… 池谷 信一(いけがや のぶいち、1899年(明治32年)11月29日 - 1983年(昭和58年)2月9日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。位階は従五位。勲等は勲三等瑞宝章。元静岡県弁護士会長。元日本弁護士会常務理事。元日本弁護士連合会副会長。 静岡県出身。1927年(昭和2年)京都帝国大学法学部法律学科を卒業した。 弁護士を開業。静岡地方裁判所各種調停委員、静岡県地方労働委員会長、静岡県弁護士会長、日本弁護士会常務理事、日本弁護士連合会副会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で静岡県第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
近藤 綸二(こんどう りんじ、1899年10月8日 - 19… 近藤 綸二(こんどう りんじ、1899年10月8日 - 1982年4月12日)は、日本の弁護士、裁判官。東京高等裁判所長官などを務めた。 東京市生まれ。父は駿河台病院の創立者として知られる近藤次繁であった。兄弟には作家の近藤経一や東京女子医科大学教授の近藤台五郎がいる。1923年に東京帝国大学法学部を卒業した。 1924年に弁護士登録をし、原嘉道の事務所に入った後にフランスへ2年ほど留学した。帰国後は、有馬忠三郎の事務所に入ったが、後に独立し、帝人事件の弁護なども担当した。この間、1947年に、第一東京弁護士会の副会長となり、司法修習制度と弁護士法制定をめぐってGHQと折衝を重ねた。同年には、海野普吉らとともに自由人権協会を創設し、以降、専務理事や副理事長などを務めた。
小島 徹三(こじま てつぞう、1899年9月29日 - 19… 小島 徹三(こじま てつぞう、1899年9月29日 - 1988年1月10日)は、弁護士、日本の政治家。法務大臣。帝国弁護士会理事、 第一東京弁護士会常議員。位階は正三位。 自由党衆議院議員(1946年から10期)。日本自由党では政務調査会理事、司法部部長、民主党では総務委員、政務調査会理事、議員運営部部会長を務めた。自民党では芦田均派→岸信介派→福田赳夫派に所属した。 兵庫県養父郡八鹿町(現・養父市)出身。造り酒屋の小島久右衛門の三男として生まれる。八鹿小、豊岡中、第一高等学校、東京帝国大学法学部仏法科卒業。 1922年(大正11年)、高等文官試験外交科及び行政科に合格。その後弁護士を開業。 1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙に兵庫2区から初当選。
金 声浩(キム・ソンホ、朝鮮語: 김성호/金聲浩、1899年… 金 声浩(キム・ソンホ、朝鮮語: 김성호/金聲浩、1899年9月5日または1900年 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の検察官、裁判官、弁護士、実業家、政治家。初代全羅南道議会(朝鮮語版)議員、第3代韓国国会議員を歴任した。 全羅南道康津郡出身。日本大学専門部法科卒。朝鮮弁護士試験・高試司法科合格。光州地方法院木浦支庁上席検事・首席判事、光州地検木浦支庁長、東光学校校長、大韓国民党木浦市党委員長、初代全羅南道議会議員、韓国金属工業会長、国民会木浦支部支部長、自由党全羅南道党副委員長、朝鮮建国青年会全南委員長、木浦体育会会長、第3代国会金融界不正事件および農林部疑惑事件国政監査特別委員会委員長を務めた。
風早 八十二(かざはや やそじ、1899年8月10日(戸籍上… 風早 八十二(かざはや やそじ、1899年8月10日(戸籍上は8月24日) - 1989年6月19日)は、日本の法学者、弁護士(登録は1949年12月8日)。専門は刑事法、社会政策。衆議院議員(1949年1月-1952年7月)。岡山県都窪郡山手村(現・総社市)出身。1922年、東京帝国大学法学部卒業。 日本の刑事法学において、罪刑法定原則(罪刑法定主義)復活の重要性をいち早く唱えた。ベッカリーアの不朽の名著『犯罪と刑罰』の完訳を成し遂げたことで有名である(単独翻訳は1929年出版の刀江書院版。後1938年、岩波文庫の一冊として出版。戦後の1959年、妻・風早二葉との共訳として改版された)。 日本における新派刑法学(近代派)の巨頭・牧野英一の刑法研究室(東京帝国大学法学部)の助手になる(1922年-1924年3月)も、師説から離れ、日本における、いわゆるマルクス主義法学の先駆者の一人となる。
高橋 禎一(たかはし ていいち、1899年(明治32年)7月… 高橋 禎一(たかはし ていいち、1899年(明治32年)7月27日 - 1987年(昭和62年)5月27日)は、昭和期の検察官、弁護士、政治家。衆議院議員。 広島県芦品郡、のちの福山市芦田町で生まれる。栄治の長男。1925年(大正14年)、日本大学専門部法律科を卒業した。 司法省に入省し、大阪地方裁判所などの検事、水戸地方裁判所次席検事、水戸保護観察所長、東京控訴院(現東京高等裁判所)検事などを歴任。退官後に弁護士を開業した。 1948年(昭和23年)4月の第23回衆議院議員総選挙・広島県第3区補欠選挙に民主党公認で立候補して初当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙では落選。 1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙で再選され、以後、第28回総選挙まで当選した。
三浦 寅之助(みうら とらのすけ、1899年(明治32年)6… 三浦 寅之助(みうら とらのすけ、1899年(明治32年)6月18日 - 1973年(昭和48年)7月5日)は、大正・昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 宮城県加美郡宮崎村(宮崎町を経て現加美町)の農業・三浦寅治、やす夫妻の二男として生まれる。1914年(大正3年)村立実業補習学校を卒業。1918年(大正7年)9月に上京し、小川平吉の支援で日本大学専門部法律科に入学し、1921年(大正10年)に卒業した。 1921年、横浜区検事局に入り、1923年(大正12年)弁護士試験に合格し、同年4月、横浜市浦島ヶ丘に弁護士事務所を開業した。 横浜市会議員、同副議長を務め、1936年(昭和11年)から1946年(昭和21年)まで神奈川県会議員に在任した。
田中 萬一(たなか まんいち/まんいつ、1899年6月4日 … 田中 萬一(たなか まんいち/まんいつ、1899年6月4日 - 1973年6月18日)は、長崎県大村市出身の日本の検察官、弁護士。 1919年、徴兵により久留米師団入営。そのためもあって修学が同年齢より5年ばかり遅れて中央大学専門部法科に入学。1928年、中大専門部法科を卒業してすぐに高等文官試験司法科に合格し、司法省入省。検事任官。一期上の検事に「三羽ガラス」と称されていた、井本臺吉、柳川真文、馬場義続らがいたこともあって、傍流の会社関係の詐欺や横領事犯担当の「経済検事」として目立つことも無かった。 戦後の草創期、東京地検の初代隠退蔵事件捜査部長心得兼任渉外部長(当時 のち初代東京地検特捜部長 1947年11月10日-1948年1月5日)に就任。
黒田 寿男(くろだ ひさお、1899年4月14日 - 198… 黒田 寿男(くろだ ひさお、1899年4月14日 - 1986年10月21日)は、日本の農民運動家、政治家、弁護士。1948年結成の労働者農民党の初代主席。元衆議院議員。 岡山県津高郡金川村(のち御津郡金川村→金川町→御津町、現・岡山市北区)出身。第六高等学校を経て東京帝国大学法学部に入学。在学中に新人会で活動し、学生連合会を結成、委員長となる。法曹資格を得て後は自由法曹団で労働運動・農民運動を支援。労農党、労農派に参加した。1929年(昭和4年)には東京無産党を結成して書記長に就任、翌年に全国大衆党に合流した。 1936年(昭和11年)に行われた第19回衆議院議員総選挙に岡山県第1区から全国農民組合の支援を受けて出馬。
清原 邦一(きよはら くにかず、1899年(明治32年)3月… 清原 邦一(きよはら くにかず、1899年(明治32年)3月27日 - 1967年(昭和42年)11月11日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長。 和歌山県那賀郡(現紀の川市)で、清原英三の長男として生まれる。旧制・和歌山県立粉河中学校、旧制・第一高等学校を経て、1924年4月、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。 1923年12月、高等試験行政科試験に合格し、1924年5月、裁判所書記兼司法属に任官し東京地方裁判所書記兼大臣官房調査課に配属された。同年12月、高等試験司法科試験に合格し、1925年3月、司法官試補に任官し大阪地方裁判所詰となる。1926年11月、検事に任官し大阪地裁予備検事となる。
小沢 佐重喜(旧字体: 小澤佐重喜、おざわ さえき、1898… 小沢 佐重喜(旧字体: 小澤佐重喜、おざわ さえき、1898年〈明治31年〉11月25日 - 1968年〈昭和43年〉5月8日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(10期)。栄典は正三位勲一等。 吉田茂の側近の一人。新進党、民主党代表などを歴任した小沢一郎の父。 『朝日人物事典』によると、 岩手県生まれ。馬車引きなどをしながら1923年に日本大学法学部法律学科を卒業。弁護士となり、三木武吉に師事して1929年から東京市議、府議を5期務める。1946年の戦後初の総選挙で岩手県から衆議院議員に当選(自由党)。選挙法改正の論功行賞で1948年に第2次吉田内閣の運輸大臣に抜擢され、以後も、郵政・電気通信大臣、行政管理庁長官、自由民主党国会対策委員長を歴任。
石川 準吉(いしかわ じゅんきち、1898年〈明治31年〉1… 石川 準吉(いしかわ じゅんきち、1898年〈明治31年〉11月24日 - 1990年〈平成2年〉7月12日)は、日本の農林官僚、政治家、弁護士。参議院議員。 秋田県で、石川為治の五男として生まれる。広島高等師範学校を卒業し、1922年(大正11年)、広島県福山師範学校教授に就任。1925年(大正14年)、高等試験司法科試験に合格し、1926年(大正15年)12月には同試験行政科試験に合格。1927年(昭和2年)、東北帝国大学法文学部法科を卒業し農林省に入省。産業組合事務官兼農林事務官、農林事務官兼水産講習所教授、大阪営林局庶務部長、東京営林局庶務部長、農林省水産局水産課長、同米穀局外地課長、大使館一等書記官、食糧管理局第一部長、地方総監府参事官、東北地方行政事務局次長、農林省総務局長などを歴任し、1946年(昭和21年)に退官。
上田 誠一(うえだ せいいち、1898年(明治31年)11月… 上田 誠一(うえだ せいいち、1898年(明治31年)11月10日 - 1969年(昭和44年)1月7日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 石川県出身。小学校長・上田誠文の長男として生まれる。石川県立金沢第二中学校を卒業。金沢医学専門学校中退を経て、第四高等学校を卒業。1921年10月、高等試験行政科試験に合格。1922年3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年4月、内務省に入省し、宮城県属となり内務部地方課に配属された。 1923年2月、宮城県警視・警察部警務課長に就任。以後、同保安課長兼工場課長、兵庫県警察部保安課長、同特別高等警察課長、京都府警察部特別高等警察課長、警視庁警視・特別高等警察課長、兼外事課長、警視庁衛生部長を歴任。
大滝 亀代司(大瀧、おおたき きよし、1898年(明治31年… 大滝 亀代司(大瀧、おおたき きよし、1898年(明治31年)10月25日 - 1977年(昭和52年)8月31日)は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)、白鷹町名誉町民。 山形県西置賜郡蚕桑村大字山口(現白鷹町大字山口)で大滝利久馬の二男として生まれる。苦学して日本大学法学部を卒業。1923年(大正12年)弁護士試験に合格した。 東京で弁護士を開業。全日本弁護士会理事、第一東京弁護士会常議員となる。また、大興社取締役社長を務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に山形県全県区から日本自由党公認で出馬して次点で落選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙に山形県第1区から出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
高木 松吉(たかぎ まつきち、1898年(明治31年)10月… 高木 松吉(たかぎ まつきち、1898年(明治31年)10月4日 - 1965年(昭和40年)12月9日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 福島県双葉郡広野村(現広野町)で生まれる。1922年(大正11年)中央大学法律科を卒業。弁護士となり、報知新聞法律相談所長に就任した。 1948年(昭和23年)、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で福島県第3区から民主自由党公認で出馬して当選。その後、第27回総選挙まで連続4回当選した。1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙では落選した。この間、運輸大臣秘書官、裁判官訴追委員会代理委員長、第3次吉田内閣・法務政務次官、衆議院行政監察特別委員長、日本民主党全国委員会副委員長、同代議士会副会長、日本交通公社法律顧問などを歴任した。
高梨 乙松(たかなし おとまつ、1898年〈明治31年〉9月… 高梨 乙松(たかなし おとまつ、1898年〈明治31年〉9月30日 - 1943年〈昭和18年〉7月6日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(大阪府第三区選出、当選1回)。 鳥取県西伯郡外江村(現在の境港市外江町)に生まれる。万太郎の三男。1920年(大正9年)に関西大学を卒業し、1921年(大正10年)に弁護士試験に合格。弁護士事務所を開業した。一般民刑事件の依頼に応じる。 1913年(大正2年)以来国民党の政策に共鳴し、旧党解散の後革新倶楽部となり、更に革新党となるのに伴って一貫して行動を共にする。革新党大阪支部長として同党内に重きをなす。 司法省委員となる。その他、榎本鋳造鉄工所監査役、油谷機械工作所監査役、油谷重工業常監などを務めた。
中村 俊夫(なかむら としお、1898年(明治31年)7月3… 中村 俊夫(なかむら としお、1898年(明治31年)7月30日 - 1984年(昭和59年)7月7日)は、大正末から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員、全日本スキー連盟副会長。 兵庫県出身。1923年(大正12年)京都帝国大学法学部法律学科を卒業した。 弁護士となる。日本冷却器専務取締役、神戸保護観察所嘱託保護司、兵庫県司法保護委員、同県体育連盟副会長、同県教育審議会委員などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で兵庫県第2区から民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。その後、第24回、第26回総選挙に立候補したがいずれも落選した。 以後、全日本スキー連盟副会長、日本体育協会(現日本スポーツ協会)評議員、兵庫県スキー連盟会長などを務めた。
渡辺 忠雄(わたなべ ただお、1898年(明治31年)7月1… 渡辺 忠雄(わたなべ ただお、1898年(明治31年)7月15日 - 1980年(昭和55年)5月6日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(1946年)、広島市長(1期、1955年-1959年)。 広島県山県郡北広島町(旧・大朝町)出身。1924年(大正13年)に中央大学法律科を卒業後に、大阪地方裁判所、大阪地方検事局に勤務の後、1928年(昭和3年)に弁護士として開業。東京弁護士会常議員や日本弁護士会理事などを務めた。また、広島精機や昭和造機の代表取締役も務めていた。 1946年(昭和21年)4月10日の第22回衆議院議員総選挙では、広島県全県区に日本自由党から出馬して当選したが、間もなく公職追放の憂き目に遭う。
酒井 俊雄(さかい としお、1898年(明治31年)6月25… 酒井 俊雄(さかい としお、1898年(明治31年)6月25日 - 1982年(昭和57年)8月5日)は、愛知県津島市出身の弁護士。衆議院議員を2期務めた。 愛知県名古屋市東区生まれ。1918年(大正7年)、岡崎師範学校(現・愛知教育大学)を卒業。1929年(昭和4年)中央大学専門部法律科卒業、小学校訓導となる。その後、高等試験司法科試験に合格して、1934年(昭和9年)弁護士となり、税務代理士(現税理士)も務めた。 愛知県臨時社会調査員、同方面委員を務めた。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に愛知県第2区から出馬して当選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙に愛知県第4区から国民協同党所属で出馬して当選し、衆議院議員を連続2期務めた。
岩上 夫美雄(いわかみ ふみお、1898年(明治31年)4月… 岩上 夫美雄(いわかみ ふみお、1898年(明治31年)4月25日 - 1986年(昭和61年)12月28日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選秋田県知事。 東京府出身。岩上照雄の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し内務属となる。 以後、山梨県理事官、大阪府工場監督官、奈良県書記官・警察部長、岡山県書記官・警察部長、愛知県書記官・警察部長、警視庁警務部長、北海道庁総務部長などを歴任。 1940年7月、秋田県知事に就任。戦時下の体制整備に尽力。1943年7月に知事を退任。同年に退官し、大日本産業報国会常務理事となる。
土肥 米之(どひ よねゆき、1898年(明治31年)3月20… 土肥 米之(どひ よねゆき、1898年(明治31年)3月20日 - 1990年(平成2年)7月24日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 広島県出身。第六高等学校を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し三重県属となる。 以後、島根県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長、北海道庁部長・警察部長、宮城県総務部長、兵庫県書記官・総務部長、大阪府書記官・総務部長、四国地方行政協議会参事官などを歴任。 1942年1月、鳥取県知事に就任。統制経済の円滑な実施、翼賛体制の確立に尽力し、1943年7月に辞職した。1945年4月に愛媛県知事に就任し、戦後の復興に尽力。
松木 侠(まつき たもつ、1898年〈明治31年〉3月9日 … 松木 侠(まつき たもつ、1898年〈明治31年〉3月9日 - 1962年〈昭和37年〉7月10日)は、日本の政治家、弁護士、旧鶴岡市第8代市長。栄典は正五位・勲三等・旭日中綬章。哲学者・木田元の伯父。
石井 政一(いしい まさかず / せいいち、1898年(明治… 石井 政一(いしい まさかず / せいいち、1898年(明治31年)2月28日 - 1997年(平成9年)2月24日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選福島県知事。 奈良県出身。石井庄太郎の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し京都府属となる。 以後、大阪府監察官、岡山県書記官・警察部長、内務事務官兼内務書記官、内務省土木局港湾課長、同道路課長、大臣官房文書課長、神社局総務課長などを歴任。 1944年4月、福島県知事に就任し終戦を迎えた。1945年10月27日、知事を依願免本官となり退官。1946年1月に公職追放となった。
岡崎 源一(おかざき げんいち、1898年〈明治31年〉2月… 岡崎 源一(おかざき げんいち、1898年〈明治31年〉2月26日 - 没年不明)は、日本の弁護士、検察官。東京弁護士会理事。 三重県河芸郡一身田村字上津部田(現・津市)出身。岡崎和吉の長男。1918年、第二高等学校を卒業。1921年、東京帝国大学法学部独法科を卒業し、司法省に入り司法官試補となり、同年12月に判事に任官する。 裁判所に勤務する。1926年1月に官を辞し、弁護士となる。日本橋区本銀町四丁目に事務所を開く。高木益太郎の長女と結婚する。 1929年12月11日に高木益太郎が亡くなると、その法律事務を岡崎法律事務所が引き継ぐ。また法律新聞社長となる。1952年5月から1954年4月まで司法研修所教官をつとめた。
田中 藤作(たなか とうさく、1898年(明治31年)2月2… 田中 藤作(たなか とうさく、1898年(明治31年)2月20日 - 1979年(昭和54年)11月21日)は、大正末から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 大阪府河内郡で、田中秀吉の長男として生まれる。1921年(大正10年)関西大学専門部法律科を卒業した。 1922年(大正11年)弁護士を開業。1931年(昭和6年)大阪府会議員に選出され3期在任し、同副議長も務めた。1937年(昭和12年)大阪市会議員に当選。その他、南方経済協会理事長、高津町会連合会長、高津警防団長、三和信用組合理事長なども務めた。 1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙で大阪府第2区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選。
甲斐中 文治郎(かいなか ぶんじろう、1898年(明治31年… 甲斐中 文治郎(かいなか ぶんじろう、1898年(明治31年)1月17日 - 1974年(昭和49年)12月24日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員 (1期) を務めた。 兵庫県城崎郡五荘村(現・豊岡市)栃江に生まれる。苦学の末、弁護士となり、内務省嘱託や斎藤隆夫の秘書になった。1947年五荘村長に就任、1950年に合併による豊岡市発足まで務めた。斎藤隆夫の死(1949年)を受けて地盤を受け継ぎ、1952年の第25回衆議院議員総選挙において兵庫5区から自由党公認で出馬して初当選。1953年の第26回衆議院議員総選挙で落選。1958年の豊岡市長選では現職の佐川辰夫に敗れた。
鈴木 信雄(すずき のぶお、1898年〈明治31年〉1月4日… 鈴木 信雄(すずき のぶお、1898年〈明治31年〉1月4日 - 1979年〈昭和54年〉6月15日)は、日本の弁護士、政治家、実業家。勲等は勲三等。位階は従四位。 弁護士としては1921年(大正10年)の登録から50年以上に渡って活動し、その間に生地静岡県における三百屋の規制や被疑者の人権擁護などに役割を果たした。政治家としては戦前に立憲政友会の所属で静岡市議、静岡県議を務め、戦後も県政において保守派の重鎮として影響力を保った。その他、1976年(昭和51年)に設立された静岡県民放送の初代社長を務めるなど、県の行政分野にも影響を残している。 1898年(明治31年)1月4日、静岡県小笠郡笠原村の裕福な農家に生まれる。
山下 博章(やました ひろあき、1898年 ‐ 1943年1… 山下 博章(やました ひろあき、1898年 ‐ 1943年12月5日)は、弁護士、法学者。日本大学教授を務めた。岡山県生まれ。1918年日本大学法律科卒。1921年から1924年までドイツ留学し、その後日本大学教授。息子は中国哲学者・山下龍二。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
水谷 長三郎(みずたに ちょうざぶろう、1897年(明治30… 水谷 長三郎(みずたに ちょうざぶろう、1897年(明治30年)11月4日 - 1960年(昭和35年)12月17日)は大正、昭和期の日本の政治家、弁護士、労働運動家。位階は正三位。 片山内閣、芦田内閣の商工大臣を務めた。愛称「水長」(みずちょう)。 1897年(明治30年)11月4日京都府紀伊郡伏見町京橋(現在の京都市伏見区)に生まれる。1921年(大正10年)京都帝国大学法学部を卒業する。京都帝大ではマルクス経済学者の河上肇に師事、高山義三とともに河上を顧問とする労学会を結成した。京都帝大在学中に友愛会に参加し、河上の紹介で大原社会問題研究所の嘱託となる。京都帝大卒業後、弁護士を開業した。 1926年(大正15年)普通選挙法が通過し、25歳以上の成人男子に普通選挙が認められると、1928年(昭和3年)第16回衆議院議員総選挙に無産政党の一つ労働農民党から立候補し山本宣治とともに当選、日本初の社会主義政党の代議士となる。
柏原 語六(かしわばら ごろく、1897年9月20日 - 1… 柏原 語六(かしわばら ごろく、1897年9月20日 - 1981年6月5日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。岡山県出身。 1920年(大正9年)中央大学法学部を卒業。1921年(大正10年)に弁護士登録。 1961年(昭和36年)4月に柏原が所属する会派から順送りで推されて、無競争のまま東京弁護士会会長に選出されて就任。会長に選ばれた時に「抱負は別にないが、弁護士の職域を広げること。正義の実現を旨とする弁護士のあり方は、もっと世間に受け入れられていいと思う」と述べる。 1963年(昭和38年)12月に最高裁判所判事に就任。1958年(昭和33年)と1962年(昭和37年)にも日弁連から最高裁入りを推され固辞したこともあり、三度目に了承したことになる。
小原 栄次(おはら えいじ、1897年〈明治30年〉9月13… 小原 栄次(おはら えいじ、1897年〈明治30年〉9月13日 - 1957年〈昭和32年〉1月20日)は、日本の弁護士、弁理士。 人権擁護委員東京連合会副会長、日本弁護士連合会人権擁護第一部長、東京地方裁判所調停委員、東京弁護士会常議員を歴任した。鹿児島県出身。族籍は鹿児島県士族。次女は声優、女優、ナレーター、朗読家の小原乃梨子。 鹿児島県士族・小原萬次郎の息子として同県日置郡上伊集院村上谷口に生まれる。母は奥休太郎の長女・イネ。1937年(昭和12年)に家督を相続した。1914年(大正3年)博約義塾(現・樟南高等学校)を卒業後、上京し、1917年(大正6年)、中央大学法科を卒業。卒業後、農商務省に奉職。
小野村 胤敏(おのむら たねとし、1897年(明治30年)9… 小野村 胤敏(おのむら たねとし、1897年(明治30年)9月12日 - 1947年(昭和22年)2月26日)は、日本の弁護士。大阪理工科大学創設者。福井県遠敷郡遠敷村(現・小浜市遠敷)出身。 若狭彦神社神官・小野村胤信の三男として生まれた。旧制小浜中学校を経て[要出典]、1917年(大正6年)、関西大学専門部法律学科を卒業。 のち上京して日本大学山岡萬之助研究室に入り、翌年には弁護士試験に合格。大阪市東区博労町で弁護士事務所を開いた。 1925年(大正14年)3月、日本大学専門学校(近畿大学の前身)の創立に参画。1927年(昭和2年)、司法省嘱託としてドイツに留学し、ベルリン大学とミュンヘン大学で学ぶ。
信正 義雄(のぶまさ よしお、1897年(明治30年)8月2… 信正 義雄(のぶまさ よしお、1897年(明治30年)8月23日 - 1985年(昭和60年)12月2日)は、大正末から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)、滋賀弁護士会長、大津市会議長を務める。 奈良県出身。1919年(大正8年)、大阪府警察部に入り、同巡査、同警部補となる。一方で、1922年(大正11年)に関西大学法科を卒業し、弁護士試験に合格する。関西大学在学中に、同窓の先輩で大津市会議長の信正時治郎の知遇を得て、時治郎の二女・賤子に入婿する。 1923年(大正12年)、大津市材木町に法律事務所を開業し、京都、大阪にも手を広げ、大津弁護士会長を務める。1929年(昭和4年)、大津市会議員に初当選し、同副議長、同議長を務める。
福田 力之助(ふくだ りきのすけ、1897年(明治30年)8… 福田 力之助(ふくだ りきのすけ、1897年(明治30年)8月17日 - 1982年(昭和57年)3月24日)は日本の裁判官、弁護士。 東京府南葛飾郡亀戸町(現東京都江東区亀戸)出身。家は金物屋だったがそれが潰れ、商家の小僧となり、青山師範学校卒業、東京市砂町小学校訓導となった後、1922年(大正11年)4月中央大学法律科専門部卒業、1925年(大正14年)12月司法官試験合格、同月高等試験司法科合格、1926年(大正15年)4月司法官試補として東京地方裁判所所属、1927年(昭和2年)12月仙台地方裁判所予備判事転任、福島地方裁判所に次いで1928年(昭和3年)10月山形地方裁判所判事転任、同鶴岡支部所属。
久保田 畯(くぼた たおさ、1897年(明治30年)8月4日… 久保田 畯(くぼた たおさ、1897年(明治30年)8月4日 - 1991年(平成3年)5月27日)は、大正から昭和期の内務・警察官僚、弁護士。官選福井県知事、陸軍司政長官。 熊本県阿蘇郡山西村(現在の西原村)出身。久保田愿の二男として生まれる。第五高等学校を卒業。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科試験に合格。1921年(大正10年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し地方局属となる。 以後、北海道庁理事官、愛知県警視、内務事務官兼関東庁事務官、千葉県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、岐阜県書記官・学務部長、群馬県書記官・警察部長、愛媛県経済部長、山梨県総務部長、神奈川県書記官・総務部長などを歴任。
中村 高一(なかむら たかいち、1897年〈明治30年〉7月… 中村 高一(なかむら たかいち、1897年〈明治30年〉7月31日 - 1981年〈昭和56年〉7月27日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(社会党、当選8回)。日本社会党顧問。衆議院副議長(第41代)を務めた。弁護士として社会運動や人権活動に取り組んだ。 東京府西多摩郡西秋留村(現在の東京都あきる野市)出身。中村作兵衛の六男。東京府立第二中学校出身。1922年、弁護士試験に合格。1923年、早稲田大学法学部英法科卒業。弁護士開業。1930年、労農党中央執行委員。1936年、社会大衆党中央執行委員。早くから自由法曹団に参加し、自由法曹団事件で検挙された。 東京市会議員を経て、1937年の第20回衆議院議員総選挙に東京7区から出馬し当選。
青戸 辰午(あおと たつご、明治30年(1897年)6月30… 青戸 辰午(あおと たつご、明治30年(1897年)6月30日 - 昭和47年(1972年)5月)は、日本の弁護士、政治家。旧名は貞吉。 鳥取県日野郡日南町出身。甚太郎の長男。 米子中学、松江中学を経て、大正7年(1918年)早大中退。昭和3年(1928年)、朝鮮において弁護士開業。昭和6年(1931年)に鳥取県米子市に移住した後も引き続き開業した。 戦前に米子市会議員を1期務め、戦後は鳥取県地方労働委員会委員、人権擁護委員、米子市選挙管理委員会委員、鳥取県人事委員会委員などに選任され、その功績により昭和37年(1962年)に藍綬褒章を授与された。 昭和47年(1972年)5月、74歳で亡くなった。
村田 保定(むらた やすさだ、1897年(明治30年)6月2… 村田 保定(むらた やすさだ、1897年(明治30年)6月29日 - 1976年(昭和51年)11月6日)は、大正・昭和期の弁護士・政治家・華族。貴族院男爵議員。旧姓・安場、旧名・道俊。 実業家・安場末喜の三男として生まれる。1921年(大正10年)3月、京都帝国大学法学部法律学科を卒業した。同年、明治銀行に入行し、日本勧業銀行に転じ同青森支店主事、同本店支店課勤務を務めた。妻子を伴い、男爵・村田綱太郎(村田経芳長男)の死跡を相続し、1929年(昭和4年)4月15日、男爵を襲爵した。その後、第一弁護士会所属弁護士となった。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した。
小岩井 浄(こいわい きよし、1897年〈明治30年〉6月9… 小岩井 浄(こいわい きよし、1897年〈明治30年〉6月9日 ‐ 1959年〈昭和34年〉2月19日)は、日本の社会運動家、教育者、弁護士、政治家。愛知大学第3代学長。 長野県東筑摩郡島立村(現在の松本市)に小岩井宗十の長男として生まれる。父・宗十は松本での分県移庁運動で検挙(のちに無罪)された経験のある社会運動家で、1902年に妻子を残して単身渡米し、カリフォルニアで農園経営者として成功したとも、消息を絶ったとも伝えられる。 1911年、旧制長野県立松本中学校(現在の長野県松本深志高等学校)に入学。1915年、同校を本荘太一郎校長との衝突を理由に中退。その後旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)に入学する[要出典]。
柴山 博(しばやま ひろし、1897年(明治30年)5月9日… 柴山 博(しばやま ひろし、1897年(明治30年)5月9日 - 1991年(平成3年)12月29日)は、日本の鉄道・内務官僚、弁護士。官選鹿児島県知事。 愛知県出身。柴山重幸の長男として生まれる。第八高等学校を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。鉄道省に入り鉄道局副参事となる。1924年、内務省に転じ復興局勤務となる。 以後、宮崎県事務官、埼玉県事務官、新潟県書記官・学務部長、茨城県書記官・経済部長、徳島県書記官・警察部長、山梨県書記官・総務部長、神奈川県書記官・総務部長、内務省勅任監査官などを歴任。 1943年4月、鹿児島県知事に就任。