松田 晃演(まつだ あきのぶ、1933年6月28日 - 20… 松田 晃演(まつだ あきのぶ、1933年6月28日 - 2021年1月17日)は、日本のクラシックギター奏者。アンドレス・セゴビアの高弟である。旧名は松田二朗。 アントニオ・デ・トーレス作のギターを使用してコンサート活動、CD制作などを行っていた。 兵庫県姫路市に生まれる。13歳からギターを始め、最初は自宅の隣の正覚寺の住職・藤井紫朗からギターを教わる。神戸大学経済学部を卒業後、1957年に月刊ギター専門誌「ギターの友」新人音楽賞を受賞。 1959年、演奏のため訪日したアンドレス・セゴビアを歓迎する食事会の時の歓迎演奏でセゴビアに認められ弟子となり、翌年渡欧する。アンドレス・セゴビア、アリリオ・ディアスによる2回の夏期講習を受ける。
濱野 正(はまの ただし、1933年〈昭和8年〉6月14日 … 濱野 正(はまの ただし、1933年〈昭和8年〉6月14日 - )は、日本のヴァイオリニスト・編曲家。 ヴァイオリニストとして山形交響楽団などで演奏したほか、山形県立山形北高等学校で指導した。編曲家として手がけた楽譜はオーケストラ譜、弦楽合奏譜、ヴァイオリン ソロ譜、映画音楽まで多岐にわたり500曲を超える。 富山県高岡市の旅館の三男に生まれた。高岡市立定塚小学校の同じクラスに 藤本弘 (後の藤子・F・不二雄) がいた。藤本が病気療養中に書いた絵日記に感銘を受けた濱野は、手描きの漫画本の刊行を夢見てその作成に力を入れる。その後、小学校5年の時にヴァイオリン音楽に魅力を覚え、高岡市立南部中学校(現在は廃校)入学後もヴァイオリンの修練に励む。
横森 良造(よこもり りょうぞう、1933年3月25日 - … 横森 良造(よこもり りょうぞう、1933年3月25日 - 2012年8月27日)は、日本のアコーディオン奏者である。 神奈川県横浜市出身。東京都立江戸川高等学校卒業。日本を代表するアコーディオン奏者として長く活躍した。妻は友人の姉であった女性で姉さん女房、長女は映画ライター、女優、舞台演出家の横森文。 生楽器ならではともいえる、歌い手に合わせた自在な調やテンポの設定ができ、特にのど自慢、歌合戦系のテレビ番組では重宝されていた。NTV系スター誕生!にNHKのど自慢では斎藤正雄と共に出演し、ほぼ伴奏に徹していたがアコーディオン奏者がテレビ出演する機会が少なくなった1980年代以降は横森がその殆どに出演し「アコーディオンのおじさん」として認知度は高くバラエティ番組などに出演する際には、自ら出囃子を演奏する事もあった。
高木 ブー(たかぎ ブー、boo Takagi、1933年〈… 高木 ブー(たかぎ ブー、boo Takagi、1933年〈昭和8年〉3月8日 -)は、日本のコメディアン、ミュージシャン(ウクレレ奏者、ギタリスト)。ザ・ドリフターズのメンバー。 本名は、高木 友之助(たかぎ とものすけ)で、高木ブーへの改名以前は高木 智之名義で活動していた。「8時だョ!全員集合」のオープニングなどでは、高木 ブ~名義で表記されていた。身長160 cm。芸名の由来となったのは若い頃からの肥満体型である。 東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)に兄2人・姉3人の末っ子として生まれる。第二次世界大戦末期の1945年に戦災で焼け出され、12歳の時に母方の郷里を頼って千葉県東葛飾郡柏町篠籠田(現:千葉県柏市明原2丁目)に一家で移り住み育った。
齋藤 英美(さいとう ひでみ、1933年(昭和8年)3月7日… 齋藤 英美(さいとう ひでみ、1933年(昭和8年)3月7日 - 2008年(平成20年))は、日本の電子オルガン奏者。エレクトーン奏者、作曲家。徳島文理大学名誉教授。上海音楽学院特別顧問教授。 同志社大学卒業。京都市立芸術大学音楽学部卒業。京都府京都市出身。 京都府京都市出身。同志社大学を卒業後、京都市立芸術大学音楽学部音楽学科作曲専攻に進学し卒業。 1957年(昭和32年)にプロデビューする。世界44ヵ国での演奏活動、伝統芸能・民族楽器との共演など、日本の電子オルガン奏者の第一人者として国内外で活動していた。徳島文理大学音楽学部で教授を務めたほか、中国・北京の上海音楽学院で特別顧問教授も務めた。
西出 昌弘(にしで まさひろ、1933年3月3日 - 201… 西出 昌弘(にしで まさひろ、1933年3月3日 - 2019年3月26日)は、日本のコントラバス奏者。滋賀県大津市出身。 関西交響楽団、ABC交響楽団を経て、1957年から京都市交響楽団首席。京都市立芸術大学、大阪音楽大学、同志社女子大学他講師。 1955年 東京芸術大学委託修、滋賀大学卒。今村清一、岡田二郎に師事。 趣味:オートバイ(ハーレー、BMW)、車(ミニクーパー)、ヨット(ヨーロッパ級J94。滋賀県立膳所高等学校ヨット部監督)
山口 五郎(やまぐち ごろう、1933年2月26日 - 19… 山口 五郎(やまぐち ごろう、1933年2月26日 - 1999年1月3日)は日本の尺八奏者。元東京芸術大学教授、人間国宝。 昭和8年(1933年)東京・本郷にて、琴古流尺八家1世川瀬順輔門下の山口四郎と千枝(本名ヤエ。地歌箏曲家川瀬里子の姪)との間に生まれる。11歳より琴古流尺八を、父・四郎に師事。
渡辺 貞夫(わたなべ さだお、英語: Sadao Watan… 渡辺 貞夫(わたなべ さだお、英語: Sadao Watanabe、1933年〈昭和8年〉2月1日 - )は、日本を代表するジャズサクソフォーン奏者、ジャズミュージシャン、作曲家、写真家である。 栃木県宇都宮市出身。 「ナベサダ」の愛称でサックス奏者・フルート奏者としてジャズ、フュージョンの分野で活動を展開。世界的な人気を誇る。 写真家としても知られ、これまで6作の写真集を出版している。 ちなみに、妹はジャズシンガーのチコ本田、弟はジャズドラマーの渡辺文男、娘に絵本作家の渡辺眞子がいる。 父親は薩摩琵琶奏者。ビング・クロスビー主演の映画「ブルースの誕生」を観て、クラリネットを始める。栃木県立宇都宮工業高等学校を卒業後、1951年に上京。
鈴木 勲(すずき いさお、1933年1月2日 - 2022年… 鈴木 勲(すずき いさお、1933年1月2日 - 2022年3月8日)は、日本のジャズベース、コントラバス奏者及び作曲家。ニックネームはオマスズ、オマさん。東京都出身。 立教大学在学中、来日したルイ・アームストロング・オールスターズの公演を聴き特にベース奏者のミルト・ヒントンに衝撃を受ける。1956年には米軍ベースキャンプで演奏を始める。その後松本英彦カルテット、渡辺貞夫グループに入り活動。また自己のグループ結成後ファイブスポット等でライブ活動を行う。1963年の「幻の銀巴里セッション」でも菊地雅章、富樫雅彦、金井英人とのセッションを残している。1970年、来日したアート・ブレイキーにスカウトされ渡米、ジャズ・メッセンジャーズ(英語版)の一員となり全米、欧州をツアー。
白木 秀雄(しらき ひでお、本名:柏倉 秀康、1933年1月… 白木 秀雄(しらき ひでお、本名:柏倉 秀康、1933年1月1日 - 1972年8月22日頃)は、日本のジャズ・ドラマー。 東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)の酒屋に生まれる。錦城高校ではハーモニカ・バンドに所属してドラムを担当し、ハーモニカを川口章吾、ドラムを奥田宗宏に師事した。やがてプロのジャズミュージシャンを志すようになり、1951年に東京芸術大学音楽学部打楽器科に進学した(のちに中退)。この年の東京芸大打楽器科の新入生は2名だけで、もう1人は後に指揮者となる岩城宏之であった。 東京芸大在学中からプロのジャズ・ドラマーとして活動を始めた。大学側が学生の学外演奏活動を表向きは禁じていたため芸名で活動することとし、本名の「柏倉」の「柏」の字を分けて「白木」とした。
齋藤 鶴吉(さいとうつるきち、1933年1月[要出典] - … 齋藤 鶴吉(さいとうつるきち、1933年1月[要出典] - )は日本のチェロ奏者(チェリスト)、音楽家、音楽活動家。NHK交響楽団団友、横浜室内楽協会代表、一般社団法人横浜音楽文化協会特別顧問。妻は横浜市助役を務めた齋藤龍。 東京に三兄弟の末子として生まれる。長野県大町高等学校を卒業。[要出典] 9歳年長の次兄で作曲家の筆名斎藤高順(本名齋藤孝順)の影響でチェロを始め、堀内静雄、広田幸夫、吉田貴壽、小沢弘に師事。[要出典] 1957年に東京芸術大学音楽学部器楽科を卒業。海野義雄らと、アカデミー弦楽四重奏団を結成。絶大な人気を博し全国で華々しい演奏活動を行う。[要出典] 1958年、東京芸術大学音楽学部音楽専攻科修了。
安田 伸(やすだ しん、1932年〈昭和7年〉9月19日 -… 安田 伸(やすだ しん、1932年〈昭和7年〉9月19日 - 1996年〈平成8年〉11月5日)は、日本のサックス奏者、コメディアン、元ハナ肇とクレイジーキャッツのメンバー、俳優、作曲家。本名は安田 秀峰(やすだ ひでみね)。愛称はヤッさん。 現在の東京都中野区江原町生まれ。父は佐賀県出身で、右翼活動や満州の諜報活動をしていたが、やがて毛皮と皮革の商売を始めた。生後まもなく川崎市の溝の口の大山街道沿いに移り、川崎市立高津小学校6年生のとき旧町役場の延焼を防ぐために強制疎開となる。母の実家がある川崎市柿生を経て厚木市に移り、旧制厚木中学校(現在の神奈川県立厚木高等学校)1年生のとき敗戦を迎える。軍人志望で陸軍幼年学校に願書を出していたが敗戦によって音楽の道に志望を変更し、コルネットを独学で学ぶ。
原田 実(はらだ まこと、1932年7月19日 - 1996… 原田 実(はらだ まこと、1932年7月19日 - 1996年8月25日)は、東京都生まれのカントリー・ミュージックのスティール・ギター奏者・編曲家。愛称はピーウィー。ワゴン・エースの創立メンバーである。 1932年、東京府東京市渋谷区大山町に於いて、のちに安田信託銀行(中央信託銀行)の本店部長を務めた原田信雄の次男として生まれる。長男である兄は敬。祖父の善兵衛は山形県東村山郡達磨寺村の郷中取締で、のちに長崎町(のちに中山町)の町議会議員を務めた。母の京は福島県士族で、日本銀行の志賀虎一郎の長女。3歳の頃からピアノに親しみ、慶應義塾幼稚舎の頃にハーモニカのバンドを作っていたという。 1945年、慶應義塾普通部に入学。
遠山 詠一(とおやま えいいち、1932年(昭和7年)7月1… 遠山 詠一(とおやま えいいち、1932年(昭和7年)7月14日 - 2024年(令和6年)11月16日、本名:遠山 榮一)は、昭和から平成の吹奏楽指導者、日本吹奏楽指導者協会会長、日本高等学校吹奏楽連盟理事長、浜松市吹奏楽連盟理事長を務めた。 1932年(昭和7年)7月14日樺太庁本斗町に生まれる。5歳の時に家族と父親の故郷である小樽市に移る。北海道小樽水産高等学校時代はハーモニカに取り組み、1950年(昭和25年)と1951年(昭和26年)の2年連続で全道ハーモニカ独奏コンクールに出場し優勝するとともに、2年連続で全日本学生ハーモニカ競演会東日本大会(主催:全日本学生ハーモニカ連盟協会)に出場した。
冨田 勲(とみた いさお、1932年〈昭和7年〉4月22日 … 冨田 勲(とみた いさお、1932年〈昭和7年〉4月22日 - 2016年〈平成28年〉5月5日)は、日本の作曲家、編曲家、シンセサイザー・アーティスト(シンセサイザー音楽作家、シンセサイザー奏者)。 1950年代、慶應義塾大学文学部在学中に作曲家として活動を始め、NHKや民放のラジオ番組、テレビ番組、映画、虫プロダクション関連のアニメーション等々、映像作品の音楽を数多く担当した。これらの作品は後年のシンセサイザー・サウンドとの連続性は少なく、むしろ親しみやすいオリジナルメロディ、時にジャズ調も交えた華麗なオーケストレーションなどで高く評価された。現在も多くの作品がCD等で愛聴されている。#主な作品を参照。
チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yo… チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yoko Nagae Ceschina、1932年4月5日 - 2015年1月10日)は、日本・イタリアのハープ奏者。音楽家のパトロンとしての活動でも知られた。 熊本県玉名郡玉東町出身。熊本県立第一高等女学校で学んだ後、1952年に熊本大学教育学部附属小学校の代用教員となる。1954年、東京芸術大学のハープ科に入学。その後、同大学を休学し、東京交響楽団でハープ奏者として活動する。 1960年からイタリアのヴェネツィアに留学し、1977年には資産家のレンツォ・チェスキーナと結婚。1982年に夫が死去した後、裁判を経て300億円の遺産を相続し、篤志家として活動するようになる。
今田 勝(いまだ まさる、1932年3月21日 - 2025… 今田 勝(いまだ まさる、1932年3月21日 - 2025年5月30日)は、日本のジャズ・ピアニスト、作曲家。 1932年3月21日、東京生まれ。若い頃、クラシック・ピアノのレッスンを受けた。明治大学在学中に学生バンドでジャズを演奏し、それから1年間ビジネスマンとなって仕事した。その後、プロとして音楽の道を追求することを決心。1953年からクラリネット奏者である北村英治のバンドの一員となった。 1964年から自身のトリオを率いた。1984年にフュージョン・バンドの「NOWIN (ナウイン)」を結成。1970年代からジャズ・フェスティバルで国際的に演奏を行ってきた。 2015年には、コンサートや日本クルーズ客船、太平洋マスターズ等のイベントで活動しており、ライブ・ハウス「六本木サテンドール」には毎月レギュラーで出演していた。
谷 啓(たに けい、本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、19… 谷 啓(たに けい、本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、1932年〈昭和7年〉2月22日 - 2010年〈平成22年〉9月11日)は、日本の俳優、コメディアン、トロンボーン奏者。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。 東京府荏原郡東調布町(現・東京都大田区田園調布)出身・三鷹市大沢に居住していた。渡辺プロダクション所属。中央大学経済学部中退、中央大学学員会三鷹支部会員。日本トロンボーン協会名誉会員。 写真家の吉田ルイ子は従妹にあたる。長男の渡部泰裕は映像ディレクター。 会社員の渡部四郎の長男として生まれる。祖父の渡部競一は福島県会津若松市出身で、現在の東京工業大学の前身の東京職工学校を卒業後、技師となり横須賀海軍工廠製造所や日本製鋼などに勤めたのち芝区(現在の東京都港区)三田四国町で鋼材を扱う成工商会を経営した。
中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 … 中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 - )は、日本の声楽家(テノール・カウンターテノール)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。本名:中村 雄。 東京都出身。1958年(昭和33年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。畑中良輔に師事。 オペラデビューは1959年(昭和34年)ロッシーニ『セビリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵。オペラでの出演歴はきわめて多数にのぼり、二期会、東京室内歌劇場を主に、昭和音楽大学オペラ情報センターに記録されているだけでも127回を数える。主演したオペラは70曲を超えているという。「オペラ界での長年の活躍と日本初演作上演への貢献も著しい往年の名テナー」である。
鈴木 大八郎(すずき だいはちろう、1932年 - 没年不明… 鈴木 大八郎(すずき だいはちろう、1932年 - 没年不明)は、日本の作曲家、編曲家、演奏家。中央大学応援歌 「中大健児の歌」作曲者。鈴木音楽研究所主宰。 1951年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1955年、中央大学卒業。中央大学音楽研究会に所属、委員長を務めた。大学2年の時、中央大学応援歌 「中大健児の歌」を作曲した。静岡市で鈴木音楽研究所を開設。 昭和27年に「中大建児の歌」が誕生する。新しい中央大学学生歌として募集され、発表会では、「新応援歌」として、昭和27年11月23日、白門祭の期間中の大講堂で行われ現在に至るまで、中大生愛唱歌の一つとして歌い継がれ校歌等と共ににカセットテープ「中央大学校歌」にも収録され、応援部・チアリーディング部のメイン演舞の曲となっている。
高橋 達也(たかはし たつや、本名:高橋 達朗(たかはし た… 高橋 達也(たかはし たつや、本名:高橋 達朗(たかはし たつろう)、1931年12月27日 - 2008年2月29日)は、日本のジャズ・テナーサックス奏者、バンドリーダー。 山形県鶴岡市生まれ。1951年、仙台の米軍キャンプでプロデビューしその後上京する。1964年にビッグバンド「東京ユニオン」に加入、1966年には4代目バンドリーダーに就任、「高橋達也と東京ユニオン」として名実共に日本一のビッグバンドに成長させる。 1977年、三木敏悟作品アルバム『北欧組曲』でスイングジャーナルジャズディスク大賞、日本ジャズ賞受賞。1978年・1980年、モントルー・ジャズ・フェスティバル出演。1980年代を中心にテレビ音楽を始め数々の演奏を行ってきたが、人気絶頂の1989年11月に心筋梗塞に倒れ緊急入院。
いかりや 長介(いかりや ちょうすけ、1931年〈昭和6年〉… いかりや 長介(いかりや ちょうすけ、1931年〈昭和6年〉11月1日 - 2004年〈平成16年〉3月20日)は、日本の男性コメディアン、ミュージシャン(ベーシスト)、俳優、司会者。「ザ・ドリフターズ」の3代目リーダー。東京市本所区中之郷横川町(現在の東京都墨田区東駒形)出身。本名は碇矢 長一(いかりや ちょういち)。後年は俳優としても活動した。 愛称は「長さん」。ドリフ時代初期は芸名を「いかり矢 長介」としていた。ドリフ映画で使われる呼び名は「ゴリラ」「下唇」。身長175.2cm。 東京府東京市本所区中之郷横川町(現・東京都墨田区東駒形)生まれ。渡辺プロダクションを経てイザワオフィスに所属し、没後もイザワオフィス所属扱いとなっている。
平岡 精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 19… 平岡 精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 1990年3月22日)は、日本の演奏者、ソングライター、編曲家である。日本作曲家協会会員。 1931年(昭和6年)8月13日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。実業家であり三味線奏者で東明節(とうめいぶし)の創始者として知られる、平岡凞こと初代平岡吟舟(1856年 - 1934年)の孫であり、凞の次男、二代目平岡吟舟(本名・平岡次郎)の次男である。シロフォン奏者・平岡養一(1907年 - 1981年)、フィギュアスケーター・平岡露子(1913年 - 2012年)の兄妹は父のいとこであり、「養一の長男」とするのは誤り。初代東明柳舟(本名・高橋楊子、1882年 - 1949年)は、凞の次女であり、精二からは伯母に当たる。
岩崎 勇(いわさき いさむ、1931年〈昭和6年〉5月31日… 岩崎 勇(いわさき いさむ、1931年〈昭和6年〉5月31日 - 2008年〈平成20年〉10月22日)は、日本のオーボエ奏者。京都市立芸術大学名誉教授。徳島文理大学客員教授。 武蔵野音楽大学音楽学部卒業。デトモルト音楽大学卒業。熊本県熊本市出身。 熊本県熊本市出身。1958年(昭和33年)に武蔵野音楽大学音楽学部を卒業し、1965年(昭和40年)にドイツのデトモルト音楽大学を卒業した。 武蔵野音楽大学を卒業後は京都市交響楽団に入団し、1969年(昭和44年)まで在籍した。その後は京都市立芸術大学音楽学部で講師・助教授・教授を経て、1997年(平成9年)に同大学を退任し、同大学の名誉教授に就任する。
山口 軍一(やまぐち ぐんいち、1931年4月19日 - 2… 山口 軍一(やまぐち ぐんいち、1931年4月19日 - 2015年1月6日)は、日本のハワイアンスティール・ギター奏者、編曲家。実兄に山口正保、山口銀次がおり、ともにハワイアン・ミュージシャンである。 幼少期から兄達の影響で、ウクレレなどを始めた。 1945年、学徒動員。 1946年、青山学院の同級生とカハナ・アイランダースを結成。 1951年、山口軍一とルアナ・ハワイアンズを結成。 1955年、青山学院大学を卒業。兄の山口銀次が合流し、山口銀次とルアナ・ハワイアンズに改称。 1960年、日本グラモフォンと契約し、デビュー作『ハワイアン日本民謡集』をリリース。 1964年、銀次がルアナ・ハワイアンズを脱退して、ルアナ・タヒチアンズを結成。
井上 聰(いのうえ さとし、1930年(昭和5年)8月12日… 井上 聰(いのうえ さとし、1930年(昭和5年)8月12日 - )は、日本のヴァイオリニスト。徳島文理大学名誉教授。武蔵野音楽大学音楽学部卒業。徳島県徳島市出身。 1956年(昭和31年)、武蔵野音楽大学音楽学部卒業。大学卒業後、同年に徳島大学学芸学部講師に就任。 1966年(昭和41年)、徳島女子短期大学(現在の徳島文理大学短期大学部)助教授に就任。1972年(昭和47年)、徳島文理大学音楽学部学部長に就任。 また、これまでに徳島県文化協会理事・日本弦楽指導者協会徳島支部長などを歴任。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
豊岡 豊(とよおか ゆたか、1930年5月29日 - 201… 豊岡 豊(とよおか ゆたか、1930年5月29日 - 2012年11月30日)は、日本のジャズミュージシャン、ビッグバンド豊岡豊とスイング・フェイスの指揮者・バンドマスターである。 所属はジョイナスエンターテインメントであった。 北海道登別市登別温泉出身。 15歳で終戦を迎え、故郷・登別温泉町の「登別グランドホテル」が米軍に接収され、豊岡はラジオ(FEN)で初めてジャズに接し、やがてダンスホールに入り浸る毎日を送るようになった。 旧制中学校卒業後に音楽界に入り、ドラマーとして演奏家の活動を開始。1年後に東京へ行き自らのジャズバンドを結成し、在日米軍キャンプ慰問や東京都内のクラブなどでの演奏活動を展開。
澤田 駿吾(さわだ・しゅんご、本名:澤田駿五、1930年2月… 澤田 駿吾(さわだ・しゅんご、本名:澤田駿五、1930年2月10日 - 2006年8月28日)は、日本のジャズ・ギタリスト。 1930年2月10日、愛媛県西宇和郡八幡浜町出身。少年時代に『姉妹と水兵』(1944年アメリカ映画)を見て、劇中のギター演奏に魅せられたのがギターを始めるきっかけになったと言う。 第二次世界大戦後に東京へ出て、本格的にジャズギターを始めると共に、米軍キャンプを回るようになる。 1954年に神奈川県横浜市の伊勢佐木町にあったクラブ:モカンボで行われた『モカンボ・セッション』では、ハナ肇、植木等、守安祥太郎らと共に参加している。 1957年にチコ・ハミルトン楽団のギタリストだったデンプシー・ライトに弟子入りし、本格的なジャズギターテクニックの伝授を受けた。
小山 貢翁(おやま みつおう、1930年 - 2017年)は… 小山 貢翁(おやま みつおう、1930年 - 2017年)は、青森県弘前市出身の津軽三味線奏者。初代木田林松栄に師事。津軽三味線小山流を創始した。津軽三味線の楽譜の公刊、合奏の考案などを行っている。津軽三味線で初めて東ざわりを取り入れたのも小山であるといわれている。 1948年テイチクレコードよりレコードデビュー、その後ビクター、コロムビアから毎年レコードが発売された。1959年、日本民謡協会のふるさと支部結成に力を尽くす。1963年貢栄会結成。1965年、日本郷土民謡協会の主催する大会に合奏曲で出場。1966年、目黒公会堂にて第1回貢栄会発表会開催。1970年、テイチクより合奏曲レコードが発売される。
阿部 克自(あべ かつじ、1929年12月10日 - 200… 阿部 克自(あべ かつじ、1929年12月10日 - 2008年9月17日)は、ジャズ・フォトグラファー。 東京・早稲田出身。1940年に紀元2600年全国児童絵画展で文部大臣賞銀賞を受賞。 1945年に海軍兵学校に入校(78期)。この時期に米軍の英語放送を聴き、ジャズの魅力にはまる。 その後、1948年に旧制早稲田中学校卒業、1951年に旧制早稲田大学卒業。 翌1952年にはBOAC(英国海外航空会社:現在のブリティッシュ・エアウェイズの前身会社)に就職。 1953年頃よりレコード・ジャケットのデザインと写真をメインに活動。また、ジャズのDJとしてラジオ番組を持つことになった。 1960年初頭からカヴァー・アートの研究のため渡米するようになり、ニューヨークを拠点に活動を始める。
薗田 憲一(そのだ けんいち、本名:市川船昇、1929年11… 薗田 憲一(そのだ けんいち、本名:市川船昇、1929年11月22日 - 2006年7月12日)は、日本のトロンボーン奏者。島根県生まれ、高知県須崎市吾桑出身。 兄は薗田祐司(本名:市川鯉之介)で、薗田憲一とデキシーキングスで結成当初の1960年から2003年の引退までの約43年間、チューバを担当していた。 長女・市川文香改めFUMIKAは新生薗田憲一とデキシーキングスでボーカルを担当、長男・市川勉慶改め薗田勉慶は同バンドでトロンボーンを担当している。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
杵屋 佐之忠(きねや さのただ、1929年5月21日 - 2… 杵屋 佐之忠(きねや さのただ、1929年5月21日 - 2017年4月6日)は、長唄三味線方・付け師。本名は廣瀬 忠夫。 滋賀県大津市で生まれ、大阪府で育つ。1947年、疎開先の栃木県日光市で杵屋栄暁に入門。1949年に上京し初世・杵屋佐之助に師事。1949年9月、杵屋忠雄の名で歌舞伎初舞台。1955年、杵屋佐之忠を允許。以降、2017年まで付け師として前進座歌舞伎に携わる。 『蛸』『祇王寺物語』など 『魚屋宗五郎』『佐倉義民伝』『お染の七役』『人情噺・文七元結』『不破』『奴の小万・裾模様沖津白浪』『東海道四谷怪談』『三人吉三廓初買』『土蜘蛛退治』『髪結新三』『春若丸』『唐茄子屋』『鳴神』『冥途の飛脚』『本町糸屋の娘』など(劇団前進座) 『怪談・牡丹燈籠』(文学座)ほか
北村 英治(きたむら えいじ、1929年4月8日 - )は、… 北村 英治(きたむら えいじ、1929年4月8日 - )は、日本のジャズ・クラリネット奏者。 東京府出身。慶應義塾商工学校、慶應義塾大学予科を経て、慶應義塾大学文学部を中途退学。 慶應義塾大学在学中にクラリネットを学ぶ。22歳でプロデビュー。30歳の時、憧れだったベニー・グッドマンが来日した際には彼の目の前で演奏し、賞賛を受けたこともある。 主なアルバムには、1960年7月5日、東京・産経ホールで行われたコンサートの模様を収録した『北村英治のすべて』(コンサートの構成、アルバムの解説を大橋巨泉が手がけた。2009年にCD化)、原信夫とシャープス・アンド・フラッツと共演した『ベニー・グッドマン作戦〜あの名演が蘇る!』(1963年、キングレコード)、テディ・ウィルソンと北村英治の共同リーダー・アルバム『テディ・ミーツ・エイジ』(1970年、Trio)、『スイング・スペシャル』(1971年、Trio)、『Live Session』(1972年、Century)、『Keep On Swingin' 』(1973年、GML)がある。
秋山 紀夫(あきやま としお、1929年3月26日 - 20… 秋山 紀夫(あきやま としお、1929年3月26日 - 2025年12月9日)は、日本の指揮者、吹奏楽指導者、吹奏楽史研究家。 1956年、戦後初の第4回全日本吹奏楽コンクール全国大会に埼玉県立大宮工業高等学校の指揮者として出場する。その後、大宮市立桜木中学校とソニー吹奏楽団の指揮者としても全日本吹奏楽コンクール全国大会に出場する。1963年に教員を1年間休職し渡米する。アメリカ各地の吹奏楽を視察し、イーストマン音楽学校へ留学したり、ミッドウェスト・クリニック(英語版)に日本人として初めて参加する。その後、ヨーロッパ各地の吹奏楽を視察する。帰国後、教職を務めながら海外で見聞した吹奏楽指導法を書籍や教則本にまとめたり、アメリカの吹奏楽専門書の翻訳をする。
犬塚 弘(いぬづか ひろし、1929年〈昭和4年〉3月23日… 犬塚 弘(いぬづか ひろし、1929年〈昭和4年〉3月23日 - 2023年〈令和5年〉10月26日)は、日本の俳優、ベーシスト。東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区大森)出身。本名は犬塚 弘(いぬづか ひろむ)。 コミックバンド『ハナ肇とクレージーキャッツ』で最後まで存命だった人物であり、昭和・平成・令和と3つの時代にわたって存命していた唯一のメンバーだった。最終所属は境事務所。 生家は代々裁判官の家系であり、江戸っ子の16代目にあたるという。また、元は徳川家康と共に三河から江戸へ出てきた直参の旗本の家柄で、祖父の代まで十数代にわたり現在の第一ホテル東京本館の一帯に居を構えていた大地主だったともいう。
松下 修也(まつした しゅうや、1929年3月6日 - 20… 松下 修也(まつした しゅうや、1929年3月6日 - 2018年5月29日)は、日本のチェロ奏者。戦後日本チェロ界の草分け的存在とされる。 東京府出身、東京都国分寺市在住。1946年東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を卒業(1945年中退とする資料もある)。先輩に芥川也寸志、同級生に黛敏郎がいた。チェロを平井保三、斎藤秀雄に師事。当時は戦中後の食糧難の最中で、西洋音楽は非国民と非難されるためにチェロを持って外出するときは風呂敷で包んで隠すなど苦労を重ねた。 1949年、第18回日本音楽コンクールで1位となる。1950年、東京交響楽団の定期演奏会でラロのチェロ協奏曲を弾いてプロデビュー(当時20歳)。
小野 満(おの みつる、1929年1月3日 - 2008年1… 小野 満(おの みつる、1929年1月3日 - 2008年1月2日)は、千葉県市原市出身の音楽家、ベーシスト、バンドマスター、指揮者。 ジャズ・カルテットのビッグ・フォアのベーシスト、小野満とシックス・ブラザーズのバンドマスター兼ベーシスト、小野満とスイングビーバーズのバンドマスター兼指揮者として活躍した。1967年から1983年までの17年間にわたり、スイングビーバーズと共にNHK紅白歌合戦の白組の演奏・指揮を担当した。 甥(長兄の息子)はロックドラマーでハルメンズ、ヒカシュー、ヤプーズのメンバーだった泉水敏郎。 1929年1月3日(昭和4年)現在の千葉県市原市磯ヶ谷にて、四人兄弟の三男として誕生。
有賀 のゆり(ありが のゆり、1928年8月29日 - 20… 有賀 のゆり(ありが のゆり、1928年8月29日 - 2015年4月26日)は、日本の教育者、バッハ研究者、チェンバロ演奏者、同志社女子大学名誉教授。京都市生まれ。父はキリスト教神学者の有賀鉄太郎。のゆり自身もクリスチャン。オルガニストの木田みな子は妹であり、プラズマ物理学者、カナダ合同教会引退牧師、フルート奏者の有賀誠一は弟である。 同志社女子専門学校英文科卒業、アメリカ合衆国オッターバイン大学音楽学部卒業(ピアノ専攻)、ノースウェスタン大学大学院音楽研究科修了(音楽史専攻)。アメリカからの帰国後、一時、母校に勤務、その後、ドイツに留学し、エディット・ピヒト=アクセンフェルト教授、バロック音楽ブームをつくった大家のフリッツ・ノイマイヤー(de:Fritz Neumeyer (Musiker))教授らに師事、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ解釈、チェンバロ演奏などを学ぶ。
東儀祐二(とうぎ ゆうじ、1928年5月11日 - 1985… 東儀祐二(とうぎ ゆうじ、1928年5月11日 - 1985年4月12日)は、京都生まれのヴァイオリン奏者、指揮者、音楽教育者。 1946年、宮内省楽部卒業。1950年3月、京都市立堀川高等学校音楽科(現京都市立京都堀川音楽高等学校)を卒業し、同年4月、東京藝術大学音楽学部器楽科ヴァイオリン専攻に入学。1954年3月、同大学を卒業し、同年4月、東京フィルハーモニー交響楽団に入団し、1956年2月まで第2ヴァイオリン首席を務める。 以後、ソリスト、リサイタル、室内楽などの演奏活動をしながら、同年4月、相愛女子短期大学音楽科助手及び相愛学園子供の音楽教室実技、合奏担当となる。1958年、相愛女子大学設置に伴い、同大学専任講師となる。
千葉 馨(ちば かおる、1928年3月6日 - 2008年6… 千葉 馨(ちば かおる、1928年3月6日 - 2008年6月21日)は、日本のホルン奏者。NHK交響楽団の首席ホルン奏者を長く務め、「バーチ」の愛称でも知られた。妻はピアニストの本荘玲子。 大分県別府市出身。7歳からヴァイオリンを学び、中学校(旧制)在学中にラッパ鼓隊の一員となってホルンを学んだ。東京音楽学校に進み、在学中に日本交響楽団(現:NHK交響楽団)の研究員となり、1949年に卒業すると同時に同楽団の正団員となった。 1956年から1958年まで渡欧、デトモルト音楽大学のグスタフ・ノイデッカーおよびフィルハーモニア管弦楽団のデニス・ブレインに師事した。 日本のホルン奏者の草分け的な存在で、NHK交響楽団の首席奏者として長く活躍した。
江藤 俊哉(えとう としや、1927年〈昭和2年〉11月9日… 江藤 俊哉(えとう としや、1927年〈昭和2年〉11月9日 - 2008年〈平成20年〉1月22日)は、東京都豊島区生まれのヴァイオリニストである。従四位旭日中綬章。国内外で活発な演奏活動を行ったほか、指導者としても多大な功績を残した。妻は、同じくヴァイオリニストの江藤アンジェラ。 1927年、父俊明、母たかの第2子(長男)として生まれた。父の俊明はNHK教養課職員。「俊哉」の名前は、父が「あやかるように」と、アウアー門下のトーシャ・ザイデルの名にちなんで付けた。1932年、4歳の時に父に連れられ鈴木鎮一を訪れ、鈴木に師事する。これを契機にスズキ・メソードが誕生したと言われ、江藤俊哉は「才能教育第1号」と呼ばれる。
渡辺 晋(わたなべ しん、正式な表記は渡邊 晋、1927年〈… 渡辺 晋(わたなべ しん、正式な表記は渡邊 晋、1927年〈昭和2年〉3月2日 - 1987年〈昭和62年〉1月31日)は、日本の実業家・芸能プロモーター・ベーシスト。日本の芸能事務所の草分け的存在にあたる渡辺プロダクション(通称:ナベプロ)の創業者。 妻は渡辺プロダクショングループ代表兼渡辺プロダクション名誉会長の渡邊美佐。ワタナベエンターテインメント代表取締役社長、渡辺プロダクション代表取締役会長の渡辺ミキは長女。トップコート代表取締役の渡邊万由美は次女。フジテレビプロデューサーだった吉田正樹ワタナベエンタ会長はミキの夫にあたる。 東京市滝野川区(現在の東京都北区)に生まれたが、媒体によっては福岡県生まれとされることもある。
池田 光夫(いけだ みつお、1927年 - 2002年6月1… 池田 光夫(いけだ みつお、1927年 - 2002年6月13日)は、日本のバンドネオン奏者。タンゴ楽団『池田光夫とロス・アミーゴス』代表 1927年生まれ。東京都荒川区育ち。若いころより、ギターやピアノを演奏していた。1948年より、バンドネオンを演奏するようになった。 1950年より、プロのバンドネオン奏者として活動を始めた。オルケスタ・ティピカNHKの指揮者となった。『早川真平とオルケスタ・ティピカ東京』にも参加した。1974年、『池田光夫とロス・アミーゴス』を結成した。1985年には、アルゼンチンのホセ・コランジェロ楽団との共演を行い文化庁芸術祭賞を受賞した。2001年頃まで活躍した。『日本のバンドネオン奏者第一人者』と紹介されることもある。
辻 久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子、1926年3月16… 辻 久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子、1926年3月16日 - 2021年7月13日)は、日本のヴァイオリニストである。大阪芸術大学名誉教授。辻久子弦楽塾塾長。
巖本 眞理(いわもと まり、1926年1月19日 - 197… 巖本 眞理(いわもと まり、1926年1月19日 - 1979年5月11日)は、日本の女性ヴァイオリニスト。 日本初の室内楽定期演奏会94回の偉業を達成した。 教育者巌本善治と若松賤子の長男である巌本荘民(まさひと)とアメリカ人巌本マーグリートの間の長女として東京西巣鴨に生まれた。出生時の戸籍名は巖本メリー・エステル。6歳からヴァイオリンを小野アンナに学ぶ。 ハーフとして差別を受け、病弱だったためもあり、1935年に私立帝国小学校を4年生で中退。自宅でヴァイオリンの英才教育を受け、1938年4月、13歳にして第6回日本音楽コンクールで一位となり、天才少女と呼ばれる。1939年11月11日、レオ・シロタの伴奏で第一回独奏会を開く。
徳山陽(とくやま よう、1925年(大正14年)12月11日… 徳山陽(とくやま よう、1925年(大正14年)12月11日 - )は、ジャズ・ピアニスト、音楽家。父は「侍ニッポン」や「ルンペン節」で有名な流行歌手徳山璉。守安祥太郎、穐吉敏子と並び評される、戦後モダン・ピアノ三傑の一人である。 神奈川県藤沢市出身。久我山電波工業大学(久我山大学)卒業。卒業後は会社員をしていたが、1951年、森亨バンドに入りプロのピアニストとなる。 1952年には、沢田駿吾とダブル・ビーツに加入。退団後の1954年、稲垣次郎5、西条孝之助4などを経て、1975年、自身のトリオを結成し、中牟礼貞則とのデュオも行う。その後は、ジャズメン・クラブなどに出演する傍ら、ヤマハの講師も勤めた。
大橋 節夫(おおはし せつお、1925年2月2日 - 200… 大橋 節夫(おおはし せつお、1925年2月2日 - 2006年6月7日)は、日本のハワイアン歌手、スティール・ギター奏者、ソングライター、編曲家。 東京都出身。ニックネームは「オッパチ」「オッパチさん」(オッパッツさん)。後に石原裕次郎や五木ひろしがカバーした「倖せはここに」などがヒットし、戦後の日本にハワイアンブームをもたらした。加山雄三のヒット曲「お嫁においで」の編曲、演奏を手がけたことでも知られる。 節分に産声を上げたところから節夫と名付けられる。12歳からウクレレを始めたが、間もなくスティール・ギターに転向。 1941年にセブンスターズ・ハワイアンを結成。1943年に海軍予備員となり、翌年に洲ノ崎派遣隊隊長として出征。
道 志郎(みち しろう、本名:平岡 通博(ひらおか みちひろ… 道 志郎(みち しろう、本名:平岡 通博(ひらおか みちひろ)1924年12月18日 - 2016年11月11日)は日本のオルガン奏者。 兵庫県西宮市生まれ。学習院高等科を卒業し、東京大学に入学。大学卒業後に一時農林省(現・農林水産省)に在勤した。 電子オルガンを中心に、演奏、作編曲、指導面に活躍。 特に日本楽器(現・ヤマハ)製電子オルガン、エレクトーンの開発にあたっては、その初期段階から深く関わり、製品完成後はその普及に牽引役として国内外に活動を行った。 NHK、各民放で多くの番組にレギュラー出演し、ステージ活動では、全国的に多くのコンサート、また、サントリー大・小ホール等でリサイタルを数多く開催している。
広瀬 正(ひろせ ただし、1924年9月30日 - 1972… 広瀬 正(ひろせ ただし、1924年9月30日 - 1972年3月9日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、ジャズ・サックス奏者、クラシックカーモデル製作者。 時間をテーマにしたSF作品を多く残し、「時に憑かれた作家」とも呼ばれる。本名は広瀬 祥吉(ひろせ しょうきち)。 東京市京橋区(現在の東京都中央区)に生まれる。 1942年 - 日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)建築科に入学。1952年 - ジャズバンド「広瀬正とスカイトーンズ」を結成。1960年 - 「広瀬正とスカイトーンズ」、借金のため解散。 1961年 - デビュー作『殺そうとした』が『宝石』臨時増刊号に掲載される。また同年、同人誌『宇宙塵』に参加。
小口 大八(おぐち だいはち、1924年(大正13年)2月2… 小口 大八(おぐち だいはち、1924年(大正13年)2月27日 - 2008年(平成20年)6月27日)は、日本の和太鼓奏者、御諏訪太鼓宗家。1950年代に複式複打法を確立し、和太鼓ブームの立役者として知られる。財団法人日本太鼓連盟副会長、長野県太鼓連盟会長、財団法人日本太鼓連盟認定の特別公認指導員を務めた。 長野県岡谷市小口生まれ。早稲田大学専門部卒。代々、打頭を務めてきたとされる小口家の分家筋に生まれ、学生時代にはジャズドラムを習い、戦争から復員したのち、大八パン創業の傍ら、燦星楽団を結成。1948年に小口家本家の味噌蔵から長野県諏訪地方の伝統芸能「御諏訪太鼓」の譜面(藤太郎覚書)が見つかり譜面の解読・復元に着手し、明治時代より途絶えていた御諏訪太鼓を1951年に復興、1953年に御諏訪太鼓保存会を結成し、以降御諏訪太鼓の宗匠・打頭として国内外で活動するほか、太鼓の作曲や指導も手掛けた。