片岡 鉄哉 (かたおか てつや、1933年 - 2007年1… 片岡 鉄哉 (かたおか てつや、1933年 - 2007年12月26日)は、日本の政治学者、時事評論家。 栃木県生まれ。1955年早稲田大学政治経済学部卒業。シカゴ大学大学院政治学部修士・博士課程を経て、1967年博士号を取得。(Ph.D.、政治学)。シカゴ大ではハンス・モーゲンソー、ハンナ・アーレント、レオ・シュトラウスらに師事。 1969年ニューヨーク州立大学政治学部助教授、1982年筑波大学歴史・人類学系教授、1984年ウッドロー・ウィルソン国際学術センター研究員を歴任。1985年から2001年までスタンフォード大学フーバー研究所研究員を務める。 日米関係・戦後日本政治史を研究対象とし、70年代末より時事評論を始める。
金 両基(キム ヤンキ、1933年 - 2018年4月2日)… 金 両基(キム ヤンキ、1933年 - 2018年4月2日)は、在日韓国人の演劇学者、評論家。号・白翔。 東京都生まれ。早稲田大学文学部卒。哲学博士。韓国中央大学客員教授、カリフォルニア・インターナショナル大学教授を経て、1987年に静岡県立大学教授、常葉学園大学教授。1979年度文化庁芸術祭優秀賞受賞。1984年、ラジオたんぱ第一回アジア賞受賞。1995年、韓国放送公社第3回KBS海外同胞賞特別賞受賞。2002年韓国政府から文化勲章。 2018年4月2日、突発性間質性肺炎のため死去。84歳没。
江藤 淳(えとう じゅん、1932年〈昭和7年〉12月25日… 江藤 淳(えとう じゅん、1932年〈昭和7年〉12月25日 - 1999年〈平成11年〉7月21日)は、日本の文芸評論家。東京工業大学、慶應義塾大学教授を歴任。学位は、文学博士(慶應義塾大学)。日本芸術院会員。本名:江頭 淳夫(えがしら あつお)、身長160センチ。 学生時代に発表した『夏目漱石』(1956年)で注目され、『作家は行動する』(1959年)、『小林秀雄』(1960年)で文芸評論家としての地位を確立。『アメリカと私』(1965年)など文明批評も多い。 戦後日本の著名な文芸評論家で、小林秀雄没後は文芸批評の第一人者とも評された。20代の頃から長らく文芸時評を担当し、大きな影響力を持った。
木元 教子(きもと のりこ、1932年12月19日 - )は… 木元 教子(きもと のりこ、1932年12月19日 - )は、日本のエネルギー政策の評論家、ジャーナリスト。旧姓、町田(まちだ)。 夫はTBSを経て、現在青森テレビ監査役、息子二人(内の一人は、お笑いサイエンスライターの植木不等式)。実母は、生活評論家の町田貞子。 北海道苫小牧市生まれ。中国(旧満州)で育つ。 4歳の時、父の仕事で旧満州の吉林省敦化に移住。終戦の1年前に、父が南方に出征したため、北朝鮮の羅津から新潟港へ最後の貨客船で帰国している。そのため同年代の中国残留日本人や、北朝鮮による日本人拉致問題に対しては深い思い入れがある。 東京都立豊島高等学校、立教大学文学部英文科、立教大学法学部卒業。
佐野 美津男(さの みつお、1932年、昭和7年〉12月16… 佐野 美津男(さの みつお、1932年、昭和7年〉12月16日 - 1987年、昭和62年〉5月9日)は、日本の児童文学作家、評論家。本名は暠俊(あきとし)。 東京府東京市浅草区生れ。1945年(昭和20年)3月の東京大空襲で両親を失い、孤児となる。東京都立蔵前工業高等学校卒。大学中退。 古田足日ら児童文学研究誌の「小さな仲間」に参加。25歳から児童文学を中心とした文筆活動に入り、1970年「児童図書館」創刊に参加。 1977年相模女子短期大学教授に就任。相模女子大学短期大学部教授在職中に急死。
高良 留美子(こうら るみこ、1932年12月16日 - 2… 高良 留美子(こうら るみこ、1932年12月16日 - 2021年12月12日)は、日本の詩人、評論家、女性史研究者。夫は作家の竹内泰宏。 高良武久、高良とみの二女として東京に生まれる。 自由学園初等部、日本女子大学附属高等学校を経て、東京藝術大学美術学部(転学)、慶應義塾大学法学部に学ぶ(中退)。 1963年、詩集『場所』でH氏賞受賞。1988年、詩集『仮面の声』により第6回現代詩人賞を受賞。 女性史研究にも力を注ぎ、1997年には、女性の文化向上に貢献した人に贈る「女性文化賞」を個人で創設した。 2000年、詩集『風の夜』で丸山豊記念現代詩賞を受賞。詩のみならず評論でも活躍、『高良留美子の思想世界』全6巻があり、岩見照代と「女性のみた近代」を編纂。
小林 信彦(こばやし のぶひこ、1932年12月12日 - … 小林 信彦(こばやし のぶひこ、1932年12月12日 - )は、日本の小説家、評論家、コラムニスト。中原 弓彦(なかはら ゆみひこ)の筆名も用いた。早稲田大学第一文学部英文学科卒業。血液型B型。 風間賢二は小林をさして「我が国における元祖おたく作家」と評した。 東京市日本橋区米沢町2-5(のちの東京市日本橋区両国18-5、現在の東京都中央区東日本橋2-18-5)に生まれる。江戸時代から9代続いた老舗和菓子屋「立花屋」の長男であった。 代々婿養子が跡を継ぐ家風であったが、やり手であった祖父は自分の息子に跡を継がせようと考えていた。だが、その「長男」(小林の父)は自動車の運転・修理が趣味であるようなモダンな趣味人であり、商人としては無能で後に小林の一家が没落する原因となった。
槇 洋介(まき ようすけ、1932年12月2日 - )は、タ… 槇 洋介(まき ようすけ、1932年12月2日 - )は、タレント・ラジオパーソナリティ・放送作家・ファッション評論家・フリープロデューサー。主に関西で活躍中。 神戸市出身。神戸二中(現兵庫高等学校)卒業。1955年慶應義塾大学卒業後に朝日放送に入社、同期に植草貞夫と山内久司と澤田隆治らがいる。その後、大阪テレビ放送へ出向し、大阪テレビ放送が朝日放送と合併後は新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)へ移籍。毎日放送退社後は松下電工(現・パナソニック電工)に転職。 朝日放送・大阪テレビ時代は制作部に所属し、多くの番組でディレクターとして活動。新日本放送時代は制作部門を渡り歩き、松下電工時代は広報・宣伝に携わる。
和角 仁(わずみ ひとし、1932年〈昭和7年〉12月1日 … 和角 仁(わずみ ひとし、1932年〈昭和7年〉12月1日 - )は、日本の演劇評論家。歌舞伎・日本舞踊の研究でも知られる。日本演劇協会会員、日本演劇学会会員。予備校講師(古文担当)。テクニックを重視した授業は、グリデン古文と呼ばれ、当時の受験生から厚い支持を得ていた。 北海道に生まれる。早稲田大学大学院文学研究科(日本文学専攻)修了。三宅周太郎、安藤鶴夫、加賀山直三に師事し、1964年より歌舞伎の評論活動に入る。 『創』『朝日ジャーナル』『演劇界』などで評論活動を行う。あわせて1965年から1974年まで、目白学園短期大学(現目白大学短期大学部)講師(芸能史・歌舞伎・演出研究)を務める。 その後、劇団「民芸」の演出家、宮内満也と「劇団ピストールの会」を創り、1965年から2003年まで、俳優座劇場、本多劇場などで「令嬢ジュリー」「かもめ」などを公演する。
熊谷 一乗(くまがい かずのり、1932年〈昭和7年〉11月… 熊谷 一乗(くまがい かずのり、1932年〈昭和7年〉11月26日 - )は、教育学者、評論家、創価大学名誉教授。 京都市生まれ。鳥取県出身。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、創価大学文学部助教授、新潟大学教育学部教授、創価大学教育学部教授、名誉教授、桐生大学教授。
河野 基比古(こうの もとひこ、1932年11月26日 - … 河野 基比古(こうの もとひこ、1932年11月26日 - 1991年8月11日)は、日本の映画評論家、 音楽評論家。 河野房夫、末高淑子の長男として、慶應義塾大学病院に生まれる。伯父に淑子の兄、早稲田大学商学博士、愛知学院大学名誉教授の末高信がいる。 基比古の名は両親が基督教徒であることに由来し、国文学者の笹川臨風に拠って命名された。1956年に早稲田大学第一文学部英文科を卒業。淀川長治が主催する映画友の会に在籍、同級生には作家の生島治郎と小林信彦がいる。日本コロムビア洋楽部入社。ディレクターとして音楽制作を手掛け、渡米するようになった。 日本コロムビア退社後、日本クラウン、ワーナーパイオニアに転勤し、退社後フリーに転向。
馬場 駿吉(ばば しゅんきち、1932年11月25日 - )… 馬場 駿吉(ばば しゅんきち、1932年11月25日 - )は、俳人、美術評論家、医師(医学博士)。名古屋市立大学名誉教授(耳鼻咽喉科学)。 愛知県名古屋市東区に生まれる。実家は開業医。名古屋市立大学医学部を卒業後、同大学で耳鼻咽喉科の教授を務める。のち同名誉教授。名古屋市立大学病院では院長を務め、感染やアレルギーなどの生体防御反応を研究。また渡米して耳の欠損の再建技術を研究、500例におよぶ再建手術を手掛けた。 中学時代、親戚の開いていた句会を見て以来俳句に興味を持つ。俳人としては橋本鶏二に師事し、「年輪」ほかの同人として活動。第一句集『断面』までは写実的な句風であったが、第二句集『薔薇色地獄』より絢爛な幻視的作風となった。
松本 鶴雄(まつもと つるお、1932年11月19日 - 2… 松本 鶴雄(まつもと つるお、1932年11月19日 - 2016年5月11日)は、日本の文芸評論家。 埼玉県児玉郡神保原村(現・上里町)生まれ。埼玉県立本庄高等学校(定時制)、早稲田大学第一文学部独文科卒業。現代作家を中心に評論を書く。埼玉県立本庄高等学校(定時制)教諭、日本大学国際関係学部教授、群馬県立女子大学教授、日本大学大学院総合社会情報研究科兼任教授を歴任。
青木 雨彦(あおき あめひこ、1932年11月17日 ‐ 1… 青木 雨彦(あおき あめひこ、1932年11月17日 ‐ 1991年3月2日)は、日本のコラムニスト、文芸評論家。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、早稲田大学文学部仏文科卒。同大学大学院修士課程修了。在学中は「早稲田大学現代文学会」に所属。会員に生島治郎、高井有一、富島健夫がいた。生島は神奈川県立横浜第二中学校(横浜翠嵐高等学校の前身)以来の友人でもある。 新聞記者として東京タイムズ社に勤務、学芸部長を務めた。その後、学習参考書編集者を経てコラムニスト・文芸評論家に。1972年から1978年まで『週刊朝日』に「人間万歳」を連載し、「アメヒコ節」で人気を博した。早川書房の『ミステリマガジン』誌では、読者の誌上登場コーナー「街角のあなた」のインタビュアーなども行っている。
冨士谷 あつ子(ふじたに あつこ、1932年(昭和7年)11… 冨士谷 あつ子(ふじたに あつこ、1932年(昭和7年)11月2日 - )は、日本の評論家。京都文化創生機構理事長、日本ジェンダー学会前会長。 京都市出身。本名は鈴木あつ子。評論家、日本ペンクラブ名誉会員。 京都大学農学部卒。1996年京都大学より博士(農学)の学位を取得。1970年から「京のおんな大学」を主宰。これを改組・改称し特定非営利団体京都生涯教育研究所、所長・副理事長を務めた。現在は京都文化創生機構理事長を務める。 1977年、京都国際文化協会を在洛文化人らと設立(のち財団法人。2012年まで副理事長)。この法人を基盤として日本女性学研究会を有志と設立し、日本女性学会の設立も提言(幹事就任)。
森田 実(もりた みのる、1932年〈昭和7年〉10月23日… 森田 実(もりた みのる、1932年〈昭和7年〉10月23日 - 2023年〈令和5年〉2月7日)は、日本の政治評論家。株式会社森田総合研究所代表取締役。 妻の甥に医師で民主党に在籍していた、元衆議院議員の石森久嗣がいる。 静岡県伊東市出身。伊東西小、伊東北中、相洋高校を経て東京大学工学部鉱山学科卒業。在学中に日本共産党に入党し、香山健一、島成郎、生田浩二、青木昌彦らとともに全日本学生自治会総連合の指導部を形成した。破壊活動防止法反対闘争(1952年)、原水爆禁止運動(1955年)、砂川闘争(1957年)、安保闘争(1958年〜1960年)などに携わる。その後、日本共産党幹部と殴り合いを演じて共産党を除名されると、1958年、多くの学生党員らと共に共産主義者同盟(ブント)を結成し、主に労対関係の任に当たっていた。
瀬木 耿太郎(せぎ こうたろう、1932年9月27日 - )… 瀬木 耿太郎(せぎ こうたろう、1932年9月27日 - )は、日本のエコノミスト、評論家。子供は、ノンフィクション作家の関岡英之。 本名・関岡正弘。福岡県生まれ。東京大学工学部および経済学部卒業。オイルエコノミストとして、世界石油産業の現場に身を置きながら、石油産業、国際石油情勢、メジャーとOPECについて分析・評論を書く。のち東京国際大学教授。
菊池 孝(きくち たかし、1932年9月13日 - 2012… 菊池 孝(きくち たかし、1932年9月13日 - 2012年9月1日)は、日本のプロレス評論家である。 プロレス取材歴50年以上の大ベテランで、最古参のプロレス評論家と呼ばれた。東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送された『国際プロレスアワー』では解説者を務めた。 神奈川県横須賀市出身。立教大学文学部英米文学科卒業。1956年、室蘭民報に入社して社会部記者となる。その後、野球雑誌の記者を経て1960年に大阪新夕刊でプロレス記者となる。 1968年にフリーとなり、1977年から1981年まで『国際プロレスアワー』(東京12チャンネル)では門馬忠雄と共に解説者を担当。1978年8月に放送された唯一の国際プロレス海外遠征中継となったソウル遠征でも解説を務めた。
小室 直樹(こむろ なおき、1932年〈昭和7年〉9月9日 … 小室 直樹(こむろ なおき、1932年〈昭和7年〉9月9日 - 2010年〈平成22年〉9月4日)は、日本の社会学者、経済学者、批評家、社会・政治・国際問題評論家。 学位は法学博士(東京大学・1974年)。東京工業大学世界文明センター特任教授、現代政治研究所(東京都千代田区)所長などを歴任。 社会学、数学、経済学、心理学、政治学、宗教学、法学などの多分野を第一人者から直接学び、「社会科学の統合」に取り組んだ。東京大学の伝説の自主ゼミナール「小室ゼミ」主宰者。著書に『ソビエト帝国の崩壊』や『痛快!憲法学』などがある。 出生名爲田直樹として東京府荏原郡玉川村(現・東京都世田谷区奥沢)に生まれる。私生児であった。
阪上 順夫(さかがみ のぶお、1932年(昭和7年)8月30… 阪上 順夫(さかがみ のぶお、1932年(昭和7年)8月30日 - )は、日本の政治学者、教育学者、政治評論家、東京学芸大学名誉教授。専攻は選挙制度論、政治教育論。 東京市(現品川区)出身。東京教育大学文学部法律政治学科卒業、1961年東京都立大学 (1949-2011)大学院政治学専攻博士課程満期退学、東京学芸大学助教授、教授。1999年「現代における政治教育の研究」で筑波大学教育学博士。1996年定年退官、名誉教授、松阪大学教授。2004年退職。
水口 健次(みずぐち けんじ、1932年8月16日 - 20… 水口 健次(みずぐち けんじ、1932年8月16日 - 2008年10月29日)は、経済評論家。戦略デザイン研究所、市場調査研究所所長、日本マーケティング塾塾長。 1957年立命館大学法学部卒業後、市場調査研究所(現・日本マーケティング研究所)の設立に参画した。その後、同所代表取締役社長に就任。 1989年には、自ら戦略デザイン研究所を設立し、代表取締役所長に就任した。 2008年10月29日、転移性肝腫瘍のため死去。
田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8… 田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8月1日 - )は日本の社会評論家、司会者、三重県総合文化センター総長、元NHK解説委員。 三重県上野市(現・伊賀市)出身。三重県立上野高等学校を経て早稲田大学政治経済学部卒業後、1955年にNHKに入局。 情報番組『600 こちら情報部』で時事解説を務めた(大事件の発生で「600」が急遽中止になった時は、そのままスケジュールを流用して臨時ニュースのキャスターをつとめたりしていた)ほか、クイズ番組『クイズ百点満点』では、クイズの解説を務めた。 1994年3月、『クイズ百点満点』終了とともにNHKを退職。その後、社会評論家、コラムニストとして講演や執筆活動を中心に活動している。
竹本 忠雄(たけもと ただお、1932年7月24日 - )は… 竹本 忠雄(たけもと ただお、1932年7月24日 - )は、日本の仏文学者、文芸評論家。筑波大学名誉教授、コレージュ・ド・フランス元招待教授。 1932年7月24日に大阪府で生まれ、東京で育つ[要出典]。 東京教育大学で仏文専攻の後、卒業。鈴木大拙に師事[要出典]。1963年フランス政府給費留学生として渡仏し、ソルボンヌ大学に籍をおき、ジャン・グルニエ教授に學ぶ[要出典]。 専門はフランス文学。アンドレ・マルローの研究家として国際的に著名。パリ第一回滞仏期 (1963-1974) において、ヨーロッパ中心に多くの講演を行う。フランス政府より「文芸騎士勲章」、コレージュ・ド・フランス章を受章。 2012年9月5日、竹本、三宅久之、金美齢、すぎやまこういちなど保守系の著名人28人は、同年9月の自由民主党総裁選挙に向けて、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」を発足させた。
秋村 功(あきむら いさお、1932年7月24日 - 199… 秋村 功(あきむら いさお、1932年7月24日 - 1990年7月4日)は、日本の歌人・短歌評論家、環境問題を専門とする国際公務員(元国際連合環境計画(UNEP)支援措置部長)。一橋大学商学部卒。本名崎村久夫。宮崎県宮崎市出身。 未来短歌会の同人で、我妻泰(田井安曇)の「未来手帖」のあとを継ぎ、洗練された文章を記していた。その我妻泰と歌誌『河』を編む。岡井隆が吉本隆明と定型論争を繰り広げた際は、アメリカ社会学や社会心理学の知識を授けてブレーンとなった。 1958年、「短歌散文化の性格」で第3回現代短歌評論賞受賞。 晩年は環境問題に取り組み、国際湖沼委員会などの設立に尽力した。 野村総合研究所上席研究員の崎村夏彦は長男。
山際 永三(やまぎわ えいぞう、1932年7月22日 - )… 山際 永三(やまぎわ えいぞう、1932年7月22日 - )は、日本の映画監督、演出家、評論家。石井輝男プロダクション代表、日本映画監督協会常務理事。兵庫県神戸市出身。
中村 とうよう(なかむら とうよう、本名:中村 東洋、193… 中村 とうよう(なかむら とうよう、本名:中村 東洋、1932年〈昭和7年〉7月17日 - 2011年〈平成23年〉7月21日)は、日本の音楽評論家、編集者。 株式会社ミュージック・マガジンの元・取締役会長、代表取締役。「中村とうよう事務所」代表。武蔵野美術大学客員研究員。 ジャズ、ロック、フォークなどのポピュラー・ミュージックから、ワールド・ミュージック、国内・海外のルーツ・ミュージックまで、幅広く守備範囲とする評論家であり、また、多数のレコード、CDの企画・紹介を行っていた。 2005年、趣味である、音楽関係を中心としたさまざまなジャンルの骨董収集コレクションの内容を本にまとめ、『中村とうようの収集百珍』として刊行した。
江川 三郎(えがわ さぶろう、1932年〈昭和7年〉7月10… 江川 三郎(えがわ さぶろう、1932年〈昭和7年〉7月10日 - 2015年〈平成27年〉1月18日)は、オーディオ評論家。 東京生まれ。上智大学経済学部商学科卒業。 当初はコンサートマネージメントなどの音楽関係者だったが、学生時代にオーディオ誌のライターをしており、後にオーディオ評論家になる。40代に入ってから自身でも機器の開発を始めるようになり、『レコード芸術』や『オーディオアクセサリー』などで研究発表を開始する。同じオーディオ評論家の菅野沖彦は学生時代からの友人で、菅野は「江川からオーディオを習った」と季刊アナログ誌などに記している。音楽関連の職についていた経験から、一般的なオーディオ評論家とは音楽に対するスタンスが異なる。
市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10… 市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10日 - 2022年〈令和4年〉8月1日)は、日本の美容師、服飾評論家、エッセイスト、女優、タレント。新しい歴史教科書をつくる会の理事と、日本会議の4つの関連団体の役員を務めた。 大阪府大阪市大正区出身。京都市立堀川高等学校、京都府立大学女子短期大学部国文科卒。 父の仕事(華中鉱業)の都合で、小学生時代を上海特別市で過ごした。1945年2月戦況の悪化を受けて、母弟と3人で日本へ帰国。母の郷里滋賀県大津市膳所で終戦を迎え、まもなく伯父の世話で京都(西洞院四条)へ移った。父が帰国するまで、と母が自宅で始めた美容院が繁昌し、高校三年生の時に美容師免許を取得。
斎藤 守弘(さいとう もりひろ、1932年7月7日 - 20… 斎藤 守弘(さいとう もりひろ、1932年7月7日 - 2017年4月14日)は、日本の科学評論家、SF作家、超古代文明研究家。 1960年代、自分では前衛科学評論家を名乗った。日本考古学会会員、日本天文学会会員。超歴史学研究会理事。 東京府北豊島郡三河島町(現・東京都荒川区)出身。父は九州帝国大学(現・九州大学)農学部助手、母方の一族は三河島の大地主。第一峡田小学校(現・荒川区立峡田小学校)5年生の時、福島県伊達郡梁川町(現・伊達市)に疎開。中学校1年生の時に敗戦を迎えて東京に戻り、東京都立上野中学校(現・東京都立上野高等学校)に入る。当時、アメリカへの復讐として原子破壊機の発明を誓い、物理学の本を読みあさっていた。
中本 信幸(なかもと のぶゆき、1932年7月6日 - )は… 中本 信幸(なかもと のぶゆき、1932年7月6日 - )は、日本のロシア文学者、演劇評論家、翻訳家、神奈川大学名誉教授。
内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 202… 内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 2021年9月1日)は、日本の経済評論家。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立星陵高等学校、神戸商科大学(現・兵庫県立大学)商経学部卒業。神戸新聞記者を経て、1967年よりフリーとなる。2006年、第16回イーハトーブ賞受賞。2008年、第60回NHK放送文化賞受賞。2021年9月1日午後4時37分、急性心筋梗塞により神奈川県鎌倉市の病院で死去した。89歳没。 読売テレビ制作の「ウェークアップ!」のレギュラーコメンターを務めたほか、「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人や、日本による対韓輸出優遇撤廃に反対する<声明>「韓国は「敵」なのか」呼びかけ人の1人となった。
久保田 カヨ子(くぼた かよこ、1932年6月25日 - 2… 久保田 カヨ子(くぼた かよこ、1932年6月25日 - 2019年8月27日)は、日本の教育評論家。 大阪府出身。大阪市立東高等学校を卒業。1955年に久保田競と結婚。その後2児の母になり『0歳からの育児法』という教育法も実施し夫の脳科学理論に基づいた本を出版。エチカの鏡〜ココロにキクTV〜に出演。久保田式育児法「AKANON教室」プログラム監修、その他、久保田乳幼児教室「くぼたのうけん」を主宰。 2019年8月27日、呼吸不全により87歳で死去。
鬼澤 慶一(おにざわ けいいち、1932年6月16日 - 2… 鬼澤 慶一(おにざわ けいいち、1932年6月16日 - 2021年9月5日)は、日本の芸能ジャーナリスト、芸能評論家。芸能リポーターの草分け的存在だった。 東京都出身。青山学院大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社した。1965年に報知新聞社に移籍し、記者として活動した。1970年に報知を退社し、フリーの芸能評論家として活動を始める。1971年よりTBSのワイドショー『モーニングジャンボ』の初代リポーターとなる。辛口な評論と堂々とした取材ぶりで、「鬼の鬼澤」の異名をとった。『ザ・ベストテン』(TBS)の情報提供者としても知られている。 俳優の渥美清の結婚式に招待され友人代表として出席したが、鬼澤はその事を渥美の死まで公表することはなく、渥美の没後にその時の記念写真と共に初めて公開している[要出典]。
大野 雑草子(おおの ざっそうし、1932年6月13日 - … 大野 雑草子(おおの ざっそうし、1932年6月13日 - )は、俳人、陶芸評論家。 愛知県出身。本名・幸雄。筆名・秋山峻。南山大学社会学部卒。学生時代より俳句に親しみ、国松ゆたか・高浜年尾・稲畑汀子に師事し「ホトトギス」に所属。加藤唐九郎、十三代今泉今右衛門の知遇を得て日本陶芸史を研究した。芸術文化交流の会理事、西武文理大学客員教授などを歴任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 … 屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 - 2024年〈令和6年〉4月9日)は、日本の政治評論家。コラムニスト。公益財団法人社会貢献支援財団理事、公益財団法人日本財団評議員、一般社団法人日本戦略研究フォーラム会長、国家基本問題研究所理事。 福岡県福岡市生まれ。父は鹿児島市の出身で、終戦の時期には鹿児島市で過ごす。東京都立青山高等学校、東北大学文学部仏文科卒業。学生時代は剣道部に所属していた。 1959年時事通信社入社。ローマ特派員、首相官邸キャップ、ジュネーヴ特派員、編集委員兼解説委員を歴任し、1987年退社。 1981年第2次臨時行政調査会(土光臨調)に参画、以後、第1次~第3次行政改革推進審議会専門委員、選挙制度審議会委員、臨時教育審議会専門委員を務めた。
永岡 義久(ながおか よしひさ、1932年〈昭和7年〉6月 … 永岡 義久(ながおか よしひさ、1932年〈昭和7年〉6月 - 2015年〈平成27年〉)は、日本の作家、文芸評論家。 福岡県福岡市生まれ。学習院大学政経学部政治学科卒業。 大学生時代に学習院大学の聴講生だった久邇通子と出会い恋仲になる。この事が表沙汰になるのを家族に嫌われたからか久邇通子は1年で大学に通うのを辞め、月に2、3回隠れるようにデートしていた。久邇通子の親族は、永岡義久と久邇通子の結婚を許さなかった。この2人が付き合い始めて5年が経った頃に、久邇通子の父親であった久邇宮朝融王は肝硬変で倒れる。それから近親者の取り計らいで2人の結婚が決まる。意識不明の父の枕元で婚姻届を書く。その時の永岡義久は既にサラリーマンで、飯田橋のアパートで夫婦で暮らしていたが、同居をすれば性格の不一致が広まり4年で離婚する。
長須 祥行(ながす しょうぎょう、1932年5月16日 - … 長須 祥行(ながす しょうぎょう、1932年5月16日 - 1993年2月10日)は、日本の農業評論家。 茨城県出身。日本大学卒。学生時代に一時期渋沢秀雄家の書生をしていた。 大学卒業後、東宝に入社するが、百里基地反対運動に呼応し帰郷。地方新聞『新茨城』やタウン誌、労組機関誌の記者を経て、1965年フリーの評論家となる。 茨城県土浦市に住み鹿島臨海工業地帯の開発理念「農工両全」を告発、三里塚闘争で農民の側に立った。 吉祥太郎の名を使ったこともある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
樋口 恵子(ひぐち けいこ、1932年〈昭和7年〉5月4日 … 樋口 恵子(ひぐち けいこ、1932年〈昭和7年〉5月4日 - )は、日本の評論家。東京家政大学名誉教授。高齢社会をよくする女性の会理事長。 父は考古学者の柴田常恵。広く首都圏各自治体主催の講演会などで活動。男女共同参画審議会のメンバーの一人。
山内 一弘(やまうち かずひろ、1932年〈昭和7年〉5月1… 山内 一弘(やまうち かずひろ、1932年〈昭和7年〉5月1日 - 2009年〈平成21年〉2月2日)は、愛知県一宮市奥町出身のプロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者・評論家。旧名は山内 和弘(読みは同じ)。 1952年にパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の毎日オリオンズに入団し、毎日および毎日大映オリオンズ(大毎オリオンズ)で「ミサイル打線」の主軸打者として活躍、後にセントラル・リーグ(セ・リーグ)の阪神タイガースや広島東洋カープでもプレーし、通算19年間の現役生活で打点王4回・首位打者1回・本塁打王2回を獲得、通算2271安打、396本塁打、1286打点を記録した。引退後は毎日・大毎の後身であるロッテオリオンズや中日ドラゴンズで監督を務め、2002年に野球殿堂入りした。
丸山 照雄(まるやま てるお、1932年(昭和7年)4月27… 丸山 照雄(まるやま てるお、1932年(昭和7年)4月27日 - 2011年(平成23年)6月13日)は、日本の宗教評論家、日蓮宗僧侶。雅号は苦佛。 山梨県身延町出身。身延高校在学中から社会運動に傾倒し、立正大学在学中に仏教青年運動「信行会」を組織した。その後同大を中退し、久遠寺塔中の宝聚院麓坊住職、日蓮宗現代宗教研究所調査主任を歴任。 1970年(昭和45年)、東寺真言宗の松下隆洪らと共に、公害を起こした企業を呪い殺す「公害企業主呪殺祈祷僧団」を組織し、四日市市(四日市喘息)や神岡町(イタイイタイ病)などを行脚。それが教団内で問題となり、同研究所を辞職させられ、教団の役職すべてを辞す。以後は宗派にとらわれない広範な宗教・評論活動をおこなう。
矢野 絢也(やの じゅんや、1932年〈昭和7年〉4月27日… 矢野 絢也(やの じゅんや、1932年〈昭和7年〉4月27日 - )は、日本の政治家、政治評論家。 衆議院議員(9期)、公明党委員長(第4代)、大阪府議会議員(1期)などを歴任した。位階勲章は旭日大綬章。 のちに、創価学会を脱会した。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 大阪府八尾市出身。大阪府立山本高等学校卒業。1953年(昭和28年)、創価学会に入会。当時は京都大学経済学部3回生だった。1955年(昭和30年)3月、同大学卒業。同年4月、大林組に就職。 1963年(昭和38年)の大阪府議会議員選挙に大阪市生野区選挙区から立候補し初当選。 1967年(昭和42年)1月29日に行われた第31回衆議院議員総選挙に旧大阪4区から公明党公認で立候補し、トップで初当選を果たした。
矢島 翠(やじま みどり、1932年4月17日- 2011年… 矢島 翠(やじま みどり、1932年4月17日- 2011年8月30日)は、日本の評論家、翻訳家。 東京市出身。カトリック系の小学校で学び、幼い頃から英語に親しんだ。一方で典型的な皇国少女でもあった。女子に門戸が開かれたばかりの東京大学文学部に入学し、1955年英文科卒業。同年共同通信社に入社、特信部外国通信部配属。1960年特信部文化部、1968年ホノルル特派員、1971年外信部、1974年ニューヨーク特派員を歴任し、1976年帰国後退社。のちフリーランスで文筆活動をし、また大学の映画史の講座を受け持ったりした。 私生活では、大学卒業後まもなく大学の同級生でのちの映画助監督と結婚、1959年に出産。
吉冨 勝(よしとみ まさる、1932年4月5日 - 2020… 吉冨 勝(よしとみ まさる、1932年4月5日 - 2020年6月21日)は、日本の経済評論家。位階は従四位。 朝鮮光州生まれ。長崎県出身。東京大学教養学部卒。同大学院社会科学科理論経済学博士課程修了。 1962年、経済企画庁にはいり、1984年OECD(経済協力開発機構)に出向。経済統計局長などをつとめ、1987年帰国し、経済研究所長、調整局長を歴任。1992年長銀総合研究所副理事長。1999年、アジア開発銀行研究所長。2004年経済産業研究所所長兼CRO。世界経済の視点から日本経済の動向を分析する。 2020年6月21日6時5分、肺炎のため東京都内の病院で死去。88歳没。死没日をもって、従四位に叙される。
辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本の… 辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本のアニメ・特撮脚本家、推理作家、漫画原作者、旅行評論家、エッセイスト、デジタルハリウッド大学名誉教授。 父は自由民主党の衆議院議員・中日電機工業会長の辻寛一。「実家はおでん屋」と語ることもあるが、これは父寛一が栄で「辻かん」というおでん屋を営んでいたからである。愛知県第一中学校、愛知県立明和高等学校、名古屋大学文学部卒業。 1954年、NHKに入局。制作進行、演出、プロデューサーなどを務めた。NHK在局中も脚本の執筆を行っていたが、1962年に退局し、脚本家としてアニメ・特撮などを中心に多くの脚本を担当。 小説家としては旧『宝石』の新人賞候補作が商業誌デビュー作という経歴を持つ。
赤木 昭夫(あかぎ あきお、1932年3月17日 - )は、… 赤木 昭夫(あかぎ あきお、1932年3月17日 - )は、日本の科学史家、評論家、翻訳家。NHK職員、慶應義塾大学教授、放送大学教授等を歴任。 専攻は科学史、技術論、メディア論。 京都市生まれ。1955年東京大学文学部英文科卒業後、NHK入局。NHK科学番組プロデューサー、NHK科学技術担当解説委員(NHK解説委員)を経てNHKを退職。 慶應義塾大学環境情報学部教授、放送大学教授、コロンビア大学ジャーナリズム大学院フェローを歴任。 慶應義塾大学での教え子に、吉川浩満、山本貴光ら慶応SFC一期生がいる。
三上 満(みかみ みつる、通称の読みは「みかみ まん」、男性… 三上 満(みかみ みつる、通称の読みは「みかみ まん」、男性、1932年〈昭和7年〉3月12日 - 2015年〈平成27年〉8月21日)は、日本の教育評論家。テレビドラマ「3年B組金八先生」のモデルの一つになった元・中学校教諭である。全国労働組合総連合(全労連)議長・全日本教職員組合(全教)委員長を歴任。 東京都生まれ。1953年日本共産党に入党。東京大学教育学部を卒業後、1955年に東京都公立中学校の社会科教諭となる。文京区立第一中学校と葛飾区立大道中学校に勤務し、非行対策などの教育実践を積み重ねる。三上の教育実践が「3年B組金八先生」のモデルになった。 教員として現場で実践を積み重ねる傍らで教職員組合役員を歴任し、その後労働組合専従役員となる。
袖井 林二郎(そでい りんじろう、1932年3月9日 - 2… 袖井 林二郎(そでい りんじろう、1932年3月9日 - 2025年2月10日)は、日本の国際政治学者、評論家。法政大学名誉教授。専門は、戦後日米関係史、国際政治史、アメリカ政治論。 宮城県遠田郡小牛田町(現・美里町)出身。占領期研究の第一人者。戦後史関係資料を広範に探索してきたことで知られている。妻は社会学者の袖井孝子。
嶋岡 晨(しまおか しん、1932年3月8日 ‐ )は、日本… 嶋岡 晨(しまおか しん、1932年3月8日 ‐ )は、日本の仏文学者・詩人・評論家・小説家。立正大学名誉教授。本名はしまおか あきら。 高知県高岡郡四万十町生まれ。高知県立高知工業高等学校建築科、明治大学文学部仏文科卒、同大学院文学研究科修了。大学在学中に後輩の片岡文雄らと詩誌「貘」を創刊。1958年に寺山修司と「様式論争」を繰り広げるが、1959年には寺山らと詩劇グループ「鳥の会」を結成する。「歴程」同人、「無限」編集長を歴任。 詩集や詩論のほか、坂本龍馬などの土佐国出身の幕末維新期の人物伝、フランス詩の翻訳もおこなう。小説も書き、1980年に『裏返しの夜空』で第84回芥川賞候補、1982年に『《ポー》の立つ時間』で第87回芥川賞候補となっている。
菊池 久(きくち ひさし、1932年2月18日 - 2009… 菊池 久(きくち ひさし、1932年2月18日 - 2009年4月30日)は、日本の新聞記者、政治評論家。
広岡 達朗(ひろおか たつろう、旧字体:廣岡、1932年〈昭… 広岡 達朗(ひろおか たつろう、旧字体:廣岡、1932年〈昭和7年〉2月9日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(内野手)・元監督、野球解説者(評論家)。 現役時代は読売ジャイアンツで活躍、監督としてヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた。千葉ロッテマリーンズゼネラルマネージャーを経て現在は野球評論家。愛称は「ヒロ(さん)」。 実兄・広岡富夫は公務員(広島県庁)からプロ入りした異色の経歴を持ち、広島市民球場第1号本塁打を打った広島カープの元選手である。 辛辣で歯に衣をきせない一面があり、古巣である巨人に対しても批評を下すことがある。 1932年2月9日、広島県呉市にて6人兄弟(男5人、女1人)の末っ子として生まれる。