新谷 敬三郎(あらや けいざぶろう、1922年3月20日 -… 新谷 敬三郎(あらや けいざぶろう、1922年3月20日 - 1995年11月6日)は、日本のロシア文学者、早稲田大学名誉教授。 北海道小樽市色内町で生まれる(生家は漁網の卸し問屋)。1949年3月早稲田大学文学部露文科卒業。大学院に進んだのち1950年6月早稲田大学文学部副手、1954年小樽商科大学講師、1957年早稲田大学第一文学部・第二文学部専任講師、1960年早稲田大学助教授、1965年教授、1992年定年、名誉教授。ドストエフスキーが専門で、バフチンのドストエフスキー論を訳した。 1995年11月6日、胃癌のため小金井市の聖ヨハネ会桜町病院ホスピスにて死去。
川村 克己(かわむら かつみ、1922年3月13日- 200… 川村 克己(かわむら かつみ、1922年3月13日- 2007年6月14日)は、日本のフランス文学者。立教大学名誉教授。 東京生まれ。1934年(昭和9年)、津久戸小学校を卒業。 1945年(昭和20年)東京帝国大学文学部仏文科卒業後、助手を経て、立教大学文学部助教授、教授、1988年(昭和63年)定年、名誉教授。 立教大学退職後は、新潟産業大学副学長を務めた。 1989-93年日本フランス語フランス文学会会長を務めた。 子に国文学者の川村裕子。
清崎 敏郎(きよさき としお、1922年2月5日 - 199… 清崎 敏郎(きよさき としお、1922年2月5日 - 1999年5月12日)は、日本の俳人・国文学者。本名は星野敏郎。 東京市赤坂区(現・港区赤坂)に生まれる。東京府立第一中学校(現・日比谷高等学校)在学中[要出典]に結核性股関節炎にかかり、療養生活を送る中で句作を始めた。1940年、富安風生が選者をしていた読売俳壇の選に入り、これをきっかけに風生の主宰誌「若葉」に投句、風生に師事する。1942年、慶應義塾大学文学部に入学、折口信夫、池田弥三郎のもとで民俗学を学ぶ。 1943年、父の知人であった高浜年尾に俳句の指導を受け、年尾を介して高浜虚子に会う。同年「ホトトギス」に投句し初入選。1946年、楠本憲吉、大島民郎らとともに慶大俳句研究会設立、会誌として「慶大俳句」を発刊。
飯塚 信雄(いいづか のぶお、1922年2月1日 - 200… 飯塚 信雄(いいづか のぶお、1922年2月1日 - 2004年10月15日)は、日本のドイツ文学者、明治大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。上智大学文学部卒業。國學院大學助教授、明治大学教授、1991年定年退任、名誉教授。 はじめドイツ文学を専攻したが、のち西洋生活文化史専攻。服飾史、手工芸史、インテリアデザイン史に造詣が深く、特にロココ文化の研究で名高い。 2004年10月15日、心不全のため死去。
坂井 晴彦(さかい はるひこ、1922年1月25日 - 20… 坂井 晴彦(さかい はるひこ、1922年1月25日 - 2002年)は、英米文学者、青山学院女子短期大学名誉教授。 東京生まれ。東京商科大学(のち一橋大学)卒。青山学院女子短大助教授、教授、1993年定年、名誉教授。英米児童文学を研究、翻訳をおこなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
吉井巌(よしい いわお、1922年 -1995年 )は、国文… 吉井巌(よしい いわお、1922年 -1995年 )は、国文学者。大阪に生まれる。京都大学文学部を卒業。国文学を専攻。帝塚山学院大学教授。 『古事記』を中心とした『記紀』系譜の研究が有名で、特に『上宮記』一伝にいう、継体天皇の父系の祖であるホムタワケが通常応神天皇とされるところを、垂仁天皇の子・誉津別命と解釈したことはよく知られる(『天皇の系譜と神話 二』)。また王朝交代説において応神天皇が始祖的な大王とされたのに対し、いち早く応神天皇の始祖性を否定する見解を示した(『天皇の系譜と神話 一』)。『ヤマトタケル』においては、ヤマトタケルの伝承のそれぞれがヤマトタケルの別名と密接に結びついていることに注目し、その名前に関連して述べられた伝承を1人の英雄像として統合する形で生まれたのが『記紀』におけるヤマトタケルであると論じた。
荒木 繁(あらき しげる、1922年 - )は、日本の国文学… 荒木 繁(あらき しげる、1922年 - )は、日本の国文学者。和光大学名誉教授。 茨城県生まれ。1947年東北帝国大学法文学部国文科卒。同大学副手。東京都立西高等学校教諭在職中の1952年、「血のメーデー」事件で逮捕され、長く裁判で戦う(都立高校は休職扱いで給与は据え置かれたままだったという)。その後、和光大学人文学部教授。93年定年退任、名誉教授。語り物文芸、国語教育を専門とする。
前田 敬作(まえだ けいさく、1921年12月14日 - 2… 前田 敬作(まえだ けいさく、1921年12月14日 - 2003年2月6日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 1921年、大阪府で生まれた。東京帝国大学文学部で学び、1944年に卒業。卒業後は兵役に就いた。 戦後は、関西大学予科講師となった。後に助教授昇格。1950年、京都大学教養部助教授に転じた。1967年に同教授昇格。1985年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は摂南大学教授として教鞭をとった。晩年は『フロイデ独和辞典』監修 (白水社 2003)ほか辞書編纂に関わった。 2003年2月6日、肺癌のため死去。 専門はドイツ文学で、ゲーテ、カフカ、トーマス・マンなどの多くの翻訳を行った。
石丸 久(いしまる ひさし、1921年10月31日 - 19… 石丸 久(いしまる ひさし、1921年10月31日 - 1999年12月26日)は、日本の近代文学者。早稲田大学講師、早稲田大学高等学院教諭、代々木ゼミナール講師。 北海道河東郡帯広町(現帯広市)に父・庄七と母・なほこの長男として生まれる。ヨーロッパでの生活経験があり英語・ドイツ語・フランス語に堪能。旧制千葉県立佐倉中学校、旧制静岡高等学校、旧制第二早稲田高等学院を経て、早稲田大学・および同大学院を卒業。大手大学受験予備校代々木ゼミナールの講師も務めた。後に早稲田大学教授。(石丸を「教授」としているのは小田原市の資料のみであり、他の資料では「講師」と記されている。要検証。) 2012年、夫人の希望によって、架蔵していた北原白秋の初版本60冊ほど(評価額150万円以上)が小田原市に寄贈された。
新庄 哲夫(しんじょう てつお、1921年10月28日 - … 新庄 哲夫(しんじょう てつお、1921年10月28日 - 2006年1月10日)は、日本のアメリカ文学者、ジャーナリスト、編集者、翻訳家。本名は新庄 哲雄(読みは同じ)。 アメリカ合衆国サンフランシスコ生まれ、山口県岩国市が本籍。1943年学徒動員により青山学院英文科を繰り上げ卒業、東京新聞外報部勤務となり、戦時下の外務省、戦後のGHQを担当。1953年にハーマン・ウォークの『ケイン号の反乱』の翻訳を上梓しベストセラーとなる。1957年出版部勤務となり「週刊東京」担当、1960年の同誌廃刊とともに本社編集委員。朝夕刊のコラムを執筆、1968年に退社。 大妻女子大学短期大学部教授に就任後、数多くの英米の小説、ノンフィクションを翻訳。
尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )… 尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )は、日本のアメリカ文学者、京都大学名誉教授。 東京出身。(旧制)東京高等学校卒、1942年京都帝国大学文学部英文科入学、徴兵で従軍し中国大陸に転戦、復員ののち僧籍をもち1947年卒業、大学院在籍、1948年京大附属医学専門部教授、1951年大阪女子大学助教授、1965年京大教養部助教授、教授、1982年名誉教授、奈良女子大学教授、1984年佛教大学教授、92年退職。弟の尾形克彦 (1924 - ) は工学者、米国ミネソタ大学教授。長男・尾形充彦(あつひこ、1954 - )は宮内庁技官正倉院勤務。
宮本 幸男(みやもと ゆきお、1921年10月21日 - 2… 宮本 幸男(みやもと ゆきお、1921年10月21日 - 2015年9月18日)は、日本のアマチュア天文学者。 天文学界における人口増加に努め、1968年の熊本天文学研究会の創設に携わった。天文学者の星野次郎から鏡作りを学び、1971年にはアマチュア天文学者としては初めてライトシュミット式望遠鏡を作り上げた。 小惑星番号6020の「Miyamoto」は彼の名前を元に付けられた。 1921年10月21日 熊本県熊本市で誕生。1945年 日本大学旧工学部建築学科卒業。 1968年 熊本天文学研究会の創設に携わる。1971年 天体用カメラ「ライトシュミット」を完成。 1982年、熊本市博物館職員を嘱託され、プラネタリウム運営スタッフとなる。
守屋 富生(もりや とみお、1921年10月11日 - 20… 守屋 富生(もりや とみお、1921年10月11日 - 2007年?)は、日本の英文学者。早稲田大学名誉教授。アーノルド・ベネットを専門とした。 北海道沙流郡(現日高町)出身。1942年早稲田大学文学部英文科入学、1943年学徒出陣し、1944年特別措置で大学を卒業。温祢古丹島に駐留、1945年ポツダム少尉。1946年早大大学院に在籍。1948年東京都立上野高等学校教諭、1953年谷崎精二の世話で早稲田高等学院教諭、1956年早大文学部専任講師、1959年助教授、1964年教授、1972-1974年第二文学部長、1992年定年退任、名誉教授。1996年勲四等旭日小綬章受勲。
樋口 芳麻呂(ひぐち よしまろ、1921年9月15日 - 2… 樋口 芳麻呂(ひぐち よしまろ、1921年9月15日 - 2011年10月1日)は、日本の国文学者。専門は中古・中世和歌文学。愛知教育大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。1983年角川源義賞受賞。1997年勲三等旭日中綬章受章。 1921年(大正10年)9月、愛知県名古屋市に生まれる。旧制愛知県明倫中学校、旧制第八高等学校を経て、1944年(昭和19年)、東京帝国大学文学部国文学科卒業。1951年(昭和26年)、愛知学芸大学講師、1968年(昭和43年)、愛知教育大学教授、1985年(昭和60年)、同大学定年退官、同大学名誉教授、愛知淑徳大学文学部教授。1997年(平成9年)、愛知淑徳大学定年退職、同大学名誉教授。
近藤 等(こんどう ひとし、1921年9月2日 - 2015… 近藤 等(こんどう ひとし、1921年9月2日 - 2015年11月29日)は、日本のフランス文学者、翻訳家、登山家。早稲田大学名誉教授。 京都生まれ。暁星中学校在学中よりフランス語と登山に親しむ。早稲田大学仏文科卒。在学中は山岳部に所属し、朝鮮冠帽峰に遠征。卒業後、同部監督、部長もつとめた。。 早稲田高等学院講師、早大商学部助教授をへて、1955年から教授。フランス文学者としてフランスの山岳文献を多数紹介した。1992年に定年退任、名誉教授。 1962年、パリ大学研究員としてフランスに滞在。この機会にフランス国立登山スキー学校の研修会に参加。以後18回の登山シーズンをアルプスで過ごし、150回ほどの山行で120余峰に登る。
小野 協一(おの きょういち、1921年8月16日 - 20… 小野 協一(おの きょういち、1921年8月16日 - 2002年10月18日)は、日本の英文学者。 和歌山県新宮市出身。1944年東京帝国大学文学部英文科卒。1951年東京外国語大学講師、助教授、教授、1984年定年退官、名誉教授、和光大学教授、鶴見大学教授。1992年退職。ジョージ・オーウェルが専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
永戸 多喜雄(えいと たきお、1921年8月11日- 201… 永戸 多喜雄(えいと たきお、1921年8月11日- 2010年9月12日)は、フランス文学者。 フランス文学者永戸俊雄の子。東京出身。府立六中(現都立新宿高等学校)を経て慶應義塾大学文学部仏文科卒、同経済学部教授、経済学部長を務め、1987年定年退任、名誉教授。サルトルの翻訳をおこなった。 2010年9月12日、心不全のため89歳で死去した。
富山 奏(とやま すすむ、1921年7月19日-2009年1… 富山 奏(とやま すすむ、1921年7月19日-2009年1月)は、日本の国文学者。 三重県津市生まれ。京都帝国大学文学部国文科卒。高野山大学教授、皇學館大學教授、四天王寺女子大学教授、四天王寺国際仏教大学教授、副学長。1971年「伊賀蕉門の研究と資料」で大谷大学文学博士。71年同著で芭蕉祭文部大臣賞受賞。1989年中村元東方学術賞・東方文化賞受賞。近世俳諧、特に芭蕉が専門。
杉 冨士雄(すぎ ふじお、1921年7月5日 - 1991年… 杉 冨士雄(すぎ ふじお、1921年7月5日 - 1991年4月25日)は、日本のフランス文学者、プロヴァンス文学者、岡山大学名誉教授。 東京出身。1948年東京大学仏文科卒。1960年よりモンペリエ大学とトゥールーズ大学に留学。1962年岡山大学法文学部教授、1980年文学部教授に就任、1987年に退官後、中国短期大学学長となった。 1964年「「聖女フォワの歌」の文学的一考察」で東京大学文学博士。フランス文学の中でも言語の異なる南仏プロヴァンス語でノーベル文学賞をとったフレデリック・ミストラルを研究・翻訳した。 1984年「青春の思い出」の翻訳と研究で日本翻訳文化賞を受賞した。 1991年4月25日、心筋梗塞のため死去。
吉田 正己(よしだ まさみ、1921年6月26日 - 197… 吉田 正己(よしだ まさみ、1921年6月26日 - 1977年12月2日)は、ドイツ文学者。 北海道岩内郡共和町出身。浦和高等学校(旧制)卒、1948年東京帝国大学独文科卒。東京大学教養学部助教授、教授。1972年定年退官。 1977年12月2日、S字結腸癌のため死去。 フロイトなどを訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
清水 好子(しみず よしこ、1921年6月8日 - 2004… 清水 好子(しみず よしこ、1921年6月8日 - 2004年12月10日)は、日本の国文学者。専門は平安文学、主に『源氏物語』について研究した。夫は万葉学者で京都女子大学名誉教授の清水克彦。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立大手前高等女学校卒、1942年奈良女子高等師範学校卒、天王寺高等女学校教諭。1944年東北帝国大学文学部国文科に入学、1946年中退して京都帝国大学文学部国文科に転じ、1949年卒業、同大学大学院に入学。1952年京都府立桂高等学校教諭、1956年退職。京都学芸大学や京都大学、同志社大学の非常勤講師を経て、1965年金蘭短期大学助教授。1967年関西大学文学部専任講師、1968年同助教授、1971年同教授。
冨原 芳彰(ふはら よしあき、1921年6月5日 - 198… 冨原 芳彰(ふはら よしあき、1921年6月5日 - 1988年1月26日)は、英文学者、筑波大学名誉教授。 静岡県御殿場市生まれ。1944年東京文理科大学英文科卒、兵役ののち、研究社入社、『英語青年』の編集にあたる。1959-1960年ハーヴァード大学に留学。一橋大学社会学部助教授、筑波大学教授、1979-1980年日本英文学会会長。1985年定年退官、大妻女子大学教授。1988年、在職中に心筋梗塞のため死去。 シェイクスピアが専門、福原麟太郎に師事した。しばしば富原芳彰と表記される。
小澤 正明(おざわ せいめい、1921年(大正10年)5月1… 小澤 正明(おざわ せいめい、1921年(大正10年)5月14日 - 2012年(平成24年)6月14日)は、日本の国文学者。元八幡大学学長、名誉教授、文学博士(関西学院大学・論文博士・1979年)。九州近代文学会理事。静岡県沼津市出身。 台北帝大時代、海軍予備学生として学徒出陣、長崎相浦海軍基地で出陣を待ったが終戦となる。1947年(昭和22年)戸畑専門学校で発足したサークル文芸部では戸専文学を発行。他に単行詩集、文学雑誌などを相次いで発行し文学啓蒙運動に力を注いだ。川端康成の研究でも知られており「川端康成文芸の世界」で文学博士号を取得している。
高橋 正雄(たかはし まさお、1921年4月18日 - 20… 高橋 正雄(たかはし まさお、1921年4月18日 - 2008年)は、日本のアメリカ文学者、中央大学名誉教授。 東京生まれ。東京帝国大学文学部英文科卒、中央大学法学部助教授、教授、1992年定年退任、名誉教授。
平井 啓之(ひらい ひろゆき、1921年4月10日 - 19… 平井 啓之(ひらい ひろゆき、1921年4月10日 - 1992年12月27日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 1921年、京都府で生まれた。第三高等学校を経て、東京帝国大学フランス文学科に入学。在学中の1943年に学徒出陣で応召。戦後復員し、1948年に東京大学を卒業した。 卒業後は、東京大学教養学部仏文科助手に採用された。1952年、新制東京大学教養学部専任講師となり、1954年に助教授、のち教授昇格。しかし、1969年に大学紛争が起こると辞職。その後は、立教大学教授、桃山学院大学教授を務めた。 戦争と天皇制を批判し続け、左翼的な姿勢を鮮明にした学者であった。わだつみ会発足当時からの会員で、のち常任理事をつとめた。
矢崎 源九郎(やざき げんくろう、1921年(大正10年)3… 矢崎 源九郎(やざき げんくろう、1921年(大正10年)3月26日 - 1967年(昭和42年)2月23日)は、日本の言語学者、北欧文学者、翻訳家。善隣外事専門学校教授、大阪外事専門学校教授、東京教育大学助教授。 1921年、山梨県生まれ。静岡県、東京府と各地を移りながら幼少期を過ごし、成城高等学校に入学。高等学校卒業後は東京帝国大学言語学科でビルマ語を専攻した。1943年に東京帝国大学を卒業し、副手となった。1944年、善隣外事専門学校教授に着任。1945年からは大阪外事専門学校教授。 戦後の1950年、東京教育大学助教授となった。1966年、胃がんの手術を受ける。翌1967年2月16日に教授に昇進したが、その7日後に45歳で死去した。
金本 源之助(かねもと げんのすけ、1921年3月1日 - … 金本 源之助(かねもと げんのすけ、1921年3月1日 - 2013年7月7日)は、日本のロシア文学者。 広島県豊田郡西生口村字福田(現在の尾道市瀬戸田町福田)に生まれる。広島県立師範学校を経て1941年4月に東京高等師範学校文科第五部へ入学。1943年の冬、満洲開拓義勇団の教学勤労奉仕隊員としてハルピン近郊に赴任、滞在中にロシア文学の世界と出合ったことがのちの人生に大きく影響を与えた。1944年9月東京高等師範学校繰上卒業と同時に海軍予備学生として土浦海軍航空隊に入隊。1945年10月復員を経て、戦後、1946年4月に旧制の早稲田大学文学部(ロシア文学専攻)に入学し、1950年3月に卒業。早稲田大学第一文学部副手、助手に従事しながら1956年3月に大学院(旧制)を修了したのち、同年4月第一法学部本属専任講師、同年5月第二文学部専任講師などを経て(早稲田大学のほかに専修大学講師〈1951年 - 1965年〉なども)、1960年4月早稲田大学第一文学部、第二文学部助教授に就任したのち、1965年4月同教授に就任。
後藤重郎(ごとう しげお、1921年2月23日 - 2006… 後藤重郎(ごとう しげお、1921年2月23日 - 2006年11月22日)は、日本の国文学者。文学博士(東京大学・論文博士・1967年)(学位論文「新古今和歌集成立史の基礎的研究」)。名古屋大学名誉教授。 愛知県出身。1943年東京帝国大学文学部国文学科卒業(半年繰上)。海軍第三期予備学生として応召。45年9月召集解除。50年東京大学大学院(旧制)国文学専攻課程入学。55年3月満期修了。1967年「新古今和歌集成立史の基礎的研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。1956年7月名古屋大学文学部専任講師、助教授をへて教授。84年定年退官、名誉教授、中京大学文学部教授を務め、91年定年退職。中世和歌、特に『新古今和歌集』が専門。
目崎 徳衛(めざき とくえ、1921年2月19日 - 200… 目崎 徳衛(めざき とくえ、1921年2月19日 - 2000年6月13日)は、国文学者、王朝文化研究者、専攻は日本文化史、平安文学研究。 新潟県生まれ。1945年東京帝国大学文学部国史学科卒業、長岡工業高等専門学校助教授、文部省教科書調査官、聖心女子大学教授、のち同名誉教授。1980年に『西行の思想史的研究』で東京大学文学博士、第一回角川源義賞。1996年に『南城三余集私抄』で第三回(95年度)やまなし文学賞<研究評論部門>を受賞。また俳句同人誌「花守」を半世紀近く主宰し、若井新一などを輩出した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 199… 白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 1992年3月28日)は、日本の評論家、翻訳家、児童文学者。 少年小説の作者、『シートン動物記』や『赤毛のアン』の翻訳者として知られる。 静岡県浜松市出身。白柳秀湖の甥あるいは息子と自称したことがあるが、これは事実ではない。 1938年、旧制第一高等学校在学中、一高空手部員として鎌倉市の深田久弥宅を訪問し、当時深田の夫人だった北畠八穂と出会う。 1944年、東京帝国大学農学部卒業。学徒動員で二等兵として入営し、名古屋で兵役生活を送る。 1948年から鎌倉山で北畠と同棲した(深田の不実のため北畠は1943年に離婚していた)。入籍はせず、事実婚だった。
村松 友次(むらまつ ともつぐ、1921年(大正10年)1月… 村松 友次(むらまつ ともつぐ、1921年(大正10年)1月30日 - 2009年(平成21年)3月16日)は、日本の国文学者・俳人。東洋大学短期大学名誉教授。 2921年、長野県小県郡丸子町(現上田市)で生まれた。ハルピン鉄道学院露語専修科でロシア語を学んだ。1944年から長野県および東京都にて小・中学校教諭として勤務。その一方で、東洋大学国文学科(二部)で学び、1962年に卒業。同大学大学院に進み、1967年に博士課程を満期退学。 東洋大学短期大学助教授に就いた。その後教授昇格。1987年、学位論文『曽良本『おくのほそ道』の研究』を東洋大学に提出して文学博士の学位を取得。1989年、第12代東洋大学短期大学学長に就任。
大塚 勇三(おおつか ゆうぞう、1921年1月27日 - 2… 大塚 勇三(おおつか ゆうぞう、1921年1月27日 - 2018年8月18日)は、日本の児童文学者・翻訳家。 旧満洲旧安東市(現・遼寧省丹東市)生まれ。東京帝国大学法学部を卒業。1957年から1966年まで平凡社に勤め、瀬田貞二と出会い、米英、ドイツ、北欧などの児童文学の翻訳に携わる。特にアストリッド・リンドグレーンの作品をほとんど翻訳、アルフ・プリョイセンの「スプーンおばさん」シリーズ、ルーネル・ヨンソンの「小さなバイキング」などの翻訳が著名である。ほか自身で民話の再話絵本も執筆した。 2018年8月18日、死去。97歳没。 ※『リンドグレーン作品集 別巻3 わたしたちの島で』は、尾崎義訳。
永井 明(ながい あきら、1921年1月21日 - 1979… 永井 明(ながい あきら、1921年1月21日 - 1979年3月)は、日本の児童文学者、キリスト教者。日本児童文学者協会会員、現代少年文学同人。 栃木県佐野市に生まれる。小児マヒにかかり歩行不能となったため、肢体不自由施設の柏学園で小学教育を受ける。その後はほぼ独学で、歴史や文学、哲学や外国語を勉強する。16歳でキリスト教の洗礼を受ける。1941年、埼玉県深谷市に居住し、児童文学を志す。神戸淳吉、山本彰、高田彰らと児童文学の同人誌『白い馬』を刊行する。1956年、『ピイ公物語』でデビュー。1969年に出版された『終りのない道』は自伝的な要素が強く、障害児の視点から書いた文学作品として先駆的なものであり、当時の障害児に関する社会的記録としても評価されている。
会津 伸(あいづ しん、1921年1月6日 - 2005年1… 会津 伸(あいづ しん、1921年1月6日 - 2005年12月31日)は、日本のドイツ文学者。 東京生まれ。1942年東京帝国大学文学部独文科卒、1949年東北大学文学部助教授、1961年から1963年スイスと西ドイツに学ぶ。1966年神戸大学文学部教授、1971年京都府立大学教授、1984年定年退官、名誉教授、愛知大学客員教授。1991年退職。
小山 弘志(こやま ひろし、1921年1月1日 - 2011… 小山 弘志(こやま ひろし、1921年1月1日 - 2011年2月16日)は、国文学者。東京大学教養学部名誉教授。謡曲を専門とした。 東京生まれ。旧制一高を経て、1943年東京帝国大学国文科卒。戦後、東大教養学部教授を務め、1974-1976年教養学部長。1981年定年退官後は、国文学研究資料館館長を務めた。 2011年2月16日、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去。90歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
前田 淑(まえだ よし、1921年 - 2020年)は、日本… 前田 淑(まえだ よし、1921年 - 2020年)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学。近世の女性旅日記などの近世女性文学を研究した。福岡女学院短期大学名誉教授。 福岡市生まれ。福岡県女子専門学校文科研究科卒業、法政大学文学部日本文学科卒業。福岡女学院短期大学助教授、教授を務める。1999年「江戸時代女流文芸史 地方を中心に」で九州大学文学博士。
多久 弘一(たく ひろいち、1921年 - 没年不詳。近著[… 多久 弘一(たく ひろいち、1921年 - 没年不詳。近著[要文献特定詳細情報]によれば故人との由)は、日本の中国文学者。代々木ゼミナール漢文科講師( - 2002年3月)。 佐賀県に生まれる。1939年、戦前の漢文の専門学校の名門であった大東文化学院を卒業後、中国に20年余り在住する。その期間に北京大学に留学、同大学卒業後、旧制奉天第一中学校に勤務する。終戦時、国立瀋陽医学院(旧・満州医科大学)東洋医学研究所、岡西為人博士のもとで留用日僑となる。帰国後、大学・高校勤務を経て、代々木ゼミナール漢文の講師となる。2002年3月、代々木ゼミナール校長を退任。 明治以前は多久地方を治めた多久氏一族の末裔である。
丸山 一彦(まるやま かずひこ、1921年(大正10年) -… 丸山 一彦(まるやま かずひこ、1921年(大正10年) -2004年?)は、国文学者。学位は、文学博士(東京教育大学・論文博士・1977年)(学位論文「一茶研究」)。宇都宮大学名誉教授。 栃木県足利市生まれ。東京文理科大学国文科卒、中学教師ののち秋田大学助教授、宇都宮大学教授、1977年「一茶研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1985年定年退官、名誉教授、白鷗大学教授。1992年栃木県文化功労者。専門は近世俳文学。
青木 生子(あおき たかこ、1920年11月20日 - 20… 青木 生子(あおき たかこ、1920年11月20日 - 2018年11月14日)は、日本の国文学者。専門は万葉集研究。学位は、文学博士(東北大学・1962年)(学位論文「日本古代文芸における恋愛」)。日本女子大学名誉教授。 東京・日本橋の問屋の娘として生まれるが、父が関東大震災で亡くなったため、店を畳んで大磯に移住する。神奈川県立平塚高等女学校(現・神奈川県立平塚江南高等学校)で高瀬兼介らの薫陶を受け、周囲の反対を押し切り、日本女子大学校国文学部へ進学する。同大学校卒業後、東北帝国大学法文学部国文科教授の岡崎義恵『日本文芸学』を読み、岡崎の指導を受けるべく、東北帝国大学法文学部国文科へ進学。1944年、東北帝国大学を繰り上げ卒業し、日本女子大学に教員として戻る。
中田剛直(なかた たかなお、1920年11月8日 - 198… 中田剛直(なかた たかなお、1920年11月8日 - 1980年1月21日)は、日本文学研究者、国文学者。 秋田県大館市生まれ。父は教育者。弘前高等学校卒、1943年東京帝国大学文学部国文科卒。池田亀鑑に師事。東京高等学校講師、48年要書房編集長。1957年獨協高等学校講師、1959年上智大学文学部助教授、66年教授。 『竹取物語』研究の新井信之の義弟。池田亀鑑没後、『池田亀鑑選集』、随筆集『花を折る』(いずれも至文堂刊)を、長野嘗一、木田園子らとともに編集・刊行した。 ・『古本竹取物語』 大修館書店 1968 ・『影印本紫式部日記』新典社、1968
古見 日嘉(ふるみ ひよし、1920年11月4日 - 197… 古見 日嘉(ふるみ ひよし、1920年11月4日 - 1973年1月2日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。主としてジャン・パウルを研究・翻訳した。 東京出身。1943年東京帝国大学文学部独文科卒。第六高等学校教授、埼玉大学助教授、旧・東京都立大学助教授、教授。1965年ジャン・パウル『美学入門』で日本翻訳文化賞受賞。
角 圭子(すみ けいこ、1920年10月31日 - 2012… 角 圭子(すみ けいこ、1920年10月31日 - 2012年10月29日)は、日本の作家、ロシア文学者。東京都生まれ。本名・石山芳。日本女子大学校国文科中退。ロシア文学を研究し、ほか小説を執筆した。1967年『大正の女』で小説新潮賞候補。
塩谷 饒(しおや ゆたか、1920年10月19日 - 199… 塩谷 饒(しおや ゆたか、1920年10月19日 - 1996年6月11日)は、日本の文学者・言語学者。専門は、ドイツ文学・ドイツ語。 東京出身。1947年、東京大学文学部独文学科卒業。1950年、同大学院文学研究科修了。1951年、東京藝術大学美術学部専任講師。1955年、京都大学教養部助教授。その後、同教授。1970年、北海道大学文学部教授。1975年、同文学部長。1979年、北海道大学附属図書館長。1984年、北海道大学停年退官。同名誉教授。北星学園女子短期大学英文学科教授。1985年、北星学園女子短期大学7代学長に就任。1993年、北星学園女子短期大学退職。
前田 金五郎(まえだ きんごろう、1920年9月11日 - … 前田 金五郎(まえだ きんごろう、1920年9月11日 - 2013年2月21日)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、特に井原西鶴。専修大学名誉教授。 1920年、静岡県清水市に生まれる。1944年、東京文理科大学文学科国語国文学専攻卒業。大阪府立岸和田中学校教諭を経て、1945年に応召。復員後、複数の高校で教鞭を執った後、1966年専修大学文学部国文科助教授に就任。1972年、同教授。1991年、専修大学を定年退職し、名誉教授となった。2013年2月21日、消化管出血のため東京都で死去。 小西甚一が「怪物」と評するほど、博識な人物として知られた。
末元 善三郎(すえもと ぜんざぶろう、1920年8月28日 … 末元 善三郎(すえもと ぜんざぶろう、1920年8月28日 - 1991年12月5日)は、日本の天文学者。専門は、天体物理学、とりわけ太陽物理学。1967年日本学士院賞受賞、1991年勲二等瑞宝章受章。 兵庫県神戸市出身(出生地は富山県)。旧制神戸一中、第一高等学校を経て東京帝国大学理学部天文学科に進学し、東大では萩原雄祐に天体物理学を学んだ。
田中 伸(たなか しん、1920年8月23日 - 1991年… 田中 伸(たなか しん、1920年8月23日 - 1991年2月8日)は、日本の国文学者。近世文学専攻。 北海道生まれ。1942年二松学舎専門学校卒、1946年早稲田大学文学部国文科卒。49年同大学院修了。日本女子経済短期大学(のち嘉悦大学短期大学部)助教授、二松學舍大学文学部助教授、教授。定年直前に死去。
梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 198… 梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 1980年12月21日)は、日本のフランス文学者、劇作家、小説家、随筆家。本名は梅田晃(あきら)。慶應義塾大学大学院修了。舞台劇やラジオドラマの脚本、物の歴史に関する著述や翻訳などで活躍した。パイプや万年筆などの収集家としても知られる。梅田望夫、梅田みかは子。 1920年(大正9年)、東京府東京市四谷区(現東京都新宿区)愛住町の暗闇坂で、ロシア貿易会社を営んでいた父・梅田潔と文学者の母・玲子の間に、6人兄弟の末子として生まれる。当時の梅田家の家風であった、ヨーロッパ的な生活習慣の中で育ち、1926年(大正15年)、慶應義塾幼稚舎入舎。以後18年間大学院まで慶應の一貫教育を受ける。
林 忠四郎(はやし ちゅうしろう、1920年(大正9年)7月… 林 忠四郎(はやし ちゅうしろう、1920年(大正9年)7月25日 - 2010年(平成22年)2月28日)は、日本の物理学者(天体物理学)・天文学者。学位は理学博士(京都大学・論文博士・1954年)。京都大学名誉教授。位階は従三位。文化勲章受章者。 天文学と原子核物理学・素粒子物理学とをつなぐ学問である宇宙物理学の日本における先駆者の一人。京都大学理学部物理学科・天体核物理学研究室の教授を27年にわたって務め、研究の一方で数多の優秀な理論物理学者や宇宙物理学者、天文学者や惑星科学者を育てた。 京都府京都市上京区紫竹西南町(現・京都市北区紫竹西南町)に林誠次郎・ムメ夫妻の四男として生まれる。生誕翌年の1921年(大正10年)7月12日、大叔父・林寛次郎の養嗣子となる。
窪田 啓作(くぼた けいさく、1920年7月25日 - 20… 窪田 啓作(くぼた けいさく、1920年7月25日 - 2011年)は、日本のフランス文学者、詩人、翻訳家、銀行員。本名・開造。 カミュ『異邦人』の翻訳で知られる。 神奈川県生まれ。1943年、東京帝国大学法学部卒業。在学中にマチネ・ポエティクに参加し詩や小説を書いた。 大学卒業後、東京銀行に入行。パリ、新橋各支店次長、国際投資部副参事役を経て、1948年欧州東京銀行頭取となる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中村 浩(なかむら ひろし、1920年7月15日 - 198… 中村 浩(なかむら ひろし、1920年7月15日 - 1985年8月23日)は、日本の国文学者、歌人。 大阪市生まれ。本名・米島勉。父は書道家で大阪朝日新聞にも勤務した中村眉山(本名は平三)。父親が阪田の書の代筆をしていた関係で、晩年の阪田三吉と交流があり、のちにその思い出をもとに阪田の27回忌(1972年)に、それを記念した『実録王将伝』を執筆、のちに『棋神・阪田三吉』として刊行した。 國學院大學文学部国文学科卒。折口信夫、金田一京助に師事。戦後、関西大学、薫英学園で教職につき、その後、大阪府議会事務局、四天王寺女子大学、羽衣学園短期大学、辻調理師学校に勤務。