日高 八郎(ひたか はちろう、1920年6月10日 - 19… 日高 八郎(ひたか はちろう、1920年6月10日 - 1997年1月10日)は、日本の英文学者。社会学者の日高六郎の弟。 中国・青島生まれ。父(1875-1951)は長崎県壱岐島出身、東京外国語専門学校支那語科を出て北京大使館に勤めたあと商店を開いていた。少年時代は『暁』という家庭内新聞を発行した。1945年東京帝国大学英文科卒。指導教授は中野好夫。旧制府立高校教授を皮切りに旧・東京都立大学講師を経て1952年東京大学教養学部助教授、のち教授。1981年定年退官後、東京大学名誉教授、東海大学教授。1996年春、勲三等旭日中綬章受勲。 専門はシェイクスピア及び現代英文学。現代英文学の研究対象はチャールズ・ディケンズ、ロバート・ルイス・スティーヴンソン、D・H・ロレンス、T・S・エリオット、サマセット・モーム、オルダス・ハクスリー、ジョゼフ・コンラッド、キャサリン・マンスフィールド等多岐に渡る。
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小栗 浩(おぐり ひろし、1920年5月22日 ‐ 2020… 小栗 浩(おぐり ひろし、1920年5月22日 ‐ 2020年10月10日)は、日本のドイツ文学者。文学博士(北海道大学・論文博士・1968年)。東北大学名誉教授。 北海道函館市生まれ。弟はフランス史学者の小栗了之。小樽中学校(4年修了)、弘前高等学校を経て、1941年東京帝国大学文学部独文科卒業。1946年、松本高等学校講師、教授。1948年、北海道大学法文学部助教授。1959年から1960年にかけてヨーロッパに留学し、1964年、北海道大学文学部教授。1968年、「「西東詩集」研究 その愛を中心として」により、文学博士(北海道大学)の学位を取得。1973年、東北大学教授、1984年定年退官、名誉教授、日本大学文理学部教授となり、1990年に定年退任。
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前野 直彬(まえの なおあき、1920年5月18日 - 19… 前野 直彬(まえの なおあき、1920年5月18日 - 1998年2月5日)は、日本の中国文学者。東京大学文学部名誉教授。多くの漢詩研究・注解を出版した。 1920年、東京生まれ。東京帝国大学文学部中国文学科で学び、1947年に卒業。大学院は京都大学大学院中国文学専攻に移り、1952年に修了。 1976年、学位論文『中国小説史考』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1976年から1977年まで外務省特別研究員として中国に滞在。帰国後は、名古屋大学講師に就いた。東京教育大学助教授を経て、東京大学文学部中国文学科の教授をつとめた。1981年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。
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塚原 亮一(つかはら りょういち、1920年5月15日 - … 塚原 亮一(つかはら りょういち、1920年5月15日 - 1993年4月24日)は、日本の児童文学者、翻訳家。 東京生まれ。1944年早稲田大学文学部仏文科卒。中国に出征、帰国後児童文学の翻訳・研究に従事する。国立音楽大学教授。日本児童文学学会、日本児童文学者協会理事。 父は童話作家の塚原健二郎。息子はフランス文学者の塚原史。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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山下 肇(やました はじめ、1920年5月2日 - 2008… 山下 肇(やました はじめ、1920年5月2日 - 2008年10月6日)は、日本のドイツ文学者、東京大学教養学部名誉教授。 現在の東京都目黒区下目黒に生まれる[要出典]。幼少期に時習学館で戸田城聖の教えを受ける。府立高等学校在学中、学生歌『青春という』を作詞した。[要出典]1942年9月に東京帝国大学文学部独文科を繰り上げ卒業し、陸軍に[要出典]入隊して出征した。 第二次世界大戦後に軍隊から復員し、旧制浦和高等学校教授ののち、1950年東京大学教養学部ドイツ語助教授となる。のち教授に昇進し、1969年から評議員に就任して、1971年 - 1972年には教養学部長を務めた。1981年に定年退官して、名誉教授となる。
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大原 恆一(おおはら こういち、1920年(大正9年)4月1… 大原 恆一(おおはら こういち、1920年(大正9年)4月18日- 1998年(平成10年)7月20日)は、日本のロシア文学者、評論家、翻訳家、実業家。本名は大原嘉蔵。 太平洋戦争後の冷戦期、ソヴィエト社会主義共和国連邦のモスクワ大学に初めて留学した日本人の一人である。 帝政ロシア時代の詩人ニコライ・ネクラーソフの研究、翻訳において日本の第一人者である。ネクラーソフの叙事詩『だれにロシアは住みよいか』(原題Кому на Руси жить хорошо)を日本で初めて翻訳出版した。 作家の佐多稲子によると、佐多と大原とは昭和16年頃からの知り合いで、その時大原は、法政大学の学生であった。福岡の大きな材木店の、あるいはそのときから店主だったのかもしれない。
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内村 剛介(うちむら ごうすけ、1920年3月18日 - 2… 内村 剛介(うちむら ごうすけ、1920年3月18日 - 2009年1月30日)は、日本のロシア文学者、評論家。文芸誌『(第2次)同時代』同人。本名、内藤操。 栃木県那須郡境村大字大木須(烏山町を経て現・那須烏山市大木須)で零落した百姓の次男として生まれる。中学進学を断念させられて自らの意志で、1934年高等小学校卒業と同時に満州に渡る。満鉄育成学校に入学したのち、転校先の旧制大連第二中学校を経て、1940年ハルピン学院に入学してロシア語を学び、1943年同校を繰上卒業。同年、結婚するも束の間のうちに関東軍総司令部へ徴用される。 敗戦後の混乱の中でソ連のゲー・ペー・ウーにスパイ容疑で逮捕された後、イルクーツクやモスクワの監獄(ラーゲリ)につながれて11年余りの長きにわたって独房生活を送った。
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柳生 直行(やぎゅう なおゆき、1920年3月1日 - 19… 柳生 直行(やぎゅう なおゆき、1920年3月1日 - 1986年9月3日)は、日本の英文学者、キリスト教学者、翻訳家。 横浜市保土ヶ谷生まれ。父の柳生光異は茅ヶ崎湧泉教会の牧師。1933年(昭和8年)、湧泉教会でキリスト教の洗礼を受ける。 1941年、大阪外国語学校を卒業。東京文理科大学英文科卒。米国コロンビア大学に留学。関東学院大学教授、文学部長、関東学院長を歴任。C・S・ルイス、ジョン・バニヤンなどキリスト教文学者を研究した。 また、湧泉教会の牧師としても活動した。
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中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 -… 中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 - 1997年4月22日)は日本の教育者、政治家、文学者。元衆議院議員(日本共産党公認、3期)。柔道7段。 秋田県秋田市出身。秋田市立川尻小学校を経て秋田市商業学校(現秋田市立秋田商業高等学校)卒業。京都の紡績工場に勤務後、立正大学高等師範科卒業。 戦後は秋田市立高等学校の教師を経て、1951年に教職を辞し秋田市会議員選挙に日本社会党再建派から出馬。この時は落選するものの4年後に秋田市議となり2期務める。初出馬の際に推薦されたことから共産党との縁ができ、市議在任中の1961年12月に日本共産党に入党。1963年から秋田県議3期を経て、1972年に行われた第33回衆議院議員総選挙の秋田県第1区に、日本共産党から立候補し初当選を果たす。
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尾形 仂(おがた つとむ、1920年1月28日 - 2009… 尾形 仂(おがた つとむ、1920年1月28日 - 2009年3月26日)は、日本の国文学者。
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甲田 和衛(こうだ かずえ、1920年1月16日 - 199… 甲田 和衛(こうだ かずえ、1920年1月16日 - 1993年9月23日)は、日本の人文学者。大阪大学名誉教授。放送大学元学長。 大阪府出身。旧制東京高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学。社会学科で社会学を専攻し、1942年9月に卒業。1944年、蒙古聯合自治政府領張家口で西北研究所が設立されると所員となった。 1951年6月、大阪大学文学部助教授に就いた。1966年4月、大阪大学文学部教授に昇格。1972年5月からは大阪大学人間科学部教授。1976年5月からは大阪大学人間科学部長もつとめた。1983年、大阪大学を定年退職し、名誉教授となった。同1983年4月からは放送大学教授として教鞭をとった。
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岩瀬 孝(いわせ こう、1920年1月7日- 2002年1月… 岩瀬 孝(いわせ こう、1920年1月7日- 2002年1月26日)は、日本のフランス文学者、演劇評論家、早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。父は不二サッシ会長を務めた岩瀬悌。早稲田大学文学部仏文科卒。昭和25年(1950年)フランスのアンジェー・カトリック大学に留学の後、パリ大学文学部博士課程第一年度修了。フランス演劇の翻訳、演劇評論で活躍し、早大文学部助教授、教授、1990年定年退職、名誉教授。長女の夫・安川壮一は安川第五郎の孫。
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長南 実(ちょうなん みのる、1920年 - 2007年)は… 長南 実(ちょうなん みのる、1920年 - 2007年)は、日本のスペイン文学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。 東京外国語大学に入学して会田由に師事。卒業後は天理大学助教授に就いた。その後、母校である東京外国語大学教授となった。大学でスペイン語を教授するとともに、多くの翻訳を手掛けた。
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河原 忠彦(かわはら ただひこ、1920年 - 2021年7… 河原 忠彦(かわはら ただひこ、1920年 - 2021年7月10日[要出典])は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。息子は西洋中世史研究者の河原温。 第一高等学校から1949年東大独文科卒。横浜国立大学講師、1953年東大教養学部助教授、教授。1981年定年退官、名誉教授。明治大学教授を務め、1991年退職。100歳で死去。[要出典] この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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大橋 健三郎(おおはし けんざぶろう、1919年12月18日… 大橋 健三郎(おおはし けんざぶろう、1919年12月18日 - 2014年4月22日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 京都市中京の呉服卸商の家に生まれる。1937年(昭和12年)、京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校・附属中学校)を卒業し、東京外国語学校英語科入学) 1941年、東北帝国大学英文科に入学。土居光知に師事し、阿部次郎、小宮豊隆の教えを受けて夏目漱石に傾倒するが、戦争のため二年で繰上げ卒業、海軍予備学生、予備士官として各地を転々とする。 戦後、仙台工業専門学校(現仙台高等工業学校)教授。1948年(昭和23年)、横浜市立経済専門学校教授、また横浜市立大学助教授。
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吉村 博次(よしむら ひろつぐ、1919年10月28日 - … 吉村 博次(よしむら ひろつぐ、1919年10月28日 - 1999年4月14日)は、日本のドイツ文学者。同志社大学名誉教授。 山梨県出身。1944年東京帝国大学文学部卒。戦後同志社大学経済学部教授、1985年定年、名誉教授。専攻は、ドイツ文学・哲学。1999年、肺炎のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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倉橋 健(くらはし たけし、1919年10月11日 - 20… 倉橋 健(くらはし たけし、1919年10月11日 - 2000年5月17日)は、日本の英文学者、演劇評論家、演出家。早稲田大学名誉教授。本名の読みは「けん」。 日本統治時代の朝鮮京城で出生後、現在の長野県飯山市で育つ。弟の倉橋潔は化学者(大阪大学名誉教授)。1941年早稲田大学英文学科卒。応召、1947年復員、1949年ワシントン州立大学留学、帰国後は早稲田大学文学部助手、講師、助教授、1958年教授。1970年から1989年まで早稲田大学演劇博物館館長。1988年から1990年まで日本演劇学会会長。1990年定年退任、名誉教授。1983年秋、紫綬褒章受勲。 アーサー・ミラーなどの翻訳だけでなく、劇団青俳に参加し安部公房の戯曲『どれい狩り』『快速船』の舞台演出を担当した。
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竹岡 正夫(たけおか まさお、1919年9月20日 - 19… 竹岡 正夫(たけおか まさお、1919年9月20日 - 1985年12月10日)は、日本の国文学者・国語学者。香川大学名誉教授。 京都府亀岡市出身。京都府師範学校、東京高等師範学校卒、1945年9月東京文理科大学国文科卒。1967年「富士谷成章の学説についての研究」で東京教育大学文学博士。 京都府第三中学校教諭、京都府立亀岡高等学校教諭、香川大学学芸学部助教授、1969年教育学部教授、1982年定年退官、名誉教授、大谷女子大学教授。子に考古学者の竹岡俊樹がいる。
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志村 士郎(しむら しろう、1919年7月23日 - 200… 志村 士郎(しむら しろう、1919年7月23日 - 2001年5月29日)は、日本の国文学者。 東京生まれ。1947年東京文理科大学国文科卒。昭和女子大学短期大学部教授、秋草学園短期大学教授。鎌倉時代前期の文芸が専門。 2001年5月29日、心不全のため死去。
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山口 四郎(やまぐち しろう、1919年6月22日 - 20… 山口 四郎(やまぐち しろう、1919年6月22日 - 2008年12月30日)は、ドイツ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。1976年に第49回オール読物新人賞を受賞した山口四郎は別人。 東京生まれ。東京帝国大学独文科卒。第五高等学校教授、第四高等学校教授、戦後東京学芸大学助教授、中央大学文学部助教授、教授。1990年定年退任、名誉教授。ゲーテ、ヘッセなどの詩の韻律研究を専門としたが、ドイツ児童文学の多くの翻訳をおこなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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石原 清志(いしはら きよし、1919年6月18日 - 19… 石原 清志(いしはら きよし、1919年6月18日 - 1999年12月21日)は、日本の国文学者。 岡山県岡山市生まれ。1943年京城帝国大学法文学部卒。1963年大阪市立大学大学院博士課程満期退学。1980年「釈教歌の研究」で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。龍谷大学文学部助教授、教授、1988年退任、名誉教授、神戸女子大学教授。中世和歌が専門。 1999年、脳内出血のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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安川 定男(やすかわ さだお、1919年6月17日 - 20… 安川 定男(やすかわ さだお、1919年6月17日 - 2007年1月14日)は、国文学者、中央大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。
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西垣 脩(にしがき しゅう、1919年5月19日 - 197… 西垣 脩(にしがき しゅう、1919年5月19日 - 1978年8月1日)は、俳人、国文学者。 大阪市東区住吉町に生まれる。帝塚山学院小学校から大阪府立旧制住吉中学校(現在の大阪府立住吉高等学校)に進む。1937年、旧制松山高等学校(現在の愛媛大学)に入学。このとき、教授の一人川本臥風の指導を受け、松山高校俳句会で活躍。1940年に松山高校を卒業して東京帝国大学文学部国文科に入学。在学中は臼田亜浪に学び、二五会において大野林火、中村草田男、加藤楸邨らと句作に励んだ。1942年、大学を繰上卒業して出征するも、病気入院中に所属部隊がサイパンで玉砕し、九死に一生を得る。 復員後、帝塚山学院女学部教諭、東京都立武蔵丘高等学校教諭を経て、1954年に明治大学助教授。
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宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6… 宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6月20日)は、日本の詩人・評論家・仏文学者・翻訳家。本名は古賀 照一(こが てるいち)。法政大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 福岡県遠賀郡戸畑町(後の北九州市戸畑区)に生まれる。天籟寺小学校、戸畑小学校、宮崎第二小学校、宮崎中学(現・宮崎県立宮崎大宮高等学校)、小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)を経て上京。旧制一高を卒業後、1942年、東京帝国大学哲学科に入学した。1945年4月、召集により横須賀海兵隊に入隊したが、精神錯乱を装い除隊というエピソードもある。 同年5月25日の東京大空襲により、母を亡くす。母と一緒に逃げ込んだ墓地の中で炎に取り囲まれた彼が「炎の一本道」(『絆――ドキュメント・わが母』)を通って脱出しようと走り去った時、母が転倒。
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斎藤 義光(さいとう よしみつ、1919年4月23日 - 1… 斎藤 義光(さいとう よしみつ、1919年4月23日 - 1997年4月20日)は、日本の国文学者。 北海道生まれ。東京文理科大学国文科卒。東京都立白鷗高等学校教諭、小山台高等学校校長。大妻女子大学教授。1990年定年退任、名誉教授。
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店村 新次(たなむら しんじ、1919年3月3日 - 199… 店村 新次(たなむら しんじ、1919年3月3日 - 1991年8月20日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。同志社大学名誉教授。 フランス文学のほか、音楽関係の翻訳が多い。 満洲奉天生まれ。1941年東京外国語学校フランス語科卒。大日本航空に入りシンガポールで終戦を迎え抑留ののち復員。京都府立第三中学校(のち京都府立山城高等学校)教諭) 1950年天理大学助教授) 1953年同志社大学商学部助教授、教授。1983年「ロジェ・マルタン・デュ・ガール研究」で京都大学文学博士。1985年定年退任、聖隷学園聖泉短期大学教授。1991年8月20日、大腸癌のため死去。
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松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 20… 松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 2007年11月9日)は、フランス文学者、東京大学名誉教授。 父の任地、現在の青森県弘前市に生まれ、翌年東京に移転。第一高等学校理科から、1941年東京帝国大学理学部物理学科を繰り上げ卒業、1942年同地震研究所助手、1943年同文学部仏文科に入学し、1946年卒業。大学院研究生を経て1951年中央大学助教授、1954年東京大学教養学部助教授、1967年教授、1979年定年退官、名誉教授。上智大学教授を務め1984年退職。1981年から1985年まで日本フランス語フランス文学会会長、1984年フランス政府より教育功労章を授与される。1992年勲三等旭日中綬章。
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城山 良彦(しろやま よしひこ、1919年2月25日 - 1… 城山 良彦(しろやま よしひこ、1919年2月25日 - 1996年3月29日)は、日本のドイツ文学者。 広島県出身。1943年東京帝国大学文学部独文科卒。学習院大学助教授、東京都立大学 (1949-2011)教授、1982年定年退官、日本大学教授。カフカを研究した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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今井 源衛(いまい げんえ、1919年2月16日 - 200… 今井 源衛(いまい げんえ、1919年2月16日 - 2004年8月12日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(九州大学・論文博士・1971年)(学位論文「王朝文学の研究」)。九州大学名誉教授、梅光女学院大学名誉教授。1989年勲二等瑞宝章受章。 三重県四日市市に生まれる。1943年第一高等学校卒業、1947年東京大学国文科卒業、大学院進学、高校教師を経て、1953年清泉女子大学助教授、1956年九州大学助教授、1971年「王朝文学の研究」で、九州大学より文学博士の学位を取得、教授昇任。1978年文学部学部長、1982年定年退官、梅光女学院大学教授。1989年勲二等瑞宝章受章。 『源氏物語』をはじめ、王朝物語研究における一方の雄だが、日本古典のレズビアン物語とされる『我身にたどる姫君』の訳註を行ったり、論文「女の書く物語はレイプからはじまる」(『王朝の物語と漢詩文』収録)で、『源氏』などのセックスの多くは強姦であると論じて、三田村雅子らの反論を呼んだ、大胆さをもった研究者であった。
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秋山 澄夫(あきやま すみお、1919年2月10日 - 19… 秋山 澄夫(あきやま すみお、1919年2月10日 - 1993年7月12日)は、日本のフランス文学者。早稲田大学名誉教授。 マラルメ、シュールレアリスムなどを研究した。 岡山県生まれ。早稲田大学仏文科卒。早稲田大学教養部助教授、教授。1989年に定年退任、名誉教授。
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小原 元(おはら げん、1919年(大正8年)2月1日 - … 小原 元(おはら げん、1919年(大正8年)2月1日 - 1975年(昭和50年)4月30日)は、日本の文芸評論家、国文学者。元法政大学教授。 1919年(大正8年)2月1日、朝鮮に生まれる。法政大学を卒業する。 戦後一時期は新日本文学会の事務局に勤めていた。その後、リアリズム研究会の結成に参画する。 1962年(昭和37年)に法政大学教授に就任する。小林多喜二、中野重治、宮本百合子らのプロレタリア文学の研究を中心に、森鷗外や樋口一葉らの明治期の文学も研究する。 1975年(昭和50年)4月30日に死去、56歳。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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大久保 正(おおくぼ ただし、1919年 - 1980年9月… 大久保 正(おおくぼ ただし、1919年 - 1980年9月)は、日本の国文学者、万葉学者。上代文学が専門。 1943年、東京帝国大学国文科卒。東京外国語大学助教授、北海道大学教授、国文学研究資料館教授。在職中に逝去。
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原田憲雄(はらだ のりお/けんゆう、1919年 - )は、日… 原田憲雄(はらだ のりお/けんゆう、1919年 - )は、日本の詩人、歌人、中国文学者。弟は歌人の原田禹雄。 京都市の日蓮宗・妙徳寺の生まれ。1941年龍谷大学文学部卒、尾上柴舟門下の歌人となる。1953年雑誌『方向』を発刊。漢詩を軸に古典中国文学を多く翻訳。 唐代詩人の『李賀研究』を、個人雑誌で拠点に発刊、長年かけその作品を全訳注解した『李賀歌詩編』で、日本翻訳文化賞を1999年に受賞した。
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田中 隆尚(たなか たかひさ、1918年12月7日 - 20… 田中 隆尚(たなか たかひさ、1918年12月7日 - 2002年10月21日)は、歌人、ギリシャ文学者。 山口県豊浦郡長府町(現下関市)生まれ。1947年東京帝国大学文学部卒。群馬大学教養部にてドイツ語教授を務めた。歌人としては斎藤茂吉に師事し、1957年文芸誌「ももんが」を創刊、主宰。独学でギリシャ語を習得し、ギリシアやイタリアで日本の歴史や上代文化について講演活動を行った。1991年11月、ギリシャ政府のフェニックス勲章を受章。
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鵜月 洋(うづき ひろし、1918年〈大正7年〉11月29日… 鵜月 洋(うづき ひろし、1918年〈大正7年〉11月29日 - 1965年〈昭和40年〉6月12日)は、日本の国文学者。専門は、近世日本文学及び宣伝・広告文。 1918年11月29日、千葉県銚子市に生まれる。 第二早稲田高等学院を経て、1939年4月1日、旧制早稲田大学文学部文学科国文学専攻に入学。学徒出陣のため、1941年12月25日に繰り上げ卒業となる。卒業論文は暉峻康隆の指導の下、江戸戯作(洒落本)をテーマとし、成績優秀だったため優等賞を受けた。 1942年4月1日に早稲田大学大学院に入学。同年9月27日には論文「近世後期写実小説の研究」に教職員賞が与えられた。同年9月の城右高等女学校教諭、1944年9月から日本文学報国会主事となる。
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長谷 章久(はせ あきひさ、1918年〈大正7年〉11月28… 長谷 章久(はせ あきひさ、1918年〈大正7年〉11月28日 - 1985年〈昭和60年〉10月25日)は、国文学者。 東京生まれ。1942年東京帝国大学文学部国文科卒。1947年同大学院(旧制)修了、埼玉大学助教授、教授、1962年「仮作物語の享受に関する研究」で東京大学文学博士。1981年埼玉大学を定年退官、名誉教授、放送大学教授、埼玉教育センター長。日本風土文学会会長を務めた。自ら写真を撮り、啓蒙的な書物を多く著した。
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清水 孝之(しみず たかゆき、1918年11月5日 - 19… 清水 孝之(しみず たかゆき、1918年11月5日 - 1994年3月1日)は、日本の国文学者。愛知県三河地方の小中高校の校歌を数多く作詞した。 1918年、愛知県岡崎市で生まれた。1936年、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)を卒業。東京帝国大学文学部国文科に進み、1941年に卒業。 卒業後は、愛知第二師範学校講師に就いた。その後、安城女子専門学校(現・愛知学泉短期大学)講師。1951年、広島女子短期大学助教授となった。次いで高知女子大学助教授。1962年、学位論文『蕪村は画家か俳人か:その俳諧史的研究』を大阪大学に提出して文学博士号を取得。愛知県立芸術大学教授となり、在任中は同附属図書館長も務めた。
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横川 文雄(よこかわ ふみお、1918年10月11日 - 2… 横川 文雄(よこかわ ふみお、1918年10月11日 - 2000年4月13日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。上智大学名誉教授。専門はドイツ・ロマン派、特にアイヒェンドルフ。 東京市本郷区(現文京区)湯島天神生まれ。1936年青山学院中等部卒業、1940年東京外国語学校ドイツ語科卒業、1942年上智大学文学部独文科卒業。同年駐日ドイツ大使館勤務、1944年 - 1945年ジャワ、スラバヤに勤務。1946年上智大学カトリック辞典編纂室勤務、1950年同図書館副館長、1953年同外国語学部ドイツ語学科講師、1962年同助教授、1966年同教授、1968年 - 1969年同学部長。1979年定年退職、名誉教授。
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小沼 丹(おぬま たん、1918年〈大正7年〉9月9日 - … 小沼 丹(おぬま たん、1918年〈大正7年〉9月9日 - 1996年〈平成8年〉11月8日)は、日本の小説家、英文学者。位階は従四位。本名は小沼 救(おぬま はじめ)。日本芸術院会員。 「大寺さんもの」など、日常を題材とした小説のほか、随筆の名手としても知られる。また、英文学者としても知られており、早稲田大学では文学部教授として教鞭を執った。 東京府東京市下谷区下谷町に父邁(すぐれ)、母涙子(るいこ)の長男として生まれる。明治学院中学部、高等学部英文科を経て、1942年(昭和17年)に、早稲田大学文学部英文科を卒業した。後年、1958年(昭和33年)から、母校早稲田大学文学部で教授を務めている。
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原田 義人(はらだ よしと、1918年〈大正7年〉8月5日 … 原田 義人(はらだ よしと、1918年〈大正7年〉8月5日 - 1960年〈昭和35年〉8月1日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。元東京大学教養学部教授。 東京生れ。1942年、東京帝国大学独文科卒業。在学中から新演劇研究会に参加、『亭主学校』では自らも舞台に立った。卒業後、応召。 戦後、俳優としてNHKに出演したこともある。復員して東大独文科助手ののち、1950年、東大教養学部助教授。1954年、ハンブルク大学日本語講師として渡独、ヨーロッパ各地を回り1956年帰国。同人雑誌「方舟」の編集長を務め、評論家・ドイツ文学者として翻訳にも健筆を振るい、将来を嘱望されたが1960年7月、教授昇任の後の8月、42歳の誕生日直前に死去。
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宇治谷 孟(うじたに つとむ、1918年8月5日 - 199… 宇治谷 孟(うじたに つとむ、1918年8月5日 - 1992年11月5日)は、日本の歴史学者・国文学者。はじめて『日本書紀』の現代語訳を行ったほか、『続日本紀』の現代語訳も担当した。 1918年京都府生まれ。1941年に法政大学国漢科を、1943年に早稲田大学文学部を、1952年に立命館大学経済学部をそれぞれ卒業。清風高校等、幾つかの高校で教師を務めた後、最終的に滋賀文教短期大学教授および奈良芸術短期大学講師に就任。 早稲田大学在学中、歌人・国文学者の窪田空穂の授業を受けていた際、師の「日本の歴史を普通の人にも正しく理解してもらうために、『日本書紀』や『続日本記』を易しい現代語訳に訳したいが、自分にはその時間がない。
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宮崎 孝一(みやざき こういち、1918年〈大正7年〉7月2… 宮崎 孝一(みやざき こういち、1918年〈大正7年〉7月21日 - 2008年〈平成20年〉8月31日)は、日本の英文学者。 群馬県吾妻郡沢田村(現・中之条町)出身。1938年群馬師範学校卒業。東京高等師範学校を経て、1943年東京文理科大学英文科卒業。1950年コロラド大学へ留学し、文学修士取得。1970年ロンドン大学に留学。1973年「ディケンズ後期の小説の内面構造」で東京教育大学文学博士。 1946年桐生工業専門学校嘱託を経て、1949年から群馬大学助教授。1952年日本女子大学助教授となる。1956年成城大学助教授を経て、1961年同教授。1985-91年学長、名誉教授。専門は18-19世紀の英国小説。
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太田 善麿(おおた よしまろ、1918年7月13日 - 19… 太田 善麿(おおた よしまろ、1918年7月13日 - 1997年1月31日)は、日本の国文学者。東京学芸大学名誉教授。上代文学・近世国学が専門。 東京府出身。東京帝国大学文学部国文科卒。東京学芸大学助教授、1966年同教授、1973年同学長。1982年定年退官、同名誉教授、上智大学教授。 「古代日本文学思潮論」により1967年日本学士院賞受賞。妻の父は辻善之助。
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松本 旭(まつもと あさひ、1918年6月29日 - 201… 松本 旭(まつもと あさひ、1918年6月29日 - 2015年10月30日)は、日本の俳人、俳句研究家、国文学者、作詞家。埼玉大学名誉教授、城西大学女子短期大学部教授。従四位。 埼玉県大石村(現・上尾市)出身。本名の読みは「あきら」。東京文理科大学卒業後、埼玉県立浦和高等学校で教鞭を執った。埼玉大学教育学部助教授、教授、1972年から1975年まで埼玉大学教育学部附属小学校校長兼任。1983年定年退官、名誉教授、城西大学女子短期大学部教授。 加藤楸邨、角川源義に師事して俳句を詠み、1978年俳誌『橘』を創刊、主宰。妻も俳人の松本翠。「村上鬼城研究」で俳人協会評論賞受賞。連歌・近代俳句の研究家でもあった。
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原 亨吉(はら こうきち、1918年6月21日 - 2012… 原 亨吉(はら こうきち、1918年6月21日 - 2012年3月20日)は、日本の数学史家、フランス文学者、翻訳家。大阪大学名誉教授。 フランス科学思想史、近世ヨーロッパ数学史を専攻し、ルネ・デカルト、ケプラー、ホイヘンス、ロベルヴァル、ライプニッツを軸に研究論文・翻訳を行い、フランス語教育にも長くたずさわった。若き日はスタンダール、アラン、ヴァレリーらの翻訳も行った。 京都市出身。姫路市に育つ。第一高等学校理科乙類を経て、1938年京都帝国大学哲学科入学、1940年退学し1942年東京帝国大学仏文科卒業。1942年入営し少尉で敗戦、1945年8月20日中尉(いわゆるポツダム中尉)で除隊、1947年同志社女子専門学校教授、1949年関東学院大学経済学部助教授。
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村松 定孝(むらまつ さだたか、1918年6月17日 - 2… 村松 定孝(むらまつ さだたか、1918年6月17日 - 2007年10月5日)は、日本の国文学者。上智大学名誉教授。専門は近代文学。長男は名城大学人間学部教授の村松定史。 山梨県西八代郡市川大門町(現在の市川三郷町)生まれ。1941年、早稲田大学国文科卒。泉鏡花に心酔し、卒業論文の段階から鏡花本人を訪ね、親しく話を聞いた。戦争をはさんで、1949年、早稲田大学大学院博士課程修了、獨協学園高校教諭、1957年昭和女子大学講師、1960年助教授、教授を経て、1968年、上智大学教授、1989年に定年退職。 鏡花研究の権威で、その著書『泉鏡花』は何度も改訂再版されている。ほかに樋口一葉など女性作家も扱い、実証的な手法での研究で知られる。
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山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1918年6月5日 - 20… 山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1918年6月5日 - 2019年1月31日)は、英文学者、実践女子大学名誉教授。 東京で童話作家・横山寿篤、横山美智子の長女として生まれる。1936年3月に女子学院卒業、1940年3月に東京女子大学英文科卒業、1942年3月に早稲田大学英文科業卒。早稲田大学文学部大学院に1年間在籍。1944年4月に啓明学園女学校で英語教師になった後の同年10月から1947年4月まで朝日新聞東京本社に勤める。英国文化振興会の奨学金を利用して1952年7月から1953年10月までリヴァプール大学大学院に留学。 1954年4月、東京女子大学講師。 1957年4月、女子美術大学講師。 1958年4月、実践女子学園短期大学講師。
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大嶋 正(おおしま ただし、1918年(大正7年)4月11日… 大嶋 正(おおしま ただし、1918年(大正7年)4月11日 - 1984年(昭和59年)3月3日)は、スペイン文学者、同志社大学商学部教授。専攻はスペイン古典文学。 福井県福井市出身。1940年、東京外国語学校スペイン語部文科を卒業する。日本郵船社員、都新聞記者などを経て、1962年に同志社大学商学部助教授となる。 1966年、給与所得者は過重な税負担を課せられているとして「サラリーマン税金訴訟」を起こした。一、二審で敗れ、1984年3月3日、最高裁上告中にS状結腸癌により死去。享年65歳。 1975年、『魔女セレスティナ』で第12回日本翻訳文化賞を受賞する。
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田中 裕(たなか ゆたか、1918年3月28日-2017年1… 田中 裕(たなか ゆたか、1918年3月28日-2017年1月19日)は、日本の国文学者。文学博士(大阪大学・論文博士・1962年)(学位論文「中世文学論的研究」)。大阪大学名誉教授。中世文学が専門。 福岡県甘木市(現朝倉市)出身。第三高等学校を経て1942年1月京都帝国大学文学部を繰上げ卒業。のち京都一中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)教諭、甲南高等学校(旧制)教授、1950年大阪大学文学部助教授、1962年「中世文学論的研究」で大阪大学より文学博士の学位を取得。1964年教授。1981年定年退官、名誉教授、南山大学教授、梅花女子大学教授。1989年退職。
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福永 武彦(ふくなが たけひこ、1918年(大正7年)3月1… 福永 武彦(ふくなが たけひこ、1918年(大正7年)3月19日 - 1979年(昭和54年)8月13日)は、日本の小説家、詩人、フランス文学者。
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