平石 善司(ひらいし よしもり、1912年 - 2006年3… 平石 善司(ひらいし よしもり、1912年 - 2006年3月20日)は、日本の哲学研究者、同志社大学名誉教授。 同志社大学文学部神学科卒業、広島文理科大学哲学科卒業。1961年「フィロンのロゴス論」で広島大学文学博士。同志社大学助教授、教授、1982年定年退任、名誉教授。
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平石 善司(ひらいし よしもり、1912年 - 2006年3… 平石 善司(ひらいし よしもり、1912年 - 2006年3月20日)は、日本の哲学研究者、同志社大学名誉教授。 同志社大学文学部神学科卒業、広島文理科大学哲学科卒業。1961年「フィロンのロゴス論」で広島大学文学博士。同志社大学助教授、教授、1982年定年退任、名誉教授。
大谷長(おおたに まさる、1911年 <明治44年> 10月… 大谷長(おおたに まさる、1911年 <明治44年> 10月19日-1999年 <平成11年> 12月1日)は、日本のキェルケゴール研究者。位階は正四位。 京都市出身。1936年東京帝国大学文学部哲学科卒、1940年京都帝国大学大学院修了。1962年「キエルケゴールに於ける授受の弁証法」で京都大学文学博士。大阪外国語大学助教授、61年教授(デンマーク語)。77年定年退官、名誉教授、大阪樟蔭女子大学教授。1964年第一回田辺賞受賞。デンマーク・ダンネプロ・ナイト勲爵士。初期には西辺利仙の名で小説も書いた。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
玉村 竹二(たまむら たけじ、1911年10月9日 - 20… 玉村 竹二(たまむら たけじ、1911年10月9日 - 2003年11月11日)は、禅宗の研究者、東京大学史料編纂所教授であった。
木村 宗男(きむら むねお、1911年9月6日 - 2005… 木村 宗男(きむら むねお、1911年9月6日 - 2005年)は、日本語教育の研究者、実践者。早稲田大学名誉教授。
牧瀬 菊枝(まきせ きくえ、1911年9月3日 - 1997… 牧瀬 菊枝(まきせ きくえ、1911年9月3日 - 1997年)は、昭和期に活動した女性史研究者、生活記録運動家。旧姓島崎。 1911年(明治44年)に生まれる。1932年(昭和7年)、実践女子専門学校(現在の実践女子大学)を卒業。同年岩波書店に入社し、1940年(昭和15年)まで勤務する。1937年(昭和12年)に牧瀬恒二と結婚。戦後に、生活記録運動や思想の科学研究会の活動に参加し、聞き書きの手法で庶民生活の歴史を発掘した。 1911年(明治44年)9月3日、静岡県富士市の禅寺に生まれる。実践女子専門学校国文科に進むが、良妻賢母の養成を旨とする校風にはなじめなかったという。1932年(昭和7年)に実践女子専門学校を卒業後、岩波書店に就職し編集者となった。
柳井 深造(やない しんぞう、1911年(明治44年)7月1… 柳井 深造(やない しんぞう、1911年(明治44年)7月16日- 没年不詳)は、陸上選手であり研究者でもある。川崎重工業研究室長を務め、流体力学の研究で知られる。岡山県出身。 1911年(明治44年)岡山県に生れる。1925年(大正14年)、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。1930年(昭和5年)3月、同校を卒業し、旧制第六高等学校理科乙類へ進学する。1933年(昭和8年)同校を卒業し、京都帝国大学工学部へ進学する。 京大では、陸上部に所属し、1934年(昭和9年)柳井が大学2年生のとき、兵庫県にある甲子園南運動場で行われた第21回全日本陸上競技選手権大会の男子110mハードルでは、15.4秒で準優勝している。
中村 幸彦(なかむら ゆきひこ、1911年7月15日 - 1… 中村 幸彦(なかむら ゆきひこ、1911年7月15日 - 1998年5月7日)は、日本の近世文学研究者。博士(京都大学・1962年)(学位論文『戯作論』)。 兵庫県津名郡由良町(現:洲本市由良3丁目)に父・中村安郎、母・しげの次男として生まれる。旧制洲本中学校、1935年、京都帝国大学文学部国文科卒業。1940年、天理図書館司書となり、京都帝国大学大学院を退学。1949年、天理大学教授、1958年、九州大学文学部教授となる。1962年『戯作論』で京都大学の博士号を取得。1971年、九州大学を退職、関西大学教授に就任。 1981年、『此ほとり一夜四歌仙評釈』で第32回読売文学賞受賞。1982年から『中村幸彦著述集』の刊行開始(1989年7月まで)。
鈴木 桂二(すずき けいじ、1911年6月20日 - 200… 鈴木 桂二(すずき けいじ、1911年6月20日 - 2003年2月2日)は、日本の研究者。工学博士(東京大学、1955年)。専門はテレビジョン工学。映画監督の木下惠介はおじの孫にあたる。 1911年、静岡県浜松市生まれ。1932年、浜松高等工業学校(現:静岡大学工学部)電気学科を卒業。同年4月、日本放送協会名古屋放送局に採用され、同局技術部に勤務する。1937年から1967年の停年まで、放送技術研究所に所属した。 1951年、東名阪マイクロTV中継回線建設プロジェクトを指導した。1960年、ローマオリンピックにおいて、初のTV国際中継を実現した。1964年、東京オリンピックに際し、同年打ち上げられたシンコム3号を利用したアメリカ本土へのTV中継を実現し、NHK会長賞、郵政大臣賞、テレビジョン学会丹羽高柳賞功績賞、IEEEツボリキン賞、紫綬褒章を受ける。
堀川直義(ほりかわ なおよし、1911年〈明治44年〉5月5… 堀川直義(ほりかわ なおよし、1911年〈明治44年〉5月5日 - 2006年〈平成18年〉1月12日)は、日本のマスコミ研究者、成城大学名誉教授。 京都府出身。弟は映画監督の堀川弘通。成城高等学校卒、京都帝国大学文学部哲学科心理学専攻卒、朝日新聞社入社、調査部に勤務しジャーナリズム研究を行い、1961年「新聞における取材と表言に関する科学的研究」で東洋大学より文学博士の学位を取得。のち成城大学教授、文芸学部長、1982年定年退任、名誉教授。1977年日本新聞学会会長。インタビューを「面接」と訳し、「面接博士」と呼ばれた。
何 初彦(が はつひこ、1911年5月4日 - 1997年7… 何 初彦(が はつひこ、1911年5月4日 - 1997年7月19日)は、日本の新聞学研究者、東京大学名誉教授[3]。東京大学新聞研究所所長、上智大学教授などを歴任した[3]。
中原 多代(なかはら たよ、1911年(明治44年)5月 -… 中原 多代(なかはら たよ、1911年(明治44年)5月 - 没年不明)は、日本の声楽家・歌手、発声法の研究者。西洋音楽・邦楽両方の歌唱にわたる研究・実践を行い、その活動が「歌詞を大切にしている声楽家」と評されている。また、日本人の特性を活かす発声法を科学的に研究し、それを生かしたボイストレーニングも行っていた。 1911年5月 横浜に生まれる。 幼少の頃から邦楽の稽古に励む一方で、家には大型オルガン・アップライトピアノ・電蓄があった。また、叔父がヴァイオリンを弾き、叔母が賛美歌を歌う一方、母は箏・三味線と、邦楽・西洋音楽の両方から影響を受けた。 1923年の関東大震災の際、神奈川県立第一高等女学校(現在の神奈川県立横浜平沼高等学校)から文化学院に転校後、同校卒業。
江口 朴郎(えぐち ぼくろう、1911年3月19日 - 19… 江口 朴郎(えぐち ぼくろう、1911年3月19日 - 1989年3月15日)は、日本の西洋史研究者。東京大学名誉教授。元日本学術会議会員、元歴史学研究会委員長。 1911年、佐賀県生まれ。少年時代から神奈川県藤沢町(鵠沼(現・藤沢市鵠沼桜が岡1丁目)に在住。湘南中学校、第一高等学校を経て、1933年東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。同大学院に進んだ。 卒業後は、1934年から外務省に嘱託として勤務。1941年、姫路高等学校教授に就いた。 戦後は鵠沼(現鵠沼橘2丁目)に帰り、1947年に第一高等学校教授となった。この頃、母校の湘南高校の生徒であった江藤淳、石原慎太郎、葉山峻らが出入りしていた。1953年に東京大学教授となった。
杉浦 正一郎(すぎうら しょういちろう、1911年2月9日 … 杉浦 正一郎(すぎうら しょういちろう、1911年2月9日 - 1957年2月23日)は、日本の俳諧研究者。 兵庫県神戸市生まれ。1934年東京帝国大学文学部卒。大阪高等学校の友人と『コギト』を創刊。志田義秀、潁原退蔵に師事して俳諧を研究。天理図書館、千代田女子専門学校、佐賀高等学校、戦後北海道大学助教授、九州大学助教授、同教授。在職中に46歳で死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中山 一郎(なかやま いちろう、1911年 - 1993年)… 中山 一郎(なかやま いちろう、1911年 - 1993年)は、日本の翻訳家、研究者。熊本県出身。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校)、第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。 東大卒業後、南満州鉄道に入社し、調査部などに勤務した。戦後、ソビエト抑留から帰還し、東京大学に勤務、東京大学社会科学研究所図書資料室長などを歴任した。 その傍ら、ロシア語の本の翻訳を行った。
河合 徹(かわい とおる、1911年(明治44年) - 19… 河合 徹(かわい とおる、1911年(明治44年) - 1992年(平成4年))は、日本の政策研究者、地方政治家。 神戸市生まれ、東北帝国大学法文学部出身。在学中から社会問題に関心を持つようになり、1937年、全国農民組合関東出張所書記になる。当時は共産主義は危険思想として治安維持法の取り締まり対象となっていたため、1938年、人民戦線事件に連座して逮捕される。 1939年4月に転向を宣言(偽装転向)することにより、起訴猶予処分で釈放される。その後、友人の紹介で昭和研究会に事務職員として参画する。昭和研究会は近衛文麿のブレーン組織として各界の有識者を集めていたが、一方では革新官僚に代表される社会主義者が多数所属し、国家社会主義的な政策を提唱していた。
池ノ上 容(いけのうえ ひろし、1910年(明治43年)12… 池ノ上 容(いけのうえ ひろし、1910年(明治43年)12月7日 - 2003年(平成15年)4月18日)は、日本の造園研究者。国立公園行政家。千葉大学園芸学部教授を歴任。国立公園創設期から国立公園行政に携わり終生自然公園と共に歩んだ先覚者。鹿児島県生まれ。台湾育ち。 旧制台北高等学校を経て1933年(昭和8年) 東京帝国大学農学部林学科を卒業。1933年(昭和8年) 内務省嘱託となり、衛生局保健課国立公園係に就任。当時内務省に入ったころはまだ国立公園の指定準備が進められている時期で、入省後間もなく中部山岳地域の現地調査に赴き何カ月も北アルプスの山々を歩き回り、5万分の1地形図に記載されている歩道は全て歩いたという。
宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5… 宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5日 - 2008年〈平成20年〉1月7日)は、日本の儒学者・中国哲学研究者・国語学者。 学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1955年)。東京大学名誉教授。尚絅大学名誉学長。國語問題協議會名誉会長。斯文会理事長、日本中国学会理事長、日本会議顧問、スパイ防止法制定促進国民会議議長、世界平和教授アカデミー常任理事、国際勝共連合代表世話人、全国勝共教授団副会長などを歴任。 1910年(明治43年)、宇野哲人の長男として東京に生まれる。1923年(大正12年)に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。1928年(昭和3年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2… 大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2日 - 2016年(平成28年)4月)は、日本の哲学研究者、東京都立大学名誉教授。近世哲学史専攻、ヘーゲル研究者。1970年以来、季刊誌「途上」を刊行。広く思想とキリスト教の諸問題の研究解明にたずさわった。 北海道札幌市生まれ、神奈川県出身。山形高等学校(旧制)卒、1935年東京帝国大学文学部哲学科卒。39年文部省教学局嘱託。41年府立学校教授、召集令状がきて、中国北部に送られたが、語学の才があり、暗号解読など情報の仕事を行った。1946年復員。1949年東京都立大学助教授、1968年教授、1973年定年退官、名誉教授、東洋大学教授、1981年退職。
国崎 望久太郎(くにさき もくたろう、1910年(明治43年… 国崎 望久太郎(くにさき もくたろう、1910年(明治43年)4月21日 - 1989年(平成元年)11月1日)は、日本文学研究者・歌人。立命館大学名誉教授。 福岡県山門郡大和町(現柳川市)生まれ。1931年第七高等学校中退。1936年東洋大学文学部国文科卒、同年7月九州帝国大学法文学部中退、立命館大学専門学部講師、1940年教授、1945年立命館大学予科教授、1947年4月立命館大学法文学部教授、5月退職、6月杉森女子学園講師、1950年福岡県立伝習館高等学校講師、1951年教諭、1953年立命館大学図書館副館長、1955年立命館大学専任講師、1957年教授、1961年 東洋大学文学博士。1966年から1968年まで立命館大学図書館長、1976年定年退任、名誉教授、園田学園女子大学教授。
太田 静一(おおた せいいち、1910年3月5日 - 200… 太田 静一(おおた せいいち、1910年3月5日 - 2003年12月5日)は、日本近代文学研究者。 奈良市生まれ。1933年東京帝国大学文学部支那哲学文学科卒。在学中から創作活動を始め、第11次、12次『新思潮』に参加。平凡社勤務、松山中学校教諭、1946年山口県立女子専門学校教員、50年山口女子短期大学教授、75年定年退任、宇部短期大学教授。『文芸山口』同人。
棚瀬 襄爾(たなせ じょうじ、1910年2月22日 - 19… 棚瀬 襄爾(たなせ じょうじ、1910年2月22日 - 1964年12月10日)は、日本の民族宗教学者・アジア地域研究者。 1910年、岐阜県本巣郡生まれ。旧制大垣中学校(現岐阜県立大垣北高等学校)を経て、第三高等学校文科甲類へ入学。卒業後は東京帝国大学文学部宗教学科に入学し、1934年に卒業、同大学大学院に進んだ。1936年、東京帝国大学大学院を修了。 卒業後は、1938年より千代田女子専門学校教授となった。一方で、1939年2月より東亜研究所所員を兼ね、研究を続けた。1941年2月に応召し、中国へ出征して漢口で終戦を迎えた。 1946年に復員。戦後は、1947年11月より帝国女子専門学校講師。
魚返 善雄(おがえり よしお、1910年1月8日 - 196… 魚返 善雄(おがえり よしお、1910年1月8日 - 1966年3月27日)は、日本の言語学者、中国文学研究者。信濃憂人の別号を持つ。 1910年、大分県玖珠郡北山田村(現・玖珠町)に生まれた。1926年より上海の東亜同文書院に学ぶが、病気のため1929年に中退して帰郷。1933年に文部省検定試験に合格し、英語と支那語の教師資格を取得して東亜学校で教職に就いた。1937年より日華学会理事、NHK嘱託として北京語放送を担当。1939年より東京帝国大学(新制後は東京大学文学部)非常勤講師を27年務めた。戦時中、東京高等師範学校教授。 太平洋戦争後は東洋大学、駒澤大学、東洋大学客員教授として教鞭をとった。
小野 隆祥(おの りゅうしょう、1910年〈明治43年〉 -… 小野 隆祥(おの りゅうしょう、1910年〈明治43年〉 - 1986年〈昭和61年〉)は、日本近代文学研究者。太宰治研究家の小野正文の兄。 青森県下北半島生まれ。旧制青森中学校(現:青森県立青森高等学校)、旧制弘前高等学校を経て、1932年京都帝国大学文学部哲学科を卒業。 1953年、労働者農民党より第26回衆議院議員総選挙に岩手1区から出馬するが、候補者中最下位得票で落選。その後修紅短期大学教授を務めた。
小田切 信男(おだぎり のぶお、1909年9月29日‐198… 小田切 信男(おだぎり のぶお、1909年9月29日‐1982年6月13日)は、キリスト教徒の医師で、信徒伝道者、信徒神学者、聖書研究者。 北海道釧路生まれ。1927年北海道帝国大学医学部入学。同年に洗礼を受け両親が所属していた札幌独立キリスト教会の会員として奉仕活動を始め、札幌市東端のスラムで伝道及び無料診療を行なう(召集を受ける1937年までの10年間)。 1934年北海道帝国大学医学部卒業、附属医院第二内科に入局し結核の研究に従事。太平洋戦争開始の1941年札幌市で医院を開業するも召集と解除の繰り返しの中で終戦を迎え、本格的な開業医としての生活は戦後になる。 1945年終戦により札幌独立キリスト教会の再建に努め礼拝の証詞を担当するなど信徒伝道者としての働きを本格化させる。
小林 静雄(こばやし しずお、1909年(明治42年)9月2… 小林 静雄(こばやし しずお、1909年(明治42年)9月2日 - 1945年(昭和20年)1月24日)は、日本の能楽研究者。研究のみならず能評、さらに新作能の創作など才気にあふれた活動で将来を嘱望されたが、第二次世界大戦で戦死した。 東京世田谷の生まれ。1932年(昭和7年)、早稲田大学文学部国文学科卒業。卒業論文は能作者・観世信光について研究した「観世小次郎信光事蹟考」。これら能作者の研究は後に、代表作『謡曲作者の研究』(1942年(昭和17年))に結実することとなる。大学卒業後から読売新聞・国民新聞などに能評を掲載する一方、大学院在学中の1933年(昭和8年)には『能楽史料・第一輯』を刊行。
片桐 顕智(かたぎり あきのり、1909年8月23日 - 1… 片桐 顕智(かたぎり あきのり、1909年8月23日 - 1970年1月29日)は、日本の歌人、日本文学研究者、文筆家。 長野県野沢温泉村豊郷生まれ。新潟県社会教育課勤務の片桐佐太郎の三男。 旧制新潟高等学校卒、1935年東京帝国大学文学部国文科卒。日本放送協会に勤務、編成局社会部長、ラジオ局文芸部長、芸能局次長、1960年総合放送文化研究所所長。1952年に『NHK短歌』を創刊。 1965年退職、1966年跡見学園女子大学教授。 学生時代に歌誌『真人』に参加。落合直文、斎藤茂吉を研究。日本エッセイストクラブ賞選考委員を務めた。
森 三樹三郎(もり みきさぶろう、1909年8月14日 - … 森 三樹三郎(もり みきさぶろう、1909年8月14日 - 1986年8月29日)は、日本の中国思想研究者。文学博士(大阪大学・論文博士・1962年)。大阪大学名誉教授、佛教大学文学部教授。専門は仏教と老荘思想との関連を軸とした中国哲学史。 京都府舞鶴市生まれ。旧制・大阪府立高津中学校卒、1935年京都帝国大学文学部哲学科支那哲学史専攻を卒業。京都帝国大学副手、東方文化研究所(現京都大学人文科学研究所)を経て、1942年大阪高等学校教授に任命。1950年大阪大学文学部助教授、1962年「上古より漢代に至る性命観の展開」で大阪大学より文学博士の学位を取得。1966年教授、1973年定年退官、名誉教授。
原 光雄(はら みつお、1909年8月5日 - 1996年1… 原 光雄(はら みつお、1909年8月5日 - 1996年10月20日)は、日本の科学論・科学史研究者。 山梨県出身。京都帝国大学理学部卒。1938年川崎重工業に入社。1956年大阪市立大学教授。1972年定年退官、名誉教授、阪南大学教授、1981年退職。 1937年寺田寅彦の物理学研究に対する態度を批判。近代化学史研究を通じて科学の方法論を「自然弁証法の研究」としてまとめた。田辺振太郎とも論争を行った。
朝倉 季雄(あさくら すえお、1909年6月29日 - 20… 朝倉 季雄(あさくら すえお、1909年6月29日 - 2001年4月11日)は、日本の文学研究者、フランス語学者・フランス文学者。 東京生まれ。1922年 東京私立暁星小学校卒業。1927年東京私立暁星中学校卒業、1931年官立東京高等学校文科丙類卒業、1934年 東京帝国大学文学部仏蘭西文学科卒業。母校・暁星小学校の教師となる。1946年日本大学三島予科教授、1949年茨城大学助教授、1953年東京大学教養学部助教授。1959年9月よりNHK教育で始まったテレビフランス語講座の講師となる(1962年まで)。1961年東大教授、1970年定年退官、中央大学経済学部教授。1987年東京大学名誉教授。
伊沢元美(いざわ もとよし、1909年4月8日 - 2004… 伊沢元美(いざわ もとよし、1909年4月8日 - 2004年10月31日)は、日本近代文学研究者。 東京生まれ。1933年東京帝国大学文学部国文科卒。36年同大学院修了(旧制)。島根大学法文学部助教授、教授、1974年定年退官、名誉教授、鶴見大学女子短期大学部教授。主として俳句を研究した。
大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年〈明治42年〉3… 大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年〈明治42年〉3月6日 - 1988年〈昭和63年〉12月25日)は、日本の小説家、評論家、フランス文学の翻訳家・研究者。 東京牛込に生まれた。父は相場師で、社会的身分の変動が激しく、それが自我の目覚めを早熟にしたという。戦前はスタンダールを研究した。フィリピンのミンドロ島での俘虜経験をもとにした『俘虜記』(1948年)で作家の地位を確立。『武蔵野夫人』(1950年)などの恋愛小説の秀作も書くが、その目は一貫して戦争に向けられていた。戦記文学『レイテ戦記』『野火』が代表作である。1972年に日本芸術院会員に推されたが、俘虜の経験を理由に辞退した。 1909年(明治42年)3月6日、 東京市牛込区(現:新宿区)新小川町に父・貞三郎、母・つるの長男として生まれた。
柴田 治三郎(しばた じさぶろう、1909年2月17日 - … 柴田 治三郎(しばた じさぶろう、1909年2月17日 - 1998年7月27日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、東北大学名誉教授。
菊盛 英夫(きくもり ひでお、1909年2月14日 - 20… 菊盛 英夫(きくもり ひでお、1909年2月14日 - 2001年12月12日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、映画・文芸評論家、翻訳家。中央大学教授を歴任。 富山県富山市生まれ。1933年東京帝国大学独文科卒業。1980年まで中央大学教授。 多くの著書、翻訳があり、トーマス・マンを専門とした。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
石塚 太喜治(いしづか たきじ、1908年7月5日 - 19… 石塚 太喜治(いしづか たきじ、1908年7月5日 - 1994年8月8日)は、日本の美術史研究者、美術教育者、洋版画家。太平洋戦争中から戦後にかけて活動した。 千葉県山辺郡東金町(現・東金市)に父・石塚留吉、母・きせの長男として生まれる。生家は鶴牧藩士の出自といわれるが、父の代では瓦屋を営み裕福な家ではなかった。幼少の頃からその才能を見込まれ、教育の機会を得た。 千葉県立成東中学校(現・千葉県立成東高等学校)から第六高等学校文科乙類に進む。中学時代より油絵の制作を始める。六高では独語部に入り、部長の山岡望教授の下で昭和三年度と四年度に委員を務める。東京帝国大学文学部美学美術史学科に進学して1933年3月に卒業した。
辻合 喜代太郎(つじあい きよたろう、1908年6月25日 … 辻合 喜代太郎(つじあい きよたろう、1908年6月25日 - 1993年7月2日)は、服飾史研究者。 大阪府出身。大阪天王寺師範学校卒、関西大学法文学部哲学科卒。1959年「日本上代文様の研究」で関西大学文学博士。大阪市立大学家政学部助教授、教授、京都府立大学教授。72年定年退官、琉球大学教授、帝国女子大学教授。
木村 繁(きむら しげし、1908年5月29日 - 1985… 木村 繁(きむら しげし、1908年5月29日 - 1985年)は、昭和時代日本の作曲家、音楽研究者。 青森県出身。兄は作曲家・民俗音楽収集家の木村弦三。 1908年(明治41年)、弘前市に生まれる。東奥義塾再興後の1回生であり、1933年(昭和8年)に法政大学英文科を卒業した後は小松耕輔、近衛秀麿らの師事を仰ぐ。 1947年(昭和22年)から1969年(昭和44年)まで県立弘前高校の音楽教諭を務める傍ら津軽地方の民謡を採譜・収集し、その成果を合唱曲「津軽の旋律」として1958年(昭和33年)に陸奥新報社より刊行した。作曲家としては元青森県副知事の横山武夫が作詞したものが多く、2代目「青森市民歌」をはじめ県内各地の校歌を数多く手掛けている。
飯島 亮(いいじま りょう、1908年〈明治41年〉4月20… 飯島 亮(いいじま りょう、1908年〈明治41年〉4月20日 - 1990年〈平成2年〉)は、日本の造園家、作庭家、庭園作家、造園研究者、造園指導者、造園教育者。元千葉大学園芸学部教授。農学博士。茨城県龍ケ崎市出身。
岩崎 良三(いわさき りょうぞう、1908年2月16日 - … 岩崎 良三(いわさき りょうぞう、1908年2月16日 - 1976年3月4日)は、日本の英文学・西洋古典学研究者、慶應義塾大学名誉教授。東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒。慶大教授、1974年定年、名誉教授。戸板女子短期大学教授。妻・さくら子は太田秀穂の次女。
高津 春繁(こうづ はるしげ、1908年1月19日 - 19… 高津 春繁(こうづ はるしげ、1908年1月19日 - 1973年5月4日)は、日本の言語学者、比較言語学研究者、古代ギリシア文学研究者。学位は、文学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。東京大学文学部教授、武蔵大学人文学部教授、人文学部長(初代)を歴任。 高津はオックスフォード留学から帰国後まもなく、東京帝国大学(東京大学)においてそれまで福島直四郎(後に改名し辻直四郎)が担当していた印欧語比較文法の講義を始めた。そしてその成果が初めて公にされたのが「印欧語母音変化と Laryngales の発見」(『言語研究』第3号、1939年)である。これは、近代言語学の祖とも言われるフェルディナン・ド・ソシュールが1878年に提唱し、当時は一般には受け入れられなかった印欧比較文法における Laryngales(喉音)理論を詳論したものである。
竹山 謙三郎(たけやま けんざぶろう、1908年 <明治41… 竹山 謙三郎(たけやま けんざぶろう、1908年 <明治41年> 1月8日 - 1986年 <昭和61年> 3月13日)は、日本の建築家、建築構造学、建築防災学の研究者。位階は従四位。 静岡県浜松市出身。1932年に東京帝国大学工学部を卒業。同年大蔵省営繕管財局に嘱託技師として入局。1945年工学博士(東大、木構造)。1946年、戦災復興院第二技術研究所技師、建設省建築研究所、1955年、同所長。1961年に退職。東京都立大学教授。1963年、鹿島建設技術研究所4代目所長に就任、1966年、所内に電子計算センターを新設し日本初の超高層「霞が関ビル」の建設に大きく貢献した。1968年退職、日本女子大学教授。
安田 二郎(やすだ じろう、1908年(明治41年) - 1… 安田 二郎(やすだ じろう、1908年(明治41年) - 1945年(昭和20年)2月27日)は、日本の中国哲学研究者。宋明理学や戴震『孟子字義疏証(中国語版)』の研究で業績を残した。吉川幸次郎らに将来を嘱望されたが、37歳の若さで病没した。 岐阜県養老郡笠郷村船附出身。名古屋の八高に入学後左翼とみなされ中退するが、京都帝国大学文学部長の濱田耕作の許可により進学。1935年(昭和10年)同哲学科(通称「純哲」)卒業。純哲では田辺元に武内義範らと師事する。卒業論文は『中庸について』。 純哲の大学院に進学し朱子学を専攻。吉川幸次郎の講読に出席した際、中国哲学科の学生よりも優秀だったため吉川に注目される。
織茂 三郎(おりも さぶろう、1908年(明治41年) - … 織茂 三郎(おりも さぶろう、1908年(明治41年) - 1989年(平成元年)5月13日)は、日本の歴史研究者。 東京府東京市芝区芝松本町生まれ。立正大学歴史地理科を卒業後、1938年(昭和13年)より徳川黎明会蓬左文庫に勤務する。1950年(昭和25年)、文庫の名古屋市移管に伴い同市職員となった。CBCクラブくちなし章を受章している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山本 清(やまもと きよし、1907年11月23日 - 20… 山本 清(やまもと きよし、1907年11月23日 - 2001年12月29日)は、日本の考古学研究者、島根大学名誉教授。 島根県八束郡生馬村(現・松江市西生馬町)に生まれる。旧制松江高等学校(8期文甲)を経て、1934年、京都帝国大学文学部史学科(国史学専攻)卒業。島根県八束郡本庄村尋常高等小学校代用教員、島根県立松江中学校講師、同教諭、島根師範学校教授を経て、1950年、島根大学教育学部助教授、1951年、島根大学文理学部助教授。1965年、島根大学文理学部教授。1971年退官。1972年島根大学名誉教授。 1947年、梅原末治博士と金崎1号墳(島根県松江市)の発掘調査を行い、本格的に山陰の考古学研究に取り組む。
斎藤 信治(齋藤 信治さいとう しんじ、1907年9月29日… 斎藤 信治(齋藤 信治さいとう しんじ、1907年9月29日 - 1977年1月1日)は、西洋哲学研究者。山形県酒田市出身。 1925年酒田市甲種商業学校卒、山口銀行東京支店勤務、1931年早稲田大学文学部西洋哲学科卒、1934年東北帝国大学法文学部哲学科卒、1935年同副手、1936年同法学部助手、1939年大東協会調査員嘱託、1940-1942年イスラム研究のためエジプト大学に学ぶ。1947年北海道帝国大学法文学部助教授、1951年7月北海道大学文学部教授、12月神戸大学文理学部教授、1954年中央大学文学部教授。 1957年「イロニーの研究」で北海道大学文学博士。1961-1962年渡欧しマルティン・ハイデッガーに面会している。
小野 浩(おの ひろし、1907年9月1日 - 1997年)… 小野 浩(おの ひろし、1907年9月1日 - 1997年)は、日本の哲学研究者。 仙台第一中学校、第二高等学校、1933年東北帝国大学哲学科卒業、同副手、高橋里美に師事、1938年仙台陸軍幼年学校教授、1942年二高教授、戦後1947年公職追放、1953年明治大学講師、助教授、1959年教授、1974年定年退職、城西大学教授。1982年定年退職。同11月勲四等旭日小綬章叙勲。 ドイツ哲学・文学を専門とし、日本美術、文学も論じた。
国分 敬治 (こくぶ けいじ、1907年8月4日 - 199… 国分 敬治 (こくぶ けいじ、1907年8月4日 - 1997年10月26日)は、日本の古代ギリシャ思想研究者・哲学者、南山大学名誉教授。ギリシャ哲学とヨーロッパ中世哲学を専門とし、仏教にも造詣が深い。 大阪市出身。龍谷大学に学び、京都大学で山内得立に師事。旧制大学の制度のもと立命館大学予科教授等を経て、南山大学でその黎明期から教授として哲学・思想教育、大学運営に大きな功績を残す。1978年4月、名誉教授となる。「1981年には、日本人として初のオリンピア名誉市民の称号を受けた」。 2002年、ギリシャ・オリンピア市に「フィロソファー・コクブ」("The Philosopher Kokubu")としてその功績をたたえる大理石胸像が建立された(後出)。
鈴木 明治(すずき めいじ / あきはる、1907年8月 -… 鈴木 明治(すずき めいじ / あきはる、1907年8月 - 2005年10月27日)は、日本酒を中心に酒類を対象とした研究をおこなった、日本の醸造学、発酵化学研究者。醸造試験所所長、東京農業大学教授などを歴任した。 長野県松本市生まれ。長野県松本中学校(長野県松本深志高等学校の前身)に学び、その後、東京大学農学部を卒業した。 醸造試験所(酒類総合研究所の前身)に入所して、日本酒をはじめ各種の酒類の研究にあたり、所長も務めた。この間、東京局所属の技官であった時には、山梨県の笹一酒造と関わりが深かった。また、1961年には、「清酒原料用米麹の老若に関する考察」により12月7日付で東京大学から農学博士を授与された。
坂本 浩(さかもと ひろし、1907年5月21日 - 198… 坂本 浩(さかもと ひろし、1907年5月21日 - 1988年1月17日)は、日本近代文学研究者。成城大学名誉教授。 熊本県生まれ。1932年東京帝国大学国文学科卒業。1978年まで[要出典]成城大学教授。国木田独歩、夏目漱石などを研究した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
山崎 功(やまざき いさお、1907年2月25日 - 198… 山崎 功(やまざき いさお、1907年2月25日 - 1983年6月3日)は、日本のジャーナリスト、イタリア研究者、翻訳家。 石川県金沢市生まれ。1927年東京外国語学校イタリア語科卒後、読売新聞社に入る。ローマ特派員、1942年ローマ大学政治学部卒。欧米部次長、論説委員。
山田 憲太郎(やまだ けんたろう、1907年2月21日 - … 山田 憲太郎(やまだ けんたろう、1907年2月21日 - 1983年2月3日)は、香料研究者、東西交渉史学者。 長崎県諫早市出身。1932年神戸商科大学(現神戸大学)卒。小川香料(香料会社)勤務、1950年「中世のアラビヤ人が初めて東方に伝えた龍涎香とジヤスミン」で國學院大學文学博士。1954年近畿大学経営学部教授。1958年桃山学院大学経済学部教授、名古屋学院大学教授、77年定年、名誉教授。東アジアの香料史および東西交通史を研究し、1977年「東亜香料史研究」で日本学士院賞受賞。78年、奈良県明日香村のマルコ山古墳で出土した人骨から発した芳香について、古代中国から伝わった「竜脳」だと鑑定した。