比嘉 聰(ひが さとし、 (1952-04-08) 1952… 比嘉 聰(ひが さとし、 (1952-04-08) 1952年4月8日 - )は、日本の琉球古典音楽家、組踊音楽太鼓奏者。重要無形文化財「組踊音楽太鼓」保持者(各個認定)。 沖縄県国頭郡久志村(現・名護市)に生まれる。琉球大学農学部農芸化学科を卒業した。 1971年、琉球大学郷土芸能研究クラブで三線と太鼓を始めた。1972年、太鼓を島袋光史、歌三線を棚原忠徳に師事し、本格的な修業に入った。1979年、野村流組踊地謡研究会主催の第1回「組踊を聞く」における「万歳敵討」で、組踊音楽太鼓の初舞台を務めた。1985年には光史流太鼓保存会比嘉聰練場を開き、後進の育成を始めた。 1988年12月、光史流太鼓より師範免許を取得した。
梅谷 忠洋(うめたに ただひろ、1952年1月16日 - )… 梅谷 忠洋(うめたに ただひろ、1952年1月16日 - )は、作曲家、音楽家(フルーティスト)、潜在能力研究家、M&Uスクール学長である。 吹奏楽の名門といわれた兵庫県の西宮市立今津中学校にて得津武史に師事。大谷大学入学と同時に、19歳で指揮者宇宿允人に師事し、ヴィエール室内合奏団(現・関西フィルハーモニー管弦楽団)、フィルハーモニアTOKYOの首席フルート奏者を歴任。数多くのコンチェルトを演奏。1979年、『おもいで酒』(歌:小林幸子)を作曲。クラシック出身の演歌作曲家として歌謡界の注目を浴び、第21回日本レコード大賞、有線放送大賞など多くの金賞を受賞。NHKをはじめ各放送局のDJ、司会、音楽講師を務める一方、作曲や編曲、コンサート、ディナーショーを各地で行っている。
ばん きんや(本名:三橋 雄豊、1952年 - )は、日本の… ばん きんや(本名:三橋 雄豊、1952年 - )は、日本のお笑いタレント・音楽家。東京都出身。有限会社オフィス・バン代表取締役。 大学在学中よりクラブでギター演奏を始め、1982年に松元ヒロ、石倉チョッキと「笑パーティー」を結成、リーダーを務める。 1983年に『お笑いスター誕生!!』へ出場。4週勝ち抜き、銅賞を獲得。第4回には優勝し、賞金100万円を獲得した。第2、3、6回でも決勝に進出している。 1988年に「キャラバン」、「ジョージボーイズ」とともに社会風刺コントグループの「ザ・ニュースペーパー」を結成し、「笑パーティ」は自然消滅した。(その後、笑パーティーの三人はザ・ニュースペーパーを退団、それぞれの分野で活動) ばんきんやは、その後コミックバンド「バンバンG」のリーダーとしてTV・イベント等で活動する一方、2000年、東京都目黒区にミュージックライブハウス「バンバンG」を開き、連日メンバーのポール吉田らとともにコミックバンド・ショーを行う。
ミッキー吉野(ミッキー よしの、1951年〈昭和26年〉12… ミッキー吉野(ミッキー よしの、1951年〈昭和26年〉12月13日 - )は、日本の音楽家。ロックバンド『ゴダイゴ』のピアノ、オルガン、キーボード奏者である。バークリー音楽大学卒業。元ザ・ゴールデン・カップスのメンバー。 ゴダイゴではリーダーを務め、ほぼ全曲にわたって編曲を担当する。本名は吉野 光義(よしの みつよし)。 1951年 - 神奈川県横浜市に生まれる。4歳からクラシック・ピアノを習う。横浜市立浜中学校卒業。 1966年 - バンド「ミッドナイト・エクスプレス・ブルース・バンド」(のちの「ベベス」)に参加。ナイト・クラブ、ダンス・パーティー、米軍キャンプや横浜本牧界隈で活動。エディ藩、ジョー山中、カシアス内藤らと交友関係を持つ。
黒川 照家(くろかわ みつや、1951年9月18日 - 20… 黒川 照家(くろかわ みつや、1951年9月18日 - 2020年6月6日)は、日本の音楽家。元「1986オメガトライブ」のギタリスト。本名、黒川 光哉(読み同じ)。 東京都中野区出身。高校中退後、バンド活動を始める。 1977年、アマチュアバンド「リバーサイド」で『EAST WEST '77』に出場、同バンドは準優勝を果たした(同じく準優勝をしたのがカシオペアだった)。 1979年から1985年にかけて岩崎宏美や菊池桃子のバックバンド「パイナップル・カンパニー」でバンドマスターとして活動した後、1986年にオメガトライブの第2弾のプロジェクト「1986オメガトライブ」にギタリストとして加入。同バンドのリーダーも務めたが、5枚目のシングル「Stay girl Stay pure」を最後に脱退を宣言、1988年3月に正式に脱退した(これを機に同バンドは「カルロス・トシキ&オメガトライブ」に改名する)。
甲斐 智陽(かい ともあき、本名:高橋茂、1951年8月28… 甲斐 智陽(かい ともあき、本名:高橋茂、1951年8月28日 - )は、日本の演出家、脚本家、音楽家、プロデューサーである。神奈川県相模原市出身。シンガーソングライターとして活動し、1991年にCDをリリース。その後、ポリドール、ポニーキャニオン、ソニーミュージックなどでレーベルプロデューサーを務め、テレビの音楽番組ディレクターを経て、舞台・映像の演出家となる。2003年にタクトバースエンターテイナーズを設立し、代表取締役社長を務める。 1983年、株式会社タクトを設立。 1991年、音源製作、映像制作等を目的とした株式会社シップスエンタープライズ設立、自らアーティスト「甲斐智陽」としてCDリリースを重ねながら新人アーティストの育成に勤める。
甲斐 正人(かい まさと、1951年8月6日 - )は、日本… 甲斐 正人(かい まさと、1951年8月6日 - )は、日本の音楽家。 東京都出身。東京藝術大学作曲科卒業後、広瀬健次郎に師事し、現代制作に入社。映画、テレビ、演劇などの幅広いジャンルに楽曲を提供している。 1983年、映画『蒲田行進曲』で第6回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。 1986年、宝塚歌劇団の演出家である岡田敬二からの誘いで、月組公演『ラ・ノスタルジー』で初めて楽曲提供をする。以降数々の楽曲提供を行っている。 1988年に松山善三と共にミュージカルショップを結成。 1994年、映画『虹の橋』にて、94年度「日本アカデミー賞」優秀音楽賞受賞・94年度「おおさか映画祭」最優秀音楽賞受賞。
浅野 孝已(あさの たかみ、孝巳、孝己とも表記、1951年6… 浅野 孝已(あさの たかみ、孝巳、孝己とも表記、1951年6月1日 - 2020年5月12日)は、日本の音楽家。ロックバンド『ゴダイゴ』のギタリスト。 ゴダイゴでギター、ボーカル、アルバムジャケットなどのビジュアル面を担当。ベンチャーズに影響を受ける。弟の浅野良治も一時期ゴダイゴのドラマーだった。 東京を拠点に自らのソロ活動でのライブやセッションに加え、福岡で自ら発掘した若手ユニットGum2を率いて音楽活動を行っていた。RKB毎日放送で放送される深夜の5分間情報番組「キャッチ」に出演していた。またその活動では楽器フェアでの講演やデモ演奏なども行っていた。
いしざか びんが(1951年 - )は、日本の音楽家。作曲家… いしざか びんが(1951年 - )は、日本の音楽家。作曲家・作詞家・ギタリスト。本名は石坂幸久。 群馬県吾妻郡高山村出身。群馬県立沼田高等学校卒業。クラシックギターの弾き語りをしている。
武川 雅寛(たけかわ まさひろ、1950年12月21日 - … 武川 雅寛(たけかわ まさひろ、1950年12月21日 - )は、日本の男性音楽家。ムーンライダーズのヴァイオリン(フィドル)、トランペット担当。本名同じ。神奈川県逗子市出身。愛称はくじら(大柄であることから)。 立教大学出身。同大学の音楽サークル「OPUS」に所属し、同サークルの先輩にムーンライダーズの岡田徹、後輩に白井良明がいる。 鈴木慶一が中心となり結成したバンド・はちみつぱいに加入し、ヴァイオリン担当として本格的な音楽活動を開始。はちみつぱい解散後はムーンライダーズに結成から参加。楽器だけでなくボーカルやコーラスも担当する。 スタジオミュージシャンとしても活動し、かぐや姫の楽曲「神田川」ではイントロを演奏した。
かしぶち 哲郎(かしぶち てつろう、1950年11月9日 -… かしぶち 哲郎(かしぶち てつろう、1950年11月9日 - 2013年12月17日)は、日本の男性音楽家。ムーンライダーズのドラマー、ボーカル。栃木県宇都宮市出身。クレジットには本名である橿渕 哲郎(読み同じ)を使用することもある。 1950年11月9日生まれ。栃木県宇都宮市で生まれ育つ。 父は建築家で、幼少期よりクラシックからビートルズまで、幅広く音楽に親しんで育った。 少年時代からクラシックに傾倒し、雑誌『バラエティ』1983年8月号のインタビューで、「わりとクラシックを聴いてたんです。特にシューベルトとかの歌曲。いまだに好きだし。ビートルズとかも好きだったけど、それ以前のクラシックのほうが(影響が)強いみたい」と述べている。
渡辺 勝(わたなべ まさる、1950年<昭和25年>8月1日… 渡辺 勝(わたなべ まさる、1950年<昭和25年>8月1日 - 2024年<令和6年>6月30日)は、日本の音楽家。はちみつぱい、アーリータイムスストリングスバンドに参加した。ギター、キーボード、ボーカルなど各種の楽器を使いこなすマルチプレイヤー。 駒場東邦高等学校、立教大学卒業。 1970年より音楽活動を開始。岡林信康のセカンド・アルバム『見る前に跳べ』などに参加。他に高田渡、なぎら健壱、田代ともやなどの作品の編曲家としても活動した。 キリギリス、渡辺勝バンド、おまつとまさる氏(松倉如子との音楽ユニット)などで音楽活動を継続。「アフガンの子どもたちに美味しいものをごちそうする会」のセカンドCDでも編曲を一部担当した。
井野 信義(いの のぶよし、1950年3月26日 - )は、… 井野 信義(いの のぶよし、1950年3月26日 - )は、群馬県桐生市出身の音楽家。ベーシスト、作曲家。 東京で育ち、暁星高校卒業。在学時よりR&Bバンドでクラブに出演。1969年、高校を出てすぐ加入したザ・ブルーベル・シンガーズで「昭和ブルース」が話題になったが、グループを脱退した。その後、クラシックのコントラバスを勉強する。1971年、高柳昌行と出会い、ジャズ界に進出。日本のトップベーシストとして、日野元彦とのコンビで非常に多くのレコーディングに参加した。また、同じく高柳門下で暁星高校の後輩、渡辺香津美とのデュオユニット"マウンテン"など、渡辺との共演も多い。 1979年、ドイツのメールス・ジャズ・フェスティバルに出演し、海外でも高い評価を受ける。
安部 俊幸(あべ としゆき、1950年3月14日 - 201… 安部 俊幸(あべ としゆき、1950年3月14日 - 2014年7月7日)は、日本の音楽家で、チューリップのギタリスト。福岡県福岡市出身。ウクレレ、シタールなども演奏する。 愛用の楽器のなかではギブソン・ES-335が最もお気に入りだが、リッケンバッカーやアイバニーズに特注したギターなども使用している。 ジョージ・ハリスンの影響を強く受けていた。 ビートルズより多大な影響を受け、大学時代にはハーズメンを結成。1971年、財津和夫の誘いによりチューリップに参加、1972年に上京し、東芝音楽工業より「魔法の黄色い靴」でプロデビュー。3枚目のシングル「心の旅」(1973年)のヒットによりチューリップは人気を得る。
石田 桃子(いしだ ももこ、1950年〈昭和25年〉 - 2… 石田 桃子(いしだ ももこ、1950年〈昭和25年〉 - 2023年8月)は、日本の音楽家、歌手。 広島県広島市生まれ。父はNHKアナウンサーの石田武、弟は俳優、タレントの石田純一。 6歳の時に、父がNHK特派員に任じられたことからともにアメリカへ移住し、アンソニー・ダミーゴの元でピアノを学んだ。 桐朋女子高等学校音楽科にて、ピアノを大島正泰・加藤伸佳に、作曲を蒔田尚昊に師事。桐朋学園大学音楽学部作曲理論科卒業。 コンサートや音楽活動以外にもテレビ出演、ラジオパーソナリティー・l、講演会などに意欲的に取り込んでいた。生活のこともあり、音楽家だけではなく2022年からは梱包のアルバイトをしていたが高齢のため辞めていた。
吉岡 しげ美(よしおか しげみ、1949年9月11日 - )… 吉岡 しげ美(よしおか しげみ、1949年9月11日 - )は日本の音楽家(ピアノ弾き語り・作曲)である。東京都出身。 武蔵野音楽大学音楽教育学科声楽専攻卒業後、27歳で日本女子大学児童学科に学士入学、同大学院家政学研究科児童学専攻修士課程修了。のち、共栄学園短期大学児童福祉学科教授を経て、西武文理大学サービス経営学部福祉マネジメント学科教授、城西国際大学メディア学部客員教授を歴任。 1977年より与謝野晶子、茨木のり子、新川和江など日本の女性詩人の詩に曲をつけ、ピアノの弾き語りを始める。84年より金子みすゞの詩に、97年からは万葉集に曲をつけ、歌い始める。近年、「枕草子」「百人一首」にも曲をつけ歌う。
有田 正広(ありた まさひろ、1949年7月22日 - ) … 有田 正広(ありた まさひろ、1949年7月22日 - ) は、日本の音楽家、フルート(フラウト・トラヴェルソ)奏者、指揮者、音楽教育者。 バロック時代のフルート曲を中心に幅広いレパートリーを持ち、ルネサンスから近代までのフルートを、曲目によって使い分ける。録音媒体への収録も多く、解説文の多くは自身の執筆による。桐朋学園大学特任教授、昭和音楽大学客員教授、昭和音楽大学ピリオド楽器研究所所長。妻の有田千代子はチェンバロ奏者。 1949年東京に生まれる。ヴァイオリニストの叔父の影響で音楽に親しみ、小学性の時にビゼーのフルート曲を聴いてフルートの魅力に目覚める、13歳からフルート奏者の林リリ子に師事する。
久保田 麻琴(くぼた まこと、本名:久保田 誠、1949年7… 久保田 麻琴(くぼた まこと、本名:久保田 誠、1949年7月11日 - )は、日本の男性音楽家。 80年代の一時期(Sunsetz /HEAT SCALE - Sandii & The Sunsetz / Rhythm Chemistry 頃まで)はJASRACの作家登録とアーティスト表記を久保田真箏(久保田眞箏)としていた(Sandii & The Sunsetz / One Love からはJASRACの作家登録表記を久保田麻琴に戻している)。本人のインタビューとかではない雑誌記事などで“久保田真琴”の誤クレジットもあり、JASRACのアーティスト登録でも11作品に“久保田真琴”の併記が見られる。
黒坂 黒太郎(くろさか くろたろう、本名:黒坂 正文、194… 黒坂 黒太郎(くろさか くろたろう、本名:黒坂 正文、1949年(昭和24年)6月22日 - )は、日本の音楽家。コカリナ(木製のオカリナ)の創始者、演奏者、作曲家、シンガーソングライター。 長野県上田市生まれ。長野県上田高等学校を経て早稲田大学卒業。大学在学中は早稲田大学合唱団に所属。「広場と僕らと青空と」を作詞作曲。高田馬場にあったライブハウス「うたの店十一時館」でシンガーソングライターとして音楽活動を始める。 1974年自主制作盤として水俣病の少女のことを歌った英語の歌「We Can Stand」(キングレコード・ベルウッド・レコード委託制作)をリリース。後に正式にメジャー盤として再リリースされる。
岡田 徹(おかだ とおる、1949年4月23日 - 2023… 岡田 徹(おかだ とおる、1949年4月23日 - 2023年2月14日)は、日本の男性音楽家。ムーンライダーズのキーボーディスト、アコーディオン奏者、作曲家・編曲家、音楽プロデューサー。 東京都新宿区出身。父はアナウンサーの岡田実。父の仕事の関係で、2歳半から5歳までニューヨークで暮らす。 1949年、東京都新宿区に生まれる。立教大学卒業。同大学の音楽サークル「OPUS」に所属し、同サークルの後輩にムーンライダーズの武川雅寛、白井良明がいる。 1973年、鈴木慶一が率いるロックバンドのはちみつぱいに加入、解散後はそのメンバーを母体としたムーンライダーズに参加。 ムーンライダーズでのボーカル曲はメンバー中で一番少ないが、アルバム『Istanbul mambo』収録の「週末の恋人」ではダミ声で歌っている。
喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年〈昭和23年〉6月1… 喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年〈昭和23年〉6月10日 - )は、沖縄出身の日本人音楽家、平和活動家、政治家である。米軍占領下の中頭郡越來村(現・沖縄県沖縄市)生まれ。 琉球民謡を現代風にアレンジしたウチナー・ポップを確立した。バンド・喜納昌吉&チャンプルーズを率い、ヴォーカル、ギター、三線、作詞作曲を主に担当する。 参議院議員(1期)、元民主党沖縄県総支部連合会代表。 父は琉球民謡の第一人者喜納昌永。11人兄弟の四男。 琉球民謡を元にした独特のメロディとウチナーグチ(沖縄方言)が特徴的なポップスを歌ってきた。実妹らと共に結成したバンド「喜納昌吉&チャンプルーズ」の音楽は、りんけんバンド、ネーネーズ等のものと共に「ウチナー・ポップ」とも呼ばれる。
加藤 和彦 (かとう かずひこ、1947年3月21日 - 2… 加藤 和彦 (かとう かずひこ、1947年3月21日 - 2009年10月16日)は、日本の音楽家。作曲、編曲、音楽プロデュース、撥弦楽器や鍵盤楽器などの演奏・歌唱を通じて、制作者・実演家として活動した。愛称は「トノバン」。 1960年代フォークグループ『ザ・フォーク・クルセダーズ』(通称フォークル)でデビュー。その後、ソロ活動に移行し、並行して1970年代初頭から中盤にかけてロックバンド『サディスティック・ミカ・バンド』で活動するなど、斬新なアイデアに満ちた創作活動で、1960年代後半から70年代の日本のミュージックシーンをリードした。 1970年に、のちにサディスティック・ミカ・バンドのヴォーカリスト・ミカになる福井ミカと結婚するが1975年に離婚。
菊原 光治(きくはら こうじ、本名:奥寺 光治、昭和22年(… 菊原 光治(きくはら こうじ、本名:奥寺 光治、昭和22年(1947年) - )は地歌箏曲演奏家、野川流三弦古生田流菊原家5代目。 岩手県久慈市出身。高校在学中に学んだ琴に魅せられ、卒業後大阪の菊原初子(人間国宝・国の重要無形文化財保持者)の内弟子となる。 入門6年後、野川流三味線組歌と古生田流箏曲の巻物を伝授された。地歌箏曲一筋に修行に励み、1992年(平成4年)11月菊原家の5代目継承者となった。現在は大阪府天王寺区在住。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
古関 正裕(こせき まさひろ、1946年〈昭和21年〉7月1… 古関 正裕(こせき まさひろ、1946年〈昭和21年〉7月10日 - )は、日本の著作家、音楽家。古関裕而音楽事務所代表。父は作曲家の古関裕而、母は声楽家で詩人の古関金子。著述業での筆名は真佐 裕哉(まさ ひろや)で、著書に『緋色のラプソディー』(2008年)がある。東京都出身。成城学園初等学校、成城学園中学校高等学校、早稲田大学理工学部卒業。 姉が2人の3人姉弟の家庭環境で、ビートルズの流行する世代で育つ。父譲りの音楽好きで、小学1年生から12年間、ピアノを習う。高校時代は、ビートルズやエルヴィス・プレスリーに夢中で、父の曲にはほとんど関心がなかったが、1964年(昭和39年)開催の東京オリンピック行進曲『オリンピック・マーチ』のみはレコードで繰り返し聴き、後年に「思い出の一曲」と絶賛している。
成田 賢(なりた けん、1945年10月22日 - 2018… 成田 賢(なりた けん、1945年10月22日 - 2018年11月13日)は、日本の音楽家、歌手。本名は成田 慶一。 2歳の時に満洲から博多(福岡県前原市)へ引き揚げし、5歳の時に父が他界し母方の実家がある北海道札幌市に移る。 北海道札幌北高等学校に入学し、バンド活動を始める。ある時、ジャズ喫茶で歌っていたところを大阪のバンドから加入の誘いを受けたことがきっかけで、歌手になる道を選ぶ。その後単身関西へと移り、「成田賢一」の芸名でバンド「ケーパーズ」に所属。ライブハウスでの音楽活動に加え吉本新喜劇の舞台で芝居も経験する。 その後、東京のバンド「ダークホース」での活動を経て、札幌で石間秀樹と共に「ザ・ジャローズ」を結成し活動。
野中 図洋和(のなか とよかず、1945年(昭和20年)8月… 野中 図洋和(のなか とよかず、1945年(昭和20年)8月 - )は、大阪府出身の、日本の音楽家・指揮者。陸上自衛官。大阪音楽大学卒業。 1969年(昭和44年)4月に音楽科幹部要員として入隊。第3音楽隊長、中部方面音楽隊長、中央音楽隊副隊長を経て、1986年(昭和61年)11月から1992年(平成4年)8月まで第9代中央音楽隊長(2等陸佐)を務めた。その後、陸上幕僚監部教育訓練部(音楽行政担当)勤務を経て、1995年(平成7年)8月に第11代中央音楽隊長(1等陸佐)に就任。中央音楽隊長として2代計15年の長きに亘り、昭和天皇の大喪の礼、明仁天皇の即位の礼、長野オリンピックなどに参加し、陸上自衛隊の広報活動に精力的に貢献した。
市川 秀男(いちかわ ひでお、HIDEO ICHIKAWA、… 市川 秀男(いちかわ ひでお、HIDEO ICHIKAWA、1945年2月22日 - )は、日本の音楽家 、ピアニスト、作曲家である。静岡県 磐田郡(現浜松市)生まれ。 1960年代の終わり頃より日本のジャズシーンの最前線で活躍した。数々のCMソングを提供する作曲家としても知られるほか、テレビドラマ『消えた巨人軍』(1978年、日本テレビ)のテーマ音楽の作曲や、『ザ・ハングマン』(1980年、朝日放送)のエンディングテーマ『あ・れ・か・ら』(ヒロスケ)の編曲も手がけた。 1945年、静岡県磐田郡(現浜松市)に生まれる。小学校時代よりピアノをはじめクラシックの作曲家を目指し、中学3年時に上京し東邦音楽大学附属東邦中学校に編入。
島村 武男(しまむら たけお、1945年 - 2024年6月… 島村 武男(しまむら たけお、1945年 - 2024年6月6日)は日本の音楽家。声楽家(バリトン歌手)、オペラ歌手。 大阪府出身。東京藝術大学音楽学部を経て、同大学院修了。イタリアに留学しベルカント唱法とイタリアオペラを学ぶ。ミュンヘン音楽大学に特別推薦で入学し、専攻科のオペラ科とリート科で歌唱法を学ぶ。 国立ブラウンシュバイク歌劇場(西ドイツ)と専属契約を結び、年間100回を超える公演に出演。帰国後はNHK-FMリサイタル、二期会公演、新国立劇場公演、オーケストラの演奏会など、数多くの公演に出演。 東京藝術大学音楽学部在学時に「アンサンブル・ボッカ」として、アニメ「巨人の星」の主題歌「ゆけゆけ飛雄馬」のレコーディングに参加。
中島 良史(なかじま よしふみ、1944年2月5日 - )は… 中島 良史(なかじま よしふみ、1944年2月5日 - )は、日本の音楽家、作曲家・編曲家、指揮者、音楽プロデューサー、元国立音楽大学准教授。東京都出身、国立音楽大学作曲科卒業、同専攻科修了。 「国際音楽祭ヤング・プラハ」創設者の一人で、1992年以来21年間にわたり日本代表を務め、チェコ屈指の音楽祭として確立させたことで知られる。 1944年(昭和19年)2月5日、東京都に生まれる。1945年、戦火を避けるため母とともに福島県岩瀬郡桙衝村(現・須賀川市)へ疎開。父は茨城県内の駐屯地で終戦を迎えた。1947年に帰京し、三鷹町(現・三鷹市)に居住戦後混乱期の社会情勢を目の当たりにしながら幼少期を過ごす。
服部 和彦(はっとり かずひこ、英: Kazuhiko Ha… 服部 和彦(はっとり かずひこ、英: Kazuhiko Hattori、1944年 - )は、日本の音楽家・音楽批評家・音楽プロデューサー・作曲家・朗読演出家。 1966年日本大学第二工学部卒業。1976年から1977年まで民族音楽研究のため、アジア、中東、アフリカの各国を歴訪。 1973年に作曲コンクールに1位入賞すると音楽活動を開始。 1975年、国際芸術連盟会長に就任。琴祥流琴祥会(大正琴)会長、日韓音楽文化交流委員会代表などを歴任している。 室内楽を中心に独奏曲、管弦楽、劇音楽など数多くのジャンルで活躍。Asia Composers Leagueのフェスティバルで室内楽作品が6回・声楽アンサンブルが1回入選。
吉田 多宏(よしだ かずひろ、1942年〈昭和17年〉12月… 吉田 多宏(よしだ かずひろ、1942年〈昭和17年〉12月12日 - 2021年〈令和3年〉1月5日[要出典])は、日本のサクソフォーン奏者・音楽家・作曲家。ジャズのサックス奏者・フルート・クラリネット奏者として活動した。 群馬県太田市(旧新田郡尾島町)出身。群馬県立太田高等学校卒。小学校5年生の時、トランペット奏者の実兄(後に「スマイリー小原とスカイライナーズ」「東京キューバン・ボーイズ」等で活動した吉田智次郎)の影響でクラリネットを始める。この頃米軍・極東放送網(FEM)から流れるジャズに触発され17歳でプロとなる。 翌年、米国のアルトサックス奏者チャーリー・パーカーに影響され、アルト・サクソフォーンに転向。
ひの まどか(1942年2月10日 - )は、日本の音楽家、… ひの まどか(1942年2月10日 - )は、日本の音楽家、文筆家。 東京府生まれ。本名は桜井(稲留)尚子。日本女子大学附属高等学校、東京藝術大学器楽科卒、東京ゾリステンに入団、ヴァイオリンを弾く一方で作曲家の伝記などの執筆活動を行う。執筆にあたっては現地調査を行っていた。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
吉村 弘(よしむら ひろし、1940年10月22日 - 20… 吉村 弘(よしむら ひろし、1940年10月22日 - 2003年10月23日)は日本の音楽家、作曲家。神奈川県横浜市出身。早稲田大学第二文学部美術科卒業。 サウンド・デザインやグラフィック・デザイン、ヴィジュアル・ポエトリーを含有したサウンド・オブジェやパフォーマンス、環境音楽の制作を行い、特にTOAとの共同施工で多くの音デザイン事業を手がけた。日本の環境音楽の草分け的存在とされる。国立音楽大学音楽デザイン学科非常勤講師や千葉大学工学部工業意匠学科非常勤講師を歴任し、美術館などでの市民参加のワークショップにも力を注いでいたが、2003年に皮膚がんのため死去。
下福 力(しもふく ちから、1938年1月16日 - 202… 下福 力(しもふく ちから、1938年1月16日 - 2026年2月1日)は、日本の音楽家、ピアニスト。鹿児島大学名誉教授。 旧満洲国生まれ、鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立甲南高等学校に1954年4月入学、1957年3月卒業。高校在学中は音楽部に所属し、西部合唱コンクールに3年連続で県代表として出場。東京学芸大学音楽科を卒業し、同大学専攻科を1962年に修了。小島喜久寿、西勇恕が恩師。 東京学芸大学附属竹早中学校教諭、東京学芸大学講師、鹿児島大学講師、鹿児島大学助教授を経て、1980年に鹿児島大学教育学部音楽科教授就任。1983年、鹿児島県芸術文化奨励賞を受賞。2018年春、瑞宝中綬章を受章。
宮島 将郎(みやじま まさろう、1937年〈昭和12年〉7月… 宮島 将郎(みやじま まさろう、1937年〈昭和12年〉7月27日 - 2025年〈令和7年〉5月23日)は、日本のテレビプロデューサー・実業家、元ラジオパーソナリティー、社会運動家、音楽家。 東京都新宿区出身。東京教育大学附属高等学校(現:筑波大学附属高等学校)卒、1962年(昭和37年)慶應義塾大学商学部卒。在学中は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団に所属し副指揮者を務める。2025年(令和7年)現在埼玉県入間市に在住していた。 1962年(昭和37年)日本テレビ放送網株式会社入社、芸能局音楽班配属。教育・音楽番組を制作。宮島が最も気に入っている番組は幼児教育番組『カリキュラマシーン』だという。
村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋 透(たかはし とおる… 村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋 透(たかはし とおる)、旧姓:村川、1937年(昭和12年)3月22日 - )は、日本の映画監督・音楽家。別名:山形 透。山形県村山市出身。山形県立山形南高等学校、福島大学経済学部卒業。実父は教員・国文学研究者で『俳人一具全集』などの編集を手掛けた村川幹太郎。長兄は指揮者の村川千秋。姪はヴァイオリニストの村川千尋。 村山郡館林藩領内の里正の血筋であり、江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたる。福島大学卒業後の1959年、日活に入社し上野日活劇場の営業部で辣腕を振るうも方向性の不一致から同年に退社し、翌年に演出部へ復職し助監督となる。社内では舛田利雄、中平康、西河克己、森永健次郎、社外では貞永方久、森谷司郎らの助監督を務め、特に日米合同スタッフによる戦争大作『トラ・トラ・トラ!』では、日本側演出部総チーフ(ノンクレジット)として現場を取り仕切った。
内田 正人(うちだ まさと、1936年10月29日 - 20… 内田 正人(うちだ まさと、1936年10月29日 - 2019年2月15日)は、日本の歌手、音楽家、ソングライター、詩人。ザ・キング・トーンズの創設メンバーの一人でリーダー、リードテナー。愛称はリーダー。 神奈川県横浜市の生まれ。日本大学高等学校・中学校、日本大学法学部で学ぶ。 1960年、音楽友達の加生スミオらとともにザ・キング・トーンズを結成。中心メンバーとして活躍した。1969年にグッド・ナイト・ベイビーのスマッシュヒットを放ったことで、知名度をあげた。NHK紅白歌合戦、フジロックフェスティバル、日本有線大賞など檜舞台への出場経験も持つ。1998年ごろ、サントリー・ザ・カクテルバーのCM「パーティーサイズ・リニューアル編」で話題になった。
嶺 貞子(みね さだこ、1936年〈昭和11年〉5月4日 -… 嶺 貞子(みね さだこ、1936年〈昭和11年〉5月4日 - 2018年〈平成30年〉10月13日)は、日本の音楽家。声楽家(ソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。イタリア古典歌曲の権威。イタリア歌曲の第一人者であった。本名は峰村貞子。 長野県下水内郡飯山町(現: 飯山市)出身。長野県飯山北高等学校を経て、東京藝術大学声楽科卒業。同学大学院独唱科修了。在学中に安宅賞、野村学芸財団あらえびす賞受賞。長坂好子に師事。1970年(昭和45年)よりイタリア、スペイン、西ドイツ、イギリスなどに留学し、キジアーナ音楽院(イタリア、シエーナ)歌曲コースディプロマ取得。ハイドンのオラトリオ『天地創造』の独唱者としてデビュー。
ソンコ・マージュ(Sonko Mayu、1935年〈昭和10… ソンコ・マージュ(Sonko Mayu、1935年〈昭和10年〉2月20日 - )は、日本の音楽家、ギタリスト、フォルクローレ奏者。栃木県栃木市出身。本名は荒川 義男(あらかわ よしお)。 1966年、スペイン政府奨学生として留学し、アンドレス・セゴビアやホセ・トマス(英語版)に師事したのち、南米で民俗音楽を研究。1967年、アルゼンチンのフォルクローレ奏者であるアタウアルパ・ユパンキの弟子となり、愛用のギターを贈られ、ソンコ・マージュ(ケチュア語で『心の川』の意)と名づけられる。ギターは1953年製の初代ヌーニェスである。 1974年にLP「復活」を発表した時点では、ユパンキの作品のみをレパートリーとし、その奏法をコピーして活動していた。
刀根 康尚(とね やすなお、1935年 - 2025年5月1… 刀根 康尚(とね やすなお、1935年 - 2025年5月12日)は、日本出身のアメリカ合衆国の前衛芸術家、音楽家。 ノイズミュージックの第一人者。1935年、東京都・浅草に生まれる。 千葉大学の国文科に進学し、日本文学を専攻。シュルレアリスム文学を卒業論文のテーマにした。1957年に同大学を卒業。 1958年に、一柳慧を通じて知り合ったジョージ・マチューナスの誘いで、フルクサスに参加した。また同時期に即興演奏をはじめ、小杉武久、塩見允枝子、武田明倫、水野修孝らと即興音楽集団「グループ音楽(英語版)」を結成、日本初の即興演奏グループとなった。ハイレッド・センターやチーム・ランダムにも参加、多くの前衛芸術運動に関わった。
高井 達雄(たかい たつお、1933年6月15日 - )は、… 高井 達雄(たかい たつお、1933年6月15日 - )は、日本の作曲家・音楽家。兵庫県出身、東京都在住。アニメ・TVドラマなどの主題歌を手がけている。
渡辺 岳夫(わたなべ たけお、1933年4月16日 - 19… 渡辺 岳夫(わたなべ たけお、1933年4月16日 - 1989年6月2日)は、日本の作曲家、音楽家、詩人。東京都出身。愛称は「ナベタケ」。アニメ・テレビドラマ・時代劇映画などの主題歌や劇伴を数多く手がけた。 作品によっては「渡邊岳夫」と表記する場合もある。 作曲家である渡辺浦人の長男として生まれ、武蔵高校、武蔵大学経済学部を卒業した。 23歳の時にフランス・パリへ留学してクラシックを学び、スコラ・カントルム音楽院卒業。その後ラジオ東京(現在のTBSホールディングス)へ入社し、演出部でテレビドラマの制作をするうちに音楽に対する想いが強くなり、同社を退社して音楽家に転身した。 様々なジャンルの作曲を手がけており、特に時代劇やアニメーション作品で印象に残る曲を残している。
オノ・ヨーコ(小野 洋子、1933年〈昭和8年〉2月18日 … オノ・ヨーコ(小野 洋子、1933年〈昭和8年〉2月18日 - )は、日本の前衛芸術家、音楽家、平和運動活動家。1969年にビートルズのメンバーだったジョン・レノンと結婚。共に平和活動、音楽、創作活動を行ったことでも知られている。ニュースクール大学でジョン・ケージが開いた作曲講座の出席者らと1960年代の前衛運動を主導し、「フルクサス」の関係者でもあった。 1933年(昭和8年)2月18日、小野英輔・磯子の長女として東京で出生した。兄弟姉妹は、洋子(ヨーコ)・啓輔・節子の3人であった。 父・英輔は、日本興業銀行総裁を務めた小野英二郎の三男であり、ピアニストから銀行員に転じ、ヨーコが生まれたときは横浜正金銀行サンフランシスコ支店に勤務していた。
牧野 守英(まきの もりひで、1933年2月6日 - 202… 牧野 守英(まきの もりひで、1933年2月6日 - 2020年12月31日)は、日本の音楽家。トロンボーン奏者。東京府生まれ。 NHK交響楽団のバストロンボーン奏者として長きにわたり活動した。早稲田高校から東京学芸大学音楽科を経て、東京藝術大学音楽学部器楽科に入学。 1957年3月に卒業してからはトロンボーン奏者としてABC交響楽団、東京都交響楽団を経て、1966年5月にNHK交響楽団に入団、1989年2月に退団。トロンボーンを山本正人、ギルバート・コーエンに師事する。指導者としては1980年より昭和音楽大学、1975年より山形大学の講師を務めた。1998年で退官。2020年12月31日死去。
齋藤 鶴吉(さいとうつるきち、1933年1月[要出典] - … 齋藤 鶴吉(さいとうつるきち、1933年1月[要出典] - )は日本のチェロ奏者(チェリスト)、音楽家、音楽活動家。NHK交響楽団団友、横浜室内楽協会代表、一般社団法人横浜音楽文化協会特別顧問。妻は横浜市助役を務めた齋藤龍。 東京に三兄弟の末子として生まれる。長野県大町高等学校を卒業。[要出典] 9歳年長の次兄で作曲家の筆名斎藤高順(本名齋藤孝順)の影響でチェロを始め、堀内静雄、広田幸夫、吉田貴壽、小沢弘に師事。[要出典] 1957年に東京芸術大学音楽学部器楽科を卒業。海野義雄らと、アカデミー弦楽四重奏団を結成。絶大な人気を博し全国で華々しい演奏活動を行う。[要出典] 1958年、東京芸術大学音楽学部音楽専攻科修了。
中川 和義(なかがわ かずよし、1933年 - 2021年)… 中川 和義(なかがわ かずよし、1933年 - 2021年)は日本の音楽家。ピアニスト。国立山形大学名誉教授である。専門は音楽教育。 令和元年秋の叙勲で瑞宝中綬章を授章、位階は正四位。 1933年(昭和8年)大阪市に生まれる。1956年(昭和31年)東京芸術大学音楽学部卒業。ピアノ専攻。 卒業後 ジョン・ハント教授及びマックス・エッガー教授(※マックス・エッガー(1916 - 2008) スイス・ロールシャハの生まれ。チューリヒ大学音楽部を卒業後、1943年スイス音楽協会賞を受賞。同年チューリヒ音楽院のピアノ科主任教授となり、多くの優れたピアニストを養成し、コンクールの審査員やピアノ奏者として活躍した。
安東 ウメ子(あんどう うめこ、1932年11月20日 ‐ … 安東 ウメ子(あんどう うめこ、1932年11月20日 ‐ 2004年7月15日)は、北海道帯広市フシココタン出身のアイヌの音楽家。ムックリ(口琴)とウポポ(歌)の名手として知られる。 音楽家としてはトンコリ奏者のOKIと共にCDアルバムなどを出している。他にアイヌ語講師やアイヌ文化の保存活動も行っていた。
有村 祐輔(ありむら ゆうすけ、1932年10月14日-)は… 有村 祐輔(ありむら ゆうすけ、1932年10月14日-)は、日本の音楽家、指揮者、音楽学者。都留文科大学名誉教授。専門はルネッサンス音楽と合唱で、日本古楽界の第一人者。 鹿児島県出身。鹿児島県立甲南高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科を1958年に卒業。NHKの「歌のメリーゴーランド」のレギュラーや都留文科大学の講師を務めた。1972年、ノッティンガム大学大学院音楽学専攻修士課程修了。1983年~1984年、再度渡英してオクスフォード大学に留学。都留文科大学文学部教授を経て、上野学園大学国際文化学部教授。 日本合唱指揮者協会会員、日本古楽協会代表。東京プロ・ムジカ・アンティカ指揮者を務めた。
三枝孝榮(さえぐさ こうえい、1930年11月2日 - 20… 三枝孝榮(さえぐさ こうえい、1930年11月2日 - 2021年5月11日)は、日本の演出家、番組制作者、音楽家、舞踊評論家。 九代目岩井半四郎の養女の福の子女である日本舞踊岩井流宗家の五代目岩井紫若を妻とし、実業家でプロデューサーの三枝孝臣は長男。 慶應義塾大学経済学部を1952年(昭和27年)に卒業後、NHKに入社した。1963年(昭和38年)にNHKを退職、1964年(昭和39年)に東京12チャンネル(テレビ東京)の開局に伴い移籍した。後にテレビ東京常務、制作社長を歴任する。 1996年(平成8年)に松竹の子会社として設立された伝統文化放送の初代代表取締役社長に就任し、歌舞伎チャンネルの運営を行った。
大野 松雄(おおの まつお、1930年6月17日 - 202… 大野 松雄(おおの まつお、1930年6月17日 - 2022年12月19日)は、日本の音響デザイナー、音響効果技師、現代音楽家。テレビアニメ『鉄腕アトム』に関わったことで知られている。 1930年、東京府神田区に生まれる。東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)を経て、旧制富山高等学校を中退。 文学座、NHK東京放送効果団に勤めたのち、独立した。 1963年から1966年にかけて放映された『鉄腕アトム』において、テープ変調を使用してアトムの足音やビームの音などを作り出し、これが日本SFアニメの効果音の定型となった。1975年には、それらの効果音を集めたアルバム『鉄腕アトム 音の世界』が発売されている。