須川 薫雄(すがわ しげお、1943年 - )は、日本の武器… 須川 薫雄(すがわ しげお、1943年 - )は、日本の武器・兵器、国家安全保障の研究家。実業家。 東京都港区立本村小学校を経て、新潟市立新潟小学校卒業。新潟大学教育学部附属新潟中学校卒業。1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。1967年、慶應義塾大学経済学部(気賀ゼミナール経済政策論)卒業。 2003年、電通ワンダーマン社長。在任中同社は日本IBM、後にマイクロソフトを担当。2006年退任。創業20周年の2005年3月、ワンダーマン創始者のレスター・ワンダーマンを招聘し「これからのダイレクトマーケティングとインターネットの役割」をテーマにしたフォーラムを主催。フォーラム全体のモデレータとして、当時は広告でもITでもなく中途半端な状態であったダイレクトマーケテイングについて「一般広告の中に位置づけられるべき重要な手法であり、一般広告の効果を最大化するためのものである」とまとめている。
吉岡 栄二郎(よしおか えいじろう、1943年 - )は、日… 吉岡 栄二郎(よしおか えいじろう、1943年 - )は、日本の写真美術史研究家、著作家。東京富士美術館で写真部門の創設に関わり、研究部長も務めた。 多摩美術大学で写真美術史を学んだ。 1984年からシルクロードの経路にあたる各国を取材し、中華人民共和国建国後としては初めて、イスタンブールから西安に至る古代のシルクロードの踏破を実現した。 1991年から東京富士美術館の写真部門の創設に関わって、ロバート・キャパの全作品を含む多数の作品の収蔵にあたり、ニューヨーク近代美術館からも高く評価されるコレクションの形成を進めた。 研究部長となり、「CAPA's LIFE」(1998年)、「20世紀と人間・ロバート・キャパ賞展」(2000年)、「アンドレ・ケルテス写真展」(2004年)、「絵画と写真の交差・印象派誕生の軌跡」(2010年)など、多数の写真展の企画を手がけた。
矢部 良明(やべ よしあき、1943年 - 2026年[要出… 矢部 良明(やべ よしあき、1943年 - 2026年[要出典])は、日本の陶磁器・茶道史研究家。茶人。茶道名・蒼庵。 神奈川県大磯町生まれ。東北大学文学部美術史学科卒業。東京国立博物館に入職。工芸課長を経て退職。薩摩伝承館館長。郡山市立美術館館長。人間国宝美術館館長。 2011年に、第9回茶道文化賞(裏千家)を受賞した。
白井 透(しらい とおる、1943年 - )は、日本の競馬評… 白井 透(しらい とおる、1943年 - )は、日本の競馬評論家、競走馬の血統研究家。サラブレッド血統センター創業者。 父・白井新平は、戦前からアナキズム系の活動家として知られるとともに、1938年に競馬週報社を設立し、今日の日本の競馬新聞で標準的なものとなっている馬柱などの表現を創出した人物であった。弟・白井民平は馬術選手として活躍した後、北海道日高町で牧場経営者となった。 このように競馬一家であった白井家に生まれた透は、早稲田大学政治経済学部卒業後、1967年にサラブレッド血統センターを設立し、1971年に『競馬四季報』(関東版)を創刊したのをはじめ、競馬・血統関係の出版事業に従事した。 1990年に、サラブレッドの血統を記録した基礎資料『Family Tables of Racehorses』の第III巻を出版し、JRA賞馬事文化賞を受賞した。
山野 勝(やまの まさる、1943年 - )は、日本の編集者… 山野 勝(やまの まさる、1943年 - )は、日本の編集者、坂道研究家。講談社顧問、日本坂道学会会長。広島県呉市出身。 広島県呉市で生まれ、2歳から山口県柳井市で、小学校1年から東京都で育つ。早稲田大学政治経済学部新聞学科を卒業後、報知新聞社に入社し、その後講談社に入社する。「週刊ヤングマガジン」編集長、常務取締役、講談社コミッククリエイト代表取締役社長を歴任後、フリーへ転身。「週刊ヤングマガジン」編集長時代には『AKIRA』、『ビー・バップ・ハイスクール』などを世に出した。 歩けば東京が分かるだろうと、45歳頃から坂の魅力に目覚め、2年半かけ、名前のある約640の坂を「踏襲」。2000年に居酒屋で偶然会ったタモリと2人で坂道愛好家の会、日本坂道学会を設立した。
赤沼 多佳(あかぬま たか、1943年 - )は、陶磁器研究… 赤沼 多佳(あかぬま たか、1943年 - )は、陶磁器研究家。 新潟県長岡市生まれ。裏千家茶道研修所卒業後、茶陶の研究に入る。東京国立博物館陶磁室調査員を経て、1979年、茶道資料館の開設時に学芸部長に就任。三井記念美術館参事。専門は茶の湯にかかわる東洋陶磁器の研究。
松尾 光伸(まつお みつのぶ、または、こうしん、1943年 … 松尾 光伸(まつお みつのぶ、または、こうしん、1943年 - )は日本の彫刻家、基礎造形研究家、中国中央美術学院教授、中国清華大学美術学院彫塑学科客座教授。熊本県出身。東京藝術大学美術学部卒。 柳宗理に師事。東京南画廊にて楕円形をモチーフとした作品で第一回個展を開催、作品が文化庁買上げ(東京国立近代美術館収蔵)となる。文化庁芸術家在外研修員、ハーバード大学視覚芸術センター客員芸術家。 日中両国で、造形教育及び医療福祉に活用可能な『情報造形(INFORMART)』の特許を取得し、 普及事業の実施を開始 中国清華大学芸術博物館前庭に『歴史の輪』を設置 オランダで財団法人《Matsuo Form Art 》を設立 中国深圳第二回琵鷺杯公共芸術精鋭展にて『里・外 夜間』を発表 日本基礎造形学会名誉会員に任命される 中国河南省鄭州国際彫塑公園に『繁衍』を設置 『繁衍』鄭州国際彫塑公園(河南省) 福井・滋賀・三重市民活動フォーラムʻ98(三重県)実行委員長 ヘルスケアアートフォーラム東海イン四日市実行委員長横浜市磯子区公会堂緞帳を障害を持つ画家の原画で構成監修国際バリアフリーアート2000カレンダー発行(2009年迄10回発行) 国際バリアフリーアートサミット展(福岡・宮崎・沖縄) 主宰 バリアフリーアート中国交流展(ウェファン市図書館)主宰みえ健康福祉フェスタ企画プロデュース 水俣国際エコ・バリアフリーカイトフェスタ企画プロデュース 中国美術系教育機関での基礎造形及び抽象造形についての指導、教諭を本格的に実施 造形言語と基礎造形への応用》を発表 オランダで財団法人《Matsuo Form Art 》を設立 日本基礎造形学会名誉会員に任命される
伊藤 典夫(いとう のりお、1942年10月5日 - )は、… 伊藤 典夫(いとう のりお、1942年10月5日 - )は、日本の翻訳家、SF研究家、アンソロジスト。日本SF作家クラブ名誉会員。 十代で商業誌に翻訳を載せた早熟の翻訳家である。1960年代に『SFマガジン』誌に連載した「SFスキャナー」などを通じて海外SFを精力的に日本に紹介するとともに、今日にいたるまで多数の名作を翻訳して、戦後の日本におけるSFの発展に尽力した。 また、同業者の浅倉久志と共に、R・A・ラファティ、コードウェイナー・スミス、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.といった異色の実力派作家を日本に紹介した。カート・ヴォネガット・ジュニアの作品も、浅倉と分担して翻訳・紹介した。 静岡県浜松市出身。
若狭 和朋(わかさ かずとも、1942年(昭和17年)7月7… 若狭 和朋(わかさ かずとも、1942年(昭和17年)7月7日 - )は、福岡県出身の日本の歴史研究家、元通商産業省職員。元岐阜県教師。 日本李登輝友の会岐阜県支部相談役。人間環境大学講師(非常勤)。九州大学大学院客員教授・教育学博士(Ph.d.)。発言集団シューレ代表。岐阜県関市在住。叔父に若狭得治。 1942年福岡市生まれ。福岡県立山田高等学校を経て、九州大学法学部政治学科を卒業の後、通商産業省に就職。ドイツ研修後、一時期岐阜県美濃加茂市の正眼寺で僧となる。その後、岐阜県の公立高校教員採用試験を受験し合格。1965年より岐阜県立高校の教師を務め、2003年に定年退職。日本の学校教育、とりわけ歴史教育への積年の義憤を動機として著作活動に入る。
原 勝洋(はら かつひろ、1942年4月10日 - 2025… 原 勝洋(はら かつひろ、1942年4月10日 - 2025年4月2日)は、日本の戦史研究家。 静岡県出身。法政大学法学部卒業。 戦艦大和研究の第一人者として知られ、太平洋戦争特に戦艦大和や神風特別攻撃隊に関する著作を多数発表している。 2025年4月2日、心筋梗塞のため埼玉県内の病院で死去した。82歳没。
田口 佳史(たぐち よしふみ、1942年〈昭和17年〉3月8… 田口 佳史(たぐち よしふみ、1942年〈昭和17年〉3月8日 - )は、日本の東洋思想研究家、指導者学推進者。 1942年(昭和17年)生まれ。東洋思想研究家。指導者学推進者。株式会社イメージプラン代表取締役会長.。東洋思想指導者養成塾塾長。 大学卒業後、日本映画新社に入社。映画『東京オリンピック』ではチーフ監督を務めた。25歳の時、バンコク市郊外の農村で撮影中、突然水牛2頭に襲われ、瀕死の重傷を負うも奇跡的に生還。その入院中の老荘思想との運命的な出会いが、東洋思想研究家へと歩み出す契機となった。 主な著書『佐久間象山に学ぶ大転換期の生き方』『横井小楠の人と思想』『超訳 孫子』など多数。「東洋思想(儒・仏・道・禅・神道を有機的に融合させた思想や哲学)」を基盤とする独自の経営思想体系「タオ・マネジメント(東洋思想的経営論)」を構築・実践した。
亀渕 昭信(かめぶち あきのぶ、1942年〈昭和17年〉3月… 亀渕 昭信(かめぶち あきのぶ、1942年〈昭和17年〉3月1日 - )は、日本のラジオ・ディスクジョッキー、ラジオパーソナリティ、ポピュラー音楽研究家。 元ニッポン放送代表取締役社長(1999年 - 2005年)。日本民間放送連盟顧問。 媒体によっては、異体字で「亀淵昭信」とも表記される。 愛称は「カメ」「カメちゃん」。ラジオ局の制作スタッフと出演者を兼任し、のちに役員・社長として経営にたずさわった。社長退任後、ラジオパーソナリティとしての活動を再開した。 ゴスペル歌手でボイストレーナーの亀渕友香は妹。 北海道夕張郡由仁町出身(ニッポン放送第2代社長鹿内信隆と同郷。亀渕は後に「由仁町ふるさと大使」を務める。
乙田 東洋司(おつだ とよし、1942年 - 2014年)は… 乙田 東洋司(おつだ とよし、1942年 - 2014年)は、大阪市生まれの遊戯文芸研究家。 元落語家。上方言語遊戯の会「笑鬼会」本院冗皇(会長)。著書で、回文やいろは歌といった言葉遊び作品を数多く発表した(著書は後述)。日本ペンクラブ会員(1986年より)。 小学校4年の頃より、ラジオのお笑い番組荒らしで名を馳せ、清風高校3年当時には、ABCラジオ『漫才教室』を「卒業」(4週勝ち抜き)するなど、賞金を稼ぐ。1960年、高校卒業と同時に、2代目三遊亭百生に入門、三遊亭 扇生を襲名。同年、千日劇場で初舞台、高座に上る。落語家当時の芸人仲間に横山やすし、若井ぼん、前田五郎、2代目桂枝雀、3代目笑福亭仁鶴など。
松本 紘宇(まつもと ひろたか、1942年 - )は、作家、… 松本 紘宇(まつもと ひろたか、1942年 - )は、作家、食文化研究家、すし店経営者。 東京生まれ。東京大学農学部農芸化学科卒業。サッポロビール勤務。 1969年退社、ニューヨークへ渡り、1975年初のすし店「竹寿司」を開店。現在は世界各地の食文化を訪ねて歩く。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三野 正洋(みの まさひろ、1942年 - )は、日本の作家… 三野 正洋(みの まさひろ、1942年 - )は、日本の作家、戦史研究家、工学者。 1942年、千葉県に生まれる。1966年日本大学理工学部機械工学科卒業後、大手造船会社にて機関開発に従事。その後、日本大学生産工学部教養・基礎科学教室勤務。同専任講師、助教授、准教授を経て2007年に定年退職。その後非常勤講師(空気力学)を勤める。学部勤務中はホバークラフト、エアボート、風車システムの設計などに従事した。
飯島 太千雄(いいじま たちお、1942年 - )は、書の研… 飯島 太千雄(いいじま たちお、1942年 - )は、書の研究家。 書家・飯島春敬、敬芳の三男として東京・六本木に生まれる。学習院大学仏文科中退。書藝文化新社で古筆複製・学術書の編集製作・撮影を行う。書道史研究論文を『墨美』『書品』などに発表。1980年退社、以後は著作・制作に専念。編集工房「書玄」主宰。
杉原 誠四郎(すぎはら せいしろう、1941年7月29日 -… 杉原 誠四郎(すぎはら せいしろう、1941年7月29日 - )は、日本の歴史教育学者・外交史研究家・歴史評論家。 「国際歴史論戦研究所」会長。新しい歴史教科書をつくる会前会長。全国教育問題協議会顧問。 広島県出身。1965年東京大学教育学部卒、1967年同大学院教育学研究科修士課程修了。城西大学助教授、教授、武蔵野女子大学教授、校名変更で武蔵野大学教授、帝京平成大学教授。 2011年9月から2015年10月まで新しい歴史教科書をつくる会の会長を務めた。現在は顧問。また、2019年11月より民間団体「国際歴史論戦研究所」の会長を務めている。 専門分野は教育基本法の研究。教育勅語の内容には教育基本法と対立するものはないと主張した。
楠原 佑介(くすはら ゆうすけ、1941年6月24日 - 2… 楠原 佑介(くすはら ゆうすけ、1941年6月24日 - 2021年)は、日本の地名研究家、フリーライター。「地名情報資料室・地名110番」主宰。 楠原は『こんな市名はもういらない! 歴史的・伝統的地名保存マニュアル』にて歴史的伝統的地名の保存・復活を絶対的に重視し、新たに創作された地名(ひらがな・カタカナ地名、広域地名、方角地名、瑞祥地名、合成地名など)を「歴史的伝統的地名の破壊」であるとして強く批判している。その中で、合併市町村での旧国名を市町村が名乗るなどの広域地名使用については「小なるものが大なるものの名称を名乗る」という意味で「僭称」という言葉を用いて批判している。 楠原は歴史的伝統的地名を支持する根拠のひとつに地方自治法第3条(地方公共団体の名称は、従来の名称による。
船山 隆(ふなやま たかし、1941年5月2日 - )は日本… 船山 隆(ふなやま たかし、1941年5月2日 - )は日本の音楽学者、現代音楽研究家、批評家。東京芸術大学名誉教授、東京オペラシティ文化財団評議員。戸籍名は舩山隆だが、著作では船山隆という表記を使っている。 福島県郡山市に生まれる。福島県立安積高等学校、東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。1967年、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。1972年から1974年にかけて、パリ第8大学大学院博士課程に在学。1984年、東京芸術大学教授。2009年に定年退任、名誉教授となる。 1987年、第1回津山国際総合音楽祭の副監督に就任。第2回、第3回、第6回、第10回の音楽監督を歴任。津山文化振興財団理事(1998年~2012年)、津山市音楽顧問(2002年~2012年)も務めた。
落合 莞爾(おちあい かんじ、1941年〈昭和16年〉4月2… 落合 莞爾(おちあい かんじ、1941年〈昭和16年〉4月26日 - )は、日本の投資家、経営コンサルタント、歴史研究家。 一色 崇美(いっしき たかよし)・成行庵主人の筆名がある。 和歌山県和歌山市生まれ。 和歌山県立桐蔭高等学校を経て東京大学法学部卒業後、住友軽金属を経て経済企画庁調査局へ出向、住宅経済と社会資本の分析に従事し、1968-69年の『経済白書』の作成に携わる。その後、中途入社第1号として野村證券に入社、商法および証券取引法に精通し事業法人部業務課長に就任。債務超過に陥った日活の第三者割当増資や、流通卸センターによる横浜メリヤスへのM&Aで仕掛人として動いたと言われている。1978年に野村證券を退社し、株式会社新事業開発本部(現・落合莞爾事務所)を設立。
田嶋 陽子(たじま ようこ、1941年(昭和16年)4月6日… 田嶋 陽子(たじま ようこ、1941年(昭和16年)4月6日 - )は、日本の女性学研究家、フェミニスト、英文学者(元大学教授)、タレント、歌手。元参議院議員(1期)。大学院博士課程単位取得満期退学(公式HPでは「修了」)。
鈴木 松美(すずき まつみ、男性、1941年1月1日 - )… 鈴木 松美(すずき まつみ、男性、1941年1月1日 - )は、日本における音響・音声の研究家。音響研究所所長。前日本音響研究所所長。 東京都生まれ、近畿大学理工学部電気工学科卒業。警察庁通信局を経て、科学警察研究所にて主として音声、音響分野の研究に携わり、1969年12月、退官。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)を経て、1968年に個人経営の「日本音響研究所」を設立。1986年有限会社に移行。その後、NHKの教養講座講師なども務める。 2012年9月、日本音響研究所を息子の鈴木創に託し退任すると共に、自らの研究を進めるため、渋谷区神宮前に「音響研究所」を設立し所長を務める。
森 史朗(もり しろう、1941年 - )は、日本の戦史研究… 森 史朗(もり しろう、1941年 - )は、日本の戦史研究家、ノンフィクション作家。 奈良県出身。本名・中井勝。慶應義塾大学法学部政治学科(専攻・国際関係論)卒業。。文藝春秋に入り、『週刊文春』デスク。
舟田 詠子(ふなだ えいこ、1941年 - )は、日本の食文… 舟田 詠子(ふなだ えいこ、1941年 - )は、日本の食文化研究家。専門はパンの文化史。 東京都生まれ。上智大学ドイツ文学科を卒業後、ドイツへ留学する。 1978年からパンの文化史を研究し、ウィーン民俗学博物館やマリア・ルカウ村をはじめとしてヨーロッパ各地でフィールドワークと文献研究を行う。2000年、千葉大学非常勤講師( - 2004年)。2001年、東海大学文学部非常勤講師( - 2010年)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
浅川嘉富(あさかわ よしとみ、1941年 - )は、日本のオ… 浅川嘉富(あさかわ よしとみ、1941年 - )は、日本のオカルト研究家。1965年東京理科大学理学部卒業。1999年大手損害保険会社専務取締役を退任、地球・先史文明研究家に転身。ライフワークとして、中南米などの古代遺跡や辺境の地を調査し、独自の理論を展開している。山梨県出身。特定非営利活動法人自然のめぐみ教室 地球・先史文明研究会 浅川プロジェクト室長 主な活動は以下のとおり。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
石黒 敬章(いしぐろ けいしょう、1941年 - )は、日本… 石黒 敬章(いしぐろ けいしょう、1941年 - )は、日本のコレクター、古写真研究家。ゆうもあくらぶ事務局長、日本写真芸術学会評議員。父は、柔道家・エッセイストの石黒敬七。 1964年、早稲田大学商学部卒業。東京12チャンネル(現・テレビ東京)に勤務。1966年、父のコレクションを引継ぎ、石黒コレクション保存会設立。 世界の蚤の市を取材して、『太陽』(平凡社)などで紹介の傍ら、集めた骨董品の販売催事や「珍しい時計展」「世界の珍品展」など展覧会を開催、珍品マニアの先駆けとなる。また、ユーモア発明家として「ゆうもあ珍発明展」を企画、珍発明の仕掛け人でもある。「「石黒旦那ユーモア・コレクション・とんちン館」「黒船館」など資料館設立の企画監修。
筒井 紘一(つつい ひろいち、1940年9月24日 - )は… 筒井 紘一(つつい ひろいち、1940年9月24日 - )は、日本の茶道研究家。号は宗紘、如是庵。 福岡県生まれ。早稲田大学文学部東洋哲学科卒業。同大学院研究科修士課程日本文学専攻修了。文学博士。京都文化短期大学助教授、京都学園大学人間文化学部教授などを経て、京都府立大学客員教授。今日庵文庫長、茶道資料館副館長、茶書研究会会長。一般社団法人文化継承機構の代表理事。2022年、文化庁長官表彰。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
黒岩 徹(くろいわ とおる、1940年8月5日 - )は、日… 黒岩 徹(くろいわ とおる、1940年8月5日 - )は、日本のイギリス研究家。東洋英和女学院大学名誉教授。 東京府生まれ。祖父は黒岩涙香、父は黒岩菊郎(東京農工大学名誉教授)。 1964年東京大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。その後オックスフォード大学に留学、ロンドン特派員、ワシントン特派員、外信部副部長を経て1989年ロンドン支局長、1992年欧州総局長、1995年編集委員。 1999年日本記者クラブ賞受賞、東洋英和女学院大学社会科学部教授、のち国際社会学部教授。 2001年英国王より大英名誉勲章OBEを授与される。2010年東洋英和女学院大学を定年退任、名誉教授。
加納 実紀代(かのう みきよ、1940年7月17日 - 20… 加納 実紀代(かのう みきよ、1940年7月17日 - 2019年2月22日)は、日本の女性史研究家。女性史研究のパイオニアの一人とされる。娘は「沈没家族」の創始者である加納穂子。 日本統治下の京城府(現:ソウル特別市)の陸軍官舎で生まれる。陸軍軍人の父の転勤で国内へ戻り、1944年に広島市に移住する。1945年8月6日に原子爆弾に被爆し、父は遺骨も残らず亡くなる。母の実家近くの香川県善通寺市で育つ。 1963年京都大学文学部史学科卒。中央公論社勤務、1968年退社、研究者となる。 1976年、戦時女性史の研究会「女たちの現在(いま)を問う会」を立ち上げ、11月3日にミニコミ『銃後史ノート』を創刊する。
熊井 明子(くまい あきこ、1940年6月11日 - 202… 熊井 明子(くまい あきこ、1940年6月11日 - 2024年9月21日)は、日本のポプリ研究家、エッセイスト。夫は映画監督の熊井啓。 日本にポプリを紹介し、1980年代前半に起きたブームの火付け役。現在でもポプリの研究においての第一人者。実妹のハーブ研究家の桐原春子とともにハーブなどの香草にも造詣が深い。愛猫家として、猫に関するエッセイも多い。日本ペンクラブ会員。
斎藤慎一郎(さいとう しんいちろう 1940年4月22日 -… 斎藤慎一郎(さいとう しんいちろう 1940年4月22日 - 2007年12月16日)は神奈川県横浜市出身の童話作家、詩人、クモ研究家。「クモクモ仙人」と呼ばれた。中池見湿地のクモを調査したことがきっかけで同湿地の保護など地球環境保護の問題にも取り組んだ。 東京教育大学(芸術学)卒業。日本蜘蛛学会、山村民俗の会、国際泥炭学会(IPS)、世界自然保護基金日本委員会、東京・中部・三重蜘蛛談話会会員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
三宅 俊彦(みやけ としひこ、1940年4月 - )は、日本… 三宅 俊彦(みやけ としひこ、1940年4月 - )は、日本の鉄道研究家である。 東京府東京市杉並区荻窪出身。父は逓信省電気試験所の技師。戦時中、母の実家のある岡山市に疎開し、終戦になると埼玉県大宮市に転居。大宮市立日進小学校に入学し、4年次に杉並区に転居し杉並区立桃井第一小学校に転入。1953年、杉並区立神明中学校に入学。日本交通公社発行の『時刻表』(1953年11月号)を見たことをきっかけに鉄道に興味を持つ。この年は三宅にとっての鉄道元年と振り返っている。日本大学第二高等学校へ進学し、1960年には東京理科大学理学部に入学。卒業後は、1964年に日本通信工業(現・NECプラットフォームズ)に入社。
油井喜夫(ゆい よしお、 1940年 - )は、日本の社会運… 油井喜夫(ゆい よしお、 1940年 - )は、日本の社会運動家、社会運動研究家。新日和見主義事件に遭い、のちにこれを考察する書籍を著した。 6歳のとき中国・遼寧省遼陽より引揚。静岡県立藤枝東高等学校、通信教育課程を経て慶應義塾大学を卒業。静岡県職員、司法書士などに従事。 労働組合運動、青年運動などに携わる。日本民主青年同盟班長・同地区委員長・同県委員長・同中央委員、日本共産党静岡県委員などを歴任。 日本共産党静岡県委員、日本民主青年同盟中央委員・静岡県委員長在任時の1972年5月、分派活動の疑いで査問され、処分を受ける。これらの役職をすべて罷免され、足かけ3年にわたって党員権を停止された。(新日和見主義事件) 以後事件について沈黙を守っていたが、川上徹が事件の実態や問題点を世に問う『査問』(筑摩書房)を1997年12月に刊行したことをきっかけに、自身の経験を通して事件について明らかにすることを決意。
須原 一秀(すはら かずひで、1940年(昭和15年) - … 須原 一秀(すはら かずひで、1940年(昭和15年) - 2006年(平成18年)4月)は、日本の哲学者・社会思想研究家。元立命館大学非常勤講師。元龍谷大学非常勤講師。論理学・科学哲学専攻、大阪市立大学文学部哲学科博士課程退学。大阪府出身。 現代を肯定的に捉え、哲学的思索に裏打ちされた社会思想研究を行う哲学者であったが[要出典]、本人の遺著『自死という生き方』によれば「一つの哲学的プロジェクトとして」、2006年4月、自宅近くの神社にて自殺した(65歳没)。
大沼 忠弘(おおぬま ただひろ、1940年 - )は、日本の… 大沼 忠弘(おおぬま ただひろ、1940年 - )は、日本の哲学者、カバラー研究家。 埼玉県生まれ。東京大学文学部哲学科卒。1969年同大学院博士課程中退。埼玉大学講師、名古屋大学教養部助教授を経て、宗教儀礼研究所所長。株式会社アンク代表取締役。イシス学院主宰。古代ギリシア哲学の研究から出発し、「カバラー」を基軸として、古今東西の密儀体系を探究している。
足立育朗(1940年 - )は、日本の著作家、建築家、波動の… 足立育朗(1940年 - )は、日本の著作家、建築家、波動の研究家。形態波動エネルギー研究所の所長。 1964年、早稲田大学第一理工学部建築学科卒業。1968年、樹生建築研究所設立。1990年、形態波動エネルギー研究所設立。 宇宙はエネルギー及び物質の振動波で構成されていることを真の科学として直覚し、研究・創作活動として実践する。 全ての存在、現象は、エネルギー及び物質の振動波であることを自らの周波数変換によって発見し、振動波科学の基礎的研究活動を行い、自然の法則にかなった地球文化の創造に役割を続ける。 1983年、直観とは何なのか?閃きとは何なのか?に疑問に持ち、妹である足立幸子と共に波動というものを追窮するスタートを切る。
川勝 良昭(かわかつ よしあき、1940年 - )は、日本の… 川勝 良昭(かわかつ よしあき、1940年 - )は、日本のプロジェクトマネジメント研究家、コンサルタント。元法政大学情報技術研究センター教授。新潟県参与。京都府出身。 京都府出身。1962年、早稲田大学法学部卒業。 新日本製鐵に入社して、ニューヨーク駐在員となった。帰国後、本社の技術協力開発部長、テーマパーク開発部長を歴任。北九州市のスペースワールドのプロジェクトリーダーとなった。 1980年、再びニューヨーク駐在員となり、ニューヨーク州立大学の客員講師を務めた。 1992年、セガ・エンタープライゼスに転職して、テーマパーク事業部長に就任。ジョイポリス第1号店の開発事業を手掛けた。1995年、岐阜県理事となり、梶原拓知事の「県起こし」事業を推進。
白倉 敬彦(しらくら よしひこ、1940年 - 2014年1… 白倉 敬彦(しらくら よしひこ、1940年 - 2014年10月4日)は、日本の民俗学者、浮世絵研究家、文筆家。とくに春画の発掘と研究で知られる。 北海道空知郡北村(現・岩見沢市)に生まれる。早稲田大学文学部を中退した。現代美術のプロデュースを始め、広く美術の企画・編集に従事する。国際浮世絵学会常任理事。2000年の『浮世絵春画を読む』以来、田中優子との協同作業で春画や近世遊里に関する著作が多い。田中の『芸者と遊び』は田中著となっているが、中に、半分は白倉が書いた、とある。1999年の田中の著書『張形 江戸をんなの性』でも資料蒐集など協力し、田中が共著を申し出たが固辞されたという。 『浮世絵春画を読む』で、タイモン・スクリーチの説に反論し「春画はポルノグラフィーではなく、純粋な芸術として評価すべき」と主張したが、ポルノグラフィーの定義が曖昧だと批判を受け、次の『江戸の春画』では、ポルノグラフィーかどうかには興味がない、と書いた。
高木 実(たかぎ みのる、1939年9月7日 - 2009年… 高木 実(たかぎ みのる、1939年9月7日 - 2009年4月3日)は、日本の地図切手研究家。 神奈川県横浜市出身。学校法人高木学園創立者・高木君の孫。横浜国立大学学芸学部附属横浜中学校、東京都立小山台高等学校を経て、1964年早稲田大学政治経済学部卒業、八幡製鉄(のち新日本製鐵)勤務。1987年経済広報センター研究員として出向。1991年退社、学校法人高木学園理事長。趣味で地図切手を収集し、著作をなした。
丸山 勝(まるやま まさる、1939年7月12日 - )は、… 丸山 勝(まるやま まさる、1939年7月12日 - )は、日本の国際ジャーナリスト、中国研究家。 長野県塩尻市生まれ。1963年京都大学文学部東洋史学科卒、読売新聞記者となる。1971年から1973年までインドネシア・ジャカルタ特派員、1975年から1978年までケニア・ナイロビ特派員を務めた後、中華人民共和国・北京支局長、アジア総局長、外報部次長、読売新聞調査研究本部主任研究員を務めた。 1994年から1998年まで文教大学文学部で非常勤講師、また台湾国策研究院客員研究員を務めた。目白大学社会学部メディア表現学科教授として国際ジャーナリズム論の教鞭を執った。
山路 興造(やまじ こうぞう、1939年6月13日 - )は… 山路 興造(やまじ こうぞう、1939年6月13日 - )は日本の民俗学者、芸能史研究家。京都嵯峨芸術大学客員教授、「藝能史研究会」代表委員、「民俗芸能学会」代表理事。 東京府東京市(現・東京都)渋谷に生まれ、日本橋で育った。早稲田大学教育学部[要出典]を卒業した。 国立文化財研究所芸能部(現・東京文化財研究所無形文化遺産部)嘱託を経て、平凡社地方資料研究センター所員となる。京都市歴史資料館主幹を経て、1992年より[要出典]同館館長を務めた。在任中には、『京都市史』の編纂に携わった。のち京都市文化財保護課参与となる。また、京都嵯峨芸術大学博物館館長・客員教授を務めた。民俗芸能の研究に携わっている。
清水 勲(しみず いさお、1939年4月29日 - 2021… 清水 勲(しみず いさお、1939年4月29日 - 2021年3月2日)は、日本の漫画・風刺画研究家。 東京市(現大田区)生まれ、千葉県習志野市在住。日本マンガ学会、日本笑い学会、日本ペンクラブ各会員。妻は工芸作家の清水己明。 立教大学理学部数学科卒業。1963年三省堂に入社して編集者となる。1968年から1983年まで、日本リーダーズ・ダイジェスト社で勤務。1984年より研究・著作に専念。 川崎市市民ミュージアム専門研究員、文京女子短期大学非常勤講師、帝京平成大学教授、学習院女子大学非常勤講師をはじめ、日本仏学史学会会長、岡本太郎美術館収集委員、昭和館運営委員、日本漫画資料館館長などを歴任した。
遠藤 秀男(えんどう ひでお、1939年3月1日- )は、地… 遠藤 秀男(えんどう ひでお、1939年3月1日- )は、地誌研究家、富士山研究家。 静岡県富士宮市出身。筆名・富士宗四郎。國學院大學文学部卒。大学時代から富士山の研究を始める。地元で教師をしながら研究、のちにフリーになった。1968年静岡県教育奨励賞受賞。富士宮市史執筆委員。福よし美術店主を務めた。
野村 雅昭(のむら まさあき、1939年 - )は、日本の日… 野村 雅昭(のむら まさあき、1939年 - )は、日本の日本語学者、落語研究家。専門は日本語学(文字・語彙)、話芸の言語学的分析。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。1962年東京教育大学文学部卒。大学在学中の1966年、関東圏各大学の落語研究会の連合組織「全関東大学落語連盟」を結成した。都立高校教諭、国立国語研究所言語計量研究部長を経て、1974年佐伯梅友国語学賞受賞。1989年早稲田大学教授、文学学術院教授。2010年定年退任、名誉教授。NHK放送用語委員、日本語学会会長などを歴任。 JIS漢字コードの制定・改定に功績を持つ。
矢吹 晋(やぶき すすむ、1938年10月1日 - )は、日… 矢吹 晋(やぶき すすむ、1938年10月1日 - )は、日本の中国研究家。横浜市立大学名誉教授。 福島県生まれ。1962年、東京大学経済学部卒業。 東洋経済新報社、アジア経済研究所を経て、横浜市立大学商学部教授となる。中国経済論と現代中国論が専攻分野である。2004年横浜市大定年退職、名誉教授。 1945年4月、郡山市田村町守山国民学校入学 1951年4月、郡山市田村町守山中学校入学 1954年4月、福島県立安積高等学校入学、1957年3月、卒業。 『知事抹殺』の佐藤栄佐久知事は1年後輩。隣家の舩山隆(音楽評論)は矢吹が卒業した年に入学。 1958年4月、東京大学教養学部入学、三鷹寮を抜け出して、駒場寮中国研究会に入る。
永竹 由幸(ながたけ よしゆき、1938年7月26日 - 2… 永竹 由幸(ながたけ よしゆき、1938年7月26日 - 2012年5月9日)は、オペラ研究家、評論家、昭和音楽大学教授。 東京都中央区築地生まれ。慶應義塾中等部の頃から歌舞伎を観るほか、藤原歌劇団の練習所に通い詰める。慶應義塾高等学校演劇部に在籍し、市川猿之助作「宝島」の作曲を担当、猿之助と共に白木劇場の舞台に立つ。慶應義塾大学ではオペラ研究会を創立、慶應義塾創立100年記念に若杉弘指揮、メノッティの「電話」を演出。1961年慶應義塾大学商学部を卒業、三井物産に入社、1965年同社イタリア修業生としてボローニャ大学に留学。その後二回にわたり計11年、同社ミラノ店に勤務し、1988年退社。ANFコーポレーション、サウンド・バンク社長を歴任し、1996年退任。
林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 202… 林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 2021年2月10日)は、日本の政治活動家、経済学研究家。社会主義労働者党委員長、マルクス主義同志会代表を経て、労働の解放をめざす労働者党(略称・労働者党)代表委員。旧組織名・栗木伸一。 元東京女子大学教授・林道義の弟。保守派・反フェミニズムとなった兄については厳しい批判を展開している。 長野県出身。父が教師だっため転居を繰り返す。長野県伊那北高等学校卒業後、東京大学文学部入学。青木昌彦に勧誘され、19歳の時に日本共産党に入党するが半年で離党。離党理由については「お粗末な実態に愛想をつかした」と述べている。その後共産主義者同盟の一員として60年安保闘争に参加。
矢野 憲一(やの けんいち、1938年4月10日 - )は、… 矢野 憲一(やの けんいち、1938年4月10日 - )は、日本の神職、民俗学者、鮫研究家。矢野高陽は子息。 「サメ博士」のあだ名がある。 現在の三重県伊勢市に生まれる(矢野の生誕当時は「伊勢市」は存在しない)。國學院大學文学部国史学科を卒業し、1962年から神宮に奉職する。神宮禰宜、神宮司庁広報課長、奉賽部長、文化部長、総務部副部長、神宮徴古館農業館館長を歴任した。2002年に退職して、特定非営利活動法人の五十鈴塾塾長となる。[要出典] 1977年に『ぼくは小さなサメ博士』で毎日児童小説賞を、1979年に日本旅行記賞を受賞[要出典]。1980年に『鮫の世界』『ぼくは小さなサメ博士』『鮫 ものと人間の文化史』で樋口清之博士記念賞を受賞。
田之倉 稔(たのくら みのる、1938年3月24日 - )は… 田之倉 稔(たのくら みのる、1938年3月24日 - )は、日本の演劇評論家、イタリア演劇研究家。共立女子大学非常勤講師。見世物学会会長。 1961年、東京外国語大学イタリア語科卒業、1970年、集英社嘱託、1971年、同社パリ支局長として赴任、1981年、『イタリアのアヴァンギャルド』でマルコ・ポーロ賞、1986年、『ピエロの誕生』で蘆原英了賞受賞。静岡県立大学教授を務めた。著書多数。劇評も行う。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。
立石 憲利(たていし のりとし、1938年〈昭和13年〉3月… 立石 憲利(たていし のりとし、1938年〈昭和13年〉3月7日 ‐ )は、日本の民俗学者、岡山県の民話研究家。岡山民俗学会名誉理事長、日本民話の会運営委員、岡山県語りのネットワーク会長。 岡山県久米郡津山市出身。2004年久留島武彦文化賞、2007年岡山県文化賞、山陽新聞賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。