猪俣 康一(いのまた こういち、1976年5月11日 - )… 猪俣 康一(いのまた こういち、1976年5月11日 - )は、神奈川県横浜市出身の競輪選手、元マウンテンバイクレース(MTB)選手、元モトクロス選手。日本競輪選手会愛知支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第99期生。現在の師匠は山内卓也。 神奈川県立釜利谷高等学校出身。 MTBのダウンヒル及びフォークロス部門において、日本では草分け的存在の選手だった。1996年頃より、本場であるアメリカ合衆国の名門チームと称される、YETI(イェティ)ファクトリーチームの一員として2年間活動した。その後、MTBでの活動を継続しながら、モトクロスの国際B級ライセンスを取得したことで活動拠点を広げたが、2007年10月、いずれの活動からも引退を表明した。
小野 俊之(おの としゆき、1976年4月21日 - )は、… 小野 俊之(おの としゆき、1976年4月21日 - )は、元競輪選手。現在は競輪評論家。現役時代は日本競輪選手会大分支部所属、ホームバンクは別府競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第77期生。師匠は中西龍太郎(56期)、弟子は甲斐俊祐(121期)。 大分県別府市出身。小3の時に競輪選手を志す。 大分県立日出暘谷高等学校在学中から自転車競技を行っており、3年生のときに出場した1994年のジュニア世界選手権自転車競技大会(エクアドル・キト)のスプリントで銅メダルを獲得。同年、アジア競技大会(広島)のスプリントでも銅メダル。また同年には高校生ながらも、世界自転車選手権(イタリア・シチリア島)の日本代表メンバーにも選出された。
小倉 竜二(おぐら りゅうじ、1976年4月3日 - )は、… 小倉 竜二(おぐら りゅうじ、1976年4月3日 - )は、日本の競輪選手である。徳島県徳島市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第77期卒業。日本競輪選手会徳島支部所属。ホームバンクは小松島競輪場。初出走は1996年4月14日の高知競輪場で初勝利も同レース。血液型はA型。 幼稚園の時に競輪選手を志した。徳島県立徳島商業高等学校時代は、高校総体スプリント1位などの実績を残す。卒業後、競輪学校に入学。デビュー後2年目の1998年のふるさとダービー(観音寺競輪場)に優勝して注目を浴び、翌1999年には競輪祭で優勝し早々とGIタイトルホルダーの仲間入りを果たした。 2001年2月に地元の小松島競輪場で行われたふるさとダービーで優勝した後は落車によるケガの影響で不調が続いていたが、2006年に再び吉岡稔真の番手をまわって競輪祭で優勝し、約6年ぶりにGIタイトルを手にした。
伏見 俊昭(ふしみ としあき、1976年2月4日 - )は日… 伏見 俊昭(ふしみ としあき、1976年2月4日 - )は日本の競輪選手、自転車競技選手である。福島県白河市出身。(旧)日本競輪学校第75期卒業。日本競輪選手会福島支部所属。師匠は班目秀雄。初出走は1995年4月15日の伊東温泉競輪場で初勝利は同年5月6日の四日市競輪場。身長181cm、体重86kg、水瓶座のO型。既婚。 福島県立白河実業高等学校在学中から自転車競技を始め、競輪選手としてデビュー後も、アジア選手権や世界選手権自転車競技大会などへ毎年のように出場を続けたが、2000年のシドニーオリンピック代表最終選考会でコンマの差で落選し、挫折を味わう。 次大会、2004年のアテネオリンピックの自転車競技代表に選ばれ、ついに夢を実現させた。
小島 雅章(こじま まさあき、1975年9月19日 - )は… 小島 雅章(こじま まさあき、1975年9月19日 - )は、競輪選手、元陸上競技選手(短距離走)。日本競輪選手会埼玉支部所属、ホームバンクは大宮競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第83期生。師匠は板羽俊一(64期)。 埼玉県出身。深谷市立川本中学校時代は、全日本中学校陸上競技大会の100m、200mで優勝。東京農業大学第二高等学校時代は、国民体育大会の100mで優勝。日本大学時代は、日本学生陸上競技対校選手権大会(インカレ)の400mで優勝。 大学卒業後に競輪へ転身することを決意、競輪学校へは83期生として入学。競輪学校の在校競走成績は57位(9勝)。 1999年8月18日、京王閣競輪場でデビューし初勝利を挙げた。
金子 貴志(かねこ たかし、1975年9月5日 - )は愛知… 金子 貴志(かねこ たかし、1975年9月5日 - )は愛知県豊橋市出身の競輪選手、自転車競技選手。旧日本競輪学校第75期生。日本競輪選手会・愛知支部所属。選手登録番号12972。師匠は樋口和夫(33期)。深谷知広は高校の後輩であり弟子。ホームバンクは豊橋競輪場。 小学生時代は剣道、中学生時代は野球に取り組んでいた。 桜丘高等学校2年の終盤に陸上競技から自転車競技に転向し、卒業後は旧日本競輪学校に第75期生として入学する。 1995年4月8日、岐阜競輪場でデビューし9着。トップクラスの選手として確立するのに時間がかかったが、2002年の競輪祭で決勝進出(6着)を果たすと、2004年4月に佐世保競輪場で開催されたふるさとダービー決勝では、逃げる井上昌己をバックストレッチから捲りきって優勝し、初めてGIIのタイトルを獲得した。
市田 佳寿浩(いちだ かずひろ、1975年7月28日 - )… 市田 佳寿浩(いちだ かずひろ、1975年7月28日 - )は、元競輪選手、競輪評論家、実業家。福井県坂井市(旧春江町)出身。現役時代は日本競輪選手会福井支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第76期卒業。師匠は野原哲也(51期)。弟子は、次男[要出典]の市田龍生都(127期)、柳原真緒(114期)など。 福井県立春江工業高等学校を経て競輪学校に第76期生として入学し、在校競走成績第1位(73勝)で卒業。デビュー戦は1995年8月5日の松阪競輪場(1着)。 GI初出場となった1997年のオールスター競輪(平塚競輪場)では、準決勝まで進出するも、自身の番手をまわった濱口高彰のシビアな切り替えに最終ホームで早々と遭ったこともあり7着敗退。
稲村 好将(いなむら よしのぶ、1975年7月24日 - )… 稲村 好将(いなむら よしのぶ、1975年7月24日 - )は、日本の競輪選手。日本競輪選手会群馬支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第81期生。 稲村雅士(16期)は実父であり師匠。稲村成浩(69期)は実兄。 群馬県立前橋工業高等学校時代の1992年、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(インターハイ、宮崎県自転車競技場)のイタリアンチームレースで、手島慶介らとともに優勝に貢献。その後は競輪学校に入校し、同校の在校競走成績は9位(10勝)。主な同期生には加藤慎平、合志正臣、長塚智広らがいる。 1998年8月6日、ホームバンクである前橋競輪場でデビューし、初勝利を挙げた。 グレードレースでの優勝歴はGIIIで1回のみだが安定してS級で活躍を続けており、2023年上期よりS級1班に昇格する。
村本 大輔(むらもと だいすけ、1975年6月29日 - )… 村本 大輔(むらもと だいすけ、1975年6月29日 - )は、静岡県静岡市出身の元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会静岡支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第77期生。師匠は伊藤勝也(54期)。 義理の息子(娘婿)は磯島康祐(105期、青森)。 静岡北高等学校を経て、競輪学校に第77期生として入学。 初出走は1996年4月20日の伊東温泉競輪場で、初勝利も同レース。 デビュー後から順調にS級に昇級して全ての方向に動きの良い追込選手として売り出した。また、静岡市葵区を流れる藁科川沿いをロード練習のコースとしている静岡所属の選手サークル「藁科軍団」のリーダー的存在であった。 2005年の第56回高松宮記念杯競輪で優勝、初のGIタイトルを獲得。
村本 大輔(むらもと だいすけ、1975年6月29日 - )… 村本 大輔(むらもと だいすけ、1975年6月29日 - )は日本の元競輪選手。静岡市出身。日本競輪学校第77期卒業。日本競輪選手会静岡支部所属。師匠は伊藤勝也。初出走は1996年4月20日、伊東温泉競輪場。初勝利も同レース。あだ名は「ゴルゴ」。
高城 信雄(たかぎ のぶかつ、1975年5月2日 - )は、… 高城 信雄(たかぎ のぶかつ、1975年5月2日 - )は、兵庫県を登録地としていた元競輪選手。日本競輪学校(以下、競輪学校)第77期生。師匠は高垣隆夫(37期)。 滝川第二高等学校を経て、競輪学校に技能試験合格し入学。在校競走成績は14位(20勝)。 1996年4月11日、岐阜競輪場(以下、岐阜)でデビューし初勝利。その後の2日間も勝利し、デビュー場所で完全優勝を収めた。 2000年7月27日、高松競輪場(以下、高松)で10.6秒のバンクレコードを記録。 2001年、世界選手権自転車競技大会の、個人スプリント(20位)とケイリン(1回戦敗者復活戦敗退)に出場。 2004年、寬仁親王牌(前橋競輪場)決勝7位。
宮﨑 一彰(みやざき かずあき、1975年4月24日 - )… 宮﨑 一彰(みやざき かずあき、1975年4月24日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手(内野手)で、現在は日本競輪選手会高知支部所属の競輪選手。
宮﨑 一彰(みやざき かずあき、1975年4月24日 - )… 宮﨑 一彰(みやざき かずあき、1975年4月24日 - )は、高知県四万十市出身の元プロ野球選手(内野手)で、現在は日本競輪選手会高知支部所属の競輪選手。 明徳義塾高校では2年夏に甲子園出場、星稜高校との松井秀喜5打席連続敬遠があった試合でも、控え選手としてベンチ入りしていた。 高校卒業後は法政大学に入学、同期には真木将樹らがおり、4年生の時にレギュラーを獲得。4年秋にはベストナインに選出され第28回明治神宮野球大会で準優勝したが、ドラフト会議では指名されなかった。 大学卒業後は社会人野球のいすゞ自動車に進んだが、約半年で退社し、1999年にアメリカ独立リーグ・ノーザンリーグのアディロンダック・ランバージャックス(英語版)に入団。
手島 慶介(てじま けいすけ、1975年2月14日 - 20… 手島 慶介(てじま けいすけ、1975年2月14日 - 2009年1月25日)は、群馬県佐波郡玉村町出身の競輪選手。日本競輪学校第75期卒業。日本競輪選手会群馬支部所属。師匠は高橋祥一(引退)。初出走は1995年4月8日の宇都宮競輪場で初勝利は同開催の4月10日。血液型はO型。 弟の手島之憲(-ゆきのり 後に志誠と改名)も競輪選手である(群馬・83期)。 プロ野球選手が夢だったが、実家の隣人の競輪選手だった人との出会いをきっかけに、この職業を目指す。 群馬県立前橋工業高等学校在学時から自転車競技を行っており、卒業後に入学した競輪学校では、太田真一、十文字貴信、伏見俊昭、金子貴志ら逸材揃いの75期の中で卒業記念レースを優勝する。
羽石 国臣(はねいし くにおみ、1975年1月6日 - )は… 羽石 国臣(はねいし くにおみ、1975年1月6日 - )は、日本の元スピードスケート選手で、競輪選手。 栃木県日光市出身。日光高校を経て日本大学へと進学。スケートに専念できる就職口がなかったため、大学卒業後は、地元・日光の鉄工所でアルバイトをしながら一人で練習を行なう。その後、三協精機製作所(現 ニデックインスツルメンツ)に入社。 1998年12月の長野大会に、ISUワールドカップとして初参加し、500mで3位に入る。翌1999年3月に行われたローズビルの同大会・500mでは、長野オリンピック・500m銀メダリストのジェレミー・ウォザースプーン(2位)を破り優勝。 2001年の全日本スプリントスピードスケート選手権大会で総合3位に入り、清水宏保、武田豊樹、堀井学とともに、2002年のソルトレイクシティオリンピック・500mの日本代表として出場、12位となる。
宮越 大(みやこし だい、1974年9月6日 - )は、富山… 宮越 大(みやこし だい、1974年9月6日 - )は、富山県富山市出身の競輪選手。日本競輪選手会(以下、選手会)常務理事(富山支部長兼務)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第77期生。師匠は笹倉重治(48期)。弟の宮越孝治も現役の競輪選手(82期)。 富山県立富山工業高等学校を経て競輪学校に入学。在校競走成績は69位(5勝)。 1996年4月14日、名古屋競輪場でデビューし2着。初勝利は同年4月28日の甲子園競輪場。 2015年7月1日より実施される、競輪の後期級班別ランキングにおいて、40歳にして初めて競輪界最高ランク(S級S班は除く)であるS級1班に昇格。 のち選手会富山支部長に就任、さらに2022年6月下旬より選手会常務理事に就任したため公務専念によりそれ以降は競走参加を控えており、実質のラストレースは同年6月20日の宇都宮FII(モーニング)最終日第7レース(決勝)5着であった。
池上 洋二郎(いけがみ ようじろう、1974年6月25日 -… 池上 洋二郎(いけがみ ようじろう、1974年6月25日 - )は、日本の元陸上競技選手、元競輪選手。熊本県山鹿市出身。 日本競輪学校第77期生。同期には小倉竜二、小野俊之らがいる。1996年4月13日、小倉競輪場でデビューし、初勝利も同日。 2010年1月26日選手登録削除。通算戦績978戦205勝、優勝8回。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
石丸 寛之(いしまる ひろゆき、1974年4月30日 - )… 石丸 寛之(いしまる ひろゆき、1974年4月30日 - )は競輪選手である。岡山県倉敷市出身。日本競輪選手会岡山支部所属。日本競輪学校第76期卒業。 岡山県立玉野光南高等学校時代の1992年、インターハイ(宮崎)の陸上競技で4x400メートルを優勝する。また400mでも3位に入った。この他にも国民体育大会の少年400mで3位となっている。 高校卒業後は競輪選手を目指し、本田晴美に師事して1994年、日本競輪学校(第76期生)に入学。同期には、市田佳寿浩らがいる。1995年8月6日、武雄競輪場でデビューし、初勝利も同日。高校時代に陸上で培ったダッシュ力を生かした鋭い捲りを武器に、2001年頃から常時特別競輪に出場し、また2007年までに記念(GIII)を2回制覇するなど、トップクラスの選手としての地位を築いていたが、展開に恵まれなければ大敗することも少なくなく、特別競輪であるGI、GIIでは準決勝どまりの状態が続いた。
佐々木 健司(ささき けんじ、1974年4月6日 - )は、… 佐々木 健司(ささき けんじ、1974年4月6日 - )は、日本の競輪選手(76期)。 青森県青森市出身。86期生の佐々木省司は実弟。師匠は葛西新藏。 青森山田高校を経て東北学院大学に進んだ。1993年の全日本大学対抗選手権自転車競技大会(インカレ)・タンデムスプリントで優勝。その後競輪学校に入校。同期には市田佳寿浩、石丸寛之らがいる。 1995年8月5日、松阪競輪場でデビューしたが失格に終わった。2012年3月2日時点、日本選手権競輪に6回出場などの実績を持つ。 2011年12月11日午前4時20分頃、青森県青森市新城山田の国道7号でワンボックスカーを運転中、丁字路で56歳女性の軽自動車が右折してきた際に左側面が佐々木の車の前面と衝突、女性は全身を強く打って市内の病院に搬送されたが約1時間後に内臓損傷による出血性ショックで死亡、佐々木は肩などを打撲して軽傷、呼気から基準値超えのアルコールが検出、道路交通法違反(酒気帯び運転)容疑で逮捕された。
布居 寛幸(ぬのい ひろゆき、1974年3月11日 - )は… 布居 寛幸(ぬのい ひろゆき、1974年3月11日 - )は、和歌山県和歌山市出身の競輪選手。旧日本競輪学校(以下、競輪学校)第72期生。師匠は蛯名隆(競輪学校第49期生)。 競輪学校第109期生の布居翼は長男、同第111期生の布居大地は次男、同第118期生の布居光は長女。 和歌山県立和歌山北高等学校を経て競輪学校72期生となり、在校競走成績は第2位。 1993年8月14日、松阪競輪場でデビューし1着。 2001年、全日本選手権・スプリント優勝。アジア自転車競技選手権大会オリンピックスプリント(金子貴志、大森慶一とのトリオ)優勝、スプリント 3位。 特別競輪では、全プロでスプリント競技にエントリーしていた関係か、寬仁親王牌の出場が多かった。
新田 康仁(にった やすひと、1974年3月8日- )は、日… 新田 康仁(にった やすひと、1974年3月8日- )は、日本競輪選手会・静岡支部に所属する競輪選手。静岡県磐田市出身。日本競輪学校第74期生。同期に小嶋敬二らがいる。ホームバンクは静岡競輪場。 中学から静岡県立磐田農業高等学校在学中まで陸上競技を行っていた。後に入学した競輪学校では在校競走成績第5位。デビュー戦は1994年8月14日、宇都宮競輪場で迎え、初勝利も同日。またこの開催では完全優勝も果たした。 1998年頃からGI、GIIでは常連選手となっていくが、2000年のオールスター競輪(高知)で初のGI決勝進出(9着)を果たす。2002年のふるさとダービー(防府)決勝では、優勝した齋藤登志信を鋭く追い詰め2着。
武田 豊樹(たけだ とよき、1974年1月9日 - )は競輪… 武田 豊樹(たけだ とよき、1974年1月9日 - )は競輪選手。元スピードスケート選手。北海道斜里郡斜里町出身。釧路緑ヶ岡高等学校(当時)卒業。身長177cm、体重78kg → 85kg → 90kg。 高校時代は同学年で後に長野オリンピック500m金メダリストとなる清水宏保よりも好成績を収める。高校卒業後に王子製紙スケート部に入部するも伸び悩み、日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)入学を目指すために1997年に現役を一時引退し同スケート部を退部。当時の24歳未満という年齢制限で自身ラストチャンスだったが、二次の学科試験に落ち不合格となる。 失意の中、4畳半のアパートで男3人の共同生活を送るある日、仕事(橋本聖子議員の運転手)で訪れた成田国際空港で、海外遠征から帰国した清水と偶然再会。
金山 栄治(かなやま えいじ、1973年12月27日 - )… 金山 栄治(かなやま えいじ、1973年12月27日 - )は、競輪選手。日本競輪選手会福井支部所属(登録地は滋賀県)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第72期生。師匠は七竹茂(33期)。 崇徳高等学校を経て競輪学校に入学。在校競走成績は29位(18勝)。 デビュー当時は広島支部所属で、ホームバンクは広島競輪場であった。1993年8月14日、松阪競輪場でデビューし8着。初勝利は同年8月22日の伊東温泉競輪場。 常に打鐘先行を心がける思い切った競走を武器に、1995年の全日本選抜競輪(青森競輪場)で、現在のGI初出場ながらも優出(9着)。その後、同年の寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(前橋競輪場)でも決勝に進出(9着)した。
坂上 忠克(さかがみ ただかつ、1973年11月28日 - … 坂上 忠克(さかがみ ただかつ、1973年11月28日 - )は、競輪選手。石川県内灘町出身。日本競輪選手会富山支部所属(登録地は石川県)、ホームバンクは石川県立自転車競技場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第71期生。師匠は石田真二(競輪学校42期生)。 実弟も競輪選手の坂上樹大(80期)。 石川県立内灘高等学校時代、1990年の第45回国民体育大会(福岡・とびうめ国体)、また1991年の全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(インターハイ、静岡競輪場)及び第46回国民体育大会(石川国体)の4000m速度競走で優勝。その後競輪学校に入校。在校競走成績は35位(8勝)。 1993年4月10日、前橋競輪場でデビューし2着。
前反 祐一郎(まえそり ゆういちろう、1973年11月19日… 前反 祐一郎(まえそり ゆういちろう、1973年11月19日 - )は、広島県広島市出身の競輪選手。日本競輪学校第81期生。師匠は和田誠吾(競輪学校第55期生)。 山陽高等学校を経て中央大学に進学。1996年の第51回ひろしま国体・成年スプリントで優勝。翌1997年競輪学校に入校。同期には長塚智広、加藤慎平、合志正臣、飯嶋則之らがいるが、同校の卒業記念レースで優勝。また、在校競走成績は第4位(39勝)だった。 1998年8月14日、高松競輪場でデビューし初勝利を挙げた。さらに後2日間も勝利して、デビュー場所で完全優勝を達成。 2000年、最後の開催となった全日本新人王戦(小倉競輪場)に出場し4着(優勝は同期の加藤)。
渡邉 晴智(わたなべ はるとも、1973年7月30日 - )… 渡邉 晴智(わたなべ はるとも、1973年7月30日 - )は、競輪選手。日本競輪選手会静岡支部所属。静岡県富士市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第73期生で、同期には村上義弘らがいる。師匠は村松清一。 長男の雅也(117期・静岡)、長女(雅也の姉)の栞奈(122期・静岡)も競輪選手。ほかに次女がいる。娘婿(栞奈の夫)も競輪選手である野崎翼(121期・岐阜)。 弟子には栞奈・雅也のほか、甥である渡邉雄太(105期・静岡)・直弥(113期・静岡)らがいる。 星陵高等学校在学中から自転車競技を行い、競輪学校に入学。デビュー戦は1994年4月8日の千葉競輪場で迎え5着だったが、この開催では優勝を果たし、また優勝したレースが初勝利ともなった。
石井 雅史(いしい まさし、1972年12月23日 - )は… 石井 雅史(いしい まさし、1972年12月23日 - )は、元競輪選手で、現在は自転車競技(パラサイクリング)選手。神奈川県伊勢原市出身。現在藤沢市在住、藤沢市みらい創造財団、イナーメ信濃山形所属。 藤嶺学園藤沢高等学校を経て、日本競輪学校第72期生として、日本競輪選手会・神奈川支部に在籍。ホームバンクは平塚競輪場で、1993年8月21日にいわき平競輪場でデビューし3着。初勝利は同年9月23日、高松競輪場で挙げた。 2001年7月16日、自宅近辺の山中にて街道練習(ロードワーク)中に乗用車と正面衝突し、びまん性軸索損傷などで意識不明の重体に陥ってしまう。事故から約1か月後に意識は回復したが、脳外傷の後遺症により言語障害や記憶障害が生じてしまい、また左脚が不自由な状態となった。
齋藤 登志信 (さいとう としのぶ、1972年11月8日- … 齋藤 登志信 (さいとう としのぶ、1972年11月8日- )は、山形県上山市出身の競輪選手。日本競輪選手会宮城支部所属、ホームバンクは宮城自転車競技場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第80期生。師匠は矢萩利憲(33期)。 山形電波工業高等学校在籍時代の1990年、前橋で開催された世界自転車選手権(トラックレース)・タンデムスプリント(アマチュア部門)に、当時群馬県立前橋工業高等学校に在籍していた1学年上の稲村成浩とペアを組んで出場(コパイロット)。準決勝で同種目3連覇中のフランス(フレデリック・マニェ・ファブリス・コラ)を2-1の対戦スコアで下し、決勝でこそイタリアペアに0-2で敗れたものの2位となり、日本勢として同大会の16年連続となるメダル獲得に貢献した。
大熊 正太郎(おおくま しょうたろう、1972年9月24日 … 大熊 正太郎(おおくま しょうたろう、1972年9月24日 - )は、元競輪選手。宮城県仙台市(旧 泉市)出身。日本競輪学校第78期卒業。現役時は日本競輪選手会宮城支部所属。 宮城県仙台第三高等学校を経て陸上自衛隊・第一空挺団に入隊。自衛隊時代はラグビー選手として国民体育大会に出場。 その後は盛田広美(宮城・27期)に師事して日本競輪学校に合格し第78期生として入学。在校競走成績は3勝を挙げ68位。1996年8月16日、立川競輪場でデビューし、初勝利を挙げた。 デビューからしばらくは徹底先行選手として鳴らし、2001年から2003年頃までは常時特別競輪(現在のGI)へ出場していた。 2013年6月9日の前橋競輪場第8R・A級特選で4着となった後、同月27日にA級1班在位のまま選手登録を消除し引退。
門脇 真由美(かどわき まゆみ、1972年9月21日 - )… 門脇 真由美(かどわき まゆみ、1972年9月21日 - )は、宮城県大崎市出身の元女子競輪選手。現役時代は日本競輪選手会大阪支部所属、ホームバンクは関西サイクルスポーツセンター。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生(ガールズケイリン第1期生)。師匠は城本量徳(アマチュア指導者であり競輪選手ではない)。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)にある古川商業高等学校に入学してから自転車競技を始め、同校卒業後はチームミヤタに加入したが、同チームはロードレース主体の活動であり、自らのプレースタイルに合わなかったことから1年で退団。その後、城本量徳に出会い、活動拠点を関西サイクルスポーツセンターのある大阪府に移した。
志智 俊夫(しっち としお、1972年9月3日 - )は、競… 志智 俊夫(しっち としお、1972年9月3日 - )は、競輪選手。日本競輪選手会岐阜支部所属、ホームバンクは岐阜競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第70期生。師匠は大島昭二(50期)。 岐阜県立岐南工業高等学校を経て競輪学校に入校。在校競走成績は25位(21勝)。1992年8月9日、西武園競輪場でデビューし5着。初勝利は同年9月21日の高知競輪場。 2005年に行われた第1回サマーナイトフェスティバル(川崎競輪場、7着)、翌2006年の競輪祭(小倉競輪場、9着)、ふるさとダービー(小松島競輪場、6着)でそれぞれ決勝に進出。開設記念競輪では、4日制移行以後4回の優勝を記録している。 2012年に通算400勝を、2017年には500勝を達成。
金子 真也(かねこ しんや、1972年7月4日 - )は競輪… 金子 真也(かねこ しんや、1972年7月4日 - )は競輪選手。日本競輪選手会群馬支部に在籍。 群馬県立前橋工業高等学校時代の1990年、稲村成浩らとのカルテットで全国高等学校総合体育大会自転車競技大会のイタリアンチームレースの優勝に貢献。 1991年、稲村とともに日本競輪学校第69期生として同校に入学。師匠は稲村の父・稲村雅士。 1992年4月9日、一宮競輪場でデビューし初勝利も同日。 1998年の高松宮記念杯競輪において、特別競輪(現在のGI)初優出(9着)。 その2年後の2000年の同大会決勝では、最終4角9番手の位置から、当時選手間でよく言われていた、大津びわこ競輪場の『びわこ道』を利して直線で一気に伸び、2着の太田真一に2車身の差をつける快勝で、特別競輪初制覇を果たした。
北野 武史(きたの たけし、1972年7月1日 - )は、石… 北野 武史(きたの たけし、1972年7月1日 - )は、石川県金沢市出身の競輪選手。日本競輪学校第78期生。競輪学校第82期生の競輪選手、表大暁(旧姓:北野)は実弟。ホームバンクは、石川県立自転車競技場(通称:内灘自転車競技場)。 金沢高等学校を経て日本大学に進学。同大学在籍時代の1994年、全日本大学対抗選手権自転車競技大会の1㎞タイムトライアルで優勝。その後、競輪学校に入校。在校競走成績は第6位(40勝)。 1996年8月16日、富山競輪場でデビューし初勝利を挙げた。 1997年、全日本新人王戦(小倉競輪場)の決勝戦に進出(7着)。 2002年、全日本選手権・団体追抜において、弟の大暁及び坂上兄弟(忠克、樹大)とともに挑み優勝。
坂本 照雄(さかもと てるお、1972年6月5日 - 201… 坂本 照雄(さかもと てるお、1972年6月5日 - 2012年7月7日)は、神奈川県出身の元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第73期生。師匠は小門道夫(競輪学校第26期生)。 相洋高等学校を経て競輪学校に入校。同期には村上義弘らがいる。在校競走成績は第41位(6勝)。 1994年4月17日、函館競輪場でデビューし2着。初勝利は同年4月28日の岸和田競輪場。同年8月9日に玉野競輪場で行われたルーキーチャンピオンレースでは、優勝した三村学に次いで2位に入った。 2012年7月7日、小田原競輪場第9レース、A級特予選に出走(発走時刻14時23分)。最後の直線で、前方で転倒して落車した選手を避けようとしてコースから外れ、幅80センチ、高さ2メートルある、写真判定用ミラーボックスの緩衝用マットに衝突。
一丸 安貴(いちまる やすたか、1972年4月13日 - )… 一丸 安貴(いちまる やすたか、1972年4月13日 - )は、愛知県一宮市出身の元競輪選手、実業家。現役時代は日本競輪選手会愛知支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第70期生。師匠は塚崎眞吾(38期)。ホームバンクは一宮競輪場 → 名古屋競輪場。 実兄の一丸政貴(69期)も元競輪選手。 愛知県立一宮工業高等学校を経て競輪学校第70期生となる。同期在校競走成績は75勝を挙げて第1位。 1992年8月17日、大津びわこ競輪場でデビューし、初勝利も同日。 2011年7月19日時点でGIで4回の決勝進出歴があり、2001年の日本選手権競輪(松戸競輪場)では3位、2004年の寛仁親王牌(前橋競輪場)では2位に入り表彰台に上った。
齊藤 努(さいとう つとむ、1972年4月13日 - )は元… 齊藤 努(さいとう つとむ、1972年4月13日 - )は元競輪選手、元自転車競技選手。熊本県熊本市出身。日本競輪学校第69期卒業。晩年は日本競輪選手会東京支部に在籍した。選手登録番号12555。師匠は中原曙観。弟子はガールズケイリン選手の藍野美穂。 2011年12月までの登録名は横田 努(よこた つとむ)。 小学校時代、水泳自由形で全九州短水路水泳競技大会の優勝を経験。中学校時代にロードバイクを乗り始めたことを契機に、鎮西高等学校に入学後、本格的に自転車競技に取り組むようになった。その後日本競輪学校に第69期生として入学。同期には稲村成浩、澤田義和、豊岡弘、三和英樹らがいた。 卒業後は地元の熊本支部所属としてデビューし、初出走は1992年4月11日の前橋競輪場で初勝利も同日。
伊藤 保文(いとう やすふみ、1972年3月30日 - )は… 伊藤 保文(いとう やすふみ、1972年3月30日 - )は、京都府出身の元競輪選手、自転車競技選手。 日本競輪学校第71期卒業。現役時代は日本競輪選手会京都支部に所属していた。師匠は南昇(25期)。ホームバンクは向日町競輪場。初出走は1993年4月11日の岸和田競輪場(3着)で初勝利は翌日の同場。 夫人は競艇選手の水口由紀。 京都府立向陽高等学校を経て日本競輪学校に第71期生として入学し、同期在校競走成績は74勝とトップで卒業する。デビュー後は先行や捲りと中心とした自力の戦法で活躍し、1995年オールスター競輪(熊本競輪場)の決勝で9着、1997年のオールスター競輪(平塚競輪場)の決勝7着となる。
金古 将人(かねこ まさと、1972年3月27日 - )は、… 金古 将人(かねこ まさと、1972年3月27日 - )は、日本の競輪選手。福島県いわき市小名浜出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第67期生。現在は日本競輪選手会専務理事(福島支部長兼務)、日本自転車競技連盟常務理事。ホームバンクはいわき平競輪場。血液型A型。師匠は佐久間信司郎。 学校法人石川高等学校在学中から国体の自転車競技で数々の優勝を果たし、世界ジュニア選手権にも出場したことから、競輪学校には技能試験免除で入学した。在学中は、当時制定されたばかりのゴールデンキャップを初めて獲得した。 初出走は1991年4月14日の別府競輪場で、初勝利も同レース。デビュー後も実力を遺憾なく発揮し、デビュー後わずか1年半の1992年11月には花月園競輪場にて記念競輪(GIII)を初優勝した。
馬渕 紀明(まぶち のりあき、1971年9月28日 - )は… 馬渕 紀明(まぶち のりあき、1971年9月28日 - )は、日本の政治家、元競輪選手。愛西市議会議員(2期)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第68期生。競輪選手時代は日本競輪選手会愛知支部所属。師匠は佐藤嘉修(49期)。 享栄高等学校在学中は野球部に所属。その後、適性試験により競輪学校に合格し、第68期生として入学。同期には加倉正義、山口富生、小川圭二、阿部康雄らがおり、在校競走成績は32勝で6位。卒業後は1991年8月7日に西武園競輪場でデビューし2着。初勝利は同年8月16日、ホームバンクの名古屋競輪場で挙げた。 1992年に初出場となったふるさとダービー(函館競輪場)でいきなり決勝進出を果たし9着。
市本 隆司(いちもと りゅうじ、1971年8月18日 - )… 市本 隆司(いちもと りゅうじ、1971年8月18日 - )は、日本の競輪選手。日本競輪学校第72期生。広島県呉市出身。 広島県呉市立三坂地小学校、広中央中学校、広島県立広高等学校卒業。 小学生時代より野球を始め高校時代は4番レフト。1年時に出場した秋季広島県大会ではベスト8に進出。 高校卒業後、競輪選手の大久保義郎に師事し競輪競技を開始。日本競輪学校卒業後、1993年8月13日、松阪競輪場でデビュー。デビュー戦で初勝利を飾る。 1998年にS級に昇級しているが、2014年上期よりA級に降級しており、以降はA級1・2班で推移している。 2019年1月19日、現役26年目、四日市競輪で通算400勝を達成した。
加倉 正義(かくら まさよし、1971年5月22日- )は、… 加倉 正義(かくら まさよし、1971年5月22日- )は、福岡県大牟田市出身の競輪選手。日本競輪選手会福岡支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第68期生。同期には山口富生、小川圭二、阿部康雄らがいる。師匠は下坂茂。ホームバンクは久留米競輪場。兄・加倉高廣(64期)も元競輪選手。 久留米工業大学付属高等学校出身。競輪学校時代は在校競走成績第4位。デビュー戦は1991年8月7日のホーム・久留米で迎え2着。初勝利は同年8月14日のいわき平競輪場であった。 1995年の日本選手権競輪(松戸競輪場)で、初の特別競輪 (GI) 決勝進出(5着)を決めたが、準地元ともいうべき小倉競輪場で毎年開催されている競輪祭では、1995年より4年連続で決勝へと進出。
富永 益生(とみなが ますお、1971年3月31日 - )は… 富永 益生(とみなが ますお、1971年3月31日 - )は、愛知県豊橋市出身の競輪選手。日本競輪選手会愛知支部に所属。ホームバンクは豊橋競輪場。
海田 和裕(かいだ かずひろ、1971年1月12日 - )は… 海田 和裕(かいだ かずひろ、1971年1月12日 - )は、元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会三重支部所属、ホームバンクは松阪競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第65期生。師匠は萩原操(51期)。 選手としての最終データは、身長177cm、体重83kg。血液型B型。 小・中学校とサッカーを経験し、三重高等学校に入学してからも続けていたが、その傍ら自転車競技にも取り組むようになり、高校3年生の時に国民体育大会のスプリントで4位入賞の実績を持つ。 1989年、競輪学校に第65期生として入学。同期には吉岡稔真、後閑信一といった後のGI優勝経験者に加え、案浦攻など大学自転車競技界の第一人者、S級でも活躍した山本真矢らもいた(当時、65期生は「エリート揃い」とも呼ばれた)中で、在校競走成績第10位(55勝)となる。
川口 正(かわぐち ただし、1971年1月1日 - )は、広… 川口 正(かわぐち ただし、1971年1月1日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(内野手)、元競輪選手。 山口県桜ケ丘高から、入団テストに合格し1988年オフにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。一軍公式戦への出場が無いまま、1993年限りで現役を引退。 その後、日本競輪学校第76期生として競輪選手に転身(日本競輪選手会山口支部所属)。同期に市田佳寿浩、石丸寛之らがいる。1995年8月5日、松阪競輪場でデビューし5着。初勝利は1996年3月30日の一宮競輪場。2014年7月4日に競輪選手登録削除。通算成績1430戦94勝、優勝なし。 その後は、社会人野球のMSH医療専門学校のコーチを務めていた。
山本 真矢(やまもと しんや、1970年12月23日 - )… 山本 真矢(やまもと しんや、1970年12月23日 - )は、元競輪選手。京都府出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第65期卒業。現役時は日本競輪選手会京都支部所属。師匠は八瀬河昭二(51期)。 花園高校在学中の1988年に全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(明石自転車競技場)で1000mタイムトライアルを優勝し、これにより技能試験免除で競輪学校に第65期生として入学する。同期に吉岡稔真、海田和裕、後閑信一らがいる中で82勝を挙げて在校競走成績第1位で同校を卒業した。 1990年4月7日、伊東温泉競輪場でデビューし2着。初勝利は同年4月8日の同場。 1992年から1999年頃まで常時特別競輪(現在のGI)に参加実績があり、1994年の全日本選抜競輪(大垣競輪場)では決勝進出を果たした(9着)。
室井 竜二(むろい りゅうじ、1970年10月16日 - )… 室井 竜二(むろい りゅうじ、1970年10月16日 - )は、日本競輪選手会徳島支部所属の競輪選手。日本競輪学校(以下、競輪学校)第65期生。師匠は辻勝治(競輪学校38期生)。 双生児(双子)の関係である、兄の室井健一も競輪選手(競輪学校69期生)。 徳島県立小松島西高等学校出身。しかし、双子での同期生になれなかった(競輪学校は同期でも入学できるが、健一が不合格となったため同期生とはならなかった)ため、兄よりも先んじて入校している。同期には吉岡稔真、後閑信一らがいる。 1990年4月14日、宇都宮競輪場でデビューし3着。初勝利は同年同月16日の同場。 1997年、現在のGII初出場となったふるさとダービー(防府競輪場)でいきなり決勝へ進出(7着)。
室井 健一(むろい けんいち、1970年10月16日 - )… 室井 健一(むろい けんいち、1970年10月16日 - )は、日本競輪選手会徳島支部所属の競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第69期生。師匠は富原忠夫(競輪学校43期生)。 双生児(双子)の関係である、弟の室井竜二も競輪選手(競輪学校65期生)。また息子の室井蓮太朗も競輪選手(121期)であり、2024年6月18日からは史上4組目の親子同時S級在籍となっている。 徳島県立小松島西高等学校出身。しかし、競輪学校では双子は同期生になれなかったため、弟よりも遅れて入校している。同期には稲村成浩、横田努、澤田義和、豊岡弘、三和英樹らがいる。 1992年4月9日、一宮競輪場でデビューし2着。
岡部 芳幸(おかべ よしゆき、1970年9月23日 - )は… 岡部 芳幸(おかべ よしゆき、1970年9月23日 - )は、日本の競輪選手。福島県白河市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第66期生。日本競輪選手会福島支部所属。師匠は班目秀雄。息子である岡部怜音(123期)も競輪選手。 福島県立白河実業高等学校在学中から自転車競技で数々の実績を残し、競輪学校へ入学。卒業後、初出走は1990年8月9日の西武園競輪場で初勝利は翌日の同場所。1990年に静岡競輪場で行われたルーキーチャンピオンレースで優勝し、やがてS級へ昇格したが、その後しばらくは伸び悩みの時期があった。 しかし2000年の第53回日本選手権競輪決勝で、最終4角9番手という位置から一気に追い込んで初の特別競輪制覇を果たし、これをきっかけとして活躍を見せるようになった。
吉岡 稔真(よしおか としまさ、1970年6月15日 - )… 吉岡 稔真(よしおか としまさ、1970年6月15日 - )は、日本の元競輪選手。現在は競輪解説者・評論家。福岡県北九州市小倉南区出身。血液型はA型。座右の銘は「不動心」。 日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第65期卒業。現役時は日本競輪選手会福岡支部所属。師匠は森山慎雄。初出走は1990年4月7日、小倉競輪場。初勝利は1990年5月27日。 通算成績1279戦中586勝、生涯獲得賞金は歴代3位となる16億8866万4299円だった。 2007年1月12日、選手登録削除。 弟の啓史(75期)、邦彦(84期)も、ともに元競輪選手。 豊国学園高等学校卒業後に競輪学校へ入学。高校時代には特にスポーツ経験はなかったが、競輪学校在学中に頭角を現し、競走成績2位で卒業(1位は山本真矢、卒業記念レース優勝者は適性入学者の古川圭)。
後閑 信一(ごかん しんいち、1970年5月2日 - )は、… 後閑 信一(ごかん しんいち、1970年5月2日 - )は、群馬県前橋市出身の元競輪選手、現在はスポーツ報知専属評論家。日本名輪会会員。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第65期卒業。現役時の最終所属は日本競輪選手会東京支部、ホームバンクは京王閣競輪場だった。 初出走は1990年4月7日の小倉競輪場。初勝利は同年4月9日(小倉競輪場)。血液型はB型。選手登録番号12172。師匠は新谷隆広。 少年時代、塾からの帰り道に友人と自転車で競走をし、変速器の付いていない自転車に乗って変速器の付いた自転車よりも速く走ったことに快感を覚え、周囲の勧めもあり競輪選手を志すようになる。前橋育英高等学校在学中より自転車競技を行っており、1988年の京都国体でスプリント競技に優勝するなど数々の実績を上げ、競輪学校に65期生として技能免除で入学。