高杉 早苗(たかすぎ さなえ、1918年〈大正7年〉10月8… 高杉 早苗(たかすぎ さなえ、1918年〈大正7年〉10月8日 - 1995年〈平成7年〉11月26日)は、日本の女優。本名は喜熨斗 弘子(きのし ひろこ)。旧名は清水ヒロ。 夫・三代目市川段四郎との間に、長男・二代目市川猿翁(旧名:三代目市川猿之助)、次男・四代目市川段四郎、長女・市川靖子の三子。香川照之、四代目市川猿之助は孫、五代目市川團子は曾孫にあたる。長女の元夫は俳優の川合伸旺。 浅草生まれ。立正高等女学校(現・東京立正高等学校)在学中に父親が急死したことにより中退して働き始める。新橋のダンスホールでダンサーをしていた昭和9年(1934年)、『オール読物』誌のミスコンテストで3位になり、その美貌を見込まれ松竹蒲田撮影所にスカウトされる。
鈴木 光枝(すずき みつえ、本名:佐々木 光枝、1918年7… 鈴木 光枝(すずき みつえ、本名:佐々木 光枝、1918年7月29日 - 2007年5月22日)は、日本の女優。元劇団文化座代表。文化座創設メンバーの一人。昭和・平成期を代表する新劇女優として知られ、晩年は、新劇界の重鎮として重きをなした。
若尾 隆子(わかお たかこ、1918年4月4日 - 2014… 若尾 隆子(わかお たかこ、1918年4月4日 - 2014年10月19日)は、日本の女優。旧姓は鮫島。 埼玉県川越市出身。東京府立第八高等女学校を卒業し、東宝劇場照明係を経て、戦後は名古屋演劇集団創立と共に夫と演劇活動を続けた。
北城 真記子(きたしろ まきこ、1918年3月26日 - 1… 北城 真記子(きたしろ まきこ、1918年3月26日 - 1995年2月24日)は、日本の女優。東京府出身。本名は北城 ます子。 東洋高等女学校中退。1943年(昭和18年)文学座研究所に入り「怒潯」出演。戦後、1947年(昭和22年)神協劇団研究生で入り「タルチュフ」初舞台。1949年(昭和24年)に文学座に戻り「娼婦マヤ」、「道遠からん」。1953年(昭和28年)文学座自主映画「にごりえ」で杉村春子を助演。1957年(昭和32年)東映「純愛物語」「越後つついし親不知」。1960年(昭和35年)文学座の「女の一生」「メアリー・スチュアート」に出演した。 1995年(平成7年)、直腸がんのため死去。
水川 八重子(みずかわ やえこ、1918年2月15日 - 1… 水川 八重子(みずかわ やえこ、1918年2月15日 - 1976年7月25日)は、日本の女優。本名:目黒 やゑ(旧姓:角西)。東京市浅草区(現在の東京都台東区)生まれ。夫は近衛十四郎、長男は松方弘樹、次男は目黒祐樹。孫に目黒大樹、仁科克基、仁科仁美、近衛はながいる。 大正7年(1918年)、浅草の象牙職人の娘として生まれる。 上野高等女学校(現:上野学園高等学校)卒業後の昭和10年(1935年)、大都映画に入社。同年「御存知猿飛佐助」に脇役でデビュー。以後、主に時代劇の相手役として可憐な姿を見せるようになり、売れっ子になる。 昭和14年(1939年)、軍隊帰りの近衛十四郎主演作品に助演し、その後も相手役をつとめ、昭和16年(1941年)、近衛と結婚。
木暮 実千代(こぐれ みちよ、1918年1月31日 - 19… 木暮 実千代(こぐれ みちよ、1918年1月31日 - 1990年6月13日)は、日本の女優。身長159cm。本名:和田 つま(わだ つま)。 父が税関で山口県下関市彦島福浦町で生まれた。英文学者・随筆家の黒川鍾信は甥。梅光女学院を経て日本大学芸術学部に入学。日本大学芸術学部在学中に田中絹代に見出されて、1938年に松竹に入社。松竹入社当時は高峰三枝子、桑野通子、水戸光子らが幹部であったが1年余りで準幹部から幹部に昇進。 日本人離れしたルックスとスタイルに加え、悩殺的でコケティッシュな色気もあり、純情可憐型が主流の松竹では恋敵役が多かった。 1944年、20歳年上の従兄・和田日出吉と結婚。マスコミの仕事に従事する夫の仕事の関係で夫妻とも満洲に渡った。
露原 千草(つゆはら ちぐさ、1918年〈大正7年〉1月17… 露原 千草(つゆはら ちぐさ、1918年〈大正7年〉1月17日 - 2004年〈平成16年〉3月9日)は、日本の女優。東京府荏原郡大崎町(現東京都品川区大崎)出身。頌栄女子学院高等学校卒業。本名は服部 千草。 2004年3月9日、86歳で死去。
香住 佐代子(かすみ さよこ、1917年10月28日 - )… 香住 佐代子(かすみ さよこ、1917年10月28日 - )は、日本の女優である。出生名丸山 菊代(まるやま きくよ)、結婚後本名山本 菊代(やまもと きくよ)。1930年代・1940年代の片岡千恵蔵プロダクション、日活京都撮影所、大映京都撮影所での剣戟映画のヒロイン女優として知られる。 1917年(大正6年)10月28日、東京府東京市下谷区竹町(現在の東京都台東区台東3-4丁目)に生まれる。 1935年(昭和10年)3月、旧制・上野高等女学校(現在の上野学園高等学校)を卒業し、京都に移って片岡千恵蔵プロダクションに入社する。同年11月29日に公開された『黄昏地蔵 前篇 疾風転変の巻』(監督振津嵐峡)に出演、主演の片岡千恵蔵の相手役に抜擢されて、満18歳で映画界にデビューした。
轟 夕起子(とどろき ゆきこ、大正6年(1917年)9月11… 轟 夕起子(とどろき ゆきこ、大正6年(1917年)9月11日 - 昭和42年(1967年)5月11日)は日本の女優。本名は西山 都留子(にしやま つるこ)。芸名は「轟夕紀子」とも。宝塚少女歌劇団の娘役としても活躍。宝塚歌劇団時代の愛称は本名の都留子より、トルコ。
神代 錦(かみよ にしき、1917年3月18日 - 1989… 神代 錦(かみよ にしき、1917年3月18日 - 1989年2月23日)は、日本の舞台女優。元宝塚歌劇団男役で、元同劇団理事。本名は稲垣 静子(いながき しずこ)。 花組主演男役、花組・星組組長を務めた後、1989年(平成元年)在団のまま死去。 愛称イナちゃん、靜いちゃん、イナゴ、チャガちゃん。公称身長164センチ。 鳥取県倉吉市出身。出身校倉吉成徳学校。姉は高砂松子。 1929年「春の踊り」で初舞台、同期生に園井恵子、桜緋紗子、千村克子、藤花ひさみらがいる。宝塚歌劇団19期生。 芸名は小倉百人一首の第24番:菅原道真の に由来。なお戦時中に軍の要請で芸名表記を嘉美代 錦としていた時期があった。
荒木 道子(あらき みちこ、1917年〈大正6年〉3月6日 … 荒木 道子(あらき みちこ、1917年〈大正6年〉3月6日 - 1989年〈平成元年〉3月24日)は、日本の女優。元夫は文芸評論家の菊池章一。息子は俳優・歌手の荒木一郎。 1917年(大正6年)3月6日、東京府東京市神田区三崎町(現在の東京都千代田区神田)に生まれる。父は文芸評論家の至文、母は青鞜社出身の作家の滋子で、兄が2人いた。 明化尋常小学校を経て1934年(昭和9年)、女子学院を卒業。YWCAの語学部職員、帝大図書館員を経て、1938年(昭和13年)に文学座研究所に入り、賀原夏子、青野平義、小山源喜らとともに第1回生として卒業。同年に勉強会『かりそめになすな恋』で初舞台を踏み、田中澄江作『はるあき』の柿沢てい子役で本格的にデビューする。
宇知川 朝子(うぢがわ あさこ、1917年3月1日 - 没年… 宇知川 朝子(うぢがわ あさこ、1917年3月1日 - 没年月日不詳)は、日本の女優、昭和期の宝塚歌劇団花組主演男役のタカラジェンヌで宝塚歌劇団卒業生である。大阪府出身。 芸名は、母親が姓名判断に依って命名したものである。 本名は戸田 千恵(とだ ちえ、旧姓:宮地)。愛称はチエコさん、ミヤヂ(本名の千恵と旧姓の宮地から)。 1930年、香蘭女学校(現・香蘭女学校中等科・高等科)を中退して宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入学して、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に入団。宝塚歌劇団20期生の同期生に久美京子、尾上さくら、霧立のぼるらがいる。当時は「入学イコール入団」で学校と劇団は一体であった。
横田 みさを(よこた みさお、1917年2月3日 - 200… 横田 みさを(よこた みさお、1917年2月3日 - 2003年6月13日)は、日本の水泳選手、女優。同志社高等女学校在学中に女子100m背泳ぎの日本記録を更新し、1932年ロサンゼルスオリンピックに15歳で出場した。その後は芸能界に転身し、松竹歌劇団と宝塚歌劇団に入団、さらに映画女優となった。夫は作曲家の竹岡信幸。 京都市出身。同志社高等女学校(現在の同志社女子中学校・高等学校)に学ぶ。横田在学中の同志社高女は、団体優勝を重ねる水泳の強豪校であった。もっとも学校にはプールがなかったため、スイミングクラブである大日本武徳会遊泳部(のちの京都踏水会)に属し、夷川ダム(琵琶湖疏水)で練習を重ねていたという。
望月 優子(もちづき ゆうこ、本名:鈴木 美枝子、旧姓:里見… 望月 優子(もちづき ゆうこ、本名:鈴木 美枝子、旧姓:里見、1917年1月28日 - 1977年12月1日)は、日本の女優、映画監督、政治家。参議院議員(1期、日本社会党)。位階は正五位。 神奈川県横浜市出身。妹は女優の中村雅子。加藤嘉は義弟(妹の夫)。1930年、東京市立忍岡高等女学校(現東京都立忍岡高等学校)を中退。 望月美恵子の芸名でムーランルージュ新宿座などで初舞台を踏む。 1942年、川端康成の媒酌で鈴木重雄と結婚。戦後は劇団民藝に参加。 1950年に松竹と契約。1958年『米』での演技が評価されてブルーリボン主演女優賞受賞。三益愛子と並んで「母物映画女優」と呼ばれた。 1959年(昭和34年)8月2日、モスクワ国際映画祭に出席のため、ソビエト連邦を訪問。
三浦 光子(みうら みつこ、1917年1月17日 - 196… 三浦 光子(みうら みつこ、1917年1月17日 - 1969年6月14日)は、日本の女優であり、生前は戦後の国際結婚の「第1号」と称されて注目を集めたこともあった。 東京市牛込出身。牛込区の余丁町小学校を卒業後に三崎英語学校を経て、大妻高等女学校(現・大妻中学校・高等学校)に進学した[要出典]。 1935年(昭和10年)日劇に入団、日劇ダンシングチームでの活躍が松竹の目に留まりスカウトされる。1938年(昭和13年)松竹大船撮影所に入社する。桑野通子・高杉早苗・高峰三枝子らが主演した音楽映画『蛍の光』(1938年)が第1回出演作品となり、デビューを果たした。以後松竹大船の映画作品に出演し、スター女優の一人に成長する。
津島 道子(つしま みちこ、1917年〈大正6年〉1月11日… 津島 道子(つしま みちこ、1917年〈大正6年〉1月11日 - 生死不明)は、日本の女優、声優である。本名は河原 道子(旧姓:津島)。旧芸名は草加 マキ(くさか まき)。 1917年(大正6年)1月11日、岡山県岡山市に生まれる。 大阪府立市岡高等女学校(現在の大阪府立港高等学校)を卒業後、女優を志し、1935年(昭和10年)9月に組織された大阪協同劇団の研究生となる。芸名を「草加 マキ」と名乗り、翌1936年(昭和11年)6月に北陽演舞場で初舞台を踏む。同劇団には、他に海老江寛、瀬良明、谷晃、木下ゆず子らが所属していた。1940年(昭和15年)、大阪協同劇団は強制的に解散を余儀なくされ、津島は1942年(昭和17年)にNHK大阪放送劇団に加入する。
東 龍子(東 竜子、あずま りゅうこ、1917年1月10日 … 東 龍子(東 竜子、あずま りゅうこ、1917年1月10日 - 2004年頃)は、日本の女優である。本名は出生名は今出 りう子(いまで りゅうこ)、俳優の阿部九洲男と結婚して伊東 りう子(いとう りゅうこ)となる。 1917年(大正6年)1月10日(水曜日)、 東京府南葛飾郡吾嬬町に今出 りう子として生まれる。 1931年(昭和6年)、満14歳のときに東京・巣鴨の河合映画製作社に入社する。同年、『夜明け』に出演し、映画界にデビューした。最初の主演作は、1933年(昭和8年)の『マラソン令嬢』 であった。同年、河合と配給提携を行っている市川百々之助プロダクションが製作した市川百々之助主演映画に3作出演、『開化異聞 落花の曲』では百々之助の相手役を務めた。
霧立 のぼる(きりたち のぼる、本名:島田キミ、1917年(… 霧立 のぼる(きりたち のぼる、本名:島田キミ、1917年(大正6年)1月3日 - 1972年(昭和47年)3月22日)は元宝塚少女歌劇団娘役で日本の女優。東京都出身。愛称はしまちゃん(本名に由来する。)。
月 澄江(つき すみえ、1916年10月18日 - 没年不詳… 月 澄江(つき すみえ、1916年10月18日 - 没年不詳)は、日本の女優である。出生名前川 澄枝(まえかわ すみえ)、結婚後の本名は小林 澄枝(こばやし すみえ)。 1916年(大正5年)10月18日、埼玉県秩父郡秩父町宮ノ側(現在の同県秩父市宮側町)に生まれる。母の妹が女優の五月信子(1894年 - 1959年、本名前川しのぶ)である。 旧制・秩父郡立秩父尋常小学校(現在の秩父市立秩父第一小学校)を卒業した後、1930年(昭和5年)前後に五月信子・高橋義信夫妻の「近代座」に参加し、川村花菱の新派悲劇『母三人』で初舞台を踏む。1933年(昭和8年)、京都の松竹下加茂撮影所に入社、同年12月14日に公開された、川村花菱原作、井上金太郎監督のサイレント映画『上州土産百両首』で尾上栄五郎の相手役を務めて、満17歳で映画界にデビューした。
三宅 邦子(みやけ くにこ、1916年9月17日 - 199… 三宅 邦子(みやけ くにこ、1916年9月17日 - 1992年11月4日)は、埼玉県南埼玉郡岩槻町(現さいたま市岩槻区)出身の女優。本名・三浦やす(みうら やす)。 天保年間創業の老舗料亭に生まれる。埼玉県立久喜高等女学校卒業後、松竹に入社し1934年に「夢のさゝやき 」で映画デビュー。1942年結婚のため退社したが1948年に復帰し、以降の小津安二郎監督作品の多くに出演した。小津の死後は「サインはV」「たけくらべ」などテレビ出演が多くなった。 1992年11月4日、急性心不全のため死去。76歳。 生家の料亭「ふな又」は、さいたま市岩槻区で現在も営業している。
水の也 清美(みずのや きよみ、1916年8月18日 - 没… 水の也 清美(みずのや きよみ、1916年8月18日 - 没年不詳)は、日本の女優である。兵庫県神戸市出身。本名は水谷 貞(みずたに さだ)(根沢 貞子とも)。宝塚歌劇団時代の芸名は左近 八重子(さこん やえこ)。愛称はサアちゃん。 兵庫生まれで兄三人姉一人妹一人がいた。水谷八重子は叔母で9歳のときに叔母とともに初舞台を踏む。幼少期は芸術座にいて芸術座童話劇部として活動していた。東京府立第五高等女学校(現在の東京都立富士高等学校・附属中学校)を三年で中退、宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入る。1931年に宝塚少女歌劇団の21期生として入団。同期に轟夕起子、服部富子がいた。1932年4月、『フーピー・ガール』で初舞台を踏んだ。
真山 くみ子(まやま くみこ、1916年7月2日 - )は、… 真山 くみ子(まやま くみこ、1916年7月2日 - )は、日本の女優である。旧芸名は高松 美絵子(たかまつ みえこ)、本名は高橋 美枝子(たかはし みえこ)。1930年代から1940年代にかけての間、新興キネマ現代劇のスター女優として活躍したことで知られる。 1916年(大正5年)7月2日、福島県に生まれる。1934年(昭和9年)、旧制・麹町高等女学校(現在の麹町学園女子高等学校)を卒業する。 1935年(昭和10年)、トーキーによる現代劇を製作するスタジオである、日活多摩川撮影所(現在の角川大映撮影所)に入社する。最初の芸名は「高松美絵子」で、もっとも初期に記録に残る作品は、阿部豊が監督し、日活、協同映画社、太秦発声映画、ゼーオー・スタヂオ、日本ビクター各社が提携して製作した大作『海国大日本』で、広瀬恒美演ずる「松井敏夫」の妹「静子」役であった。
深水 藤子(ふかみず ふじこ、1916年4月10日 - 20… 深水 藤子(ふかみず ふじこ、1916年4月10日 - 2011年12月18日)は、日本の映画女優である。画家の伊東深水が同芸名の名づけ親で、本名は安田 富士子(やすだ ふじこ、旧姓)。戦前の日活京都の時代劇スター女優であり、戦後は沈黙したが、林海象監督の手によりふたたびスクリーンに登場した。
梅園 龍子(うめぞの りゅうこ、1915年11月28日 - … 梅園 龍子(うめぞの りゅうこ、1915年11月28日 - 1993年4月30日)は、日本の女優。 梅園 竜子と表記されることもある。 1915年(大正4年)11月28日、植草正枝として東京市日本橋区村松町(現在の東京都中央区東日本橋)に生まれる。 三崎英語学校在学中の1929年(昭和4年)に榎本健一の第2次カジノ・フォーリーの旗揚げ公演に踊り子で出演した。 1931年(昭和6年)退団し、1932年(昭和7年)パイオニヤ・クインテット舞踊団、益田隆のトリオ舞踊団に入団した。 1935年(昭和10年)P.C.L.映画製作所準専属で『乙女ごころ三人姉妹』で映画デビューした。 1936年(昭和11年)に専属となり、1937年(昭和12年)『夜の鳩』、『江戸の白鷺』、1938年(昭和13年)『エノケンの猿飛佐助 ありゃありゃの巻』、『泣蟲小僧』などに出演した。
伏見 信子(ふしみ のぶこ、1915年(大正4年)10月10… 伏見 信子(ふしみ のぶこ、1915年(大正4年)10月10日 - 生死不明)は、日本の女優、歌手。本名は伏見 延子。別名は伏見 延江(ふしみ のぶえ)。 東京市浅草区小島町出身。同志社女学校(現・同志社女子中学校・高等学校)高等女学部卒業。父伏見三郎が新派の俳優で、早くから姉の直江と共に舞台の子役などで新派の舞台に出演。1926年(大正15年)、姉と帝国キネマに入社。 1927年(昭和2年)、姉の伏見直子=伏見直江と阪東妻三郎プロへ移籍し、同年11月、日活大将軍現代劇部に入社。時代劇部へと移り、「大地に立つ」、「小市民」に主演。 1928年(昭和3年)、同志社女学校高等女学部に入学。4年通学の傍ら「春または丘へ」の主役を務める。
南 美江(みなみ よしえ、1915年〈大正4年〉10月5日 … 南 美江(みなみ よしえ、1915年〈大正4年〉10月5日 - 2010年〈平成22年〉8月6日)は、日本の女優。演劇集団 円所属。本名は南波 房江(なんば ふさえ)。 広島県広島市出身。神奈川県横浜市で育ち、横浜第一高等女学校(後の神奈川県立横浜平沼高等学校)を卒業後、宝塚音楽歌劇学校(後の宝塚音楽学校)に入る。 1933年、宝塚少女歌劇団(後の宝塚歌劇団)に入団し、『トウランドット姫』で初舞台を踏む。入団時の成績は76人中2位。23期生。 美空暁子の名で男役として活躍。愛称は「ナンちゃん」。 1941年、「戦時色が濃くなり、夢がなくなった」として退団。 かかり付け医が長岡輝子の知人だったことから、1942年に文学座研究生となり、南美江の名で、1944年に初舞台を踏んで以降、文学座で活動。
原 静枝(はら しずえ、1915年9月27日 - 1934年… 原 静枝(はら しずえ、1915年9月27日 - 1934年1月8日)は、日本の女優である。本名は原田 静枝(はらだ しずえ)。サイレント映画の時代、新興キネマの女優であった。京都駅跨線橋転倒事故に巻き込まれ、満18歳で事故死した。 1915年(大正4年)9月27日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。大阪府大阪市に移り、旧制・大阪市愛日尋常高等小学校(のちの大阪市立愛日小学校、1990年廃校)を卒業後、市内の旧制・相愛高等女学校(現在の相愛高等学校)に進学する。同校卒業後は、大阪・真砂町(現在の西天満2丁目)の堂島ビルヂングにあった堂ビル洋裁学院に進学し、洋裁を学んだ。 1932年(昭和7年)、前年に設立された映画会社・新興キネマに入社する。
大倉 千代子(おおくら ちよこ、1915年8月31日 - 没… 大倉 千代子(おおくら ちよこ、1915年8月31日 - 没年不明)は、日本の女優である。本名坂間 喜代子(さかま きよこ)、旧芸名秋月 弘子(あきづき ひろこ)、月浦 かすみ(つきうら かすみ)。溝口健二監督の『虞美人草』(1935年)、坂根田鶴子の初監督作『初姿』(1936年)で知られる。 1915年(大正4年)8月31日、東京府東京市芝区新堀町(現在の東京都港区芝3丁目)に生まれる。 旧制小学校を経て、満10歳になる1925年(大正14年)、松竹蒲田撮影所を辞した五月信子(1894年 - 1959年)と高橋義信の夫妻が主宰する「近代座」に参加する。舞台では『高橋お傳』、『奈津子の母』、『嬰児殺し』、『女給』に出演した。
音羽 久米子(おとわ くめこ、1915年7月8日 - 没年不… 音羽 久米子(おとわ くめこ、1915年7月8日 - 没年不詳)は、日本の女優。本名は滝沢 ヤス(旧姓:森)。 1915年(大正4年)7月8日、東京府東京市四谷区(現在の東京都新宿区)に、父・芳五郎と母・寿美の8人兄姉の末子として生まれる。父は政治好きで、定職を持たなかった。 高等小学校を卒業後、師範学校入学を希望するが、芸事好きの末兄に勧められ、六代目尾上菊五郎が創設した日本俳優学校に2期生として入る。1936年(昭和11年)3月に卒業、その後は関西新派で舞台に立つが、数か月で帰京。久米正雄の紹介で9月に日活多摩川撮影所へ入社。六代目菊五郎の屋号である音羽屋と久米正雄の姓をもらって、芸名とする。
坪内 美子(つぼうち よしこ、本名:山崎 登美子、1915年… 坪内 美子(つぼうち よしこ、本名:山崎 登美子、1915年6月22日 - 1985年11月3日)は、昭和期の女優。 東京市小石川区白山御殿町(現・文京区白山)に生れる。牛込高等女学校(現・豊島岡女子学園)卒業後、銀座の有名カフェの女給(源氏名・孔雀)をしているところをスカウトされ、1932年松竹蒲田撮影所に入社する。 1933年、野村芳亭監督の『涙の渡り鳥』で竹内良一の相手役に抜擢され、映画デビュー。続く『島の娘』でも主演し、人気スターの仲間入りをする。その後、島津保次郎監督の『春琴抄 お琴と佐助』、小津安二郎監督の『浮草物語』などの話題作に出演し、その美貌が人気を集めると共に、1935年には幹部に昇進し、名実共に、松竹の看板女優となる。
村田 知栄子(むらた ちえこ、1915年2月28日 - 19… 村田 知栄子(むらた ちえこ、1915年2月28日 - 1995年11月)は、日本の女優である。本名は村田 美代子(むらた みよこ)。兵庫県神戸市出身。元夫は俳優の見明凡太朗。姉の嘉寿代は「村田扶実子」の芸名で、芸術座や大映で活躍した女優。 旧芸名→村田智栄子→村田千栄子→村田千英子→村田知栄子→村田知英子。特技は三味線。 兵庫県御影師範学校附属小学校(現:神戸大学附属住吉小学校)、および松蔭高等女学校(現:松蔭中学校・高等学校)卒業。 1933年に日活太秦に入社。伊奈精一監督の現代劇映画『大東京曇後晴れ』にデビューする。明朗な娘役として売り出し、『夢に見る母』、『嫁ぐ日』などの作品に主演。1936年日活多摩川撮影所に移り、『人生劇場』で小杉勇と共演し、『恋は雨に濡れて』では岡譲二、時代劇『裸の町』では島耕二の相手役を務めた。
水の江 瀧子(みずのえ たきこ、1915年2月20日 - 2… 水の江 瀧子(みずのえ たきこ、1915年2月20日 - 2009年11月16日)は、日本の女優、映画プロデューサー、タレント。
北見 禮子(きたみ れいこ、1915年2月13日 - 200… 北見 禮子(きたみ れいこ、1915年2月13日 - 2007年)は、日本の女優である。新漢字表記北見 礼子、出生名・旧芸名稲村 美津子(いなむら みつこ)、結婚後本名林 美津(はやし みつ)。夫は林敏夫、長男は林与一である。 1915年(大正4年)2月13日、千葉県東葛飾郡野田町(現在の同県野田市)に生まれる。 1932年(昭和7年)3月、野田町立野田高等女学校(現在の千葉県立野田高等学校)を卒業し、同年4月、東京・巣鴨の河合映画製作社に入社、同年6月10日に公開された吉村操監督の『大磯心中 天国に結ぶ恋』に出演して、映画界にデビューした。同年10月20日に公開された根岸東一郎監督の『下宿屋の娘』で、初めて主役に抜擢される。
桑野 通子(くわの みちこ、1915年1月4日 - 1946… 桑野 通子(くわの みちこ、1915年1月4日 - 1946年4月1日)は、昭和初期の女優。本名は桑野 通(くわの みち)。スラリとした抜群のプロポーションとモダンな美しさで人気を博し、高峰三枝子や三宅邦子・高杉早苗らと共に戦前の若手銀幕スターとして一翼を担った。愛称はミッチー。娘は元女優の桑野みゆき。
大塚 君代(おおつか きみよ、1914年11月23日 - 1… 大塚 君代(おおつか きみよ、1914年11月23日 - 1996年2月1日)は、日本の女優。1930年に東京松竹楽劇部(後の松竹歌劇団)に6期生として入る。同期に逢初夢子、水久保澄子がいる。 以下の公開年、作品名、製作会社、役名は特に記載がない限りKINENOTEに従った。
久松 三津枝(ひさまつ みつえ、1914年9月13日 - 1… 久松 三津枝(ひさまつ みつえ、1914年9月13日 - 1947年8月13日)は、日本の女優である。本名上松 美津江(うえまつ みつえ)、旧芸名久松 美津江(ひさまつ みつえ)のほか、別名・表記の揺れがある(#芸名)。全国公募から選ばれ、深水藤子とならぶ日活スター女優として登場、サイレント映画末期からトーキー初期にかけて人気があった。 1914年(大正3年)9月13日、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草地区)に生まれる。出生名については、「美津江」であるとする説と「三津枝」であるとする説がある。 1931年(昭和6年)3月、麹町区中六番町(現在の千代田区四番町)にあった旧制・千代田高等女学校(現在の武蔵野大学附属千代田高等学院)を卒業後、翌1932年(昭和7年)、前年の労働争議の後で日活の行った大規模な新人募集に応募して、2,000人を超えるなかから採用が決まり、同年秋に京都に移動して日活太秦撮影所に入社する。
飯塚 敏子(いいづか としこ、1914年6月8日 - 199… 飯塚 敏子(いいづか としこ、1914年6月8日 - 1991年12月14日)は、日本の女優。本名・本間 敏子(旧姓・飯塚)。 戦前の松竹時代劇を代表する女優の一人である。 1914年6月8日、埼玉県大里郡武川村明戸(現・深谷市)に生まれる。生後間もなく、東京市芝区新橋(現・東京都港区新橋)にて「新橋旅館」を経営していた実家に移る。従って、現役時代の俳優名鑑等では、「東京生まれ」と書かれた物も多い。小学校の頃から、岡安喜代八について三味線と尺八を学ぶ。1927年、文化学院女学部に入学。同校の先輩に夏川静枝・入江たか子・伊達里子などがいる。家庭の事情により同校を3年で辞め、家業を手伝っていたが、1930年に雑誌「婦人公論」主催の美人投票に当選する。
森 赫子(もり かくこ、1914年6月2日 - 1986年4… 森 赫子(もり かくこ、1914年6月2日 - 1986年4月14日)は、日本の女優、作家。 東京府渋谷町猿楽生まれ。岩谷松平の孫。旧姓は岩谷。跡見高等女学校卒。伯母森律子の養女となる。1932年松竹蒲田撮影所に入り、映画女優でデビュー。1934年新派に転向、花柳章太郎の相手役として活躍。1939年映画「残菊物語」で花柳の相手役を演じた。1956年失明して引退。同年、失明寸前に書き上げた自伝「女優」を出版。ベストセラーになり「書きますわよ」の流行語を生んだ。同作は映画化された(女優 (1956年の映画))。
桜 緋紗子(さくら ひさこ、1914年3月15日 - 200… 桜 緋紗子(さくら ひさこ、1914年3月15日 - 2002年3月20日)は、日本の女優、元宝塚少女歌劇団娘役スター。宝塚退団後、新派を経て引退。その後仏門に入り小笠原日凰(おがさわら にちおう)と名乗る尼僧となった。戦前の表記は櫻緋紗子。
一の宮 あつ子(いちのみや あつこ、1913年12月29日 … 一の宮 あつ子(いちのみや あつこ、1913年12月29日 - 1991年2月16日)は、日本の女優。本名は吉田 あつ。旧芸名に一の宮 敦子。 1913年(大正2年)12月29日(月曜日)、東京府東京市神田区旅籠町(現在の東京都千代田区外神田)に、父・勇と母・たまの2人姉妹の妹として生まれる。生家は江戸時代から太々餅を製造販売していた甘味商だった。 幼時に本郷区湯島に移り、誠之小学校から三輪田高等女学校(現在の三輪田学園高等学校)へ進み、1930年(昭和5年)に卒業。小学校時代から陸上競技をはじめ、女学校時代には人見絹枝や加賀一郎のコーチを受け、全国大会にも出場した。 1932年(昭和7年)、鈴木傳明らの不二映画社の映画に、加賀一郎の弟が同社の経理・宣伝を担当していた縁で吹き替え走者で出演し、これをきっかけに不二映画社へ女優として入社する。
三代目 市川 翠扇(いちかわ すいせん、1913年(大正2年… 三代目 市川 翠扇(いちかわ すいせん、1913年(大正2年)12月16日 - 1978年(昭和53年)9月27日)は、昭和時代に活躍した新派の女優、舞踊家。歌舞伎舞踊市川流三世家元。本名は堀越 喜久榮(ほりこし きくえ)。 東京都東京市京橋区築地の生まれ。父は歌舞伎役者の五代目市川新之助、母は九代目市川團十郎の次女の二代目市川旭梅。二代目市川翠扇は伯母にあたる。千代田高等女学校(現在の武蔵野大学附属千代田高等学院)卒業。 1929年(昭和4年)6月歌舞伎座『戻り駕』の禿で市川紅梅(いちかわ こうばい)を名乗って初舞台。翌年日本俳優学校の1期生となる。1931年(昭和6年)11月より新派に参加。
江戸川 蘭子(えどがわ らんこ、1913年(大正2年)11月… 江戸川 蘭子(えどがわ らんこ、1913年(大正2年)11月13日 - 1990年(平成2年)11月5日)は、昭和期の歌手、女優。本名は大宮 まつ、竹澤 まち子。 東京市出身。1930年(昭和5年)日劇音楽舞踊学校卒業。多摩川京王閣を経て、1932年(昭和7年)10月、松竹歌劇団(SKD)に入団。歌劇「ロザリア姫」等で人気を得る。1936年(昭和11年)退団。 1933年(昭和8年)コロムビアからデビュー。タンゴを多く唄い、「タンゴ・ローザ」、「ラ・クンパルシータ」などを吹き込む。戦争に突入するにつれ、戦時歌謡を多く吹き込んだ。「たそがれの湖」や「ロッパのガラマサどん」、「船出は楽し」など東宝映画に出演する。
橋本 菊子(はしもと きくこ、1913年9月12日 - 20… 橋本 菊子(はしもと きくこ、1913年9月12日 - 2004年2月4日)は、日本の女優。東京都出身。 1934年、久松喜世子の内弟子として新国劇に入所。 1937年、文学座に入団。1度は結婚・子育てのために女優業を退いたものの、1951年、ラジオ東京放送劇団に1期生として入団。 1955年、再び文学座に所属、 1959年、鈴木事務所に所属し、劇団現代劇場、文芸ぷろ、エヌ・エー・シー、劇団手織座に所属していた。 1998年、脳梗塞を発症。 2004年2月4日、死去。 三回忌となる2006年に遺族が「遺句集 菊一輪」を出版した。
市川 春代(いちかわ はるよ、1913年2月9日 - 200… 市川 春代(いちかわ はるよ、1913年2月9日 - 2004年11月18日)は、日本の映画女優、歌手。出生時本名は同じ、結婚後の本名は加々良 春代(かがら はるよ)。戦前のサイレント映画時代から始まり、トーキー期に実力を発揮し、戦後も長く現役の女優だった。 1913年(大正2年)2月9日、長野県長野市の善光寺門前の西後町に、弁護士の父・喜一、母・きんの二男二女の次女として生まれる。県庁や裁判所の至近の地だった。 1919年(大正8年)、長野県師範学校附属小学校(現在の信州大学教育学部附属長野小学校)に入学。1924年(大正13年)8月3日に父が死去、同校を高等科2年で中退して、叔父が懇意にしていた日活の取締役根岸耕一の紹介状を持ち、13歳になった1926年(大正14年)6月16日に日活大将軍撮影所に入社した。
葦原 邦子(あしはら くにこ、1912年〈大正元年〉12月1… 葦原 邦子(あしはら くにこ、1912年〈大正元年〉12月16日 - 1997年〈平成9年〉3月13日)は、兵庫県武庫郡本庄村字深江(現・兵庫県神戸市東灘区深江)出身の女優。元宝塚歌劇団星組トップスター。本名は中原 英子(なかはら えいこ)、旧姓は岡本。夫に画家の中原淳一、長男に画家の中原洲一、孫に声優・俳優の加古臨王がいる。 尼崎市立高等女学校(現・尼崎市立尼崎高等学校)卒業後、1928年に宝塚音楽学校に入学する。翌1929年、「春のをどり」で初舞台。宝塚歌劇団18期生で宝塚歌劇団のトップスターとして活躍し、同期生に春日野八千代、冨士野高嶺らがいた。 宝塚歌劇団在団中は「アニキ」の愛称で上級生の小夜福子や同期生の春日野と共に男役として人気を争い、宝塚歌劇団を背負って立っていった。
桜井 京子(さくらい きょうこ、1912年12月2日 - 没… 桜井 京子(さくらい きょうこ、1912年12月2日 - 没年不詳)は、日本の女優である。本名池田 善子(いけだ よしこ)、旧芸名糸浦 柳子(いとうら りゅうこ)。身長は5尺1寸(約154.5センチメートル)、体重は非公表である。 1912年(大正元年)12月2日、東京府東京市日本橋区葺屋町に生まれる。 旧制・千代田高等女学校(現在の武蔵野大学附属千代田高等学院)に進学するも、1927年(昭和2年)に中途退学し、同年2月、満14歳で松竹蒲田撮影所に入社した。同年10月、入社早々に松竹下加茂撮影所に異動になり、「糸浦 柳子」の芸名を名乗って、同撮影所と製作提携をしていた衣笠貞之助が主宰する衣笠映画聯盟の製作、山崎藤江の監督による『天保悲剣録』に出演して、映画界にデビューした。
清川 虹子(きよかわ にじこ、1912年11月24日 - 2… 清川 虹子(きよかわ にじこ、1912年11月24日 - 2002年5月24日)は、日本の女優。本名:関口 はな。千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身。淡路尋常小學校卒業、神田高等女學校中退。 1924年、東京府東京市神田区の尋常小學校を卒業。神田高等女學校を中退。1928年、川上貞奴主宰の児童劇団へ入団し、貞奴最後の弟子となる。1929年、市民座へ入り、座員の中条金之助と結婚(1男を儲けるが、のちに離婚)。同年、山村聡主宰の新劇へ移籍。1933年、笑の王国に参加。1934年、東宝製作の『只野凡児・人生勉強』でスクリーンデビュー。1942年、東宝社長の大沢善夫の弟である大沢清治と結婚して芸能界を引退したが、1947年に夫と死別。
久美 京子(くみ きょうこ、1912年11月13日 - 19… 久美 京子(くみ きょうこ、1912年11月13日 - 1980年2月12日)は、日本の女優、昭和期の宝塚歌劇団花組主演娘役のタカラジェンヌで宝塚歌劇団卒業生である。大阪府大阪市西区出身。 以前の芸名は、万葉集で大伴家持が詠んだ久邇京讃歌に因んだ久邇 京子(くに きょうこ)であったが、当時「久邇」の文字が皇族の久邇宮家と同じであるという指摘があり、「幾久しく美しくあれ」の意味をこめた「久美」に改名した経緯があった。 本名は萩原 貞子(はぎわら さだこ、旧姓:中村)。愛称はサァちゃん(本名の貞子から)。 1930年、大阪府立市岡高等女学校(現・大阪府立港高等学校)卒業後に、宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入学して、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に入団。
水町 庸子(みずまち ようこ、本名︰三国 むめ子、1912年… 水町 庸子(みずまち ようこ、本名︰三国 むめ子、1912年3月24日 - 1941年1月11日)は、福井県出身の女優。夫は俳優の三国周三、娘は女優の水町瑛子(三邦瑛子)、甥は放送タレントの三國一朗。 三重県立津高等女学校(現 三重県立津高等学校)を中退後、1933年、21際の時に新宿の大衆劇場ムーランルージュ新宿座に入団。入団当初は「水町玲子」の芸名で地味ながら堅実な演技をこなす舞台女優として活躍した。徐々に女優としての頭角を現し、美人であった事も加わってトップ女優の仲間入りを果たしていく。 その後、同じムーラン所属の俳優であった三国周三と結婚、1938年に芸名を「水町玲子」から「水町庸子」に改名して「冬の宿」で映画デビューを果たす。
不二 洋子(ふじ ようこ、1912年3月18日 - 1980… 不二 洋子(ふじ ようこ、1912年3月18日 - 1980年5月11日)は、日本の女優、女剣劇の開祖。1930年代以降、初代・二代目の大江美智子とともに女剣劇の全盛期を築きあげた舞台女優である。 戦前の女剣劇創成期から、卓越した立ち回り技術と、しばしば「男性的」とも評された中性的なイメージで人気を博した。 本名は迫 静子(さこ しずこ)。旧姓・大西。 1912年(明治45年)3月18日、広島県佐伯郡平良村上平良(現在の同県廿日市市上平良)に生まれる。香川県綾歌郡坂出町(現在の同県坂出市)に生まれる。 1916年(大正5年)、広島県佐伯郡平良村上平良(現在の同県廿日市市上平良)出身の旅役者・迫日出雄の養女になり、戸籍上の名が「迫静子」となる。