光山 勝治(みつやま しょうじ、1942年 - )は日本の漫… 光山 勝治(みつやま しょうじ、1942年 - )は日本の漫画家、元アニメーター。福井県出身。 福井市生まれ、北陸高等学校商学部卒業。学生時代より手塚治虫のアシスタントとして活動し、1961年の虫プロダクション(旧社)設立メンバーとなりテレビアニメ『鉄腕アトム』や『ビッグX』、アニメーション映画『ある街角の物語』で原画や演出を担当した。その後、村野守美と共に虫プロを離れあなぐまプロダクションに所属。 1966年に有限会社キングプロダクションを設立して独立し、1968年には石川球太の後継で『少年画報』に特撮『怪獣王子』のコミカライズを執筆する。1972年にはカナダのトロントへ渡って現地でアニメのキャラクターデザイン・原画・美術などを担当した。
葛西 治(かさい おさむ、1941年11月11日 - )は、… 葛西 治(かさい おさむ、1941年11月11日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。北海道出身。 日本大学芸術学部卒業後の1964年、東映動画(現:東映アニメーション)に入社。村山鎮雄と薮下泰次の下で、アニメーションの演出を学んだ。 演出デビュー作は、『ひみつのアッコちゃん(第1作)』。その後は東映動画の演出家として、『アパッチ野球軍』『魔法使いチャッピー』『ゲッターロボG』『銀河鉄道999』『新竹取物語 1000年女王』など、数多くのテレビアニメの演出を担当した。 『あさりちゃん』『愛してナイト』『ゲゲゲの鬼太郎(第3作)』『魔法使いサリー(第2作)』『ドラゴンボールGT』など、監督(=チーフディレクター、シリーズディレクター)を務めたテレビアニメも数多い。
富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11… 富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11月5日 - )は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画原作者、作詞家、小説家。日本芸術院会員。本人は演出家・原案提供者としている。日本初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメに草創期から携わる。祖父は東京府南葛飾郡大島町(現・東京都江東区の一部)町長を務めた富野喜平次。 代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、または『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。 キャリアを通じて複数のペンネームを用いている。 本名は富野 喜幸()で両親の喜平と幸子の一文字ずつをとって付けられた。
鳥海 永行(とりうみ ひさゆき、1941年10月29日 - … 鳥海 永行(とりうみ ひさゆき、1941年10月29日 - 2009年1月23日)は、日本のアニメーション監督、演出家、小説家。神奈川県伊勢原市出身。中央大学法学部政治学科卒。 アニメーションの監督として、その演出は非常にシャープで完成されたものであり、同じアニメ監督の押井守に強い影響を与えている。押井は鳥海のことを「師匠」と公言している。「演出家であろうがアニメーターであろうが、やりたい奴にやらせてはいかん。こっちがやらせたい奴にやらせろ」というのが持論で、押井も参考にしているという。そのため、「やりたい」と自ら手を上げる人間よりも彼自身が「こいつは才能がある」と思う人間を重視し、そうではない人間は早々に切っていたという。
古川 タク(ふるかわ タク、本名:古川 肇郁(ふるかわ ただ… 古川 タク(ふるかわ タク、本名:古川 肇郁(ふるかわ ただいく)、1941年9月25日 - )は、日本の男性アニメーション作家、イラストレーター、絵本作家である。日本アニメーション協会(JAA)会長。日本漫画家協会参与。 任天堂社長の古川俊太郎は子。 三重県上野市(現・伊賀市)出身。三重県立上野高等学校、大阪外国語大学イスパニア語学科卒業。 アニメーションからイラスト、漫画と活躍は多岐に渡る。個人製作によるシンプルな画風ととぼけたユーモアのアニメーションで世界的な評価を受けた。線画タッチの作品が多いのはソール・スタインバーグの影響。日本ではNHKの『みんなのうた』を定期的な作品発表の場とした。
北野 英明(きたの ひであき(えいめい)、1941年9月22… 北野 英明(きたの ひであき(えいめい)、1941年9月22日 - )は、日本の漫画家、アニメーター。神奈川県横浜市出身。麻雀劇画や原作付きの作品が多い。麻雀の打ち手としては1974年第1期王位戦、1983年第14期名人戦で決勝進出(どちらも5人打ち)の実績がある。 少年のころから絵を描くのが好きで、やがて漫画も描くようになる。横浜商業高校在学中に少女漫画『三つの願い』でデビューした後に手塚治虫と知り合い、卒業後に弟子入りしてアシスタントとしても務める。虫プロダクションにて『どろろ』『ジャングル大帝』『あしたのジョー』等の作画監督や演出を務めた後、29歳の時に独立して漫画家へ。代表作の『牌の魔術師』は、日本で麻雀漫画が連載となった最初の作品であるとされる。
芝山 努(しばやま つとむ、1941年〈昭和16年〉3月9日… 芝山 努(しばやま つとむ、1941年〈昭和16年〉3月9日 - 2026年〈令和8年〉3月6日)は、日本の男性アニメーター、アニメーション演出家、アニメーション監督。亜細亜堂コンテンツ代表取締役。東京都台東区浅草出身。 浅草で4代続いた三味線付属部品の卸・販売業の次男として生まれ、母方の祖母は歌舞伎役者の髪結いをなりわいとしており、幼少期から芸事や芝居など下町文化に触れることが多かった。 埼玉県立春日部高等学校、明治大学文学部演劇学科を卒業後、演出家を志望して、東映本社のCMの企画・演出の募集に応募するも不合格。そこで「アニメーションは演出の勉強になるから」と紹介された東映動画(現:東映アニメーション)の採用試験を受けたのがアニメ業界入りのきっかけだった。
井岡 雅宏(いおか まさひろ、1941年2月18日 - 19… 井岡 雅宏(いおか まさひろ、1941年2月18日 - 1985年9月25日)は、日本のアニメーション美術監督。『アルプスの少女ハイジ』や、『赤毛のアン』など、フジテレビ系テレビアニメシリーズ『世界名作劇場』における美術監督として有名。 北海道札幌東高等学校卒業、1964年北海道学芸大学中退。東映動画入社、1969年退社、71-72年千葉秀雄の「七一画房」に所属。73年ズイヨー映像、75年日本アニメーション。82年退社、83年パンメディア入社。 『アルプスの少女ハイジ』『赤毛のアン』の他、『あらいぐまラスカル』といった自然描写が多くのシーンを占める作品で美術監督を務め、高い評価を得た。その巧みな自然描写は、宮崎駿や高畑勲からも賞賛されている。
高橋 資祐(たかはし もとすけ、1941年〈昭和16年〉1月… 高橋 資祐(たかはし もとすけ、1941年〈昭和16年〉1月11日 - 2007年〈平成19年〉11月8日)は、日本の男性アニメーター、アニメ演出家・監督、キャラクターデザイナー。宮城県石巻市出身。 1959年3月に宮城県石巻高等学校卒業後、石巻市役所に就職。美術を学ぶため、日本デザインスクールに入学するも1963年に同校を中退。第一広告(現・I&S BBDO)、文珠デザインスタジオの商業デザイナーを経て、草月アニメフェスティバルでアニメに興味を持ち、1966年8月に新聞の社員募集広告に応募して竜の子プロダクション(タツノコプロ)へ入社。 同プロでは笹川ひろしや吉田竜夫らの下で『おらぁグズラだど』『昆虫物語 みなしごハッチ』などの原画・演出を担当した他、作画チーフも務めた。
クニ トシロウ(1941年-)は、日本のアニメ監督。本名、白… クニ トシロウ(1941年-)は、日本のアニメ監督。本名、白石 邦俊。主にシンエイ動画作品の総監督を務める。 東京都出身。神奈川県立横須賀高等学校、早稲田大学法学部卒業。東映動画に入社しアニメーターをつとめた後、永沢まことらとともに「オフィス・ユニ」に参加。漫画家・アニメーション監督として活動を開始する。漫画家の藤子不二雄Aと交遊があり、そのつながりで藤子不二雄Aの作品をよく監督として担当した。
杉井 ギサブロー(すぎい ギサブロー、本名:杉井 儀三郎(す… 杉井 ギサブロー(すぎい ギサブロー、本名:杉井 儀三郎(すぎい ぎさぶろう)、1940年8月20日 - )は、日本の男性アニメ監督、脚本家。日本映画監督協会会員。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。代表作に『タッチ』、『銀河鉄道の夜』、『ストリートファイターII MOVIE』、『あらしのよるに』など。タツノコプロ出身のアニメーターの杉井興治は実弟。 静岡県沼津市出身。沼津市に小学校5年生の途中まで在住。1945年7月の沼津大空襲にも遭遇している。小学校時代は漫画を愛する「マンガ少年」であった。沼津時代の末期に見たディズニーの『バンビ』に強い印象を受け、アニメーションを「一生の仕事にしよう」と決意する。
今沢 哲男(いまざわ てつお、1940年8月17日 - )は… 今沢 哲男(いまざわ てつお、1940年8月17日 - )は、大分県中津市出身の日本のアニメーション演出家、アニメーション監督である。 大分県立中津北高等学校を卒業後、印刷会社社員、専修学校桑沢デザイン研究所を経てアニメ業界入り。 下請けアニメ制作会社の「ハテナプロダクション」にてアニメーション演出家としての第一歩を踏み出した。ハテナプロ解散後は、同プロ時代の同僚である香西隆男が設立したスタジオジュニオ(現:ジュニオ ブレイン トラスト)に移籍し、岡崎稔、永丘昭典らと共に同スタジオを代表する演出家として長く活躍した。 演出を手掛けた代表的なテレビアニメは、『新・巨人の星』、『ムーの白鯨』、『太陽の使者 鉄人28号』、『六神合体ゴッドマーズ』、『キン肉マン』、『超電動ロボ 鉄人28号FX』、『デジモンシリーズ』など。
西牧 秀夫(にしまき ひでお、1940年7月25日 - )は… 西牧 秀夫(にしまき ひでお、1940年7月25日 - )は、日本のアニメーション監督、演出家。兵庫県尼崎市出身。京都市立芸術大学卒。 シバ・プロ、虫プロダクション、タツノコプロ、スタジオ古留美などに在籍。スタジオ古留美時代は椛島義夫とのコンビで上記の作品を多く担当した。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
西沢 信孝(西澤、にしざわ のぶたか、1940年3月8日 -… 西沢 信孝(西澤、にしざわ のぶたか、1940年3月8日 - 2015年3月4日)は、日本のアニメーション監督、アニメプロデューサー。 代表作にテレビアニメ『銀河鉄道999』、『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』、『SLAM DUNK』など。 熊本県出身。日本大学芸術学部映画学科在学中は、東京放送(TBS)でラジオの仕事のアルバイトをし、卒業後は新聞社に入社、2430!名義で競馬の予想記者をする、もすぐに退社。1964年、東映動画(現東映アニメーション)の助監督の募集に応募して入社。同期は、白川大作に師事し、翌1965年『ハッスルパンチ』の4話で演出デビュー。1974年に『マジンガーZ対暗黒大将軍』で初の劇場作品の監督を手がける。
九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - 2023… 九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - 2023年7月1日)は、日本の漫画家、アニメ監督、アニメーションプロデューサー、キャラクターデザイナー。株式会社タツノコプロ第3代代表取締役。京都府京都市出身。本名:吉田豊治(よしだ とよはる)。 タツノコプロ創業経営者一族の「吉田三兄弟」の三男で、長兄は漫画家・アニメ原作者・タツノコプロ初代社長の吉田竜夫、次兄はアニメプロデューサー・タツノコプロ第2代社長・初代会長の吉田健二。 ペンネームの由来は「お前は目がクリクリしているから」と言われ「クリ=九里」とし、さらに「一平」をつけたことによる。 挿絵画家・漫画家として活躍していた竜夫の後を追い上京。
小野 耕世(おの こうせい、1939年11月28日 - )は… 小野 耕世(おの こうせい、1939年11月28日 - )は、日本の映画評論家、漫画評論家、海外コミック翻訳家、海外コミック・アニメーション研究家。東京都世田谷区出身。 アメリカンコミックス紹介で、KOSEIというペンネームを使っていたことがある。 日本における海外コミックの翻訳出版および研究、紹介の第一人者。元NHK職員。日本マンガ学会理事をへて3代目会長。日本漫画家協会会員(参与)。 熱気球パイロットのライセンスを持っており、日本気球連盟会員。 父は漫画家の小野佐世男。 東京市世田谷区代田[要出典]に生まれるが、自宅が空襲にあい、埼玉県指扇(さしおうぎ)の母方の親戚宅[要出典]に疎開する。戦中にインドネシアに渡っていた父の小野佐世男が1946年5月末に帰国し、世田谷・北沢の父の姉の家に家族で転居する。
青木 弘司(あおき こうじ、1939年7月2日 - 没年不明… 青木 弘司(あおき こうじ、1939年7月2日 - 没年不明)は、日本の演出家、アニメ脚本家。 神奈川県大和市生まれ。藤嶺学園藤沢高校卒、1963年3月、早稲田大学第一文学部国文科卒。大学時代は稲門シナリオ研究会に所属して卒業後に雑誌社勤務を経て、同年9月に東映テレビに契約助監督として入社、家城巳代治や野田幸男らに付いた。 テレビドラマの演出や企業PR、深見弘としてアニメシナリオ、教育映画も制作。日本映画監督協会会員。時期は不明だが同協会サイトでは物故者となっている。
村田 耕一(むらた こういち、本名:村田 清照(むらた きよ… 村田 耕一(むらた こういち、本名:村田 清照(むらた きよてる)、1939年4月5日 - 2006年11月7日)は、日本のアニメーター。有限会社オープロダクション代表取締役。新潟県柏崎市出身。 1970年5月、塩山紀生、小松原一男、米川功真と共にOH!プロダクション(以下、OH!プロ)を設立する。OH!プロでは、東映動画班と東京ムービーの子会社であったAプロダクション班(現在のシンエイ動画の前身)に分かれて二社の作品を製作していたが、村田はAプロ班の中心アニメーターとして、原画、作画監督などを務め、多くの作品に取り組んだ。また、OH!プロ代表取締役として同社の経営に当たった。 村田はAプロ班のアニメーターとして同社の作品にかかわる中で、高畑勲、宮崎駿らと深い関係を築き、二人の作るアニメ映画やテレビアニメに参加し、作画監督として活躍した。
金山 明博(かなやま あきひろ、1939年2月25日 - )… 金山 明博(かなやま あきひろ、1939年2月25日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、漫画家。 東京都出身。大沢野小学校、速星中学校、富山県立富山工業高等学校卒業。虫プロダクションを経て、フリー。日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。 東京都四谷で生まれる。生家は市ヶ谷駐屯地の前で軍服の仕立て屋を営んでいた。第二次世界大戦により1944年に富山県の遠戚宅へ疎開、富山県では高校卒業まで過ごす。中学時代には美術部に所属。高校時代から本格的に漫画を描き始める。高校卒業後は集団就職した千葉県市川市の鉄工所に勤務しながら夜間は漫画修行という生活に明け暮れるが、1959年、20歳のときにいったん富山へ帰郷。
角田 紘一(つのだ こういち、1939年〈昭和14年〉2月5… 角田 紘一(つのだ こういち、1939年〈昭和14年〉2月5日 - 2014年〈平成26年〉1月14日)は、日本のアニメーター。教授や講師として世界各国で後進の育成に励んだ。 1939年(昭和14年)2月5日、北海道釧路市に生まれる。1963年(昭和38年)、武蔵野美術大学油絵科を卒業した後、同年に東映動画へ入社した。同社では『デビルマン』、『マジンガーZ』、『銀河鉄道999』、『サイボーグ009 超銀河伝説』、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』、『オーディーン 光子帆船スターライト』、『トランスフォーマー ザ・ムービー』などの原画、作画監督、キャラクターデザインを手掛けるなど数多くのアニメーション制作に携わった。
荒木 伸吾(あらき しんご、1938年11月28日 - 20… 荒木 伸吾(あらき しんご、1938年11月28日 - 2011年12月1日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、漫画家。作画プロダクション「有限会社荒木プロダクション」代表取締役。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。愛知県名古屋市出身。 代表作に『聖闘士星矢』『キューティーハニー』『魔女っ子メグちゃん』など。全盛期の1970年代から1980年代まで、荒木伸吾デザインのアニメキャラクターはその端正な絵柄で美形キャラクターの代名詞とされるほどだった。アクション作画の腕前を評価する声も多い。 映像ディレクター、CMプランナーの荒木伸二は息子。 中学卒業後、日本車輌製造に勤務する。
甲藤 征史(かっとう せいし、1938年10月17日 - )… 甲藤 征史(かっとう せいし、1938年10月17日 - )は、高知県香美郡土佐山田町(現:香美市土佐山田町)出身の漫画家、アニメーター。 香南中学2年の頃より『こども高知新聞』に4コマまんが「マンガ横町」を連載。 四国学院大学生の時、横山隆一のアニメーション制作会社「おとぎプロ」に呼ばれ、退学して入社。その後、トキワ荘出身の漫画家を中心に設立された「スタジオゼロ」にうつり、映画『ひょうたんすずめ』、アニメ『パーマン』や『オバケのQ太郎』などの制作にかかわる。 1969年、「何か新しいことに挑戦したい」とドイツに移住。ドイツを中心に、チェコ、スイスなどで新聞マンガ、アニメ、イラストなどを制作。 1993年、『ピングー』の制作を原作者のオットマー・グットマン(英語版)急逝後に引き継ぎ、5年間携わった。
木村 圭市郎(きむら けいいちろう、1938年4月5日 - … 木村 圭市郎(きむら けいいちろう、1938年4月5日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。群馬県出身。息子はイラストレーターの木村タカヒロ。
平田 敏夫(ひらた としお、1938年2月16日 - 201… 平田 敏夫(ひらた としお、1938年2月16日 - 2014年8月25日)は、日本のアニメーター、アニメーション演出家、アニメ監督、映画監督である。ニックネームはポンさん。 山形県天童市に生まれる。武蔵野美術大学卒業の1960年、東映動画(現:東映アニメーション)に入社。東映動画時代は、森康二の班に配属されてアニメーター(原画マン・動画マン)として、同社の『わんぱく王子の大蛇退治』などの作画を担当した。4年間の動画マン生活の後、東映動画のテレビアニメ『狼少年ケン』で原画デビューし、虫プロへ移籍。虫プロではアニメーターとして原画を描いていたが、『鉄腕アトム』で演出家デビューした。演出については山本暎一から学ぶ。
勝間田 具治(かつまた ともはる、1938年2月4日 - )… 勝間田 具治(かつまた ともはる、1938年2月4日 - )は、静岡県下田市出身の日本のアニメーション演出家、アニメ監督である。 日本大学芸術学部卒業後、叔父で俳優の岸井明の紹介で1960年に映画製作会社の東映に入社。東映京都撮影所でマキノ雅弘に師事し、工藤栄一、加藤泰、田坂具隆監督らの助手を務めた。これら監督につき、『次郎長血笑記・富士見峠の対決(1960年公開)』『次郎長血笑記・殴り込み荒神山(1960年公開)』 『ちいさこべ(1962年公開)』などの制作に関わった。その後、テレビアニメ事業に進出した東映動画(現・東映アニメーション)から請われて1964年に移籍し、アニメーションの演出家に転向。
大田 朱美(おおた あけみ、1938年1月5日 - )は、日… 大田 朱美(おおた あけみ、1938年1月5日 - )は、日本の元アニメーター。本名は宮﨑 朱美(みやざき あけみ)。公益財団法人トトロのふるさと基金評議員。結婚後に出版された書籍などでは宮崎 朱美(みやざき あけみ)名義を用いることもある。 財団法人トトロのふるさと財団の理事などを歴任した。 夫はアニメ映画監督の宮崎駿、長男に同じくアニメ映画監督になった宮﨑吾朗、次男に版画家の宮﨑敬介がいる。 父は版画家の大田耕士で、師匠の恩地孝四郎や平塚運一と共に「日本教育版画協会」を創立している。また、姉の園叡(園サトル、大田サトル)は女性アニメーターの草分けとして、持永只仁の人形映画製作所やスタジオ・ノーヴァなどで人形アニメーション作品を手がけた。
椋尾 篁(むくお たかむら、1938年1月1日 - 1992… 椋尾 篁(むくお たかむら、1938年1月1日 - 1992年6月9日)は、長崎県佐世保市出身のアニメーション美術監督。武蔵野美術学校洋画科卒。元ムクオスタジオ主宰。“光と影と質感の詩人”の異名を持つ。 生家は代々平戸藩お抱えの焼物店だったが、本人曰く、自身が生まれた1938年頃に閉店したとのこと。高校卒業後は大阪に出て凸版印刷に就職するが、だんだん仕事に違和感を感じてきたということで2年ほどで退職。思い返せば子供の頃から絵を描くことが好きだったことから、やはり将来は絵をやっていこうと思い立って武蔵野美術学校に進学。しかし美術学校を出てもすぐに仕事は見つからず、同じ武蔵野美術学校の1年先輩でもある半藤克美に相談したところ「自分の所で仕事しないか」と誘われて虫プロダクションで仕事を始める。
パロ 穂積(ぱろ ほづみ、本名:穂積 勝義(ほづみ かつよし… パロ 穂積(ぱろ ほづみ、本名:穂積 勝義(ほづみ かつよし)、1938年 - )は、元日本のアニメーター、アメリカのアニメーター。 日本の福島県泉崎村出身。福島県立白河高等学校卒業後、桑沢デザイン研究所に入り、絵画について学ぶ。 1960年に東映動画(現東映アニメーション)に入社。『狼少年ケン』をはじめ多くのアニメ作品の背景を描く。 独立し1974年に渡米。ハンナ・バーベラ・プロダクションなど複数のアニメ制作会社と契約し、『ザ・パックマンショー』や『小さな森の精あいあむ!スマーフ(森のスマーフ)』など多数のアニメ作品に参加。 1984年にディズニートゥーン・スタジオズと契約し、『ダックテイル(わんぱくダック夢冒険)』、『新くまのプーさん』などテレビアニメーションシリーズの背景のチーフ、美術を務める。
川本 征平(かわもと しょうへい、1938年 - 2023年… 川本 征平(かわもと しょうへい、1938年 - 2023年10月15日)は、日本の男性アニメーション美術監督、アトリエローク元代表取締役、杉並アニメ振興協議会会長である。島根県出身。 広島県立広島工業高等学校建築科卒業後、地元の建設会社に就職するが、数ヶ月で退職する。姉夫婦を頼って大阪に移り、美術系の大学に進学するため関西美術院でデッサンなどを学ぶ。武蔵野美術学校に入学後、上京する。 卒業後はアルバイトでピー・プロダクションに入り、アニメの背景を描き始める。その後、武蔵野美術学校の同期である半藤克美(スタジオユニ創業者)に誘われ、東京ムービーに入社。美術のみならず、藤岡豊のアシスタントとして営業にも同行した。
香西 隆男(こうざい たかお、1937年7月26日 - 2… 香西 隆男(こうざい たかお、1937年7月26日 - 2024年4月29日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。香川県出身。東京芸術大学卒。 漆職人を目指して、高松工芸高等学校へ。しかし漆にかぶれる体質から、東京芸術大学彫刻科へ進学する。卒業後は、東映動画(現:東映アニメーション)に入社。アニメのことを全く知らずに、東映で実写映画のスタッフになろうと入社試験を受けての入社だったという。アニメ映画『西遊記』を経て、アニメーターとなる。入社4年後の1964年に、永樹凡人、我妻宏、小泉謙三らと共に退社し、ハテナプロの設立に参加。同プロでは東映動画作品の『魔法使いサリー』などの作画を担当した。
杉山 卓(すぎやま たく、1937年5月8日 - )は、日本… 杉山 卓(すぎやま たく、1937年5月8日 - )は、日本の男性アニメーター、アニメ演出家、アニメ監督。造形表現研究所所長及びタクプロダクション代表(株式会社デック)。京都アニメーション共同創業者の八田陽子(旧姓: 杉山)は実妹。2019年現在は静岡県浜松市北区に在住。妻も東映動画の元アニメーター(入社は杉山より3年後)である。 東京府(後の東京都)出身。太平洋戦争末期は山形県に疎開していた。東京都立豊多摩高等学校卒業。高校時代は山岳部に所属していた。宮崎駿夫人となる大田朱美とは中学高校で同窓だったという。 1956年5月、浪人生として東京芸術大学油絵科を目指していた時に、新聞に載った東映動画の募集広告を見た姉の勧めで採用申込に応じ、東映動画(現・東映アニメーション)に1期生として入社する。
光延 博愛(みつのぶ ひろよし、1937年4月1日 - 没年… 光延 博愛(みつのぶ ひろよし、1937年4月1日 - 没年不明)は、日本のアニメーション演出家、アニメーション監督、アニメーターである。土田プロダクションに所属していた。福岡県大牟田市出身。 妻はスタジオ雲雀会長である光延幸子、息子はスタジオ雲雀社長の光延青児。 子供の頃から好きな漫画のイラストを模写することが好きで、中学入学後に漫画雑誌への投稿を始める。本人は一度、雑誌『漫画少年』に自分の作品が載ったことがあると話している。 多摩美術大学を卒業後、1959年(昭和34年)に東映動画に入社。当時は特にCMに興味を持っていなかったが、「これからは宣伝の時代。宣伝界にしがみついていれば何とか食っていけそう」と自分なりに考えて望んで、退社してフリーになる1966年(昭和41年)までCM課に配属されて勤務。
明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は… 明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は、日本のアニメーション演出家、映画監督。 愛媛県松山市出身。9人兄弟の三男として生まれるが、兄弟は若くして全員亡くなったという。 日本大学芸術学部文芸学科卒業。同郷の佐伯清の伝手を頼り、1959年に東映に入社。東京撮影所にて佐伯清、渡辺祐介、石井輝男、今井正らの下で助監督(サード、フォース)を務める。 映画産業の斜陽化に伴い、1964年に東映動画(現:東映アニメーション)に転籍する。転籍組の同期に日大の先輩であった久岡敬史や京都撮影所から移ってきた田宮武、勝間田具治らがいる。 アニメ初仕事となった『狼少年ケン』では山本寛巳の助手に就くが、山本が組合運動のためにしばしば会社を抜け出していたため、明比が仕事を肩代わりするようになり、第46話「ジャングルの友情」で早くも演出として一本立ちする。
宮本 貞雄(みやもと さだお、1937年 - 2024年1月… 宮本 貞雄(みやもと さだお、1937年 - 2024年1月9日)は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、アートデザイナー。 1957年、コマーシャル制作会社一光社に入社する。その後大阪コマーシャルフィルム、クレア工房、ムービースタジオ、グラフィック社のプロダクションで、ナショナル冷蔵庫、シャープテレビ、仁丹、カネボウ、レナウン、タイガー魔法瓶、ロート目薬、礒自慢など7年間で約200本のコマーシャルフィルムを制作する。 1964年、虫プロダクションにアニメーターとして入社する。『鉄腕アトム』、『悟空の大冒険』、『リボンの騎士』、『アニマル1』、長篇アニメ『千夜一夜物語』、アメリカ合作『フロスティ・ザ・スノーマン〜温かい雪だるま』の原画や作画監督を務めた。
ひこね のりお(本名:彦根 範夫、1936年12月18日 -… ひこね のりお(本名:彦根 範夫、1936年12月18日 - )は日本のアニメーター、イラストレーターである。 東京都生まれ。東京都立江北高等学校卒業、東京芸術大学美術学部工芸科卒業。1959年、東映動画に入社、劇場アニメの『少年猿飛佐助』『西遊記』や、テレビアニメ『狼少年ケン』などの作画に関わる。1965年に東映動画を退社し虫プロダクションに入社、テレビアニメ『ジャングル大帝』などに関わるが1年で退社、1966年にフリーとなる。 永沢まこととともに共同スタジオを開設した後、自身の「ひこねスタジオ」を興す。テレビアニメ、テレビコマーシャルなどのアニメーターとして仕事のほか、キャラクターデザインも数多く手がけ、広告などマルチメディアに使用されている。
奥山 玲子(おくやま れいこ、1936年10月26日 - 2… 奥山 玲子(おくやま れいこ、1936年10月26日 - 2007年5月6日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、版画作家である。別名、おくやま れいこ。 宮城県仙台市にて出生。小学生高学年ですでに大人の文学を読み、中学生にかけての時期には兄弟を役者にして、ストーリーと衣装を自作した舞台を毎年2回自宅で開いていた。 宮城学院中学校・高等学校から東北大学教育学部に進学。日本の敗戦で社会の価値観が変わったことから大人に対して反抗的な態度を取るようになり、高校でも変わらなかったという。東北大学への進学は父親の意向だった。 大学卒業後、上京。上京の経緯について、雑誌『週刊文春』1963年7月22日号をデジタル化した文春アーカイブスでは「外国語大学への入学を目指した」としているが、叶精二は「どうしても教員になる気にはなれず、家出同然」だったと著述しており、ニュースサイト「リアルサウンド」の記事でも「家出同然で上京」と記述されている。
小華和 ためお(こはなわ ためお、本名:小華和 為雄(読みは… 小華和 ためお(こはなわ ためお、本名:小華和 為雄(読みは左記と同じ)、1936年9月18日 - )は、山形県酒田市出身のアニメーター、アニメーション監督である。
小田部 羊一(こたべ よういち、1936年9月15日 - )… 小田部 羊一(こたべ よういち、1936年9月15日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員。アニメーター・銅版画家の奥山玲子は妻。 日本統治時代の台湾・台北州台北市に生まれる。小学校教員の父は、油彩を嗜んでいた。幼少時より『ポパイ』や『桃太郎の海鷲』・『くもとちゅうりっぷ』などのアニメーション映画に親しんで育つ。日本の敗戦後、家族とともに日本に引き揚げ、奈良市・新潟市・日立市を移り住む。帰国後は手塚治虫(『新宝島』『ロストワールド』)や小松崎茂・山川惣治の作品に惹かれて頻繁に模写し、『せむしのこうま』『白雪姫』といった外国のアニメーション映画にも接する。
設楽 博(しだら ひろし、1936年9月11日 - )は、日… 設楽 博(しだら ひろし、1936年9月11日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督である。山形県村山市出身。日本大学芸術学部卒業。 大学を卒業した1960年春、東映に入社。2年ほど京都撮影所に勤務した後、東映動画に移籍した。1965年、『宇宙パトロールホッパ』にてテレビアニメの演出家としてデビュー。その後、『魔法使いサリー(第1作)』『ゲゲゲの鬼太郎(第1作)』『タイガーマスク』『デビルマン』『ミクロイドS』など数多くのテレビアニメで演出を担当した。 演出家・設楽博の名を一躍有名にしたのは、1976年、初めてチーフディレクター(=監督)の大役を任されたテレビアニメ『キャンディ・キャンディ』である。
笹川 ひろし(ささがわ ひろし、本名・笹川浩、1936年7月… 笹川 ひろし(ささがわ ひろし、本名・笹川浩、1936年7月9日 - )は、日本の男性アニメ監督、漫画家、作家。タツノコプロ顧問。福島県会津若松市出身。 手塚治虫のアシスタントから漫画家を経て、タツノコプロの創立時から演出家として活躍。1970年代から1980年代にかけてのタツノコ黄金時代の立役者の一人。代表作は『タイムボカンシリーズ』など。ギャグ作品を多く手がけており、マンネリを生かしたギャグの演出を得意とする。「ギャグアニメの帝王」「アニメ界の欽ちゃん」とも言われた。しかし、当人は『新造人間キャシャーン』のようなシリアスなストーリーが好みであるという。タツノコプロを退社していた80〜90年代前半にかけては『忍者ハットリくん』『パーマン』『オバケのQ太郎』『ポコニャン!』など藤子不二雄作品を多く手掛けていた。
斎藤 博(さいとう ひろし、1936年3月17日 - 201… 斎藤 博(さいとう ひろし、1936年3月17日 - 2015年6月26日)は、日本のアニメーション監督、脚本家、演出家。京都市立紫野高等学校卒業。 中国(当時は満洲国)の日本租借地であった関東州大連市生まれ。太平洋戦争終戦後の1946年に日本へ引き揚げ、京都府に住む。 20代前半、油絵の勉強に専念し画家をめざすが、結婚後の1960年、漫画家の横山隆一 主宰するおとぎプロへ入社し、1961年放送開始のテレビアニメ『インスタント・ヒストリー』や劇場作品の作画を数本担当する。 1963年『鉄腕アトム』の放映が開始されると、おとぎプロの先輩アニメーターで1961年に設立された虫プロダクションの創設メンバー山本暎一の紹介で虫プロダクションへ入社。
黒田 昌郎(くろだ よしお、1936年 - )は日本のアニメ… 黒田 昌郎(くろだ よしお、1936年 - )は日本のアニメーション演出家。 東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。 東映動画で「狼少年ケン」、「おばけ嫌い」、「ゲゲゲの鬼太郎」(1967年版)、「ジャングル最大の作戦」、「タイガーマスク ふく面リーグ戦」などのアニメ作品の製作に携わる。 その後、日本アニメーションでTVアニメ・シリーズの監督・演出を行う。主な作品に、世界名作劇場シリーズの「フランダースの犬」、「母をたずねて三千里」、「ペリーヌ物語」(演出、絵コンテ)や、「家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ」、「劇場版 フランダースの犬 THE DOG OF FLANDERS」(監督)などがある。
谷川 一彦(たにがわ かずひこ、1936年 - 2008年)… 谷川 一彦(たにがわ かずひこ、1936年 - 2008年)は、日本の漫画家、アニメーター。広島県安村(現・広島市安佐南区)出身。 原爆投下12年後の1957年に月刊誌『なかよし』で原爆で両親を失う少女を描いた漫画「星はみている」を連載。『漫画少年』『冒険王』『なかよし』『少女クラブ』『幼年ブック』などに漫画を発表した後、上京し、1961年に創設された虫プロダクションに入社して、テレビアニメ『鉄腕アトム』や『W3(ワンダースリー)』などの作画等を担当した。 原爆を描いた「星はみている」は、これまで原爆を直接描いた最も古い漫画とされていた白土三平の「消え行く少女」(日本漫画社、1959年)よりも2年早く、中沢啓治の「黒い雨にうたれて」(『漫画パンチ』、1968年5月掲載)よりも、11年早く書かれている。
高畑 勲(たかはた いさお、1935年〈昭和10年〉10月2… 高畑 勲(たかはた いさお、1935年〈昭和10年〉10月29日 - 2018年〈平成30年〉4月5日)は、日本のアニメ監督、映画監督。 畑事務所代表、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事。日本大学芸術学部講師、学習院大学大学院人文科学研究科主任研究員、多摩美術大学客員教授などを歴任、紫綬褒章受章。映画プロデューサーや、フランス文学(ジャック・プレヴェール)の翻訳も手がけている。 1959年に東映動画に入社。『太陽の王子 ホルスの大冒険』で長編をはじめて演出した後、1971年からAプロダクションに移る。以後『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』などのテレビアニメを経て、宮崎駿、鈴木敏夫らと設立したスタジオジブリで監督作を手がけた。
小薗江 圭子(おそのえ けいこ、1935年 - 2011年)… 小薗江 圭子(おそのえ けいこ、1935年 - 2011年)は、日本の作家、作詞家、映像作家、アニメーター。本名・平川圭子。 東京生まれ。9歳まで銀座に住む。日本女子大学在学中からぬいぐるみ作家として注目され、その後イラストレーター、童話作家、エッセイストとしても活躍。初期の「みんなのうた」のアニメ作家でもあり、「この広い野原いっぱい」の作詞者としても知られる。 「うちのネコ ぼくのネコ」「魔法のワルツ(魔法使いチャッピー)」「夕やけ番長」などの作詞のほか、『モザイクの馬』『耳かきのすきな王様』『生活美人』などの著作がある。「ツビレグ ツブレグ マーチ」「新しい動画 3つのはなし」のアニメ映像も担当した。
西崎 義展(にしざき よしのぶ、正式には「西﨑義展」、193… 西崎 義展(にしざき よしのぶ、正式には「西﨑義展」、1934年〈昭和9年〉12月18日 - 2010年〈平成22年〉11月7日)は、日本のプロデューサー、アニメーション監督。本名:西崎 弘文(にしざき ひろふみ)。 アニメ作品『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサーであり、『海のトリトン』、『ワンサくん』『宇宙空母ブルーノア』、『オーディーン 光子帆船スターライト』、『超神伝説うろつき童子シリーズ』などを企画製作した。 東京府東京市小石川区原町(現・東京都文京区白山)に西崎正・秋子のもと、姉と弟がいる3人きょうだいの長男として生まれる。 父親は東京大学法学部卒で、企画院、日本興業銀行勤務ののち、日本曹達などの重役を務め、不振企業の"再建屋"として知られた実業家・西崎正。
楠部 大吉郎(くすべ だいきちろう、1934年12月10日 … 楠部 大吉郎(くすべ だいきちろう、1934年12月10日 - 2005年8月27日)は、日本の男性アニメーター。シンエイ動画株式会社創立者・前会長。旧・満洲国生まれ、群馬県沼田市出身。シンエイ動画2代目社長の楠部三吉郎は実弟。楠部工、楠部文は子。 満洲国に生まれる。戦後引き揚げて群馬県沼田市に住む。群馬県立沼田高等学校を卒業。彫刻家を志望し、東京芸術大学を3度受験したが合格できず、断念する。1957年に漫画を書き光文社の『少年』に持ち込みをする。光文社との打ち合わせで東映動画設立の話を聞き、完成したばかりの大泉スタジオを訪ねる。そこで山本早苗と面談し、アニメーター募集に応募することを決める。同社の第1回目の一般公募で入社。
矢吹 公郎(やぶき きみお、1934年12月6日 - )は、… 矢吹 公郎(やぶき きみお、1934年12月6日 - )は、日本の男性アニメーション演出家・アニメ監督。福島県西白河郡東村(現・白河市)出身。 福島県立白河高等学校を卒業、東京芸術大学美術部鋳金科入学。1958年、大学卒業とともに東映京都撮影所に入社。マキノ雅弘、佐々木康らの助監督を務める。1962年、東映動画演出部へ転属。 『狼少年ケン』の第7話ではじめてアニメーションの演出を手がける。『少年忍者風のフジ丸』にて作画監督の楠部大吉郎に演出技術の指導を受ける。『ひみつのアッコちゃん』、『タイガーマスク』などで演出家として活躍。1968年には映画『長靴をはいた猫』を監督。モスクワ国際映画祭「児童・青少年映画」部門美術家同盟賞、モスクワ国際映画祭児童にとって最もユーモラスな映画賞等を受賞。
池田 宏(いけだ ひろし、1934年8月10日 - )は、日… 池田 宏(いけだ ひろし、1934年8月10日 - )は、日本のアニメーション演出家、教員。東京都大田区生まれ。 1941年、相生国民学校入学後、3年次より疎開を繰り返し、同じ学校を含め8回。[要出典] 1950年、神奈川県立湘南高等学校に入学するが、バスケット部の夏の合宿時に病気を発症、入学1年目で休学した。フランス自然主義文学に熱中する。[要出典]また、中学時代から「生死」「自他」「存在」といった哲学的なテーマに興味を示し、答を求めて通った神田神保町の古書店主の何人かから、哲学史を「私塾的」に教えられたという。高校卒業時は仏文科志望だったが、浪人中に「情報メディアの情報伝達機能に関する議論」をしたことで、映像を志望することとなる。
紺野 修司(こんの しゅうじ、1933年12月3日 - 20… 紺野 修司(こんの しゅうじ、1933年12月3日 - 2013年5月12日)は、日本の画家、元・アニメーター、アニメーション演出家。主体美術協会会員。1957年北海道美術協会主催第32回道展知事賞。東映動画のアニメーター、虫プロダクションの初のテレビアニメ「鉄腕アトム」の原画担当者・演出家としても知られる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。