池田 寅二郎(いけだ とらじろう、1879年(明治12年)1… 池田 寅二郎(いけだ とらじろう、1879年(明治12年)11月20日 - 1939年(昭和14年)2月9日)は、日本の判事(大審院長)、検事、司法官僚。 佐賀県出身。1899年第五高等学校卒業。1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、司法官試補となる。1905年(明治38年)、東京地方裁判所判事となり、東京地方裁判所部長、司法省参事官、東京地方裁判所検事、大審院検事、司法省民事局長を歴任した。その間の1918年(大正7年)に法学博士号を取得している。 1928年(昭和3年)、判事として大審院部長に任命された。1936年(昭和11年)には大審院長に就任した。
鍾 毓(しょう いく、1879年10月28日 – 没年不詳)… 鍾 毓(しょう いく、1879年10月28日 – 没年不詳)は、中華民国・満洲国の官僚・外交官。別号は輯五。中華民国時代は奉天派の行政官僚・外交官をつとめた。満洲国では初代黒河省長となっている。 清末に日本へ留学し、1908年(光緒34年/明治41年)に法政大学法政速成科第五班政治部を卒業した。 中華民国では黒龍江省呼蘭県知事、三姓正紅旗佐領を経て、1919年(民国8年)3月13日に外交部特派黒龍江交渉員署理に任命される。同年10月28日、同交渉員に正式に任命された。翌1920年(民国9年)2月5日、呼倫貝爾(ホロンバイル)善後事宜督弁(後に呼倫貝爾交渉員)に任命され、1921年(民国10年)2月17日までつとめた。
阿部 寿準(あべ ひさのり、1879年(明治12年)10月2… 阿部 寿準(あべ ひさのり、1879年(明治12年)10月24日 - 1955年(昭和30年)8月4日)は、日本の内務・農林官僚、実業家。官選鳥取県知事、農林次官。 山口県阿武郡徳佐村(現山口市)出身。山口高等学校を卒業。1905年7月、東京帝国大学法科大学を首席で卒業。内務省に入省し内務属・大臣官房秘書課兼地方局勤務となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、千葉県事務官・第二部長、神奈川県事務官、兵庫県事務官、法制局参事官、兼内閣恩給局審査官、兼法制局書記官、内務監察官、兼内務省参事官などを歴任。 1919年4月、鳥取県知事に就任。災害復旧、教育振興などに尽力。1920年9月、国勢院第二部長に転任。
馬場 鍈一(ばば えいいち、1879年(明治12年)10月5… 馬場 鍈一(ばば えいいち、1879年(明治12年)10月5日 – 1937年(昭和12年)12月21日)は、日本の政治家、大蔵官僚、貴族院勅選議員。広田内閣で大蔵大臣、第一次近衛内閣で内務大臣をつとめた。蔵相時代に行った大規模な省内人事の刷新や極端な積極財政は、官界や財界に大きな混乱を招く結果となった。
馬場 鍈一(ばば えいいち、1879年〈明治12年〉10月5… 馬場 鍈一(ばば えいいち、1879年〈明治12年〉10月5日 - 1937年〈昭和12年〉12月21日)は、日本の政治家、大蔵官僚。法制局長官、日本勧業銀行総裁、貴族院勅選議員、広田内閣大蔵大臣、第一次近衛内閣内務大臣を歴任した。積極財政派で、蔵相時代に大規模な省内人事の刷新や極端な積極財政を行った馬場財政で知られる。 東京府芝区(現在の東京都港区)に、旧幕臣・山本時光の長男として生まれる。時光は一時期日雇人夫に身をやつしていたと伝えられ、生家は貧しかった。後に鉄道技師で、旧会津藩士の馬場兼の婿養子となり改姓する。麹町区富士見小学校高等科3年から1892年(明治25年)4月に東京府尋常中学校2年へ編入学、1896年(明治29年)3月に尋中を卒業し、第一高等学校文科政治科へ入学。
八田 嘉明(はった よしあき、1879年9月14日 - 19… 八田 嘉明(はった よしあき、1879年9月14日 - 1964年4月26日)は、日本の鉄道技術者、官僚、実業家、政治家。工学博士。東京府生まれ。
黒田 英雄(くろだ ひでお、1879年(明治12年)9月2日… 黒田 英雄(くろだ ひでお、1879年(明治12年)9月2日 – 1956年(昭和31年)11月1日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、貴族院議員、参議院議員。
春藤 嘉平(しゅんどう かへい、1879年(明治12年)8月… 春藤 嘉平(しゅんどう かへい、1879年(明治12年)8月27日 - 1953年(昭和28年)4月4日)は、日本の内務・警察官僚。官選青森県知事、呉市長、川崎市長。 後の岡山県児島郡八浜町(現:玉野市)で春藤常治の長男として生まれる。 第一高等学校を卒業。1905年10月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し山梨県属となる。1907年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 以後、栃木県事務官、千葉県事務官・警察部長、三重県事務官・警察部長、埼玉県警察部長、山梨県内務部長、熊本県内務部長、宮城県内務部長などを歴任。 1921年3月9日、青森県知事に就任。河川改修事業を推進した。
常吉 徳寿(つねよし とくじゅ、1879年(明治12年)8月… 常吉 徳寿(つねよし とくじゅ、1879年(明治12年)8月20日 - 1934年(昭和8年)1月6日)は、日本の大蔵官僚。台湾総督府官僚。 佐賀県東松浦郡浜崎村(現唐津市)出身。1904年(明治37年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。大蔵省に入り、税務監督官を務めた後、中華民国財政部顧問となった。その後、台湾総督府に転じ、専売局参事、新竹州知事、台中州知事を歴任、1928年(昭和3年)7月に専売局長となった。 1928年8月に退官した後は、自治研究会理事兼主任を務めた。 心臓病で療養中であったところ1934年(昭和8年)1月6日、東京府滝野川区西ヶ原町(現東京都北区西ケ原)の自宅で死去、54歳。
田島 勝太郎(たじま かつたろう、1879年(明治12年)8… 田島 勝太郎(たじま かつたろう、1879年(明治12年)8月10日 - 1939年(昭和14年)1月28日)は、日本の商工官僚。衆議院議員(立憲民政党)、逓信政務次官。 大分県日田郡中津江村(現在の日田市)出身。田島儀市の二男。1906年、東京帝国大学法科大学法律学科卒業。大学院に進学後、高等文官試験に合格し、農商務省に入省した。水産講習所教授兼水産局書記官、製鉄所事務官、製鉄所参事、農商務書記官兼製鉄所理事などを歴任し、外務書記官に転じた。また製鉄所在任中には八幡市の市会議長に推された。 1923年6月、東京市助役に招かれ、関東大震災の対応に尽力した。その後、東京鉱山監督局長、福岡鉱山監督局長を経て、1930年に商工次官に就任した。
西山 茂(にしやま しげる、1879年(明治12年)7月31… 西山 茂(にしやま しげる、1879年(明治12年)7月31日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。佐賀県唐津市長。 福岡県三池郡銀水村(現在の大牟田市)出身。京都帝国大学法科大学選科に在学中の1910年(明治43年)、高等文官試験に合格。さらに高等学校卒業学力検定試験に合格して本科に移り、翌年に卒業した。関東都督府属、同警視、同事務官・旅順民政署長、関東庁事務官・奉天警察署長、同警務課長などを歴任。1930年(昭和5年)、北海道庁土木部長に就任し、さらに内務部長に転じた。 退官後の1936年(昭和11年)に唐津市長に選出された。
大木 彝雄(おおき つねお、1879年(明治12年)7月4日… 大木 彝雄(おおき つねお、1879年(明治12年)7月4日 - 没年不詳)は、日本の宮内官僚。宮中顧問官。 富山県。1906年(明治39年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業。宮内省会計審査局勤務、大臣官房総務課勤務、宮内書記官・文書課長、宮内事務官兼式部官・用度課長、同大膳課長を歴任。1933年(昭和8年)、宮中顧問官に任命された。
岩田 衛(いわた まもる、1879年(明治12年)7月2日 … 岩田 衛(いわた まもる、1879年(明治12年)7月2日 - 1942年(昭和17年)6月9日)は、日本の内務官僚。官選県知事、長岡市長。 熊本県出身。岩田春耕の長男として生まれる。第五高等学校を卒業。1905年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し静岡県属となる。1906年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、茨城県事務官、岩手県事務官・警察部長、愛知県警察部長、奈良県内務部長、東京府内務部長などを歴任。 1920年9月、鳥取県知事に就任。災害復旧、結核予防、衛生思想普及などに尽力。1922年10月、福島県知事に転任。1923年10月に休職。1924年4月29日に退官した。
岩元 禧(いわもと き、1879年(明治12年)7月2日 -… 岩元 禧(いわもと き、1879年(明治12年)7月2日 - 1944年(昭和19年)9月14日)は、日本の内務官僚。官選沖縄県知事、鹿児島市長。 鹿児島県鹿児島市出身。士族の四男として生まれる。第七高等学校の第1回卒業生。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、同年に高等文官試験に合格した。内務省に入り、千葉県属、秋田県事務官、神奈川県理事官・視学官、香川県警察部長、島根県内務部長、茨城県内務部長を歴任。1923年(大正12年)から翌年まで沖縄県知事を務めた。1926年(大正15年)6月23日、休職満期となり退官した。 國學院大學・皇典講究所専務理事を経て、1933年(昭和8年)から1936年(昭和11年)まで第10代鹿児島市長を務めた。
児玉 孝顕(こだま のりあき・こうけん、1879年(明治12… 児玉 孝顕(こだま のりあき・こうけん、1879年(明治12年)6月21日 - 1961年(昭和36年)1月10日)は、日本の内務官僚。検事。 東京府に貴族院議員児玉淳一郎の長男として生まれた。1904年(明治37年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。司法官試補、東京区裁判所検事、千葉区裁判所検事を務め、1912年(明治45年)に茨城県事務官に転じた。茨城県警察部長、徳島県警察部長、特許局審査官・事務官、埼玉県警察部長、青森県内務部長、大阪府産業部長、営林局事務官・大阪営林局長を歴任。 退官後は大阪市助役に就任し、その他に大阪府工芸会会長、大阪能率研究会会長、大阪商工会議所顧問、産業協会理事、日本能率聯合会副会長、大阪府方面委員銓衡委員などを務めた。
水口 隆三(みずぐち りゅうぞう、1879年(明治12年)6… 水口 隆三(みずぐち りゅうぞう、1879年(明治12年)6月14日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。 愛媛県温泉郡道後村(現在の松山市)出身。1907年(明治40年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、大蔵属となる。翌年、高等文官試験に合格。1909年(明治42年)より統監府書記官、大韓帝国度支部事務官・大邱財務監督局勤務、平壌財務監督局勤務、朝鮮総督府事務官・平安南道財務部長、同第二部長、度支部関税課長、同税務課長、財務局税務課長、同理財課長・監察官、専売局事務官、営林廠長などを歴任。1925年(大正14年)、専売局長に就任し、1928年(昭和3年)に慶尚南道知事に転じた。
片山 三郎(かたやま さぶろう、1879年(明治12年)6月… 片山 三郎(かたやま さぶろう、1879年(明治12年)6月9日 - 没年不詳)は、台湾総督府官僚。大日本水産会理事。 京都府出身。1901年(明治34年)、東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業し、同年に判事検事登用試験に合格。司法官試補、大阪区裁判所検事、大阪地方裁判所検事を務めた。1907年(明治40年)、山林事務官に転じ、高知大林区署長、水産講習所教授、農商務書記官・事務官、水産局魚政課長、台湾総督府殖産局長、台南州知事、台北州知事を歴任した。 1931年(昭和6年)に退官し、弁護士・弁理士を開業した。その他、大日本水産会理事、共立水産工業株式会社取締役、帝国水産会顧問、林兼商店(のち大洋捕鯨株式会社、現在のマルハニチロ)顧問などを務めた。
水越 幸一(みずこし こういち、1879年(明治12年)6月… 水越 幸一(みずこし こういち、1879年(明治12年)6月6日 - 没年不詳)は、台湾総督府官僚。 山梨県出身。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学政治科選科を卒業し、東京市主事となった。1912年(大正元年)、高等学校卒業検定試験に合格し、東京帝国大学法科大学政治家を卒業。高等文官試験に合格し、台湾総督府事務官、内務局地方課長、総督官房審議室勤務、交通局理事を歴任。1929年(昭和4年)、台中州知事となり、1931年(昭和6年)に退官した。 その後は台北市会議員、台北商業会議所理事を務めた。
勝 正憲(かつ まさのり、1879年(明治12年)5月21日… 勝 正憲(かつ まさのり、1879年(明治12年)5月21日 - 1957年(昭和32年)11月11日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、逓信大臣。 福岡県出身。元小倉藩士・勝平八郎の長男として生まれる。豊津中学、第五高等学校を経て、1905年(明治38年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。塩務局属兼大蔵属となり横浜塩務局兼理財局国債課勤務となる。同年11月、文官高等試験に合格。 1906年(明治39年)12月、税務監督局事務官・大阪税務監督局勤務となり、以後、税務行政を担当する。1907年(明治40年)5月、松江税務監督局長に就任。さらに、兼松江塩務局長、長崎税務監督局長、鹿児島税務監督局長、長野税務監督局長、税務監督官・東京税務監督局、函館税関長、仙台税務監督局長、大蔵書記官・主税局国税課長、兼大蔵省参事官、東京税務監督局長、海外駐箚財務官(米国駐在)、兼米国大使館付などを歴任。
岡 今朝雄(おか けさお、1879年〈明治12年〉5月15日… 岡 今朝雄(おか けさお、1879年〈明治12年〉5月15日 - 1941年〈昭和16年〉10月15日)は、日本の官僚。会計検査院長。 佐賀県出身。1904年(明治37年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した。税務属・大蔵属、税務監督局事務官・塩務局事務官、検査官補、副検査官、朝鮮総督府事務官、同営林廠長を歴任。1921年(大正10年)より検査官となり、1924年(大正13年)からは会計検査院部長を務めた。1938年(昭和13年)、会計検査院長に就任した。1941年(昭和16年)10月15日、幽門狭窄症で療養中に東京府東京市大森区雪ヶ谷町(現東京都大田区)の自宅で死去、62歳。
牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年(明治12年)… 牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年(明治12年)4月28日 - 1966年(昭和41年)11月1日)は、東京市長および衆議院議員を歴任した官僚、政治家。
内田 隆(うちだ たかし、1879年(明治12年)3月30日… 内田 隆(うちだ たかし、1879年(明治12年)3月30日 - 1963年(昭和38年)7月11日)は、日本の台湾総督府・内務官僚、実業家。官選秋田県知事。旧姓・長田。 福島県出身。長田庄衛の二男として生まれた。福島県立安積中学校、宮城県立仙台第二中学校を経て、第二高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。東洋拓殖を経て、1911年、朝鮮総督府に入り農商工部属となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内田家に夫婦養子となり改姓した。 以後、青島守備軍民政部事務官、台湾総督府事務官、同殖産局長などを歴任。 秋田県出身の川村竹治台湾総督に仕えたことがきっかけで、1931年12月、犬養内閣により秋田県知事に任じられた。
入江 貫一(いりえ かんいち、1879年(明治12年)3月6… 入江 貫一(いりえ かんいち、1879年(明治12年)3月6日 - 1955年(昭和30年)4月22日)は、日本の官僚。帝室会計審査局長官、貴族院議員等を務めた。野村靖の次男であり、伯父である入江九一の家督を継いだ。 1879年(明治12年)に野村靖・花子夫妻の次男として生まれ、2歳で靖の亡き兄・入江九一の養嫡子として入江姓を継ぐ。東京府尋常中学、旧制山口高校を卒業。1906年(明治39年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年、7月14日神奈川県属、知事官房兼第一部地方課に勤務。同年11月高等文官試験に合格。1907年(明治40年)3月19日内務属、大臣官房台湾課兼地方局勤務。同年、5月1日大臣官房樺太課兼務に就く。
芝田 徹心(しばた てっしん、1879年〈明治12年〉2月2… 芝田 徹心(しばた てっしん、1879年〈明治12年〉2月25日 - 1950年〈昭和25年〉2月6日)は、日本の文部官僚。女子学習院長。宮中顧問官。 三重県三重郡四郷村(現在の四日市市)出身。三重県尋常中学校、第四高等学校を経て1903年(明治36年)に東京帝国大学文科大学哲学科を卒業し、大学院で宗教哲学・倫理学を専攻した。高輪中学校教諭、順天中学校教諭、高輪仏教大学教授、日蓮宗大学教授、曹洞宗大学教授、第八高等学校講師、同教授・教務課長、愛知医学専門学校講師を務めた。さらに文部省督学官、第八高等学校校長、文部省図書局長を歴任。1936年(昭和11年)、東京美術学校校長に就任し、1940年(昭和15年)に女子学習院長に転じた。
沢永 彦四郎(さわなが ひこしろう、1879年(明治12年)… 沢永 彦四郎(さわなが ひこしろう、1879年(明治12年)2月15日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚・台湾総督府官僚。旧名太吉。 富山県西礪波郡福岡町(現在の高岡市)出身。第四高等学校を経て、1901年(明治34年)、京都帝国大学法科大学政治科、同経済科を卒業し、統監府属となった。1910年(明治43年)、朝鮮総督府属となり、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。その後、朝鮮総督府営林廠事務官、鎮南浦府尹、逓信局事務官・海事課長などを歴任した。 いったん退官するが、1929年(昭和4年)に台湾総督府総督官房会計課長として復帰した。1931年(昭和6年)、台湾総督府専売局参事となり、神戸支局長を務めた。
藤川 利三郎(ふじかわ りざぶろう、1879年(明治12年)… 藤川 利三郎(ふじかわ りざぶろう、1879年(明治12年)2月10日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。実業家。 愛媛県に片山半三の二男として生まれ、藤川文造の養子となった。1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業。大韓帝国政府財政顧問、朝鮮総督府書記官、度支部税務課長、平安北道長官、慶尚北道知事などを歴任した。 退官後は四国電力株式会社代表取締役、高松電灯株式会社取締役、朝鮮京南鉄道取締役などを務めた。
赤池 濃(あかいけ あつし、1879年〈明治12年〉1月27… 赤池 濃(あかいけ あつし、1879年〈明治12年〉1月27日 - 1945年〈昭和20年〉9月10日)は、日本の内務官僚、政治家。静岡県知事、警視総監、貴族院議員。 長野県埴科郡南条村(現・坂城町)出身。赤池七右衛門の長男として生まれる。東京府立一中、第一高等学校を経て、1902年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入り、京都府属となり内務部第一課に配属。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1904年5月、内務属・大臣官房秘書課兼地方局勤務となり、以後、福島県参事官、同県事務官、滋賀県事務官・警察部長、愛知県事務官・警察部長、兵庫県事務官・警察部長などを歴任。 1913年6月、内務省本省に戻り内務書記官に就任。
中井 励作(なかい れいさく、1879年(明治12年)1月3… 中井 励作(なかい れいさく、1879年(明治12年)1月3日 – 1968年(昭和43年)2月18日)は、農商務官僚、商工官僚、実業家。 熊本県出身。第五高等学校を経て、1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。翌年より農商務試補、山林局事務官、水産局書記官、広島大林区署長、高知大林区署長、東京大林区署長、大臣官房文書課長、会計課長、特許局長、山林局長を歴任した。1924年(大正13年)、農商務次官に就任し同年末に製鉄所長官に転じた。1934年(昭和9年)、製鉄所が日本製鉄株式会社に改組されると初代社長に就任し、1939年(昭和14年)まで在任した。
孫 潤宇(そん じゅんう、1879年 – 1960年)は、中… 孫 潤宇(そん じゅんう、1879年 – 1960年)は、中華民国の政治家・官僚・弁護士・画家・外交官。字は子涵。南京臨時政府で官歴を開始し、北京政府では国会議員や法制局長などを務めた。中華民国臨時政府や南京国民政府(汪兆銘政権)華北政務委員会でも各職を歴任している。 清末に天津北洋大学予科を卒業。日本に留学し、1906年(光緒32年・明治39年)6月に法政大学法政速成科第二班を卒業した。なお、同期には汪兆銘(汪精衛)や李文範、胡漢民、古応芬、張一鵬らがいる。 中華民国成立直後の1912年(民国元年)2月より、南京臨時政府内務部で警務局長と警務学校校長を歴任した。翌1913年(民国2年)江蘇省で衆議院議員に当選し、国民党や民憲党に所属した。
朱 深または朱 㴱(しゅ しん、1879年〈光緒5年〉 - … 朱 深または朱 㴱(しゅ しん、1879年〈光緒5年〉 - 1943年〈民国31年〉7月2日)は、中華民国の政治家・検察官・法務官僚・実業家。字は博淵。北京政府では安徽派に属し、後に中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)華北政務委員会にも参加した。 清末に日本へ留学する。1912年(民国元年・明治45年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(ドイツ法兼修)を卒業し、併せて法学士の称号を取得した。 帰国後の1912年7月26日に北京政府で法典編纂会纂修となり、翌1913年(民国2年)8月24日には総検察庁検察官に任命された。さらに京師地方検察庁検察長署理や京師高等検察庁検察長署理も務めている。1915年(民国4年)1 月27日、中大夫の位階を授与され、上大夫銜を加えられた。
高橋 其三(たかはし きぞう、1878年(明治11年)12月… 高橋 其三(たかはし きぞう、1878年(明治11年)12月13日 - 1934年(昭和9年)11月23日)は、日本の宮内官僚。判事、検事。宮中顧問官。 長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)出身。旧高遠藩士・山崎就正の次男に生まれ、のち高橋佐次郎の養子となる。1904年(明治37年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。司法官試補となり、東京区裁判所検事代理、東京地方裁判所検事、東京区裁判所検事、東京地方裁判所判事、横浜区裁判所判事、横浜地方裁判所判事、東京地方裁判所判事、東京控訴院判事を歴任。1913年(大正2年)、帝室会計審査官に転じ、帝室会計審査局主事、宮内事務官、内匠寮経理課長、宮内書記官、帝室林野局次長を歴任した。
谷 欽太郎(たに きんたろう、1878年(明治11年)12月… 谷 欽太郎(たに きんたろう、1878年(明治11年)12月9日 - 1951年(昭和26年)9月16日)は、日本の台湾総督府官僚、政治家、実業家。衆議院議員。 富山県下新川郡仏田村(現富山県魚津市)で、谷平吉の長男として生まれ、1897年4月、谷順平の長女・寿意と結婚し婿養子となる。第四高等学校を経て、1904年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1905年8月、文官高等試験行政科試験に合格した。 1906年2月、台湾総督府に入り、同属、同専売局書記、同事務官、同脳務課長などを歴任した。1913年に退官。 1915年3月、第12回衆議院議員総選挙に富山県郡部から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
前田 慎吾(まえだ しんご、1878年〈明治11年〉12月5… 前田 慎吾(まえだ しんご、1878年〈明治11年〉12月5日 - 1966年〈昭和41年〉6月23日)は、日本の内務官僚。福岡県大牟田市長。 鹿児島県給黎郡喜入郷麓(揖宿郡喜入村、喜入町を経て、現鹿児島市)に生まれる。1907年(明治40年)、京都帝国大学法科大学英法科を卒業し、高等文官試験に合格した。陸軍第13師団法官部理事、警視庁警視・四谷警察署長、東京府荏原郡長、同理事官、青島守備軍民政部事務官、愛知県産業部長、岐阜県内務部長、岩手県内務部長を歴任した。 1933年(昭和8年)に官を辞し、翌年に大牟田市長に選ばれた。退任後の1940年(昭和15年)からは鹿児島市助役を務めた。晩年は郷里の指宿温泉の発展に尽力した。
久留 義郷(ひさとめ よしさと、1878年(明治11年)11… 久留 義郷(ひさとめ よしさと、1878年(明治11年)11月30日 - 1957年(昭和32年)8月18日)は、日本の政治家、鉄道官僚、弁護士。衆議院議員(2期)。仙台鉄道局長等を歴任。 鹿児島県徳之島亀津(現在の大島郡徳之島町)生まれ、出身。鹿児島高等中学造士館補充科、予科を経て、学校制度の変更により鹿児島県立尋常中学造士館を1897年(明治30年)に卒業。熊本の第五高等学校を1900年(明治33年)に卒業して、東京帝国大学法科大学へ進学。泉二新熊は高等中学予科、高等学校、大学での先輩で、第五高等学校時代には熊本の丹後寺に同宿した。また、法科大学では、泉二に相談して助言を受け、独法科を選んだ。
長島 隆二(ながしま りゅうじ、1878年(明治11年)11… 長島 隆二(ながしま りゅうじ、1878年(明治11年)11月29日 - 1940年(昭和15年)10月8日)は、日本の大蔵官僚、衆議院議員(立憲同志会→革新倶楽部→立憲政友会)。桂太郎の娘婿。
宮田 光雄(みやた みつお、1878年(明治11年)11月2… 宮田 光雄(みやた みつお、1878年(明治11年)11月25日 - 1956年(昭和31年)3月8日)は、日本の官僚、政治家。内閣書記官長、衆議院議員、貴族院議員。
宮田 光雄(みやた みつお、1878年(明治11年)11月2… 宮田 光雄(みやた みつお、1878年(明治11年)11月25日 - 1956年(昭和31年)3月8日)は、日本の官僚、政治家。内閣書記官長、衆議院議員、貴族院議員。 三重県一志郡八ツ山村(後に白山町、現在は津市)の村長で酒造を営む素封家宮田宇吉の長男として、同村八対野の屋敷に於いて生まれる。愛知一中、三高、帝国大学法科大学卒業(のちの東京大学法学部)。 貴族院官僚として奉職するも、衆議院議員として三重県より立候補、その後は貴族院勅選議員として活躍した。原敬首相の目にとまり1919年(大正8年)6月28日、福島県知事として赴任。1922年(大正11年)6月12日に加藤友三郎内閣で内閣書記官長として抜擢され、福島県知事を退任し、大腸癌を患う加藤友三郎首相にかわり国政を取り仕切る。
乗杉 嘉壽(のりすぎ よしひさ、「乘杉」とも表記、1878年… 乗杉 嘉壽(のりすぎ よしひさ、「乘杉」とも表記、1878年11月19日 - 1947年2月1日)は、明治から昭和期の文部官僚・教育者。日本に社会教育を体系的に紹介した人物とされている。 富山県出身(出生地は東京)。礪波市出町眞壽寺壽貞の次男。兄は乗杉教存である。 1904年に東京帝国大学文科大学哲学科卒業後、同大大学院に進学して実践哲学を研究するが、同年秋より文部省に招かれて普通学務局に配される。 1909年に第五高等学校教授に就任する。 1913年に文部省に復帰して督学官に就任、1917年には教育と教授法研究のためにアメリカ・イギリスに1年半留学、更にフランス・イタリアの教育事情を視察して帰国した。
田辺 治通(たなべ はるみち、明治11年(1878年)10月… 田辺 治通(たなべ はるみち、明治11年(1878年)10月17日 - 昭和25年(1950年)1月30日)は、日本の逓信官僚・政治家。大阪府知事・内閣書記官長・逓信大臣・内務大臣を歴任した。山梨県出身。妻は杉山叙の養子である正四位勲二等東京府士族杉山四五郎の養妹である真知。 山梨県東山梨郡神金村(現在の甲州市)の酒造業者の次男に生まれる。明治38年(1905年)に東京帝国大学法科大学を卒業後、逓信省に入省する。横浜郵便局長、大阪郵便局長、逓信監理局書記官、同事務官、逓信省参事官兼為替貯金局事務官、大阪逓信局長、東京逓信局長を務めフランスに留学した後、無線電信法の制定に尽力するなど、通信行政の専門家として活躍して大正13年(1924年)には通信局長になり、「通信閥」の長と見られていた。
真船 民伊(まふね たみい、1878年(明治11年)10月7… 真船 民伊(まふね たみい、1878年(明治11年)10月7日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。愛知県中央商工相談所常務理事。 福島県安積郡三代村(現在の郡山市)出身。1904年(明治37年)に東京高等師範学校英語部を、1910年(明治43年)に東京帝国大学法科大学法律科を卒業した。高等文官試験に合格し、福島県理事官、宮城県理事官、鳥取県警察部長、愛知県産業部長、島根県書記官・内務部長、香川県書記官・内務部長、茨城県書記官・内務部長、熊本県書記官・内務部長を歴任した。 退官後は豊橋市助役、愛知県中央商工相談所常務理事、愛知県嘱託を務めた。
二木 千年(ふたき せんねん、1878年(明治11年)9月2… 二木 千年(ふたき せんねん、1878年(明治11年)9月25日 - 1928年(昭和3年)3月10日)は、日本の官僚。釧路市長、八幡市長を務めた。 長野県下伊那郡竜江村(現在の飯田市)出身。1898年(明治31年)、東京専門学校英学部を卒業。1905年(明治38年)、早稲田大学法学部を卒業。1908年(明治41年)、高等文官試験に合格した。翌年より内務属として内務省に勤務し、徳島県警視、大阪府警視兼事務官などを経て、1914年(大正3年)、佐賀県警察部長に就任した。 1917年(大正6年)、滋賀県警察部長に転任したが、第13回衆議院議員総選挙における寺内内閣の選挙干渉に従わなかったため、文官懲戒令により免職となった。
青山 士(あおやま あきら、1878年9月23日 - 196… 青山 士(あおやま あきら、1878年9月23日 - 1963年3月21日)は、日本の土木技師、内務官僚。位階は従三位。勲等は勲三等。公益社団法人土木学会名誉会員。 ニューヨークセントラル・アンド・ハドソンリバー鉄道、パナマ運河工事委員会での勤務を経て内務技師となり、新潟土木出張所所長、内務技監、社団法人土木学会会長などを歴任した。 静岡県生まれの土木技術者である。内村鑑三の門下となり、東京帝国大学工科大学では広井勇の指導を受ける。パナマ運河建設に携わった唯一の日本人として知られる。帰国後は内務省に入省し、東京土木出張所においては荒川放水路の建設を指揮した。また、新潟土木出張所では所長として信濃川大河津分水路の改修工事を指揮した。
金山 季逸(かなやま きいつ、1878年(明治11年)9月2… 金山 季逸(かなやま きいつ、1878年(明治11年)9月22日 - 1943年(昭和18年)3月11日)は、司法官僚、検事。旧姓・武部。 富山県上新川郡山室村(現在の富山市)に武部尚志の四男として生まれ、同郡吏の金山彦一の養子となった。1904年(明治37年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。同年、司法官試補となり、東京地方裁判所に勤務した。1906年(明治39年)、検事となり、東京地方裁判所予備検事、前橋地方裁判所検事、八王子区裁判所検事、東京区裁判所検事、東京地方裁判所検事、横浜地方裁判所検事正、東京控訴院検事、横浜地方裁判所検事正、大阪地方裁判所検事正、東京地方裁判所検事正、長崎控訴院検事長、大審院検事を歴任した。
東久世 秀雄(ひがしくぜ ひでお、1878年(明治11年)7… 東久世 秀雄(ひがしくぜ ひでお、1878年(明治11年)7月19日 - 1951年(昭和26年)11月18日)は、日本の農商務・宮内官僚、政治家、華族。貴族院男爵議員。 東京府出身。伯爵・東久世通禧の四男として生まれる。1897年(明治30年)12月6日、分家に際し父・通禧の功により男爵を叙爵した。 第一高等学校を経て、1905年(明治38年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年、農商務省に入省し農商務属となる。 以後、農商務省山林局書記、山林局事務官、宮内事務官、帝室林野局事務官、貴族院書記官、同書記官長代理、農商務書記官兼同参事官、皇后宮主事、内匠頭などを歴任。
岡本 佃(おかもと つくだ、1878年(明治11年)7月7日… 岡本 佃(おかもと つくだ、1878年(明治11年)7月7日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。北海道釧路市長。 熊本県下益城郡隈庄町(現在の熊本市南区)出身。日本大学に学び、1907年(明治40年)11月に文官高等試験に合格した。熊本県属、同警視、香川県事務官、同理事官・視学官、福島県警察部長などを歴任した。1919年(大正8年)に海軍事務官・臨時南洋群島防備隊民政部附となり、翌年からは台湾総督府に転じ、台北州警察部長、新竹州内務部長、警務局警務課長を歴任した。 退官後の1926年(大正15年)1月18日に釧路市長に選出された。1月20日に就任、市の基盤整備に尽力し、1927年(昭和2年)6月7日に市長を退任した。
山崎 真雄(やまさき まさお、1878年(明治11年)7月 … 山崎 真雄(やまさき まさお、1878年(明治11年)7月 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。 熊本県出身。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、1912年(大正元年)に高等文官試験に合格した。北海道庁属に務めた後、朝鮮総督府事務官、咸鏡北道第二部長、江原道第二部長、警務局保安課長、中枢院書記官を歴任した。またシベリア出兵の際には浦塩派遣軍司令部政務部嘱託を務めた。1928年(昭和3年)、大邱府尹に就任した。
田 昌(でん あきら、1878年〈明治11年〉6月14日 -… 田 昌(でん あきら、1878年〈明治11年〉6月14日 - 1943年〈昭和18年〉2月13日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、衆議院議員。田艇吉の子。 兵庫県氷上郡、のちの柏原町(現:丹波市)で、衆議院議員・田艇吉の長男として生まれる。鳳鳴義塾、開成中学、第一高等学校を経て、1904年(明治37年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年同月、大蔵省に入り煙草専売局属として本局に配属。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 1905年(明治38年)12月、煙草専売事務官に就任。以後、煙草専売局主事、兼大蔵書記官、専売局主事、大蔵書記官・主計局司計課長、理財局国庫課長、兼大蔵省参事官、主計局予算決算課長、連合国経済会議(パリ)特派委員、海外駐箚財務官(米国駐在)、大蔵省主計局長などを歴任。
黒崎 真也(くろさき しんや、1878年(明治11年)5月5… 黒崎 真也(くろさき しんや、1878年(明治11年)5月5日 -1959年(昭和34年)3月26日)は、日本の内務官僚。民政党系府県知事。 山形県南置賜郡米沢花沢信濃町生まれ。旧米沢藩士・五十嵐力助の二男として生まれ、叔父・黒崎忠助の養子となる。姉の久子は海軍中将上泉徳弥の妻。 第二高等学校を経て、1905年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1906年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り香川県属となる。 以後、香川県事務官補、奈良県事務官、大分県事務官・警察部長などを歴任。1913年、関東都督府に転じ、事務官、民政部庶務課長などを務める。1920年3月に退官し大連取引所長となる。
酒井 隆吉(さかい りゅうきち、1878年(明治11年)4月… 酒井 隆吉(さかい りゅうきち、1878年(明治11年)4月 〜昭和31年4月19日[要出典])は、日本の官僚。釧路市長。 石川県出身。1898年(明治31年)、東京専門学校(現在の早稲田大学)政治科を卒業し、1903年(明治36年)に高等文官試験に合格した。専売局属、同主事補、青森県理事官、樺太庁内務部長などを歴任し、1926年(大正15年)に退官した。 退官後の1927年(昭和2年)に釧路市長に就任した。釧路市長は翌1928年(昭和3年)まで務めた。
亥角 仲蔵(いすみ ちゅうぞう、1878年(明治11年)3月… 亥角 仲蔵(いすみ ちゅうぞう、1878年(明治11年)3月31日 - 1953年〈昭和28年〉7月19日)は、日本の判事、内務官僚、朝鮮総督府官僚。 京都府舞鶴市の亥角常吉の長男として生まれる。1902年(明治35年)、早稲田大学邦語行政科を卒業し、翌年には法政大学を卒業した。福島県事務官、宮崎県事務官、統監府警視、朝鮮総督府警務官・警視、鳥取県内務部長などを歴任。その後、全羅南道知事、全羅北道知事に就任した。 退官後は清津水利組合長、有信鉱業株式会社社長を務めた。