三田 純市(みた じゅんいち、1923年12月22日 - 1… 三田 純市(みた じゅんいち、1923年12月22日 - 1994年9月1日)は、日本の落語作家・研究者、演芸作家、脚本家、随筆家。 本名は野村全作(旧姓:三田)。俳号は「道頓」。三田純一と名乗っていた時期もある。 大阪府大阪市南区、道頓堀の芝居茶屋「稲照」の長男に生まれる。1946年、慶應義塾大学経済学部卒業。朝日新聞社販売部に勤務、1951年に退社。松竹新喜劇の曾我廼家十吾、2代目渋谷天外に師事し喜劇の台本を手がけるようになる。 1967年から1982年には東京に在住し、1969年には東京やなぎ句会の創設に参加。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
戸川 猪佐武(とがわ いさむ、1923年(大正12年)12月… 戸川 猪佐武(とがわ いさむ、1923年(大正12年)12月16日 - 1983年(昭和58年)3月19日)は、日本の政治評論家・作家。神奈川県平塚市出身。父親は小説家で平塚市市長を務めた戸川貞雄、弟は小説家の菊村到。 旧制湘南中学を経て早稲田大学政治経済学部へ入学するが、赤紙が来て陸軍へ召集される。しかし、徴兵検査で病気が分かり延期となる。 回復後に再び召集されるが直後に終戦を迎え、早大に復学して卒業する。 1947年(昭和22年)、読売新聞に入社。政治部記者として、数多くの政治家に取材して顔を知られるようになる。一時期は特派員としてモスクワにも滞在していた。1955年に河野謙三から、父・貞雄の平塚市長選挙への出馬説得を依頼されたことから、仲介役を務め、父親を当選させることに成功している。
宇山 翠(うやま みどり、筆名・内村 幹子、1923年12月… 宇山 翠(うやま みどり、筆名・内村 幹子、1923年12月9日-2014年12月5日)は、日本の小説家。北九州市森鷗外記念館理事。 福岡県小倉市(現北九州市小倉南区)生まれ。小倉高等女学校(現福岡県立小倉西高等学校)卒業。大学職員、市役所職員などとして働く傍ら、「製鉄文化」「九州作家」などの同人誌にて活動。 1979年「冬の蛾」で第10回九州芸術祭文学賞地区優秀作。1985年「いちじく」で第9回神戸女流文学賞受賞。1986年「今様ごよみ」で第10回歴史文学賞受賞。1994年北九州市民文化賞受賞。
村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12… 村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12月6日 - 2003年(平成15年)1月6日)は日本の陸軍軍人、評論家、作家。本名は宏城(ひろき)。兄は武藤電機創業者の村上稔夫。
佐川 美代太郎(さがわ みよたろう、1923年12月1日 -… 佐川 美代太郎(さがわ みよたろう、1923年12月1日 - 2009年10月30日)は日本の漫画家、絵本作家。本名、小林 仁(こばやし じん)。 茨城県真壁郡真壁町(現在の桜川市)に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)を経て、弁護士を目指し中央大学法学部に入学。在学中の1943年に学徒出陣し、陸軍少尉として朝鮮で終戦を迎えた。復員後、大学に復学したが、「これからは経済の時代だ」として、法学部から商学部に転部した。 大学卒業後、電機メーカーを経て、卸売会社・ぬ利彦で経理の仕事につく。1952年より、社業のかたわら、自由出品制の美術展「読売アンデパンダン展」に漫画の投稿を開始。
大谷 晃一(おおたに こういち、1923年11月25日 - … 大谷 晃一(おおたに こういち、1923年11月25日 - 2014年5月25日)は、日本の作家、時事評論家、帝塚山学院大学名誉教授・元学長。 大阪府生まれ。関西学院大学法文学部卒業後、朝日新聞社入社。大阪本社学芸部次長、編集委員を歴任。その間の1971年、「続関西名作の風土」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。 1979年、帝塚山学院大学教授就任。1997年には、同大学の学長に就任。2001年に退任後、同大学名誉教授。 大阪を中心とした伝記文学、歴史小説、近代日本文学研究で著書多数。 「大阪学」シリーズはロングセラーで、個別都市学もののさきがけとなった。また、沖積舎から『大谷晃一著作集』全6巻を刊行。
佐藤 愛子(さとう あいこ、1923年〈大正12年〉11月5… 佐藤 愛子(さとう あいこ、1923年〈大正12年〉11月5日 - )は、日本の小説家。大阪市生まれ、西宮市育ち。小説家・佐藤紅緑と女優・三笠万里子の次女として出生。異母兄に詩人・サトウハチローと脚本家・劇作家の大垣肇。甲南高等女学校卒業。 父親と同様「憤怒の作家」と言われ、社会を鋭く批判する姿勢から「男性評論家」と呼ばれていた。 1923年11月5日(戸籍上は11月25日)、佐藤洽六(筆名 ・佐藤紅緑)とシナ(元女優の三笠万里子)の次女として、大阪市住吉区帝塚山で出生した。父親は先妻のはるを棄て、シナと再婚していた。1925年に「私の故郷」と呼ぶ兵庫県武庫郡鳴尾村(現西宮市)に転居。小学校時代は大衆小説の大家である父親に送られてくる雑誌の恋愛小説を読みふけっており、算術は苦手であったという[要出典]。
今西 祐行(いまにし すけゆき、1923年10月28日 - … 今西 祐行(いまにし すけゆき、1923年10月28日 - 2004年12月21日)は、日本の児童文学作家。 大阪府中河内郡縄手村字六万寺(現東大阪市六万寺町)に生まれ、奈良県生駒市で育つ。1936年、旧制奈良県立奈良中学校(現・奈良県立奈良高等学校)に入学、5年間植物採集とテニスに熱中する。1940年、中学5年生の夏、病気になり大阪の病院に入院、この頃より文学書をむさぼり読む。1941年、第二早稲田高等学院入学。同年、大久保同胞教会(現在の日本基督教団新宿西教会)にて受洗。 1942年、早大童話会に入り、坪田譲治を知る。同年、童話会機関紙『童話界』に、最初の童話「ハコちゃん」を発表、好評を博す。
藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は… 藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は、日本の作家、俳人。 長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て旧制二松學舍専門学校卒。新制高等学校移行後の母校国語教師となった。号は筑邨(ちくそん)。学校で飼っていた犬クロの世話役をしていた体験から、『職員会議に出た犬クロ』を執筆。ベストセラーとなり、2003年「さよなら、クロ」として映画化された。「信毎俳壇」「俳句四季」の選者。俳人協会評議員。
矢野 徹(やの てつ、1923年〈大正12年〉10月5日 -… 矢野 徹(やの てつ、1923年〈大正12年〉10月5日 - 2004年〈平成16年〉10月13日)は、日本のSF作家、翻訳家。坂田 治名義による作品もある。 愛媛県松山市生まれ。兵庫県立第二神戸中学校を経て、中央大学法学部卒。第二次世界大戦中は学徒出陣で陸軍第11師団騎兵第11連隊に所属。階級は軍曹。 日本に本格的なSF出版が芽生える前の、海外SFのファン1号といわれ、SFに興味があった晩年の江戸川乱歩に面識を得る。そのまま、SF翻訳家、SF作家となり、幅広く活躍した。 冒険小説『カムイの剣』は角川書店によりアニメ映画化された。また、代表作『折紙宇宙船の伝説』は日本国外でも出版され、高い評価を受けた。
隆 慶一郎(りゅう けいいちろう、1923年〈大正12年〉9… 隆 慶一郎(りゅう けいいちろう、1923年〈大正12年〉9月30日 - 1989年〈平成元年〉11月4日)は、日本の脚本家、小説家(時代小説作家)。本名は池田 一朗(いけだ いちろう)。本名で脚本、隆慶一郎のペンネームで小説を執筆していた。 東京市赤坂区生まれ。旧制同志社中学、第三高等学校を経て、東京大学文学部仏文科卒。 戦時中は学徒出陣で出征、陸軍士官として中国大陸を転戦した。この時期に陣中に持って行った『葉隠』が、作家として『死ぬことと見つけたり』を書くきっかけとなった。終戦後、復学して1948年 東京大学卒業、大学時代に師事していた小林秀雄が参画していた創元社(のちの東京創元社)に入社する。
虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日 - 1… 虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日 - 1991年6月15日)は、日本の作家、評論家、随筆家、翻訳家。
上野 英信(うえの えいしん、本名:上野鋭之進、1923年(… 上野 英信(うえの えいしん、本名:上野鋭之進、1923年(大正12年)8月7日 - 1987年(昭和62年)11月21日)記録文学作家。「時間を惜しむな、金を惜しむな、命を惜しむな」という姿勢を貫き、炭鉱労働者の生きざまを描き続けた。 山口県吉敷郡井関村(阿知須町)で、父彦一、母ミチの7人兄弟の長男として生まれる。小学校に上がる年に、父の転職により北九州の黒崎に移る。1940年、旧制八幡中学を卒業して満州国建国大学へ進学する。1943年12月1日、学徒出陣により関東軍山砲兵第二十八連隊第五中隊へ入営。1945年8月6日、見習士官として船舶砲兵教導隊第一中隊付の時、広島市宇品において原爆投下に遭遇、被爆する。
司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8… 司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
鍛冶 千鶴子(かじ ちづこ、1923年7月31日 - 201… 鍛冶 千鶴子(かじ ちづこ、1923年7月31日 - 2018年4月8日)は、日本の弁護士、著作家。日本婦人法律家協会会長、国民生活センター会長、市川房枝記念会理事長などを務めた。 熊本県阿蘇古城村出身。両親は教師。1936年に熊本第二高等女学校入学、3年生のときに、日本初の女性弁護士が3人(中田正子、久米愛、三淵嘉子)誕生という新聞記事に接する。同年父親を亡くす。 1942年、当時としては女性に法律専門家としての教育を唯一行っていた明治大学専門部に入学。太平洋戦争の激化で一時帰郷した後、1947年に明治大法学部に入学。大学同級生だった鍛冶良堅(明治大教授)と1950年に結婚し、後に一児をもうけた。
上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月2… 上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月21日 - 1989年(平成元年)1月8日)は、昭和期の歌人・小説家・文芸評論家。内科医。専門は結核。医学博士。 兵庫県加東郡市場村字樫山(現:小野市樫山町)出身。柏原中学、第三高等学校、1948年京都帝国大学医学部卒。結核を専門とする内科医として、国立京都療養所や国立療養所東京病院に勤務。 1949年(昭和24年)に北原白秋系の歌誌「新月」に参加し、その後アララギ派に移行。1956年(昭和31年)には歌会「青の会」結成に参加。1966年(昭和41年)に大腸癌、1983年(昭和58年)に膀胱癌を患う。二度の大病を経て、晩年は生命の内面を見つめ直した著述が多くなり、西行や良寛といった仏教の死生観を追求した歌人に傾倒した。
木村 久邇典(きむら くにのり、1923年7月11日 - 2… 木村 久邇典(きむら くにのり、1923年7月11日 - 2000年4月12日)は、日本の新聞記者、作家、文芸評論家。 中央大学法学部卒業。朝日新聞社に入社後、山本周五郎の担当記者となり、のち山本の研究家として多くの著書を著した。 ほか軍人伝、小説などがある。
坪田 理基男(つぼた りきお、1923年6月23日 - 20… 坪田 理基男(つぼた りきお、1923年6月23日 - 2017年4月14日)は、日本の児童文学作家、児童文学研究者。「びわの実学校」同人。 東京生まれ。太平洋戦争時代は海軍に従軍。復員し、明治大学を卒業後、出版社に勤務。 児童文学作家、児童文学研究者である坪田譲治の三男。
池宮 彰一郎(いけみや しょういちろう、1923年5月16日… 池宮 彰一郎(いけみや しょういちろう、1923年5月16日 - 2007年5月6日)は、日本の脚本家、小説家。 本名の池上 金男(いけがみ かねお)で脚本家として活動、『十三人の刺客』など数多くの映画・テレビドラマの制作に関わった。1992年に小説『四十七人の刺客』を発表して以降、池宮彰一郎のペンネームを用いて歴史小説を著したが、2002年に司馬遼太郎作品との類似問題により活動をほぼ停止した。作家の池上司は息子。 東京府に生まれる。静岡県沼津市に育ち、静岡県立沼津商業学校(現・静岡県立沼津商業高等学校)を卒業する。 第二次世界大戦中は満州で陸軍に徴兵される。兵舎に放火して南方送りとなり、ペリリュー島逆上陸作戦に参加、3000名いた部隊で生き残ったのは20~30名だったという。
山本 亨介(やまもと きょうすけ、1923年4月29日 - … 山本 亨介(やまもと きょうすけ、1923年4月29日 - 1995年11月10日)は、日本の将棋観戦記者、将棋史研究者、小説家。ペンネームは天狗太郎。日本文芸家協会会員。 和歌山県東牟妻郡古座町出身。1943年、彦根高等商業学校卒業。 1946年に大阪日日新聞に入社し、吉井栄治の後をうけて将棋を担当。1951年に上京してサンケイ新聞記者となり、将棋・囲碁を担当、天狗太郎のペンネームで観戦記を執筆。1960年朝日新聞東京本社に移り、観戦記に健筆をふるう。1963年に退社してフリーの文筆活動に。 かたわら1953年頃から将棋史の研究に着手し、「将棋文化史」「将棋庶民史」「名棋士名勝負」「勝負師の門」「学徒出陣ふたたび」などを発表。
戸井 昌造(とい しょうぞう、1923年(大正12年)4月1… 戸井 昌造(とい しょうぞう、1923年(大正12年)4月16日 - 2000年(平成12年)4月17日)は、日本の画家、民俗研究家、作家。兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。息子は作家の戸井十月。 早稲田高等学院在学中に学徒出陣で中国に赴任。敗戦により捕虜となった後に復員し、早稲田大学に復学するが中退。1946年に共産党に入党し、1950年に脱党。 人形劇団プークでの民主主義的文化活動などを経て画家となる。それと並行して日本の民俗史や民衆史などを研究。特に秩父事件の研究では第一人者とされている。 人形劇団プークのリーダーだった、川尻東次・川尻泰司兄弟の妹・錦子と結婚。 2000年4月17日、胃がんにより死去。
芝 清之(しば きよし、1923年(大正12年)3月28日 … 芝 清之(しば きよし、1923年(大正12年)3月28日 - 1998年(平成10年)1月12日、本名: 柴 清(しば きよし))は、大衆芸能・浪曲研究家、浪曲作家。 木馬亭の実質的な支配人で、『月刊浪曲』の創刊や編集発行も務めた浪曲界の生き字引的存在であった。諸芸懇話会会員。 東京出身、東京高等工業学校(現・東京工業大学)卒業。当初は建築会社の社長で坂東玉三郎の後援者であったが、衰退期にあった浪曲の将来を案じて1970年(昭和45年)より浪曲の歴史調査や資料収集を始め、その後社長職を弟に譲り、以後浪曲の再興のために尽力した。浪曲の台本執筆や木馬亭の経営に加わり後継者育成に注力するほか、1982年(昭和57年)に『月刊浪曲』を創刊した。
遠藤 周作(えんどう しゅうさく、1923年〈大正12年〉3… 遠藤 周作(えんどう しゅうさく、1923年〈大正12年〉3月27日 - 1996年〈平成8年〉9月29日)は、日本の小説家。日本ペンクラブ会長。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 11歳の時カトリック教会で受洗。評論から小説に転じ、「第三の新人」に数えられた。その後『海と毒薬』でキリスト教作家としての地位を確立。日本の精神風土とキリスト教の相克をテーマに、神の観念や罪の意識、人種問題を扱って高い評価を受けた。ユーモア小説や「狐狸庵」シリーズなどの軽妙なエッセイでも人気があった。 父親の仕事の都合で幼少時代を満洲で過ごした。帰国後、12歳の時に伯母の影響でカトリック夙川教会で洗礼を受けた。
宮川 ひろ(みやかわ ひろ、1923年〈大正12年〉3月15… 宮川 ひろ(みやかわ ひろ、1923年〈大正12年〉3月15日 - 2018年〈平成30年〉12月29日)は、日本の児童文学作家。沼田市名誉市民。 長男は児童文学研究者の宮川健郎。 1923年、群馬県利根郡東村千鳥(利根村を経て現・沼田市)に生まれる。群馬県女子師範学校に進学するが病気のため中退を余儀なくされる。東京の金華学園教員養成所を卒業後、公立小学校教員(地方公務員)となる。この時期には学童集団疎開にもかかわった。 坪田譲治の講演を聴いたことで文学を志し、1965年に日本児童文学者協会が開講した「新日本童話教室」に参加。同人誌『どうわ教室』をあまんきみこらと創刊したほか、雑誌『びわの実学校』に作品を投稿した。
那谷敏郎(なた としろう、1923年2月25日- )は、日本… 那谷敏郎(なた としろう、1923年2月25日- )は、日本の紀行作家、文化史家。 石川県金沢市生まれ。東亜同文書院大学卒業。朝日新聞出版局編集委員、名古屋商科大学、光陵女子短期大学講師。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
藤本 泉(ふじもと せん、1923年2月15日 - 生死不明… 藤本 泉(ふじもと せん、1923年2月15日 - 生死不明)は、日本の小説家、推理作家。 伝奇ミステリ「えぞ共和国」シリーズで、東北地方において古代から受け継がれた原始共産国家が存在しているという設定で、土俗の民と中央権力との相剋を描いた。 また、『源氏物語』、『枕草子』など王朝文学の作者は紫式部、清少納言など一人の作者でなく多作者によるとの説についての著作を出した。 篠田節子『聖域』の登場人物は、藤本泉をモデルにしたものと言われている。 東京都生まれ。日本大学国文科卒業。 後に『文芸首都』および『現象』の同人として創作活動を行う。処女作は1955年ごろ『文芸首都』に発表した「作為の他」である。
池波 正太郎(いけなみ しょうたろう、1923年〈大正12年… 池波 正太郎(いけなみ しょうたろう、1923年〈大正12年〉1月25日 - 1990年〈平成2年〉5月3日)は、戦後の日本を代表する時代小説・歴史小説作家。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表する傍ら、映画評論家としても著名であった。映画ではとりわけフランス映画の名作、とりわけフィルム・ノワールを好み、監督ではジュリアン・デュヴィヴィエや俳優ジャン・ギャバンを敬愛している他、美食家(食通)として多くのエッセイを著している。 1923年(大正12年)1月25日、東京市浅草区聖天町(現:東京都台東区浅草7丁目)に生れる。父・富治郎は日本橋の錦糸問屋に勤める通い番頭、母・鈴は浅草の錺職・今井教三の長女で、正太郎は長男であった。
松浦 行真(まつうら こうしん、1923年1月24日 - 1… 松浦 行真(まつうら こうしん、1923年1月24日 - 1991年4月25日)は、大阪市出身の日本の作家、産経新聞記者、浄土宗の僧侶。 大阪市生まれ。大正大学二年修了。1946年産経新聞入社、のちフリー。『風が燃えた』『熱い嵐』は、1978-79年にテレビドラマ化された。
江夏 美好(えなつ みよし、1923年1月19日 - 198… 江夏 美好(えなつ みよし、1923年1月19日 - 1982年7月17日)は、日本の小説家。本名・中野美与志。 岐阜県吉城郡神岡町(現・飛騨市)生まれ。高山高等女学校中退。 『文芸首都』同人から、同人誌『東海文学』を主宰。1950年「南海鳥獣店」で新潮文学賞佳作入選。1963年『脱走記』(江夏美子名義)で直木賞候補、1964年「流離の記」で再度候補となる。1970年『下々の女』で田村俊子賞受賞。 口腔がんを患い、闘病生活のなか、1982年7月17日に首を吊って自殺した。享年59。
吉田 満(よしだ みつる、1923年〈大正12年〉1月6日 … 吉田 満(よしだ みつる、1923年〈大正12年〉1月6日 - 1979年〈昭和54年〉9月17日)は、日本の作家。日本銀行職員。キリスト者。 大日本帝国海軍における戦時体験をもとにした戦記を残すとともに、日本銀行職員の要職を歴任する傍ら、「戦中派」として独自の著作活動や言論活動を続けた。代表作の『戦艦大和ノ最期』は、映画化、長時間テレビドラマ化もされ、海軍での上官であった臼淵磐も吉田の著作を通しても広く知られるようになった。 1923年(大正12年)1月6日、父・吉田茂と母・ツナの長男として、東京市赤坂区青山北町(現・東京都港区北青山)で誕生。上には姉の瑠璃子がいた。同年の9月の関東大震災のため、その後一家は渋谷町(現・渋谷区)に移った。
西沢 正太郎(にしざわ しょうたろう、1923年1月5日 -… 西沢 正太郎(にしざわ しょうたろう、1923年1月5日 - 2019年7月10日)は、日本の児童文学作家。 埼玉県狭山市生まれ。1940年、学校組合立豊岡実業学校卒業後、中央大学専門部法科第二部に進学し卒業。小学校教諭のかたわら福田清人・石森延男・浜田廣介に師事して児童文学を書く。 1961年、『プリズム村誕生』で講談社児童文学作品受賞。1966年、『青いスクラム』で小学館文学賞受賞。自身の作品執筆のほか、教員が推薦する本の紹介文なども手掛けた。 小学校では校長まで務め、退職後は作家活動に専念。1989年から1993年まで日本児童文芸家協会理事長も務めた。理事長退任後、同協会顧問。 同じ児童文学作家の香川茂とは長年の友人だった。
太田 じろう(おおた じろう、1923年1月2日 - 198… 太田 じろう(おおた じろう、1923年1月2日 - 1982年3月29日)は、日本の漫画家、絵本作家。本名、太田二郎。東京市京橋区八丁堀出身。 東京市京橋区八丁堀にて製本職人の家庭に生まれる。早稲田実業学校卒業後、新潮社や東宝美術部に勤務。日本画を学び、野口昂明たちの勧めで『日の出』誌にカットを寄稿、1941年、『イソップまんが』で漫画家としてデビューした。 1943年に徴兵され、大刀洗飛行場で従軍にあたった。1945年に復員した後、帷子進や芳谷勝に師事する。1950年、『少年クラブ』に『お山のクロちゃん』を連載。1952年、島田啓三の長女と結婚した。1960年、『こりすのぽっこちゃん』で第5回小学館漫画賞を受賞する。
井江 春代(いえ はるよ、1923年1月1日 - 2011年… 井江 春代(いえ はるよ、1923年1月1日 - 2011年5月11日)は、日本の美術家、絵本作家。 1923年、鳥取県に井江耕宗の子として生まれる。1944年、女子美術専門学校(現 女子美術大学)師範科日本画部卒業。 1964年、絵本『かえるのけろ』で第13回小学館絵画賞を受賞。 1973年、初めてのラテンアメリカ旅行。これ以後、昭和60年まで5回ペルーを訪問。 2011年、死去。享年88。
大前 正臣(おおまえ まさおみ、1923年 - 2004年)… 大前 正臣(おおまえ まさおみ、1923年 - 2004年)は、日本の国際政治評論家、作家、翻訳家。 岐阜県生まれ。東京大学文学部卒業後、コロンビア大学に学ぶ。電通、東京新聞外報部記者を経てフリーになる。
寺尾 善雄(てらお よしお、1923年 - 1987年)は、… 寺尾 善雄(てらお よしお、1923年 - 1987年)は、日本の中国文学者、作家。岡山県生まれ。 東京外国語学校支那語科卒。夕刊岡山新聞社、サンケイ新聞社、秋田書店に勤務。中国古典の翻訳や一般向けの書物を多く書いた。
高橋百代(たかはし ももよ、1923年 - 1998年)は、… 高橋百代(たかはし ももよ、1923年 - 1998年)は、大分県臼杵市出身の小説家。大分県立臼杵高等女学校卒業。本名に同じ。 文芸雑誌『海燕』1983年6月号に「盲女の手すさび」が掲載され、地方文学の担い手として注目される。主たる活動の場をあえて地元同人誌におき、「みずき」、「臼杵文学」、「環状集落」、「東九州文学」、「詩と眞実」、「日田文学」などの文芸同人誌に作品を発表。(このうち「臼杵文学」は自身が創刊。) 1998年4月12日、大分市明野の山中にて不慮の死を遂げる。75歳没。
伊藤 正一(いとう しょういち、1923年 - 2016年6… 伊藤 正一(いとう しょういち、1923年 - 2016年6月17日)は日本の山小屋経営者、著作家。 長野県松本市出身で、町一番の料亭の長男。飛行機のエンジンなどに携わるエンジニアだったが、第二次大戦後はその資産を山に注ぎ込んだ。1945年に三俣蓮華小屋を買取ったのを皮切りに続いて水晶小屋も得ると、その後湯俣山荘、雲ノ平山荘を建設した。湯俣温泉から湯俣川沿いに三俣山荘に至る伊藤新道(1956年開通)の開削を主導。日本勤労者山岳連盟を創設。 2016年6月17日、多臓器不全のため死去。 新道は1983年に通行困難となり廃道となるも、再整備され2023年8月に復活。現在は長男・圭が三俣山荘と水晶小屋を、次男・二郎が雲ノ平山荘の経営を引き継いでおり、伊藤新道の廃道とともに40年間閉まっていた湯俣山荘も長男によって改装され2023年再オープン。
上野 晴朗(うえの はるお、1923年(大正12年) - 2… 上野 晴朗(うえの はるお、1923年(大正12年) - 2011年(平成23年)12月2日)は、日本の郷土史家・作家。山梨郷土研究会会員。 山梨県東山梨郡日下部村七日市場(現在の山梨市)に生まれる。山梨県立図書館の司書として郷土資料室に勤務し、1951年(昭和26年)には甲州文庫(現在は山梨県立博物館に移管)の受け入れに携わる。 のち、学芸員として富士博物館に勤務し、山梨県文化財審議委員や山梨県自然環境保全審議員などを歴任する。また、山梨県内の市町村が刊行する自治体史については、1962年(昭和37年)刊行の『勝沼町誌』をはじめ、後に刊行された『南部町誌』、『一宮町誌』、『御坂町誌』、『八代町誌』及び『明野村誌』などの編纂・執筆に携わる。
元永 定正(もとなが さだまさ、1922年〈大正11年〉11… 元永 定正(もとなが さだまさ、1922年〈大正11年〉11月26日 - 2011年〈平成23年〉10月3日)は、三重県出身の日本の画家、絵本作家。前衛美術作家として国内外で高い評価を得ており、多数の受賞歴がある(後述)。 造形作家の中辻悦子は妻。妻の中辻との共作として、2001年に全長30メートルに達する巨大アスレチック遊具型阪神・淡路大震災復興モニュメント「ゆめ・きずな」を制作した。 1922年(大正11年)11月26日、三重県阿山郡上野町桑町(現・三重県伊賀市上野)に長男として生まれる。 1938年(昭和13年)に地元の三重県上野商業学校(現・三重県立上野商業高校)を卒業後、大阪に転居し同地の機械工具店に就職した。
岩崎 京子(いわさき きょうこ、1922年10月26日 - … 岩崎 京子(いわさき きょうこ、1922年10月26日 - )は、日本の児童文学作家。
鮫島 純子(さめじま すみこ、1922年〈大正11年〉9月2… 鮫島 純子(さめじま すみこ、1922年〈大正11年〉9月26日 - 2023年〈令和5年〉1月19日)は、日本の著述家、絵本作家。戦中戦後の体験、ポジティブな生き方などを綴った著作がある。 日本資本主義の父とされる実業家・渋沢栄一の孫にあたり、2024年(令和6年)発行の新一万円札に用いられた渋沢栄一の肖像画の確認を行った。 1922年(大正11年)、東京市滝野川町西ケ原(現・東京都北区西ケ原)に、渋沢栄一の三男で実業家の渋沢正雄と、備前岡山藩9代目藩主池田茂政の次女鄰子の間に生まれる。名前の「純子」は祖父・栄一による命名であり、本人は「この名前を書くたびに心の純度を保ちたいと思った」と語っている。
伊佐 二久(いさ つぐひさ、1922年(大正11年)9月20… 伊佐 二久(いさ つぐひさ、1922年(大正11年)9月20日 - )は、日本の陸軍軍人、医師、医学者、著作家。太平洋戦争に従軍した後に医師となり、国際協力事業団にも参加するなどして各国の医療事情を調査した。筆名としては伊佐 三休(いさ さんきゅう)の名も用いている。 1922年、福岡県小倉市に生まれる。幼くして朝鮮の龍山に渡り、6歳まで同地で過ごした。福岡県甘木小学校、久留米市金丸小学校を経た後、中学明善校(福岡県立明善高等学校の前身の1つ)1年を修了する。1936年(昭和11年)に広島陸軍幼年学校へ入学(第40期)、1938年(昭和13年)には陸軍予科士官学校へと進み(第55期)、翌年には歩兵第26聯隊へ士官候補生隊付として配属され、満州国・チチハル駐屯並びにソ満国境のハンダガイの守備に従事した。
中井 英夫(なかい ひでお、本名同じ、1922年(大正11年… 中井 英夫(なかい ひでお、本名同じ、1922年(大正11年)9月17日 - 1993年(平成5年)12月10日)は、日本の短歌編集者、小説家、詩人。三大奇書とされる代表作の『虚無への供物』の作者として著名であるが、ノヴェレット主体のマニエリスティクな推理小説・幻想文学において知られている。 別名に、塔晶夫、碧川潭、緑川弓雄、黒鳥館主人、流薔園園丁、月蝕領主、ハネギウス一世。 東京市滝野川区田端に生まれ育つ。父は植物学者で国立科学博物館館長、陸軍司政長官・ジャワ・ボゴール植物園園長、小石川植物園園長等を歴任した東京帝国大学名誉教授の中井猛之進。祖父堀誠太郎も札幌農学校教授、小石川植物園御用掛を歴任しており、二代続いた植物学者の家系であった。
中村 光至(なかむら こうじ、1922年〈大正11年〉9月1… 中村 光至(なかむら こうじ、1922年〈大正11年〉9月16日 - 1998年〈平成10年〉11月3日)は、日本の小説家。本名の読みは「みつし」。主に警察小説を手がけた。『南方文学』同人。 熊本県山鹿市生まれ。大東文化学院日本文学科卒業後、高校教師や大学事務職員などを経て、福岡県警教養課に勤務。『九州文学』などに小説を発表する一方で、『福岡県警察史』の刊行や県警職員雑誌『暁鐘』の編集を担当した。 1960年、「白い紐」でオール讀物新人賞受賞。1965年、『氷の庭』で直木賞候補。1993年、福岡市文化賞受賞。
郡 順史(こおり じゅんし、1922年9月13日 - 201… 郡 順史(こおり じゅんし、1922年9月13日 - 2015年2月22日)は日本の歴史小説作家、時代小説作家。最初の筆名は「郡 恂史」。東京新宿・角筈生まれ。明治大学卒業。日本文芸家協会会員。本名は高山恂史。別名義に高山 潤。 中学時代に友人と太宰治を訪ね、小説家を志す。雑誌編集者時代に山手樹一郎の知遇を得て、作家活動に入る。1958年、林崎甚助を主人公に据えた『抜刀流旅日記』が人気を博す。「士道小説」と呼ばれる「武士道」を題材とした小説を得意とする。『葉隠』の研究家としても知られており、『葉隠士魂』『葉隠物語』『武士道の証明』などの著書を出している。また『日本の誇るサムライ達』などの歴史ノンフィクションも手掛ける。
一条 明(いちじょう あきら、1922年9月11日 - 19… 一条 明(いちじょう あきら、1922年9月11日 - 1987年)は、日本の作家。新樹社同人。本名・高橋保。 東京生まれ。日本大学芸術学部演劇科卒。歴史・時代小説、麻雀小説などを書いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
能坂 利雄(のうさか としお、1922年9月9日 - 199… 能坂 利雄(のうさか としお、1922年9月9日 - 1991年8月1日)は、富山県氷見郡氷見町(現氷見市)生まれの小説家・歴史研究家。書や日本画もよくし、李鷗と号して個展も開いた。日本ペンクラブ会員、日本文芸家協会会員、日本紋章学研究所長。王貞治ははとこに当る(王貞治の母・登美が能坂の祖母の姪という間柄)。 1922年9月9日、富山県氷見郡氷見町に生まれる。能坂が富山新聞に寄稿した自叙伝によれば、早熟な少年だったようで、15歳の時に早くも「吐血」と題する時代小説を「どこかの雑誌」に投稿。さらに富山新聞の前身に当たる越中新聞にも「旅笠街道」という股旅物を投稿。こちらは全5回の連載だったという。 1944年、富山青年師範学校(現富山大学)卒業。
近藤 富枝(こんどう とみえ、1922年8月19日 - 20… 近藤 富枝(こんどう とみえ、1922年8月19日 - 2016年7月24日)は、日本の作家、エッセイスト。旧名:水島富枝。夫は軍事史研究家の土門周平。 東京府東京市日本橋区矢ノ倉町(現:東京都中央区東日本橋一丁目)の袋物問屋に生まれる。1929年に、父の破産で一家離散となり、一人で父方の祖父母の家にひきとられ、東京市田端で育つ。祖父・水島辨治郎は、日本橋の金襖問屋・増見屋の8代目水島三右衛門の次男だった。 東洋高等女学校卒業。東京女子大学国語専攻部に在学中に演劇に熱中し、1942年新劇団「芸術小劇場」(北村喜八・村瀬幸子が主催)の研究生、のち文学座の研究生となる。1943年に大学卒業後、文部省教学局国語課勤務。
永岡 慶之助(ながおか けいのすけ、1922年7月30日 -… 永岡 慶之助(ながおか けいのすけ、1922年7月30日 - 2021年5月12日)は、日本の歴史小説作家、時代小説作家。 本名同じ。福島県会津坂下町生まれ。群馬県藤岡市在住。東洋大学文学部卒業。 1946年(昭和21年)、友人の赤田哲也と故郷を出て中山義秀邸を訪問、知遇を得る。当時の仲間には吉田健一、国木田虎雄、清水崑、清水基吉らがいた。公友社、河出書房の雑誌編集者を経て、作家活動に入る。1960年(昭和35年)、出身地の会津藩を題材に取った『斗南藩子弟記』でデビュー。翌年の第45回直木賞候補となる。また同賞には1969年(昭和44年)の『紅葉山 富岡製糸場始末』も候補に推された(第62回)。
大森 光章(おおもり こうしょう、1922年7月24日 - … 大森 光章(おおもり こうしょう、1922年7月24日 - 2009年3月26日)は日本の小説家、フリーライター、禅僧(上座)。幼名は倖二。今出光章、北町陽一郎名義による作品もある。弟に歌人の大森亮三。 北海道虻田郡倶知安町の禅寺の生まれ。少年期から父親の伴僧として葬儀や法事に出席。旧制中学卒業後、小学校の代用教員をつとめる。函館師範学校中退。明治大学専門部文芸科中退。戦争末期に召集される。 小学校教員をつとめるかたわら、1947年に倶知安で『新芸術派』を創刊。1949年上京し、中河与一主宰の「ラマンチヤ」に参加。のち、新日本文学会に参加。 工員や印刷会社社員や大学職員として働きつつ、「文芸日本」「円卓」「層」「凱」「公園」など数々の文芸同人誌に関わる。