水谷 大輔(みずたに だいすけ、1962年10月3日 - )… 水谷 大輔(みずたに だいすけ、1962年10月3日 - )は、日本の元歌手。長野県長野市出身。身長170cm、血液型O型。水谷大輔の名は芸名で、本名は戸谷 秀樹(とや ひでき)。名付け親は所属事務所「ボンド企画」の代表高杉敬二。 長野中央高等学校(現・長野日本大学高等学校)卒業。高校時代にギターにハマり友人とフォークグループを結成。17歳で日本テレビ「スター誕生!」で合格、32回決戦大会グランプリ受賞。 「スター誕生!」に応募したのは本人ではなく、母親であるとされている。高校3年の1980年、岸田智史の「きみの朝」を歌い予選に臨む。信越放送にて一次審査・二次審査を通過。本選・決戦大会は共に会場は後楽園ホール。
栗原 貴子(くりはら たかこ、1962年10月3日 - )は… 栗原 貴子(くりはら たかこ、1962年10月3日 - )は、日本の女性政治家、公認会計士、税理士。豊中市議会議員を1期、大阪府議会議員を2期務めた。大阪府議会議員時代は、自由民主党に所属し、同党の大阪府議会議員団女性局幹事を務めた。3人の娘の母親でもある。 元々口下手で人見知りであったが、人前で話をしたり文章を書くのは嫌いではなかった。。税理士・公認会計士として、パートの監査の仕事をしながら自宅でも税務の仕事をしていたが、何か自分の経験を生かした人の役に立てる仕事がしたいと思うようになり政治家を目指すことになった。家族に打ち明けたのは統一地方選挙の告示日の1か月前であり、理解を得るのは大変であったとされる。
横田 明(よこた あきら、1962年〈昭和37年〉10月3日… 横田 明(よこた あきら、1962年〈昭和37年〉10月3日[要出典] - )は、大阪府吹田市出身の日本の考古学者、元考古学技師(財団法人大阪府埋蔵文化財協会調査課技師)、元地方公務員(大阪府教育委員会文化財保護課調査第一グループ副主査)、日本考古学協会会員である。 韓国語翻訳者、舞台俳優、レイキティーチャーとしても活動する。 1990年4月から2023年3月まで大阪府教育委員会事務局(のちの大阪府教育庁)文化財保護課に考古学職として勤務し、大阪府内の文化財保護業務に従事した。 在職中には阪神・淡路大震災後、兵庫県教育委員会に3年間派遣され復興支援に従事した。さらに東日本大震災後には岩手県教育委員会に2年間[要出典]、福島県教育委員会に9か月間[要出典]派遣され、文化財の復旧・復興業務に携わった。
藤田 浩雅(ふじた ひろまさ、1961年10月3日 - )は… 藤田 浩雅(ふじた ひろまさ、1961年10月3日 - )は、静岡県裾野市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 家業の食堂は何度も傾き、食うや食わずの生活をしてきた。御殿場西高校では2年先輩の杉本正とバッテリーを組んでいた1年先輩の捕手が投手にコンバートされたため、1年次の1977年秋に捕手へ転向。高校卒業後は大昭和製紙への入社を希望するも断念し、1980年に関東自動車工業へ入社。3年目の1982年には都市対抗にヤマハ発動機の補強選手で出場してベスト8入りに貢献し、打撃は粗削りであったが、その強肩に広島、阪急などが目をつけた。特に阪急は衰えが目立つようになった中沢伸二の後継としてリストアップし、同年のドラフト3位で阪急ブレーブスに入団。
川嶋 真(かわしま まこと、1961年〈昭和36年〉10月3… 川嶋 真(かわしま まこと、1961年〈昭和36年〉10月3日 - )は、日本の財務官僚。 1961年(昭和36年)10月3日、滋賀県甲賀郡水口町(現在の甲賀市)で出生。 滋賀県立膳所高等学校を経て東京大学法学部を卒業したのち、1985年(昭和60年)4月、大蔵省に入省。大臣官房文書課に配属。1990年(平成2年)7月10日、高山税務署長。 国税庁長官官房企画課長、国税庁長官官房人事課長、仙台国税局長、国税庁課税部長、財務省大臣官房参事官兼大臣官房審議官(大臣官房担当)などを歴任。 2018年(平成30年)4月1日、独立行政法人造幣局理事長に就任。 2021年(令和3年)4月1日、財務省を退職。
呉 文彦(くれ ふみひこ、1961年10月3日 - )は、日… 呉 文彦(くれ ふみひこ、1961年10月3日 - )は、日本のジャーナリスト。東京都出身。 1961年10月3日、東京都中野区生まれ。学習院幼稚園、初等科、中等科、高等科を経て学び、中等科と高等科では野球部に所属し、投手として活躍。高等科卒業時には東京都高校野球連盟から表彰された。 1980年4月、早稲田大学商学部に入学し、雄弁会に所属。早慶新人弁論大会にも出場。1984年4月、日本テレビ放送網に入社。 呉文彦の姓は、先祖が広島県呉市出身であることに由来。曽祖父の呉文聰は統計学者、祖父の呉文炳は日本大学総長、父の呉直彦は医師。先祖の広島県呉市との縁から、2019年に呉市観光大使に就任。 妻は呉阿古、1932年ロサンゼルス五輪100メートル自由形、800メートルリレー金メダリスト宮崎康二の次女。
山本 礼二郎(やまもと れいじろう、1960年10月3日 -… 山本 礼二郎(やまもと れいじろう、1960年10月3日 - )は、日本の投資家。インテグラル創業者・代表取締役パートナー。元スカイマーク取締役会長。元GCA取締役パートナー。 大阪府生まれ。本籍は岡山県。1979年神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。同級生に鈴木国正インテル代表取締役社長や田中俊和元住友不動産販売代表取締役社長がいる。1984年一橋大学経済学部国際経済学科卒業。池間誠ゼミ及び山岳部出身。1991年ペンシルベニア大学ウォートン・スクール卒業、MBA(経営学修士)。同年同校ローダー研究所卒業、MA in international studies(国際関係論修士)。 三井銀行や、シカゴのA.T.カーニーを経て、2000年からユニゾン・キャピタルに参加。
中島 はるみ(なかじま はるみ、1959年10月3日 - )… 中島 はるみ(なかじま はるみ、1959年10月3日 - )は、日本の女優、モデル。本名は中山春美。埼玉県草加市出身。ベリーベリープロダクション所属。身長163cm、体重45kg。B80/W58/H84。妹は元歌手の中島めぐみ。 嘉悦女子高等学校 在学中に、銀座でスカウトされてグラビアモデルとして芸能界デビューした。 1980年2月、『11PM』水曜日のカバーガールとして出演した。 同年4月5日から1981年4月18日まで、TBS系の『Gメン'75』に吹雪杏子刑事役としてレギュラー出演し、女優としてもデビューした。 知的で少し陰のある顔立ちとスリムなプロポーションで人気があった。 1989年に結婚して、芸能界から引退する。
上田 定行(うえだ さだゆき、1959年10月3日 - )は… 上田 定行(うえだ さだゆき、1959年10月3日 - )は、俳優・ナレーター・ラジオパーソナリティ。 名古屋市中川区東起出身。名古屋市立荒子小学校、名古屋市立一柳中学校、愛知県立惟信高等学校、名城大学理工学部卒業。 1987年より名古屋でタレント活動を開始。当初は名古屋を拠点に活動する劇団「少年ボーイズ」に籍を置いていたが、その後フリー転向を経てセントラルジャパンに所属。 少年ボーイズ所属時からCMのナレーションを数多く担当しており、中京地区のテレビやラジオでは声を耳にすることが多いナレーターの1人である。主に渋い声を特徴とする。また、東海ラジオの『サンデー・イン・ザ・パーク』ほかでパーソナリティを務めるなど、番組方面にも活動の場を持つ。
藤田耕三(ふじた こうぞう、1959年〈昭和34年〉10月3… 藤田耕三(ふじた こうぞう、1959年〈昭和34年〉10月3日 - )は、日本の運輸・国土交通官僚。国土交通事務次官を務めた。 大分県大分市生まれ。大分県立大分舞鶴高等学校を経て、1982年3月、東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。国家公務員採用上級甲種試験(法律)に合格し、1982年4月に運輸省へ入省。 2013年8月1日から大臣官房総括審議官、2014年7月8日から鉄道局長、2016年6月21日から総合政策局長、2017年7月7日から大臣官房長を務めた。 2018年7月31日、国土交通審議官に就任(担務は交通関係施策の総括整理)。 2019年7月9日から国土交通事務次官を務め、2020年7月21日、退官。
河野 万里子(こうの まりこ、1959年10月3日 - )は… 河野 万里子(こうの まりこ、1959年10月3日 - )は、日本の英語・フランス語の翻訳家。日本推理作家協会会員、日本文芸家協会会員。 父親の転勤先の大阪府八尾市で生まれ、神奈川県で育つ。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。雑誌『翻訳の世界』の第13回翻訳奨励賞で最優秀賞を受賞後、翻訳家として活動を始める。 1993年、「『フィッツジェラルドをめざした男』『愛は束縛』その他の訳業に対して」、BABEL国際翻訳大賞新人賞を受賞。 1994年から1995年、文教大学短期大学部英語英文科非常勤講師。 フランソワーズ・サガンなどの古典からノン・フィクション、児童書まで様々な書籍の翻訳に携わっている。
塩見 啓一(しおみ けいいち、1959年10月3日 - )は… 塩見 啓一(しおみ けいいち、1959年10月3日 - )は、日本のCBCテレビに在職するアナウンサー。 京都府福知山市出身。同志社大学在学中は喜劇研究会(メンバーの一員に1学年後輩にあたる俳優の生瀬勝久がいた)及びプロレス研究会に所属。また、その頃に朝日放送制作の恋愛バラエティ番組で人気のあった『ラブアタック!』にアタッカーとして出演。番組内のミニコーナー「㊙キャンパスレポート」(学生が自ら体験した出来事を面白おかしく語るコーナー)にも出演している。また、在学中に生田教室に通う。 1984年に中部日本放送へ入社。以来、バラエティ番組とスポーツ番組を担当。スポーツは、野球(地元プロ野球球団・中日ドラゴンズ戦)をはじめ、ボクシングやラグビーなどの実況を担当。
林 肇(はやし はじめ、1958年〈昭和33年〉10月3日 … 林 肇(はやし はじめ、1958年〈昭和33年〉10月3日 - )は、日本の外交官。外務省欧州局長、駐ベルギー特命全権大使兼北大西洋条約機構日本政府代表部大使、内閣官房副長官補兼国家安全保障局次長を経て、駐イギリス特命全権大使を務めた。2024年退官。 東京都出身。武蔵高等学校出身(51期卒)。
石川 優子(いしかわ ゆうこ、1958年〈昭和33年〉10月… 石川 優子(いしかわ ゆうこ、1958年〈昭和33年〉10月3日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター。本名、田中 優子。旧姓、石川。 大阪府大東市出身。大阪府立四條畷高等学校、大手前女子短期大学卒業。 小学校4年生の時に守口市少年少女合唱団に10倍以上の競争率を乗り越え合格した。中学3年でギターをはじめ、高校時代は女性デュオの「スリーピー」、高校3年から短大にかけてはバンドの「ファンタスティック」などに参加して活動した。1978年、第16回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)つま恋本選会に、CHAGE and ASKA、円広志、大友裕子、クリスタルキングらと共に出場し、「夜の雨」を歌った。
比嘉 奈津美(ひが なつみ、1958年10月3日 - )は、… 比嘉 奈津美(ひが なつみ、1958年10月3日 - )は、日本の政治家、歯科医師。 衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)、環境大臣政務官、参議院厚生労働委員長を歴任。 米国統治下の沖縄のコザ市(現在の沖縄県沖縄市)に生まれる。コザ教育区立諸見小学校、コザ中学校を経て、1974年に浦添市に新設された昭和薬科大学附属高校に進学した。小学6年生時にはコザ暴動を目の当たりにした。その後福岡歯科大学へと進学し、1986年に卒業。 卒業後は沖縄県の久米島へと渡って歯科医師となり、後に沖縄市内に「なつみ歯科医院」を開院した。また2006年からカンボジアでの歯科医療ボランティアに携わるようになった。2009年4月には沖縄県歯科医師会の副会長に就任した。
星野 知子(ほしの ともこ、本名:星野 路子、1957年〈昭… 星野 知子(ほしの ともこ、本名:星野 路子、1957年〈昭和32年〉10月3日 - )は、女優、エッセイスト、司会者、ニュースキャスター。新潟県長岡市出身。新潟県立長岡高等学校、法政大学社会学部卒業。身長170cm。 大学では環境問題をテーマとする金山行孝ゼミに所属していた。 1980年、『なっちゃんの写真館』のヒロイン役でデビュー。芸名はこのヒロイン役発表の前日に決定。芸名決定に際しては『なっちゃん』のプロデューサーらと共に高島易断を訪れ、星野という姓に合う11の候補の中から最終的に「知子」と「尚子」に絞り、尚子は星野自身の親友の中にこの名前の人がいるので紛らわしいということで知子を選んで決まった。
網屋 信介(あみや しんすけ、1957年10月3日 - )は… 網屋 信介(あみや しんすけ、1957年10月3日 - )は、日本の政治家、実業家。元アジア開発キャピタル代表取締役社長、元衆議院議員、元メリルリンチ日本証券取締副会長兼投資銀行本部会長、財務大臣政務官(野田第3次改造内閣)、政府税制調査会事務局長などを務めた。 鹿児島県鹿屋市生まれ。鹿児島県立鹿屋高等学校を経て、一橋大学法学部卒業。1981年、山一證券に入社。1985年山一インターナショナル(ロンドン)に出向後、1986年にモルガン・スタンレー・インターナショナル・リミテッド(現モルガン・スタンレー証券)に入社後、1992年エス・ジーウォーバーグ証券(現UBS 証券)に転職。 1993年、鹿屋市長選挙に無所属で出馬したが、元鹿屋市助役の浅井隼人に敗れ、落選。
亀川 修一(かめかわ しゅういち、1957年10月3日 - … 亀川 修一(かめかわ しゅういち、1957年10月3日 - )は、元競輪選手。現在は整体師。日本競輪選手会兵庫支部に在籍していた。
矢野 健太郎(やの けんたろう、1957年〈昭和32年〉10… 矢野 健太郎(やの けんたろう、1957年〈昭和32年〉10月3日 - )は、日本の漫画家。主な作品に『ネコじゃないモン!』などがある。大阪芸術大学の漫画アニメーション研究会グループ「CAS」の創設者。 東京都生まれ。大阪府立島上高等学校卒業。大阪芸術大学芸術学部デザイン学科を4年次に中退。 小学校3年生の頃から友人の影響でマンガを描き始め、「マンガ家入門」(石森章太郎:著)を買い、6年生で初めてペンとインクを使う。 府立島上高校では漫画研究部創設に係わり、大阪芸大では漫画アニメーション研究会グループ「CAS(かす)」を設立し初代会長となる。 「矢野」姓は本名であるが、ペンネームの全体は学生時代、恩師があだ名として付けた、同姓同名の数学者に由来する。
大澤 誉志幸(おおさわ よしゆき、1957年〈昭和32年〉1… 大澤 誉志幸(おおさわ よしゆき、1957年〈昭和32年〉10月3日 - )は、日本の歌手、作曲家、音楽プロデューサー。本名同じ。東京都杉並区高円寺出身。身長170cm。血液型AB型。2歳違いの兄が1人いる。 ソルチ・ミュージック・エンタテインメント所属。1999年までは大沢誉志幸(読みは同じ)名義で活動していた。 杉並第八小学校を卒業。兄がグループ・サウンズを聴いていた影響で中学生の頃から音楽に興味を持ち、ボブ・ディランやドゥービー・ブラザーズ、バッファロー・スプリングフィールドなどのロック・R&B・ソウル音楽を始めとしたブラックミュージックを聴き始め、最初は父親にギターの初歩的な弾き方を教わり、10代でダンパや地元のロック喫茶などにも行くようになる。
中村 禎(なかむら ただし、1957年10月3日- )は、日… 中村 禎(なかむら ただし、1957年10月3日- )は、日本のコピーライター。福岡県出身。成蹊大学経済学部卒業。 1980年に外資系広告代理店のJ.W.トンプソンに入社。営業畑を経験するも、宣伝会議のコピーライター養成講座を受講し、翌1981年にサン・アドへ移籍。当時サン・アドの中心的存在だった仲畑貴志や葛西薫らのもとで、コピーライターとしての研鑽を積み、1982年にはソニーのEZアラームのコピー「誰も起こしてくれない一人暮らし。悪いのは、誰だ。アッ僕か。」でTCC最高新人賞を受賞する好スタートを切る。 その後もサン・アドに在籍しながら、リクルート「とらばーゆ」などの広告コピーを担当し、1988年には電通へ移籍。
槇村 さとる(まきむら さとる、1956年〈昭和31年〉10… 槇村 さとる(まきむら さとる、1956年〈昭和31年〉10月3日 - )は、日本の漫画家。東京都葛飾区西亀有町出身、血液型はB型。東京都立工芸高等学校工芸デザイン科卒業。女性。ペンネームの由来は、漫画家デビュー当時に好きだった人の名前から。 小さいころから絵を描くことが好きで、毎日描いていた。思春期に父親から性的虐待を受け、そのトラウマから逃れるために漫画を描き始める。漫画家を志し最初に投稿し続けたのは『りぼん』だったが、浮気心から投稿先を変更し送付したら忽ち採用となり、1973年、高校1年で『別冊マーガレット』4月号(集英社)に掲載された「白い追憶」でデビュー。高校卒業後、メーカーに就職したが、漫画の原稿料が給料を上回ったので退職し専業作家になる。
斎藤 澪奈子(さいとう みなこ、1956年10月3日 - 2… 斎藤 澪奈子(さいとう みなこ、1956年10月3日 - 2002年1月13日)は日本の作家、タレント。 1990年著書「ヨーロピアン・ハイライフ」でデビュー。のちの叶姉妹やデヴィ夫人のような大人のセレブ女性の先駆け的存在だった。「アッパー」「ロウワー」「ポジティブシィンキング(=積極思考)」といった言葉で知られる。 公式プロフィールによると、東京のハイソサエティ(=上流階級)の家庭に生まれ17歳で単身ヨーロッパへ。ロンドンとフィレンツェで10年間すごし、ヨーロッパの上流階級の洗礼を浴びる。バブル景気崩壊直前に帰国。自ら考案した化粧品などの実業家になる。1993年著書「超一流主義」が話題となり、タレントとしての活動も始める。
井上 和幸(いのうえ かずゆき、1956年10月3日 - )… 井上 和幸(いのうえ かずゆき、1956年10月3日 - )は、日本の実業家。清水建設代表取締役会長。 東京都出身。早稲田大学高等学院を経て、1981年に早稲田大学大学院理工学研究科建設工学を修了し、清水建設に入社。2006年名古屋支店静岡営業所長、2009年九州支店副支店長等を経て、2012年建築事業本部第二営業本部長。2013年に執行役員に就任し、2014年常務執行役員名古屋支店長、2015年4月専務執行役員に昇進。2016年4月より、同社社長。2025年4月より同社会長。
MIQ(みく、1956年10月3日 - )は、歌手・ボーカル… MIQ(みく、1956年10月3日 - )は、歌手・ボーカルトレーナー。東京都出身。血液型はAB型。所属事務所はhiMe story。 東京都に生まれ、3歳から18歳まで鳥取県気高郡気高町浜村(現:鳥取県鳥取市気高町浜村)で育つ。 早稲田大学文学部在学中より、松浦竹夫演劇研究所、平尾昌晃歌謡教室に通う。その傍らソウル・バンド「テイク・イージー」のボーカリストとして活動。渋谷公園通り音楽祭、湘南フェスティバル等において、その歌唱力で脚光を浴びる。その後、大学は2年で中退。 1982年、MIO(みお)の歌手名でテレビアニメ『戦闘メカ ザブングル』の挿入歌「Hey You」でキングレコードよりデビュー。
池上 俊一(いけがみ しゅんいち、1956年10月3日 - … 池上 俊一(いけがみ しゅんいち、1956年10月3日 - )は、日本の歴史学者、東京大学総合文化研究科教授。西洋中世史、特にトスカーナ地方の歴史が専門だが、魔女などについての著作が多い。
鱒見 進一(ますみ しんいち 、1956年10月3日 - )… 鱒見 進一(ますみ しんいち 、1956年10月3日 - )は日本の歯科医師、歯学者、九州歯科大学副学長、九州歯科大学歯学部歯学科口腔機能学講座顎口腔欠損再構築学分野教授。元日本磁気歯科学会理事長、日本顎顔面補綴学会理事長[3]。
福島 良一(ふくしま よしかず、1956年10月3日 - )… 福島 良一(ふくしま よしかず、1956年10月3日 - )は日本のスポーツジャーナリスト、メジャーリーグアナリスト。 千葉県出身。学習院高等科、中央大学商学部卒業。大学在学中から主としてメジャーリーグの評論・取材を行っている。 高校時代、メジャーの試合を観戦したことをきっかけに造詣を深め、パシフィック・リーグ広報部長でメジャー通としても知られた伊東一雄(パンチョ伊東)に教わり、「特定の応援するチームを作らないで、大リーグ全体を楽しんでほしい」と薦められた。 1977年にはアメリカ野球愛好会を結成して代表に就任したほか、ジャーナリストとしてテレビ出演などを行う傍ら、評論・解説書を多数執筆する。メジャーリーグを専門とするジャーナリストだが、日本プロ野球もチェックしており、日本人メジャーリーガーやNPBでプレー経験のあるメジャーリーガーなど、日本人向けの情報を発信する特徴がある。
大植 英次(おおうえ えいじ、1956年10月3日 - )は… 大植 英次(おおうえ えいじ、1956年10月3日 - )は、日本のクラシック音楽の指揮者。大阪フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者。 広島市、現在の佐伯区で生まれ、4歳よりピアノをはじめる。5歳から7年間、戸田繁子の音楽教室でピアノとソルフェージュを学ぶ。ティンパニ、トロンボーン、フルート、ホルンなど多くの楽器を経験する。桐朋学園で斎藤秀雄に師事、1978年に小澤征爾の招きで渡米、ボストンのニューイングランド音楽院で学んだ。タングルウッド音楽祭に参加。幼少の頃からの憧れであったバーンスタインと出会い、各地の演奏会で助手をつとめた。1985年にはバーンスタインと共に広島平和コンサートに出演し、糀場富美子の『広島レクイエム』を指揮した。
竹内 勤(たけうち つとむ、1955年10月3日 - )は、… 竹内 勤(たけうち つとむ、1955年10月3日 - )は、日本の医師、医学者。専門は、リウマチ・膠原病)。医学博士。東京大学先端科学技術研究センター フェロー。慶應義塾大学名誉教授・特任教授 1980年9月、慶應義塾大学医学部卒業。1984年9月、慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程修了。1985年1月、ハーバード大学ダナ・ファーバー研究所留学。1998年7月、埼玉医科大学総合医療センター リウマチ・膠原病内科教授。2004年8月、埼玉医科大学副学長。2009年8月、慶應義塾大学医学部リウマチ・膠原病内科教授。2013年10月、慶應義塾大学病院病院長(~2017.7.31)、2017年8月、慶應義塾大学常任理事(~2021.5.31)。
後藤 斉(ごとう ひとし、1955年10月3日 - )は、日… 後藤 斉(ごとう ひとし、1955年10月3日 - )は、日本の言語学者、東北大学名誉教授。 専門はロマンス諸語で、日本ロマンス語学会会長なども務めた。エスペラントの運用者としても知られ、日本語による関連著作などを通して、日本おけるエスペラントの普及に貢献した。 1978年、東北大学文学部言語学専攻を卒業して大学院に進み、1980年に博士前期課程を修了して文学修士を取得、引き続き、博士後期課程に進んだが、1983年に単位取得退学して、東北大学文学部助手となった。 1987年に山形県立米沢女子短期大学講師となったが、1991年には、助教授として東北大学文学部に戻った。2000年に東北大学大学院文学研究科に配置換となり、2004年に教授に昇任した。
釉木 淑乃(ゆうき よしの、1955年10月3日 - 200… 釉木 淑乃(ゆうき よしの、1955年10月3日 - 2008年4月14日)は、日本の小説家。露文タイピスト。本名、長倉淑乃。埼玉県志木市生まれ。 青山学院中等部・高等部卒業。ミール・ロシア語研究所でロシア語を学ぶ。科学技術翻訳会社で露文タイピストとして働く傍ら、ツアーの添乗にも従事する。1991年、「予感」で第15回すばる文学賞を受賞し、小説家デビューを果たす。兄は、小説家の永倉万治。2008年4月14日、膵臓癌のため急逝する。
山口 壯(やまぐち つよし、1954年〈昭和29年〉10月3… 山口 壯(やまぐち つよし、1954年〈昭和29年〉10月3日 - )は、日本の政治家、外交官。自由民主党所属の衆議院議員(9期)。衆議院決算行政監視委員長。 環境大臣(第29代・第30代)、外務副大臣(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、内閣府副大臣(菅直人第2次改造内閣)、衆議院安全保障委員長、同北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、民主党政策調査会筆頭副会長、自由民主党筆頭副幹事長、同政務調査会副会長、同国際局長を歴任した。 兵庫県相生市生まれ。相生市立相生小学校、淳心学院中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。1979年、外務省に入省し、経済局国際機関第二課に配属される。
山口 壯(やまぐち つよし、1954年10月3日 - )は、… 山口 壯(やまぐち つよし、1954年10月3日 - )は、日本の政治家、外交官。自由民主党所属の衆議院議員(5期)。
山縣 文治(やまがた ふみはる、1954年10月3日 - )… 山縣 文治(やまがた ふみはる、1954年10月3日 - )は、日本の児童福祉学者、大阪総合保育大学特任教授。 広島県生まれ。1978年大阪市立大学生活科学部社会福祉学科卒、1982年同大学院生活科学研究科後期博士課程単位取得退学。大阪市立大学助手、1992年講師、1994年助教授、教授、2012年関西大学人間健康学部教授、2025年大阪総合保育大学特任教授。1999年「児童福祉法の改正と児童福祉施設 子ども家庭福祉サービス論の構築に向けて」で大阪市立大学より博士(学術)の学位を取得。2023年こども家庭庁こども家庭審議会委員。
田村 良明(たむら よしあき、1954年(昭和29年)10月… 田村 良明(たむら よしあき、1954年(昭和29年)10月3日 - )は、日本の硝子技術者。旭硝子(現・AGC)株式会社元代表取締役(2013年3月-2014年3月)。 2008年から2014年まで社長を務めた石村和彦は同年入社であり、同い年である。 入社以降、電子事業に長く携わる。 電子事業の技術部門、子会社社長、事業部門長を経験した後、代表取締役 兼 専務執行役員 技術担当役員に就任。 その後、ガラス事業部門長を務め、全社の事業運営を指揮した。
長義和(ちょう よしかず。1953年10月3日- )は、日本… 長義和(ちょう よしかず。1953年10月3日- )は、日本の元自転車競技選手。 後述の通り、モスクワオリンピックに関する悲劇の選手としてよく言及される。 大阪府出身。大阪府立城東工業高等学校を経て、法政大学に進んだ。1972年のミュンヘンオリンピックに出場した後、1976年に杉野鉄工所(現 スギノエンジニアリング)に入社。モントリオールオリンピック・スクラッチ(現スプリント)種目において、日本人選手としてオリンピック大会史上初めて自転車競技で6位入賞を果たした。 1977年に日本競輪学校第41期に合格するも、3年後に開催されるモスクワオリンピックへの夢が断ち切れず、競輪学校入学を辞退。当時競輪学校の受験資格年齢条件が24歳未満であったことから、このことはモスクワオリンピック後における競輪選手への道は閉ざされたことを意味した。
永射 保(ながい たもつ、1953年10月3日 - 2017… 永射 保(ながい たもつ、1953年10月3日 - 2017年6月24日)は、鹿児島県川辺郡大浦町(現:南さつま市)出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。元陸上自衛官。 指宿商高時代は、3年次の1971年に夏の県大会2回戦で鹿屋工高を相手にノーヒットノーランを記録するが、準々決勝で中学時代のチームメイトである定岡智秋のいた鹿児島実高に敗退した。なお永射も同校から声が掛かっていたが野球で進学することを避けた。在学中は珠算、簿記などの検定にも合格している。 1971年ドラフト3位で広島東洋カープに入団した。 プロ入り後は外木場義郎の投球を見てレベルの高さを痛感。 1973年5月には初先発の機会も与えられたが、広島では1勝も挙げられなかった。
岩城 哲哉(いわき てつや、1953年10月3日 - )は、… 岩城 哲哉(いわき てつや、1953年10月3日 - )は、日本の実業家。株式会社ユナイテッドアローズの元社長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松原 哲(まつばら あきら、1953年10月3日 - )は、… 松原 哲(まつばら あきら、1953年10月3日 - )は、日本の民事法学者。 早稲田大学法学部卒業後、同大学大学院法学研究科(民事法学専攻)博士課程修了。2004年4月、関東学院大学法科大学院教授。
今泉 文彦(いまいずみ ふみひこ、1952年〈昭和27年〉1… 今泉 文彦(いまいずみ ふみひこ、1952年〈昭和27年〉10月3日 - )は、日本の政治家。元茨城県石岡市長(2期)。 茨城県石岡市出身。石岡市立石岡小学校、石岡市立石岡中学校、茨城県立土浦第一高等学校卒業。早稲田大学中退。大学在学中はワセダミステリクラブに所属した。1976年(昭和51年)6月、石岡市役所に入庁。 2009年(平成21年)9月、同市役所を退職。同年10月25日に行われた石岡市長選挙に出馬。いずれも新人同士(4名)の戦いであったが次点で落選。市長には元市議の久保田健一郎が当選した。 2010年(平成22年)4月から茨城大学客員研究員を務める。 2013年(平成25年)10月27日に行われた市長選挙に再出馬。
栁川 欽也(やながわ きんや、1952年(昭和27年)10月… 栁川 欽也(やながわ きんや、1952年(昭和27年)10月3日 - )は、日本の技術者、実業家。日本製鉄顧問。元日鉄日新製鋼代表取締役社長最高経営責任者。元日本鉄鋼協会副会長。 茨城県出身。1978年東北大学大学院工学研究科修了、住友金属工業入社。2005年住友金属工業鹿島製鉄所副所長。2007年住友金属工業常務執行役員。2011年住友金属工業専務執行役員。2012年住友金属工業取締役専務執行役員に昇格。同年新日鐵住金(現日本製鉄)常務取締役。2014年新日鐵住金代表取締役副社長、日本鉄鋼協会副会長。2016年新日鐵住金取締役兼日新製鋼取締役副社長。2017年から日新製鋼代表取締役社長、CEO(最高経営責任者)を務め、新日鐵住金の完全子会社化にあたり、相乗効果創出などを進めた。
後藤 正幸(ごとう まさゆき、1951年(昭和26年)10月… 後藤 正幸(ごとう まさゆき、1951年(昭和26年)10月3日 - )は、日本中央競馬会第15代理事長。日本馬術連盟会長。東京都出身。 1975年に日本中央競馬会に入会した後、ニューヨーク駐在員事務所長、国際部国際企画課長、総合企画部長などを歴任し、2006年から理事、2011年からは常務理事を務めた。2014年8月29日に、農林水産大臣任命により、同年9月12日付で日本中央競馬会の第15代理事長に就任する人事が発令された。JRAとしては前任の土川健之に続き2人目の生え抜き理事長で、事務職出身者からの就任は初めてとなる。 この項目は、競馬に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 競馬 / ウィキプロジェクト 競馬)。
杉山 由美子(すぎやま ゆみこ、1951年10月3日 - 2… 杉山 由美子(すぎやま ゆみこ、1951年10月3日 - 2021年11月5日)は、日本の評論家。 静岡県生まれ。早稲田大学文学部卒。『マダム』『日経ウーマン』編集部所属後、フリーランスライターとなり、教育、女性などをテーマに取材、執筆。
石塚 忠(いしづか ただし、1951年10月3日 - )は日… 石塚 忠(いしづか ただし、1951年10月3日 - )は日本の技術者、実業家。元日揮株式会社代表取締役社長。 宮城県仙台市出身。1972年宮城工業高等専門学校(現仙台高等専門学校名取キャンパス)機械工学科卒業、日揮入社。プロジェクトマネージャーの森本省治(のちに代表取締役社長)を師と仰ぎ、東南アジアや中東の建設工事の指揮などで活躍した。2008年常務取締役に昇格。2010年専務取締役。2011年から取締役副社長を務め、2013年のアルジェリア人質事件では責任者として部下の遺体の引き取りをし、セキュリティ体制の整備にあたった。2015年家庭の事情で退任。2017年に上席副社長として日揮に復帰。同年代表取締役社長COO(Chief Operating Officer)に昇格し、リスク管理強化を進め、2018年には黒字転換を実現した。
遠藤 純男(えんどう すみお、1950年10月3日 - )は… 遠藤 純男(えんどう すみお、1950年10月3日 - )は、日本の柔道家(講道館9段)。 現役時代は警察官として警視庁に奉職し、世界選手権大会で2度の金メダルやモントリオール五輪で銅メダルを獲得したほか、上村春樹や山下泰裕らと日本柔道界の重量級で永らく鎬を削り、全日本選手権大会でも優勝を果たしている。引退後は秋田経済大学(後のノースアジア大学)柔道部監督、同教養部教授や学生部長等を歴任した。 福島県安積郡富久山町(後の郡山市富久山町)出身。農家の家に五男として生まれた。町立小泉小学校5年生の時に怪我をして接骨院に通ったのがきっかけとなり、柔道を習い始める。町立行健中学校時代の県大会優勝や県立岩瀬農業高校時代のインターハイベスト16といった経験を経て柔道の世界で生きていく事を決心した遠藤は、1969年に日本大学文理学部に進学。
小林 国男(こばやし くにお、1950年10月3日 - )は… 小林 国男(こばやし くにお、1950年10月3日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
木口 昭二(きぐち しょうじ、1950年10月3日 - )は… 木口 昭二(きぐち しょうじ、1950年10月3日 - )は、日本の鋳造工学学者。近畿大学名誉教授。大阪府枚方市在住。 新潟県新潟市生まれ。1966年新潟市立白新中学校卒、1969年新潟県立新潟高等学校卒。1974年早稲田大学理工学部金属工学科卒。1979年早稲田大学大学院理工学研究科博士課程修了。1979年コマツ入社、生産技術研究所、鋳造事業部、1996年近畿大学理工学部金属工学科助教授、2002年機械工学科教授、全学共通教育機構副機構長、教養・外国語教育センター長、2017年名誉教授。 1979年「溶融金属の凝固開始前後における流動性の解析」で工学博士(早稲田大学)。 2014年-2018年(公社)日本鋳造工学会【1】会長、2019年(公社)日本鋳造工学会名誉会員、2008年- (一社)日本鋳造協会参与、2014年-2025年(一財)素形材センター理事、2025年- (一財)素形材センター評議員、2017年-2019年(公社)日本工学会監事、2019年(公社)日本工学会フェロー、2020年 (一社)日本技術者教育認定機構フェロー。
武田 広(たけだ ひろし、1949年10月3日 - )は、日… 武田 広(たけだ ひろし、1949年10月3日 - )は、日本の男性ナレーター、シニアスタッフ。元ラジオ局アナウンサー。大阪府出身。大沢悠里のゆうゆうワイド出演時に、武田信玄の直系であることを語る。 実家は寺で跡取りの長男として生まれるが、自分の将来に思い悩む。「古いしきたりや形式にとらわれない、自分を生かせる仕事がしたい」との思いが強くなり、「手に職をつければ家を出られる」と考え、アナウンサー専門学校に通う。 1972年、大谷大学を卒業。 同年、日本短波放送(現・日経ラジオ社)にアナウンサーとして入社。同期には大橋照子がいる。暇な時間に放送局内ライブラリーにあったCM素材等、ありとあらゆる音素材を聞いて過ごし、ナレーターという仕事を知る。
上野 泰夫(うえの やすお、1948年10月3日 - )は、… 上野 泰夫(うえの やすお、1948年10月3日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元秋田放送アナウンサー。 小学生時代からアナウンサー志望。秋田県立大曲高等学校、1971年、駒澤大学文学部社会学科卒業。同年4月秋田放送(ABS)アナウンサーとなる。テレビ「ズームイン!!朝!」(当時は県内では未放送の裏送り)、ラジオ「ヤスオとミナコのなまなま歌謡曲」をはじめ、数々のラジオ・テレビ番組を担当。「日本テレビ系列アナウンス賞」受賞。その後、ABS在職時より講演、研修会講師や結婚披露宴、祝賀会、パーティー、舞台などの司会をしている。 かつて「アフター・バス」(湯上がりの男)というニックネームを持っていたことがあり、1980年代には「アフターバスをはげます会」を発足させて活動していたことがあった。