斯波 弘行(しば ひろゆき、1941年3月7日 - )は、日… 斯波 弘行(しば ひろゆき、1941年3月7日 - )は、日本の物理学者。専門は固体物理学。東京工業大学名誉教授。東京大学名誉教授。第69期日本物理学会会長。理学博士。 1941年3月7日、神奈川県横浜市にて生まれた。東京大学理学部物理学科を卒業後、1968年に同大学院理学研究科物理学専攻の博士課程を修了した。大阪大学理学部の助手を経て、1973年に東京大学物性研究所の助教授に着任した。1984年に同研究所の教授に昇任し、1989年に東京工業大学理学部の教授に転任した。2001年に神戸大学理学部の教授となった。2013年3月31日より、第69期日本物理学会会長を務めた。
上條 恒彦(かみじょう つねひこ、1940年〈昭和15年〉3… 上條 恒彦(かみじょう つねひこ、1940年〈昭和15年〉3月7日 - 2025年〈令和7年〉7月22日)は、日本の歌手、俳優、声優。長野県東筑摩郡朝日村出身。生前はケイセブン中村屋に所属していた。ひげと眼鏡の風貌で親しまれた。 長野県東筑摩郡朝日村の農家の出身。朝日村立朝日中学校(現:松本市山形村朝日村中学校組合立鉢盛中学校)を経て、長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業後、1958年4月に上京。 大森の雑貨品問屋の住み込み店員を手始めに、新聞配達、サンドイッチマン、新宿のうたごえ喫茶「灯」で週6日、1日に50曲以上を歌ってバリトンの歌声を鍛えるなど、約15種類の職業を経験する。1964年3月、初めて労音で勤務し、のちに歌手としてデビューするきっかけとなる。
佐藤 勝彦(さとう かつひこ、1940年3月7日 - 201… 佐藤 勝彦(さとう かつひこ、1940年3月7日 - 2017年3月13日)は、日本の画家・書家・陶芸家。 旧関東州大連生まれ。奈良県在住していた。 画壇に属さない画家として、独特の仏教観に根ざした豪放な書画を描き続けている。富士山と仏像を好むほか、朱色を多用し紙に余白を残さない点が特徴。作品を手がけるだけでなく、陶磁器や骨董品の蒐集家としても知られている。 7歳で生家の岡山県賀陽町(現・吉備中央町)に引き揚げたのち岡山県立高梁高等学校を経て、1958年、鳥取大学学芸学部入学。1960年、重度の結核で入院するが快癒。以来プラス思考に転じる。 1963年、帝塚山学園小学部で教師となるも、1968年、中川一政の作品展に影響を受け創作活動を開始。
葉 祥栄(よう しょうえい、1940年3月7日 - )は、日… 葉 祥栄(よう しょうえい、1940年3月7日 - )は、日本の建築家。熊本県熊本市出身。本名、葉村祥栄。絵本作家の葉祥明、写真家の葉山祥鼎は実弟。イラストレーターの葉山賢英は甥。
桐谷 滋(きりたに しげる、1940年3月7日 - )は、日… 桐谷 滋(きりたに しげる、1940年3月7日 - )は、日本の言語学者。専門は心理言語学・音声言語科学。
小林 秀資(こばやし ひですけ、1940年3月7日 - 20… 小林 秀資(こばやし ひですけ、1940年3月7日 - 2020年1月9日)は、元厚生省の官僚。元財団法人長寿科学振興財団理事長。名古屋大学医学部卒業。愛知県名古屋市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
上村 一夫(かみむら かずお、1940年〈昭和15年〉3月7… 上村 一夫(かみむら かずお、1940年〈昭和15年〉3月7日 - 1986年〈昭和61年〉1月11日)は、日本の漫画家・イラストレーター・エッセイスト。 大正の浮世絵師と呼ばれた竹久夢二を連想させる女性像と独特の劇画タッチの画風を確立し、その作風から「昭和の絵師」とも呼ばれた。『ヤングコミック』、『週刊プレイボーイ』、『漫画アクション』、『ビッグコミック』等の雑誌を舞台に多くの連載を手がけ、最盛期には月産400枚という驚異的な執筆量をこなした。『修羅雪姫』、『同棲時代』、『しなの川』、『悪魔のようなあいつ』、『サチコの幸』など、映像化された作品も多い。 神奈川県横須賀市に生まれる。1964年、武蔵野美術大学デザイン科を卒業。
三宅 忠明(みやけ ただあき、1939年3月7日 - )は、… 三宅 忠明(みやけ ただあき、1939年3月7日 - )は、日本の英文学者、岡山県立大学名誉教授。 岡山県長船町出身。1962年岡山大学法文学部卒、岡山県立成羽高等学校(現岡山県立高梁城南高等学校)、岡山県立金川高等学校、岡山県立岡山操山高等学校教諭、1974年岡山就実短期大学講師、1975年助教授、1979年就実女子大学助教授、1983年教授、1990年京都女子大学教授、1993年岡山県立大学教授、1999 - 2001年同附属図書館長、2004年定年退官、名誉教授、岡山商科大学教授、2007年退職。 スコットランド、アイルランドの民話のほか、比較民話研究、デアドラ伝説の翻訳などを行う。
好川 純一(よしかわ じゅんいち、1939年3月7日 - )… 好川 純一(よしかわ じゅんいち、1939年3月7日 - )は、日本の自動車技術者・実業家。トヨタ自動車取締役や、豊田紡織代表取締役社長、トヨタ紡織代表取締役会長、岡山大学経済学部特任教授等を歴任した。 岡山県久米郡美咲町出身。1961年徳島大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業入社。大野耐一に師事しトヨタ生産方式の整備にあたり、楠兼敬の下でトヨタ自動車生産調査室主査(部長)として、生産調査室の活動の確立を進めたのち、1988年トヨタ自動車取締役に昇格。トヨタ自動車高岡工場長、上郷工場長を経て、1994年豊田紡織取締役副社長。 1996年から豊田紡織代表取締役社長を務め、2004年にはアラコ、タカニチとの合併契約を締結し、トヨタ紡織への商号変更を行った。
高市 順一郎(たかち じゅんいちろう、1939年3月7日 -… 高市 順一郎(たかち じゅんいちろう、1939年3月7日 - )は、詩人、英米文学者、桜美林大学名誉教授。 徳島県生まれ。本名・岡順寛(よしひろ)。1964年広島大学大学院英文科修士課程修了、弘前大学教養部助教授。79‐80年ケンブリッジ大学客員研究員、92‐93年米国イェール大学大学院客員研究員。桜美林大学教授。2000年「ド・マン/ブルーム/デリダ 文学理論と究極の決定」で筑波大学文学博士。桜美林大を2009年定年退任、名誉教授。小山順一郎、ジョシュア・タカチの筆名を用いる。
伊藤 憲一(いとう けんいち、1938年3月7日 - 202… 伊藤 憲一(いとう けんいち、1938年3月7日 - 2022年3月14日)は、日本の国際政治学者。専門は国際政治学、戦略論。公益財団法人日本国際フォーラム代表理事・会長。日本会議代表委員、NPO法人世界開発協力機構副総裁、青山学院大学名誉教授、カンボジア大学名誉博士。 東京都出身。1960年に一橋大学法学部を卒業し外務省に入省。ハーバード大学留学等のあと、在モスクワ、マニラ、ワシントンの日本大使館書記官、南東アジア一課長などを歴任し、1977年に外務省を退官した。 外務省退官後は新自由クラブの一員となる一方、1980年から2006年まで青山学院大学に助教授・教授として在籍するかたわら、1980年から1987年までジョージタウン大学戦略国際問題研究所(CSIS) 東京代表を務めた。
立石 憲利(たていし のりとし、1938年〈昭和13年〉3月… 立石 憲利(たていし のりとし、1938年〈昭和13年〉3月7日 ‐ )は、日本の民俗学者、岡山県の民話研究家。岡山民俗学会名誉理事長、日本民話の会運営委員、岡山県語りのネットワーク会長。 岡山県久米郡津山市出身。2004年久留島武彦文化賞、2007年岡山県文化賞、山陽新聞賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
伊藤 修令(、1937年3月7日 - )は、日本の技術者。広… 伊藤 修令(、1937年3月7日 - )は、日本の技術者。広島県竹原市出身。 1959年、広島大学工学部機械工学科卒業。同年4月、プリンス自動車の前身の富士精密工業に入社。 主にスカイライン(ALSID II型 - S50型系)のシャーシ設計を担当。日産自動車との合併後も、スカイライン、ローレル、レパード(F30型、F31型)の開発に参画。1982年1月からはプレーリー(主管)、マーチK10型(主管)などの開発を担当。 1984年には、初代からスカイラインの開発に携わり、2代目から同車の開発主管を一貫して務めていた桜井眞一郎が病に倒れて入院したことにより、旧・プリンス時代からの桜井の後輩で一番弟子であり、共に車両開発に携わっていた伊藤が、急遽、他車種の開発主管から異動してスカイラインの開発主管を引き継ぐことになった。
岸本 重陳(きしもと しげのぶ、1937年3月7日 - 19… 岸本 重陳(きしもと しげのぶ、1937年3月7日 - 1999年9月18日)は、日本の経済学者。元横浜国立大学教授。専門は経済学。兵庫県豊岡市出身。日本人の80パーセントが中流意識を持っているという報道がなされた際、これを批判する『中流の幻想』を刊行して話題になった。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
三宅 孝太郎(みやけ こうたろう、1937年3月7日 - )… 三宅 孝太郎(みやけ こうたろう、1937年3月7日 - )は、日本の作家。 大阪府堺市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1984年『夕映え河岸』でオール讀物新人賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
種村 直樹(たねむら なおき、1936年3月7日 - 201… 種村 直樹(たねむら なおき、1936年3月7日 - 2014年11月6日)は、日本の作家、随筆家、評論家。滋賀県大津市出身。 もとは毎日新聞社の記者だったが、1973年に鉄道に関連する記事執筆を専業とするフリーのライターとなり、レイルウェイ・ライターと称して鉄道に関するルポルタージュ、時事評論、紀行文、推理小説などを数多く発表した。 滋賀県立大津東高等学校(現在の滋賀県立膳所高等学校)、京都大学法学部卒業。 毎日新聞社の国鉄担当記者であった1972年に、その豊富な鉄道知識と新聞記者としての取材、執筆能力から、当時の『鉄道ジャーナル』編集長の竹島紀元に抜擢され、「列車追跡」など同誌のメインとなる特集記事を執筆するようになったほか、連載コラムも持つようになる。
有馬 実成(ありま じつじょう、1936年3月7日 - 20… 有馬 実成(ありま じつじょう、1936年3月7日 - 2000年9月18日)は、日本の曹洞宗僧侶。曹洞宗東南アジア難民救済会議JSRCに始まる社団法人シャンティ国際ボランティア会SVAの創設者として専務理事をつとめた。国際協力NGOセンターJANIC副理事長および理事長や、東京災害ボランティアネットワーク副代表等の役員を歴任し、NGO間調整にあたる「NGOの有馬」と呼ばれた。NHK記者・キャスターの有馬嘉男は長男。 1936年3月7日、山口県徳山市(現 周南市)の原江寺に生まれる。1954年多々良学園高等学校(現、高川学園高等学校・中学校)卒業、駒澤大学仏教学部進学。1958年駒澤大学卒業、原江寺住職となる。
江坂 元穂(えさか もとお、1935年3月7日 - )は、… 江坂 元穂(えさか もとお、1935年3月7日 - )は、日本の経営者。大和証券社長を務めた。 東京都出身。1959年に東京大学農学部を卒業し、同年に。1984年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1992年4月に社長に就任。1997年に総会屋への利益供与事件により、責任を取る形で辞任し、顧問に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
下宮 忠雄(しもみや ただお、1935年3月7日 - )は、… 下宮 忠雄(しもみや ただお、1935年3月7日 - )は、日本の言語学者。ゲルマン語学・比較言語学分野を専門とし、学習院大学名誉教授。 東京都出身。1961年早稲田大学第二文学部卒業(英語文学)、1964年東京教育大学修士号(ゲルマン語学・比較言語学)取得。ボン大学、サラマンカ大学に留学。弘前大学講師、助教授、学習院大学助教授、教授を歴任し、現在、同名誉教授。
大平 礼三(おおひら れいぞう、1935年3月7日 - 20… 大平 礼三(おおひら れいぞう、1935年3月7日 - 2024年6月6日)は、日本のバスケットボール選手である。 福島県いわき市に生まれる。福島県立磐城高校卒業。明治大学出身。1956年メルボルンオリンピックに出場した。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
佐藤 俊夫(さとう としお、1934年〈昭和9年〉3月7日 … 佐藤 俊夫(さとう としお、1934年〈昭和9年〉3月7日 - 2019年〈令和元年〉5月18日)は、日本の会計学者、経済学者。元国士舘大学学長。会計学専攻。 群馬県前橋市出身。1957年3月、中央大学商学部卒業。1959年3月、青山学院大学大学院修了。 1964年4月より国士舘大学政経学部専任講師となり、1966年から助教授を経て、1973年より教授。1985年8月、政経学部長に就任。1991年12月より国士舘大学の学長に就任。国士舘短期大学学長を経て学校法人国士舘顧問を務めた。 2019年5月18日、心不全のため東京都内の自宅で死去。85歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
貞木 展生(さだき のぶお、1934年3月7日 - 2025… 貞木 展生(さだき のぶお、1934年3月7日 - 2025年6月12日)は、日本の経済学者、山口大学名誉教授。 山口県出身。山口大学経済学部卒。神戸大学大学院博士課程満期退学。1998年「所得循環と資金循環」で広島大学より経済学博士の学位を取得。山口大学経済学部助教授、教授、1997年定年退官、名誉教授、徳山大学経済学部教授。2004年退職。 2012年11月瑞宝中綬章受章。 2025年6月12日、山口市内で死去。91歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
正木 久司(まさき ひさし、1934年3月7日 - 1995… 正木 久司(まさき ひさし、1934年3月7日 - 1995年6月17日)は、日本の経営学者。 兵庫県高砂市出身。1967年同志社大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、1983年「日本の株式会社金融」で立教大学経済学博士。同志社大学商学部助教授、1975年教授となる。1995年6月17日、肝不全のため61歳で死去。
宗方 俊遃(むねかた としゆき、1933年3月7日- )は、… 宗方 俊遃(むねかた としゆき、1933年3月7日- )は、日本の教育者。元都立高等学校生物学の教員、教頭、学校長を歴任。
齋藤 英美(さいとう ひでみ、1933年(昭和8年)3月7日… 齋藤 英美(さいとう ひでみ、1933年(昭和8年)3月7日 - 2008年(平成20年))は、日本の電子オルガン奏者。エレクトーン奏者、作曲家。徳島文理大学名誉教授。上海音楽学院特別顧問教授。 同志社大学卒業。京都市立芸術大学音楽学部卒業。京都府京都市出身。 京都府京都市出身。同志社大学を卒業後、京都市立芸術大学音楽学部音楽学科作曲専攻に進学し卒業。 1957年(昭和32年)にプロデビューする。世界44ヵ国での演奏活動、伝統芸能・民族楽器との共演など、日本の電子オルガン奏者の第一人者として国内外で活動していた。徳島文理大学音楽学部で教授を務めたほか、中国・北京の上海音楽学院で特別顧問教授も務めた。
岩崎 春雄(いわさき はるお、1933年3月7日 - )は、… 岩崎 春雄(いわさき はるお、1933年3月7日 - )は、日本の中世英文学者、慶應義塾大学名誉教授。 東京出身。東京大学文学部言語学科卒、慶應義塾大学大学院博士課程満期退学、同文学部助教授、教授、97年定年、名誉教授、杏林大学外国語学部教授。
伊東 弘敦(いとう ひろあつ、1933年3月7日 - )は、… 伊東 弘敦(いとう ひろあつ、1933年3月7日 - )は、日本の実業家で、四国旅客鉄道(JR四国)の初代代表取締役社長である。四国旅客鉄道株式会社(JR四国)の元相談役、元会長、元社長。東京都出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
坂元 昂(さかもと たかし、1933年3月7日 - 2012… 坂元 昂(さかもと たかし、1933年3月7日 - 2012年3月22日)は、日本の教育工学者。東京工業大学・大学入試センター名誉教授。 兵庫県生まれ。東京大学文学部心理学科卒、同大学院修了。1967年「概念学習における言語命名の効果」で文学博士。東京都立教育センター、東京工業大学助教授、1973年教授、1992年定年退官、名誉教授、大学入試センター副所長、96年同名誉教授、放送教育開発センター所長。1997年メディア教育開発センター所長。2004年日本教育工学振興会会長。2007年東京未来大学学長。総合研究大学院大学文化科学研究科メディア社会文化専攻教授、日本学術会議会員。日本教育工学学協会会長。
上野山 功一(うえのやま こういち、1933年3月7日 - … 上野山 功一(うえのやま こういち、1933年3月7日 - 2023年1月22日)は、日本の俳優。本名は、上野山 貢之介(こうのすけ)。 東京市中野区沼袋出身。日本大学藝術学部映画学科中退。グループ71、オールスタッフ、小市事務所を経て、ダテ企画所属。 父は日本画壇の鬼才と呼ばれた洋画家の上野山清貢。戦時中は福島県三春町に疎開する。 劇団手織座を経て、1958年に日活入社。その時に鈴木清順監督から「君はワルに向いている」と言われたことがきっかけで悪役俳優の道へ進む。1959年に映画『昼下がりの暴力』で正式デビュー。『刑事物語 知り過ぎた奴は殺す』『刑事物語 犯行七分前』(ともに1960年)の犯人として準主役を演じ、1965年に日活を離れるまで『流れ者』シリーズなどの日活暗黒街の常連悪役として定着。
村﨑 義正(むらさき よしまさ、1933年3月7日 - 19… 村﨑 義正(むらさき よしまさ、1933年3月7日 - 1990年2月23日)は、日本の猿まわし師、政治家。 山口県光市出身。「周防猿まわしの会」初代会長。元山口県光市議会議員(3期)。 地区で一番富裕な家に生まれる。家長である祖父・村﨑梅二郎は、土建業・猿回しの親方などを営んでおり、義正は梅次郎の一人息子・勝正の次男であったが、小学校入学時に兄とともに祖父にひきとられ、厳格に育てられる。毎日仕事を課され遊ぶ暇もない毎日であったが、その中で創意工夫をこらして遊ぶ時間を生み出すなど試練を跳ね返すバイタリティと才覚を身につけていく。だが、1948年に祖父が死去し、村﨑家は没落。兄は家出し、17歳の義正は妹一人と弟五人をかかえて、さまざまな非合法行為まで行い一家を支える。
河内 桃子(、1932年〈昭和7年〉3月7日 - 1998年… 河内 桃子(、1932年〈昭和7年〉3月7日 - 1998年〈平成10年〉11月5日)は、日本の女優。本名は久松 桃子、旧姓大河内。血液型はO型。俳優座所属。 東京府東京市下谷区谷中出身。日本女子大学附属高等学校卒業。 昭和20年代にデビューした女優としては久我美子と並ぶ名家出身で、祖父は理研グループ総帥で子爵であった大河内正敏、父は正敏の次男で画家であった大河内信敬。夫は今治松平家末裔でテレビプロデューサーの久松定隆。 高校卒業後、OLをしていたが[要出典]、1953年に東宝ニューフェイスの6期生として東宝に入社。同期には宝田明、佐原健二、藤木悠、岡田眞澄がいる。入社した年の『女心はひと筋に』で映画初出演を果たす。
柳田 邦夫(やなぎだ くにお、1932年3月7日 - 198… 柳田 邦夫(やなぎだ くにお、1932年3月7日 - 1988年3月1日)は、日本の編集者・ジャーナリスト。筆名に小川晴夏(春香)、小原壮八。日本ジャーナリストクラブ会員。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)、ラ・サール高等学校卒業。1959年、学習院大学政経学部政治学科卒業。大学時代には囲碁部に所属し、のちに囲碁アマ四段、将棋アマ二段となる。 中央公論社に入社。「中央公論」「週刊公論」「暮しの設計」「経営問題」「小説中央公論」の雑誌編集に携わったあと、1962年「思想の科学」天皇制特集号事件で労組委員長として闘争し。1972年に退職。のちフリーのジャーナリスト、編集者として活躍した。
戸田 壽一(とだ じゅいち、1932年3月7日 - 2014… 戸田 壽一(とだ じゅいち、1932年3月7日 - 2014年1月30日)は、日本の実業家。カナダのブリティシュコロンビア州出身。 1955年に学習院大学政経学部を卒業。 イギリスの航空会社での勤務等を経て、1962年に飯田亮とともに日本警備保障(のちのセコム)を設立し、常務、専務を経て、1976年2月に副会長に就任し、1998年6月から取締役最高顧問を務めた。 2014年1月30日心不全のために死去。81歳没。
大浦 政弘(おおうら まさひろ、1932年3月7日 - 19… 大浦 政弘(おおうら まさひろ、1932年3月7日 - 1996年4月25日)は、日本の経営者、理学博士。堀場製作所社長を務めた。宮崎県出身。 1953年に京都大学理学部を経て、1955年に京都大学大学院理学研究科修士課程を修了し、同年に堀場製作所に入社。 1968年1月に取締役に就任し、1974年5月に常務を経て、1978年1月には社長に就任。1992年1月に副会長に就任。日本環境技術協会会長を務めた。 1987年4月に藍綬褒章を受章。 1996年4月25日胃癌のために死去。64歳没。
山田 慶児(山田 慶兒、やまだ けいじ、1932年3月7日 … 山田 慶児(山田 慶兒、やまだ けいじ、1932年3月7日 - )は、日本の科学史家。専門は東アジア科学史。京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。 1932年、福岡県で生まれた。京都大学理学部宇宙物理学科で学び、1955年に卒業。京都大学大学院文学研究科に進学し、西洋史学を専攻。1959年に修士課程を修了した。 同1959年10月、京都大学人文科学研究所助手に採用された。1966年4月、同志社大学工学部助教授に就いた。1970年5月、京都大学人文科学研究所助教授に就任。1978年4月に同研究所教授昇格。1989年3月に京都大学を退官し、4月より国際日本文化研究センター教授となった。
大橋昭一(おおはし しょういち、1932年〈昭和7年〉3月7… 大橋昭一(おおはし しょういち、1932年〈昭和7年〉3月7日- )は、日本の経営・観光学者。関西大学名誉教授・大阪観光大学名誉教授・和歌山大学名誉教授。 愛知県生まれ。1955年和歌山大学経済学部卒、1960年神戸大学大学院経営学研究科博士課程満期退学、67年「ドイツ経営共同体論史研究 ドイツ規範的経営学研究序説」で経営学博士の学位を取得。1957年関西大学商学部助手、60年専任講師、63年助教授、70年教授、2000年名誉教授、大阪明浄大学観光学部教授・副学長・学部長。大阪観光大学名誉教授、2008年和歌山大学観光学部長、同名誉教授。観光学術協会初代会長。2011年4月瑞宝中綬章受章。
登石 雋一(といし しゅんいち、1932年3月7日 - 20… 登石 雋一(といし しゅんいち、1932年3月7日 - 2012年9月11日)は、日本の映画プロデューサー、映画会社経営者である。東映東京撮影所で進行主任、企画者を務めた後、東映人事部長、次いで取締役企画製作部長・経営企画室長、東映動画(現在の東映アニメーション)代表取締役社長、東映化学工業(現在の東映ラボ・テック)代表取締役社長を歴任した。本業の傍ら、劇映画や演劇への俳優としての出演作もあり、十石 峻(といし しゅん)の別名ももつ。 1932年(昭和7年)、東京府(現在の東京都)に生まれる。 第二次世界大戦後、1951年(昭和26年)4月、東京大学法学部に進学、在学中は「東大演劇研究会」に参加して演劇活動に取り組み、同期には梶谷典子、成島庸夫、田村孟、三善晃、渡辺守章らがいた。
山下 一海(やました かずみ、男性、1932年3月7日 - … 山下 一海(やました かずみ、男性、1932年3月7日 - 2010年2月15日)は、日本の俳文学者。鶴見大学名誉教授。 福岡県福岡市生まれ。幼時から両親の影響で俳句に親しみ、小学校上級から中学にかけて句作に熱中した。やがて句作からは離れたが、早稲田大学文学部国文学科卒、大学院で近世文学を専攻。 成城大学短期大学部助教授、鶴見大学文学部国文科教授を務めた。著書は多く、松尾芭蕉、与謝蕪村など近世俳人についての研究、評論が多い。 2010年2月15日、逝去。77歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
池田 厚子(いけだ あつこ、1931年〈昭和6年〉3月7日 … 池田 厚子(いけだ あつこ、1931年〈昭和6年〉3月7日 - )は、日本の元皇族、神社本庁総裁。勲等は勲一等。皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、厚子内親王(あつこないしんのう)、諱は厚子(あつこ)、御称号は順宮(よりのみや)、お印は菊桜であった。伊勢神宮祭主(1988年 - 2017年)。旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻。昭和天皇と香淳皇后の第4皇女子。東久邇成子、久宮祐子内親王、鷹司和子の妹。第125代天皇・明仁(上皇)、常陸宮正仁親王、島津貴子の姉。東久邇信彦、高木文子、壬生基博、東久邇真彦、東優子の叔母。第126代天皇・徳仁(今上天皇)、秋篠宮文仁親王、黒田清子、島津禎久の伯母。
上横手 雅敬(うわよこて まさたか、1931年〈昭和6年〉3… 上横手 雅敬(うわよこて まさたか、1931年〈昭和6年〉3月7日 - )は、日本の歴史学者。専門は、日本中世政治史・日本中世社会史。学位は、文学博士。京都大学名誉教授。和歌山県出身。 若き日に中世史において画期的で洞察に満ちた見解を数多く示した。 後鳥羽は当初武家の臣従を前提とする公武融和路線を取り、建保6年(1218年)の政子上洛時に、幕府と後鳥羽との間に後鳥羽の皇子を実朝の養子として東下させ、後継将軍とする密約が成立していたと説いた(「北条泰時」1958年、「承久の乱」1962年)。 また、承久の乱に際し、大江広元以外の武士たちが唱えた迎撃によれば鎌倉方は敗れていたであろうとし、広元の功績を特筆した。
久水 宏之(ひさみず ひろゆき、1931年3月7日 - )は… 久水 宏之(ひさみず ひろゆき、1931年3月7日 - )は、日本の経済評論家。
沖井 千代子(おきい ちよこ、1931年3月7日 - 202… 沖井 千代子(おきい ちよこ、1931年3月7日 - 2021年11月15日)は、日本の児童文学作家。 愛媛県生まれ。広島県、山口県岩国市で育つ。広島県立広島女子専門学校(現県立広島大学)卒業。 2002年「空ゆく舟」で第42回日本児童文学者協会賞、第32回赤い鳥文学賞受賞。 童話サークル『びわの実ノート』同人。放送分野ではNHK「お話でてこい」に「風の子フウタくん」の脚本を書いた。 2021年11月15日、心不全のため死去。
中村 登流(なかむら のぼる、1931年3月7日 - 200… 中村 登流(なかむら のぼる、1931年3月7日 - 2007年11月19日)は、日本の鳥類学者、上越教育大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、1953年に信州大学教育学部を卒業。長野県内で中学校教員として勤務したのち、1963年に信州大学医学部助手。その後、教育学部助教授として教育学部附属志賀自然教育研究施設に勤務。1971年、「エナガの個体群の行動圏構造」で京都大学より理学博士の学位を取得。1968年、日本野鳥学会賞受賞。1982年、信州大学退官、1983年、上越教育大学教授、上越教育大学附属中学校校長など。1996年、定年退官、名誉教授、山階芳麿賞受賞。日本野鳥の会、日本野鳥学会、日本生態学会会員。
斉藤 実(さいとう みのる、1931年3月7日 - 1999… 斉藤 実(さいとう みのる、1931年3月7日 - 1999年11月22日)は日本の記録映画監督・探検家。1975年(昭和50年)に実施されたヘノカッパⅡ世号での漂流実験が有名。 1931年千葉県に生まれ、中央大学経済部卒業。記録映画の監督となり、自らマグロ漁船に乗り込み、撮影を続けた。 1965年(昭和40年)9月、TV局の依頼を受け、近海マグロ船の取材中に台風26号に遭遇し、乗船は無事だったが、同日に別の漁船が遭難、十数時間後に救助されていたにもかかわらず二人が死亡したこと、また翌10月にマリアナ群島沖で、静岡のカツオ船団が台風に巻き込まれ多くの遭難者を出したこと(マリアナ海域漁船集団遭難事件)に衝撃を受ける。
井上 洋介(いのうえ ようすけ、1931年(昭和6年)3月7… 井上 洋介(いのうえ ようすけ、1931年(昭和6年)3月7日 - 2016年(平成28年)2月3日)は、日本の絵画・版画美術家、日本の絵本作家、イラストレーター。本名 井上洋之助(いのうえ ようのすけ)。 東京都港区赤坂出身。武蔵野美術学校西洋画科卒。1960年「こどものとも」(福音館書店)で初の絵本「おだんごぱん」刊行。以後、多数創作絵本出版。 1965年第11回文藝春秋漫画賞、第4回東京イラストレーターズ・クラブ賞受賞。『ぶんぶくちゃがま』他で小学館絵画賞、『でんしゃえほん』で日本絵本賞大賞、『月夜のじどうしゃ』で講談社出版文化賞、『ぼうし』でJBBY賞を受賞。 ※ 公開展示・個展は1960年代より毎年2~3回開催。
萩元 晴彦(はぎもと はるひこ、1930年(昭和5年)3月7… 萩元 晴彦(はぎもと はるひこ、1930年(昭和5年)3月7日 - 2001年(平成13年)9月4日)は、日本のテレビ制作者、音楽プロデューサー、実業家。テレビマンユニオン初代社長。 長野県飯田市出身。父・萩元隼人は、労働運動家で日本社会党→左派社会党公認で長野4区から総選挙に出馬したが、1953年の総選挙公示直前に急死した。このため身代わりとして母・萩元たけ子が立候補。トップ当選を果たし、衆議院議員を1期務めた。 1937年に一家で上京し、自由学園に学ぶ。幼少のころは虚弱児童で、小学校は病気がちで欠席が多かった。しかし勉学の方は大変早熟であり、小学校1年生のときに6年生までの漢字はほとんど読めた。
金森 順次郎(かなもり じゅんじろう、1930年(昭和5年)… 金森 順次郎(かなもり じゅんじろう、1930年(昭和5年)3月7日 - 2012年(平成24年)11月13日)は、日本の物理学者、理学博士。大阪大学名誉教授。位階は従三位。 第13代大阪大学総長、財団法人国際高等研究所所長、財団法人国際高等研究所上級研究員、財団法人山田科学振興財団理事長を務めた。 大阪市出身。近畿日本鉄道(近鉄)の実質的な創業者の一族に生まれたが、順次郎は嫡流でなかったこともあり、学界へと進んだ。
菅野 武雄(かんの たけお、1930年3月7日 - )は、福… 菅野 武雄(かんの たけお、1930年3月7日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。 修猷館中学から1948年に明治大学に入学。主に守備固めとして活躍した。同期には樽井清一、加藤一昭などがいる。 明大OBである天知俊一の誘いで、木下育彦とともに1951年に名古屋ドラゴンズに入団。しかし児玉利一の壁を崩せず、1952年限りで退団。 その後は、東海電通でプレーした。
松原 秀一(まつばら ひでいち、1930年(昭和5年)3月7… 松原 秀一(まつばら ひでいち、1930年(昭和5年)3月7日 - 2014年(平成26年)6月5日)は、日本のフランス文学者。慶應義塾大学名誉教授。 1930年、外交官・言語学者の松原秀治の長男としてフランスのグルノーブルに生まれる。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾大学経済学部予科を経て、慶應義塾大学経済学部に進学。1952年に卒業。同大学大学院に進み、1954年に仏文学修士号を取得。 慶應義塾大学文学部教授をつとめた。1993年に慶應義塾大学を定年退職し、名誉教授となった。フランス国立ポワティエ大学名誉博士。高等実習学院(第四部)客員教授も勤めた。 学界では、国際アーサー王学会会員、国際七賢人協会会員、日仏会館常務理事を長く務めた。
山下 毅雄(やました たけお、1930年3月7日 - 200… 山下 毅雄(やました たけお、1930年3月7日 - 2005年11月21日)は、日本の作曲家、編曲家である。兵庫県神戸市出身。幼稚舎から一貫して慶應義塾で学び、慶應義塾大学経済学部を卒業。愛称はヤマタケ。 次男の山下透も作曲家で、父親のリスペクト・アルバムやリスペクト本に係わっている。 幼少期からフルートに親しみ、ジャズ、ハワイアンの手法を独学で学ぶ。大学在学中に作曲を始め、ラジオ放送で賞を獲得し、その才能を発揮する。同じころに影絵作家の藤城清治と出会い、NHK『学生の時間』の音楽を担当。後にビクターレコード専属となり、1960年(昭和35年)にLP『黒猫』、翌年に『黒い足音』を発表。 主としてラジオ、テレビドラマ、アニメ、CMの音楽を数多く作曲し、『七人の刑事』の主題歌で1962年(昭和37年)第4回日本レコード大賞新人作曲賞を受賞した。