金子 尚一(かねこ ひさかず、1900年〈明治33年〉12月… 金子 尚一(かねこ ひさかず、1900年〈明治33年〉12月12日 - 1997年〈平成9年〉)は、日本の英米文学者、教育者、立教大学名誉教授、立教大学文学部教授・予科教授・学生部長。立教大学オーケストラ部長を務めたほか、立教大学英語会(ESS)の支援も行うなど、学生らの活動にも深く携わった。 群馬県前橋市出身。1919年旧制前橋中学校卒。 1925年に立教大学文学部英文学科を卒業し、ただちに立教大学文学部助教授に就任。同年よりアメリカに留学してケニオン大学で文学修士(MA)を取得する。 1929年に立教大学予科教授に就任し、その後文学部教授も兼任し、予科では英作文と英訳を、文学部では英文学を講じた。
坂井 卓三(さかい たくぞう、1900年12月12日 - 1… 坂井 卓三(さかい たくぞう、1900年12月12日 - 1954年9月18日)は、日本の物理学者。専門は量子力学や高分子物理学、統計力学など多岐にわたる。 静岡県出身。東京帝国大学理学部物理学科を1924年に卒業。東京帝国大学工学部講師から1929年に同大学理学部助教授を経て、1939年に教授に就任した。1940年には大学在職のまま、小林理学研究所(リオンの前身)の研究員を兼務した。1939年に朝永振一郎が東京帝国大学から理学博士号を取得した際、仁科芳雄・落合麒一郎とともにその論文審査をおこなった。
大内 青圃(おおうち せいほ、1898年12月12日 - 1… 大内 青圃(おおうち せいほ、1898年12月12日 - 1981年2月21日)は、日本の仏師、彫刻家、日本芸術院会員。本名は正。兄は洋画家の大内青坡。 仏教学者大内青巒の子として東京府麻布区に生まれる。 1922年、東京美術学校彫刻科卒業。在学中は、高村光雲に木彫を学び、水谷鉄也に塑造を学んだ。1927年、日本美術院同人。1936年以降は、帝展や文展に出品し、戦後は日展や院展を中心に出品した。ただし、日展が社団法人になった後は出品していない。 1933年、世田谷区で薬の製造販売をしていた久保川貞節氏が、渋谷で有名だった秋田犬ハチ公に感銘を受け、故上野英三郎教授の内縁の妻八重子氏と、吉川忠一渋谷駅長の許可を得、ハチ公の木像制作を大内に依頼。
藤本 捨助(ふじもと すてすけ、1894年〈明治27年〉12… 藤本 捨助(ふじもと すてすけ、1894年〈明治27年〉12月12日 - 1963年〈昭和38年〉9月11日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員を5期つとめた。 1894年(明治27年)12月香川県大川郡引田町(現東かがわ市)生まれ。1917年(大正6年)香川師範学校卒業、1922年(大正11年)東京高等師範学校卒業、1928年(昭和3年)東北帝国大学法学部卒業後、高松高等商業学校教授。 1936年(昭和11年)に第19回衆議院議員総選挙に立候補するが落選。1937年(昭和12年)第20回衆議院議員総選挙で香川1区から初当選、1942年(昭和17年)に第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)で再選を果たす(翼賛政治体制協議会推薦)。
井野 碩哉(いの ひろや、1891年(明治24年)12月12… 井野 碩哉(いの ひろや、1891年(明治24年)12月12日 - 1980年(昭和55年)5月19日)は、日本の政治家、官僚。農林大臣(第20代)、拓務大臣、弾劾裁判所裁判長(第30代)、衆議院議員(1期)。戦後の公職追放解除後、参議院議員(3期)、法務大臣などを務めた。兄は満州国最高法院長の井野英一。
増山 正興(ましやま / ますやま まさおき、1891年〈明… 増山 正興(ましやま / ますやま まさおき、1891年〈明治24年〉12月12日 - 1939年〈昭和14年〉2月21日)は、明治から昭和期の宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・中川、旧名・興功。 男爵・中川興長の七男として生まれ、子爵・増山正治の養子となる。養父の隠居に伴い、1924年(大正13年)11月15日に子爵を襲爵した。 1919年(大正8年)7月、京都帝国大学法学部政治学科を卒業。 1901年(明治34年)侍従職出仕となる。以後、臨時帝室編修局書記、高松宮御用掛兼宮内省御用掛などを務めた。 1936年(昭和11年)1月18日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し死去するまで在任した。
槇 智雄(まき ともお、1891年(明治24年)12月12日… 槇 智雄(まき ともお、1891年(明治24年)12月12日 - 1968年(昭和43年)10月3日)は、日本の政治学者。専門は、イギリス憲法史・政治制度史。防衛大学校名誉教授。保安大学校長・初代防衛大学校長、白梅学園短期大学学長を歴任。登山家の槇有恒は実弟。 宮城県仙台市出身。父は新潟県士族・槇武。父の仙台赴任中に生まれた。 1965年叙勲二等授瑞宝章。1968年賜銀盃一個、叙従三位。
佐藤 幸吉(さとう こうきち、1891年(明治24年)12月… 佐藤 幸吉(さとう こうきち、1891年(明治24年)12月12日 - 1978年(昭和53年)4月3日)は、日本の実業家。佐藤製薬創業者。孫は藤田雄山(広島県知事)の妻。 静岡県・清左衛門の四男。1910年、東京薬学校卒業。1915年、 東京市本郷区千駄木町(現在の東京都文京区弥生町一丁目)で佐藤製薬所を創業。1920年、分家した。1930年、社長に就任する。 1978年4月3日、老衰のため東京都神田神保町の神保院で死去、86歳。 趣味は旅行。宗教は真言宗。住所は東京市品川区大井関ヶ原町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
江馬 修(えま しゅう、または えま なかし、1889年12… 江馬 修(えま しゅう、または えま なかし、1889年12月12日 - 1975年1月23日)は、日本の作家。本名の読みは「なかし」で、筆名は「しゅう」とすることが多かったが、一定しない。
大内 竹之助(おおうち たけのすけ、1888年12月12日 … 大内 竹之助(おおうち たけのすけ、1888年12月12日 - 1965年11月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 茨城県多賀郡、のちの高鈴村(助川町を経て現日立市)出身。1907年茨城県立水戸農学校(現・茨城県立水戸農業高等学校)卒。高鈴村議、助川町議、茨城県会議員、同農会議員、助川町長となる。 1937年の第20回衆議院議員総選挙において茨城2区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選。衆議院議員を1期務めた。1942年の第21回衆議院議員総選挙には立候補せずに引退。終戦後、公職追放となった。 このほか常陸セメント(株)常務取締役、同社長、茨城いすゞ自動車(株)取締役、茨城相互銀行(現・筑波銀行)取締役会長を務めた。
田島 義士(たじま よしお、1888年(明治21年)12月1… 田島 義士(たじま よしお、1888年(明治21年)12月12日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。 山口県出身。1914年(大正3年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。福岡県属、同警視、同理事官、千葉県理事官、静岡県事務官、埼玉県書記官・学務部長、新潟県書記官・学務部長、兵庫県書記官・学務部長、神奈川県書記官・学務部長、富山県書記官・内務部長、岐阜県書記官・総務部長を歴任。1936年(昭和11年)、鹿児島県書記官・総務部長となり、翌年に退官した。 1941年(昭和16年)から横浜市助役を務めた。
渡辺 修二(渡邊 修二、わたなべ しゅうじ、1888年(明治… 渡辺 修二(渡邊 修二、わたなべ しゅうじ、1888年(明治21年)12月12日 - 1977年(昭和52年)12月30日)は、大正から昭和期の検察官、政治家、華族。貴族院男爵議員。 本籍・愛知県。旧尾張藩家老・渡辺半蔵家13代当主、渡辺綱聡の二男として生まれた。1917年(大正6年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年、司法官試補に任官。以後、千葉地方裁判所兼区裁判所検事、東京地方裁判所兼区裁判所検事を務めた。 父の隠居に伴い、1922年(大正11年)1月30日、男爵を襲爵した。1925年(大正14年)7月10月、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで3期在任した。
小松 茂藤治(こまつ もとうじ、1888年12月12日 - … 小松 茂藤治(こまつ もとうじ、1888年12月12日 - 1981年3月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 福島県安達郡本宮町(現・本宮市)出身。生家は本宮町の大地主である。1910年(明治43年)に早稲田大学専門部法律科を卒業した。1914年(大正3年)には小松が建設の中心となり、本宮町に芝居小屋兼公民館の本宮座(後の本宮映画劇場)が建設された。 本宮町会議員、本宮町農会長、福島県会議員、福島県会議長、本宮町長などを経て、1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)では翼賛政治体制協議会の推薦を得て福島1区(当時)から立候補して当選した。戦後、推薦議員のため公職追放となった。
徳 三宝(とく さんぽう、1887年12月12日 - 194… 徳 三宝(とく さんぽう、1887年12月12日 - 1945年3月10日)は、日本の柔道家。講道館柔道九段。大日本武徳会柔道教士。 鹿児島県の徳之島(大島郡天城町兼久)出身。亀津小学校から鹿児島県立第二鹿児島中学校(現在の鹿児島県立甲南高等学校)へ進学。剣道・柔道に励み、全九州の中学柔道大会を制しその名を知られる。師事した七校の佐村嘉一郎三段(後の十段)の勧めで上京し、東京高等師範学校体育科へ入学後、1906年に講道館へ入門。 一日に100本超える程の猛稽古を積み上達すると、当時の講道館でも最強を誇り、稽古中に姿勢が崩れる事のない強さ故に野中の一本杉とあだ名され、また、“膝つき一本(徳に膝をつかせただけでも、通常の一本に値するという意)”という言葉が生まれた。
福田 泰三(ふくだ たいぞう、1886年(明治19年)12月… 福田 泰三(ふくだ たいぞう、1886年(明治19年)12月12日 - 1964年(昭和39年)10月26日)は、昭和時代の政治家。山口県下関市長。 福田重治郎の二男として、下関に生まれる。1906年(明治39年)東京中学を卒業。下関市議を22年、山口県議を12年、下関市長を3期12年歴任した。 市長在任中は、関門商品取引所の誘致、下関水族館や火の山ロープウェイなどの観光施設の建設、下関市立大学・第一高校・体育館などの教育施設の整備に尽力した。ほか、全国市長会副会長を歴任した。 1964年(昭和39年)10月26日、肝臓がんのため死去した。市葬が行われた。
宮川 宗徳(みやがわ むねのり、1886年12月12日 - … 宮川 宗徳(みやがわ むねのり、1886年12月12日 - 1963年1月18日)は、神社本庁事務総長(初代:1946年2月 - 1948年4月)。内務省、文部省、東京市の官吏。「みやがわ そうとく」とも。 熊本の社家の出身。阿蘇で生まれ、長男として厳しく育てられた。「お母さんはどうして、僕だけにこんなに辛く當るのだらう」と思ったこともあるという。中学を出、仕送りを受けながら東京で遊学。宮川は折口信夫、秋岡保治と國學院で同級生だった。 明治43年(1910年)に國學院大學国史科を卒業、明治44年に日本大学政経科を修了。明治44年以後内務省、文部省勤務を経て、大正9年に東京市に転じ、同市で教育主事兼視学、監査課長、文書課長、牛込区長(1924年-1925年)、小石川区長(1926年-1927年)、下谷区長(1929年-1933年)、保健局長を歴任。
除野 康雄(よの やすお、1885年(明治18年)12月12… 除野 康雄(よの やすお、1885年(明治18年)12月12日 - 1969年(昭和44年)10月9日)は、日本の内務・警察官僚。官選滋賀県知事。 熊本県飽託郡健軍村(現在の熊本市東区)出身。除野正稔の二男として生まれる。第五高等学校を卒業。 1911年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1912年、内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、北海道庁理事官、茨城県理事官、鹿児島県警察部長、鳥取県書記官・内務部長、秋田県書記官・内務部長、新潟県書記官・内務部長などを歴任。 1931年1月20日、滋賀県知事に就任。同年12月18日、知事を休職となる(政友会の犬養内閣成立に伴う更迭)。
西原 清顕(さいばら きよあき、1884年12月12日 - … 西原 清顕(さいばら きよあき、1884年12月12日 - 1972年10月18日)はアメリカで農場経営者となった人物。 1884年(明治17年)12月12日、高知県高知市新田淵(現在の桜井町)で元同志社社長で衆議院議員の西原清東の長男として生まれた。1902年(明治35年)東京築地立教中学卒業、第七高等学校に合格したが父親に呼ばれ渡米。父と一緒に米作りをする。戦前は東南テキサス日本人会長をしていたため開戦時拘束されたが、「米は武器、その専門家を捕まえて米を腐らせるのか」との名言を残し釈放される。1957年(昭和32年)母方のはとこの婚姻に合わせ一時帰国、日本からの移民に対する後援の功により勲五等瑞宝章を受ける。
辛島 知己(からしま ともき、1880年(明治13年)12月… 辛島 知己(からしま ともき、1880年(明治13年)12月12日 – 1967年(昭和42年)10月15日)は、日本の内務官僚。熊本市長。 熊本県熊本市に辛島格の長男として生まれる。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、高等文官試験に合格した。衆議院試補、同書記官を経て、岩手県理事官、山梨県警察部長、静岡県警察部長、静岡県内務部長を歴任した。 1925年(大正14年)に退官した後は、熊本市長に選出された。 1930年(昭和5年)より関東庁事務官となり、大連民政署長、専売局長事務取扱を務めた。 その後は帝国発明協会専務理事・研究所総務部長となり、1943年(昭和18年)には関東州住宅営団理事長に就任した。
土井 権大(どい ごんだい、1879年(明治12年)12月1… 土井 権大(どい ごんだい、1879年(明治12年)12月12日 - 1938年(昭和13年)2月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)。 兵庫県揖保郡石海村(現・太子町)に生まれる。明治法律学校に学び、1903年(明治36年)、早稲田大学英語政治科卒。北米移民事業に従事し、ブラジル移民事業を開始する。兵庫県議、石海産業組合長、播州素麺同業組合副組合長のほか、隆文館図書、中日化工各(株)常任監査役、雑誌「農政研究」主幹などを務める。早稲田出身ということから大隈重信の率いる憲政本党に所属し、当初は同じ揖保郡出身の肥塚龍を熱心に支持していたが、肥塚が立憲同志会に移籍すると土井は立憲国民党(憲政本党から改組)に残留し肥塚とたもとを分かつ。
柏木 ベン(かしわぎ ベン、1879年〈明治12年〉12月1… 柏木 ベン(かしわぎ ベン、1879年〈明治12年〉12月12日 - 1963年〈昭和36年〉8月14日)は、宗谷のアイヌ。アイヌ語宗谷方言の話者であり、当地のアイヌ文化の保持者であった。アイヌ名はHatankoyma、ハタンコイマッ、ハタンコイマ。 1879年12月12日、イキコマナイ 'Ikikomanay(現・稚内市大字宗谷村会所前)に生まれる。父・柏木弁太(ベンタ)(嘉永3年(1850年)6月-?)はオランナイ 'Oran Nay(現・稚内市大字宗谷村字第二清浜)の人、父方祖父・イクニンケ 'Ikuninkeは紋別の人、父方祖母はオランナイの人であった。また、父は首長であった。母・シマ(安政4年(1857年)6月-?)はその父母ともに石狩の人であり(シマはオランナイ出身との記述もある)、宗谷のことは何も知らなかったという。
本田 親清(ほんだ ちかきよ、1877年(明治10年)12月… 本田 親清(ほんだ ちかきよ、1877年(明治10年)12月12日 - 1922年(大正11年)5月18日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。 鹿児島県川辺郡勝目郷中山田村(川辺郡勝目村中山田、川辺町を経て現南九州市川辺町中山田)で、旧薩摩藩士・本田杏介の長男として生まれる。鉱山業、貿易商を営む。 大隈重信の支持を受け、田江泰造、山瀬幸人らの支援により、1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙に鳥取県郡部から無所属で出馬して当選し、その後公正会に所属し衆議院議員に1期在任した。いわゆる落下傘候補で、選挙期間中、地元にほとんど顔を見せることはなかった。1917年(大正6年)4月、第13回総選挙に鹿児島県郡部から立候補したが落選した。
禱 苗代(祷 苗代、いのり しげしろ、1876年(明治9年)… 禱 苗代(祷 苗代、いのり しげしろ、1876年(明治9年)12月12日 - 1927年(昭和2年)5月13日)は、明治から昭和初期の教育者・弁護士・政治家。衆議院議員(立憲政友会→政友本党)。 鹿児島県大島郡赤尾木村(龍郷村を経て現龍郷町)で、禱朝衡、みよ の長男として生まれた。沖縄師範学校を卒業し、1898年(明治31年)、沖縄県国頭小学校校長となり、1905年(明治38年)には東京市東陽小学校校長に就任した。その後、日本大学に入り、1909年(明治42年)に卒業した。同年、司法官試補となったが、翌年に退官し、東京で弁護士を開業した。 帰郷して1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙(鹿児島県第8区、立憲政友会公認)で当選。
高橋 貞三郎(たかはし ていざぶろう、 1871年12月12… 高橋 貞三郎(たかはし ていざぶろう、 1871年12月12日〈明治4年11月1日〉 - 1934年〈昭和9年〉2月26日)は、明治から昭和期の実業家。三井物産大阪支店長を務めたほか、富士製紙(現在の王子製紙)専務取締役、樺太鉄道取締役、東京金鋼、北海道電灯などの重役を歴任した。 岡山県後月郡高屋町(現在の井原市)出身。 東京へ出て、築地の立教学校(現在の立教大学)で学ぶ。24歳の時にアメリカに留学し、イェール大学を卒業した。イェールの記録では、1897年に立教に学び、1900年よりイェールの大学院で社会科学を専攻、1901年に修士号を取得した。 帰国後1902年に三井物産に入社し、1913年(大正2年)には同社大阪支店長に就任した。
山之内 一次(やまのうち かずじ、1866年12月12日〈慶… 山之内 一次(やまのうち かずじ、1866年12月12日〈慶応2年11月6日〉- 1932年〈昭和7年〉12月21日)は、日本の内務・鉄道官僚、政治家。第1次山本内閣の内閣書記官長、第2次山本内閣の鉄道大臣、貴族院勅選議員。 後の鹿児島県鹿児島市上之園町出身。鹿児島藩士・山之内時習の長男として生まれる。錦城学校を経て旧制第一高等学校卒業。1890年(明治23年)7月、東京帝国大学卒業後、内務省に入省。1899年(明治32年)3月、警保局保安課長となる。 1901年(明治34年)4月、官選青森県知事に任命。1904年(明治37年)4月、逓信省鉄道局長。1907年(明治40年)1月、南満州鉄道株式会社監理官となり、同年4月には帝国鉄道庁副総裁を兼任。
守谷 吾平(もりや ごへい、1866年12月12日〈慶応2年… 守谷 吾平(もりや ごへい、1866年12月12日〈慶応2年11月6日〉 - 1929年〈昭和4年〉4月8日)は、明治から昭和初期にかけての日本の実業家。 専門商社・守谷商会の創業者。 備中国浅口郡本庄村(現在の岡山県浅口市)に、守谷金八の長男として生まれた。 幼少期から林李渓に学んだ。1885年に岡山県師範学校中等科を卒業し、県下の小学校(1886年からは尋常小学校)に勤務した。 その後上京して慶応義塾本科で学ぶ。慶應義塾への入学は、『慶応義塾入社帳 第4巻 入社帳24号-29号』(慶應義塾、1986年)によると1891年10月だった(同書p.174)。1892年に慶應義塾を卒業する。卒業後は三井組に入り、地所部から、芝浦製作所の工場事務、三井銀行の本店や支店に勤務した。
川島 純幹(かわしま すみもと / じゅんかん、1863年1… 川島 純幹(かわしま すみもと / じゅんかん、1863年12月12日(文久3年11月2日)- 1920年(大正9年)10月25日)は、日本の教育者、内務官僚。師範学校長、県知事。玄洋社社員。旧名・甚太郎。 筑前国出身。川島計の長男として生まれる。1886年(明治19年)、帝国大学法学部を卒業。1892年(明治25年)2月、鹿児島高等中学造士館教授に就任し、同年12月、同舎監を兼任。1893年8月、佐賀県尋常師範学校長となり、さらに奈良県尋常師範学校長を務めた。 1897年(明治30年)5月、内務省に転じ滋賀県参事官に就任。以後、三重県警察部長、佐賀県・大分県・千葉県・鳥取県の各書記官、和歌山県事務官・第一部長兼第三部長などを歴任。
寺田 栄(てらだ さかえ、1859年12月12日(安政6年1… 寺田 栄(てらだ さかえ、1859年12月12日(安政6年11月19日) - 1926年(大正15年)1月13日)は、日本の官僚・裁判官・政治家。玄洋社幹部。族籍は東京府平民。貴族院議員。長女の鳩山薫(鳩山薫子)は鳩山一郎(総理大臣)の妻で共立女子学園長。鳩山威一郎の祖父、鳩山由紀夫(総理大臣)、鳩山邦夫の曽祖父。鳩山紀一郎、鳩山太郎、鳩山二郎の高祖父。 1859年(安政6年)、福岡県人・寺田案山子の長男として生まれる。1877年(明治10年)に福岡で発生した士族反乱、反政府暴動である「福岡の変」に参加し、国事犯に問われたため一族と別れ、分家して一家を創立した。 1882年(明治15年)、明治法律学校を卒業。
西村 真太郎(西村 眞太郎、にしむら しんたろう、1859年… 西村 真太郎(西村 眞太郎、にしむら しんたろう、1859年12月12日(安政6年11月19日) - 1922年(大正11年)9月13日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。族籍は兵庫県平民。 播磨国加東郡(後の兵庫県加東郡下東条村、現小野市)生まれ。西村重太郎の長男。家は代々農業を営む。漢学を修める。 加東郡農事会議員、同議長、戸長、郡徴兵参事員、同学務委員、兵庫県会議員となった。また、播磨鉄道取締役、加東郡米穀取引所理事長、関西競馬倶楽部監事、社銀行、大阪四ツ橋銀行各頭取、西丹貯蓄銀行取締役、兵庫県農工銀行、台湾銀行各監査役などを務めた。 1894年3月、第3回衆議院議員総選挙において兵庫県第六区から出馬し当選。
宮内 治三郎(みやうち じさぶろう、1857年12月12日(… 宮内 治三郎(みやうち じさぶろう、1857年12月12日(安政4年10月26日)- 1906年(明治39年)2月13日)は、明治期の酒造家、実業家、政治家。衆議院議員。 伊予国伊予郡郡中灘町(愛知県伊予郡郡中灘町、郡中町を経て現伊予市灘町)で、酒造家の家に生まれた。酒造業を営む。 1886年(明治19年)町の有志と郡中銀行を設立し、のち頭取を務めた。1889年(明治22年)1月、愛媛県会議員に選出され、同副議長を務め、1894年(明治27年)4月まで在任した。 1894年9月、第4回衆議院議員総選挙(愛媛県第1区、自由党)で当選し、衆議院議員に1期在任した。 実業界では、1894年1月に南予鉄道会社の設立に参画して社長に就任し、1896年(明治29年)7月、郡中-藤原間が開業。
12代 渡辺 甚吉(渡邊、わたなべ じんきち、1856年12… 12代 渡辺 甚吉(渡邊、わたなべ じんきち、1856年12月12日(安政3年11月15日) - 1925年(大正14年)11月10日)は、明治から大正時代の政治家。実業家。銀行家。衆議院議員。貴族院多額納税者議員。 渡辺浄意の長男として、岐阜城下松屋町(現岐阜市松屋町)に生まれる。生家は絹織物製造業を営む。大蔵省の銀行学講習所で学ぶ。 1877年(明治10年)第十六国立銀行(後の十六銀行)を創立し頭取に就任。1878年(明治11年)清に渡り帰朝後に廻瀾社を創立し対清貿易に従事した。1879年(明治12年)岐阜町会議員に当選し、同議長、連合町村会議員、水利土工会議員などを歴任した。 1882年(明治15年)商法会議所を設立し議長を務め、1887年(明治20年)に岐阜商工会と改称し会頭となる。
三宅 秀(みやけ ひいず、嘉永元年11月17日(1848年1… 三宅 秀(みやけ ひいず、嘉永元年11月17日(1848年12月12日) - 昭和13年(1938年)3月16日)は、日本の医師・洋学者・医学者・貴族院議員。東京大学で最初の医学博士、のち名誉教授。幼名は復一(またいち)。
野々村 久次郎(ののむら きゅうじろう、1846年12月12… 野々村 久次郎(ののむら きゅうじろう、1846年12月12日(弘化3年5月30日) - 1925年(大正14年)11月4日)は、明治から大正時代の政治家。銀行家。貴族院多額納税者議員。 美濃国方県郡、のちの岐阜県本巣郡西郷村(現岐阜市)出身。野々村佐太郎の子として生まれ、のち叔父佐兵衛の養子となり1887年(明治20年)4月、家督を相続する。 1879年(明治12年)以降、下西郷村戸長、同衛生委員、本巣郡会議員のほか、第九十五国立銀行取締役、野々村銀行頭取を歴任した。 1918年(大正7年)9月には岐阜県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1921年(大正10年)7月6日まで務めた。
正木 退蔵(まさき たいぞう、弘化3年10月24日(1846… 正木 退蔵(まさき たいぞう、弘化3年10月24日(1846年12月12日) - 1896年(明治29年)4月5日)は、明治時代の教育者、外交官。旧萩藩士で、維新後ロンドンに留学し、開成学校講師で化学を教えた。その後、同校留学生監督として再び渡英し、帰国後東京職工学校初代校長に就任、晩年は在ハワイ王国総領事を務めた。正五位勲六等。 弘化3年(1846年)10月24日、長門国萩城外土原村渡り口筋で、萩藩大組士正木治右衛門の三男として生まれた。間もなく佐伯丹下の養子となったが、後に正木姓に復した。 安政5年(1858年)松下村塾で数ヶ月間吉田松陰に学んだ後、毛利元徳小姓として長州正義派に与し、大村益次郎の三兵学科塾で蘭学、兵学、三田尻海軍学校で英学を学んだ。
渡邊 重石丸(わたなべ いかりまろ、天保8年11月15日(1… 渡邊 重石丸(わたなべ いかりまろ、天保8年11月15日(1837年12月12日) - 大正4年(1915年)10月19日)は、幕末の中津藩士、国学者、神道学者。明治初年には新政府の神道政策を担当し、大日本帝国陸軍将軍の乃木希典が師事したことで知られている。蘭学者の福澤諭吉と国学者の増田宋太郎は共に縁戚に当たる。号は鶯栖園隠士、捫虱庵主人、通称は鉄太郎。 1837年(天保8年)、豊前国中津藩の神官の家に生まれた。藩校の進脩館に入り、藩儒の野本白巌や手島物斎に漢学を学んだ。安政4年(1857年)には中津藩において子弟に国学を教授し、元治元年(1864年)にこの私塾を「道生館」 と命名した。慶応3年(1867年)には平田篤胤の思想を取り入れて、後嗣の平田銕胤に入門して没後の門人となった。
大原 孝四郎(おおはら こうしろう、1833年12月12日(… 大原 孝四郎(おおはら こうしろう、1833年12月12日(天保4年11月2日) - 1910年(明治43年)7月6日)は、日本の実業家。大原孫三郎の父。 岡山藩士藤田傳吉の三男として生まれる。1858年(安政5年)に備中国窪屋郡倉敷村の庄屋・豪商大原壮平の養嗣子となり、幼名幸三郎を孝四郎と改名。儒学者森田節斎の簡塾、犬飼松窓の三餘塾に学んだ。呉服、繰綿、米、金融を手広く営むとともに大地主であり、学問、絵、書を好む文化人でもあった。 1888年(明治21年)に倉敷紡績所(クラボウ)の初代社長に就任すると、養父壮平が森田節斎から学んだ謙受説を社訓とした。これは「満は損を招き、謙は益を受く」という思想で、常にへり下った気持ちで、より高いものを求めて努力すべし、という内容であった。
山本 圭一郎(やまもと けいいちろう、12月12日 - )は… 山本 圭一郎(やまもと けいいちろう、12月12日 - )は、日本の男性声優。茨城県出身。青二プロダクション所属。 茨城県立多賀高等学校卒業。青二塾東京校(第19期生)卒業。 趣味は食べ歩き、カラオケ。 太字はメインキャラクター。
furani (ふらに、12月12日-)は、東京都出身の女性… furani (ふらに、12月12日-)は、東京都出身の女性鍵盤楽器奏者、作曲家、編曲家、シンガーソングライター。東京都立国際高等学校、東京音楽大学作曲専攻映画・放送音楽コース卒業。。2025年より歌うマルチクリエイターと名乗る。 幼稚園の頃から、先生が弾くピアノを耳コピーして家で弾いていた。小2からエレクトーンを習い、ドラゴンクエストシリーズの音楽に衝撃を受け、作曲家を志した。高校3年時にジュニアエレクトーンコンクール'95全日本大会最優秀賞受賞。大学時代はバンドサークルに所属し、ライブの魅力に取りつかれ、シンセサイザー、ベース、ドラム、ギター等で様々なジャンルのバンドに参加。沢田泰司のバンド「音風」にもキーボードとして参加し、音楽観に影響を受けた。
高瀬 美子(たかせ よしこ、旧姓・森、12月12日 - )は… 高瀬 美子(たかせ よしこ、旧姓・森、12月12日 - )は、元栃木放送(CRT)のアナウンサー。長崎県諫早市出身で日本大学芸術学部放送学科卒業。「チャラ」の愛称で幅広い年齢層のリスナーに親しまれている。栃木放送退社後もフリーアナウンサーとして同局で活動しており、平日の生ワイド番組や若者向けの老舗アニラジ番組のパーソナリティーを担当しているほか、栃木放送の関連会社が制作するとちぎテレビ向けの番組・CMのナレーションもしている。 また、宇都宮アート&スポーツ専門学校および宇都宮ビジネス電子専門学校(UBDC)にて非常勤講師として指導も行っている。 「チャラのOH!マイ・アニメ」などの担当番組内で自称・24歳を公言しており、実年齢に触れてはいけないことがCRT内での暗黙の了解となっている。
浅倉 弦希(あさくら ゆづき、12月12日 - )は、日本の… 浅倉 弦希(あさくら ゆづき、12月12日 - )は、日本の女性声優。東京都多摩市出身。エーエス企画を経て、フリー。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
風羽 咲季(かざはね さき、12月12日 - )は、宝塚歌劇… 風羽 咲季(かざはね さき、12月12日 - )は、宝塚歌劇団宙組に所属する娘役。 大阪府豊中市、府立桜塚高等学校出身。身長164cm。愛称は「としこ」、「とこし」。 母は元宝塚歌劇団74期生の五月ふたば。 2018年4月、宝塚音楽学校入学。 2020年3月、宝塚音楽学校を卒業し、第106期生として宝塚歌劇団に入団。入団時の成績は12番。9月の月組宝塚大劇場公演『WELCOME TO TAKARAZUKA/ピガール狂騒曲』で初舞台。公演終了後、宙組に配属。 2025年10月、新トップコンビ桜木みなとと春乃さくらの大劇場お披露目公演となる「PRINCE OF LEGEND」で新人公演初ヒロイン。研6での抜擢となった。
伽代子(かよこ、12月12日 - )は、日本の女優、タレント… 伽代子(かよこ、12月12日 - )は、日本の女優、タレント。本名、坂井 香代子(さかい かよこ)。佐藤企画所属。 神奈川県出身。血液型はO型。 欽ちゃん劇団2期生。 1999年、日本テレビのバラエティ番組『進ぬ!電波少年』の「地球防衛軍」のコーナーに「人間レーダーのレッド」として登場する。姉妹番組の『雷波少年』では「ゴミ生活の旅」のコーナーにレギュラー出演したほか、番組の司会も担当した。 2000年からは小堺一機の舞台『小堺クンのおすましでSHOW』シリーズに出演し、2017年のファイナル公演まで皆勤した。
みきさえ(12月12日 - )は大阪府立住吉高等学校、大阪キ… みきさえ(12月12日 - )は大阪府立住吉高等学校、大阪キリスト教短期大学出身の日本のイラストレーター・漫画家。旧ペンネームは美奇 めぐみ(みき めぐみ)。 『命の足あと』シリーズ連載中(第一シリーズ:2006年-2020年,第二シリーズ:2020年-連載中) 1986年、第6回オールマーガレット新人漫画大賞にてホープ賞受賞、同年少女漫画雑誌『週刊マーガレット』(集英社)でデビュー。当時のペンネームは「美奇 めぐみ」であったが、1996年現在のペンネームである「みきさえ」に改名。
宮崎 文子(みやざき ふみこ、12月12日 - )は、日本の… 宮崎 文子(みやざき ふみこ、12月12日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元ニッポン放送および日本短波放送のアナウンサー。 東京都出身。1969年に[要出典]東海大学文学部広報学科を卒業後、日本短波放送にアナウンサーとして入社。1972年[要出典]にニッポン放送へ。『高山栄ショー』等の番組に関わった後、制作部に異動。その後、報道部に所属し、スポットのニュースなどを担当していた[要出典]。 日本女性放送者懇談会会長(1999年度)、放送ウーマン賞選考委員長(2000年度・2001年度)も務めた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
宮本 悦子(みやもと えつこ、12月12日生)は、日本の分子… 宮本 悦子(みやもと えつこ、12月12日生)は、日本の分子生物学者、生化学者。東京大学医科学研究所インタラクトーム医科学特任准教授。 東京理科大学理学部化学科卒業後、日本IBMを経て、東芝情報通信研究所において高機能材料の研究に従事。 2000年4月から約10年間、慶應義塾大学理工学研究科と先導研究センターにおいて、助教、講師、准教授を経て、文科省振興調整費やゲノムネットワークプロジェクトに参加。2011年より現職。
青木 小夜子(あおき さよこ、12月12日 - )は、日本の… 青木 小夜子(あおき さよこ、12月12日 - )は、日本のラジオパーソナリティ。 大阪府出身。日本大学芸術学部卒業。 大学卒業後にTBSラジオCM部にてアルバイトを行った。可愛い一休さんの登場する「ハナマルキ味噌」のテレビCMですっかりお馴染みとなり、「ハナマルキのお姉さん」の異名を取る。 1967年4月、TBSラジオ「魅惑のリズム」(月~金深夜0:00~)で単独パーソナリティを務める。 1969年12月、エフエム愛知開局と同時にスタートした「FMバラエティ」を担当。親しみやすいハートフルなトークで多くの人に感動を与えた。エフエム愛知での放送は途中で終了したが、1989年4月から1年間、この番組の1コーナー「小夜子の部屋」を「小夜子発to You」として名古屋の同局で制作した。
神坂 智子(こうさか ともこ、12月12日 - )は、日本の… 神坂 智子(こうさか ともこ、12月12日 - )は、日本の漫画家。岡山県久米郡中央町(現・美咲町)出身。 1973年、「リ・リンド・リン」(小学館『週刊少女コミック』)でデビュー。代表作に“シルクロード・シリーズ”、「T.E.ロレンス」、「蒼のマハラジャ」、「カラモランの大空」など。 緻密な歴史・時代考証に基づきながら自在な世界観を繰り広げる作風をもつ。シリアスな作品が主体だが、きっちりした設定の中でもコメディを織り交ぜてみせる。2011年現在、小学館『月刊flowers』にて不定期・読み切り掲載を執筆している。 漫画同人グループ「作画グループ」の会員で、会員誌に作品を発表したこともある。 明治末期を舞台に機屋の娘、小春(こはる)と医師を目指す矢矧 環(やはぎ たまき)との駆け落ち物語。