野町 和嘉(のまち かずよし、1946年10月15日 - )… 野町 和嘉(のまち かずよし、1946年10月15日 - )は、日本のドキュメンタリー写真家。高知県三原村出身。 高知県立高知工業高等学校卒業後、写真家・杵島隆に師事。1971年よりフリーの写真家となる。1972年よりサハラ砂漠をはじめとした乾燥地帯の撮影を行う。1980年代後半より中近東・アジア、2002年以降はアンデスを主な撮影地域としている。1990年、写真集「ナイル」等により芸術選奨新人賞美術部門受賞。2009年、紫綬褒章受章。 2019年から2023年、日本写真家協会会長。
澤井 誠介(さわい せいすけ、1946年(昭和21年)10月… 澤井 誠介(さわい せいすけ、1946年(昭和21年)10月15日 - )は、日本の実業家。きらやか銀行相談役。山形県出身。 山形しあわせ銀行頭取を務めた澤井修一の四男として生まれる。 慶應義塾大学経済学部卒業後、東洋工業勤務を経て、1978年(昭和53年)山形相互銀行入行。以降、常務取締役東京事務所所長等を歴任。1991年(平成3年)には、トップ在任約39年を迎えた父が会長に退いたため、頭取に昇格した。 頭取在任中は、長年の懸案であった新本店の建設に着手し、現在のきらやか銀行本店ビルである新社屋が竣工の運びとなった。 2007年(平成19年)には、合併により誕生したきらやか銀行会長に就任するも、翌年、経営陣の刷新に伴い、相談役に退いた。
三井 恒(みつい こう、1946年10月15日 - 2025… 三井 恒(みつい こう、1946年10月15日 - 2025年6月19日)は、日本の元俳優。本名は、水戸 義弘(みと よしひろ)。 東京都出身。法政大学卒業。エヌ・エー・シーに所属していた。 劇団俳優小劇場付属研究所出身。本名でテレビドラマに端役で出演した後、CMの仕事で熊谷健と知り合ったことがきっかけとなり『帰ってきたウルトラマン』(1971年、TBS)のオーディションを受け、MATチームの上野一平隊員役でレギュラー出演。以前より特撮作品に出演したいと思っていたので、非常に嬉しかったという。 佐々木剛とは養成所時代からの友人で、『宇宙鉄人キョーダイン』(毎日放送)への出演(準レギュラー・山田隊員役)は佐々木の推薦であった。
伊豆 英一(いず えいいち、1946年10月15日 - )は… 伊豆 英一(いず えいいち、1946年10月15日 - )は、日本の経営者。熊本日日新聞社社長、会長を務めた。 熊本県出身。1969年に早稲田大学第二文学部を卒業し、同年に熊本日日新聞社に入社した。1973年に取締役に就任し、1982年に常務、1985年12月に専務を経て、1997年6月に社長に就任。2014年6月に会長を経て、2017年6月には名誉会長に就任。
村上 輝康(むらかみ てるやす、1945年10月15日 - … 村上 輝康(むらかみ てるやす、1945年10月15日 - )は、日本のエコノミスト、シンクタンカー。日本最初のシンクタンクといわれる野村総合研究所の創設直後から、研究員、管理者、経営者として、一貫してシンクタンクで活動し、現在は、個人シンクタンク、産業戦略研究所代表。日本生産性本部理事、サービス産業生産性協議会幹事。情報学博士(京都大学)。2000年代には、u-Japan政策懇談会座長、情報通信審議会政策部会長、産業構造審議会情報経済分科会長、IT戦略本部有識者本部員、慶應義塾大学総合政策学部教授(特別招聘)、野村総合研究所理事長等を歴任して、ユビキタスネットワークという概念を提唱し普及に努めた。
高井 諭(たかい さとし、1945年10月15日 - )は、… 高井 諭(たかい さとし、1945年10月15日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(投手)。
大久保 洋吉(おおくぼ ようきち、1944年10月15日 -… 大久保 洋吉(おおくぼ ようきち、1944年10月15日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。大久保末吉の長男として生まれ、早稲田大学理工学部卒業後、建築士を経て競馬界に入る。1976年に調教師免許を取得し、1990年代後半にGI競走5勝を挙げたメジロドーベルなど数々の活躍馬を管理した。2015年、定年により引退。東京都府中市出身。
高田 拓土彦(たかだ たつひこ、1944年10月15日 - … 高田 拓土彦(たかだ たつひこ、1944年10月15日 - 2012年10月1日)は、日本の俳優、脚本家、映画監督、演出家。本名は高田 龍彦。旧芸名は高田 裕史、高田 守弘、高田 大嗣。ペンネームは土筆 勉。師は脚本家の石森史郎。弟子は俳優の三木崇史。 福井県出身。桐朋学園大学芸術学部演劇科卒業。 劇団「ぶどうの会」、劇団俳優座を経て、「アメリカン・プロダクションサービス」を設立後、ボクサー、フリーとして活動していた。俳優としてはグループ71 、一騎プロに所属 。 女優の浅茅陽子とは同棲していたが、浅茅の意志で入籍しなかった。 2012年10月1日、間質性肺炎と肺癌のため東京都文京区の病院で死去。
菱山 郁朗(ひしやま いくお、1944年10月15日 - )… 菱山 郁朗(ひしやま いくお、1944年10月15日 - )は駒澤大学マスコミ研究所研究員、武蔵野大学人間関係学部講師、日本記者クラブ会員、日本マス・コミュニケーション学会会員、21世紀臨調運営委員、放送人政治懇話会会員、千代田プレスクラブ会員。東京都八王子市生まれ。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大龍 隆寛(だいりゅう たかひろ、1944年10月15日 -… 大龍 隆寛(だいりゅう たかひろ、1944年10月15日 - 1999年7月27日)は、三重県鈴鹿市出身で友綱部屋に所属した元大相撲力士。本名は的場 猛(まとば たけし)。175cm、145kg。最高位は東十両6枚目。得意技は押し、右四つ。 1961年5月場所に初土俵。入門してから約1週間の間は気の小ささからか、淋しくて寝られなかったこともあった。1966年3月場所に十両昇進。以後十両を11場所務めたが、腰の重さと粘り強さに頼り過ぎる消極的な取り口であったせいか、負傷が多かった。特に、1970年1月場所で右足首を骨折してからは休場が続き、1970年5月場所限りで25歳で廃業。廃業後は1972年から鈴鹿市で肉料理店「まと場」を経営した。
豊沢 有兄(とよさわ ゆうけい、1943年10月15日 - … 豊沢 有兄(とよさわ ゆうけい、1943年10月15日 - 2018年1月28日)は、日本の政治家。(旧)能代市長(1期)。 1943年に秋田県で誕生。父は旧能代市6 - 8代市長を務めた豊澤勇治。 一橋大学を中退。学習塾と保育園の経営者を歴任した。 2003年、(旧)能代市長選挙で現職の宮腰洋逸を破って、初当選を果たした。 ※当日有権者数:43,961人 最終投票率:80.37%(前回比:-pts) 4月30日に市長に就任した。在任中は、福祉に力を入れた一方、合併協議会脱退など問題を多く残した。合併に伴う(新)能代市発足のため2006年3月20日で市長を退任した。 同年、能代市が隣接する二ツ井町と新設合併したことで実施された市長選に、豊澤は無所属で立候補したが、斉藤滋宣に敗北した。
近藤 重雄(こんどう しげお、1942年10月15日 - )… 近藤 重雄(こんどう しげお、1942年10月15日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 学校法人石川高等学校では、1960年夏の甲子園県予選で準決勝(東北大会代表決定戦)に進むが、双葉高に延長11回敗退。この予選では7試合64回を投げ、夏の地方大会記録となる110三振を奪った。 卒業後は日本コロムビアへ入社。1964年の第35回都市対抗野球大会では決勝まで進出し、日本通運の田中章と投げ合うが惜敗。準優勝に終わったが、大会での活躍ぶりが認められ久慈賞を受賞した。同年10月には東京五輪デモンストレーションゲームとして開催された、社会人野球選抜と米国大学選抜との試合にも登板している。
江波 杏子(えなみ きょうこ、1942年〈昭和17年〉10月… 江波 杏子(えなみ きょうこ、1942年〈昭和17年〉10月15日 - 2018年〈平成30年〉10月27日)は、日本の女優。東京都渋谷区千駄ヶ谷出身。最終所属はアルファエージェンシー。宝仙学園高等学校出身。本名︰野平香純。スリーサイズ、B89 cm、W61 cm、H90 cm(1968年10月、江波本人の申告)。 高祖父は、最後に沖田総司を匿った植木職人の柴田平五郎。母・江波和子は戦前に東宝で活躍した映画女優。父は千駄ヶ谷で割烹大関を営む。子供の頃はシャイで自意識が強く、本ばかり読んでいた子だったという。 小学生の頃にキャロル・リード監督の『落ちた偶像』を観たのがきっかけで、本人曰く「現実逃避的に」女優になろうと思ったことや、また幼い頃に亡くなった母の仕事を継ぎたい一心で中学生の頃から女優を志し、1959年に十三期ニューフェイスとして大映に入社。
福島 孝徳(ふくしま たかのり、1942年10月15日 - … 福島 孝徳(ふくしま たかのり、1942年10月15日 - )は、アメリカ合衆国在住の日本人医師である。専門は脳神経外科であり、脳腫瘍に対する「鍵穴手術」の考案者として知られる。東京大学医学部卒業。カロライナ脳神経研究所、デューク大学、ウェストバージニア大学、カロリンスカ研究所、マルセイユ大学、フランクフルト大学教授を兼任。
和才 昌二(わさい まさじ、1942年10月15日 - )は… 和才 昌二(わさい まさじ、1942年10月15日 - )は、日本の実業家。 大分県に生まれる。1961年福岡県立修猷館高等学校を経て、1967年慶應義塾大学経済学部を卒業。 1967年4月日本興業銀行(現・みずほ銀行)に入行。1990年5月福岡支店副支店長、1992年6月本店営業第8部副部長、1993年6月新宿支店長を経て、1996年6月興銀リース(現・みずほリース)取締役営業第1部長に就任する。 1997年6月ハウステンボス代表取締役副社長に転じ、2000年6月代表取締役社長に就任する。2001年6月、2001年3月期決算で経常赤字が膨らんだことを受け、引責辞任し顧問となる。 その後、韓国ベンチャーの日本進出支援を手掛ける、ジェイ・ケイアイズの会長を務めた。
坂崎 重盛(さかざき しげもり、1942年10月15日 - … 坂崎 重盛(さかざき しげもり、1942年10月15日 - )は、日本のエッセイスト。ペンネームに、坂崎ゴメン堂、波角ゴメン堂。 東京生まれ。本庄高等学校を経て、千葉大学園芸学部造園学科卒業。横浜市職員として、児童公園などの設計に参加するも1年で退職。河原淳に弟子入りした後、イラストやジャズ論評、詩作などを行う。出版社勤務を経て、1981年遊戯的出版プロデューサー集団「波乗社」を設立。 THE ALFEEの坂崎幸之助の叔父(実父の末弟)であり、一回りほど歳が上の粋人という事もあって、幸之助にとっては憧れの叔父だったという。ただし、法事を忘れたり、来ても二日酔いだったりなど、親戚は迷惑もしたという。
古川 嘉一郎(ふるかわ かいちろう、1942年〈昭和17年〉… 古川 嘉一郎(ふるかわ かいちろう、1942年〈昭和17年〉10月15日 - 2025年〈令和7年〉11月29日)は、日本のフリーライター、放送作家、演芸評論家。 大阪市出身。立命館大学文学部卒業。広告制作スタジオ勤務、コピーライターを経て、藤本義一に師事。テレビ・ラジオ番組の企画・構成に携わる。1985年「秋田實賞」受賞。手がけた番組には『9年9組つるべ学級』『浪速なんでも三枝と枝雀』『晴れ時々たかじん』『たかじんnoばぁ~』など。雑誌『上方芸能』編集委員、『上方漫才大賞』、『日本放送演芸大賞』の選考審査員、藤本が総長の心斎橋大学の講師なども務めた。 娘に古川真穂(元4D-JAM)がいる。 2025年11月29日死去。
白石 正輝(しらいし まさてる、1941年〈昭和16年〉10… 白石 正輝(しらいし まさてる、1941年〈昭和16年〉10月15日 - )は、日本の政治家。足立区議会議員(12期、自由民主党所属)。足立区議会自由民主党相談役。 東京都足立区出身。東京都立江北高等学校、中央大学法学部卒。1971年、29歳の時に足立区議会議員選挙に初当選。足立区議会自由民主党幹事長、政調会長、総務、文教、厚生の各委員長、区議会議長などを歴任する。このほか学習塾や玩具店を経営、病院事務長を務める。1979年と1980年の足立区長選挙に立候補したが、いずれも落選した。1983年の区議選は不出馬。1987年の区議選で復帰。以来2023年まで連続10回当選。2020年9月時点で通算で議員を11期目を務めており、これは東京23区の区議会議員で最多期である。
小島 順彦(こじま よりひこ、1941年10月15日 - )… 小島 順彦(こじま よりひこ、1941年10月15日 - )は、日本の実業家である。三菱商事15代目社長を経て、三菱商事会長となる。 日本経済団体連合会副会長。
篠塚 徹(しのつか とおる、1941年10月15日 - )は… 篠塚 徹(しのつか とおる、1941年10月15日 - )は、日本の研究者。元拓殖大学北海道短期大学学長、元拓殖大学教授、元国際協力銀行理事。東京都出身。 武蔵大学経済学部卒業後、35年間、国際協力銀行(JBIC)にて、開発途上国との経済協力に従事し、人々が宇宙船地球号で協働し、共存していくことの大切さを痛感した。趣味は、ハイキング、途上国の農村逍遥など 国際協力銀行(JBIC)を理事職を最後に2000年3月に退職。2000年4月、拓殖大学国際開発学部教授。04年4月、拓殖大学国際開発学部長。08年4月、拓殖大学副学長。09年4月から拓殖大学北海道短期大学学長。2023年拓殖大学北海道短期大学退職。
佐藤 征一郎(さとう せいいちろう、1940年(昭和15年)… 佐藤 征一郎(さとう せいいちろう、1940年(昭和15年)10月15日 - )は、日本の声楽家(バス、バスバリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。 宮城県仙台市生まれ。神奈川県立川崎高等学校 卒業。1967年(昭和42年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。1970年(昭和45年)同大学院修士課程修了。大学院在学中に第132回芸大オーケストラ定期公演(指揮:山田一雄)ベートーヴェン『第九』バス独唱で音楽界にデビュー。1969年(昭和44年)二期会(指揮:若杉弘)ワーグナー『ラインの黄金』ファフナーでオペラデビュー。その後、読売日本交響楽団第58回定期演奏会(指揮:若杉弘)ベルリオーズ『ファウストの劫罰』ブランデルや、同年帰国した小澤征爾指揮による日本フィルハーモニー交響楽団第180回東京定期演奏会 モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』(演奏会形式)に出演 したほか、二期会を中心に1971年(昭和46年)2月までの約2年間に計14本 ものプロダクションに出演している。
表 三郎(おもて さぶろう、1940年10月15日 - 20… 表 三郎(おもて さぶろう、1940年10月15日 - 2024年11月9日[要出典])は、日本の経済学者、思想家、予備校講師(英語科)。元大阪市立大学全学共闘会議議長、元桃山学院大学講師、元駿台予備学校英語科講師。 1940年、広島県に生まれ、大阪府で育った。1961年、2浪の末、甲南大学経済学部に入学。1970年、大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程修了。 最初革命的共産主義者同盟に所属するも、中核派・革マル派の分裂に際してはそのどちらにも加わらず、その後大阪市立大学の全共闘議長に就任するなど学生運動に傾倒した。大学院修了後は桃山学院大学の講師を務める傍ら論文執筆に励み、「現代の理論」等に多数掲載。
岡山 紀男(おかやま のりお、1940年10月15日 - 2… 岡山 紀男(おかやま のりお、1940年10月15日 - 2010年11月14日)は、日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本電線工業会会長、大阪大学産業科学研究協会理事長等を務めた。 石川県出身。1963年東京大学文学部社会学科卒業、住友電気工業入社。人事組織部次長、人事部次長を経て、1985年人事部長に就任。1991年取締役中部支社長に昇格。1995年常務取締役。1999年から代表取締役社長を務め、イギリスのルーカスSEI・ワイヤリング・システムの買収などを行った。2004年住友電気工業代表取締役会長。2007年同社取締役会長。2008年同社特別顧問。大阪大学産業科学研究協会理事長等も務めた。
山根 貞男(やまね さだお、1939年10月15日 - 20… 山根 貞男(やまね さだお、1939年10月15日 - 2023年2月20日)は、日本の映画評論家、漫画評論家、翻訳家。かつては、菊池浅次郎のペンネームを使用していた。 大阪府出身。大阪外国語大学フランス語科卒業。大学時代は演劇部の活動に熱中する。 25歳で書評紙『日本読書新聞』の編集者となる。1967年には、読書新聞の同僚だった権藤晋(高野慎三)や、石子順造らと日本初の漫画評論誌『漫画主義』を創刊。菊池浅次郎名義で、3月の創刊号に漫画史上画期的なつげ義春の「沼」を論じた「不可能性への出発」を掲載。白土三平以外で最も早い時期につげ義春を絶賛。同誌や「夜行」などでつげ義春の作品などを論じた。 1969年から1971年まで波多野哲朗(大学の演劇部の先輩だった)、手島修三とともに映画批評誌『シネマ69』(誌名は『シネマ70』『シネマ71』と変遷し、毎年3号を刊行)を創刊し、編集・発行に携わった。
石井 幹子(いしい もとこ、1938年10月15日 - )は… 石井 幹子(いしい もとこ、1938年10月15日 - )は、日本の照明デザイナー。石井幹子デザイン事務所主宰。 日本に「ライトアップ」という文化を根付かせたパイオニア的存在であり、東京タワーやレインボーブリッジの照明を手がけるなど、日本の都市夜景に変革をもたらした人物として知られる。 東京都出身。幼稚園から高校までお茶の水女子大学附属に通い、1962年に東京芸術大学美術学部図案計画科を卒業。デザイン会社で照明器具のデザインに携わり、1965年から1967年にかけてフィンランドとドイツの照明設計事務所に助手として勤務する。 帰国後の1968年に石井幹子デザイン事務所を設立し、1970年に開催された大阪万博、1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会の照明デザインを手がけるが、オイルショックの影響で照明デザインは電力の浪費と受け取られ日本国内では不遇の時期を過ごす一方、日本の建築雑誌で作品を見たミノル・ヤマサキの目に留まったことをきっかけに「日本に仕事がなくても、地球上のどこかにはあるはず」とオイルマネーで建設ラッシュに沸く中東をはじめ海外での仕事をこなし実績を作っていった。
水村 治男(みずむら はるお、1938年10月15日 – 2… 水村 治男(みずむら はるお、1938年10月15日 – 2024年8月22日)は、日本の卓球指導者。東京都江東区出身。 東京都江東区生まれ、 昭和26年江東区立八名川小学校卒業、昭和29年江東区立深川第二中学校卒業、昭和33年関東商工高等学校(現在の関東第一高等学校)卒業、昭和37年國學院大學卒業。 卓球選手としての活動を経て、 1970年代初頭より東京富士大学(旧・富士短期大学)女子卓球部の指導を開始した。西村卓二とともに、同部を関東学生リーグ優勝10回、全日本大学総合卓球選手権(インカレ)優勝4回、全日本団体戦優勝3回に導くなど、長年にわたり国内の学生卓球界を支えた。。 指導経験を活かした卓球技術書・練習書の執筆にも取り組み、以下のような著作がある。
伊奈 輝三(いな てるぞう、1937年10月15日 - )は… 伊奈 輝三(いな てるぞう、1937年10月15日 - )は、日本の実業家。INAX代表取締役社長・会長を務めた。タイルメーカーから総合住宅設備メーカーに転換させ、同社の「中興の祖」とされる。その後トステムとの経営統合を実現し、LIXILグループ設立の立役者となった。 愛知県知多郡常滑町(現在の常滑市)で伊奈製陶(INAXの前身)創業者である伊奈長三郎の三男として生まれた。学業成績は優秀だったが、父が常滑町長をしていたことから地元の愛知県立常滑高等学校に通った。高校卒業後は経営者の子弟が多く通う慶應義塾大学への進学も考えたが、結局父と同じ東京工業大学(現在の東京科学大学)経営工学科に進学した。1960年(昭和35年)3月に東京工業大学を卒業し、4月に父が社長を務めていた伊奈製陶に入社した。
位田 尚隆(いだ なおたか、1937年10月15日- )は… 位田 尚隆(いだ なおたか、1937年10月15日- )は、日本の経営者。リクルート社長を務めた。愛知県名古屋市出身。 愛知教育大学教育学部、東北大学教育学部を経て、1964年に東北大学大学院を修了し、同年に日本IBMに入社した。1976年に取締役に就任し、1984年に専務を経て、1988年1月に社長に就任。 社長時代にはリクルート事件の大嵐を受ける中で経営立て直しに尽力、1992年にダイエーの出資を仰ぎ、同社系列の傘下入りに果たし、中内功とともに経営再建に尽力した。 1997年6月から取締役相談役を務めた。
清水 哲太(しみず のりたか、1937年10月15日 - 2… 清水 哲太(しみず のりたか、1937年10月15日 - 2026年3月1日)は、日本の実業家。トヨタ自動車取締役副社長を経て、初代トヨタホーム代表取締役会長や、初代愛知県公立大学法人理事長等を歴任した。 愛知県出身。1961年名古屋大学法学部卒業、トヨタ自動車工業入社。購買部門を担当し、1990年取締役に昇格。1996年常務取締役。1998年専務取締役。1999年取締役副社長、産業能率大学大学院客員教授。2003年からトヨタホーム代表取締役会長を務め、赤字体質の改革により黒字体質の定着を実現させた。2006年セブン&アイ・ホールディングス取締役。2018年全国農業協同組合連合会相談役。この間、トヨタ自動車顧問や、愛知県公立大学法人理事長等も歴任した。
鈴木 滋(すずき しげる、1936年10月15日 - )は、… 鈴木 滋(すずき しげる、1936年10月15日 - )は、1950年代に大洋ホエールズに在籍した茨城県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 茨城高等学校から1955年に大洋ホエールズに入団した。8月の読売ジャイアンツ戦では最終的に権藤正利のリリーフを仰いだものの8回途中まで2失点と好投し唯一の勝ち星を記録している。左腕から小さなカーブやシュートを武器とした。 翌年以降は故障もあって登板数も減り、1957年限りで引退した。
鳥居 泰彦 (とりい やすひこ、1936年(昭和11年)10… 鳥居 泰彦 (とりい やすひこ、1936年(昭和11年)10月15日 - ) は、日本の経済学者(統計学・経済発展理論)であり教育者。学位は経済学博士(慶應義塾大学・1966年)。日本私立学校振興・共済事業団理事長、財団法人交詢社理事長、慶應義塾学事顧問。
吉野 昌孝(よしの まさたか、1935年10月15日-202… 吉野 昌孝(よしの まさたか、1935年10月15日-2023年11月1日)は、三菱電機が1970年3月に発売した換気送風機「ロスナイ」の原理の発明者、三菱電機元社員。同社で35年間ロスナイ開発に携わった。 吉野はロスナイの原理を発明しその事業化を推進した。ロスナイは、室温と湿度をほとんど変えずに部屋の換気を行うことができる製品であり、室内と外気のそれぞれの温度と湿度を同時かつ連続的に交換することで、室内の温度と湿度の変化を抑えながら空気の換気が出来る静止型全熱交換器。湿度交換も同時に行えることが特徴である。 当初住宅用として開発され、後に業務用にも使われた。新幹線N700系電車、国会議事堂、東京都庁、横浜ランドマークタワー等に設置されている。
宇多 喜代子(うだ きよこ、1935年〈昭和10年〉10月1… 宇多 喜代子(うだ きよこ、1935年〈昭和10年〉10月15日 - )は、日本の俳人。現代俳句協会特別顧問、日本芸術院会員、文化功労者。 「草苑」編集長、「草樹」会員代表、大阪俳句研究会理事、現代俳句協会会長などを歴任した。 山口県徳山市(現:周南市)生まれ。武庫川学院女子短期大学家政学科卒。1953年、石井露月門下の遠山麦浪を知り俳句をはじめる。1962年、麦浪が没し前田正治主宰となった「獅林」に入会。1970年、「草苑」創刊に参加し、桂信子に師事、同誌編集長を務める。1976年から1985年まで坪内稔典編集の「現代俳句」に参加。1978年より「草苑」編集担当となり「獅林」退会。1981年「未定」に参加。
筏 義人(いかだ よしと、1935年10月15日 - )は、… 筏 義人(いかだ よしと、1935年10月15日 - )は、日本の生体工学者。京都大学名誉教授。工学博士(京都大学、1963年)。医学博士(京都大学、1984年)兵庫県出身。
蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2… 蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2016年5月12日)は、日本の演出家、映画監督、俳優。桐朋学園芸術短期大学名誉教授。
大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )… 大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(2期)、社会民主党政策審議会長、国際委員長を歴任した。 岐阜県岐阜市出身。名古屋大学法学部を卒業後、司法試験に合格し、司法修習を経て弁護士登録。労働・公害問題や家庭問題等、市民に密着した事案を数多く手がけた。1992年、PKO法闘争のなかで、砂川事件判決の裁判官だった伊達秋雄から「今こそ憲法擁護の大事な時」と促され、日本社会党からの国政進出を決意。第16回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、当選。以後2期12年間参議院議員を務め、護憲と共に男女雇用機会均等法、パートタイム労働者の権利保護法、環境アセスメント法、廃棄物処理法等の立法、改正に尽力した。
若松 美黄(わかまつ みき、1934年10月15日 - 20… 若松 美黄(わかまつ みき、1934年10月15日 - 2012年8月1日)は、日本の舞踊家、振付家、舞踊研究家。北海道小樽市出身(札幌市生まれ)。 1950年代後半から60年前半にかけて、土方巽らとともに前衛的な創作舞踊を数多く発表し、日本のコンテンポラリーダンスの草分けとなる。その後、妻の津田郁子とともに、若松美黄・津田郁子自由ダンスカンパニーを立ち上げ、作品を発表するほか、筑波大学、日本女子体育大学、東京女子体育大学などにおいて舞踊教育に携わり、日本のモダンダンスの枠組の拡大に努めた。 朝倉書店, 松浦義行編. スポーツの科学 p.143-158 若松美黄の近作プログラム モダンダンス研究と評論1 :11 モダンダンス研究と評論2:26-27 モダンダンス研究と評論 3:28-29 モダンダンス研究と評論 4 :24-25 モダンダンス研究と評論 7 :29-32 モダンダンス研究と評論 13:30-31 女子体育14(8 ):46-53 女子体育19(10):42-44 心30(2):26-46 女子体育19(11):36-38 女子体育19(12):46-49 女子体育20(5):48-55 女子体育21(9):63-64 肉体言語10:82-88 体育科教育28(13):40-41 さいたま舞芸4 バレエのための教養講座5 :22-23 トリムライフ50:18-22 トリムライフ6:20-23 女子体育25(6):42-45 筑波フォーラム22:121-125 女子体育27(7):2-6 クラブライフ62:1-12 体育科教育37(10):30-32 トリムリーダー養成講座サブ・テキストp.89-99 音楽の世界26(7): 3-5 女子体育31(6):60-63 体育科教育37(10):30-32 90年代のレジャーマインドp.7-10 悲劇喜劇4:32-35
伊藤 裕康(いとう ひろやす、1934年10月15日 - 2… 伊藤 裕康(いとう ひろやす、1934年10月15日 - 2025年9月7日)は、日本の実業家、中央魚類株式会社代表取締役会長兼CEO、東京都水産物卸売業者協会会長、一般社団法人豊洲市場協会会長、一般社団法人全国水産物卸協会最高顧問。 1934年、東京都生まれ。1959年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、中央魚類株式会社入社。 常務取締役、専務取締役を歴任後、1997年、代表取締役社長に就任。2010年、代表取締役会長兼CEOに就任。 東京都水産物卸売業者協会会長、一般社団法人豊洲市場協会会長、大日本水産会相談役を務める。豊洲移転前の築地市場でも一般社団法人築地市場協会会長を務めるともに、現在最高顧問を務める一般社団法人全国水産物卸協会の会長も務めた。
小沢 重光(おざわ しげみつ、1933年10月15日 - )… 小沢 重光(おざわ しげみつ、1933年10月15日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。
飯尾 為男(いいお ためお、1933年10月15日 - )は… 飯尾 為男(いいお ためお、1933年10月15日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
堀 威夫(ほり たけお、1932年(昭和7年)10月15日 … 堀 威夫(ほり たけお、1932年(昭和7年)10月15日 - )は、日本の芸能プロモーター、実業家。ホリプロ創業者。宇都宮ビジネス電子専門学校名誉顧問、宇都宮アート&スポーツ専門学校名誉顧問。社団法人日本音楽事業者協会理事長なども歴任した。 横浜市生まれ。浅野学園時代からサークルでバンド活動に勤しみ、1948年(昭和23年)にワイキキ・ハワイアンズを結成。明治大学商学部時代の52年には、小坂一也、井原高忠等とともに学生バンドのワゴン・マスターズにスカウトされ、ギタリストとして活躍した。 卒業後、文化放送でのアルバイトを経て、1957年(昭和32年)にスウィング・ウエストを結成しリーダーとなり、田辺昭知がドラムを叩いた。
小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2… 小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2001年1月20日)は、日本の実業家で、オリコンの創業者。
長谷部 稔(はせべ みのる、1931年10月15日 - )は… 長谷部 稔(はせべ みのる、1931年10月15日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。1956年の登録名は長谷部 健(はせべ たけし)。 旧制中学校の広島県立広島工業学校(現在の広島県立広島工業高等学校)時代に広島原爆に遭遇した経験を持つ。その後に学制改革などで広島県立広島工業学校が広島県立広島皆実高等学校になるなどした後に皆実高等学校では捕手で4番打者として活躍、高校3年夏の1949年第31回全国高等学校野球選手権大会予選の西中国大会決勝に駒を進めたが山口県立柳井高等学校に敗れて甲子園大会出場は成らなかった。 卒業後は土木技術者を目指していたが、1949年に翌年から地元初のプロ野球球団として創設される、広島カープの入団テストへ試しに参加した。
片田 哲也(かただ てつや、1931年10月15日 - )は… 片田 哲也(かただ てつや、1931年10月15日 - )は、日本の経営者。小松製作所社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。 旧制四高を経て1953年に京都大学法学部を卒業し、同年に小松製作所に入社。 1978年3月に取締役に就任し、1983年3月に常務、1987年3月に専務、1988年6月に副社長を経て、1989年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任し、2001年6月から取締役相談役を務めた。 日本経済団体連合会副会長を務めた。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2010年4月に旭日大綬章を受章。
広瀬 仁紀(ひろせ よしのり〈にき〉、1931年10月15日… 広瀬 仁紀(ひろせ よしのり〈にき〉、1931年10月15日 - 1995年1月15日)は、日本の小説家。 東京都生まれ。本名・満。成城大学経済学部卒。歌舞伎、映画雑誌の編集、総合雑誌の編集長を経て、フリーのルポライターとなり、1976年『適塾の維新』で作家デビュー、直木賞候補となる。経済小説、時代小説と幅広いジャンルで活躍した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
渡邊 二郎(わたなべ じろう、1931年10月15日 - 2… 渡邊 二郎(わたなべ じろう、1931年10月15日 - 2008年2月12日)は、日本の哲学者、ドイツ哲学の研究者。東京大学名誉教授。放送大学名誉教授。専攻は、西洋近現代哲学、現象学。東京大学で博士号(文学、1963年)。 ドイツ観念論、実存主義、解釈学、フッサール、ハイデッガー等についての研究が多数あり、フッサールの『イデーン』、ハイデガーの『存在と時間』など多くの哲学原典の翻訳を行っている。 東京都出身。1991年7月から1995年6月まで日本哲学会の会長を務め、1996年から1999年まで日本シェリング協会の会長を務めた。没後に弟子たちの編集で「著作集」が刊行された。 この項目は、哲学に関連した書きかけの項目です。
鈴木 正和(すずき まさかず、1931年10月15日 - 1… 鈴木 正和(すずき まさかず、1931年10月15日 - 1997年11月8日)は、日本の詩人。 千葉県出身。明治学院大学文学部英文科卒。現代詩人会会員。栃木県足利市在住。
中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日… 中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日)は、日本の俳優。本名は中村 正昭(なかむら まさあき)。北海道札幌市出身。妻は俳優座の女優・美苗。 北海道立札幌第一高等学校(現・北海道札幌南高等学校)卒業。早稲田大学第一文学部仏文学科を中退。 親友から「新劇を受けたらどうだ」と助言を受け、演劇の道を志す。 1952年に俳優座養成所に第4期生として入所。同期には仲代達矢・宇津井健・佐藤慶・佐藤允らがいる。なお、このうち佐藤允、仲代、中谷の3人は、後年岡本喜八監督作品の常連として喜八一家と呼ばれるようになり、佐藤慶も2本の岡本作品に出演している。舞台のみならず、映画・テレビで存在感のある脇役として活躍した。
渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10… 渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10月15日 - 2017年〈平成29年〉4月17日)は、日本の英語学者、哲学者。歴史論・政治・教育・社会評論家。上智大学名誉教授。 専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)哲学博士。ミュンスター大学名誉哲学博士。公益財団法人日本財団評議員。 山形県鶴岡市出身。旧制山形県立鶴岡中学校在学中に学制改革が実施され、1949年に山形県立鶴岡第一高等学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)を卒業。なお同校は新制高等学校であるが、渡部は「私にとっての友達をつくる上で一番よかった時代は、やはり旧制高校に通っていたときだと思う」「旧制高校には各地域から選ばれた優秀な人間が集まってきていたので、周りを見渡せば『すごい』と思える人間ばかりだった」と回顧している。
亀井 利明(かめい としあき、1930年10月15日 - 2… 亀井 利明(かめい としあき、1930年10月15日 - 2016年1月14日)は、日本の経営学者。 兵庫県出身。関西大学経済学部卒、神戸大学大学院経営学科修了。1955年関西大学商学部専任講師、助教授、1968年教授。商学部長、関西大学理事などを務め、2000年退職、名誉教授。日本リスクマネジメント学会創立者、名誉理事長。ソーシャル・リスクマネジメント学会(旧日本リスク・プロフェショナル学会)創立者。専門は海上保険・危機管理。息子に亀井克之・関西大学教授。