金子 彦太郎(かねこ ひこたろう、1883年〈明治16年〉1… 金子 彦太郎(かねこ ひこたろう、1883年〈明治16年〉12月15日 - 1963年〈昭和38年〉12月4日)は、昭和時代の政治家。衆議院議員。静岡県富士郡今泉村長、吉原市長。静岡県会議長。大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍砲兵少尉。富士市名誉市民。 金子利七の長男として静岡県富士郡今泉村(吉原町、吉原市を経て現富士市)に生まれる。小学校卒業後、静岡中学校に学び、野球部(現在の静岡高校野球部)に所属した。1905年(明治38年)札幌農学校林学科を卒業。翌年の1906年(明治39年)9月、陸軍に入り、陸軍砲兵少尉に進み、1910年(明治43年)除隊帰郷した。 1921年(大正10年)今泉村会議員に当選。
横川 豊野(よこがわ とよの、1883年〈明治16年〉12月… 横川 豊野(よこがわ とよの、1883年〈明治16年〉12月15日 - 1963年〈昭和38年〉11月5日)は、日本の福祉事業家、社会事業家。高知県の中学生向けの寄宿舎「学生ホーム」設立をはじめとして、福祉事業や社会事業に関する多くの役職を歴任し、教育や福祉の分野で大きな業績を残した。旧姓は、清水。 山形県西田川郡鶴岡町(現在の鶴岡市)で誕生した。実家の商家が破産したために上京し。東京明治女学校を経て津田英学塾(現在の津田塾大学)に進学したが、結核のために1906年(明治39年)に中退した。 高知県佐川の商大生と結婚したが、夫は子供が11歳のときに別の女性と関係を持ち、家を出た。豊野は信仰と子供の養育に生涯を捧げようと思ったものの、その息子が脳卒中で死去した。
岡橋 林(おかはし しげる、1883年12月15日 - 19… 岡橋 林(おかはし しげる、1883年12月15日 - 1959年11月24日)は、日本の実業家。元住友銀行社長。 福岡県出身。明治39年(1906年)東京高商(現・一橋大学)を卒業し、同年住友銀行に入り下関、名古屋、東京各支配人を経て常務、昭和15年(1940年)専務翌年社長と改称。また住友本社、住友信託、住友倉庫、住友生命、住友ビル、昭和銀行各取締役のほか、住友金属工業、住友電気工業、住友化学工業、住友鉱業、住友機械工業、住友アルミ製錬、四国中央電力、日本板硝子各監査役を兼ねた。戦時中は大阪銀行集会所会長、敗戦直後関西経済連合会常務理事を務めたが、公職追放となり、解除後の昭和28年(1953年)第5次吉田内閣の経済最高顧問となった。
川上 親俊(かわかみ ちかとし、1882年(明治15年)12… 川上 親俊(かわかみ ちかとし、1882年(明治15年)12月15日 - 1926年(大正15年)9月6日)は、日本の内務官僚。三重県四日市市長。初名は為繁。 鹿児島県の士族大重為廉の長男として生まれ、川上親晴の養子となった。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、高等文官試験に合格。東京府属、山梨県事務官、同理事官、秋田県警察部長、滋賀県警察部長、愛媛県内務部長などを歴任した。 1923年(大正12年)より四日市市長を務めた。
仁部 富之助(にべ とみのすけ、1882年(明治15年)12… 仁部 富之助(にべ とみのすけ、1882年(明治15年)12月15日 - 1947年(昭和22年)1月11日)は、日本の鳥類研究家、農業改良家。「鳥のファーブル」と称された。 秋田県岩城町(現在の由利本荘市の一部)出身。1901年に秋田県農学校を卒業し、大曲の農商務省農事試験場陸羽支場に農業技師として勤めた。ここで、寺尾博とともに新品種のイネ「陸羽132号」を生み出した。 イネの新品種の開発の傍ら鳥類の観察を始め、1915年に「敦公の蕃殖に関する研究」を発表した。1923年の行政整理に際し依願退官し、1925年には農商務省により委嘱を受け、野鳥の生態研究に専念した。1936年に著書「野の鳥の生態」を発表した。
梁瀬 長太郎(やなせ ちょうたろう 1879年〈明治12年〉… 梁瀬 長太郎(やなせ ちょうたろう 1879年〈明治12年〉12月15日 - 1956年〈昭和31年〉6月11日)は、日本の実業家である。株式会社ヤナセの創業者として知られる。
山中 秀二郎(やまなか ひでじろう、1879年(明治12年)… 山中 秀二郎(やまなか ひでじろう、1879年(明治12年)12月15日 – 1944年(昭和19年)3月1日)は、日本の検事、鉄道官僚。貴族院男爵議員。 陸軍中将・男爵山中信儀の二男として生まれ、1926年(大正15年)5月15日に男爵を襲爵した。1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。翌年に司法官試補となり、東京地方裁判所・区裁判所検事、広島地方裁判所・区裁判所検事、福岡地方裁判所・区裁判所検事を歴任した。1923年(大正12年)、東京鉄道局副参事に転じ、水戸運輸事務所長、人事係長、参事、鉄道省事務官、鉄道監察官を歴任した。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し死去するまで在任した。
二村 権二郎(ふたむら ごんじろう、1877年〈明治10年〉… 二村 権二郎(ふたむら ごんじろう、1877年〈明治10年〉12月15日 - 1934年〈昭和9年〉10月11日)は、明治時代後期から昭和時代戦前の実業家。 二村治左衛門の二男として岐阜県大野郡清見村大原(現高山市清見町大原)に生まれる。小学校を卒業したのち、斐太中学校に入り、1896年(明治29年)卒業後は苦学を経て、1900年(明治33年)単身で渡米する。米国ではホテルの皿洗いを皮切りに農場経営に携わった。1909年(明治42年)父の危篤を期に帰朝し大阪に移り住み、同郷の岡田喜三蔵の知遇を得て紅商に入社する。同社では孟買支店勤務、同支店長を経て、1926年(大正15年)上海支店長に就任した。
高階 瓏仙(たかしな ろうせん、1876年12月15日 - … 高階 瓏仙(たかしな ろうせん、1876年12月15日 - 1968年1月19日)は、日本の仏教学者、僧侶。曹洞宗大学(現駒澤大学)教授。總持寺独住第12世貫首、永平寺第71世貫首、曹洞宗第18代管長、全日本仏教会長を歴任。道号は玉堂。 福岡県嘉穂郡臼井村生まれ。1890年永泉寺の高階黙仙住職について得度。1901年曹洞宗大学林(現駒澤大学)卒業。同年より曹洞宗の内地留学生として京都で仏教研究。1903年福岡県の永泉寺住職。1904年可睡斎の日置黙仙に4年に渡り随待参禅し、1905年静岡県の崇信寺住職となる。1909年曹洞宗大学教授に就任。1910年曹洞宗特選議員となり、以後宗議会議長、宗務院総務を歴任。
一柳 貞吉(ひとつやなぎ さだきち、1876年(明治9年)1… 一柳 貞吉(ひとつやなぎ さだきち、1876年(明治9年)12月15日 - 1941年(昭和16年)11月4日)は、日本の実業家・著述家。王子製紙取締役・監査役を務めるかたわら、一柳家にまつわる歴史の編纂や史跡の保護にあたった。諱として「直幹」、号として「南峰」を称している。 1876年(明治9年)、岐阜県大垣生まれ。父は大垣藩で藩校教授を務めていた一柳元吉(1842年 - 1919年、諱は「薫」、号「芳洲」)。実弟に、文部省社会教育局長・国民精神文化研究所所長となる関屋龍吉がいる。生家の一柳家は、江戸時代初期に伊予国西条藩主であった一柳家の流れを汲む。西条藩一柳家は3代藩主一柳直興の時に改易処分を受けたが、直興の弟・一柳直照が5000石で別家を立てており、その家は大身旗本として幕末まで存続した。
菅沼 周次郎(すがぬま しゅうじろう、1876年(明治9年)… 菅沼 周次郎(すがぬま しゅうじろう、1876年(明治9年)12月15日 - 1963年(昭和38年)12月26日)は、明治時代から昭和時代の日本海軍軍人、教育者。西海学園高等学校の創立者である。 旧平戸藩士菅沼量平の二男として長崎県松浦郡平戸(現平戸市)に生まれる。兄は平戸派南進論者として知られた菅沼貞風で、幼時よりその指導を受けた。 兄の死後、海軍兵学校(26期)に進み海軍入り。日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦に従軍。 1924年(大正13年)に少将・佐世保鎮守府人事部長を最後に退官した後、佐世保市助役に推されたが辞退し当時佐世保に無かった男子の進学できる私立普通中学の創設を志した。退官翌年の1925年(大正14年)、「西海中学」(のちの西海学園高等学校)を佐世保市八幡町に開校。
山本 鶴一(やまもと かくいち、1875年〈明治8年〉12月… 山本 鶴一(やまもと かくいち、1875年〈明治8年〉12月15日 - 没年不明)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級。 島根県楯縫郡、後の簸川郡灘分村(現出雲市)で山本才之助の長男として生まれ、1900年(明治33年)に家督を相続した。 松江中学校(現島根県立松江北高等学校)を卒業。1897年(明治30年)11月、陸軍士官学校(9期)を卒業し、1898年(明治31年)6月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第11連隊付となる。1903年(明治36年)8月、陸軍大学校(20期)に入学。日露戦争勃発により1904年(明治37年)2月、陸大を中退し、1906年(明治39年)3月、陸大に復校し、1908年(明治41年)11月、同校を卒業し参謀本部に配属された。
近藤 茂(こんどう しげる、1874年〈明治7年〉12月15… 近藤 茂(こんどう しげる、1874年〈明治7年〉12月15日 - 1954年〈昭和29年〉1月1日)は、明治から昭和初期にかけて活動した日本の電気技術者、実業家。工学博士。 逓信省の技官として電気局技術課長心得などを務め、退官後は実業界に転じて電力会社にかかわり大同電力常務取締役、昭和電力副社長に就任した。福井県出身。 福井県福井市出身。1874年(明治7年)12月15日、士族近藤寅之助の長男として生まれる。1896年(明治29年)7月第一高等学校第二部工科を卒業し、次いで1899年(明治32年)7月東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業した。同期に日本電気会長を務めた秋山武三郎らがいる。 卒業後は逓信省に入り、電気事業の監督にあたる。
上司 小剣(かみつかさ しょうけん、1874年(明治7年)1… 上司 小剣(かみつかさ しょうけん、1874年(明治7年)12月15日 - 1947年(昭和22年)9月2日)は、日本の小説家。 奈良県奈良市生まれ、兵庫県多田村(のちの川西市)育ち。本名は延貴。父が多田神社の宮司を務めていた為、小学生まで多田村で育ち、その後母の実家である大阪に預けられる。大阪の浪華文学会で活動したあと1897年上京、読売新聞社に勤め、編集局長。1914年の半生記小説『鱧の皮』が田山花袋に賞賛され、代表作となった。1937年帝国芸術院会員。戦後、新日本文学会の賛助会員となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
山川 端夫(やまかわ ただお、1873年(明治6年)12月1… 山川 端夫(やまかわ ただお、1873年(明治6年)12月15日 - 1962年(昭和37年)3月2日)は、日本の海軍・外務官僚、政治家、国際法学者。法学博士、貴族院議員、法制局長官。 長崎県出身。山川景範の長男として生まれる。長崎中学、第五高等学校を経て、1898年(明治31年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し大学院に進む。同年12月、文官高等試験に合格。1899年(明治32年)3月、海軍省に入り参事官に就任。その後、兼高等捕獲審検所事務官、兼鉄道院理事、海軍教官兼海軍省参事官、講和会議全権委員随員などを歴任。1919年(大正8年)4月、法学博士号を取得。 1920年(大正9年)4月、外務省に移り臨時平和条約事務局第1部長に就任し、さらに条約局長となる。
武田 五一(たけだ ごいち、1872年12月15日〈明治5年… 武田 五一(たけだ ごいち、1872年12月15日〈明治5年11月15日〉 - 1938年〈昭和13年〉2月5日)は、日本の建築家・建築学者。京都帝国大学建築学科創設者で、関西建築界の父といわれる。アメリカの著名建築家フランク・ロイド・ライトを日本に紹介した人物でもある。 小田県福山(現・広島県福山市)出身。「関西建築界の父」とも言われる日本の建築家。ヨーロッパ留学で影響を受けたアール・ヌーボー、セセッションなど、新しいデザインを日本に紹介した建築家とも言われる。建築以外にも工芸や図案・テキスタイルデザインなども手掛けた。自身の作品のみならず、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科や京都帝国大学(現・京都大学)に工学部建築学科を創立し向井寛三郎・瀧本義一など多くの後進を育成した。
佐々木 吉三郎(ささき きちさぶろう、明治5年11月15日(… 佐々木 吉三郎(ささき きちさぶろう、明治5年11月15日(1872年12月15日) – 大正13年(1924年)11月20日)は、日本の教育学者。 宮城県大崎市出身。宮城県師範学校を経て、1899年(明治32年)に東京高等師範学校を卒業。東京高等師範学校附属小学校訓導、東京高等師範学校助教授、同教授を歴任した。1907年(明治40年)から1909年(明治42年)までドイツに留学。帰国後、東京高等師範学校教授・同附属小学校主事を務めた。 その後、東京市視学、同学務課長に就任した。
西沢 定吉(にしざわ さだきち、明治4年11月4日(1871… 西沢 定吉(にしざわ さだきち、明治4年11月4日(1871年12月15日) - 昭和16年(1941年)9月24日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、天童町長。 山形県西村山郡大谷村(現在の朝日町)出身。1890年(明治23年)、宮城農学校(現在の宮城県農業高等学校)を卒業。翌年、専修学校(現在の専修大学)理財科に入学し、1893年(明治26年)に卒業した。 1900年(明治33年)より郡農会議員・県農会議員を務め、1903年(明治36年)には県会議員・東村山郡会議員に選出された。 1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。4期務めた(第10回、第14回、第15回、第17回)。
山本 邦之助(やまもと くにのすけ、1869年12月15日(… 山本 邦之助(やまもと くにのすけ、1869年12月15日(明治2年11月13日) - 1955年(昭和30年)12月23日)は、東京キリスト教青年会(YMCA)の第2代目総主事である。 1869年(明治2年)島根県に生まれる。東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後に、地元の村役場、三井銀行(現三井住友銀行)などで勤めた後、日本郵船に入社する。1902年(明治35年)に統計課長に就任した頃、V・W・ヘルムの指導する日本郵船内の聖書研究会の影響で、銀座教会で洗礼を受ける。 1905年(明治38年)に東京YMCAの第2代目の主事になる。1923年(大正12年)の関東大震災の復興を終えるまで務めた。1924年(大正13年)に青山学院高等学部商科長に就任する。
奥田 柳蔵(柳藏、おくだ りゅうぞう、1868年12月15日… 奥田 柳蔵(柳藏、おくだ りゅうぞう、1868年12月15日(明治元年11月2日)- 1942年(昭和17年)2月10日)は、明治から昭和前期の大地主、農業経営者、林業家、実業家、政治家。衆議院議員、14代奥田家当主。 因幡国高草郡猪子村(鳥取県高草郡大和村、気高郡大和村字猪子を経て現鳥取市猪子)で、大地主、大庄屋・奥田長十郎の長男として生まれ、1884年(明治17年)1月、家督を相続した。漢籍を修めた 国民協会に加わり、その解散後、同志と政治結社・因幡同志会を結成した。1895年(明治28年)大和村会議員となる。気高郡会議員も務め、1899年(明治32年)鳥取県会議員に選出され1期在任した。1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙で鳥取県郡部から出馬して初当選。
4代 大家 七平(おおや / おおいえしちへい、1865年1… 4代 大家 七平(おおや / おおいえしちへい、1865年12月15日(慶応元年10月28日)- 1929年(昭和4年)1月29日)は、明治・大正期の海事実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・広海。 船持商人・4代広海二三郎の息子として加賀国江沼郡瀬越村(石川県江沼郡大聖寺町瀬越を経て、加賀市大聖寺瀬越町)で生まれた。同じ瀬越の有力船持商人・3代大家七平が1886年(明治19年)に死去し、その死跡を継いで4代大家七平を襲名した。 拠点を大阪に移し、持船の汽船への転換を進めた。1896年(明治29年)逓信省より新潟とウラジオストク間、函館とコルサコフ間の航路(命令航路)を開設。1902年(明治35年)には汽船2隻、西洋型帆船5隻を所有していた。
3代 小林 万次郎(こばやし まんじろう、1863年12月1… 3代 小林 万次郎(こばやし まんじろう、1863年12月15日(文久3年11月5日)- 1919年(大正8年)9月27日)は、日本の地主、実業家、政治家。衆議院議員、長野県下高井郡中野町長。旧名・清水直。 信濃国水内郡温井村(長野県下水内郡岡山村を経て現飯山市)の清水家で生まれ、高井郡松川村(下高井郡中野町松川を経て現中野市)の素封家・2代小林万次郎の養子となる。3代小林万次郎を襲名した。生糸商を営んだ。 1901年(明治34年)中野町長に就任。1903年(明治36年)長野県会議員に選出され1期在任した。1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙で長野県郡部から選出された石塚重平の死去に伴い、1907年(明治40年)9月に行われた補欠選挙で当選し、立憲政友会所属で衆議院議員を1期務めた。
白石 直治(しらいし なおじ、安政4年10月29日(1857… 白石 直治(しらいし なおじ、安政4年10月29日(1857年12月15日) - 1919年(大正8年)2月17日)は、明治から大正時代の土木技術者、土木工学者、東京帝国大学教授、衆議院議員、実業家。旧姓は久家。 土佐藩儒で漢学者の久家種平(忘斎)、峰の長男として土佐国長岡郡十市村(現・高知県南国市十市)に生まれ、1874年(明治7年)白石栄の養嗣子となる。13歳の時、土佐藩校・致道館に学ぶ。母の弟・中島信行の影響により勤王論に刺激され、長州に走ったこともあったが、維新後上京し後藤象二郎家に寄寓する。 1881年(明治14年)東京帝国大学工科大学土木学科卒業。農商務省を経て、東京府勤務となる。1882年(明治15年)竹内綱の二女・菊と結婚。
西郷 吉義(さいごう よしみち、1855年12月15日(安政… 西郷 吉義(さいごう よしみち、1855年12月15日(安政2年11月7日) - 1927年(昭和2年)9月3日)は、明治期から大正期の医師、医学博士、陸軍軍医学校長、宮内省侍医・宮中顧問官を歴任する。正三位勲一等功四級。 信濃国松本城下に松本藩士・西郷眞諒の次男として生まれ幼名を早苗と称し、後に叔父の西郷元善の養子となる。祖先は松平康長に仕えた三河西郷氏。1882年(明治15年)東京大学医学部を卒業し、同期には青山胤通・猪子止戈之助・田代正等がいる。 卒業後、医学部准助教授(内科学)となった後、日本陸軍軍医となり陸軍一等軍医に任官し軍医学校教官(内科学担当)となった。1896年(明治29年)12月16日『明治二十七八年役陸軍衛生事蹟』編纂委員に任命され、また陸軍衛生会議議員に選ばれた。
住田 善平(安政2年11月7日(1855年12月15日) -… 住田 善平(安政2年11月7日(1855年12月15日) - 明治39年(1906年)9月8日)は、日本の実業家、政治家。住田呉服店の主人。旧姓・瀬尾。元米子銀行監査役。初代米子町名誉助役。第四代米子町長。 元米子町会議員住田寅次郎の父。娘は境町(現境港市)の回船問屋武良(むら)家に嫁いだ。漫画家水木しげる(本名:武良茂)は善平の曾孫にあたる。 鳥取県西伯郡成実村大字美吉・瀬尾家に生まれた。與喜蔵の二男。幼名を光太郎と称す。米子東倉吉町住田善吉の養嗣となり家督を継承し四代の主となる。住田氏は近世期中ごろから東倉吉町に居住し、“住田屋”を号した。衣料、雑貨を営業し、近代に入って呉服類を中心に営業を継続拡張した。
高取 伊好(たかとり これよし、1850年12月15日(嘉永… 高取 伊好(たかとり これよし、1850年12月15日(嘉永3年11月12日) - 1927年(昭和2年)1月7日)は、明治時代に活躍した佐賀藩出身の実業家、炭鉱技術者である。漢詩も嗜み西渓と号した。正六位。 法律家で元老院議員を務めた鶴田皓は実兄。Z旗のTakaこと高取ヒデアキとNobuこと高取伸和は曾孫。佐藤栞里の遠い親戚でもある。 1850年、佐賀藩多久領の武士、鶴田斌の三男として生まれる。その後、9歳の時には姉の嫁ぎ先である高取家の養子となりその家督を継いだ。 また、多久家の世継ぎである多久乾一郎の御学友に選ばれており、多久藩の郷校東原庠舎や佐賀藩校弘道館などで共に漢学と国学を学んでいる。
田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(184… 田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(1841年12月15日) - 1913年(大正2年)9月4日)は、日本の幕末から明治時代にかけての村名主、政治家。日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件の解決に奔走し、明治天皇に直訴しようとしたことで有名。衆議院議員選挙に当選6回。幼名は兼三郎。下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市小中町)出身。足尾銅山鉱毒事件の被害者でもあり、救済を政府に訴えた。日本の公益活動家の嚆矢となった人物。 父の跡を継いで小中村の名主となり、幕末から村民らと領主である高家六角家に対して政治的要求を行っていたが、このことがもとで明治維新直前の慶応4年(1868年)に投獄された。
関 義臣(せき よしおみ、1839年12月15日(天保10年… 関 義臣(せき よしおみ、1839年12月15日(天保10年11月10日) - 1918年(大正7年)3月30日)は、日本の武士・越前福井藩士、政治家。別名を山本龍二郎、関龍二。号は湘雲。正三位勲二等男爵。 1839年、福井藩の家老である本多家の越前府中(現在の越前市、旧武生市)領にて、本多家家臣・山本五郎の三男に生まれる。当初名乗っていた名前は山本龍次郎であった。嫡男ではないため、福井本藩の家臣であった山本家の分家で育つ。 藩校明道館に学び、幹事の橋本左内に認められて、文久2年(1862年)に昌平坂学問所に学んだ。1866年(慶応2年)、長崎の坂本龍馬を訪ねて亀山社中に加盟し、のちに海援隊に属した。
加藤 千浪(かとう ちなみ、1810年12月15日(文化7年… 加藤 千浪(かとう ちなみ、1810年12月15日(文化7年11月19日) - 1877年(明治10年)11月18日)は、幕末から明治時代の国学者・歌人。通称は弥三郎または弥助。号は萩園。 陸奥国白河(現在の福島県白河市)にて加藤美方と母緑川氏の子として生まれる。幼少より勉学を好み、後に江戸に出て、岸本由豆流に国学を学ぶ。歌道や書に長けていたという。 明治維新後、歌人としての名声が高く、多くの門人を抱えた。この中には伊東祐命や中島歌子などがいる。1877年(明治10年)11月18日逝去。享年68歳。墓所は深川の臨川寺。妻は三宅氏で、子供はなく養子を関氏よりとった。 顕彰碑が向島区の牛嶋神社に建立された。
杏野 このみ(あんの - 、12月15日 - )は宝塚歌劇団… 杏野 このみ(あんの - 、12月15日 - )は宝塚歌劇団・雪組に所属する娘役。
鳥居 久美子(とりい くみこ、12月15日 - )は日本の女… 鳥居 久美子(とりい くみこ、12月15日 - )は日本の女優、ダンサーである。 身長170cm、血液型はA型。家族は父、母、弟、犬。 愛知県豊橋市育ち。生まれは静岡県浜松市。 豊橋市にてダンス、歌のレッスンに励む。 愛知県立豊橋西高等学校、東邦学園短期大学(商経科秘書専攻)を卒業後、コニカミノルタホールディングス株式会社に秘書として入社。就職後も様々な舞台に出演。 オーディション合格を機に退社し上京。 その他ミュージカル、ゲストダンサー、ショー多数出演
春野 寿美礼(はるの すみれ、12月15日 - )は、日本の… 春野 寿美礼(はるの すみれ、12月15日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団花組トップスター。 東京都狛江市出身。梅田芸術劇場と専属契約でタレント・女優活動をしている。 公称身長168cm、血液型AB型、愛称おさ。 芸名は万葉集の山部赤人の歌、「春の野の すみれ摘みにと こしわれそ 野を懐かしみ 一夜寝にける」から名付けられた。 1991年、第77期生として宝塚歌劇団に入団。月組公演『ベルサイユのばら』で初舞台。花組に配属される。 1994年、東京公演『ブラック・ジャック 危険な賭け』新人公演で準主役に抜擢される。1996年、『ハウ・トゥー・サクシード』新人公演第2部で初主演。1997年、『失われた楽園』と『ザッツ・レビュー』で新人公演主演を務める。
深川 琴美(ふかがわ ことみ、12月15日 - )は、日本の… 深川 琴美(ふかがわ ことみ、12月15日 - )は、日本の作詞家。現在はフリーランス。 捜真女学校卒。美大進学を志して美術部に所属し、高校1年生の終わりに亡くなった日野綾子理事長を追悼する文集の表紙絵を描いた。美大専門予備校である湘南美術学院にて油絵を学び、多摩美術大学の油絵専攻を卒業。宝飾会社でジュエリーデザイナーとして働きながら、独学で作詞を学び、2013年に作詞家デビューした。 ◾️「Love Searcher」 岡本信彦 セカンドミニアルバム『Enjoy☆Full』収録曲 ◾️「Cycless Wind」 フィンクス(KENN) テレビアニメ『HUNTER×HUNTER』キャラクターソング ◾️「OH MY !!」 ネフェルピトー(藤村歩)テレビアニメ『HUNTER×HUNTER』キャラクターソング ◾️「あなたの言葉」 ミュセル・フォアラン(三森すずこ) テレビアニメ『アウトブレイク・カンパニー』キャラクターソング ◾️「瞳はアクアブルー」 ペトラルカ・アン・エルダント3世 (渕上舞)テレビアニメ『アウトブレイク・カンパニー』キャラクターソング ◾️「トキメキ♡Taget」 古賀沼美埜里(内田真礼) テレビアニメ『アウトブレイク・カンパニー』キャラクターソング ◾️「WILD COLORS」 エルビア・ハーナイマン(上坂すみれ) テレビアニメ『アウトブレイク・カンパニー』キャラクターソング ◾️「嘘つき女王~la reine du menteur!!~」 セレスティア・ルーデンベルク(椎名へきる) テレビアニメ『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 The Animation』関連曲 ◾️「ゴシック・マスカレイド」 セレスティア・ルーデンベルク (椎名へきる)テレビアニメ『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 The Animation』関連曲 ◾️「Just One Ring」 ソ・イングク ◾️「SMILE ON YOU」 D応P テレビアニメ『ダイヤのA』関連曲 ◾️「One Of Pieces」 小野賢章 ファーストミニアルバム『Touch the Style』収録曲 ◾️「ガラスの季節」 さんみゅ~ 6thシングル『純情マーメイド』収録曲 ◾️「桃色ファンタジー」 千菅春香 テレビアニメ『モモキュンソード』オープニングテーマ ◾️「Vivid Telepathy」 玉置成実 テレビアニメ『白銀の意思 アルジェヴォルン』後期エンディングテーマ
綾瀬 マリア(あやせ まりあ、12月15日 - )は、日本の… 綾瀬 マリア(あやせ まりあ、12月15日 - )は、日本の女性声優・ナレーター。兵庫県神戸市出身。以前はB-Boxに所属していたが、ヒューマンアカデミーを経て現在はエーエス企画に所属している。
石井 まゆみ(いしい まゆみ、12月15日 - )は、日本の… 石井 まゆみ(いしい まゆみ、12月15日 - )は、日本の漫画家。静岡県三島市出身。東京都在住。 1980年、「透き色にまぶしくて」で第19回少女フレンド・なかよし新人まんが賞佳作を受賞し、『月刊ハローフレンド』(講談社)1980年9月号に掲載されデビュー。以後、同誌や『週刊少女フレンド』(講談社)などに作品を発表。1990年代前半から『Me』や『Kiss』(いずれも講談社)などのレディースコミック誌に活動の場を移し、その後、『エレガンスイブ』(秋田書店)や『コーラス』(集英社)などにも作品を掲載。1996年に発表した「ロッカーのハナコさん」は、2002年と2003年にテレビドラマ化された。代表作は「ロッカーのハナコさん」、「キャリア こぎつね きんのもり」シリーズなど。