西村 和子(にしむら かずこ、1948年〈昭和23年〉3月1… 西村 和子(にしむら かずこ、1948年〈昭和23年〉3月19日 - )は、日本の俳人。 神奈川県横浜市生まれ。旧姓・是松。実践女子学園中学校・高等学校を経て、1970年に慶應義塾大学文学部国文学専攻を卒業。1966年、大学入学と同時に「慶大俳句」に入会し、清崎敏郎に師事。翌年より清崎主宰の「若葉」に投句。1972年、「若葉」の20代作家による会「青胡桃会」発足、参加。このころに結婚、のち二児を出産。1981年、「若葉」同人。1996年、「慶大俳句」からの句友である行方克巳とともに「知音」を創刊、行方とともに代表を務める。俳人協会新人賞、俳人協会評論賞、俳人協会賞、桂信子賞などを受賞。1977年より俳人協会会員(理事)。
浜野 佐知(はまの さち、1948年3月19日 - )は、日… 浜野 佐知(はまの さち、1948年3月19日 - )は、日本の映画監督である。株式会社旦々舎代表取締役。日本映画監督協会常務理事、同広報委員会・国際委員会委員兼任。 1948年(昭和23年)、徳島県生まれ。10歳で静岡市に移り、静岡大学附属中学校、静岡県立静岡城北高等学校卒業。本名は浜野佐知子だが、デビュー時に女流監督のクレジットは観客を引かせるので変名にしろと会社に要請され、一字削って妥協したとのこと。これまで延べ300本以上のピンク映画を撮り続けているベテランであり、女性監督としては日本一のピンク映画製作本数となっている。「女性の側から性を主体的に観る」を作品の一貫したテーマとしており、近年は「的場 ちせ」名義での活動もある。
魚本 公博(うおもと きみひろ、1948年(昭和23年)3月… 魚本 公博(うおもと きみひろ、1948年(昭和23年)3月19日 - )は、日本のテロリスト。よど号グループのメンバー。旧姓は安部。 1948年3月、大分県別府市石垣に高校教師の子として生まれる。おじがフィリピンで戦死しており、進駐軍の暴力的行為にも反感があったことから、子供時代は反米愛国少年だった。関西大学に入学。佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争で学生運動を知り、共産主義者同盟系の学生グループを経て赤軍派となり、東大安田講堂事件に参加。1970年(昭和45年)によど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。当初、警察の指紋照合による9人のメンバーの割り出しでは「梅内恒夫」と間違って発表されたが、10日後に「安部公博」と訂正された。
尾上 広和(おのうえ ひろかず、1948年3月19日- )は… 尾上 広和(おのうえ ひろかず、1948年3月19日- )は、日本の実業家。グローリー代表取締役会長。兵庫県出身。 1970年に関西学院大学商学部卒業後、国栄商事(現・グローリー)入社。2001年取締役、2011年代表取締役社長などを経て2019年から現職。 2019年11月に旭日中綬章を受章した。
根岸 修史(ねぎし なおふみ、1948年3月19日 - )は… 根岸 修史(ねぎし なおふみ、1948年3月19日 - )は、日本の経営者。積水化学工業社長、会長を務めた。愛媛県出身。 1971年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、同年に積水化学工業に入社した。2003年6月に取締役に就任し、常務、専務などを経て、2008年10月に副社長に就任し、翌年3月には社長に昇格した。2015年3月に会長に就任し、2018年6月から相談役を務めた。 経団連副議長と首都高速道路会長、みずほリース社外取締役も務めている。 2024年11月に旭日重光章を受章した。
田村 公平(たむら こうへい、1947年3月19日 - 20… 田村 公平(たむら こうへい、1947年3月19日 - 2025年5月13日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、自由連合幹事長、建設政務次官(第2次森内閣)などを歴任。高知県土佐山田町(現・香美市)出身。父は元衆議院議員の田村良平。 参議院議員時代は自由民主党議員であったが、安倍晋三の美しい国というスローガンに対してはかなり批判的であった。 2007年7月1日、田村の決起集会にて、安倍は集まった聴衆に対し「美しい国」の理念や自民党の政策を訴えた。しかし、7月16日、田村は「美しい国」について「意味がよく分からない」 と指摘した上で「高知は明日の飯をどうやって食うかという追いつめられた状況にある。
木津川 迪洽(きつかわ みちひろ、1947年3月19日 - … 木津川 迪洽(きつかわ みちひろ、1947年3月19日 - )は、日本の弁護士。第一東京弁護士会会長や、日本弁護士連合会副会長、タチエス取締役などを務めた。旭日中綬章受章。 1969年日本大学法学部卒業。1975年東京第一弁護士会弁護士登録、谷川八郎法律事務所入所。1977年木津川迪洽法律事務所設立。1999年クローバー法律事務所パートナー。2005年第一東京弁護士会副会長。2006年タチエス取締役。日本弁護士連合会副会長、法務省検察官・公証人特別任用等審査会委員などを務めた。2018年旭日中綬章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
千地 泰弘(ちぢ やすひろ、1947年(昭和22年)3月19… 千地 泰弘(ちぢ やすひろ、1947年(昭和22年)3月19日 - )は、日本の友禅作家、仏教画家、舞台衣裳作家。
鈴木 正幸(すずき まさゆき、1946年3月19日 - )は… 鈴木 正幸(すずき まさゆき、1946年3月19日 - )は、日本の俳優。所属事務所はオフィスPSC。 青森県弘前市(旧中津軽郡相馬村)出身。1965年~1971年に『劇団世代』で活動。1971年~1975年には商業演劇で、新宿コマ劇場、芸術座、日生劇場、東京宝塚劇場の舞台で活動する。 『3年B組金八先生』を筆頭とする、いわゆる『桜中学シリーズ』に唯一全シリーズに出演したことで知られ、津軽訛りで主人公に絡む巡査・大森巡役が当たり役となる。津軽訛りについては、劇団時代から「お前はいつも訛ってる」と指摘され、演出家からも「イントネーションを何とかしないと舞台には立てない」とよく言われていた。そんな中、1975年にポーラテレビ小説『加奈子』(TBS)の出演者に起用されたのをきっかけに、テレビ界に進出。
小林 功(こばやし いさお、1946年3月19日 - )は… 小林 功(こばやし いさお、1946年3月19日 - )は、日本の経営者。東京都民銀行頭取を務めた。 東京都出身。1968年に学習院大学経済学部を卒業し、同年に東京都民銀行に入行した。1997年6月に取締役に就任し、2003年6月に常務、2005年6月に専務、2007年6月に副頭取を経て、2008年6月には頭取に就任。2012年6月に会長を経て、2014年6月には相談役に就任。
一ノ瀨 良尚(いちのせ よしたか、1946年3月19日 - … 一ノ瀨 良尚(いちのせ よしたか、1946年3月19日 - )は、日本の政治家。宮崎県宮崎市議会議員(3期)。元清武町長(1期)。 宮崎県宮崎市出身。宮崎県立宮崎農業高等学校卒業。2003年より町長を務め、清武町の自立路線を進めるが、2007年4月、再選を目指した町長選で合併推進派の新人に敗れた。2024年、旭日小綬章受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小川 忠男(おがわ ただお、1945年3月19日 - )は… 小川 忠男(おがわ ただお、1945年3月19日 - )は、日本の官僚。都市再生機構理事長を務めた。 富山県滑川市出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1967年に東京大学法学部を卒業し、同年に建設省に入省。1999年7月に大臣官房長、2001年1月に国土交通審議官を経て、2008年7月に都市再生機構理事長に就任。2012年7月に退任。
入谷盛宣(いりたに もりのぶ、1945年3月19日 - )は… 入谷盛宣(いりたに もりのぶ、1945年3月19日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はB型。青森県副知事、国税庁長官官房国税審議官(国際担当)、国際金融公社東京駐在特別代表などを歴任。瑞宝中綬章受章。 東京都世田谷区出身(父母も東京都)。東京都立戸山高等学校から東京大学文科一類に入学。東京大学法学部卒業。東大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)に合格。1967年4月 大蔵省入省(主計局法規課)。1968年6月 国際金融局国際機構課。1969年7月 プリンストン大学留学。1971年7月 主税局国際租税課租税協定係長。1972年7月 飯田税務署長。その後は国際金融局外資課長補佐、環境庁企画調整局企画調整課長補佐、主計局総務課長補佐(企画)などを務める。
井上 勝生(いのうえ かつお、1945年3月19日 - )は… 井上 勝生(いのうえ かつお、1945年3月19日 - )は、日本の歴史学者。北海道大学名誉教授。専門は日本近代政治史(幕末、明治維新史)。博士(文学)(京都大学、1992年)。岐阜県生まれ。 専門は幕末史、明治維新史のうち、特に政治史、外交史。「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に反対する−戦争をさせない、若者を再び戦場に送らないために−北海道の大学・高専関係者有志アピール運動をすすめる会」(略称:「北海道の大学・高専関係者有志アピールの会」)の呼びかけ人や、安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合の賛同者、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の賛同者、「安全保障関連法に反対する学者の会」の賛同者、『北大生・宮澤弘幸「スパイ冤罪事件」の真相を広める会』による「心の会の碑」(仮称)建立の賛同者になっている。
加々美 光行(かがみ みつゆき、1944年3月19日 - 2… 加々美 光行(かがみ みつゆき、1944年3月19日 - 2022年4月22日)は、日本の現代政治思想の研究者。愛知大学名誉教授。同大国際中国学研究センターフェロー。日本貿易振興会アジア経済研究所名誉研究員。中国南開大学歴史学院客員教授。霞山会顧問。元日中社会学会理事、元中国研究所理事、元日本現代中国学会理事。中国芸術院中国文化研究所「世界漢学」編集委員、南京大学「中国研究」編集委員。国家論から説き起こした文化大革命研究や民族問題研究で知られる。 大阪府布施市(現・東大阪市)生まれ、東京都杉並区育ち。 アジア経済研究所に在職時代の1972年から80年まで哲学者の市井三郎と共同で山梨県大月市朝日小沢で畑を開墾し農耕に従事する。
田中 英夫(たなか ひでお、1944年3月19日 - )は、… 田中 英夫(たなか ひでお、1944年3月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の京都府議会議員(通算5期)。衆議院議員(1期)、京都府亀岡市長(2期)を務めた。
田中 英夫(たなか ひでお、1944年(昭和19年)3月19… 田中 英夫(たなか ひでお、1944年(昭和19年)3月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の京都府議会議員(通算7期)。衆議院議員(1期)、京都府亀岡市長(2期)を務めた。 広島県広島市生まれ。1945年8月6日、広島市への原爆投下により被爆を経験する。修道中学校、1962年洛星高等学校、1966年京都大学経済学部卒業。1975年、田中石油株式会社代表取締役に就任。1982年、亀岡青年会議所理事長に就任した。1983年、谷口義久亀岡市長の下で亀岡市助役に起用される。 1991年、京都府議会の保守系会派である新政会の公認を受けて京都府議会議員選挙に亀岡市選挙区から出馬し、初当選した。1995年、再選。
坂上 芳洋(さかうえ よしひろ、1944年(昭和19年)3月… 坂上 芳洋(さかうえ よしひろ、1944年(昭和19年)3月19日 - )は、日本の防衛アナリスト、一般財団法人日本総合戦略研究所理事長、日本の将来を考える会会長。 昭和42年3月防衛大学卒。護衛艦あやせ艦長、第46護衛隊司令、防衛庁海上幕僚監部防衛部通信課長、同装備体系課長、海将補、第一護衛隊群司令、環太平洋合同演習日本部隊指揮官、阪神基地隊司令を経て、日米欧の多国籍弾道ミサイル防衛会議議長、日米欧弾道ミサイル防衛戦術ゲーム主管、一般財団法人日本総合戦略研究所理事長、米国レイセオン社上級アドバイザー、ダイキン工業顧問など多くの役職を兼任した。 著書に「世界のミサイル防衛」他多数。 1944年 富山県南砺市(旧富山県西砺波郡福光町)に生まれる。
井田 康夫(いだ やすお、1943年3月19日 - )は、日… 井田 康夫(いだ やすお、1943年3月19日 - )は、日本の土木工学者。工学博士(大阪大学)。大阪工業大学工学部都市デザイン工学科元教授。元土木学会関西支部商議員・関西支部幹事。 専門は、水工学・河川工学、海岸工学・海洋工学、地盤工学・環境工学。 1965年大阪工業大学工学部土木工学科卒業。同大学土木工学科助手、講師を経て、大阪大学大学院にて工学博士(大阪大学)。1996年大阪工業大学土木工学科助教授を経て、2004年同学科教授。2002年同学部都市デザイン工学科教授。2005年同学科長。2008年大阪工業大学退官。 大阪工業大学工学部(土木工学科・都市デザイン工学科)にて40年以上の長きに渡り教鞭を執り、同大学八幡工学実験場水理実験センターの利用推進に貢献した。
槌屋治紀(つちや はるき、1943年3月19日- )は、日本… 槌屋治紀(つちや はるき、1943年3月19日- )は、日本のエネルギー工学者。 千葉県生まれ。東京大学工学部機械工学科卒業、同大学院機械工学科博士課程修了、1970年「高炉の計算制御のための基礎的研究」で工学博士。 1979年に株式会社システム技術研究所を設立し、所長。システム工学専攻。
浜田 マキ子(はまだ マキこ、1942年〈昭和17年〉3月1… 浜田 マキ子(はまだ マキこ、1942年〈昭和17年〉3月19日 - 2022年〈令和4年〉5月29日)は日本の実業家・政治運動家・エッセイスト。本名:濱田 麻記子、旧姓は藤井。夫は元衆議院議員・参議院議員で弁護士の浜田卓二郎。叔父は元参議院議員・郵政大臣の植竹春彦、従兄は元衆議院議員・外務副大臣の植竹繁雄。 東京都文京区出身。父親は実業家の娘に生まれる。清明学園初等学校を経て森村学園初等科、中等科、高等科卒業。1960年4月、日本航空に入社し、国際線スチュワーデス(現・キャビンアテンダント)となる。翌1961年2月、10か月で日本航空を退社し、東京大学に入学。1965年3月、東京大学文学部東洋史学科を卒業後、植竹の秘書となるが、同年大蔵省に勤務していた卓二郎と結婚。
吉村 秀實(よしむら ひでみ、1941年3月19日 - )は… 吉村 秀實(よしむら ひでみ、1941年3月19日 - )は、フリージャーナリスト・防災評論家で、元NHK解説委員。 現役記者時代、社会部記者として様々な事件・事故の取材に携わり、いつしか防災の分野に深くかかわるようになった。
中留武昭(なかどめ たけあき、1940年3月19日 - )は… 中留武昭(なかどめ たけあき、1940年3月19日 - )は、日本の教育行政学者、九州大学・鹿児島県立短期大学名誉教授。学校経営が専門。 横浜市生まれ。旧姓・稲葉。1964年明治学院大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了、1970年青山学院大学大学院文学研究科教育学博士課程満期退学。九州学院大学講師、1978年埼玉工業大学助教授、奈良教育大学助教授、教授、九州大学教育学部教授、人間環境学府研究院教授、1994年「アメリカにおける学校評価に関する研究」で九大教育学博士。2003年定年退官、名誉教授、九州女子短期大学教授、2004年西南女学院大学教授、2006年鹿児島県立短期大学長、名誉教授。元日本教育経営学会会長。
清水 まゆみ(しみず まゆみ、1940年3月19日 - )は… 清水 まゆみ(しみず まゆみ、1940年3月19日 - )は、日本の女優。旧芸名は清水 マリ子、本名は小高 鞠子(おだかまりこ)。 北海道室蘭市出身。室蘭文化学園(現・北斗文化学園)中退。 1950年代後半から1960年代半ばまで日活全盛期に人気となり活躍、芦川いづみ、吉永小百合、浅丘ルリ子らと共に日活を代表する女優の名称である「日活パールライン」と呼ばれた女優の一人。 1957年、日活映画『月下の若武者』製作にあたり津川雅彦の共演者を探すオーディションに受かり、同作でデビュー。高校を2年で中退して上京、清水マリ子の芸名でデビューする。 1958年、石原裕次郎主演『紅の翼』で、清水まゆみに改名。
及川 三千代(おいかわ みちよ、本名:及川ウメ子 1939年… 及川 三千代(おいかわ みちよ、本名:及川ウメ子 1939年3月19日 - 2014年4月5日)は日本の歌手である。 岩手県胆沢郡金ケ崎町出身。北上学園北上商業高等学校(現・専修大学北上高等学校)卒業。 高校卒業後、民謡保存協会で民謡の指導を受け、全国民謡大会で浅草に出演中認められて昭和31年(1956年)にテイチク・レコードの専属となる。 デビュー当時は本名の及川ウメ子で活動していたが、1958年に及川三千代に改められた。 1959年日本グラモフォン(ポリドール・レーベル)に移籍。 1962年12月31日、第13回NHK紅白歌合戦に初出場し、「愛と死のかたみ」を歌唱した。紅白での及川の歌唱中の写真が現存する。
槙原 紘(まきはら ひろし、1939年3月19日-2016年… 槙原 紘(まきはら ひろし、1939年3月19日-2016年8月27日 )は、日本の経営者。三井金属鉱業社長を務めた。佐賀県出身。 1961年に九州大学工学部応用学科を卒業し、同年に三井金属鉱業に入社した。1995年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務を経て、2000年6月に副社長に就任し、2003年6月には社長に昇格した。2007年6月に相談役に就任。 2016年8月27日心不全のため死去、77歳没。
熊田 克隆(くまだ よしたか、1939年3月19日 - )は… 熊田 克隆(くまだ よしたか、1939年3月19日 - )は、日本の実業家。JTCメディアグループの現代表取締役、名古屋アナウンサーアカデミーの現理事長、元ラジオ岐阜のアナウンサー、元中京テレビ放送のアナウンサー。岐阜県岐阜市出身。法政大学卒業。 大学卒業後、ラジオ岐阜に入社。その後、1969年に中京テレビが開局するのに合わせて移籍し、同局第1期のアナウンサーとして入社(同期に山崎正)。中京テレビでは主に報道とスポーツ関連の番組を担当し、ワイドニュース『6時のNEWS』の初代キャスターを務めた。また、第2回NNSアナウンス大賞で大賞を受賞。これは地方局のアナウンサーとしては初の受賞例である。その後、報道部へ異動。
渕上 貞雄(ふちがみ さだお、1937年3月19日 - 20… 渕上 貞雄(ふちがみ さだお、1937年3月19日 - 2023年10月13日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は正四位。 西鉄労組書記長から私鉄九州地連委員長を務めた後、参議院議員(4期)、社会民主党幹事長(第3代)、社会民主党副党首、社会民主党選挙対策委員長などを歴任。
桑山 浩然(くわやま こうねん、1937年3月19日 - 2… 桑山 浩然(くわやま こうねん、1937年3月19日 - 2006年10月15日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。室町幕府における公方御倉の存在を明らかにし、幕府財政の中での土倉役や酒屋役の重要性を主張したことで、幕府財政にメスを入れる先駆的な研究を果たした。 満州(中国東北部)に生まれ、新潟で育つ。1959年に新潟大学人文学部を卒業し、東京大学大学院人文科学研究科へ進む。 1964年から東京大学史料編纂所に勤務し、1979年に助教授、1984年に教授となった。 1997年に退職して、同大名誉教授。滋賀大学教育学部教授を経て、2001年からは国士舘大学文学部教授を務めた。この間、お茶の水女子大学等においても非常勤講師を担当した。
鈴木 康之(すずき やすゆき、本名・康行、1937年〈昭和1… 鈴木 康之(すずき やすゆき、本名・康行、1937年〈昭和12年〉3月19日 - )は、日本のコピーライター、ゴルフマナー研究家。 1937年、秋田市に生まれる。小学校は静岡県藤枝市、中学校高校は東京都で過ごす。早稲田大学文学部仏文科へ。在学中に同人誌「早稲田作家」を主宰した。卒業後、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科へ進み、1961年コピーライターとして日本デザインセンターに入社。。1963年、東京コピーライターズクラブTCCの第1回新人賞受賞、入会。その後、1964年にアド・エンジニアーズ・オブ・トーキョーを経て、フリーランスに。1969年、株式会社タイム設立。。TCC年艦事業部長、コピー年艦審査委員、日本広告制作会社連盟(OAC)常務理事、広告学校全25期専任講師、日本広報協会技術アドバイザーなどを歴任。
眞崎 才次(まさき さいじ、1936年3月19日 - )は、… 眞崎 才次(まさき さいじ、1936年3月19日 - )は、日本の機械工学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(京都大学)。第9代大阪工業大学機械工学科同窓会会長。元京都工芸繊維大学助教授。瑞宝中綬章受章。 専門は、材料加工・塑性工学・トライボロジー、生産工学・材料科学。 1959年大阪工業大学工学部機械工学科卒業。1961年同大学大学院機械工学専攻修士課程修了。のちに、京都大学大学院にて工学博士号を取得。同大学助手、京都工芸繊維大学工芸学部助教授などを経て、1972年大阪工業大学工学部機械工学科教授。文部省在外研究員としてカリフォルニア大学バークレー校に留学。1998年第9代大阪工業大学機械工学科同窓会会長を務め、2001年同大学名誉教授。
上野 尚一(うえの しょういち、1936年3月19日 - 2… 上野 尚一(うえの しょういち、1936年3月19日 - 2016年2月29日)は、朝日新聞社社主。朝日新聞社初代社主、上野理一の曾孫にあたる。 京都府出身。1958年、慶應義塾大学法学部卒業。1962年に朝日新聞社に入社。元・同社国際本部副部長。1995年12月から社主代理、1997年10月から社主を務める。 朝日新聞社株式を11.02%保有。元朝日新聞社社主・上野淳一の長男であり、独立行政法人国立博物館運営委員会副委員長、仏教美術研究上野記念財団理事。朝日新聞社社主は村山美知子と共同で務める。 2016年2月29日、肺がんのため死去。79歳没。 上野理一(曽祖父、初代社主) - 上野精一(祖父、2代目社主) - 上野淳一(父、3代目社主) - 上野尚一(4代目社主)
島田 燁子 (しまだ あきこ、1936年3月19日 - )は… 島田 燁子 (しまだ あきこ、1936年3月19日 - )は、学校法人文京学園理事長、学園長、文京学院大学学長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、教育に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:教育)。
斎藤 季夫(さいとう すえお、1935年〈昭和10年〉3月1… 斎藤 季夫(さいとう すえお、1935年〈昭和10年〉3月19日 - 2023年〈令和5年〉1月頃)は、NHKの元アナウンサー。 青山学院高等部、慶應義塾大学経済学部卒業。大学では同級生に石原裕次郎がいた。1959年入局、1993年に定年退職。 現役時代は『スタジオ102』、『NHKニュース(正午、午後7時)』など、報道番組のキャスターとしての出演が多かった。特に、1985年8月12日に起きた日本航空123便墜落事故翌日の生存者発見の第一報や、1989年1月7日の午前6時36分から10時過ぎまで昭和天皇の危篤、そして崩御の第一報を伝えた。一方で『訪問インタビュー』ではその淡々とした語り口で好感を得た。
鈴木 鐸志(すずき たくし、1935年3月19日 - )は、… 鈴木 鐸志(すずき たくし、1935年3月19日 - )は、日本の経営者。淀川製鋼所社長を務めた。 高知県出身。1957年に高知大学文理学部社会学科を卒業し、同年に淀川製鋼所に入社。1993年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、2001年6月に社長に就任。2006年6月に会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山形 和美(やまがた かずみ、男性、1934年3月19日 -… 山形 和美(やまがた かずみ、男性、1934年3月19日 - 2019年5月21日)は、日本の文学研究者、翻訳家。筑波大学名誉教授。専門は、近代イギリス文学、日本・欧米比較文学及び文学理論、日本近代キリスト教文学。 1934年、山口県で生まれた。1957年、西南学院大学文学部を卒業。東京教育大学大学院文学研究科(英文学専攻)に進学し、1959年に修士課程を修了。博士課程に進学したが、中途退学。 1959年、母校の西南学院大学短期大学部助手に採用された。1960年より同大学文学部専任講師。1963年に専修大学法学部専任講師となり、1967年に助教授、後に教授昇格。1973年、フェリス女学院大学文学部助教授に転じ、後に教授昇格。
勝部 義夫(、1934年〈昭和9年〉3月19日 - 2023… 勝部 義夫(、1934年〈昭和9年〉3月19日 - 2023年〈令和5年〉5月)は、日本の元俳優。島根県大田市波根町出身。日本大学芸術学部映画科卒業。 1953年、大学入学と同時に帝国劇場の研究生となり、翌年に正式な劇団員となる。 1955年に東宝専属となり、1956年に公開された東宝配給作品『白夫人の妖恋』(豊田四郎監督)でデビュー。 その後も多数の作品でバイプレイヤーとして活躍。合計327本の映画に出演。書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、「決定打的な役はないが、常に何らかのかたちで画面に登場してくる不思議な俳優」と評している。 テレビドラマでも『ウルトラセブン』の準レギュラー・ウエノ隊員をはじめ多数の作品に出演。
小島 秀哉(こじま ひでや、1934年〈昭和9年〉3月19日… 小島 秀哉(こじま ひでや、1934年〈昭和9年〉3月19日 - 2012年〈平成24年〉7月17日)は、日本の俳優。本名、小嶋 秀哉(読み同じ)。広島県呉市出身。松竹・関西演劇部所属。桃山学院高等学校卒業。血液型B型。 曾我廼家十吾に弟子入り。 1953年に松竹新喜劇へ入団し、「藤山寛美に次ぐナンバー2」と目された。 1977年に退団後、小沢昭一主宰の芸能座に参加。なお、退団は藤山との不仲が噂されたが、藤山の娘・直美主演の舞台に数多く出演していた(2009年の松竹新喜劇結成60周年記念公演にも出演)。 1978年、『ダイナマイトどんどん』で野球の試合前に「ダイナマイト〜!」と気合を入れる主人公の相棒・留吉役で出演。
大井 邦雄(おおい くにお、1933年3月19日 - 202… 大井 邦雄(おおい くにお、1933年3月19日 - 2020年1月20日)は、日本の英文学者、早稲田大学名誉教授。位階は正五位。 新潟県長岡市生まれ。1954年新潟県立長岡高等学校卒、1959年早大文学部英文科卒、1964年同大学院博士課程満期退学。早稲田大学文学部助教授を経て教授。2003年定年、名誉教授。2014年、瑞宝中綬章受章。正五位。 シェイクスピア、エリザベス朝演劇が専門。 2020年1月20日死去。86歳没。没後に正五位に追叙された。
金宇 満司(かなう みつじ、1933年3月19日 - 202… 金宇 満司(かなう みつじ、1933年3月19日 - 2022年10月27日)は、日本の映画カメラマン。松本市出身。 長野県東筑摩郡里山辺村(現松本市)出身。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1953年東京写真短期大学卒業後、岩波映画製作所に入社。数多くの作品にて撮影技師として活躍し、1967年に退社。 1970年、芸術選奨新人賞、三浦賞受賞。 1971年、石原プロモーションに移籍。以降、石原プロモーション作品のカメラマンとして数多くの作品で活躍する傍ら、専務の小林正彦と共に常務として石原プロの経営を支える。 2005年、石原プロモーションを定年退職。それを機に2006年、晩年の石原裕次郎の看病に専念した日々の回顧録である『社長、命。
伊藤 文學(いとう ぶんがく、英: Bungaku Ito,… 伊藤 文學(いとう ぶんがく、英: Bungaku Ito, 1932年3月19日 - )は、日本の実業家、雑誌編集者、作家、歌人。 日本初の商業ベースの同性愛雑誌『薔薇族』創刊者・編集長。第二書房代表取締役社長、ロマンの泉美術館館長。 男性同性愛者のためのゲイ雑誌刊行により、全国の書店に置くことで「同性愛者の存在を可視化」させ、社会的少数者は「自分だけではない」と明確に分かるようになる。雑誌の投稿欄、読者座談会やカフェ開業など交流の場を設け、コミュニティ作りに尽力。「薔薇族」「百合族」を命名。『薔薇族』編集長を40年間務めた。 東京府に生まれる。荏原小学校代沢分教場(世田谷区立代沢小学校)、世田谷中学校・高等学校を経て、駒澤大学文学部国文科を卒業。
吉澤 欣一(よしざわ きんいち、1932年3月19日- )… 吉澤 欣一(よしざわ きんいち、1932年3月19日- )は、日本の経営者。大同生命保険社長、会長を務めた。 大阪府出身。京都大学理学部を経て、1955年に京都大学大学院理学研究科修士課程を修了し、同年に大同生命保険に入社した。1977年6月に取締役に就任し、1982年7月に常務、1985年4月に専務を経て、1988年7月に社長に就任。京大では数学を専攻し、業界では珍しい理数系出身の社長であった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
渡辺 護(わたなべ まもる、1931年3月19日 - 201… 渡辺 護(わたなべ まもる、1931年3月19日 - 2013年12月24日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。新劇の俳優から演出家に転向し、いわゆるピンク映画の黎明期からその隆盛を支え、美保純、可愛かずみのデビュー作を手がけたことで知られる。生涯を通じて多作であり、監督作だけでも210作を超えるといわれる。門前 忍(もんぜん しのぶ)という筆名を山本晋也と共有した。 1931年(昭和6年)3月19日、東京府北豊島郡滝野川町(現在の東京都北区滝野川)に生まれる。父は恭三郎、母はナカ、姉・兄・弟・妹をもつ5人兄弟の次男(第3子)、生家は映画館であったため、映画はふんだんにみられる環境にあった。
田中清光(たなか きよみつ/せいこう、1931年3月19日-… 田中清光(たなか きよみつ/せいこう、1931年3月19日- )は、日本の詩人。
早崎 博(はやさき ひろし、1931年3月19日 - 202… 早崎 博(はやさき ひろし、1931年3月19日 - 2024年4月14日)は、日本の経営者。住友信託銀行社長を務めた。千葉県出身。 1953年に東京大学法学部を卒業し、同年に住友信託銀行に入行。 1978年に取締役に就任し、1981年6月に常務、1983年6月に専務、1987年6月に副社長を経て、1989年6月に社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1998年3月に相談役を経て、1999年6月から相談役を務めた。 2000年6月から2011年6月までに住友化学監査役を務め、読売テレビ放送、京王電鉄各取締役を務めた。 1995年11月に藍綬褒章を受章。 2024年4月14日、肺炎により死去。
高田 敏(たかだ びん、1930年(昭和5年)3月19日 -… 高田 敏(たかだ びん、1930年(昭和5年)3月19日 - 2022年(令和4年)12月16日)は、日本の法学者。専門は行政法。大阪大学名誉教授。兵庫県出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
和田 旦(わだ あきら、1930年3月19日 - 2020年… 和田 旦(わだ あきら、1930年3月19日 - 2020年7月6日)は、英文学者、音楽評論家、慶應義塾大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 福岡県生まれ。1958年慶應義塾大学大学院修士課程修了(英文学専攻)。慶應義塾大学教養部助教授、教授、95年定年、名誉教授、埼玉短期大学教授・学長。文芸誌『同時代』同人。2020年、7月6日死去。叙従四位。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長田 暁二(おさだ ぎょうじ、1930年〈昭和5年〉3月19… 長田 暁二(おさだ ぎょうじ、1930年〈昭和5年〉3月19日 - 2024年〈令和6年〉11月4日)は、日本の音楽文化研究家、音楽プロデューサー。ポリドール・レコード学芸部長、徳間音楽工業常務取締役、テイチクエンタテインメント顧問を歴任。 岡山県笠岡市生まれ。笠岡市の禅寺威徳寺の次男として育つ。1953年、駒澤大学英米文学科卒業。 大学在学中からコロムビアレコードでアルバイトをし、レコード業界に出入り。卒業後、同年キングレコード入社。童謡担当ディレクターを振り出しに22年間ディレクターを務めた。 1968年、芸術祭賞受賞(児童のための音楽入門レコード『チュウちゃんが動物園へいったお話』)に始まり、同奨励賞3回、批評家選賞1回。
石間 春夫(いしま はるお、昭和5年〈1930年〉3月19日… 石間 春夫(いしま はるお、昭和5年〈1930年〉3月19日 - 平成2年〈1990年〉1月4日)は、日本のヤクザ。五代目山口組舎弟。誠友会初代会長。北海道夕張郡長沼町出身。通称は「北海のライオン」。 昭和5年(1930年)3月19日、北海道夕張郡長沼町で生まれた。 昭和19年(1944年)、久里浜の海軍対潜学校を卒業し、大湊警備所属の海防艦137号に配属された。 昭和20年(1945年)の終戦後、北海道夕張郡長沼町に復員した。すぐに長沼町で愚連隊を組織した。 昭和37年(1963年)、5月、長岡宗一は小高竜湖に逆破門状を送った。長岡宗一は、舎弟や若衆が先に小高龍湖を襲撃することは、認めなかった。
佐々木 徳夫(ささき とくお、1929年(昭和4年)3月19… 佐々木 徳夫(ささき とくお、1929年(昭和4年)3月19日 - 2010年(平成22年)1月25日)は、日本の民俗学者、昔話採集家。 宮城県中田町(現登米市)出身。旧制宮城県佐沼高等学校、東洋大学文学部哲学科卒業。 社会科担当の高校教師を務めていた1957年より昔話をカセットテープに録音し収集する活動を開始した。集めた昔話は東北地方を中心に1万話を超え、著書は高校教師時代の1966年(昭和41年)11月の自費出版による『酒の三太郎』が最初で、50冊を超える。1992年、昔話の保護に取り組んだ業績が認められ、吉川英治文化賞を受賞した。 2010年1月25日、肺炎により宮城県塩竈市の病院で亡くなった。