丸岡 修(まるおか おさむ、1950年〈昭和25年〉10月2… 丸岡 修(まるおか おさむ、1950年〈昭和25年〉10月20日 - 2011年〈平成23年〉5月29日)は、日本のテロリスト・新左翼活動家。日本赤軍の元メンバーで軍事部門の最高幹部だった。徳島県出身。ドバイ日航機ハイジャック事件、ダッカ日航機ハイジャック事件一味として国際手配され、1987年に東京で逮捕。 生家は徳島県の大地主で、父親は一家の当主かつ陸軍将校だったが、敗戦後の農地改革で没落し、一家は徳島を離れ、大阪で縫製業に就いていた。その生家の環境及び、小学6年の担任が戦後も軍国主義者であり続けた右翼教師であったため、その強い影響で中学3年まで熱狂的な右翼少年であった。五・一五事件や二・二六事件の青年将校に憧れ、自衛官を志望していたが、大阪府立清水谷高等学校入学後、ベトナム戦争に疑問を持ち、日本民主青年同盟やベ平連の会合に参加し、羽田闘争での京都大学の学生山崎博昭の死に衝撃を受け、高校を卒業後、1970年から大阪浪共闘に参加した。
姉崎 洋一(あねざき よういち、1950年10月20日 - … 姉崎 洋一(あねざき よういち、1950年10月20日 - )は、日本の教育学者、札幌大学女子短期大学部教授。専門は、高等教育・社会教育・教育法など。北海道教育学会会長も務めた。 富山県に生まれ、高岡市で育った後、中学生のときに名古屋市に転居した。名古屋大学教育学部を1974年に卒業して同大学院教育学研究科に進み、1979年に博士課程を単位取得退学した。 1979年、愛知県立大学文学部専任講師となり、1985年に助教授に昇任、1987年から1988年にかけてはリーズ大学客員研究員となった。1997年、埼玉大学教育学部助教授に転じ、さらに1999年10月には北海道大学大学院教育学研究科教授となった。
石塚 仁太郎(いしつか じんたろう、1950年(昭和25年)… 石塚 仁太郎(いしつか じんたろう、1950年(昭和25年)10月20日 - )は、茨城県の政治家。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。茨城県岩井市長。初代坂東市長。茨城県市長会会長。茨城県国民保険団体連合会理事長。東京メトロ有楽町線建設誘致期成同盟会副会長。父は岩井市議会の議長を務めた。持論は『市長3期説』。 1986年1月の岩井市議会議員選挙において初当選。1994年の岩井市長選挙に、現職の吉原英一とその父・三郎時代から続く長期政権反対を訴え、2期8年までしか務めないという公約で出馬し初当選。1998年にも吉原英一と争い再選し、岩井市・猿島町が合併し坂東市が誕生するまで市長を務めた。2005年3月の坂東市長選挙において無投票当選。
宇江佐 真理(うえざ まり、1949年10月20日 - 20… 宇江佐 真理(うえざ まり、1949年10月20日 - 2015年11月7日)は、日本の時代小説作家。本名、伊藤 香(いとう かおる)。 北海道函館市生まれ。北海道函館中部高等学校在学中より創作を始める。函館大谷女子短期大学(現・函館大谷短期大学)卒業。OL生活を経て、主婦となる。 1995年、『幻の声』でオール讀物新人賞を受賞しデビュー。同賞の選考委員の一人、白石一郎から、伊三次(『幻の声』の主人公)を主人公に据えた連作が可能である、との意見をもらい連作化された。同作品を含んだ連作短編集『幻の声 髪結い伊三次捕物余話』は第117回直木三十五賞候補にもなり注目される。なおペンネーム「宇江佐真理」は『ウエザ・リポート』というタイトルでエッセイを書くために決めたため、その名に拘りはなく、本名を隠蔽することさえできればよかった。
松谷 有希雄(まつたに ゆきお、1949年10月20日 - … 松谷 有希雄(まつたに ゆきお、1949年10月20日 - )は、日本の厚生労働技官、小児科医。厚生労働省医政局長、国立療養所多磨全生園長、国立保健医療科学院長、国際医療福祉大学副学長、厚生労働統計協会会長等を歴任。 埼玉県さいたま市生まれ。1975年北海道大学医学部卒業、聖路加国際病院小児科研修医。聖路加国際病院チーフ・レジデントを経て、1980年ピッツバーグ大学公衆衛生大学院修士課程修了。1981年厚生省入省。2005年から厚生労働省医政局長を務め、卒後臨床研修の必修化などを実施した。2007年国立療養所多磨全生園長。2012年国立保健医療科学院長。 2015年国際医療福祉大学副学長。2016年大塚ホールディングス取締役。
富井 澄博(とみい すみひろ、1949年〈昭和24年〉10月… 富井 澄博(とみい すみひろ、1949年〈昭和24年〉10月20日 – 2013年〈平成25年〉1月19日)は、日本のアルペンスキーヤー。 長野県出身。1972年の冬季オリンピックと1976年の冬季オリンピック に出場した。 引退後は後進選手の育成に尽力し、1998年長野オリンピックではアルペン女子の競技委員長を務めた。2013年(平成25年)1月、腎盂がんのため長野県上高井郡小布施町の病院で死去した。
大道寺 あや子 (だいどうじ あやこ、1948年10月20日… 大道寺 あや子 (だいどうじ あやこ、1948年10月20日 - )は、日本の政治活動家、新左翼系武装組織である東アジア反日武装戦線の元メンバー。 ダッカ日航機ハイジャック事件で超法規的措置により釈放され日本赤軍に合流、2024年現在国際手配中である。 旧姓・駒沢。北海道釧路市生まれ。北海道釧路湖陵高等学校を卒業。在校中は成績優秀、スピードスケート部での活躍が認められて卒業生総代を務める。星薬科大学に推薦入学し、ワンダーフォーゲル部に所属。自治会活動、学費値上げ反対闘争などに参加した。この頃に高校時代の同級生であった大道寺将司に高校の同窓会で「研究会」にオルグ (勧誘) される。高校在校中にはほとんど接点がなかった二人が、この会をきっかけに交際を始めて同棲するに至る。
中沢 丈一(なかざわ じょういち、1948年〈昭和23年〉1… 中沢 丈一(なかざわ じょういち、1948年〈昭和23年〉10月20日 - )は日本の政治家。群馬県議会議員(8期)、第81代群馬県議会議長、群馬県議会副議長、前橋市議(2期)を務めた。 1948年10月20日、群馬県勢多郡上川淵村(現前橋市)大字上佐鳥に生まれる。1961年、前橋市立上川淵小学校卒業。1964年、前橋市立第七中学校卒業。1967年、群馬県立勢多農林高等学校卒業。1971年、東京農業大学農学部農業経済学科を卒業し、群馬県経済農業協同組合連合会に勤務する。1977年、退職して農業に従事するようになる。 1985年、前橋市議会議員選挙に無所属で立候補して初当選を果たし、2期6年務めた。
眞木 準(まき じゅん、1948年10月20日 - 2009… 眞木 準(まき じゅん、1948年10月20日 - 2009年6月22日)は、日本のコピーライター。愛知県知多市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。 1971年に博報堂に入社。同社の制作室クリエイティブチームに在籍し、全日空やサントリー、キヤノンなどの企業の広告コピーを12年に渡って書き続けた。 1983年に博報堂を退社し、フリーに転じた後は伊勢丹、資生堂、三陽商会などの企業のコピーを手掛ける一方で、1988年に朝日新聞社から刊行された週刊誌『AERA』のネーミング考案などにも携わった。特に伊勢丹のキャンペーン広告は、博報堂在籍時の1978年から手掛けていたが、1984年からは前任者で同じくコピーライターの土屋耕一から引き継ぐ形で、長期間にわたり同キャンペーン広告のコピーを担当した(土屋も1989年まで同キャンペーンのコピーを担当していた)。
織田 あきら(おだ あきら、1947年10月20日 - )は… 織田 あきら(おだ あきら、1947年10月20日 - )は、日本の元俳優。本名は、佐野 粲(さの あきら)。 北海道滝川市出身。東京電機大学高等学校卒業。三船プロダクション、アクターズプロモーションに所属していた。 小学校5年生のときに母と共に上京。エンジニアを志して東京電機大学高等学校を卒業するが、定職に就かずギターの弾き語りで赤坂、六本木の深夜レストランを回る。1973年、映画監督の斎藤耕一の妻(当時)の天路圭子に見出され、斎藤の監督作品『津軽じょんがら節』(ATG)の主役に起用され幸運なデビューを飾り、映画のヒット、ベスト・ワン受賞とともに一躍注目される。その後、『蔵王絶唱』(東宝)、『動乱』(東映)などにも出演した。
佐々木 幹郎(ささき みきろう、1947年10月20日 - … 佐々木 幹郎(ささき みきろう、1947年10月20日 - )は、日本の詩人。 奈良県天理市で生まれ大阪府藤井寺市で育つ。ランドスケープアーキテクトの佐々木葉二は弟。美陵町立(現・藤井寺市立)藤井寺小学校、大阪市立阪南中学校、大阪府立大手前高等学校を経て、同志社大学文学部哲学科中退。 1967年、大手前高校卒業。高校時代は美術部と社会科学研究会に所属し、当時から詩作に励んでいた。羽田闘争で死亡した山崎博昭とは同期である。1970年、その死を追悼した第一詩集『死者の鞭』で詩壇にデビュー。大学時代は「同志社詩人」に所属。詩誌「白鯨」(1972年〜75年)創刊同人。 1976年、中原中也と小林秀雄の恋人であった長谷川泰子を主演にした映画「眠れ蜜」(監督・岩佐寿弥、撮影・田村正毅、脚本・佐々木幹郎)を独立プロダクション「シネマ・ネサンス」で製作。
鵜飼 克雄(うかい かつお、1947年10月20日- )は、… 鵜飼 克雄(うかい かつお、1947年10月20日- )は、徳島県徳島市出身の元プロ野球選手(投手)である。
冨田 健次(とみた けんじ、1947年10月20日 - )は… 冨田 健次(とみた けんじ、1947年10月20日 - )は、ベトナム語学者。大阪大学名誉教授。 長崎県生まれ。東京外国語大学インドシナ科卒業。東京教育大学大学院修士課程修了。筑波大学大学院博士課程中退。1982-83年ハノイ総合大学に学ぶ。1977年大阪外国語大学助手、講師、83年助教授、94年教授、2007年大阪大学言語文化研究科教授、2013年定年退官。朝日カルチャーセンター講師。NHK文化センター講師。ベトナミスト・クラブ代表。
田中 隆一(たなか たかいち、1946年(昭和21年)10月… 田中 隆一(たなか たかいち、1946年(昭和21年)10月20日 - )は、日本の政治家。長崎県西海市長(2期)、西海市議会議員(1期)、西彼町議会議員(3期)などを務めた。 長崎県西海市出身。1965年(昭和40年)3月、長崎県立西彼農業高等学校卒業。1968年(昭和43年)から1993年(平成5年)まで真珠園療養所臨床検査課に勤務する。 1993年(平成5年)7月25日、西彼町議会議員に就任。以後、町議を計3期務める。 2005年(平成17年)4月1日、西彼杵郡北部の西海町、西彼町、大島町、崎戸町、大瀬戸町の計5町が合併し、西海市が誕生する。これに伴って同年5月1日に行われた西海市議会議員選挙に出馬し当選。
阿曽田 清(あそだ きよし、1946年10月20日 - )は… 阿曽田 清(あそだ きよし、1946年10月20日 - )は日本の政治家。元参議院議員、元熊本県宇城市長。
鬼木 和夫(おにき かずお、1945年10月20日 - )は… 鬼木 和夫(おにき かずお、1945年10月20日 - )は、実業家。親和銀行頭取、ふくおかフィナンシャルグループ取締役。福岡県出身。 1945年10月20日、福岡県生まれ。福岡県立修猷館高等学校を経て、1969年3月、山口大学経済学部卒業。同年4月、福岡銀行に入行。1996年(平成8年)7月同公務部長。1997年(平成9年)6月、取締役公務法人部長。1999年(平成11年)6月、常務取締役。2002年(平成14年)4月、常務取締役福岡地区本部長。2003年(平成15年)4月、専務取締役。2005年(平成17年)5月、代表取締役副頭取。2006年(平成18年)6月、代表取締役副頭取(執行役員兼務)に就任。
佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日… 佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日 - 1999年10月3日)は、佐賀県佐賀郡諸富町(現在の佐賀市)出身で、近鉄バファローズ所属の元プロ野球選手(投手)、井筒部屋(後に君ヶ濱部屋)所属の元大相撲力士。本名は土師 一男(はじ かずお)。大相撲時代は身長185cm、体重107kg、得意手は左四つ、寄り、上手投げ。最高位は西十両11枚目(1972年7月場所)。土師一夫の四股名でも関取在位がある。 佐賀県立佐賀工業高等学校を経て1964年に近鉄バファローズに入団。2年間在籍するも一軍登板なく退団した。 退団後すぐに力士に転向し、大相撲の井筒部屋に入門して1965年11月場所で初土俵を踏んだ。
佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日… 佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日 - 1999年10月3日)は、佐賀県佐賀郡諸富町(現在の佐賀市)出身で、近鉄バファローズ所属の元プロ野球選手(投手)、井筒部屋(後に君ヶ浜部屋)所属の元大相撲力士。本名は土師一男。大相撲時代は身長185cm、体重107kg、得意手は左四つ、寄り、上手投げ。最高位は西十両11枚目(1972年7月場所)。土師一夫の四股名でも関取在位がある。
千種 信雄(ちぐさ のぶお、1945年10月20日 - )は… 千種 信雄(ちぐさ のぶお、1945年10月20日 - )は、日本の元バスケットボール選手である。 育英高校から大阪商業大学に進学し、卒業後は住友金属に入社しシューターとして活躍。 全日本のメンバーとしてミュンヘン・モントリオール五輪に2大会連続で出場。 日本リーグでは3度の優勝に貢献し、第9回(1975)と第11回大会(1977)でベスト5に選出されている。 国内屈指のシューティング技術を持ち、1975年に行われた全日本のポートランド遠征で、 NBAのポートランド・トレイルブレイザーズから誘われた程の実力である。 引退後は指導者に転じ、籠球団休部時の監督も務めていた。 その後は住友金属の北陸支社長などを務める。
堀田 眞三 (ほった しんぞう、1945年10月20日 - … 堀田 眞三 (ほった しんぞう、1945年10月20日 - ) は、日本の俳優。デビュー当時の芸名は脇中 昭夫。旧芸名は堀田 真三、堀田 慎三。 熊本県天草郡御所浦村出身。大阪市立大学卒業。富士オフィスを経て、アイエス・フィールド所属。テンダープロと業務提携。 1963年の第11期東映ニューフェイスに合格し、東映へ入社。同期には弥永和子・島ひろ子がいる。1964年の『くノ一化粧』では長身でハンサムな若い忍者として注目される。主演級のルックスを持つが、いい役に恵まれない日々が続く。 『キイハンター』では精悍()な風貌ながら悪役に扮して何度もゲスト出演し、千葉真一と迫力ある戦いを演じている。ニューフェイスの先輩である千葉とは交流が続いており、憧れと尊敬の念を抱いていることが堀田のブログに記されている。
高橋 義人(たかはし よしと、1945年10月20日 - )… 高橋 義人(たかはし よしと、1945年10月20日 - )は、日本のドイツ文学者。平安女学院大学国際観光学部特任教授(国際観光学)、立命館大学文学部客員教授、京都大学名誉教授。専攻はゲーテを中心とした自然学、ドイツ文学・思想。 栃木県生まれ。慶應義塾大学文学部を経て、1973年同大学院博士課程文学研究科単位修了退学。同助手を経て、1976年、京都大学教養部に赴任。同大助教授・教授、1992年に京都大学大学院人間・環境学研究科教授、2009年退職後は、平安女学院大学特任教授や財団法人日独文化研究所理事を務めた。日本学術会議会員。 「ゲーテ論文」は多数の共編著で出している。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
飛岡 健(とびおか けん、1944年(昭和19年)10月20… 飛岡 健(とびおか けん、1944年(昭和19年)10月20日 - )は、日本の航空工学者、客員教授、経営者。株式会社現代人間科学研究所、および株式会社未来と経営の研究所の代表取締役。 東京都立一橋高等学校出身、東京大学航空工学専攻卒業、東京大学大学院工学系研究科博士課程(航空工学)修了。東京大学宇宙航空研究所職員を経て、東大のロケット・人工衛星の打ち上げ・研究に従事。1975年、現代人間科学研究所を設立。現在は、MAトラスト株式会社が主催する未来予測研究会を中心に講演活動を続けている。 インターネットTV「JapanアクターズTV」国際魅力学会
大寛 宗之(たいかん むねゆき、1944年10月20日 - … 大寛 宗之(たいかん むねゆき、1944年10月20日 - 没年不明 )は、鹿児島県熊毛郡中種子町出身で井筒部屋、陸奥部屋に所属した元大相撲力士。本名は淵上 重昭(ふちがみ しげあき)。180cm、118kg。最高位は東十両4枚目。得意技は右四つ、寄り。 当初は野球が好きだったが、種子島高校に入学すると、柔道部に入部する。1年生の時に柔道部で最も大きい体格を見込まれて相撲部に駆り出され、鹿児島県大会で準優勝したのが評判に上り、井筒部屋の世話人から勧められて入門した。1962年3月場所に初土俵。幕下での下積みが長かったが、1969年11月場所の幕下優勝を足がかりにして1970年3月場所に十両昇進、以後21場所十両に在位する。
山下 律夫(やました りつお、1944年10月20日 - 2… 山下 律夫(やました りつお、1944年10月20日 - 2011年4月10日)は、愛媛県南宇和郡愛南町出身の元プロ野球選手。大洋ホエールズ、クラウンライターライオンズ・西武ライオンズ、南海ホークスに所属した。
いもと ようこ(本名:井本 蓉子、1944年10月20日 -… いもと ようこ(本名:井本 蓉子、1944年10月20日 - )は、日本の絵本作家、挿絵画家。兵庫県三木市志染町出身。 三木市立志染小学校、三木市立志染中学校卒業。1967年、金沢美術工芸大学油絵科卒業。小学校教員を経て絵本の世界に入る。その後、「風の子絵画教室」を開塾。東京で貼り絵の個展を開く。 ちぎった和紙の貼り絵に着色する技法によって、やわらかで暖かな表情の人物や動物、植物などを描く。創作童話の作家として活躍するほか、日本の昔話や世界の名作などの絵本の挿絵なども手がける。出版された絵本は400冊以上。 1985年度『ねこの絵本』(講談社)、1986年度『そばのはなさいたひ』(佼成出版社)でボローニャ国際児童図書展エルバ賞を2年連続受賞。
中井 敏郎(なかい としろう、1944年10月20日 - 2… 中井 敏郎(なかい としろう、1944年10月20日 - 2024年12月11日)は、日本の実業家、東亜薬品株式会社代表取締役会長。一般社団法人富山県薬業連合会前会長。 1944年10月20日生まれ。富山県富山市総曲輪出身。立教高校、立教大学法学部卒業。家業である東亜薬品を継ぐために帰富し入社。1987年7月、社長就任。1994年4月、日東メディック株式会社を設立。2004年から2013年まで富山商工会議所副会頭を務める。2020年8月に社長の座を長男の中井淳に譲り会長に就任。この間、富山県薬業連合会会長を2011年から2024年まで務め、「薬都富山」をけん引。2024年には秋の叙勲で旭日双光章を受章した。
孝本 貢(こうもと みつぎ、1942年〈昭和17年〉10月2… 孝本 貢(こうもと みつぎ、1942年〈昭和17年〉10月20日 - 2009年〈平成21年〉9月26日 )は、日本の教育者であり、宗教学者でもある。明治大学商学部教授、「宗教と社会」学会会長、日本宗教学会理事を務めた。岡山県出身。 1942年(昭和17年)岡山県に生れる。地元に近い岡山県立高梁高等学校へ入学。1961年(昭和36年)同校を卒業後、岡山大学教育学部へ進学する。中学校教員養成課程を専攻し、1966年(昭和41年)同大学を卒業し、岡山大学教育学部専攻科を1967年(昭和42年)に修了した。 専攻を修了後、そのまま岡山大学教育学部の副手となり、1971年(昭和46年)東京教育大学(現:筑波大学)大学院文学研究科社会学専攻の修士課程を修了し、博士課程へ進学するが、1974年(昭和49年)単位取得後退学する。
隆昌山 勝茂(りゅうしょうやま かつしげ、1942年10月2… 隆昌山 勝茂(りゅうしょうやま かつしげ、1942年10月20日-没年不明)は、小野川部屋、出羽海部屋に所属した元力士。本名は平戸 茂(ひらと しげる)。現在の長崎県西海市出身。177cm、98kg。最高位は西十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 大工の子として生まれ、中学校2年生だった1956年に出羽海部屋の一行が巡業に来た時に小結・成山が親戚の家に宿泊した。翌1957年に父親と一緒に11月場所を観戦して成山を訪ねると勧誘され、自分の力を試してみたかったので進学させる予定だった父親を説得して、中学校卒業後に小野川部屋へ入門した。1958年3月場所に初土俵。序二段を通過するのに約2年の年月を費やしたが、それ以降は順調に出世し、1964年9月場所に十両に昇進(この時の四股名は「宝満山 茂」)。
池田 幹幸(いけだ よしたか、「いけだ かんこう」とも、19… 池田 幹幸(いけだ よしたか、「いけだ かんこう」とも、1941年10月20日 - 2025年1月28日)は、日本の政治家。日本共産党参議院議員(1期)。日本共産党中央委員。 大阪府出身。大阪府立大手前高等学校を経て、1964年大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)中国語学科を卒業。野間友一衆議院議員(当時)の秘書を務めた後、1998年の第18回参議院議員通常選挙で比例区から立候補し初当選。 参議院議員在籍中は同院国会対策副委員長のほか、国民運動委員・中小企業局長などを歴任した。1期の任期のみで次期参院選には立候補しなかった。 2025年1月28日、心不全のため千葉県松戸市の病院で死去。83歳没。
内海 愛子(うつみ あいこ、1941年10月20日 - )は… 内海 愛子(うつみ あいこ、1941年10月20日 - )は、歴史社会学者。恵泉女学園大学名誉教授。マイノリティ研究、日本アジア関係論を専門としている。本名はアイコ。夫は経済学者村井吉敬。 1941年東京生まれ。1964年早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。1965年同大学第一文学部哲学科社会学専修に編入学、1967年卒業。1974年同大学院文学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。 1975-1977年日本語教員としてインドネシア国立パジャジャラン大学文学部講師を務める。1977年に帰国後、立教大学、東京都立大学などの非常勤講師を経て、1988年恵泉女学園大学人文学部助教授、1992年同教授、2007年3月名誉教授。
石井 邦生(いしい くにお、1941年(昭和16年)10月2… 石井 邦生(いしい くにお、1941年(昭和16年)10月20日 - )は、囲碁の棋士。福岡県うきは市出身、日本棋院関西総本部所属、細川千仭九段門下、九段。元院生師範。名人戦リーグ2期、本因坊戦リーグ2期など。兄は石井衛九段。門下に史上初の七冠同時制覇を達成した井山裕太や、兆乾がいる。 1953年に細川千仭九段に入門、翌年日本棋院院生となり、1956年入段。関西学院大学中退。1968年八段。1969年、新鋭トーナメント戦決勝で石田芳夫に敗れ準優勝。1973、74年に本因坊リーグ入り。1977年、碁聖戦リーグ入り。1978年九段。1979年に棋聖戦九段戦で準優勝、最高棋士決定戦ベスト4に進出するが、準決勝で橋本昌二に敗れる。
葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - 2… 葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - 2022年5月25日)は、日本の実業家。東海旅客鉄道(JR東海)代表取締役社長・代表取締役会長・代表取締役名誉会長、取締役名誉会長を歴任した。他に、学校法人海陽学園理事長を務めた。 兵庫県明石市生まれ、東京都杉並区育ち。井手正敬、松田昌士と共に「国鉄改革3人組」と称され、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に尽力した。 1940年10月20日に、父・葛西順夫(のぶお)と、母・益世(旧姓:本庄)の間に兵庫県明石市で生まれた。 父は旧制明石中学校に勤務していた国語科(漢文)の教員で、敬之が生まれてほどなくして一家で上京。父からは『論語』や日本の古典の講義を高校終わりまで受けた。
青尾 幸(あおお さち、旧姓:南村、1940年10月20日 … 青尾 幸(あおお さち、旧姓:南村、1940年10月20日 - )は、元日本テレビアナウンサー。 主に、報道・教養番組、天気予報を担当した。皇室関連の番組を長く担当していたため、ロイヤル青尾という愛称で呼ばれることもあった。
森中 千香良(もりなか ちから、1939年10月20日 - … 森中 千香良(もりなか ちから、1939年10月20日 - 2008年4月14日)は、奈良県奈良市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。1970年から1974年までの登録名は森中 通晴(もりなか みちはる)。 奈良商工では2年次の1956年にエースとして秋季近畿大会に出場したが、1回戦で寝屋川高に敗れたため選抜出場はならなかった。3年次の1957年は春季近畿大会県予選の準々決勝で郡山高に惜敗し、夏も県予選で敗れて甲子園には届かなかった。 卒業後の1958年に南海ホークスへテスト入団。入団当時は制球難で、1年目は選手登録すらしてもらえず、もっぱら打撃投手が主な役割であった。2年目の1959年にウエスタン・リーグで防御率0.90を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得。
山本 節(やまもと たかし、1939年10月20日 - 20… 山本 節(やまもと たかし、1939年10月20日 - 2011年4月8日)は、日本の神話学者。静岡大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。愛知教育大学教授、白百合女子大学教授、静岡大学人文学部教授。2002年定年退任、名誉教授。 「新しい歴史教科書をつくる会」会員。2008年「異怪と境界 - 形態・象徴・文化」で名古屋大学文学博士。 没後、従四位瑞宝中綬章叙勲。
原 彬久(はら よしひさ、 1939年10月20日 - )は… 原 彬久(はら よしひさ、 1939年10月20日 - )は、日本の政治学者、東京国際大学名誉教授。専門は日本外交史。 北海道釧路市生まれ。1963年早稲田大学政治経済学部卒業。国際商科大学(現東京国際大学)助教授、東京国際大学教授、2010年定年、名誉教授。1990年「戦後日本と国際政治 安保改定の政治力学」で一橋大学から法学博士号を取得。プリンストン大学客員研究員およびケンブリッジ大学客員研究員も務めた。2000年から2002年まで日本公共政策学会会長。 1980年代に岸信介元総理大臣、太田薫元総評議長をはじめとする安保騒動関係者へのオーラル・ヒストリーを実施し、日米安全保障条約改訂交渉をめぐる日本政治についての先駆的研究を行なったことで知られる。
志治 達雄(しじ たつや、1938年10月20日 - )は、… 志治 達雄(しじ たつや、1938年10月20日 - )は、愛知県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 関西学院大学時代はFWとしてプレー。関学クラブ(現役、OBの混成チーム)の一員として1959年の全日本選手権大会の優勝に貢献した。また、在学中の1961年5月28日にマラヤ代表戦で日本代表として初出場初得点を上げた。国際Aマッチは1試合に出場して1得点を記録した。 1962年に大学を卒業後はトヨタ自動車工業に入社して、サッカー部に入部した。 1965年にトヨタ自動車工業の監督に就任。翌年には関学の後輩の西垣成美をコーチとして招き、全国社会人サッカー選手権大会優勝2回(1968年、1970年)、1972年に日本サッカーリーグ2部で初優勝し、翌1973年の1部昇格に導いた。
津野 修(つの おさむ、1938年〈昭和13年〉10月20日… 津野 修(つの おさむ、1938年〈昭和13年〉10月20日 - )は、日本の大蔵官僚、弁護士。勲等は旭日大綬章。第一東京弁護士会所属。 大蔵省主税局税制第三課課長、内閣法制局総務主幹、内閣法制局第三部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官、最高裁判所判事などを歴任した。 愛媛県出身の大蔵官僚である。大蔵省においては、主税局の税制第三課長を務めた。のちに内閣法制局に出向し、総務主幹を経て、第三部や第一部にてそれぞれ部長を務めるなど、要職を歴任した。1996年には内閣法制次長に就任した。1999年には大森政輔の後任として内閣法制局長官に就任し、小渕第1次改造内閣から第1次小泉内閣にかけて同職を務めた。
国本 伊代(くにもと いよ、1938年10月20日 - )は… 国本 伊代(くにもと いよ、1938年10月20日 - )は、日本の歴史学者。中央大学名誉教授。ラテンアメリカ近現代史専攻。 満洲・吉林生まれ。東京外国語大学スペイン語科卒業。1975年東京大学大学院社会科学研究科博士課程中退。1975年米国テキサス大学大学院博士課程修了、歴史学博士。1978年中央大学商学部専任講師、1980年助教授、1985年教授。1998年「メキシコ革命とカトリック教会 国民国家形成過程における国家と教会の対立・協調・共存関係」で、東大から博士(学術)。2009年定年退任、名誉教授。 日本ボリビア協会理事。1998年から2000年日本ラテンアメリカ学会理事長。 2003年にボリビアで刊行された『ボリビアに生きる:日本人移住100周年誌』(ボリビア日系協会連合会)の編纂顧問を務める。
若十勝 正雄(わかとかち まさお、1938年10月20日 -… 若十勝 正雄(わかとかち まさお、1938年10月20日 -没年不明 )は、北海道河西郡芽室町出身で花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は高島 正雄(たかしま まさお)。177cm、83kg。最高位は東十両10枚目。得意技は右四つ、寄り。 1954年9月場所に初土俵、1959年9月場所に十両昇進。芽室町からの関取昇進は史上初。新十両の場所から3場所連続で勝ち越したが、その後2場所連続で大きく負け越して1960年7月場所に幕下に陥落。幕下陥落以降は徐々に番付を下げていき、幕下下位で負け越した1962年1月場所に23歳で廃業した。息子も「若十勝」の四股名で三段目まで上がっている。 同郷の横綱・大乃国康は彼の紹介で角界入りした。
湯浅 浩(ゆあさ ひろし、1937年10月20日 - 200… 湯浅 浩(ゆあさ ひろし、1937年10月20日 - 2009年2月18日)は、熊本県出身の実業家。1997年から日野自動車代表取締役社長を務めたが、販売不振から経営危機に陥り、2001年にトヨタ自動車に子会社化され退任した。後任の代表取締役社長にはトヨタ自動車取締役副社長の蛇川忠暉が就いた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
一代 のぼる(いちだい のぼる、1937年10月20日 - … 一代 のぼる(いちだい のぼる、1937年10月20日 - 2000年4月29日、本名:首藤正毅)は、大分県臼杵市佐志生出身の作曲家である。代表曲は、松村和子が歌った「帰ってこいよ」。 臼杵市立豊洋中学校を卒業後、津久見市の大分県柑橘試験場津久見分場で学び、家業のミカン栽培に携わった。24歳の時に上京し、流しのかたわら、作曲を独学した。 千昌夫、小林旭、水前寺清子、村田英雄らの楽曲を作曲。代表曲の「帰ってこいよ」は、1980年発売の松村和子のデビュー曲で、翌1981年の「第32回NHK紅白歌合戦」でも歌われた。「一代のぼる」の名付け親は作詞家の星野哲郎である。
増沢 末夫(ますざわ すえお、1937年10月20日 - )… 増沢 末夫(ますざわ すえお、1937年10月20日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手、調教師。騎手として全国リーディングジョッキー2回、八大競走7勝。通算2016勝は当時の中央競馬史上最多勝。44歳で初のリーディングジョッキー獲得、50代で年間100勝達成など中年期以降に顕著な活躍を示し「鉄人」の異名を取った。「ローカル男」とも呼ばれた。愛称は「まっさん」。 妻は師匠・鈴木勝太郎の長女。義弟に鈴木康弘がいる。 北海道亀田郡大野村(後の大野町、現・北斗市)出身。戸籍上の表記は増澤末夫である。 北海道大野村に6人兄妹の末っ子として生まれる。幼少期より農耕・ばんえい競走用のペルシュロンの世話をして過ごした。
小西 良太郎(こにし りょうたろう、1936年10月20日 … 小西 良太郎(こにし りょうたろう、1936年10月20日 - 2023年5月13日)は、日本の音楽プロデューサー、音楽評論家。東京都葛飾区堀切生まれ。 第二次世界大戦中に疎開した茨城県で育つ。茨城県立水海道第一高等学校を卒業後、1958年にスポーツニッポン新聞社に入社。1963年に音楽担当記者となり、後に文化部長、運動部長、取締役編集局長、常務取締役を務め、2000年に退社した。 スポーツニッポン在籍中から音楽プロデューサー、評論家として活動。主なプロデュース作品として、「舟唄」、「雨の慕情」(八代亜紀)、「夜桜お七」(坂本冬美)、「傘ん中」、「北物語」、「アカシア挽歌」、アルバム「おんなの絵本」ほか(五木ひろし)、永井裕子の全作品などがある。
各務 三郎(かがみ さぶろう、1936年10月20日 - 2… 各務 三郎(かがみ さぶろう、1936年10月20日 - 2025年8月27日)は、日本の海外ミステリ編集者、翻訳家、評論家、アンソロジスト。 本名は太田博(おおた ひろし)。日本推理作家協会会員。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎高等学校卒業。早稲田大学商学部在学中は歌人として知られた。歌人としての名義は太田比呂史であり、結社「未来」に参加していた。 同大学卒業後、早川書房に入社し、『ミステリマガジン』の編集に携わる。常盤新平の後を受け、1969年8月号から編集長になり、1973年6月号まで務める。その後フリーとなり、海外ミステリの翻訳(ジュニア向け多数)、評論執筆、アンソロジー編纂に携わる。 1995年に編著『チャンドラー人物事典』で、第48回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を受賞した。
茅 幸二(かや こうじ、1936年10月20日 - 2017… 茅 幸二(かや こうじ、1936年10月20日 - 2017年10月30日)は、日本の化学者。慶應義塾大学名誉教授。分子科学研究所名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。理化学研究所名誉研究員。日本化学会名誉会員、日本表面科学会功労会員、ナノ学会名誉会員、分子科学会名誉会員。専門は、有機化学、分子化学、クラスター科学。 物理学者・茅誠司の次男。天文学者・木村栄の孫。工学者・茅陽一の弟。東北大学助教授、米国ベル研究所研究員などをへて、1981年慶應義塾大学教授。1999年国立共同研究機構分子科学研究所所長、2004年理化学研究所和光研究所中央研究所所長。金属・半導体複合体や有機金属クラスターの研究で知られ、ナノ物質化学の新しい領域をきりひらく。
長谷川 潮(はせがわ うしお、1936年10月20日 - 2… 長谷川 潮(はせがわ うしお、1936年10月20日 - 2022年9月29日)は、日本の児童文学評論家。東京都生まれ。 東京都立三鷹高等学校定時制卒。国際基督教大学大学図書館勤務(1962年 - 1997年)と児童文学の評論、創作などを行う傍ら法政大学文学部通信制卒業。雑誌『日本児童文学』、『国文学 解釈と鑑賞』、『子どもの文化』、『子どもの本棚』などで評論・研究活動を展開。戦争児童文学についての研究が多く、土家由岐雄の『かわいそうなぞう』に関しては、読者である子どもたちを欺くようにして、事実と異なる創作部分を恣意的に混在させていることを批判している。 1962年、投稿評論「芥川龍之介童話論」にて高山賞論文募集佳作を受賞。
船戸 安之(ふなと やすゆき、1935年10月20日 - 1… 船戸 安之(ふなと やすゆき、1935年10月20日 - 1990年5月7日)は日本の作家。 埼玉県本庄市生まれ。早稲田大学第一文学部国文科卒、同大学院日本文化研究科修士課程修了。埼玉県立熊谷高等学校教師などを務め、1972年小説『蔡琰』で第3回埼玉県文学賞受賞。詩集に『喝采』、評論に「野坂昭如の文体」「野坂昭如と親族」などがある。1988年私小説「ハホー・ピュッ」にて第19回埼玉文芸賞。船戸鏡聖(あきまさ)のペンネームもある。
杉崎 喬(すぎさき たかし、1935年10月20日 - )は… 杉崎 喬(すぎさき たかし、1935年10月20日 - )は、日本の録音技師である。東京録音現像チーフミキサーを経て、ニューメグロスタジオ常務取締役を歴任した。日本映画・テレビ録音協会元会員。 1935年(昭和10年)10月20日、日本統治時代の朝鮮の全羅南道光州府(現在の大韓民国光州広域市)に生まれる。 第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)4月、新制・神奈川県立希望ヶ丘高等学校に進学、1954年(昭和29年)3月、同校を卒業する。1955年(昭和30年)、東京録音現像に入社、録音部に配属される。同社はいわゆる「目黒スタジオ」と通称され、同社創業者であり代表取締役であった金井喜一郎(1901年 - 1961年)は、都映画社代表や、伊藤武郎らの独立映画の監査役も務めており、したがって同社は、独立系のアフレコや現像を請け負うポストプロダクションであった。
武藤 章生(むとう しょうせい、1935年10月20日 - … 武藤 章生(むとう しょうせい、1935年10月20日 - 1995年11月5日)は、日本の俳優。本名:武藤 章生(むとう あきお)。 愛知県名古屋市熱田区市場町出身。愛知県立瑞陵高等学校、専修大学卒業。石原プロモーションを経て、大鷲プロに所属していた。 1950年代から60年代にかけては日活の専属脇役として数々の映画に出演し、1970年代からはテレビドラマを中心に活躍。 日活時代に共演した石原裕次郎の信任のもと、『大都会』『西部警察』など石原プロモーション制作の刑事ドラマシリーズに準レギュラーとして継続出演した。 1995年11月5日死去。60歳没。 特技は名古屋弁、関西弁。