濱尾 実(はまお みのる、1925年6月20日 - 2006… 濱尾 実(はまお みのる、1925年6月20日 - 2006年10月25日)は、日本の侍従、皇室解説者、作家、教育者。子爵。東宮侍従や東宮傅育官を務めた。作家としては浜尾 実(読み同じ、新字体)の名義で著書を多く残した。 東京大学工学部応用化学科卒業。熱心なカトリック信者で、1946年(昭和21年)12月21日に東京の世田谷教会で受洗した。洗礼名はセバスチアノ。 1945年(昭和20年)に兄・誠が戦死すると、爵位を継いで子爵となった。1951年(昭和26年)に東宮傅育官として皇太子明仁親王に仕え、その後東宮侍従となってからは浩宮徳仁親王・礼宮文仁親王兄弟の幼少時の教育に当たった。多忙な皇太子夫妻に代わって、親王の学校行事・面談に出席することもあった。
黒川 洸(くろかわ ひかる、1925年6月19日 - 199… 黒川 洸(くろかわ ひかる、1925年6月19日 - 1998年12月28日)は、日本の実業家。テレビ愛知の初代社長を務めた。 石川県出身。海軍兵学校卒業。戦後の1951年に、早稲田大学政治経済学部卒業。同年、日本経済新聞社に入社。ロンドン特派員、編集局次長などを経て、1976年から取締役に就任。1982年に設立されたテレビ愛知の社長を1982年12月から1991年6月までに務めた。1991年6月から1993年6月までに会長を務めた。 1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1998年12月28日、心不全のため死去。73歳没。
田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)、1… 田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)、1925年(大正14年)6月19日 - 1991年(平成3年)9月27日)は、日本の陶芸家。萩焼の第一人者。 1925年6月19日、山口県長門市に生まれる。1944年、旧制山口高等学校在学中に召集を受けて満州に渡る。1945年、シベリアに抑留され、1948年に復員。復員後は長兄の11代田原陶兵衛に師事。1956年、長兄の急逝により12代陶兵衛を襲名する。 1969年、第16回日本伝統工芸展に「萩茶碗」を初出品。翌年、日本工芸会正会員となり、1981年から1988年まで同会理事を務める。1981年、山口県指定無形文化財萩焼保持者に認定される。
丸川 武志(まるかわ たけし、1925年〈大正14年〉6月1… 丸川 武志(まるかわ たけし、1925年〈大正14年〉6月18日 - 2007年〈平成19年〉2月19日)は、日本の電気工学者であり、教育者である。逓信省で電波研究を行った後、防衛大学校の教授を務めた。退官後、防衛大学校名誉教授となる。岡山県出身。位階は従四位、勲三等瑞宝章に叙されている。 1925年(大正14年)岡山県に出生する。1938年(昭和13年)旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、1943年(昭和18年)同校を卒業を経て、茨城県にある日立製作所が設立した多賀高等工業学校(現:茨城大学工学部)へ進学する。 同校では、電気通信学を専攻し、多賀高等工業学校が途中で多賀工業専門学校と名称を変更し、電気通信科が新設され、丸川はそこに所属する。
伊藤 武(いとう たけし、1925年 <大正14年> 6月1… 伊藤 武(いとう たけし、1925年 <大正14年> 6月17日 – 1994年 <平成6年> 10月13日)は、日本の政治家、実業家。 自衛隊を経て浜松自動車学校をはじめとする浜自グループを創業し、浜松市議会議員を経て静岡県議会議員、静岡県議会議長(第74代)などを歴任した。静岡県で初の民間指定自動車教習所を立ち上げ、浜松市議会では国道一号バイパスの建設促進に努め、静岡県議会では企画商工委員会、公害対策特別委員会、交通安全対策特別委員会、産業振興対策特別委員会の各委員長を歴任し、東名高速道路の浜松西インターチェンジの建設促進や浜松医科大学の誘致に尽力した。 静岡県出身。磐田市見付中学校を卒業し、早稲田大学に進学した。
佐田 武夫(さた たけお、1925年〈大正14年〉6月16日… 佐田 武夫(さた たけお、1925年〈大正14年〉6月16日 - 2008年〈平成20年〉11月9日)は、日本の実業家。元佐田建設社長。佐田一郎元参議院議員の娘婿で、息子は佐田玄一郎元衆議院議員。 バブル期には勢いに乗って好調な業績を維持したが、不幸にも建設業界の不況の波に飲み込まれてしまった。スポーツ社長として知られ、特にバスケットボールには造詣が深く、自社でチームを運営する傍ら、日本クラブバスケットボール連盟では会長を長年務めていた(晩年は名誉会長)。 1925年(大正14年)、群馬県勢多郡粕川村(現・前橋市)に、松村瑳一郎の五男として生まれる。1942年(昭和17年)群馬県立前橋工業学校を卒業。
平井 俊彦(ひらい としひこ、1925年6月16日 - 20… 平井 俊彦(ひらい としひこ、1925年6月16日 - 2003年6月5日)は、日本の経済学・社会思想史学者。京都大学名誉教授。 神戸市生まれ。1948年京都帝国大学経済学部卒、1951年京都大学大学院経済学研究科修了。1964年「ロックにおける人間と社会」で京大経済学博士。1951年京都大学経済学部講師、1957年助教授、1968年教授。1975年経済学部長。1989年定年退官、名誉教授、名古屋外国語大学教授、副学長、2000-2002年学長を務めた。第11期、第12期日本学術会議会員。2002年勲二等瑞宝章受勲。
西川 治(にしかわ おさむ、1925年6月16日 - 201… 西川 治(にしかわ おさむ、1925年6月16日 - 2019年11月2日)は、日本の人文地理学者、東京大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 東京市本郷区(現東京都文京区)に生まれる。1944年、第一高等学校理科卒業。1947年、東京帝国大学理学部地理学科卒業、同副手。1949年,助手。1955年から1958年まで西ドイツのボン大学に留学。1958年、東京大学教養学部助教授。1961年、「日本における自然地域の変貌」で東京大学理学博士。1971年、教授。1986年、定年退官、名誉教授、立正大学教授。1996年、退職。その後も、富士学会名誉会長などを務めていた。2005年、瑞宝中綬章受章。 2019年11月2日13時38分、急性腎不全のため東京都多摩市の病院で死去。
加藤 茂雄(かとう しげお、1925年〈大正14年〉6月16… 加藤 茂雄(かとう しげお、1925年〈大正14年〉6月16日 - 2020年〈令和2年〉6月14日)は、日本の俳優、声優、漁師。本名同じ。東宝を経て、新星プログループに所属していた。神奈川県出身。 1925年6月16日、神奈川県鎌倉市長谷に生まれる。 石川島航空工業青年学校(のちの石川島工業高等学校)を経て、1946年、鎌倉アカデミア演劇科に入学。1949年、卒業。卒業後は、一時漁師を務めていた。 1950年の準専属契約(同期は今井和雄、緒方燐作など)を経て、1954年に東宝と専属契約する。大部屋俳優として、ノンクレジットも含めて、多数の映画に出演。 1971年の東宝専属俳優廃止後は、新星プロに所属。
相賀 徹夫(おうが / おおが てつお、1925年〈大正14… 相賀 徹夫(おうが / おおが てつお、1925年〈大正14年〉6月15日 - 2008年〈平成20年〉12月21日)は、日本の実業家。小学館第2代社長、株式会社集英社初代会長、日本書籍出版協会理事長、日本雑誌協会理事長。昭和から平成までの54年間にわたって社長(1938年 - 1992年)を務めた小学館中興の祖。 小学館の初代社長相賀武夫とその妻ナヲの長男として東京に生まれる。1938年、父の死去に伴い13歳で社長職を継いだ。 成蹊小学校、旧制成蹊高等学校(文科甲類)卒業後、東京帝国大学文学部宗教学科で和辻哲郎に師事。在学中、1945年に小学館を株式会社へ改組。1947年に大学を中退して家業に専念する。
藤沢 令夫(ふじさわ のりお、1925年6月14日 - 20… 藤沢 令夫(ふじさわ のりお、1925年6月14日 - 2004年2月28日)は、日本の哲学者・西洋古典学者。専攻はギリシア哲学。京都大学名誉教授。京都国立博物館館長を歴任。1993年紫綬褒章。1998年叙勲二等授瑞宝章。2004年没時叙正四位。 1925年、母の実家のある長野県松本市で生まれた。国鉄官僚の父の転任にともなって各地を転々とした。旧制広島第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)に入学し、上級生だった頃に西洋絵画集を購入。ラファエロの大作『アテナイの学堂』のプラトンとアリストテレスの部分を切り取り、部屋に飾った。北村透谷の「ホメロス在りし時、プラトン在りし時、彼の北斗は今と同じき光芒を放てり」という美文とあいまって、第三高等学校 (旧制)の受験勉強の気休めにしていたのが、哲学への憧憬の始まりだったと回想している。
近江谷 左馬之介(おうみや さまのすけ、1925年6月14日… 近江谷 左馬之介(おうみや さまのすけ、1925年6月14日 - 1999年10月11日)は、マルクス経済学者。元九州大学経済学部教授。 神奈川生まれ。小牧近江(本名:近江谷駧)の長男。1948年東京大学経済学部経済学科卒業。東京大学社会科学研究所に勤務。1949年6月-1952年3月東京大学社会科学研究所助手。1955年6月九州大学経済学部助教授。のち九州大学経済学部教授を経て、『現代の世界』編集長。 向坂逸郎の門下生で、社会主義協会に所属した。九大在職中の向坂が東京滞在中に自宅で開いていた『資本論』の研究会に参加していた。1985年6月に社会党の綱領等基本問題検討委員会の新宣言作業小委員会が宣言草案「日本社会党の新宣言――愛と知と力のパフォーマンス」を取りまとめた際、社会主義協会は機関誌『社会主義』の緊急号外「日本社会党の新宣言(草案)批判」を発行し、近江谷『社会主義』編集長を委員長とする「『新宣言』に関する小委員会」作成の論文という形で「新宣言」を全面的に批判した。
山内 静夫(やまのうち しずお、1925年6月13日 - 2… 山内 静夫(やまのうち しずお、1925年6月13日 - 2021年8月15日)は、日本の映画プロデューサー。 里見弴(小説家)の四男として神奈川県鎌倉市に生まれる。父は小津安二郎と親交があり、山内は二人の語らいを若い頃から耳にしていた。旧制湘南中学校、応召後に1948年慶應義塾大学経済学部卒業後、松竹大船撮影所に製作部として入社、小津映画の製作に当たった。1956年『早春』製作、1958年、父原作の『彼岸花』製作、1960年『秋日和』製作、1962年「秋刀魚の味」製作。 1966年から1967年にかけて東京放送(現:TBSテレビ)にて放映された青島幸男主演のテレビドラマ『泣いてたまるか』のプロデューサーを担当した。
大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月1… 大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉6月12日)は、日本・沖縄の政治家・社会学者。元沖縄県知事(2期)、元社会民主党参議院議員(1期)。琉球大学名誉教授。特定非営利活動法人沖縄国際平和研究所理事長。 沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)出身。 母校の小学校の用務員などを経て、東京の工学院へ特待生で進学する予定であったが、親戚のつてで沖縄師範学校に進学する。在学中の1945年(昭和20年)3月に鉄血勤皇隊に動員され、情報宣伝隊の「千早隊」に配属された。沖縄戦の中、九死に一生を得るが多くの学友を失う(同期125人中生存は大田を含めて37人)。
川添 利幸(かわぞえ としゆき、1925年〈大正14年〉6月… 川添 利幸(かわぞえ としゆき、1925年〈大正14年〉6月11日 - 2022年〈令和4年〉8月22日)は、日本の法学者。専門は憲法。中央大学名誉教授。元中央大学学長。指導学生に山下威士、畑尻剛、石川敏行、工藤達朗らがいる。 新潟県出身。1950年中央大学法学部卒業。 同法学部助手。1954年同法学部専任講師。1954年同法学部助教授。1962年同法学部教授。1964年同大学院法学研究科教授。1966年ドイツ・エバーハルト・カール大学テュービンゲンにて在学研究。1969年中央大学評議員。1973年中央大学法学部長・同大学院法学研究科委員長。中央大学理事。1977年同法学部長( - 1979年)。
池田 力(いけだ つとむ、1925年6月10日 - 没年不明… 池田 力(いけだ つとむ、1925年6月10日 - 没年不明)は、群馬県出身の元プロ野球選手。 桐生中学校から全桐生、日本大学を経て、1949年に東急フライヤーズへ入団。1951年に退団し、その後は大生相互銀行でプレーした。
石川 武(いしかわ たける、1925年6月10日 - 199… 石川 武(いしかわ たける、1925年6月10日 - 1997年4月3日)は、日本の経営者。大正海上火災保険社長、会長を務めた。東京都出身。 1950年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に大正海上火災保険(現在の三井住友海上火災保険)に入社。 1974年に取締役に就任し、1976年に常務、1978年7月に専務を経て、1982年7月には社長に就任。1990年6月に会長に就任。 1997年4月3日呼吸不全のために死去。71歳没。
山口 開生(やまぐち はるお、1925年6月8日 - 200… 山口 開生(やまぐち はるお、1925年6月8日 - 2008年12月30日)は、日本の実業家。第2代日本電信電話株式会社(NTT)代表取締役社長。同社元会長。
伊藤 道治(いとう みちはる、1925年6月7日 - 201… 伊藤 道治(いとう みちはる、1925年6月7日 - 2016年4月3日 )は、日本の中国古代史研究者。関西外国語大学名誉教授。 1925年、愛知県で生まれた。京都大学文学部史学科で学び、1949年に卒業。 卒業後は神戸大学文学部教授に就いた。1973年、学位論文『出土資料を中心とする殷周史の研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。関西外国語大学教授・同国際文化研究所所長を務めた。定年退職後に同大学名誉教授。2016年4月3日に死去。
稲田 浩二(いなだ こうじ、1925年6月7日 - 2008… 稲田 浩二(いなだ こうじ、1925年6月7日 - 2008年4月3日)は、日本の国文学・民俗学者、京都女子大学名誉教授。 岡山県出身。広島文理科大学文学部卒業。親和女子大学助教授、京都女子大学助教授、教授、1991年定年、名誉教授、梅花女子大学教授。昔話の調査、採集に携わり40数年、6万話にのぼる話を収集、『日本昔話通観』全31巻としてまとめられた。妻は絵本作家の稲田和子。 2008年4月3日、肺炎のため死去。
増井 悟朗(ますい ごろう、1925年6月7日 - 2015… 増井 悟朗(ますい ごろう、1925年6月7日 - 2015年8月7日)は、大阪市浪速区生まれの宗教家。浄土真宗華光会前代表、浄土真宗本願寺派布教使。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大滝 秀治(おおたき ひでじ、1925年〈大正14年〉6月6… 大滝 秀治(おおたき ひでじ、1925年〈大正14年〉6月6日 - 2012年〈平成24年〉10月2日)は、日本の俳優・ナレーター・実業家。昭和時代中期から平成時代中期にかけて活躍した。位階は正四位。勲等は旭日重光章。文化功労者。 株式会社劇団民藝代表取締役などを歴任した。 本名同じ。身長167cm、体重63kg[要出典]、血液型O型。母親が里帰りしたため出生地は新潟県現・上越市であるが、生まれてすぐ戻ったため出身地は東京・本郷。2011年(平成23年)に文化功労者として顕彰された。名優の一人として舞台・テレビドラマ・映画・テレビコマーシャルと60年以上にわたり幅広く活躍。劇団民藝に所属し、宇野重吉没後には奈良岡朋子と共に代表を担っていた。
及川 潤三(おいかわ じゅんぞう、1925年6月6日 - 2… 及川 潤三(おいかわ じゅんぞう、1925年6月6日 - 2011年6月1日 )は、日本の経営者。東北銀行頭取を務めた。 岩手県出身。1950年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に大蔵省に入省。1978年7月に東北銀行常任顧問に就任し、同年12月に常務、1980年6月に専務を経て、1982年9月に頭取に就任。1992年6月に会長に就任し、1996年6月から相談役を務めた。 2000年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2011年6月1日急性硬膜下血腫のために死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐藤 進(さとう すすむ、1925年6月6日 - 2009年… 佐藤 進(さとう すすむ、1925年6月6日 - 2009年4月9日)は、日本の法学者。金沢大学教授を経て、日本女子大学・立正大学・新潟青陵大学名誉教授。専門は社会保障法、労働法、高齢総合社会政策。 新潟県生まれ。東京帝国大学法学部卒、同大学院を経て、1957年金沢大学法文学部助教授、1962年東京大学より法学博士の学位を取得、1967年教授、1971年日本女子大学文学部教授(社会福祉学科)、1992年立正大学法学部教授、1996年新潟青陵女子短期大学教授、2000年新潟青陵大学看護福祉心理学部教授・学長、2001年2月新潟県高齢者保健医療福祉計画協議会座長、2004年4月新潟青陵大学学長、2005年3月退任。
宮川 三郎(みやがわ さぶろう、1925年6月5日 - 19… 宮川 三郎(みやがわ さぶろう、1925年6月5日 - 1945年6月6日)は、大日本帝国陸軍軍人。 1925年に、新潟県北魚沼郡城川村(現・小千谷市)で農業を営む宮川松太郎・マツの8人の子供の末っ子として誕生。非常に読書好きで算術と理科が得意だったことから、教育熱心な父に薦められて新潟県立工業学校(旧制 現・新潟県立長岡工業高等学校)へ進学すると、卒業するまで首席だった。高校時代は、クラスの学級長を松崎義勝と競い合うほどで、運動神経抜群・性格温厚・成績優秀と三拍子揃った美男子の三郎は、一躍村の人気者になった。 1941年に新潟県立工業学校を卒業すると、第三設計課に在籍中で高校の先輩だった大野敬三の誘いで立川飛行機へ入社する。
岩波 一寛(いわなみ かずひろ、1925年6月5日 - 没年… 岩波 一寛(いわなみ かずひろ、1925年6月5日 - 没年不詳)は、日本の経済学者。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、陸軍士官学校、中央大学経済学部卒業。1950年立正大学助手、のち助教授を経て、1963年中央大学経済学部助教授、1966年教授。同大学多摩キャンパス移転時に経済学部長を務めていた。法政大学や武蔵大学の講師を兼任した。定年退官後、同大学名誉教授。門下生に緒方俊雄中央大学名誉教授がいる。
古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018… 古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018年5月5日)は、日本の小説家。妻は歌人の森重香代子。 山口県下関市出身、18歳で航空機製造会社に入社し、1945年に召集され、兵庫県・丹波篠山の航空通信連隊で教育期間中、終戦を迎えた。 復員し宇部市立高等学校(現:山口県立宇部中央高等学校)定時制に編入学、1953年に山口大学教育学部を卒業。中学教師を経て山口新聞社に入り、記者や編集局長を務める。1970年に退社し作家専業となった。 郷土作家として、作品の大多数は、戦国期の毛利家、幕末期の長州藩、明治維新後の山口県(周防国・長門国)の関連人物を取り挙げた歴史小説・随筆であった。 古川は、芥川賞受賞作家の火野葦平の講演を2度聴いている。
湯浅 泰雄(ゆあさ やすお、1925年(大正14年)6月5日… 湯浅 泰雄(ゆあさ やすお、1925年(大正14年)6月5日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、日本の哲学者。桜美林大学名誉教授。 福岡県出身。東京大学文学部倫理学科、同大学経済学部卒、同大学院修士課程修了。1973年「近代日本の哲学と実存思想」で東大文学博士。山梨大学助教授、教授、1975年大阪大学に新設された日本学の教授、1981年筑波大学教授、1989年に定年退官し桜美林大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
坂井 豊司(さかい とよじ、1925年6月3日 - 2016… 坂井 豊司(さかい とよじ、1925年6月3日 - 2016年4月)は日本の野球選手。ポジションは内野手。
熊谷 文雄(くまがい ふみお、1925年6月3日 - 198… 熊谷 文雄(くまがい ふみお、1925年6月3日 - 1984年3月)は日本の大蔵官僚。印刷局長を務めた。 大阪府出身。第1回国家公務員六級職試験を合格。東京大学法学部政治学科卒業。1949年 大蔵省入省。主計局配属。1953年10月 粉河税務署長。1965年7月 福岡国税局総務部長。同年10月23日 大臣官房文書課広報室長。1966年12月5日 大臣官房専門調査官兼大臣官房文書課広報室長。1967年8月 経済企画庁長官官房調査官。同年8月 経済企画庁調整局財政金融課長。1969年8月 大阪国税局総務部長。1971年6月 証券局証券業務課長。1972年5月1日 証券局業務課長。同年6月 国税庁長官官房総務課長。
黒柳 恒男(くろやなぎ つねお、1925年6月2日 - 20… 黒柳 恒男(くろやなぎ つねお、1925年6月2日 - 2014年8月30日)は、日本のペルシャ語学者・ペルシャ文学者、翻訳家。日本国におけるペルシア語・ペルシア文学研究の礎を築き、普及に努めた。アラビア語・ペルシア語・ウルドゥー語の辞書を編纂した。 東京外事専門学校卒。東京外国語大学助教授、教授、1989年定年退官、名誉教授、大東文化大学教授。
根岸 謙之助(ねぎし けんのすけ、1925年〈大正14年〉6… 根岸 謙之助(ねぎし けんのすけ、1925年〈大正14年〉6月1日 - 1995年〈平成7年〉3月15日)は、日本の国文学者・民俗学者。 群馬県利根郡糸之瀬村(現・昭和村)出身。旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)を経て、國學院大學文学部を卒業。折口信夫に師事する。 群馬県立前橋工業高等学校教諭、群馬県立高崎工業高等学校教諭、群馬県立前橋高等学校教諭をへて、群馬大学医療技術短期大学部教授。 1991年に定年退官、名誉教授、上武大学教授。 1991年に『医療民俗論』で柳田賞受賞。1992年に「医療民俗学論」で國學院大學民俗学博士となる。群馬県史編纂調査委員、群馬県文学賞選考委員も務めた。日本民俗学会会員。
各務 章(かがみ あきら、1925年6月1日 - 2012年… 各務 章(かがみ あきら、1925年6月1日 - 2012年2月7日)は、日本の詩人。教育者。 福岡市に生まれる。1943年福岡県中学修猷館を卒業。1944年召集されて満洲へ出征するが、翌年肺結核のため帰国。1945年旧制福岡高等学校を経て、1948年九州大学法文学部法科を卒業。 胸部外科手術を受けた後、1952年福岡県立鞍手高等学校教諭となり、福岡県立教育研究所(福岡県教育センターの前身)研究員、福岡県立修猷館高等学校教頭、福岡県立福岡高等学校教頭、福岡県教育庁主任指導主事、福岡県立筑紫中央高等学校校長、福岡県立筑紫丘高等学校校長、九州女子高等学校(現・福岡大学附属若葉高等学校)校長を歴任。 学生時代の1944年に、湯川達典、田中小実昌らと回覧誌『止里加比(とりかひ)』を出版。
寺岡雅之(てらおか まさゆき、1925年6月1日 - 199… 寺岡雅之(てらおか まさゆき、1925年6月1日 - 1990年11月24日)は日本の大蔵官僚。南九州財務局長、中国財務局長などを務めた。 大分県出身。旧制第一高等学校、東京大学法学部法律学科卒業。東大法学部在学中の1950年1月に国家公務員六級職試験を合格。1950年4月 大蔵省に入省。主計局総務課に配属。1969年8月 関東財務局理財部長。1970年7月 国税庁徴収部徴収課長。1971年6月 国税庁徴収部管理課長。1972年6月27日 南九州財務局長。1973年1月16日 中国財務局長。1974年7月10日 大臣官房付。同年7月 退官。同年10月 日本定航保全専務取締役。1981年6月3日 中小企業退職金共済事業団理事(〜1985年7月12日)。
桑原 亮三(くわはら りょうぞう、1925年6月 - )は、… 桑原 亮三(くわはら りょうぞう、1925年6月 - )は、日本の仏教学者、僧侶。米国ライス大学研究員、太平寺住職。 駒澤大学仏教学部卒業。大本山永平寺安居。1956年京都大学大学院修士課程宗教学専攻修了(題目「宗教的真理の問題について-キルケゴールを中心として-」)。同博士課程単位修得退学。 京都大学に新制の大学院ができた年に出願。西谷啓治教授のもとで10年ほど哲学を学ぶ。米国ライス大学研究員を経て、太平寺住職。大阪国際宗教同志会会員。 主な著作に「現代に生きる世界の宗教」A・Jバーン(Archie J Bham)著(翻訳)、「道元とキエルケゴール」など。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
山内 登美雄(やまのうち とみお、1925年6月 - 200… 山内 登美雄(やまのうち とみお、1925年6月 - 2000年6月2日)は、日本の演劇学者。 石川県金沢市生まれ。東京大学文学部哲学科卒。明治大学文学部教授を務めた。1994年定年退任。2000年6月2日、肺炎のため死去。 演劇理論、ギリシア悲劇などが専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
岡田 栄(おかだ さかえ、1924年6月30日 - 没年不明… 岡田 栄(おかだ さかえ、1924年6月30日 - 没年不明 )は、プロ野球球団阪急ブレーブス球団代表である。 京都府出身。1949年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、京阪神急行電鉄に入社した。 1979年から1987年までに阪急ブレーブス球団代表を務めた。 1987年12月に丹後海陸交通の社長に就任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
村松 貞次郎(むらまつ ていじろう、1924年6月30日 -… 村松 貞次郎(むらまつ ていじろう、1924年6月30日 - 1997年8月29日)は、日本の建築史家。東京大学名誉教授。 静岡県島田市出身、旧制八高を経て東京大学第二工学部建築学科卒業。1973年、『大工道具の歴史』で毎日出版文化賞受賞。1974年、東京大学生産技術研究所教授。1983年、日本近代建築の評価に基づく都市計画の業績により日本建築学会賞受賞。1984年、定年退官、法政大学教授、明治村館長を務めた。門下生の一人が藤森照信。 日本の建築生産について研究を進め、煉瓦造・鉄筋コンクリート造などの新しい技術が導入される過程を労作『日本近代建築技術史』にまとめた。また、同時代の建築に関わるルポとして、『現代建築をつくる人々 設計組織ルポ』(浜口隆一と共著)がある。
有島 重武(ありしま しげたけ、1924年〈大正13年〉6月… 有島 重武(ありしま しげたけ、1924年〈大正13年〉6月28日 - 2006年〈平成18年〉1月19日)は、日本の政治家。衆議院議員を8期務めた。 東京都出身。有島行郎の二男。1948年、慶應義塾大学工学部機械工学科を卒業する。創価学会理事、民主音楽協会理事を務める。1963年発表の学会歌「世界広布の歌」を作曲。 1967年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に、東京6区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降、連続8期)。 1984年、公明党会計監査委員に就任する。 1986年12月、公明党大会において、公明党中央統制委員に就任する。 1989年、明電工事件の疑惑による矢野絢也の公明党委員長退任にともない、公明党中央統制委員を退任する。
石丸 俊彦(いしまる としひこ、1924年6月28日 - 2… 石丸 俊彦(いしまる としひこ、1924年6月28日 - 2007年4月1日)は、日本の裁判官、法学者。専門は刑事法。元東京高等裁判所総括判事。元早稲田大学法学部客員教授。 16歳で陸軍予科士官学校に入学する。 1944年、陸軍士官学校を卒業し、歩兵部隊の少尉に任ぜられ、ビルマの戦地に送られる。敗北で撤退の後、帰国して本土決戦要員に任じられた状態で日本の敗戦を迎えた。当時の上官は敗戦が決まった後、「諸君らは生きて、この国を立て直して欲しい」と言い残して割腹自決したという。 1951年、早稲田大学法学部(旧制)を卒業、同年司法修習生となる。1953年に判事補に任官した。 以降、裁判官として福岡地方裁判所、東京地方裁判所、最高裁判所調査官、司法研修所教官、裁判所書記官研修所長、佐賀地方裁判所所長等を歴任した。
碧海 純一(あおみ じゅんいち、1924年6月27日 - 2… 碧海 純一(あおみ じゅんいち、1924年6月27日 - 2013年7月18日)は、日本の法学者、法哲学者。東京大学名誉教授。日本バートランド・ラッセル協会理事。 分析哲学、批判的合理主義に近い立場から理論哲学として法哲学を展開し、以後の日本の法哲学に大きな影響を及ぼした。主著に『法哲学概論』『法と社会』など。 愛知県名古屋市出身。旧制武蔵高等学校では、講師であった下村寅太郎に紹介され、バートランド・ラッセルに触れる(後に日本バートランド・ラッセル協会設立発起人となっている)。 1944年(昭和19年)短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学。1944年10月、海軍主計見習士官。
鶴美山 侑宏(つるみやま ともひろ、1924年6月27日 -… 鶴美山 侑宏(つるみやま ともひろ、1924年6月27日 - 1989年10月18日)は、井筒部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)、再度井筒部屋、陸奥部屋に所属した元力士、元若者頭。本名は近藤 貢(こんどう みつぐ)。現在の東京都荒川区出身。176cm、113kg。最高位は西十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。 1939年1月場所に初土俵。序ノ口で全敗したり、幕下から序二段まで下がるなど、出世が遅かったが、初土俵が同期の栃錦に「十両に上がったら俺の化粧廻しをやるから」と励まされて奮起し、初土俵から16年が経った1955年3月場所に30歳で十両昇進。1957年1月場所に32歳で引退し、若者頭に転じた。
高谷 朝子(たかや あさこ、1924年(大正13年)6月26… 高谷 朝子(たかや あさこ、1924年(大正13年)6月26日 - 2018年(平成30年)5月11日)は、宮内庁元内掌典。高谷の高は、はしごだか(髙) 滋賀県大津市生まれ。1942年(昭和17年)3月に滋賀県立大津高等女学校(現滋賀県立大津高等学校)を卒業。翌1943年(昭和18年)6月1日に宮内省内掌典を拝命。以後約57年間に亘り、皇室の神事、賢所や候所の伝統を護る。終戦から昭和天皇崩御までを皇居内で過ごした。この間、1985年(昭和60年)4月におかしら(内掌典の長)に就任。昭和天皇大喪の礼、第125代天皇明仁即位の礼、皇太子徳仁親王成婚に関わった。2000年(平成12年)11月、勲四等瑞宝章受章。
暉峻 衆三(てるおか しゅうぞう、1924年〈大正13年〉6… 暉峻 衆三(てるおか しゅうぞう、1924年〈大正13年〉6月26日 - 2023年〈令和5年〉12月22日)は、日本の経済学者。専門は農業経済学。学位は、農学博士(東京大学・論文博士・1984年)(学位論文『日本農業問題の展開』)。東京教育大学教授・信州大学教授・宇都宮大学教授・東亜大学教授を歴任。 暉峻義等の次男。妻は暉峻淑子。長男は暉峻創三。 岡山県倉敷市出身。1943年東京帝国大学に入学。1944年学徒動員により入隊し、陸軍経理学校に入る。1945年8月12日、原爆投下後の広島市に入る。 1947年東京帝国大学農学部農業経済学科卒業。1984年『日本農業問題の展開』で東京大学より農学博士の学位を取得。
丹阿弥 谷津子(たんあみ やつこ、1924年〈大正13年〉6… 丹阿弥 谷津子(たんあみ やつこ、1924年〈大正13年〉6月25日 - )は、日本の女優。東京市本所区両国(現・東京都墨田区両国)出身。本名:金子 谷津子、旧姓:丹阿弥。身長157cm、血液型はO型。村上事務所所属。父は日本画家の丹阿弥岩吉、妹はメゾチント作家の丹阿弥丹波子。夫は金子信雄(1995年、死別)。 1937年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。東京府立第十高等女学校卒業。1942年、文化学院文学部卒業。1942年文学座研究生となる。同年「富島松五郎伝」で初舞台。1945年新劇合同公演「桜の園」のアーニャ役で注目され、以後「シラノ」のロクサーヌ、「マリウス」のファニーなど美貌と演技をかね備えた女優としての地位を確立。
塚原 鉄雄(つかはら てつお、1924年〈大正13年〉6月2… 塚原 鉄雄(つかはら てつお、1924年〈大正13年〉6月25日 - 1993年〈平成5年〉12月13日)は、日本の国語学者・国文学者。大阪市立大学名誉教授。
原田 睦民(はらだ むつたみ、1924年6月25日 - 20… 原田 睦民(はらだ むつたみ、1924年6月25日 - 2006年5月18日)は、日本の政治家。全国農業協同組合中央会会長。
富澤 純一(とみざわ じゅんいち、1924年6月24日 - … 富澤 純一(とみざわ じゅんいち、1924年6月24日 - 2017年1月26日)は、日本の分子生物学者。国立遺伝学研究所名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。 東京都生まれ。日本の分子生物学の黎明期より指導的な役割を担い、RNAによってDNA複製が制御されることを発見したことで知られる。1947年東京帝国大学医学部薬学科卒。薬学博士(東京大学1957年)。日本分子生物学会名誉会員。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
大樹 孝啓(おおき こうけい、1924年〈大正13年〉6月2… 大樹 孝啓(おおき こうけい、1924年〈大正13年〉6月23日 - )は、日本の天台宗の僧侶。圓教寺第140世長吏。第258世天台座主。比叡山宝珠院の大樹徧謙(幕末から明治期)は、祖父大樹徧誠の師。 1924年(大正13年)、兵庫県飾磨郡曽左村書写(現在の姫路市書写)に生まれる。旧制大正大学予科を終了した。 1943年(昭和18年)、出家し、圓教寺塔頭仙岳院で得度した。 1944年(昭和19年)、滋賀海軍航空隊入隊。 1945年(昭和20年)、置塩山法界寺住職に就任した。 1948年(昭和23年)、姫路市の小学校教師となり、1965年(昭和40年)3月まで17年間務めた。この間、1962年(昭和37年)には得度を受けた仙岳院の住職に就任した。
中井 武夫(なかい たけお、1924年6月23日 - 200… 中井 武夫(なかい たけお、1924年6月23日 - 2007年6月22日)は、日本の経営者。日産化学工業社長、会長を務めた。 富山県富山市出身。1947年に東北大学法文学部経済学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。1972年11月に取締役に就任し、1975年7月に日産化学工業常務、1979年7月に専務、1980年7月に副社長を経て、1986年7月には社長に就任。1992年6月に会長、1996年6月に取締役相談役を経て、1997年6月には相談役に就任。 1994年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2007年6月22日急性心不全のために死去。82歳没。