木村 睦男(きむら むつお、1913年〈大正2年〉7月29日… 木村 睦男(きむら むつお、1913年〈大正2年〉7月29日 - 2001年〈平成13年〉12月7日)は日本の政治家、運輸官僚。位階は正三位。参議院議員、参議院議長、運輸大臣を歴任。 岡山県阿哲郡千屋村(現・新見市千屋)出身。東京帝国大学法学部卒業。 田中派に属し、ロッキード事件では公判に証人として立ち田中角栄を擁護した。1987年7月4日、竹下登、金丸信らによる新派閥「経世会」が結成され、田中派が竹下派、二階堂グループ、中立系の3派に分裂した際は二階堂グループにはついていかず、中立系に属した。 自民党系の改憲団体で、「自主憲法期成議員同盟」(現・「新憲法制定議員同盟」)の関連団体である「自主憲法制定国民会議」(現・「新しい憲法をつくる国民会議」)会長をつとめ、憲法改正私案を発表するなど改憲論者であった。
松田 靖彦(まつだ やすひこ、1913年〈大正2年〉7月26… 松田 靖彦(まつだ やすひこ、1913年〈大正2年〉7月26日 - 1979年〈昭和54年〉12月24日)は、日本の元陸軍軍人及び陸上自衛官。最終階級は少佐、2等陸佐。第3代秋田駐屯地司令、第3代山梨地方連絡部長を務めた。 静岡県五和村出身。陸軍中将松田巻平の長男。1934年3月17日、予科卒業(12期、第2中隊第5区隊)歩兵第79連隊に配属され、本科48期卒(第2中隊第3区隊)。日中戦争に従軍し、本部作戦主任を経て1939年6月、第1大隊第1中隊長。 中隊長在任中の部下にのち韓国陸軍中将・駐日大使の崔慶禄がおり、士官学校への入学を推薦したほか、演習を視察で訪れた小野武雄中佐とも引き合わせた。 久留米第一予備士官学校歩兵生徒隊中隊長、西部軍教育隊中隊長を経て、郷里静岡で編成された第143師団(長:鈴木貞次中将)参謀として終戦を迎える。
吉田 徳之助(よしだ とくのすけ、1913年7月25日 - … 吉田 徳之助(よしだ とくのすけ、1913年7月25日 - 2010年2月10日)は、日本の数学者。教育者。 1913年(大正2年)京都府に生まれる。1933年(昭和8年)京都師範学校、1936年(昭和11年)東京高等師範学校を卒業後、東京文理科大学数学科に入学。1939年(昭和14年)に卒業後、東京高等師範学校講師を務める。第二次世界大戦中は岡村博を責任者とした航空力学の研究にも携わった。 1945年(昭和20年)京都工業専門学校教授、1952年(昭和27年)京都工芸繊維大学教授、後に大阪工業大学教授を経て1978年(昭和53年)京都工芸繊維大学学長に就任。 兄の吉田梅次郎は、半導体工学の第一人者として芝浦工業大学教授などを務めた。
坂本 昭(さかもと あきら、1913年《大正2年》7月24日… 坂本 昭(さかもと あきら、1913年《大正2年》7月24日 - 1978年《昭和53年》12月2日)は、日本の医師、政治家。旧姓・傍士 高知県選挙区選出の参議院議員で、1956年(昭和31年)から1962年(昭和37年)まで務めた。第24・25・26代高知市長も務め、在任期間は1967年(昭和42年)から1978年(昭和53年)10月まで。 三重県宇治山田市曽根町(現伊勢市)で、中学校英語教師・傍士龍治、茂登恵の長男として生まれた。母方の姓を継ぎ坂本に改姓。
河辺 三郎(かわべ さぶろう、旧字体: 河邊 三郞、1913… 河辺 三郎(かわべ さぶろう、旧字体: 河邊 三郞、1913年〈大正2年〉7月24日 - 没年不詳)は、日本の華族(男爵)、神職。 大正2年(1913年)7月24日、河辺博長の三男として、東京都に生まれる。 昭和5年(1930年)4月4日に父博長が帰幽すると、同年7月1日に17歳で家督を継承、男爵となった。昭和11年(1936年)國學院大學付属神道部を卒業すると、同年大洗磯前神社・酒列磯前神社主典に就任、昭和15年(1940年)には伊豆山神社主典に転じた。昭和18年(1943年)からは実業界にて活躍した。昭和23年(1948年)3月28日には長男慶三郎が誕生した。 昭和37年(1962年)、下鴨神社禰宜に就任した。
塚本 重頼(つかもと しげより、1913年〈大正2年〉7月2… 塚本 重頼(つかもと しげより、1913年〈大正2年〉7月24日 - 1992年〈平成4年〉4月10日)は、日本の裁判官、弁護士、法学者(英米法・労働法)。中央大学名誉教授。元最高裁判所判事。藍綬褒章、勲一等瑞宝章受章。岐阜県出身。 1936年中央大学法学部卒業。1937年高等試験司法科試験合格。8年間裁判官生活を送っていたが、1947年に弁護士に転身。昭和電工事件や造船疑獄などを担当。 1949年母校である中央大学法学部専任講師。1951年中央大学法学部教授に就任。1954年中央大学選任評議員。1958年法学博士の学位を取得。1979年3月中央大学依願退職。 1979年4月に最高裁判事となる。
神谷 宣郎(かみや のぶろう、1913年 <大正2年> 7月… 神谷 宣郎(かみや のぶろう、1913年 <大正2年> 7月23日 - 1999年 <平成11年> 1月10日)は日本の生物学者。専門は植物学、細胞生理学。位階は正四位。 東京府で生まれる。府立高等学校を経て、東京帝国大学(現・東京大学)理学部植物科を卒業後、同大学講師となる。1948年に同大学で理学博士号を取得後、1949年に大阪大学理学部教授に就任。1946年の東京大学講師在任中に神谷美恵子と結婚した。1977年に大阪大学名誉教授となり、基礎生物学研究所教授に転身する。1972年 - 1973年に日本植物生理学会会長を務めたほか、国際細胞生物学連合会会長を歴任した。1971年に日本学士院賞を受賞しており、1981年に日本学士院会員に選任された。
小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、191… 小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、1913年〈大正2年〉7月23日 - 1999年〈平成11年〉12月30日)は、日本の内務・自治官僚、実業家。自治省の設立に尽力したのちに下野。読売グループの要職を歴任した。正力松太郎は岳父。 正力家の土建資材を運ぶイカダ舟の船頭・小林助次郎の三男として、富山県大門町(現・射水市)に生まれる。 高岡中学校、第四高等学校を経て、1935年に東京帝国大学法学部独法科を卒業、東大在学中に、高等文官試験の司法科と行政科の両方に合格し、内務省に入省。後藤田正晴によれば、入省時の成績は抜群であったという。入省同期に参議院議員の原文兵衛、陸上幕僚長の山田正雄らがいる。
萩原 進(はぎわら すすむ、1913年〈大正2年〉7月23日… 萩原 進(はぎわら すすむ、1913年〈大正2年〉7月23日 - 1997年〈平成9年〉1月20日)は、日本の歴史学者。群馬県吾妻郡長野原町出身。群馬県の郷土史研究に従事。群馬県議会図書室長、前橋市立図書館長を歴任。 1913年(大正2年)、群馬県吾妻郡長野原町の農業兼雑貨商の父茂一・母いはの第三子(長男)として生まれる。1934年(昭和9年)群馬県師範学校を卒業。 群馬県内の小学校教諭として勤務し、1945年(昭和20年)吾妻郡長野原国民学校教頭。その間1943年(昭和18年)からは群馬県社寺兵事課史蹟主事をつとめる。 戦後は教職員不適格者指定を受け退職し、群馬県農業会に勤める。1948年(昭和23年)群馬県議会書記、翌年同図書室長に就任する。
國分 正胤(国分、こくぶ まさたね、1913年(大正2年)7… 國分 正胤(国分、こくぶ まさたね、1913年(大正2年)7月21日 - 2004年(平成16年)7月7日)は、昭和から平成時代の土木工学者。国分青崖の孫。 東京府に生まれる。旧制七年制高等学校の旧制東京高等学校を経て、1936年(昭和11年)に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、東京府に出仕する。1938年(昭和13年)から1945年(昭和20年)まで兵役に就く。1943年(昭和18年)東京帝国大学助教授を経て、1950年(昭和25年)吉田徳次郎の後任として東京大学教授となり、1974年(昭和49年)定年退官した。同年、武蔵工業大学教授に転じ1984年(昭和59年)まで務め、ついで足利工業大学顧問教授となった。
今村 成和(いまむら しげかず 1913年7月20日 - 1… 今村 成和(いまむら しげかず 1913年7月20日 - 1996年10月13日)は、日本の法学者。専門は、行政法・経済法。 学位は、法学博士(東京大学、1961年)(学位論文「国家補償法」)。北海道大学名誉教授、北海学園大学名誉教授。日本学士院会員。1985年勲一等瑞宝章受章。京城(後の韓国ソウル)生まれ。父は樺太庁長官の今村武志、柳宗悦は母方の伯父。 朝鮮京城生まれ。京城師範学校附属小学校・中学校卒業。1934年3月、 第二高等学校文科甲類卒業。1937年3月 - 東京帝国大学法学部政治学科卒業。 1937年4月、三菱商事株式会社入社(総務部文書課法規係勤務)。 1947年8月、公正取引委員会事務局事務嘱託。
横松 宗(よこまつ たかし、1913年(大正2年)7月19日… 横松 宗(よこまつ たかし、1913年(大正2年)7月19日 - 2005年10月15日)は、日本の近代中国思想研究者・教育学者。元八幡大学(現九州国際大学)学長。大分県中津市生まれ。魯迅、同郷の福沢諭吉研究の第一人者。 学外の役職として、中津市教育委員長、北九州市家庭教育調査委員長、福岡市中国研究センター理事長、福沢諭吉協会会長、九州大学講師、ケンジントン大学(日本校)客員教授等を務めた。 横松は研究対象である福沢諭吉と魯迅に「近代国家主義思想」と「近代的科学精神」という2つの共通の自己確認があると述べている。これは魯迅が東京に留学した経験等から、ある意味魯迅が福沢に影響され啓発された現れとも論じている。
松澤 卓二(まつざわ たくじ、1913年(大正2年)7月17… 松澤 卓二(まつざわ たくじ、1913年(大正2年)7月17日 - 1997年(平成9年)9月8日)は、日本の銀行家。富士銀行頭取、会長のほか、全国銀行協会連合会会長、経済団体連合会、日本経営者団体連盟副会長等を歴任した。その風貌と行動力がフランスの英雄を彷彿させるとして金融界のナポレオンと呼ばれた。 東京・日本橋蛎殻町に生まれる。父は弁護士で裕福な家庭に育った。 東京府立第六中学校、旧制第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 安田財閥の持株会社である安田保善社の入社試験に合格し、富士銀行の前身となる安田銀行に入行。初任地として馬喰町支店に配属となる。その後、赤紙が来て満州に渡り、幹部候補生学校に入学し、少尉に任官となる。
村瀬 興雄(むらせ おきお、1913年7月17日 - 200… 村瀬 興雄(むらせ おきお、1913年7月17日 - 2000年3月2日)は、日本の歴史学者。ドイツ帝国およびナチズム、ナチス・ドイツを研究。成蹊大学名誉教授。 東京都出身。1938年東京帝国大学文学部西洋史学科卒。松山高等学校教授、愛媛大学助教授、1953年成蹊大学教授、1977年定年退任、名誉教授。立正大学教授、1984年退職。創価大学客員教授。1993年退職。 1987年秋、勲三等瑞宝章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
毛利 松平(もうり まつへい、1913年7月16日 – 19… 毛利 松平(もうり まつへい、1913年7月16日 – 1985年5月24日)は、日本の政治家。第5代環境庁長官。
伊藤 暹(いとう すすむ 、1913年7月16日 - 没年不… 伊藤 暹(いとう すすむ 、1913年7月16日 - 没年不明)は、日本の実業家。大丸(現:大丸松坂屋百貨店)の副社長、博多大丸社長を歴任した。 滋賀県出身。1934年に彦根高等商業学校(現:滋賀大学経済学部)を卒業し、同年4月に大丸(現:大丸松坂屋百貨店)へ入社した。 入社後は天津支店貿易部や京都店で勤務し、戦後には京都店副支配人を務めた。その後、京都店次長兼総務部長、宣伝部長などを歴任し、1961年には香港大丸百貨有限公司総経理に就任するなど、国内外で経営実務に携わった。 1965年4月、大丸取締役に就任した。 1967年3月まで香港大丸の店長を務め、現地市場に根ざした「現地主義」の経営を徹した。
本儀 静(もとぎ しずか、旧姓:高橋、1913年(大正2年)… 本儀 静(もとぎ しずか、旧姓:高橋、1913年(大正2年)7月16日 - 没年不明)は、日本のピアニスト。元徳島文理大学音楽学部教授。元甲南大学文学部講師。 東京音楽学校ピアノ科卒業。兵庫県神戸市出身。 兵庫県神戸市出身。1935年(昭和10年)に東京音楽学校ピアノ科(現:東京芸術大学音楽学部)を卒業し、ピアノを高折宮次、レオ・シロタ、森昭子に師事する。 1951年(昭和26年)から1974年(昭和49年)まで甲南大学文学部で講師を務め、徳島女子大学音楽学部で講師・教授となり、同大学が改称した徳島文理大学音楽学部で教授を務めた。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
氷川 瓏(ひかわ ろう、1913年7月16日 - 1989年… 氷川 瓏(ひかわ ろう、1913年7月16日 - 1989年12月26日)は、日本の作家。探偵小説家。東京都出身。 本名、渡辺 祐一。同じく探偵作家の渡辺剣次(本名・渡辺健治)は実弟である。また、ファンタジー作家のひかわ玲子は姪(末弟の娘)にあたる。東京商科大学(現在の一橋大学の前身)卒業。 第二次世界大戦後、創刊されて間もなかった雑誌『宝石』1946年(昭和21年)5月号に、「乳母車」を発表しデビューした。以後、断続的に幻想・怪奇系に属する探偵小説作品を書いた。作品の多くは短編である。 一方でもともと純文学指向のあった彼は木々高太郎が編集にあたっていた『三田文学』に本名で「天平商人と二匹の鬼」、「洞窟」の二編を発表、後者は1952年度上半期の第27回直木賞候補となっている。
入江 徳郎(いりえ とくろう、1913年(大正2年)7月15… 入江 徳郎(いりえ とくろう、1913年(大正2年)7月15日 - 1989年(平成元年)9月5日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター、エッセイスト。朝日新聞社論説委員、JNNニュースコープキャスター。 福岡県遠賀郡芦屋町出身。福岡県立東筑中学校を経て、1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社に入社。 長野支局を振り出しに社会部記者一筋に活躍。ノモンハン事件では従軍記者として死線をさまよい、事件を描いた『ホロンバイルの荒鷲』で記者としての才能を認められ、戦後の著書『泣虫記者』は話題になった。 社会部次長、週刊朝日副編集長などを経て、1961年(昭和36年)に編集委員、63年に論説委員となり、同年5月から70年4月まで朝日新聞の1面コラム「天声人語」を担当した。
西村 元男(にしむら もとお、1913年7月15日 - 19… 西村 元男(にしむら もとお、1913年7月15日 - 1998年2月7日)は、日本の映画監督、脚本家。主にコメディ映画、ミュージカル映画、ドキュメンタリー映画を監督した。 日本大学芸術学部卒業(6期生)。その後、大映株式会社入社。 終戦後、大映に復帰。助監督から監督となり、1963年の退職まで多数の映画に携わる。 独立して映像編集、制作会社を立ち上げるも、1969年に解散。 1998年、肺ガンにより死去。 死後、2002年、企画した『陽はまた昇る』が西田敏行主演で東映より映画化された。 movie walkerplus 西村 元男 日本映画監督協会会員名鑑 西村元男 文化庁 日本映画情報システム 西村元男 資料データベース|東宝WEB SITE この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。
岡本 悟(おかもと さとる、1913年7月13日 - 198… 岡本 悟(おかもと さとる、1913年7月13日 - 1988年11月12日)は、日本の政治家、官僚。参議院議員(2期)。 広島市南区松原町出身。旧制広島一中、旧制広島高等学校卒業。1937年(昭和12年)、東京帝国大学法学部法律学科卒業。同年、鉄道省入省。大阪鉄道局書記。運輸省観光局長、大臣官房長、鉄道監督局長を務める。 1963年(昭和38年)4月19日-運輸事務次官就任。1964年(昭和39年)、運輸事務次官退任。 1965年(昭和40年)、第7回参議院議員通常選挙全国区当選。1971年(昭和46年)、第9回参議院議員通常選挙再選。1972年(昭和47年)、七日会(田中派)理事。1977年(昭和52年)、第11回参議院議員通常選挙に立候補せず、引退。
寺尾 正二(てらお しょうじ、1913年 <大正2年> 7月… 寺尾 正二(てらお しょうじ、1913年 <大正2年> 7月13日 - 2003年 <平成15年> 6月5日)は日本の裁判官、弁護士。位階は正三位。 愛媛県越智郡波方町(現今治市)生まれ。中央大学法学部卒業。1936年11月、司法科試験合格。1937年6月、司法官試補(東京)。1938年12月、札幌地方裁判所予備判事に就任。樺太地方裁判所、大阪簡易裁判所、大阪地方裁判所判事を経て、1952年2月に東京地方裁判所へ転任し、1961年まで最高裁判所調査官を兼任。この間、1957年には八海事件における死刑判決を破棄し、審理を広島高等裁判所へ差し戻す。 その後、徳島地方裁判所・徳島家庭裁判所所長を経て、1970年8月に東京高等裁判所へ転任。
渡辺 淳(わたなべ じゅん、1913年7月13日 - 199… 渡辺 淳(わたなべ じゅん、1913年7月13日 - 1995年4月2日)は、日本の経営者、銀行家。日本債券信用銀行頭取を務めた。愛知県名古屋市出身。 1936年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行した。中央信託銀行常務、日本興業銀行常務、日本冶金工業会会長などを経て、1974年に日本債券信用銀行頭取に就任。1979年に顧問に就任。 1978年に藍綬褒章を受章。 1995年4月2日脳梗塞のために死去。81歳没。
小泉 譲(こいずみ ゆずる、1913年7月13日 - 200… 小泉 譲(こいずみ ゆずる、1913年7月13日 - 2004年8月19日)は、日本の作家。本名・一久。 埼玉県川口市生まれ。慶應義塾高等部中退。満鉄上海事務所調査部をへて、上海特別市政府に勤務。丹羽文雄の『文学者』に参加。1943年「桑園地帯」で芥川賞候補。1949年『死の盛粧』で直木賞候補、50年『君が火の鳥』『南支那海』、60年『小説天皇裕仁』で直木賞候補。『小説天皇裕仁』はベストセラーとなる。日中文化交流協会会員。「じょう」と読まれることもある。
河野 義克(こうの よしかつ、1913年7月12日 - 20… 河野 義克(こうの よしかつ、1913年7月12日 - 2003年7月17日)は、日本の内務官僚、国会職員。参議院事務総長、国立国会図書館長。 社会教育家・貴族院議員の田澤義鋪とヨウ(洋子)の次男として、父の任地である静岡県安倍郡安東村(現・静岡市)で生まれた。 旧姓は田澤。1934年、21歳のときに会計検査院長・河野秀男の養子となった。田澤家と河野家とは、父親同士がかねてから親交があってそれが縁となった。 成蹊小学校、旧制・成蹊高等学校(文科甲類)卒業。 1937年、東京帝国大学(現・東京大学)法学部政治学科卒業。在学中、高等文官試験行政科に合格している。 大学卒業後、内務省に採用となり4月に岐阜県属として赴任した。
奥野 誠亮(おくの せいすけ/せいりょう、1913年〈大正2… 奥野 誠亮(おくの せいすけ/せいりょう、1913年〈大正2年〉7月12日 - 2016年〈平成28年〉11月16日)は、日本の内務官僚、政治家。 衆議院議員(13期)、第16代国土庁長官、第39代法務大臣、第95代文部大臣などを務めた。栄典は正三位勲一等。 奈良県南葛城郡御所町(現・御所市)出身。 父は浪速製氷冷蔵社長、御所郵便局長、奈良県議会議員、御所町長を務めた奥野貞治。 奈良県立畝傍中学校、第一高等学校を経て、1938年(昭和13年)3月、東京帝国大学法学部政治学科卒業。 同年4月、内務省入省。静岡県内務部配属。その後、山梨県内務部人事課長。 第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)に鹿児島県警察部特高課長として新興俳句弾圧事件の一つであるきりしま事件を指揮する。
白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12… 白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12日 - 1984年(昭和59年)11月25日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第10代市長、満州国官吏。栄典は正六位・勲四等・旭日小綬章。
渡辺 孟次(わたなべ たけじ、1913年7月12日 - 20… 渡辺 孟次(わたなべ たけじ、1913年7月12日 - 2005年4月2日)は、日本の経営者。共同通信社社長を務めた。 東京都出身。1938年に日本大学を中退し、同盟通信社での勤務を経て、1945年に共同通信社に入社。1968年6月に常務理事に就任し、1974年6月に専務理事を経て、1978年6月に社長に就任。1985年6月に相談役に就任し、1987年6月には顧問に就任。 1984年11月に勲一等瑞宝章を受章。 2005年4月2日老衰のために死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
谷口 敏雄(たにぐち としお、1913年7月11日 - 19… 谷口 敏雄(たにぐち としお、1913年7月11日 - 1988年8月24日)は、土木工学・地球物理学者。日本の地すべり研究の第一人者の一人。正五位勲四等旭日小綬章受章。工学博士(京都大学)。元建設省土木研究所砂防研究室長および河川部長。日本技術士会元理事。日本工営元副社長・最高顧問。日本地すべり学会第2代会長・名誉会長。地すべり対策技術協会元会長。土質工学会(現:地盤工学会)元副会長。元京都大学防災研究所非常勤講師・大阪工業大学工学部土木工学科客員教授。 日本の地すべり工学の最高権威者として自他ともに認められ、地すべり対策事業の黎明よりかかわり、育ててきた最大の功労者である。
前田 正男(まえだ まさお、1913年7月10日 - 200… 前田 正男(まえだ まさお、1913年7月10日 - 2008年2月12日)は、日本の政治家。日本自由党・民主自由党・自由党・自由民主党に所属し、衆議院議員(11期)、科学技術庁長官(三木改造内閣)を務めた。従三位勲一等。甥は元民主党参議院議員の前田武志。 岐阜県稲葉郡北長森村(現岐阜市)出身。1936年に山梨高等工業学校機械科(現山梨大学工学部)を卒業する。その後、三井物産株式会社の社員を経て、三井精機工業株式会社に勤務し、奈良県産業復興会議設立準備委員会事務責任者となった。 1947年の第23回衆議院議員総選挙に旧奈良県全県区から無所属で出馬し初当選。1947年12月時点で奈良県工業協会連合会常任理事兼事業部長を務めた。
宝月 欣二(ほうげつ きんじ、寳月 欣二、1913年 <大正… 宝月 欣二(ほうげつ きんじ、寳月 欣二、1913年 <大正2年> 7月10日 - 1999年 <平成11年> 12月19日)は、日本の植物学者。理学博士。東京都立大学名誉教授。専門は植物生態学。栄典は勲三等旭日中綬章。位階は正四位。 長野県長野市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、松本高等学校理科を経て、1938年東京帝国大学理学部植物学科卒業。同大学大学院修了(理学博士)。1944年東京大学副手を経て、1952年東京都立大学助教授、1954年同大学教授。退官後、同大学名誉教授。玉川大学教授。 日本植物学会会長、日本生態学会会長、旧環境庁自然環境保全審議会委員などを歴任し、勲三等旭日中綬章受勲。
近藤 要(こんどう かなめ、1913年7月8日 - 2001… 近藤 要(こんどう かなめ、1913年7月8日 - 2001年2月6日)は、日本の経営者。岐阜県出身。 1938年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に日産火災海上保険に入社。1962年に取締役に就任し、1966年に常務、1971年に専務を経て、1974年に副社長に就任し、1977年4月には社長に昇格。1978年11月に取締役相談役を経て、1979年1月に相談役に就任。 1978年11月に藍綬褒章を受章。 2001年2月6日心筋梗塞のために死去。87歳没。
郡司 正勝(ぐんじ まさかつ、1913年7月7日 - 199… 郡司 正勝(ぐんじ まさかつ、1913年7月7日 - 1998年4月15日)は、日本の歌舞伎研究家・演劇評論家・国文学者。早稲田大学名誉教授。 1913年、北海道札幌市生まれ。北海道庁立第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、1939年早稲田大学文学部国文科を卒業。大学では河竹繁俊に師事した。卒業後は、早稲田大学演劇博物館学芸員となり、同大学講師などを経て、1960年から84年まで教授を務めた。 その著作は、『郡司正勝柵定集』(全6巻)にまとめられている。故郷である札幌大学に、郡司の蔵書を納めた「郡司文庫」が設けられている。
沢田 仁三(さわた にぞう)1913年〈大正2年〉7月7日 … 沢田 仁三(さわた にぞう)1913年〈大正2年〉7月7日 - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県北埼玉郡南河原村長。埼玉県町村長会理事。 深谷商業出身。スリッパを製造する。南河原村助役を経て、1971年8月に同村長に就任、1975年8月に退職。 住所は埼玉県北埼玉郡南河原村大字南河原(現・行田市)。
松村 誠一(まつむら せいいち、1913年〈大正2年〉7月6… 松村 誠一(まつむら せいいち、1913年〈大正2年〉7月6日 - 2004年〈平成16年〉10月30日)は、国文学者。高知大学教授、成蹊大学教授を歴任。岡山県生まれ。池田亀鑑に師事。池田の『古典の批判的処置に関する研究』、『校異源氏物語』の作成に関与した。中古文学、特に源氏物語が専門。 近代文学研究者で東京女子大学名誉教授の松村綠(1909年(明治42年)1月4日~1978年(昭和53年)1月18日)は姉。
更田 正彦(ふけた まさひこ、1913年7月6日 - 200… 更田 正彦(ふけた まさひこ、1913年7月6日 - 2001年2月24日)は、日本光学工業(現ニコン)の技術者。日本における高級35mmカメラのパイオニアのひとり。 コストパフォーマンスではなく機能や性能が優れていると認められ、欧米でヒットした最初の一般市場向け日本製品となったニコンF(ならびにその前身ともいえるニコンSシリーズ)の設計を担当した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
内田 俊郎(うちだ しゅんろう、1913年7月5日 - 20… 内田 俊郎(うちだ しゅんろう、1913年7月5日 - 2005年11月2日)は、日本の生物学者。個体群生態学の、日本における草分けの一人である。 内田は京都大学農学部を主な活躍の場として、個体群生態学の研究を行った。彼の手法は実験室内において、マメゾウムシなどのモデル生物の実験個体群を対象として、恒温機の中のシャーレという、極めて管理された条件下での個体群動態を調べる、というものであった。これはいかにも人工的な実験に見えるため、そんなシャーレの中の研究で本当の自然は分からない、という批判を受けたこともあった。しかし彼はこのような手法を用いての研究を続け、密度効果や相変異など、様々な成果を上げ、多くの弟子を育てた。
樫村 寛一(かしむら かんいち、1913年(大正2年)7月5… 樫村 寛一(かしむら かんいち、1913年(大正2年)7月5日 - 1943年(昭和18年)3月6日)は、日本海軍の戦闘機操縦士、最終階級は、海軍少尉。「片翼帰還の英雄」として知られる。 香川県善通寺町に生まれた。丸亀中学卒業後、1933年5月、佐世保海兵団入団。1934年(昭和9年)2月に第24期操縦練習生に入隊し、7月に卒業する。日中戦争開始後は第十三航空隊に所属し、上海・南京と転戦した。 1937年12月9日、九六式艦上戦闘機で南昌攻撃の際、中国軍機と接触して左翼の1/3以上を失ったが、600km以上操縦を続けて南京基地に帰還した。帰還の様子は基地に滞在していた従軍報道員によって撮影された。
佐野 禮子(さの あやこ、1913年〈大正2年〉7月4日 -… 佐野 禮子(さの あやこ、1913年〈大正2年〉7月4日 - 2003年〈平成15年〉9月3日 )は日本の元皇族。旧名は、禮子女王。竹田宮恒久王と同妃昌子内親王の第1王女子。兄は、竹田宮恒徳王。佐野常光(佐野常羽の養子。一条実輝の次男)の妻。 1934年(昭和9年)3月、佐野常羽(佐野常民の子)伯爵の継嗣常光と結婚。その後は常行(1935年生)、明子(1936年生)、常武(1942年生) 常具(1946年生)の3男1女に恵まれた。青山霊園にある墓誌によると、洗礼名はマリヤ。
村上 重夫(むらかみ しげお、1913年7月3日 - 194… 村上 重夫(むらかみ しげお、1913年7月3日 - 1945年)は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)。
薬師寺 厚(やくしじ ひろし、1913年7月2日 - 199… 薬師寺 厚(やくしじ ひろし、1913年7月2日 - 1998年12月8日)は、日本の建築家。佐野利器の女婿。 岡山県出身。父の薬師寺主計は大原美術館などを設計した建築家である。1932年(昭和7年)私立武蔵高等学校卒業後、1937年(昭和12年)、東京帝国大学工学部建築学科を卒業(同期に丹下健三らがいる)。 逓信省(当時)に入省し山田守に薫陶を受ける。郵政省(当時)の建築部長を経て1964年(昭和39年)退官した。その後藤田建設に入社し、1965年常務、1971年専務、1979年顧問、1982年監査役を務めた。1983年、勲三等瑞宝章受章。
斉藤 国治(齊藤 国治、さいとう くにじ、1913年7月1日… 斉藤 国治(齊藤 国治、さいとう くにじ、1913年7月1日 - 2003年2月21日)は、日本の天文学者、天文学史家。 東京天文台在職中は、太陽光の高精度スペクトルを研究するとともに、世界各地に日食観測のために渡航した。太陽コロナの極付近から出る光条について報告した論文は、今まで国際学術誌に100回近く引用されている。また、明治以後の日食、ハレー彗星、金星の太陽面通過観測の歴史の詳細な総合報告を発表した。退職後はパソコンPC9801を購入して、主に日本と中国の古い記録に残る天文現象の検証に精力的に取り組んだ。その成果は、『星の古記録』(岩波新書)など、10冊以上の著作となって実を結んだ。そうした天文現象の古記録を現代天文学によって検証する分野に対して「古天文学」と呼ぶことを提唱したが、賛否両論が起こった。
横井 英樹(よこい ひでき、1913年(大正2年)7月1日 … 横井 英樹(よこい ひでき、1913年(大正2年)7月1日 - 1998年(平成10年)11月30日)は、日本の実業家。1953年(昭和28年)の老舗百貨店、白木屋(のちの東急百貨店日本橋店)の株買占めや東洋郵船設立による海運業への進出で脚光を浴びた。 愛知県中島郡平和村(平和町を経て現・稲沢市)の貧しい農家に二男として生まれた。生まれたとき、真っ赤な赤子であったことから、こんな赤い子は千人に一人いるかいないかだということで「千市」と名付けられた。本人はその名は好きではなく、1947年(昭和22年)「英樹」と改名する。 父親の鉞次郎(えつじろう)は18、9歳の頃に尻の出来物の手術をしたところ足が悪くなり仕事をしなくなった。
宮川 尚志(みやかわ ひさゆき、1913年〈大正2年〉7月 … 宮川 尚志(みやかわ ひさゆき、1913年〈大正2年〉7月 - 2006年〈平成18年〉8月)は、日本の中国史学者、大学教授。 京都帝国大学(現:京都大学文学部)で東洋史を専攻。岡山大学助教授、東海大学教授を歴任。中国史、魏晋南北朝時代を専門とし、1940年初版の古典的名著『諸葛孔明』の著者として知られる。
小谷 正一(こたに まさかず、1912年7月31日 - 19… 小谷 正一(こたに まさかず、1912年7月31日 - 1992年8月8日)は、日本のイベントプロデューサー。兵庫県姫路市竜野町出身。 旧制姫路中学校(現・兵庫県立姫路西高等学校)→早稲田第二高等学院を経て、1935年に早稲田大学卒業。その後1年ほど松竹大船撮影所付属の脚本研究所に入るが、結局松竹を退社して大阪毎日新聞社に入社する。ただ毎日新聞では事業部に配属されたため、第二次世界大戦末期の一時期を除いて新聞記者として働いた時期はほとんどない。毎日新聞社主催の音楽コンクールヴァイオリン部門で第1位となった辻久子のリサイタルを企画した。 1946年に毎日新聞が紙不足の状況下、自社のダミーとして『新大阪』を発行する新大阪新聞社を設立すると、毎日新聞から同社に派遣される形で同社編集局長に就任。
木村陽二郎(きむら ようじろう、1912年7月31日 - 2… 木村陽二郎(きむら ようじろう、1912年7月31日 - 2006年4月3日)は、日本の植物学者・科学史家。東京大学名誉教授。 1912年、山口県山口市生まれ。旧制長崎中学、旧制山口高校を経て、東京帝国大学理学部に進んだ。大学では中井猛之進に師事。卒業後の1938年、東京帝国大学副手に着任。1939年、同大学助手に昇進。1944年、学位論文『おとぎりそう科ノ研究』を提出して理学博士号を取得。 太平洋戦争後の1949年より、東京大学教養学部生物学科助教授。1960年に同教授に昇進。1973年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は中央大学教授として教鞭をとった。学界では、日本植物分類学会の創設に尽力し、1977年から1980年まで会長を務めた。
中村 立行(なかむら りっこう、1912年7月31日 - 1… 中村 立行(なかむら りっこう、1912年7月31日 - 1995年3月30日)は日本の写真家である。本名は中村立行(なかむらたつゆき)。 神戸市出身。東京美術学校(現東京芸術大学)卒業後小学校の図画の先生をしていて、「毎晩1升近く飲んでいた酒を減らせれば」と夜できる道楽を探していて、飲み屋で誰かが借金の支払いとして置いて行った六櫻社(コニカを経て現コニカミノルタ)製のパーレットオプターF6.3付きを安価に入手したのが写真を始めたきっかけになった。ただ押し入れで現像をするようになっても押し入れにコップを持ち込み酒量は減らなかったという。 パーレットはヴェスト・ポケット・コダックのコピー品で撮影範囲を見当で決めなければならず構図を考えるのが難しかったため、厳密に構図を決められる二眼レフカメラのローライが欲しくなったが、月給が60円の時代に数百円したため高価で到底購入できず、1943年末にミノルタ(現コニカミノルタ)製のミノルタフレックスI型プロマーF3.5付きを購入した。
盛田 嘉徳(もりた よしのり、1912年7月30日 - 19… 盛田 嘉徳(もりた よしのり、1912年7月30日 - 1981年7月2日)は、芸能研究者、同和教育者・運動家。 富山県出身。1937年早稲田大学文学部国文科卒。大阪学芸大学助教授、1959年大阪教育大学教授。1976年「中世賤民と雜芸能の研究」で早大文学博士。1978年大阪教育大を定年退官、名誉教授。中世芸能史が専門。部落解放同盟の前身、解放委員会に創立当初から参画し、大阪府をはじめ各地方自治体の同和対策審議会委員を務める。同和教育の研究と実践を進め、1953年全国同和教育研究協議会幹事。1968年部落解放研究所(現部落解放・人権研究所)副理事長。1980年松本治一郎賞受賞。
高木 作之(たかぎ さくゆき、1912年(明治45年)7月2… 高木 作之(たかぎ さくゆき、1912年(明治45年)7月29日 - 2003年(平成15年)2月14日)は日本の陸軍軍人、航空自衛官。最終階級は陸軍で中佐、航空自衛隊では空将。陸軍中将久納誠一(18期)は義父、陸軍少将小藤恵(20期)は義理の伯父にあたる。 1912年(明治45年)7月29日、愛知県で農家高木作芳の次男として生まれた。翌日には明治天皇が崩御している。 愛知県明倫中学校を経て、1929年(昭和4年)4月に陸軍士官学校予科(市ヶ谷本村町)、1931年(昭和6年)に陸軍士官学校本科に入校、1933年(昭和8年)7月に卒業する(陸士45期騎兵科)。卒業序列は皇族(孚彦王)・公族(李鍝公)を除いて10番/335名。
小野 豊明(おの とよあき、1912年7月29日 - 没年不… 小野 豊明(おの とよあき、1912年7月29日 - 没年不詳)は、日本の実業家、経営学者。 現在の愛媛県新居浜市出身。1936年東京帝国大学法学部法律・政治学科卒。79年「日本企業の組織戦略」で上智大学経済学博士。38年王子製紙入社。49年十条製紙総務部副部長、総務部長、管理部長、小倉工場長、人事室長、取締役、十条キンバリー取締役兼任、常務取締役、フィンレーフォレスト・インダストリーズ取締役兼任、1973年上智大学経済学部経営学科教授。77年経済学部長、1979年産業能率大学経営情報学部教授。カトリック教徒。妻は山路一善の次女。