松尾 泰樹(まつお ひろき、1962年(昭和37年)10月2… 松尾 泰樹(まつお ひろき、1962年(昭和37年)10月26日 - )は、日本の科学技術・文部科学技官。 青森県青森市出身。青森県立青森高等学校を経て、1985年東京大学理学部物理学科卒業、1987年東京大学大学院理学系研究科物理学専攻修士課程修了。大学院では生物物理学を専攻しショウジョウバエを研究した(指導教官は堀田凱樹)。国家公務員採用Ⅰ種試験(物理)に合格し、同年4月科学技術庁入庁。 2020年文部科学審議官。2021年内閣府科学技術・イノベーション推進事務局長。
熊谷 雄一(くまがい ゆういち、1962年9月7日 - )は… 熊谷 雄一(くまがい ゆういち、1962年9月7日 - )は、日本の政治家。第26代青森県八戸市長(2期)。八戸市議会議員(1期)、青森県議会議員(5期)第81代青森県議会議長を歴任。座右の銘は、論語の「民信なくば立たず」。 先祖は熊谷善六。1191年(建久2年)、南部光行公に仕えていた家臣の桜庭氏共に奥州(現在の東北地方)の糠部(現在の青森県東部から岩手県北部)地域に移住。 祖父は熊谷義雄。自由民主党衆議院議員を5期。デーリー東北取締役、青森放送取締役、八戸商工会議所会頭、八戸工業大学理事長、八戸通運取締役、丸美屋デパート取締役。このほか、1932年(昭和7年)八戸魚市場設立後取締役。南部貨物自動車社長、戦後大洋水産設立、中央魚類、大洋石油、八戸総合振興会会長、熊谷漁業社長、八戸漁連の前身八戸漁業振興会創立、八戸総合振興対策審議会会長、八戸ガス株式会社社長などを歴任。
神 ひろし(じん ひろし、1962年9月4日 - )は、日本… 神 ひろし(じん ひろし、1962年9月4日 - )は、日本の政治家、元中京テレビ放送のアナウンサー。名古屋市議会議員(1期)。 本名:神 浩司(読み同じ)。青森県青森市出身。青森県立青森高等学校、茨城大学卒業。血液型B型。 大学卒業後、1986年に中京テレビにアナウンサーとして入社。入社以来、数多くの自社製作番組でスポーツ実況やキャスターなどを担当していたが、2007年6月18日付で報道局報道部へ異動した。後にアナウンス部の部長に就任した佐藤啓とは同い年だが、佐藤は他業種からの転職であるためアナウンサーとしてのキャリアは神の方が長かった。その後2017年まで報道部に異動していたので、現在は佐藤のキャリアが長くなっている。
坂本 勉(さかもと つとむ、1962年8月3日 - )は、日… 坂本 勉(さかもと つとむ、1962年8月3日 - )は、日本の元競輪選手・元自転車競技選手。現在の青森県三戸郡南部町出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第57期卒業。日本競輪選手会青森支部所属。師匠は実兄の坂本典男。初出走は1986年5月10日の青森競輪場で初勝利も同日。血液型はO型。 同県所属94期生坂本貴史は長男、100期生坂本周輝は次男、117期生坂本紘規は四男。三男は高校で自転車競技部の顧問をしている。同県所属91期生坂本昌宏・105期生坂本周作は甥(典男の子息)。周作と同期の磯島康祐も勉の甥に当たり自身が師匠。 学生時代から自転車競技を始め、青森県立三戸高等学校を経て日本大学に進学し、在学中に出場した1984年のロサンゼルスオリンピックでは、自転車競技の1000mタイムトライアルで出場権を掴んだが、共産圏諸国のボイコットのため追加で出場権を得たスプリント種目において、敗者復活戦から勝ち上がり、3位決定戦でフィリップ・ヴェルネを下して銅メダルを獲得。
田頭 勉(たがしら つとむ、1962年7月29日 - )は、… 田頭 勉(たがしら つとむ、1962年7月29日 - )は、日本の作曲家。元尚美学園大学音楽表現学科講師。配偶者は田頭優子。オリジナル作品の他、劇伴など放送関係の音楽を多く手がけている。 青森県八戸市生まれ。八戸高校を卒業後上京。東京芸術大学作曲学科を卒業後、同大学院作曲科を修了。芸術学修士。在学中は松村禎三に師事。日本音楽著作権協会正会員。 日本におけるアカデミックな作曲家としての登竜門的コンクールである「日本交響楽振興財団作曲賞」で第11回と第20回と2度入選し、その入選曲「叙情的幻想曲」と「REI for Orchestra」はいずれも東京交響楽団によって演奏され、NHK-FMにて放送された。
ナンシー関(ナンシーせき、本名:関 直美(せき なおみ)、女… ナンシー関(ナンシーせき、本名:関 直美(せき なおみ)、女性、1962年7月7日 - 2002年6月12日)は、日本の版画家、コラムニストである。青森県青森市生まれ。法政大学文学部第二部(夜間部)中退。 独特の観察眼による「テレビ批評」とその挿絵に入れた著名人の似顔絵「消しゴム版画」で社会そのものを批評していた。世界初の消しゴム版画家である。 青森県青森市に三人きょうだいの長女として生まれた。2歳下の妹と7歳下の弟がおり、父親は同郷のプロボクサーのレパード玉熊の後援会会長を務めていた。言葉は早く、2-3歳のころには一人で絵本を読んでいた。1969年、青森市立堤小学校に入学。同級生によれば、性格は他の生徒より大人びていたという。
北城 浩志(きたしろ ひろし、Hiroshi Kitashi… 北城 浩志(きたしろ ひろし、Hiroshi Kitashiro、 1962年5月19日 - )は、日本のレコーディング&ミキシング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、シンセサイザープログラマー、音楽プロデューサー。青森県八戸市出身。 2007年に音楽ユニット『Di'LL(ディル)』のメンバーとしても活動を開始している。北城音楽事務所・代表取締役である。 1962年、青森県八戸市に生まれる。 1980年、高校を卒業し、上京する。東京ミキシングスクールに入学。在学中に佐藤準に師事し、アシスタントを数年間勤める。その傍ら、シンセサイザープログラマーとしての仕事を徐々に始める。 1982年、株式会社アダージオに所属する。
櫛引 素夫(くしびき もとお、1962年 - )は、ジャーナ… 櫛引 素夫(くしびき もとお、1962年 - )は、ジャーナリスト出身の日本の地理学者、メディア論研究者、青森大学社会学部教授、専門地域調査士。 青森市生まれ。実家は、後に建設される新青森駅の近傍にあった。 東北大学大学院理学研究科修士課程を修了し、1987年に東奥日報に入社、以降、メディア情報部,八戸支社、政経部などを経て、2006年から政経部付編集委員となった。この間、弘前大学大学院地域社会研究科博士後期課程に学び、2006年に博士論文「地域振興策としての整備新幹線構想が持つ問題点と可能性:東北新幹線・盛岡以北を中心に」により博士(学術)を取得した。 八戸支社勤務時代の2000年から、取材を契機として整備新幹線問題について特に関心を寄せるようになり、学術的研究にも取り組むようになった。
尾崎 富士雄(おざき ふじお、1961年10月7日 - )は… 尾崎 富士雄(おざき ふじお、1961年10月7日 - )は、日本の元プロボクサー。青森県八戸市出身。帝拳ボクシングジム所属。階級はウェルター級。ニックネームは和製デュラン。 八戸工業大学第一高等学校時代にインターハイライトウェルター級準優勝、1980年5月19日、デビュー戦で奥秋照雄と対戦し、1RKO勝ちを収めた。 東日本ジュニアウェルター級新人王を獲得するが、全日本新人王決定戦では西日本の赤井英和に3RKO負けを喫した。 1982年8月6日、成田城健が持つ日本ライト級王座に挑戦し、判定で奪取。 1983年6月3日、シャイアン山本に判定で敗れ王座陥落するも、9月2日の再戦で判定で奪還。しかし、12月2日、友成光に7RKO負けを喫し、再び陥落。
平山 早苗(ひらやま さなえ、1961年6月8日 - 201… 平山 早苗(ひらやま さなえ、1961年6月8日 - 2016年11月30日)は、日本のアナウンサー、ラジオパーソナリティ。1987年の開局時から、長らくエフエム青森の社員アナウンサー、パーソナリティとして、夕方のワイド番組『RADI-MOTT!』など、多くの番組を担当し、放送部専任部長も務めた。 青森県弘前市本町に生まれる。 青森県立青森東高等学校を第14回生として卒業した。 1985年にエフエム秋田が開局すると、社員アナウンサーとなり、『ティータイム倶楽部』などを担当した。 1987年に、新たに開局したエフエム青森に移り、『Daydream Studio』、『FMオープンテラス Cafe Marble』、『IT'S MY RADIO!』、『RADI-MOTT!』など数多くの番組に出演した。
石川 啓太郎(いしかわ けいたろう、1961年(昭和36年)… 石川 啓太郎(いしかわ けいたろう、1961年(昭和36年)4月26日 - )は、日本の銀行家。青森みちのく銀行代表取締役頭取(初代)。元青森銀行代表取締役頭取。プロクレアホールディングス代表取締役副社長。 青森県むつ市出身。青森県立青森高等学校卒業。1984年、上智大学法学部卒業。同年4月、青森銀行に入行。 入行後は、経営企画・リテール営業企画・人事部門を歴任。2005年、大湊支店長。2008年、湊支店長。2009年、湊支店長兼本町支店長。2010年、人事部長。2011年、総合企画部長。2013年、本店営業部長。 2014年、執行役員本店営業部長。2015年、執行役員営業統括部長。2016年、取締役地区営業本部長(弘前地区担当)。
工藤 一良(くどう かずよし、1961年2月27日 - )は… 工藤 一良(くどう かずよし、1961年2月27日 - )は、青森県名川町(現・南部町)出身の陸上競技、マラソン選手・指導者。青森県立名久井農業高等学校卒業。1980年代から1990年代にかけて選手として活動した。 名久井農業高校時代は、全国高等学校駅伝競走大会に出場。1区を担当し、高校2年時の第28回大会(1977年)は区間13位、そして高校3年時の第29回大会(1978年)で区間賞 を獲得した。 高校卒業後は白水昭興監督に見初められ、名門だったリッカー陸上部に入部。駅伝の他にトラック競技でも活躍。特に十和田八幡平駅伝競走全国大会に相性が良く、第32回大会(1979年)では1区3位、第36回大会(1983年)では3区区間賞 の好記録を残し、リッカーの優勝に貢献した(リッカー陸上部は1984年に休部したので、第36回大会の優勝は有終の美を飾る物だった)。
窪寺 美穂子(くぼでら みほこ、1961年2月25日 - )… 窪寺 美穂子(くぼでら みほこ、1961年2月25日 - )は、元青森放送アナウンサー。青森県黒石市出身。血液型B型。 共立女子大学家政学部被服学科卒業。「人との会話をスムーズにしたい」という目的でアナウンスアカデミーに通う。 大学卒業後は地元・青森で就職を希望していたが、1984年4月に中京テレビ放送に入社。中京テレビ時代はニュース、天気予報などを担当。1986年8月に中京テレビ退社、同年9月に青森放送入社(同期は4月入社の川村美緒子、佐藤義之、柿崎元子)。 「週刊SEE!SEE!SEE!」など、ヤングタイムのラジオ番組に出演していた当時は、「ミョンミョン」のニックネームで親しまれていたこともあった。
加藤 博章(かとう ひろあき、1961年2月17日 - )は… 加藤 博章(かとう ひろあき、1961年2月17日 - )は、日本の生化学者。京都大学大学院薬学研究科薬科学専攻構造生物薬学分野教授。日本農芸化学会奨励賞受賞。 青森県生まれ。青森県立八戸高等学校を経て、1983年山形大学農学部農芸化学科卒業。1985年山形大学大学院農学研究科修士課程修了、農学修士。1988年京都大学大学院農学研究科博士後期課程修了、農学博士、京都大学化学研究所研修員。1988年京都大学化学研究所文部技官。1989年京都大学化学研究所助手。1992年文部省在外研究員(ブランダイス大学ローゼンスティール基礎医科学研究センターグレゴリー・A. ペツコ教授)。1994年日本農芸化学会奨励賞受賞。
斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 - 201… 斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 - 2015年1月20日)は、青森県青森市出身の日本の柔道家。ロサンゼルスオリンピック・ソウルオリンピック柔道男子95kg超級金メダリスト。国士舘大学体育学部教授、同大学柔道部監督、全日本代表監督を務めた。段位は講道館9段。位階は従五位。二人の息子がおり、二男は斉藤立。親戚は同郷青森市出身の元WBA世界フライ級チャンピオンのレパード玉熊。 1961年に青森市筒井八ッ橋(のちの筒井2丁目)で生まれ、1967年に市立筒井小学校へ入学。小学校時代には既に体が大きく、相撲をやっていて同級生らからは“水デブ”などとあだ名されていた。TBS系テレビドラマ『柔道一直線』にて、主人公(一条直也)が特訓して大きな相手を投げ飛ばしたり足でピアノを弾いたりするシーンを見て、「柔道をやれば、出来ない事もやれるようになるのではないか」と思ったのがきっかけとなり、父に「死ぬまで柔道をやるから」と誓って柔道着を買ってもらい、柔道を始め、アニメ『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』の影響でいつしか自然と五輪を目指すようになっていったという。
齋藤 康輝(さいとう こうき、1961年 - )は、日本の法… 齋藤 康輝(さいとう こうき、1961年 - )は、日本の法学者。朝日大学法学部助教授、同准教授、同教授、高崎経済大学地域政策学部教授を経て、2017年3月から日本大学法学部教授。 専門は憲法学。とりわけ、憲法と政党の関係について研究している。 日本大学時代は廣田健次教授に師事し、早稲田大学大学院では小林昭三教授に師事した。このころから、小林流である憲法学に対する「憲法政治学」的アプローチに目覚め、自身の学問的方法論が変化する。
中帆 登美(なかほ とみ、1960年11月25日 - )は、… 中帆 登美(なかほ とみ、1960年11月25日 - )は、青森県弘前市出身の女優。
内山 千早(うちやま ちはや、1960年10月22日 - )… 内山 千早(うちやま ちはや、1960年10月22日 - )は、株式会社RAB企画取締役で、日本のパフォーマー・ラジオパーソナリティ・タレント・歌手。 青森県青森市出身。通常は「うっちゃん」の名義で活動しているが、「うっちゃん(内山千早)」と表記される場合もある(テレビ番組『うっちゃんの「いぎあだりばったり」』放送内テロップ・ラジオ番組『うっちゃん・まりちゃんのeサイクル』公式ウェブサイト)。 青森市立南中学校から青森県立青森北高等学校、そして青森県立青森高等技術専門校を修了。同級生の楠美義人とともに、青森市内のショーパブ等でパフォーマンスを披露していた。 某内装資材商社勤務時代に、地元百貨店の中三(なかさん)がスポンサーを務めるテレビ番組『スーパーギャング深夜同盟』が青森放送(以下、RAB)の深夜枠で放送されることになり、そのメインパーソナリティとして起用される。
藤野 道格(ふじの みちまさ、1960年9月 -)は日本の技… 藤野 道格(ふじの みちまさ、1960年9月 -)は日本の技術者、実業家。東京都生まれ、青森県弘前市育ち。東京大学工学部航空学科卒。1984年、本田技研工業に入社。1986年に本田技術研究所基礎技術研究センターに配属後、航空機の研究開発に携わる。米ミシシッピ州立大学研究所にて実験機を試作。先進小型ビジネスジェット機「HondaJet」の設計・開発責任者。Honda R&Dアメリカ副社長等を経て、2006年よりホンダ エアクラフト カンパニー社長兼CEOに就任し、2016年より本田技研工業常務執行役員を兼任。2022年4月1日付で退職した。 1984年に東京大学工学部航空学科を卒業後、クルマの技術者になろうと本田技研工業に入社。
旭富士 正也(あさひふじ せいや、1960年〈昭和35年〉7… 旭富士 正也(あさひふじ せいや、1960年〈昭和35年〉7月6日 - )は、青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市)出身で大島部屋に所属した元大相撲力士、第63代横綱(平成最初の横綱)。本名は杉野森 正也(すぎのもり せいや)。現役時代の体格は身長189cm、体重143kg。得意技は右四つ、寄り、掬い投げ。現在は年寄・宮城野。 血液型はB型、趣味は音楽鑑賞、映画鑑賞。特技は手品。近畿大学を中途退学して大相撲入門後、現役中に同大学通信教育課程に再度入学し卒業(学位は学士)。 木造町立木造中学校、私立五所川原商業高等学校(現在の下山学園高等学校)在学中は相撲部に所属。高校生時代に長野県で行われた第33回国民体育大会では、少年の部の団体優勝に貢献した。
和興(かずおき、1960年5月14日 - )は、日本の俳優。… 和興(かずおき、1960年5月14日 - )は、日本の俳優。青森県出身。旧芸名は、高橋 和興()のほか、河合 宏()、高橋 一興()の芸名で活動していた時期がある。 2014年3月からスタービートエンターテイメントLLCに所属していたが、2015年3月31日にて契約を満了。現在は事務所に所属せず、フリーランスで活動している。 青森県立三沢高等学校卒業。高校卒業後、歌手を目指して上京。その後芸能事務所にスカウトされてスナック菓子のCMに出演。 1981年のテレビドラマ『俺はおまわり君』(日本テレビ系)で俳優デビュー。1985年『電撃戦隊チェンジマン』(テレビ朝日系)に、疾風翔(チェンジグリフォン)役でレギュラー出演。
成田 美名子(なりた みなこ、1960年3月5日 - )は、… 成田 美名子(なりた みなこ、1960年3月5日 - )は、日本の漫画家。代表作は、『エイリアン通り』、『CIPHER』など。血液型はAB型。 青森県青森市出身、青森県立青森東高等学校卒業。1977年、『花とゆめ』(白泉社)掲載の『一星(いっせい)へどうぞ』でデビュー。 登場人物の前向きな姿の描写へのこだわりで知られる。マンガ評論家ヤマダトモコは、成田作品の個性を「明るさへの意思」だと評した。ジャズピアニストの成田教は実弟、作詞家の小笠原ちあきは従姉妹にあたる。
潮 匡人(うしお まさと、1960年〈昭和35年〉3月 - … 潮 匡人(うしお まさと、1960年〈昭和35年〉3月 - )は、日本の評論家、軍事ジャーナリスト、航空自衛官。帝京大学短期大学人間文化学科准教授、防衛庁広報誌「日本の風」(通巻6号で休刊)編集長。 京都府立鴨沂高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業(在学中は雄弁会幹事長を務める)。同大学院法学研究科修士課程修了、TBSテレビ報道制作部契約社員を経て、1983年、航空自衛隊に入隊(防衛大学校27期相当)。 航空教育隊区隊長、第8航空団修理隊計器小隊長、第304飛行隊付幹部、航空中央業務隊付(市ヶ谷駐屯地、航空幕僚監部法務課)、航空総隊司令部(総務課法務班兼防衛課防衛1班)、防衛庁長官官房広報課(広報誌「セキュリタリアン」編集長)等を歴任。
三橋 栄三郎(みつはし えいざぶろう、1960年1月5日 -… 三橋 栄三郎(みつはし えいざぶろう、1960年1月5日 - )は日本の元バレーボール選手。元バレーボール全日本。 青森県出身。弘前工業高校、日本体育大学卒業。 1982年に富士フイルムに入社、日本リーグでは優勝5回、最高殊勲選手賞3回、スパイク賞2回と活躍。全日本では1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪に出場し超高速Bクイックを武器に全日本の中心選手として活躍した。 1987年の第1回ビーチバレージャパンでは、岩島章博と組んで出場。決勝で川合・熊田ペアと対戦し準優勝となった(ちなみに4人とも富士フイルムの選手だった)。 1992年3月29日、大阪城ホールで行われた日本リーグ最終順位決定リーグ・新日鉄戦の第四セットのプレー中、右足アキレス腱を部分断裂した。
中村 博之(なかむら ひろゆき、1960年 - )は、日本の… 中村 博之(なかむら ひろゆき、1960年 - )は、日本の会計学者。横浜国立大学大学院国際社会科学研究院教授、横浜国立大学学長補佐、日本原価計算研究学会副会長。元ポワティエ大学招聘教授。学位は、商学修士(一橋大学)。専攻は資本予算研究。 青森県青森市出身。1985年横浜国立大学経営学部管理科学科卒業。1987年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。商学修士。1989年一橋大学大学院商学研究科博士後期課程中退。指導教官は岡本清。 1989年富山大学経済学部助手。1990年同専任講師。1992年同助教授。1994年横浜国立大学経営学部助教授。2001年ポワティエ大学外国人招聘助教授。2004年横浜国立大学経営学部教授。
奈良 美智(なら よしとも、1959年12月5日 - )は、… 奈良 美智(なら よしとも、1959年12月5日 - )は、日本の青森県弘前市出身の画家・彫刻家・現代美術家。 1959年青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校卒業。 高校卒業後に上京する。武蔵野美術大学に入学したものの、学内で何も得るものを感じず、1年で中退する。1年生期末の20歳の頃に1年間有効のヨーロッパの往復チケットを買って、約3か月放浪した。帰国後の金欠を親に言えず、授業料の安い公立美大を受験した。そして、愛知県立芸術大学、東京藝術大学、大分県立芸術短期大学の候補の中で、愛芸に合格した。 1981年、愛知県立芸術大学美術学部美術科油画専攻に入学し、1985年に卒業、1987年に同大学大学院修士課程を修了した。
平田 衛(ひらた まもる、1959年〈昭和34年〉11月1日… 平田 衛(ひらた まもる、1959年〈昭和34年〉11月1日 - )は、日本の政治家。青森県鰺ヶ沢町長(第6代)。 青森県西津軽郡鰺ヶ沢町出身。1982年(昭和57年)3月、東海大学文学部史学科を卒業。同年4月、鰺ヶ沢町役場に入庁。入庁後、政策推進課長やつがる西北五広域連合鰺ヶ沢病院事務長を歴任。 2017年(平成29年)10月1日、鰺ヶ沢町長選挙への出馬を表明。町の自然を活用したアウトドア体験や地域経済活性化の推進などを公約に掲げ、同年12月4日、現職の東條昭彦、新人で会社社長の一戸隆男を破り初当選。 ※当日有権者数:9,214人 最終投票率:75.50%(前回比: 4.91pts) 2021年(令和3年)11月30日、自身の任期満了に伴う鰺ヶ沢町長選挙が告示され、平田以外に立候補の届出がなく、無投票で2選。
森内 真人 (もりうち まさと、1959年10月26日 -… 森内 真人 (もりうち まさと、1959年10月26日 - )は、日本の実業家。青森放送常務取締役。青森県青森市出身。青森県立青森高等学校、早稲田大学教育学部教育学科卒。
畑山 篤(はたやま あつし、1959年8月9日 - )は、日… 畑山 篤(はたやま あつし、1959年8月9日 - )は、日本のジャーナリスト。テレビ岩手専務取締役プロジェクト事業局長。元日本テレビ放送網株式会社海外ビジネス推進室長、台湾・黒剣テレビ番組製作副社長。NNN事務局長。 ISSJ(社会福祉法人国際社会事業団)理事。 青森県三戸郡五戸町出身。血液型O型。趣味:スキー、ゴルフ 青森県立八戸高等学校、上智大学外国語学部英語学科卒業。高校在学中に実用英語検定1級合格。大学時代にロータリー財団奨学生として米国に1年間留学。1984年に日本テレビ入社後は報道記者として活動。社会部、外報部、カイロ支局長、ニューヨーク支局長、外報部長、経済部長、解説委員などを務める。
櫻田 宏(さくらだ ひろし、1959年(昭和34年)6月3日… 櫻田 宏(さくらだ ひろし、1959年(昭和34年)6月3日 - )は、日本の政治家。元青森県弘前市長(2期)。 青森県弘前市生まれ。元弘前市長の櫻田清芽は祖父。弘前市立桔梗野小学校、弘前市立第四中学校、青森県立弘前高等学校卒業。1年浪人後、弘前大学人文学部経済学科に入学。1983年3月、同大学卒業。同年4月、弘前市役所に入庁、弘前市観光振興部長。 2018年4月8日に行われた弘前市長選挙に、市職員労組連合会の推薦を得て立候補。3選を目指す現職の葛西憲之は地元青森3区選出の木村次郎衆議院議員に再三にわたり応援依頼をするが、木村は「中立」を貫いた。櫻田は、葛西の進める「箱物行政」への批判票を取り込み、初当選を果たした。
坂本 典男(さかもと のりお、1959年5月20日 - )は… 坂本 典男(さかもと のりお、1959年5月20日 - )は、青森県三戸郡南部町出身の元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第51期生。 坂本勉(57期)は実弟であり、当人が師匠を務めた。また、坂本昌宏(91期)と坂本周作(105期)は実子、坂本貴史(94期)、坂本周輝(100期)、坂本紘規(117期)は甥(ともに勉の実子)にあたる。 青森県立三戸高等学校を経て日本大学へと進む。同大学在籍時代には、1979年の全日本大学対抗選手権自転車競技大会(インターカレッジ)・1kmタイムトライアルで優勝、1980年の全日本アマチュア自転車競技選手権大会では、スクラッチレース(現在はスプリントに名称変更)で優勝し、同年開催のモスクワオリンピック日本代表選手に選出されたが、同年5月24日、日本オリンピック委員会(JOC)が同大会の不参加を決定したことから、オリンピック出場は幻となってしまった。
二代目 市川 笑也(にだいめ いちかわ えみや、1959年〈… 二代目 市川 笑也(にだいめ いちかわ えみや、1959年〈昭和34年〉4月14日 - )は、青森県八戸市出身の歌舞伎役者。屋号は澤瀉屋。定紋は一つ澤瀉の丸。本名は泉山 太男(いずみやま たかお)。歌舞伎名跡「市川笑也」の当代。 歌舞伎とは縁のない一般家庭に生まれる。昭和53年 (1978) 3月、八戸工業大学第一高等学校を卒業すると、東京に出て4月に国立劇場歌舞伎俳優養成所に入学(第五期)。2年間の研修を修了後、同年4月国立劇場『絵本合法衢』の中間で本名の泉山太男を名乗って初舞台。翌年三代目市川猿之助の門下となり、二代目市川笑也を襲名。 入門当時は大部屋役者として女形・立役ともに修業したが、昭和61年 (1986) スーパー歌舞伎第一作『ヤマトタケル』のみやず姫に抜擢。
市ノ渡 三四四(いちのわたり みつよし、1959年4月2日 … 市ノ渡 三四四(いちのわたり みつよし、1959年4月2日 - )は、青森県上北郡七戸町(旧・天間林村)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は四股名と同じ市ノ渡 三四四。現役時代の体格は身長184cm、体重145kg。最高位は東十両5枚目(1985年5月場所)。得意技は左四つ、寄り、掬い投げ。 本名と同じ天間林村市ノ渡地区出身。名前「三四四」は、1959年(昭和34年)4月生まれであることに由来する。三本木農業高校時代から本格的に相撲を初め、東京農業大学時代には全国大会に出場するなど活躍した。農大と縁のある時津風部屋に入門し、1982年3月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。左四つが得意でありながら、突き押しでも力を発揮し、初土俵から勝ち越しを続けた。
仲野 博子(なかの ひろこ、1959年3月3日 - )は、日… 仲野 博子(なかの ひろこ、1959年3月3日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、根室市議会議員(3期)、農林水産大臣政務官を歴任。 青森県上北郡横浜町出身。イカ釣り漁師の家に3人姉弟の長女として生まれた。青森県立野辺地高校を経て弘前学院大学文学部英米文学科を卒業後、結婚を機に北海道根室市に転居する。中学校の臨時講師を経て、24歳の時に英語塾「仲野塾」を開設。 1989年、根室市議会選挙に無所属で出馬し、当選。以後3回連続当選。 根室市議会では社民党の市議会会派である社会クラブに属していたが、政党再編の流れを受け1997年3月末の社民党党員会議で個々の判断で社民党にとどまるか民主党に入党するという方針が確認された。
十日市 秀悦(とおかいち しゅうえつ、1959年1月20日 … 十日市 秀悦(とおかいち しゅうえつ、1959年1月20日 - )は、日本のタレント、歌手、俳優、声優、ナレーター。青森県八戸市出身で、八戸特派大使を務めている。シグマ・セブン所属。既婚。 両親は八戸市の長横町で飲食店『十日市食堂』を経営していた。 日本大学芸術学部映画学科卒業。東映でエキストラ出演で働いていた時に梅宮辰夫と知り合い、その後梅宮の付き人を務めていた。 付き人を終えた後はお笑いタレントとして活動し、様々なコンビでの活動を経て、当時男女混合の11人組のお笑いグループだったホンジャマカの一員として活動。1988年頃に自身の意向からホンジャマカを脱退し、以降はソロで活動。 田中義剛は青森県立八戸北高等学校での1年先輩に当たり、そのつながりから『田中義剛のオールナイトニッポン』に『八戸亀』名義で出演していたことがある。
竹浪 比呂央(たけなみ ひろお、1959年 - )は青森ねぶ… 竹浪 比呂央(たけなみ ひろお、1959年 - )は青森ねぶた祭のねぶた制作者(ねぶた師)。本名は竹浪 博夫(読み同じ)。1991年から2000年までは竹浪 魁龍(たけなみ かいりゅう)としてねぶたを制作していた。 1959年(昭和34年)生まれ。青森県木造町(現つがる市)出身。青森県立五所川原高等学校 、東北薬科大学(現 東北医科薬科大学)卒業。大学2年生の時に千葉作龍に弟子入りする。親戚の影響を受け薬剤師となり11年間調剤薬局に勤務。1989年(平成元年)に初の大型ねぶたを制作。以降、数々の賞を受賞している。東京ドームをはじめブダペスト、ロサンゼルスなど国内外でねぶたを制作。竹浪比呂央ねぶた研究所を主宰し、青森ねぶたの制作を行っている。
戸田 顕(とだ あきら、1959年 - )は、日本の作曲家。… 戸田 顕(とだ あきら、1959年 - )は、日本の作曲家。JASRACメンバー。青森県七戸町出身。 青森県七戸町出身。1975年(昭和50年)3月、国立音楽大学器楽科(ユーフォニアム専攻)卒業同年、東京芸術大学大学院音楽研究科入学。ユーフォニアムを大石清、指揮法をデビット・ハウエルに師事する。大学在学中より、ユーフォニアム奏者として活躍し、1978年、指揮者としてデビュー。以後、指揮者、作編曲家、クリニッシャンとして活動している。アメリカの吹奏楽作曲家を招聘したり、イリノイ州立大学(英語版)教育学部音楽科にて「日本の吹奏楽教育の現状」について講演を行うなどし、国内外での管楽器教育にも取り組んでおり、米国音楽教育機関紙「UP DATE」でも紹介された。
高橋 みのる(たかはし みのる、1959年(昭和34年) -… 高橋 みのる(たかはし みのる、1959年(昭和34年) - )は、日本の現代玩具作家。 八戸聖ウルスラ学院中学校 技術科 非常勤講師(2010年~現在)。 八戸工業大学 教職課程 木材加工 非常勤講師(2013年~2021年)。 青森県八戸市に生まれ、現在も八戸を拠点とする。現代玩具作家であり、「木」「メカニズム」「遊び心」をもとに「メカ木ズム」と自身でネーミングした概念を用いて、新時代の玩具の製作を進めている。はっち4階でもからくり作品で遊ぶことができる。八戸市にあるポータルミュージアムはっちの「からくり獅子舞(2011年)」の製作をきっかけとして、コンピューター制御による新たな表現に取り組む。
藤田 真文(ふじた まふみ、1959年 - )は、日本の社会… 藤田 真文(ふじた まふみ、1959年 - )は、日本の社会学者。法政大学社会学部教授。専門は、マス・コミュニケーション論、メディア論。BS日本番組審議会委員。 1959年、青森県生まれ。 1982年、中央大学法学部政治学科卒業。1984年、早稲田大学大学院政治学研究科博士前期課程修了。1987年、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程単位取得満期退学。 1990年、八戸大学商学部専任講師。 1992年、常磐大学人間科学部専任講師、1996年 助教授となる。 1999年、法政大学社会学部助教授、2000年 教授となる。2018年4月1日より、同学部長。 学外の活動として、放送倫理・番組向上機構放送倫理検証委員(2014年4月1日 - 2020年3月31日)。
河村 次郎(かわむら じろう、1958年12月29日 - )… 河村 次郎(かわむら じろう、1958年12月29日 - )は、日本の哲学研究者。 青森県むつ市生まれ。1984年東洋大学文学部哲学科卒業。1991年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。91年から東洋大学非常勤講師。
内海 知秀(うつみ ともひで、1958年12月7日 - )は… 内海 知秀(うつみ ともひで、1958年12月7日 - )は青森県出身のバスケットボール元選手・指導者。アテネ・リオデジャネイロオリンピックでは日本女子代表チームヘッドコーチとして指揮を執った。
今 明秀(こん あきひで、1958年11月13日 - )は、… 今 明秀(こん あきひで、1958年11月13日 - )は、日本の医師。専門は、救急医学、集中治療医学、外傷外科学、一般外科学。 八戸市立市民病院事業管理者。元八戸市立市民病院院長・救命救急センター所長。 外科医として青森県内の地域医療に従事した後に、救急医療の道に進む。八戸市立市民病院救命救急センター所長就任後は、救急医1人だけの状況から、初療・緊急手術・集中治療・一般病棟・リハビリテーションまでを軽症重症を問わずを救急医が一貫して受け持つ新しいシステムを有する救急医療体制を確立する。同院にドクターヘリとドクターカーといった病院前救急診療を導入し、劇的救命を目標に重篤な患者の命を救うことにチーム一丸となって取り組み、青森県の救急医療を大きく進歩させた。
滝沢 求(たきさわ もとめ、1958年〈昭和33年〉10月1… 滝沢 求(たきさわ もとめ、1958年〈昭和33年〉10月11日 - )は、日本の政治家。 自由民主党所属の元参議院議員(2期)。環境副大臣兼内閣府副大臣、外務大臣政務官、参議院環境委員長、外交防衛委員長、自由民主党副幹事長、同環境部会長、青森県議会議員(5期)を歴任。 青森県立八戸高等学校卒業。高校時代にアイスホッケー選手としてインターハイに3年連続出場。また、1977年に開催された「あすなろ国体」に青森県代表として出場し、準優勝。 中央大学法学部政治学科卒業後、元内閣総理大臣・中曽根康弘の公設秘書を務める。1995年、乱戦となった第17回参議院議員通常選挙に無所属で出馬するも落選。 1998年に青森県議会議員初当選。
五十嵐 匠(いがらし しょう、1958年9月16日 - )は… 五十嵐 匠(いがらし しょう、1958年9月16日 - )は、日本の映画監督。 青森県出身。青森県立弘前高等学校卒業後、立教大学に入学。在学中に自主製作映画『幻影肢』が長谷川和彦の目に留まり池袋の映画館で上映されることとなった。卒業後は、テレビ業界入りしてTBSのドキュメンタリー番組『兼高かおる世界の旅』の製作に携わった。映画界入りした後は四宮鉄男に師事する。
山中 泉(やまなか せん、1958年8月7日 - )は、日本… 山中 泉(やまなか せん、1958年8月7日 - )は、日本の実業家、著述家、政治家。参政党所属の参議院議員(1期)。 1958年、青森県生まれ。1980年、青森県立青森高等学校卒業後に渡米し、イリノイ大学を卒業。ニューヨーク野村證券勤務後に起業。 2022年現在、東京都に在住し、都内と米国でコンサルティング会社を経営。日本メーカーの北米代表も務める。国際武道空手連合三浦道場師範代として空手を指導。生活者・納税者としての視点から、日本のメディアでは報道されない米国の社会をSNSで発信。 2024年10月、第50回衆議院議員総選挙に参政党公認で比例東北ブロックから立候補したが、比例東北ブロックで参政党は議席を確保できず落選した。
福田 弥夫(ふくだ やすお、1958年(昭和33年)7月24… 福田 弥夫(ふくだ やすお、1958年(昭和33年)7月24日 - )は、青森県八戸市出身の法学者。学位は博士(法学)筑波大学。専攻は保険法学(民事法学)。日本大学法学部教授、日本大学通信教育部長等を経て、日本大学危機管理学部教授(初代学部長)。2024年4月八戸学院地域連携センター教授 ・自動車損害賠償保障法関係 ・1999年(平成11年)2月に運輸省「今後の自賠責保険のあり方に係る懇談会」委員 ・2002年(平成14年)12月に「財団法人自賠責保険・共済紛争処理機」の評議員に就任 ・2005年(平成17年)9月に金融庁「自賠責保険審議会」の委員に就任 ・2005年(平成17年)10月に国土交通省「自賠責保険制度改正後の見直しに係る有識者勉強会」委員 ・2006年(平成18年)3月に国土交通省「今後の自動車損害賠償の在り方に関する」委員 ・2008年(平成20年)7月に国土交通省「自動車事故による重度後遺障害者の「親亡き後問題」に関する検討会」座長 ・2010年(平成22年)8月に「自動車損害賠償保障制度を考える会」座長 ・2011年(平成23年)4月に「自賠責保険・共済紛争処理機構」評議員会長に就任 ・2020年(令和2年)8月に国土交通省「今後の後の自動車事故被害者救済対策のあり方に関する検討会」座長 ・2021年(令和3年)8月に国土交通省「今後の自動車事故対策勘定の在り方に関する検討会」座長代理 ・2024年(令和5年)3月に国土交通省「被害者保護増進等事業に関する検討会」座長代理 ・2006年(平成18年)4月に日本交通政策研究会監事に就任する ・2009年(平成21年)4月に軽自動車検査協会理事に就任する ・2006年(平成18年)10月に日本保険学会評議員に就任する ・2008年(平成20年)10月に日本保険学会理事に就任する ・2009年(平成21年)10月に日本私法学会理事に就任する ・2014年(平成26年)10月に日本保険学会理事長に就任する ・2018年(平成30年)10月に日本保険学会監事に就任する ・2018年(平成30年)10月に国際保険法学会理事に就任する ・小学生のころからスケートに親しみ、最初は長根リンクで金下駄で滑った。
富田 隆(とみた たかし、1958年5月21日 - )は、元… 富田 隆(とみた たかし、1958年5月21日 - )は、元オウム真理教信徒。青森県出身。ホーリーネームはシーハ。 1976年に日本大学理工学部建築学科に入学したが、家業の建築会社が倒産したこともあり、1981年に中退。その後は様々な職を転々とした後、都内の社交ダンスクラブの講師をしていたが、1986年ヨーガの修業に惹かれてオウム神仙の会に入信し、1988年5月1日に出家。高校時代から極真空手を習得し、上京後は佐藤勝昭に入門していた時期もあり、教団内では端本悟、中村昇らと同様に武道に長けた者とされた。また、オウム真理教が制作した音楽劇「死と転生」では主演や振り付け指導を務めた。 1990年の第39回衆議院議員総選挙には真理党候補として旧埼玉1区から出馬し、落選した。
千葉 広久(ちば ひろひさ、1958年〈昭和33年〉4月9日… 千葉 広久(ちば ひろひさ、1958年〈昭和33年〉4月9日 - )は、青森県五所川原市出身の日本の外交官。 アジア大洋州局南部アジア部南東アジア第二課地域調整官、在デンパサール総領事、駐バヌアツ大使などを経て、2023年11月退官。
田中 義剛(たなか よしたけ、1958年〈昭和33年〉3月1… 田中 義剛(たなか よしたけ、1958年〈昭和33年〉3月13日 - )は、日本のタレント、シンガーソングライター、酪農家、実業家である。株式会社花畑牧場代表取締役。所属事務所はアップフロントクリエイト(2013年10月1日より所属。9月30日まではアップフロントプロモーションに所属していた。花畑牧場はアップフロントグループの子会社)。 青森県八戸市出身。青森県立八戸北高等学校・酪農学園大学酪農学部卒業。理科の教員免許を持っており、母校の酪農学園大学では特命教授を務めている。身長184cm。 サラリーマン家庭に育つ。 16歳の頃、漁船のコックをしていた友人がオホーツク海で遭難死。襟裳岬まで哀悼の旅に出て、その帰路、門別の牧場で馬の出産を目にし、牧場を開くことを夢に抱き、青森の高校を卒業後北海道の酪農学園大学へ進学。
亜蘭 知子(あらん ともこ、1958年1月14日 - )は、… 亜蘭 知子(あらん ともこ、1958年1月14日 - )は、日本の作詞家、歌手、エッセイスト。 元々、女優志望だったが、体を壊して女優を廃業。19歳で作詞家としてデビューした。長戸大幸、織田哲郎とともにBeingの創設に参加した初期所属アーティストの一人。90年代後半にBeingを離脱、現在はフォーミュラエンタテインメントに所属。 1983年にはスーパーコンピューターでジャケットを制作したアルバム『浮遊空間』をリリース。 1987年にはTUBE、織田哲郎らと共に企画ユニット「渚のオールスターズ」を結成しバンド活動を行っていたこともある(1989年解散)。2006年、渚のオールスターズが再結成し、亜蘭も再び参加している。