Dr.マキダシ(ドクターまきだし、1990年10月12日 -… Dr.マキダシ(ドクターまきだし、1990年10月12日 - )は、日本のラッパー、精神科医。ホラー作家や怪談師タレントとしても活動している。 2010年代前半からライブやMCバトルなどで活動を開始しており、ジャパニーズヒップホップの影響を受けている。特にヒップホップグループ・RHYMESTERの影響が大きい事を公言している。 かつてはMAKI DA SHIT名義で活動をしていた。 2020年頃より、かつてからの趣味であった怪談語りを本格的に開始し、2021年より怪談最恐戦に出場。怪談師とラッパーが話の怖さや面白さを競うトーク&ライブイベントラッパーの怖い話を主催している。
能瀬 さやか(のせ さやか、1979年 - )は、日本の産婦… 能瀬 さやか(のせ さやか、1979年 - )は、日本の産婦人科医・内科医。 出生地は秋田県秋田市であるが、産婦人科医の父・小倉秀彦の転勤に伴い青森県へ転居、弘前市、青森市を経て八戸市で育つ。八戸市立長者中学校、青森県立八戸高等学校を経て北里大学医学部卒業。 同愛記念病院で研修医として勤務後、2006年、東京大学医学部産婦人科学教室へ入局。2012年、国立スポーツ科学センター(JISS)の公募に応じ内科医として採用され、女性トップアスリートの診療、メディカルチェックに従事する。 JISSでの任期を終えた2017年、東京大学医学部附属病院に国立大学初の女性アスリート外来を新設。JISSでのトップアスリート中心の対応からパラアスリートや一般の学生選手、中高年の市民ランナーまで対応範囲を広げる。
阿保義久(あぼ よしひさ、1965年 - )は、日本の医師。… 阿保義久(あぼ よしひさ、1965年 - )は、日本の医師。専門は血管外科。北青山D.CLINIC院長。 1993年に東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院第一外科、虎の門病院麻酔科、三楽病院外科、東京大学医学部腫瘍外科・血管外科を経て、2000年に北青山Dクリニック(現:北青山D.CLINIC)を開院。2004年に医療法人社団DAPを設立。2010年~2020年、東京大学医学部腫瘍外科・血管外科で非常勤講師も務める。国内で初めて下肢静脈瘤の日帰り根治手術を発案したパイオニアとして、治療実績は4万例を超える。現在は、下肢静脈瘤を中心とした「日帰り手術」、人間ドックや抗加齢医療などの「予防医療」、そして遺伝子治療や再生医療(幹細胞治療)に代表される「先端医療」の三本柱を軸とした高品質の医療の提供に心がけている。
今 明秀(こん あきひで、1958年11月13日 - )は、… 今 明秀(こん あきひで、1958年11月13日 - )は、日本の医師。専門は、救急医学、集中治療医学、外傷外科学、一般外科学。 八戸市立市民病院事業管理者。元八戸市立市民病院院長・救命救急センター所長。 外科医として青森県内の地域医療に従事した後に、救急医療の道に進む。八戸市立市民病院救命救急センター所長就任後は、救急医1人だけの状況から、初療・緊急手術・集中治療・一般病棟・リハビリテーションまでを軽症重症を問わずを救急医が一貫して受け持つ新しいシステムを有する救急医療体制を確立する。同院にドクターヘリとドクターカーといった病院前救急診療を導入し、劇的救命を目標に重篤な患者の命を救うことにチーム一丸となって取り組み、青森県の救急医療を大きく進歩させた。
葛西 一貴(かさい かずたか、1955年10月 - )は、日… 葛西 一貴(かさい かずたか、1955年10月 - )は、日本の歯科医師・歯学者。日本大学松戸歯学部歯科矯正学講座教授。 1980年に日本大学松戸歯学部卒業、1984年に同大学院修了後、同大学助手、講師を務め、1998年より現職。 1984年、日本大学より歯学博士の学位を取得、論文の題は「顎・顔面頭蓋の成長発育に関する四次元的研究 : ミニブタの下顎骨に対する成長抑制について」。
佐原 若子(さわら わかこ、1953年〈昭和28年〉11月2… 佐原 若子(さわら わかこ、1953年〈昭和28年〉11月22日 - )は、日本の政治家、歯科医師。 衆議院議員(1期)、青森県保険医協会理事を歴任。 青森県五所川原市出身。青森県立五所川原高等学校から鶴見大学歯学部を卒業し、歯科医師となる。青森県保険医協会理事、歯科用レーザー認定医、小嶋歯科医院院長を務める。 2019年6月2日執行の青森県知事選挙に現職・三村申吾の対抗馬として、無所属(市民連合あおもり推薦)で立候補するが落選。 2024年10月27日執行の第50回衆議院議員総選挙に、比例東北ブロック単独の3位にてれいわ新選組公認で立候補。れいわ新選組は比例東北ブロックで1議席を獲得したが、名簿順位1位は小選挙区との重複立候補の候補2名で、共に供託金没収点(有効投票総数の10分の1)未満の得票に終わったため、佐原が初当選を果たす。
上山 博康(かみやま ひろやす、1948年 - )は、日本の… 上山 博康(かみやま ひろやす、1948年 - )は、日本の脳神経外科医。社会医療法人禎心会特別顧問、禎心会脳疾患研究所所長、旭川赤十字病院脳神経外科顧問、札幌北脳神経外科顧問、コスモ脳神経外科顧問。 1948年(昭和23年)、青森県三戸郡五戸町生まれ。 幼い時から絵が得意で、北海道旭川北高等学校時代には美術の教師に画家を目指すべきではと言われるほどだった。しかし高校時代には画家と飛行機を作る技術者という夢があり、進路に悩んでいた。そんな時に週刊誌に「交通事故の多発により脳を損傷し死亡する人が多くなっており、日本にはもっと優秀な脳外科医が必要」と書いてあったのを読み、脳外科医を目指した。 1967年に北海道大学医学部に入学。
石木 幹人(いしき みきひと、1947年 - )は、日本の医… 石木 幹人(いしき みきひと、1947年 - )は、日本の医師。専門は総合診療。元岩手県立高田病院院長、岩手県医療局名誉院長。東日本大震災後の陸前高田市の地域医療復興に尽力した。 1947年、青森県青森市浅虫温泉に生まれる。5人兄弟の3番目で、父は内科開業医。青森県立青森高等学校を経て、1971年に早稲田大学理工学部を卒業し修士課程へ進む。その後1973年に東北大学医学部へ入学し、1979年に卒業した。岩手県立中央病院呼吸器外科長兼臨床研修科長を務めた後、2004年に岩手県立高田病院院長に就任。高田病院院長就任時、病院は経営難で前年に5億円の赤字を計上していた。「日本一高齢者に優しい病院」を掲げ、地域コミュニティを回る健康講座の実施、ケアマネージャーや訪問看護師との連携強化などの改革を行い、4年で黒字転換を果たした。
吉原 忠男(よしはら ただお、1935年7月8日 -)は、日… 吉原 忠男(よしはら ただお、1935年7月8日 -)は、日本の医師(外科学)、推理作家。医学博士。埼玉県医師会元会長。日本ペンクラブ会員。 青森県三戸郡三戸町出身。1960年、東京慈恵会医科大学医学部卒業。1962年に医師国家試験合格(医籍174945号)。同大学第一外科学教室助手を経て、1968年に埼玉県浦和市(現・さいたま市)で吉原医院を開設。1970年、医学博士(東京慈恵会医科大学)。 埼玉県医師会常任理事を経て、2004年4月から2010年まで埼玉県医師会長。2006年に医療功労賞(読売新聞社主催)を受賞。2011年4月、旭日小綬章を受章。 現役の開業医として地域の保険・医療活動に力を入れながら、合間を縫って海庭 良和(かいば よしかず)のペンネームで豊富な医学知識を生かしたミステリー作品の執筆活動に取り組む。
三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 … 三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 - )は、日本のスキー選手、登山家、獣医師。青森県出身。クラーク記念国際高等学校名誉校長、一般社団法人全国森林レクリエーション協会会長、特定非営利活動法人グローバル・スポーツ・アライアンス理事長、株式会社ミウラ・ドルフィンズ代表取締役、株式会社三浦雄一郎事務所代表取締役。 北海道大学獣医学部助手、青森大学教授、日本プロスキー連盟会長、社団法人日本職業スキー教師協会顧問、日本プロモーグルスキー協会会長などを歴任した。 クラーク記念国際高等学校の校長に就任するとともに、全国森林レクリエーション協会の会長などを務めている。また、札幌市手稲区親善大使に委嘱されると同時に、青森市の名誉市民にも選ばれている。
小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日… 小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日 - 2010年(平成22年)9月27日)は、日本の精神科医、作家、翻訳家。 日本シャーロック・ホームズ・クラブ主宰。 青森県弘前市出身。1953年(昭和28年)、新潟大学医学部卒業。1959年(昭和34年)、東京大学大学院修了、医学博士。大宅壮一東京マスコミ塾第7期生。上智大学カウンセリング研究所教授を経てメンタル・ヘルス国際情報センター所長。 洋子夫人は東山あかねという筆名で、「二人で一人」と公言している位である。「シャーロック・ホームズ」関連の共著・訳を中心に数十冊刊行している。 小林は極めて闊達なエスペランティストとしても知られ、日本エスペラント学会の顧問でもあった。
葛西 森夫(かさい もりお、1922年〈大正11年〉9月29… 葛西 森夫(かさい もりお、1922年〈大正11年〉9月29日 - 2008年12月8日)は、青森県市浦村(現・五所川原市)生まれの小児外科医。旧制第二高等学校・東北帝国大学(現・東北大学)出身。胆道閉鎖症に対する手術・肝門部腸吻合術(英語版)を開発したことで知られ、この術式は葛西の名前を取って葛西手術(英: Kasai's procedure)とも呼ばれる。 葛西は1922年に青森県市浦村(現・五所川原市)で生まれ、函館で育った。1935年に旧制函館中学校(現北海道函館中部高等学校)に進学し、1940年に卒業した。葛西の父は近代教養を重んじる敬虔なクリスチャンであり、この影響を受けた彼は、グリム童話やアンデルセンに親しんで育ったのだという。
津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 198… 津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 1988年9月4日)は、日本の政治家、精神科医、作家である。 青森県南津軽郡五郷村(現青森市浪岡地区)に生まれ、小作人の子どもとして育つ。学業成績が優秀であったため、小学校の教師のすすめで弘前中学校に進学し、その後旧制弘前高等学校に進む。弘前高時代は、石上玄一郎と交友をもつ。なお、太宰治とも同時期に弘前高に在学していたが、そのころは交流はなかったという。なお、津川、石上、太宰は、いずれも旧制中学四修で高校入学組の秀才だった。ただし、太宰は高等小学校1年就学後に中学入学のため津川と石上よりは一歳上だった。 1930年、東京帝国大学医学部に進学。
槙 哲夫(まき てつお、1908年1月23日 -2006年1… 槙 哲夫(まき てつお、1908年1月23日 -2006年12月23日)は、日本の外科医。専門は、消化器外科,胆石症の研究。医学博士。 青森県七戸町生まれ。 第二高等学校 (旧制)から、東北帝国大学医学部卒業。1933年、同医学部第一外科学教室(教授)に入局。1939年、同医学部助教授。1942-44年、中華民国無錫普仁医院へ出張。1945年、秋田県立女子医学専門学校教授。1949年、弘前医科大学(のち、弘前大学医学部)教授。1961年、東北大学医学部第一外科教授。1965年、東北大学医学部付属病院長。1967-70年、東北大学医学部長。1971年、東北大学名誉教授、東北労災病院長。平成18年死去、享年98。
高木 恭造(たかぎ きょうぞう、1903年(明治36年)10… 高木 恭造(たかぎ きょうぞう、1903年(明治36年)10月12日 - 1987年(昭和62年)10月23日)は、日本の方言詩人(津軽弁)、医師。推理作家の高木彬光は恭造の甥にあたる。 1903年、青森県青森市に三代続いた開業医の末っ子として生まれた。橋本尋常小学校、青森県立青森中学校を卒業後、一本木村袰月へ代用教員として赴任する。袰月での生活は4ヶ月間ではあったが、後の『まるめろ』のモチーフとなる。高木の没後、当時の教え子たちによって袰月集落を見下ろす高野崎に文学碑が建立されているほか、袰月集落内の国道280号沿いにも文学碑が建立されている。 1926年に弘前高等学校を卒業した後、青森日報社へ入る。
伊東 重(いとう しげる、1857年10月26日(安政4年9… 伊東 重(いとう しげる、1857年10月26日(安政4年9月9日) - 1926年(大正15年)8月5日)は、日本の明治より大正期にかけての医師・政治家・思想家。現在の青森県出身で、青森県医師会会長や弘前市長、衆議院議員を歴任した。今東光の母方の伯父にあたる。 1857年(安政4年)旧暦9月9日の重陽節句の日に、現在の弘前市元長町において、津軽藩典医伊東家久・もと夫妻の次男として生まれる。幼名は滝次郎と称した。 1865年(慶応元年)、原子塾に入塾。後に黒滝学校に転じ、1868年(明治元年)藩校稽古館に入学。1871年(明治4年)藩命により英学修行を命じられ、英学塾(翌年東奥義塾と改名)に入塾。
小渡 康行(こわたり やすゆき)は、日本の認知神経科学者、医… 小渡 康行(こわたり やすゆき)は、日本の認知神経科学者、医師。人間の顔認識における視線方向(特に左向き斜め顔)の脳活動への影響をfMRIを用いて研究したことで知られる。 青森県立八戸高等学校を経て、東京大学医学部医学科卒業。東京大学大学院医学系研究科にて博士(医学)を取得(2005年)。学位論文の題目は「脳左向き斜め顔は顔の認識に関与する脳皮質領域を強く賦活する」。 その後、産業技術総合研究所において文章朗読の高速再生刺激に対する脳活動などの研究に参加。 臨床分野では、肥満や生活習慣病関連の臨床試験責任者として名前が挙がっている。