遠藤 釈雄(えんどう とくお、1951年(昭和26年)1月1… 遠藤 釈雄(えんどう とくお、1951年(昭和26年)1月15日 - )は、日本の政治家。宮城県遠田郡涌谷町長。涌谷町議会議員(6期)、涌谷町議会議長(2期)を歴任した。 宮城県遠田郡涌谷町に生まれる。町内の小中学校を卒業後、宮城県小牛田農林高等学校に進学し、農業に従事する。涌谷町消防団本部分団部長、涌谷町農業委員を経て、1995年(平成8年)に涌谷町議会議員選挙に初当選する。以後6期にわたり町議会議員に当選し、2012年(平成24年)1月5日から涌谷町議会議長を務めた。 2019年(平成31年)1月30日、涌谷町は財政の逼迫と財政破綻の懸念により当時町長であった大橋信夫のもとで財政非常事態宣言が行われた。
大友 喜助(おおとも きすけ、1950年(昭和25年)10月… 大友 喜助(おおとも きすけ、1950年(昭和25年)10月21日 - )は、日本の政治家。宮城県角田市長(3期)。 宮城県角田市出身。1975年(昭和50年)3月、東北福祉大学社会福祉学部卒業。同年4月、角田市役所に入庁。1995年(平成7年)3月、福島大学大学院地域政策科学研究科修士課程修了。角田市職員。 2008年(平成20年)7月27日に行われた角田市長選挙に無所属で出馬。3名の候補者との争いを制し初当選。8月10日、市長就任。 2012年(平成24年)、無投票で再選。 2016年(平成28年)、元市職員の新人を破り3選。 2021年、旭日小綬章受章。
保科 郷雄(ほしな くにお、1950年5月1日 - )は、日… 保科 郷雄(ほしな くにお、1950年5月1日 - )は、日本の政治家。宮城県丸森町長(3期)。 丸森町に生まれる。宮城県伊具高等学校卒業。丸森町議を5期務め、2007年には町議会議長となった。 2010年12月の丸森町長選に出馬し、初当選。昭和の合併で誕生した丸森町では6人目の町長である。2期目は2014年12月に、無投票で当選した。 2018年(平成30年)12月11日に告示された丸森町長選では、自由民主党推薦で無投票で3選した。2019年(平成31年)1月14日から3期目が始まった。
若生 英俊(わこう ひでとし、1950年3月13日 - )は… 若生 英俊(わこう ひでとし、1950年3月13日 - )は、日本の政治家。元宮城県富谷町長(第4代、2期)。元富谷市議会議員(2期)。 宮城県黒川郡富谷町(現・富谷市)出身。宮城県仙台第三高等学校卒業、明治大学法学部法律学科卒業。 卒業後は小中学校教員、会社員を経て行政書士事務所を開業する。 1999年と2003年の富谷町長選挙に立候補するが、いずれも現職で自身の従兄弟に当たる若生照男に敗れた。新聞には「因縁の対決」「骨肉の争い」と書かれた。 2006年12月富谷町長の若生照男が死去。翌年2月の町長選挙に立候補して、若生照男の長男の若生裕俊らを破って初当選。町長を2期務めた。 町長時代には前町長が廃止した助役を復活させた。
佐々木 一十郎(ささき いそお、1950年(昭和25年)1月… 佐々木 一十郎(ささき いそお、1950年(昭和25年)1月10日 - 2026年(令和8年)3月15日)は、日本の政治家。宮城県名取市長(3期)。名取市議会議員(2期)を歴任した。 宮城県仙台市出身。1972年(昭和47年)12月、東北工業大学建築科中退。1976年(昭和51年)10月1日、有限会社佐々木酒造店に入社。1992年(平成4年)2月1日から2000年(平成12年)1月まで名取市議会議員を2期務めた。1998年(平成10年)3月、有限会社佐々木酒造店の代表取締役に就任。 2000年(平成12年)の名取市長選挙に出馬するも落選。同年12月1日、閖上(ゆりあげ)わかば幼稚園の園長に就任。
櫻井 公一(さくらい こういち、1949年(昭和24年)11… 櫻井 公一(さくらい こういち、1949年(昭和24年)11月26日 - )は、日本の政治家。宮城県宮城郡松島町長(3期)。全国町村会副会長、宮城県町村会会長などを務めている。 宮城県宮城郡松島町に生まれる。松島町立第三小学校、松島町立松島中学校を卒業後、宮城県農業高等学校に入学する。1982年(昭和57年)に会社を設立し、1994年(平成6年)に代表取締役社長、2012年(平成24年)には会長に就任した。 また、1997年(平成9年)12月に行われた松島町議会議員選挙に出馬し初当選、以後5期にわたり町議会議員を務め、4期目となる2009年(平成21年)12月15日からは松島町議会議長を務めた。
伊藤 康志(いとう やすし、1949年(昭和24年)9月29… 伊藤 康志(いとう やすし、1949年(昭和24年)9月29日 - )は、日本の政治家。宮城県大崎市長(5期)。宮城県議会議員(5期)、宮城県議会議長(第33代)などを歴任した。 宮城県遠田郡涌谷町出身。1968年3月、宮城県小牛田農林高等学校卒業。1987年4月、青年団活動宮城県議選・古川選挙区(定数2)に無所属で立候補し、トップ当選。当選後に自民党入り。(以後、5期連続でトップ当選)。1995年、自民党宮城県青年議員連盟会長。 1997年、自民党県民会議(宮城県議会会派)会長1999年、自民党宮城県連幹事長、宮城県議会大崎地方議員会(大崎地方の超党派県議団)会長。2004年、自民党宮城県連会長代理。
跡部 昌洋(あとべ まさひろ、1948年12月13日 - )… 跡部 昌洋(あとべ まさひろ、1948年12月13日 - )は、日本の政治家。宮城県黒川郡大衡村村長(5期)、同村議会議員(2期)を歴任した。 祖父と父親も村長をやっていた政治家一家。 企業の誘致に取り組んでおり、2011年にトヨタ自動車グループの小型車生産会社「セントラル自動車」の本社工場の移転に成功している。 2011年9月に大衡村の水道事業担当の元職員による公金着服事件が発覚。2012年6月に元職員は懲戒免職となり、2013年3月に詐欺などで逮捕、起訴。2013年5月に仙台地裁は、都市整備課主査だった元職員は2011年2〜3月に「給水承認通知書」と「水道加入金等請求書」を偽造して村内にアパートを建設する業者から計約415万円をだまし取った詐欺などの罪で懲役2年、執行猶予4年の判決を言い渡した。
菅野 哲雄(かんの てつお、旧姓:小山(おやま)、1948年… 菅野 哲雄(かんの てつお、旧姓:小山(おやま)、1948年10月22日- )は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、気仙沼市議会議員(4期)、社会民主党宮城県連代表などを務めた。ニックネームは「かんてつ」。 宮城県気仙沼市生まれ。1969年、一関工業高等専門学校卒業。1973年に気仙沼市役所に就職。 1985年、気仙沼市議会議員選挙に出馬し、初当選。市議を4期務める。4期目の任期途中の2000年、自由民主党の小野寺五典の議員辞職に伴う衆議院宮城6区補欠選挙に社会民主党公認で出馬するが、民主党の大石正光に敗れ落選した。同年の第42回衆議院議員総選挙に再出馬し、宮城6区では再度落選したが、重複立候補していた比例東北ブロックで復活し、当選。
中野 正志(なかの まさし、1948年2月29日 - )は、… 中野 正志(なかの まさし、1948年2月29日 - )は、日本の政治家。「自由民主党宮城県ふるさと振興支部」支部長。 宮城県議会議員(3期)、衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、国土交通大臣政務官(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、経済産業副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、日本のこころ幹事長、同代表などを歴任。 宮城県塩竈市生まれ。父親は消防士であった。東北学院中学校・高等学校を経て、東北学院大学法学部卒業。中学校、高校時代には土木作業のアルバイトに励んだ。大学1年生時に学内の弁論大会で優勝した。 大学卒業後には、約15年間に渡って三塚博の秘書を務めた。1983年、宮城県議会議員に当選。
今野 東(こんの あずま、本名:今野 東吾(こんの とうご)… 今野 東(こんの あずま、本名:今野 東吾(こんの とうご)、1947年12月17日 - 2013年4月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)、復興副大臣兼内閣府副大臣(野田第3次改造内閣)などを歴任。位階は従四位。 宮城県塩竈市出身。宮城県農業高等学校、明治学院大学社会学部第二部社会学科を卒業。 東北放送の関連会社でアナウンス業務を務めた後、フリーアナウンサーに転向。東日本放送の『トーホク独立TV』や仙台放送の『CATCH』のキャスター等を務めた。1997年には「東方落語」を発足させ、家元として活動。 1992年6月、エスエル出版より小説『相澤村れんげ条例』を出版し、日本文芸大賞現代文学新人賞受賞。
渥美 巌(あつみ いわお、1947年(昭和22年)9月8日 … 渥美 巌(あつみ いわお、1947年(昭和22年)9月8日 - )は、日本の政治家、行政書士。宮城県東松島市長(3期)。元・宮城県議会議員(6期)。 宮城県桃生郡矢本町赤井(現・東松島市)出身。生家は農家。1966年(昭和41年)3月、宮城県石巻商業高等学校卒業。なお高校時代は軟式野球部主将として全国大会に出場している。矢本町役場に入庁し、学校給食センター所長、議会事務局長などを務めた。 1995年(平成7年)1月、退職。同年4月の宮城県議会議員選挙に立候補し初当選した。県議時代は自由民主党に所属した。 2017年(平成29年)2月27日、次期東松島市長選挙への出馬を表明。同年4月23日に行われた市長選挙に自民党・民進党・公明党の推薦を受けて立候補し、元市議の木村清一、元市議の五野井敏夫らを破り初当選した。
菊地 健次郎(きくち けんじろう、1947年〈昭和22年〉1… 菊地 健次郎(きくち けんじろう、1947年〈昭和22年〉1月26日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。元宮城県多賀城市長(4期)、元宮城県議会議員(3期)、元多賀城市議会議員(2期)。 宮城県塩竈市出身。東北学院榴ケ岡高等学校、中央大学法学部卒業。不動産会社に勤務。多賀城市議会議員を2期務める。 1995年(平成7年)、宮城県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選した。その後、自由民主党に所属した。2003年(平成15年)に3選。 2006年(平成18年)8月6日に行われた多賀城市長選挙に立候補。3新人を相手に戦い初当選を果たした。8月28日、市長就任。2018年(平成30年)に4選。 2020年(令和2年)8月28日に健康上の不安を理由に辞任を表明。
井口 経明(いぐち つねあき、1945年〈昭和20年〉12月… 井口 経明(いぐち つねあき、1945年〈昭和20年〉12月22日 - )は、日本の政治家。元宮城県岩沼市長。 岩沼市出身。宮城教育大学卒業。 岩沼市議会議員を務めた。また、1996年(平成8年)1月12日から1998年(平成10年)5月21日まで第11代同議長を務めた。 同年5月31日の市長選挙に立候補して、現職だった小野光彦を破って、初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:69.50%(前回比:-pts) 前回と同じ顔ぶれになったが、これを破って再選を果たした。 ※当日有権者数:32,033人 最終投票率:61.68%(前回比:-pts) 2006年(平成18年)の市長選挙は無投票で3選を果たした。
大石 正光(おおいし まさみつ、1945年1月28日 - )… 大石 正光(おおいし まさみつ、1945年1月28日 - )とは、日本の政治家である。公益財団法人緑の地球防衛基金理事長である。 参議院議員(1期)、衆議院議員(5期)、参議院財政金融委員長などを歴任した。農林大臣、環境庁長官を務めた元衆議院議員の大石武一は父である。 宮城県仙台市生まれ。暁星高等学校、立教大学文学部史学科卒業。大学卒業後、米国ウィットワース大学(Whitworth University, ワシントン州スポケーン)政治学部に留学。帰国後、国土計画(現・プリンスホテル)勤務を経て、父、大石武一の秘書となる。1976年に武一が農林大臣に就任した際は大臣秘書官を務めた。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧宮城2区から立候補し、初当選した。
土井 喜美夫(どい きみお、1943年〈昭和18年〉9月28… 土井 喜美夫(どい きみお、1943年〈昭和18年〉9月28日 - 2011年〈平成23年〉3月11日)は、日本の政治家。宮城県石巻市長。 石巻市出身。石巻高等学校、中央大学経済学部卒業。 1974年から内海英男衆議院議員の第一秘書を務め、内海が政界を引退した第40回衆議院議員総選挙(1993年)に内海の事実上の後継として旧宮城2区に無所属で出馬するも次点で落選(当選は菊池福治郎、日野市朗、大石正光)。次の第41回衆議院議員総選挙(1996年)には新進党公認として宮城5区から出馬したが旧民主党の安住淳に敗れた。 その後、市川一朗の宮城県知事選出馬に伴う議員辞職で行われた参議院議員補欠選挙(1997年)に出馬したが前衆議院議員岡崎トミ子に敗れた。
亀山 紘(かめやま ひろし、1942年(昭和17年)10月2… 亀山 紘(かめやま ひろし、1942年(昭和17年)10月26日 - )は、日本の政治家、元大学教授。元宮城県石巻市長(3期)。工学博士(東北大学)。 宮城県石巻市出身。石巻市立住吉小学校、石巻市立住吉中学校、宮城県石巻高等学校、神奈川大学工学部応用化学科卒業。 2012年(平成24年)、市教育委員会が開いた、児童23人が津波の犠牲になった石巻市立大川小学校の保護者への説明会で「もし自分の子どもが亡くなったら、思いを償っていくという、自分自身に問うということしかない。これが自然災害における宿命だと思っております」と述べ、遺族から批判を受けた。 2016年(平成28年)10月26日、大川小津波訴訟で仙台地裁が宮城県と石巻市に対し損害賠償の支払いを命じる。
佐藤 昭(さとう あきら、1942年〈昭和17年〉5月28日… 佐藤 昭(さとう あきら、1942年〈昭和17年〉5月28日 - )は、日本の政治家。元宮城県塩竈市長(4期)。 塩竈市立第一小学校、塩竈市立第一中学校、宮城県仙台第一高等学校卒業。1966年(昭和41年)3月、日本大学理工学部土木工学科卒業。同年4月、宮城県庁へ入庁。2002年(平成14年)10月、同庁を退職。 2003年(平成15年)4月27日に行われた塩竈市長選挙に無所属で出馬し初当選。5月1日、市長就任。 2007年(平成19年)4月22日に行われた市長選で2期目の当選。 東日本大震災の影響で実施日が約5か月延期された2011年(平成23年)9月11日の市長選(2期目の任期は選挙の前日まで延長)で3期目の当選。
齋藤 貞(さいとう ただし、1942年5月21日 - )は、… 齋藤 貞(さいとう ただし、1942年5月21日 - )は、日本の政治家。元宮城県亘理町長(1期)。 宮城県亘理町生まれ。1961年(昭和36年)3月、宮城県仙台第一高等学校卒業。同年4月、日興證券に就職。1965年(昭和40年)10月、仙台中央青果卸売株式会社に転職。1993年(平成5年)5月、同社の取締役に就任。 2002年(平成14年)7月、亘理町助役に就任。2007年(平成19年)4月、地方自治法一部改正により副町長となる。2014年(平成26年)3月、副町長を退任。 2014年(平成26年)5月、亘理町長選挙に立候補し初当選を果たした。5月28日、町長就任。 2016年(平成28年)10月19日、東日本大震災の復旧工事の入札で不正を行ったとして、官製談合防止法違反(入札妨害)などの疑いで町職員、建設会社社長ら3名が逮捕される。
市川 昭男(いちかわ あきお、1941年(昭和16年)8月1… 市川 昭男(いちかわ あきお、1941年(昭和16年)8月10日 - )は、日本の政治家。元山形市長(第17代、3期)。旭日小綬章。 宮城県仙台市生まれ。山形市立第四小学校、山形市立第一中学校、山形市立商業高等学校を卒業後、一旦就職するも新潟大学人文学部に入学。大学卒業後、山形市役所に就職した。金澤忠雄山形市長の下では東北芸術工科大学の設置を推進し、同大の開学に尽力した。その後、山形市土地開発公社理事長や山形市総務部長、水道事業管理者を歴任。吉村和夫市長の下で山形市助役に就任。 2003年、吉村和夫市長が在職のまま多臓器不全により病死。吉村の死去に伴って実施された山形市長選に、吉村が推進してきた「環境先進都市の建設」の継承を掲げて立候補した。
日出 英輔(ひので えいすけ、1941年(昭和16年)7月1… 日出 英輔(ひので えいすけ、1941年(昭和16年)7月19日 - 2012年(平成24年)1月15日)は、日本の政治家。正四位。参議院議員(1期)。宮城県生まれ。 気仙沼市出身。宮城県気仙沼高等学校、東北大学法学部卒。1964年 農林省に入省。1994年 農林水産省農蚕園芸局長に就任。農林漁業金融公庫理事を経て、1998年 参議院議員に立候補し、当選。2002年 外務大臣政務官に就任。しかし2004年の参議院議員選挙で落選。2012年1月15日に胆嚢がんのため死去。
桜井 良之助(さくらい りょうのすけ、1940年7月3日 -… 桜井 良之助(さくらい りょうのすけ、1940年7月3日 - 2006年7月16日)は、日本の政治家。宮城県仙台市出身。東北大学卒業。元東京都議会議員。公明副代表を歴任。 1940年7月3日、宮城県仙台市に生まれる。創価学会に入会する。東北大学を卒業する。公明新聞記者を務める。 1973年、東京都議会議員選挙に、世田谷区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降、連続9期)。東京都議会副議長、東京都議会総務委員長を歴任する。 1994年12月5日、公明党解散にともない、公明結成に参加し、公明副代表に就任する。 1998年11月7日、公明党再結成に参加し、公明党幹事に就任する。公明党東京都本部代表代行を歴任する。
亀谷 博昭(かめや ひろあき、1940年〈昭和15年〉5月1… 亀谷 博昭(かめや ひろあき、1940年〈昭和15年〉5月18日 - 2003年〈平成15年〉2月19日)は、日本の政治家。 宮城県議会議長、宮城県議会議員(5期)、参議院議員(1期)を歴任した。 1940年(昭和15年)5月18日、当時父が海軍に勤務していた関係で、海軍基地のある神奈川県横須賀市に生まれる。その後、太平洋戦争勃発と戦争激化に伴い、郷里である宮城県に疎開し、多賀城市に移り住む。 1959年(昭和34年)宮城県仙台第一高等学校を卒業。家庭の事情で、大学進学を断念し、地元の河北新報社に就職する。この間、ボランティア活動を通じて政治を志し、1971年(昭和46年)宮城県議会議員選挙に仙台市選挙区から立候補するが現職の壁が厚く落選。
佐々木 謙次(ささき けんじ、1939年〈昭和14年〉1月2… 佐々木 謙次(ささき けんじ、1939年〈昭和14年〉1月2日 - 2024年〈令和6年〉12月24日)は、日本の政治家。宮城県古川市(現・大崎市)長(2期)。旭日小綬章。 宮城県大崎市志田郡古川町(旧・古川市→現・大崎市古川)出身。大崎市立古川中学校、宮城県古川高等学校を経て、1961年に東北学院大学文経学部卒。古川商工会議所に入り、中小企業相談所次長などを経て、1983年、古川市議会議員に当選。4期務め、議長も務めた。1999年に古川市議を退任し、翌2000年に古川市長に当選した。古川市長を2期務め、在任中に古川市は近隣の町村との合併に向け、協議会が結成され、古川市長の佐々木が合併協議会会長となった。
相沢 光哉(あいざわ みつや、1938年12月7日 - 20… 相沢 光哉(あいざわ みつや、1938年12月7日 - 2025年2月28日)は、日本の政治家、実業家。株式会社橘寿司代表取締役、宮城県寿司商環境衛生同業組合理事長、宮城県監査委員、自由民主党宮城県連幹事長、宮城県議会議長等を歴任した。 1951年仙台市立東二番丁小学校卒業。1954年東北学院中学校卒業。1957年東北学院高等学校卒業。1962年一橋大学商学部卒業、キリンビール入社。 1971年仙台市議会議員。1980年橘寿司代表取締役。1982年宮城県寿司商環境衛生同業組合理事長。1991年宮城県議会議員。2000年自由民主党宮城県民会議会長。2003年宮城県監査委員。2005年自由民主党宮城県連幹事長、日本李登輝友の会理事。
市川 一朗(いちかわ いちろう、1937年4月12日 - )… 市川 一朗(いちかわ いちろう、1937年4月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。 参議院議員(3期)、農林水産副大臣(第1次小泉第2次改造内閣、第2次小泉内閣)などを歴任。 宮城県栗原郡鶯沢町(現在の栗原市鴬沢地区)出身。仙台第一高等学校卒業後、東京大学文科一類入学。1961年、東京大学法学部(私法コース)卒業と同時に建設省に入省する。国土庁防災局長、建設省都市局長、建設省総務審議官を経て、1993年に国土事務次官に就任し、翌1994年に退官。 1995年の第17回参議院議員通常選挙に無所属(新進党推薦)で宮城県選挙区から立候補し、初当選。当選後は新進党の参議院会派である平成会に所属したものの、最後まで新進党には入党しなかった。
針生 雄吉(はりう ゆうきち、1937年2月25日 - 20… 針生 雄吉(はりう ゆうきち、1937年2月25日 - 2025年3月27日)は、日本の政治家、医師。元公明党参議院議員(1期)。医学博士。 宮城県仙台市出身。1963年東北大学医学部卒。1968年東北大学大学院医学研究科修了。修了後は国立水戸病院や仙台市立病院などに産婦人科医として勤務する。1986年の第14回参議院議員通常選挙に比例区から公明党公認で立候補したが次点に終わる。1990年塩出啓典の衆院選立候補(落選)に伴い繰り上げ当選、1期務めた。1992年引退。 2025年3月27日午前1時18分、肺炎のため仙台市の病院で死去。88歳没。
千葉 卓朗(ちば たくろう、1934年3月8日 - 2011… 千葉 卓朗(ちば たくろう、1934年3月8日 - 2011年5月31日)は、日本のフェンシング選手、指導者、政治家。宮城県本吉郡本吉町長(4期)。 宮城県本吉郡本吉町(現在の気仙沼市)津谷松岡出身。実家は味噌醤油で知られるカネセン徳田屋。宮城県仙台第一高等学校、明治大学卒業。 仙台一高ではフェンシング部を創設。大学時代には、全日本選手権エペ3位、フルーレ5位の成績を収めている。 1955年、宮城県鼎が浦高等学校フェンシング班コーチに就任。同校にフェンシング同好会を発足させた顧問と共に、鼎が浦高校を宮城県高校総体団体・個人優勝に、さらにインターハイ団体優勝、1958年には4連覇に導いた。教え子には1964年東京オリンピック出場の大和田智子などがいる。
日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 200… 日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 2003年7月6日)は、日本の弁護士、政治家。位階は従三位、勲章は勲一等瑞宝章。 仙台弁護士会副会長、衆議院議員(8期)、日本社会党政策審議会長(第14代)、衆議院災害対策特別委員長、衆議院農林水産委員長、郵政大臣(第61代)、社会民主党副党首などを歴任した。 宮城県桃生郡河北町(現石巻市)生まれ。仙台第二高等学校を経て、1956年中央大学法学部法律学科卒業、同大学院修了。1961年に司法試験に合格し、司法修習第16期を修了(同期に佐々木秀典)。1964年、宮城県仙台市で弁護士事務所を開業。1973年には仙台弁護士会副会長に就任した。 父である日野吉夫の衆議院議員引退に伴い、成田知巳日本社会党委員長(当時)の勧めを受け、1976年の第34回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧宮城県第2区から立候補し、初当選。
川井 貞一 (かわい ていいち、1933年(昭和8年)1月1… 川井 貞一 (かわい ていいち、1933年(昭和8年)1月16日 - )は、日本の政治家。元・宮城県白石市長(5期)。 白石市の食品卸問屋を営む家庭に生まれる。東北大学経済学部で安井琢磨から教えを受ける。安井からは研究生として学窓に残る勧誘を受けたが、親の意向により中退後は家業を継いだ。 自由民主党宮城県連で青年部長などを務め、本人の回想では1974年の第10回参議院議員通常選挙に立候補した遠藤要の演説原稿の執筆もおこなっていた。宮城県知事の山本壮一郎に師事する。 1984年11月に白石市長に当選し、以後2004年まで5期務めた。この間、全国市長会副会長も務めた。 市長在任中は産業廃棄物最終処分場の建設を阻止するため、1998年に住民投票を実施し、最終的に建設中止に持ち込んだ。
佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24… 佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24日 - 2009年(平成21年)7月15日)は、日本の検察官、政治家、弁護士。札幌高等検察庁検事長、参議院議員(2期)を務めた。 宮城県仙台市出身。仙台一高、東北大学法学部卒業。1955年に司法修習生。1957年に検察庁に入り、札幌地検検事、法務省刑事課長、東京地検刑事部長、横浜地検検事正、最高検刑事部長、札幌高検検事長などを歴任。 東京地検特捜部では、1972年の沖縄返還交渉での西山事件の捜査を担当し、起訴状を書いた。起訴状に記された「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」という起訴理由は、世論を国家が密約を結んだことの是非から、西山太吉の私的なスキャンダルに向けさせた。
菅原 雅(すがわら まさし、1931年(昭和6年)8月3日 … 菅原 雅(すがわら まさし、1931年(昭和6年)8月3日 - 2021年(令和3年)9月9日)は、日本の政治家。宮城県気仙沼市長(5期)。 気仙沼市の蔵元、創業1912年の造り酒屋「男山本店」を営む家庭に生まれる。宮城県気仙沼高等学校、早稲田大学卒業。 最晩年まで同社の取締役であった。 1973年、気仙沼市長に当選。93年まで5期20年間つとめる。 1991年 石井亨仙台市長が全国市長会の会長選に出た際、川井貞一白石市長と共に尽力。 2001年、勲四等旭日小綬章受章。 市長退任後は、1994年6月、気仙沼市観光協会会長に就任。2007年3月末まで7期13年務めた。 2021年9月9日、肺塞栓症で死去。
栗林 卓司(くりばやし たくじ、1931年〈昭和6年〉3月8… 栗林 卓司(くりばやし たくじ、1931年〈昭和6年〉3月8日 - 1997年〈平成9年〉9月21日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(3期、民社党)。 本籍宮城県仙台市。千葉県、現在の市川市で元陸軍主計大佐の長男として生まれる。東京府立第六中学校から疎開のため栃木県立宇都宮中学校に転校。学徒勤労動員により戦闘機の生産に従事した。戦後に仙台に移り、宮城県仙台第二中学校を経て、1954年(昭和29年)東北大学法学部を卒業した。 1954年日産自動車に入り吉原工場に配属された。日産自動車労働組合(日産労組)に入り吉原支部青年部の結成に尽力。1964年(昭和39年)日産労組情宣部長、1965年(昭和40年)同副組合長になる。
安田 養次郎(やすだ ようじろう、1930年(昭和5年)10… 安田 養次郎(やすだ ようじろう、1930年(昭和5年)10月16日 - 2022年(令和4年)2月15日)は、日本の政治家。東京都三鷹市長(3期)。名誉三鷹市民。 宮城県仙台市出身。東北大学教育学部卒。三鷹市役所に入り、建設部、企画部、総務部の各部長を経て、収入役、助役を務める。1991年の三鷹市長選挙に立候補して当選、3期務める。2003年に市長を引退。自身の後継者に東京工科大学教授の清原慶子を指名した。2022年2月15日死去、91歳。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日… 青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日 - 2019年(令和元年)5月4日)は、日本の政治家、実業家。石巻ガス創業者で、同社代表取締役社長を経て、石巻市長を務めた。位階は従五位。 宮城県雄勝町(現石巻市)生まれ。石巻町立石巻商業学校(現宮城県石巻商業高等学校)、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を経て、1952年(昭和27年)一橋大学を卒業後、同年三井船舶入社。三井船舶の出入り業者に東京ガスがいたことなどで都市ガスの時代が来ることを予感し、1959年(昭和34年)に石巻ガスを創業して同社代表取締役社長に就任。1967年(昭和42年)石巻青年会議所理事長。 1972年(昭和47年)石巻市長に初当選。
三塚 博(みつづか ひろし、1927年〈昭和2年〉8月1日 … 三塚 博(みつづか ひろし、1927年〈昭和2年〉8月1日 - 2004年〈平成16年〉4月25日)は、日本の政治家、獣医師。 衆議院議員(10期)、運輸大臣(第57代)、通商産業大臣(第48代)、外務大臣(第111代)、大蔵大臣(第102代)、衆議院議院運営委員長(第44代)、自由民主党政務調査会長(第35代・38代)、自由民主党幹事長(第31代)、自由民主党税制調査会長(第22代)を歴任。正三位旭日大綬章。血液型O型。 宮城県遠田郡北浦村(小牛田町を経て美里町)で、男6人、女8人の14人兄弟の7番目として誕生。宮城県立小牛田農林学校(現宮城県小牛田農林高等学校)、東京高等獣医学校(現日本大学生物資源科学部)を経て早稲田大学第一法学部へ学士入学し、1951年に卒業。
中川 俊一(なかがわ しゅんいち、1927年(昭和2年)7月… 中川 俊一(なかがわ しゅんいち、1927年(昭和2年)7月17日 - 2019年(平成31年)3月5日)は、日本の政治家。元宮城県古川市(現・大崎市)長(2期)。位階は正五位。 宮城県志田郡古川町(旧・古川市、現・大崎市古川)出身。小牛田農林高等学校、1948年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒。1967年、古川市議会議員に当選し、議長も務める。1988年の古川市長選挙に立候補したが千坂侃雄に敗れ、落選した。1992年の市長選挙に再び立候補して現職の千坂侃雄を破って当選した。1996年の市長選挙でも再選。2000年の市長選挙では元市議会議長の佐々木謙次に敗れた。 2019年3月5日、老衰のため死去、91歳。
千坂 侃雄(ちさか ただお、1927年(昭和2年)2月10日… 千坂 侃雄(ちさか ただお、1927年(昭和2年)2月10日 - 2017年(平成29年) 2月28日)は、日本の政治家。元宮城県古川市(現・大崎市)長(1期)。位階は正六位。旭日双光章。 宮城県大崎市志田郡古川町(のち古川市→大崎市古川)出身。旧制古川中学校(現・宮城県古川高等学校)卒。国民学校教諭を務め、1946年、古川町役場に入る。財政、秘書、商工、都市計画課長のほか、古川青年会議所理事長、古川市体育協会理事などを歴任した。その後、古川市収入役となり、1988年の古川市長選挙に立候補し、元市議会議長の中川俊一を破って当選した。4年後の市長選挙で再選を目指したが、再び立候補した中川俊一に敗れた。
小野寺 信雄(おのでら のぶお、1925年(大正14年)7月… 小野寺 信雄(おのでら のぶお、1925年(大正14年)7月25日 - 2003年(平成15年)5月13日)は、宮城県議会議員(6期)。気仙沼市長(1期)。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 宮城県本吉郡気仙沼町(現 気仙沼市)出身。宮城県気仙沼中学校(現 気仙沼高等学校)、1948年(昭和23年)拓殖大学商学部卒業。1971年(昭和46年)宮城県議会議員に初当選。以来6期連続務める。1991年(平成3年)議長に就任。翌1992年、栗村和夫の死去に伴う第15回参議院議員通常選挙宮城県選挙区補欠選挙に自民党公認で立候補したが、連合の会公認の萩野浩基に敗れて落選した。1993年(平成5年)の気仙沼市長選挙に立候補して当選。
菊池 福治郎(きくち ふくじろう、1925年5月18日 - … 菊池 福治郎(きくち ふくじろう、1925年5月18日 - 2004年2月5日)は、日本の政治家。元衆議院議員(7期)。 宮城県気仙沼市生まれ。1950年(昭和25年)に早稲田大学政経学部政治学科を卒業。その後、国会議員・保利茂の秘書を務めた。 1963年(昭和38年)、衆院選旧宮城2区に立候補するも、落選。その後も負けても負けても立候補を繰り返し、4回目の落選後は「登米郡の票の伸びが芳しくなかった」と、登米郡の街頭に1年365日毎日立って手を振り、人呼んで「人間地蔵」と評されるまでになった。 挑戦5回目の1976年(昭和51年)、新自由クラブの公認を得て初当選。その後、離党した同党幹事長・西岡武夫の後を追って離党、自由民主党に移籍し鈴木派に所属した。
高橋 清(たかはし きよし、1925年(大正14年)2月18… 高橋 清(たかはし きよし、1925年(大正14年)2月18日 - 2015年(平成27年)7月3日)は、日本の政治家。神奈川県川崎市長(第12・13・14代)。 長男は政治学者で東京大学大学院法学政治学研究科教授の高橋進(2010年死去)、次男は元日本銀行金融研究所所長、大阪経済大学教授の高橋亘。 宮城県遠田郡涌谷町生まれ。1944年宮城師範学校卒業。1952年津久井郡中央小学校で教員生活をはじめた。1955年当時の上司に勧められ川崎市立古市場小学校教諭に転じ、教頭にもなった。1974年全日本自治団体労働組合(自治労)傘下の川崎市教職員組合の委員長、職員局長を経て、1983年に伊藤三郎市長(当時)の下、助役に就任。
栗村 和夫(くりむら かずお、1924年(大正13年)10月… 栗村 和夫(くりむら かずお、1924年(大正13年)10月8日 - 1992年(平成4年)1月25日)は、宮城県遠田郡小牛田町(現美里町)出身の政治家。小牛田町長、参議院議員。 宮城県小牛田農林学校林科(現宮城県小牛田農林高等学校)卒業。1945年(昭和20年)宇都宮農林専門学校林業科卒業(現宇都宮大学農学部)。 1966年4月の小牛田町長選で第2代町長に初当選し、連続5期当選。 1989年に町長を辞職し、7月の第15回参議院議員通常選挙宮城県選挙区(当時は定数1)に日本社会党公認で立候補、自民党候補の2倍近い46万票余りを獲得し初当選した。 しかし、任期途中の1992年1月25日、慢性呼吸不全のため、東京大学医学部附属病院分院で死去した。
石母田 達(いしもだ たつ、1924年5月11日 - 202… 石母田 達(いしもだ たつ、1924年5月11日 - 2022年2月12日)は、日本の政治家、労働運動家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。日本共産党名誉幹部会顧問。 石巻市長を務めた石母田正輔の五男。兄は国民的歴史学運動で知られる歴史学者の石母田正。 宮城県石巻市出身。東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)卒業後、池貝鉄工所に就職。第二次世界大戦中は相模補給廠(相模原市淵野辺)に属し、陸軍の技術将校として誘導爆弾や特攻兵器製作に携わる。自らも特攻乗員となり出撃の日を待ちながら終戦を迎えた。 復員後は池貝鉄工所に戻り、旋盤技師を務める傍ら日本共産党へ入党。兄の正に諭され同所の労働組合長に立候補し、1票差で対立候補を躱し組合長に当選する。
伊藤 宗一郎(いとう そういちろう、1924年〈大正13年〉… 伊藤 宗一郎(いとう そういちろう、1924年〈大正13年〉3月21日 - 2001年〈平成13年〉9月4日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。勲章は旭日桐花大綬章。衆議院議員を13期務め、在任中には科学技術庁長官、防衛庁長官や第69代衆議院議長などを歴任した。宮城県名誉県民。 宮城県加美郡中新田町(現加美町)で呉服屋を営む父・宗太郎と、母・ときの長男として生まれた。少年時代には陸軍歩兵第4連隊の一日連隊長を務める機会があった。宮城県古川中学校(現・宮城県古川高等学校)、旧制第二高等学校文科甲類を経て、1947年に東北大学法学部を卒業。高校在学中に太平洋戦争が勃発、大学在学中には1年間軍務に就いて陸軍少尉に任官されていた。
三升 正直(みます まさなお、1923年〈大正12年〉12月… 三升 正直(みます まさなお、1923年〈大正12年〉12月11日 - 2011年〈平成23年〉6月21日)は、日本の政治家。宮城県塩竈市長(3期)。 宮城県塩竈市出身。旧制図南中学(のち仙台図南高等学校を経て仙台図南萩陵高等学校、現在の仙台市立仙台大志高等学校)卒業。塩竈市役所に入り、議会事務局長、収入役、助役などを歴任した。 1991年(平成3年)の塩竈市長選挙に共産党の支持を得て立候補し、自民、社会、公明、民社の各党が推薦する内海勇三らを破って、初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年5月1日、第5代市長に就任した。 1999年(平成11年)の市長選は新人2人との争いになったが、これを破って3選を果たした。
菅野 壽(かんの ひさし、1923年4月1日 - 2006年… 菅野 壽(かんの ひさし、1923年4月1日 - 2006年8月21日)は日本の政治家、医師。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 参議院議員(連続2期・在職12年)、日本医師会常任理事。医学博士(新潟大学)。 宮城県桃生郡北村(現石巻市)出身。旧制石巻中学から1947年日本大学医学部卒業。1972年東武中央病院(埼玉県和光市)開設。菅野総合病院(同)理事長、埼玉県医師会理事、常任理事を経て、1982年から1984年まで花岡堅而会長のもとで日本医師会常任理事を一期務めた。 1989年第15回参議院議員通常選挙比例代表区に日本社会党から出馬し初当選、連続二期。参議院厚生委員会理事、地方行政委員長、環境特別委員長を歴任。
石川 次夫(いしかわ つぎお、1922年(大正11年)6月1… 石川 次夫(いしかわ つぎお、1922年(大正11年)6月1日 - 2011年(平成23年)2月21日)は、昭和から平成時代の政治家。宮城県名取市長。 名取市出身。東北帝国大学卒業。 1955年(昭和30年)名取町収入役、1958年(昭和33年)名取市収入役、1971年(昭和46年)助役を経て、1980年(昭和55年)名取市長に当選。6期24年務めた。
星 長治(ほし ちょうじ、1920年2月10日 - 1994… 星 長治(ほし ちょうじ、1920年2月10日 - 1994年1月14日)は、日本の政治家、参議院議員(1期、自由民主党)。 宮城県亘理郡亘理町出身。仙台高等実務学校卒。亘理町議を経て、宮城県議を5期務め、県会議長になる。1983年の第13回参議院議員通常選挙で宮城県選挙区から自民党公認で立候補して当選。第3次中曽根内閣で農林水産政務次官に就任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選。参議院議員を1期務めた。1994年1月14日死去、73歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、従四位に叙される。 ほか、亘理町漁業協同組合長理事、宮城県信漁連会長、全国内水面漁協連副会長、自民党農水局、国民生活局次長、国土審議会委員などを歴任した。
遠藤 要(えんどう かなめ、1915年10月31日 - 20… 遠藤 要(えんどう かなめ、1915年10月31日 - 2010年6月20日)は、日本の政治家。 宮城県議会議員を経て、参議院議員を4期務め、法務大臣や自由民主党参議院議員総会長などを歴任。 学歴は、白石高等小学校(現在の宮城県白石市)卒業。 1947年(昭和22年)、宮城県議会議員選挙に立候補し初当選し、同県議会議員に就任した。以後通算7回当選し、1971年(昭和46年)には同議会議長に選出された。 1974年(昭和49年)の第10回参議院議員通常選挙に、自由民主党公認で立候補し当選、参議院議員に転身した。以後通算4回当選し、自由民主党内では田中派、竹下派(経世会)を経て、小渕派(平成研究会)に所属した。
片山 正英(かたやま まさひで、1914年(大正3年)2月1… 片山 正英(かたやま まさひで、1914年(大正3年)2月17日 - 2005年(平成17年)3月22日)は、昭和期の農林官僚、政治家。参議院議員、林野庁長官。 宮城県仙台市出身。1939年(昭和14年)東京帝国大学農学部林学科を卒業した。 農林省に入省し、同山林局、林野庁、経済審議庁などで勤務。群馬県林務部長、林野庁業務部長などを歴任し、林野庁長官に1967年(昭和42年)9月から1970年(昭和45年)1月まで在任して退官した。 1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して初当選。なお、この選挙を通じて関係者19人が買収、文書違反の疑いで逮捕されている。