鈴木 淳史(すずき あつふみ、1970年 - )は、日本のク… 鈴木 淳史(すずき あつふみ、1970年 - )は、日本のクラシック音楽評論家、文芸評論家。鈴木敦史(すずき あつし)とも表記されることがある。自ら『売文業』と称し、主にクラシック音楽の「私批評」を行っている。 山形県寒河江市生まれ。山形県立寒河江高等学校、法政大学文学部日本文学科卒業。『クラシック批評こてんぱん』(洋泉社)で音楽評論を批評したり、『わたしの嫌いなクラシック』(洋泉社)、『萌えるクラシック』(洋泉社)など既存の音楽評論に囚われないユニークな批評を行ったりしている。Jリーグ・モンテディオ山形のファン。2007年~2011年にわたって、青弓社のムック『クラシック・スナイパー』(vol.1~8)の編者を許光俊とともに務める。
池上 冬樹(いけがみ ふゆき、1955年 - )は、日本の文… 池上 冬樹(いけがみ ふゆき、1955年 - )は、日本の文芸評論家、書評家。マルタの鷹協会会員。 山形市生まれ。山形県立山形中央高等学校、立教大学文学部日本文学科卒。マルタの鷹協会に寄稿していた書評を小鷹信光に注目され、アシスタント業務を担当するようになる。ハードボイルドの翻訳から初めて、ミステリなどの書評家となり、『週刊文春』、『本の雑誌』、『ミステリマガジン』、「日本経済新聞」などではばひろく書評・批評をおこなう。2004年から3年間「朝日新聞」書評委員、さくらんぼテレビジョン主宰の山形小説家・ライター講座では世話役を担当している。 漫画家の金井たつおは高校の同級生。また文学研究者の松坂俊夫は高校時代の恩師である。
杉原 志啓(すぎはら ゆきひろ、1951年 - )は、日本の… 杉原 志啓(すぎはら ゆきひろ、1951年 - )は、日本の音楽評論家、日本近代思想史研究者。 おもに音楽評論家として活動し、多くの編著書があるが、徳富蘇峰を中心とした日本近代思想史の研究者としての著作もあり、学習院女子大学、フェリス女学院大学、東京藝術大学のほか、出身地にある東北公益文科大学などで非常勤講師を務めた。 山形県酒田市出身。学習院大学で坂本多加雄に師事し、2002年に坂本が没した後は、坂本の選集などの編集・監修に当たった。1993年に『蘇峰と「近世日本国民史」 -大記者の「修史事業」』で、学習院大学より博士(政治学) を取得。
加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1… 加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1日 - 2019年(令和元年)5月16日)は、日本の文芸評論家、早稲田大学名誉教授。講談社ノンフィクション賞、小林秀雄賞選考委員。 『「アメリカ」の影』(1985年)で注目される。文学、政治、歴史認識と広く戦後日本の社会を独自の視点で考察。著書に『敗戦後論』(1997年)、『日本の無思想』(1999年)、『言葉の降る日』(2016年)、『敗者の想像力』(2017年)などがある。 山形県山形市出身。山形県立山形東高等学校を経て、1972年東京大学文学部仏文学科を卒業。1985年に『アメリカの影』でデビューする。 雑誌『思想の科学』に1980年代からかかわり、第八次『思想の科学』(1993-1996)の編集委員をつとめた。
鏡 明(かがみ あきら、1948年1月2日 -)は、日本の小… 鏡 明(かがみ あきら、1948年1月2日 -)は、日本の小説家、SF作家、翻訳家、音楽・SF作品・漫画等文芸方面の評論家、広告ディレクター。電通顧問(元・執行役員)。 初期は岡田英明名義を使用した。 山形県生まれ。東京都立新宿高等学校を経て早稲田大学第一文学部に進む。大学時代はワセダミステリクラブや、伝説的なSFファンの集まり「一の日会」に参加。またSF同人誌「宇宙気流」「SF倶楽部」などに関わる。 早稲田大学英文科を全優で卒業(指導教授には修士課程に進むことを切望される)後、電通に勤務。上司に小田桐昭、同僚に関三喜夫がいた。ジョージ・ルーカスを起用したパナソニックのCMなどで知られ、ACC賞、カンヌ国際広告賞、アジア太平洋広告祭をはじめとする国内外の広告賞を多数受賞。
八束 はじめ(やつか はじめ、1948年 - )は、日本の建… 八束 はじめ(やつか はじめ、1948年 - )は、日本の建築家、建築史家、建築評論家、芝浦工業大学名誉教授。 ロシア・アヴァンギャルドを中心とする建築史研究や、卓抜な建築論でも知られる。 妹島和世や日埜直彦など多くの建築家を輩出している茨城県立水戸第一高等学校出身。 東京大学工学部都市工学科卒業。丹下健三が東京大学で教鞭を執っていた際の最後の教え子。同大学大学院(大谷幸夫研究室)修了。 2008年3月には、1994年から美術批評家の多木浩二らと編集委員として始めた雑誌10+1が最終号を迎えることとなり、自らNo50『Tokyo Metabolism 2010』(Inax出版)を編纂。
佐高 信(さたか まこと、1945年〈昭和20年〉1月19日… 佐高 信(さたか まこと、1945年〈昭和20年〉1月19日 - )は、日本の評論家、東北公益文科大学客員教授。元「週刊金曜日」編集委員。山形県酒田市出身。 「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」共同代表。先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人を務める。 近年はYouTube番組であるデモクラシータイムスの『3ジジ放談』に平野貞夫、前川喜平と共に出演している。 2022年、全7巻の『佐高信 評伝選』(旬報社)が刊行されている。 父・兼太郎は茜舟(せんしゅう)の雅号を持つ書道家・教師で、支持政党は一貫して日本社会党(現・社会民主党)。山形県立酒田東高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 20… 齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 2023年3月28日)は、日本の俳人、編集者、文芸評論家。 朝鮮京城府(現・韓国ソウル市)生まれ。1946年、山形県の飛島に移住。高校時代より句作を開始。1955年、秋沢猛、秋元不死男に師事し、秋元不死男主宰の「氷海」に投句。1959年氷海賞受賞。「孤島の寺山修司」と称されたが、翌年より20年以上の間句作を中断した。 山形大学文理学部国文科を中退後、1963年に深夜叢書社を設立。1973年、堀井春一郎らと『季刊俳句』創刊。1983年、寺山修司らと「雷帝」創刊のために句作を再開。さらに50歳の頃から文筆活動に入る。2010年、『ひばり伝 蒼穹流謫』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
冨士田 元彦(ふじた もとひこ、1937年6月26日 - 2… 冨士田 元彦(ふじた もとひこ、1937年6月26日 - 2009年12月18日)は、日本の評論家、編集者、実業家。京城府(現・ソウル特別市)生まれ、山形県出身。 山形県立山形東高等学校を経て、早稲田大学文学部史学科卒業。角川書店の「短歌」編集長として60年代の前衛短歌運動の一端を担う。1972年、個人誌「雁-映像+定型詩」を創刊。14号まで編集・発行を続ける。小紋潤と設立した書肆「雁書館」代表。短歌及び日本映画の評論を精力的に行った。著書に「冨士田元彦短歌論集」など。2009年、敗血症のため逝去。
湯川 れい子(ゆかわ れいこ、1936年〈昭和11年〉1月2… 湯川 れい子(ゆかわ れいこ、1936年〈昭和11年〉1月22日 - )は、日本の音楽評論家、作詞家、女優。 本名・湯野川和子(ゆのかわ かずこ)が田村駿禮(たむら たかのり)と結婚して田村和子になる。のちに離婚するが本名は田村和子のままにしている。吾妻麗子名義で女優として活動したこともある。山形県米沢市育ち。 東京府東京市目黒区芳窪町(現:東京都目黒区東が丘)に出生。父は海軍大佐・湯野川忠一。忠一の従妹(父・湯野川忠世の妹の娘・礼子)は山本五十六の妻。海軍大将・黒井悌次郎は大叔父(父方の祖母の弟)。米沢藩家老・千坂高房は母方の祖先。その他、父方の曾祖父の湯野川忠国は漢学者。父方の祖父の湯野川忠世は全国農事会本部幹事でラ・フランスを日本に紹介した人物。
佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)… 佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)10月26日 - )は、日本の農家、農業問題評論家、著作家、詩人。 無着成恭の『山びこ学校』の卒業生。上山市の青年学級主事、教育委員、農業協同組合理事などを務める。 山形県南村山郡山元村(現上山市)出身。山元村立山元中学校在学時に無着成恭の教えをうけ、1951年、文集『山びこ学校』に生活記録がのる。 山形県立上山農業高等学校定時制在学中に農民詩を発表。1955年、同校を卒業してからは家業の農業のかたわら、著作活動を続けている。 木村迪夫に影響を与え、詩の道へ進ませるきっかけを作った。
皆川 睦雄(みながわ むつお、1935年7月3日 - 200… 皆川 睦雄(みながわ むつお、1935年7月3日 - 2005年2月6日)は、山形県南置賜郡山上村大字関根(現・米沢市)出身のプロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・解説者・評論家。 現役当時は同期入団の野村克也と共に南海ホークス黄金期の主力選手であり、同じくアンダースロー投手の杉浦忠と共に南海黄金時代のエースとして活躍した。通算成績は759試合登板、221勝139敗、防御率2.42。通算221勝はホークス(南海、ダイエー、ソフトバンク)の球団記録であり、1983年に山田久志に更新されるまでアンダースロー投手としてのNPB記録でもあった。なお、南海の大エースとして名高い杉浦(通算187勝)よりも通算勝利数は上回っており、200勝がラインとなる日本プロ野球名球会にも入会している。
服部 公一(はっとり こういち、1933年4月24日 - )… 服部 公一(はっとり こういち、1933年4月24日 - )は日本の作曲家、随筆家、音楽評論家。神奈川県鎌倉市在住。 昭和8年(1933年)、山形県山形市生まれ。音楽教師であった祖母の指導で幼少時よりピアノを始める。 山形県立山形東高等学校卒業後、学習院大学文学部哲学科に入学し、久野収ゼミに所属。大学では皇太子・明仁親王と同学年。学部が違ったためいわゆる「ご学友」ではなかったが、「美術史」など一般教養科目をともに履修し、親しく言葉を交わすこともあったという。現在も宮中の茶会などに招かれる間柄である。学生時代からアマチュアの音楽家として活動し、中田喜直・山田耕筰・團伊玖磨らの知遇を得る。同大学4年の時NHKのオーディションに合格。
大熊 信行(おおくま のぶゆき、1893年2月18日 - 1… 大熊 信行(おおくま のぶゆき、1893年2月18日 - 1977年6月20日)は、経済学者・文芸評論家・歌人。 富山大学教授、神奈川大学教授、創価大学教授などを歴任。福田徳三門下。 山形県米沢市元籠町生まれ。旧制米沢興譲館中学校(現山形県立米沢興譲館高等学校)を経て1916年東京高等商業学校(現一橋大学)卒。中学時代、浜田広介や上泉秀信と同人誌を作っていた。高商同期の歌人浦野敬はのちに、大熊の創刊した歌誌「まるめら」の同人となった。 1916年日清製粉入社。米沢商業学校で教鞭をとった後、1919年東京高等商業学校専攻部進学、1921年同卒。1941年経済学博士(東京商科大学)。論文の題は「経済理論における配分原理の所在並に適用に関する基礎的研究」。
千葉 亀雄(ちば かめお、1878年(明治11年)9月24日… 千葉 亀雄(ちば かめお、1878年(明治11年)9月24日 - 1935年(昭和10年)10月4日)は、日本の作家、評論家、ジャーナリスト。 山形県酒田市に生まれ、5歳から母の実家がある宮城県美里町、13歳から仙台市で育つ。早稲田大学高等師範部中退。はじめ江東の号で小説を書いたが、以後国民新聞、読売新聞、時事新報、東京日日新聞など新聞の社会部長や学芸部長を務め、その傍ら文芸評論も書いた。『サンデー毎日』編集長として「サンデー毎日新人賞」を開始するなど大衆文学にもかかわる。 大正末から昭和初年にかけての大きな文学潮流となった「新感覚派」の命名者として知られる。 死後、小説家の登竜門として「千葉亀雄賞」が創設され、井上靖、沙羅双樹、黒岩重吾らを輩出した。
高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、1871年2月28日〈明治… 高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、1871年2月28日〈明治4年1月10日〉- 1902年〈明治35年〉12月24日)は明治時代の日本の文芸評論家、思想家。東京大学講師。文学博士。明治30年代の言論を先導した。本名は林次郎(りんじろう)。 1871年2月28日(明治4年1月10日)、羽前国鶴岡(現山形県鶴岡市)に生まれた。父は庄内藩士斎藤親信。翌1872年(明治5年)、伯父・高山久平の養子になった。養父は山形県、福島県、警視庁などに勤務した。 福島中学中退、東京英語学校を経て仙台の第二高等学校に入学。井上準之助が同級の友人であった。樗牛の号は「荘子」に因むもので高校時代から用いていたといい、同人誌や山形日報などに評論、紀行などを発表。