ツクイヨシヒサ(つくい よしひさ 1975年9月23日 - … ツクイヨシヒサ(つくい よしひさ 1975年9月23日 - )は、日本のマンガ評論家、ライター、編集者。栃木県足利市出身。本名は津久井幹永。有限会社アンド・エーシー代表。 栃木県立足利高等学校、駒澤大学文学部卒業。大学在学中からライターとしての活動を始める。編集プロダクションを経て、フリーライター、編集者として活躍後、2004年に有限会社アンド・エーシー設立。 主にマンガ、野球、各種サブカルを中心に執筆。野球ライターとして雑誌『週刊ベースボール』『野球太郎』など、サブカルライターとして雑誌『週刊SPA!』『AERA』ほか、サイト『コミックナタリー』や各種書籍、ムック等に寄稿。戦国時代、江戸時代、幕末、三国志、時代劇などの歴史分野も手がける。
真中 満(まなか みつる、1971年1月6日 - )は、埼玉… 真中 満(まなか みつる、1971年1月6日 - )は、埼玉県幸手市生まれ、栃木県大田原市出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、野球解説者・野球評論家。 日本プロ野球におけるシーズン代打起用回数の最多記録保持者(98回)、シーズン代打安打の最多記録保持者 (31本)。 埼玉県幸手市(当時は北葛飾郡幸手町)で生まれ、幼少期に栃木・大田原市に転居。同県大田原市立大田原小学校5年の時に野球を始める。 宇都宮学園高等学校(現・文星芸術大学附属高等学校)時代は、3番を打ち、4番の髙嶋徹と共に3年時の1988年に春夏連続で甲子園に出場。第60回選抜大会はベスト4、第70回全国選手権は3回戦で敗退。 卒業後、日本大学経済学部産業経営学科(一部)に進学(同期生に渡邉博幸がいる)。
AKI猪瀬(あき いのせ、本名:猪瀬 明彦〈いのせ あきひこ… AKI猪瀬(あき いのせ、本名:猪瀬 明彦〈いのせ あきひこ〉、1970年4月7日 - )は、日本のスポーツライター、野球評論家、漫談家。 栃木県宇都宮市出身で、1989年3月に栃木県立宇都宮工業高等学校を卒業する。1989年に映画研修で渡米し、インディアナ大学に7か月留学後ニューヨーク大学へ転学して1991年に同大学フィルム・スクールに入学する。のちに松竹シナリオ研究所やオフィス・トゥー・ワンでライター修行した。 高校で野球を経験し、アメリカ留学中に感銘したメジャーリーグベースボール (MLB) について学び始め、パシフィック・リーグ広報部長の伊東一雄に師事する。 1997年にパーフェクTVがMLB中継を開始すると解説者として出演し、以後おもにMLBに関するスポーツライターとして活動する。
池田 雄一(いけだ ゆういち、1969年 - )は、日本の文… 池田 雄一(いけだ ゆういち、1969年 - )は、日本の文芸評論家、東北芸術工科大学准教授。 宇都宮市生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業。東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻除籍。学部5年目に書いた「原形式に抗して」(『群像』1994年6月号所収)が1994年に第37回群像新人文学賞評論部門優秀作。市川真人らとともに「早稲田文学」編集部に参加。 東工大大学院では井口時男の研究室に所属していたが、井口の信条により師弟関係という表現は排している。 講師を勤めていたカルチャーセンターの元教え子に小説家の松波太郎や詩人のni_kaがいたことが松波の『カルチャーセンター』内で語られている。
本澤 麻古人(ほんざわ まこと、1955年2月20日 - )… 本澤 麻古人(ほんざわ まこと、1955年2月20日 - )は、ラジオNIKKEIなどに出演している日本の株式評論家。東京都文京区湯島のテクノスクール代表兼講師。 栃木県宇都宮市出身。早稲田大学卒業後、証券会社・投信委託会社で企業調査や市場分析等の業務に従事。のちにコンピュータ・ソフトウェア会社の経営を経て、現職。 ラジオNIKKEIにはラジオたんぱの時代から、これまでファイナンシャルBOX、夕焼けマーケッツ 投資って楽しいねっ!などの番組に度々出演している。 様々な株式指標(HレシオHラインHポジション)などを考案した人である。 基本的に投資スタンスは弱気で、その状況で儲ける方法を知りたければスクールの会員になって下さいというのが発言パターンである。
青山 みゆき(あおやま みゆき、1954年12月1日 - )… 青山 みゆき(あおやま みゆき、1954年12月1日 - )は、日本の詩人、歌人、評論家、翻訳家、アメリカ文学者。元聖徳大学准教授。 栃木県足利市生まれ。栃木県立足利女子高等学校卒業。アメリカペンシルベニア州立インディアナ大学大学院文学修士課程修了。アメリカ文学とイギリス文学を中心に学ぶ。アメリカに学部生として滞在中に、創作の授業で英語詩を書きはじめる。 1981年に帰国後、新川和江と吉原幸子が発行編集人である「現代詩ラ・メール」に参加。「ラ・メール」にフェミニズムやジェンダー論の視点から女性詩人論を書いていたが、新川や吉原をはじめ、高橋順子、鈴木ユリイカ、國峰照子、小池昌代、中本道代などに接し、多大な影響を受けて本格的に日本語で詩作をはじめる。
須永 朝彦(すなが あさひこ、1946年(昭和21年)2月5… 須永 朝彦(すなが あさひこ、1946年(昭和21年)2月5日 -2021年(令和3年)5月15日 )は、歌人、小説家、評論家。幻想的な作風が特徴。栃木県足利市出身。 少年時代から和歌・短歌・俳句・詩などに親しみ、在原業平、和泉式部、式子内親王、藤原良経、藤原定家、與謝蕪村、与謝野鉄幹、與謝野晶子、北原白秋、木下杢太郎、日夏耿之介、安西冬衛などを愛誦。日本古典は『源氏物語』などの王朝物語や戦記から中世の短篇物語、江戸文芸全般に至るまで広く親しむ一方、能・浄瑠璃や歌舞伎など。近代文学は森鷗外・幸田露伴・泉鏡花・谷崎潤一郎・佐藤春夫・稲垣足穂・三島由紀夫など。外国文学はE.T.A.ホフマン、スタンダール、メリメ、トーマス・マンなどを愛読。
柳田 邦男(やなぎだ くにお、1936年〈昭和11年〉6月9… 柳田 邦男(やなぎだ くにお、1936年〈昭和11年〉6月9日 - )は、日本のノンフィクション作家、評論家。 航空事故、医療事故、災害、戦争などのドキュメントや評論を数多く執筆している。妻は絵本作家の伊勢英子。娘にカメラマンの石井麻木がいる。 栃木県上都賀郡鹿沼町(現在の鹿沼市)生まれ。栃木県立鹿沼高等学校を経て、1960年東京大学経済学部を卒業する。同年NHKに入局し、広島放送局へ配属される。1963年東京へ戻り、社会部に配属になる。1966年に遊軍記者として全日空羽田沖墜落事故、カナダ太平洋航空機墜落事故、BOAC機空中分解事故を取材する。1971年にこれらの事故を追ったルポルタージュ『マッハの恐怖』を発表し、第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
下重 暁子(しもじゅう あきこ、1936年〈昭和11年〉5月… 下重 暁子(しもじゅう あきこ、1936年〈昭和11年〉5月29日 - )は、日本の作家・評論家・エッセイスト。元NHKアナウンサー、JKA初代会長。 栃木県宇都宮市出身。「下重」は江戸時代、各地の御典医に多かった姓で、暁子の下重家は石見国浜田藩の御典医を代々勤めた。映画「戦場のメリークリスマス」の登場人物のモデルになった森勝衛は、父の従兄にあたる。 9歳の時に太平洋戦争の疎開先の奈良県で終戦を迎える。 教師の影響で、進学校の大阪府立大手前高等学校に進学。国語など文科系科目は得意なため、苦労したことはなく早稲田大学教育学部国語国文学科に進学した。芥川賞作家の黒田夏子は早大教育学部の同級生で同人誌仲間。
中本 信幸(なかもと のぶゆき、1932年7月6日 - )は… 中本 信幸(なかもと のぶゆき、1932年7月6日 - )は、日本のロシア文学者、演劇評論家、翻訳家、神奈川大学名誉教授。
平野 彧(ひらの いく、1929年 - 2007年)は、日本… 平野 彧(ひらの いく、1929年 - 2007年)は、日本の教育者・教育評論家。 栃木県宇都宮生まれ。栃木県立宇都宮中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)卒業。栃木県の小学校国語教員、宇都宮市立平石南小学校教諭、1959年藤岡町立赤麻小学校教諭、1975年三鴨小学校教諭、86年赤麻小学校校長。91年退職。作文教育に力を入れた。
日沼 倫太郎(ひぬま りんたろう、本名:生沼正三、1925年… 日沼 倫太郎(ひぬま りんたろう、本名:生沼正三、1925年7月3日 - 1968年7月14日)は、日本の文芸評論家。 栃木県下都賀郡(現・小山市)生まれ。国際電気通信株式会社講習所に学ぶ。1944年朝鮮に赴任。戦後は通信技官、日本電信電話公社社員。そのかたわら文芸評論家として活動した。 1968年7月14日、心筋梗塞のため千葉県柏市の病院で死去。戒名は正教院法文信士。墓所は東京都立八柱霊園。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大島 清次(おおしま せいじ、1924年(大正13年)11月… 大島 清次(おおしま せいじ、1924年(大正13年)11月13日 - 2006年(平成18年)11月23日)は、昭和から平成にかけての日本の美術史家、美術評論家。 栃木県宇都宮市生まれ。1951年(昭和26年)に早稲田大学文学部を卒業。その後、栃木県立高等学校教諭や法政大学文学部講師を経て、1972年(昭和47年)に栃木県立美術館副館長、1981年(昭和56年)に同館長となった。1986年(昭和61年)に世田谷美術館長となり、2005年(平成17年)まで務めた。2006年(平成18年)11月23日、肺炎のため栃木県下野市の病院で死去した。 フランス絵画史やジャポニスムの研究を専門とし、特にジャポニスム研究においては先駆的で本格的な研究業績を残した。
佐藤 一(さとう はじめ、1921年12月10日 - 200… 佐藤 一(さとう はじめ、1921年12月10日 - 2009年6月17日)は、日本の労働評論家。松川事件の被告の一人。 栃木県日光市に生まれる。1936年今市高等小学校卒業、38年5月国際精機設計部に入り、W・R・ゴーハム技師長の指導を受ける。1941年東京芝浦電気・マツダ研究所に入る。 1943年6月海軍に召集され、通信学校で電探の教育を受けて青森、稚内、樺太に勤務。 1945年8月復員、東芝に復帰。鶴見工場設計部勤務となり、労働組合役員兼務。 1949年、松川事件の被疑者として逮捕され、第一審で死刑の判決を受ける。1963年9月12日、最高裁は検察側の再上告を棄却し、被告人20人の無罪が確定した。
村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月2… 村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月24日 - 1975年(昭和50年)3月29日)は、日本の文芸評論家、歌人、小説家。日本浪曼派に共感した。 東京で生まれ、父はホーリネス教会派のクリスチャンだった。栃木県宇都宮市で育つ。旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)を経て、東京商科大学(現・一橋大学)予科に進学。高島善哉ゼミ出身。 1943年に大学を卒業後、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入校。小島直記らは同期生にあたる。1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 戦後は三菱化成(現三菱ケミカルホールディングス)に入社したがやがて退社。
内村 剛介(うちむら ごうすけ、1920年3月18日 - 2… 内村 剛介(うちむら ごうすけ、1920年3月18日 - 2009年1月30日)は、日本のロシア文学者、評論家。文芸誌『(第2次)同時代』同人。本名、内藤操。 栃木県那須郡境村大字大木須(烏山町を経て現・那須烏山市大木須)で零落した百姓の次男として生まれる。中学進学を断念させられて自らの意志で、1934年高等小学校卒業と同時に満州に渡る。満鉄育成学校に入学したのち、転校先の旧制大連第二中学校を経て、1940年ハルピン学院に入学してロシア語を学び、1943年同校を繰上卒業。同年、結婚するも束の間のうちに関東軍総司令部へ徴用される。 敗戦後の混乱の中でソ連のゲー・ペー・ウーにスパイ容疑で逮捕された後、イルクーツクやモスクワの監獄(ラーゲリ)につながれて11年余りの長きにわたって独房生活を送った。
武川 寛海(たけかわ ひろみ、1914年2月22日 - 19… 武川 寛海(たけかわ ひろみ、1914年2月22日 - 1992年5月2日)は、日本の音楽評論家。ベートーヴェン研究家。音楽之友社『音楽芸術』編集長。 判事を務めていた武川佳海の息子として東京に生まれる。父の転勤に伴い、福島県から静岡県や栃木県を転々として育つ。栃木県立栃木中学校 (旧制)から成蹊高等学校 (旧制)を経て、1938年3月、東京帝国大学文学部美学科卒業。大学在学中、下總皖一に作曲を師事。1938年4月、日本コロムビア株式会社に入社。文芸部に所属し、ディレクターとして勤務。1943年に同社を退社して満洲の新京に渡り、株式会社満洲映画協会に入社。音楽監督を務める。1946年8月に満洲から引き揚げ、同年10月、音楽之友社に入社。
栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20… 栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20日 - 1996年(平成8年)10月4日)は、日本の商人(肥料商)、実業家(東京毎夕新聞社主、鉱山経営者)、総会屋、衆議院議員、美術評論家(栗田美術館創設者)。中央大学法学部中退。 栃木県足利市の豪商出身。復員後の1946年第22回衆議院議員総選挙に、栃木県全県区から諸派扱いで初出馬したが落選。 翌1947年の第23回衆議院議員総選挙では、新設の旧栃木県第2区から民主党公認で立候補し、初当選。政界進出と同時に栗田政治経済研究所を設立した。 在職中、栗田の拠出した金が汚職に用いられた疑惑が持ち上がり、1948年の衆議院不当財産取引調査特別委員会で証人喚問された。
野口 久光(のぐち ひさみつ、1909年8月9日 - 199… 野口 久光(のぐち ひさみつ、1909年8月9日 - 1994年6月13日)は、日本の映画、ジャズ、ミュージカル評論家。画家、グラフィックデザイナー。生涯に1000点を超える映画ポスターを描いたと言われる。
久保 貞次郎(くぼ さだじろう、1909年5月12日 - 1… 久保 貞次郎(くぼ さだじろう、1909年5月12日 - 1996年10月31日)は、日本の美術評論家、小中学生を対象とした創造主義美術教育運動の指導者。跡見学園短期大学学長、町田市立国際版画美術館初代館長なども務めた。婚家の莫大な資産をもとに美術品蒐集でも知られ、芸術家の支援も行なった。旧姓・小此木。小此木真三郎は弟。 栃木県足利町で金物店を営む小此木仲重郎、ヨシの次男として生まれる。3歳で母を亡くし、継母と姉を母替わりに育つ。足利尋常西小学校、栃木県立足利中学校(旧制)を経て、成蹊高等学校 (旧制)に進学。欧米に憧れを抱いていた貞次郎は、1927年に国際語エスペラントを新聞広告で知って寮友らと学習を始め、1928年に日本エスペラント学会に入会。
郡司 信夫(ぐんじ のぶお、1908年10月1日 - 199… 郡司 信夫(ぐんじ のぶお、1908年10月1日 - 1999年2月11日)は、栃木県出身のボクシング評論家。 大田原中学校から大正大学を経て、1930年に誠文堂新光社に入社。スポーツ誌編集に携わる。 1934年に独立してガゼット出版社を設立、「ボクシング・ガゼット」誌を創刊した。時同じくして「拳道会ボクシング練習場」を設立。拳道会は解散するが、戦後に「日本拳闘株式会社」を設立。一方、ガゼット誌の編集はベースボール・マガジン社に吸収されるまで約30年担当。 1952年からは30年に渡りTBSのボクシング解説者を務め、日本テレビの平沢雪村、フジテレビの石川輝らとともにボクシング解説者の草分けと呼ばれた。
吉田 六郎(よしだ ろくろう、1908年5月9日- 1986… 吉田 六郎(よしだ ろくろう、1908年5月9日- 1986年3月8日)は、ドイツ文学者、文芸評論家、東京都立大学名誉教授。 栃木県足利市生まれ。松本高等学校文科乙類を経て、1932年東京帝国大学独文科卒。33年桐生高等工業学校教授。37-38年文部省から派遣されベルリン大学に学ぶ。39年陸軍教授、42年第四高等学校教授、1950年金沢大学助教授、51年東京都立大学助教授、60年教授。 1971年「ホフマン - 浪漫派の芸術家」で東京大学文学博士。72年都立大を定年退官。E・T・A・ホフマンの翻訳・研究と夏目漱石に関する評論を書き、藤代素人、秋山六郎兵衛、板垣直子らの、『吾輩は猫である』がホフマンの『牡猫ムルの人生観』に影響を受けたという説を論駁し、漱石は聞きかじってはいたが『猫である』はオリジナルな作であると論じた(吉田六郎教授略歴「人文学報」都立大、1972年)。
手塚 富雄(てづか とみお、1903年11月29日 - 19… 手塚 富雄(てづか とみお、1903年11月29日 - 1983年2月12日)は、日本のドイツ文学者・評論家。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1961年)。東京大学名誉教授。 栃木県宇都宮市生まれ。旧制第一高等学校を経て、1926年東京帝国大学文学部独文科卒。旧制松本高等学校教授、1943年東京帝国大学文学部独文科助教授、1949年教授。1961年に学位論文「ゲオルゲとリルケの研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。1963年より文学部長をつとめる。1964年定年退官後は立教大学教授、共立女子大学教授を歴任。1967年日本学士院会員、1972年、NHK放送文化賞受賞、1981年文化功労者。