金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 19… 金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 1999年7月2日)は日本の映画作家、評論家、写真家。 東京都生まれ。祖父はうなぎ屋だが、父親は家業を継がず家を貸して不動産収入で遊食していた。足立区立千住小学校から旧制東京都立江北中学校に入学、学制改革を経て、1952年、東京都立江北高等学校卒業。同校在学中は美術部に籍を置き、英語が得意で、成績は学年400人中1番から2番で通していた。東京大学に落ちて1浪で早稲田大学と慶應義塾大学文学部に合格し、後者に入学、1957年、同英米文学科卒業。松竹映画国際部に社長(城戸四郎)付きの通訳として籍を置き、ハーヴァード大学の国際セミナーに参加するうちに米国のアングラ映画作家と知り合い、松竹を休職中にフルブライト基金を受けて渡米、ノースウェスタン大学に1年間留学。
藤井 秀樹(ふじい ひでき、1934年8月28日 - 201… 藤井 秀樹(ふじい ひでき、1934年8月28日 - 2010年5月3日)は、日本の写真家である。本名は秀喜(ひでき)。
川口 邦雄(かわぐち くにお、1932年4月15日 - )は… 川口 邦雄(かわぐち くにお、1932年4月15日 - )は、日本の山岳写真家。 東京府東京市(現東京都大田区)出身。1951年東京都立京橋化学高等学校卒。小学生の頃より昆虫採集や植物採集などを通じて自然と親しむ。登山は高校卒業後、同窓生を中心に山岳会を結成。1950年代より作家としてカメラ誌、山岳誌に山岳写真を発表、1964年、写真家として独立。1967年4月、日本山岳写真集団を、初のプロ写真作家集団として結成。参加作家は、三宅修(代表)、白簱史朗、山下喜一郎、小森康行、内田良平、横山宏、竹之原陽一郎、大塚大、川口の9名。日本山岳写真協会理事長。
並河 萬里(なみかわ ばんり、1931年10月29日 - 2… 並河 萬里(なみかわ ばんり、1931年10月29日 - 2006年5月7日)は、日本の写真家。並河亮の子。
田沼 武能(たぬま たけよし、1929年2月18日 - 20… 田沼 武能(たぬま たけよし、1929年2月18日 - 2022年6月1日)は、日本の写真家。文化勲章受章者。東京工芸大学名誉教授、文化功労者、一般社団法人日本写真著作権協会会長。位階勲等は従三位勲三等。 サンニュース・フォトス、サン通信社での勤務を経てフリーランスとなり、東京工芸大学芸術学部教授、社団法人日本写真家協会会長(第5代)などを歴任した。 東京府出身の写真家である。サンニュース・フォトスに入社するも、倒産にともないサン通信社に移籍し、その後フリーランスとなった。主に世界の現状、子供達の姿を撮影する。なお、『芸術新潮』やアメリカ赤十字社においては嘱託として活動し、『ライフ』では契約写真家として活動した。
斎藤 耕一(さいとう こういち、1929年2月3日 - 20… 斎藤 耕一(さいとう こういち、1929年2月3日 - 2009年11月28日)は、日本の映画監督、写真家、スチルカメラマン。 東京府八王子市に生まれる。立教大学中退後、東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)に入学する。卒業後、1949年、太泉映画(現・東映東京撮影所)にスチルカメラマンとして入社し、今井正の『ひめゆりの塔』で「キネマ旬報スチールコンテスト」で1位入賞する。 1954年、日活に引き抜かれ、中平康、今村昌平、市川崑など多くの作品のスチルを担当した。その他には中平康の『月曜日のユカ』などの脚本も手がけている。 しかし次第に自身のイメージと作品とのあまりのずれに失望し、1967年、私財を投じて「斎藤プロダクション」を設立する。
岡村 昭彦(おかむら あきひこ、1929年〈昭和4年〉1月1… 岡村 昭彦(おかむら あきひこ、1929年〈昭和4年〉1月1日 - 1985年〈昭和60年〉3月24日)は、日本の写真家、ジャーナリスト。ベトナム戦争を撮影した報道写真で知られる。 東京府出身。大日本帝国海軍参謀の岡村於菟彦の長男として生まれる。父方の曾祖父に明治天皇侍従の堤正誼、父方の祖父に大審院判事・弁護士・中央大学学長の岡村輝彦がおり、母方の曾祖父に日本赤十字社創設者で伯爵の佐野常民、母方の祖父に海軍少将で子爵の田村丕顕がいる。父のいとこに二・二六事件判決後に後追い自殺した海軍少佐堤正之、伯父(父の姉の夫)に医学者緒方知三郎、弟に、後の俳優岡村春彦がいる。 学習院初等科から学習院中等科に進むが退学。
竹村嘉夫(たけむら よしお、1925年4月29日 - )は、… 竹村嘉夫(たけむら よしお、1925年4月29日 - )は、日本の写真家。 東京出身。1943年3月、旧制豊山中学を卒業。その後、水産講習所(現東京海洋大学)に入学・卒業。農林省水産試験所に勤務するかたわら、1978年佐々木崑らと自然科学写真協会(のち、日本自然科学写真協会となる)を創立して理事長となる。1982年退官し、1983年自然科学写真センターを設立。
大辻 清司(おおつじ きよじ、1923年7月27日 - 20… 大辻 清司(おおつじ きよじ、1923年7月27日 - 2001年12月19日)は、日本の写真家、教育者。 東京府南葛飾郡大島町(現・東京都江東区大島)の機械技師の家に生まれる。東京府立第七中学校(現・東京都立墨田川高等学校)を経て、1942年に東京写真専門学校(現・東京工芸大学)に入学。在学中の1943年に学徒出陣により陸軍に応召され、終戦を迎える。(終戦後、東京写真専門学校から1944年9月卒業の認定を受けた)復員後、写真スタジオでの仕事、雑誌(『家庭文化』など)のための写真など、主として商業写真の分野で活躍。 1949年以降、東京美術文化展に出品する(1952年まで)。その後、実験工房(1953年)やグラフィック集団(1953年)に参加。
前田 真三(まえだ しんぞう、1922年6月3日 - 199… 前田 真三(まえだ しんぞう、1922年6月3日 - 1998年11月21日)は、日本の写真家。上高地、奥三河、富良野(北海道美瑛町・上富良野町)などにおいて風景写真や山岳写真を多数撮影し、「色彩の魔術師」と呼ばれた。 長男は写真家の前田晃で、父親が設立した写真事務所「丹渓」を継いでいる。 前田真三が写真活動のために1967年(昭和42年)に設立した会社の社名「丹渓」は、前田真三と南アルプスにある「丹渓山荘」(長野県伊那市)との親交から付けられたとされる。この社名から、前田真三の作風を「丹渓調」と呼ぶことがある。「風景写真は出合いの瞬間が大切」を持論としている。風景を撮影する際に、とかく一カ所に留まって天候や光線の状態が良くなる時を待ちながらシャッターチャンスをうかがうという消極的な姿勢になりがちなことに対し、前田真三の場合は、風景に出合った瞬間に手際よく写してゆくという、積極的に風景を求めてゆく姿勢で取り組んでいる。
笹本 恒子(ささもと つねこ、1914年9月1日 - 202… 笹本 恒子(ささもと つねこ、1914年9月1日 - 2022年8月15日)は、日本の写真家。一般に「女性報道写真家第一号」とされる。肖像写真も得意とする。 従来は1918年(9月1日)生まれとする文献があったが(例えば、下記「参考文献」欄記載の「日本写真家事典」)、2011年に刊行された「好奇心ガール、いま97歳」(下記「著書」を参照)により1914年生まれであることが明確にされた。 東京府荏原郡大崎町(現在の東京都品川区上大崎)生まれ。順心高等女学校卒業後、大妻技芸学校高等家政科に通うも、絵の勉強に専念したかったため中退。その後、父親には内緒で絵の研究所と洋裁学校に通った。 戦前、女性報道写真家がいなかった頃に東京日日新聞(現在の毎日新聞)の挿絵のアルバイト(社会面のカット)として活躍後、東京日日新聞・社会部長の小坂新夫(笹本が子供のころ、笹本家の離れを借りて住んでいた)にすすめられ、(1939年に仮入社し、母親の病気を理由とする10か月の休職ののち、1940年(昭和15年)4月に)財団法人・写真協会(新聞記者・写真家の林謙一らを中心に設立された内閣情報部による国策機関。
桑原 甲子雄(くわばら きねお、1913年〈大正2年〉12月… 桑原 甲子雄(くわばら きねお、1913年〈大正2年〉12月9日 - 2007年〈平成19年〉12月10日)は、日本の写真家、写真評論家、編集者。 東京府東京市下谷車坂町(現東京都台東区東上野)に生まれる。濱谷浩とは幼なじみ。1926年に東京市立第二中学校(現都立上野高校)入学。1931年の卒業後、体をこわし進学を断念。家業の質屋を手伝うが商売が厭わしく、同じ町内に住んでいた濱谷の影響もあって、中古のベスト・ポケット・コダックを手に入れ写真を撮りはじめる。1934年にはライカI(C)型をフォーディス距離計付きで父親に200円で買ってもらい、アマチュア写真家として活発に活動を始め、1934年のうちに浅沼商会発行の写真雑誌『写真新報』主催、シュミット商会協賛のライカ作品公募コンクール第2回の特賞を獲得している。
杉山 吉良(すぎやま きら、本名すぎやま よしろう(漢字同じ… 杉山 吉良(すぎやま きら、本名すぎやま よしろう(漢字同じ)、1910年10月17日-1988年12月12日)は、日本の写真家。報道写真およびヌード写真に長ける。 1923年、早稲田中学在学中に関東大震災にあい、その後中学を中退。 映画のカメラマンとして出発し、1934年に写真家に転身。 1934年に創刊された雑誌『NIPPON (グラフ誌)』にも作品が掲載された(日本工房に所属していたわけではない)。 1938年7月に、土門拳、藤本四八、濱谷浩、田村茂、林忠彦、光墨弘、加藤恭平 (写真家)、梅本忠男らとともに青年報道写真研究会を設立し、活躍した。例えば、1939年4月30日から10月31日まで開催されたニューヨーク万国博覧会(前期)の国際館カヴァードスペース日本部に展示された写真壁画4つのうちの1つ「躍進日本」には、同会の土門拳、若松不二夫、山川益男、溝口宗博とともに杉山吉良の写真作品も使用された。
田淵 行男(たぶち ゆきお、1905年6月4日 - 1989… 田淵 行男(たぶち ゆきお、1905年6月4日 - 1989年5月30日)は、山岳写真家。高山蝶研究家。 「すべての昆虫少年にとってのヒーロー」。 鳥取県日野郡黒坂村(現日野町)に父吉弥、母阿又の次男(第四子)として誕生。 1909年 9月2日、母阿又、死去。1911年 3月、父吉弥、溝口町分署長になる。4月、行男、日野郡溝口尋常小学校入学。5月31日、父吉弥、足立よしと再婚。 1918年 3月、岩美郡岩美尋常小学校卒業。4月、境高等小学校入学。5月21日、父吉弥死去。その後、継母よしが実家に帰り、6月、台湾の台北市に住む実母の親戚一家に預けられる。 1919年 継母よし死去。叔母スイらと共に台湾から帰国し、東京滝野川に居住。
木村 伊兵衛(きむら いへい、1901年12月12日 - 1… 木村 伊兵衛(きむら いへい、1901年12月12日 - 1974年5月31日)は、20世紀に活動した日本の写真家。戦前・戦後を通じて活動した日本を代表する著名な写真家の一人。 報道・宣伝写真やストリートスナップ、ポートレート、舞台写真などさまざまなジャンルにおいて数多くの傑作を残している。特に同時代を生きた写真家、土門拳とはリアリズム写真において双璧をなす。 ことさらにテーマを強調するのではない、演出のない自然な写真を撮ることで知られ、こよなく愛したライカを使ったスナップショットにおいては、生まれ育った東京の下町や銀座周辺とそこに生きる人々の日常を、自然な形で切り取っている。こうした作風により、木村はフランスの世界的なスナップ写真の名手・アンリ・カルティエ=ブレッソンになぞらえられ"和製ブレッソン"と言われた。
恩地 孝四郎(おんち こうしろう、1891年(明治24年)7… 恩地 孝四郎(おんち こうしろう、1891年(明治24年)7月2日 - 1955年(昭和30年)6月3日)は、東京府南豊島郡淀橋町出身の版画家・装幀家・写真家・詩人。長女は児童文学翻訳家の恩地三保子。 創作版画の先駆者のひとりであり、日本の抽象絵画の創始者とされている。前衛的な表現を用いて、日本において版画というジャンルを芸術として認知させるに至った功績は高く評価されている。 木版画、装幀、写真など様々な分野で活躍した。版画においては、抽象絵画の創始者であるワシリー・カンディンスキーらの影響を受け、日本における最初期の抽象版画作品を制作している。大正期には具象・非具象問わず数々の版画の名作を生みだしたが、第二次世界大戦後はもっぱら抽象版画に傾倒し、葉や紐、木片などを用いる手法(マルチブロック)も編み出した。
設楽茂男(しだら しげお)は、日本の写真家。東京都出身。 大… 設楽茂男(しだら しげお)は、日本の写真家。東京都出身。 大山千賀子に師事し1988年に独立、ファッション写真を中心に活躍している。ボン・イマージュ所属後、1994年に設楽茂男事務所設立。
迫川 尚子(さこかわ なおこ)は、種子島生まれの写真家。新宿… 迫川 尚子(さこかわ なおこ)は、種子島生まれの写真家。新宿駅東口ルミネエスト地階にあるパブ兼カフェ、 ビア&カフェBERGの共同経営者であり、同店で副店長を務める。本人はベルクが本業であるとしている。写真家としての代表作は『日計り』(ひばかり)。 鹿児島県の種子島生まれ。名古屋、熱海、東京など親の転勤によって各地に移り住んだ経験を持つ。小学生時代からのココ・シャネルへの憧れから、人間の体や立体の造形を学ぶため女子美術大学短期大学部造形科衣服デザイン教室を卒業。その後テキスタイルデザイナーとして子供服製造会社で約4年働いた頃、田島征三の絵本『しばてん』(偕成社、1971年)、長谷川集平の代表作とされる絵本『はせがわくんきらいや』(すばる書房、1976年)に出会い、絵本出版社へ転職を決めた。
江口 善通(えぐち ぜんつう)は、日本の写真家。東京都出身。… 江口 善通(えぐち ぜんつう)は、日本の写真家。東京都出身。国外およびメディアなどにおいては「Zentsu Eguchi」(ゼンツウ・エグチ)としても活動。 東京都出身。文化服装学院ファッションデザイン工科卒業、イッセイ・ミヤケデザインスタジオを経て独立。その後「SOPHISTICATE WORKS」を設立しファッションデザイナーとして活動。1997年写真家へ転身。「Zentsu Eguchi Creative Studio AZUR」を設立。自身のフィールドワークとして主にCDジャケットや企業 ポスター、カレンダー、CM映像などその独特な感性で幅広い映像分野にて活動している。ライフワークとして、「水の世界」を独特の感性で表現した「WATER WORLD」や幻想的で妖艶な「花の世界」を表現した「FLOWER MAGIC」など。