清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月… 清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月29日 - 2006年(平成18年)6月3日)は、日本の詩人、小説家、評論家、法政大学名誉教授。位階は従四位。 関東州の大連生れ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。また、長らく、法政大学教授として新入生などにフランス語の基礎を、さらに、萩原朔太郎作品などをテキストに、人文特別講義を担当し、学部や専攻にかかわらず多くの学生を指導した。1996年に日本芸術院会員。 妻は作家の岩阪恵子(いわさか けいこ、本名 清岡惠子)。前妻の息子清岡智比古は、フランス語学者で明治大学理工学部教授。創作活動も行っている。 ロシア・日本の租借地であった大連で、生まれてから敗戦による本土引き揚げまでの20数年間(内地での一高、東大在学時を途中に挟む)を過ごす。
鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月… 鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)は、日本の哲学者・評論家・政治運動家・大衆文化研究者。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。 米国ハーバード大学で哲学を学んだのち、リベラルな立場の批評で論壇を牽引。思想史から大衆文化まで幅広い分野を扱う。著書は『戦時期日本の精神史』(1982年)、『アメリカ哲学』(2008年)など多数。 1922年6月25日、東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)で、父・祐輔と母・愛子(後藤新平の娘)の間に、4人きょうだいの2番目(長男)として生まれる。
林 英作(はやし えいさく、1922年〈大正11年〉6月16… 林 英作(はやし えいさく、1922年〈大正11年〉6月16日 - 2003年〈平成15年〉6月24日)は、日本の薬学者(有機化学)。勲等は勲三等。学位は薬学博士(東京大学・1951年)。静岡薬科大学名誉教授、社団法人日本薬学会有功会員。 東京帝国大学医学部助手、東京大学医学部助手、静岡薬科大学薬学部教授、静岡薬科大学附属図書館館長などを歴任した。 東京府出身の有機化学を専攻する薬学者である。含窒素芳香族複素環式化合物の研究に従事し、特に芳香族ジアジン類の研究で知られている。東京帝国大学、東京大学、静岡薬科大学、といった教育・研究機関で教鞭を執った。 1922年(大正11年)6月16日、東京府にて生まれた。
岩﨑 英二郎(いわさき えいじろう、1922年4月29日 -… 岩﨑 英二郎(いわさき えいじろう、1922年4月29日 - )は、日本のドイツ語学者で、慶應義塾大学名誉教授。専門は、ドイツ語の不変化詞の研究。
安倍 北夫(あべ きたお、1922年3月3日 - 2013年… 安倍 北夫(あべ きたお、1922年3月3日 - 2013年8月6日)は、日本の社会心理学者。東京外国語大学名誉教授。 青森県生まれ。旧制東京高等学校を経て、東京帝国大学文学部心理学科を卒業。東京外国語大学助教授、1964年教授。1985年定年退官、名誉教授。早稲田大学文学部教授、聖学院大学政治経済学部政治経済学科教授を経て1994年から1999年まで聖学院大学学長。地震・火事などに当たっての災害心理学を提唱した。2013年8月6日死去、91歳没。 1998年4月 勲三等旭日中綬章を受章
頼 惟勤(らい つとむ、1922年〈大正11年〉2月2日 -… 頼 惟勤(らい つとむ、1922年〈大正11年〉2月2日 - 1999年〈平成11年〉7月15日)は、日本の中国学者。お茶の水女子大学名誉教授。頼聿庵の末裔。 東京府生まれ。父は東京高等学校教授の頼成一で、惟勤は頼山陽の6代目の子孫(山陽の子・聿庵の末裔)。1939年(昭和14年)(旧制)私立武蔵高等学校卒業後、1943年(昭和18年)学徒出陣で、東京帝国大学文学部支那哲学支那文学科を繰り上げ卒業し出征。1944年(昭和19年)、海軍少尉。1945年(昭和20年)、中尉。 復員後は、倉石武四郎の世話で京都帝国大学教務嘱託。1949年(昭和24年)、東京大学文学部副手。1952年(昭和27年)、お茶の水女子大学専任講師、のち1959年(昭和34年)に助教授、1964年(昭和39年)に教授。
森永 晴彦(もりなが はるひこ、1922年 - )は、日本の… 森永 晴彦(もりなが はるひこ、1922年 - )は、日本の原子核物理学者である。
穂積 重行(ほづみ しげゆき、1921年12月11日 - 2… 穂積 重行(ほづみ しげゆき、1921年12月11日 - 2014年11月3日)は、日本の西洋史学者。
渡辺 洋三(わたなべ ようぞう、1921年11月21日 - … 渡辺 洋三(わたなべ ようぞう、1921年11月21日 - 2006年11月8日)は、日本の法学者。東京大学名誉教授、元帝京大学教授。専門は法社会学、民法学、憲法学。
尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )… 尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )は、日本のアメリカ文学者、京都大学名誉教授。 東京出身。(旧制)東京高等学校卒、1942年京都帝国大学文学部英文科入学、徴兵で従軍し中国大陸に転戦、復員ののち僧籍をもち1947年卒業、大学院在籍、1948年京大附属医学専門部教授、1951年大阪女子大学助教授、1965年京大教養部助教授、教授、1982年名誉教授、奈良女子大学教授、1984年佛教大学教授、92年退職。弟の尾形克彦 (1924 - ) は工学者、米国ミネソタ大学教授。長男・尾形充彦(あつひこ、1954 - )は宮内庁技官正倉院勤務。
服部 銈二郎(はっとり けいじろう、大正10年(1921年)… 服部 銈二郎(はっとり けいじろう、大正10年(1921年)7月3日 - 平成25年(2013年)6月9日)は、日本の地理学者。専門は、都市地理学、地誌学、アーバン・アメニティ論。立正大学名誉教授。日本地理学会名誉会員、日本都市学会顧問、アーバン・アメニティ研究所所長。 大正10年(1921年)7月3日、東京府東京市牛込区に生まれた。間もなく南足立郡千住町に移り、千住町立千寿第一小学校(足立区立千寿本町小学校に統合)に入学した。短歌を趣味とする母の旅行に年数回連れられる内、自身も旅行好きとなり、高学年には一人で日本各地を旅行するようになった。 東京府立第七中学校(東京都立墨田川高等学校)在学中、校友会雑誌に「奥羽地方の交通」「伊豆半島西海岸をめぐりて」を発表した。
岡 義達(おか よしさと、1921年5月28日 - 1999… 岡 義達(おか よしさと、1921年5月28日 - 1999年6月2日)は、日本の政治学者。専門は、政治学。東京大学名誉教授。 東京都生まれ。旧制府立高等学校、1946年東京帝国大学法学部政治学科卒業。1951年同大学院特別研究生中退。堀豊彦に師事。一橋大学社会学部助教授(1954-1964年)、東京大学法学部教授(1964-1982年)、大東文化大学法学部教授(1982-94年)を歴任。1999年、食道癌のため死去。
滋賀 秀三(しが しゅうぞう、1921年〈大正10年〉5月1… 滋賀 秀三(しが しゅうぞう、1921年〈大正10年〉5月1日 - 2008年〈平成20年〉2月25日)は、日本の法学者(東洋法制史)。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 1921年、山口県岩国町で生まれた。東京で育ち、旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学法学部に入学。中国法制史を専攻し、石井良助に師事。1943年に法学部を卒業した。卒業後は、戦時下であったが大学院特別研究生に採用された。 1948年、東京大学法学部助教授に就任し、東洋法制史の授業を担当。1959年に同教授に昇格。1962年、学位論文『中国家族法の原理』を東京大学に提出して法学博士号を取得。1969年『中国家族法の原理』(1967年)で日本学士院賞受賞。
山崎 升(やまざき のぼる、1921年(大正10年)3月31… 山崎 升(やまざき のぼる、1921年(大正10年)3月31日 - )は日本の化学者(高分子工学)。工学博士。東京工業大学名誉教授。東京市赤坂区青山北町(現東京都港区北青山)で誕生。名前の英文表記: Noboru Yamazaki
力武 常次(りきたけ つねじ、1921年3月30日 - 20… 力武 常次(りきたけ つねじ、1921年3月30日 - 2004年8月22日)は、日本の地球物理学者。東京大学名誉教授、東京工業大学名誉教授。理学博士。
安藤 英治(あんどう ひではる、1921年3月3日 - 19… 安藤 英治(あんどう ひではる、1921年3月3日 - 1998年12月17日)は、日本の社会学者。成蹊大学名誉教授。マックス・ヴェーバーの研究者であった。東京出身。 社会思想史面や人物としてのヴェーバー研究を行った。また剣道家で、成蹊大学剣道部の顧問を務めた。ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄訳、岩波文庫)精読を、竹刀の素振りにも喩えている(なお晩年接した弟子によると、読み潰し3冊目を買い直していた)[要出典]。ゼミの指導学生に杉原哲彦(元東亜大学教授)などがいる。
井上 信也(いのうえ しんや、ラテン文字: Shinya I… 井上 信也(いのうえ しんや、ラテン文字: Shinya Inoué、1921年1月5日 - 2019年9月30日)は、日本出身の生物学者、顕微鏡学者。アメリカ合衆国国籍。駐ハンガリー公使井上庚二郎の長男としてイギリス・ロンドンで出生。末妹はピアニストの井上二葉。 細胞生物学における偏光顕微鏡、ビデオ顕微鏡の開祖とされ、著書「Video Microscopy」は、顕微鏡学者必携の名著である。井上以前には存在を疑問視すらされた紡錘体を直接観察することにより、その存在を最終的に証明し、長年にわたる論争に終止符を打った。また、レクチファイ偏光光学系など、偏光顕微鏡をはじめ各種の顕微鏡の革命的な技術を発明・開発してきた。
伴義雄(ばん よしお、 1921年 - 1994年)は、日本… 伴義雄(ばん よしお、 1921年 - 1994年)は、日本の薬学者。アルカロイドの合成者。北海道大学総長。
井上 勝也(いのうえ かつや、1920年10月9日 - )は… 井上 勝也(いのうえ かつや、1920年10月9日 - )は、日本の化学者、千葉大学名誉教授。 東京生まれ。1943年東京帝国大学理学部化学科卒業、工業技術院資源環境技術総合研究所、1948年燃料研究所(公害資源研究所)、1954年「石炭のレオロジー的研究」で東京大学理学博士。1959年八幡製鉄(新日本製鉄)先端技術研究所、1967年千葉大学理学部教授、84年定年退官、名誉教授、神奈川大学理学部教授、91年退職。
霜田 光一(しもだ こういち、1920年〈大正9年〉10月5… 霜田 光一(しもだ こういち、1920年〈大正9年〉10月5日 - 2023年〈令和5年〉5月29日)は、日本の物理学者。理学博士。東京大学名誉教授。理化学研究所名誉研究員。日本学士院会員(第2部第5分科)。位階は正四位。文化功労者。勲二等瑞宝章受章者。 埼玉県北足立郡浦和町(現・さいたま市)出身。明星学園小学部、明星学園中学部、旧制武蔵高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学理学部物理学科卒業。 東京大学理学部教授、理化学研究所主任研究員、慶應義塾大学理工学部教授、レーザー学会会長、日本物理教育学会会長を歴任。専門はレーザー分光(laser spectroscopy)、量子エレクトロニクス、物理教育。
山下 肇(やました はじめ、1920年5月2日 - 2008… 山下 肇(やました はじめ、1920年5月2日 - 2008年10月6日)は、日本のドイツ文学者、東京大学教養学部名誉教授。 現在の東京都目黒区下目黒に生まれる[要出典]。幼少期に時習学館で戸田城聖の教えを受ける。府立高等学校在学中、学生歌『青春という』を作詞した。[要出典]1942年9月に東京帝国大学文学部独文科を繰り上げ卒業し、陸軍に[要出典]入隊して出征した。 第二次世界大戦後に軍隊から復員し、旧制浦和高等学校教授ののち、1950年東京大学教養学部ドイツ語助教授となる。のち教授に昇進し、1969年から評議員に就任して、1971年 - 1972年には教養学部長を務めた。1981年に定年退官して、名誉教授となる。
細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011… 細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011年9月21日)は、日本の国際政治学者。一橋大学名誉教授、国際大学名誉教授、日本学士院会員、英国学士院客員会員、元日本国際政治学会理事長。専門は外交史。ちなみに、国際政治学者の細谷雄一との血縁関係はない。
猿橋 勝子(さるはし かつこ、1920年3月22日 - 20… 猿橋 勝子(さるはし かつこ、1920年3月22日 - 2007年9月29日)は、日本の地球科学者である。専門は地球化学。海洋放射能の研究などで評価された。東邦大学理事・客員教授を歴任。東京生まれ。 東京府立第六高等女学校(現・東京都立三田高等学校)を経て、帝国女子理学専門学校(現・東邦大学理学部)を卒業。中央気象台研究部(現・気象庁気象研究所)で三宅泰雄の指導を受けた。1954年のビキニ事件におけるいわゆる「死の灰」による大気・海洋汚染の研究以後、三宅と大気及び海洋の放射能汚染の調査研究を行い評価された。その研究成果は1963年の部分的核実験禁止条約成立に繋がった。 1957年、東京大学理学博士「天然水中の炭酸物質の行動について」。
久保 亮五(くぼ りょうご、1920年2月15日 - 199… 久保 亮五(くぼ りょうご、1920年2月15日 - 1995年3月31日)は、日本の物理学者。東京大学、京都大学、慶應義塾大学教授。全米科学アカデミー、フランス科学アカデミー名誉会員。線形応答理論で知られる。 統計物理学、物性物理学の分野で国際的に知られた。 1920年、東京府駒込で中国文学者の久保天随の5人目の子供(4男)として2月15日に誕生。1931年、父・天随が台北帝国大学教授に就任したため、一家は台湾の台北市に移った。翌1932年、台北高等学校尋常科に入学。しかし、1934年に父が死去したことにともない、駒込に戻る。東京府立第五中学校に編入して中学校を4年で修了し、1936年に第一高等学校 (旧制)理科甲類に入学。
渡辺 正雄(わたなべ まさお、1920年1月7日 -2005… 渡辺 正雄(わたなべ まさお、1920年1月7日 -2005年5月4日)は、日本の科学史家、東京大学名誉教授。 専門は科学文化史、日英科学交流史、キリスト教と科学など。弟子に榎本恵美子や小川真里子。 東京出身。私立武蔵高校卒。東京帝国大学卒。1961年「一七八〇-一八五〇年期の英国に於ける熱理論の発展」で東京教育大学文学博士。1962年「熱運動論発展の過程」で東京大学理学博士。東京女子大学助教授、中央大学教授、1968年東京大学教養学部教授、1980年定年退官、名誉教授、新潟大学教授、東京電機大学教授、国際基督教大学教授。1993年、勲三等旭日中綬章受章。 『科学史フォーラム』第8号、2005年10月5日
小川 政亮(おがわ まさあき、1920年1月 - 2017年… 小川 政亮(おがわ まさあき、1920年1月 - 2017年5月7日)は、日本の法学者、日本社会事業大学名誉教授。専攻は社会保障法。 東京出身。1939年に武蔵高等学校高等科を卒業し、東京帝国大学法学部法律学科に入学。在学中、東京市内外の軍事扶助受給者や少年労働者への訪問調査を行い、彼らの生活実態や意識に触れた。1941年(昭和16年)に大学を繰り上げ卒業した。卒業前に徴兵検査を受け、第二種乙種合格となり、1942年(昭和17年)2月1日に近衛歩兵第2連隊に配属された後、幹部候補生として前橋陸軍予備士官学校に入った。ふたたび近衛歩兵に戻り、1945年(昭和20年)4月に伊勢警備隊に転属して終戦を迎えた。
鈴木一郎(すずき いちろう、1920年 - 2006年)は、… 鈴木一郎(すずき いちろう、1920年 - 2006年)は、西洋古典学者。アメリカのサンフランシスコで生まれる。 東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)および青山学院専門部を経て、1945年東北帝国大学法文学部哲学科卒業、1948年東北大学特別大学院第一期修了。1948‐1963年青山学院大学文学部助教授、1949年ボストン大学、スイスのフリブール大学に留学、ボストン大学修士。1956年帰国。1963年国際文化振興会(KBS、現:国際交流基金)事業部長、1972年組織変更に伴い国際交流基金に移籍、企画室長、資料部長等を歴任。1979年津田塾大学教授、1988年‐1993年恵泉女学園大学教授および図書館長、財団法人学会誌刊行センター監事。
鵜澤 義行(うざわ よしゆき、1920年 - 2012年4月… 鵜澤 義行(うざわ よしゆき、1920年 - 2012年4月21日)は、日本の政治学者、日本大学名誉教授。 東京都生まれ。1938年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一中学校・日本大学第一高等学校)卒。1938年、日本大学第一高等学院(予科文科)入学。1942年、日大法文学部法律学科卒。1948年、同講師、1953年、同法学部助教授、1958年、教授。1973年、「幕末政治思想の史的展開」で日大法学博士。1978年、日大副総長。1980年、日本大学第一学園8代同窓会長。1990年、定年退任、名誉教授。1994年、勲三等旭日中綬章受章。
霜山 徳爾(しもやま とくじ、1919年7月5日 - 200… 霜山 徳爾(しもやま とくじ、1919年7月5日 - 2009年10月7日)は、日本の臨床心理学者。上智大学文学部名誉教授。 東京生まれ。成蹊小学校、旧制・成蹊高等学校(文科乙類)卒業。東京大学文学部心理学科卒。ボン大学留学 (Ph.D.を取得)。 ヴィクトール・フランクル『夜と霧』(みすず書房、1956年)の訳者として著名。自身もフランクルの友人であった。 父は元大審院長で最高裁判事も歴任した霜山精一。妻・操子は元経団連会長石坂泰三の二女。 老衰のため2009年10月7日午前9時42分、東京都内で死去。
奈良林 祥(ならばやし やすし、1919年(大正8年)4月2… 奈良林 祥(ならばやし やすし、1919年(大正8年)4月22日-2002年(平成14年)9月12日)は、日本の医学者・医学博士。性の研究者。東京生まれ。
大和 英成(やまと ひでしげ、1919年2月8日 - 197… 大和 英成(やまと ひでしげ、1919年2月8日 - 1973年5月30日)は、日本の地理学者。理学博士(東京大学・1959年)(学位論文『低湿地の農業地理学的研究』)。駒澤大学教授等を歴任。 東京都出身。1936年東京府立八中(現・都立小山台高校)、1940年 駒澤大学専門部歴史地理科卒業。日本学園、都立武蔵丘高校で教鞭をとる。1948年 東京外国語専門学校専修科独語科卒業。1951年 法政大学文学部(旧制)地理歴史学科卒業。1951年 駒澤大学文学部兼任講師。1955年 東京大学大学院数物系研究科修士課程を修了し、駒澤大学専任講師。1958年 東京大学大学院博士課程修了し、駒澤大学文学部助教授。
西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひ… 西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひさ)、1919年(大正8年)1月9日 - 2000年(平成12年)7月19日)は、日本の作詞家、元日本作詩家協会会長、文学博士。 東京府出身。1954年(昭和29年)から日本コロムビアの専属となり、島倉千代子「からたち日記」、「恋しているんだもん」「星空に両手を」、美空ひばり「ひばりの佐渡情話」、「波止場だよ、お父つぁん」、水原弘「女の爪あと」、小林旭「さすらい」、舟木一夫「学園広場」など数々のヒット曲を世に送り、戦後の大衆音楽に多大な影響を与えた。 1974年(昭和49年)、休筆を宣言し、作詞活動の第一線から身を引く。その後、中世以降の歌謡曲研究に専念し、「日本近代歌謡史」、「雑学歌謡昭和史」などを著した。
斎藤 平蔵(さいとう へいぞう、1919年 - 2005年)… 斎藤 平蔵(さいとう へいぞう、1919年 - 2005年)は、日本の建築環境学者。東京大学工学部教授、東京理科大学理工学部教授を歴任。工博。 著書に『建築気候』 (大学講座建築学環境編 1、共立出版)『都市環境と人間』『建築設備の実務Ⅰ』(現代建設実務大系、監修)など。受賞は空気調和・衛生工学会学会賞 論文賞、日本建築学会賞大賞受賞など。
平井 信義(ひらい のぶよし、1919年 - 2006年7月… 平井 信義(ひらい のぶよし、1919年 - 2006年7月7日)は、日本の児童心理学者・文筆家・医師。大妻女子大学名誉教授。 東京生まれ。1941年 (昭和16年) 東京帝国大学文学部独文科卒。1944年 (昭和19年) 東北帝国大学医学部卒。1957年 (昭和32年) 名古屋大学より医学博士の学位を取得。 小児科医、母子愛育会愛育研究所所員、お茶の水女子大学教授、1970年 (昭和45年) 定年退官、大妻女子大学教授(児童学)、1990年(平成2年)退任、名誉教授。 ウィーン大学でハンス・アスペルガーに学び、自閉症を研究した。『「心の基地」はおかあさん』が140万部のベストセラーとなったほか、多数の著書を著した。
鵜澤 昌和(うざわ まさかず、1918年(大正7年)11月2… 鵜澤 昌和(うざわ まさかず、1918年(大正7年)11月24日 - 2019年(平成31年)2月4日)は、日本の経営学者。青山学院大学名誉教授。専門分野は、経営情報システム、コンピューター応用、オフィスオートメーション。 青山学院大学学長、東京家政学院大学学長、日本ファシリティマネジメント推進協会会長、日本セキュリティ・マネジメント学会会長等を歴任し、藍綬褒章、勲三等旭日中綬章を受章した。 東京都生まれ。旧制明治中学校(現明治大学付属明治高等学校)在学中、同校校長を務めていた父鵜澤總明(明治大学総長)が通っていた富士見町教会で洗礼を受ける。1936年に明治中学を卒業し、旧制東京商科大学(現一橋大学)予科に進学。
林 知己夫(はやし ちきお、1918年6月7日 - 2002… 林 知己夫(はやし ちきお、1918年6月7日 - 2002年8月6日)は、日本の統計学者。正四位勲二等理学博士。
山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1918年6月5日 - 20… 山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1918年6月5日 - 2019年1月31日)は、英文学者、実践女子大学名誉教授。 東京で童話作家・横山寿篤、横山美智子の長女として生まれる。1936年3月に女子学院卒業、1940年3月に東京女子大学英文科卒業、1942年3月に早稲田大学英文科業卒。早稲田大学文学部大学院に1年間在籍。1944年4月に啓明学園女学校で英語教師になった後の同年10月から1947年4月まで朝日新聞東京本社に勤める。英国文化振興会の奨学金を利用して1952年7月から1953年10月までリヴァプール大学大学院に留学。 1954年4月、東京女子大学講師。 1957年4月、女子美術大学講師。 1958年4月、実践女子学園短期大学講師。
鳥居 鉄也(とりい てつや、1918年(大正7年)5月14日… 鳥居 鉄也(とりい てつや、1918年(大正7年)5月14日 - 2008年(平成20年)10月16日)は、日本の地球化学者、冒険家。日本における南極調査・研究の第一人者。理学博士。ソ連科学アカデミー南極大陸発見150周年メダル、南極観測20周年文部大臣表彰などを受賞。日本極地研究振興会理事長、千葉工業大学教授などを歴任。
神島 二郎(かみしま じろう、1918年4月18日 - 19… 神島 二郎(かみしま じろう、1918年4月18日 - 1998年4月5日)は、日本の政治学者。専門は日本政治思想史。立教大学名誉教授。 東京市四谷区四谷左門町(現・東京都新宿区左門町)生まれる。砧小学校、国士舘中学校を卒業。 1942年に第一高等学校文科乙類を卒業後、東京帝国大学法学部政治学科に入学するが、1943年4月から12月にかけて東部第六部隊に所属。1944年1月から8月まで仙台予備士官学校に配属され、1944年12月から1945年9月までフィリピン方面軍特別情報部。 1946年1月に復員。1947年に東京大学(旧制)法学部を卒業後、大学院特別研究生となる(1949年に修了)。 1950年に国立国会図書館嘱託、主事、調査員。
岡本 歌子(おかもと うたこ、1918年(大正7年)4月1日… 岡本 歌子(おかもと うたこ、1918年(大正7年)4月1日 - 2016年(平成28年)4月21日)は、日本の医学者。止血剤:ε-アミノカプロン酸とトラネキサム酸の開発者の1人。
村山 雅美(むらやま まさよし、1918年3月28日 - 2… 村山 雅美(むらやま まさよし、1918年3月28日 - 2006年11月5日)は、元南極観測隊隊長で国立極地研究所名誉教授。
須之部 量三(すのべ りょうぞう、1918年2月15日 - … 須之部 量三(すのべ りょうぞう、1918年2月15日 - 2006年2月14日)は、日本の外交官・外務事務次官・杏林大学名誉教授。東京府出身。 旧制浦和中学(浦和高校)、旧制静岡高校文科甲類(静岡大学)を経て、東京帝国大学法学部卒業。 1941年12月、外務省に入省。1950年ガリオア基金にて米国留学。経済局第四課長(イギリス連邦担当)、1955年在連合王国大使館一等書記官、1958年大臣官房人事課長、1961年条約局外務参事官、1964年在ソ連大使館参事官、1966年駐米公使、1968年外務省アジア局長。駐オランダ大使、駐インドネシア大使、駐韓国大使を経て、1981年に外務事務次官に就任した。
岡田 利弘(おかだ としひろ、1918年 - 2003年)は… 岡田 利弘(おかだ としひろ、1918年 - 2003年)は、日本の物理学者。東京府生まれ。
田辺 健一、田邊 健一(たなべ けんいち、1917年12月1… 田辺 健一、田邊 健一(たなべ けんいち、1917年12月10日 - 1985年10月7日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学、特に都市地理学。宮城教育大学名誉教授、東北大学名誉教授。 東京神田生まれ。旧制東京府立五中から旧制浦和高等学校(現埼玉大学)に進学。卒業後東京帝国大学理学部に進んだ。 学生時代に、木内信蔵が主導して行なわれた東京市四谷谷町小住宅密集地区の学際的調査に参加したことを機に、都市地理学研究者として注目され、後には「木内門下生きっての都市地理学者」と評されるに至った。 1944年1月17日旧姓小石弘子と結婚。仙台に疎開する。 1945年に長男の好美(よしはる)、1950年に長女のさつきをもうける。
小林 胖(こばやし ゆたか、1917年11月17日 - 19… 小林 胖(こばやし ゆたか、1917年11月17日 - 1980年8月11日)は、日本の図書館情報学者。名前は「ばん」とも呼ばれた。 1917年 (大正6年) 11月17日東京に生まれる。漢籍に凝っていた父親が四書五経から「胖」という字を選び名付けた。1930年 (昭和5年) 、戸山小学校卒業後、武蔵高等学校尋常科へ入学、同高等科へ進み1939年卒業。同年東京帝国大学理学部化学科へ入学し、1941年12月卒業した。 1942年、三井化学工業株式会社研究員となるが、在職のまま兵役徴集に応じ、陸軍工兵学校幹部候補生隊で教育を受けた後に、満洲へ向かった。1943年、独立工兵大隊勤務中に発病し予備役となって帰国、三井化学工業に勤務し終戦となった。
白木 博次(しらき ひろつぐ、1917年10月22日 - 2… 白木 博次(しらき ひろつぐ、1917年10月22日 - 2004年2月19日)は、日本の医学者。神経病理学の国際的権威。東京大学医学部長。東京都出身。
戸田 盛和(とだ もりかず、1917年10月20日 – 20… 戸田 盛和(とだ もりかず、1917年10月20日 – 2010年11月6日)は、日本の物理学者。 専門は、統計力学・凝縮系物理学・数理物理学・可積分系。特に戸田が導入した格子模型は完全可積分系の典型として有名で、「戸田格子」の名を得ている。東京教育大学名誉教授。 東京府生まれ。旧制武蔵高等学校を経て、1940年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業、京城帝国大学、旧制東京文理科大学で助教授を務めたのち、1951年に東京文理科大学教授に昇格した。そして東京教育大学(東京文理科大学の後身)を定年前に退職したのち、千葉大学、横浜国立大学、放送大学の教授を歴任した。 まず東京大学の卒業研究として液体の構造を研究し、その成果を後に「液体構造論」(共立出版、1947年)、「液体理論」(河出書房、1947年)として出版した。
木原 太郎(きはら たろう、1917年5月5日 - 2001… 木原 太郎(きはら たろう、1917年5月5日 - 2001年2月10日)は、日本の物理学者。仕事は電磁波論、気体論、プラズマ、宇宙論と多方面にわたるが、その研究には構成粒子の振舞いの物理的イメージからシステムの特性を考える気体論的思考が貫かれている。 出身はその頃の東京市京橋区で、現在の東京駅八重洲口前の地に生まれた。そして地元の小学校、旧制府立高等学校(7年制)を経て1937年に東京帝国大学理学部物理学科に入学。在学中に1年間を数学科の授業受講に費やして年限3年の(旧制)大学に4年をかけ、1941年3月に卒業した。 卒業後は大学院に残って小谷正雄教授の指導を受け、原子・分子の物理学を研究した。
田村 三郎(たむら さぶろう、1917年〈大正6年〉1月8日… 田村 三郎(たむら さぶろう、1917年〈大正6年〉1月8日 - 2015年〈平成27年〉12月4日)は、日本の農芸化学者(生物有機化学)。位階は従三位。勲等は文化勲章。学位は農学博士(東京大学・1954年)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 満州国大陸科学院での勤務を経て、東京帝国大学農学部副手、東京大学農学部教授、富山県立技術短期大学学長、東京農業大学教授などを歴任した。 1917年(大正6年)、群馬県吾妻郡沢田村(現・中之条町)四万温泉で旅館業を営む田村茂三郎の三男として生まれる。1929年(昭和4年)上京し、旧制武蔵高等学校を卒業。1939年(昭和14年)東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。
町田 甲一(まちだ こういち、1916年12月9日 - 19… 町田 甲一(まちだ こういち、1916年12月9日 - 1993年10月5日)は、日本の美術史家。名古屋大学教授等を経て、武蔵野美術大学名誉教授。 1916年、東京府東京市麹町区で日本画家・町田曲江の子として生まれた。東京府立第三中学校で学ぶが、病気のため2年遅れて1936年に卒業。同年、姫路高校に進学。卒業直前の1940年3月に治安維持法違反の疑いで神戸詩人事件に連座して検挙され、18ケ月にわたって拘禁された。1942年、東京帝国大学文学部に入学して美学を専攻した。大学では、児島喜久雄の下で学んだ。1944年に卒業し、その後は同大学大学院に進学。 1946年からは大学院在籍のまま、長尾美術館へ勤務。