佐々木 隆興(ささき たかおき、1878年(明治11年)5月… 佐々木 隆興(ささき たかおき、1878年(明治11年)5月5日 - 1966年(昭和41年)10月31日)は、日本の医学者。専門は、生化学、内科学、実験腫瘍学。学士院恩賜賞(二回)受賞。文化勲章受章。 生前、1935年・1936年・1939年・1941年にノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。 東京生まれ。蘭方医・佐々木東洋の養嗣子である佐々木政吉の養嗣子、獨逸学協会学校(現在の獨協中学校・高等学校)卒業後、東京帝国大学卒。ドイツに留学し、ストラスブルク大学生化学ホーフマイステル教授、ベルリン大学化学フィッシャー教授、ベルリン伝染病研究所、ベルリン病理学研究所細菌血清学モルゲンロート博士、ベルリン大学内科ヒス、フリードマン教授らに学ぶ。
長與 又郎(新字体:長与 又郎、ながよ またお、1878年(… 長與 又郎(新字体:長与 又郎、ながよ またお、1878年(明治11年)4月6日 - 1941年(昭和16年)8月16日)は、日本の病理学者、男爵。癌研究の世界的権威。号は雷山。 1878年、医学界の重鎮・長與專齋の三男として東京神田で生まれた。慶應義塾幼稚舎、正則学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)に進学。1904年12月に卒業。その後、医学修行のためドイツのフライブルク大学に留学した。 1910年に帰国し、東京帝国大学助教授に就いた。翌年に教授に小学し、病理学講座を担当した。夏目漱石の主治医でもあり、1916年に漱石が病死した際には、未亡人夏目鏡子の希望で、漱石の遺体を解剖した。
末広 恭二(すえひろ きょうじ、1877年10月24日 - … 末広 恭二(すえひろ きょうじ、1877年10月24日 - 1932年4月9日)は日本の造船工学者。東京帝国大学教授、地震研究所所長。日本の造船工業の発展に寄与。末広鉄腸の次男。末広恭雄の父。 1900年東京帝国大学工科大学を卒業、長崎三菱造船所に入社。1911年東大教授となる。 主に船体の応力・振動・動揺について研究した。1919年三菱造船所に研究所の設置を提案、自ら所長になる。また、関東大震災後、寺田寅彦とともに東京帝大地震研究所の創設につくし、初代所長となる。 1922年「伝動軸の捩れ計の研究」で帝国学士院賞を受賞する 1931年には米国土木学会に招かれ渡米し、日本の地震学、地震工学を紹介した。
松本 烝治(まつもと じょうじ、明治10年(1877年)10… 松本 烝治(まつもと じょうじ、明治10年(1877年)10月14日 - 昭和29年(1954年)10月8日)は、日本の商法学者(憲法学者ではない)。東京府士族。法学博士。戦後、憲法草案(松本試案)を作成したことで知られる。
天沼 俊一(あまぬま しゅんいち、1876年8月31日 - … 天沼 俊一(あまぬま しゅんいち、1876年8月31日 - 1947年9月1日)は、日本の建築史家。京都大学名誉教授。古建築の調査に従事した。東京出身。 奈良県技師時代に始めた装飾文様などの細部にわたる古建築研究は、初の日本建築史の概説書『日本建築史要』に実り、身近なものとして古建築の存在を広く知らせた。 東京生まれ。河東節名跡の6代目十寸見蘭洲(本名:天沼熊作)の長男。弟は慶応義塾大学教授の天沼貴彦、妹は画家の天沼青蒲。 1893年東京府尋常中学校(現:東京都立日比谷高等学校)卒。1902年東京帝国大学工科大学建築学科卒、大学院に進む。1905年陸軍歩兵少尉。1906年、奈良古社寺修理技師。1918年、京都府古社寺修理監督技師。
飯島 忠夫(いいじま ただお、1875年2月3日 - 195… 飯島 忠夫(いいじま ただお、1875年2月3日 - 1954年9月27日)は、日本の東洋史学者。 長野県松代町(現長野市)の旧松代藩士の家に生まれる。祖父は藩の故実家・飯島勝休。小学校卒業後、母校で雇として教えるかたわら、外祖父で旧藩上級藩士の長谷川昭道に漢学を師事、1901年上京し旧制錦城中学に編入、翌年卒業。臨時お茶の水第一教員養成所に入り、1904年卒業し学習院中等科教授、1937年(昭和12年)まで務めた。東京帝国大学選科修了。帝大では上田万年に師事した。東宮御学問所御用掛も務めた。1929年(昭和4年)「支那古代史論」で東京帝大文学博士。中国古代史、暦法研究のほか、郷土の人物として佐久間象山も研究した。
林 春雄(はやし はるお、1874年(明治7年)2月25日 … 林 春雄(はやし はるお、1874年(明治7年)2月25日 - 1952年(昭和27年)1月1日)は薬理学者。東京帝国大学医学部薬物学教室の第二代教授。東京帝国大学名誉教授。貴族院議員。 1874年、愛知県で生まれた。1881年に、林茂雄の養子となった。1897年に東京帝国大学医学部を首席で卒業し、学士号を取得。 1900年に東京帝国大学助教授に就いた。1902年から1905年まで3年間、薬理学ならびに毒物学研究のためにドイツ留学を命じられ、シュトラースブルク大学に留学した。1905年に帰国した後は、京都帝国大学福岡医科大学(現九州大学)助教授となった。1905年7月、医学博士の学位を取得。1908年、東京帝国大学に薬理学第二講座が開設されて二講座制になると、、林は同大学に転じて第二講座を担任した。
林 博太郎(はやし ひろたろう、1874年(明治7年)2月4… 林 博太郎(はやし ひろたろう、1874年(明治7年)2月4日 - 1968年(昭和43年)4月28日)は明治時代から昭和時代にかけての日本の教育学者、実業家、政治家。伯爵、文学博士。
蜷川 新(にながわ あらた、1873年(明治6年)1月14日… 蜷川 新(にながわ あらた、1873年(明治6年)1月14日 - 1959年(昭和34年)8月17日)は日本の法学者、外交官、大学教授。専門は国際法。先祖は室町幕府に政所代を世襲した蜷川氏で、後に江戸幕府の旗本となった。格闘家の武蔵、TOMO兄弟は曾孫にあたる。 父は旗本蜷川親賢、母は林田藩主建部政醇の娘はつ子。旗本小栗忠順の義理の甥に当る。静岡県袖師(現在の静岡市清水区)で生まれる。生後すぐに父が死去したため、母の縁を頼って東京に移り住む。 1889年(明治22年)第一高等学校に入学。学友に渡辺千冬や鈴木梅太郎がいた。卒業後東京帝国大学の法科大学に進学し、有賀長雄のもとで国際法を専攻した。卒業後、同大学大学院に進学。
篠田 治策(しのだ じさく、明治5年10月12日(1872年… 篠田 治策(しのだ じさく、明治5年10月12日(1872年11月12日) - 昭和21年(1946年)1月23日)は、明治後期から昭和前期にかけての法学者・拓務官僚。 1872年、静岡県城東郡池新田村(現在の御前崎市)の農家の長男に生まれた。15歳の時に上京して錦城中学校(現錦城学園高等学校)、第一高等学校を経て、明治32年(1899年)に東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。一度は弁護士になるが、明治37年(1904年)の日露戦争勃発に際して陸軍省の国際法事務嘱託に任ぜられ、第三軍の国際法担当顧問として従軍、旅順要塞陥落後は同要塞の司令部付顧問を兼務した。 戦後の明治40年(1907年)に韓国統監府の嘱託となり、間島派出所総務課長・統監府秘書官を歴任、日韓併合後の明治43年(1910年)10月から朝鮮総督府によって平安南道へ派遣された。
田中 義能(たなか よしとう、1872年10月14日(明治5… 田中 義能(たなか よしとう、1872年10月14日(明治5年9月12日) - 1946年(昭和21年)3月4日)は、神道学者。 山口県出身。1903年東京帝国大学文科大学哲学科卒。東洋大学教授、第五高等学校教授、國學院大學教授を歴任。1920年東京帝国大学文学部助教授、神道学講座を担当。1933年定年退官、帝国女子専門学校校長。のちの相模女子大学の設立に努めるが急死。神道学会、神道青年連盟協会を設立。女婿は国文学者の次田真幸。
建部 遯吾(たけべ とんご、明治4年3月21日(1871年5… 建部 遯吾(たけべ とんご、明治4年3月21日(1871年5月10日) - 昭和20年(1945年)2月18日)は、社会学者、東京帝国大学教授、政治家。 新潟県蒲原郡横越村(現新潟市江南区横越中央)出身。1896年帝国大学文科大学哲学科卒。翌年から講師として母校の社会学講座を担当、1898年ヨーロッパ留学、留学中1900年助教授に任ぜられ、1901年帰国してただちに東京帝大教授。帝大社会学講座の初代担当教授として長く建部時代を築いた。1922年退官。1913年日本社会学院(学会)を創設、主宰した。オーギュスト・コントに依拠した総合的社会学を講じた。対露強硬論を唱えた。その後、衆議院議員をへて1938年貴族院議員。
山田 三良(やまだ さぶろう、1869年12月20日(明治2… 山田 三良(やまだ さぶろう、1869年12月20日(明治2年11月18日) - 1965年(昭和40年)12月17日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は法学博士。法華会創立者。 1869年、奈良県高市郡越智村(現・高取町)に村長山田平三郎の三男として生まれる。東京専門学校(現早稲田大学)を経て、1896年帝国大学法科大学(現東京大学大学院法学政治学研究科・法学部)卒業。同大学院修了。その後東京帝国大学法科大学助教授に就き、文部省外国留学生としてドイツのハイデルベルク大学、フランスのソルボンヌ大学に3年間留学し国際法を学ぶ。1901年7月19日帰国。 帰国後、東京帝国大学法科大学教授、京城帝国大学総長、東京帝国大学法学部長などをつとめた。
馬場 孤蝶(ばば こちょう、1869年12月10日(明治2年… 馬場 孤蝶(ばば こちょう、1869年12月10日(明治2年11月8日) - 1940年(昭和15年)6月22日)は、日本の英文学者、評論家、翻訳家、詩人、慶應義塾大学教授。 孤蝶は土佐藩士馬場来八の四男として、土佐国土佐郡(現・高知市)に生まれた。本名は勝弥といい、19歳上の次兄に自由民権運動家の馬場辰猪がいる。病弱で就学せずに、1878年両親と上京し、下谷茅町(現・台東区池之端二丁目)の忍ヶ丘小学校から三菱商業学校に進んで中退し、1884年から、共立学校で英語を学んだ。少年期から寄席に入り浸った。浄瑠璃を語った。弓術・盆栽・将棋・パイプ・俳画・古書漁り・旅行と、趣味が広かった。 1889年(明治22年)(20歳)、明治学院2年に入学し、島崎藤村、戸川秋骨と同級になった。
荻原 雲来(おぎわら うんらい、明治2年2月10日(1869… 荻原 雲来(おぎわら うんらい、明治2年2月10日(1869年3月22日) - 昭和12年(1937年)12月20日)は、和歌山県生まれの浄土宗の僧侶、仏教学者・サンスクリット学者。日本のサンスクリット語研究、サンスクリット文献に基づいた仏教研究の先駆者であり、大成者である。 1869年(明治2年)、和歌山県に生まれ、当時浄土宗の重鎮であった荻原雲台の養子となる。1896年(明治29年)、浄土宗学本校(のち真言宗豊山・智山派、天台宗と合同し宗教大学を経て現・大正大学)を優秀な成績で卒業。1898年(明治31年)よりドイツのカイザー・ヴィルヘルム二世大学に留学、サンスクリット語研究の泰斗エルンスト・ロイマンに師事する。
志田 鉀太郎(しだ こうたろう、1868年10月5日(慶応4… 志田 鉀太郎(しだ こうたろう、1868年10月5日(慶応4年8月20日) - 1951年(昭和26年)3月13日)は、日本の法学者。第5代明治大学総長。 1868年、東京府(後の東京市牛込区、現・東京都新宿区)の一橋徳川家剣術指南番の家に生まれる。東京府尋常中学校、私立東京英語学校などを経て、1894年(明治27年)、東京帝国大学法科大学卒業、同大学院入学。1898年(明治31年)、学習院大学科教授に就任。 1897年(明治30年)から1919年(大正8年)まで新設の東京高等商業学校(のちの東京商科大学、現一橋大学)専攻部初代商法教授。ドイツ留学中に石川巌・石川文吾・神田乃武・瀧本美夫・津村秀松・福田徳三・関一とともに東京高商の大学昇格運動を始め、1920年(大正9年)から東京商科大学保険学担当講師。
安田 篤(やすだ あつし、1868年9月8日 - 1924年… 安田 篤(やすだ あつし、1868年9月8日 - 1924年5月12日)は、日本の菌類学者である。
大工原 銀太郎(だいくはら ぎんたろう、1868年1月27日… 大工原 銀太郎(だいくはら ぎんたろう、1868年1月27日〈慶応4年1月3日〉 - 1934年〈昭和9年〉3月9日)は、日本の農学者(農芸化学)。勲等は勲二等。学位は農学博士(1911年)。旧姓は鈴木(すずき)。 農事試験場や特許局で技師として勤務し、農芸化学に関する研究に従事したのち、九州帝国大学農学部で教鞭を執った。土壌酸性がアルミニウムに因ること(大工原酸度, Daikuhara acidity)を世界で初めて発見した。九州帝国大学や同志社大学で総長を務めた。 信濃国伊那郡南向村(現長野県上伊那郡中川村)の鈴木家に生まれ、のちに飯田の大工原孝吉の養子となる。松本中学校、東京農林学校を経て1894年、帝国大学農科大学農芸化学科を卒業。
池野 成一郎(いけの せいいちろう、1866年6月25日(慶… 池野 成一郎(いけの せいいちろう、1866年6月25日(慶応2年5月13日) - 1943年(昭和18年)10月4日)は日本の植物学者、理学博士、東京帝国大学名誉教授。日本の植物形態学の先駆者平瀬作五郎のイチョウの精子の発見に続いてソテツの精子を発見した。 最後の堺奉行を務めた旗本池野好謙(山城守、通称は勇一郎)の子として、江戸駿河台の屋敷で生まれた。開成学校、大学予備門から帝国大学理科大学植物学科に入学し、1890年(明治23年)に同校を卒業。翌年に帝国大学農科大学助教授に就任、留学先の帝政ドイツなどの大学の教授にも就任。 平瀬作五郎のイチョウの研究に協力し、平瀬は1896年(明治29年)にイチョウの精子を発見した。
蘆野 敬三郎(あしの けいざぶろう、1866年(慶応2年) … 蘆野 敬三郎(あしの けいざぶろう、1866年(慶応2年) - 1941年(昭和16年)2月17日)は、数学天文学者、海軍大学教授、理学士、気象関係従事者。従三位勲二等。 慶應義塾幼稚舎を経て東京帝国大学理学部卒業。学生のとき1887年(明治20年)8月の皆既日食を白河にて、アメリカの天文学者トッド博士の通訳兼協力者として菊池大麓と共に観測に参加。 1900年(明治33年)文部省が行ったローマ字表記調査委員となり、上田萬年、磯田良、大西祝、神田乃武、金子銓太郎、小西信八、藤岡勝二、高楠順次郎、湯川寛吉、渡部董之介の11名で報告。 日本数学物理学会会員。長く海軍大学教授を務め、退官後、理化学研究所の図書の係を務めた。
伊谷 以知二郎(いたに いちじろう、1864年12月31日(… 伊谷 以知二郎(いたに いちじろう、1864年12月31日(元治元年12月3日)- 1937年(昭和12年)3月30日)は、明治から昭和初期にかけての日本の水産学者。現在の東京海洋大学の創立に寄与した。大日本水産会や日本水産学会の会長を務め、水産界をはじめ缶詰業界の発展に貢献した。旧姓は田中。 紀州藩士田中傳の次男(第三子)として、現在の紀尾井町にあった藩邸で生まれた。15歳の時に三菱商業学校予備科に入学するが、18歳の時に廃校となったため独学となった。1884年(明治17年)9月、同藩士であった[要出典]伊谷久吉の養子となり家督を相続した。この間、父が手を出した鉱山事業に失敗し、13歳から32歳頃まで生活が困窮した。
三好 学(みよし まなぶ、1862年1月4日(文久元年12月… 三好 学(みよし まなぶ、1862年1月4日(文久元年12月5日) - 1939年(昭和14年)5月11日)は、明治・大正・昭和時代の植物学者。学位は、理学博士。日本の植物学の基礎を築いた人物の一人である。特に桜とハナショウブの研究に関しての第一人者として知られ、殊に桜博士とも呼ばれた。また、天然記念物の概念を日本に広めた先駆者であり、希少植物の保存活動に尽力した。 文久元年(1862年)、美濃国岩村藩士の次子として同藩江戸藩邸に生まれる。出生後は岩村で幼年期を過ごした。11歳の時に父が没したため、越前国坂井郡の浄土宗西光寺の住職の伯父に引き取られてそこで学んだ。明治9年(1876年)にのちの石川県第三師範学校に入学して、明治11年(1878年)に同校を卒業した。
山根 正次(やまね まさつぐ、安政4年12月23日 (185… 山根 正次(やまね まさつぐ、安政4年12月23日 (1858年2月6日) - 大正14年(1925年)8月29日)は、日本の衆議院議員(中正倶楽部→大同倶楽部→立憲同志会)、医学者。 長門国阿武郡椿郷東分村(現在の山口県萩市)出身。長州藩の医学館であった好生堂で蘭学を、中学校でドイツ人教師からドイツ語を学んだ。東京大学医学部を卒業し、長崎医学校一等教諭に任じられた。1885年(明治18年)、長崎でコレラが大流行すると、検疫委員として防疫に尽力した。 1887年(明治20年)よりドイツ・オーストリアに留学し、法医学を学んだ。帰国後は、警察医長、医務局長、警視庁第三部長を歴任した。 1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
神田 乃武(かんだ ないぶ、1857年3月22日(安政4年2… 神田 乃武(かんだ ないぶ、1857年3月22日(安政4年2月27日) - 1923年(大正12年)12月30日)は明治時代から大正時代にかけての日本の教育者、英学者。男爵。
山脇 玄(やまわき げん、嘉永2年3月3日(1849年3月2… 山脇 玄(やまわき げん、嘉永2年3月3日(1849年3月26日)- 大正14年(1925年)10月7日)は、日本の法学者、法制官僚、政治家、教育者。法学博士、行政裁判所長官、貴族院議員。 福井藩の藩医・山脇立樹の長男として生まれる。福井藩の医学校・済生館で学んだ後、長崎に遊学して蘭学を学んだ。 1870年(明治3年)、文部省留学生としてドイツに渡り、ベルリン大学、ライプツィヒ大学、ハイデルベルク大学などで法学等を学び、日本人として初めてドイツ政府よりドクトルの称号を授与された。 1877年(明治10年)5月に帰国。同年8月、司法省御用掛となり民法編纂掛分科詰に配属された。以後、司法権少書記官兼太政官権少書記官、太政官権少書記官、参事院議官補・法制部、法制局参事官、兼行政裁判所評定官、法制局第一部長、行政裁判所評定官、同裁判所部長などを歴任し、大日本帝国憲法・皇室典範の草案・起草にも参画した。
三宅 秀(みやけ ひいず、嘉永元年11月17日(1848年1… 三宅 秀(みやけ ひいず、嘉永元年11月17日(1848年12月12日) - 昭和13年(1938年)3月16日)は、日本の医師・洋学者・医学者・貴族院議員。東京大学で最初の医学博士、のち名誉教授。幼名は復一(またいち)。
桂川 甫策(かつらがわ ほさく、天保3年(1832年) - … 桂川 甫策(かつらがわ ほさく、天保3年(1832年) - 明治23年(1890年)10月19日)は、幕末から明治の洋学者・医師・化学者。 桂川甫賢の次男で、蘭学の家として知られる桂川家の8代目。幼名辰次郎(達次郎)後に甫策。本姓は中原、諱は国幹(くにもと)。字は和春。号は淳斎。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小笠原 東陽(おがさわら とうよう、1830年10月29日〈… 小笠原 東陽(おがさわら とうよう、1830年10月29日〈文政13/天保元年9月13日〉 - 1887年〈明治20年〉8月12日)は、幕末から明治時代前半の儒学者、教育者。神奈川県高座郡羽鳥村の耕余塾(旧読書院)創設者。明治維新以前は、江戸詰の姫路藩士で奥山銕四郎と称した。 天保元年9月(1830年10月)美作勝山藩士小笠原忠良の三男として江戸谷中の藩邸で生まれる。幼名は亀吉、諱は董。天保4年2月の父の病没後、姫路藩士奥山重義の養子となって巣鴨の同藩下屋敷に移り、奥山銕四郎を名乗った。 数え12歳で御用使仮役(秘書見習)として初出仕。以後、近海防禦御道具調方手附手伝(天保14年)、巣鴨学問所肝煎心得兼務(弘化3年)、小役人格御用使頭取(弘化5年)、奥御番方仮役(安政2年)と累進。
青木 昆陽(あおき こんよう、元禄11年5月12日〈1698… 青木 昆陽(あおき こんよう、元禄11年5月12日〈1698年6月19日〉 - 明和6年10月12日〈1769年11月9日〉)は、江戸時代中期の、幕臣御家人、書物奉行、儒学者、蘭学者。さつまいもの普及を図り、甘藷先生(かんしょせんせい)と呼ばれる。名は敦書(あつのり、あつぶみ)、字は厚甫(原甫とも)、通称は文蔵、昆陽と号した。 江戸日本橋小田原町(現在の東京都中央区)の魚屋・佃屋半右衛門の1人息子として生まれる。先祖は近江国の人で、蒲生氏一族という。 浪人として京都の儒学者である伊藤東涯の古義堂に入門して儒学を学ぶ。江戸町奉行所与力・加藤枝直(又左衛門)と懇意で、享保18年(1733年)に加藤の推挙により南町奉行・大岡忠相に取り立てられ、幕府書物の閲覧を許される。
平 裕介(たいら ゆうすけ、7月16日[要出典] - )は、… 平 裕介(たいら ゆうすけ、7月16日[要出典] - )は、日本の弁護士、行政法学者。東京弁護士会に所属している。 東京都青梅市出身[要出典]。2004年に[要出典]中央大学法学部を卒業し、2006年に[要出典]日本大学法科大学院を修了した。2008年に弁護士登録。行政法を専門としており、『宮本から君へ』の助成金不交付問題を担当した。性風俗産業のコロナ補助金不支給問題では、弁護団長として取り組んでいる。 2026年4月から帝京大学法学部で准教授を務める。 2022年、立憲民主党の議員である塩村文夏がAV新法にからみ、アダルトビデオの「許可制」に言及した際、違憲の可能性を指摘した。 大阪駅の萌え絵ポスターで商業広告が論争になった際、囚われの聴衆事件の判例を引用し、「見たくないものを見ない自由」よりも「表現の自由」の方が優越すると述べている。
大泉 義一(おおいずみ よしいち)は、日本の教育学者である。… 大泉 義一(おおいずみ よしいち)は、日本の教育学者である。早稲田大学教育・総合科学学術院教授、博士(教育学)である。 東京生まれ。専門は,教科教育学(美術科教育)、デザイン教育、教育方法学、造形ワークショップ実践論。
高橋 伸一郎 (たかはし しんいちろう)は、日本の内分泌学者… 高橋 伸一郎 (たかはし しんいちろう)は、日本の内分泌学者。専門は分子内分泌学。東京大学大学院農学生命科学研究科教授。ノボ ノルディスク成長・発達研究賞等受賞。
三宅 幸子(みやけ さちこ)は、東京都出身の医師、医学者。順… 三宅 幸子(みやけ さちこ)は、東京都出身の医師、医学者。順天堂大学医学部免疫学講座教授。専門分野は、多発性硬化症や膠原病などの自己免疫疾患の病態と治療法開発。日本内科学会総合内科専門医。 上記のほか、日本臨床免疫学会理事、日本神経免疫学会理事、日本免疫学会評議員、日本リウマチ学会評議員を務める。
安田 浩(やすだ ひろし)は、日本の計算機科学者。東京電機大… 安田 浩(やすだ ひろし)は、日本の計算機科学者。東京電機大学未来科学部教授。工学博士。東京大学名誉教授。情報システムのセキュリティ専門家認定 (CISSP)。元東京大学国際・産学共同研究センター教授。一般社団法人日本スマートフォンセキュリティ協会会長。
大野 伸彦(おおの のぶひこ)は、日本の医学者、解剖学者。自… 大野 伸彦(おおの のぶひこ)は、日本の医学者、解剖学者。自治医科大学医学部解剖学講座組織学部門教授、自然科学研究機構生理学研究所客員教授。 1995年に筑波大学附属高等学校を卒業し、東京大学理科三類に進学。 2001年、東京大学医学部医学科を卒業し、東京大学医学部附属病院で内科初期臨床研修、公立昭和病院でも内科研修を修了。 2006年、山梨大学大学院医学工学総合教育部博士課程修了、博士(医学)取得。 その後、山梨大学大学院助手・助教、米国クリーブランドクリニック博士研究員、山梨大学准教授、生理学研究所特任准教授、自治医科大学准教授を経て、2018年4月より自治医科大学教授に就任。 2019年4月より生理学研究所客員教授(超微形態研究部門)を兼任。
後藤 由季子(ごとう ゆきこ)は、日本の分子生物学者、生化学… 後藤 由季子(ごとう ゆきこ)は、日本の分子生物学者、生化学者、脳科学者。学位は理学博士(東京大学大学院・1992年)。東京大学大学院薬学系研究科・教授。神経科学および分子生物学を専門とし、脳の発生における神経幹細胞の運命制御などの研究に携わる。 筑波大学附属高等学校、東京大学理学部生物化学科卒業。第25期日本学術会議会員。
清水 孝雄(しみず たかお)は、日本の生化学者。元東京大学大… 清水 孝雄(しみず たかお)は、日本の生化学者。元東京大学大学院医学系研究科教授、東京大学医学部長、東京大学副学長。 生化学・分子生物学、特に脂質代謝と脂質メディエーターの研究を専門とする。また、テニスと登山を趣味としている。東京都千代田区出身。文部科学省の基礎医学研究者育成プログラムなどの推進に貢献。日本医学会副会長を併任。
小野 啓(おの ひらく、Hiraku Ono)は、日本の内科… 小野 啓(おの ひらく、Hiraku Ono)は、日本の内科医、医学者。千葉大学予防医学センター教授。日本内科学会認定内科医・総合内科専門医・指導医、日本糖尿病学会糖尿病専門医。第1種放射線取扱主任者。 東京学芸大学附属高等学校を経て、東京大学医学部医学科卒業(平成7年)。 東京大学大学院医学系研究科修了後、米国アルバート・アインシュタイン医科大学、埼玉医科大学内分泌内科・糖尿病内科講師などを経て、千葉大学大学院医学研究院内分泌代謝・血液・老年内科学講師(2017年)、准教授(2019年)を歴任。 2025年1月より千葉大学予防医学センター教授に就任。 千葉大学医学部附属病院では糖尿病・代謝・内分泌内科の外来診療(特に肥満関連)を担当している。
瀧澤 誠(たきさわ まこと)は、数理科学の理学博士。昭和薬科… 瀧澤 誠(たきさわ まこと)は、数理科学の理学博士。昭和薬科大学薬学部講師。 J-PARC分室KEK理論センター素粒子原子核研究所高エネルギー加速器研究機構客員研究員。 専門は、ハドロン物理学・原子核理論物理学・素粒子実験物理学。上智大学理工学部や昭和薬科大学薬学部で教鞭をとる。第1種放射線取扱主任者の資格をもつ。 1981年 東京大学教育学部附属高校卒業(現・東京大学教育学部附属中等教育学校)。上智大学理工学部物理学科に進学後は、研究に打ち込み総代で卒業する。1990年3月 上智大学大学院理工学研究科物理学専攻博士後期課程を修了し、理学博士の学位をとる。 1990年から、東京大学原子核研究所研究員。
島田 歌穂(しまだ かほ)は、日本の女優、歌手、大阪芸術大学… 島田 歌穂(しまだ かほ)は、日本の女優、歌手、大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科教授。本名は島 歌穂(しま かほ)。 東京都港区出身。音楽家の父・島田敬穂と、宝塚歌劇団出身でジャズ歌手の母・筑波嶺玲子(別名:丹波礼子)との間に生まれ、幼少期に松山バレエ団でバレエを習い始め、のち6歳のときから西野バレエ団に移るのと同時にピアノを習い始める。港区立青山中学校、私立東亜学園、東京都立城南高等学校を経て堀越高等学校卒業。 1974年 - 1977年放送のドラマ『がんばれ!!ロボコン』(東映)のヒロイン・ロビンちゃん役で子役デビューし人気を博す。他にも『俺はあばれはっちゃく』など人気番組にレギュラー出演。
長谷川 万由美(はせがわ まゆみ)は、日本の社会学者。宇都宮… 長谷川 万由美(はせがわ まゆみ)は、日本の社会学者。宇都宮大学共同教育学部教授。 東京都立小石川高等学校を経て、埼玉大学教養学部卒業。英国シェフィールド大学短期留学。1994年、法政大学大学院社会科学研究科社会学専攻修士課程修了、1998年、法政大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士後期課程退学。 同年、立教大学コミュニティ福祉学部助手。2000年、宇都宮大学教育学部講師、2003年同助教授、2010年同教授。
内野 滋雄(うちの しげお)は日本の解剖学者、医師、医学博士… 内野 滋雄(うちの しげお)は日本の解剖学者、医師、医学博士。東京医科大学名誉教授。専門は解剖学、リンパ学、免疫学。 府立高等学校尋常科、東京都立大学附属高等学校を卒業。東京医科大学大学院を修了後、1977年~97年に東京医科大学第一解剖学教室教授を務め、リンパ学や免疫学などの研究に寄与する。1992年~96年には日本解剖学会理事長に就任する。1962年に論文『日本人新生児の断面解剖』で医学博士(東京医科大学)を取得した。東京医科大学名誉教授として退任後は、臨床福祉専門学校校長として医療・福祉分野の人材の育成に当たる。また、社会福祉法人三徳会理事長として内野医院代表などを務め、敬心福祉会、福栄会理事や財団法人日本篤志献体協会理事長としても活動した。
小林 精次(こばやし せいじ)は日本の工学者。早稲田大学名誉… 小林 精次(こばやし せいじ)は日本の工学者。早稲田大学名誉教授。専門は電気工学、自動制御。 1953年に早稲田大学理工学部電気工学科に入学し、卒業後は同大学に半世紀に渡って勤める。早稲田大学理工学部電気電子情報工学科教授としてインテリジェントコントロール研究室を担当し、計測・制御工学の分野でニューラルネットワークによる制御手法、適応制御系の構成法、列車群の制御手法などを研究した。2003年度に理工学部電気・情報生命工学科教授として定年退職し名誉教授となる。 学会にはシステム制御情報学会、計測自動制御学会、電気学会などに所属した。
星 徹(ほし とおる)は、日本の工学者。東京工科大学教授。博… 星 徹(ほし とおる)は、日本の工学者。東京工科大学教授。博士(工学)。 1969年に東京工業大学理工学部電気工学科を卒業し、日立製作所に入社する。同社戸塚工場、同システム開発研究所,同中央研究所で、ネットワークシステムなどに関する研究開発に携わった。1975年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院修士課程を修了。2003年に東京工科大学コンピュータサイエンス学部教授に就任。また、情報処理学会論文誌編集委員,同会グループウェアとネットワークサービス研究会主査なども務めた。専門分野は、ユビキタスネットワーク、グループウェア、マルチメディア通信、IPテレフォニー、ユビキタスホームなど。
安田 一郎(やすだ いちろう)は、日本の薬学者、東京薬科大学… 安田 一郎(やすだ いちろう)は、日本の薬学者、東京薬科大学教授。 北里大学大学院薬学研究科修士課程を修了し、東京都衛生研究所(現東京都健康安全研究センター)研究員、主任研究員を務める。1982年(昭和57年)、「辛味性不飽和脂肪酸アミドを含有する生薬に関する研究」で、東京薬科大学より薬学博士を取得。ノースカロライナ大学チャペルヒル校薬学部客員研究員、東京都健康安全研究センター医薬品部医薬品研究科科長、東京都福祉保健局参事を経て、2008年(平成20年)に千葉科学大学薬学部教授(衛生/公衆衛生研究室)。2012年(平成24年)東京薬科大学薬学部教授(医療薬物薬学科薬事関係法規研究室)、2015年(平成27年)東京都薬剤師会衛生試験所所長、2017年(平成29年)東京薬科大学常務理事。
石原 圭子(いしはら けいこ)は、日本のアメリカ史学者。東海… 石原 圭子(いしはら けいこ)は、日本のアメリカ史学者。東海大学現代教養センター教授。 東京都港区生まれ。父は社会主義者として知られる自由社社長の石原萠記。東京都立西高校卒。1983年、東京大学文学部西洋史学科卒業。1986年、父と親交が深い元社会党衆議院議員の松前重義が総長を務めていた東海大学に平和戦略国際研究所助手として採用される。1992年、文明研究所助手、1995年、講師。2001年、総合教育センター助教授(2007年、准教授に名称変更)。2008年、教授に就任。2016年、改組により現代教養センター教授。 アメリカにおいて、人種、ジェンダーなどが異なるグループが、各時代、各地域でどのような生活をし、どのような価値観を持ち、どのように社会を構成してきたのか、そして歴史の経過とともに、各集団が互いに対立、協調しながらアメリカ社会にいかに統合されてきたのかについて歴史的に考察している。
工藤 裕子(くどう ひろこ)は、日本の政治学者。中央大学法学… 工藤 裕子(くどう ひろこ)は、日本の政治学者。中央大学法学部教授。 東京都立西高等学校を経て、早稲田大学卒業。イタリア共和国ヴェネツィア大学で、公共政策学Ph.D. 取得。早稲田大学教育学部助教授を経て、2005年から現職。2008年から東京大学公共政策大学院兼任講師。
津田 敦(つだ あつし) は、日本の生態学者。国立大学法人東… 津田 敦(つだ あつし) は、日本の生態学者。国立大学法人東京大学理事・副学長、東京大学大気海洋研究所教授。元日本海洋学会副会長。 1977年東京都立西高等学校卒業。 1982年北海道大学水産学部水産増殖学科卒業。 1987年東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了、農学博士、東京大学大学院研究生。 1988年東京大学海洋研究所助手。 1996年水産庁北海道区水産研究所海洋環境部生物環境研究室室長。 2001年独立行政法人水産総合研究センター北海道区水産研究所亜寒帯海洋環境部生物環境研究室室長。 2003年東京大学海洋研究所浮遊生物分野助教授。同年日本プランクトン学会論文賞受賞。 2007年滋賀県生態学琵琶湖賞受賞。
高木 秀雄(たかぎ ひでお)は、日本の地質学者。早稲田大学教… 高木 秀雄(たかぎ ひでお)は、日本の地質学者。早稲田大学教育学部名誉教授。元日本地質学会副会長。 東京都世田谷区新町生まれ。父は地質調査所の専門家。北区立王子第一小学校、北区立清至中学校、東京都立文京高等学校を経て、1978年千葉大学理学部地学科卒業。1980年名古屋大学大学院理学研究科地球科学専攻修士課程修了。水谷伸治郎研究室出身。1982年同博士課程中退、早稲田大学教育学部地球科学教室助手。1985年理学博士。1986年日本地質学会研究奨励賞受賞。1989年ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ訪問研究員。早稲田大学教育学部地球科学教室助教授を経て、1997年同教授。2008年日本地質学会副会長、日本ジオパーク委員会顧問。
青木 直大(あおき なおひろ)は、日本の生物学者、農学者。東… 青木 直大(あおき なおひろ)は、日本の生物学者、農学者。東京大学大学院農学系研究科作物学研究室教授。日本作物学会賞等受賞 東京都練馬区生まれ。1987年東京都立大泉高等学校卒業。1991年埼玉大学理学部生化学科卒業。1993年埼玉大学大学院理工学研究科生化学専攻修了、修士(生化学)。1996年埼玉大学大学院理工学研究科生物環境生物学専攻修了、博士(理学)。 1996年科学技術振興事業団科学技術特別研究員。1999年農林水産省農業生物資源研究所非常勤職員 、オーストラリア連邦科学産業研究機構博士研究員。2006年東京大学産学官連携研究員、東京大学特任助手。 2007年東京大学大学院農学生命科学研究科助教。