飯國 新太(いいぐに あらた、2005年9月24日 - )は… 飯國 新太(いいぐに あらた、2005年9月24日 - )は、日本の陸上競技選手。東京都荒川区出身。國學院大學法学部法律学科在学中。 荒川区立南千住第二中学校、國學院久我山高等学校出身。 1年時は三大駅伝での出番はなかった。 2年時の第57回全日本大学駅伝で5区を走り、三大駅伝デビューを飾る。トップの中央大学から2秒差の2位で襷を受け取ると、すぐに追いつき先頭集団を形成する。しかし、後方から来た駒澤大学の伊藤蒼唯に抜かれて2位で襷を渡した。飯國は区間2位であったが、区間賞を獲得した伊藤には1分25秒の差をつけられた。國學院大學はその後順位を落とし、4位でフィニッシュした。 1月の第102回箱根駅伝では8区を担当。
佐藤 有一(さとう ゆういち、2003年4月26日 - )は… 佐藤 有一(さとう ゆういち、2003年4月26日 - )は、日本の陸上競技選手。東京都八王子市出身。青山学院大学文学部史学科卒業。サンベルクス陸上競技部所属。 八王子市立椚田小学校、八王子市立椚田中学校、拓殖大学第一高等学校出身。 1、2年時は箱根駅伝のエントリーに入ることはできなかった。 3年時の第101回箱根駅伝では6区のリザーブで、出走には至らなかった。 4年時の第57回全日本大学駅伝で三大駅伝デビューを飾る。5区を区間4位で走ったが、7位から順位を上げるには至らず。先頭に立った駒澤大学の伊藤蒼唯にはこの区間だけで1分半以上離された。 第102回箱根駅伝では9区を担当。3学年先輩の中村唯翔、岸本大紀に続く史上3人目の1時間7分台となる1時間7分38秒の走りで区間賞を獲得し、2位の國學院大學との差を広げた。
豊田 兼(とよだ けん、2002年10月25日 - )は、日… 豊田 兼(とよだ けん、2002年10月25日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は400m障害走。慶應義塾大学競走部所属。父がフランス人、母が日本人のハーフ。身長195cm。 桐朋小学校、桐朋中学校・高等学校卒業。慶應義塾大学環境情報学部卒業。トヨタ自動車所属。 主な戦績は以下の通り。 6月28日に行われた日本陸上競技選手権大会400mハードルで、47秒99、日本歴代3位の記録で優勝。 2024年パリオリンピックの陸上競技男子400メートルハードルの予選では、5組に出場したが最後は足を痛めたような走りで53秒62のタイムで6着となり、敗者復活ラウンドも左足を痛めたため欠場となった。
中島 佑気ジョセフ(なかじま ゆうき ジョセフ、2002年3… 中島 佑気ジョセフ(なかじま ゆうき ジョセフ、2002年3月30日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。2025年世界陸上競技選手権大会では400mに出場、予選・準決勝・決勝と全て44秒台の安定した走りを披露し、日本人歴代最高着順となる6位入賞を果たした。ナイジェリア人の父と日本人の母との間に生まれる。400mの日本記録保持者。 東京都立川市出身。バスケやサッカーを経験も「チームスポーツは合わない」と、陸上競技は小学6年生から始める。立川市立立川第一中学校、城西大学附属城西高等学校を経て、2024年3月に東洋大学総合情報学部を卒業。 2022年世界陸上競技選手権大会では4×400mリレーに出場、2分59秒51のアジア新記録を樹立し、過去最高の4位入賞。
増渕 祐香(ますぶち ゆうか、2001年12月21日 - )… 増渕 祐香(ますぶち ゆうか、2001年12月21日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は中距離走、長距離走。 東京都出身。目黒区立第十中学校、私立錦城学園高等学校で中・長距離に取り組む。高校卒業後、名城大学法学部法学科に進学し、女子駅伝部に所属。 目黒第十中学時代から全国大会に出場するほど活躍したが、高校時代にはさらに記録を伸ばして全国レベルで活躍するようになる。2017年、錦城学園高校に入学。同級生に保坂晴子らがいた。2018年の高2時・2019年の高3時に全国高校女子駅伝に出場し、2年連続で「花の1区(6㎞)」を担当してともに区間19位となった。また、3年次のインターハイ1500mでは8位入賞を果たした。
保坂 晴子(ほさか はるこ、2001年4月23日 - )は、… 保坂 晴子(ほさか はるこ、2001年4月23日 - )は、日本の陸上競技選手である。専門は中距離走、長距離走。 東京都出身。私立錦城学園高等学校を卒業し、日本体育大学体育学部体育学科に進学。陸上競技部に所属。 錦城学園高時代、同期の増渕祐香(名城大学進学)と競いながら力を伸ばしてきた。高2、高3で全国高校駅伝女子、高2で全国女子駅伝に出場した。また、3年次のインターハイ1500mでは決勝に進出、惜しくも入賞を逃したが増渕に次いで9位となった。 日体大では女子駅伝チームの主力となり、1年次から大学女子の2大駅伝(杜の都駅伝・2区、富士山女子駅伝・3区)に出場し、いずれも区間賞を獲得した。ライバルの増渕も2つの駅伝で同じく区間賞を獲得しており今後の2人の活躍が注目される。
嶋津 雄大(しまづ ゆうだい、2000年3月28日 - )は… 嶋津 雄大(しまづ ゆうだい、2000年3月28日 - )は、日本の陸上競技選手。専門種目は長距離走。東京都町田市出身。創価大学文学部卒業。GMOアスリーツ所属。 中学校は町田市立堺中学校、高校は若葉総合高等学校出身。 東京都中学校駅伝競走大会の2区と4区に出場。 インターハイには5000mで出場するも予選落ち。第52回青梅マラソンの10キロの部男子高校生で1位になった。 2年次の箱根駅伝では10区を走り、初出場ながら区間新記録の走りを見せ、総合9位に入り創価大史上初のシード権獲得に大きく貢献した。 3年次の箱根駅伝では当日変更で4区を走り、2位で受けた襷をトップに押し上げ、史上初の往路優勝に大きく貢献した。
髙橋 渚(たかはし なぎさ、2000年1月15日 - )は、… 髙橋 渚(たかはし なぎさ、2000年1月15日 - )は、日本の陸上競技選手。種目は走高跳。東京都練馬区出身。 練馬区立北町中学校、東京高等学校、日本大学卒。高校時代は男子走高跳の元日本記録保持者である醍醐直幸の指導を受けた。メイスンワークを経て、2024年よりセンコー所属。 2022年から2024年にかけて日本選手権で3連覇した。 2023年のアジア選手権では1m83で4位、2025年のアジア選手権では1m80で8位だった。 2024年には、第39回静岡国際陸上競技大会で屋外記録の自己ベストを更新する1m88で優勝した。 2025年には、2月8日にチェコで行われた室内競技会フストペチェ・ジャンプにて1m92をクリアし、1986年に佐藤恵が記録した室内日本記録を39年ぶりに更新して2位となった。
橋岡 優輝(はしおか ゆうき、1999年1月23日 - )は… 橋岡 優輝(はしおか ゆうき、1999年1月23日 - )は、埼玉県浦和市出身の陸上競技選手。専門は跳躍競技。走幅跳の世界ジュニア陸上競技選手権大会、アジア陸上競技選手権大会、ユニバーシアード金メダリスト。同種目では日本歴代2位となる8m36を記録している。また、サッカー選手の橋岡大樹、橋岡和樹は従兄弟。 埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)出身。さいたま市立高砂小学校、さいたま市立岸中学校、八王子学園八王子高等学校、日本大学スポーツ科学部卒業。富士通所属。現在はアメリカ・フロリダ州のタンブルウィードTCを拠点としている。 両親ともに元陸上競技選手のサラブレッドである。父の利行は日本選手権で7度優勝した棒高跳の元日本記録保持者であり、母の直美(城島直美)は三段跳と100mハードルの元日本記録保持者である。
大嶋 健太(おおしま けんた、1997年9月3日 - )は、… 大嶋 健太(おおしま けんた、1997年9月3日 - )は、東京都練馬区出身の陸上競技選手。専門は100mが中心の短距離走で、自己ベストは10秒29。2017年世界リレー男子4×100mの日本代表。2014年南京ユースオリンピック男子100mで銀メダル、2016年ブィドゴシュチュ世界U20選手権男子4×100mリレーではU20アジア記録(39秒01)をマークして銀メダルを獲得している。 東京都練馬区出身。A型。練馬区立中村中学校、東京高等学校、日本大学スポーツ科学部卒業。 小学1年から3年までサッカー、4年からはミニバスケットボールを経験。中学に進学し、陸上部の顧問から「絶対に速くなれる」と誘われて陸上を始める。
ウォルシュ ジュリアン(1996年9月18日 - )は、日本… ウォルシュ ジュリアン(1996年9月18日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は短距離走。400mの自己ベストは日本歴代7位の45秒13。2016年リオデジャネイロオリンピック日本代表、2020年東京オリンピック日本代表。 ジャマイカ出身。ジャマイカ人の父と日本人の母を持つ。B型。東村山市立第三中学校、東野高等学校卒業。東洋大学(ライフデザイン学部健康スポーツ学科)を経て、2019年4月より富士通に所属。 ジャマイカのキングストンで生まれた後、3歳から日本で育つ。 中学時代は学校に陸上部がなかったのでバスケットボール部に所属。 高校の陸上部に入部して陸上を始めるも、校庭が狭いために練習は近くの芝生や坂道、競技歴のある指導者もいないという環境の中、1年時は100mに取り組んでいたが練習は休みがちだった。
関根 花観(せきね はなみ、1996年2月26日 - )は、… 関根 花観(せきね はなみ、1996年2月26日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は中距離走・長距離走・マラソン。 東京都町田市出身。町田市立金井小学校から町田市立金井中学校へと進む。中学校では初めソフトテニス部へ入部したが、陸上の大会に助っ人として呼ばれ、市の大会で優勝するなどし、中学2年次からは陸上に絞った。中学3年次には第37回全日本中学校陸上競技選手権大会(2010年、布勢陸上競技場)に出場し14位の成績を残し、第29回皇后盃全国都道府県対抗女子駅伝競走大会では、東京都代表として3区を走り区間賞を獲得した。 2011年、中学校卒業後仙台育英に進学。第23回全国高校駅伝では2区を区間4位で走り、チームは3位に入賞した。
茂木 圭次郎(もぎ けいじろう、1995年10月21日- )… 茂木 圭次郎(もぎ けいじろう、1995年10月21日- )は東京都武蔵野市出身の陸上競技選手。専門は長距離走。武蔵野市立第四中学校、拓殖大学第一高等学校卒業。旭化成陸上部所属。2018年・2020年・2025年の3度、ニューイヤー駅伝優勝メンバーに名を連ねている。
秋山 清仁 (あきやま きよひと、1994年11月19日 -… 秋山 清仁 (あきやま きよひと、1994年11月19日 - ) は、東京都出身の陸上競技選手。順天高校・日本体育大学を経て、2018年から愛知製鋼に所属している。日本体育大学在学中の2016・2017年には、箱根駅伝の6区に出場したところ、2年連続で区間記録(いずれも当時)を樹立していた。 2016年・2017年の箱根駅伝では、6区の区間記録(いずれも当時)を樹立したことによって、大会全体の最優秀選手に相当する「金栗四三杯」を受賞した。6区の区間記録を2年連続で達成した選手は、秋山が史上6人目である。 箱根駅伝の6区(箱根町 - 小田原間)は、スタート地点(芦ノ湖の湖畔)から下り坂が延々と続くことに加えて、半径の小さなカーブがコースの随所に存在する。
大迫 傑(おおさこ すぐる、1991年〈平成3年〉5月23日… 大迫 傑(おおさこ すぐる、1991年〈平成3年〉5月23日 - )は、東京都町田市出身の陸上競技選手、YouTuber、スポーツ解説者。専門は長距離走・マラソン。現在、株式会社I(アイ)・代表取締役。妻は元・SKE48の橋本あゆみで、2児(ニ女)の父親。 佐久長聖高校、早稲田大学スポーツ科学部卒業、リーニン所属。2021年9月までのマネジメントはアミューズ。第26回ユニバーシアード男子10000m優勝者、2013年カーディナル招待10000mにて日本人学生新記録を樹立。3000m、5000m、マラソンの日本記録保持者。代理人はフェデリコ・ローザ(Federico Rosa)。 町田市立金井中学校で本格的に陸上競技を始めた。
小林 雄一(こばやし ゆういち、1989年8月25日 - )… 小林 雄一(こばやし ゆういち、1989年8月25日 - )は、東京都板橋区出身の陸上競技選手。専門は短距離走。100mで10秒38、200mで20秒46の自己ベストを持つ。2011年大邱世界選手権と2013年モスクワ世界選手権の日本代表。 東京都板橋区出身。保善高等学校、法政大学卒業。NTNの陸上競技部所属。 父親は陸上のインターハイ400mチャンピオン。母親は陸上の200m元日本記録保持者で、1979年アジア選手権の200mと4×100mリレーで金メダルを獲得した貝原澄子(旧姓)。姉も弟も陸上選手という陸上一家で育つ。しかし、本人は小中学校時代は陸上に興味がなく、小学生の時はサッカーと水泳、中学生の時は硬式テニスをしていた。
川面 聡大(かわつら そうた、1989年6月19日 - )は… 川面 聡大(かわつら そうた、1989年6月19日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。東京都出身。東京都立高島高等学校卒、中央大学法学部国際企業関係法学科卒、東海大学大学院体育学研究科コーチング学修了。ミズノトラッククラブ所属。元屋外60mの日本最高記録保持者。 高校時代、インターハイ東京都予選の100m・200mの2種目で準優勝。いずれもこの年のインターハイで二冠に輝く小林雄一に敗れた。 南関東大会では2種目とも本戦に出場できる6位に0.03秒及ばない7位に終わる。 高校卒業後は中央大学に進学。高校時代に全国大会に出場できず、スポーツ推薦での入学は難しかったが、大学側が入学の条件にした日本ジュニア選手権出場をクリアして入学することができた。
大前祐介(おおまえ ゆうすけ、1982年4月6日 - )は、… 大前祐介(おおまえ ゆうすけ、1982年4月6日 - )は、日本の陸上競技選手で、短距離を専門としている。身長176cm、体重70kg、AB型。
醍醐 直幸(だいご なおゆき、1981年1月18日 - )は… 醍醐 直幸(だいご なおゆき、1981年1月18日 - )は、日本の元陸上競技選手。男子走高跳元日本記録保持者(2m33)。身長182cm、体重67kg。東京都町田市出身。教諭。 町田市立真光寺中学校出身。東京都立野津田高等学校在学中に、フランスのアヌシーで開催された世界ジュニア陸上競技選手権大会で7位入賞という快挙を成し遂げ、将来を嘱望された。推薦入試に合格し、東海大学体育学部に進学。入学早々の1999年、日本インカレを制するなどの活躍を見せた。しかし、大学2年次にヒザを故障。満足な成績を残せず、就職活動に失敗。フリーターとなる。東京陸上競技協会所属で大会に出場し、2004年の埼玉国民体育大会で優勝。
五十嵐 利治(いがらし としはる、1981年 - )は、東京… 五十嵐 利治(いがらし としはる、1981年 - )は、東京都出身の陸上競技指導者。正則学園高等学校、亜細亜大学卒業。現在は拓殖大学監督。 正則学園高等学校、亜細亜大学卒業。 大学時代には箱根駅伝に2度出場している。 大学卒業後は母校の正則学園高校、九電工、佐倉アスリート倶楽部でコーチを務め、2016年からは拓殖大学陸上競技部の女子コーチに就任。2019年からは監督に就任。
八幡 賢司(やはた けんじ、1980年11月4日 - )は、… 八幡 賢司(やはた けんじ、1980年11月4日 - )は、愛媛県出身の元陸上競技選手。専門は110mハードルで、自己ベストは日本歴代10位タイの13秒58。2007年大阪世界選手権の日本代表。 愛媛県出身。北区立滝野川紅葉中学校、修徳高等学校、順天堂大学、順天堂大学大学院卒業。モンテローザ所属。 陸上は中学から始める。 修徳高等学校時代には1998年インターハイで優勝して全国タイトルを獲得した。 1999年順天堂大学に進学。大学時代(大学院を含む)は全国タイトルを獲得できなかったが、日本インカレで2位になるなど活躍。大学4年時に自己ベストが13秒台に突入した。 2005年モンテローザに入社。1年目には自己ベストを13秒85に塗り替えた。
井上真悟(いのうえ しんご、1980年(昭和55年)9月27… 井上真悟(いのうえ しんご、1980年(昭和55年)9月27日- )は、東京都八王子市出身の日本の陸上競技・ウルトラマラソン選手。 2010年、IAU24時間走世界選手権(フランス・ブリーブ)に日本代表として出場し、大会新記録・ロードアジア新記録となる273.708kmを走り、20代初のワールドチャンピオンとなる。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
市河 麻由美(いちかわ まゆみ、1976年5月3日 - )は… 市河 麻由美(いちかわ まゆみ、1976年5月3日 - )は、東京都出身の女子陸上競技元選手(長距離走・マラソン)、現指導者。 陸上競技の名門である市立船橋高校在学時は、全国高校女子駅伝にチームが2度目の総合優勝を果たした1年時1992年度は補欠メンバーにも入らず不出場。2年時1993年度と3年時1994年度の2度出場し、それぞれ3区3km区間1位、アンカー5区5km区間2位でいずれもチームは総合3位だった。 高校卒業後は三井住友海上(当時・三井海上)へ所属。なお、市立船橋高陸上部監督だった鈴木秀夫は、1995年に市河の高校卒業・社会人入りと同時に、三井住友海上の監督(2009年に退任)となった。
渡辺 大輔(渡邉 大輔、わたなべ だいすけ、1975年5月2… 渡辺 大輔(渡邉 大輔、わたなべ だいすけ、1975年5月29日 - )は、日本の陸上競技選手である。 八王子学園八王子高等学校、日本大学を経て、ミズノに所属。2000年シドニーオリンピックに男子走幅跳で出場した。 現在は母校・八王子高校の体育教諭で、同校陸上競技部の顧問・監督を務めており、甥(妻の姉の息子)にあたる橋岡優輝にも指導を行っていた。
金沢 イボンヌ (かなざわ イボンヌ、米国での旧姓のフルネー… 金沢 イボンヌ (かなざわ イボンヌ、米国での旧姓のフルネーム: Yvonne Kanazawa Scott、婚姻後の氏名: Yvonne Wade、 1974年11月19日 - )は、日本の元陸上競技選手で、現在は陸上コーチ。 100メートルハードルで13秒00の元日本記録保持者。元400メートルリレー走日本記録保持者。 東京都新宿区出身。母親は日本人、父親はジャマイカ系アメリカ人である。2歳の時にアメリカ移住。高校から陸上を始める。 1992年、コロラド大学に入学。1995年、東京陸協所属に登録し、日本国内の大会に出場。1996年、日本選手権兼五輪選考会で日本記録で優勝し、アトランタ五輪への出場権を獲得。
小坂田 淳(おさかだ じゅん、1974年4月2日 - )は、… 小坂田 淳(おさかだ じゅん、1974年4月2日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は400m。東京都出身。 神戸市立西落合中学校、兵庫県立神戸高塚高等学校、京都産業大学から大阪ガスに入社。大阪ガスの同僚にはアテネオリンピック男子4x100mRで4位入賞の朝原宣治(100m自己記録10秒02=日本歴代2位)、元同僚にはエドモントン世界選手権男子400mH銅メダリストでヘルシンキ世界選手権男子400mH銅メダリストの為末大(400mH自己記録47秒89=日本記録)がいる。2000年シドニーオリンピックに出場。マイルリレーでバトンを落とし、大きな非難を浴びた[誰によって?]。2004年、アテネオリンピックに出場。
谷川 聡(たにがわ さとる、1972年7月5日 - )は、日… 谷川 聡(たにがわ さとる、1972年7月5日 - )は、日本の陸上競技選手で、現在は筑波大学人間総合科学研究科准教授、筑波大学陸上競技部監督・コーチ。博士(体育科学)。110mハードルの第一人者で、2000年シドニーオリンピック、2004年アテネオリンピック代表。東京都町田市出身。 愛称は「サトシ」「サトル」。元陸上競技長距離走・マラソン選手の谷川真理は、いとこに当たる。 1991年に東京都立八王子東高等学校を卒業し、1浪して中央大学経済学部に進学し同大学陸上競技部に在籍。高校時代は都大会どまりだったが、中央大学進学後、日本トップクラスの選手として活躍。同期に鈴木真紀、小出正子らがいた。中大卒業後、筑波大学大学院に進学した。
武井 隆次(たけい りゅうじ、1971年5月18日 - )は… 武井 隆次(たけい りゅうじ、1971年5月18日 - )は、日本の陸上競技選手。前エスビー食品陸上競技部監督。専門は長距離走。墨田区立鐘淵中学校、國學院久我山高等学校、早稲田大学人間科学部スポーツ学科卒業。 國學院久我山高校時代は、2学年上に松本秀之( のち中大)、1学年上に大澤哲夫( のち中大)らがいた。1989年の高校3年時、高知インターハイで同学年のライバル柳倫明(市立船橋3年、のち明大)や中村博幸(大牟田3年、のち日大)らに競り勝ち、1500m(3分53秒35)・5000m(大会新14分13秒73)で優勝し注目される。同年10月27日の浜松中日カーニバルでは、高校生として初めて5000mで14分台の壁を破る13分57秒90を記録する。
大後 栄治(だいご えいじ、1964年11月21日 - )は… 大後 栄治(だいご えいじ、1964年11月21日 - )は、日本の陸上競技指導者、神奈川大学人間科学部教授。陸上競技部監督、前駅伝部監督、現駅伝部部長兼総監督、元関東学生陸上競技連盟駅伝対策委員長。コーチ、監督として箱根駅伝総合優勝2回(往路優勝3回、復路優勝1回)、全日本大学駅伝優勝3回の実績を持つ。 東京都出身。日本体育大学荏原高等学校から日本体育大学に入学した大後も、箱根駅伝出場を夢見ていた選手だった。しかし故障もあって満足に走れず、他の多くの選手と共に埋もれていた。そんな中2年生になって上級生の助言もあってマネージャーに転向。大後と入れ替わりに卒業した谷口浩美、大塚正美の時代からチームは監督、コーチが不在という状況が続いていた。
尾崎 峰穂(おざき みねほ, 1963年9月20日 - )は… 尾崎 峰穂(おざき みねほ, 1963年9月20日 - )は、東京都新宿区出身の陸上競技選手。 小学校時代には野球、中学、高校時代にはバレーボール経験を持つ。18歳時に発症した原因不明の視神経萎縮により失明をした。その後は都立文京盲学校に入学、そこで陸上競技を始める。1984年には1984年ニューヨーク・ストークマンデビルパラリンピックに日本代表として出場、100m、走幅跳、やり投、円盤投、三段跳の種目に参加し100mこそ予選落ちしたもののやり投で4位、円盤投で3位、三段跳で2位、走幅跳では1位となった。以来7度のパラリンピックに出場し11枚のメダルを手に入れており、1984年のニューヨーク・ストークマンデビルパラリンピックから2000年のシドニーパラリンピックまでは4大会連続の金メダルを獲得、2004年のアテネパラリンピックまでは6大会連続メダルを獲得している。
滝川 哲也(たきがわ てつや、1956年8月28日 - )は… 滝川 哲也(たきがわ てつや、1956年8月28日 - )は、東京都出身の元陸上選手。専門は長距離で、早稲田大学時代に箱根駅伝を走り4年連続10区。元時事通信社運動部長、解説委員。日本ワールドゲームズ協会(JWGA)理事、日本スポーツ協会ブランド戦略委員会委員、同協会広報部会長、同協会情報誌「Sport Japan」編集部会長、笹川スポーツ財団評議員などを歴任。2024年10月から時事総研客員研究員、スポーツジャーナリスト。 保善高校時代に全国高校駅伝1区を走り、全国高校総体(久留米総体)にも出場。早稲田大学を受験するも2年連続で不合格となり、日本大学に進学し陸上から一度引退。しかし、箱根駅伝への夢を諦めきれず、日本大学に在学しながら早稲田大学を受験し、合格した。
江副 令子(えぞえ れいこ、1942年6月20日 - )は、… 江副 令子(えぞえ れいこ、1942年6月20日 - )は、日本の陸上競技(短距離走)選手である。 長野県伊那郡高遠町(現在の伊那市)出身。二階堂高校卒業後、リラックス化粧品に所属。1964年東京オリンピックでは女子400メートルリレー走(井口任子・江副令子・宮本悦子・依田郁子)に出場した。
馬場 孝(ばば たかし、1938年2月17日 - 2021年… 馬場 孝(ばば たかし、1938年2月17日 - 2021年4月28日)は、日本の元陸上競技選手、指導者。神奈川県高座郡相模原町出身。日本大学商学部商業学科卒業。 昭和第一学園高等学校、日本大学出身。 高校では水泳をするつもりだったが、プールがなかったため陸上部の入部を希望した。しかし、体が小さかったため、初めは入部を認めてもらえなかったという。3年時にインターハイに出場したが、決勝では腹痛を起こして途中棄権だった。 高校卒業後は松屋百貨店に就職した。2月の20kmロードレースで日本最高記録で優勝し、中央大学陸上競技部監督の西内文夫や日本大学陸上競技部監督の森本一徳から勧誘を受け、最終的には社会人1年目に世話になった田中茂樹の出身校である日本大学に進学した。
戸塚 睦夫 (とつか むつお、1931年〈昭和6年〉4月20… 戸塚 睦夫 (とつか むつお、1931年〈昭和6年〉4月20日 - 1973年〈昭和48年〉5月12日)は、日本の喜劇役者。東京都出身。愛称は「ムッちゃん」。父は剣劇俳優として活躍した藤岡肇。妻は新宿フランス座の看板女優だった水川小夜子。 父・太郎が梅沢昇一座の剣戟俳優・藤岡肇だったためもあって子供のころからチャンバラ映画や大衆演劇に親しみ、ことに大都映画の剣戟スター・大乗寺八郎のカッコよさに強く憧れた。1950年に東京市立芝商業學校を卒業後、シチズン時計に勤務したのち梅沢昇一座、浅香光代劇団、不二洋子劇団を経て、浅草のロック座、池袋のフランス座などのストリップ小屋のコメディアンに転向して辛酸を嘗めていた戸塚は、昭和20年代、浅草の花月劇場に剣劇役者として参加していた際に、同じ浅草の奥山劇場で剣劇役者をしていた三波伸介に出会い、交流を深める。
8代目 雷門 助六(かみなりもん すけろく、1907年4月2… 8代目 雷門 助六(かみなりもん すけろく、1907年4月22日 - 1991年10月11日)は、東京府東京市本郷区壱岐殿坂出身の落語家、喜劇役者。本名∶岩田 喜多二。旧姓は青木。出囃子は『助六ばやし』。愛称は「六さん」。 父は6代目雷門助六。5歳だった1912年から父の門下で小助六の名で人形町末広で初舞台、以降小噺やかっぽれで舞台に立った。 1917年には5代目柳亭左楽の門人となり、小学校の頃は一時中断していた時期もあったが1921年10月には16歳の若さながら睦の五郎の名で真打に昇進。この時睦ノ太郎、睦の三郎とで若手三羽烏として売り出される。 1928年には父の6代目助六が睦会を脱退し独立した際、自身は睦の五郎を返上し雷門五郎に改名する。
高木 正征(たかぎ まさゆき(または「せいせい」)、1904… 高木 正征(たかぎ まさゆき(または「せいせい」)、1904年5月17日 - 1994年6月1日)は、日本の陸上競技(短距離走)選手。極東選手権競技大会では100メートルおよび100ヤード、220ヤードで入賞を果たし、100メートルと200メートルで日本記録(タイ記録を含む)も樹立するなど、その才能を嘱望されながら、旧制山形高等学校時代に事実上陸上競技を引退した。 丹南藩藩主の分家筋に当たる高木正秋(高木正得の弟)を父として、東京府東京市赤坂区青山高樹町(現・東京都港区南青山)で生まれる。「高樹町」の町名は、丹南藩邸があったことに由来し、高木の生家も1000坪の敷地に80坪の邸を構えていた。 暁星中学校時代に陸上競技を本格的に始め、旧制高等学校や大学からの中学校招待レースでいくつも優勝を飾る。
沖田 芳夫(おきた よしお、1903年3月28日 - 200… 沖田 芳夫(おきた よしお、1903年3月28日 - 2001年4月28日)は、日本の陸上競技選手・陸上競技指導者。アムステルダムオリンピック陸上男子円盤投・ハンマー投代表。元円盤投・ハンマー投日本記録保持者。元早稲田大学競走部主将、監督、OB会(早稲田アスレチック倶楽部)会長(代表)。元日本陸上競技連盟審議員。広島県広島市向洋大原(現南区向洋大原町)出身。旧制広島一中(現広島県立国泰寺高等学校)、第一早稲田高等学院、早稲田大学商学部卒業。 広島一中で織田幹雄の一学年上で親友、広島一中への登校が一緒になり付き合いが始まった。中学時代はテニス部。しかし72キロの巨漢で駆り出されて全国中等学校大会に出場し砲丸投で優勝、織田と共に一時代を築いた。