齋藤 洋明(さいとう ひろあき、1976年〈昭和51年〉12… 齋藤 洋明(さいとう ひろあき、1976年〈昭和51年〉12月8日 - )は、日本の政治家、官僚。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、衆議院文部科学委員長。 財務副大臣(第1次石破内閣・第2次石破内閣)、総務大臣政務官(第4次安倍第2次改造内閣)を務めた。 新潟県岩船郡神林村(現村上市)生まれ。神林村立平林小学校、神林村立平林中学校(現村上市立平林中学校)、新潟県立中条高等学校、学習院大学法学部政治学科卒業。神戸大学大学院国際協力研究科博士前期課程(地域協力政策専攻)修了。大学院修了後、内閣府公正取引委員会事務総局入局。内閣府参事官補佐や公正取引委員会の職員等を務めた。 2012年、第46回衆議院議員総選挙に新潟3区から自由民主党公認で出馬。
吉川 浩民(よしかわ ひろみ、1964年8月15日 - )は… 吉川 浩民(よしかわ ひろみ、1964年8月15日 - )は、前日本の自治・総務官僚。内閣官房内閣審議官。群馬県副知事。 新潟県柏崎市(旧刈羽郡高柳町)出身。新潟県立柏崎高等学校を経て東京大学法学部卒業。東大法学部在学中に国家公務員一種試験(法律)に合格。1988年 自治省入省。税務局市町村税課。2005年4月 総務省自治行政局行政課行政企画官。2012年10月 群馬県副知事。2015年7月 総務省自治行政局公務員部福利課長。2016年6月17日 総務省自治財政局地方債課長。2017年7月11日 総務省自治行政局行政課長。2018年7月27日 総務省大臣官房審議官(地方行政、個人番号制度、地方公務員制度、選挙担当)。
柳 孝(やなぎ たかし、1964年5月29日 - )は、日本… 柳 孝(やなぎ たかし、1964年5月29日 - )は、日本の文部科学官僚。文部科学省大臣官房長、文部科学審議官等を経て、文部科学事務次官。 新潟県中頸城郡柿崎町(現上越市柿崎区)出身。新潟県立高田高等学校を経て、1987年立命館大学法学部卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)を受け、科学技術庁入庁。原子力安全局原子力安全課配属。1992年4月原子力安全局原子力安全課総括係長。1993年4月長官官房総務課企画係長。その後は文部科学省大臣官房国際課国際協力政策室長、文部科学省科学技術・学術政策局科学技術・学術戦略官、文部科学省研究振興局研究環境・産業連携課長等を経て、2012年文部科学省研究開発局宇宙開発利用課長。
泉田 裕彦(いずみだ ひろひこ、1962年〈昭和37年〉9月… 泉田 裕彦(いずみだ ひろひこ、1962年〈昭和37年〉9月15日 - )は、日本の政治家、通産・経産官僚。 衆議院議員(2期)、国土交通大臣政務官兼復興大臣政務官兼内閣府大臣政務官、新潟県知事(公選第17・18・19代)、全国知事会危機管理防災対策特別委員会委員長(中央防災会議委員)、全国積雪寒冷地帯振興協議会会長、全日本錦鯉振興会会長、国土交通省貨物流通システム高度化推進調整官、岐阜県新産業労働局長などを歴任。 新潟県加茂市生まれ。加茂市立加茂小学校、加茂市立加茂中学校、新潟県立三条高等学校、京都大学法学部(佐藤幸治ゼミ)卒業。 1987年、通商産業省(現・経済産業省)に入省。入省同期に、衆議院議員の棚橋泰文がいる。
花角 英世(はなずみ ひでよ、1958年〈昭和33年〉5月2… 花角 英世(はなずみ ひでよ、1958年〈昭和33年〉5月22日 - )は、日本の政治家、元運輸・国交官僚。新潟県知事(公選第21・22代)。無所属。 新潟県佐渡郡金井町(現・佐渡市金井)出身。幼少期はベトナム戦争の様子をテレビで目の当りにした影響で、当時の夢はジャーナリストだった。父が転勤族だったために小学校を3回転校しており、10歳から新潟市で過ごし、新潟大学教育学部附属新潟中学校、新潟県立新潟高等学校へ進んだ。 新潟県立新潟高等学校卒業後、1977年4月に東京大学法学部第1類(私法コース)に進学。弁護士を目指し、旧司法試験を受験するも不合格となり、東京大学卒業後の1982年4月に運輸省(当時)に入省。
木下 康司(きのした やすし、1957年〈昭和32年〉3月2… 木下 康司(きのした やすし、1957年〈昭和32年〉3月28日 - )は、日本の財務官僚。第10代財務事務次官。2015年に日本政策投資銀行代表取締役副社長に就任。2018年には同社代表取締役会長に就任し現在に至る。 新潟県新潟市出身。新潟大学医学部教授・木下康民(鳥取県出身)の二男。 新潟県立新潟高等学校から東京大学文科一類に入学。東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。東大在学時は2年の後半から公務員試験や司法試験を目指すグループに入り勉強していた。東大卒業後の1979年(昭和54年)4月、大蔵省(現財務省)に入省。配属先は主計局総務課企画係。 1999年(平成11年)、主計局主計官に就任し、運輸省と郵政省を担当。
星野 茂夫(ほしの しげお、1950年11月20日 - 20… 星野 茂夫(ほしの しげお、1950年11月20日 - 2024年5月16日)は、日本の国土交通官僚。国土交通省航空局次長や海事局長を務めたのちに退官し、社団法人全国通運連盟理事長、JR東日本常勤監査役、JR東日本情報システム取締役会長等を歴任。 新潟県新発田市出身。1969年新潟県立新発田高等学校卒業。1973年一橋大学経済学部を卒業し、運輸省(のち国土交通省)に入省。 2000年国土交通省航空局監理部長に就任。2001年成田国際空港、関西国際空港、中部国際空港の三航空会社に対し示された、空港の建設・整備を特殊法人に、利益の得やすい管理・運営を民間会社に、それぞれ分離するという「上下分離案」につき、航空局監理部長として調整にあたり、同案は「関西国際空港の救済案ではない」との説明を行った。
矢代 隆義(やしろ たかよし、1949年(昭和24年)11月… 矢代 隆義(やしろ たかよし、1949年(昭和24年)11月7日 - )は、日本の警察官僚。第86代警視総監、日本自動車連盟会長などを歴任した。新潟県柏崎市出身。 新潟県立柏崎高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1973年警察庁入庁。山口県警察本部長、警察庁交通局交通企画課長、大阪府警察本部警務部長、埼玉県警察本部長、警察庁長官官房審議官(交通局担当)、交通局長などを歴任。2007年8月6日に第86代警視総監に就任し、2008年8月6日まで1年間務めた。就任直後の8月21日に発生した、警視庁立川警察署巡査長による拳銃を用いた女性射殺事件で国家公安委員会より9月20日に戒告の懲戒処分を受けている。
森 民夫(もり たみお、1949年〈昭和24年〉4月9日 -… 森 民夫(もり たみお、1949年〈昭和24年〉4月9日 - )は、日本の政治家、建設官僚。新潟県長岡市長(5期)、全国市長会会長(第28代)などを歴任した。 新潟県長岡市生まれ。長岡市立四郎丸小学校、長岡市立南中学校、新潟県立長岡高等学校を経て、1972年、東京大学工学部建築学科を卒業。民間の設計事務所である市浦都市開発建築コンサルタンツ(現:市浦ハウジング&プランニング)に就職。 退職したのち、1975年に建設省に入省し、住宅局建設指導課に配属される。1987年茨城県土木部住宅課長、1990年建設省住宅局建設指導課建設専門官、1992年建設省住宅局住宅整備課地域住宅計画官を歴任した。建設省では東京ドーム建設計画に関わり、また1995年、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では建築物危険度判定支援本部長を務めた。
八木健(やぎ けん、1948年8月17日 - )は日本の財務… 八木健(やぎ けん、1948年8月17日 - )は日本の財務官僚。大臣官房審議官(国際局担当)、国際通貨基金理事などを歴任した。新潟市出身。 東京大学経済学部経済学科を優秀な成績で卒業し、1971年 大蔵省入省。オックスフォード大学へ留学し、経済学の修士号を修得。指導教官は後にノーベル経済学賞を受賞したJ.R. ヒックスであり、ヒックスから卒業にあたり、極めて優秀な人物である推薦状をもらっていた。
佐藤 信秋(さとう のぶあき、1947年〈昭和22年〉11月… 佐藤 信秋(さとう のぶあき、1947年〈昭和22年〉11月8日 - )は、日本の政治家、建設・国土交通官僚(技官)。自由民主党新潟県支部連合会会長。 参議院議員(3期)、参議院決算委員長、同財政金融委員長、同地方創生及び消費者問題に関する特別委員長、同行政監視委員長、同環境委員長、第6代国土交通事務次官、技監、国土交通省道路局長、自由民主党国土強靭化推進本部長などを務めた。学位は工学修士(京都大学・1972年)。 新潟県新潟市出身。1966年、新潟県立新潟高等学校卒業。1970年、京都大学工学部土木工学科卒業。1972年、京都大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了。修士論文ではinteger programming(整数計画問題)を扱った。
藤島 安之(ふじしま やすゆき、1947年(昭和22年)3月… 藤島 安之(ふじしま やすゆき、1947年(昭和22年)3月25日 - )は、日本の通産官僚。通商産業大臣官房審議官、駐パナマ大使を歴任。新潟県出身。 同期に、町村信孝、佐野忠克(経産審議官、京大法卒)、及川耕造(特許庁長官)、太田信一郎(特許庁長官)、佐瀬正敬(沖電気執行役員)、岩田満泰(関電副社長、中小企業庁長官、近畿通産局長、東大経卒)、綾部正美(帝国石油専務、大臣官房調査統計部長)、作田穎治(住金専務、基礎産業局長、慶大経卒)、松倉浩司(交流協会元専務理事、東北通産局長)、河本博隆(特許庁審査第一部長)、野村弘(弁護士、1972年退官)など。
近藤健彦(こんどう たけひこ、1941年10月19日 - )… 近藤健彦(こんどう たけひこ、1941年10月19日 - )は日本の大蔵官僚。 新潟県柏崎市出身(父母も新潟県)。柏崎市立第二中学校、新潟県立柏崎高等学校、京都大学法学部卒業。京大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(行政)と外交官試験に合格。1965年 大蔵省入省(主税局国際租税課)。1969年 グルノーブル大学法律経済学部大学院修士課程修了。法学修士修得。1970年7月 浜松税務署長。1989年6月23日 関税局総務課長。1990年6月29日 横浜税関長。1991年6月11日 大臣官房審議官(関税局担当)。1992年6月26日 退官。同年7月 日本貿易振興会(JETRO)理事(アジア地域担当)(〜1998年)。
小池 清彦(こいけ きよひこ、1937年〈昭和12年〉2月2… 小池 清彦(こいけ きよひこ、1937年〈昭和12年〉2月22日 - )は、日本の政治家、防衛官僚。新潟県加茂市長(6期)、防衛研究所長などを歴任した。 新潟県加茂市生まれ。加茂市立加茂中学校、新潟県立三条高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1960年、防衛庁に入庁。英国王立国防大学に留学し、帰国後は防衛庁防衛局計画官、防衛庁長官官房防衛審議官、防衛研究所長を歴任した。1990年に防衛庁教育訓練局長に就任。1992年6月に防衛庁を退官。同年7月、防衛大学校学術・教育振興会理事長に就任。 1995年4月、加茂市長選挙に無所属で立候補し、初当選。以後6期連続当選。2003年に勃発したイラク戦争に関しては、元防衛官僚ながら小泉純一郎首相によるイラクへの自衛隊派遣に反対する要望書を政府に提出した。
栗林 貞一(くりばやし ていいち、1933年〈昭和8年〉1月… 栗林 貞一(くりばやし ていいち、1933年〈昭和8年〉1月10日 - 2016年〈平成28年〉3月2日)は、日本の運輸官僚。第26代海上保安庁長官。 新潟県新潟市出身。1951年(昭和26年)3月に新潟高等学校を卒業、1955年(昭和30年)3月に東京大学法学部を卒業、4月に運輸省に入省、鉄道監督局総務課に勤務。 1981年(昭和56年)に運輸省航空局飛行場部長に就任、航空局次長、貨物流通局長を歴任、1985年(昭和60年)に運輸政策局長に就任、1986年(昭和61年)に第26代海上保安庁長官に就任。 1989年(平成元年)に日本航空に入社、常務取締役、専務取締役を歴任、1993年(平成5年)に副社長に就任、1997年(平成9年)に日本アジア航空代表取締役会長に就任、2001年(平成13年)に特別顧問に就任。
真島 一男(眞嶋 一男、まじま かずお、1932年(昭和7年… 真島 一男(眞嶋 一男、まじま かずお、1932年(昭和7年)10月28日 - 2001年(平成13年)11月22日)は、日本の政治家、官僚。位階は従四位勲二等、勲章は瑞宝章。参議院議員(通算3期)、通商産業政務次官、建設省大臣官房総務審議官、都市局長を歴任。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡工業高等学校卒業。中央大学法学部卒業後、一橋大学大学院法学研究科の田上穰治ゼミで学ぶ。旧司法試験合格。大学院修了後、1960年、建設省に入省。経済企画庁総合計画局計画官、近畿地方建設局総務部長、道路局路政課長、道路局道路総務課長、大臣官房文書課長、大臣官房審議官、都市局長、大臣官房総務審議官などを歴任。1990年、国際花と緑の博覧会の大会実行委員長を務めた。
吉村 午良(よしむら ごろう、1926年(大正15年)2月1… 吉村 午良(よしむら ごろう、1926年(大正15年)2月13日 - 2007年(平成19年)5月7日)は日本の政治家・官僚。元長野県知事(在職期間:1980年(昭和55年) - 2000年(平成12年))。旧名は吾朗であり、改名は姓名判断に凝っている夫人の勧めで行われた。 新潟県長岡市生まれ。長野市立鍋屋田尋常小学校(現:長野市立鍋屋田小学校)、旧制長野中学校(現:長野県長野高等学校)、東京大学法学部を卒業後、自治省(現:総務省)へ入省。1948年(昭和23年)に長野県厚生課に出向し、児童課、林政課、振興課、厚生課の各課長を経て、1957年(同32年)宮城県庁に転じ、1961年(同36年)自治省会計課長補佐、1962年(同37年)総理府統計局経済課長となり、1965年(同40年)自治大臣官房調査官から、長野県総務部長に再出向した。
村山 達雄(むらやま たつお、1915年〈大正4年〉2月8日… 村山 達雄(むらやま たつお、1915年〈大正4年〉2月8日 - 2010年〈平成22年〉5月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。正三位勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(12期)、大蔵大臣(第82代・第91代・第92代)、厚生大臣(第60代)を歴任。税制通で知られ、消費税導入にもかかわった。 新潟県長岡市坂之上町生まれ。株屋をやっていた幸太郎の三男。 長岡市立表町尋常小学校から長岡中学校に進む。長岡中二年の時、母が死去、姉静子に身のまわりの面倒をみてもらうようになった。当時の旧制中学は五年制だったが、中学四年生から旧制高校を受験できた。担任教諭の勧めで一高を受験、合格した。 1937年(昭和12年)に東京帝国大学法学部を卒業。
今井 善衛(いまい ぜんえい、1913年(大正2年)10月5… 今井 善衛(いまい ぜんえい、1913年(大正2年)10月5日 - 1996年(平成8年)4月19日)は、日本の官僚。元通商産業事務次官。 1931年、東京府立第一中学校卒業、第一高等学校を経て、1937年、東京帝国大学法学部政治学科卒業、商工省入省。入省同期に、佐橋滋(通産事務次官)、松村敬一(経企事務次官、通商局長、繊維局長)、樋詰誠明(大丸副社長、中小企業庁長官)、川瀨健治(東京通産局長)など。佐橋、今井、樋詰で「昭和12年入省組の3羽烏」と呼ばれていた。 外務省出向(在米国大使館)、通商局通商政策課長、大臣官房総務課長、中小企業庁振興部長などを経て、1958年8月5日、繊維局長に就任。1959年2月、日米綿製品交渉のため、今井・牛場信彦外務省経済局長・ヘンリー・カーンズ米商務次官補らの三者間で意見交渉を持つ。
広瀬 真一(ひろせ しんいち、1913年1月25日 - 19… 広瀬 真一(ひろせ しんいち、1913年1月25日 - 1986年1月20日)は、日本の官僚、経営者。運輸事務次官や、日本通運社長、会長を務めた。「日通中興の祖」と呼ばれた。 新潟県柏崎市出身。1938年に東京帝国大学法科を卒業し、同年に鉄道省に入省し、同期に若狭得治がいた。運輸省鉄道管理局国有鉄道部長、鉄道管理局長などを経て、1964年6月に運輸事務次官に就任した。1968年をもって退官し、地元新潟県選挙区で参議院選挙に自由民主党公認で出馬したが、落選した。1968年11月に日本通運専務に就任し、日通事件で揺れていていた会社の立て直しに尽力していた。1972年に副社長に就任し、1976年に社長に就任した。
小林 孝平(こばやし こうへい、1908年(明治41年)7月… 小林 孝平(こばやし こうへい、1908年(明治41年)7月15日 - 1991年(平成3年)4月13日)は、日本の政治家、官僚。参議院議員(2期)、長岡市長(5期18年)。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡中学校、旧制第四高等学校を経て、東京帝国大学農学部卒業。農林省官僚となるが、同省の先輩に当たる和田博雄の勧めにより辞職。1950年6月に行われた第2回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党公認で立候補し初当選を果たした。議員在職中は安保条約やベトナム賠償問題などで、政府の姿勢を厳しく質したことから「マムシの孝平」と渾名される。1956年、再選。 その後社会党を離党し、革新系無所属として1961年の新潟県知事選挙に挑み落選(当選は自民党推薦の塚田十一郎)。
諸橋 襄(もろはし のぼる、1899年(明治32年)12月1… 諸橋 襄(もろはし のぼる、1899年(明治32年)12月10日 - 1999年(平成11年)1月18日)は、日本の内務官僚。貴族院議員。法学博士。帝京大学法学部長。従四位勲二等。 新潟市出身。新潟中学(後の新潟県立新潟高等学校)から、東京府立三中(後の東京都立両国高等学校・附属中学校)に転校し卒業。そして旧制第八高等学校を経て、1923年(大正12年)に、東京帝国大学農学部農学科を卒業すると、東京帝国大学法学部政治学科に入学した。 同4月30日、新潟県属となり、1924年(大正13年)4月、同大学を卒業した。以後、奈良県、北海道、広島県、富山県、千葉県、福島県の勤務を経て、1937年(昭和12年)7月31日、 行政裁判所評定官となる。
桜井 三郎(さくらい さぶろう、1899年1月26日 - 1… 桜井 三郎(さくらい さぶろう、1899年1月26日 - 1960年4月8日)は日本の政治家、内務官僚。熊本県知事(官選第34代、公選初代-第3代)、参議院議員(1期)。位階は正三位。医学者、参議院議員の高桑栄松は弟。 新潟県西蒲原郡地蔵堂町(現燕市)に10人兄弟の長兄として生まれる。旧制新潟県立巻中学校、旧制第四高等学校を経て、1926年に京都帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、島根県書記官・警察部長、警視庁部長・消防部長、徳島、福岡両県の内政部長などを歴任。戦中は熊本県で官選知事を務め、1947年の熊本県知事選挙に出馬。細川隆元らを退けて当選した。この際、GHQの幹部が桜の枝を持って投票所を回り、桜井を暗に支持する選挙干渉があったという。
森田 梧郎(もりた ごろう、1896年〈明治29年〉2月15… 森田 梧郎(もりた ごろう、1896年〈明治29年〉2月15日 - 1950年〈昭和25年〉4月13日)は、朝鮮総督府の学務官僚。編修官として国語(日本語)教科書の編纂や、朝鮮における日本語普及政策に携わった。国際経済学者の森田桐郎(元東京大学経済学部教授)は長男。 1896年(明治29年)、新潟県北蒲原郡乙村(現・胎内市)にて生まれた。1915年、新潟県立新発田中学校を卒業。朝鮮半島に渡り、1918年3月に京城中学校附属臨時小学校教員養成所を卒業。 卒業後は朝鮮公立小学校訓導に任じられ、釜山第二尋常小学校に赴任した。1920年、金海公立尋常高等小学校訓導に転任後、同年中に京城櫻井公立尋常小学校訓導に異動。
矢島 杉造(やじま すぎぞう、1889年(明治22年)5月2… 矢島 杉造(やじま すぎぞう、1889年(明治22年)5月29日 - 1948年(昭和23年)5月9日[要出典])は、朝鮮総督府官僚。 新潟県長岡市出身。1913年(大正2年)に高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学政治科を卒業した。朝鮮総督府試補、内務部第二課長、内務局社会課長、地方課長、京畿道内務部長、全羅南道知事を歴任。1935年(昭和10年)には農林局長に就任した。 1937年(昭和12年)に退官した後は、朝鮮林業開発株式会社社長となった。1939年(昭和14年)に退任した後は、朝鮮米穀市場株式会社社長を務めた。 1948年(昭和23年)5月9日、東京都練馬区にて死去[要出典]。
城野 亀吉(しろの かめきち、1888年〈明治21年〉7月2… 城野 亀吉(しろの かめきち、1888年〈明治21年〉7月27日 - 没年不明)は、昭和時代前期の官吏。京都市左京区長、上京区長。東京市牛込区長、品川区長。 城野林平の五男として新潟県加茂郡下新穂村(佐渡郡新穂村を経て、現佐渡市)に生まれる。1914年(大正3年)広島高等師範学校を卒業し京都市に奉職する。同市視学、秘書課長、左京区長、上京区長を経て、東京市視学に転じる。1936年(昭和11年)10月、牛込区長に就任し、1938年(昭和13年)12月まで務めた。その後、社会局保護課長、市監査部区務監察課長を経て、1939年(昭和14年)12月、品川区長となった。 戦後、日本歯車協会理事長となった。
笹井 幸一郎(ささい こういちろう、1885年(明治18年)… 笹井 幸一郎(ささい こういちろう、1885年(明治18年)10月28日 - 1938年(昭和13年)10月15日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、長崎市長。 新潟県中頸城郡斐太村(現在の新潟県妙高市)出身。笹井喜三郎の長男として生まれた。高田中学校を経て第四高等学校を卒業。1910年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1911年、内務省に入省し岐阜県属となる。 以後、岐阜県警視、熊本県玉名郡長、山口県理事官、和歌山県理事官、佐賀県警察部長、警視庁保安部長、復興局経理部長などを歴任。警視庁保安部長時代に関東大震災を経験した。1927年から約1年間、欧米を外遊し、帰国後は復興局史編纂事務の嘱託するなど、公職から外れていた。
小柳 牧衛(小柳 牧衞、こやなぎ まきえ、1884年7月13… 小柳 牧衛(小柳 牧衞、こやなぎ まきえ、1884年7月13日 - 1981年12月21日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、新潟市長、衆議院議員、参議院議員。幼名は畋之助。 新潟県北蒲原郡川東村大字上楠川(現:新発田市)に生まれる。新発田中学、第一高等学校を経て、1909年に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1910年、内務省に入り北海道属となり、1913年、北海道庁理事官に就任。 その後、青島守備軍民政部事務官、臨時震災救護事務局事務官兼総務課長、青森県内務部長、山口県書記官・内務部長、神奈川県書記官・内務部長などを歴任。1926年9月、青森県知事に就任。
今井 昌治(いまい まさはる、1884年(明治17年)1月5… 今井 昌治(いまい まさはる、1884年(明治17年)1月5日 - 没年不明)は、明治時代後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚。高雄市尹、花蓮港庁長。 新潟県中頚城郡高田城下に生まれる。1899年(明治32年)台湾に渡り、1908年(明治41年)6月に台北庁警部、1920年(大正9年)9月に台北州保安課長を経て、1922年(大正11年)5月、台湾総督府地方警視に進み、台北南警察署長に就任する。 1924年(大正13年)12月、地方理事官に進み、台中州新高郡守となり、ついで1926年(大正15年)1月に新竹州苗栗郡守、1927年(昭和2年)8月に台中州彰化郡守を経て、1929年(昭和4年)5月に高雄市尹に就任した。
熊木 捨治(くまき すてじ、1882年〈明治15年〉7月2日… 熊木 捨治(くまき すてじ、1882年〈明治15年〉7月2日 - 1953年〈昭和28年〉5月)は、日本の教育者・文部官僚。 新潟県出身。新潟県立中学校を経て、1907年(明治40年)に早稲田大学文学部哲学科を卒業し、さらに1910年(明治32年)に京都帝国大学文科大学哲学科選科を修了した。同年より京都府立第二中学校教諭嘱託を務め、1916年(大正5年)に京都府女子師範学校教諭となった。京都府立第二中学校教諭、京都府立桃山中学校校長を経て、1927年(昭和2年)に文部省督学官に就任し、図書監修官を兼ねた。1941年(昭和16年)、高岡高等商業学校校長となり、1943年(昭和18年)に大阪第一師範学校校長に転じた。
安倍 邦衛(あべ くにえ、1882年〈明治15年〉3月10日… 安倍 邦衛(あべ くにえ、1882年〈明治15年〉3月10日 - 1950年〈昭和25年〉10月19日)は、日本の鉄道官僚、鉄道技術者、土木技術者。位階は正五位。学位は工学博士。 元鉄道省東京鉄道局工務課技師、東京地下鉄道初代技師長、元帝都復興院勅任技師、東京市電気局第4代技術長、元東京高速鉄道顧問技師。日本で最初の地下鉄の設計者。 新潟県中蒲原郡流作場新田(現 新潟市中央区三和町)出身。1900年(明治33年)3月に新潟県中学校を卒業、1903年(明治36年)7月に第四高等学校を卒業、1906年(明治39年)7月に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。 1906年(明治39年)7月に鉄道作業局に技手として入局、1909年(明治42年)12月28日に鉄道院技師に任官、中部鉄道管理局工務課に配属、東海道線の東京 - 横浜間の鉄道の改良工事に従事、以後、東京の国有鉄道の工事を担当。
池田 幸甚(いけだ こうじん、1880年(明治13年)4月 … 池田 幸甚(いけだ こうじん、1880年(明治13年)4月 - 1924年(大正13年)8月23日)は、台湾総督府官僚。位階および勲等は従四位、勲四等。 新潟県新潟市出身。1907年(明治40年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、台湾総督府属となる。民政部総務局勤務、同内務局勤務、台湾総督府法院書記長・台湾総督府事務官、内務局法務課勤務、法務部民刑課・監獄課勤務、参事官、専売局事務官、庶務課長・脳務課長を歴任。1921年(大正10年)、専売課長に就任した。墓所は青山霊園。
中山 龍次(なかやま りゅうじ、1874年(明治7年)1月1… 中山 龍次(なかやま りゅうじ、1874年(明治7年)1月1日 - 1962年(昭和32年)6月29日)は、日本の逓信官僚。新潟県十日町市長。 新潟県中魚沼郡十日町村(現在の十日町市)出身。1892年(明治25年)、東京郵便電信学校を卒業。逓信技手に任じられ、東京郵便電信学校教授、通信技師、逓信技師を歴任した。イギリス・ドイツ留学後、1913年(大正2年)から在官のまま中華民国交通部顧問を務めた。 1928年(昭和3年)に退官した後は日本放送協会関東支部常務理事となり、1934年(昭和9年)からは日本放送協会常務理事・業務局長となった。1937年(昭和12年)に退任した後は、1938年(昭和13年)から電気通信協会初代会長を務めた。
若林 賚蔵(わかばやし らいぞう、1866年1月14日(慶応… 若林 賚蔵(わかばやし らいぞう、1866年1月14日(慶応元年11月28日)- 1941年(昭和16年)11月27日)は、明治から昭和前期の内務官僚、政治家。官選府県知事、貴族院議員。錦鶏間祗候。 村上藩士・若林安静の長男として越後国岩船郡三ノ町(現在・村上市村上)に生まれる。1893年(明治26年)に帝国大学法科大学を卒業。 1896年(明治29年)警視となり6月、警視庁小松川警察署長に就任、1897年4月、群馬県警察部長に就任。同年10月には沖縄県警察部長に転じ、その後警察監獄学校幹事、兼内務書記官、山形県・石川県の各書記官などを歴任。 1908年(明治41年)3月、島根県知事に就任するも、同年8月、招聘により大韓帝国警視総監となる。
橋本 圭三郎(はしもと けいざぶろう、1865年11月11日… 橋本 圭三郎(はしもと けいざぶろう、1865年11月11日(慶応元年9月23日) - 1959年(昭和34年)2月14日)は、日本の官僚・実業家。貴族院議員。新潟県長岡市千手町出身。 長岡藩士・橋本弥十郎の長男として生まれる。1884年(明治17年)に長岡学校を卒業、育英団体である長岡社の支援を受けて上京、大学予備門へ進学。1890年(明治23年)、東京帝国大学を卒業して法制局に入り、1893年に枢密院書記官となる。 その後、大蔵省へ移り、欧米出張を経て1905年(明治38年)に横浜税関長、1907年(明治40年)に主計局長、1911年(明治41年)には大蔵次官となる。さらに、1912年(明治42年)12月5日に貴族院議員に勅選され、1946年(昭和21年)まで努めた。
田沼 健(たぬま けん、弘化3年11月16日〈1847年1月… 田沼 健(たぬま けん、弘化3年11月16日〈1847年1月2日〉 - 1909年〈明治42年〉7月6日)は、幕末の高田藩士、明治期の内務官僚。官選山梨県知事。名・利遂、通称・周太郎。 越後国頸城郡高田蓮池横町(現新潟県上越市)で、高田藩士・田沼善太夫(通称・恆)の長男として生まれる。藩儒・木村容斎に学んだ。明治2年9月(1869年)、高田藩史監となり、さらに同藩少属十四等出仕を務めた。 廃藩置県後、柏崎県に出仕。1873年8月、新潟県少属に就任し、楠本正隆県令に仕えた。楠本が東京府知事に転じると、1876年、同府少書記官に就任。1883年6月、神奈川県大書記官に転じた。 1893年(明治26年)3月21日、山梨県知事に就任。
小林 雄七郎(こばやし ゆうしちろう、弘化2年12月23日(… 小林 雄七郎(こばやし ゆうしちろう、弘化2年12月23日(1846年1月20日) - 明治24年(1891年)4月4日)は、幕末期の越後長岡藩士、明治期の官吏、衆議院議員。 新潟町奉行を務めた長岡藩士小林又兵衛の第7子で、「米百俵」で知られた小林虎三郎の弟。藩校の崇徳館に学ぶ。戊辰戦争で敗北し、江戸に出て、明治3年(1870年)慶應義塾に入学。卒業後に大蔵省紙幣寮(現・国立印刷局)の官吏となる。第六十九国立銀行設立に尽力した。その後、文部省・工部省などを転々とし、当時工部省にいた伊藤博文と共に高島炭鉱の後藤象二郎への払い下げを決定した。 明治8年(1875年)東京に在住していた旧長岡藩士と共に育英事業団体「長岡社」を創設、商人や農民も受け入れて広く人材の養成に努めた。
銀林 綱男(ぎんばやし つなお、1844年5月6日〈弘化元年… 銀林 綱男(ぎんばやし つなお、1844年5月6日〈弘化元年3月19日〉 - 1905年〈明治38年〉9月20日)は、幕末の尊攘運動家、明治期の内務官僚・実業家。官選埼玉県知事。孫に数学者の銀林浩、曾孫に政治家の片山さつきがいる。同郷の前島密と親交があった。 越後国頸城郡青海村(後の新潟県西頸城郡青海町→糸魚川市)の青海神社の宮司銀林玄類の息子として生まれる。江戸で医学、詩文を学んだ。戊辰戦争では新政府側の居之隊に属して転戦した。 慶応4年(1868年)8月、新政府に出仕し民政方御用掛に就任。以後、新潟県少属、同一等警部を歴任。1876年、東京府に転じ、同大属、同戸籍掛長、同学務課長、同建築調査委員、同官報通信主任、同会計主務官代理などを務めた。
秋山 恒太郎(あきやま つねたろう / こうたろう、1844… 秋山 恒太郎(あきやま つねたろう / こうたろう、1844年(弘化元年6月)? - 1911年(明治44年)6月7日)は明治時代の日本の教育者、文部官僚。号は不羈斎(ふきさい)。 官立長崎師範学校、官立東京師範学校(筑波大学の前身の1つ)をはじめ、各地の県立師範学校・中学校校長を歴任した。 越後国長岡に生まれる。長岡藩校崇徳館初代都講秋山景山の嗣子・四郎左衛門の孫にあたり、四郎左衛門の婿養子・左内の養子となって秋山家を継いだ。安政初年(1855年頃)、幕府の老中を務めていた藩主牧野忠雅の命により小林見義、藤野善蔵、武謙斎の3名と江戸に遊学。儒学者・安井息軒の門に学んだ。また慶応2年(1866年)頃、帰郷していた長岡藩出身の幕臣・鵜殿団次郎(春風)と親しく交際。
岡村 為蔵(おかむら ためぞう、天保14年5月25日〈184… 岡村 為蔵(おかむら ためぞう、天保14年5月25日〈1843年6月22日〉 - 1915年〈大正4年〉2月21日)は、幕末期の桑名藩士、明治時代の司法官僚、大審院判事。 越後国山室(現在の新潟県柏崎市)に、行田常冶改め常左衛門の次男として生まれ、まもなく山室の庄屋岡村家第14代権之丞の娘と入婿して岡村家を継ぐ。14歳で庄屋見習。慶応3年(1867年)桑名藩柏崎陣屋から郡中取締役を申し付けられ、その年の6月には一代苗字帯刀を許され武士となる。桑名藩が戊辰戦争で鯨波戦争を最後に敗走し、新政府が柏崎民政局を置くと、民政局御用掛となり、敗戦処理の経験を買われて会津戦争の戦後処理のため、若松県に2年出向。
前島 密(まえじま ひそか、1835年2月4日〈天保6年1月… 前島 密(まえじま ひそか、1835年2月4日〈天保6年1月7日〉- 1919年〈大正8年〉4月27日)は、日本の官僚、政治家、教育者。位階勲等爵位は正二位勲二等男爵。本姓は上野。幼名は房吾郎。名(諱)は巻退蔵、密。通称は来輔。号は如々山翁鴻爪。 越後国出身。日本の近代郵便制度の主要な創設者の一人であり「日本近代郵便の父」と呼ばれ、大蔵省駅逓頭(後の郵政大臣・現総務大臣)、逓信省次官を務めた。今も使われる「郵便」「切手」「葉書」という名称を定めたほか、1円切手の肖像で知られる。また、東京専門学校及び早稲田大学の建学に深く関わり、早稲田大学第2代校長を務め、校賓の名誉を受けている。早稲田大学正門横にある「早稲田大学教旨」の碑文は、前島密が1915年(大正4年)に揮毫した自筆が元であり、原本は大学に保存されている。
小沢 辰男 は、日本の内務及び厚生官僚、政治家。
岩佐理(いわさ おさむ)は、日本の財務官僚。財務省大臣官房文… 岩佐理(いわさ おさむ)は、日本の財務官僚。財務省大臣官房文書課長。 新潟県上越市出身。新潟県立高田高等学校、東京大学法学部卒業。1994年 大蔵省入省(主計局総務課)。国家予算の編成に関わり、深夜、早朝まで各種資料の作成や文献調査等をこなしていた。1996年6月 米国留学。1998年7月 文部省教育助成局教職員課企画係長。 2000年7月 関税局調査保全課長補佐(総括)。2001年1月6日 財務省関税局調査保全課長補佐(総括)。総括課長補佐として、課長など、幹部の最終判断をするため、課に関係する全ての案件を把握し、課を代表して関係各局課間との調整を担当するとともに20数名の課員を統率する立場にいた。
木村 実(きむら みのる)は、日本の国土交通官僚。金沢市都市… 木村 実(きむら みのる)は、日本の国土交通官僚。金沢市都市政策部次長、国土交通省大臣官房審議官、内閣官房内閣審議官などを経て、国土交通省国土政策局長を務めた。 新潟県小千谷市出身。1989年長岡技術科学大学大学院工学研究科建設工学専攻修了、国土庁入庁。1995年国土庁計画・調整局総務課国土情報整備室課課長補佐。 1996年金沢市都市政策部交通対策課長・新交通システム対策室長。1998年金沢市都市政策部担当次長・企画調整課長・広域交流室長・広域交通整備推進室長。 2001年国土交通省国土計画局総合計画課課長補佐、内閣府民間資金等活用事業推進室参事官補佐。2003年国土交通省国土計画局総務課企画官。