幌村 黛汰(ほろむら だいた、2004年8月8日 - )は、… 幌村 黛汰(ほろむら だいた、2004年8月8日 - )は、北海道静内郡静内町(現:日高郡新ひだか町)出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 3人兄弟の長男として生まれる。弟2人も2025年時点で高校での野球経験があり、母親は帝京長岡高等学校や未来高等学校富山で寮母を務めている(後述する幌村のIMFバンディッツ富山入社の際に転任)。 新ひだか町立高静小学校1年時からみゆきフェニックスで軟式野球を始める。6年次にスタルヒン杯全道大会に出場し、全道3位となった。この大会で後に帝京長岡高校でチームメイトとなる茨木秀俊と準決勝で対戦し敗れていた。新ひだか町立静内第三中学校時代は遊撃手兼投手として日高シニアに所属した。
田中 晴也(たなか はるや、2004年6月6日 - )は、新… 田中 晴也(たなか はるや、2004年6月6日 - )は、新潟県長岡市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 長岡市立四郎丸小学校で野球を始め、長岡市立南中学校では軟式野球部に所属。3年時には新潟県選抜に選出され、全国大会で3位の成績を残した。 日本文理高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。2年春からエースとなり、打者としても中軸を担った。同年夏の第103回全国高等学校野球選手権大会に出場し、初戦(2回戦)で敦賀気比と対戦。当時の自己最速となる147km/hを計測したが、8回8失点と打ち込まれ敗れた。3年夏は新潟県大会準決勝で自己最速を更新する150km/hを計測した。
滝澤 夏央(たきざわ なつお、2003年8月13日 - )は… 滝澤 夏央(たきざわ なつお、2003年8月13日 - )は、新潟県上越市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 6歳の時に地域の幼年野球三郷タイフーンで軟式野球を始め、上越市立城西中学校では軟式野球部で内野手と投手を務めたほか、新潟県KWBクラブ選抜に選ばれた。 進学した関根学園高等学校では1年春に背番号4、1年夏には背番号6をつけ二塁手のレギュラーとなり、2年秋には県大会3位、北信越大会ベスト4入りを果たした。秋季北信越大会では準決勝で敦賀気比高等学校と対戦。1点リードの8回からマウンドに立ったが、9回二死一・二塁から同点打を許し、延長10回にエラーが絡んで逆転負けを喫した。
韮澤 雄也(にらさわ ゆうや、2001年5月20日 - )は… 韮澤 雄也(にらさわ ゆうや、2001年5月20日 - )は、新潟県魚沼市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 小学1年から新潟南リトルで野球を始め、魚沼市立堀之内中学校時代は新潟シニアに所属し、2年時には日本選手権、3年時にはジャイアンツ杯に出場した。 花咲徳栄高等学校では1年春からベンチ入りし、夏の全国高等学校野球選手権大会では控え選手ながら埼玉県勢初の全国制覇を経験。1年秋から3番・遊撃手のレギュラーを掴み、2年夏の全国高等学校野球選手権大会では、2回戦で横浜高校に敗れたが、及川雅貴から適時打を放つなど2試合で5打数2安打。3年夏の全国高等学校野球選手権大会は初戦敗退に終わるが、3年連続で夏の甲子園に出場した。
荘司 康誠(しょうじ こうせい、2000年10月13日 - … 荘司 康誠(しょうじ こうせい、2000年10月13日 - )は、新潟県新潟市西区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 新潟市立東青山小学校2年生のときに青山あらなみ野球少年団で野球を始め、投手・遊撃手としてプレー。新潟市立小針中学校在学時は硬式野球のクラブチームである新潟西シニアに所属していたが、2年生のときに腰椎分離症を発症し、卒団まで投手としてはほとんど投げられず、控えの外野手で出場機会にも恵まれなかった。なお、同級生に鈴木裕太がいた。 新潟明訓高等学校では本格的に投手へ転向し、2年春から公式戦に登板。3年春からエースとなるも、同年夏の新潟県大会では1回戦で敗退した。
鈴木 裕太(すずき ゆうた、2000年8月2日 - )は、新… 鈴木 裕太(すずき ゆうた、2000年8月2日 - )は、新潟県新潟市西区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 新潟市立東青山小学校では2年時に東青山ブルーソックスで野球を始め、新潟市立小針中学校では新潟シニアに所属していた。なお、同級生に荘司康誠がいた。 日本文理高校進学後、2年夏は新潟県大会を制し、第99回全国高等学校野球選手権大会に出場に貢献。初戦の鳴門渦潮高校戦では先発するも、自責は0だったが、3回途中2失点でマウンドを降りた。続く2回戦の西巻賢二擁する仙台育英高校戦では登板無く敗れた。3年春には新潟県の高校生で初の150km/hを記録。 2018年10月25日に行われたドラフト会議では、東京ヤクルトスワローズに6位指名を受け、契約金2200万円、年俸480万円(金額は推定)で入団した。
佐藤 琢磨(さとう たくま、2000年3月18日 - )は、… 佐藤 琢磨(さとう たくま、2000年3月18日 - )は、新潟県新潟市出身のプロ野球選手(投手、育成選手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 新潟市立下山小学校2年から新潟ポニーで野球を始め、下山中学校でもポニーリーグの同チームに所属。 新潟青陵高等学校では1年夏から登板し、1年秋からはエースとなった。3年夏は初戦敗退し、甲子園出場経験はない。 大学は関甲新学生野球連盟に所属する新潟医療福祉大学に進学。同級生の桐敷拓馬が下級生時から結果を残し注目を集める中、リーグ戦での登板機会を得られなかったが、3年秋にリーグ戦デビューし、4年春にリーグ戦初勝利を挙げた。 2021年10月11日に行われたプロ野球ドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから育成選手ドラフト13位で指名された。
綱島 龍生(つなしま りゅうせい、2000年1月21日 - … 綱島 龍生(つなしま りゅうせい、2000年1月21日 - )は、新潟県糸魚川市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 小学1年時から軟式野球を始め、中学では捕手としてプレーした。 新潟県立糸魚川白嶺高等学校では1年春から「3番・捕手」を任され、夏の県予選では同校の4年ぶりの勝利に貢献した。1年秋に遊撃手に転向した。高校時代は春夏を通じ甲子園出場経験はないものの、巧打で俊足強肩の遊撃手としてプロスカウトから評価されていた。 2017年度プロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズより6位で指名を受け、11月15日に仮契約を結んだ。背番号は63。 2018年は二軍で56試合に出場し、110打席で打率.238であった。
荒井 颯太(あらい そうた、1999年9月27日 - )は、… 荒井 颯太(あらい そうた、1999年9月27日 - )は、新潟県上越市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 関根学園高では1年生の春からレギュラー。夏の選手権大会は1年次の県8強が最高で甲子園出場はなかった。 3年春の北信越大会1回戦において、大会屈指の好投手であった対戦相手の啓新高の牧丈一郎を見るために集まったスカウトの前で2安打を放ち目に留まり、読売ジャイアンツのスカウトから入団テストの受験を勧められた。 2017年9月に実施された読売ジャイアンツの入団テストを受験し合格。10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツから育成選手ドラフト8位で指名を受けた。
菊地 大稀(きくち たいき、1999年6月2日 - )は、新… 菊地 大稀(きくち たいき、1999年6月2日 - )は、新潟県佐渡郡真野町(現:佐渡市)出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 佐渡市立真野小学校1年時に真野ファイターズで野球を始め、佐渡市立真野中学校3年時には佐渡市選抜のメンバーとして離島甲子園に出場した。 新潟県立佐渡高等学校では1年夏からベンチ入り。3年春の県大会は4回戦に進出したが、3年夏の県大会は初戦敗退し、甲子園に出場することはできなかった。最速145km/hの剛腕として注目を集め、プロ志望届を提出し9球団から調査書が届いたものの、ドラフトでは指名漏れとなった。 進学した桐蔭横浜大学では1年秋の右肘のクリーニング手術、3年春のコロナ禍の影響によるリーグ戦中止などもあり、4年春までの勝ち星は4勝にとどまったが、最終シーズンとなる4年秋は神奈川大学を14奪三振で完封するなど4勝を挙げ、最優秀投手とベストナインに選ばれた。
知野 直人(ちの なおと、1999年2月16日 - )は、新… 知野 直人(ちの なおと、1999年2月16日 - )は、新潟県三条市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 小学3年から野球を始め、中学時代は三条リトルシニアでプレーをした。高校は福島県の聖光学院高に進学し、1年秋からベンチ入りするも徐々に野球に集中できなくなり、3年夏の福島大会ではベンチを外れ、3年秋に中退。その後、通信制の第一学院高へ転校。高校卒業資格を取得後、地元・新潟へ戻り、再び野球を始める決意を固めた。 2017年に新潟アルビレックスBCに練習生として入団。7月13日に選手契約を結んだ。元プロ野球選手の草野大輔コーチから徹底的に打撃や守備の指導を受けると才能が開花し、28試合に出場し、打率.350、4本塁打、21打点、8盗塁の成績を残した。
松谷比菜乃(まつや ひなの、1998年2月18日 - )は、… 松谷比菜乃(まつや ひなの、1998年2月18日 - )は、新潟県柏崎市出身の元女子プロ野球選手。
飯塚 悟史(いいづか さとし、1996年10月11日 - )… 飯塚 悟史(いいづか さとし、1996年10月11日 - )は、新潟県上越市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時代からのバッテリーである鎌倉航とともに日本文理高校に進学し、1年の夏からベンチ入り。その秋から背番号「1」を背負い、2年の夏に第95回全国高等学校野球選手権大会初出場。2年秋の第44回明治神宮野球大会では合計3本塁打(決勝で2打席連続、うち1本はバックスクリーンを越える130m弾)を打つも、決勝で沖縄尚学に敗れる。3年春の選抜大会では豊川高校に1回戦で敗れるも、その夏の3度目の甲子園では、5試合を1人で投げ抜きベスト4に進出した。高校通算15本塁打。 2014年のプロ野球ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから7巡目指名を受け、11月5日に契約金2000万円、年俸500万円で仮契約した。
漆原 大晟(うるしはら たいせい、1996年9月10日 - … 漆原 大晟(うるしはら たいせい、1996年9月10日 - )は、新潟県燕市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 粟生津小学校2年時に吉田ジュニアクラブで軟式野球を始め、吉田中学校在学中は硬式野球の三条リトルシニアへ所属。中学時代のチームメイトには2学年後輩に知野直人がいた。 新潟明訓高等学校へ進学し、1年夏の甲子園では背番号18でベンチ入りを果たすも、阪神甲子園球場での登板機会は無かった。2年時以降は同球場での全国大会に縁が無く、3年夏の背番号は11であった。 新潟医療福祉大学健康科学部健康スポーツ学科に進学すると、1年秋の関甲新学生野球連盟秋季リーグ・対関東学園大学戦でリーグ新記録となる11打者連続奪三振を達成。
川上 拓斗(かわかみ たくと、1996年4月15日 - )は… 川上 拓斗(かわかみ たくと、1996年4月15日 - )は、新潟県小千谷市出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は29。 小学3年生のときから野球を始め、中学時代はエースを務めた。中越高等学校時代は2年夏に故障しながらも、3年春にはメンバーに復帰し、夏にも一塁手の控えとしてベンチ入り。県大会準々決勝の日本文理高校戦では最終回で代打として出場するも三振に倒れ、引退した。高校公式戦は代打でしか出場できなかったものの、通算4打数3安打の打率.750であった。故障で試合に出られない中、練習試合で審判を任され、その頃に高校の先輩がNPBアンパイア・スクールを受験する話をたまたま聞いたことから、野球審判員を目指すようになる。
椎野 新(しいの あらた、1995年10月10日 - )は、… 椎野 新(しいの あらた、1995年10月10日 - )は、新潟県胎内市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 黒川サンダースで野球を始め、胎内市立黒川中学校では軟式野球部に所属した。新潟県立村上桜ヶ丘高等学校では2年生の春から公式戦に登板。2年生の秋の新潟大会3回戦・新潟県立長岡大手高等学校戦で初先発を果たし、10奪三振1失点の好投で初完投勝利(7回コールド)を収める。3年生の春から主戦を務め、春季新潟大会では38.2回8失点で10年ぶりの優勝をもたらした。初戦の新潟県立巻総合高等学校戦で18三振を奪う完封勝利を挙げる。準決勝の日本文理高校戦では142km/hを計測し、8回を3失点に抑えた。
髙井 俊(たかい すぐる、1995年8月22日 - )は、新… 髙井 俊(たかい すぐる、1995年8月22日 - )は、新潟県見附市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 父親はアマチュア野球で審判を務めていた。小学校2年生の時に野球を始め、中学時代は軟式野球部に所属。中学生で野球をやめるつもりだったが、両親からの勧めもあり、親元を離れて宮城県の東北高等学校に進学し、野球を続けた。 高校時代は、自身の失態による練習不許可や不慮の事故による負傷などがあり、なかなか主力選手の一員になれなかった。3年生時には全国高等学校野球選手権宮城大会に出場するも4回戦で敗退。「自分のレベルではついて行けない」という理由で大学野球部からの勧誘を断り、実家に戻って長岡市の調理師学校に入学。
髙橋 洸(たかはし こう、1993年4月30日 - )は、新… 髙橋 洸(たかはし こう、1993年4月30日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロ野球選手(外野手)。 日本文理高では、1年時の春からベンチ入り。夏には控え投手として第91回全国高等学校野球選手権大会に出場。自身の出場機会は無かったものの、チームは新潟県勢初となる甲子園決勝に進出。中京大中京高を相手に9回に強烈な粘りを見せるが、あと一歩及ばず9-10で敗退し準優勝。 2年時の夏に野手に転向するも、打撃の低迷から一時は野球を辞めるという考えにまで至ったが、チームメイトの励ましもあり思い留まる。 3年時は、春に第83回選抜高等学校野球大会に8番・三塁手として出場。初戦は香川西高に8-1で勝利するも、2回戦で九州国際大付高に2-4で敗れる。
髙橋 洸(たかはし こう、1993年4月30日 - )は、読… 髙橋 洸(たかはし こう、1993年4月30日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手・育成選手)。
池田 駿(いけだ しゅん、1992年11月29日 - )は、… 池田 駿(いけだ しゅん、1992年11月29日 - )は、元プロ野球選手(投手)。左投左打で、読売ジャイアンツと東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍した。プロ野球引退後は公認会計士資格スクール講師。新潟県三島郡出雲崎町出身。 出雲崎小学校では3年生から穂波スカイヤ―ズ(現・出雲崎スカイヤーズ)で野球を始める。出雲崎中学校では軟式野球部に所属した。 幼い頃の夢は数学教師で、野球の傍ら勉学にも励み、一般入試に合格して新潟明訓高校に進学した。2年春からエースを務めた。3年春の新潟県大会で優勝、続く3年夏の新潟県大会も制し、阪神甲子園球場での第92回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の京都外大西高校、続く3回戦の西日本短大付高校を抑え、ベスト8に進出。
渡辺 貴洋(わたなべ たかひろ、1992年8月26日 - )… 渡辺 貴洋(わたなべ たかひろ、1992年8月26日 - )は、新潟県胎内市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 胎内市立中条中学校時代は、軟式野球部に所属。 山形県の鶴岡東高校に進学後、1年時から公式戦に登板し、2年時の秋からエースとなる。3年時の夏は、山形県予選準決勝まで全5試合で完投する。しかし、決勝で山形中央高に延長12回の末3-4で敗れ準優勝に終わり、自身が最後の打者となった。この事もあって、甲子園出場への切符を勝ち取ることができなかった。 高校卒業後は、地元球団であるベースボール・チャレンジ・リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団。
渡邉 雄大(わたなべ ゆうた、1991年9月19日 - )は… 渡邉 雄大(わたなべ ゆうた、1991年9月19日 - )は、新潟県三条市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 三条市立四日町小学校出身。三条市立第一中学校1年生の時から、同校の軟式野球部で野球を始める。 長岡市の中越高校に進学し、3年生の時に背番号1を付けエースとなる。3年生の春の春季北信越大会において決勝に進出。3年生の夏の第91回全国高等学校野球選手権新潟大会において、4回戦は完封勝利、準々決勝は完投勝利と好投をみせ、決勝に進出するが、決勝戦で日本文理高校に敗れ、甲子園出場はならなかった。 青山学院大学に進学し、2年生の時に投手としての特長を出すために、それまでのスリークォーターの投球フォームからサイドスローに変更する。
阿部 拳斗(あべ けんと、1990年5月4日 - )は、新潟… 阿部 拳斗(あべ けんと、1990年5月4日 - )は、新潟県南魚沼市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 塩沢中学校軟式野球部・中越高等学校の出身。2008年、新潟県高等学校野球連盟優秀選手表彰を受賞。 2011年、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団。同年オフにはBCリーグからの派遣でコロンビア・ウインターリーグにも参加した。2012年、13勝をあげ、チーム初となるリーグ総合優勝に貢献した。このシーズンには、前期リーグMVPを受賞した。香川オリーブガイナーズと対戦したグランドチャンピオンシップでは第2戦に先発し、1勝を挙げている。 2015年11月2日付で退団。2016年、実家の農業(稲作)に就農[要出典]。
横山 龍之介(よこやま りゅうのすけ、1988年9月29日 … 横山 龍之介(よこやま りゅうのすけ、1988年9月29日 - )は、新潟県中蒲原郡小須戸町(現:新潟市秋葉区)出身の元プロ野球選手(投手)。 日本文理高では、一年生のときからベンチ入り。2006年の春の甲子園と夏の甲子園にはエースとして出場。センバツでは新潟県勢初勝利を記録し、ベスト8進出に貢献した。 2006年高校生ドラフト4巡目で阪神から指名を受け入団。 2007年、2008年は二軍でも2年で7試合と登板数が少なかったが、2009年は登板数が増え、二軍で初勝利を挙げる。 投球フォームをサイドスローに変えて挑んだ2010年は6月22日に初の一軍昇格を果たし、6月27日の東京ヤクルトスワローズ戦でプロ入り初登板。
相沢 晋(あいざわ すすむ、1987年6月3日 - )は、新… 相沢 晋(あいざわ すすむ、1987年6月3日 - )は、新潟県西蒲原郡岩室村 (現在の新潟市西蒲区)出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校4年の時に野球を始め、岩室中学校から新潟県立巻高等学校に進学。2年の秋から投手となり、先輩からはスライダーを教わった。3年時にはチームのエースとなり、同年の新潟県大会では、新潟明訓高等学校戦で12回2/3を投げたが、最後はサヨナラ負けを喫した。甲子園出場経験は無し。 その後、石巻専修大学に進学し宮城県石巻市に移住。2年の秋には、JR東日本東北時代の攝津正よりカーブとシンカーを教わった。4年春の南東北大学リーグでは、全11試合に先発し8勝の成績でMVPを獲得、最多勝、ベストナインも受賞。
金子 千尋(かねこ ちひろ、1983年11月8日 - )は、… 金子 千尋(かねこ ちひろ、1983年11月8日 - )は、オリックス・バファローズに所属する新潟県三条市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。
小西 翔(こにし しょう、1983年3月11日 - )は、京… 小西 翔(こにし しょう、1983年3月11日 - )は、京都府出身のプロ野球選手(外野手)。 1983年3月11日、京都府で生まれる。その後両親の仕事の都合から新潟県上越市に転居した。 野球を始めたのは小学1年生の頃。地元の少年野球チーム「福田リトルイーグルス」へ入ったのが原点。当時から中学までポジションは捕手だった。また上越教育大学附属中学校3年時には主将を務め、4番を打った。 中学卒業後、新潟県立高田高等学校に進学。3年時は4番で一塁手。夏の大会では県ベスト16。俳優の佐藤佑介は高校時代のチームメイトでもある。 卒業後、指定校推薦で慶應義塾大学に進学した。3年時からベンチ入り。4年時には主に代打で、相手チームの先発が左投手の場合には3番左翼手で先発出場。
富樫 和大(とがし かずひろ、1980年10月25日 - )… 富樫 和大(とがし かずひろ、1980年10月25日 - )は、新潟県出身の元プロ野球選手(投手)。 新発田農業高校では加藤健とバッテリーを組んでおり、3年生の時に第70回選抜高等学校野球大会に出場し、豊田西高校に0-5で敗れ初戦敗退。第80回全国高等学校野球選手権大会にも出場し、初戦に浜田高校と対戦し、和田毅と投げあったが2-5で敗れ、春に続いて初戦敗退となった。 卒業後は川崎製鉄千葉に進み、2年目には都市対抗野球で先発する。2001年プロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズに6巡目指名を受け入団した。 故障に苦しみ、1年目は二軍でも登板はなかった。その後も一軍に上がることができず、2004年に戦力外通告を受けた。
本間 忠(ほんま ただし、1977年8月5日 - )は、新潟… 本間 忠(ほんま ただし、1977年8月5日 - )は、新潟県出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 新潟県新津市(現新潟市秋葉区)出身。もともとキャッチャーだったが日本文理高等学校で投手に転向。 日本文理高校を卒業後、大分県にある日本文理大学(日本文理高校の系列校ではない)に入学するも、肩の故障などで僅か半年で中退し帰郷。 家業の工務店を手伝う傍ら、新潟市に本拠を置く社会人クラブチーム・ケンタッキー・サンダーズ(後に野田サンダーズ)でプレーを再開した。それから3年後、都市対抗予選で対戦したNTT信越の監督からの勧めでプロ球団の入団テストを受けることになり、1998年秋は読売ジャイアンツのテストに高野忍と共に合格。
栗山 聡(くりやま さとし、1974年6月15日 - )は、… 栗山 聡(くりやま さとし、1974年6月15日 - )は、新潟県新発田市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学4年の時に野球を始める。新発田中央高等学校3年の夏は県大会3回戦で敗退。 東京農業大学生物産業学部へ進むと3年春にチーム初の大学選手権出場を果たす。秋はMVP、最優秀投手。4年春も5連続完封で2年連続出場に貢献、リーグ通算15勝。1996年のドラフト5位でオリックス・ブルーウェーブに入団。チームから初のプロ入りとなった。 1998年にプロ初先発で初勝利を挙げたが結果的にこれがプロでの唯一の勝利となる。 2000年には交流戦導入前としては珍しく、パ・リーグの投手である松坂大輔に2点適時打を打たれた。
小林 幹英(こばやし かんえい、1974年1月29日 - … 小林 幹英(こばやし かんえい、1974年1月29日 - )は、広島県生まれ、新潟県新潟市東区育ちの元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。現在は広島東洋カープの三軍投手育成強化コーチを務めている。 父が国家公務員であったため、幼少期は転勤で全国を転々とする。小学4年時から新潟市東区に定住。新潟東リトルリーグで本格的にプレーを開始し、新潟市立藤見中学校3年時の1988年、新潟市営鳥屋野公園球場で開催されたヤクルトスワローズ対中日ドラゴンズ戦の試合前には始球式を務めた。 新潟明訓高校では3年時に同校初となる第73回全国高等学校野球選手権大会に出場するも開幕戦で岡本克道を擁した柳ヶ浦高校に敗れた。
松田 和久(まつだ かずひさ、1966年7月16日 - )は… 松田 和久(まつだ かずひさ、1966年7月16日 - )は、新潟県佐渡市出身の元プロ野球選手(外野手)。 父親が航空自衛隊勤務のため、佐渡島で生まれ、北海道と青森県に住んだ後、中学2年生の時に鳥取県境港市に定住。本籍地は広島県呉市である 。彼は地元の野球チームである広島東洋カープの熱烈なファンであり、子供の頃からの夢であったプロ野球選手になることができた。境高では、3年次に夏の甲子園に出場したが、1回戦で法政一高に延長の末、初被安打がサヨナラ本塁打となり敗れた。高校の1学年後輩に足立亘がいる。 高校卒業後、浪人を経て1987年6月から広島東洋カープの練習生となり、翌年から選手登録、4年間のプロ生活で一軍公式戦への出場がないまま1991年限りで現役を引退。
猪俣 隆(いのまた たかし、1964年6月27日 - )は、… 猪俣 隆(いのまた たかし、1964年6月27日 - )は、新潟県長岡市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は寿司職人。 新潟県長岡市出身。遅くとも長岡市立東中学校から野球部に所属し、同校卒業後野球留学で上京し、堀越高校に進む。1982年夏の西東京大会準決勝に進出するが、日大二高に6回コールド負け。 1983年に卒業後法政大学へ進学。1年春の新人戦(対明大戦)では新人戦史上初のノーヒットノーランを達成した。2年時の1984年秋、4年広澤克実や福王昭仁擁する明大2回戦で完封勝利し、さらに3回戦でも法大が勝利し明大から勝ち点を挙げながら、優勝を明大にさらわれた。東京六大学野球リーグでは在学中4回優勝し、このうち85年春・86年春のリーグ優勝に大きく貢献した。
古川 利行(ふるかわ としゆき、1963年9月24日 - )… 古川 利行(ふるかわ としゆき、1963年9月24日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロ野球選手(投手)。 北越商業高では2年生の時、エースとして1980年秋季北信越大会で準決勝に進むが、音重鎮のいた星稜高に敗退し春の選抜出場を逸する。翌1981年、春の北信越大会では1回戦で東海大三高に延長14回サヨナラ負けを喫するが、左腕の好投手として注目を集めた。しかし、夏は野球部員の不祥事があり甲子園予選への出場を辞退した。 同年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから6位指名を受けるが入団を拒否し、社会人野球の日本鋼管へ進む。 1983年の都市対抗野球ではエースとして2勝をあげ準々決勝に進出するが、池田親興投手(日産自動車から補強)を擁する東芝に敗れる。
津村 潔(つむら きよし、1963年8月1日 - )は、新潟… 津村 潔(つむら きよし、1963年8月1日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 1976年、調布リトルリーグの一員として世界選手権に出場、対西ドイツ戦にて完全試合を達成している。当時は同チームの後輩・荒木大輔より優れた投手だったと後に高校、プロでも同僚となる武田一浩が証言している。 明大中野高から、1982年にドラフト外で日本ハムファイターズに入団。1年目は打撃投手などを務め、1983年から選手登録されたが一軍公式戦に出場がないまま、1985年10月に現役を引退。 引退後は、そのまま打撃投手となる。現在は、退団し都内在住の映像制作・企画・出版関連の会社員。出身の調布リトルシニアでコーチを務める。
川村 一明(かわむら かずあき、1962年5月4日 - )は… 川村 一明(かわむら かずあき、1962年5月4日 - )は、新潟県出身の元プロ野球選手(投手)。現役時代のニックネームは「ハッカイ」(西遊記の猪八戒から)。
青島 健太(あおしま けんた、1958年〈昭和33年〉4月7… 青島 健太(あおしま けんた、1958年〈昭和33年〉4月7日 - )は、日本の政治家、元プロ野球選手。日本維新の会所属の参議院議員(1期)。元ヤクルトスワローズ内野手。野球解説者、スポーツライター、スポーツキャスター、鹿屋体育大学客員教授、流通経済大学客員教授、日本医療科学大学客員教授。日本クリケット協会理事。日本ペンクラブ会員。YouTuber。 新潟県新潟市(現在の同市中央区)八千代にあった新潟鉄道病院で生まれる。日立製作所に勤務していた父親(2017年夏に86歳で死去)の仕事の関係で5歳まで新潟市(現在の西区)小針で過ごす。6歳の時に家族(両親と妹)で埼玉県草加市の草加松原団地へ転居した。
黒坂 幸夫(くろさか ゆきお、1955年10月8日 - )は… 黒坂 幸夫(くろさか ゆきお、1955年10月8日 - )は、新潟県糸魚川市出身の元プロ野球選手(投手)。 糸魚川商工高校(現・糸魚川白嶺高校)では1972年、2年生の時、夏の甲子園にエースとして出場。1回戦で東海大工に0-3で敗れる。翌年夏の甲子園にも連続出場したが、同じく1回戦で日田林工の渡辺麿史投手に0-1で完封負けを喫する。同年秋、巨人からドラフト2位指名を受けるが入団を拒否した。当時はプロで活躍する自信もなく、即戦力になってからという意向であったという。しかし、湯口事件が入団拒否の理由にもなったとも取材で話している。高校卒業後は鷺宮製作所に入社。しかし鷺宮には山本良材、池田弘などの好投手がおり、あまり大舞台は経験できなかった。
山﨑 夏生(山崎 夏生、やまざき なつお、1955年7月2日… 山﨑 夏生(山崎 夏生、やまざき なつお、1955年7月2日 - )は、日本の元プロ野球審判員。新潟県高田市(現:上越市)出身。 幼少期の頃から野球が大好きでプロ野球選手を目指していた。1974年に新潟県立高田高等学校卒業すると、1浪して北海道大学文学部国文科に進む。大学在学中は、北海道地区大学野球連盟加盟の硬式野球部で投手兼内野手を務める。この時点でもプロ野球選手を目指していたが、怪我の影響で4年次の1年間は活躍できず断念する。 1979年、北海道大学文学部国文学科卒業、日刊スポーツ新聞社に入社。希望した記者職ではないことに不満を持っていた頃、日本シリーズを見て審判という仕事を知り、採用を求めてパ・リーグ会長と面会したものの審判経験がないことなどから断られる。
山崎 夏生(やまざき なつお、1955年7月2日 - )は、… 山崎 夏生(やまざき なつお、1955年7月2日 - )は、新潟県上越市出身のプロ野球審判員。
笠原 敦郎(かさはら あつろう、1953年2月8日 - )は… 笠原 敦郎(かさはら あつろう、1953年2月8日 - )は、新潟県出身の元プロ野球選手(投手)。 直江津工業高では、オーバースローの本格派で速球派投手。 高校卒業後、東亜石油では軟式、1974年にドラフト外で大洋ホエールズへ入団。 一軍公式戦の出場がないまま、1979年に現役を引退。1980年から1991年まで打撃投手をつとめ、その後は施設担当などに携わる。
大滝 信孝(おおたき のぶたか、1950年2月9日 - )は… 大滝 信孝(おおたき のぶたか、1950年2月9日 - )は、新潟県村上市寒川出身の元プロ野球選手(投手)。 村上高時代は速球投手として知られた。 1968年、サンケイアトムズへドラフト外で入団。 経歴とプロ向きの性格から『土橋二世』と期待されたが、コーチによるフォーム改造の際、肩を骨折。一旦退団した後復帰しロッテ・オリオンズへ移籍するも、肩の回復はならず一軍戦出場なく引退した。 引退後は東京で会社員をしていたが、帰郷し飲食店を開いた。帰郷後も日本プロ野球OBクラブ新潟県幹事及び少年野球指導者・飲食店店主として活動している。
関本 四十四(せきもと しとし、1949年5月1日 - )は… 関本 四十四(せきもと しとし、1949年5月1日 - )は、新潟県糸魚川市出身の元プロ野球選手(投手)・指導者・解説者・評論家。大洋時代の登録名は関本 充宏(せきもと みつひろ)。 糸魚川商工では3年次の1967年、エースとして夏の甲子園予選北越大会準決勝に進出するが、新湊高に完封を喫し甲子園には届かなかった。 同年のドラフト10位で読売ジャイアンツに入団。ドラフトで指名されながら、打撃投手としての扱いしか受けず3年間は一軍登板が無かった。 1971年に一軍ローテーションに抜擢され、10勝・防御率2.14(リーグ5位)の成績を残して、ヤクルトの若松勉との新人王争いを制す。入団4年目での新人王受賞は小関竜也(1998年、西武)と並ぶ記録であるが、同期入団で1年目に新人王になった高田繁からは「セキ、お前のは新人王じゃない。
三輪 悟(みわ さとる、1945年9月18日 - )は、新潟… 三輪 悟(みわ さとる、1945年9月18日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは投手。
鈴木 春祥(すずき はるよし、1943年1月1日 - )は高… 鈴木 春祥(すずき はるよし、1943年1月1日 - )は高校野球指導者。中越高等学校硬式野球部監督を務めた。
ジャイアント馬場(ジャイアントばば、1938年〈昭和13年〉… ジャイアント馬場(ジャイアントばば、1938年〈昭和13年〉1月23日 - 1999年〈平成11年〉1月31日)は、日本のプロレスラー、タレント、元プロ野球選手。本名および旧リングネーム・プロ野球選手時代の登録名は馬場正平()。 日本のプロレス界の史上最大の長身と巨体を持ち、力道山・アントニオ猪木と並んで日本のプロレスそのものを代表する存在である。コマーシャルやテレビ番組などでも人気を博した。現役時代は、当時の世界最高峰の王座であるNWA世界ヘビー級王座に3度就いた。全日本プロ・レスリング代表取締役社長・会長、NWA第一副会長を歴任した。三条市名誉市民。 リングネームは、初渡米武者修行中の1961年、ニューヨークのプロモーターであったビンス・マクマホン・シニアがババ・ザ・ジャイアント(Baba the Giant)と命名したことに由来する。
安田 辰昭(やすだ たつあき、1933年 - 2008年2月… 安田 辰昭(やすだ たつあき、1933年 - 2008年2月21日)は、日本の高校野球指導者、教員。小千谷高野球部監督、新発田農高野球部監督、新潟県高校野球連盟理事長などを歴任した。
小林 正三郎(こばやし しょうざぶろう、1919年 - 19… 小林 正三郎(こばやし しょうざぶろう、1919年 - 1945年2月) は、日本の元アマチュア野球選手。新潟県出身。 柏崎中学(現・新潟県立柏崎高等学校)を経て、1939年早稲田大学に入学。東京六大学リーグ戦で捕手として出場した。しかし学徒出陣により応召され、1945年2月、フィリピン北部・ルソン島にて戦死した。享年25。 東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名前が刻まれている。
益田 詩歩 は、日本の元女子プロ野球選手。