山田 卓三(やまだ たくぞう、1933年3月29日 - )は… 山田 卓三(やまだ たくぞう、1933年3月29日 - )は、日本の植物学者・教育学者、兵庫教育大学・名古屋芸術大学名誉教授。 長野県茅野市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1956年東京学芸大学学芸学部農学科卒業。国際基督教大学講師、1971年東京都立大学 (1949-2011)理学博士。東京都立アイソトープ研究所遺伝研究室長、東京学芸大学講師、1981年兵庫教育大学教授。1997年定年退官、名誉教授、名古屋自由学院短期大学教授、名古屋芸術大学(校名変更)教授。2004年同名誉教授。兵庫県立南但馬自然学校校長(2011年〜2018年)原体験教育研究会主宰(1989年〜)。 日本科学教育学会理事、日本環境教育学会理事、日本科学協会理事、文部省学術審議会専門委員をはじめ、「青少年のための科学の祭典」(日本科学振興財団)全国委員長など、学会および社会での活動は多岐にわたる。
石田 正人(いしだ まさと、1933年3月21日 - )は… 石田 正人(いしだ まさと、1933年3月21日 - )は、日本の政治家。元長野県飯山市長(1期)。旭日双光章。 現在の飯山市出身。下高井農林学校(現長野県下高井農林高等学校)卒業。昭和39年(1969年)から飯山市常盤農協に勤務しコシヒカリの品種「幻の米」のブランド育成と販路開拓に貢献し、北信州みゆき農協組合長を務めた。平成18年(2006年)飯山市長選挙に当選し、1期務めた。同年黄綬褒章受章。2013年秋の叙勲で旭日双光章を受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
金宇 満司(かなう みつじ、1933年3月19日 - 202… 金宇 満司(かなう みつじ、1933年3月19日 - 2022年10月27日)は、日本の映画カメラマン。松本市出身。 長野県東筑摩郡里山辺村(現松本市)出身。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1953年東京写真短期大学卒業後、岩波映画製作所に入社。数多くの作品にて撮影技師として活躍し、1967年に退社。 1970年、芸術選奨新人賞、三浦賞受賞。 1971年、石原プロモーションに移籍。以降、石原プロモーション作品のカメラマンとして数多くの作品で活躍する傍ら、専務の小林正彦と共に常務として石原プロの経営を支える。 2005年、石原プロモーションを定年退職。それを機に2006年、晩年の石原裕次郎の看病に専念した日々の回顧録である『社長、命。
星川 清親(ほしかわ きよちか、1933年2月23日 - 1… 星川 清親(ほしかわ きよちか、1933年2月23日 - 1996年4月2日)は、日本の農学者。 長野県松本市出身。1956年東京大学農学部農学科卒業、1961年同大学院生物学系研究科農学専攻博士課程修了、農学博士。東大農学部助手、1976年東北大学農学部助教授、1984年教授。定年前に死去した。
中田 康子(なかだ やすこ、1933年2月18日 - )は、… 中田 康子(なかだ やすこ、1933年2月18日 - )は、日本の元女優。宝塚歌劇団・日劇ダンシングチーム(NDT)出身。数多くの日本映画で脇役、端役をそつなくこなした。1964年のハリウッド調ミュージカル映画アスファルト・ガールでは歌って踊る主役を演じる。
児島 和人(こじま かずと、1933年2月5日 - )は、日… 児島 和人(こじま かずと、1933年2月5日 - )は、日本の社会学者。東京大学名誉教授。 長野県長野市生まれ。1958年東京大学文学部社会学科卒、NHK放送文化研究所所員、NHK放送世論調査所主任研究員、1971年東大大学院社会科学研究科博士課程満期退学、1977年埼玉大学助教授、1983年東京大学新聞研究所助教授、1985年教授、1992年社会情報研究所教授、1993年定年退官、専修大学文学部教授、2003年定年。
梓 林太郎(あずさ りんたろう、1933年1月20日 - 2… 梓 林太郎(あずさ りんたろう、1933年1月20日 - 2024年1月27日)は、日本の小説家。本名は林 隆司。 長野県下伊那郡上郷村(現:飯田市)生まれ。 父の仕事の都合で静岡県清水市(現:静岡市清水区)に一家3人で転居。その後、父の出征のみならず、第二次世界大戦の戦況悪化もあって上郷村の母の実家に戻った。その翌年(1945年)、小学6年生の時に終戦を迎える。中央アルプスに連なる山村にあった母の実家では、家業の農家の手伝いなどで毎日のように山に入った。進学のため18歳で上郷を離れたが、本格的に山登りを始めたのは東京に出てからという。 貿易会社、調査会社、経営コンサルタント会社などを経て、1980年『九月の渓で』で小説宝石エンタテインメント小説大賞を受賞し、デビュー。
北村 恭二(きたむら きょうじ、1933年1月18日 - 2… 北村 恭二(きたむら きょうじ、1933年1月18日 - 2023年5月15日)は日本の大蔵官僚。大臣官房総務審議官、証券局長、大阪証券取引所理事長などを歴任。 長野県長野市出身。東京大学法学部卒業。1956年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1956年入省同期に小粥正巳(日本経済研究所会長、初代日本政投銀総裁、日本開銀総裁、公正取引委員会委員長、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長)、秦郁彦(歴史研究者)らがいた。 1963年7月 館林税務署長。1980年6月 銀行局総務課長。1981年6月 東海財務局長。1982年6月 大臣官房審議官(理財局担当)。1983年6月 銀行局検査部長。1984年6月27日 大臣官房総務審議官。
中村 喜和(なかむら よしかず、1933年1月16日 - )… 中村 喜和(なかむら よしかず、1933年1月16日 - )は、日本の文学研究者。専門はロシア中世文学、ロシア文化史、日ロ文化交流史。一橋大学名誉教授。金子幸彦門下。
田口 計(たぐち けい、1933年1月10日 - )は、日本… 田口 計(たぐち けい、1933年1月10日 - )は、日本の俳優、声優。 次男は俳優の岩田和樹、甥は作家の吉岡忍。 長野県南佐久郡臼田町(現・佐久市)出身。高校生時に替え玉試験で停学となった際、ラジオで田村秋子が出演した文学座公演「姫岩」の舞台中継を聞いたことで、役者の仕事に興味を持つ。 長野県野沢北高等学校を卒業後、東京大学文学部英文学科を卒業。 大学在学中の1955年、山本薩夫の監督映画『愛すればこそ』で銀幕デビューし、以後も多数の映画に出演。 1958年頃からはテレビ関係の仕事も増え、多くのドラマに出演。その一方、TBSの須子というプロデューサーに「口説かれた」ことを機に、吹き替えで声優としても活動するようになる。
由井 正臣(ゆい まさおみ、1933年1月10日 - 200… 由井 正臣(ゆい まさおみ、1933年1月10日 - 2008年4月4日)は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。専攻は日本近代史。近代日本における軍部の成立や田中正造についての研究で知られる。 長野県南佐久郡出身。長野県野沢北高等学校を経て、1956年早稲田大学第一文学部史学科卒業。1957年国立国会図書館職員、1963年国立国会図書館憲政資料室勤務、1968年国立国会図書館を退職し、駒澤大学文学部講師に着任。1971年同助教授。1973年早稲田大学文学部助教授。1978年同教授。2003年早稲田大学を定年退職、名誉教授。墓所は多磨霊園(10-2-10)。
倉嶋 康(くらしま やすし、1933年1月7日 - )は、日… 倉嶋 康(くらしま やすし、1933年1月7日 - )は、日本のジャーナリスト。冒険家。社会活動家。 父は長野市長を務めた倉島至。叔父は気象学者の倉嶋厚。 中国・北京生まれ。朝鮮総督府に勤務する父の転勤に伴い、現在の北朝鮮と韓国を転住。終戦後、長野市に引き揚げ。長野県長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)を経て、早稲田大学第一政治経済学部政治学科を卒業後、1955年に毎日新聞社入社。 毎日新聞社入社後は福島支局に配属される。福島在勤2年目の1957年、松川事件で死刑判決を受けて上告中の被告人のアリバイを立証する証拠である『諏訪メモ』を福島地方検察庁郡山支部の支部長が保管していることを掴んだ。検事への聞き取り調査を進めて諏訪メモの存在を確認し、1957年6月29日付毎日新聞福島版記事でこれをスクープ報道。
土橋 光廣(つちはし みつひろ、1933年1月2日 - )は… 土橋 光廣(つちはし みつひろ、1933年1月2日 - )は、日本の実業家。セイコーエプソン専務取締役、エプソンヨーロッパ代表取締役社長、エプソン販売代表取締役社長、ベーステクノロジー取締役会長、イーフォーシーリンク代表取締役社長・取締役会長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。1957年諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)入社。「EPSON」の名称発案者であり、プリンター事業を手掛けた。1986年セイコーエプソン専務取締役。エプソンヨーロッパ代表取締役社長、エプソン販売代表取締役社長を歴任。1994年セイコーエプソン退社、ベーステクノロジー設立、取締役会長・取締役最高顧問。
津野田 勲(つのだ いさお、1933年1月1日 - )は、日… 津野田 勲(つのだ いさお、1933年1月1日 - )は、日本のジャーナリスト。本名は角田 勲。 長野県佐久市出身。長野県岩村田高等学校卒業後、早稲田大学文学部露文科に進学。大学在学中に業界紙の「香粧品新報社」に記者として入社。大学中退。その後「香粧品新報社」は「㈱週刊粧業」に吸収されたため「㈱週刊粧業」の記者として約2年間勤務。 1956年に友人と3名で「日本香料新聞社」を設立。1973年に同社を退社し「㈲フレグランスジャーナル社」を設立。代表取締役時代の1985年に出版したアロマテラピー専門書『アロマテラピー〈芳香療法〉の理論と実際:著者ーロバート・ティスランド、訳者ー高山林太郎』がベストセラーとなり、日本におけるアロマテラピーブーム火付け役の一人となった。
小林 彌六(こばやし やろく、1933年 - )は、日本の経… 小林 彌六(こばやし やろく、1933年 - )は、日本の経済学者。筑波大学名誉教授。専門は、現代資本主義論、現代社会主義論、新従属理論。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1956年東京大学経済学部卒業、1961年同大学大学院経済学研究科修了。1966年東京教育大学(現・筑波大学)非常勤講師。1969年立正大学経済学部教授、法政大学経済学部非常勤講師。1974年筑波大学社会科学系助教授を経て、同大学教授。退官後、同大学名誉教授、明海大学経済学部教授、国際地球環境大学客員教授、和光大学講師。
向山 玉雄(むかいやま たまお、1933年 - 2021年)… 向山 玉雄(むかいやま たまお、1933年 - 2021年)は、日本の園芸学・教育学者。 長野県伊那市出身。1955年千葉大学園芸学部卒業、東京都葛飾区立亀有中学校教諭、北海道教育大学函館校助教授、教授を経て奈良教育大学教授、奈良教育大学附属中学校校長、産業教育研究連盟委員長、日本農業教育学会会長、食農教育研究家。技術・家庭科が男女同一になる過程で日常生活の中での技術教育を研究した。
宮坂 貞(みやさか ただし、1933年 - 2024年)は、… 宮坂 貞(みやさか ただし、1933年 - 2024年)は、日本の薬学者(薬品製造化学)。勲等は瑞宝小綬章。学位は薬学博士(東京大学・1965年)。公益財団法人諏訪郷友会顧問、昭和大学名誉教授。 東京医科歯科大学歯科材料研究所助手、昭和大学薬学部教授、昭和大学薬学部学部長、学校法人昭和大学理事、学校法人昭和大学監事、財団法人諏訪郷友会理事長、公益財団法人諏訪郷友会理事長などを歴任した。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て1958年東京大学医学部薬学科卒業。同大大学院化学系研究科の薬学専門課程を、1960年3月に修了した。なお、1965年3月には、東京大学より薬学博士の学位を授与されている。
米倉 巌(よねくら いわお、1933年(昭和8年) - )は… 米倉 巌(よねくら いわお、1933年(昭和8年) - )は、日本の詩人、日本近代文学研究者、日本大学名誉教授。 長野県諏訪市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、旧東京都立大学大学院修士課程修了、帝塚山学院大学文学部助教授、教授、1987年、日本大学芸術学部教授、2004年に定年、名誉教授。
曽倉 岑(そくら たけし、1933年 - )は、日本の文学者… 曽倉 岑(そくら たけし、1933年 - )は、日本の文学者。日本文学、上代文学。専門は万葉集研究。青山学院大学名誉教授。
早川 章(はやかわ あきら 1933年 - 2003年)は、… 早川 章(はやかわ あきら 1933年 - 2003年)は、日本の官僚。運輸省地域交通局長を経て、日本アジア航空副社長、東京空港交通会長等を歴任。
滝澤 行雄(たきざわ ゆきお、1932年12月8日 - )は… 滝澤 行雄(たきざわ ゆきお、1932年12月8日 - )は、日本の医学者、医師。秋田大学名誉教授。 1932年(昭和7年)長野県塩尻市生まれ。1951年(昭和26年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1957年(昭和32年)新潟大学医学部医学研究科卒業。専攻分野は公衆衛生。以降、新潟大学助教授、秋田大学教授、金沢大学放射線実験施設教授(併任)。国立水俣病総合研究センター所長、同センター顧問、UNEP環境影響評価パネル委員、水俣市助役を歴任。 現在、医療法人財団青葉会理事・老健ホスピア玉川施設長。要職にはOECD化学品セクター検討会委員、WHO有機水銀の健康影響に関する研究協力センター長を務め、UNEP環境影響パネル委員にある。
丸山 博(まるやま ひろし、1932年12月5日 - 201… 丸山 博(まるやま ひろし、1932年12月5日 - 2019年3月28日)は、プロ野球審判員で元セントラル・リーグ審判部副部長。審判員袖番号は30。 長野県上田市出身。終戦の1945年に旧制上田中学に入学、野球部に入部するも小柄だったためマネージャーを務めた。新制となった上田松尾高校(現在の長野県上田高等学校)を卒業後、長野県高等学校野球連盟を経て1957年セ・リーグ審判部に入局。 以後セ・リーグの中心審判の一人として活躍し、1989年に引退するまでの審判としての通算試合出場数は3515試合を数えたが、日本シリーズ出場は意外と少なく2回(1977年の日本シリーズと1982年の日本シリーズ)、またオールスターには6回出場した。
鈴木 敏文(すずき としふみ、1932年〈昭和7年〉12月1… 鈴木 敏文(すずき としふみ、1932年〈昭和7年〉12月1日 - )は、日本の経営者、実業家であり、元セブン&アイ・ホールディングス会長兼最高経営責任者(現・名誉顧問)。日本では「コンビニの父」と呼ばれている。 セブン-イレブン社長、イトーヨーカ堂会長、トーハン副会長、日本経済団体連合会副会長、日本フランチャイズチェーン協会会長、日本チェーンストア協会会長、学校法人中央大学理事長を歴任。 長野県埴科郡坂城町出身。1952年3月、長野県小県蚕業高等学校(現・長野県上田東高等学校)卒業。1956年3月、中央大学経済学部 卒業。 東京出版販売(現・トーハン)に入社 イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊に乞われ31歳で同社に転職し、1971年9月に 同社取締役に就任。
山浦 常克(やまうら つねかつ、1932年11月30日 - … 山浦 常克(やまうら つねかつ、1932年11月30日 - 2012年10月11日)は日本の実業家。あすなろ書房創業者。 長野県佐久市出身。上京し、昭和22年(1947年)神田で読書指導専門誌「月刊児童図書館」を開業し、日本初の児童優良図書専門書店「森田書店」を開業するなど、児童書向け図書の販売に従事した後、滑川道夫の紹介により、同24年(1949年)珠算専門出版社の「牧書店」に入社し、「学校図書館文庫」の企画・編集に携わる。同36年(1961年)あすなろ書房を創業した。家庭教育書と児童書を中心に出版事業を展開した。
太田 宏次(おおた ひろじ、1932年11月29日 - )は… 太田 宏次(おおた ひろじ、1932年11月29日 - )は、日本の経営者。工学博士。中部電力元社長。系統事故時の自主復旧操作方式や転送遮断方式を考案するなど、系統運用技術の近代化に貢献した。 長野県松本市出身。長野県松本深志高校を経て1955年に東京大学工学部電気工学科を卒業し、同年に中部電力に入社。1985年6月に取締役、1989年6月には常務、1991年6月には副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格した。2001年6月に会長に就任した。また、1999年6月には電気事業連合会会長、2001年5月には中部経済連合会会長を務めるとともに、1970年から1985年まで愛知工業大学で講師、1998年には電気学会会長を務めた。
戸沢 充則(とざわ みつのり、1932年10月19日 - 2… 戸沢 充則(とざわ みつのり、1932年10月19日 - 2012年4月9日)は、日本の考古学者である。明治大学名誉教授。元明治大学学長。長野県茅野市尖石縄文考古館名誉館長。 長野県岡谷市出身。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、明治大学文学部卒業。藤森栄一に師事した。旧制中学在学中、土器と出会ったことが考古学研究の始まりとなった。1961年明治大学講師。1967年「先土器時代文化の構造」により明治大学から文学博士の学位を授与される。1968年同教授。のちに考古学博物館長、文学部長、学長を歴任した。 豊富な発掘現場歴を持ち、遺跡調査や保護に大きく貢献している。2000年 - 2002年、日本考古学協会「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」委員長として旧石器捏造事件の検証調査にあたった。
山崎 弘美(やまざき ひろみ、1932年10月9日 - 20… 山崎 弘美(やまざき ひろみ、1932年10月9日 - 2013年5月20日)は、長野県出身のプロ野球選手。 辰野高校から1952年に読売ジャイアンツへ入団。1958年の二軍の国鉄・大洋との北海道遠征では、青函連絡船で函館に着くと朝市で毛ガニを両手で抱えきれないくらい買ってくるなど、めぼしい駅に着く度に地元の名物を買い込んできたほか、買い出し・列車の手配など、マネージャー兼任で活躍した。また、巨人軍合宿所の小山寮長の信頼が厚く、そのうち副寮長格になって寮長の隣の部屋に住んでいたという。しかし、広田順・藤尾茂・森昌彦ら強力な捕手陣の壁を崩せず、一軍試合出場は1959年の2試合のみで、1960年に引退。
内藤 昌(ないとう あきら、1932年10月8日 - 201… 内藤 昌(ないとう あきら、1932年10月8日 - 2012年10月23日)は、日本の建築史家。名古屋工業大学名誉教授、元日本建築学会副会長。専門は、建築史、都市史。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1955年、東京工業大学理工学部建築学科卒業。1960年、同大学院理工学研究科建築学専攻博士課程修了。工学博士(東京工業大学)。論文の題は「書院造に於ける「間」の研究」。 1961年東京工業大学助手、1963年名古屋工業大学助教授、1972年同大学教授、1990年東京工業大学(現・東京科学大学)教授兼任、1993年愛知産業大学学長を歴任。元日本建築学会副会長。 2012年10月23日に老衰で死去。
鮎沢 成男(あゆざわ しげお、1932年10月4日 - 20… 鮎沢 成男(あゆざわ しげお、1932年10月4日 - 2004年2月11日)は、日本の経営学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、一橋大学大学院経済学研究科を修了した[要出典]。中央大学商学部教授を務め、1988年に同大学企業研究所所長となった。
中山 典之(なかやま のりゆき、1932年9月3日 - 20… 中山 典之(なかやま のりゆき、1932年9月3日 - 2010年2月16日)は、囲碁のプロ棋士。長野県上田市出身。日本棋院東京本院所属。1951年、長野県上田松尾高等学校卒業。1953年、鈴木五良八段に入門。1962年入段。1992年六段に昇進。 アマチュア出身であり、入段が遅かった。タイトル戦などには縁がなかったが、文才に長け、『実録囲碁講談』『囲碁の世界』など囲碁界に関する多数の著作がある。またライターや編者としての100冊以上の棋書の編纂を行った。若い頃は名記録係といわれ、読売新聞の観戦記者である山田覆面子に重用された。アマチュアへの指導に高い評価があり、1982年からほぼ毎年海外に出て囲碁の普及に努めた。
林 邦雄(はやし くにお、1932年8月21日 - )は、日… 林 邦雄(はやし くにお、1932年8月21日 - )は、日本の教育心理学者。障害児教育に当たった。 長野県長野市生まれ。東京教育大学教育学部卒、同大学院教育心理学博士課程満期退学。青鳥養護学校、桐丘養護学校勤務ののち、静岡大学教育学部助教授、教授、1996年定年退官、目白大学人文学部教授、2003年退職。1976年「「こども」の精神療法における言語表現の問題」で神戸大学より医学博士の学位を取得。
志賀 大介(しが だいすけ、1932年8月17日 - 201… 志賀 大介(しが だいすけ、1932年8月17日 - 2018年8月6日)は、日本の作詞家。日本作詩家協会副会長、日本音楽著作家連合会長。本名は牛越 武。 長野県大町市出身。長野県大町高等学校卒業。大手広告代理店在職中、作詞依頼を受けたのをきっかけに作詞活動を開始。東芝EMI、朝日放送、日本クラウンの専属作家を務めた。 2007年に日本音楽著作家連合第4代会長に就任。2018年8月6日に亡くなったことが日本作詩家協会のホームページにて発表された。
行田 哲夫(ぎょうだ てつお、1932年8月6日 - 20… 行田 哲夫(ぎょうだ てつお、1932年8月6日 - 2025年10月11日 )は日本の写真家。 長野県諏訪郡永明村(現茅野市)生まれ。長野県永明高等学校を経て、日本大学芸術学部映画学科中退。1955年学習研究社入社。社会部カメラマンから映画部に転じる。1961年退社しフリーランスとなる。
藤森 英二(ふじもり えいじ、1932年〈昭和7年〉7月25… 藤森 英二(ふじもり えいじ、1932年〈昭和7年〉7月25日 - 2018年〈平成30年〉4月4日)は、日本の政治家。郡山市長(3期)を務めた。 長野県諏訪市出身。福島県立安積高等学校卒業。 1955年(昭和30年)明治大学商学部卒業。同年郡山市役所に入り、総務部長、保健衛生部長などを歴任する。 1989年(平成元年)の市長選に立候補したが、この時は現職の青木久に敗れた。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:71.27%(前回比:-pts) 1993年(平成5年)の市長選に社会党、日本新党の推薦を受けて立候補して、自民党前県議の新人を破って初当選する。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:67.55%(前回比:-pts) 1997年(平成9年)郡山市を東北初の中核市に移行させる。
一ノ瀬 綾(いちのせ あや、1932年6月19日 - 202… 一ノ瀬 綾(いちのせ あや、1932年6月19日 - 2025年2月17日)は、日本の作家。本名は掛川たつよ。 長野県小県郡武石村(現上田市)出身。上田高等女学校卒業後、農業に従事ののち上京。 1968年「春の終り」で農民文学賞、1975年「黄の花」で田村俊子賞受賞。
佐々木享(ささき すすむ、1932年5月31日 - 2015… 佐々木享(ささき すすむ、1932年5月31日 - 2015年5月14日)は、日本の職業教育学者。 東京出身。戦争中に長野県岡谷市に疎開。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1956年東京都立大学 (1949-2011)工業化学科卒、1962年同歴史学科卒。高校技術科教師、専修大学経営学部助教授、1976年名古屋大学教育学部助教授を経て、教授。1995年定年退官、名誉教授、愛知大学短期大学部教授を務めた。技術科教育・職業教育が専門。
杉山 進(すぎやま すすむ、1932年4月10日 - 202… 杉山 進(すぎやま すすむ、1932年4月10日 - 2025年4月10日)は、長野県下高井郡野沢温泉村出身の元アルペンスキー選手、指導者。 「杉山スキー&スノースポーツスクール」代表。日本職業スキー教師協会(SIA)第5代会長。 幼少期からスキーに親しみ、旧制飯山中学・飯山北高ではスキー部で活躍。高校1年の時、従兄の片桐匡(元全日本スキー連盟副会長、長野県スキー連盟会長)の紹介で、猪谷六合雄・千春父子と知り合う。北アルプス・涸沢での猪谷父子の合宿にも参加し、大きな影響を受ける。高校卒業後、長野電鉄に入社。1954年の第32回全日本スキー選手権大会では、滑降・回転の2冠となり、次世代の有力選手として注目されるようになる。
宮林 昭彦(みやばやし しょうげん、1932年3月27日 -… 宮林 昭彦(みやばやし しょうげん、1932年3月27日 - 2014年7月10日)は、長野県長野市生まれの浄土宗の僧、仏教学者。大正大学教授。全日本仏教会副会長。大本山光明寺第百十二世法主。
藤木 英雄(ふじき ひでお、1932年2月20日 - 197… 藤木 英雄(ふじき ひでお、1932年2月20日 - 1977年7月9日)は、日本の刑事法学者。元東京大学法学部教授。法学博士。従四位勲四等旭日小綬章。長野県松本市出身。
清水 建美(しみず たてみ、1932年2月11日 - 201… 清水 建美(しみず たてみ、1932年2月11日 - 2014年11月25日)は、植物学者。竹号は「鶯山」。 長野県松本市生まれ。福井県育ち。1954年福井大学学芸学部教育一部卒業。1960年京都大学大学院理学研究科植物学専攻博士課程満期退学、1963年理学博士。信州大学助手、教養部講師、助教授、1971年教授、1992年名誉教授、金沢大学理学部教授、名誉教授。外来種・帰化植物の研究が専門。 2011年11月瑞宝中綬章受章。 清水の著作の一部はデジタル化され、インターネット上の国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている。
小平 修(こだいら おさむ、1932年2月7日 - 1998… 小平 修(こだいら おさむ、1932年2月7日 - 1998年6月4日)は、日本の政治学者。京都産業大学教授。 長野県松本市出身。1952年(昭和27年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1956年早稲田大学政治経済学部卒業、1959年同大学院政治学研究科修了。1970年京都産業大学法学部助教授、1972年教授を務めた。専門は比較政治学。教授在職中の1998年(平成10年)逝去。日本選挙学会会員。政治の世界でいう「左派」「右派」などの定義を提唱し定着させた功績は彼によるところが大きい。
影山 裕子(かげやま ひろこ、1932年2月1日 - 200… 影山 裕子(かげやま ひろこ、1932年2月1日 - 2005年9月13日)は、日本の社会評論家、和光大学名誉教授。 長く日本電信電話公社に勤務し、調査役、国立電報電話局長などを歴任して女性管理職の先駆的存在として知られ、評論家としても活動し、女性の社会進出を訴え、後には和光大学教授となった。 影山は、女性の社会進出の妨げになるとして、労働時間に関する女子の保護規定撤廃を唱えるなど、男女雇用機会均等法(1986年)を先取りする主張を早くから展開していた。 長野県小諸市出身(出生地は北海道)。長野県松本深志高等学校を経て、1954年に東京大学経済学部を卒業し、成績トップで日本電信電話公社に入り、経営調査室に配属された。
本多 勝一(ほんだ かついち、1932年1月28日 - )は… 本多 勝一(ほんだ かついち、1932年1月28日 - )は、日本の新聞記者・ジャーナリスト・作家。元朝日新聞編集委員。 長野県下伊那郡大島村(現在の松川町)に生まれる。 長野県飯田高松高校卒。高校3年次の担任はのちに日本古生物学会の会長を務めた鹿間時夫であった。同級に富永明夫がおり、後に本多の義兄となった。 本多には脳性小児麻痺の妹がいた。父は雑貨商を営んでおり、本多には薬科大学に進むことで薬局を加えた店の跡を継いでほしいと願っていた。本多は高校で木原均の講演に感銘を受け、京都大学で遺伝学を学びたいと考えたため、父と衝突した。結局、薬剤師の資格を取得すれば好きなことをやってもよいとの妥協案を受け入れ、千葉大学薬学部に進学。
横川 端(よこかわ ただし、1932年1月21日 - 202… 横川 端(よこかわ ただし、1932年1月21日 - 2024年12月2日)は日本の実業家。 すかいらーく創業者の一人であり、東京交響楽団会長を歴任している。藍綬褒章受章。2002年、勲二等瑞宝章受章。 1932年(昭和7年)1月21日、横川家の長男として長野県諏訪郡四賀村(現諏訪市)に生まれる。1947年(昭和22年)3月に長野県諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)を中退し、同年4月に諏訪精工舎(現セイコーエプソン)に入社、後に諏訪精工舎を退社し、兄弟と共に設立した、ことぶき食品有限会社取締役になる。すかいらーくの専務取締役、代表取締役会長、取締役グループ統括機構代表理事、取締役最高顧問などを歴任した。
小林 昭七(こばやし しょうしち、1932年1月4日 - 2… 小林 昭七(こばやし しょうしち、1932年1月4日 - 2012年8月29日)は、日本の数学者。カリフォルニア大学バークレー校名誉教授。研究領域は、リーマン多様体、複素多様体およびリー群。小林久志 (計算機科学者)は弟の一人。 東京府で出生、父の故郷の山梨県甲府市で育つ。旧制長野県立野沢中学(長野県野沢北高等学校)を経て、旧制第一高等学校、1953年に東京大学理学部数学科を卒業。1956年、ワシントン大学で博士号を取得。論文は(Theory of Connections)。 1970年にニースで開催された国際数学者会議で招待講演を行った。
田口 利夫(たぐち としお、1932年1月2日 - 1998… 田口 利夫(たぐち としお、1932年1月2日 - 1998年8月26日)は、日本の経営者。西濃運輸社長、会長を務めた。長野県木曽郡南木曽町出身。 1955年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に西濃運輸に入社した。1961年に取締役に就任し、1965年に常務、1966年に専務を経て、1981年7月に社長に就任。1987年7月から会長を務めた。 社長時代は、分社化を進め、西濃運輸を「総合物流商社」として、育て上げ、硬式野球部の初代部長を務めるなど、スポーツ振興にも力を入れた。趣味は山登り。 1998年8月26日心筋梗塞のために死去。66歳没。
宮坂 武男(みやさか たけお、1932年 - )は、長野県の… 宮坂 武男(みやさか たけお、1932年 - )は、長野県の城郭研究家。 長野県下諏訪町出身、現在は岡谷市湖畔に在住する。長野県諏訪清陵高等学校を経て、信州大学教育学部卒業。茅野市立永明小学校校長、岡谷市教育委員長を務めた。現在は、県文化財保護協会諏訪支部長、信濃史学会会員。 長野県の城砦研究の第一人者である。中世の城郭が数多く存在するが、特に山間部が多面を占める地域ゆえ険しい山城が多く、体系的な研究の乏しかった長野県の城郭研究であるが、ほぼすべての城・館・砦跡を踏査し、詳細な縄張り・概念図を発表した。積極的に講演も行っている。 長野県城郭調査の先駆である『長野県町村誌』『長野県の中世城館跡-分布調査報告書-』をはじめとして、各行政誌などに基づき、いくたびにわたり同じ城館に訪問。
千村 洋一郎(ちむら よういちろう、1932年 - )は、日… 千村 洋一郎(ちむら よういちろう、1932年 - )は、日本の教育学者。東京女子体育大学名誉教授。
汲田 克夫(くみた かつお、1931年12月26日 - )は… 汲田 克夫(くみた かつお、1931年12月26日 - )は、日本の教育学者。大阪教育大学名誉教授。 1931年(昭和6年)長野県生まれ。 1950年(昭和25年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1955年(昭和30年)東京大学教育学部(学校教育学科)卒業。1957年(昭和32年)東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1957年(昭和32年)東京大学教育学部助手、1960年(昭和35年)愛媛大学教育学部助手、1965年(昭和40年)愛媛大学教育学部講師、1967年(昭和42年)大阪教育大学講師、1972年(昭和47年)大阪教育大学助教授を経て、1976年(昭和51年)大阪教育大学教授。 1979年(昭和54年)より、大阪教育大学天王寺分校主事、1983年(昭和58年)大阪教育大学補導部長、1988年(昭和63年)大阪教育大学教養学科主事などを務めた。
竹村 晋吉(たけむら しんきち、1931年(昭和6年)12月… 竹村 晋吉(たけむら しんきち、1931年(昭和6年)12月21日 - 1999年(平成11年)12月9日)は、日本のスピードスケート選手である。長野県茅野市出身、長野県岡谷南高等学校、日本大学を卒業。ヤシカに所属していた。 日本大学在学時の1956年(昭和31年)の冬季オリンピック、コルティナダンペッツォオリンピックに出場、500m11位、1500m36位だった。4年後の1960年(昭和35年)スコーバレーオリンピックでは500m43位に終わった。 池袋スケートセンターの開場式でスケーティングを披露。 1999年脳こうそくのため死去。