村山 新治(むらやま しんじ、1922年7月10日 - 20… 村山 新治(むらやま しんじ、1922年7月10日 - 2021年2月14日)は、日本の映画監督。兄はドキュメンタリー監督の村山英治。 長野県埴科郡屋代町(現千曲市)生まれ。1941年に長野工業学校卒業後、記録映画の助監督を経て、1949年に東映の前身である太泉映画入社。今井正らの助監督を務めた後、1956年に東映教育映画部の『わんぱく時代』で監督デビュー。1957年の『警視庁物語 上野発五時三十五分』で一般映画も監督するようになる。その後も『警視庁物語』シリーズをはじめとしたセミ・ドキュメンタリー的な作品を多く手がけた。 1970年代以降は主にテレビドラマ演出に活躍の場を移し、『特捜最前線』や一連の東映不思議コメディーシリーズなどの監督を長年にわたって務めた。
永野 裕貞(ながの ひろさだ、1922年(大正11年)5月2… 永野 裕貞(ながの ひろさだ、1922年(大正11年)5月21日 - 2021年(令和3年)11月22日)は、昭和後期から平成期の地方公務員、政治家。長野県上田市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章受章。 長野県上水内郡三水村(現飯綱町)で、永野貞治、はまえの長男として生まれた。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)を経て、1944年(昭和19年)9月、旧制上田繊維専門学校を卒業。 1947年(昭和22年)5月、長野県庁に入庁し、長水地方事務所次長、北佐久地方事務所長、総務部管財課長、同地方課長、下伊那地方事務所長、長野県教育委員会教育次長、人事委員会事務局長、生活環境部長を歴任し、1978年(昭和53年)上田市助役に就任。
岩井 章(いわい あきら、1922年4月25日 - 1997… 岩井 章(いわい あきら、1922年4月25日 - 1997年2月18日)は、日本の労働運動家、元日本労働組合総評議会(総評)事務局長。 長野県松本市出身。高等小学校卒業後、1937年に日本国有鉄道(国鉄)に入り、機関士として勤務した。1945年に日本が第二次世界大戦で敗北した後、国鉄内での労働運動高揚を受けて1946年に結成された国鉄労働組合(国労)へ加入、二・一ゼネストの時の甲府支部青年部長を振り出しに上諏訪の地区労議長、社会主義青年同盟を結成するなど頭角を現した。1947年には林虎雄に口説かれて、長野県議会選挙に立候補して落選している。1950年には中央執行委員に就任した。 1955年、総評内の路線闘争で合化労連の太田薫と連携し、事務局長に就任した。
山田 晶(やまだ あきら、1922年〈大正11年〉3月7日 … 山田 晶(やまだ あきら、1922年〈大正11年〉3月7日 - 2008年〈平成20年〉2月29日)は、日本の哲学研究者で、西洋中世哲学研究の第一人者であった。京都大学名誉教授。 長野県諏訪市出身。長野県立諏訪中学校(現:長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、第八高等学校文科乙類を経て、1944年(昭和19年)京都帝国大学文学部哲学科卒業、山内得立に師事。翌年まで徴兵された。 1951年(昭和26年)大阪市立大学文学部講師、1955年(昭和30年)同助教授、1965年(昭和40年)京都大学文学部助教授、1968年(昭和43年)同教授、1976年(昭和51年)同大文学部長。1985年(昭和60年)京大を停年退官、名誉教授。
小尾俊人(おび としと、1922年3月2日 - 2011年8… 小尾俊人(おび としと、1922年3月2日 - 2011年8月15日)は、日本の書籍・出版編集者。 長野県茅野市出身。羽田武嗣郎の出版社「羽田書店」の社員だったが、1945年に独立、山崎六郎、清水文男らとみすず書房を創業、編集長として「現代史資料」「荻生徂徠全集」などを編さん。1990年定年退職。
小林 清志(こばやし きよし、1922年〈大正11年〉1月1… 小林 清志(こばやし きよし、1922年〈大正11年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉10月28日)は、日本の機械工学者。東北大学教授を経て、豊田工業大学学長や、日本伝熱学会会長、日本熱物性研究会会長等を歴任した。 長野県長野市生まれ。旧制長野商業学校(長野県長野商業高等学校)、旧制横浜高等工業学校、東北帝国大学工学部を経て、1949年同大学院修了。1959年文部省の在外研究員としてアルゴンヌ国立研究所留学。1960年東北大学教授。1970年静岡大学教授。1981年日本伝熱学会会長。1983年日本熱物性研究会会長。1984年 豊田工業大学教授、豊田工業大学副学長。1990年豊田工業大学第3代学長就任。
韮沢 忠雄(にらさわ ただお、1922年 - 2007年)は… 韮沢 忠雄(にらさわ ただお、1922年 - 2007年)は、日本のジャーナリスト。日本共産党で赤旗編集局長等を歴任し、既存マスコミの報道におけるタブーへの批判などを展開した。 長野県小諸町生まれ。実家は洋服屋。小諸商業学校(現長野県小諸商業高等学校)を経て、旧制東京商科大学(現一橋大学)に進学。大学在学中金沢で陸軍に勤務。高島善哉ゼミ出身。 大学に復学後、共産党シンパの学生らで組織された民主主義科学研究会(民研)に本間要一郎(のちに横浜国立大学名誉教授)、岡稔(のちに一橋大学教授)、佐藤定幸(のちに一橋大学名誉教授)らとともに参加し、主要メンバーとして活動した。民研はのちに、学生自治会委員長となった弓削達(のちに東京大学名誉教授)から批判を受けるなどし解散して社会科学研究会に改組した。
北原 薫明(きたはら しげとし、1922年 - 2011年4… 北原 薫明(きたはら しげとし、1922年 - 2011年4月23日)は、日本の元警察官。 長野県駒ヶ根市生まれ。 赤穂農商校(現 長野県赤穂高等学校)を卒業後に中国大陸に渡り、陸軍少尉にて終戦を迎えるがシベリアに抑留。 あさま山荘事件当時の長野県警において、警備情報(作戦広報の警察用語)及び公安捜査を担当する警備第2課長を務めており、現地警備本部に幕僚として詰めた。 連合赤軍側からの銃撃を防禦するため、塹壕を掘り土嚢を積んだ軍隊での経験を活かして土嚢を構築したとされるが、佐々淳行の著書においては、実際にこのアイデアを発案したのは、樋口俊長・関東管区警察局公安部長とされる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
古島 和雄(ふるしま かずお、1921年10月11日 - 2… 古島 和雄(ふるしま かずお、1921年10月11日 - 2004年4月26日)は、日本の歴史学者。専門は中国史。東京大学名誉教授。大東文化大学名誉教授。 1921年、長野県飯田市生まれ。1942年、旧制飯田中学を卒業。1943年、旧制浦和高等学校(現埼玉大学)を卒業。東京帝国大学文学部入学したが、徴兵により兵役に就いた。 1945年、太平洋戦争終結にともなって復員。東京帝国大学文学部に復学し、1948年に卒業した。東京大学大学院(旧制)に進んだが、1949年に退学して東洋文化研究所助手となった。1954年、東京大学社会科学研究所助教授に就任。1967年、同研究所教授に昇格。1978年から1983年まで、現代中国学会代表幹事を務めた。
手塚 明治(てづか あきはる、1921年10月10日 - )… 手塚 明治(てづか あきはる、1921年10月10日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手。1956年の登録名は手塚 耀朗(てづか てるお)。
小野沢 静夫(おのざわ しずお、1921年(大正10年)10… 小野沢 静夫(おのざわ しずお、1921年(大正10年)10月10日 - 1999年(平成11年)5月6日)は、昭和から平成初期の政治家。長野県飯山市長。位階は従五位。 長野県下高井郡下木島村(現飯山市)で、小野沢広輔、ちよ の長男として生まれた。1939年(昭和14年)旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業。戦後、木島連合青年団長から自民党長野県連青年部副部長として青年団運動に活躍し、飯山南高や飯山北高のPTA副会長、木島消防団長、飯山市農業委員会委員等を経て、1962年(昭和37年)12月、飯山市議会議員となり、同議長を務めた。 1978年(昭和53年)9月、飯山市長選挙に当選し、1890年(平成2年)9月まで3期務めた。
小林 直樹(こばやし なおき、1921年10月3日 - 20… 小林 直樹(こばやし なおき、1921年10月3日 - 2020年2月8日)は、日本の法学者。専門は、憲法・法哲学。学位は、法学博士(東京大学、1962年)(学位論文「憲法の構成原理」)。東京大学名誉教授。総合人間学会初代会長。 長野県小県郡滋野村(現・小諸市)生まれ。旧制上田中学校(現・長野県上田高等学校)、旧制水戸高等学校(現・茨城大学文理学部)を経て、1942年東京帝国大学文学部哲学科入学も法学部政治学科に転じる。東京帝大在学中に学徒出陣。二等兵、少尉等を経て、1947年高等文官試験合格。復学して受けた法哲学者尾高朝雄のカントに関する講義に感動し、師事する。 法哲学者として出発し、1951年、東京大学教養学部で法学を教えていたが、1959年、宮沢俊義の後任として、憲法学に転籍し、2年間のドイツ留学を経て、1961年東京大学法学部教授(憲法学)となる。
小坂 樹徳(こさか きのり、1921年(大正10年)9月11… 小坂 樹徳(こさか きのり、1921年(大正10年)9月11日 - 2010年(平成22年)8月3日)は、日本の医学者、医学博士。専門は内科学、糖尿病学。東京大学名誉教授、虎の門病院名誉院長。日本人の糖尿病の原因や病態を明らかにし、診断法や治療法の確立に貢献した。 長野県下伊那郡座光寺村(現飯田市)出身。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)、 松本高等学校理科乙類を経て、1945年 東京帝国大学医学部卒業後、坂口康蔵教授の、東京帝国大学第三内科学教室入局。1966年から東京女子医科大学教授、1972年から82年まで東京大学医学部第三内科第6代教授。後任の教授は高久史麿。東京大学退官後は虎の門病院院長を歴任。
酒井 高男(さかい たかお、1921年6月28日 - 202… 酒井 高男(さかい たかお、1921年6月28日 - 2022年4月25日)は、日本の機械工学者、東北大学名誉教授。 おもちゃ工学で知られた。 長野県上伊那郡西春近村(現伊那市)生まれ。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)を経て、1944年東北帝国大学工学部航空工学科卒。同特別研究生。1949年東北大学工学部機械工学科助教授、1957年東北大学工学博士。1961年工学部機械工学科教授、1985年定年退官、名誉教授、山形大学工学部教授。1996年勲三等旭日中綬章受勲。1998年東北大学機械系同窓会会長。
酒井 文徳(さかい ふみのり、1921年4月16日 - 19… 酒井 文徳(さかい ふみのり、1921年4月16日 - 1995年12月28日)は日本の医学者(腎臓生理学、薬理学、毒性学)。 長野県東筑摩郡片丘村北内田(現松本市内田)に生まれる。旧制福島県立白河中学、旧制松本高等学校理科乙類を経て1945年(昭和20年)東京帝国大学医学部卒業。 東京大学医学部副手、東京医科歯科大学医学部助教授(薬理学教室)、東京大学医学部助教授(薬理学教室)を経て、1966年(昭和41年)東京大学医学部薬理学第2講座教授。1975年(昭和50年)に東京大学医学部長、1977年(昭和52年)に第50回日本薬理学会会長、1980年(昭和55年)に第23回日本腎臓病学会会長、1982年(昭和57年、東京大学名誉教授、日本学術振興会理事、1986年(昭和61年)第4回国際トキシコロジー学会会長、1987年(昭和62年)に日本学術振興会理事長に就任。
竹松 哲夫(たけまつ てつお、1921年4月8日 - 200… 竹松 哲夫(たけまつ てつお、1921年4月8日 - 2006年1月17日)は日本の農芸化学者。専門は農薬化学。宇都宮大学名誉教授。 長野県上伊那郡富県村(現伊那市)生まれ。旧制上伊那農業学校を経て宇都宮高等農林学校卒業。1942年応召、1946年復員。1947年宇都宮高等農林学校講師、1951年宇都宮大学助手、1964年助教授、1967年教授。1968年宇都宮大学雑草防除研究施設長を併任。1985年東京農工大学連合大学院教授を兼任。 除草剤の土壌中における処理層理論を世界で初めて発表し、除草剤開発の基礎を構築した。またPCP処理法、カヤツリクサ科高度選択除草剤、ウリベスト除草剤などを発明し、イネ科属間選択性DCPAの発見など、雑草防除研究の発展に貢献した。
武田 うめ(たけだ うめ、1921年3月24日 - 没年不明… 武田 うめ(たけだ うめ、1921年3月24日 - 没年不明)は日本映画の編集技師。長野県中野市出身。 1941年に新興キネマ大泉撮影所に入社するも、12月に社団法人日本映画社に移籍。1951年に東宝撮影所の移籍を経て、1973年にフリーとなる。 担当番組は『ウルトラマンレオ』(1974年/円谷プロダクション・東京放送)など。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
高橋 恭男(たかはし やすお、1921年(大正10年)3月1… 高橋 恭男(たかはし やすお、1921年(大正10年)3月18日 - 2019年(平成31年)2月3日)は、昭和後期から平成期の政治家。長野県大町市長。位階は従四位。 長野県北安曇郡社村(現大町市)で、高橋忠雄、まさと の二男として生まれた。1953年(昭和28年)3月、政治大学校政治学部を卒業。1955年(昭和30年)4月、大町市議会議員(1期)、1959年(昭和34年)4月、長野県議会議員に当選し5期在任。 1978年(昭和53年)7月、大町市長選挙に当選し、1990年(平成2年)7月まで3期務めた。在任中は市立大町総合病院の増築竣工、大町市社会会館や大町エネルギー博物館開設、衛生センター汚泥浄化施設の整備などに当たった。
吉水 幸夫(よしみず ゆきお、1921年2月8日 - )は、… 吉水 幸夫(よしみず ゆきお、1921年2月8日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、外野手)。
羽田 健三(はねだ けんぞう、1921年1月19日 - 19… 羽田 健三(はねだ けんぞう、1921年1月19日 - 1994年11月23日)は、日本の鳥類学者。
平林 栄治(ひらばやし えいじ、1920年12月15日 - … 平林 栄治(ひらばやし えいじ、1920年12月15日 - 戦死)は長野県出身のプロ野球選手。
中村 茂(なかむら しげる、1920年(大正9年)11月9日… 中村 茂(なかむら しげる、1920年(大正9年)11月9日 - 2012年(平成24年)12月19日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。 長野県小県郡殿城村(現上田市)生まれ。1938年名古屋逓信講習所卒業、上田郵便局に奉職。全逓長野地区書記長、全逓信越地方本部執行委員長などを経た後、1972年の第33回衆議院議員総選挙で長野2区から日本社会党公認で立候補して当選。以来連続6期務める。1990年の第39回衆議院議員総選挙には立候補せず引退した。 2012年12月19日、死去。92歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
山本 鎮彦(やまもと しずひこ、1920年(大正9年)11月… 山本 鎮彦(やまもと しずひこ、1920年(大正9年)11月1日 - 2012年(平成24年)9月17日)は、日本の内務・警察官僚。第9代警察庁長官。位階は従三位。 長野県長野市生まれ。横浜第一中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校文科甲類を経て1943年東北帝国大学(現東北大学)法文学部法科卒。 1943年内務省入省。警視庁の初代公安三課長、警務部監察官など警備・公安畑一筋に歩む。公安三課長時代にラストヴォロフ事件を手掛けたのを始め、公安部長時代には第二次安保騒動、警備局長時代には赤軍派による日航機ハイジャック事件、金大中事件、連続企業爆破事件など歴史的事件に遭遇し、陣頭指揮を執った。
井出 源四郎(いで げんしろう、1920年9月7日 - 20… 井出 源四郎(いで げんしろう、1920年9月7日 - 2008年11月28日)は日本の医学者。専門は病理学。第8代千葉大学学長。 長野県南佐久郡臼田町(現佐久市)生まれ。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)、旧制松本高等学校理科乙類を経て,、1944年旧制千葉医科大学卒業。母校助手を経て、1956年同助教授。1957年医学博士(千葉大学)。論文の題は「潰瘍性関節症の病理学的研究 」。1965年教授、1978年医学部長、1982年学長を歴任。1988年退官、名誉教授。1993年勲二等旭日重光章受勲。 1961年刊行の『中日英医学用語辞典』の編集委員長を務めた他、著書に『喫煙と肺癌』、『最新病理組織学』などがある。
小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日… 小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、昭和から平成初期の政治家、実業家。塩尻市長(第4代)。位階は従四位。父は元衆議院議員の小野祐之。 長野県東筑摩郡塩尻町生まれ。1937年(昭和12年)3月、旧制長野県立松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を卒業し、1941年(昭和16年)早稲田大学専門部商科を修了。1946年(昭和21年)から小野石灰六名社を経営[要出典]、1960年(昭和35年)に信陽化学工業と改称し代表取締役となる[要出典]。1959年(昭和34年)4月から塩尻市議会議員を5期務め、1963年(昭和38年)同副議長、1967年(昭和42年)には同議長に就任。
辰野 千寿(たつの ちとし、1920年(大正9年)5月31日… 辰野 千寿(たつの ちとし、1920年(大正9年)5月31日 - 2016年(平成28年)1月20日)は、日本の教育心理学者、筑波大学・上越教育大学名誉教授。 長野県上伊那郡西春近村(現伊那市)生まれ。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)を経て、1944年東京文理科大学心理学科卒、愛知青年師範学校教授、1948年東京文理科大学助手、1955年東京教育大学助教授、1961年「学習における禁止及び促進の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得、1967年教授、1973年筑波大学副学長、1976年辞任、1978年上越教育大学学長、1990年退官、勲三等旭日中綬章受勲。応用教育研究所長、学校教育研究所理事長。
池上 二良(いけがみ じろう、1920年5月15日 - 20… 池上 二良(いけがみ じろう、1920年5月15日 - 2011年7月15日)は、日本の言語学者。北海道大学名誉教授。専門は満洲語、その他のツングース諸語、アイヌ語など。 1920年、長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科(乙類)を経て、東京帝国大学文学部言語学科卒業。大学院在学中からツングース諸語、特にウイルタ語の研究を始める。 1951年に群馬大学学芸部助教授となる。1964年より北海道大学文学部教授、1976年より同大学文学部附属北方文化研究施設長を併任する。1984年に定年退官、名誉教授、札幌大学女子短期大学部教授。1991年、同大学定年退職。 旧樺太に住むウィルタ語の研究において、話者である佐藤チヨの協力のもと、『ウイルタ語基礎語彙』を出版した。
小坂 雄太郎(こさか ゆうたろう、1920年3月18日 - … 小坂 雄太郎(こさか ゆうたろう、1920年3月18日 - 1990年8月21日)は、日本の経営者。信越化学工業創業者小坂順造の甥で、信越化学工業社長を務めた。勲二等瑞宝章受章。 長野県上水内郡柳原村(現長野市)出身。地元の地方財閥の信越化学工業創業家小坂一族に生まれる。旧制長野中学・旧制松本高校を経て、1943年に京都帝国大学工学部機械工学科を卒業。海軍技術大尉を経て、1945年に信越化学工業に入社。 取締役、常務を経て、1975年8月に専務に就任し、1983年8月に社長に昇格。 1990年8月21日、肝不全のために死去。70歳没。同日勲二等瑞宝章受章。従兄に小坂善太郎、小坂徳三郎、従弟に小坂健介(信濃毎日新聞社社長)、岳父に舞出長五郎がいる。
下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、192… 下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、1920年〈大正9年〉3月16日 - 2013年〈平成25年〉4月14日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員。厚生大臣、参議院議院運営委員長、同国際平和協力等に関する特別委員長などを歴任した。位階は従三位。貴族的な風貌から「まろ」の通称で呼ばれていた。 長野県松本市出身。下条康麿の長男。私立暁星小學校、武蔵高等学校、1944年 東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。同年大蔵省に入省するが、太平洋戦争の激化に伴い短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。
原 久夫(はら ひさお、1920年(大正9年)3月12日 -… 原 久夫(はら ひさお、1920年(大正9年)3月12日 - 2008年(平成20年)8月14日)は、日本の政治家。長野県伊那市長。 長野県上伊那郡西箕輪村(現伊那市)出身。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)卒業後、応召。朝鮮半島から南方戦線に転じ、フィリピンで収容所生活を送った後、復員。昭和22年(1947年)西箕輪村役場に入り、伊那市発足後、農林課長、総務課長を経て、同45年(1970年)収入役、同53年(1978年)助役となり、同61年(1986年)伊那市長選挙に当選した。平成元年(1989年)勲四等瑞宝章受章。
宮崎 仁郎(みやざき じろう、1920年2月8日 - 200… 宮崎 仁郎(みやざき じろう、1920年2月8日 - 2001年2月18日)は、長野県出身のプロ野球選手。ポジションは遊撃手。
北原 文雄(きたはら あやお、1920年1月17日 - )は… 北原 文雄(きたはら あやお、1920年1月17日 - )は、日本の化学者。専門は、コロイド・界面化学とその化学史。 長野県上伊那郡藤沢村(現・伊那市)出身。旧制諏訪中学(現・長野県諏訪清陵高等学校)、第一高等学校理科乙類を経て、1942年東京帝国大学理学部化学科卒業。理学博士。 東京電気(現・東芝)入社。1949年佐賀県小城石炭研究所入所。1952年東邦大学理学部助教授。1959年同大学教授。1961年ペンシルベニア州立大学研究員。1963年東京理科大学工学部工業化学科教授。同大学工学部長を経て、1995年同大学名誉教授。 2020年には『化学者ウィリアムソンと日本人留学生たち』という本を出版した。
神津 善三郎(こうづ ぜんざぶろう、1919年12月31日 … 神津 善三郎(こうづ ぜんざぶろう、1919年12月31日 - 2002年5月15日)は日本の教育学者。専門は日本教育史。 長野県北佐久郡志賀村(現佐久市)生まれ、同郡小諸町(現小諸市)出身。旧制上田中学(現長野県上田高等学校)を経て、1944年慶應義塾大学文学部卒業。長野県短期大学(現長野県立大学)講師をへて、1961年教授、1976年学長就任。1984年長野大学学長に就任。1961年教育学博士(慶應義塾大学)(論文タイトルは『近代日本における義務教育の就学に関する研究:長野県における学齢期勤労児童の場合』) 長野県地方自治研究センター理事長やコープながの理事長を歴任した。1993年勲三等旭日中綬章。
宇治 達郎(うじ たつろう、1919年11月25日 - 19… 宇治 達郎(うじ たつろう、1919年11月25日 - 1980年11月27日)は、日本の医師。胃カメラの開発者の1人。 長野県上伊那郡小野村(現在の辰野町小野)出身。その後、埼玉県の大宮に移り、浦和中学、浦和高校、東京帝国大学医学部に進学し、1943年に卒業した。 卒業後、東京大学附属病院分院の外科に勤務が決まっていたが、軍医候補生として召集され中国に従軍した(第58師団司令部に所属した)。1946年に復員し、外科副手となった。1948年に林田健男助教授のもとで胃カメラの開発に着手し、オリンパス光学工業の技師であった杉浦睦夫と深海正治と共同で1950年に胃カメラを世界で初めて完成させた。1950年に医学博士を取得した。
諏訪 彰(すわ あきら、1919年11月18日 - 1999… 諏訪 彰(すわ あきら、1919年11月18日 - 1999年3月12日)は、日本の地震学者・火山学者。長く気象庁に勤務し、地震観測所長などを務めた。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)に、諏訪藩主・諏訪氏の分家筋に生まれる。旧制諏訪中学校(長野県諏訪清陵高等学校の前身)で三澤勝衛の教えを受け、三澤が顧問であった理科クラブの部長を務めた。松本高等学校理科甲類を経て、東京帝国大学理学部地質学科に学ぶ。1944年に卒業して兵役に就き、戦時中は技術将校として日本海沿岸の石油探査にあたった。 戦後、1945年12月に中央気象台(気象庁の前身)に採用されて藤原咲平の薫陶を受け、松代大本営跡に地震観測施設を設けた中央気象台松代分室の開設などに関わった。
両角 良彦(もろずみ よしひこ、1919年10月 -)は、日… 両角 良彦(もろずみ よしひこ、1919年10月 -)は、日本の官僚。通商産業事務次官。ナポレオン研究家。
徳武 敏夫(とくたけ としお、1919年9月20日 - 没年… 徳武 敏夫(とくたけ としお、1919年9月20日 - 没年不明)は、日本の教育評論家、平和運動家。 長野県長野市生まれ。旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。1946年から1959年まで出版社勤務、1965年大連外語外賓教授として渡中。1967年から歴史教育者協議会副委員長に就く。1975年高知大学、1981年和光大学、1982年法政大学で非常勤講師を務める。家永三郎の教科書検定訴訟を30年以上支援し、支援する全国連絡会常任委員。
今井 勇(いまい いさむ、1919年7月21日 - 1998… 今井 勇(いまい いさむ、1919年7月21日 - 1998年11月6日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。厚生大臣(第66代)、衆議院議員(7期、自由民主党)。 長野県長野市出身。第一高等学校を経て、1944年東京帝国大学第一工学部土木工学科を卒業。戦後の1949年建設省に入省。秋田工事事務所長、東北地方建設局道路部長、計画局地域計画課長、計画局技術調査官などを経て、1970年四国地方建設局長。退官後に1972年の第33回衆議院議員総選挙で旧愛媛3区から無所属で立候補し初当選。その後、自由民主党に入党、宏池会(大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)所属。農水・厚生政務次官、党社会部会長、衆院農水委員長などを歴任した後、1985年第2次中曽根内閣の厚生大臣として初入閣した。
小松 雅雄(こまつ まさお、1919年7月11日 - 201… 小松 雅雄(こまつ まさお、1919年7月11日 - 2010年10月16日)は、日本の経済学者。専門は、経済政策。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1945年早稲田大学政治経済学部卒業。1949年同大学院修了。同大学助手、政治経済学部助教授を経て、1955年教授、1978年学部長。麗澤大学初代国際経済学部(現・経済学部)長、同大学名誉教授。民主社会主義研究会議第4代議長(1983~1994)、日本経済政策学会名誉会員、学校法人廣池学園顧問、サンリツ服部美術館理事、諏訪郷友会評議員・長善館館長などを務めた。晩年は、郷里近くの長野県茅野市で過ごした。1997年勲三等旭日中綬章受勲。
小林 計一郎(こばやし けいいちろう、1919年5月21日 … 小林 計一郎(こばやし けいいちろう、1919年5月21日 - 2009年11月1日)は、日本の歴史学者、郷土史研究家。長野県史編纂委員、長野郷土史研究会会長(初代)。長野工業高等専門学校、文化女子大学長野専門学校、信州短期大学の元教授。長子は、長野郷土史研究会の二代目会長の小林一郎。脚本家の小林雄次と小林英造は孫。 長野県長野市生まれ。旧制長野中学校(現長野高校)を卒業し、神宮皇學館に進学する。小林一茶研究で知られる伊藤正雄に師事して国文学を学ぶ。1941年に卒業。兵役を経て、1946年から大阪府立農学校や長野県の高等学校教諭、長野工業高等専門学校教授、信州短期大学教授などを歴任。1991年信州短大退職、名誉教授の称号を受ける。
加藤 智男(かとう ともお, 1919年4月13日 - 没年… 加藤 智男(かとう ともお, 1919年4月13日 - 没年不明)は、長野県出身のプロ野球選手(投手)。
滝 謙太郎(たき けんたろう、1919年3月13日 - 没年… 滝 謙太郎(たき けんたろう、1919年3月13日 - 没年不詳)は、日本の俳優。長野県北佐久郡本牧村(現佐久市)出身。旧漢字表記は瀧 謙太郎。本名は笠原 敬三。 長野県北佐久農学校、帝国高等音楽学校研究科卒業。関屋敏子、古関裕而、下八川圭祐、原信子らに師事し声楽を学ぶ。原信子歌劇団、日本劇場、創作座、芸術座小劇場を経て、1941年に日活多摩川撮影所に入社。大映、松竹大船撮影所を経て、東映に入社。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
柳沢 錬造(柳澤 錬造、やなぎさわ れんぞう、1919年1月… 柳沢 錬造(柳澤 錬造、やなぎさわ れんぞう、1919年1月21日 - 2007年6月10日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 長野県埴科郡戸倉町(現千曲市)出身。小学校入学前から新聞配達を行う。私立石川島造船所青年学校卒業(6期)。その後、パプアニューギニアのラバウルに従軍。 戦後、石川島播磨重工業に入社し、同社労働組合委員長、造船重機労連委員長を務める。 1977年の第11回参議院議員通常選挙全国区初当選(民社党)。1979年、民社党組織局長。1983年、第13回参議院議員通常選挙比例区再選。 1989年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲八等からの昇叙)。同年の第15回参議院議員通常選挙に立候補せず、政界引退。
木川 達爾(きがわ たつじ、1919年1月20日 - 200… 木川 達爾(きがわ たつじ、1919年1月20日 - 2008年10月5日)は、日本の教育者・教育学者。文教大学名誉教授。 長野県諏訪郡豊平村(現・茅野市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、1940年東京府師範学校卒、同附属小学校、1949年東京学芸大学附属豊島小学校教諭、1957年東京都教育委員会指導主事、東京都立教育研究所研究教育部長など、1975年文教大学付属中学校・高等学校、小学校校長、文教大学教授、1990年定年、名誉教授。文教大学学園理事。木川達郎住友大阪セメント取締役常務執行役員の父。
細田 貴助(ほそだ きすけ、1919年(大正8年) - 没年… 細田 貴助(ほそだ きすけ、1919年(大正8年) - 没年不明)は、長野県茅野市出身の郷土史研究家、閉校した諏訪郡富士見町立落合小学校 の元校長。茅野市神長官守矢史料館初代館長。
藤原 てい(ふじわら てい、1918年11月6日 - 201… 藤原 てい(ふじわら てい、1918年11月6日 - 2016年11月15日)は、日本の作家。夫は作家の新田次郎(本名・藤原寛人)、数学者でエッセイストの藤原正彦は次男。エッセイストの藤原咲子は長女。孫はベーシストの村井研次郎。旧姓両角。 長野県茅野市出身。県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)卒業。1939年、新田と結婚。1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡る。敗戦後の1945年、夫を一時残して子供3人を連れ満州より引き揚げ、1946年帰国、心臓を患い寝たきりで、精神にも変調をきたしていたらしく、しばらくして新田も帰国したが、すぐには夫と分からない状態だったという。 帰国後、遺書のつもりでその体験をもとに、小説として記した『流れる星は生きている』はベストセラーとなった。
立川 義明(たてかわ よしあき、1918年11月3日 - 2… 立川 義明(たてかわ よしあき、1918年11月3日 - 2017年2月)は、日本の彫刻家。 長野県諏訪市出身。宮大工立川和四郎の末裔で、父は立川義清。彫刻師だった祖母や父の影響で彫刻家を志す。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科卒業。藤井浩佑に師事。日展や日彫展を中心に数多くの作品を発表した。1978年第一回日展会員賞受賞。日展審査員、日展評議員、日展参与などを務めた。東京都荒川区西日暮里に在住し、アトリエを構えていた(藤井浩佑の屋敷跡)。
信州山 由金(しんしゅうざん よしかね、1918年11月1日… 信州山 由金(しんしゅうざん よしかね、1918年11月1日 - 1976年8月20日)は、長野県諏訪郡上諏訪町(現在の同県諏訪市岡村)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は河西 由金(かわにし よしかね)。 現役当時の体格は179cm、92kgと、当時としては肩幅も広くがっしりとした体型であった。右を差しての思い切った攻め、頭を付ける堅実さを持ち合わせた取り口。 18歳の時に角界入りし、1937年5月場所で初土俵。1938年5月、19歳で序ノ口に付き、故郷の長野県諏訪郡に由来する「諏訪昇」を四股名とした。 その後、1942年5月場所より、郷里・長野県の旧称(信濃・信州)に因んだ「信州山」に改名。
小口 正七(おぐち しょうしち、1918年10月7日 - 2… 小口 正七(おぐち しょうしち、1918年10月7日 - 2006年10月16日)は、日本の化学者。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1943年東京文理科大学(現・筑波大学)化学科卒業。東京学芸大学教授。同大学名誉教授。文教大学教授。1977年東京学芸大学附属大泉中学校(現・東京学芸大学附属国際中等教育学校)校長。1992年勲三等旭日中綬章受勲。
吉野 文六(よしの ぶんろく、1918年8月8日 - 201… 吉野 文六(よしの ぶんろく、1918年8月8日 - 2015年3月29日)は、日本の外交官。