大池 弥三郎(おおいけ やさぶろう、1913年10月7日 -… 大池 弥三郎(おおいけ やさぶろう、1913年10月7日 - 1997年12月22日)は日本の医学者。専門は内科学。弘前大学元学長、日本脳卒中学会元会長。長野県出身。 著書に『脳卒中の臨床と研究』がある。
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大池 弥三郎(おおいけ やさぶろう、1913年10月7日 -… 大池 弥三郎(おおいけ やさぶろう、1913年10月7日 - 1997年12月22日)は日本の医学者。専門は内科学。弘前大学元学長、日本脳卒中学会元会長。長野県出身。 著書に『脳卒中の臨床と研究』がある。
與曽井 章平(よそい しょうへい、1913年(大正2年)9月… 與曽井 章平(よそい しょうへい、1913年(大正2年)9月20日 - 1993年(平成5年)11月26日)は、日本の社会学者。愛知教育大学名誉教授。 長野県生まれ。1931年(昭和6年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。松本高等学校を経て、1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部を卒業。 愛知学芸大学(現愛知教育大学)教育学部教授。1976年(昭和51年)定年退官。愛知教育大学名誉教授。退官後は、信州大学医療技術短期大学部教授を務めた。
上田 泰(うえだ やすし、1913年9月20日 - 2008… 上田 泰(うえだ やすし、1913年9月20日 - 2008年4月8日)は、日本の内科学者。 長野県松本市生まれ。1939年東京慈恵会医科大学卒業、1949年医学博士。東京慈恵医大助教授、1958年教授となる。腎盂腎炎に関する研究や腎臓における細菌感染症の化学療法の研究などで知られる。厚生省中央薬事審議会委員などを務めた。佐藤栄作の主治医も務めた。
宝月 欣二(ほうげつ きんじ、寳月 欣二、1913年 <大正… 宝月 欣二(ほうげつ きんじ、寳月 欣二、1913年 <大正2年> 7月10日 - 1999年 <平成11年> 12月19日)は、日本の植物学者。理学博士。東京都立大学名誉教授。専門は植物生態学。栄典は勲三等旭日中綬章。位階は正四位。 長野県長野市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、松本高等学校理科を経て、1938年東京帝国大学理学部植物学科卒業。同大学大学院修了(理学博士)。1944年東京大学副手を経て、1952年東京都立大学助教授、1954年同大学教授。退官後、同大学名誉教授。玉川大学教授。 日本植物学会会長、日本生態学会会長、旧環境庁自然環境保全審議会委員などを歴任し、勲三等旭日中綬章受勲。
若槻 哲雄(わかつき てつお、1913年5月4日 - 199… 若槻 哲雄(わかつき てつお、1913年5月4日 - 1993年4月2日)は、日本の物理学者。専門は原子核物理学。第10代大阪大学総長。元大阪府教育委員長。長野県長野市出身。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
久保田 正文(くぼた まさふみ、1912年9月28日 - 2… 久保田 正文(くぼた まさふみ、1912年9月28日 - 2001年6月6日)は、文芸評論家、小説家、文学博士。 長野県下伊那郡山本村(現飯田市)生まれ。旧制飯田中学(現長野県飯田高等学校)、松本高等学校文科甲類、東京帝国大学文学部美学科卒。福井県の旧制北陸中学(現北陸中学校・高等学校)に教師として赴任したが、『信州文学』に掲載した小説「残夢」が治安維持法違反に問われた。 日本大学藝術学部教授を経て、大正大学文学部教授。戦前から文学活動を始め、1946年、上京、短歌雑誌『八雲』を編集、1947年、新日本文学会に入会、『近代文学』に発表した「しづかな甍」でデビュー、以後、民主主義文学者として小説や評論を発表。
須甲 鉄也(すこう てつや、1912年8月30日 - 199… 須甲 鉄也(すこう てつや、1912年8月30日 - 1998年4月19日)は、日本の動物学者。専門は甲殻類の発生学や、河川の生態学(特に環境破壊による動物相の年代的遷移)。 長野県長野市出身。東京文理科大学卒業。1938年理学博士。1941年埼玉師範学校教授、1964年埼玉大学文理学部教授、教養部教授、学生部長、教育学部長から1978年名誉教授、1980年から1987年まで学長。 国立大学協会教養課程特別委員会長、天然記念物北海道犬保護会長、埼玉県環境アセスメント会長、さいたま緑のトラスト協会理事、埼玉県立自然博物館協会長など多数の役職を歴任した。勲二等旭日重光章。 著書には「動物発生学実験法」、「大学教養生物学」などがある。
山本 正男(やまもと まさお、1912年1月12日 - 20… 山本 正男(やまもと まさお、1912年1月12日 - 2007年10月10日)は、日本の美術史学者。専攻は美学、芸術史。第4代東京芸術大学学長、初代沖縄県立芸術大学学長。長野県長野市出身。 日本学術会議第13・14期会員、文部省学術審議会委員、日本美学会委員などを歴任した。
水戸部 正男(みとべ まさお、1912年〈明治45年〉1月6… 水戸部 正男(みとべ まさお、1912年〈明治45年〉1月6日 - 1996年〈平成8年〉10月27日)は、日本史学者。専門は日本の法制史。第6代横浜国立大学学長。 長野県上高井郡小布施村(現・小布施町)生まれ。旧制須坂中学(長野県須坂高等学校)、東京高等師範学校を経て、1935年(昭和10年)東京文理科大学国史学科卒業。同年奈良師範学校、1942年(昭和17年)神奈川師範学校教授を経て応召、1947年(昭和22年)復員。1949年(昭和24年)横浜国立大学助教授。1962年(昭和37年)教授、1967年(昭和42年)教育学部長、1973年(昭和48年)学長を歴任。 法学博士(1960年、慶應義塾大学)。
三井 為友(みつい ためとも、1911年12月12日 - 1… 三井 為友(みつい ためとも、1911年12月12日 - 1998年9月13日)は、日本の教育学者。東京都立大学名誉教授。 旧名・松井大造。長野県諏訪郡富士見町出身。旧制諏訪中学校卒、第一高等学校卒、在学中左翼活動で検挙される。京都帝国大学文学部哲学科から東大に転じ、1937年東京帝国大学文学部教育学科卒。1940年同大学院教育学修士課程修了。 脚気のため帰郷、諏訪高等女学校(現長野県諏訪二葉高等学校)で教えた際千野敏子を教えた。1943年から東大学生主事補を務め、1944年東京第二師範学校教授に就任するが、同年5月応召、北満洲からボルネオ島に転戦し敗戦を迎える。捕虜生活ののち1946年7月帰国。
熊谷 寛夫(くまがい ひろお、1911年2月16日 - 19… 熊谷 寛夫(くまがい ひろお、1911年2月16日 - 1977年11月5日)は、日本の物理学者。学位は、理学博士(1939年)。日本物理学会会長・日本学術会議委員を歴任。世界初の「可変エネルギーサイクロトロン」を完成させ、「高エネルギー物理学の父」と言われる。長野県東筑摩郡寿村(現・松本市)生まれ。旧姓青木。1978年勲二等追叙。
有賀 槐三(ありが かいぞう、1911年2月12日 - 20… 有賀 槐三(ありが かいぞう、1911年2月12日 - 2009年4月15日)は、日本の医学者。医学博士(1946年、東京帝国大学)。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)生まれ。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を経て、昭和9年(1934年)日本大学専門部医科修了。日本大学内科及生化学教室での研修後、駿河台日本大学病院内科助手、昭和13年(1938年)同病院医局長、昭和15年(1940年)医学部講師、昭和21年(1946年)助教授、昭和26年(1951年)教授。昭和29年(1954年)内科学第三講座開設に伴い主任教授に就任。昭和43年(1968年)駿河台日本大学病院長。昭和45年(1970年)医学部総合企画委員長、昭和49年(1974年)医学部長。
旭 興正(あさひ おきまさ、1911年(明治44年) - 1… 旭 興正(あさひ おきまさ、1911年(明治44年) - 1998年(平成10年))は、日本の獣医学者。獣医学博士。北里大学獣医学部教授、動物衛生研究所東北支場長を務めた。 長野県生まれ。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高校を経て、東京帝国大学農学部卒業。1955年(昭和30年)北海道大学より獣医学博士授与。獣医学領域でのリステリア症やヨーネ病の研究を行った。北里大学獣医学部獣医畜産学研究科教授、1959年(昭和34年)から1967年(昭和41年)まで動物衛生研究所東北支場長を務めた。 興正は、同じ獣医学者で弘前大学名誉教授佐々木直亮の記した「親戚覚書」によれば、直亮の祖父(佐々木哲之進)の姉(なよ)で、その孫にあたるあき子と結婚した。
松下 隆章(まつした たかあき、1909年3月31日 - 1… 松下 隆章(まつした たかあき、1909年3月31日 - 1980年9月15日)は、日本の美術史家。中世日本美術を主として扱った。
村田 潔(むらた きよし、1909年2月28日 - 1973… 村田 潔(むらた きよし、1909年2月28日 - 1973年11月3日)は、西洋美術史学者。東北大学名誉教授。専門は古代ギリシア美術、フランス印象派。 長野県松本市出身。東北帝国大学文学部美学美術史学科で児島喜久雄に学び、1932年卒業後、東北帝大文学部助手。イギリスなどヨーロッパに学び、帰国後1937年講師、1939年助教授、1947年東北帝国大学教授、東北大学文学部教授、1950年「印象派美術論」で東北大学文学博士。1972年定年退官、名誉教授、武蔵野美術大学教授。
竹内 利美(たけうち としみ、1909年2月2日 - 200… 竹内 利美(たけうち としみ、1909年2月2日 - 2001年)は、日本の民俗学者、歴史学者。東北大学名誉教授。 長野県長野市生まれ。1944年國學院大學文学部国史学科卒業。日本の村落の実地調査研究を続け、社会学的見地に立って理論化を目指した。 1929年長野県上伊那郡川島村小学校、同本郷小学校で教諭となり、1940年日本常民文化研究所に勤務、1944年中央水産業会職員、1948年連合軍総司令部民間情報教育局世論及社会調査部顧問などを経て、1951年東北大学教育学部講師、1952年助教授、1954年教授。1972年定年退官、名誉教授、同年東北福祉大学教授、1983年退官。 1962年「日本村落構造の研究」により東洋大学から文学博士の学位を授与される。
秋山 晴夫(あきやま はるお、1909年2月1日 - 198… 秋山 晴夫(あきやま はるお、1909年2月1日 - 1980年11月23日)は、日本のフランス文学者であり、中央大学名誉教授である。 長野県北佐久郡岩村田町(現在の長野県佐久市)に生まれた。旧制野沢中学校(現在の長野県野沢北高等学校)を経て、1933年に東京帝国大学仏文科を卒業した。卒業後は司法省調査課に勤務した。1941年には軍の命令により広州湾フランス租借地に出張した。1943年には一兵卒として北支に出兵した。戦後の1949年に中央大学教授に就任し、1980年に定年退任、名誉教授となった。 ボードレール、ランボーをはじめとするフランス文学の翻訳を多数手がけた。
宇都宮貞子(うつのみや さだこ、1908年12月3日 - 1… 宇都宮貞子(うつのみや さだこ、1908年12月3日 - 1992年2月12日)は、日本の民俗学者、草花研究家、随筆家。 長野県長野市生まれ。旧制県立長野高等女学校卒。東京女子大学中退。民俗学の一環として野の草花を研究し、60歳以後多くの著作を執筆した。1984年エイボン教育賞受賞。1992年、脳梗塞のため死去。
戒能 通孝(かいのう みちたか、1908年(明治41年)5月… 戒能 通孝(かいのう みちたか、1908年(明治41年)5月30日 - 1975年(昭和50年)3月22日)は、日本の法学者。専門は民法。早稲田大学教授、旧東京都立大学教授などを歴任。弁護士。 1908年、長野県飯田市生まれ。本籍は愛媛県。父は旧制飯田中学教師として飯田に赴任した。1927年、第五高等学校卒、1930年、東京帝国大学卒。法学博士。 師は穂積重遠、末弘厳太郎。在学中セツルメント法律相談部に参加。 満鉄調査部の宮崎正義が率いる日満財政研究会に、当時、東京帝国大学経済学部助手だった古賀英正(後の作家南條範夫)らとともに参加。軍による東亜支配を経済的に支える統制経済計画の策定に深く関与する。
小松 摂郎(こまつ せつろう、1908年2月14日 - 19… 小松 摂郎(こまつ せつろう、1908年2月14日 - 1975年5月9日)は、日本の哲学者。大阪府出身。東海大学短期大学部元教授。 長野県育ち。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)卒、東京帝国大学卒。1935年、山形高等学校教授。弁証法的唯物論を研究。戦後、民主主義科学者協会に参加、主体性論争で梅本克己を批判した。 1949年、神戸経済大学予科教授から、新制神戸大学文理学部教授へ切り替わる見込みであった小松は、日本共産党の党員や同調者を強権的に排除するレッドパージの対象となり、小松の新制大学教授への切り替えを認めないことを決し、さらに免官とした大学評議会など上層部と、文科教授会などとの間に対立が起こった。
今井 勇之進(いまい ゆうのしん、1907年10月12日 -… 今井 勇之進(いまい ゆうのしん、1907年10月12日 - 2001年9月18日)は、日本の金属工学者。東北大学名誉教授。元日本学士院会員。元日本金属学会会長。文化功労者。日本学士院賞受賞。工学博士(東北帝国大学、1947年)。長野県上水内郡柳原村(現・長野市)生まれ。 鉄鋼材料に関する研究を進めた。鋼の微量成分の研究で、窒素が極めて有用な合金成分になることを発見した。1992年文化功労者。村上武次郎は岳父にあたる。
樫山 欽四郎(かしやま きんしろう、1907年〈明治40年〉… 樫山 欽四郎(かしやま きんしろう、1907年〈明治40年〉5月1日 - 1977年〈昭和52年〉8月7日)は、日本の哲学者。元早稲田大学文学部教授。研究対象は、ドイツ近世哲学・実存哲学。 長野県北佐久郡小諸町(現・小諸市)出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、早稲田大学文学部哲学科卒。同助教授、1949年教授。早稲田大学高等学院長、第二文学部長、第一文学部長を経て大学院文学研究委員長に就任。 ヘーゲル研究で知られ1951年ヤスパース協会、1957年実存主義協会設立に参画、理事を務めた。1960年「ヘーゲル精神現象学の研究」で文学博士。また1969年早大野球部長に就任、東京六大学野球連盟理事、日本学生野球協会理事を務めた。
伊藤 郷平(いとう ごうへい、1906年10月6日 - 19… 伊藤 郷平(いとう ごうへい、1906年10月6日 - 1984年8月28日)は、日本の地理学者、理学博士。第4代愛知教育大学長。 愛知県地方計画委員会会長、矢作川流域開発研究会会長などを務め、地域開発計画の立案、推進に大きな業績を残した。 長野県伊賀良村(現・飯田市北方)に生まれた。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、1930年(昭和5年)東京高等師範学校を卒業。1936年(昭和11年)、東京文理科大学理学部地理学科を卒業。 東京府青山師範学校、東京女子師範学校、立正大学などで教鞭をとり、東京都視学官となる。戦後、長野県須坂高等学校長を務め、1951年(昭和26年)に愛知学芸大学(現・愛知教育大学)教授となる。
峯村 光郎(みねむら てるお、1906年6月26日 - 19… 峯村 光郎(みねむら てるお、1906年6月26日 - 1978年2月18日)は、日本の法学者。慶應義塾大学名誉教授。 専門は法哲学、経済法、労働法。 長野県上水内郡水内村(現長野市)出身。旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て慶應義塾大学法学部卒。 慶應義塾大学助教授、1938年教授。1948年法学博士。のちに同大学法学部長。1972年定年退任、名誉教授、國學院大學教授。日本法哲学会理事長。 1976年勲一等瑞宝章叙勲。 1949年の公共企業体等労働関係法の施行以降には、公共企業体の労働関係問題に深く携わり、1956年からは公共企業体等労働委員会(中央労働委員会の前身)の会長代行、会長を務めた。
秋元 波留夫(あきもと はるお、1906年1月29日 - 2… 秋元 波留夫(あきもと はるお、1906年1月29日 - 2007年4月25日)は、日本の医学者・精神科医。 長野県長野市出身。一家は旧諏訪藩士の家系。3歳時に一家で上京。旧制京華中学、1925年旧制松本高等学校理科甲類を卒業、1929年東京帝国大学(後の東京大学)医学部卒業。その後北海道帝国大学(後の北海道大学)医学部助手に就任。その後、東京帝国大学医学部副手、同学部講師、旧制金沢医科大学(後の金沢大学医学部)教授を経て1958年に東京大学医学部教授に就任した。1936年医学博士(北海道大学)。論文の題は「失行症本質論 」。 長く日本の精神医学界の権威として活躍。帝銀事件に関して、平沢貞通の有罪の証拠とされた精神鑑定の結果を誤りであると指摘し注目を集めた。
北原 覚雄(きたはら かくお、1906年1月15日 - 19… 北原 覚雄(きたはら かくお、1906年1月15日 - 1977年1月23日)は、日本の農芸化学者。専門は応用微生物学。 長野県上伊那郡長藤村(現・伊那市)生まれ。1923年旧制長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)卒業、1926年旧制大阪高等工業学校卒業、1929年京都帝国大学農学部農林化学科卒業。同年京都帝大講師、助教授となり、1940年農学博士取得。1947年京都大学食糧科学研究所教授、1953年東京大学応用微生物研究所第1研究部(現・東京大学定量生命科学研究所)主任教授に転じた。1963年同大学同研究所所長。 1966年に退官、東京農業大学教授となり、1976年から同大客員教授となった。
池上 隆祐(いけがみ たかすけ、1906年(明治39年)1月… 池上 隆祐(いけがみ たかすけ、1906年(明治39年)1月15日 - 1986年(昭和61年)4月3日)は、日本の民俗学者、政治家。衆議院議員、信濃木崎夏期大学理事長。 1906年、長野県東筑摩郡松本町(現松本市)で、商家・池上良三の五男として生まれた。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科乙類を経て、東京帝国大学で学んだ。学生時代は柳田国男に師事し、赤羽一雄ら信州白樺派の教員とも交流を持った。 卒業後は農林省研究所に勤務。義兄の有賀喜左衛門とともに民俗学雑誌『郷土』の編集と発行にあたり、菅江真澄遊覧紀の刊行にあたっては信濃の部を担当した。長野県をたびたび訪れた折口信夫らとも交誼を深めた。
赤須 文男(あかす ふみお、1905年12月19日 - 19… 赤須 文男(あかす ふみお、1905年12月19日 - 1991年5月22日)は、日本の医学者。専門は内分泌学。 長野県駒ヶ根市出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て、昭和4年(1929年)東京帝国大学医学部卒業。同9年(1934年)医学博士。同10年(1935年)帝国女子医学専門学校(現東邦大学)教授、同33年(1968年)金沢大学医学部教授。同35年(1970年)金沢大学附属病院長、同46年(1971年)退官。私立金沢医科大学客員教授、国保松戸市立病院事業管理者を務めた。 また昭和35年(1970年)日本内分泌学会会長、同43年(1968年)日本産婦人科学会会長、同46年(1971年)日本輸血学会会長などを歴任した。
小野 勝年(おの かつとし、1905年12月1日 - 198… 小野 勝年(おの かつとし、1905年12月1日 - 1988年12月20日)は、日本の歴史家。専門は、東洋史・仏教史。 1905年、長野県上伊那郡小野村(現:辰野町)で生まれた。長野県松本中学校、松本高等学校文科乙類を経て、1927年に京都帝国大学文学部史学科に入学。在学中に2年間病気療養のために休学したが、1933年に卒業論文『両税制度の一考察を提出して卒業。京都帝国大学大学院へ進んだ。 同じく1933年、京都帝国大学文学部副手に採用(-1943年5月)。1937年より外務省在支特別研究員として中華民国北平市(現:北京市)に留学。華中・華北・東北・蒙古等の史蹟の調査を行い、中国美術・考古の研究を進めた。
太田 和彦(おおた かずひこ、1905年5月20日 - 19… 太田 和彦(おおた かずひこ、1905年5月20日 - 1984年7月5日)は、日本の文部官僚、図書館情報学者。図書館短期大学(現・筑波大学情報学群知識情報・図書館学類)学長を務めた。 長野県飯田市出身。旧制長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、旧制第一高等学校を経て、京都帝国大学文学部哲学科卒業。文部省(現・文部科学省)入省。教科書調査官を務めた。 旧制浪速高等学校教授、群馬大学教授、獨協大学文学部教授を歴任し、1969年図書館短期大学(のちの図書館情報大学を経て、現・筑波大学情報学群知識情報・図書館学類)学長に就任。時代に即した文献情報学科の新設、筑波移転に伴う四年制大学昇格(図書館情報大学)の基礎固めに尽力した。
山室 三良(やまむろ さぶろう、1905年1月23日 - 1… 山室 三良(やまむろ さぶろう、1905年1月23日 - 1997年1月15日)は、日本の中国哲学者。兄に山室次郎(中部日本新聞社社長)、弟に作家の山室静がいる。 長野県北佐久郡志賀村(現在の佐久市志賀)生まれ。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)を経て、九州帝国大学法文学部選科支那哲学科修了。1933年九州帝大副手を経て、1934年外務省留学生として北京に赴き、1936年北京近代科学図書館初代館長、銭稲孫に委嘱して日本文学の中国語訳をさせる。帰国し、1947年九州帝大法文学部助教授、1960年九州大学文学部教授、1968年定年退官、名誉教授、1970年から1977年まで福岡大学教授、福岡県文化財専門委員、九州管区警察学校講師を務め、1980年から1983年まで東海大学教授。
小泉 清明(こいずみ きよあき、1904年12月17日 - … 小泉 清明(こいずみ きよあき、1904年12月17日 - 1977年10月26日)は、日本の生物学者。理学博士(1935年)。信州大学教授などを歴任。 長野県上田市生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1928年京都帝国大学農学部農林生物学科卒業。翌年、母校講師。理学博士(1935年)。 1930年台北帝国大学助教授、1944年熱帯医学研究所所長、1949年岐阜師範学校(学制改革により岐阜大学教育学部)教授、1958年信州大学教授、1960年同繊維学部長などを歴任し、1969年定年退官。 日本生態学会環境問題専門委員会委員長、長野県水質審議会委員、日本学術会議自然保護研究連絡委員会委員なども務める。
梶芳 光運(かじよし こううん、1904年8月25日 - 1… 梶芳 光運(かじよし こううん、1904年8月25日 - 1984年1月18日)は、日本の仏教学者。 長野県松本市生まれ。1929年東京帝国大学文学部卒。1949年「原始般若経の研究」で文学博士(東京大学)。東京水産大学助教授、大正大学助教授、教授、1974年定年退任、名誉教授。
河角 廣(かわすみ ひろし、1904年7月12日- 1972… 河角 廣(かわすみ ひろし、1904年7月12日- 1972年12月12日)は、日本の地震学者。東京帝国大学教授を歴任。 長野県諏訪郡富士見村(現富士見町)出身。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1928年東京帝国大学理学部地震学科卒業。同年東京帝国大学地震研究所嘱託となる。1944年教授となり1963年所長に就任。退官後は東京都防災会議地震部会会長などを歴任した。 日本各地の地震危険度と最高震度の期待値を示す「河角マップ」は耐震基準における地震地域係数の根拠となった。また鎌倉や江戸などの古地震を調査し、相模トラフ巨大地震の69年周期説を唱えた(なお当該地震は1923年を最後に発生していない)。
永田 広志(ながた ひろし、1904年4月1日 - 1947… 永田 広志(ながた ひろし、1904年4月1日 - 1947年9月7日)は日本の哲学者である。マルクス主義の立場から活動した。 長野県東筑摩郡山形村に生まれる。県立松本中学(後の長野県松本深志高等学校)に学び、小岩井源一(後の詩人、高橋玄一郎)と知り合う。中学時代から哲学に興味を持ち始める。卒業後、1921年に東京外国語学校露語部に入学。クロポトキンら、当時のソ連の哲学動向に関心を持つ。卒業後は一時朝鮮に渡り、国境近い新義州で流入するソ連文献を検閲する任務に当たる。 1927年、パーヴェル・アクセリロード『ブルジョア社会学の批判』を翻訳して刊行、海外文献の紹介、翻訳につとめる。1930年、川内唯彦のすすめでプロレタリア科学研究所に参加し、唯物弁証法の研究につとめる。
唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月… 唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月13日 - 1980年(昭和55年)5月27日)は、日本の文芸評論家・哲学者・思想家。 京大で西田幾多郎に師事。『現代日本文学序説』(1962年)を書き、『鷗外の精神』(1943年)、『中世の文学』(1955年)と研究を進めた。反近代の思想を貫き『「科学者の社会的責任」についての覚え書』(1980年)を遺して死去した。 1904年(明治37年)、長野県上伊那郡宮田村に生まれる。旧制松本中学(現:長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校(現:信州大学)文科甲類を卒業後、1927年(昭和2年)に京都帝国大学文学部哲学科を卒業。西田幾多郎や田邊元から多大な影響を受けた。
倉沢 剛(くらさわ たかし、1903年9月22日 - 198… 倉沢 剛(くらさわ たかし、1903年9月22日 - 1986年9月4日)は、日本の教育学・教育史学者。 長野県小県郡川辺村(現上田市)生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を出て小学校の代用教員を務めたあと、1927年東京高等師範学校文科卒業。 同年、長野県上田高等女学校教諭。1933年東京文理科大学教育学部卒業、埼玉県女子師範学校教諭。1937年東京女子高等師範学校教諭ならびに同助教授。1944年東京女子高等師範学校教授ならびに同教諭。1952年東京学芸大学教授。1954年から1957年まで、東京学芸大学附属世田谷小学校校長。1957年「米国におけるカリキュラム研究の歴史的考察」で東京文理科大学文学博士。
印南 高一(いんなみ こういち、1903年4月30日 - 2… 印南 高一(いんなみ こういち、1903年4月30日 - 2001年12月19日)は、日本の演出家、演劇研究者(大学教授)。印南 喬(いんなみ たかし)の筆名がある。本名の印南高一に、「いんなみ たかいち」のルビを振る著書もある。 長野県飯田市出身。印南は同郷の先輩河竹繁俊を介しての、坪内逍遙の孫弟子である。財団法人逍遙協会理事を40年間務めた。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館の設立初期から、また坪内が創設した早稲田大学文学部(坪内の当時東京専門学校)に新設された芸術科の設立初期から関わり、半生を奉職した。 演劇の研究分野は東洋演劇をはじめとして、日本、西洋の古今の演劇におよぶ。演出においては、坪内逍遙のページェント(野外劇)運動およびヨーロッパの「音と光」のページェント手法を用いた、シェイクスピア演劇の前衛的な活動などをした。
長谷川 晃一(はせがわ こういち、1903年(明治36年)4… 長谷川 晃一(はせがわ こういち、1903年(明治36年)4月1日 - 1967年(昭和42年)4月25日)は、早稲田大学政治経済学部教授、同学部教養諸学研究会評議員、早稲田大学世界連邦研究会会長、世界連邦建設同盟常任理事・国際部長。 1903年4月1日、長野県上田市に生まれる。 1920年5月、渡米しカリフォルニア州の商業高校に入学し、1923年6月に卒業する。同年9月、オハイオ州のマイアミ大学に入学する。1927年6月に卒業し、政治経済学でB.A.の学位を受ける。同年9月、シンシナティ大学大学院都市行政学科に入学する。1928年6月、修了しM.A.(修士)の学位を受ける。同年9月、コロンビア大学大学院の市政学科に入学する。
太田 敬三(おおた けいぞう、1902年12月27日 - 1… 太田 敬三(おおた けいぞう、1902年12月27日 - 1996年4月1日)は、日本の医学者、東宮侍医。専門は、小児科学。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。旧制長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て、1926年東京帝国大学医学部医学科卒業。 1926年東大医学部薬理学教室に入り、1927年小児科副手となり、外来診察所医長、1934年医学部附属病院小児科医長兼講師、1937年宮内省侍医寮勤務を経て、1945年東京医学歯学専門学校(現・東京医科歯科大学)講師、のち教授。1949年初代東京医学歯学専門学校附属医院国府台分院長。1956年東京医科歯科大学医学部附属病院長。
丸山 千里(まるやま ちさと、1901年(明治34年)11月… 丸山 千里(まるやま ちさと、1901年(明治34年)11月27日 - 1992年(平成4年)3月6日)は、日本の医学者、皮膚科医。第6代日本医科大学学長、同大学名誉教授。皮膚結核および癌の治療薬を目指していた丸山ワクチンの開発者である。医学博士(東京大学)。長野県茅野市出身。 1901年、長野県諏訪郡金沢村(現在の茅野市の一部)にて、小学校訓導の父・小三郎と母・はつの五男一女の末っ子として生まれる。 1908年、金沢村金沢尋常小学校(現在の茅野市立金沢小学校)入学。1914年、豊田尋常高等小学校尋常科を卒業、富士見金沢組合立富士見高等小学校に入学。1915年、東京の日本中学校(現在の日本学園中学校・高等学校)入学。
五味 保義(ごみ やすよし、1901年8月31日 - 198… 五味 保義(ごみ やすよし、1901年8月31日 - 1982年5月27日)は、日本の歌人・万葉学者。末弟は万葉学者の五味智英。長野県下諏訪町出身。 旧制諏訪中学(現・長野県諏訪清陵高等学校)、東京高等師範学校文科を経て、京都帝国大学国文科卒業。中学時代より叔母のアララギ派詩人・五味えい、同郷の島木赤彦の影響を受け、短歌の道を志した。1929年上京後、齋藤茂吉、土屋文明の指導を受けながら、アララギの中興や、歌誌「アララギ」の発行に携わり、特に戦後は、世田谷区奥沢の自宅を「アララギ」発行所として専念した。数多くの学校で教壇に立ち、東京第三師範学校や日本女子大学の教授も勤めた。1953年から1982年まで信濃毎日新聞歌壇撰者。
小坂 隆雄(こさか たかお、1901年8月11日 - 197… 小坂 隆雄(こさか たかお、1901年8月11日 - 1979年8月20日)は、日本の生理学者、公衆衛生学者。 長野県岡谷市に生まれる。 長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業。1924年に満洲医科大学(現中国医科大学)を卒業後、同大学の生理学教室に入り、久野寧の発汗研究に従事する。 1929年、ロックフェラー財団のフェローシップをとり、北京協和医学院へ留学、林 可勝(ロバート・リム)(中国語版)の生理学教室へ入る。 1930年、林との協同研究により小腸由来の胃酸分泌抑制作用を発見し、作用を再現する物質をエンテロガストロンと命名する。その後、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン へ留学し、Sir Charles Arthur Lovatt Evans、 アーチボルド・ヒルの指導を受け、インスリン放出や血糖利用等代謝に関する研究を行う。
小川 安朗(おがわ やすろう、1901年2月7日 - 199… 小川 安朗(おがわ やすろう、1901年2月7日 - 1991年3月20日)は、日本の服飾学者、文化女子大学名誉教授。 長野県諏訪郡永明村(現茅野市)出身。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を経て、東京高等工業学校(現・東京工業大学)色染科卒業。陸軍被服本廠理化学部長、研究部長。戦後は繊維会社に勤務し繊維を研究、1962年文化女子短期大学教授、1964年文化女子大教授兼任。1972年定年退任、名誉教授。 世界各地の民族衣装を研究、1964年ヨーロッパ7か国を回り、57か国で研究、死去の直前まで中国雲南省で研究していた。
望月 市恵(もちづき いちえ、男性、1901年1月25日 -… 望月 市恵(もちづき いちえ、男性、1901年1月25日 - 1991年9月8日)は、ドイツ文学者、信州大学名誉教授。
池上 鎌三(いけがみ けんぞう、1900年11月12日 - … 池上 鎌三(いけがみ けんぞう、1900年11月12日 - 1956年1月29日)は、日本の哲学者、元東京大学文学部教授。新カント派の哲学を学び、文化哲学、現象学、生の哲学を研究、紹介した。 1900年、長野県東筑摩郡松本町(現松本市)で生まれた。1918年、旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を卒業し、第二高等学校に進学。1921年に同校を卒業し、東京帝国大学哲学科で学んだ。1925年に卒業。 卒業後は、東京外国語学校などで教鞭をとった後、1936年、母校の東京帝国大学助教授に就いた。1945年に同教授昇格。1941年、学位論文『文化哲学基礎論』を東京大学に提出して文学博士号を取得。56歳で在職中に死去。
臼井 二尚(うすい じしょう、1900年〈明治33年〉8月2… 臼井 二尚(うすい じしょう、1900年〈明治33年〉8月27日 - 1991年〈平成3年〉3月8日)は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。 長野県南安曇郡三田村田尻(現:安曇野市堀金三田)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科乙類を経て、1926年京都帝国大学文学部社会学科を卒業した。 1929年、京都帝国大学専任講師に着任。ドイツ、米国、フランスに研究留学した後、1932年に助教授昇進。1944年に教授昇進。1945年、学位論文『社会と民族』を京都帝国大学に提出して文学博士号を取得。1949年より京都大学文学部教授。1963年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。
今井 野菊(いまい のぎく、1900年〈明治33年〉 8月1… 今井 野菊(いまい のぎく、1900年〈明治33年〉 8月14日 - 1982年〈昭和57年〉10月6日)は、日本の郷土史家、歌人である。本名は今井 すみ江(いまい すみえ)。 長野県諏訪郡宮川村(現・茅野市宮川茅野)に生まれ、諏訪高等女学校(現・諏訪二葉高等学校)へ入学。女学校一年の時に『アララギ』へ入会し島木赤彦と森山汀川に師事。大正7年(1918年)に卒業し小学校の代用教員となり、その翌年(当時19歳)寒天問屋「地紙世(ちがみせ)」(現・地紙世商店)の今井平左衛門に嫁ぐ。池坊華道の教授でもあり、地元の人々が敬意を込めて「地紙世の先生」と呼んでいた。戦後、『旧宮川村誌(史)』の編纂に奮闘する傍ら諏訪大社及び諏訪地域の在地信仰(ミシャグジ、千鹿頭神、天白神 等)の研究を行い、踏査集成を広範囲に渡って行った。
宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年〈明治32年〉3月… 宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年〈明治32年〉3月6日 - 1976年〈昭和51年〉9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法。東京大学名誉教授。立教大学法学部元教授。貴族院議員。日本野球機構(プロ野球)コミッショナー。位階は従二位。日本国憲法の制定に寄与し、憲法学の権威と謳われた。美濃部達吉門下。弟子に佐藤功、高柳信一、小嶋和司、芦部信喜、深瀬忠一など。 1899年(明治32年)3月6日、長野県長野市に生まれる。旧制長野中学、東京府立四中、第一高等学校を卒業。 1923年、東京帝国大学法学部卒業後、美濃部達吉の助手(弟子)となり、1925年、同大学法学部助教授となる。1930年から1932年にかけて、フランス、ドイツ、アメリカへ留学。
宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年(明治32年)3月… 宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年(明治32年)3月6日 - 1976年(昭和51年)9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法。東京大学名誉教授。貴族院議員。長野県長野市出身。