松井 聡(まつい さとし、1951年(昭和26年)7月28日… 松井 聡(まつい さとし、1951年(昭和26年)7月28日 - )は、日本の政治家。岐阜県羽島市長(4期)。 岐阜県羽島市竹鼻町狐穴に生まれる。岐阜市立鷺山小学校、岐阜市立長良中学校、岐阜県立加納高等学校卒業。1974年(昭和49年)3月、中央大学経済学部卒業。同年4月、羽島市役所に採用される。市民部長、企画部長、市民病院事務局長、教育委員会事務局長、会計管理者等を歴任した。 2012年(平成24年)3月、羽島市役所を退職。同年4月、公益財団法人岐阜県市町村振興協会の公募試験採用に合格し再就職した。同年11月25日に行われた羽島市長選挙に出馬し、現職の白木義春を僅差で破り初当選。12月21日に市長に就任した。
小川 敏(おがわ びん、本名の読み:おがわ さとし、1950… 小川 敏(おがわ びん、本名の読み:おがわ さとし、1950年〈昭和25年〉11月15日 - )は、日本の政治家。元大垣市長(5期)。岐阜経済大学理事。 岐阜県大垣市出身。岐阜県立大垣北高等学校卒業。1974年(昭和49年)3月、東京大学法学部卒業。同年4月、伊藤忠商事に就職。 1980年(昭和55年)2月、伊藤忠商事を退職。同年4月、大垣市で家業(小川紙店)を継ぐ。以降、大垣市商工会、大垣市PTA連合会などで会長などを務める。 2001年(平成13年)3月3日、大垣市長の小倉満が在任中に死去。これに伴って行われた大垣市長選挙に立候補し初当選。以後5期務めた。 2021年(令和3年)2月、任期満了に伴う大垣市長選挙に立候補せず5期で退任する意向を示した。
金子 政則(かねこ まさのり、1950年 〈昭和25年〉8月… 金子 政則(かねこ まさのり、1950年 〈昭和25年〉8月30日 - )は、日本の政治家。岐阜県加茂郡八百津町長(3期)。 岐阜県加茂郡八百津町に生まれる。1968年、岐阜県立多治見工業高等学校を卒業。1972年、中京大学を卒業。 2012年(平成24年)、八百津町長選挙に立候補するも3位で落選した。 ※当日有権者数:10,326人 最終投票率:78.36%(前回比:-pts) 2016年(平成28年)1月17日執行の八百津町長選挙で新人2名を破り初当選した。 ※当日有権者数:9,800人 最終投票率:69.49%(前回比: 8.87pts) 同年1月28日、八百津町長に就任した。 2020年(令和2年)1月15日執行の八百津町長選挙では無投票で再選され、同年1月28日より2期目を務めた。
今井 俊郎(いまい としろう、1950年8月17日 - )は… 今井 俊郎(いまい としろう、1950年8月17日 - )は、日本の政治家。元岐阜県加茂郡東白川村長(3期)。 東白川村出身。名城大学法学部法律学科卒業後、民間会社に勤める。1994年(平成6年)に東白川村役場に入庁し、東白川村病院(現・東白川村国保診療所)事務局長などを歴任、2011年(平成23年)に退職。その後は東白川村商工会事務局長を務める。 2014年4月8日告示、同年4月13日投票の東白川村長選挙では元村議の村雲辰善との一騎打ちを制し初当選した。 ※当日有権者数:2,155人 最終投票率:88.12%(前回比:6.23pts) 任期満了に伴う2018年4月10日告示の東白川村長選挙、及び2022年4月12日告示の東白川村長選挙では今井俊郎以外の候補は無く、無投票で再選されている。
棚橋 敏明(たなはし としあき、1950年(昭和25年)2月… 棚橋 敏明(たなはし としあき、1950年(昭和25年)2月20日 - )は、日本の政治家。元岐阜県瑞穂市長(1期)。元瑞穂市議会議員(2期)。 岐阜県瑞穂市出身。1970年(昭和45年)、近畿大学中退。1981年(昭和56年)、皮革製造卸業のレザリンを創業。1986年(昭和61年)、株式会社レザリンに法人改組。 2008年(平成20年)4月20日に行われた瑞穂市議会議員選挙に初当選した。2012年(平成24年)、再選。 2015年(平成27年)4月14日、自由民主党県連は、統一地方選挙で行われる瑞穂市長選挙で棚橋を推薦することを決定した。4月19日、市議を辞職。4月26日に行われた市長選に、自民党の推薦のほか市議会最大会派「新生クラブ」の支援を受けて出馬。
国島 芳明(國島 芳明、くにしま みちひろ、1950年〈昭和… 国島 芳明(國島 芳明、くにしま みちひろ、1950年〈昭和25年〉1月15日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。元岐阜県高山市長(3期)。 岐阜県高山市西町出身。高山市立南小学校、高山市立松倉中学校、岐阜県立斐太高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、愛知大学法経学部法学科卒業。同年4月、高山市役所に入庁。 2008年4月、高山市副市長に就任。 2010年の高山市長選で、市長の退職金廃止、副市長を2人から1人に削減、斎場建設の着手、JR高山駅西側の総合交流センター計画の見直しなどを公約に掲げ、前市長が推した対立候補を破って初当選した。 2022年5月28日、同年8月に予定されている市長選挙に「持つべき集中力や胆力といった資質を次の4年間も持ち続けられないと判断した」として立候補しない意向を表明した。
大山 耕二(おおやま こうじ、1949年(昭和24年)9月2… 大山 耕二(おおやま こうじ、1949年(昭和24年)9月29日 - )は、日本の建設・国土交通技官、政治家。元中津川市長(2期)。 岐阜県中津川市出身。中津川市立西小学校、中津川市立第一中学校、岐阜県立中津高等学校、名古屋大学工学部土木工学科卒業。1975年3月、名古屋大学大学院工学研究科修士課程修了。同年4月、建設省に入省。1992年4月、豊田市助役に就任。1999年、和歌山県土木部長に就任。その後、名古屋国道事務所長などを経て、2003年7月、国土交通省中部地方整備局副局長に就任。 2004年4月18日に行われた中津川市長選挙に自民党・民主党・公明党の推薦を受けて立候補。現職の中川鮮を破り、初当選を果たした。
青木 克徳(あおき かつのり、1949年(昭和24年)2月1… 青木 克徳(あおき かつのり、1949年(昭和24年)2月16日 - )は日本の政治家。東京都葛飾区長(5期)。 1949年2月16日、岐阜県高山市に生まれる。小学校3年の時に、葛飾区亀有に転居した。1960年に葛飾区立亀青小学校、1963年に葛飾区立亀有中学校を卒業を経て、1967年に東京都立葛飾野高等学校を卒業した。同年、葛飾区役所に入職した。区役所では1996年に地域振興部長を、2003年に政策経営部長を経て、2006年に収入役に就任した。 2009年7月31日付で区役所を退職した。同年11月8日投票の葛飾区長選挙に立候補して、新人4人を破って当選した。 ※当日有権者数:355,415人 最終投票率:47.44%(前回比:+0.34pts) 2013年11月10日投票の葛飾区長選挙に立候補して、共産党推薦の新人を破って再選を果たした。
細江 茂光(ほそえ しげみつ、1948年(昭和23年)4月1… 細江 茂光(ほそえ しげみつ、1948年(昭和23年)4月18日 - 2020年(令和2年)4月16日)は、日本の政治家。元岐阜市長(5期)。 岐阜県岐阜市伊奈波通出身。岐阜市立金華小学校(現岐阜市立岐阜小学校)、岐阜市立伊奈波中学校、岐阜県立岐阜高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、京都大学法学部卒業。同年4月、三井物産に就職。 2002年(平成14年)1月11日、市職員の公職選挙法違反事件により、岐阜市長の浅野勇が辞職。これに伴って2月24日に行われた市長選挙に民主党の推薦を受けて立候補。5人の候補者を破り初当選した。投票率は49.55%。 2006年(平成18年)、再選。投票率は30.28%。
岡﨑 和夫(おかざき かずお、1948年2月19日 - )は… 岡﨑 和夫(おかざき かずお、1948年2月19日 - )は、日本の元政治家、行政書士。元岐阜県池田町長(6期)。社会福祉法人 池田町社会福祉協議会の会長でもあった。 1966年3月、岐阜県立岐阜農林高等学校土木科卒業し、同年4月池田町役場に入庁。2001年に助役に就任し、翌年退職。 2003年1月21日告示・26日執行の池田町長選挙に立候補し、無投票で初当選した。2月10日、町長就任。 2007年1月16日告示・21日執行の池田町長選挙に立候補し、無投票で2期目の当選を果たした。 2011年1月11日告示・16日執行の池田町長選挙に立候補し、新人で元NPO法人事務局長の野村美里を大差で破り、3期目の当選を果たした。
古田 肇(ふるた はじめ、1947年〈昭和22年〉9月13日… 古田 肇(ふるた はじめ、1947年〈昭和22年〉9月13日 - )は、日本の政治家、通産・経産・外務官僚。元岐阜県知事(公選第16・17・18・19・20代)。無所属。2022年3月27日からは全国知事会副会長(東海北陸ブロック)を務める。 岐阜県岐阜市生まれ。岐阜市立加納中学校、岐阜県立岐阜高等学校卒業。1971年6月、東京大学法学部卒業。同年7月、通商産業省(現・経済産業省)に入省(貿易振興局貿易振興課)。同期入省に杉山秀二(事務次官)、今井康夫(特許庁長官)、鹿島幾三郎らがいる。1974年にフランス国立行政学院(ENA)に留学した。 1994年、羽田孜内閣総理大臣の首相秘書官に就任し、村山富市内閣総理大臣の下でも引き続き首相秘書官を務めた。
小嶋 善吉(こじま ぜんきち、1947年(昭和22年)5月3… 小嶋 善吉(こじま ぜんきち、1947年(昭和22年)5月30日 - )は、日本の政治家。1994年から2003年まで(旧)静岡市長を、2003年から2011年まで(新)静岡市長を務めた。 岐阜県出身。1971年3月東京大学法学部卒業。同年7月、日本勧業銀行(第一勧業銀行を経て現在のみずほ銀行)に入行、銀行員として勤務(同期入行組には、(旧)みずほ銀行頭取を務めた杉山清次らがいる)。 1979年から静岡県議会議員を4期務め、自民党県連副会長を歴任した。1987年には、静岡市立千代田小学校のPTA会長に拝命された。1993年の第40回衆議院議員総選挙に静岡1区(中選挙区)から立候補するが落選。天野進吾市長の辞任に伴う1994年の旧静岡市長選で鈴木正孝(元・防衛医科大学校副校長、後に参議院議員)や天野一(現・静岡県議会議員)らを破り初当選、初当選後3期9年旧静岡市の市長を、合併後の2期8年新静岡市の市長を務め、合わせて17年市長職を務めた。
遠藤 乙彦(えんどう おとひこ、1947年2月1日 - )は… 遠藤 乙彦(えんどう おとひこ、1947年2月1日 - )は、日本の政治家、外交官。グローバルビジネス戦略総合研究所代表取締役社長兼所長。 衆議院議員(6期)、通商産業政務次官、財務副大臣、公明党幹事長代理、公明党特別顧問(外交・安全保障担当)などを歴任。
中条 きよし(なかじょう きよし、本名:下村 清〈しもむら … 中条 きよし(なかじょう きよし、本名:下村 清〈しもむら きよし〉、1946年〈昭和21年〉3月4日 - )は、日本の歌手、俳優、政治家。日本維新の会所属の参議院議員(1期)。岐阜県岐阜市出身。現在は静岡県熱海市在住。 岐阜県岐阜市生まれ。岐阜市立伊奈波中学校卒業、岐阜東(1年次は岐東)高等学校商業科中退。 大阪の劇団に所属し、役者を目指す。歌手の前座のピンチヒッターとして歌いレコード会社関係者の目に止まる。 1968年、高波 晃(たかなみ あきら)の芸名で「帰って来た波止場」で歌手デビュー。 1971年、今度は渥美 健(あつみ けん)に芸名を改め、「心の古傷」で再デビューした。 20代半ばで東京・赤坂にスナックを出店した。
尾藤 義昭(びとう よしあき、1946年〈昭和21年〉2月1… 尾藤 義昭(びとう よしあき、1946年〈昭和21年〉2月14日 - )は、日本の政治家。元関市長。岐阜県議会議員(自由民主党)。 2007年(平成19年)、関市長選で当選。2011年(平成23年)に落選するまで1期4年を務めた。 関市生まれ。岐阜県立関高等学校卒業。中京大学商学部卒業。1970年(昭和45年)、松野幸泰の秘書となった。1982年(昭和57年)、関市議会議員に当選して2期務める。1991年(平成3年)の岐阜県議会議員選挙に関市選挙区から自民党公認で立候補して、初当選を果たした。2006年(平成18年)5月9日から2007年(平成19年)5月8日まで、第114代岐阜県議会副議長を務めた。
柘植 芳文(つげ よしふみ、1945年〈昭和20年〉10月1… 柘植 芳文(つげ よしふみ、1945年〈昭和20年〉10月11日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日重光章。 参議院議員(2期)、参議院厚生労働委員長、参議院環境委員長、参議院内閣委員長、全国郵便局長会会長、総務副大臣、外務副大臣を歴任した。 岐阜県恵那市生まれ。現住所は愛知県名古屋市守山区四軒家。名古屋森孝郵便局局長。2005年(平成17年)6月29日に日本郵政公社で開催された第1回「手紙ルネッサンス会議」で座長を務め、2009年(平成21年)に全国郵便局長会会長へ就任。郵便局長会など郵政関係者の支援を受け、2013年(平成25年)7月21日の第23回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区に出馬し、429,002票を得て初当選。
松永 清彦(まつなが きよひこ、1945年(昭和20年)9月… 松永 清彦(まつなが きよひこ、1945年(昭和20年)9月26日 - )は、日本の政治家。岐阜県海津市長(4期)。岐阜県議会議員(2期)。 岐阜県海津郡平田町(現・海津市)出身。平田町立海西小学校、学校組合立今尾中学校、岐阜県立岐阜高等学校を経て、1968年(昭和43年)3月、岐阜薬科大学卒業。同年4月、塩野義製薬に就職。1998年(平成10年)6月、同社を退社。 1999年(平成11年)4月の岐阜県議会議員選挙で初当選。2003年(平成15年)、再選。県議時代は自由民主党に所属した。2005年(平成17年)3月25日に県議を辞職した。 同月28日、海津郡の海津町、南濃町、平田町の3町が合併し、海津市が誕生。
平沢 勝栄(平澤 勝榮、ひらさわ かつえい、1945年〈昭和… 平沢 勝栄(平澤 勝榮、ひらさわ かつえい、1945年〈昭和20年〉9月4日 - )は、日本の政治家、警察・防衛官僚。自由民主党所属の衆議院議員(11期)。 復興大臣(第11代)、自由民主党広報本部長、内閣官房長官秘書官、ワールドスケートジャパン会長などを歴任。 岐阜県大野郡白川村生まれ。生家は国の重要文化財に指定されている「旧大戸家住宅」(現在は下呂市の下呂温泉合掌村に移築されている)。のちに父親の仕事の都合により福島県に転居。福島県立福島高等学校、東京大学法学部卒業。同級生に白川勝彦、早川忠孝がいる。なお、大学時代に安倍晋三の家庭教師を約2年間務めていた。 1968年、東大法学部を卒業し警察庁に入庁。
渡辺 直由(わたなべ なおよし、1945年(昭和20年)8月… 渡辺 直由(わたなべ なおよし、1945年(昭和20年)8月6日 - 2013年(平成25年)7月23日)は、日本の政治家。岐阜県美濃加茂市長。御代桜醸造五代目。 父親は美濃加茂市長や衆議院議員を務めた渡辺栄一。 岐阜県美濃加茂市出身。1968年(昭和43年)3月、慶應義塾大学経済学部卒業。美濃加茂商工会議所副会頭などを経て、愛知・岐阜・三重地区の商工会議所委員長、日本商工会議所理事、1997年(平成9年)10月から2005年(平成17年)7月まで岐阜県教育委員会委員を務め、この間2000年(平成12年)2月以降は委員長を務めた。 2005年(平成17年)8月、美濃加茂市長選挙に立候補し初当選。
日置 敏明(ひおき としあき、1944年〈昭和19年〉3月2… 日置 敏明(ひおき としあき、1944年〈昭和19年〉3月28日 - )は、日本の政治家、総務官僚。岐阜県郡上市長(3期)。長良川鉄道代表取締役社長。 岐阜県郡上郡弥富村大間見(現・郡上市大和町)に生まれる。大和村立大和北小学校、大和村立大和北中学校卒業。1962年(昭和37年)3月、岐阜県立郡上高等学校卒業。1968年(昭和43年)3月、京都大学法学部卒業。同年4月、自治省に入省。1983年(昭和58年)4月、岐阜県林政課長として岐阜県庁に奉職。以後、岐阜県地域県民部参与、中濃地域振興局長知事代理、岐阜県出納長などを歴任。 2004年(平成16年)4月、財団法人岐阜県健康長寿財団の理事長に就任。
西寺 雅也(にしでら まさや 1944年3月3日 - )は、… 西寺 雅也(にしでら まさや 1944年3月3日 - )は、日本の政治家。元岐阜県多治見市市議会議員、元多治見市長。市長引退後、山梨学院大学法学部政治行政学科教授。岐阜県多治見市出身。
河合 正智(かわい まさとも、1944年1月22日 - 20… 河合 正智(かわい まさとも、1944年1月22日 - 2012年5月1日)は日本の政治家、元公明党所属の衆議院議員(通算4期)、元岐阜県議会議員(通算2期)。
藤井 孝男(ふじい たかお、1943年〈昭和18年〉3月14… 藤井 孝男(ふじい たかお、1943年〈昭和18年〉3月14日 - 2026年〈令和8年〉4月13日)は、日本の政治家。 衆議院議員(5期)、参議院議員(4期)、運輸大臣(第73代)、大蔵政務次官(第3次中曽根内閣)、参議院大蔵委員長、衆議院議院運営委員長、衆議院予算委員長、参議院懲罰委員長、自由民主党参議院国会対策委員長、日本維新の会国会議員団総務会長兼選挙対策委員長、次世代の党総務会長兼選挙対策委員長、同顧問、公益社団法人日本プロテニス協会会長などを歴任。 1943年、東京府(のちの東京都)にて、新日本製鐵副社長や参議院議員をつとめた藤井丙午の三男として生まれた。岐阜県白川町出身。 1965年3月、成城大学経済学部卒業。
堀 孝正(ほり たかまさ、1941年(昭和16年)9月16日… 堀 孝正(ほり たかまさ、1941年(昭和16年)9月16日 - )は、日本の政治家。元岐阜県瑞穂市長(2期)。元岐阜県本巣郡巣南町(現・瑞穂市)町長。元巣南町議会議員、瑞穂市議会議員。
猫田 孝(ねこた たかし、1940年4月8日 - )は、日本… 猫田 孝(ねこた たかし、1940年4月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の岐阜県議会議員(14期)。自由民主党岐阜県連会長代行。岐阜県政界に強い影響力を持ち、『岐阜のドン』とも呼ばれる。 岐阜県立大垣北高等学校、中央大学文学部卒業後、岐建株式会社(建設会社)に入社。1974年5月の岐阜県議会議員大垣市選挙区補欠選挙で初当選し、以後、14期連続当選。1989年には衆院選への立候補を目指したが、断念した。2003年6月には自由民主党岐阜県連幹事長に就任。 猫田の名を全国的に有名にしたのは2005年の郵政解散総選挙であった。当時の小泉純一郎首相は、郵政民営化法案の採決で造反した議員を公認せず、「刺客」候補を擁立すると決定。
森 真(森 眞、もり しん、1940年(昭和15年)2月24… 森 真(森 眞、もり しん、1940年(昭和15年)2月24日 - 2021年(令和3年)9月3日)は、日本の政治家。岐阜県各務原市長(4期)、岐阜県議会会議員、社会党岐阜県本部委員長、民主党岐阜代表代行などを歴任した。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜高等学校、早稲田大学第一法学部卒業。会社員から地元紙の新聞記者を経て、社会党の書記長だった山本幸一の秘書を務めた。2度の落選を経て、1979年に岐阜県議会議員選挙に当選し5期務めた。 1997年に各務原市長選に立候補し当選。2013年の任期満了に伴う同市長選で新人の浅野健司に敗れ、落選するまで4期務めた。 2015年、旭日中綬章を受章。 2021年9月3日14時15分、誤嚥性肺炎のため死去。
松田 岩夫(まつだ いわお、1937年(昭和12年)5月19… 松田 岩夫(まつだ いわお、1937年(昭和12年)5月19日 - 2022年(令和4年)2月3日)は、日本の政治家、通産官僚。位階は従三位。元衆議院議員(通算3期)、元参議院議員(2期)。 岐阜県岐阜市出身。第3次小泉改造内閣において、2005年(平成17年)10月31日から2006年(平成18年)9月26日まで、内閣府特命担当大臣(食品安全、科学技術政策)、情報通信技術 (IT)担当大臣を務めた。 岐阜県立加納高等学校を経て、1960年(昭和35年)に東京大学法学部(法律学)を卒業後、通商産業省に入省。同期に、堺屋太一、熊野英昭(元通産事務次官)、高橋達直、吉田文毅(特許庁長官)、若林茂(大臣官房審議官、旧ヤハギ社長)など。
土野 守(つちの まもる、1936年10月4日 - 2017… 土野 守(つちの まもる、1936年10月4日 - 2017年10月2日)は、日本の政治家。元岐阜県高山市長(4期)。 岐阜県高山市出身。1959年中央大学法学部卒。自治省に入り、北海道庁、沖縄開発庁、新潟県庁に出向する。自治省官房企画官、同参事官などを経て、1994年の高山市長選に立候補して初当選、2010年までの4期務めた。2012年に旭日小綬章を受章した。2017年10月2日、すい臓がんのため死去。
可知 義明(かち よしあき、1936年(昭和11年)9月25… 可知 義明(かち よしあき、1936年(昭和11年)9月25日 - )は、日本の政治家。元岐阜県恵那市長(3期)。 岐阜県恵那市出身。1955年(昭和30年)3月、岐阜県立恵那高等学校卒業。同年4月、恵那市役所に入庁。1995年(平成7年)4月、恵那市助役に就任。2000年(平成12年)4月、中津川恵那広域行政事務組合事務局長に就任。 2004年(平成16年)10月25日、旧恵那市と恵那郡南部の山岡町・明智町・岩村町・串原村・上矢作町の1市4町1村が合併し新制の恵那市が誕生する。これに伴って11月28日に行われた恵那市長選挙に公明党の推薦を得て出馬。旧山岡町長の山内章裕ら2候補を破り、初当選を果たした。
大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )… 大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(2期)、社会民主党政策審議会長、国際委員長を歴任した。 岐阜県岐阜市出身。名古屋大学法学部を卒業後、司法試験に合格し、司法修習を経て弁護士登録。労働・公害問題や家庭問題等、市民に密着した事案を数多く手がけた。1992年、PKO法闘争のなかで、砂川事件判決の裁判官だった伊達秋雄から「今こそ憲法擁護の大事な時」と促され、日本社会党からの国政進出を決意。第16回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、当選。以後2期12年間参議院議員を務め、護憲と共に男女雇用機会均等法、パートタイム労働者の権利保護法、環境アセスメント法、廃棄物処理法等の立法、改正に尽力した。
梶原 拓(かじわら ひろむ、1933年11月14日 - 20… 梶原 拓(かじわら ひろむ、1933年11月14日 - 2017年8月29日)は、日本の政治家。建設省官僚。前岐阜県知事、元全国知事会会長。氏名の読みは一般には「かじわら たく」として知られる。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜高等学校、京都大学法学部卒業。 県立岐阜高校、京都大学法学部を卒業後、旧建設省に入省し、都市局局長等を歴任。鳥取県に出向し知事の西尾邑次の部下だったこともある。 1985年に当時の岐阜県知事だった上松陽助の部下として、岐阜県副知事に就き、上松の引退を受け1989年(平成元年)に夢おこし県政を掲げ岐阜県知事に初当選。以降4期16年在任し、全国知事会長も歴任した。 県内の産業振興にも積極的に取り組み、当時はほとんど知られていなかったCOSMOS (COsmic Scale Multimedia Of Six-faces) と称する当時世界に2台しか存在しなかった6面スクリーンの最先端の仮想現実環境の研究拠点を含む研究施設を県内に整備して振興に努めた。
柳川 喜郎(やながわ よしろう、1933年(昭和8年)1月 … 柳川 喜郎(やながわ よしろう、1933年(昭和8年)1月 - )は日本の政治家。NHK解説委員を経て岐阜県可児郡御嵩町長を歴任。 義父は初代御嵩町長の伊崎隆三。現在は愛知県名古屋市在住。 御嵩町長在任中の1996年(平成8年)に暴漢に襲われ(御嵩町長襲撃事件)、一時は意識不明の重体となったが回復後に復帰。当時の御嵩町は産業廃棄物処分場計画で大きく揺れており、柳川喜郎は計画反対であった。そのため産廃処分場計画との関連が指摘されたが犯人の検挙には至らず、2011年10月30日に公訴時効が成立した。この事件は民主主義に対する暴圧として大きく取り上げられた。 後の東京都神田生まれ。1945年(昭和20年)に父の転勤により後の岐阜県可児市に転居。
小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 -… 小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 - 2001年(平成13年)3月3日)は、昭和から平成前期の実業家、政治家。大垣市長(4期)。大垣市名誉市民。
平野 元(ひらの はじめ、1930年(昭和5年)10月3日 … 平野 元(ひらの はじめ、1930年(昭和5年)10月3日 - )は、日本の政治家、元岐阜県山県市長(2期)。 岐阜県出身。岐阜県立長良高等学校卒。岐阜県庁職員、中部女子短期大学事務局長を経て。山県郡高富町の町長となる。高富町は2003年に伊自良村、美山町と合併し、山県市となる。合併後の市長選挙に立候補し、無投票で初当選した。4月27日に就任した。2007年の市長選挙でも無投票で再選。山県市長を2期務めた。2011年4月26日に退任した。
浅野 拡(あさの ひろむ、1927年1月2日 - 1981年… 浅野 拡(あさの ひろむ、1927年1月2日 - 1981年5月15日)は、日本の政治家。位階は正五位、勲等は勲三等。参議院議員(1期、自由民主党)。 岐阜県安八郡輪之内町生まれ。岐阜県立大垣中学校、名古屋工業専門学校を経て、1951年(昭和26年)、早稲田大学商学部卒業。大学在学中は、雄弁会に所属し、幹事長(会全体の責任者)を務める。学卒業後は、平野力三衆議院議員の秘書を務める。1954年、三野工業株式会社を設立。 1962年、輪之内町長選に当選。1963年に岐阜県議会議員に当選し、以後4期連続当選する。1973年に県議会副議長、1976年に県議会議長に就任する。 1977年、第11回参議院議員通常選挙で岐阜県選挙区から自民党公認で立候補し、初当選。
武藤 嘉文(むとう かぶん、1926年〈大正15年〉11月1… 武藤 嘉文(むとう かぶん、1926年〈大正15年〉11月18日 - 2009年〈平成21年〉11月4日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党所属の衆議院議員、農林水産大臣(第3代)、通商産業大臣(第51代)、外務大臣(第114代)、総務庁長官(第19代)を歴任した。 岐阜県各務原市出身。岐阜中学 (旧制)、富山高校 (旧制)卒業。中国・上海の東亜同文書院大学に入学するが、一時帰国中に同校が敗戦によって閉校したため、戦後、京都大学法学部に転入学する。在学中は当時大学の総長だった瀧川幸辰に師事していた。1951年(昭和26年)、京都大学法学部卒業。ファミリー企業の武藤醸造(菊川株式会社、後にヒシノ)に入社する。
浅野 勇(あさの いさむ、1926年〈大正15年〉3月1日 … 浅野 勇(あさの いさむ、1926年〈大正15年〉3月1日 - 2007年〈平成19年〉1月23日)は、日本の政治家。岐阜市長(3期)。
平野 喜八郎(ひらの きはちろう、1920年〈大正9年〉8月… 平野 喜八郎(ひらの きはちろう、1920年〈大正9年〉8月21日 - 2010年〈平成22年〉10月24日)は、日本の政治家。元岐阜県各務原市長。岐阜県郡上市(旧・郡上郡大和町)出身。
渡辺 栄一(本姓:渡邉 榮一、わたなべ えいいち、1918年… 渡辺 栄一(本姓:渡邉 榮一、わたなべ えいいち、1918年(大正7年)10月11日 - 1997年(平成9年)6月16日)は、日本の政治家、酒造家。位階は正三位。 自由民主党衆議院議員(10期)、建設大臣(第34代)、岐阜県美濃加茂市長などを歴任した。 岐阜県美濃加茂市出身。御代桜醸造社長・渡辺栄三郎の息子として生まれた。1938年(昭和13年)名古屋高等商業学校(現・名古屋大学)卒業。卒業後は家業の酒造業・御代桜に従事。徴兵され陸軍主計大尉に進み除隊した。 岐阜県太田町長を2期務め、1954年からは新たに誕生した美濃加茂市の初代市長を3期務めた。市長在任中の1963年(昭和38年)第30回衆議院議員総選挙に旧岐阜2区から自民党公認で出馬し初当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
高橋 重信(たかはし しげのぶ / じゅうしん、1918年〈… 高橋 重信(たかはし しげのぶ / じゅうしん、1918年〈大正7年〉4月9日 - 1980年〈昭和55年〉7月30日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員。 岐阜県岐阜市出身。1938年(昭和13年)岐阜県師範学校を卒業し、1944年(昭和19年)同研究科を卒業した。 小学校訓導、陸軍伍長、岐阜県下国民学校訓導、中学校教諭、岐阜市教育委員会副委員長、日本社会党岐阜県本部書記長などを務めた。1955年(昭和30年)の岐阜県議会議員選挙に岐阜市選挙区から左派社会党公認で立候補して当選した。1959年(昭和34年)、1963年(昭和38年)は社会党公認で当選している。衆議院議員補欠選挙に立候補するため、1964年(昭和39年)12月6日付で県議を辞職した。
柳原 三郎(やなぎはら さぶろう、1914年(大正3年)7月… 柳原 三郎(やなぎはら さぶろう、1914年(大正3年)7月3日 - 1990年(平成2年)1月25日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 岐阜県岐阜市出身。1932年(昭和7年)岐阜県立岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)を卒業。その後、日本大学を卒業した。 岐阜県会議員に選出され、司法保護委員も務めた。柳原工業工場長、同取締役副社長、岐阜商工会議所議員、岐阜県体育協会長などを歴任。岐阜青年連盟主幹に就任し『暁鐘』を主宰した。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で岐阜県第1区に民主党公認で出馬して初当選。その後、1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
上松 陽助(うえまつ ようすけ、1914年(大正3年)7月2… 上松 陽助(うえまつ ようすけ、1914年(大正3年)7月2日 - 1996年(平成8年)1月18日)は、日本の政治家。岐阜県知事、岐阜市長を務めた。岐阜県名誉県民、岐阜市名誉市民。 岐阜県岐阜市出身。岐阜中学校(現:岐阜県立岐阜高等学校)、第八高等学校(現:名古屋大学)、東京帝国大学法学部政治学科(現:東京大学)卒業。 その後、日鉄鉱業に就職し、兵役を経て、雑貨を扱う常盤産業株式会社を設立し代表取締役社長に就任。 岐阜市役所に入庁し、経済部長、企業部長、民生部長、農林部長、民生局長等の要職を歴任した。収入役を経て、1970年に岐阜市長に初当選。 1977年2月に岐阜県知事選挙に出馬し、日本社会党参議院議員の中村波男らを破り初当選。
春日 一幸(かすが いっこう、1910年(明治43年)3月2… 春日 一幸(かすが いっこう、1910年(明治43年)3月25日 - 1989年(平成元年)5月2日)は、日本の政治家、実業家。勲章は正三位勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(14期)、愛知県議会議員(2期)、民社党委員長(第3代)を歴任した。 岐阜県海津郡東江村(現:海津市)出身。生家は農家で、7人姉妹のうちに生まれた。母親に「男、望むなら王まで望め」と言われ、名古屋逓信講習所に入学。1928年卒業。名古屋中央電話局(現・NTT西日本名古屋支店)職員となる。後年反共主義の立場を取ったが、この時期はプロレタリア文学を読みあさり、ダダイスムに傾倒した。無断欠勤して上京し、杉並の林芙美子宅に押しかけ、10日間粘ってついに自作の詩を生田春月に見てもらうよう約束を取り付けたという。
古屋 亨(ふるや とおる、1909年1月6日 - 1991年… 古屋 亨(ふるや とおる、1909年1月6日 - 1991年6月20日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士、政治家。衆議院議員、自治大臣兼国家公安委員会委員長。正三位勲一等旭日大綬章。
松野 幸泰(まつの ゆきやす、1908年(明治41年)10月… 松野 幸泰(まつの ゆきやす、1908年(明治41年)10月13日 - 2006年(平成18年)5月22日)は、日本の政治家。岐阜県知事、自由民主党衆議院議員。孫は自民党衆議院議員の棚橋泰文。妻は43年間穂積村・町長(現:瑞穂市)を務めた松野友。子に元岐阜県議会議員松野幸昭と前瑞穂市長の松野幸信がいる。 岐阜県本巣郡穂積村(現・瑞穂市)出身。名古屋育英商業学校(現:東邦高校)卒業、岐阜県農業講習所(現:岐阜農林大学校)入所。その後、兵役を経て、家業の農業に従事した後、1933年(昭和8年)9月「松野メリヤス」を創業。 穂積村会議員で、戦時中は翼壮の構成員となる。そのため戦後は公職追放を受ける。追放解除後は岐阜県会議員、岐阜県議会議長を経て、1958年(昭和33年)10月、岐阜県知事選に出馬し初当選。
野田 卯一(のだ ういち、1903年(明治36年)9月10日… 野田 卯一(のだ ういち、1903年(明治36年)9月10日 - 1997年(平成9年)1月29日)は、日本の政治家、大蔵官僚。池田勇人・福田赳夫とともに、「大蔵省の3田」と呼ばれた。 岐阜県岐阜市出身。野田繁吉の五男として生まれる。岐阜中学校(現在の岐阜県立岐阜高等学校)、第一高等学校を経て、1927年(昭和2年)3月に東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した後、大蔵省に入省(大臣官房文書課属)。在学中の1926年(大正15年)11月に高等試験の行政科試験と司法科試験に合格した。 浜松税務署長、松戸税務署長、為替局総務課長、興亜院経済部第四課長、大蔵省総務局総務課長、門司海運局次長、大蔵省金融局次長、外資局長、主計局長、専売局長官などを歴任し、1948年(昭和23年)3月に大蔵次官に就任した。
古池 信三(こいけ しんぞう、1903年(明治36年)4月3… 古池 信三(こいけ しんぞう、1903年(明治36年)4月3日 – 1983年(昭和58年)10月7日)は、昭和期の日本の政治家、官僚。位階は正三位。郵政大臣、国際電信電話(KDD、現KDDI)会長及び社長。 岐阜県大野郡高山町(現高山市)に生まれた。広瀬末吉の二男。古池喜代次郎の養子となった。古池家は清和源氏村上氏流の庶流で、美濃国恵那郡を本拠としていた一族だといわれている。 旧制斐太中学校(現岐阜県立斐太高等学校)、第一高等学校を経て、1928年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、逓信省に入省する。京都中央電話局加入課長、簡易保険局弁済課長、名古屋逓信局庶務課長、広島逓信局規画課長、電気局検査課長、電力管理準備局評価課長、電気庁第一部監督課長、官房総務課長、総務局需品課長、運輸省官房会計秘書各課長、札幌逓信局長、商工省電力局長、名古屋商工局長などを歴任。
松尾 吾策(まつお ごさく、1903年(明治36年)1月6日… 松尾 吾策(まつお ごさく、1903年(明治36年)1月6日 - 1988年(昭和63年)6月16日)は、日本の政治家。元岐阜市長。父は元岐阜市長で貴族院議員であった松尾国松。
永江 一夫(ながえ かずお、1902年(明治35年)2月1日… 永江 一夫(ながえ かずお、1902年(明治35年)2月1日 - 1980年(昭和55年)4月23日)は、日本の政治家。位階は従三位。 農林大臣(第9代)、民社党副書記長を務めた。長男の永江一仁は民社党衆議院議員・神戸市会議員の永江一之は孫(一仁の長男)。 岐阜県恵那郡陶村(陶町を経て現瑞浪市)で生まれた。苦学して1924年(大正13年)関西学院高等商業学部(現在の関西学院大学)を卒業。在学中、1921年(大正10年)神戸の川崎造船所・三菱造船所争議に参加。卒業後、福徳生命に入社し、同時に社会運動に参加し日本労農党、日本大衆党に属した。 1929年、神戸市会議員となる。1937年、第20回衆議院議員総選挙に立候補し当選。
三宅 正一(みやけ しょういち、1900年(明治33年)11… 三宅 正一(みやけ しょういち、1900年(明治33年)11月28日 - 1982年(昭和57年)5月23日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院副議長。 岐阜県恵那郡明智町(現・恵那市)出身。父親は村長を務める名望家だった。弟は名古屋市で眼科医院を開業した三宅寅三(歌人・三宅千代の夫)。旧制岐阜中学校(現・岐阜県立岐阜高等学校)から早稲田大学政治経済学部に進学。早大では学生無産運動団体の「建設者同盟」に参加した。同学年に平野力三(元農林大臣)。 1923年早大を卒業。翌1924年に日本農民組合関東同盟の新潟県出張所を新発田に開設、以後新潟県に定住する。1926年、小作料の減免を求める農民に対し、地主が土地への立入禁止処分で対抗したことから始まった木崎村小作争議(木崎村は現在の新潟市北区)を先頭にたって指導し、小作料不納同盟の結成、小作人子弟の同盟休校、村政改革、無産農民学校設立などを行い対抗した。